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第 5章 これまでの帝王学と、これからの帝王学

目次

イヤな出来事は好きなことをして受け流す

何かイヤな出来事が起こったとき、自分もイヤな感情を発してしまうことは、誰にでもありますよね。

でも私は、負の感情は自分のために「もったいない」と考えています。

第 4章でも言いましたが、それは今の私が、負の感情を持ち、イヤな感情を発すると、 1秒後の私も 10秒後の私も、ネガティブな気分で過ごしていることになるから。

そうすると、どんどん幸せから遠ざかっていくので「もったいない」のです。

私は基本的に、イヤな出来事は忘れるか流すことにしていますが、無理やりポジティブになろうとはしません。それは無理が生じてストレスがかかって、心を病むことだってあるかもしれないからです。

そんなシチュエーションでもまた、船井幸雄さんの「鳥の目」の視点が生きてきます。

イヤな出来事に遭遇したら「イヤなこと言われたよね、ムカついたよね」と、他人事のように、自分に語りかけてあげてください。

そして「わかる!」「ムカつくよね!」「本当にいい加減で信用ならないヤツだよね」「でも、そいつとはもう仲よくしなくていいんじゃない? とりあえず旨いもんでも食べよう」と、自分の中で語り合って消化するようにしています。

ネガティブな感情が生まれるのは仕方ないので、そうしたときはいったん自分の中に受け入れる。受け入れた上で、気持ちをスイッチすることが大切です。

私は飲食の仕事をしているせいか〝女子力おっさん〟と言われるほど思考が女性的。

ですから、スイーツや食べ歩き、サウナ、アロマ……などなど、気持ちを切り替えるためのレパートリーが豊富です。

なんならそれらをハシゴして、そもそも何にムカついていたのか、途中から忘れてしまうほど。みなさんも、お気に入りのカフェに行く、焼肉を食べに行く、マッサージに行くなど、好きなことはあるはずでしょう。それらをうまく活用するだけで、イヤなことを受け流せるようになっていきます。

自分の感情を「人生のナビゲーション」にする

素敵な出会い方をして、話が盛り上がった人から、食事のお誘いをいただいてもなぜか気分が乗らなかったり、会社としてかなりの売り上げになるオファーが来たのに、なぜかやる気にならなかったりしたことはないですか? あるいは逆に、大きな利益にならないことはわかっているのに、なぜか心打たれてやってみたくなったことは? 損得や善悪を抜きにして、瞬時にわき上がる感情はさまざまです。

第 3章では「自分の感情は自分で決めよう」と言いましたが、瞬時にわき上がる感情は、自分で決めていないものです。

道を歩いていて、スピードを出したトラックが来たら避けますよね。

これは瞬発力ですが、感情も同じく自分でコントロールできるものと、できないものがあって、瞬時にわき上がる無意識の感情はコントロールできません。

私は脳科学者ではありませんが、無意識の感情は、潜在意識からのアドバイスだと捉えています。

たとえば、おいしい投資話や儲け話を持ちかけられたとき「それはすごい!」と思っているのに、なぜかザワザワするときはやめておいたほうがいいということです。

人生は長いようで短い。

逆の言い方もできますが、せっかく生きているのですから、つねに「この仕事をすべきか」「この仕事は私にしかできないものか」と考えます。

自分にしかできないことに命を注ぎたいので、無意識の感情に従ってワクワクする仕事をしていきたいとも考えています。

ちなみに今、私がワクワクしているのは、環境問題にカテゴライズされる事柄です。飲食店は生ゴミが出るし、そもそも食品ロスもあります。

廃棄物がとにかく多いので、共同でコンポストをやろうと思案しているのです。

コンポストでつくった堆肥を使って、野菜や果物を栽培するという計画なのですが、これ、じつは一銭も儲かりません。

でも、やりたくてワクワクしています。

また、自分の感情がプラスに揺さぶられることの一つとして、保護犬や保護猫のボランティア活動の応援もしています。

もちろん、これは仕事ではありませんし、儲け話とも無縁のことです。でも、やりたくてやっています。

日々、自分の感情に集中して向き合っていると、自分がどんな感情を自然派生的に抱くのか気づくようになります。自然と、心がプラスに動かされるものには惹かれ、逆にザワザワするものを遠ざけようとするのです。

「そんなの当たり前じゃん」と思ったかもしれませんが、感情がザワつくものに手を出してしまい、取り返しのつかない失敗にまで発展した例は少なくありません。

たとえば、今、世間を騒がせている助成金詐欺です。

コロナ禍において、飲食業界には行政からいろんな助成金が支給されましたが、多くの人が「ちょっとごまかせばイケる!」と思ったはずです。

このとき、突き進んでしまった人と、踏みとどまった人がいます。今、前者が逮捕されている一方、後者は感情がストップをかけたことで、平穏無事に過ごせています。

飲食業界はこの 2年間ずっと苦しかったわけですが、行政もいろんな対策を打ってくれました。経営的には苦しい中で支援の手はあるという、いわば「悪魔がささやいた場面」がたくさんあったのです。

雇用調整助成金なんて、捕まっていないだけで、休んだことにして受け取った人はかなり多いと思います。実際、個人レベルで追える話ではありませんから、逮捕されない人のほうが圧倒的に多いでしょう。でも今、そんな人の多くは、どこかザワザワとした感情を抱えたまま仕事をしているかもしれません。

何もこれは、飲食業界に限りませんよね。

たとえば、出張した際に経費をごまかす営業マンはどうでしょうか。

仮にバレる可能性は低くても、どこか後ろめたい思いを抱え、ザワザワしながら仕事している人はたくさんいると思います。一方で、ワクワクしながら、前向きに仕事している営業マンもいるわけです。みなさんなら、どちらの感情を人生のナビゲーションにしたいですか?

私が「これまでのもの」を否定しない理由とは?

ベジタリアンやビーガン、マクロビオティックなど、さまざまな食習慣や健康法が世に出てくると、これまであったものを否定しているのをよく目にします。

たとえば、添加物の保存料やうまみ調味料も、ナチュラル思考の人から見たら悪です。しかし、誕生した背景にあるのは愛の物語です。

交通インフラが今ほど整備されていない時代に、安心・安全な食べ物を、より多くの人に届けるために誕生したのが保存料であり、今ほど味つけが長けていなかった時代に誕生したのがうまみ調味料です。

たしかに体への負荷を考えれば、現在では保存料やうまみ調味料の存在は薄れているかもしれません。

でも、完全に悪な存在にするというのは違うと思いませんか? たとえば、環境問題を考えてコンポストを普及させていくとき、堆肥をつくる大きなステンレスの容器が必要です。

しかし、それは環境に負荷をかけていないのか、という人もいるでしょう。

それぞれの業界によって、立ち位置によって、見える景色が違うのは当然のこと。

保存料やうまみ調味料だって同じことなのです。

ですから、私は新しく何かを始めるとき、これまであったものや習慣を否定しません。

そのほうが世に広まりやすくて、やりたいことがスムーズに進んでいくからです。

「夢のラッパ」を吹け。それだけで夢は半分叶う

おじいちゃん(永田雅一)は、世間では「永田ラッパ」と呼ばれていました。

ラッパと言われるようになった所以は、できるかできないかは別にして、やりたいことがあると、なんでもメディアを通して〝わ ーっ〟と言っていた人だからです。

ラッパは、ほめ言葉であり、イヤミでもあります。

でもおじいちゃんは、永田ラッパというニックネームをつけられたことに喜んでいたし、ラッパが気に入ってもいました。

私は、おじいちゃんがラッパと揶揄されていたのでは、実際は叩かれていたのではと思っていたので、それについて聞いてみたことがあります。

すると「聞いててくれたんだよ、ラッパを」と言うのです。

つまり、ラッパは、吹いた段階で多くのリスナーができる、手伝ってくれたりする協力者ができる、夢が動き出す……ということです。

多くの人の夢が叶わない理由の一つは、最初の行動を起こせていないから。まずは自分の夢は口に出すことです。口に出した瞬間に、誰かが話を聞いてくれたり、協力者が現れたりするので、夢が実現に向けて前進します。

もう半分は叶ったようなものですよね。実際に夢が叶うかどうか、継続できるかどうかは気にせず、まずは「夢のラッパ」を吹くことが実現への第一歩なのです。

夢がない人は「他人の夢」を応援してみよう

世間には「夢を持つことは素晴らしい」さらには「夢を持たなければいけない」という風潮もあります。ただ私からすれば、そんなことはどうでもいいです。

そんなことより、人生はみんなが笑顔で暮らすことがそれぞれの目的であるべきで、ただ生きているだけでもいい。

夢がないからと落ち込む必要もありません。生きることが基本ですから、人生が楽しければいいのです。ただ、夢を持っていると、人生の活力にもなり、幸せのエッセンスにもなり、笑顔の要因にもなります。

夢があるのは素晴らしいことです。そこで提案したいのが、自分には夢がなくて不安だという人は、夢を追っている人を手伝うことです。夢を追っている人たちの肌感が伝わってきます。

大変な作業でも、笑顔で夢に向かってがんばっている姿を間近で見ることは、とてもいい経験になるし、有益でもあります。手助けした人が輝いているのを見ることで、それが活力になり、自分に返ってくるからです。

一方で、応援しているつもりが、相手にとっては迷惑なこともあります。

飲食業界では〝あるある〟なのですが、店を開くと、友だちと称する人が「友だち割引ある?」とやってきます。

第 3章でも少し触れましたが、こういう人は本当に厄介です。

本人からすれば「友だちだから利用してあげている」つもりかもしれません。

しかし、そんな人は友だちではありません。

飲食店の競争が厳しいことくらい、このご時世、わかっているはずです。

友だちだったら、普通はその夢を応援しませんか? 私が、友だちの店に応援に行ったときは、飲食代のおつりは受け取りません。

「それでスタッフ分の栄養ドリンクとか、お菓子でも買ってあげて」と言いますし、がんばってほしいから何度でも通います。

友だちだからこそしっかり払うべきで、それが応援です。友だち割引なんて要求されたら、その人は友だちではありません(もちろん要求してもいけません)。

自分の夢を、本当に応援してくれる人を大切にしましょう。

思っているだけ? 行動に移せる人が生き残る

よく「夢を叶えるには行動が第一だ」と言うと、その行動を起こす前にデータ集めに走る人がいます。

ですが私は、データ集めを重要視していません。コンサルタント業界では「クライアントが望む数値は集められる」と言われているからです。

たとえば、大きな飲食店を出店しようとしているときの調査であれば、当たるとも外れるとも、そのどちらにでも転ばせられるデータがつくれてしまいます。

つまり、データを作成する人の都合に合わせたものができ上がるだけです。

これ以上にムダな時間とコストが、ほかにあるでしょうか? データなんてアテにならないので、だからまず行動しろと言うのです。

私は、プロとして長年の経験があり、さまざまなデータがすでに頭に入っているので、そもそもデータをそこまで信頼しておりません。

そのお店が当たるかどうかは、 5分いただければジャッジできます。

つい先日も、苦戦しているというクライアントの知り合いのお店に連れていかれて、 15分で 25個の指摘をしてきました。

売り上げは教えてもらえませんでしたが、その必要ありませんでした。なぜなら、売り上げも当ててしまったからです。

悩んだり、迷ったりすることを否定はしませんが、分厚いデータや資料ほどアテにならないものはありません。

まずは行動してみることです。行動を起こさない者に、悩みや迷いは解決できませんし、前進もできません。

時間がないわけない。ヒマな時間はつくるもの

「お金持ちの事業家」というと、いかにも普段から忙しくて、分刻みでスケジュールが組まれているように勘違いする人もいますが、私はけっこうヒマです(笑)。

実際、生活するために働かなきゃ、稼がなきゃと言っている人たちは案外、稼げていないと察しています。多くの人が、稼ぐことに義務を感じていたり、何時間働いていくらという感覚を持っていたりします。

でも、そんな考えから抜け出すことだってできるでしょう。

あえて、そこから抜け出さないのは、自分の倫理観や常識から抜け出すのが怖いだけです。

仮に月給が 30万円くらいあったとして、その 30万円がなくなったらヤバいし、不安だけど、なんとかするという人たちが、独立してがんばっている人たちですよね。

近年は、さまざまな肩書で仕事をする人が増えました。

たとえば、ボディワーカー、ウエディングプランナー、マナー講師、ペットシッター、野菜ソムリエのようにポピュラーになってきたものから、パーソナルカラーアナリスト、幸せ笑顔カウンセラー、開運メイクアドバイザーのような肩書まで……。

私は飲食業界のコンサルタントですが、当時そんな肩書の人はいませんでした。

私が 90年代に「飲食業界コンサルタント」と言い出しただけですから。

かつての私のように、聞きなれない肩書でも、今うまくやっている人たちはたくさんいます。

彼らだって、きっかけは同じだったはずです。

やりたいことがあるなら、自分の倫理観や常識から抜け出して、思う存分やればいいだけです。そこで「時間がない」という言い訳は通用しません。

それこそ今の時代、副業 OKな企業が増えています。

会社にイヤな顔されようが定時に帰り、有給も取得して、意識して時間をつくれば、独立せずとも自分のやりたいことだってできるはずです。

私は今、自身の会社を経営し、飲食業界のコンサルタントをやりながら、いくつかの企業の取締役もやって、さらに保護犬・保護猫の応援もしています。

時間は、割と自由につくれるものなのです。

もし今の仕事が楽しくないなら「時間がない」とか「ヒマがない」とか言う前に、自分で時間をつくって、何か楽しいことをやってみてください。

時折「時間がない」という人の話を聞くのですが、そういう人に限って、休日は昼近くまで寝ていたり、ダラダラとスマホやテレビを見たり、必要以上に人目を気にして残業したりと、じつはかなり時間があるというケースがほとんどです。

「本当にこの人は時間がないんだな」という人を見たことがありません。時間がない。この言葉は、ただの言い訳でしかないと心得ましょう。

呼吸に集中しよう。胸のモヤモヤが晴れていく

世界には 100通りを超える瞑想方法があるのをご存じですか? 海外では「マインドフルネス」と呼ばれることもありますが、あのスティーブ・ジョブズだって、禅を組んで瞑想していました。

私のおじいちゃんもまた、禅を組んで瞑想していました。

おじいちゃんのやり方は、鼻からゆっくり息を吸って、吸い切ったら 5秒息を止めて空気を溜める。それから、吸ったときよりも倍の時間をかけて、口から息を吐き出すという方法でした。このベーシックな呼吸を何回か繰り返して、自分を空っぽの状態にします。

そして、次の段階では、息を吸うときは金色のキラキラした空気を吸うイメージをして、吐き出すときは黒ずんだ汚れを含んだ空気を吐き出すイメージをして、その汚れた空気が徐々に真っ白になっていき、汚れがきれいになっていくのを意識するのです。

私は無宗教ですが、この瞑想法にはかなり効果を感じています。

子どものころ、先生に怒られたから、友だちと喧嘩したから、テストだからなどという理由で、学校に行きたくないことがしょっちゅうありました。

そんなときは、いつも胸のあたりにつっかえがあって、モヤモヤしています。

でも、おじいちゃんに言われた通り、寝る前と起きた後に呼吸しながら瞑想すると、びっくりするくらい気持ちが晴れていくのです。

呼吸を繰り返しながら、先生のことやテストのことを考えてしまいがちでしたが、おじいちゃんは「とにかく呼吸に集中しなさい」と言い続けていました。

ラジオ体操にも、ヨガにも、武道にも、深呼吸は取り入れられているくらいですから、やり方や考え方の違いはあれど、呼吸は誰もが重要視してきたということです。

人間は、自分で思っている以上に雑念を抱えているものなので、とくにネガティブな感情に引き込まれがちな人は、朝と晩、呼吸に集中することをおススメします。

朝と晩の「引継ぎ作業」で潜在意識が活性化する

呼吸には肺呼吸と腹式呼吸がありますが、寝ているときの呼吸が腹式呼吸であることから、寝ている状態の呼吸を思い出すために、おじいちゃんは腹式呼吸を選択していました。

おじいちゃんは潜在意識を信じていて、自分でコントロールできない脳に、自分が成功できた理由があると考えていました。

おじいちゃんの最終学歴は小学校なので「小学校しか出ていないオレの頭なんて、バカに決まっている」が前提です。

そんな自分でも「直感やひらめきが、パッとわいてくるのはなぜだろう?」と探っていったら、それが潜在意識というものだと知ったということです。

眠っている最中、人間の脳は潜在意識が完全に優位です。

眠りに落ちる直前はふわふわしていて、意識が朦朧としてきますが、あれは潜在意識と顕在意識がせめぎ合っている最中なのです。起きた直後も同じです。

ですから、潜在意識が優位な時間帯(寝る前と起きた直後)の瞑想がいちばん大切。深呼吸して瞑想することで、顕在意識が望むことを潜在意識に伝えてあげるのです。

これは私の言い方ですが、早番から遅番への引継ぎ作業みたいなもの。きちんと申し渡ししないと、業務に支障が出ますから。

よく「このタイミングで願いごとをするといい」とも言われていますが、私は願うことよりも「いい引継ぎ」をするようにしています。

その日に起こったいい出来事を 10個あげて、ありがとうって言って寝るのです。おじいちゃんに言われた通り、いい感情のことだけを引き継いで寝ます。

そして、起きた直後には、いいことがその日に実現したかのようにイメージしながら瞑想します。呼吸にも瞑想にも形や流派はないので、あくまで自分のやり方で OKです。

スタイルにこだわらず、呼吸に集中し、意識を向けて、瞑想する習慣をつけると、気持ちを整えることが簡単になっていきます。

たとえば、打ち合わせに入る前、プレゼンの前、何かモヤモヤすることが起きたときなど、場所は公園のベンチでもトイレでもいいので、瞑想を実践することで落ち着きを取り戻すことができます。

個人の記憶に過ぎない「過去」に縛られるな

私が小学生のときの話です。幼稚園の同窓会に行って、子どもなりに昔話に花を咲かせたことがありました。

幼稚園のころにしていた鬼ごっこやドロケイの話になると、私が「クラスの中心人物じゃなかった」と記憶している Aくんが、さも自分がいつも中心になって遊んでいたかのような口ぶりで、ウソ偽りのないトーンで話すのです。

幼心にすごく違和感を持ちつつ、私は「お前はあのとき中心じゃなかったじゃん」と思いながら聞いていました。

同窓会の帰りに、別の友だちとそのことについて話していたら、彼は彼で、私とも Aくんとも記憶がズレていました。

遊んだことは事実だけれど、みんな少しずつ記憶が違っていたのです。

このことをおじいちゃんに話したら「過去は人数分ある」ということを教えてくれました。

つまり、 3人が同じ場所で、同じ遊びをしていたとしたら、それぞれの記憶が3つあることになり、過去も3つ存在することになるから、違って当たり前だと。

過去は人数分、価値観分あるし、その人の記憶の中にあるから、存在の証明はできないのだということです。

たとえば、仲のいい友人 3人で夜、飲みに行ったとします。

仮にその会が、なぜかあまり盛り上がらなくて、 2時間でお開きになっていたとしても、時が経てば「夜に 2時間だけしか飲まなかった」という証明はしづらいものです。

Aさんは 3時間くらい飲んでいたと言うかもしれないし、 Bさんはランチだったと言うかもしれないし、 Cさんは 2軒目に行ったと言うかもしれません。

結局、過去は、記憶に過ぎないのです。ですから、過去に起こったいいことも悪いことも、縛られたり引きずったりすることには意味がありません。

存在するのは「今だけ」なのです。辛い過去を引きずっている人も多いですが、存在したかもしれないけど証明しづらい、そんな過去を引きずる必要はありません。

「いい今」の積み重ねが「いい未来」となる

過去だけでなく、未来をやたらと悲観している人、とくに老後に不安を持っている人も多いですね。これもまた、意味がないことと言えます。

みなさんは、ここまで世の中がデジタル化することを想像できていましたか? 今では Wi-Fiが当たり前みたいになっていますが、 2000年ごろは、ネットに接続する際、ダイヤルアップ接続で固定電話の回線を使っていましたよね? かつて電話回線の音を聞きながら、パソコンをインターネットに接続していたのに、今はスマホやタブレットを当たり前に使っています。

音楽はレコードでも CDでもなくサブスク、映画やドラマもスマホで見られます。サブスクもスマホも、 20年前には普及していなかったものです。

公衆電話からポケベルにメッセージを打ち、ガラケーも限りある文字制限の中で何通にも分けてメールを送っていた当時、 SNSや無料通話、オンライン会議なんて想像できていましたか? 未来なんて、われわれ人間ごときに容易に想像できるものではないのです。

ですから、未来を悲観しても意味がありません。それよりも今です。唯一存在が証明できる今に集中し、生きることを考えましょう。

「老後に 2000万円ないと、普通の暮らしが維持できない」というニュースを見て、不安になる気持ちもわかりますが、そのうちやってくる老後だって今の先にあります。

おじいちゃんは 1秒後の未来を気にして生きていた人ですから、いい 1秒後の未来のために今がいかに大事かというのを、私はずっと言われてきました。

今の積み重ねが未来なのだから「いい今」を繰り返すことに集中すべきです。そして、感情をコントロールすることで「いい今」はつくることができます。

喜んだり、楽しんだり、プラスの感情を抱くように意識するといいですね。何も特別なことである必要はありません。晴れていることを喜べばいいのです。

たとえ曇っていても、傘を持たずに出かけられてラッキーだとか、冷房の効いたオフィスが寒くても、外に出たら気持ちよかったとか、些細なことに感謝しましょう。

笑顔で、いい感情でいること。それだけで「いい今」を過ごせて「いい今」を積み重ねていけます。その長い積み重ねが「いい未来」につながっていくのです。

常識を疑え。「今の常識は未来の非常識」だ

私は 1993年に 10代で起業しましたが、当時は若手の起業家なんて社会性がないと見なされていました。

諸先輩方にはイヤなことばかり言われ、不良のはしくれみたいな扱いです。

私自身が、非常識の賜物だったわけですね。

その後、 IT系の起業家たちが出始めて、世間の認知度が上がっていき、私が認められるようになってきたのは、 2000年ごろでした。

今は令和ですが、過去を振り返ってみると、過去の常識って、ほとんどが非常識ですよね。

かつて、日本に戦争があった時代は、国のために命をささげるのが当たり前で、違うと思っていても、それを言うことはできません。

そんなに昔でなくても、体育の授業や運動系の部活でうさぎ跳びがあったり、水が飲めなかったり、時代によっても大きく常識は異なります。

あのころは、大人が他人の子どもをるのも当たり前で、教師が生徒を殴るのも珍しいことではなく、女性が何か目立つことをすると「女のくせに」と差別されていました。

私は子どものころ、曽祖父と曽祖母と暮らしていましたが、テレビを見終わったら家具調のテレビ台にしまい、黒電話にはカバーがかかっていました。

テレビも電話も高価なものだったので、裕福な家でも大切に扱っていたのです。

道端で手を上げればタクシーが止まるのは今も常識ですが、バブル期にはタクシーを捕まえるために 1万円札を振っていました。

携帯電話もそうです。

どこでも電話できることが便利だったツールなのに、今は携帯電話で通話している人が減ったと思いませんか? ここ数年、スマホの SNSでやり取りすることが増えたからでしょう。

かといって、古いものが廃れて、新しいものが流行るというだけではありません。

シアトル系コーヒーチェーンや、オシャレなカフェが人気かと思えば、昭和レトロな純喫茶が「エモい」と若い人が行くようになりました。

子どもの憧れの職業が野球選手から Jリーガーに変わり、 YouTuberが人気の職業になったかと思えば、公務員になりたいという堅実すぎる子もいます。

さらには、 YouTuberの人気が TikTokerに移行しつつもあるのです。こうして、次のトレンドや常識が生まれていくのは、今後も絶対です。

飲食業界に身を置いていると、 SNSの#(ハッシュタグ)検索で、どんな#をつけるかが重要だったりしますが、これだって 10年後には超懐かしいこととしてカテゴライズされているかもしれません。

過去の常識が今の非常識であるように、今は当たり前にしていることだって、いずれ廃れていくし、非常識になっていくでしょう。ですから、表面的な過去の常識に捕らわれない、今をよく生きるということを意識すべきなのです。

コミュニケーションは方法だけではなく価値も変わった

ウイズコロナの時代になり、働き方はもちろん、コミュニケーションの方法も変化して、多種多様になってきています。

とくに主流となったのがオンラインでのコミュニケーションですが、これは便利な反面、コミュニケーションスキルについては、対面時よりも問われます。

私自身、オンライン会議を数えきれないほど経験して思うのは、自分の声が相手のスピーカーからどんなボリュームや声色で聞こえているかを、意識できていない人が多いということです。

回線の問題もありますが、小声で早口、ボソボソ話すといった対面でも聞き取りにくい話し方は、オンラインではその 3倍くらい聞き取りづらいと心得てください。

私はオンライン会議の場合、対面の場合よりもゆっくり、声のボリュームも大きめで話します。

私の声が大きかったら相手がボリュームを下げればいいだけですから、少なくとも聞き取りにくいという状況はつくらないようにしています。

マイクを使う場合は、音が割れることもあるので、マイクを通すとどう聞こえるかを社内で検証し、さまざまなマイクを試したこともあります。

〝場の空気〟がなかなか伝わらない画面越しだけのコミュニケーションも、こうした見えない気配りをすることで、円滑に進めることができる場面が多々ありました。

このように、オンラインで簡単に話せるようになればなるほど、リアルでのやり取りの価値や貴重さが際立つ時代になってきています。

たとえば「人を笑顔にする仕事をする」ことが、永田家の帝王学であるとこれまで書いてきましたが、人を笑顔にすることが苦手な人もいるかもしれません。

「笑顔にする」と言うと構えてしまう人でも、会話のときに相手の目を見るとか、挨拶をするくらいならできるでしょう。

「おはようございます」「お疲れ様です」「お先に失礼します」といった日常的な挨拶に加えて「ありがとう」を無限に使う……。

これだけで、今まで以上に人を笑顔にすることができますよ。

帝王学に必要なのは「想像力」と「思いやり」

コロナを境に「生活様式が変わった」「人の価値観が変わった」というのは簡単です。

ただし、その変わり方は本当に千差万別なので、それぞれの変化についてもう一度、誰もがイメージを働かせるべきです。

ITが発達して生活が便利になるにつれ、想像力が欠如している人が多くなっているように感じています。たとえば、有名人が SNSで誹謗中傷されるニュースをよく見ます。

こういう炎上騒動に加担する人は、有名人の気持ちを思いやれなかったり、誹謗中傷を書き込むリスクを想像できなかったりするのでしょう。

一般人が匿名でも私見を公言でき、それで注目を集めることができるという I Tの発達は、たしかに素晴らしいものです。

でも一方で、こういう想像力の欠如による問題も起きています。今でいう想像力は、昔風に言えば相手を思いやる気持ちのことです。

時代は変わっても、デジタルな技術がどんなに進化しようとも、本質的なことは何一つ変わっていません。

最新の機材や技術を用いつつ、人として想像力を働かせ、相手を思いやる気持ちが持てれば、どんな時代にも立ち向かっていけます。

実際、明治生まれのおじいちゃんの教えが、令和を生きる私の支えになっているのですから、それは明らかでしょう。

「人を笑顔にする」ために必要なのは、言うまでもなく想像力です。

いつも「どうすれば相手に喜んでもらえるか」が適切に想像でき、思いやりの気持ちを持って接することができれば、結果として、いつの時代もお金はついてくるのです。

帝王学とは、お金と幸せを結ぶこと。

技術革新が目覚ましく進化する昨今なので、手段のアップデートは欠かさずにおこなってほしい。でも、その本質である「人としての創造力」と「相手を思いやる気持ち」は、絶対に忘れないでください。

あとがき

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

この本を出版させていただく 2022年 10月 24日は 29回目の創業記念日であり、 37回目の曽祖父の命日です。

そして自分の中では、大きな節目の 30周年イヤー突入です。

創業当初は、まさかこんなに会社が続けられるとは夢にも思いませんでした。

たくさん応援いただき、ご評価いただいたとともに、幾多の苦難と、ご批判も経験しました。

振り返ると、賞賛よりも苦難のほうが、今の自分の糧となっていますし、大きな財産になっていると胸を張って言えます。

そんなあきらめたくなりそうな、逃げ出したくなりそうな苦難を乗り越えられたのは、おじいちゃんの教えのおかげです。

どんなに成功しようとも、どんなにお金を手にしようとも、人生で苦難は避けられません。

その苦難を「自分にとって必要なことが起きている」と受け入れ、向き合い、小さくても一歩一歩、人生を前進させることが大切です。

私もみなさんも、これからもきっと数々の苦難に出くわすことでしょう。

何度苦難を経験しても、やはりそのときは苦しく受け入れがたいものです。

しかし、そんな自分の 10年後を見据え、未来の自分にとっての心の財産を築いているイメージを持って、しっかり「よい今」を生きることが、私のおじいちゃんの教えであり、私はその通りに生き、今があります。

この本を出版するまでの日本は、丸 2年以上コロナ禍で世界的苦難に見舞われている最中です。

経済は止まり、個人も企業も苦難に見舞われ、ライフスタイルも大きく変わってきました。

コロナに怯える人、経済に舵を切ろうと勢いづく人、助成金詐欺などに走る人、コロナ融資返済に苦しむ人……。

人々の価値観が多様化していく様子を強く実感します。

これまでの日本であれば、周囲の様子をうかがい、合わせることで、常識や倫理観は大多数が一致する傾向があったのですが、それすら多様化しています。

また、社会のスピードが速くなり、情報の嵐の中で「自分の考え」「自分の意見」を持てない人も増えています。

今はすべての社会ルールが新しくなる過渡期です。

他人と比べる必要も、他人の評価を気にする必要もありません。

私は、そんな今の社会に〝自由〟を感じ、非常にワクワクしています。

どんな苦難の中にいようとも、「今」にはたくさんの幸せと感謝のタネが存在します。呼吸を整え、「今」をよいものにする。たったそれだけで人生は好転します。

私の大好きなおじいちゃんは、苦しい幼少期を乗り越え、日本経済界のトップを走る絶好調期に至り、倒産という大きな苦難を経て、穏やかな晩年を迎えるという、ジェットコースターのような人生を送りました。

そして、その穏やかな晩年期に、自分の人生を嚙みしめながら振り返り、私にたくさんの教えを遺してくれました。

この教えは、決して失敗しないようにするための教えではなく、「心豊かな人生」を送るための教えであると私は受け止めています。

私は、このおじいちゃんからもらった宝箱のような教えのおかげで、素敵な人生を歩ませていただいています。みなさんに、この宝箱をシェアする機会を頂戴できたことに心より感謝申し上げます。

永田雅乙

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