販売会社はやたらに作るな
『一倉さん、うちでは販売会社をつくっていますが、いつも製造会社と販売会社のどちらかが儲かり、どちらかが業績が悪いのです。仕方がないので、期末近くに販売会社への売渡価格を変えては調整をしていますが、うまい価格設定法はないものでしょうか』というM社長の質問である。うまい価格設定法などある筈がない。
世の社長族は、販売会社を作ることが極めてお好きな人種である。二言目には販売会社とおっしゃる。
いったい何が狙いで販売会社をつくるのだろうか。一つは販売だけに専念させるためであり、もう一つは分離することによって、それぞれの経営効率を明らかにしたり、責任を明確にしたい、ということらしい。
もう一つ、全く違う狙いがある。それは、二つの会社の決算期をずらしておいて、その間の売買のシーソー・ゲームをやることによる「利益かくし」である。
右のような理由で販売会社を作っている会社を私は随分診てきたが、うまくいっている例は殆んどないといってよい。反対に、弊害の方はいやというほどみせつけられているのである。
販売会社を分離すると、事務量の増大と手続きの増加による人員増が起きる。たちまち経費高を招く。
厄介なのは価格設定である。この価格設定は、両者の間に「忌否宣言権」 (お互に、他社よりも高ければ買わない。安ければ売らない、という相互拒否権)でも持たせない限り、妥当な価格設定などできるものではない。
しかし、こんな拒否権など持たせるわけにはいかない。自社の商品を売るための販売会社だからだ。ある時点では妥当と思われても、状況の変化によって、片方が有利、片方が不利な価格になってしまう。不利な会社の利益は減少する。
その減少は不適切な価格にあるために、当事者は納得せず責任も感じない。そして価格批判ばかりで、やる気をなくしてゆく。いくらやっても不利な価格では、やり甲斐がないからだ。
ある会社では、業績不振をかくすために販売会社に高価格で売り、販売会社に赤字をしわよせして、本体である製造会社の信用をつなぎとめようとしていた。これでは角を矯めて牛を殺すことになってしまう。販売会社はやる気をなくし、製造会社では危機の実態が分らず、安易感にひたっていたのである。
販売会社は、高く買わされればやる気をなくし、反対に安く買うことができたら、こんどは安値販売に走る危険がある。安値は販売促進に有利であり、売上げ増大は社長から最も強く要望されるからである。こうなると販売態度は安易となり、安値販売のために収益性は低下してゆくのである。
販売会社分離のもう一つの理由である経営効率の測定は、両社の間に妥当な価格による売買がない限り、やっても意味はなく、といって妥当な価格設定はできない。だから、個々の会社の経営効率の測定などできないのである。
同様の理由で、両社の人々の責任を明らかにすることもできない。それよりも、社員や部門に業績責任を持たせるという考え方を持つこと自体、社長として間違った態度であることは、「経営計画篇」の部門別目標設定のところでのべた通りである。
そして最後に、「利益かくし」などは論外である。税務署はそんなことは百も承知、マークされて厳しい調査を受ける。しかも相手はプロである。勝負は始めからきまっているのである。
そんなことよりも、私の言いたいのは、利益をかくそうとする態度そのものである。というのは、社長が利益かくしに努力し、もしも多少ともその成果(?)が上がったなら、それに味を占めて利益をかくすことに浮身をやつし、事業経営に対する姿勢がゆがめられてしまうからである。
以上のべたように不用意な販売会社設立などは、百害あって一利なし、とさえ言いたくなるのである。
かっこいい販売会社設立などは考えずに、製造・販売は一体のものとして考え正しい姿勢による正しい経営、正しい販売こそ最も大切なことであることを知らなければならないのである。
販売組織をどうするか
M社は地方都市の商社であった。地方経済は底が浅いので、 一般に扱い品目はどうしても多岐にわたる傾向がある。
M社もその例にもれなかった。農業資材、農薬、食品原材料、工業原材料の一部、荷造梱包機と包装梱包資材、コンテナーなど、恐らくは二〜三千種類と思われるが、誰も何種類の商品を扱っているのか知らなかった。
それを、五つの営業所によるテリトリー制をとり、そのテリトリーの中ですべての商品を販売させていた。
セールスマンの一人一人が、始末に負えないほどの多種類の商品を受持って、お客様に対するサービスも行届かず、重点指向による重点販売もできずに、業績はサッパリ上がらなかった。
このようなテリトリー制をとらせたものは「営業所単位の独立採算制をとり部門責任を明確にする」という間違ったマネジメントの思想だったのである。
M社の場合にまずやらなければならないのは、市場単位別の分担である。
とりあえず農業資材と農薬を一つの市場単位とし、それ以外をもう一つの市場単位とする。この二つの市場はお互に関連がないから、分けても不都合は起こらないし、担当者は間口が狭くなるから、その分お客様へのサービスの密度は濃くなる。
こうした市場分担によるそれぞれの市場を洗い直し、商品構成に再検討を加えてスクラップ・アンド・ビルドを行なうのである。その結果、あるいは営業所またはテリトリーの変更があるかも知れないのである。
右のような勧告をしたところ『それでは営業所毎の独立採算や管理がやりにくくなる』とM社長はいう。私は『事業は市場に対してのサービスである。販売はその第一線である。だから、あくまでも市場の要求をつかみ、その要求をどう満たしてゆくか、が最大の命題だ。
独立採算、営業所管理という内部指向であってはならない。人間のやることは、どんなことでも一方の利点があれば、必ず一方では何らかの不都合が生ずるのだ。
だとしたならば、大切な方を重視して、それによって生ずる不都合は我慢するより外はないものなのだ。
だから、お客様へのよりよいサービスを重視し、それによって生ずる内部管理の不都合は我慢しなければならない』と答えた。
A社にお伺いした時に、副社長と雑談中に副社長の次のようなボヤキがあった。それは、三カ月程前に事務機メーカーのN社から会計機を購入したが、未だにプログラムも決まらないで困ちているというのである。
事情をきいてみると、N社の営業部門は事業部制をとっており、ハード事業部とソフト事業部に分れている。その二つの事業部の考え方がかみ合わないという。ソフト事業部では、A社の実情を調べたところ、ハード事業部が売った機械では不適だというのである。
お客様を馬鹿にするにも程がある。お客様のことはそっちのけで、二つの事業部がそれぞれの立場を主張し合っているのだ。
こうなるのは、事業部制の考え方が間違っているからなのである。事業部制というものは、必ず独立した市場をもっていなければならないのである。
N社のように同一の市場に二つの事業部をつくってしまったところに誤りがあったのである。
事業部制というのは、個々の事業部が市場に対して独自の事業活動を行なって利益を出してゆくのが建前である。
だからN社のハード事業部は先ず安い機械を売込んで手っとり早く収益をあげようとし、ソフト事業部は収益をあげるためには安い機械では不利なので、より高価な機械を望むのである。
こうして、N社の個々の事業部は自らの部門のみのことしか考えない我利我利集団と化し、お客様の立場などどこかへ行ってしまったのである。
N社はこうしてお客様の信頼を失ってゆく。間違った事業部制は恐ろしい結果を招くのである。
だからこそ、一つの市場には一つの事業部でなければならないのである。
N社の例をとれば、お客様に対してハードもソフトも一貫して最後までサービスを行なうには、同一市場一事業部制をとればよいのである。
K社は事務機と事務用品の総合商社である。これも間違った事業部制をしき、計算機事業部、複写機事業部、消耗品事業部の二つに分けてしまった。
その結果は、得意先廻りはそれぞれの事業部より一名ずつ、三名が組になって行動する。効率の悪さは話にならないだけでなく、訪間を受ける小売店側にとっても二人を相手にしなければならないというわずらわしさのために、小売店の評判は悪いのである。
販売組織というものは、社員管理の都合や責任体勢をとらせることを主眼にするものではない。あくまでも市場活動に主眼をおいて編成するものである。
市場活動には二つの面がある。一つは顧客に対する販売活動であり、もう一つは同業他社との競合―つまり占有率確保のための活動である。
それら二つの活動に焦点を合わせ、効率的な組織を組み、機動力と弾力性をもたせなければならないのである。
そのような要求を満たすための組織は、社長自ら小売店やエンド・ユーザーを訪問して、生の声を聞かなければ、できるものではない。
いつ、いかなる場合にも、社長自らの顧客訪問以外に、我社の事業発展の決め手を見つけだすための重要な情報を見つけだすことはできないと思うべきである。
我社の発展を願わない社長はいない筈なのに、その発展の原動力こそ社長の顧客訪問なのに、それをやろうとしない「穴熊社長」が圧倒的に多いのは、どういう理由によるものなのだろうか。
セールスマンの適格者
U社は高級レジャー用品のメーカーで、小売店直売方式をとっている。
販売体制強化のためにセールスマンを増強することになった。増員はまず社内スカウトから行なうことにした。管理体勢にムダがあり、簡素化による人員捻出を計るというメリットもあるからだ。
こうした場合には、どの部門でも有能な人物は出さず、能力の低いものが放出されるのであある。
G君はこうしてセールスマンに放出された。管理能力は低く、気はきかず、口は重く、風采はあがらなかった。ただ真面目だけが取柄だったのである。
営業部門に廻されたG君は、むろんいいお得意様など持たせてもらえる筈はない。「どさ廻り」をやらされたのである。
一カ月がすぎた。ところがG君は信じられないような売上げをあげたのである。百五十万円の売上げである。これは新人としての新記録であった。その秘密は百五十店舗の訪問である。それも乗用車ではなく、電車、汽車、バスを使っての、名簿の住所を頼りの、道をききながらの訪問だったのである。
G君の真面目さと根気が、この実績を産んだのである。
G君は、早く月商五百万円をあげたい、とボソボソ語るのである。U社長は喜んだり、びっくりしたり、不思議がったりである。
T社は石油不況による大幅な売上減を挽回するために、ディーラー・ヘルプと称して、販売に経験のない製造部門や管理部門から大勢の社員が販売の第一線に立たされた。
この時に、優れた実績を上げた社員は、風采があがらず、口が重く、どう見ても営業には不適とT社長が考えていた人々であった。
T社長は『セールスマンのイメージを変えなければならない』と私の知人にもらしたN社第一の実績を誇る0営業所長は、背低く、色黒く、がに股で全く風采のあがらない人物だとN社長は私に語る。
D社の専務の語るところによると、高度成長時代には優れた実績を誇った或るセールスマンは、石油不況になってからはさっぱり実績が上がらないという。
よく考えてみると、高度成長時代は引合いはいくらでもあり、その中での選択だった。そのために頭の切れるセールスマンが実績を上げていた。
ところが、石油不況では頭が切れるだけでは注文がとれないためだという。反対に、高度成長時代にはマゴマゴしていて実績の上がらなかったセールスマンが石油不況にはコツコツと地道な努力をして実績をつみ重ねているという。
頭の回転よりも、地道な努力こそ逆境に強いのである。
A社長は、ベテラン・セールスマンは駄目だという。大きな物件ばかりを追いかけて功名手柄を立てようとする。たまに大きな注文をとってはくるが後が続かない。
それに反して、一年か二年しか経験のないセールスマンは社長の指示を忠実に守って得意先を巡回する。一件当りの受注金額は低いけれど安定した実績をあげている。こうした地味なセールスこそ、U社長の望むところなのである。
世に有能なセールスマンのイメージというものがある。それは、頭の回転がよくて社交性に長け、弁舌が爽やかであること、というところが相場である。ところが、現実は全然逆で、右のようなセールスマンは最も不適格である。
こうしたセールスマンは個々の商談には強いかも知れない。しかしそれは、かえってお客様に『してやられた。今度からは気を付けよう』というような警戒心を起こさせる危険がある。だから「押込み販売」には向くかも知れない。しかし「押込み」は販売の邪道である。
セールスマンの適格者は、頭の回転が遅く、社交性に欠け、口が重いことである。そして真面目で根気強い人間である。
こういうタイプのセールスマンは、お客様に警戒心を起こさせない。もしもぶ男であったなら、相手に優越感を与える。その真面目さは相手に信用され、根気強さは相手を感心させる。
だからこそ、この項であげた実例のように、優れた業績をあげられるのである。
商売のことを「あきない」という。商売はあきずに根気よくやらなければならない、ということである。これがセールスの秘訣であることは、今も昔も変っていないのである。私はセールスというものは、 一に根気、二に根気、そして三番目に根気であると思っている。
断わられても、買ってくれなくとも、根気よくお客様を訪問することこそ、セールスを成功させることであることを、優秀なセールスマンは知っている。だから、優秀なセールスマンはベテランになっても益々訪間に精を出す。
反対に無能なセールスマンは、二〜三年は真面目にやる。そしてそれなりの実績を上げる。しかし、だんだん様子が分ってくるにつれて、要領よく立回ろうとし、狙い打ちをはじめる。
訪問の重要さを忘れて「電話」で済ませて時間を生みだし、この時間を狙いをつけたお客のところへ行くならまだましで、「休息」という名のサボリに使ってしまう。
サボリすぎて実績が上がらないと、ちょっとばかり馬力をかけて、何とか面目を保てるだけの受注をとってお茶をにごすのである。
中小企業の社長族が欲しがるベテランのセールスマンとは、実は右にあげたようなあまり使いものにならないのが大部分で、こういう人種がスカウトに応じてくるのだ。
優秀なセールスマンやセールス・マネージャーになれるような人物は、それぞれ立派にその所を得てやっていて、スカウトになど応じては来ないのである。
ベテラン・セールスマンを欲しがるのは止めるべきである。優秀なセールスマンは、セールスマンの適格者の条件を見れば、あなたの会社の中にたくさんいることに気がつく筈である。
販売というものは、単なるセールスマンの個人的能力に頼るものではなく、市場戦略に基づく諸活動を有機的に組合わせて行なうものである。
その戦略の基本となるセールスマンの訪問活動は、占有率目標から生れる訪問計画を忠実に守らせなければならないことは既にのべた通りである。
ところが、セールスマンはいつたん外に出てしまったら、自らの意思でどのような行動でもとれる。これを内部からコントロールすることはできない。
そして、勝手な行動をとるセールスマンは我社のベテランや外部からスカウトしたこれまたベテランが多い。この意味からも、このようなベテランは市場戦略展開の邪魔になる場合が多い。
反対に、優れたベテラン・セールスマンは訪問こそ販売の基本だということをよく知っているから、市場戦略の邪魔どころか、その推進のために新人に正しい指導を行なってくれるのである。
何れにせよ、市場戦略の基本となる定期的顧客訪問は、これが確実に実施されなければならない。そして、それは上司の見ることのできないところで行なわれる。
だからこそ、陰日向ないセールスマンでなければならないのである。高度成長時代のように、市場戦略などなくとも売れた時代は去ったのだ。
低成長あるいは停滞市場の中で、ひしめき合いながらの占有率確保戦略を推進するためには、セールスマンの資質もまた高度成長期のような適当なものでは済まされない。
「陰日向なく根気強く」こそ、セールスマンに要求される最も大切なものなのである。
セールスマンの教育をどうするか
どの会社でも、セールスマンに対して、過大すぎる期待と重責を負わせすぎ過大すぎるが故に、その期待はいつも満たされることはない。当り前である。
社長の期待するセールスマンなど、会社の中にいるわけがない。もしいるとしたら直ちに大抜擢して専務にでもすべきである。さもないと、早晩会社をとび出して独立し、我社に弓を引くことになるからである。
社長は、まずセールスマンに過大な期待と重責をかけることをやめなければならない。販売はセールスマンの能力と努力ではなく、自らの販売戦略によるものだと思うべきである。
これは、セールスマンなどどうでもいいという意味ではない。それどころか、セールスマンの能力と努力は販売成果を大きく左右する。
私のいいたいのは、セールスマンの能力と努力だけに期待して、自らは販売努力を放棄しているのは誤った態度だ、ということである。
セールスマンの能力と努力を、本当の意味で生かすのは社長の販売戦略である。それなるが故に、社長は自らの意の如く動くセールスマンをつくりあげなければならないのである。そのためには、どんな教育をしたらいいのだろう。
世にセールスマン教育は数多い。しかし、それらの教育の殆んど大部分は、セールスマン個人の販売能力や商談能力に関するもので、極めて次元の低いものである。コミッション・セールスならこれでもよいが、販売戦略の推進には何としても物足りない。
まず第一に教育しなければならないのは、セールスマンの立場とその役割に関する基本認識である。それは次のような意味のことである。
『事業の経営というものは企業間競争―つまり同業他社との「戦い」である。その戦いは商品力と販売力で勝負がきまる。同業他社との戦いである限り、そこには「戦略」がある。この戦略目標は、「占有率確保」である。占有率確保のために、会社は市場における様々な情報を収集し分析し、「作戦計画」をたてる。
その作戦計画を実施する第一線がセールスマンである。当然のこととして、その作戦通り行動しなければならない。抜駆けや勝手な行動は許されない。
もしも抜駆けや勝手な行動をとれば作戦計画の遂行は不可能となり、「鳥合の衆」となってしまう。これでは戦いは負けである。自らの能力発揮は、あくまでも会社の市場戦略にそって行なわれなければならない。
その市場戦略遂行のためのセールスマンの最大の役割は、得意先訪間である。会社の定めた訪問計画を忠実に実行することである。
間違っても電話受注で間に合わせるようなことがあってはならない』と。このような、上司の目の届かないところで忠実に行動するためのセールスマンは、「セールスマンの適格者」でのべたような条件が必要であることを再確認していただきたい。
右の基本認識の上に立って、セールスマンとしての心得を教えこむのである。
それは「セールスマンとして最も大切なことは、お得意先から可愛がられることである」ということを、よくよく理解させることである。そのためには、エチケットと服装の大切さを教えた上に、
- イデオロギー、宗教、ひいきには絶対ふれてはならない。
- 言分けは絶対にしてはならない。
- 反論、議論は厳禁。
- 「教えてあげましょう」という態度はとってはならない。
- 相手の手落ちを責めてはならない。
- 相手との約束は必ず守ること。
という最も基本的な心得を、まず教えなければならない。
右のことに違背すると、お得意先を怒らせてしまう。そして、また多くのセールスマンが常に侵しやすい誤りでもあるのだ。
なぜ相手を怒らせるかは、相手からこうした態度をとられた時のことを考えていただいたら分ると思う。それにもかかわらず、このような心得を教え込んでいる会社は少ない。しゃれたセールス・テクニックの教育も結構であるけれども、それ以前の基本的な心得を忘れていては、セールス・テクニックも役に立たないのである。
私にいわせれば、お客様に可愛がられさえしたら、セールス・テクニックの上手下手など、たいした問題にはならないのである。
あとは、営業活動に伴ういろいろな活動についての心得である。それは、
- 商品に関する質問については、必ずパンフレット、チラシ、商品説明書を相手に示して、その通り説明する。もしも、それらに記載してない場合には、必ず相手の質問要旨をメモして復唱し、改めて会社の正式な回答を約束すること。
- 相手の要望、特にクレームについては必ず報告すること。
- 同業他社の情報に注意し、報告すること。特に蛇口訪問者とその頻度。
ということである。報告事項については、所定の報告書によるようにするのであるc
右のような最も基本的なことを教育すれば、あとはあまり必要はない。中途半端な商品知識の教育などは、しないほうがよいのだ。その理由は既にのべた通りである。
セールスマン教育について要約すれば、それは我社の販売戦略・市場戦略に焦点を合わせることが最も大切なことであるということである。このことを忘れた教育は、かえってマイナスになるかも知れないことを、よく考えなければならない
営業日報
たくさんの会社で、営業日報を提出させている。
しかし、それらの大部分は営業日報ではなくて、セールスマンの「行動日報」である。一日の時間割りがあり、何時から何時にどこの会社に行き、誰に会い、どんな用件であった、というようなことを、細かく報告させている。
甚だしい例になると、社外時間として、拡売、商談、受注、集金、納品、クレーム、接待、食事、交通、待ちなど、社内時間として、来客、電話、記録、調査、整理、車整、会議、本社など、もうどうみても正気とは思われないようなのにぶつかったことがある。いったい、こんなことを報告させて何になるのだろうか。
だいたい、セールスマンにその日の行動を報告させるのは、セールスマンに嘘を奨励(?)していることになる。いったん外に出てしまえば、その行動のチェックはできない。
喫茶店、パチンコ屋、競輪、競馬などにはかなりのセールスマンが仕事をよそにサボッているのだ。しかし、それを正直に日報に書くセールスマンがいる筈がない。嘘を奨励しているようなものである。
だから、営業日報でチェックできないセールスマンの行動など報告させるのは、やめるべきである。
営業日報は外部情報に限定するのである。これは、セールスマンにとっては、自らの行動ではないので嘘を書く必要はない。
外部情報とは、顧客に関することと、競争会社に関することである。顧客の要求、小売店舗の場合には売場占有率、欠品補充状況などが必要である。
忘れてならないのはクレーム(これは時として、故意に報告しないことがあることはすでにのべた。そして、これを防ぐ手だても)である。
競合会社の情報としては、新商品の蛇口作戦、セールスマンの蛇口訪問回数と、社長、営業部長などの偉い人の訪間の有無― がその中心になるのである。
このように報告事項をハッキリときめておかないと、セールスマンの競合会社に関する情報は、我社と直接競合する商品で、我社より安価なものが中心になってしまうのである。そして、この安価品の情報は、ともすれば安値競争にのめり込む危険をもたらすことがある。この点、特にク穴熊社長クは誤りやすいのである。
営業日報は、小企業ならば社長が全部目を通せるが、会社が大きくなるにつれてそうはいかなくなる。その場合には、営業部長とか営業所長などに要点をまとめて報告させるようにすればよい。しかし、時には直接抜取りで読む必要がある。ただし、クレームだけは別で、あくまで社長自ら全ての報告書を読まなければならない。
営業日報から得られた情報は、重要と思われるもの、ク臭い″と思われるものは、社長自ら外に出ていって自らの日で確かめなければならないのである。
商品台帳
F社は梱包資材の販売業者である。数百種類に及ぶ商品を、在庫管理機で管理していた。しかし、その残高と現物はしばしば大きく違い、どこまで管理機を信用していいのか分らなかった。
といつて、音に戻ってまた帳簿というわけにもいかなかった。帳簿でうまくいかないことと、省力という二つの理由から管理機を入れたからである。しかし、省力も合理化もできなかったのである。
私はF社長の悩みを解消する方法として、在庫管理機をやめ、「追番式商品台帳」を勧めた。しかし、F社長としては実施までは踏みきれずにいた。
ところが、それからしばらくして、二台ある在庫管理機のうち一台が故障した。修理には時間と金がかかる。そこで、私に教えられていた「追番式商品台帳」を試験的に採用してみた。
結果は上々であった。商品の動きが手にとるように分るようになり、いままでどうしてもうまくいかなかった「計画発注」ができるようになり、在庫が減って品切れが少なくなるという、いいことずくめである。しかも、人手は少しも増えないというのである。F社長は『こんな素晴しい方法はない。いままで在庫管理機を使っていたのが阿果らしい』と私に語った。
どの会社でも、商品台帳は悩みの種である。それを解決してくれる筈の在庫管理機を使っても、悩みは解消しない。解消する筈がないのである。
商品台帳というものは、単に今いくつ在庫があるか、が分ればいいというものではない。その動き― つまり売行き状況が明確につかめなければならない。でないと、計画発注もできず、販売予測もできないからである。
ところで、従来の商品台帳(在庫台帳も同じ)は、入庫、出庫、在庫という記帳法をとっている。これを「残高方式」という。残高(在庫)だけ捉えるという方式だから、ダメなのである。
販売予測にも、計画発注にも「過去においてどれだけ売れたか」という実績をつかむ必要がある。さらに、その実績が上昇線を辿っているか下降傾向かを知りたい。
そこで毎月、前月の実績の集計をしなければならない。これは大変な作業である。といって、どうしても必要だからやらぎるを得ないのであるたまりかねて在庫管理機ということになる。
在庫管理機とて「残高管理」に変りはない。帳簿より始末が悪いのは、「打込ミス」が分らないことである。高い金で買い、 一日中電気を入れっ放しという不経済さを我慢しても、問題は解決しない。こんな阿呆らしいことはないのだ。「追番式商品台帳」こそ、この悩みを見事に解決してくれるのである。
「追番式」というのは「累計方式」のことである。入庫はその都度累計し、出庫もその都度累計してゆく。そして、
入庫累計ー出庫累計=在庫
とするのである。「第2表」がその様式である。累計は一期間通して行ない、期首に切換えるのである。この切換えをせずに、商品の誕生から一貫して累計してもよい。
この方式は「通算でいくらか」ということであり、それなるが故に商品の動きが的確につかめるのである。
期首から一カ月日、ニカ月日というように通算で表示されるから、ニカ月日の通算から一カ月日の通算を引けば、ニカ月日の動き― それが入庫でも出庫でも、そして出庫が売上げならば売上げがつかめる。
月々の動きが、たった一回の引算で出るのである。また、三カ月間の通算を三で割れば、三カ月間の月平均が分るという、誠に便利なものなのである。
時々実地棚卸の結果と在庫をつき合わせ、合わない場合は入庫累計を修正すればよい。 一度これを使うと、もう絶対にはなせなくなる。残高管理など、管理のうちに入らないことが分るのである。
在庫基準
M社は洋品雑貨のチェーン店で、店舗数は十五店程であった。本店の店舗は三階まで売場であった。どの店の例にもあるように、三階と二階の売上げが芳しくなかった。
まず二階の売上増進策をとることに決まった。三階の商品構成は、売上げ不振店舗の共通的特徴をもっていた。「いろいろなものを少数ずつ」揃えていたのである。
私は、一流商店街なるが故に、ショルダー・バッグ一本に絞ることを提唱した。そうすれば、その商店街で最大の品揃え、つまり最大型店となるからである。
しかし、社長はそこまで思いきれなかった。それでもショルダー・バッグに三分の一以上のスペースをさいたのである。これで三階売場はショルダー・バッグについてのみ、その商店街での月並の店になった。あとの三分の二の売場は相変らず小型店である。それでも三階全体として以前から見たら格段の商品の充実である。
次に、お客様にこの売場をPRしなければならない。三階への階段の上り口に案内を出すという。これは 「天動説」である。「店内の案内は、お客は読んでくれるし、それを読んで二階に上がってくれる」という思想である。
そんなことをしても効果など知れたものである。それよりも、お客様の意思で三階へ上がってもらうようにしなければならない。
その作戦は全店について、期間を限って謝恩という名目でお買上げ三千円以上のお客様に、三千円毎にパンティ・ストッキングを一足進呈することとし、引換券をお渡ししてその引換場所を本店の二階としたのである。
これは大成功であった。三階に上がったお客様は、そこにショルダー・バッグの売場のあることを知り、ついでに見て下さるお客様もかなりあった。
三カ月程で三階の売上げは三倍以上になった、という話をきき結構なことと思い、売場をのぞいて見たら、商品の補充がうまくできていないために、売場のかっこうがついていない。
私は売場の主任を呼んで『何しているんだ』と気合をかけた。ところが、主任いわく『在庫基準をオーバーするといって、補充要求を通してもらえないのです』という。
全くあきれ返ったことである。全社の在庫基準を決めてはいるが、売場別の在庫基準を決めていない。そのために、売上げ不振の店舗には三カ月分もの在庫がありながら、売れる店には半月分にも足りない在庫しかない。
生兵法とはこういうことである。これは明らかに社長が悪い。こんな初歩的なことが分らずに、よく社長がつとまると思う。
「社長が店別の在庫基準まで決めているヒマはない」というだろうが、社長が全体を決めたら、あとは社員がやってくれるくらいなら、苦労する社長など世の中になくなる。
社員とは、社長のいいつけだけを、そのまま守ることぐらいしかできない人種なのである。
店別や商品別の基準を決めてやることなど、手間ひまはかからないのだ。しかもこれは販売方針としての基本的事項なのだから、社長が決めるのが当然なのである。
在庫は、資金的に見た場合には少ないほうがいいにきまっている。といって、これを少なくすると品切れによる「売損い」が発生する危険がある。この二つの相反した要求を、どう満たしたらいいのだろうか。
そのためには、「総在庫金額」だけを見ていてはダメである。というのは、どこの会社でもデッド・ストックというものを抱えている。しかも、これが意外なほど多いのである。
デッド・ストックを在庫金額に入れて総在庫金額を押えるのでは、有効在庫が圧縮されて品切れを起こすのである。
そのためには、まず第一にデッド・ストックは思いきって処分してしまい、有効在庫について、個々に基準をきめることである。売上げ数量の多いものと売上げが伸びているものは、多目の在庫基準を設定するのである。
ところで、この在庫基準というのは、常時在庫でも最大在庫でもなくて、購入締切日現在の在庫を示すものである。
在庫を豊富に持ちながら、在庫金額を少なくする方法は、締切日現在の在庫は一日分で、締切日の翌日に一カ月分が入荷するのが理想である。
この理想をふまえて、締切日現在の在庫基準は低水準とし、締切日後の二〜三日の間に倉庫のスペースの許す限り、 一カ月分の在庫を入荷させるように注文書の納期指定を行なうのである。スペースが許さないものは分納とすればよい。むろん、電話一本で即納してもらえるような品物は在庫は僅かでよい。
ところが、多くの会社ではこれとは逆に、締切日がせまると駈込み納入があって在庫がふくらみ、後半には品切れを起こすような飢餓状態になっているのである。
支払いは締切日の翌日仕入でも、それから一カ月後の締切日仕入でも、一緒なのである。大切なことは、この一カ月間をうまく利用するかどうかなのである。
これをうまく利用することにより、在庫金額は少しでありながら、在庫の現物は豊富にある、という理想的な状態を実現することが可能となるのである。
しかし、小売店舗は倉庫を持って在庫する余裕のない店が多く、倉庫があっても小さくて少量の在庫しかおけないのが常態である。
だから、売行きがよいとすぐに品切れになるおそれがでる。ここにメーカーや問屋として小売店に如何にサービスするか、という命題が提起される。この命題に答えた問屋は売上げが伸びるのである。
戦略情報会議
世の、販売会議とか営業会議なるものの実態を見ると、その大部分は「売上げ不振の原因を研究し、その責任を追求する会」になってしまっている。
日標と実績の差が確認され、不達成に対しては「なぜ上がらないのか」とくることに相場がきまっている。
「なぜか」とくるから「その原因はこれこれです」ということになる。そして、その原因は常に担当者にはなくて、担当者以外の何かであり、それは担当者のコントロール不能なものであるということにきまっている。
つまり、社内には誰も売上げ不振の責任者はいないということが明らかになり、誰も怪我人が出なかったことにほっとする。
納まらないのは社長である。その不満を、タッタいま、売上げ不振の責任がないことが確認されたばかりの社員にぶつける。「ファイトがない。責任感がない。努力が足りない」という叱言で、会議は終るのである。
いささか、やゆ的な表現を用いたが、実態はまさにこの通りなのである。
このような会議を何百回繰返そうと効果など上がる筈はない。参加者は販売促進策を胸に秘めて会議にのぞむのではなくて、「いいわけ」を如何に上手にやるかの事前研究を行なって会議にのぞむからである。始めから、誰も販売促進策など考えてはいないのである。
いったい、売上げ不振の原因を探求して何になるのだろうか。死んだ子の歳を数えるのと同じである。
販売会議の目的は販売促進にあるのだ。とすれば、前向きに「どうすれば販売が伸びるのか」が先ず討議され、決定され、行動に移されるべきである。
S社は産業機械のメーカーである。S社長いわく『うちでも、いままでの営業会議は「売上げ不振の原因探求会」でした。
一倉さんにいわれて前回から「一倉方式」に変えたところ、大変なご利益が生れました。いままでは二時間もかかった営業会議が、たった十五分で終りました。
目標と実績を比較したところ、機械五台の売上げ不足でした。いままでの原因探求をやめて、対策一本に絞りました。
その対策というのは、「北海道地域にしばらく営業活動を行なっていないので、売上げ目標三台とし、専務がすぐ北海道にとぶ、社長が一台、営業部長が一台責任をもって売ること」というのでした。
一週間後には、専務が北海道で二台を売り、私も一台売りました。営業部長の一台が売れ残りましたが、従来では考えられない成果です』と。
正しい販売会議のあり方は、右のような前向きの販売促進策の決定を行なうことである。しかし、これはあくまでも当面の対策にしかすぎない。本当の販売会議は、さらに次元の高いものでなくてはならない。
B社では、「営業会議」を廃止し、「情報会議」に切換えた。売上げ不振の研究をする会議など意味ないと悟った社長の英断である。
始めのうちは、みな戸惑ったらしいが、だんだんとその意味が理解されてきて、最近は活発な発言が多くなり、会議の空気が全く変ってしまったという。その会議から、貴重なたくさんの情報が手に入るようになったということである。
B社の情報会議は、従来の営業会議からの脱皮についての一つの示唆をわれわれに与えてくれるものといえよう。毎月、先月の販売実績を検討し、その業績に一喜一憂したり、売上げ不振を云々にしても始まらないのである。このようなことしかやらないのでは、市場戦略の推進には何の役にも立たないのである。
市場戦略がない会社は論外として、いやしくも市場戦略をもっているならば、市場戦略に焦点を合わせた会議こそ本当である。
これを、私は「戦略情報会議」と呼びたい。B社の情報会議の狙いは、まさにこれに一歩近づいたものといえよう。
この会議で検討されるのは、あくまでも市場の情況とその変化の方向の把握と確認であり、次には我社の行なっている市場活動の妥当性と効果の測定でなければならない。
そのために必要な情報は、各種の刊行物や見本市、展示会などの記事やレポートがまずあげられなければならない。しかし、何といっても重要な情報は、社長以下、セールスマンの一人一人の顧客訪問によって得られたものである。
社長以下、自らの会社の人々の活動によって得られた情報ほど貴重なものはない。それらは文字通り、我社の人々の目と耳に肌で感じとったものだからである。
それらの情報を分析し、総合して、我社の市場戦略とぶつけてみるのである。我社の戦略は間違ってはいないだろうか。実情に合わない点はないか。変化への対応が十分に行なわれているか、重点への資源投入は不足していないか、不急不要の活動に資源をさいていないか、競合他社の動きはどうか、攻略目標会社への攻撃に不足はないか― などなど、すべて市場戦略に焦点を合わせたものでなければならないのである。
それらの検討を通じて当面、新たに必要とする市場活動と、強化、中止または減少する市場活動を決定するのである。
そして、最も重要なことは、それらの戦略情報に、社長自らの新たな市場活動によって得た情報を総合して、さらに優れた市場戦略の樹立を行なうことなのである。
まとめ
◎ 販売なくして経営はない。社長は自ら我社の販売戦略をたて、自ら指揮しなければならない。
◎ 販売戦略を誤らせるものは「天動説」である。天動説を捨てることによって、はじめて効果的な販売を行なうことができる。
◎ 価格政策は、単なる「低価格」というようなものではない。正しい価格政策は、我社のイメージ・アップと収益性の向上を実現するものである。
◎ 「いつ、いかなる時でも、自らの商品は自ら売らなければならない」という基本認識のもとに、販売網を整備し、販売促進を行なわなければならない。
◎ 「蛇口作戦」こそ、最も効果的な販売促進法である。これは、流通業者と我社の両方の収益を同時に増大させるという、優れた作戦である。
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