一夫一妻制は自然な形なのか
人間というのは言うまでもなく動物の一種である。そうであるならば、人間社会を縛ろうとしている結婚制度という法規制を考える前に、動物としてのヒトの配偶システムはどういったものであったのかを考えるのは有益だろう。
そもそもヒトという動物は一夫一妻制が自然な形なのだろうか。多くの哺乳類の動物は、一夫多妻的な社会を形成している。
シカのオスは角を突き合わせて他のオスと闘争する。こうした戦いに勝ったオスは何頭ものメスのハーレムを所有する。
ゾウアザラシのオスは、平均すると体重がメスの約 7倍もあり、オス同士が海のなかで牙をむき出し血みどろの戦いを演じる。
勝ったゾウアザラシのオスは何十頭ものメスのハーレムを得ることになる。そして、そのハーレムを狙う他のオスに殺されるまで戦い続ける。
昆虫のクワガタムシでさえ、樹のいい蜜が出る陣地を巡って他のオスと大きなハサミで戦う。こうしていい蜜を手に入れたオスがメスと交尾する。ヒトに近いゴリラやチンパンジーはどうだろうか。ゴリラはゾウアザラシに近い婚姻形態である。
つまり、体の大きい強いオスがケンカに勝ち、ハーレムを手に入れるのだ。
よって、ゾウアザラシと同じように、オスの体は戦いで少しでも有利になるように、メスの体よりもはるかに大きく進化した。
一方で、チンパンジーは乱婚的な社会を形成している。
群れの中で地位の高いアルファオスが発情期のメスと優先的に交尾するが、他のオスも次々とメスと交尾できる。
よって、チンパンジーは、メスの膣内で複数のオスの精液が混じり合い、どの精子がひとつの卵子にたどり着くかの精子戦争が起きる(『精子戦争──性行動の謎を解く』ロビン・ベイカー、河出書房新社)。
こうしてチンパンジーの精巣は体の大きさに比して非常に大きく進化した。
一方で、ゴリラの精巣は非常に小さいままだ。
ゴリラは他のオスとの決闘で勝てば精子戦争をしなくてもいいので、体は大きく進化したが精巣を増強する必要はなかったのだ。
たとえば、長谷川寿一氏、長谷川眞理子氏の『進化と人間行動』(東京大学出版会)を読むと、霊長類はオスとメスの体の大きさの比、オスの体重に対する精巣の重さの比で、現代の人間のような一夫一妻制の種、ゴリラのような一夫多妻のハーレムを作る種、チンパンジーのような乱婚型の種にある程度は分類できるそうだ。
つまり一夫多妻が強くなればなるほど、オスは他のオスとの戦いに勝つ必要があるので体が大きくなり、乱婚的になればなるほどメスの膣内での精子戦争に勝つ必要があり精巣が大きくなるのだ。
こうした観点から見ると、霊長類の中でのヒトのオスは、メスに対する体の大きさは一夫多妻のゴリラほどではないが、一夫一妻の他のサルと比べると、やや一夫多妻寄りに近く、また、乱婚型のチンパンジーほどではないが、精子戦争が多少は存在したことを示唆するほど精巣は大きいという。
つまり、一夫一妻を強制することを目的としている結婚制度を離れて考えると、ヒトは本来ゆるやかな一夫多妻の配偶システムであり、妻の浮気などのチャンネルを通して精子戦争が起こっている、と考えるのが自然だろう。
次は、文化人類学的な観点から配偶システムを考えてみよう。
現代の先進国は全て一夫一妻の配偶システムを採用しているが、これは必ずしも普遍的なものではない。
1967年に、文化人類学者の G・ P・マードックが、世界中の 849のさまざまな文化の社会における婚姻制度を調査した。この調査結果によると、全体の 83%に当たる 708の社会が一夫多妻制であった。
一夫一妻制の社会は 137で全体の 16%を占めており、一妻多夫の社会はわずか4つであった。
再び他の動物を見ると、オスが子育てに関わるかどうかも配偶システムに大きく関係してくる。鳥類や魚類にはハクチョウやトゲウオなど、オスが積極的に子育てをする種が多くいる。
こうした種では一夫多妻の配偶システムはほとんどない。
オスが子育てを積極的にしなければいけない種では、一夫多妻を実現するようなリソースがオスにはないからである。
ちなみに、仲の良い夫婦を「おしどり夫婦」などと呼ぶが、オシドリの研究では、たしかに一夫一妻だが、それは子育ての 1サイクル毎の話であり、毎年パートナーを変えるし、ときに自分のパートナーを出し抜いて浮気することがわかっている。
しかし、イスラム圏など、現代にも残る一夫多妻の配偶システムを採用している社会では、父親は子に多大な投資を行っている。
むしろ、ヒトの研究では、一夫多妻の社会のほうが、父親が多くの投資を行っているのである。
これは子育てに関わろうとしない他の一夫多妻の動物の行動とは一見矛盾しているように思えるが、それを可能にしたものが何であるかは明らかだ。富の蓄積である。
狩猟採集生活をしていたヒトは、誰かが大きな富を蓄積することはほとんど不可能であった。しかし、農業や牧畜の発明以後、人間社会では富の蓄積と分配に大きな不平等が生じるようになり、一部のオスが極端に富めることになった。
こうしたオスは金で多数の他人を雇えるようになり、一夫多妻でかつ子に投資する、ということが可能になったのである。
現実の恋愛市場は一夫多妻制
生物学的な時間スケールで見てみると、いま我々が当たり前に思っている、民主主義も法治も、食料や便利な科学技術に溢れた社会も、数百万年もある人類の歴史のなかでは、ごく最近現れた非常に特異なものでしかない。
しかし、ヒトの本能は、長らく続いたサバンナの狩猟採集時代に進化を通して作られたままである。
我々のような現代社会の人間も旧石器時代の人間も心の動きに関してはほとんど変わらず、旧石器時代の子供を現代社会に連れてくれば、おそらく、ふつうの子供として成長し、現代人と同じように成人していくはずなのである。
現代社会で一夫一妻が絶対的な善のように考えられ、そうした法制度が作られたのは、やはり、世界中で先住民を虐殺して、世界の覇権を握ったキリスト教徒たちの価値観が大きいのかもしれない。
日本をはじめ、世界の非キリスト教の先進国も、西洋で作られた法律を輸入し、法治国家を運営しているので、必然的にキリスト教の一夫一妻制が善となったのだろう。
さて、ヒト本来の本能と、それに基づく配偶システムがどのようなものかを考えるのに、何も他の霊長類を研究したり、世界中の社会を調査したり、宗教や戦争の歴史を勉強する必要はない。
法規制で縛られない自由な男女の恋愛市場がどうなっているのかを観察すればよいだけだ。そして、それは明らかに一夫多妻的な様相を呈している、と筆者には見える。
つまり、一部の男性が、多くの女性を独占しているのである。最近の調査研究によると、じつに 20代の 4割もの男性が女性と全くセックスしたことがない。
日本最大のコンドームメーカーの相模ゴム工業が 2013年1月に約 2万 9000人にアンケートを取り約 1万 4000人から回答を得た調査では、 20代男性の 41%が純粋な童貞であるという。
素人童貞(ソープランドなどの性産業従事者に金銭を払ってセックスをしたことはあるが、自由な恋愛で女性とセックスをしたことがない男性)ということではなく、 20代全体の平均値として、じつに 4割の男性が全く誰ともセックスというものをしたことがないというのだ。
日本家族計画協会が 2014年1月に発表した、約 10万人に依頼し約 5000人が回答した調査結果によると、やはりこちらも 20代男性の 42%が「異性と性交渉を持った経験がない」と答えた。
なお、双方とも、 20代女性で性交渉の経験なしは 20%強という結果が出ている。
男性には、金を払えばセックスをさせてもらえるサービスが多数用意されているが、女性には用意されていないし、おそらく需要もないだろう。
それにもかかわらず、性欲が強く、恋愛市場で最も活発であるはずの 20代の 6割弱しかセックスをしたことがない。
そして、おそらくは素人童貞はその中でかなり多いのであり、ふつうに自由な恋愛を通して恋人とセックスできている男性は少ないのである。
20代男性の素人童貞とまったくセックスをしたことがないピュア童貞の割合は、筆者の知る限りでは信頼できる調査結果はないが、筆者の実感に基づく当て推量では 7割程度だと思われる。
つまり、自由な恋愛市場では 3割程度の男性しかセックスできていないように思われる。一方で、女性の 8割近くは、当然だが自由な恋愛をしているのだ。
ここで考えられることは、一部の男性に多くの女性が集まっており、おそらく半数以上の男性には全くセックスさせてくれる女性がいない、ということなのだ。
現代社会でも、自由な恋愛市場は緩やかな一夫多妻制なのである。
結婚制度で誰が得をしているのか
それでは、一夫一妻の配偶システムを強制しようとしている現代の結婚制度で、いったい誰が得をして、誰が損をしているのか。
そして、おそらくはヒト本来の配偶システムである、ゆるやかな一夫多妻制に移行すると、誰が損をして、誰が得をするのかを考えていくことにする。
結婚市場の数学的な特徴は、男女の強制的な 1対 1の写象である。つまり、自由な恋愛市場では、ひとりの男性が複数の女性と同時につきあうことができた。あるいは取っ替え引っ替えして、重なってはいないが実質的に複数の女性とつきあうことができた。
しかし、結婚市場では、ひとりの男性はひとりの女性としか結婚できないのだ。
仮に男 100人、女 100人の村があったとして、男性の魅力を経済力などから 1位から 100位、女性の魅力をルックスなどから 1位から 100位に順番が付けられるとしよう。
筆者は、ここで何も男は経済力、女はルックスなどというつまらない主張をしているわけではない。
男は誠実さ、女は貞淑さが魅力の指標となるとしてもいい。とにかく、仮に順番が付けられる、として話を進めよう。
法規制の存在しない自由な恋愛市場では、ここで男の 1位 ~ 10位ぐらいが上の 3割ぐらいの女を独占し、男の 11位 ~ 30位ぐらいが女のその下の 3 ~ 4割ぐらいとつきあい、男の下の 7割が誰ともつきあえない、ということだ。
しかし、法規制で強制的な 1対 1の写象が行われる結婚市場では、 1位の男性は 1位の女性と、 2位の男性は 2位の女性と、……、 50位の男性は 50位の女性と結婚する傾向があろう。
つまり、結婚市場では、上位の男性による女性の独占が起こらないので、下位の男性にも広く女性が分配されることになる。要するに結婚制度とは、男性の下から 6 ~ 7割程度のための法制度なのである。
民主主義というのはひとり 1票である。
自由な恋愛市場(緩やかな一夫多妻制)では苦戦する男性が多数なので、民主主義を採用している先進国、つまり全ての先進国では一夫一妻制を強制する結婚制度が支持されるのもなんら不思議ではない。
また、本来ならもっと取り分があったはずの上位の男性にしろ、少なくとも上位の女性を 1人は手に入れることができるために、そこまで不満はないだろう。
こうして為政者たちは、民衆の不満を最小化し、暴動のリスクを減らすために、一夫一妻制こそ道徳的に正しい、ということにしたのではないだろうか。しかし、現代の世界の先進国では、婚外子の増加など、一夫一妻制が徐々に崩れつつある。じつは、そこには女性の政治参加の影響があるのだ。
女性が社会進出すると婚外子が増える
すでに述べたように、生物学的な考察や実際の結婚前の男女の自由恋愛に関する調査などから、人間の配偶システムは、法規制が何もない状態で自由になれば、緩やかな一夫多妻制になるだろうと思われる。
しかし、日本をはじめ、現代の先進国では、様々な文化的制約、法規制等で一夫一妻制を善とする社会規範ができている。そして、その理由のひとつは、政治的な安定性を確保するためだと思われる。
結婚制度はなるべくたくさんの男性に女性を分配するためだという、この仮説が正しいとしたら、一夫一妻制、そしてそれを強制しようとする先進国の結婚制度は、女性を守るため、というよりはむしろ、多数派の男性(民主主義では一番政治力がある)の救済策であることがわかる。
つまり、女性の多数派にとってはじつは不利益な制度なのだ。
だとしたら、女性の社会進出が進み、政治の場で女性の力が増すほど結婚制度は形骸化し、婚外子が増えるはずである。
それでは、この仮説を少なくとも部分的に確かめてみよう。
第 5章で示したように、世界の先進国の婚外子比率は総じて 50%前後に達している。
つまり、これらの国ではふたりにひとりの子供が、法律上の婚姻関係ではないカップルから生まれてくるのである。
法律上は、全ての先進国が一夫一妻しか認めない結婚制度を採用しているが、多くの国で、すでにそうした結婚制度を使わないカップルが多数派になっているのだ。
それでは、女性の社会進出の度合い、女性の政治力と、婚外子率の関係を調べてみよう。
女性の社会進出の度合いを調べるために、世界経済フォーラムが公表している「 The Global Gender Gap Report 2016」を参考にする。
婚外子比率が 6割を突破している北欧のアイスランドは、女性の社会進出、そして、その結果としての男女平等はどの程度進んでおり、世界の中でどう位置付けられているのだろうか。
前述のレポートによれば、案の定、男女格差指数( Gender Gap Index)で、アイスランドは世界第 1位であり、婚外子比率が同率で最低の日本と韓国は、それぞれ 144カ国中で 111位と 116位となっている。
この世界男女格差指数の 2位はフィンランド、 3位はノルウェー、 4位はスウェーデンと続く。
つまり、これらの男女平等が極めて進んだ国では、婚外子が非常に多く、逆に、日本や韓国のように、女性の社会進出が遅れており、男女格差が大きい社会では、婚外子が非常に少ないのだ。
ここまでで、結婚制度は男性の多数派のためのものであり、むしろ女性の多数派には不利益になっており、女性の政治力が強まれば強まるほど、結婚制度は形骸化する、という筆者の仮説はある程度は正しいように思われる。
婚外子比率は過去から現在まで増え続けており、これは女性の社会進出と同じトレンドであるからだ。残念ながら、日本や韓国は先進国の中では、女性差別が未だに残り、男女格差が依然として存在していると言われている。そして、その結果として、婚外子の割合が非常に少ないのかもしれない。
日本が欧米先進国並みに政治やビジネスの分野で男女平等になれば、その結果として、結婚制度は形骸化し、婚外子比率が増えると筆者は予測しているのだが、はたしてどうなるだろうか。
動物の子殺しから考える父系制社会の影
現代のすべての先進国で、家族は父親を中心に作られている。もちろん、例外はいくらでもあるが、これだけ男女平等が謳われていても、母親は結婚すると父親の苗字を名乗るのがふつうである。
男が女の「家」に入る、いわゆるマスオさんというのは、どこの先進国でもマイノリティーだ。社会の主流派は、女が男の家に入り、男の親族が子育ての中心となっている父系制社会なのだ。
しかし、これは考えてみると、とても不思議だ。
じつは、現代の社会では、本来は母親とその親族を中心に家族を形成する、母系制社会のほうが合理的に思えるのだ。
動物行動を進化生物学の視点から研究し、それを人間の行動に当てはめて人気になった竹内久美子氏の近著『本当は怖い動物の子育て』(新潮新書)では、人間を含めた哺乳類の「子殺し」をテーマとしている。
少々重苦しい本であるが、人間社会にも多くの示唆を与えてくれる。
動物行動学者の間では「子殺し」は重要な研究分野である。そこでは遺伝子の論理がむき出しになるからだ。
進化生物学や動物行動学の研究で重要な分野のひとつは、ダーウィンの『種の起源』が示唆していたような、「種」がそれぞれの環境に適応するために進化してきたという牧歌的な生物観を、遺伝子単位の自然淘汰の理屈で書き換えることだ。
種全体が繁栄するような淘汰圧は、ごく限られた状況でしかありえず、基本的には、自然淘汰は、個体、さらに抽象的に言えば遺伝子単位で行われるのだ。
動物の世界で行われる子殺しは、個体の遺伝子の拡散と、種全体にとっての利益が鋭く対立しているため、こうした遺伝子単位で見る進化論の正しさを証明する格好の材料となったのだ。
動物の子殺しが発見されたのは、それほど昔ではない。
1962年、日本人の杉山幸丸博士が、ハヌマンラングールというハーレムを形成するサルで、恐るべき子殺しの実態を発見したのだ。
それは、私がドンタロウと名付けたオスの率いる、 9頭の大人メス(内 5頭は子持ち)、 6頭の若オス( 1 ~ 4歳)、 3頭の若メス、 5頭の赤ん坊からなるグループでした。
1962年5月 31日午後 2時、ドンカラ群と名付けたこのグループをいつものように歩いて見に行くと、ドンタロウが足から血を流しながら木の上で疲れ切った様子で威嚇の声をあげていたのです。
その下では、 7頭の離れオスのグループがメスたちに近づこうとしており、数頭のメスはすでに侵入者の側につき、なかにはプレゼンティング(発情したメスがオスに交尾を誘いかける行為)をしている者さえいました。
それから数日間、オスたちの闘いが続き、結局 7頭の侵入者のうちの 1頭(エルノスケ)が勝利を収め、ドンタロウは追い出されたのです。
若オスも父親と一緒に出ていき、他の離れオスも追い払われました。エルノスケを核とする典型的な単雄群になってしまったのです。7日目のことです。
赤ん坊が 1匹いなくなり、腹のあたりがざっくりと切れている赤ん坊もいました。そして、 2カ月ほどの間に 5頭の赤ん坊がすべて消え、赤ん坊を失った母親はみな発情して 6カ月後に子供を産んだのです。
初めは頭の中が混乱しました。
しかし、オスが赤ん坊を抱いたメスを攻撃し、赤ん坊が全滅し、やがてメスが発情してオスと交尾し、子供を産むという一連の流れを見ているうちに、これは因果関係があると思わざるを得なくなったのです。
何か大変なことを観察しつつある。次はどうなるんだろう。
単雄群の社会維持の秘密が今明らかになりつつあるのだと、必死で観察を続けました。
『サルの森にて』杉山幸丸(京都大学名誉教授、東海学園大学教授)より抜粋 杉山博士の発見は、その後の生物学を塗り替えていく画期的なものだったのだが、当初はまったく注目されなかった。
ハヌマンラングールの子殺しは、行動の突飛さや残虐さから、多くの生物学者に信じられていた「生物は種の利益のために振る舞う」という考え方に反していたため、単なる異常行動として片付けられてしまい、学会からは相手にされなかった。
しかし、その後、 1975年にアフリカのライオンにおいても、ハーレムを乗っ取ったオスがやはり普遍的に子殺しをすることが見つかった。
また、ハヌマンラングールの子殺しも、他の研究グループから広く認められるようになる。さらに、他のサル類やイルカなどでも、同様の子殺しの行動が観察されたのだ。
こうした子殺しは、個体が自分の遺伝子を拡散させようとしているという観点に立てば、極めて合理的なのだ。
自分の血がつながっていない子を殺し、メスを発情させ、自分の子を産ませるのである。
進化論が遺伝子という単位を使って書き換えられていくなか、杉山博士の一連の子殺しの研究は、世界的な高い評価を得ることになった。
竹内氏の本は、このようなわかりやすいオスによる血のつながっていない子に対する子殺しだけでなく、確実に血がつながっているメスによる子殺しも、条件次第ではよく起こることを、多くの研究とともに紹介している。
そして、こうした「遺伝子の論理」から、最近の児童虐待や殺人事件を読み解いている。先進国では、当然だが、子殺しは殺人罪になる。
しかし、文明化されていない世界の少数民族の中には、いまだに子殺しが行われているところがある。
マーティン・デイリーとマーゴ・ウィルソンは世界の 60の文明化されていない社会を研究し、子殺しが起こる論点を3つに分類した(『人が人を殺すとき──進化でその謎をとく』新思索社)。
論点 1 子が男にとって、本当に自分の子かどうか 論点 2 生まれてきた子の質はどうか 論点 3 現在の環境は、子育てにとって適切か 1はすでに説明したサルやライオンと同じだ。
2については、母親が積極的に関わる。子を育てるのには、大きなコストがかかるために、育っても繁殖に成功しなさそうな個体を間引いてしまうのである。
3も同様に母親が、父親や親族からのサポートを得られないと判断すると、今回の子はあきらめて、次の子に賭けようと子殺しをするのである。
どれも、遺伝子の論理から説明できてしまう。
我々、先進国の住民は、社会福祉や法律が整備され、動物や文明化されていない少数民族に見られるような、こうした野蛮な子殺しからは無縁なのだろうか。
確かに、児童虐待のニュースはよく聞くし、ときに子供が親に殺されてしまうようなニュースもある。
しかし、逆に言えば、そうした事件が起これば、全国に報じられる大ニュースになることからわかるように、先進国では、殺人にまで発展する事件の数自体は、非常に稀だといえる(交通事故や自殺などのような珍しくない事件はニュース価値がないので報道されない)。
ところが、別の見方をすると、先進国の人間のメスは、他の動物やアマゾンに住む先住民では考えられない頻度で子殺しを行っているとも言える。
中絶手術だ。
あとで詳しく述べるが、日本での中絶件数は年 20万件程度であり、生まれてくるはずの子供の 6人にひとりは子殺しに遭っているということになる。
先進国では、合法化されたクリーンな子殺しが、じつに大々的に行われている。
そして、こうした人間社会の悲しみの大部分は、父系制社会に由来していることがわかるのだ。
父親を中心とした家族が形成されるために、子供が本当に自分の子供であるかどうかが重要になる。
その結果として、女性にはさまざまな貞操義務が押し付けられ、また社会の規範として家族の形まで決められる。
こうした女性の自由の制限は、自分の子供が本当に自分の子供であることに確信が持てないオスが家族を率いなければいけない父系制社会の宿命なのだ。
そして、そうした父系制社会の規範に沿わない子供は、合法的な子殺しである中絶手術によって、大量に殺されている。
理論的には母系制社会のほうが幸福
母親とその親族が中心に子育てを行う母系制社会では、自分の子供は確実に自分の子供である。そして、家族は母親とその近親者を中心に形成される。夫はふらふらしていて、ときに子育てに協力したり、ときに他の女を追いかけたりしている。
こうした母系制社会では、子殺しの論点 1はもちろんのこと、近親者のサポートにより論点 3も予め取り除かれているのだ。母系制社会は、じつに平和なのだ。こうした安定した家族の中では、男は外でふらふらしながら音楽を作ったりしている。
現代でも、いくつかの地域では母系制社会が残っている。中国の少数民族のモソ人はそのひとつだ。
文化人類学者の金龍哲教授の『東方女人国の教育──モソ人の母系社会における伝統文化の行方』(大学教育出版)によると、モソ人の社会では、男性は金や権力より、ルックスや才能で選ばれるそうだ。
子育てが、母親とその親族で行われるから、父親は子育ての能力よりも、遺伝的な資質で選ばれるのだろう。このような性淘汰が行われるので、モソ人はみなびっくりするような美形揃いだという。そして、男性は芸術に精を出している。
モソ人の社会では、遺伝子の論理による、子供の虐待などということは決して起こらないし、女性におかしな社会規範が押し付けられることもないのだ。このように素晴らしい母系制社会が、なぜ現代では少数派になってしまったのだろうか。
理由は、もちろん戦争である。戦争で武器を持って戦うのは男だ。父系制社会では、集団の中の男は、リーダーである父親の血縁者で固められている。
父親と子供やその兄弟たちは血を分けた存在であり、命を懸けて自分たちの集団のために戦うのだ。相手の集団の男たちを皆殺しにしたら、新しい女が手に入る。
それは遺伝子の論理からも正しいことで、戦うモチベーションが非常に高い。
一方で、母系制社会では、武器を持って戦う男は、その辺をふらふらしているヒモ亭主だ。男にとっては、集団の他の男との血縁関係も明らかではない。
子供は、自分の子供かもしれないし、そうでないかもしれない。こうした母系制社会の男が、命を懸けて、集団のために戦うことはない。
父系制社会の集団と母系制社会の集団で戦争をしたら、どちらが勝つのかは火を見るより明らかだ。
こうした部族同士の殺し合いが絶えなかった人類の歴史では、どう考えても母系制社会は滅ぼされるか、父系制社会にシフトする必要に迫られるのだ。
だから、現代でも母系制社会が残っているのは、山岳地帯や熱帯雨林の中など、主流派の人類に見つからなかった辺境の地の少数民族ばかりになっているのだ。
しかし、現代社会では、もはやそのような部族同士の殺し合いは行われない。
先進国で戦争がなくなったわけではないし、軍隊がなくても平和が維持できるわけでもないが、現代の殺し合いは、血縁関係でつながった屈強な男たちが槍や石を手に持って戦った昔に比べると、ずいぶんと様変わりした。
もはや、戦争の担い手は槍を持った屈強な男ではなく、虫一匹殺せなかったゲームオタクの少年が、軍に就職して、異動でたまたまドローンの操縦の仕事が回ってきて、 PCのモニタに映し出されたテロリストを殺戮するというものに変わった。
戦争の主体の規模は、数十人だった血縁者を中心とした集団から、数千万 ~億単位の人口を抱える国家に変わったのだから、もはや血縁による結束は、何の役にも立たない。
食料が無尽蔵にあり、安全が保障された先進国の環境では、理論的には、母系制社会こそが人々を幸せにすることになる。
子供を産む =結婚という文化的制約
総務省の統計によれば、平成 25年の出生数は約 103万人である。一方で、厚生労働省の統計によれば、平成 25年度の人工妊娠中絶件数は約 18万 6000件である。
生まれてくるはずだった子供の概ね 15%が人工妊娠中絶により、合法的に殺されてしまうことになる。もっとも、コンドームやピルなどの避妊が普及したため、あるいは若者の草食化傾向で、この数自体は改善している。
たとえば、平成元年では、出生数 124万 7000人に対し、人工妊娠中絶件数は 46万 7000件だった。じつに産まれてくるはずだった子供の約 27%が人工妊娠中絶されていたのである。
中絶というのは道徳的には素晴らしいことでもなく、どちらかというと後ろ暗いことである。よって、世間では中絶したことをおおっぴらに話す人はいない。
しかし、統計を見る限り、中絶というものは日本人にとってものすごく身近なことであり、多くの人が経験しているということになる。ただ、世間体などのために、隠されているだけだ。
しかし、有名人というのは大変なもので、多くの人がやっているがプライバシーで守られているものでも、週刊誌の記者などに見つかり、人目にさらされてしまうことになる。
大成功したソーシャルゲーム会社の T社長が、東京都内に住む 20代の一般女性から、「やむなく中絶させられた」と 3000万円の慰謝料を請求されていると報じられたことがあった(さくらフィナンシャルニュース 2014年3月 27日付)。
記事によると、友人の誕生日パーティーで会ったこの女性と T社長は交際をはじめ、自分が借りたマンションに住まわせていた。
しかし、女性の妊娠が発覚すると、 T社長は急に冷たくなって、中絶することを求めた。そして、女性は中絶したという。
こうした話自体は、極めてありふれたものであり、いまも日本で行われている年間 20万件の人工妊娠中絶手術のかなりの部分が似たような経緯であると思われる。しかし、他と違うのは、 T社長は有名人であり、大変な富豪だったということだ。
こんなケースは、当事者が一般人であればニュース価値は全くないので、表に出ることは当然だがあり得なかった。
また、ある意味で、女性は中絶に同意して結果的に自らの意思で中絶したのであって、裁判で慰謝料が認められる確率はとても低いのではないか、とも思われる。
しかし、これほどの富豪が相手なら和解に持ち込めば、かなりの金額を取れるのではないか、という算段が女性側の弁護士にはあったのだろう。
有名人であることも、金持ちであることも大変なのである。有名な金持ちはもっと大変だ。
ところで、この女性の意思決定の経緯を考えると、やはり多くの日本人が、「子供を産む =結婚」であり、それ以外のことは許されないというか、考えもしないという「世間的な常識」が浮き彫りになる。
また、 T社長のほうも、やはり結婚したくはない女との間に子供を作る、ということに大変な抵抗があったのだと察せられる。
2010年に米フォーブス誌が報じたところによると、 T社長は総資産が 16億ドル、 35歳以下ではアジア唯一のビリオネアであった。
Facebookの創業者マーク・ザッカーバーグに次いで世界で 2番目に若いビリオネアと紹介されたこともある。2011年は総資産を 22億ドルと推定され、日本で 13位のビリオネア。2012年は総資産 43億ドルと推定され日本で 5位のビリオネアである。
この数年は、ソーシャルゲーム会社の株価が低迷しているため、多くの資産を自社株で保有している T社長の資産も減っていると思われるが、それでも 1000億円ぐらいは軽く持っているだろう。
これだけの世界的な実業家が相手なら、子供を産めば、養育費だけで億単位、さらに将来の潜在的な遺産相続を考えると、数百億円以上の経済価値はあったはずである。むろん、子供を産むのは金のためではなかろう。
しかし、このような裁判を起こしていることから考えて、この女性はかなり金銭的なメリットも重視する人だと見受けられる。
だとしたら、父親の反対があっても、ひとりで産んでしまったほうが、はるかに経済的なメリットは大きかったのである。
しかし、 T社長は結婚しない、それどころか認知もしない、と言ってきたので、思考停止状態になり、日本の固定観念にしたがって人工妊娠中絶手術をする決断をしたのではないだろうか。
仮に経済的な面だけを考えるならば、この女性は、大富豪の仲間入りをする千載一遇の好機を、自らの手でつぶしたことになる。
ポーカーでいえば、チップの山が積み上がったときに、自分の手にフルハウスが揃ったにもかかわらず、そのまま手札を放り投げて降りてしまうようなものだった。
一方で、 T社長の方も、やはり「子供を作る =結婚」という固定観念に縛られているように思える。
彼女と自分の子供を、裕福な母子家庭としてめんどうを見るためにかかる費用は、せいぜい 2 ~ 3億円程度だと思う。
彼ぐらいの富豪にとっては、はした金である。
ベンチャー企業の成功者なら、日本人でも、アラブの王様みたいに何人も奥さんがいて子供がいてもいいではないか、と筆者などは思ってしまう。
そのほうが夢があっていいのではないだろうか。
結婚以外の男女交際と家庭の作り方
日本の少子化の大きな原因は、文化的な背景を含めた日本の結婚制度の欠陥にあると思う。
女性側から見たら、経済的に豊かな男性と結婚し子供を産み家庭を作る、という全てが手に入る可能性がある一方で、それ以外に家庭を作る方法があまりないのである。
よって、一部の恵まれた女性だけが金も子供も手に入れる一方で、多くの残された女性たちが生涯にわたり未婚、子無しの人生を送ることを余儀なくされている。
日本の結婚制度にまつわる法律が他の先進国と比べてとりわけ特殊だというわけでもないので、婚外子が極端に少ないという日本の状況は、法的なものというよりは文化的なものが原因だと思われる。
そこで、日本の現在の法律の下で、結婚以外にどのような男女交際、家庭の作り方があり、その法的な権利義務関係がどうなっているのかを整理してみよう。
次の 4パターンに分けることができる。
子供がいるかどうか、いっしょに住んでいるかどうか、が基準だ。
(1)子なし、別居
この場合は、双方に全く法的な義務も権利も生じない。
当然だが浮気を含む「不貞行為」も自由だし、同時に何人とつきあおうと、こうした自由恋愛では法的には全く問題ない。
交際を解消したい場合は、片方が交際を続けたくないと言えば、それで完結する。
極めて自由な男女交際の形である。
しかし、片方、あるいは双方が法的な婚姻関係にあり、不倫、あるいはダブル不倫という形になると、男女の交際の自由度に関しては全く同じなのだが、相手の配偶者
から損害賠償請求される可能性が出てくる。
こうした慰謝料は、日本では上限が決まっているので、ある程度の高所得の男女にとっては、不倫の法的なリスクは限定的だ。
例外的に、女性タレントのベッキーさんのように、清楚なイメージで商売をしているタレントには大きなリスクではある。
(2)子あり、別居
この場合は、主として子供を育てる親に対して、子供を引き取っていないほうの親が養育費を払う義務が生じる。
つまり、養育費を払わない父親、あるいは母親がいれば、裁判所に訴えれば、給料や預金などの差し押さえが可能になる。
この家族の形は、あまり経済的に恵まれていないシングルマザーが思い浮かぶこともあり、世間からはよく思われていないのかもしれない。
フランスや北欧諸国のように、十分な養育費を相手からもらえない場合にも政府が子育てを援助する、というような福祉政策を日本でもっと手厚くするということも必要かもしれない。
しかし、仮に経済的にきびしいシングルマザー家庭であっても、負の側面ばかりに注目するのは、おかしな話ではないだろうか。
確かに、「経済的に豊かな夫を得て幸せな家庭を築く」というある種の理想的な状況と比べれば、このパターンの負の側面は際立つかもしれない。
それでは、「生涯未婚、子無しで独身女性としてひとり孤独に死んでいく」というケースと比べて、このパターンは果たして本当に不幸なのであろうか。
女性にこのふたつの選択肢があった場合に、どちらが幸せか、ということに関しては、意見が分かれるだろう。
現実の世の中では、女の人が生理的に恋愛対象として受け入れることができ、さらに経済的にも自分より稼いでいる男性の数は限られている。
そうした男性と結婚して子供を産むということができるならそれでいいが、残った女の人は他にどういう選択肢があるのか、という話なのだ。
仮に相手の男性と結婚できないとしても、女性の意思で子供を産みたいときに産む選択もできる社会が、豊かな社会ではないだろうか。
また、日本でも昭和初期頃まではふつうにいた妾は、こうした家庭のあり方のひとつの例である。
経済的に成功した男性の愛人となり、ひっそりと家庭を作る女性は現代でもそれなりの人数がいる。
こちらの場合は、シングルマザーとはいえ、経済的には恵まれており、相手の男性との関係も良好な場合が多い。
不倫したこうした女性は、相手の男性の法律上の妻から慰謝料を請求される可能性があるが、それと養育費は全くの別問題である。
養育費は子供の権利なのだから、どのような形で子供が生まれようとも、この権利が消失することはない。
もちろん、シングルファーザーというのがもっと一般的になってもいい。
おじいちゃん、おばあちゃんが子供を育てるのに協力すれば、父親はある意味では、やかましい妻がいるよりよほど働きやすい。
また、子供は片方の親と住んでいるが、父親と母親がふつうに交際している、という形態はそれほど悪くないのではないだろうか。
この場合は、子育てを主にがんばっているほうに、そうでないほうが生活費などを相応に負担していれば良いバランスである。
(3)子なし、同居
同居か別居か、というのはじつは法的には違いが生じる。
それはなぜか? 役所に婚姻届を提出した法的な婚姻関係になくても、実質的な婚姻関係であった、つまり、いわゆる内縁関係にあったかどうかを判断する上で、同居というのは重要な要素だからだ。
もちろん、同居だったからといって、日本の裁判所がただちに内縁関係を認めてくれるわけではない。
本当に実質的な結婚生活だったかどうかは総合的に判断されるわけであるが、基本的に裁判官の一存で決まる。
しかし、同居しているかどうかは最も重要な判断のポイントのひとつとなる。
なぜ内縁関係かどうかが重要なのかというと、内縁関係が認められると、ほぼ結婚と同じような権利が認められるからだ。
財産分与や、相手の不貞行為に対する慰謝料の請求などだ。
一方で、法的な婚姻関係と違い、相手が死亡した場合には遺産の権利は発生しない。
また、同居が解消された場合、その経緯によっては慰謝料や手切れ金が発生する可能性はあるが、自動的に内縁関係も解消されるので、これまでに何度も解説してきたコンピ地獄の心配もはるかに少ない(もらう方から言えば、破綻後の婚姻費用の利益ははるかに少なくなる)。
(4)子あり、同居
このような交際だと、それはほぼ結婚しているのと同じである。
ただし、遺産や別居後の婚姻費用の取り扱いで、法的な婚姻状態と多少の差異が出る。
現在の欧米先進国では、じつはこれが家族の形のスタンダードになっている。
北欧諸国やフランスなどはすでに婚外子が 5割を超えており、その他の欧米先進国でも多くの国が 5割近い。
しかし、日本ではこれが全くスタンダードになっていない。
日本でこの形になっているカップルは、離婚してくれない妻と別居し、法律上の妻に婚姻費用を払い続けながら、愛人と一緒に住んで新たな家庭を作っているようなケースだろう。
このように、男女交際の仕方、家庭の作り方にはいろいろなやり方がある。
こうした個人の問題に関しては、男女の双方が合意するならば、基本的にはなんでもありだ。
法律は、男女の利害が対立し話し合いで解決できなかった場合に、はじめて国家権力が介入するためにある。
多くの日本人は、家庭を作るには結婚するしかない、という固定観念を捨てて、結婚というのはそうするためのひとつの便利なツールである、ということを認識する必要があるのではないだろうか。
多様な家族の形が認められる豊かな社会へ
先進国の法律は、できるだけ個人の自由と機会の平等を保障するようにできている。
この流れは不可逆的で、人種や国籍、年齢、性別などによる差別は、各国の法律で禁止され、また、文化的にも許容しない方向に進んでいる。
この章で紹介した「 The Global Gender Gap Report 2016」によれば、日本の男女格差指数は、調査された 144カ国中で 111位となっており、男女差別の是正に関しては遅れている。
しかし、日本も男女差別は無くしていく方向であることは間違いない。世界では今後も必然的に女性の社会進出が進んでいくのだ。
その結果として、男女差別の是正で遅れている日本でさえ、 20代ではすでに女性の可処分所得が男性のそれを上回ったというデータも出てきている。
こうして、女性が経済的に男性に頼る必要が少なくなれば、女性が生活のために結婚したり、離婚を踏み止まる理由も少なくなる。
男女の経済的な平等が進めば、離婚が増えたり、結婚せずに子供を産む女性が増えるのも必然である。これは、女性の選択肢が増えるという点で、必ずしも悪いことではなく、むしろ社会が豊かになったことの表れだ。
個人の自由と平等が絶対的な正義であれば、恋愛というのは、個人の自由意志で決めるべき一番のものであるはずだ。男女は自由に相手を選び、双方が合意した場合にのみ、恋愛関係が成立するのだ。
その結果、面白いことに、男女の恋愛というのは、生物学的な野性の本能に近づいていくようだ。
人間という種は、おそらくは、ゆるやかな一夫多妻制なのである。この自由な恋愛市場では、多くの男性があぶれるのであり、それは不可避なことなので、社会は受け入れるしかない。
昔の農村の見合い結婚のように、あぶれた男に嫁をあてがうような仕組みは、明らかに女性の人権を侵害している。世界の先進国では、結婚制度が形骸化し、婚外子がふつうのことになっている。
日本もこのグローバルなトレンドに乗っていくことになるだろう。
男女がお互いの自由意志で恋愛をするのはいつだって、とても素晴らしいことである。しかし、その結果として生まれてくる子供たちを、社会はどう育てていくべきか、というのは議論する必要があるだろう。
筆者は、日本社会において、結婚制度については規制緩和が重要であり、子供の養育義務に関しては規制強化が重要である、と考えている。
そして、前者に関しては、女性の社会進出によって、勝手に進んでいくものと思われる。
女性が社会で男性と同様に活躍するようになれば、一夫一妻制を強制しようとする結婚制度は形骸化していくのだ。一夫一妻制は女性のためではなく、男性の中間層に有利な配偶システムだからだ。
問題は、後者のほうで、婚外子にせよ、離婚にせよ、子供の利益を最優先にする制度設計が必要である。
厚生労働省が 5年に 1度実施する『全国母子世帯等調査』によると、離婚した母子世帯のうち、養育費を受けている割合は、以前よりは改善したものの 20%程度で推移している。
アメリカでは、裁判所で決められた養育費を支払わなかった場合は、刑務所に収監されてしまう。この点は、日本は改善する必要があるのではないか。もちろん、伝統的な両親と子供ふたりぐらいの家庭も素晴らしい。
筆者は、これまでの伝統的な結婚制度や、その枠組の中での夫婦のあり方について、否定するつもりはまったくない。そうした、これまで理想とされていた枠の中で幸せになれるのなら、それはとても素晴らしいことだ。
しかしながら、そうした枠組みに囚われない、別の夫婦関係、家族のあり方があってもいいと思う。
これからは社会で多様な家族の形を受け入れ、子供の利益を最優先にして、法規制や社会福祉制度を整備していくべきであろう。多様な価値観を受け入れられる社会こそが、豊かな社会といえるのではないだろうか。
あとがき
ちょうど本書を書き終えようとしているとき、アメリカでドナルド・トランプが大統領選挙で勝利した。
銃の所持を含めて、なんでも自由な印象があるアメリカだが、こと恋愛や結婚に関してはキリスト教の影響が強く、意外と保守的だ。
しかし、そのアメリカで、トランプ氏が大統領に選ばれたのはとても興味深い。
選挙期間中には、テレビ番組収録前に隠し撮りされた 11年も前の男同士の猥談が暴露された。トランプ氏はそこで「女は相手が有名人なら簡単に寝るんだ」というようなことを言っていた。トランプ氏は、確かに褒められた発言ではないが男同士がロッカールームでするような話だ、と弁明した。
それをヒラリー陣営は、女性蔑視発言だと痛烈に非難し、実際に支持率は急落した。
同性愛など人々の多様性を常に尊重する欧米のリベラル派は、どういうわけか異性愛の男性の性的奔放さにだけは手厳しい。
トランプ氏は、過去 2回離婚し、 3回結婚している。全員がファッションモデルであった。離婚する度に、奥さんは大幅に若くなった。
最初の奥さんのイヴァナとの間に 3人の子供を作った。2人目の奥さんとは 1人子供を作った。いまやファーストレディである 3人目の奥さんは、自分より 24歳若いメラニアである。やはり子供がいる。
大統領選では、トランプ氏の子供たちがよくメディアに出演し、彼が当選するように応援していた。5人の子供たちは、みな学業で優秀な成績を収め、それぞれが事業でも成功している。
伝統的なキリスト教の結婚観を重んじる共和党から、彼のような人物が大統領として選ばれたのは、とてもリベラル( =自由主義的)だと感心した。
筆者自身は、トランプ大統領の保護主義など経済政策には賛成しておらず、それゆえに彼を支持してもいなかったが、このように家族の形の多様性がアメリカ国民に受け入れられたということは、悪いことではないとも思った。
また、今回の大統領選では、トランプ氏のイスラム教徒や移民に対する差別的な発言が非難の的となった。
筆者も、かつて研究者として外国で暮らしていたこともあり、このような宗教や国籍に対する差別的発言はとても容認できないと思った。人種や宗教など、移民国家のアメリカには複雑な問題がある。
それらは本書のテーマではないので、ここでは論じないが、最後に日本の隠れた差別問題にも光を当てておきたいと思う。
日本は法律上の結婚にこだわるあまり、それ以外の関係に対する差別がいまだに残っているように思う。芸能人や政治家の不倫などが報道されると、世間は激しくバッシングする。隠し子がいることなどが発覚すると、さらに非難する。
しかし、これは暗に、その背後にいる愛人をしている女性や、不倫でできた子は差別していい、と認めているようなものだ。
このような家庭の問題はプライベートなことであり、赤の他人がどうこう言うべき問題ではなく、非難する権利があるのは、当事者の彼の妻だけのはずだ。
自分に迷惑がかからない話なら、人が不倫していようがいまいが、別にどうでもいいではないか。また、非難とは反対に、片親の子供や事実婚などで生まれた子供を「かわいそう」だと言う人もいる。
不倫の末に生まれてきた子供なら、なおさらかわいそうだ。しかし、一言でいえば、それは余計なお世話というものだろう。
奥さんや子供がいるにもかかわらず、若い愛人とも関係を持てるようなお父さんは、経済的にも豊かで、魅力的な男性に違いない。そんな他人の家庭の子供の心配をする前に、まずは自分の心配をしたらいいだろう。
幸いなことに、 2013年に非嫡出子の相続分を嫡出子の 2分の 1とする民法の規定が改正された。
法律上は婚外子への差別は完全に撤廃されたのだ。
歴史を見ると、差別の心は、抑圧、貧困、ときに戦争の原因にもなってきたことがわかる。
活力に溢れた平和な社会は、民族や性別、宗教、社会的地位、その他にかかわらず、すべての人々が同じ権利と尊厳を有するという前提に立って初めて実現できる。
我々は差別を決して許してはいけないのだ。
The dogs bark, but the caravan goes on.(犬が吠えても、キャラバンは進む) 筆者が好きなアラブのことわざである。さまざまな批判があっても、世の中の大きな流れは変わらない。周りの雑音には惑わされず、自分が人生でやるべきことをやらなければいけない、という意味である。
これからさまざまな軋轢があっても、日本でも事実婚などの多様な家族の形が増えていくだろう。世間体など気にせず、自分たちがいいと思うことをやればいいのだ。
本書が、既成概念から離れ、結婚制度を客観的に見つめ直すきっかけになれば幸いである。また、読者の方々が、それぞれの価値観を持ち、それぞれに幸せな家庭を育むことを願っている。
追記 もう、本当に本書を書き終え、ほとんど直しができない段階になって、筆者の知人の女性が、離婚裁判に巻き込まれているということを知った。
彼女は若いころに結婚し子供を作ったが、そのあとに離婚し子供を引き取って育てているシングルマザーであった。彼女は、実家の両親と協力して子育てしながら、離婚後も仕事をがんばり、経済的にはとても成功していた。
そんなキャリアウーマンである彼女は、やさしいひとりの男性に出会い、恋に落ちた。彼は定職には就いておらず、収入は不安定だったが、とても誠実で心優しい男性だった。
また、前の夫との子供もかわいがってくれた。彼女はその男と結婚することにしたのだ。
しかし、結婚してほどなくして、彼の誠実さや優しさは失われていった。詳細は書かないが、彼女は夫のことを愛することができなくなった。
そこで、彼女は離婚する決心をしたのだが、その後の展開がまさに、本書に書いたとおりであった。彼女はコンピ地獄にハメられ、毎月、かなりの金額を別居して家にいない夫に送らないといけなくなった。
そして、彼女の夫は、裁判で、彼女がこの期間に稼ぐことができたのは夫である自分が家事や子供の世話などをしたからだと主張し、また、実際にはほとんどかまっていなかった彼女の子供にも、自分という父親が必要だ、と強く主張している。
そして、どうしても離婚したいなら、数千万円を払うように、暗に脅されている。筆者は、彼女にまだ出版されていない本書の原稿を送ってあげた。本書は女性にこそ読んで欲しい本なのである。
2017年1月藤沢数希
本書は、「ウェブフォーサイト」で連載した『結婚と離婚の経済学』( 2013年9月 ~ 2014年5月)に大幅加筆修正を加えたものである。
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