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三、目標設定は社長以外の誰の役割でもない

目次

過去の数字の意味は何か●

たくさんの会社で、面白い(?)現象にぶつかる。それは、過去五年間の損益計算書、過去五年間のバランス・シート、過去五年間の財務分析、というように、判でおしたように五年間である。これは、過去五年くらいは見なければ……というようなことらしい。

※たくさんの会社で面白い現象にぶつかる。それは過去5年間の損益計算書、過去5年間のバランス・シート、過去5年年間の財務分析というように判で押したように五年間である。

過去の数字をどのように精密に分析しようとも、そこからは前向きに打たなければならない手など分るものではない。

※過去の数字をどのように精密に分析しようとも、そこからは前向きに打たなければならない手などわかるはずもない。

それどころか、過去の数字だけを見て、会社の優劣判定をやろうものなら、全くの見当違いの判定を下してしまう危険の方が大きいのだ。「投資育成会社」というやつがある。

※過去の数字だけを見て、会社の優劣判定をやろうものなら、全くの見当違いの判定を下してしまう危険のほうが大きい。

投資育成会社には、国から厳重な審査を受けて、これに合格した優良企業が初めてなれるわけだ。ところが、この審査なるものが、完全に企業内部の過去の数字だけを対象としている。

そして、それが優れていれば合格というのだから、あきれかえるばかりである。こんな、高校生でもやれるような事務的作業で、企業の優劣が判定できるのであれば、誰が苦労なんかするものか。実例を見よう。

G社は投資育成会社である。主たる事業は、カメラ部品の機械加工の下請で、実質的なオンリーさん。その外に、ビく小さな鉄鋳物工場と、小型フライスーそれも単品、という事業構造であった。

高度成長の時はそれでよかった。しかし、石油ショックによるパニックによって売上げはガタ落ちし、昭和五十年の初めには、過去の蓄積は喰いつくしてどうにもならなくなり、しかも打つ手が分らない、というところまで追いつめられてしまった。

石油ショック後のパニックでは、業績低下はいたし方ないとして、全く行き詰ってしまったのでは優良企業とはいえない。過去の優れた業績など、行き詰った会社にとって事態打開に何の力も持ってはいない。

優良企業というものは、このような外部情勢の変化に耐えて業績低下を最小限度に喰い止め、さらに業績挽回に有効な経営政策を打ち出せなければならないのだ。

※優良企業というものは、このような外部情勢の変化に耐えて業績低下を最小限に食い止め、さらに業績挽回に有効な経営政策を打ち出さなければならない。

G社が、このような手を打てない― つまり、ボロ会社であるのは、社長の基本的姿勢と事業構造に欠陥があるからだ。

※ボロ会社であることは、社長の基本的な姿勢と事業構造に欠陥があるからだ。

そのまず第一は、生産第一主義の能率とコストしか分らない職人経営にある。

※生産第一主義の能率とコストしか考えない職人経営にある。

物を安くつくることより外に何も知らず、下請なるが故に、親企業から注文が来なければ、如何ともしがたいというのでは、会社というよりは、その本質は工場なのである。

※物を安く作ることより外に何もしらず、下請けなるが故に、親企業から注文が来なければ、如何ともし難いというのでは、会社というよりは、その本質は工場なのである。

自社商品の小型フライスも、その販売は商社まかせ、自らの手で売ろうとする気もなければ、我社の商品の欠陥を知ろうとする努力など皆無である。

※自社商品もその販売は商社まかせ、自らの手で売ろうとする気もなければ、我が社の商品の欠陥を知ろうとする努力なども皆無である。

このような生産第一、販売軽視、顧客無視では、経営の自主性など持てるはずがなく、客観情勢の変化に対応することなど、全く不可能である。

※このような生産第一、販売軽視、顧客無視では、経営の自主性など持てるはずがなく、客観情勢の変化に対応することなど、全く不可能である。

つまり、G社は優良企業どころか、「欠陥だらけの危険な会社」だったのである。

※こんな会社は欠陥だらけの危険な会社である。

S社も投資育成会社である。単品経営で、しかも、限界生産者であった。社長は技術屋で工場にこもりきり、技術とコストと内部管理に明け暮れていた。

※単品経営で限界生産者であった。社長は技術やで工場にこもりきり、技術とコストと内部管理に明け暮れていた。

高度成長時代にはそれでよかった。そして高収益をあげていた。しかし、石油ショックによる不況の直撃をうけ、限界生産者なるが故にその打撃も大きく、あっという間に赤字転落である。しかも、業績回復のための方策は全くなく、途方に暮れていたのである。

※高度成長時代にはそれでよかった。それで高収益を上げていた。しかし現代は異なる。

単品経営、限界企業という、変化への対応力が最低の欠陥企業― いつどうなるか分らない、累卵のような会社が、過去の業績によって企業の優劣判定をする、という伝統的な診断思想から、優良企業と判定されていたのである。

※単品経営・限界企業という、変化への対応力が最低の欠陥企業にも関わらず、伝統的な診断思想から優良企業と判定される場合がある。

投資育成会社だけを槍玉にあげたようだが、たまたま引合いに出されただけである。

私が言いたいのは、企業の優劣判定を、企業の過去の数字だけでするのは誤りである、ということである。この意味で、従来からの伝統的な企業診断の思想(手法ではない)は全く捨て去られなければならないのである。

※企業の優劣判定を企業の過去の数字だけでするのは誤りである。伝統的な経営診断の思想は全く捨て去らなければならない。

過去の数字が優れているということは、過去において優れていたということであって、現在も将来も優れた企業であるという実証ではない。

※過去の数字が優れているということは、過去において優れていたということであって、現在も将来も優れた企業であるという実証ではない。

現在優れているかどうかは、企業の未来に対して、どのような決定がなされているか、によってきまるのである。

※現在優れているどうかは、企業の未来に対して、どのような決定がなされているかによって決まる。

未来に対する正しい定がなされている企業こそ、優秀企業なのである。いうまでもなく、その正しい決定とは、市場の変化の方向を正しくとらえ、顧客の要求を見きわめてこそ、はじめて行えるものなのである。

※未来に対する正しい定がなされている企業こそ、優良企業なのである。いうまでもなく、その正しい決定とは、市場の変化の方向を正しくとらえ、顧客の要求を見極めてこそ、初めて行えるものなのである。

では、過去の数字は意味がないのかというと、そうではない。未来に対する正しい決定のためには、その出発点を正しく認識することが必要である。

※過去の数字は未来に対する正しい決定のためには、その出発点を正しく認識することが必要である。

その出発点を財務面から明らかにするものが過去の数字なのである。何が優れているか、何が弱いか、欠陥はどこにあるか、収益性や資金は心配ないか……などなどの確認は大切である。

だから、過去の数字というものは、何故そうなったかをいくら分析してもムダである。いくら原因を分析しても、過去の数字はただの一円も変えることができないからだ。

※過去の数字をいくら分析しても無駄である。分析しても過去の数字は一円も変えることができない。

過去の数字から、われわれが得なければならない情報は、今どこに立っているかを確認することと、我社の強味と弱味を見つけだすことなのである。

それ以外にはないし、それで十分である。これこそ、未来に対する正しい決定のために、欠くことのできない情報なのである。

経営計画は社長自らこれと取組め

『僕は数字に弱いので、この経営計画は常務にたてさせました。見て下さい』というような社長に時々ぶつかる。これなどはまだいい方で、企画室長に立てさせるとか、ひどいのになると、秘書に立てさせた、というものさえある。

冗談じゃない。社長というのは、「数字をつくり出す人」なのだ。数字をつくり出す人が数字に弱いで済むものではないのだ。運転手が、『僕はどうも車の運転に弱くて……』で済むはずがない。それと全く同じことを、社長がやっているとは驚きである。

※社長というのは、「数字を作り出す人」なのだ。数字を作り出す人が数字に弱いで済むものではない。運転手が運転が苦手でで済むはずがない。それと全く同じことを社長がやっているとは驚きである。

数字に弱ければ勉強して強くなる努力をするのが当り前ではないか。経営の数字は、高等数学などではない。加減乗除という、小学生の算数程度のものでしかないのだ。

※数字に弱ければ勉強して強くなる努力をするのが当たり前である。経営の数字は高等数学などではない。加減乗除という小学生の算数程度のものだ。

それを、社長の座にあぐらをかき、誰も叱る人がいないのをいいことに、数字の勉強をしないとは、社長の風上にも置けない。このような社長に、私は一年に五人や十人ぶつかるのだから、世の中には随分いるはずだ。全く困ったものである。

※数字の勉強をしないとは、社長の風上にもおけない。そして相当数の社長がいる。

経営計画をたてる時に、加減乗除さえできない社長にぶつかると、私も頭にくる。そして、『一倉は小学校の算数の先生ではない。今夜奥さんによく教われ』と、どなることさえある。

それは一部の社長だからおくとしても、経営計画を自ら立てようとせず、誰かに立てさせる、ということ自体、社長として全く間違った態度である。私は、社長自ら立てた計画でない限り、示されても見ずに突き返してしまう。

社長に対して失礼な態度ではないか、といわれるかもしれないが、社長がつくったのではない書類をつき返しても、社長に対する礼を失したことにはならないのである。

社長は、会社の最高責任者である。その社長が、我社の未来をきめる最高方針の樹立と目標の設定を、自らの責任と意思において、自らの手によって、つくりあげることこそ本当である。

※社長は、会社の最高責任者である。その社長が我が社の未来を決める最高方針の樹立と目標の設定を、自らの責任と意思において、自らの手によって、作り上げることこそ本当である。

その最重要な事を、他の人にやらせるということは、明らかに社長の重大な責任回避である。忙しいからという理由こそおかしい。最高方針の樹立以上に大切な仕事が他にあるわけがない。

たしかに社長は忙しい。忙しいからこそ、重要な仕事から取組み、重要度の低い仕事は、できなくてもいたし方がないのだ。

※確かに社長は忙しい。忙しいからこそ、重要な仕事から取り組み、重要度の低い仕事は、できなくても致し方がないのだ。

だから、いくら忙しくとも、最重要な仕事ができないということこそ、おかしいのである。経営計画をつくるために時間をとられて、ほかの仕事ができなかったというのなら話は分る。

※忙しくても最重要な仕事ができないということこそ、おかしい。経営計画をつくるために時間を取られて他の仕事ができないのは問題ない。

しかし、忙しいから経営計画を自らたてる時間がないという程、おかしなことはないのである。

※しかし忙しいから経営計画を自らたてる時間がないというほど、おかしなことはないのである。

これに対し、「社長が何もかも自らやらなくとも、社長の意図を立案者によく知らせてつくらせればいいではないか」という反論は説得力が強い。これは、理論としては正しいように見える。しかし、現実にはあり得ないのである。

立案者が、いかに優れた能力をもっていようと、企業の最高責任者ではない。立場の違うものに対して、社長の立場に立って物を考えよ、というほうがおかましてや、社長の意図を誤りなく伝えて、自らの意図通りの経営計画など、できるはずがないのだ。

※立案者が、社長の意図を誤りなく伝えて、自らの意図通りの経営計画など、できるはずがない。

社長は事業の経営をする人である。だからこそ、自らの責任で、自らの意思で経営計画をたてなければならないのだ。

※社長は事業の経営をする人である。だからこそ、自らの責任で、自らの意思で経営計画を立てなければならないのだ。

しかし、社長は社内の事情を何もかにも知っているわけではない。販売のことは営業部長の方が詳しいにきまっているし、製造のことは製造部長にはかなわない。だから、それぞれの責任者に意見を求めるべきだ、という意見がある。一応はもっともである。

しかし、これらは、あくまでも日常の活動に関することであって、事業経営に関することではないのだ。

※日常の業務のことの意見を求めても意味がなく、事業経営に関することではない。

事業経営が、「顧客の創造」である限り、経営計画はあくまでも顧客の要求に応ずるための我社のあり方を示すものである。だから、会社の中の様々な活動状況にもとづいてたてられるものではない。

※事業経営が「顧客の創造」である限り、経営計画はあくまでも顧客の要求に応ずるための我が社のあり方を示す物である。会社の中のさまざまな活動状況に基づいて立てられるものではない。

社内の事情とは無関係に、顧客の要求にもとづいて、それをどう満たし、我社を存続させるか、という観点に立ってたてられるものなのである。

※社内の事情とは無関係に、顧客の要求に基づいて、それをどう満たし、我が社を存続させるかという観点にたって立てられるものなのである。

シーアズ。ローバックの例を思い出していただきたい。

社内の事情というものは、我社の目標に対する制約条件であり、目標とのギャップをわれわれに教えてくれるものなのである。

※社内事情というものは、我が社の目標に対する制約条件であり、目標とのギャップを我々に教えてくれるものなのである。

だから、社内の事情というのは、経営計画を立てる時に考えるのではなくて、実施の時に考えるものだ、という認識をもたなくてはならない。

※社内事業というのは、経営計画を立てる時に考えるのではなくて、実施の時に考えるものだ。

したがって経営計画は社内の人々の意見や実情などとは無関係に、「我社の生き残る条件は何か」という一点に絞って立てるものでなければならない。

※したがって経営計画の社内の人々の意見や実情などとは無関係に、「我が社の生き残る条件は何か」という一点に絞って立てるものでなければならない。

もしも我社の生き残る条件を、経営責任のない社員の意見をきかなければ立てられない社長がいるならば、その社長には経営者の資格そのものがないのである。こういう社長はサッサと引退すべきである。

※我が社の生き残る条件を、経営責任のない社員の意見をきかなければ立てられない社長がいるならば、その社長には経営者の資格そのものがないのである。こういう社長はさっさと引退すべきである。

経営計画の樹立には、経営責任のない社員を絶対に参画させてはいけない。あくまでも経営責任をもつ役員以上だけで討議し、社長が決定してゆくべきである。

※経営会角の樹立には、経営責任のない社員を絶対に参画させてはいけない。あくまでも経営責任を持つ役員以上だけで討議し、社長が決定していくべきである。

討議の際に、いろいろ違った意見がでてくる。これは、意見の不一致ではなくて、いろいろな方向から経営を見ているからこそ違うのであって、喜ぶべきことである。

※これは、意見の不一致ではなくて、いろいろな方向から経営をみているからこそ違うのであって、喜ぶべきものである。

全員の意見が始めから一致することのほうが、よっぽど恐ろしい。経営の一面しか見ていない証拠だからである。だからこそ、違った意見がでるということは誠に結構なことなのである。

※違った意見が出るということは誠に結構なことである。

意見の不一致というのは、いつまでたっても違った意見に引きずられて、社長が決定できない状態をいうのであって、違った意見がでることではないことを知らなければならない。

※意見の不一致というのは、いつまで経っても違った意見に引きずられて、社長が決定できない状態を言うのであって、違った意見がでることではないということを理解しなくてはならない。

違った意見を活発にたたかわせ、社長はそれら意見を自らの決意を固めるための貴重な情報の一つとして、他のいろいろな情報や条件と合成して時間の許す限り十分に検討し、自らの責任において、「ワンマン決定」を行うのである。

※違った意見を活発にたたかわせ、社長はそれら意見を自らの決意を固めるための貴重な情報の1つとして、他のいろいろな情報や条件と合成して、時間の許す限り十分に検討し、自らの責任において「ワンマン決定」を行うのである。

決して多数決であってはならないのである。(一倉定の社長学第九巻「新・社長の姿勢篇」の34頁「正しいワンマン経営とは」を参照されたし)

※決して多数決であってはならない。

この討議は、本来の目的のほかに、思わぬ副産物がある。それは、役員間の素晴らしいコミュニケーションの場になるということである。

S社は、兄弟四人が役員であった。私が、経営計画の必要性を説いても、誰も受けつけない。その理由というのは、『われわれ四人は、真の兄弟だ。同じお袋の腹から生れ、大きくなるまで一緒に暮してきた。今また同じ会社で仕事をしている。お互いに、相手が何を考えているかは、日の動き、手の動き一つで分る。何もそんなものはなくても、経営にも役員の責任を果すにも、いっこう差し支えない』というのである。

私は、『皆様だけならそれでもいいけれど、社員は他人だからそうはいかないでしょう。皆様の考え方を、正しく社員に伝えるためには経営計画が必要ですよ』と主張した。

結局、それもそうだ、ということになり、半分は私の顔を立てるつもりだったのだろう、経営計画会議を開くことになった。会議に先立ち、四人の方々に別々に方針を書いてもらった。私も人が悪い。

会議の席で、四人の役員の方針なるものを黒板に書き、さらに足らずに大判の紙にマジック・インキで書いていった。そこに表われた方針というものは、四人の間に数々の相違点があった。これには、四人の役員それぞれが意外に思ったらしい。『お前はそんなことを考えていたのか』『兄貴こそ』というようなことになった。そこは兄弟のこと、大笑いの結果、意思統一が図られ、方針書として明文化し、社員に示された。

社員は喜んだ。いままでは、四人の役員がそれぞれの考え方で指導しており、社員とすれば、誰のいうことをきけばいいのか困っていたからである。それが、今度は統一された方針として示されたからである。

H社のお手伝いをした際、経営計画ができ上った時にH社長は『経営計画によって我社の将来を考え、決めたことは本当によかった。ところが思わぬ副産物がありました。

それは、トップ間のコミュニケーションがこれほどできていなかったとは、いままで全く気がつきませんでした。今度という今度は、それをいやというほど思い知らされました。

※トップ間のコミュニケーションがこれほどできていなかったと経営計画で気づくことができる。

常務とは毎日のように顔を合わせていながら、二人の考え方に相違点がずいぶんありました。営業担当常務が、あんなことを考えているとは、全く知りませんでした。それぞれ違った考え方をもった役員が、社員にあれこれ要求していたわけです。

これで会社がうまくいくはずがありませんね。今は役員間の意思伝達がよくできるようになり、社員も仕事がやりよい、といってくれますよ』と。

以上の実例の物語るものは、意思伝達というものは、お互いに口で言っただけでは正しく伝えることはできない、ということである。

経営計画では、明文化するために、用語の定義づけと、文章としての一貫した意味をもたせなければならないから、この段階で、いままでハッキリしなかったことが、 ハッキリしてくるために、意思伝達がうまくいくのである。

いったん明文化されれば、誰が読んでも、基本的な理解には大きな差がなくなるのである。

ところで、経営計画は、誰かが原案をつくって、これを役員会にかける、ということをしたくなるけれども、これは厳禁しなければならない。

何故これがいけないかというと、これには必ず立案者の考え方が強く織り込まれているからである。

誰でも人間である以上、必ず偏見をもっているといっていい。その偏見だけでなく、立案者の得意な分野は強く、不得意な分野は弱くなるにきまっているからである。

※誰でも人間である以上、必ず偏見を持っているといっていい。その偏見だけでなく、立案者の得意な分野は強く、不得意な分野は弱くなるに決まっているからである。

そのような原案を、いきなり役員会にかけてみても、突っこんだ検討などできるはずがないからだ。形式的な、技術的な、些細な点に関する質問があるくらいで、承認されてしまう危険が必ずあるのだ。

だから私は、原案をつくった人が実質的な社長だ、ときめつける。常務がやれば常務が社長であり、企画室長が立てれば企画室長が社長だ、というのだ。

何と権威のない社長だろうか。そして本当の社長は自らの責任を放棄してしまっている。こんな経営計画など、誰が真剣に取組むものか。社長自身が経営計画を軽視しているのではどうにもならないのである。

※なんと権威のない社長だろうか。そして本当の社長は自らの責任を放棄してしまっている。こんな経営計画など、誰が真剣に取り組むものか。社長自身が経営計画を軽視しているのではどうにもならない。

だから、まとまった原案は一切つくらず、バラバラのデータをそのまま会議の席上に出すのである。そのデータを会議の席上で分析し、見解をぶつけ合うのである。

その検討は、決して数字だけの検討であってはならない。いくら数字だけ分析したり、組立ててみても、それは数字の遊戯になってしまい、形だけあって中身のないものになるからである。

※その検討は、決して数字だけの検討であってはならない。いくら数字だけ分析したり、組みててみても、それは数字の遊戯になってしまい、形だけあって中身のないものになるからである。

世に経営計画と称する書類を数多く見てきたけれど、その大部分はこのようなものである。形だけのものなので、そんな物は誰かに立てさせておけばいい、ということになって、社員に原案をつくらせる、ということになるのかもしれない。経営計画とは、そんないい加減なものではない。

※世に経営計画と称する書類を和多く見てきたけれど、その大部分はこのようなものである。形だけのものなので、そんなものは誰かにさせておけばいいとということなって社員に原案をつくらせるということになるかもしれない。経営

社長の責任において、我社の将来をどうするか、ということを、自らの経営理念にもとづき、自らもつ我社の未来像実現のための計画である。社長がこれに心魂を注ぎつくすものなのである。

※社長の責任において、我が社の将来をどうするかは、ということを自らの経営理念にもとづき、自らもつ我が社の未来像実現のための計画である。社長がこれに心魂を注ぎ尽くすものなのである。

我社の事業をどうするかを、まず現在の事業構造の検討(「経営戦略篇」に詳述してある)から始め、明確な方向をうち出すのである。その方向にそって、それを実現するための重要な活動に関する目標を設定してゆくのである。

※我が社の事業をどうするかを、まず現在の事業構造の検討からはじめ、明確な方向を打ち出すのである。その方向にそって、それを実現するための重要な活動に関する目標を設定してゆくのである。

これは生やさしいことではない。目標を達成するためには、沢山の制約や障害を一つ一つ取除き、あるいは乗りこえてゆくための、具体策をきめていかなければならないのである。

※これは生やさしいことではない。目標を達成するためには、沢山の制約や障害を一つ一つ取り除き、あるいは乗り越えてゆくための、具体策を決めていかなければならないのである。

そこには、文字通りの「あちら立てればこちらが立たず」の矛盾と不可能にぶつかる。その矛盾と不可能をつぶさなければならないのである。

※そこには、文字通りの「あちらたてればこちらが立たず」の矛盾と不可能にぶつかる。その矛盾と不可能を潰さなければならないのである。

この突破回は、社長が社内にいていくら考えても分るものではない。それを見つけ出すには、社長が外に出て、市場の状況をよく見、顧客の要求を聞き出すことによってのみ可能であることを忘れてはならない。

※この突破口は、社長が社内にいていくら考えてもわかるものではない。それを見つけ出すには、社長が外に出て、市場の状況をよく見、顧客の要求を聞き出すことによってのみ可能であることを忘れてはならない。

だから経営計画は、「ホテルに一週間泊りこみで仕上げる」というような安直なものではない。

※だから経営計画は、「ホテルに1週間泊まり込みで仕上げる」というような安直なものではない。

外部から内部、市場と顧客の観察と思考という繰り返しである。したがって経営計画をたてる期間はニカ月や三カ月は少なくともかかる。

※外部から内部、市場と顧客の観察と思考という繰り返しである。従って経営計画を立てる期間は2ヶ月や3ヶ月は少なくともかかる。

ただ優れた社長は、常時外部に出て、常時考えているだけに、いったん経営計画にかかると一瀉千里につくりあげてしまうということはある。

※ただ優れた社長は、常時外部に出て、常時考えているだけに、一旦経営計画にかかると一瀉千里に作り上げてしまうということはある。

経営計画樹立の段階で、不眠症にかかる社長は決して少なくない。そのような社長に、私は、『やっと、社長らしくなりましたね』と申しあげることにしている。

※経営計画樹立の段階で、不眠症にかかる社長は決して少なくない。そうなってようやく、やっと社長らしくなりましたねと言われる。

社長の不眠症は何も経営計画立案中だけではない。少なくとも一カ月に一回や二回は、たいていの社長が眠れないのではあるけれども……。

※社長の不眠症は何も経営計画立案中だけではない。少なくとも1ヶ月に1回や2回は、たいていの社長が眠れないのではあるけれども。

経営計画は全くの「難行苦行」である。しかし、これはどうしても通らなければならない関門なのである。この関門を通り抜けてこそ、我社の未来像の実現に近づくことができるのである。

※経営計画は、全くの難行苦行である。しかしこれはどうしても通らなければならない関門なのである。この関門を通り抜けてこそ、我が社の未来像に近づくことができる。

だから我社の未来を決めてしまう経営計画に、時間を節約するというほど、間違った時間の使用法はないのである

※我が社の未来を決めてしまう経営計画に、時間を節約するというほど、間違った時間の使用法はないのである。

経営計画に時間をかけることこそ、時間の最も有効な使用法である。というのは、計画に費やした時間の数千倍、数万倍の時間が、それ以後に節約できるからである。

※経営計画に時間をかけることこそ、時間の最も有効な使用法である。というのは、計画に費やした時間の数千倍、数万倍の時間が、その後に節約できるからである。

その意味は、「利益が増大する」ということである。仮に一年で利益が三倍になれば、一年間節約したことになるからである。

※その意味は「利益が増大する」ということである。仮に1年で利益が3倍になれば、一年間節約したことになるからである。

私のお手伝いした会社で、低収益会社などは、利益が二十倍、三十倍した会社はいくらでもある。

※お手伝いした会社で、低収益会社などは、利益が20倍、30倍した会社はいくらでもある。

そのくせ、私がお手伝いしたのは、せいぜい五十時間か百時間くらいのものである。この間に社長が経営計画のための外部活動を含めても、全部で三カ月か五カ月である。その成果は、社長がこれに費やした努力によってきまるのである。

※社長が経営計画のための外部活動を含めても、全部で3ヶ月か5ヶ月である。その成果は、社長がこれに費やした努力によってきまるのである。

外部情勢に対処する道を、社長自ら見つけだし、これを我社の経営計画に具体化するためには、重要な数字(何が重要かは次章で述べる)を、一つ一つ自ら分析し、考察してまとめあげなければならない。自らソロバンをはじき、電卓をたたき、自ら鉛筆をもって数字を組立ててゆくのだ。

※外部情勢に対処する道を、社長自ら見つけ出し、これを我が社の経営計画に具体化するためには、重要な数字を1つ1つ自ら分析して考察してまとめ上げなければならない。自らそろばんをはじき、電卓をたたき、自ら鉛筆を持って組みてていくのである。

まだある。

方針書の作成である。私はこの方針書は必ず社長が自ら筆をとって書くことを要求する。経営計画の核ともいうべき方針書を、社長が書かないという法はないのである。

※方針書を作成する。私はこの方針書は必ず社長が自ら筆をとって書くことを要求する。経営計画の核ともいうべき方針書を社長が書かないという法はないのである。

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