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四、販売網の整備

目次

販売はどんな方式がいいか

メーカーの代表的な販売法としては、訪問販売、小売店への直売、間屋と商社への販売、職域販売、通信販売などがある。

どの販売法をとるか、どれとどれを組合せるかを決めることが、社長の大切な役割であって、決して販売担当重役や販売部長などに任せてはいけないのだ。これこそ、事業経営の推進力となるものだからである。

『僕は技術屋だから販売のことは分らない』と、すましている社長がいるけれども、これは全くの間違いである。認識不足も甚だしいといわなければならない。このような考え方では、事業は永久に軌道に乗らないと思うべきである。

このような社長のいう「販売」というのは、実は販売ではなくて、それは「商談」のことなのである。社長はセールスマンではないのだから、商談はできなくてもよい。商談は販売のごく一部にしかすぎないのだ。

社長が行なう販売というのは、本書の主題であるところの価格政策をどうするか、市場戦略の展開のための販売網をどう整備するか、販売促進をどう推進するか、販売のための体勢をどう作りあげるか、ということなのである。

右のように、販売というのは非常な広範囲にわたって、それぞれの方針と、それぞれの活動を決定し、推進しなければならないものなのだ。

その、誤りない方針と、誤りない活動を決める様々な原則や留意点は、本書においてのべる。

しかし、それらの原則や留意点を、我社の販売に正しく応用できるかどうかは、社長自ら得意先を訪問し、お得意様の話をどれだけ聞くかにかかっているのである。

直販か代理店または特約店販売か

大企業、中堅企業では大部分が代理店を通じて販売している。中小企業の場合にも、代理店か特約店販売が圧倒的に多い。

特に中小企業の場合には、 一般論としては直販は無理であるとしている。その理由としてあげられるのは、

  • 一、販売網をつくるのが困難である
  • 二、販売経費がかかる
  • 三、集金が大変
  • 四、得意先の倒産などの危険を直接かぶる

というようなことである。これは、確かに一面の真理ではある。しかし、一面の真理をとりあげて、全体をきめつけることはできないのだ。

「オムツ」の専業メーカー、福岡市のニシキゴムの例をみよう。今でこそ従業員千人の中堅企業ではあるが、昭和二十三年に資本金百万円でスタートした時には、まさに小企業であった。

当時は、古着でさえ問屋から仕入れていたというのに、「小売店直結販売」に踏み切ったのである。

これは、現社長、多川博が小売店を廻り、間屋を通したのでは売れ行きにムラがあるだけでなく、「本当の意味での販売は直販でなければ出来ない」ということを、自らの身をもって感じとったからである。

「直販など成り立たない」という同業者の忠告を押しきっての直販ではあったが、やってみて、それが事実であることを知らされた。 

一店当りの売上高が少なく、販売のための運賃と旅費交通費さえ賄えず、大幅な赤字になってしまったのである。

当時のことを、多川社長は『出日のないトンネルだった』と述懐している。苦しみの中に、ついに出口を発見した。それは、八幡製鉄、旭化成、門鉄などの大企業の購買組合だ。

つまり「職域販売」である。取引を始めてみると、これが以外なほど売れた。しかもコンスタントである。

この販売量を確保して、同社の事業は初めて軌道に乗ったのである。そして、昭和三十年に来たベビーブームは、各地に「ベビー用品専門店」の出現となり、百貨店も相次いで「ベビーコーナー」を設けるようになった。(「フクニチ」昭和四十六年十月十一日号より)現在、同社は市場占有率四〇%を誇り業界の第一位に君臨している。

ニシキゴムの成功は、多川社長の不屈の事業家魂がそうさせたのは論を待たない。しかし、内容的にみると、社長自ら小売店を訪問して話をきき、その中から我社の販売方式を決定している。

もう一つは、職域販売という、新販売チャンネルを開拓したことである。そして二番目に天佑である。

ニシキゴムの成功は、直売だから成功したのではなくて、自らの死にもの狂いの努力で、直販を成功させた、ということを知らなければならない。そして、直販は「死にもの狂い」の努力に値する販売方式なのである。

直販で成功している例は、さきにあげた長府製作所もそうである。社長の川上米男の決断によって、代理店販売から直販に切換えたがために、他社の真似のできない高マージンを実現することができたのである。これが同社の絶大な強味となっているのだ。

電気カンナなどの大工道具のメーカーであるマキタ電機も直販方式であり、高級家具メーカー苅谷木工も直販である。両者とも素晴しい業績を誇っている。

苅谷木工の如きは、業界でその成功を真似て、直販に切換える会社が続出しているのである。

このような成功例をいくつも見せられると、直販方式はムリだという論拠は説得力を失ってくる。私が「直販方式ムリ論」が、あくまでも一面の真理であるというのは、こういうわけである。

直販の利点は、 一つは消費者やエンド・ユーザーに最も近いところにいる小売店と直結することによって、消費者やエンド・ユーザーの声や小売店の要求を身近に、あるいは直接聞けるところにあり、もう一つは流通経路の短縮による高マージンを小売店に与えることができるところにある。

むろん、その反面の欠点もある。それが、「直販方式ムリ論」なのである。

この論は、直販方式の利点にはふれずに、欠点だけを言っているのである。物事というものは、すべて利点と欠点の両面を持っている。その両方を見る必要があるのだ。

私は、もしも本当に販売を伸ばして業績をあげたいのなら、ごく特殊な場合を除き、直販方式に踏みきるべきだという主張をもっている。

私のお伺いする会社で、代理店や問屋を通して販売しているケースでは、半数以上の社長が『直販でなければダメだ、機会をみて直販に切換えたい』という考えをもっている。

問屋には問屋の体質と家庭の事情というものがあるのは事実である。そしてそれが、特定メーカーの商品だけに力を入れることは、まず出来ない相談ではあることも分る。だからといって、メーカーからそのような評価を受けていることは無視できないのだ。問屋の存立に関する重大問題かも知れないからである。

これは問屋として、自らの事業経営をどうするかについての、大きな課題といえよう。

直販について、もう一つ重要なことがある。それは「販売経費がかかる」という反対論についてである。この論は、「問屋を通せば販売経費が安上がりである」という意味になる。

これが「天動説」なのである。「販売は間屋に任せる。何となれば問屋は我社の代理店だから、我社の商品を売ってくれる」と思いこんでいる「ひとりよがり」なのである。

総代理店だろうと総発売元だろうと特約店だろうと、だからといって我社の商品を力を入れて売ってくれる保証は何もないことを知らなければならない。理由は後で改めてふれることとするが、とにもかくにも、このことをシッカリと頭に刻みつけておいていただきたい。

この基本認識がなければ、「真の意味の販売」は永久にできないからである。

問屋に販売させるのではなくて、自ら売るのだ。

取引は間屋を通しても、販売は直接に小売店またはエンド・ユーザーにやらなければ、「真の意味の販売」はできないのだ、とすると、間屋を通そうと、小売店直販だろうと、販売費に大きな差はない。

直販すると集金費と運賃の一部がやや増加する程度なのである。だからこそ、なおさら私は直販をすべきであるというのである。

しかし、私は「問屋無用論」をとなえているわけではない。問屋には間屋としての利点がある。そして、立派な存在価値はある。

その存在価値は、「メーカーにできないサービスを小売店にする」ところにあるのだ。この自覚をもった問屋は立派に生き残ることができるし、これがない問屋は、この世から消え去らなければならないのである。

それにしても困ったものは「天動説」である。天動説にとりつかれたメーカーは、間屋は我社の代理店だから、我社の商品を懸命に売ってくれると思いこんで、自ら販売しようとせず、その結果、業績向上を実現できずにいる。

問屋はメーカーの安易な態度に助けられて、自らの事業を掘下げて考えようとせず、本当の意味での流通業者の役割を認識できず、これまた業績向上の道を、自ら閉ざしているのである。

総代理店制はとるな

K社は、従業員千人程の中堅企業であった。二つの事業部があり、一つは順調な業績をあげ、もう一つは三年来の赤字で、赤字幅は次第に大きくなっていた。黒字部門がなければ、恐らくは倒産していたであろう。

その赤字事業部は、家庭金物である。業績は、四年前までは順調であったものが、三年前から収益性が急に悪くなり、それがますます悪化して今日に至っこれは、業績屈折の何か大きな原因がなければ考えられないことであった。

調べた結果分ったことは、四年前に営業部長の進言によって、総代理店制をとったのである。その瞬間から業績が下がり出しているのだ。

K社長の考えは、営業費の削減であった。それまでは、二十社余りの問屋と取引があった。こんなに沢山の問屋と取引していたのでは、営業経費がかさむ。

だから、総代理店制にして一社に任せれば、大幅なコスト・ダウンができる、という皮算用だったのである。

ところが、総代理店の社長の方が、事、商売の駆引については、役者が三枚も四枚も上であった。その社長に、完全にしてやられていたのである。

まず第一にきたのが値下げである。『いままで二十余社と取引して、いろいろ販売経費もかかったろうが、今度はうち一社だから販売費はごく僅かしかかからない。その反面、うちは総代理店として一手販売するのだから、今までの何倍も経費がかかる。だから、その経費分を値下げせよ』という言い分を、呑まされてしまったのである。

何のための販売経費の節減なのか、これでは全く分らなくなってしまったのである。

K杜にしてみたら、総代理店で売ってくれなければどうにもならないので、社長をはじめ、専務。営業部長など、入れ替り総代理店を訪問しては、「よろしくお願いします」と米つきバッタのように、頭を下げていた。

総代理店の姿勢は高くなるばかりである。やれ、カタログの費用の一部を持て、やれ展示会に協賛せよ、特売品の値引をせよ、と言いたい放題である。それらの要求も安易に断るわけにはいかなかった。完全に首根っ子を押えられてしまったのである。

また、しばしば再見積りの要請があった。それが二品種以上の同時見積りが多かった。A商品とB商品を同時見積りした場合に、A商品を百円、B商品を百五十円で見積ると、相手は、『B商品をこんなに安くしてくれなくともよい。百七十円でよい。そのかわり、A商品を八十円にしてもらいたい』とくるのである。これにマンマと乗せられて、承知してしまうのである。

賢明な読者には、もう問屋の作戦はお分りだろう。問屋で欲しいのはA商品であって、B商品はどちらでもいいのだ。当然、A商品ばかり注文が来る。K社としたら、いい値で売れるB商品を買ってもらいたいので、『B商品を買って下さい』と申入れると、『ウン、買いたいのは山々だけれど、どうも高すぎて売れない。どうだろう、百五十円にしてくれたら売れるのだが』という返事である。

売りたいばかりに百五十円に値下げする。これを四年もの間繰返されて、まだ気がつかなかったのには、あきれかえってしまったのである。(読者は、私が作り話をしていると思われるかも知れないが、まざれもない実話である。)

私がスーパーの売場を見に行ったら、80円で売られたA商品に、320円の値札がついていたのである。これでは掛率何と25%という、全く話にならない安値である。

メーカー→総代理店→スーパーという最短距離を通っているのだから、スーパーヘの納入価格が、掛率六十として192円。総代理店のマージンが何と112円になるのだ。こんな馬鹿なことはない。

スーパーヘの掛率60としても、総代理店で3割儲けても掛率は48で、価格にして152円六十銭ということになる。

それを80円で売るのだから商売というものを全く知らないといわれても仕方がないだろう。

果れ返ったことに、A商品が三百二十円でスーパーで売られていることを、私が指摘するまで社長も専務も営業部長も、知らなかったのである。まだある。それは新商品の開発に、いつも後手を踏んでいた。

開発部門の仕事は、クレームのついた商品の設計変更と特注品の設計に追い廻されていたのだ。その片手間をみての開発研究は、外国文献の焼直しにすぎず、その中からヒット商品が出たためしはなかったのである。

ところで、間屋に新商品開発など出来るわけはない。また、そんなことに関心がある筈もない。問屋の関心は、あくまでも現在扱っている商品を売ることなのである。

たまたま他社で新商品が開発され、それがよく売れると、それをK社に突きつけて、『他社ではこんなにいい物を開発した。お前のところでは何をしているのか。お前のところでこの対抗商品を開発しなければ、そのメーカーから買うぞ』と言われて、あわててこれの開発にかかる、という有様だった。

K社長の関心は、専らコストと能率と組織だったのである。

コスト・ダウンをするために、設備は次々と専用化、自動化が行なわれた。これは、金利負担の増加と借入金返済の増額となって、資金繰りを圧迫するばかりなのであった。

組織など、どういじろうと、べら棒な安値販売に、何の関係もないことである。効果などある筈がない。こうして、K社はどうにもならない泥沼にはまりこんでいたのである。

K社の実例は、我々に「総代理店制」というのはどういうものなのかを教えてくれる。総代理店だからといって、決して我社の為を考えてくれるものではない。それどころか、全く「カモ」にされてしまっているのである。

こうしたことになるのも、社長の「天動説」のせいである。恐ろしいかな「天動説」である。

「総代理店」をつくるということは、相手に我社の生殺与奪権を与えることである。

総代理店を通さなければ販売できず、もしも総代理店が我社の必要売上げを確保してくれなければ、我社はつぶれてしまうからだ。そして、総代理店は我社のことを考えてくれるのではなくて、自分の会社のことを考えているのだ。

これほど危険なことはない。その危険を全く知らずに「総代理店は我社に忠誠を誓っている」と思いこんでいるのだから、まさにお目出たい限りと言わなとはいえ、現実に総代理店制をとっている会社はどうしたらいいのだろうか。

G社は家庭雑貨のメーカーである。

G社は総代理店制をとっていた。私がお伺いする一年半前から、売上げは全別に本業をもち、G社の商品は総売上高のたった六%程度にしか過ぎなかったのである。完全な副業であり、担当者にはあまり使いものになりそうもないロートル社員ニー三名を割当てているだけであった。これで売上げが上がるわけが

その総代理店が、本業の方が忙しいらしく、人手不足のせいもあったと思うが、総代理店を下りると言い出したのである。副業ではあるし、収益もパッとしないので、意欲がなくなった点もあることは想像される。

G社の社運のかかっている売上げも、総代理店にとっては、副業でしかなかったのだ。都合のいい時はやり、都合が悪くなればやめてしまう。これが総代理店の正体なのだ。

私は、『またとないチャンスだ。これで総代理店制と縁が切れる。さあ、自主販売だ。これから面白くなる』とG社長に言ったところ、そうはいかないというのだ。

そのわけは、先方で、『我社で総代理店を下りたら後が困るだろうから、後継ぎの会社を探しておいた。Y社という。Y社では、願ってもないことと承知してくれた』と、G社の意向も聞かずに話を決めてしまったというのだ。

私は、『そんな馬鹿なことがあるか。後をどうするかはG社で決めることだ。おせっかいも甚だしい。総代理店の時には副業としての取扱いしかしないくせに、手を引く時には後継ぎを世話するとは、いったいどういう了見なのだ。こちらの意向も聞かずに決めたことなど呑む必要はない。早速、撤回を申入れるべきだ』と進言した。

この申入れは成功しなかった。撤回を申入れたところ、相手の社長が怒りだしてしまったのである。『俺の顔に泥を塗る気か』というのである。

G社長は困ってしまった。大恩をうけたことがあるのだそうだ。恩人の顔に泥を塗るわけにはいかない。とうとう承諾せぎるを得なかったのである。

私は再び社長に進言した。『事が決まってしまったのではいたし方ない。この現実をふまえて、手を打たなければならない。新しい総代理店のY社にとっても、あなたの会社の商品は、売上げの一部にしかすぎない。しかも敵は自社商品をもっている。そちらの方が、あなたの会社の商品より可愛いのだ。決してあなたの会社の商品を優先して売るようなことはない。もしも、あなたの会社で必要とする売上げをあげてくれなければ、あなたの会社はつぶれるのだ。このことを踏まえてY社と契約しなければならない。

まず第一に、Y社に対して総代理店としての責任をハッキリと認識してもらわなければならない。そのことを、文書で申入れるのだ。それは次のようなものとすること。

  1. Y社に我社の総代理店をお願いするということは、我社の存立をY社に預けたことになる。
  2. したがってY社は、我社の社員とその家族、ならびに協力工場の従業員とその家族を合せた、二千数百人の生活を守るための売上げに責任をもってもらいたい
  3. もしも、Y社が我社が生きるための売上げを実現できない場合には、その不足分は我社自らの販売で補うことを認めてもらいたい。
  4. Y社の総代理店権は、現在の商品とその改良品に限り、新開発商品は除外されること。
  5. 契約期間は一年間とし、継続する場合は再契約すること。

非常に厳しいけれども、総代理店になる限りは、これだけの覚悟がなければできないことを、Y社に分らせなければならない。もしもY社がこれを呑まなければ、総代理店を任せるわけにはいかないのだ、と。

この申入れに対して、Y社は全く虚をつかれたといっていい。まさか、こんな条件をつきつけられるとは、夢にも思っていなかった。しかし、考えてみるともっともであり、これを蹴っては、総代理店になることはできないのだ。Y社長はこの条件を止むを得ず呑んだのである。

年間契約台数の要求は、従来の業績が思わしくなかっただけに、必要利益を加味すると過去の実績を大幅に上回るものだった。

私は、恐らく相手が難色を示すから、その時には、不足分をこちらで売らせてもらいたいと切り出すこと。売り先については、 一倉が考えていることがあるから心配しないでいい、と言葉を副えていたのである。

果して、交渉の席上で、Y社の営業部長が「そんな大きな数字は不可能だ」と言いだした。社長は、この営業部長の意見を抑えて、その数字を呑んでしまったのである。というよりは、G社の運命を握ってしまったので呑まざるを得なかったのである。

こうして、年間契約は一応の成功を収めたが、だからといって、これが実現するという保証があるわけではない。それどころか、誰の目にもその実現は極めて困難であることが分っていたのである。

私はG社長に、『Y社にだけ販売を任せておいて、実現できなかった、と総代理店の責任を追求してみても、上がらないものはどうにもならないのだ。あなたの会社自体で販売体勢を整備し、Y社と協力することが必要だ』と勧めた。

G社の販促活動は着実に効果をあげた。この経験は、将来発売される新商品の自主販売に大きな自信を植えつけた。

一年目は、いままでの売上げ頭打ちを打破って、かなりの伸びを見せたけれど、契約数にはとても及ばなかった。だからといって二年目の契約をやらないというわけにもいかない。Y社は懸命だったのだし、旧代理店時代よりも売上げは伸びている。G社とて若干の黒字を記録しているだけに、二年目の契約をした。

相変らず大きな数字である。G社はY社にハッパをかけた。二年目こそ必ず実現してもらいたい、ということと、もしも駄目なら総代理店を下りてもらってもいい、という謎をかけたのである。

二年目も契約高に達しなかった。そして、三年目の契約の時には、ついにY社は音をあげて、『とてもそんな数量はこなせない』と言いだしたのである。売れないのなら、不足する分の補いに、値上げしてくれ、という要求を出した。

これとて、Y社は簡単に承知するわけにはいかない。交渉はいろいろ難航したけれど、両方の歩みよりでやっと決まったのである。

私は、『Y社は、この二年間で総代理店の苦しさをイヤというほど味わった筈である。あなたの会社に、後から槍をつきつけられていて、退けば突かれるからだ。そろそろY社に総代理店を下りたいというような様子が見えないか』ときいてみると、最近そんな兆候がだんだんと大きくなってきているという。

恐らくは一〜二年以内くらいには陥落するだろう。その時を待つのだ、ということになった。G社の二年間にわたる販売促進活動は、自らの力で、自らの商品を販売できる実力を身につけさせたのである。

以上の二つの例は、総代理店制とはどういうものであるかを端的に物語っている。総代理店というものは、メーカーにとっても代理店側にとっても、決して有難いものではない。だから私は、総代理店制をとってはいけない、と言い続けているのだ。

それにもかかわらず、メーカーは総代理店を設けたがる。特に、いままで自主販売をやったことのない会社は、殆んど総代理店制をとりたがる。それも、前後のことは何も考えずにである。

もっとも、総代理店とはどういうものであるかを知らないし、これを教えてくれる文献など世の中にないから無理もないのだが。

あるのは、「天動説」である。これだけは誰にも教わらなくても、まず間違いなく持っている。そして「総代理店に売らせよう」として、総代理店を「任命」するのである。

一方、問屋もまた、自ら総代理店になるのが極めて好きである。それは、販売権を我社で独占したい、という単細胞的な望みで、これまた前後のことを考えないで、やたらと総代理店になりたがる。これを「総代理店病」という。

S社は加工業である。はじめて新商品を開発した時に、日刊工業新聞紙上で新商品紹介をしてくれることになった。この時私は注意した。発売時期と価格と当初の月商額という二つの数字をハッキリさせないと新間にのせてもらえないということが一つ。

もう一つは新間に発表になると、いくつもの商社や問屋が、うちに総代理店をやらせる、と必ず言ってくる。それには絶対に乗ってはいけない、ということであつた。S社長は『一倉さんの言う通りでしたよ。五社ほど来ましたが、全部の会社が総代理店になりたい、といいましたよ』と話してくれた。

しかし、総代理店には別の利用法がある。それは、「クッション」である。機械メーカーなどは、高額商品なるが故に20力月とか30力月とかの割賦手形で商売しなければならない場合がある。

こんな長期の手形ではどうにもならないので、これを総代理店に持ちこんで、短期の手形に変えてもらう。つまり、金融機関として利用する。あるいは輸出の場合など、面倒臭い手続きは総代理店でやってもらう、などである。

輸出品の場合に、外国の業者と総代理店契約をすることがある。ここでまた数々の失敗をする。というよりは、私に言わせたら、それは失敗には違いないが、それよりも「不用意」である。

相手の会社の実力、特に販売力などろくに調べないで契約する。何故、事前に経験者に相談したり、ジェトロ(日本貿易振興会)にきいたりしないのか、と思うことがよくある。

F社は、カナダの数社の業者に、カナダと北米全域に亘る総販売権を任せていたが、売上げが全く伸びずに困っていた。

その販売地域は、カナダの東部といっても、モントリオール付近と、アメリカの二つのローカル都市とその周辺という限られたものであった。

これではどうやっても、F社長の意図する売上げなど実現できるものではない。何故、こんな業者に総販売権をやったのか、全く理解に苦しむのである。

その上、アメリカ(カナダも同じ)は法律の国である。すべては契約書が物を言う。F社の場合にも、まるでクモの巣にかかった蝶のように、どうあがいても、相手の契約違反をつく以外に、のがれられないような契約になっていたのである。

F社がアメリカの会社と交した総代理店契約も、全く一方的に相手が有利で、その上期間が15年間というのでは、その間は如何ともできないのである。

そこへゆくと、T社の契約は立派である。アメリカのみならず、ヨーロッパから東南アジア、果てはオーストラリアの業者と契約を結びながら、その総てが、取引に関する拘束条件は全くない。いつでも好きな時に、自由にスクラップ・アンド・ビルドが出来るようになっているのだ。こういう契約こそ、本物なのである。

全国を制覇したいというが

H社は、洋品雑貨の間屋である。デパート専門で、従業員は三百人程であるが、そのうち二百人はデパートヘの派遣店員であった。私がお伺いした時は期末間近で、当期の赤字は推定で二億円、不足資金は二億円にも達していた。

立派な社長室、ゆったりとした事務室という、ボロ会社に共通の姿があった。倉庫をのぞいて見ると在庫の山で、売上げ不振を物語っていた。収益性を調べてみると、商品の収益性が低い上に、派遣店員の効率が話にもならないくらい悪かったのである。

二百人のうち百人は、何と派遣店員の人件費さえ賄えないというひどいものであり、残り百人のうち、半数は派遣店員の人件費は賄っていたが、固定費の負担能力は半分にも達していなかった。

僅かに五十人程が、辛うじて固定費を賄う能力をもっているにしか過ぎなかったのである。

私の勧告は次のようなものだった。

  1. 派遣店員の人件費さえも賄えない店舗は、至急派遣店員を引き上げること。もしも、派遣店員を出さなければ取引しないといわれたら、いさぎよくあきらめること。この際、未練を残してはいけない。引き上げた派遣店員は、パートだということだから整理すること。
  2. 固定負担能力のない店舗は、H社長自ら実態を調べて、新しい販売促進策を出すとともに、人員の配分を検討して、人員削減を計ること。店舗自体は赤になっていないのだから、必ずしも切る必要はない。
  3. 新たに社長自ら専門店を開拓すること。

私は、どこの会社へ行っても、最優先施策として勧めるのは、「切捨て」である。赤字会社だと、なお強力に切捨てることを勧めるのである。

すべては切捨てるべきものを切捨ててからだというのが、私の主張である。そして、切捨ては、必ず大きな効用をもたらすことを、永年の経験で教わったのである。

H社長は、私の勧告をきこうとはしなかった。いろいろな口実を設けては、それができないことを私に説明する。

切捨てられないのなら、切捨てずに黒字転換する方策はあるのか、と聞いてみても、社長にそんな策があろう筈はない。あれば既に手を打っているからだ。

私は、H社はどうしても一たんは縮小して収支のバランスをとり、出直さなければならないことを力説した。

派遣店員のみならず、社員についても整理を断行しなければならない。それが出来るのは、社長以外にはない。首をきられる社員は可哀相かも知れないが、すぐに別の会社に就職できるのだから(当時はそういう状勢だった)心配しなくてよいこと、を懸命に説いたのである。

しまいには私を避けるようになってしまった。私はH社長に頼まれたのではなくて、社長の長男である専務に頼まれたのである。社長は、自分で頼んだのでもない人間に、あれこれ言われる筋合いはない、と思い始めたのであろう。

H社長は、単に私がうるさいから避けたのではない。ほかに理由があったのだ。

H社長の夢は、「全国のデパートを制覇する」ことにあったのだ。若くして創業した社長は、創業時の夢こそ「デパートの全国制覇」であり、それを心のよりどころにして、今日まで四十年間も頑張ってきたのである。

私とて、社長の夢をこわしたくない。しかし、社長が決意した四十年前と、今は客観情勢が変ってしまったのである。

戦前のデパートは、「大型店主義」だった。その時ならばH社長の「全国制覇主義」は正しかったのかも知れない。しかし、戦後のデパートは「大型店主義」を捨て「多店舗主義」に変ったのである。そのために、中型店が沢山できた。

H社長は、デパートで支店が新設されると、直ちにそのデパートに駈けつけ、『ぜひ今度の新設店にうちの商品を納めさせて下さい。陳列ケースもうちで持ちますし、派遣店員も出します』とやっていたのだ。その結果が、このような状態になってしまったのである。

H社長は、世の中の変化など全く見えなかった。赤字になるのは、社員の働きが足りないのだと思っていたのである。

私の勧告は、社長の生涯の夢をこわすものと、社長には受けとられてしまったのである。世の中の移り変りに気がつかない人の悲劇がここにあるのだ。

事業家として一番大切なことは、事業を存続させ発展させることであって、かたくなに自分の考えだけを固執することではない。

だから、H社長としたら、当初の夢は夢として、世の中が変って、その夢を実現しようとすれば会社がつぶれることが分ったら、夢を「全国一の業者」にかえて、デパートのみならず、専門店などに市場を拡げたり、新商品や新事業にのり出したりすべきなのである。

それをやらずに、四十年前の夢と、四十年前の商品だけをひっさげて、盲目経営をやっていたのでは、会社をつぶしてしまうのである。

H社長の考えがどうしても変らず、しかも私を避けるようになっては、私としてもどうにもならない。お手伝いを辞退したのである。

H社は、その後間もなく行詰まり、某大商社の資本系列に入れられてしまったのである。

事業をやるからには、誰しも大きくなりたい、と思うのは当り前である。その考え自体は決して悪いものではない。しかし、ただ大きくなりたいだけで、ただムチャクチャに販路を拡げ、得意先の数を増やせばいいというものではない。

そこには頑として「占有率」という市場原理がある。

この市場原理を無視しては、優れた成果を生むこともできなければ、本当の意味で大きくなれないのである。

それにもかかわらず、占有率も何のその、万屋式に商品のレパートリーを広げ、全国に販売網を持とうと、主要都市に営業所をもうける。その営業所というのが、札幌、仙台、東京、名古屋、大阪、広島、福岡と相場がきまっている。

多種類の商品と、全国的な販売網は、大きな会社の条件にはなるかも知れないが、大きくなるための条件ではないのである。現在大きく手広くやっている会社でも、始めから大きかったわけではない。

始めは小さかった。それを、永年の努力でだんだん大きくしていったのだ。その積み重ねがあったからである。だから、販売網は始めから大々的とか全国に隈なく、などと考えてはいけない。一番先は基礎固めだ。

そして、手近なところ― 多くの場合に地元― から始め、経験を生かしながら確実に進めなければならないのであるそして、忘れてならないのは、市場原理― 占有率―である。いつ、いかなる時にでもなのである。

その原理は後述するが、 一口にいえば地域占有率を確保し、これを拡げてゆくことである。

「きめの細かい販売網」はダメ

大きくするため、という考えから出てくるもう一つの誤った行動は、「きめの細かい販売網」をつくるということである。

I社は焼菓子のメーカーである。数年前、販売促進のため、あるコンサルタント会社に指導を依頼した。

そのコンサルタント会社から派遣された先生は、いろいろ調査をした結果、「東京都の販売網はかなり整備されているが、関東地方一円の販売網が貧弱だから、これをまず整備する必要がある」という勧告であった。

成程と思い、その先生の指導に従って、関東地方の販売網強化作戦を展開した。その作戦の内容は、「ジュータン爆撃方式」であった。つまり、「きめの細かい販売網」を作るという狙いである。

この作戦の成果は、全くの「骨折り損のくたびれ儲け」だったのである。売上げはチョッピリ上がったが、すぐに頭打ち、反対に販売経費は急上昇してしまった。だいたい、きめ細かく小売店をフォローすることなど、とてもできる相談ではなかった。

I社長は 『こりごりしました。あんな馬鹿らしいやり方はありませんね。もう二度とやりません』と私に語った。

中小企業のみならず、大企業でもそうである。

A社がそうである。同社の販売網整備法は、いやしくも自社の商品を置けると思われる店舗は、見境なしにアタックする、というものだった。

その割に効果は上がっていない。かろうじて市場占有率第一位とはいえ、その販売効率は極めて悪く、石油不況で倒産寸前まで追い込まれ、社長退陣の風評まで立ったのである。

A社の業績不振の原因は種々あるにしろ、販売戦略が当を得ず、販売網が細かすぎることが大きな原因の一つであることは間違いないのである。

大切なことは、多数の店舗で少しずつ売ることではなくて、少数の店舗で多く売ることなのである。

複数の販売チャンネルを考えよ

F社は、手押掃除機のメーカーである。総代理店制をとっており、その販売チャンネルは、デパート、スーパー、家庭雑貨店の三つが主なものであった。

F社長は、現在の販売網にあきたらなかった。F社自ら新販路を開拓し、これを総代理店経由の取引として正規のルートにしたかった。

社長は、いろいろなルートの候補をあげてみた。第一に有望なのは、カーペッ卜業界であった。敷物と掃除機は密接な関係があるからだ。敷物の業者を調べてみると、F社の商品を扱いたいという希望が非常に強いことが分った。

しかし、F社の総代理店からは他業界の問屋なので仕入れたくない。どうしてもカーペット問屋を通じて買いたい、というのである。これは、同業の問屋への義理立てもさることながら、本当のところは、相性が悪いらしいのである。

総代理店にこの話を持って行っても、カーペット業界は性に合わないらしく、尻込みしていて、どうしても話に乗ってこなかったのである。総代理店制の不利は、こうしたところにもある。

次は、訪問販売である。候補の業者は、ダスキンであった。あれこれ検討しているうちに、ダスキンの方からF社の商品を取扱いたい、と申入れてきた。思った通りである。ダスキンの床掃除機とは、補完関係にあるからだ。

渡りに舟と話をすすめてみると、ダスキンの方針として、メーカーとの直取引でなければダメだという。これもご破算である。「恨めしきかな、総代理店制」である。ダスキンでは、他社と契約してしまった。

その次は、職域販売である。これは、果して売れるかどうか、実験してみなければ分らない。社員の中にH社の工場に知り合いがあるので、そのコネを使って、期限付試売の交渉をした。交渉は成功した。

試売の結果はかなりよく売れることが分った。有望な新チャンネルが浮び上がって来たのである。これも総代理店では取上げようとはしなかった。よくよく現在の殻の中に閉じ込もるのが好きな問屋である。

総代理店には総代理店としての方針があり、その推進のために、他を顧みる暇がなかったのである。

総代理店の方針としては、F社の商品を重点商品として、全国一万五千軒の小売店への売込みを考えていた。ここにも「キメコマ病」(きめの細かいことがいいことだと思いこんでいること)がある。冗談じゃない。

最寄品である資生堂の化粧品でさえ、一万八千軒なのだ。私の意見では、「五千軒でおつりが来る。せいぜい三千軒まで」である。

F社のケースは、販売チャンネルの複数化の考え方を我々に教えてくれる。

既存のチャンネルだけでなく、種々のチャンネルを組合せて、より充実した販売網の整備を心掛けることこそ大切なのである。

そして、それぞれの販売チャンネルを、どう整備するかは後述する。

0社が多角化商品として開発した風呂用濾水機の販売は全く振わなかった。

販売法は、セールスマンニ人が浴場を直接訪問して商談をしていたのである。これではどうにもなるものではない。一人の行動半径には限りがあるのだ。

私は『セールス・マンを増加したいのは山々だが、今、あなたの会社にはその余裕はない。だから、今の販売法は当分の間、そのまま続けることにしておき、社長は自ら新しい販売網の開拓をする必要がある。それは、「他人の力を利用する」ことだ。

言いかえると、流通業者を利用することを考えてみる。

先ず第一に考えられるのは、衛生配管業者である。これが最も有望だ。それに、あまり当てにはできないけれど、左官屋、燃料屋なども考えられる。

左官屋や燃料屋は、当面、頭の片隅の方に押しやっておいて、衛生配管業者のチャンネル開拓に取組むこと。

そのために、取りあえずやらなければならないことは、地元の業者の名簿を手に入れること。

業者向けのカタログと価格表をつくること。

価格表は、荷造費、運賃を計算に入れることを忘れないように。運賃はこちら持ちの方が業者は喜ぶ、益率の計算がやり易いからだ』と勧告する。

こうすれば、浴場直売と配管業者という、二本の販売チャンネルができる。

社長があれこれ調査をしているうちに、ある管工事業者から、濾水機の特約店になりたい、という申込みがあった。業界誌の広告を見たのだという。

社長は喜んだが、受けて立つこちら側の体勢が何もできていないのだ。保証金をどうするか、というようなことさえ、まだ検討をしていないのだ。

私は『あなたの会社の格からみて、まだ保証金をとるわけにもいかないだろうから、それは無しということにして、相手がモグリでないことを確めたら、あとは相手を信用するしかない。始めから危険を恐れていては何もできない。

保証金がないかわりとして、支払条件をよくしてもらうように話を進めること。

カタログは新しく印刷しては間に合わないから、今のもので間に合わせる。定価表だけ新たに大至急つくる。

鉄は熱いうちに打たなければならないから、何事も迅速に相手と話合って決めてしまうこと。これを、あなたの会社の重要な転機にするのだ』と。

ところが、定価表をつくる段に、困ったことが起きた。それは、従来の浴場直売価格では、流通マージンが出てこないのである。流通マージンどころか、荷造費や運賃さえも出てこないのだ。

『新商品を開発した。さて、いくらに売ったらいいか。製造原価に三割上乗せで十分だろう。どうして売るか、浴場に売込みに行ってみよう。それから宣伝だ。カタログを作れ、業界誌に広告を出せ』式の、全く無方針というよりは、無思慮としか思われないやり方だったからである。

こう書いてくると、0社のやり方は全く「成っちゃいない」ように感ぜられるだろうが、これと五十歩百歩の会社は決して珍しくないのだ。それどころか、今を時めく大企業でさえ、この程度以上に出ない会社はいくらでもある。

さきにあげたT電機などは、その一例にしかすぎないのである。

では、新商品をどう軌道に乗せてゆくか、新事業の開発はどう進めたらいいか、ということになるが、これは、この社長学シリーズの「新商品・新事業開発」篇にゆずることとする。

話を0社に戻そう。

流通マージン、荷造費、運賃を出すために、値上げに踏みきった。浴場直売も同時値上げを私は主張したけれども、それでは売れなくなる、という社長の心配もムリからぬところなので(本当は値上げした方が売り易いのだ。値上げをしておいて、現在の価格に若千上乗せした価格を、期限付の普及価格にすればいいのである)、当分の間、据置くこととした。

しかし、どうもスッキリしない。ここは一番、新型または改良品を出して、それにスッキリした値付をしたほうがよさそうだ。

そこで、現在の商品に「何か欠陥はないか」ときいてみると『鋼板製なので錆びやすい』という返事である。そこで、ステンレス製に設計変更することにし、その商品に新価格体系を適用することとした。

ここ当面は、直売と管工事業者の二本立てチャンネルでいく。あとは結果をみてから、ということになった。

二本のチャンネルのうち、管工事店の方がメーンである。そして、開拓期は社長が直接担当することとしたのである。複数チャンネルには、様々なパターンがある。

I社は大きな雑貨問屋で、全国的な販路をもち、得意先口座は四千を越えている。I社の販売チャンネルは、二つに大別される。東京・大阪・名古屋の三大都市にそれぞれ営業所をもち、それぞれの営業所が二本立て営業である。

一本は小売店への卸で、それぞれの都市とその周辺地域を商圏としている。他の一本は、それぞれの担当地区の二次店への卸である。

販売効率のいい大都市とその周辺は直売として収益を確保し、その他の販売効率の悪い地方は二次店に任せて経費を浮かせる、という方式である。

フランスベッドは、全国的に直販とディーラー販売の二本立てをとっている。そして、直販比率が圧倒的に高い。

直販の方は、フランスベッド販売でやっている。コミッション式で、なかなか特色のあるやり方をやっている。凄いバイタリティである。

フランスベッドの直販は、当初、ディーラーから苦情が出た。これは出ない方がおかしい。この時、池田社長は、『皆様のおっしゃることは誠にその通りである。

ついては、うちの会社は、これこれの売上げをあげないと食っていけない。それを皆様のところで責任をもって売って下さい。そうしたら、いつでも直販はやめます』と返答した。

これで、ディーラーは何もいわずに引込んでしまったのである。

パイン製菓の「食べるコーヒー」と「食べる抹茶」のチャンネルは、以外にも菓子業界ではない。ガソリン・スタンド、ドライブ・イン、お茶の小売店である。

けったいなようだけれど、それにはチャンとした理由がある。それは、菓子の流通業界の過当競争である。

価格体系は乱れ、まともな販売のやりにくいことは、パイン製菓自身のこととして、苦い汁を呑ませ続けて来ているだけに、せめて新商品だけは、こんなうき目に会わせたくない、という社長の願いが、このようなチャンネルを開拓させたのである。

上田社長は、『これだけは、絶対に菓子屋のチャンネルに流しません』と固い決意である。「利用してはいけないチャンネル」という明確な方針をもっているのは立派である。

いたずらに、従来からあるチャンネルだけにしがみつき、過当競争だから、乱戦だから、といいながら、低収益をボヤイてみても始まらない。それならばこそ、自らの努力で、その中から抜け出すことを考えるのが社長の役割である。

武田薬品で「いの一番」を米屋のチャンネルに流したのは、その努力は立派であるといえるのである。

個々のチャンネルでは体質に合った少数問屋に絞れ

一つの販売チャンネルの中の問屋をどう選定するか、ということは、我社の販売を左右する重大事であるだけに、各社とも必死の知恵を絞って考える。

しかし、正しい選定をする会社はむしろまれであって、大部分の会社で間違ってしまう。不思議なことに、その間違い方が実によく似ているのである。その誤りは、大別して二つになる。 

一つは「大問屋」を狙うことであり、もう一つは「きめの細かい」問屋網をつくるということである。この二つについて考えてみることにしよう。

L社は錠前のメーカーである。加工業者ではあるが、社長がなかなかのアイデア・マンで、種々のアイデアを商品に加え、中にはパテントが立派に生きているものもあり、加工業には珍しく収益性のよい会社であった。

しかし、加工業はどこまでいっても加工業、所詮は下請でしかない。どうしても自社商品を持ちたいという夢をもっていた。

種々苦心の結果、自転車の盗難除けの錠前に新工夫を施した商品を開発して、私のところへ相談にきた。ワイヤー式のものである。私の見るところでは、アイデア商品には珍しく、ものになりそうに思われた。

私は、これは間違いなく売れると思う。しかし、商品が売れるということと、それが事業として成功するということは違うことを説明した。

事業として成功する要件として、同じ自転車屋のチャンネルに乗る商品を数点は持たなければならないことを理解させた。それは順次加えるとして、では、この錠前をどんな販売チャンネルに乗せるべきか、ということになる。

今まで何か心づもりはないかを聞いてみると、実は大企業のB商社に持ちこんだら、『これは面白いから、うちの販売網にのせよう。ついては、うちに総発売元の権利をよこせ』と言われたという。

こんな有難いことはないと思ったが、一応返事を保留して帰って来た。営業部員に話をすると、歓声をあげて喜んでくれた。これに決めようと思うが、どうか、という相談である。

流通業者というものは、二言目には総代理店にせよ、総発売元の権利をよこせである。売る気なんかないくせにである。

そして、メーカーの「天動説」がここにある。そのために、大商社を総代理店に持てば、我社の商品はその大販売網に乗って売れると思いこんでいるのだ。

私はL社長の考えを正さなければならなかつた。『あなた方は、全国に強力な販売網を持つ天下のB社が総発売元になったからには、もうこの商品は心配ない、と期待をしているけれども、とんでもないことだ。考えてみても分る。

B社が五十人やそこらの会社の商品を身を入れて売る筈がない。B社は大きい。それは、数百種類か数千種類か知らないが、とにかく膨大な種類と数量を売りさばいている。

そういう会社は、一つ一つの商品について、いちいち販売促進などできないのだ。

得意先から注文があったものを出荷しているという「集配所」がその実体なのだ。あなたの会社の商品など、総合カタログにのせるぐらいで、あとは何もやってはくれない。恐らくは在庫もしない。

業者がカタログであなたの会社の商品を見て、注文がきたら、それをB社は、あなたの会社に注文するだけなのだ。

会社が大きいからといって、その売上げの大部分は、ごく少数の主力商品であって、それ以外の商品の売上げなど知れたものなのだ。

会社が大きいということは、扱い商品一つ一つの売上高が大きいという意味ではないことを知らなければならないのだ。

大切なことは、大きな流通業者ではなくて、あなたの会社の商品をよく売ってくれる流通業者と取引することなのだ。

もっと小さな流通業者を、とりあえず東京都内で数社、特約店に選ぶことだ。決して総代理店制をとってはいけない。あとで動きがとれなくなる』と。

そして、私の話だけでは、本当に納得せよと言ってもムリだから、とにかく自転車屋を五〜六軒でいいから廻ってみること、その様子を知らせてもらいたい、といって帰した。

しばらくして私のところへ来た社長は『一倉さん、よく分りました。どこの自転車屋でも、B社なんか当てにしていません。三カ月か四カ月に一回、忘れた頃に顔を出して注文をくれという。

たまに注文をすると、今度は納期がかかる。そんな会社とつき合っていては商売にならない。小さな問屋は、電話一本ですぐ届けてくれる、というのです。そのような小回りのきく問屋と取引することにきめました』と納得されていたのである。

また、あるカメラ部品のメーカーの社長は『うちは、美鈴、浅沼など業界大手と取引を始めた時は、「しめた」と思ったが、取引をしているうちに、我社の商品を売ってくれる暇など、大手業者にはないのだということが分りました。

だから、今、そういう大手は取引関係だけで、販売促進は全部我社でやっていますよ。そうしなければ売上げは上がりませんね』と私に語ってくれた。

以上、二つの例で、大手流通業者の実態がお分りいただけたと思う。多くの会社で、やたらと大手流通業者と取引したい、というのは、間違っているのだ。

その外に、いろいろ大手を代理店とする不利を知らなければならない。それは、大手は必ず「流通段階が多い」ということである。

それだけそれぞれの段階でのマージンは低いにもかかわらず、マージンの総額は多くなるのだ。これでは、メーカーにとっても、それぞれの段階の流通業者にとっても有難くない。

メーカーは低収益に甘んじなければならず、流通業者も低マージンで気が乗らないということになる。物流面でも時間と手続きが多くかかり、消費者やエンド・ユーザーの声もメーカーに伝わりにくいのである。

まだある。地域販売戦略を展開する時に大きな障害が発生するのである。

K社の専務いわく『一倉さん、うちの最重点地域であるS県とT県では、いつも我社で力を入れたい地場の有力特約店と、東京・大阪にある大手特約店のその地域の営業所との間でトラブルが発生して困っています。

その尻はいつも我社に持ちこまれて 「何とかせよ」という要求がきます。私はそれらのトラブルの解決に大きな時間をとられます。

トラブルを解決するための時間のロスはいたし方ないとしても、こうした状況のもとでは、我社の販売促進活動が大きな制約を受けることが耐えられません』と。

しかも、こういう問題は、占有率の高い重要地域ほど多く発生するという厄介な性格を持っているのである。どの会社でも、創業当時は地域戦略どころのさわぎではなく、とにもかくにも売上げを確保するための特約店獲得が優先したことは否めない。

しかし、その際にも「大きな業者ならばたくさん売ってくれる」という「天動説」がその底にあったことは間違いないのだ。そして、大手特約店を選び、その大手特約店が、やがてこのように販売戦略の障害になってくるのである。

特約店選びの重要性がここにある。市場の大きさと競合他社、我社の力、そしてそれらのものを合成した我社の販売戦略がまず必要であり、その販売戦略にもとづく特約店選定がなされなければならないのである。

何れにせよ、あまり大きな特約店は販売戦略の支障になることが多いことを知らなければならないのである。

くどいようだが、くれぐれも「天動説」のとりこになって「特約店は我社に忠誠を誓っている」と思いこんではならないのだ。では、「どの程度の規模の問屋が販売戦略展開に有利なのか」ということになる。

年商八十億円の雑貨問屋D社の社長は「年商一億円の商品がほしい」といつも言っている。年商二十億円の菓子間屋M社社長は、『月商いくら以上の商品なら力を入れる気になりますか』という私の問いに対して、『月商三百万円ですね』と答えている。

右の例のように、間屋の関心は、「我社の総売上高の一%以上」の商品にある。一%の線までいかない商品は、間屋として力を入れる気がしないのだ。

総代理店だろうと、地域特約店だろうと、いずれの場合を問わず、その商品の売上げが総売上げの一%未満ならば、間屋は何もしてくれない。

問屋に我社の商品を売ってもらいたいならば、我社自身の販売努力で、この一%の線を突破することが第一である。この線を越すと、間屋が売る気を出してくる。

こうなると、メーカーの努力と問屋の販売努力が加わって、強力なものになるのだ

問屋が売る気を起こしたからといって、メーカーが販売努力を怠れば、売上げは再び低下する。

だから、メーカーは我社の商品である限り、販売努力は永久に続けなければならないのである。

問屋の総売上げの一%を越すと、間屋という援軍が加わるのであって、主体はあくまでもメーカーであることを、肝に銘じておかなければならない。

右の認識の上に立って、我社の取引する間屋の規模を考えるのである。もうお分りであろう。「我社の商品の売上げが、その間屋の総売上げの一%以上を見込める会社」である。

といって、あまり小さな問屋では、その販売網が弱すぎて、これまたダメである。その辺のところを、よく見極めて間屋の選定に当るのである。

そして、そのような問屋の選定は、間違っても誰かに任せてはいけない。社長自らこれを行なうのである。これこそ、我社の販売を左右するというよりは、社運を左右する根本要因の一つだからである。問屋の数は多ければよいのではない。

文房具の大手メーカーの一つであるP社の例をみよう。

P社も「キメコマ病」にかかっている。販売促進は、きめの細かい販売網と思いこんでしまい、東京都内だけで、何と八十社もの問屋と特約店契約をしてしまった。これは、問屋の生態を全くご存知ないところから来ている。

問屋もまた「キメコマ病」にかかっているのだ。そのために、「我社の商圏内の小売店には隈なく我社の商品を入れる」ことが販売促進だと思い込んでいるのである。

P社の特約店八十社の殆んど総てが、都内二千店の文房具店に一店残らず我社の商品を押込もうとしている。いったい、どういうことがそこに起こるのだろうか。

一つの文房具店に、十社も二十社もの問屋のセールスが押しかける。小売店にとってはうるさいけれども、逆にいい点がある。問屋を天秤にかけられるからだ。

その一つは、「一番勉強してくれるところから買う」であり、もう一つは「なるべく支払条件のゆるいところから買う」である。

こうして、値崩れが起こり、売掛金の回収は遅れる。他社商品との競合ならばいたし方がないかも知れないが、自社商品同士でこれをやられるとは、こんな阿呆なことはない。

また、東京都内で売れるP社の商品の数はきまっており、間屋の数とは関係ない(関係があるのは、有力小売店をカバーしているかどうか、ということである)。それを、八十社で分け合うのでは、一社当りの売上高は僅かである。ここに「一%の原理」が働く。問屋にとっては魅力の少ない商品だから、あまり力を入れない、となる。

そんなこととは露しらず、間屋は我社に忠誠を誓っているのだから、その忠誠心をさらに高めるために、八十社を会員とする 「P会」を結成し、P社の社長がその会長になっている。

こういうものは、販売促進どころか、逆に大きな障害になっているのだ。というのは、流通業者のスクラップ・アンド・ビルドができなくなってしまうからだ。

実績が上がらないからといって、いつたん会員にしたものを、「やめてくれ」とは言えない。また、新会員を加えようとすれば、反対されるに決まっているからである。

こういう「特約店会」はほとんど例外なく年次総会か何か開いて、お互の信頼関係に立って、協力を誓い合ったりするけれど、こんなものはお芝居以外の何物でもない。販売促進策など出たためしはない。当り前である。

会員は互に「商売仇」なのだ。誰が販売促進の手のうちなど見せるものか。だから、当らずさわらず、結局は「呑み会」が一番無難だ、ということになるのが落ちなのである。

「○○会」と称するものの実態は右のようなものであることを、多くの会社では知らずに、何とかして流通業者を我社に縛りつけようとして、「○○会」を作ろうとしている。全くの「天動説」に外ならないのである。

流通業者を我社に引きつける手というものは、「○○会」というようなものではない。メーカー自身の販売努力によって、流通業者の売上げ増大に貢献することなのである。

その方法は後で実例を紹介することにしているので、しばらくお待ち下さるよう、お願いをする次第である。問屋の数は多すぎてはいけないのは分った。それでは、どのくらいがいいのか、ということになる。

これを知る本当の方法は、メーカー自らそれぞれの問屋の販売網を調べて(同行販売すれば分る)、間屋同士の甚だしい重複はないか、大きな抜穴や空白がないか、というような事柄についての情報を手に入れることが最も重要である。

これさえ分れば、どうしたらいいかは、それほど難しいことではないと言える。甚だしい重複は間屋の淘汰であり、空白はそれを埋めればいいからだ。

難しいのは、それを実現することである。淘汰は、まず心理的な抵抗が大きい。特に営業部門の猛烈な反対があるからだ。それらをあえて押しきっての決定だからだ。この場合に、決定は明確に下さなければならないが、その実施は慎重に、ゆっくりやらなければならないということである。

空白を埋めることは、また逆の難しさがある。というのは、こうした場合には、メーカー自身で、まず目指す小売店を開拓し、これを問屋に結びつける、ということをやらなければならないからである。

チェーン店は店舗のスクラップ・アンド・ビルドを

M社は、靴のチェーン店で、店舗は大中小とりまぜて十五程である。そのうち五店舗が赤字で、うち三店は本社費の負担どころか、店自体の費用さえも賄えなかったのである。

社長に、これらの赤字店舗をどうするつもりなのかを聞いてみると、対策は何もない。あるのは赤字の理由だけである。

あの店は近くに地下街ができてお客をとられたの、この店は商店街を胴切りにする道が拡げられて、お客の流れが絶ち切られたとか、あっちの店は立地条件が悪い、こっちの店は売場面積が小さすぎる、というようなことばかりである。

それらの店を廻ってみると、なるほど社長の言う通りと思われた。

私は、その三店舗を閉鎖することを勧めた。残りの二店舗は赤字ではあっても店自体の費用は賄っているのだから、営業を続けても会社の業績にマイナスはもたらさない。プラスがないだけであるから、当面そのままとしておけばよい。しかし、店そのものが赤字の店舗は、それを続けること自体、会社にとってマイナスになるからだ。

こういう店の黒字転換は、まず不可能に近いと思うべきである。いままでに、何年にもわたって黒字転換の手はいろいろ打ってきている筈である。それでも黒字にならないのだから、これ以上続けても黒字になる見込みなどないのだ。

いさぎよくあきらめて、パートは整理し、社員は手薄のところを固めるか、次の出店のための待機要員としておく、というのが私の補足説明だった。

私の勧めをきいた社長は、『せっかく出した店だから閉鎖するのはもったいない。何とか黒字転換の手を打つ』という。

そして、またまたいままでに何回も何回もやって失敗した手を打ちだしたのである。商品構成をかえてみる、店長を入れかえる、というようなことである。店舗改装をしなかったのが、せめてもの救いであった。

結果は言わずと知れた効果なしである。一年間、私は、そんなことをしてもダメだ、早く閉鎖しなさい、そんな効果のないことに社長のエネルギーを使うのはもったいない、もっと前向きに、有効に使いなさいと、その有効に使う道をいろいろ提案し続けた。

しかし、どうしても閉鎖しない。私はサジを投げぎるを得なかったのである。

M社長の、このような態度は決して例外ではない。いな、むしろ最も普通に見られる社長の態度なのである。

ここに、考えなければならないことがあるのだ。いったん開いた店、いったん取引開始した得意先、いったん開発した商品というものは、それが事業経営上のマイナスやブレーキとなっていても、なかなか捨てられないものである。

反対に、何とか実りあるものに変えようと、次々にあの手この手を打つ。しかし、こういうものは、どんな手を打とうとも、効果の上がることなど無いといっていい。それにもかかわらず、効果がなければないで、さらに次の手を打つ。これではいつまでたっても事態の好転は望めないのだ。

その気持は分らないではないが、その狙いは「業績向上」にあるので、店を続けたり、得意先との取引継続にあるのではない筈である。

業績向上を期待するのであれば、なおさら捨てなければならないのだ。業績向上の見込みのないものに、いつまでも未練がましく取付いていたのではダメである。

二年間いろいろな手を打って効果が上がらなければ、思いきって捨てるのである。

このことは、直ちに赤字減少とか費用減少をもたらす。もう一つの効果は、「捨てたものに期待していた収益を、ほかの何かで手に入れなければならない」という動機づけである。

このように、拾てるということは、新しいものを手に入れる動機づけともなる。つまり、スクラップアンド・ビルドの促進である。

スクラップのスピードが早いほど、ビルドのスピードも早くなる。いや、早くしなければやっていけないのである。

常に背水の陣をしいてこそ、その切迫感が社長を真剣にする。

私は、『スクラップ・ダウンのスピードと業績向上のスピードは比例する』という考えを持っている。

「経営戦略篇」にあげた、月販会社「丸井」の例を思いだしていただきたいのである。

販売網をどう整備するか

いままで、販売網に関する色々な留意点をのべてきた。それらの留意点をふまえて、販売網をどう整備するかということになる。

販売網というものは、単に販売網だけを考えればいいというような単純なも販売網の整備には、まず企業の「市場戦略」がなければならない。その市場戦略を展開するための販売網という認識に立たない限り、効率的な販売網の整備はできないのである。

もう一つの要因は、販売促進活動である。販売網だけ作っても販売促進をしなければ、その販売網は「無」に等しいからである。

やたらと沢山な問屋と特約店契約を結び、その問屋へ注文をとりに行くというようなことで、成果を高めることはできないのだ。

我社の販売網のあるところ、そこにどのような販売促進活動を展開するか、の「作戦」がなければならないのである。

その作戦計画は、我社の体勢に制約されると同時に、我社の体勢をどう整備してゆくか、という二つの面を考えなければならないのである。

右のような、総合的な販売戦略と戦術の中での販売網の整備でなければならないのである。この販売戦略と戦術を推進する「市場戦略」は、章を改めて詳述する。

むろん、この中で販売網をどう整備してゆくか、を解説することにしその前に、市場戦略の推進活動である「販売促進」をのべることとする。

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