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五、販売促進

目次

加工業の販売促進

加工業者の販売促進は、まず危険分散から始めなければならない。

「経営戦略篇」でのべたように、一つの業界、一つの得意先に偏ることを避けることである。特定の業界または得意先に、我社の売上げの三十%以上を依存しないことを先ず第一に心掛けなければならない。

よらば大樹の陰とばかり、大企業ばかりを狙う会社は数多い。大企業を狙うと、どうしても特定の業界、得意先に偏り勝ちになる。

なぜ大企業を狙うのかを聞いてみると、その主な理由は二つある。一つはつぶれる心配がない、ということであり、もう一つは仕事量を確保できるから、ということである。

大企業とつき合う利点だけを見て、反面の危険をみていない。同時に「虫のよい」というよりは横着な考え方である。販売という事業活動のうちで最も難しい活動をせずに、労せずして売上高を確保しようという怠慢がそこにあるからだ。

その怠慢の代償として、まず第一には収益性がよくない。第二にはさきにあげたような業界や得意先の偏りが起きて、変化に対応する機動力と弾力性が失なわれてゆく。

論より証拠・石油ショック後の不況で、大企業のみを得意先に持っている会社は、その打撃が大きく、復原力が弱いのを見ても分る。

また、大企業だから安全だということにはならない。大企業であっても「限界生産者」は危険なのである。ただ、大企業には限界生産者が少ないというだけである。

企業の危険度は、その大きさではなくて、市場における地位である。市場における地位が低い……つまり占有率の低い会社が危険なのであって、たとえ小さくとも、業界第一位の会社はまず安全と考えてよい。

従業員が百人か二百人の小企業であっても、業界第一の占有率を確保している会社は一流の会社であることを知らなければならない。安全度の物差を間違えないようにしなければならないのである。

一般に大企業よりも、中堅企業や中小企業で占有率の高い一流会社のほうが、「いいお値段」で仕事を出してくれることを知らなければならない。

だから、加工業者は大企業依存主義から脱出し、大企業は売上高のうちの二十%以下にとめる、というような限度を設定し、あとは中堅、中小の一流企業を狙うべきである。

こうすれば業界や得意先の分散が実現し、安全度も収益性も、ともに増大するのである。

次に考えなければならないのは、斜陽化、景気変動、季節変動などの危険に対処するためのクッションとして、外注工場群を整備することである。

我社の設備人員は閑散期の仕事量または不況による落込みを見込んだ仕事量以下に押え、それ以上は外注する、という体勢をとることである。

この体勢のもとに、積極的な社長自らの受注活動を展開して仕事量を確保し、社内はいつもフル稼動にもってゆき、消化できない部分を外注にもってゆくようにするのだ。

販売努力を放棄しているのだから、せめて以上のことくらいの努力はすべきである。

その次にやらなければならないのは、加工度の増大である。単一部品の加工だけではなく、サブアッセンブリーとかユニットまで加工するというようなことである。

これは、売上げ増大だけではなく、収益性向上に大いに役立つのである。この考え方をすすめてゆくと、単一部品は外注し、アッセンブリーを社内でやる、ということになる。

アッセンブリーの有利な点は、設備にあまり金がかからず、技術者はごく少しですみ、しかも収益性はよいところにある。

右にのべたようなことを推進するためには、社長の積極的な得意先訪間と新規得意先開拓活動を必要とする。

P社の社長は、主要得意先を一週間に一回訪問し、他社を絶対によせつけないだけでなく、かなり有利な値段で受注をしている。

P社で感心するのは、営業はいうまでもなく製造、検査、技術の責任者にまで社用の車を与えておき、急ぎの納品とか、得意先の呼出しに即座に応ずる体勢をとっている。

これがまた得意先に好印象を与えて、有利な値段の確保に役立っているのである。

加工業の社長というものは、一般的に極端な出不精で、「完全穴熊型」の人が多い。そして、作業衣を着て自ら先頭に立って能率と合理化に奮闘し、それが業績向上の最良の道と思いこんでいる。これでは社長でなくて「工場長」であり「技術部長」にすぎないのだ。

作業衣を着ている社長は、私の最も苦手とする社長である。

事業経営とはどういうことであり、社長の役割は何であるかを理解させることが極めて困難だからである。これは、私の説得力不足もさることながら、「外部」を全く知らないために、私の言葉を実感として受け止めることができないからである。

近頃は私も賢くなり、お手伝いをする時は、冒頭に社長が外に出ることを私の条件とし、これを呑んでくれなければお手伝いを辞退する、と強迫(?)することにしている。

これは、社長の意識革命に大きく役立って、たちまち感謝の言葉になって私に返ってくるのである。

社名が販売を阻害していないか

浅川ガラスという会社がある。ガラスだけではいけないと、プラスチックも始めた。プラスチックの売込みに行って名刺を出すと、『ガラス屋さんですか。プラスチックは副業ですね』と言われて、営業がやりにくくて仕方がない、と営業部長がこぼしていた。

私は、社名を変えて、帥浅川とでもしてしまえばいいじゃないかというと、『社長に社名変更をお願いすると、「俺の目の黒いうちはダメだ。何といわれようと、うちはガラスで創業したのだ」といわれてしまった』というのである。

社名というものは、特定の商品を社名にしたり(加美の素)、特定の商品を連想させる(キスミー)ものは、そのために新商品や新事業の場合に具合が悪いことになりやすい。それが強力な商品の場合には特に甚だしい。

事業が発展して新事業を加えたり、方向転換をする場合に、社名からくる顧客のイメージが障害になるので、社名を変更する例は多い。東洋レーヨンが東レに、鐘淵紡績が鐘紡に社名変更している。

こうすると特定の事業と社名が直接結びつかなくなるからである。矢崎総業なんていうのはうまく逃げているだけでなく、「大きな会社」というようなイメージを何となく感じさせる。トピーなんていうのは、何をやっているのか見当もつかない。

同じ二輪車をつくっていながら、山口自転車と鈴木自動車という違いがある。山口自転車では、「自転車屋の造っている二輪車」というイメージを顧客に与えてしまったのである。

会社の内容や商品の品質がよければ、社名などどうでもいい、と思うのは勝手である。しかし顧客に与えるイメージを考えないと、思わぬところで事業経営にマイナスをもたらすのだ。

いたずらなセンチメンタリズムによって、かたくなに現在の社名を変えない、というのは考えものである。大切なのは社名ではなくて業績なのである。

商品名・型式名をやさしく

東芝で開発した「自動炊飯器」は、松下によって「電気釜」という親しみ易い名前に変えられた。松下の庶民的感覚である。

この感覚は「電卓」を「電子ソロバン」に変えた。これは、電卓のイメージ・ダウンだという人もいるけれど、商売としてはうなづけるものである。

商品というものは、そのイメージを表現し販売促進効果をもたせるものだけに、どの会社でも苦心する。しかし、苦心のあまりかえっておかしなものにしてしまうことがあるから注意しなければならない。

三菱の「デボネア」なんていう自動車は、あまり乗りたくなる名前ではない。山陽国策パルプで出したジョイント家具で「ポコ」というのがあるが、これも考えすぎの例である。平凡に「組立棚」とでもしたほうが、まだましだろう。

商品名だけでなく、型式名も気をつけないといけない。とかく技術屋さんは商品の頭文字や特性、寸法などをやたらと型式名に織りこむことが好きである。

そして、それは社内、特に技術屋さんには便利かも知れないが、お客にとっては迷惑なことが多いのである。

例えば、ある会社で二つの商品にLHMB、LMHB、LMNAという型式名をつけている。こんなまざらわしい型式名など、流通業者にとっては迷惑以外の何物でもない。お客のことを考えない商品名は売上げを阻害するのだ。

型式名は、ローマ字と数字を組合わせた場合には全部で四つ、つまリローマ字一つに数字を三つとか、ローマ字二つに数字二つという程度にすべきである。そして、分りやすく呼びやすく、覚えやすいものがよい。商品というものは、造る人のためにあるのではなくて、お客様のためにあることを忘れてはならないのである。

ある会社の新商品に、この四文字をすすめたら、どうしても字数が足りなくてムリだという。おかしなことをいうものだ。ローマ字二つに数字二つで三万通り以上の組合わせができるのに、と思って聞いてみると、タテとョコの寸法を型式名に織込むつもりだったのだ。寸法は説明書きですればいいものを、ご苦労なことだと思う。

まだある。それは商品名の字体を凝って、読みにくくしてしまう。これも随分お目にかかる。読みやすく、感じよくすることが字体をきめるコツであって、やたらと凝ることではないのである。

ブランドを売れ

京都に「大安」という漬物のメーカーがある。

同社のポリ製のパックは、中央にシンボルマークの「かぶ」が大きく描かれ、それに「大安」と書いてある。袋の上部の品名は、「大安の」と大きく書き、品名をその次に小さく書いてある。

週刊誌にもよく広告を出すが、これも「大安」と大書されている。徹底的にブランドを売っている。当り前といえば、これほど当り前のことはない。ところが、この当り前のことが驚くほど一般に分っていない。

大安と同じ漬物業界の商品を見ても、そのパックには、紅しょうがとか、きうり漬とかというように品物の名前を大きく書いているものが大部分で、社名とかブランド名は小さくて目立たない。これでは逆である。

品物の名前などは透明なパックだから見れば分るのだ。見れば分るものを大きく書く必要はない。だから品名は小さくてよい。大切なブランドを大書してブランドを売るようにするのが本当である。

ブランドを売ることを知らないメーカーは、販売を知らないからであるのはいうまでもないが、その奥には「天動説」があるのではないかと思う筆者の考え方は思い過ごしであろうか。― 我社の社名やブランドは大きく表示しなくとも、お客様はチャンと読んで覚えてくれる――という態度がなければ幸いである。

コマーシャルをどうするか

A化粧品は、日本の草分けの化粧品会社の一つであるが、現在は全くの限界生産者である。そのA社のテレビのコマーシャルを見た。これは「天動説」以外の何物でもない。

消費者は我社に絶大な支援を惜しまないのだから、A社のコマーシャルを見ると早速、A社の電話番号をしらべてA社に電話し、『テレビのコマーシャルでA社の化粧品を見た。これから買いに行きたいから、販売店の電話番号を教えてくれ』と問合わせ、今度は販売店に電話をかけて、『これからA化粧品を買いに行くのだから道順を教えてくれ』と道順をきいて買いにでかける、と本気で思いこんでいるのだ。

そうでなければテレビのコマーシャルなどする筈がテレビのコマーシャルは、「おトイレの時間」なのだ。たまたまトイレに行かなかった時に、A化粧品のコマーシャルを見せられてしまうのだ。

何回か見せられているうちに、頭のどこかにA化粧品の名前が残り、買物に行った時に、陳列ケースのA化粧品が目にとまり、買ってみようと思い、コールド・クリームが残り少ないことを思い出して一個買うのである。

消費者は店頭で目についた商品以外は買わないのである。決して探し廻って買ってくれないのだ。ところで、A化粧品は限界商品なるが故に、デパートもスーパーも専門店も、殆んど陳列はしていないのである。これでは、コマーシャルは全くのムダなのである。

N靴店はローカルテレビにコマーシャルを流していた。年間六千万円の放映料である。これは全くのムダである。

靴は目的買いの商品である。しかし、殆んどの場合に買う店の選択は衝動的である。だから店のコマーシャルは意味がないから止めなさい、と勧告した。止めても売上げには何の影響もなかったのはいうまでもない。

多くの会社で二言目にはテレビのコマーシャルと言いだす。その多くは『ムダだからやめなさい』と申し上げることにしている。

テレビコマーシャルとはどういうものかを知らなすぎる。中小企業の場合にテレビに流しさえすれば売れるものと思いこんでいるのは、ごく一部の場合を除き「天動説」と思えば誤りない。それだけではない。苦しい販売努力を放棄している社長の「怠慢」を私は感ずるのである。

テレビコマーシャルをやろうとする前に、永く苦しい販売促進の努力を続け、その努力が実って、相当知名度も高くなり、有名店に陳列されるようになった後に初めてテレビに流すべきである。

信州の野沢温泉は大衆スキー場として有名である。冬場はスキー客でごった返し、春とともに全くの閑散期に入る。秋になると少しずつお客が増えだす。「山は秋」である。

ここのS旅館で、秋にお客を呼ぶために、「きのこ鍋」を始め、新間にチラシの折込広告をした。これが予想外に反響があり、お客が増え、『きのこ鍋が食べたい』という注文であつた。

これに気をよくした社長は、今度は春の閑散期にお客を呼ぼうと、「山菜鍋」をつくって新間に折込広告をした。ところが、反響は全くなかった。S社長は分らなくなってしまった。

秋に効果のあったチラシ戦術が、春には全く効果がないのである。

私はS社長に説明した。それは「時期」のせいであることを。「山は秋」で、そろそろ山にでも出かけたくなった時に、「きのこ鍋」の広告が目についたから、食べたくなったのである。「春は山」はダメである。枯木とうすら寒さだけでは、とても山に行く気は起こらない。だから山菜鍋の広告を見ても関心を示さなかったのである。

人間というものは、「その気」がない時には、いくら誘っても乗ってはくれない動物なのだ。自動車を買う気のない時には、自動車の広告を見ても全然気を動かさないのだ。

この平凡な原理を知らずに、売れない時にかえって広告に力を入れる会社が多すぎる。石油ショック後の住宅購買意欲が沈静してしまった時に、M不動産では、 一回百二十万円もかけて数回たて続けに新聞広告を出したが、只一つの問合わせの電話もなかった。

こんなことは過去に一度もなかったのに、どういうわけかという質問に、私はそのわけを説明して、ムダだから止めなさい、と勧告した。

宣伝広告というものは、すべて、そろそろお客の買気が起こりかけてきたところで始め、最盛期にならないうちにやめてしまうのが効率的である。この短かい期間に集中的に波状攻撃をかけるものなのである。

反対に、企業イメージ広告などは定期的に継続しなければ効果はない。

以上は、コマーシャルに関する最も誤りやすい点をあげただけであって、とてもこの紙面で詳しくあげているわけにはいかないので専門書で研究していた私が言いたいのは、くれぐれも「天動説」にとらわれないようにしなければならない、ということでぁる。

この「天動説」は、次にあげる「カタログ」「チラシ」「ポスター」についても、見事なばかりの悪例を我々に見せてくれるのである。

カタログ、チラシ、ポスターについて

たくさんの会社のカタログを見るが、なぜあんなにもおかしなものばかり作るのかと、不思議でたまらない。大金をかけたカタログを、社長はいったい何と思っているのだろうか。

まず第一に色彩である。流通業者や消費財メーカーのカタログは、最近だいぶカラフルになってきた。しかし、産業機械や機器のメーカーのカタログは、黒とブルーとグレーにきまっている。

まさに「色盲」である。自社の工場は力ラー・コンディショニングとかいつて、しやれた色彩をとり入れているのに、お客様に対して「灰色ムード」とはどういう了見なのだろうか、何としても芸のないことである。

次には、表紙に電話番号がない。申し合わせたように裏表紙とは、いったいどうしたことなのだろう。私は、かつて会社に勤めていた時に、相手の会社に電話する時に、いつもわざわぎカタログの裏表紙を見なければならないのに腹を立てた。

表紙にのせておけば、裏を返す必要はないのだ。「表紙に電話番号を書いてはならない」という法律があるのを、私が見落しているのかも知れないが‥ ‥ ‥

その次は、代理店または特約店名である。だいたいにおいて裏表紙で、メーカー名が上で流通業者が下と相場がきまっている。

メーカーにとって流通業者はお客様なのだ。お客様を下にするとは何たることなのか。チラシになると、表に流通業者名の欄があるものがかなりある。

しかし、それもまずメーカー名があり、流通業者は最後である。どういう神経なのか、まことに不思議である。これが「天動説」なのである。つまり、流通業者は家来なのである。

おかしな事はまだある。カタログはお客様に保管してもらいたいか、それとも読み捨ててもらってもいいのか、という問題である。保管しておいてもらいたいに決まっている。それならば、お客様はどういう保管法をとるのだろうか。

外国ならばフォルダーにはさみファイリング・キャビネットにしまうが、我が国の場合は、最も多いのはファイリングである。

それならば、ファイルされる場合を考えなければならない。ところが、ファイル代を空けておかないためにファイルすると、この部分の字が読めなくなるカタログが実に多い。

ファイル代は三センチ程度はとらなければならないのである。一般的な「アラ探し」はこのくらいにして、内容に移ろう。U社のカタログを槍玉にあげることにしよう。

表紙をめくると、表紙裏に社長が社長室の椅子にデンと座って、机の上に両肘を張った写真がのっている。その下に、「ごあいさつ」とあるのだからあきれる。社長はお客様にごあいさつする時に、こういう格好でするのだろうか。

これは、社員のゴマすりと、天動説との合成品である。お客様は社長の顔などどうでもいいのだ。絶世の美女かヌードでものせるのなら、別の意味でお客様の要求を満たすのだから、まず我慢できるが、社長の白髪頭や禿頭など見たくはないのだ。

カタログというのはお客様のために作るものなのだ。社長の写真など、お客様は望んではいないのである。

第一頁目は会社の経歴である。これはお客様の知りたい情報の一つではあるが、それは第二義的なものにしかすぎないのである。第二義的な情報を第一頁にもってくるとは、これも「天動説」である。

第二頁にあるのは、我社の過去の業績である。我社の過去の売上高の伸び、従業員数の推移を誇示している。これはお客様の要求とは全然関係のない事柄である。

第三頁は我社の組織図である。お客様は他社の組織など、どうでもいいのだ。第四頁と五頁は見開きで生産工程の図解である。お客様の欲しいのはメーカーの生産工程の情報ではなくて、我社のほしい商品なのである。

第六頁と七頁は主要設備の写真、第八頁と九頁は我社の支店網で、支店の建物のカラー写真である。いつまでたってもお客様のほしい情報がでてこない。

第十頁には、我社のショー・ルームの写真である。第十一頁目に、やっと主要商品の記念撮影写真がのっている。これで終りである。

これは、カタログではなくて「入社案内」である。

私の見るカタログの七〜八割は、この入社案内であったり、入社案内臭の極めて強いものである。

ひどいものになると、会社の空中写真、社是社訓、商品別売上比率、厚生施設というようなものまである。「天動説」もここに極まったといえよう。

カタログは、お客様に提供する商品とサービスに関するご案内なのである。

だから冒頭に我社の商品とサービスに関する総合案内をのせるのだ。そして、それはあくまでも商品別でなくて「用途別」でなければならない。

お客様はこれを見て、何頁に我社のほしい商品の説明がのっているのか、が分るものでなくてはならないのだ。

次には、総合案内の順序に従った商品またはサービスの案内である。これがカタログの中心である。その次には、品質保証に関する我社の方針や体勢の説明であり、支店の誇示ではなくてサービス網のご案内なのである。

そして最後に、このようなサービスを行なう我社はこういう会社でございます、という会社案内を簡単にのせればそれでいいのである。

T社長から、新しいカタログの案が出来たから批判をしてくれ、といってそのコピーを送ってきた。苦心のあと歴然たるもので、かなりよくできている。

しかし、それは我社の商品を中心としたものであった。工業用品なので、同一の商品でも色々な用途がある。むろん、商品ごとに用途はこれこれと、これこれと、これこれであると説明されているが、お客様の立場からすると、カタログの用途を追って、我社の欲しいものを探さなければならない。

お客様にとっては、この品物は、どの業界とどの業界のどんな用途があるか、ということは知る必要はない。「自分のところで欲しい品物はどれか」なのである。

このお客様の要求を満たすためには、品物の「用途案内」を最初に入れるべきであることを勧告した。ついでに、見出しをつけたらなお親切であるとつけ加えた。(見出しは、見出し幅だけずらして二つに折ればよい)この勧告に従ってつくられたカタログは、流通業者に圧倒的な好評を博した。

用途案内を見れば、どんな業界のどんな用途にはどの品物が最適か、使用可能か、使用不可かが一目瞭然だからである。どこの問屋のセールスマンも必ずこのカタログを持って営業に出るという。ある問屋の社長の如きは、「創業以来六十社のカタログを見てきたが、こんな親切なカタログは初めてだ」という激賞の言葉をT社長に与えたということである。販促の強力な武器が生まれたのである。

次にチラシである。これもおかしなのが多すぎる。

ある乾燥機メーカーのチラシは、 一番上に機械の名前があり、その下の左側に機種の表があって、乾燥室の大きさ、乾燥温度の範囲、一分間の風量、所要馬力などがのっている。その右半分には機械の概略図がある。それにはホッパー、乾燥室、モーターなどの矢印説明がある。その下に機械の特長、そして一番下に用途が書いてある。

これでは全くの説明不足で、ユーザーの知りたい情報はごく僅かしかない。

ユーザーは色々な質問をしてくるにきまっている。そこで、セールスマンの質が云々され、商品知識の教育が必要だというような、見当違いの主張が生まれる。セールスマンに対する商品知識の教育など必要ないどころか間違いである。

いったい、セールスマンは商品知識の教育をして、どうしようというのだろうか。むろんお客様に商品の説明をさせようというのだろうが、お客様に対して正しく、しかも満足を与えられる説明ができると思っているのだろうか。

試みに、商品知識の教育をした後に試験をしてみるといい。その結果には全く失望するだろう。ベテランのセールスマンとて同様である。及第点のとれるセールスマンなど殆んどいないと思って間違いない。

相手が技術屋の場合には、セールスマンの説明など信用される筈がない。技術屋を納得させるには、こちらも技術屋でなければダメである。

だから、セールスマンに商品知識の教育などせずに、カタログで間に合わない場合には、会社としての正式な商品の説明書を持たせて、これをお客様に提供するなり、これをご覧に入れながらその通り説明すればいいのだ。

もしも質問があっても、説明書にないことは返答せず、その質問をメモして確認をとり、会社としての責任のある説明を約束して帰るのが、正しいセールスのあり方である。

これには、会社の正式な文書で回答を申しあげることは、いうまでもない。こうしてこそ、お客様に信用されるのである。

話をもとに戻そう。

チラシにどんなことをのせたらいいかは、お客様の立場に立って考えれば、それほど難しいことではない。

一番先は用途である。チラシを読んでいって最後に用途を見たら、これは自分のところと関係ない、ということになる。

まさか、こんな読み方をする人もいないだろうが、だからお客様はまずチラシ全部に目を走らせて用途をたしかめる。それから他の記事を読むのだ。チラシはお客様のためにあるのだから、用途を一番先にするのが当り前である。

次は一日の処理能力である。お客様は乾燥室の大きさや風量や温度などは、品質に影響ない限りどうでもいいのだ。 一日の処理能力が分らなければ、どの機種にしたらいいのか、何台買ったらいいのか分らないからである。

その次は「タテ、ヨコ、高さ」という寸法である。これは設置する時に必要な情報である。ある会社で、最近、カタログを新しくしたら、お客様から「高サ」に関する問合わせが多くなった。カタログを見直したら、「高サ」が記入してなかった、という経験をしている。

その次は所要馬力と操作人員である。これは受電設備と要員計画に必要なのだ。

メーカーのメンテナンスや修理サービスの情報もユーザーは欲しい。サービス・パーツを確保してくれないのでは、安心して買えないのだ。

以上のような、お客様にとって不可欠の情報が欠けているから、お客様はセールスマンに質問する。ここにセールスマンの個人差がでてくる。そして、やれベテランが欲しいの、セールス・エンジニヤリングだ、商品知識だ、ということになる。

お客様の必要な情報がカタログにのっていたら、そのことに関する限りセールスマンの個人差はなくなってしまうのである。蛇足だが、チラシといえども、特約店名は必ず我社よりも上にすることである。

余談になるが、メーカーから特約店に下げ渡した「表彰状」なるものにお目にかかることがある。社長室に額に入れて飾っていたりする。

いったい、これはどういう神経なのだろうか。メーカーにとって、流通業者はお客様でもあるのだ。お客様に向って「表彰」とは何事なのか。お客様に対しては「感謝状」が当り前なのである。

ところで、チラシやポスターは誰に見せたくて作るのだろうか。むろん消費者やユーザーである。

産業機械のようなものは、我社のセールスマンが直接ユーザーに差上げるからいい。しかし、消費者向けのものは果して消費者に渡っているだろうか。この辺の追跡をやっている会社はまれである。

チェックをやらないのは「天動説」にこり固まっているからである。流通業者は我社に忠誠を誓っているのだから、メーカーがチラシを問屋に送れば、間屋は自らの手間と費用を使って小売店に配布をする。

小売店は送られたチラシを大切に保管し、お客様に渡して販売努力をしてくれる、ポスターは店頭に貼ってくれる、と思い込んでいるのである。

もしもその通りならば、大きな問屋ではチラシやポスターを管理し配布をする専任者をおかなければならず、小売店はポスターとチラシの展示場と化し、商品を陳列するスペースがなくなってしまうのだ。

どの小売店に行っても、ポスターもチラシも一部の例外を除いてはないことを思い出していただきたい。

問屋では、メーカーから送られてきたチラシは、少しばかり棚に入れ、あとは荷造場か捨てるか、倉庫のスミにぶちこむかが相場なのだ。

ポスターは、まず一枚とって事務所の壁に貼る。これはメーカーに対するゼスチャーである。天動説にこり固まっているメーカーを怒らせないためである。怒らせても何の得もないからだ。あとは荷造場に直行となるのである。

チラシもポスターも、こうして殆んどお客様の目にふれずに消えてゆく。お客様に見ていただきたいのなら、本当にお客様の手に渡っているかどうかの追跡くらいはしてもよさそうに思うのだが。

チラシをお客様に渡す手段は、ダイレクト・メール、新聞の折込み、店頭や街頭で来店客や通行人に手渡す、という以外にはないのである。ポスターを、お客様の目にふれるところに貼り出す場所は、駅のプラットフォームと乗物の中吊りしかないのである。

このように、チラシもポスターもお客様に見ていただくためには費用がかかることを忘れてはならない。夢にもタダで配布できると思ってはならない。

販売促進というものは、どれ一つとってみても、費用と手間がかかる面倒臭いものばかりである。費用と面倒臭さを避けたら、販売促進はできないことを肝に銘じておかなければならないのである。

ゴンドラ作戦

ゴンドラ(ガラスケース、オープンケース、ストッカー、ディスプレースタンドなどの総称と解釈していただきたい)は、販売促進の手段として有効なものであることは論をまたない。

しかし、気をつけなければならないことがある。それは、「管理可能な数にとどめる」ということである。

我社のディスプレースタンドに、その競合商品である他社の商品が入っていた、という例は決して少なくない。これでは、敵に塩を送るようなものである。こうなるのも「天動説」の然らしめるところなのである。

小売店は我社に忠誠を誓っているのだから、我社のゴンドラを立派に管理し、我社の商品をその中に陳列してくれる、と思いこんでいるのである。

だから、いつたんゴンドラを小売店に押しつけると、あとは全くの放任ということになる。だから、競合会社の商品をその中に陳列されても、「知らぬが仏」 となるわけである。

R社のゴンドラは、設置半年後に追跡調査したら、その三割が店頭から消えていたという例がある。そのままにしておいたら、三年後にはいくつ残るか分ったものではない。

H社でも、ゴンドラを設置したまま三年ほど放ったらかしであった。私のすすめで小売店を回った社長は、傷やいたみの激しいゴンドラがあまりにも多いのに驚き、急いで更新したという。

ゴンドラというものは、小売店にとっては、メーカーや問屋から特定商品を陳列するためのゴンドラを設置されるのは、実は有難迷惑なのだ。

むろん、メーカーや問屋がそれを立派に管理し、必要売上げを確保できる場合はいい。しかし、必要売上げを達成できないゴンドラは、大切な売場を狭める邪魔物以外の何物でもないのである。だからこそ、売れる商品を入れたり、売場から取除いてしまったりするのは当然である。

だから、ゴンドラを設置する限り、その管理は我社の責任において行なわなければならないのだ。それは定期的巡回による商品の補充とゴンドラの保守である。

そして、必要売上げを確保してこそ、小売店にとっても我社にとっても、ゴンドラ作戦の意味があるのだ。

売上げを確保できないゴンドラなどは、「無用の長物」以外の何物でもないのである。

販売季節暦

S社はスリッパのメーカーである。スリッパは季節品切換えのタイミングが難しく、そのタイミングを誤ると売上げ減少と売残りの増加のダブルバンチを食ってしまう。

S社ではこの切換えがいつもうまくいかず、社長の悩みの種であった。いつも多量の売残りが発生し、二足三文で叩き売りするより外になかつたからである。

この原因は、季節品売上量のパターンがよく分らないことにあった。調べてみると、正規分布に近い状態であった。つまり、始めは少量の売上げで、これが次第に多くなり、ピークを過ぎると次第に減少してゆくのである。

この、始めと終りの漸増と漸減がよくつかめないために、発売時期に遅れをとり、打切りの時期も遅れていたのである。色々の情報から推定すると、その遅れは、始めも終りも十日程らしかった。

そこで、従来の切換えよりも半月早めることとした。始めはどうしても遅れがちになり、終りも同様であるから、このくらいでちょうどよいのである。

そこで、一部の商品でテストをしてみたところ成績がよいので、以後はこの切換えを実施することとした。年数回の切換えがあるので、年間の季節切換えをきめた表をつくり、これによって切換え時期を誤らないようにした。これが「季節暦」である。

この季節暦は、一度作っておけば何年も使えるだけでなく、顧客の買い方の変化もつかめるのである。

つまり、この暦に従って切換えていて、もしも次第に売残りが多くなってゆくならば、それは顧客の季節切換えが早くなつてきたことを意味するからである。むろんその逆もある。

T社は家庭金物のメーカーである。毎年年末に「鰹節削り器」の品切れが起こって困っていた。なにしろ一年の三分の二はこの時期に売れるので、とても生産が間に合わないからである。そこで、一年中で比較的ひまな四月から八月頃にかけて計画的生産を行なうことにした。これも暦をつくつた。

W社は、ある地方の特産農産物の乾燥機のメーカーである。乾燥機の使用期間は七月から八月にかけてである。ところが、地区によってユーザーの購買時期が違うのである。A地区では春先に注文をし、B地区では秋に翌年の予約注文するのである。

それにもかかわらず、W社ではA地区とB地区のそれぞれの営業所人員は年間を通じて固定していた。これでは、どちらの地区も商談期には手不足をおこす。

商談期には相互に応援を出し合えばよい。

そして留守番、配送、連絡、書類作成などの付帯業務を受け持つのだ。これも季節暦である。農業資材や農薬などは、典型的な季節商品である。「六日のあやめ、十日の菊」になっては話にならない。季節暦の活用が必要である。

毎年定期的に行なう見本市、展示会、特売、需要期前の集中的キャンペーン、カタログの切換えなどは、季節暦ではないけれども、特定の時期に行なわなければならない点では季節的である。

右のようなものは、年間を通じてスケジュール化し、 一覧表にして経営計画書に盛込むようにすればよい。

こうすることによって、重要な販売活動とそのタイミングを誤りなく実施することができるのである。ところが、こういう重要な活動を経営計画書にのせたものは極めて少ない。

反対に、販売活動にはふれずに、社内行事をのせたものをかなり見かける。こういう会社の社長の関心は、事業経営に必要な活動ではなくて、内部管理のための活動にある。

事業経営の重要事項である「市場活動」はそっちのけで、社員の管理業務に関心を示すのでは、全くの主客転倒である。これでは優れた市場活動は行なえず、業績向上の期待は持てないのである。

クレーム処理に万全を尽せ

豊橋市の花田工務店の社長、花田氏に久しぶりにお目にかかったのは、昭和五十年の十一月のことであった。セミナー会場で私の姿を見つけた社長は、駆けよって握手を求められた。

社長のお話によると、受注残をたくさんかかえて大多忙だということである。不況のさ中に誠に不思議なことである。

その秘密は、自社で建築した建物に、徹底的に責任を持つことである。

お客様のクレームについては、社長が陣頭に立って直すという。鉄筋コンクリート建物の雨漏りは、なかなか直しにくい厄介なものだということであるが、雨漏りが完全に止まるまで、何回でも直すのである。

トコトンまで責任を持つ社長の姿勢が、お客様の信頼となって注文殺到なのである。

花田社長は私に次のように語った。『一倉さん、私も社員も、我社の繁栄についての確固とした自信を持てるようになりました』と。

八王子市のオータカハウスは、木造の建売住宅専業である。社長の荒井氏は、花田氏と同じく、我社の商品に最後まで責任をもつ。クレームが発生すると直ちに社長自身が駆けつける。

これにはお客様のほうがびっくりして『こんなに早く来てくれるとは思っていなかった』といわれるという。

同社の商品が、いつも新聞の折込広告だけで売れてしまうというのは、良心的なだけでなく、クレームに対するこうした社長の姿勢があるからであろう。

L商事にお伺いした時に、売上年計を見ると、 一年程前にガクンと急落したところがある。事情をきいてみると、それは次のようなことであった。

L商事は溶剤メーカIT化成の販売会社である。L商事の最大得意先のD社からクレームがついた。その時に、T化成の社長は「D社の使い方に誤りがある」として突っぱってしまったのである。

無論、D社に顔を出さなかった。そのために、D社から出入禁止を食ってしまったのである。D社に出入禁止を食ったL商事は、 一挙に業績急落である。

T化成とてかなりの打撃を受けたのは、いうもしもT化成の社長が、クレームがついた時に、直ちに自らD社にお伺いし、何はともあれ「おわび」を申しあげ、対策を立てたならば、恐らくはこんなことにならなかったであろう。

クレームというものは、それをどう処置するかで会社の信用を落しもすれば、反対に高めもするものなのである。

「顧客あっての企業」である限り、顧客の満足を得ることこそ企業の任務である。そして、クレームは顧客の不満なのだ。だとすれば、クレーム解決は、何をおいてもやらなければならないものなのである。

たとえ、そのクレームが顧客の側に原因があろうと、それを突いてみても何の得にもならない。顧客の機嫌を損ずるだけでなく、場合によったら相手を怒らせて取引停止を食うかも知れないのだ。

如何なることがあろうとも、顧客の手落ちや誤りを指摘してはならないのである。

反対に、明らかに自社の方が悪い場合には、今度は弁解である。いくらそうなった事情や原因を説明しても、お客様は満足してくれない。お客様の欲しいのは弁解ではなくてクレームの解決なのだ。

クレームに対する正しい態度は謝罪と迅速な解決である。それ以外は一切不要である。

クレームに対する社長の正しい姿勢にもとづき、正しい処置をすることこそ、我社の信用を高めるのだ。そのための正しい指導こそ大切なのである。

まず第一にしなければならないのは、「クレームが発生した時に、責任者を叱ってはならない」ということである。

クレームを叱ったら、社員は社長に対してクレームを報告せずに、自分達だけでもみ消そうとするようになる。うまくもみ消せれば問題は起こらないが、これがうまくいかずに、もたもたしていると、お客様は「誠意がない」ととってしまう。社長が知らないところで、知らないうちに信用を落すことになりかねないのである。

誰しもわざわざクレームがつくように仕事をしているわけではない。みんな一生懸命やっているのだ。叱ることはやめるべきである。大切なことはクレームを叱ることではなくて、クレームを解決することであり、クレームによる我社の信用低下を防ぐことなのである。

「お客様のクレームは直ちに報告せよ。クレーム自体の責任は追及しないが、クレームを報告しなかったことに対しては責任をとらせるし、指示されたクレーム対策を直ちにとらない場合の責任は追及する」という指導こそ本当なのである。

お客様からのクレームは、それが出先であったなら電話で、会社に直接きたクレームは受けた者に直ちに上司に報告させる。そして、必ずこれをクレーム報告書(メモ程度のものでよい)を二部複写で、直属上司と社長にそれぞれ提出させるようにすべきである。

報告をうけた上司と社長は、直ちにお客様に電話で謝罪し、対策を約束し、実行するのである。

第二には、「クレームは他のすべての業務に優先する」ことである。お客様の立場に立てば、これが正しい態度であることは誰にも分る。ところが、現実にはこの逆になってしまって、「おっくうだから後回しにする」「仕事のあい間をみてやる」というのが多い。心しなければならないのである。

第二には、「クレーム処理は金銭的損得は度外視する」ことであり、事業部制や部門採算制のもとでは、「クレーム処理の費用は当該部門の負担でなく、本社負担とする」くらいにしなければならないのである。

このような方針を出しておかないと、社員は目先の損得にとらわれて十分な対策をとらなかったり、自らの部門の費用増大を恐れるあまり、お客様に対して言を左右にしてなかなか処置をとらなかったり、相手方の手落ちや責任をならべたてて、お客様に費用を負担させようとしたりするようになる。

部門採算制は、常に自分の部門の都合を、お客様よりも、会社よりも優先させてしまうものなのである。

「我社にはクレーム処理委員会があり、そこではクレーム処理規定にもとづいて処置がとられているから、心配ない」と社長が思いこんでいたら危険である。

そのようなものは、手続きをきめてあるだけである。「魂」つまりお客様に対する正しい姿勢をうちだしているのを、私はみたことがないのである。

クレーム処理は手続きに関するものではなくて、社長の姿勢に関するものなのである。

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