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第 5章 時代遅れの法律と社会規範

目次

男は自分の子供が本当に自分の子供かわからない

無味乾燥な法律の条文に、なんらかの文学的な喜びを見出すことは難しいのだが、次の一文には筆者は深い感銘を覚えた。

妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する。(民法第 772条 1項)

この条文を書くときに、「推定」という言葉を選んだ法律家には、人間の男女の絆とその脆さを活き活きと描き出す類まれな文才があったのではないだろうか。

男には、自分の子供が本当に自分の子供だと確かめる術はなかったのである。少なくとも、 DNA親子鑑定などの検査技術が普及する、最近までは。

以前、元光 GENJIで俳優の大沢樹生さんが、女優の喜多嶋舞さんとの離婚に伴い、引き取り育てていた 16歳の長男が、 DNA親子鑑定の結果、自分の子供ではないことが判明した(週刊女性 2014年1月 7・ 14日合併号)。

その後の経緯や事実関係などに関しては、すでに多くの報道がなされているが、この問題では現代の結婚や子の扶養に関する法律の不備に注目するべきだろう。

というのも、こうした結婚や子の扶養に関する法律は、 DNA親子鑑定などがまったく普及しておらず、本当に親子かどうかは、状況証拠などにより間接的に立証するしか方法が無かった時代に作られているからだ。

ところで、生物学的には、父親が自分の子供だと思っていたら、じつは自分の子供ではなかった、というのはよくあることだということを述べておきたい。言うまでもなく、妻が浮気をするためだ。

生物学的な見地から人間を観察している研究者の間では、すでによく知られていることであるが、人間の女は本来よく浮気をするものであり、生まれてくる子供の何割かは、正式なパートナーの子供ではなかった。

しかし、現代社会では避妊技術が普及し、また、中絶手術も、その是非には議論があるものの、現実として広く行われているため、こうした浮気によって子供が生まれてくることは、以前よりもずっと少なくなった。

それでも、種々の研究によると、欧米先進国では、 3 ~ 4%程度、こうした子供が生まれてくる(*)。日本も似たような割合であろう。

(*) Mark A Bellis, et al., Measuring paternal discrepancy and its public health consequences, J Epidemiol Community Health, Vol. 59( 2005).

妻の浮気でできた子供であっても夫は養育費を支払う

大きな問題は、現在の法律がこうした DNA親子鑑定などの技術の普及にまったく追いついていない、ということだ。

たとえば、婚姻中の夫婦の間に出生した子は嫡出子と推定されるが、自分の子供ではないと夫が主張する場合には、まずは嫡出否認の訴えを起こさなければならない。そして、これは、父が子の出生を知ったときから 1年以内に限られる。

この 1年を超えてしまうと、この訴えはもはや起こすことができずに、今度は親子関係不存在確認調停というのを起こし、長々と裁判所に通わないといけなくなる。

その間はもちろん扶養義務が発生する。そして、妻は DNA親子鑑定を拒否することもできる。夫が勝手にやった DNA親子鑑定は不正行為なので、厳密に言うと裁判では証拠とは認められない。

もちろん、民事では、不正な証拠であっても裁判官の心証に大きく影響することになるだろうが。

いずれにせよ、こうした親子かどうかの問題は調停で議論する問題ではなく、 1回検査すれば済む話ではないか、と元々は科学分野の研究者であった筆者には思えるのだが、司法はそのようには動いていない。

さらに、 DNA親子鑑定の結果、生物学的な親子関係がないと認められても、なお、法律上の父親には扶養義務があるとされた判例もある。

最近では、最高裁で、( DNA親子鑑定の結果)「自然的血縁関係がない」ので、浮気によってできた子供であることが認定されたが、それでも女性が別れた元夫に対して養育費の支払いを請求していた事件で、支払い義務があるという高裁での判決が覆され、話題になった。

最高裁平成 23年3月 18日第二小法廷判決では、生物学的な親子関係がない子供に対しても、いままでも十分に多額の養育費を支払ってきた、さらに離婚による財産分与で多額の金銭(約 1270万円相当)を支払うことで子供の福祉には十分な配慮がなされているので、離婚後の養育費の支払い義務まではないとされた(判例タイムズ 1347号)。

現在では、 DNA親子鑑定によって、科学的に親子関係があるのかどうかを証明することは簡単なのだが、それと法律はまったく別物なのである。

妻が浮気をしてできた子供であり、それが DNA親子鑑定で証明されようと、そのことを裁判で立証することはそれほど容易ではなく、また、仮に立証できたところで、それがすぐに養育費の支払い義務がない、ということにもならないのである。

それは、こうして生まれてきた子供には何の罪もなく、子供には親に扶養してもらう権利があるからだ。

実際に、ドイツの女性法相であった、ブリギッテ・ツィプリース氏が、夫が妻の同意を得ずに DNA親子鑑定を行うことを禁じ、違反した場合には 1年以下の禁固刑に処す方針を表明し、法改正を実施しようとしたところ、ドイツ国内で大きな議論が巻き起こったことがある。

ドイツ有力週刊誌「シュピーゲル」の調査では、ドイツ国民の 60%が法相案に反対し、国会でも野党だけでなく、与党からも反対の声が上がった。

マインツ大学のワルター・ディーツ教授(神学)は「実子か否かを知る権利を夫から奪うことは、妻に『安心して浮気をせよ』と言うようなもの」と、反対の理由を率直に代弁した(読売新聞 2005年1月 14日付)。

現代の科学技術の発展により、以前には決して知ることができなかった、あるいは知る必要もなかったようなことまで、人は知ることになった。

DNA親子鑑定はそうした技術のひとつだが、女性や子供の権利を守ることも重要であり、何が人間にとって正しいのか、簡単には答えは出ないのかもしれない。

いまどき婚前交渉しない人はいない

民法第 772条 2項の条文は、さらに味わい深いものがある。

婚姻の成立の日から二百日を経過した後又は婚姻の解消若しくは取消しの日から三百日以内に生まれた子は、婚姻中に懐胎したものと推定する。なぜ 200日なのか。それは、日本の民法は、夫婦は婚姻届を提出して、結婚してからはじめてセックスをするという、まったくもって常軌を逸した前提で作られているからである。

そして、結婚している間しかセックスせず、もちろん、浮気などはありえないことで、他の男とセックスするのは離婚してからしかありえない、という前提により、離婚後 300日以内に生まれた子も、前の夫の子であるとするのだ。

いまや、結婚前にセックスをしないカップルなど 1組もいない。また、不倫は非常にカジュアルになり、そこら中で行われている。

なぜ、このような非現実的な前提に、国の法律が拠って立っているのかというと、単に 100年以上前の明治民法下にできた制度をそのまま使っているからだ。

本来は、子の福祉のため、父を迅速に決定することを目的とした規定のはずだ。

しかし、この 300日の規定により、明らかに次の夫の子供であるのにもかかわらず、法的に前夫の子供となってしまうために、かえって子の出生届出が遅れたり、戸籍が作成されないままとなるなど、子の福祉を害する場合を多く生じさせているのだ。

離婚する場合、成立するまで別居状態にあるなど、婚姻関係が事実上破綻していることがほとんどだろう。

そのため、前夫が実父であるケースは少なく、別の男性や再婚する新しい夫が父であることが多いのは誰が考えても明らかだろう。

しかし、その場合でも、戸籍上は前夫の子供になってしまうため、裁判などが必要となる。

この 300日問題は、依然として解決していないのだ。

すでに述べたように、 DNA親子鑑定で実子ではないと判明しても、そのことを裁判で認めてもらうのは大変である。逆に、シングルマザーが、養育費を払わない父親に対して、親子関係を認めさせ、強制認知させるのも大変である。

法律が、 DNA親子鑑定という科学技術が存在する以前に作られているからである。

こうした親子関係に関する法律は、 DNA親子鑑定という、極めて精度が高く、安価な科学技術を前提に書き換えるべきではないのか。

婚姻届に判を押すのは借金の連帯保証人になるより怖い

第 1章で解説したように、結婚というのは、特殊な金融商品の譲渡契約に他ならない。

そして、この金融商品に組み込まれている婚姻費用というもののために、夫婦関係が完全に破綻した男女を、終わりのない法廷闘争へと駆り立てるのである。

婚姻費用の権利者は、別居して、音信不通になり、新たな生活をはじめていたとしても、婚姻費用を搾り取るために結婚契約を解消しないという、おかしなインセンティブを持つことになる。

本来、結婚とは愛する男女が、その印として交わすものである。

複雑な金融商品の譲渡契約ではないはずだ。

しかも、この重大な譲渡契約を多くの男は、そうとは知らずに結んでしまうのだ。

借金の連帯保証人になってはいけない、と学校の先生は教えてくれたかもしれないが、婚姻届にハンコを押すことにより、それよりもはるかに重大な金銭支払いの義務が生じることは教えてくれない。

連帯保証人になっても、借金は返せばおしまいだが、婚姻費用は妻が離婚してくれるまで延々と払い続けなければいけない。婚姻届にハンコを押すのは、借金の連帯保証人になるよりはるかに怖いのだ。

その点、少なくともセックスと金が明示的に交換される売春行為のほうが、まだ、良心を垣間見ることができるのではないか。

結婚制度のおかしなところを挙げれば切りがないのだが、根本的におかしなところは「内助の功」という理屈だろう。これが財産分与などの全ての法的根拠である。つまり、結婚しているというだけで、専業主婦にも夫の稼ぎの半分の権利があるというのだ。

ビジネスマンにとって妻の内助の功なんてない

ここで独身のビジネスマンを思い浮かべてみよう。朝早く出社して、ミーティングに出る。さまざまな分析や意思決定をする。膨大な事務処理をこなす。顧客に電話しなければいけない。自社の新しい製品に関して勉強もしないといけない。

夜になったと思ったら、これからまた接待の酒席に参加しなければいけないのだ。そこでは顧客はもちろんだが、上司にも気を遣わないといけない。

この彼が、ある女性と知り合い、とうとう婚姻届にハンコを押したとしよう。

そうすると、結婚生活からエネルギーをもらい、急に仕事を 2倍の効率でできるようになるのだろうか。あるいは、結婚生活で癒されることにより、休まなくてもよくなり、 2倍長く働けるようにでもなるのだろうか。むしろ逆ではないか。接待をして帰りが遅くなれば浮気を疑われて、ネチネチと怒られる。家でゴロゴロして休みたい週末も、家族サービスだなんだと、また働かされる。奥さんがいることにより、仕事はむしろやりにくくなるのがふつうではないか。

しかし、現代の結婚制度では、婚姻届にハンコを押した瞬間から、この内助の功という根拠に基づく、財産分与と婚姻費用によって、自分の稼ぎの半分が奥さんのものになるのだ。

そんなことが、すっと腹に落ちるビジネスマンがこの世に存在するのだろうか。

内助の功などというのは、おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行った時代の概念なのだ。

洗濯や掃除、料理などに膨大な時間がかかった時代に作られた法律は、現代社会の実情にまったく合っていない。洗濯はボタンを押すだけだし、クリーニングもある。掃除は家事代行業者にやってもらえば、 1回数千円だ。料理など、日本では安価で美味しいレストランがそこら中にあるではないか。現代では、内助の功など存在しないのだ。

これは男ばかりではなく、キャリアウーマンにも、非常に都合が悪い法律だ。

なぜならば、男女平等が絶対的な正義である近代の法律において、専業主婦にこうした財産分与や、婚姻費用の権利があるのならば、同じく自分より稼ぎがいい女と結婚した男にも、まったく同じ権利が認められなければいけないからだ。

こうしたキャリアウーマンが自分より稼ぎが悪い男と結婚した場合、仕事をして家事や育児をして、なおも夫に金を払い続ける義務が生じる。夫が家庭裁判所に「妻が金をくれない」と言いつければ、コンピの支払い命令が下るだろう。

かくして、結婚制度の概要を知っているキャリアウーマンは、自分より稼ぎが少ない男と結婚なんてできないと当然のように考える。

本来は、愛する者同士が結ばれればいいはずなのに、結婚制度のために相手の稼ぎが少なければ好きな男とも別れなければいけないのだ。

政治の仕事をすればいい欧州と性道徳まで問われる日本

フランスでは特に珍しいことでもないようだが、 2014年の1月、フランスのオランド大統領(当時 59歳)と女優ジュリー・ガイエさん(当時 41歳)の間で不倫疑惑が持ち上がった。

1月 10日に発売されたフランスの週刊誌クローザーは 7ページにわたって、オランド大統領とジュリーさんが「お泊り密会」を繰り返していた疑惑を写真付きで報じていた。

しかし、不倫発覚後に約 600人の報道陣が詰めかけたエリゼ宮の会見でも、オランド大統領は冒頭からまったくこの問題に触れずに、記者からの質問を「私的な問題には私的に対処する。それに関して議論する場ではないし、その時でもない」と完全にはねつけた。

そして、不倫発覚後のフランス国民の世論調査では「不倫問題を気にしない」との回答が 77%を上回ったという( AFP 2014年1月 13日付「大統領の『不倫』に仏国民は興味なし?」)。

フランスではミッテラン、シラク、サルコジと歴代の大統領がそれぞれ華やかな女性関係を持っており、国民もそのことをまったく問題にしなかった。

ミッテラン大統領が記者に愛人のことを突っ込まれたときに「それが何か?」と答えたことは有名であり、隠し子がすっぱ抜かれたときも「隠してないから隠し子じゃない」と言って何の問題にもならなかった。

欧州大陸では政治やビジネスの世界では、私生活の問題は、仕事をしっかりとやっている限り、まったく問題にならないという価値観が一般的である。

米国に関しては、キリスト教の一夫一妻的な価値観がやや強く、クリントン元大統領が在職期間中にホワイトハウスで実習生だったモニカ・ルインスキーさんと性行為をしていたことが発覚し、大きなバッシングに発展した。

しかし、それでもクリントン氏は辞職するようなことにはならなかった。

日本では、宇野宗佑元総理などは元芸者との愛人契約が発覚し、マスコミで大騒動になり、なんと総理大臣を辞任してしまった。

そもそも仕事と関係のないことで、法律を犯したわけでもないのに、その仕事を辞するというのはなんとも理解し難いことであるが、それ以前の問題として、フランスの大統領は人気女優などと堂々と恋愛をしているのに、日本の総理大臣は元芸者に金を払って関係を持ってもらうという、一国のリーダーとしてはなんともモテない感じがして、一日本国民としてはとても残念であった。

こと要職に就く男性の女性問題に関しては、欧州ははるかに日本よりも寛容であり、米国も仕事とプライベートの切り分けに関しては、日本よりははっきりしていると思える。

しかし、日本も徐々に変わってきているのかもしれない。

第 4章でも述べたが、都知事だった猪瀬直樹氏が徳洲会グループからの資金提供問題で辞職し、急遽行なわれることになった 2014年の東京都知事選では、多くの婚外子がいる舛添要一元厚生労働相が当選した。

その後、舛添氏は政治資金を公私混同していたことで辞任に追い込まれてしまったが、日本の社会も徐々に変わってきていると思った選挙であった。

世界の中で異常に低い日本の婚外子比率

日本と世界の婚外子比率がどの程度違うものか見てみよう。

じつは、日本は世界の先進国の中で、圧倒的に婚外子が少ない国なのである。フランスやオーストラリア、ノルウェー、スウェーデンなどの北欧諸国では婚外子比率が 5割を超えており、もはや法的な夫婦の間で子供を作るほうが少数派になっている。

アメリカも 4割を超えており、さらに増える傾向にある。他の欧州の国でも婚外子が増える傾向が加速している。Eurostatの統計によると、アイスランドの婚外子の割合は 66・ 9%で 7割に迫る勢いだ。

一方で、日本の婚外子の割合は 2%程度で圧倒的に少ない。

世界的な婚外子の増加は、結婚と離婚の法律に関して新たなテーマを投げかけているし、子供の養育に関する社会福祉制度においても重要な観点である。

さらに、婚外子を増やし、シングルマザーでも国の補助などで子育てを容易にするような政策を実施して、少子化対策に成功している先進国もある。

日本では、まずは結婚してから子供を作ることが正しいとされており、その価値観は依然として強固だ。

そして、ある程度の所得のある男性にとっては、結婚というのはこれまでに解説してきたとおり、重い負担が伴う契約なのである。

そして女性は、その「ある程度の所得のある」男性としか結婚したがらないのだから、少子化が加速するのは自明なのだ。

日本の結婚制度が今後どのように変わっていくのか興味深い。

所得が上がると女性は結婚しない

女性にとっては、自分より所得の低い男性と結婚することは経済合理的ではない。

筆者は何も、愛より金、などとつまらないことを言おうとしているのではない。

実際に、女性は自分より貧乏な男性のことを好きになったならば、思う存分恋愛をすればいいし、子供を作ることも大いにけっこうだと思っている。

ただ、その場合は、結婚という金融取引をしないほうが得だと言っているだけだ。なぜなら、結婚してしまえば、自分より貧乏な夫まで扶養する義務が生じてくるからだ。法律は男女平等である。

結婚すると、稼いでいる夫が妻に金銭を支払う義務があるならば、同様に、稼いでいる妻は夫に金銭を支払う義務が生じるのだ。

だとするならば、貧乏な男を好きになったら、結婚しないでつきあい続けるほうが得だという単純な話だ。その逆もまた真なり、である。

自分より所得の高い相手と結婚することは、金融取引の観点から言って、大いに得する。

実際のところ、多くの女性は、結婚制度の法律の詳細を知らなくても、自分より稼いでいる男性と結婚しようと思っている。

いわゆる、年収 ○ ○万円以上、というやつである。そして、金融取引の観点から言えば、これはじつに正しい。

さて、すでに述べた通り、日本は諸外国と比べて婚外子が極端に少ない国である。

日本の法律がとりわけ婚外子に厳しいわけでもないので、これは多分に文化的なものであると思われる。とにかく、日本人は結婚しないと子供を産んではいけない、と思い込んでいるのである。

ここにもうひとつ面白いデータがある。

総務省は、家計の実態を調査し、全国及び地域別の世帯の所得分布、消費の水準及び構造等に関する基礎資料を得ることを目的として、 5年おきに全国消費実態調査を行っている。

2009年度の「若年勤労単身世帯の男女別 1か月平均実収入及び消費支出の推移」を見てみると、実収入のうち、男性の可処分所得が 21万 5515円なのに対し、女性は 21万 8156円となっており、調査開始以降はじめて男女の可処分所得が逆転した。

現在、日本の産業はサービス業が主流になっており、販売店員などは、コミュニケーションが得意な女性のほうが好まれる。

こうした中で、ついに 20代の可処分所得は男女逆転してしまっているのだ。

女性は自分よりも所得が高い男性と結婚したいのだし、これまで解説してきたとおりに、それは極めて正しい考えである。一方で、結婚適齢期の男女の可処分所得の水準は、ついに逆転してしまうところまで来たのだ。

つまり、当たり前だが、女性は自分より所得が高い男性を見つけるのがどんどん困難になっている。

少し古いデータになるが、平成 17年の独立行政法人「労働政策研究・研修機構」が分析した「若者就業支援の現状と課題」と題する研究論文によれば、やはり所得が高くなるほど男性の婚姻率は急激に高まっている。

年収が 1500万円以上の場合、 25 ~ 29歳の男性の 74%がすでに結婚しており、 30歳 ~ 34歳の場合はなんと 90%がすでに結婚している。しかし、年収が 500万円より下になっていくと、男性の婚姻率は一気に下がっていく。つまり、金持ちの男性はすぐに売れていき、そうした金持ちの男性と結婚できなかった女性は、未婚を選んでいるのだ。

そして、日本では、前述のように、主に文化的な制約から、結婚してからでないと子供を産んではいけないのだから、結果的に少子化になるのは当たり前なのである。

また、教育社会学者の舞田敏彦氏が総務省が発表している就業構造基本調査から推定した職業別の生涯未婚率によると、医師の場合は、男性の生涯未婚率はわずか 2・ 8%であるにもかかわらず、女性のそれは 35・ 9%にも跳ね上がっている(ニューズウィーク 2015年9月 1日付「生涯未婚率は職業によってこんなに違う」)。

高所得の男性医師は、簡単に結婚できるが、女性の場合は、自分より稼いでいる男性が一気に減るため、結婚するのが困難になっている様子が読み取れる。

少子化の原因は結婚という金融商品の欠陥

筆者は長年にわたり、金融機関で多くの複雑な金融商品の開発に取り組んできた。そうした金融工学の観点から言うと、現在の日本の少子化問題は、結婚という金融商品の欠陥が大きく関係していると思われる。

金融商品の開発というのは、様々な投資家にちょうどいいリスクとリターンのバランスを考える、ということである。

たとえば、ある投資家はハイリスク・ハイリターンの株式投資を選好しているが、別の投資家は国債のようなリスクが低い投資をしたい。

そして、その中間がちょうどいい場合もあるし、この期間はリスクが取れないけど、それより後ならリスクを取れるというような場合もある。

そこで、金融工学を使って、様々な金融商品を組み合わせて、顧客に合ったリスク対リターンのプロファイルをデザインするのである。

現代の日本の結婚制度というのは、金持ちの男性と結婚できたほんの一握りの女性だけが限りある利益を独り占めする構造になっている。

いったん結婚したら、その既得権益は法律で守られるからだ。そして、そうした男性と結婚できなかった女性は、未婚を貫き、生涯子供を産まない、という選択に追い込まれる。これこそが少子化問題の本質だと筆者は考えている。

つまり金融商品に例えるならば、女性には、金持ち男性と結婚して子供を作る、という非常にめぐまれた選択と、誰とも結婚せずに生涯子供を産まない、という選択のふたつしかなく、その中間の選択肢がほとんどないのが現状なのである。

ここは金融商品の開発のように、その中間のバラエティを増やすべきではないだろうか。そのひとつは言うまでなく、舛添要一氏のケースのように、愛人として子供を産む、という選択肢であろう。

日本も昭和初期まで妾という立場は世間にありふれた存在だった。これは当然、正妻の既得権益を毀損することになるが、結果として、多くの女性が恩恵を受けるのではないか。

また、中所得者同士の結婚では、籍を入れずに子供を作り、同棲するというような、欧米先進国できわめて一般的に見られる家族の形がもっと増えてもいいだろう。

シングルマザー、シングルファーザーでも仕事を続けられるように、保育所の整備をしたり、国からの補助金を増やしてもいいかもしれない。

いまの日本の結婚制度や社会規範が、最近の社会の変化についていけていないのは明白である。

我々は、こうした前時代的な法規制の改正を求めなければならないところまで来ているのではないだろうか。そして、社会規範も変えていかなければならない。

筆者は、結婚制度は、子の福祉ということを最大の目的にして書き換えるべきだと考えている。DNA親子鑑定による迅速な親子の認定、あるいは否認、そして、実の子に対する養育義務の徹底などが必要だろう。

その反面、単に結婚しているというだけで、所得の高いほうが、立派な大人を婚姻費用で養い続けなければいけないなどという、おかしな考え方は改めるべきだ。

たとえば 10年も、婚姻費用を取り続けるために離婚裁判を長引かせるようなことは、現代社会では認められるべきではないのだ。

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