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第 1章 エデンからの追放

父へあなたはわたしの最初で最良の理科の先生だ母へあなたの五〇年以上のキャリアはわたしにとってお手本でありつづけた

CONTENTSはじめに第 1部 われわれはどのようにヒトになったのか

第 1章 エデンからの追放

第 2章 出アフリカ

第 3章 作物、都市、王様──農業シフトがうながした心の進化

第 4章 性淘汰と社会的比較

第 2部 過去に隠された進化の手がかり

第 5章 ホモ・ソシアリス──社会的なヒト

第 6章 ホモ・イノバティオ──革新するヒト

第 7章 ゾウとヒヒ──道徳的・非道徳的なリーダーシップの進化第

8章 部族と試練──進化心理学と世界の平和

第 3部 過去から未来への跳躍

第 9章 進化はなぜ人間に幸せをもたらしたのか

第 10章 進化の命令のなかに幸せを見つける

おわりに

謝辞参考文献

はじめに ある日の朝、わたしは八歳の息子とモートン島までサンドボード遊びに出かけることにした。自宅のあるブリスベンから二〇キロほど沖合にある小さな砂島には、昼過ぎにフェリーで到着した。船着き場から砂浜に沿って歩き、森のなかの小道を抜けると、島の真んなかにある巨大な砂丘にたどり着いた。息子は裸足になり、わたしが改造した古いスノーボードで砂の斜面を滑りだした。いったんバランス感覚をつかむと、あとは大はしゃぎで楽しい時間を過ごした(父親がボードを抱えて坂を登り、自分が坂を滑るという役割分担も楽しさを増す大きな要因だったにちがいない)。とてつもなく大きな砂丘を何度も登るのは重労働で、太陽が海にすっぽり沈むと、やっとのことで遊びはもう終わりだと息子を説得することができた。 星空の下、広い砂丘を横切って海岸に戻るときも、息子は嬉々としておしゃべりを続けていた。しかし森まで来ると、様子が変わった。前の道がかろうじて見えるくらいの明るさしかなく、行きにはまったく無害に感じられた森が、こちらを襲うように迫ってきた。息子の声が震えだし、頭が混乱しているのがわかった。わたしの足下で木の枝がポキンと大きな音を立てると、息子は心臓が飛びでるほど驚いた。なんとか安心させようとしたものの、息子は野生動物に襲われると言って怖がった。彼の恐怖を追い払おうにも、何も言葉が出てこなかった。野生犬ディンゴの群れがいまにも飛びかかってきて、食べられてしまうと息子は思い込んでいた。わたしとしては、危険なのは薄暗い森の獣道で転んで足首を捻挫することくらいだとわかっていた。それでも正直なところ、わたし自身も恐怖を感じていた。 息子の楽しい気持ちは、なぜこれほど一瞬にして恐怖に変わったのか? あの晩、こちらの身体を貪ろうとする動物は蚊だけだとはっきりわかっていたはずなのに、なぜわたしまで同じ気分になったのか? 驚くべきことに、これらの問いへの答えはわれわれの遠い祖先の知覚能力に隠れている。人間にはすぐれた眼が備わっているが、耳と鼻はごく凡庸だ。よって暗闇のなかでは、わたしたちが相手を認識するよりもはるかに容易に、ほかの動物たちはこちらの存在に気づくことができる。人間の祖先たちは、昼間は獰猛な捕食者だったが、夜のあいだはほかの動物の餌食になった。過去数百万年にわたって、わたしたちの祖先候補のうち、愚かにも夜に出歩いた者は夜行性の獣の餌になった。月明かりの森をさまよい歩いた祖先候補たちが生き残って、子孫をもうける確率はきわめて低く、真夜中に散歩に出かける習性が後世に伝わる確率も必然的に低くなった。このようにして、進化がわたしたちの心理を形作っていった。最終的な結果として、わざわざ暗闇に気をつけろと注意喚起する必要はなくなった。そのような感覚は、自然と身につくものだった。 動物園の類人猿コーナーでチンパンジーをしばらく眺めていると、進化の過程を目の当たりにしているかのような錯覚に陥るはずだ。彼らが人間の遠い親戚だとはっきりわかるのと同時に、その差についてもさらにはっきりとしてくる。森を去ったことで、チンパンジーのような脚が人間の脚へと進化していったと推測するのはむずかしいことではない。さらに、人間の祖先たちが木に登ることをやめ、二本足で長い距離を歩きはじめると、二本の前肢が進化によってゆっくりと二本の手に変わった。そう想像するのも簡単だ。 よりわかりづらいのは、人間の心理を形作るうえで進化がどのような役割を果たしたのかということだ。わたしたちは進化を生体構造という観点から考えがちだが、人間の態度も身体の部位と同じように大切であることは言うまでもない。能力に見合わない考え方は、生活様式に見合わない手足のように身体を弱らせる。ここ六 ~七〇〇万年のあいだに人間の身体はわずかにしか変化してこなかったが、心理は大きく変わった。実際、チンパンジーからヒトへの進化は、主として心や脳への順応によって特徴づけられたものだといっていい。 人間の心理におけるもっとも大きな変化は社会的機能にかかわるものであり、なかでも協力して働く能力が果たした役割は大きい。例として、チンパンジーがサルを狩るときの様子について考えてみたい。チンパンジーが協力して何かをすることはめったにないものの、サルを狩るときは珍しく集団単位で行動する。四方八方から襲ったほうが、サルが逃げにくくなるからだ。ところが集団で狩りをするときでさえ、すべてのチンパンジーが参加するわけではない。そばでのんきに坐り込み、まわりの騒ぎをただ見物するだけのチンパンジーもいる。狩りが成功したとしても、運のいい数匹が獲物を実際に手にする一方で、ほとんどのチンパンジーは手ぶらのままだ。肉は高カロリーの貴重な食べ物なので、サルに逃げられたチンパンジーたちは獲物を捕まえた仲間に分けてくれとせがむ。それ自体は驚くことではない。しかし注目すべきは、狩りをただ見学していたチンパンジーも、参加組と同じようにサル肉の分け前にありつけることが多いという点だ。チンパンジーは怠け者と協力者をほとんど、あるいはまったく区別しようとしない。 人間の場合は対照的に、わずか四歳の子どもでさえ協力者と非協力者を見分けようとする。チームでの協力をとおしてステッカーやお菓子を与えられた子どもたちは、非協力者にはご褒美を分け与えようとはしないが、協力してくれた仲間とは共有しようとする。友好的な態度とは言いがたいし、改めるべき態度だと考える人もいるだろう。結局のところ、共有することは親切な行動だと誰もが知っている。ところが進化という視点から見ると、これは必要不可欠な行動だといっていい。協力者と傍観者を区別しない動物は、効果的なチームを作って維持する能力をもつことはできない。 わたしたちは、集団で生活する動物をチームプレーヤーだと考えがちだが、多くの動物は互いにほとんどかかわりをもたないにもかかわらず、大きな集団で生活する。ヌーやシマウマは身の安全のために膨大な頭数で集まって行動するものの、そこにチームワークの兆候は見られない。大きな集団を作ると、ほかの誰かがライオンに気づいてくれる可能性が高くなるため、個々に警戒心を和らげる余裕が生まれる。ヌーやシマウマよりもチンパンジーははるかに相互依存的だが、生活のなかで真のチームワークが必要になるような場面はほとんどない。彼らの協力する能力は限定的であり、多くのチンパンジーは単独行動を好む。しかし、森をあとにした人間が生きるか死ぬかは、一緒に作業する能力にかかっていた。あとで説明するとおり、まさに協力の必要性に迫られて人間の心理は形作られていった。 安全な熱帯雨林から追いだされた祖先たちは、サバンナという未知の危険な世界で生き残ろうともがいた。彼らは、草原に棲む多くの捕食動物よりも小さく、動きが遅く、弱かった。問題を社会的に解決する術を身につけていなければ、人類は絶滅の運命にあったにちがいない。この新たな解決能力はきわめて効果的であり、人類はまったく新しい進化の道をたどることになった。わたしたちの祖先がどこまでも利口な生き物へと成長できたのは、新たに見つけた協力の能力を活かし、自らの身を護りつつ自活するためのよりすぐれた方法を見いだすことができたからにほかならない。やがてホモ・サピエンスはさらに利口さを増し、自分たちの計画に合うようにまわりの環境を変えはじめた。その顕著な例が農業の発明だ。農耕は人間の心を冷淡なものに変えた(くわえて、歯をダメにした)が、文学、商業、科学の発展を後押しした。 利口になったからといって、人類はより賢明になったわけではない。良くも悪くも、わたしたちは古代の本能の多くをいまだ振り払えずにいる。とくに繁殖ゲームで取り残されるという恐怖はいまでも人間の心理を大きく支配しており、多くの人は集団のほかのメンバーとの差を強く意識する。この絶え間ない社会的比較が人間の幸福に大きなダメージを与え、わたしたちをより詮索好きにする。 進化の亡霊はいまだわたしたちに取り憑いたままだ。しかしその亡霊こそが、人間性についてのもっとも根本的な問いへの手がかりを与えてくれる。たとえば、サバンナで進化した社会性が、「革新する」という能力と傾向へとつながったのはなぜか? サバンナでの生活は、われわれの進む方向やリーダーの選び方にどんな影響を与えたのか? 部族主義と偏見という人間の残念な習性が生まれたのはなぜか? サバンナでの生活への適応ははるか古代の出来事ではあるものの、現代的な問いに新たなヒントをもたらしてくれる。 現代人をも悩ませる悪い習慣の数々が生みだされてきた一方で、先祖たちは、正しいことをしたときに必ず報酬がもらえるという動機づけシステムを進化させた。それが「幸せ」だ。暗闇に恐れを抱くという事実からも明らかなとおり、「動機づけ」は人間の生き残りと繁栄を手助けするように進化してきた。それは、悪い感情に大切な役割があるのと同じように、良い感情にも大きな効果があることを意味する。われわれの進化した心理は、幸せとそれを追い求めることと密接に絡み合っている。つまり豊かな暮らしを送るということは、主として進化の命令にしたがうということなのだ。命令は互いに相反することも多く、幸せとは命令のあいだをうまく前に進むという問題でもある。過去が生みだす圧力を理解すれば、わたしたちはこの旅路の道標を手に入れることができるかもしれない。そして、道中にどうしてこれほど多くの落とし穴があるのか、理由もおのずと明らかになるはずだ。遠い祖先の考えや行動について知る方法 人類の遠い過去は「先史時代」と呼ばれているが、このネーミングにはきちんとした理由がある──その期間の文書記録は存在しない。研究者たちはこれまで、遠く離れた過去の化石や痕跡の欠片を大量に見つけだしてきたが、過去の品々についてはときにさまざまな解釈が可能になる。くわえて、戦略や行動は化石化しないため、ヒトになるまでの過程で直面した数々の問題を先祖がどう解決したのかを正確に把握することはむずかしい。そのような難題を突きつけられたにもかかわらず、進化科学者たちは見事な成果を上げ、小さな手がかりからあらゆる情報を引きだしてきた。彼らのすばらしいアイデアやたゆみない努力があったからこそ、わたしも全体像が比較的はっきりとした物語を紡ぐことができるようになった。 では、その知識はどのように導きだされるのか? この問いに答えるために、進化の歴史の研究にまつわる三つの異なるアプローチについて考えてみたい。 ①シラミの DNAは人類が衣服を発明したタイミングを教えてくれる。 ②教会の記録がおばあさんの重要性を明らかにしてくれる。 ③古代の歯を見ると、近親交配を避けるために先祖がとっていた行動がわかる。衣服を発明したタイミングを知る方法とは? アタマジラミ、ケジラミ、コロモジラミという三種のシラミが寄生するという事実は、人間だけに与えられた喜びだ。不快な小さな寄生虫に、人間がなぜ住み処(と餌)を与えるようになったのか? わたしがこの複雑な物語に興味を持ちはじめたのは、子どもたちが保育園からアタマジラミを家に持ち帰ってきたときだった。アタマジラミの祖先は、およそ二五〇〇万年前に霊長類に寄生するようになった。類人猿と旧世界ザル(アフリカとアジアのサル類)が別々の道を歩みはじめたのとほぼ同じころだ。 六 ~七〇〇万年前に人間の直系の祖先がチンパンジーの祖先と枝分かれしたとき、彼らはまだ毛むくじゃらだったため、一緒についてきたシラミは身体の好きなところを自由に這いまわることができた。古代のヒトジラミは当時の人類を悩ませた唯一の種で、数百万年後、ゴリラから移り住んできたと考えられる新種のシラミが人類に寄生するようになった。そんな状況になった理由はよくわからない。でもわたしとしては、祖先たちがゴリラのすぐ近所に住み、寒さをしのぐためにときどき同じ寝床で寝ていたのだと考えておこうと思う。真相はどうあれ、およそ三〇〇万年前、ふたつの異なる種のシラミが人類に寄生するようになった。 人類が進化の道を歩みつづけるにつれ、濃い体毛(とゴリラとつき合う習慣)は徐々に失われていった。二種のシラミは毛のなかに卵を産んで生き残ってきたため、新たなつるつる状態は双方にとって大きな問題になった。結果として、どちらのシラミも専門家になることを余儀なくされた。もっとも古くから人類と行動をともにしてきたシラミは、身体の最北部に逃げ込んで頭の専門家になった。一方、ゴリラから寄生したシラミは赤道付近に移り住んで股間の専門家になった。 二種のシラミによるこの緊張緩和は一〇〇万年あまり続いた。およそ七万年前になってやっと、頭のシラミから派生した三種類目のシラミが登場することになる。新シラミは人間の身体で生きられるように進化していったが、旧シラミと同じように、毛のない肌に卵を産むことはできなかった。つるつるの肌に卵を産んでも、地面に落ちて死んでしまった。むしろ、新シラミが卵を産むために必要としたのは衣服だった。つまり、このようなシラミ全般の進化を見ることによって、人類が少なくとも七万年前から衣服を着るようになったと推察できるというわけだ。 しかし、なぜ人類はわざわざ衣服を着ることにしたのか? どうしてそのタイミングで? じつに微妙な問題だ。その時点でわれわれの祖先は、すでに一〇〇万年以上つるつる状態であり、大多数はアフリカの暖かい気候のなかで暮らしていた。しかし、全員ではない。あとの章で見ていくように、コロモジラミが出現するすぐまえ、ホモ・サピエンスはアフリカから別の場所に移動しはじめた。もしかすると、より寒い気候へ移り住んだことが衣服の発明につながったのかもしれない。あるいは、衣服はもっと早い段階で発明され、寒さだけでなく太陽の熱から身体を護るために使われていたのかもしれない。はたまた、ただ着飾ることが目的だったとしてもおかしくはないし、他者と自分を区別するために衣服を用いていた可能性もある。理由がなんであれ、その時点からずっと、人類の祖先の少なくとも一部はほとんどの時間を衣服を着て過ごしていたことはまちがいない。さもなければ、コロモジラミは死んでしまっていたはずだ。 コロモジラミの進化の物語は、人類が衣服を発明した時期について強力な証拠を与えてくれる。しかし、ここまで詳細な時系列がわかるのはなぜか? それに、ケジラミが三〇〇万年前にゴリラの祖先から人類に寄生したという証拠は? これらの疑問の答えを追い求めた研究者たちは「分子時計」を使って、 DNAの突然変異率をもとに進化の流れを突き止めようとした。いったん種が分岐すると、ふたつの DNAでランダムに突然変異が起こりはじめる。こういった突然変異はもはやふたつの種のあいだで共有されることはなく、それぞれに固有の DNAが形成される。特定の DNA鎖では突然変異が一定の割合で起きることがわかっているため、両種によって共有される DNA鎖上の突然変異の差を比べれば、二種がいつ別々の道を進むことになったのかを推定できる。 たとえば、ある種の特定の DNA鎖において、平均で二〇世代に一度の割合で突然変異が起きていたとする。さらに、以前に関連していたふたつの種において、この DNA上でそれぞれ平均五〇回の異なる突然変異が起きていたことがわかったとする。この場合、ふたつの種はおよそ一〇〇〇世代ほどまえに分かれたと断定することができる。このように過去にさかのぼって逆算していくと、ふたつの子孫の種に遺伝子的にいちばん近い親の種にやがてたどり着くことになる。 コロモジラミとアタマジラミ(この二種は近縁の関係にあるが、ケジラミとつながりはない)の DNAの突然変異の数を調べると、われわれの先祖が少なくとも七万年前には裸で走りまわるのをやめていたとほぼ結論づけることができる。同じ手順を用いると、ケジラミがおよそ三〇〇万年前にゴリラジラミから分岐したという強力な証拠を手にすることができる。おばあさんが重要な理由を知る方法とは? フィンランドのルター派教会は、一七世紀以降の国内のすべての出生、結婚、死亡についてくわしい記録を残してきた。トゥルク大学のミルッカ・ラハデンペラ率いる研究チームはこのすぐれた情報源を活用し、一七〇二年から一八二三年のあいだにフィンランドの五つの異なる農業または漁業共同体で生まれた五〇〇人以上の女性、その子ども、孫の生涯について調べた。 記録を注意深くひもといていったラハデンペラたちは、祖父母に関するいくつかの重要な事実を突き止めた。なかでも注目すべきは、祖母が五〇歳を超えて生きたとき、一〇年ごとにふたりの孫が新たに生まれたという点だ。この現象は、祖父母が孫と同じ村に住んでいた場合にもっとも顕著に発生し、以下の三つの要素の影響によるものだと考えられた。 1 同じ村に母親が住んでいる場合、娘の初産年齢が平均よりも早くなった(全国平均の二八歳に対して二五・五歳)。 2 母親が生きている場合、娘が出産する間隔も短くなった。母親が健在のとき、娘は二九・五カ月ごとに出産した。一方、母親がすでに他界している場合、娘たちは三二カ月ごとに出産した。 3 (より元気で頼りになる可能性が高い)六〇歳未満の祖母がいる場合、孫の生存率は一二パーセント高くなった。このような生存率の上昇は、離乳後の子どもに対してのみ現われる傾向だった。まだ母乳で育てられている段階の赤ん坊の生存率は、祖母が健在かどうかにそれほど影響を受けることはなかった。 この時代のフィンランド(と世界のほかのすべての地域)では、成人に達するまえに半数近くの子どもが病気やケガで死んだ。そのため当時の人たちは、子どもの生き残りと出産に対して祖母が与えるプラスの影響を肌で感じていた。祖先が近親交配を避けるためにとっていた行動を知る方法とは? 小さな群れで暮らす動物は、集団生活からさまざまな恩恵を受ける一方で、近親交配を避けるという問題に向き合うことになる。小さな集団のなかで生まれ、メンバー同士で交尾する動物は、自分たちの家系についての知識を頭に入れておく必要がある。さもなければ、近しい親戚と交尾する危険性が高まってしまう。 近親交配にはいくつかのリスクが潜んでいる。とくに有名なのは、家族内で交尾した場合に、危険な遺伝子が組み合わさる可能性が高くなるという点だろう。たとえば、わたしはテイ =サックス病の遺伝子をもっている。しかし運のいいことに、この病気は潜性遺伝病だ(両親がともにテイ =サックス病の遺伝子をもっていないかぎり影響はない)。両親が保因者の場合、妊娠のたびに二五パーセントの確率で子どもにテイ =サックス病の遺伝子がふたつ引き継がれ、発病する。多くのケースでは、生後六カ月までに症状が現われる。まず視力と聴力が衰えはじめ、嚥下能力が失われ、そのうち動くこともできなくなって死に至る。 テイ =サックス病の遺伝子をもつことは非常にまれで、一般人口における保因者の数は二〇〇人にひとりに満たない。ほかのテイ =サックス病の保因者と恋に落ちる可能性はほぼゼロに近く、わたしのような保因者がテイ =サックス病の子どもをもうける危険性もほとんどないといっていい。ところが、いとこや姉妹などの近親者とわたしが子どもを作る場合、相手が同じようにテイ =サックス病の遺伝子をもつ確率ははるかに高くなり、子どもがこの恐ろしい病気にかかる確率もずっと高くなる。 潜在的な近親交配の問題を回避するために、小さな集団で暮らす動物が使う一般的な方法は、青年期に達するまえにオスかメスのどちらかが集団から離れるというものだ。生まれついた集団を離れて新しい集団に加わることによって、近親交配の危険性は劇的に下がる。しかしながら頭に入れておきたいのは、動物たち自身は集団を離れる理由についてまったくわかっていないという点だ。たんに、放浪癖を進化させて新しい集団に移り住むようになったとき、近親交配の問題を回避できる確率が上がった。その結果、集団を変えるという習性が種のあいだに浸透していった。なぜなら、成熟期に達したときにほかの集団に移るという習性を受け継いだ動物は、繁殖成功率も高かったからだ。 チンパンジーの世界では、近親交配の問題を解決するためにメスが成獣になるまえに新しい集団に移る。対照的に狩猟採集民の人間は、より柔軟かつ多様なやり方でこの問題に向き合う(第 3章でくわしく解説する)。研究者たちは、近親交配の問題においてわたしたちの遠い祖先がよりチンパンジーに近いのか、それとも現代人に近いのかを解明しようとした。しかし、手がかりになるのは不ぞろいな少々の化石だけで、祖先の暮らしについて教えてくれるものはほかには何も残っていない。そのような状況のなかで、近親交配の問題の全貌をどう明らかにすることができるだろうか? そこで研究者たちは、祖先の歯のストロンチウムの濃度を測ることによって問題の殻を割ろうとした。ストロンチウムはカルシウムと同じように体内に摂り込まれる金属で、主として骨や歯のなかに蓄積する。ストロンチウムには四つの異なる型(同位体)があり、同位体の割合は地域の地質によって変わる。ある地域では、ある型のストロンチウムが非常に多く、もうひとつの型も比較的多いが、残りのふたつの型はまれである。別の地域には別のパターンが存在する。 ストロンチウムは成長と発育のあいだに歯に摂り込まれるため、古代人の歯を分析すれば、ストロンチウムの異なる型の比率を調べることができる。古代人の歯のストロンチウム比がその地域の岩盤の比率と一致すれば、歯の持ち主は誰であれ、歯が見つかった地域で育ったとほぼ断定できる。一方、岩盤と比率が異なる場合、歯の持ち主は幼年期を過ぎてからその地域に移り住んできたとほぼ断定できる。 マックス・プランク進化人類学研究所のサンディ・コープランド率いる研究チームは、数百万年前の人類の祖先アウストラロピテクス・アフリカヌス(第 1章と第 2章で検討する)のさまざまな歯のストロンチウム比を分析した。すると、大きめの歯はその場所の地質と一致したが、小さめの歯は一致しないことがわかった。一般的に男性のほうが女性よりも体格が大きいため、必然的により大きな歯をもつことになる。つまりこのデータは、チンパンジーと同じように女性のアウストラロピテクスが生まれついた集団を離れ、近親交配を避けていた可能性を示唆するものだといえる。 三つの研究からわかるとおり、研究者たちはさまざまなアプローチから人間の過去の謎を解こうとしてきた。ときにデータが結論に大きな信憑性を与えてくれることがある。同じ村に祖母が住んでいると、孫の致死率が低くなるという結論がその一例だ。ときにデータを使い、知識にもとづく推測をすることができる。小さめの歯は女性のものだと考えられるため、成熟した女性たちが出自集団を離れていた可能性が高くなる。しかしデータは、わたしたちの理論に制限を与えることも多い。コロモジラミの出現は、少なくともどの時期までに人類が衣服を発明したかということは教えてくれる。ところが、実際に最初にいつ発明したかについてはっきりと教えてはくれない。もしかしたらシラミは悠久の刻をかけ、衣服という新たな機会に対応していったのかもしれない。 この点についてとくに心にとめておくべきなのは、個々の研究はどれもパズルの小さなピースにすぎないということだ。幾千の研究の組み合わせが、わたしたちに全体像を与えてくれる。あらゆる研究が同じ方向を指し示したとき、答えを理解するのはそれほどむずかしいことではない。しかし研究の結論が互いに矛盾し、さまざまな解釈の余地がある場合、問題はよりやっかいになる。当然ながら、時間をさかのぼればさかのぼるほど証拠は弱くあいまいになり、ますます推測に頼らなければいけなくなる。この本を書くうえでわたしは、学術書にありがちな延々と続く注釈──退屈かつ読みにくくなる原因──を避けながら、人類の歴史の物語をひもとくことを心がけた。わたしたち人間とは何者なのか、どのように現在にたどり着いたのか? 現存する不完全で、複雑で、ときに矛盾するデータにもとづき、それらの問いを解き明かそうと最善を尽くした結果がこの本であるということを、まずお伝えしておきたい。もっと深く学びたい読者のみなさんのために、巻末に章ごとの参考文献を載せた。

氏か育ちか? 本題に移るまえに、心理的構造における「遺伝」(氏)と「育ち」の役割について、最後に一点だけ説明しておきたい。なかには、人間の行動に対する進化論的アプローチに嫌悪感を抱き、進化心理学による推測を批判する人もいる。彼らは往々にして、こう考えようとする──もし遺伝子がわたしたちの心のなかにまで影響を及ぼすとするなら、遺伝的な影響を受ける心のその側面は環境的あるいは社会的な影響を受けることがなく、個人がコントロールすることなどできない、と。これほど真実からかけ離れた考えはない、とわたしははっきりと言いたい。例として、脳よりもはるかに単純な身体の部位について考えてみよう。筋肉だ。 各々がもつ遺伝子によって、どの程度の大きさの筋肉を成長させる能力があるかが決まる。なかには、大きな筋肉を成長させる傾向を受け継いだ人がいる(たとえば、一流アメフト・チームのフロントラインの選手たち)。一方で、より控えめな筋肉組織の傾向を引き継いだ人もいる(たとえば、わたし)。人間の遺伝子は、ウェイト・トレーニング、肉体労働、スポーツなどによって繰り返し負荷をかけたときに、筋肉がどれくらいまで成長しうるかについて青写真を与えてくれる。 とはいえ、筋肉にどれほどの負荷をかけ、どれほどの栄養を与えるかを決めるのは生活スタイルのほうであり、その影響によって筋肉が成長したり縮んだりする。つまり筋肉の大きさの差は、個々の遺伝子、環境、そして遺伝子と環境の相互作用の産物だといっていい。同時に人間の筋肉組織は、個人的な選択の結果とも考えられる。この例が指し示すように、進化論では人間の身体や精神を「遺伝と育ちのあいだのなんらかの競争の産物」だとみなしているわけではない。あるいは、不変の生物学的プログラムの産物、人間の営みや選択からかけ離れたなにかだととらえているわけでもない。 遺伝子と環境のあいだのこれらの相互作用は、遺伝的影響がとりわけ強い場合にも現われる。たとえば近視はきわめて遺伝性が強く、近視の親から生まれた子どもは近視になる可能性が高い。ところが、狩猟採集民の視力を調べた研究では、近視になる人がほぼいないことが証明されている。現代の生活には、近視を引き起こす側面がたくさんある。眼を酷使する作業、文字を読むこと、暗い場所での作業……。しかし原因がなんであれ、「近視へとつながる遺伝子」は実際のところ「近視を引き起こす環境要因に対して人々を敏感にさせる遺伝子」なのである。近視の遺伝子をもち、現代的な環境に住む人々は、近視を発症することが多い。一方で近視の遺伝子をもっていたとしても、狩猟採集民として暮らす人が近視になることはほとんどない。遺伝性のきわめて強い現象でさえも、環境によって大きく左右される可能性が高いというわけだ。 この原則は、わたしたちの〝心〟にも当てはまる。人間の精神状態は、遺伝子、環境、そして個人的な選択によって形成される。遺伝子は、ある特定の方向にわたしたちの背中を押そうとする(ときに、「突き動かす」と表現したほうが妥当なケースもあるかもしれない)。しかし、人生の方向性を決める大切な意思決定をするのは、自分自身にほかならない。 人間が遺伝的な傾向にあえて抗おうと決める例は数え切れないほどあるが、なかでも禁欲生活ほどわかりやすい例はないだろう。遺伝子が人間に与える強い欲求のひとつが、セックスしたいという欲求だ。セックスをしなければ、遺伝子はその世代で消滅してしまう。にもかかわらず歴史のなかでたくさんの人間が、あらゆる性的行為を控えるという決断を下してきた。そう志した人の多くは苦しみ、決断をまっとうすることができなかった。しかし、最後までやり遂げた人もいた。すさまじい葛藤の末に成功を手にした者も少なくないだろうが、それこそが大切なポイントだ。遺伝子がある特定の方向に背中を突き動かしてくるからといって、その方向に必ず進まなければいけないという意味ではない。 遺伝子が精神を支配する世界を想像するのは容易なことであり、多くの動物はまさにそんな世界に生きている。ところが人間は、よりすぐれた知能を身につけ、先天的な知識よりも〝学習〟に重きを置く生活スタイルへと進化の経路を変えていった。すると遺伝子は、その支配力の多くを放棄せざるをえない状況に追い込まれた。 一例として、ミーアキャットが子どもに狩りを教える方法について考えてみたい。ミーアキャットは生きるために必要な栄養のほとんどを昆虫から得る。アフリカ南部のカラハリ砂漠に棲むミーアキャットたちは、どの昆虫を食べるかについてあまり贅沢は言っていられない。餌の候補にはサソリも含まれているが、サソリには敵に反撃して殺す力があるため、そう簡単に夜の食卓に載るわけではない。ミーアキャットは生まれながらにサソリの殺し方を知っているのではなく、幼いころに両親や兄姉から特訓を受けて学ぶことになる。 教える方法の一環としてミーアキャットは、子どもの年齢に応じてサソリを巣に持ち帰る方法を変える。子どもが乳離れしたばかりの段階では、大人のミーアキャットは外で殺したサソリを住み処に持ち帰ってくる。子どもがもう少し大きくなると、こんどは毒針だけを切り落とし、生きたままのサソリを巣に持ってきて殺し方を練習させる。その後、子どもがひとりで餌を獲りにいく準備を進める段になると、大人のミーアキャットは毒針がついたままの生きたサソリを渡す。子どもは動きまわるサソリを自ら攻撃し、殺して夕食にしなくてはいけない。 一見すると、じつによく考え抜かれた練習方法のようにも思える。しかし実際のところ、大人のミーアキャットはたったひとつの合図──音──を頼りに子どもに与えるサソリを決めているにすぎない。研究者が離乳直後の子どもの鳴き声を流すと、ミーアキャットは事前にサソリを殺す。より大きく成長した子どもの鳴き声を流すと、同じミーアキャットがこんどは生きたままの危険なサソリを渡す。驚いたことに、世話をする大人の行動に影響を与えているのは子どもの鳴き声が成長のどの段階によるものかという点のみで、実際に眼のまえにいる子どもが何歳なのかは無関係だった。つまり、無力な幼い子どもと日々一緒に生活していたとしても、より年長の有能な子どもの鳴き声を聞くと、大人のミーアキャットは生きたままの危険なサソリを渡すということだ。 このようなデータを総合すると、ミーアキャットの決定が遺伝子とたったひとつの環境情報の組み合わせによって下されている可能性があることがわかる。このシステムができあがったのは、作業効率が良いからという理由であることはまちがいない(言い換えれば、脳の力をあまり必要としなかったから)。それに、このシステムは現実の世界でうまく機能した。なぜなら、ミーアキャットの赤ちゃんが青年期の鳴き声を出すことは絶対にないからだ。 しかし人間は、ミーアキャットやそのほかの似たような動物たちとは大きく異なる。遺伝子はわたしたちの決断にも影響を与えるが、それは遺伝子と膨大な情報が組み合わさったときにかぎられる。情報の一部は頭のなかで生みだされ、「自分をどんな人間だととらえるか」「どんな人間になりたいか」という考えに大きな影響を与える。つまり、人間の営みが行動や態度を決める大きな要素であることはまちがいない。のんきなのか強引なのか、協力的なのか負けず嫌いなのか、野心的なのか怠け者なのか──それは自分自身で決めることだ。人間の遺伝子はこの意思決定プロセスのひとつの要因ではあるものの、文字どおりひとつにすぎない。近視の例で見たとおり、遺伝子は環境と相互に作用して影響力を発揮する。よって遺伝子の力を認めることが、教育、社会階層、文化などの大切さを否定することにはならない。 結局のところ進化心理学とは、進化がどのように人間の遺伝子を作り上げ、わたしたちの心をどう形作ってきたのかについての物語であり、遺伝子がすべてを決めるという物語ではない。環境もまた人間の精神を形作る。そして、文化、価値観、嗜好は「どんな人間になるのか」──「次にどこに進むのか」──に対して大きな影響を与える。

第 1章 エデンからの追放 あなたとわたしはチンパンジーのような生き物* 1の子孫であり、その生き物は六 ~七〇〇万年前に熱帯雨林を離れてサバンナに移り住んだ。熱帯雨林の木々の天蓋の下では、祖先たちをうまく捕まえられる捕食者はほとんど存在しなかった。だとすれば、森を離れるという先祖の決断は奇妙なもののようにも思える。本来の活動領域である木々に棲むチンパンジーは、動きがきわめて素早く獰猛だ。そのため、木登りの天才であるヒョウのような動物でさえチンパンジーを攻撃しようとはしない。しかしながら、地面に降りたチンパンジーを捕まえるのはいとも簡単なことだ。二本足になるとどこか不恰好で、四足歩行でも動きは比較的遅い。その身体は小さく、かつて東アフリカを闊歩していたライオン、ヒョウ、剣歯虎のようなネコ科の大型食肉獣にとっては恰好の餌食となる。 では、なぜ森を離れたのか? われわれの先祖が森での生活の安全と大いなる豊かさを捨て、地面の上でののろのろとした不器用な存在になることを余儀なくされた理由は? この問いについては活発な科学的議論が交わされてきたが、なかでも広く支持されている理論が「サバンナ仮説」の最新版だ。この仮説は、一九二五年に人類学者レイモンド・ダートが「アウストラロピテクス・アフリカヌス」(南アフリカの猿人)の発見について発表したときに提唱されたものだった。熱帯雨林での生活はあまりにお気楽なものだったため、そこで人類が大きく進化した可能性は低いとダートは指摘した。「人間が誕生するためには、それまでとは異なる訓練をとおして理性を磨き、より高い知性の発露を活発化させる必要があった。つまり、迅速さと隠密さのあいだの競争がいっそう激しくなる、より拓けた草原が必要だった。それは、機敏な思考や行動が種の保全に対して圧倒的な役割を果たす土地だった」 人間がサバンナで進化したという点について、ダートの主張は正しかった。しかし一九二五年の段階では、サバンナ行きを余儀なくされた理由まで解き明かすことはできなかった。現在では、東アフリカ地溝帯に沿った地殻活動の影響を受けて、チンパンジーのような先祖から人間が分岐したと考えるのが一般的になった。大陸や海底を作り上げる陸塊を含めたすべての地球の表面は地殻構造プレートの上に置かれ、これらのプレートは下にあるマントルに浮かんでいる。マントルは粘性の液体として火山から流れでることがある一方で、きわめて強い圧力を受ける地殻の下では、柔軟性のある舗装タールのような状態で存在する。地核から発する熱はマントル内に(きわめて遅いものの)強い流れを作りだし、この流れとともにプレートも移動する。ときに、プレートは非常にゆっくりと互いに衝突し合う。インド亜大陸がユーラシア大陸にぶつかったのが一例で、副産物としてヒマラヤ山脈が生まれた(現在でも毎年数センチずつ上昇しつづけている)。ときに、プレートが裂けて互いに離れることもある。アフリカでは北の紅海から南のモザンビーク沖にかけて、大陸の東側が残りの部分からファスナーを開けるようにゆっくりと裂けている。 この地理的ファスナーに沿った地殻活動が東アフリカ地溝帯を作りだし、エチオピア、ケニア、タンザニアにまたがる広大な土地を、突発的かつゆっくりと標高の高い高原へと押し上げていった。これらの地勢の変化は局所的な気候変動へとつながり、地溝帯の東側の熱帯雨林は徐々に乾燥し、サバンナへと変わった。つまり、森を離れたのは人類のほうではなく、森がわたしたちから離れていったということになる。 わたしたちのチンパンジーのような先祖は、森では見事な才能を発揮したが、地面の上での動きはいまいちパッとしなかった。熱帯雨林がサバンナに変わるにつれ、先祖たちは生き延びるために新たな方法を見つけださなくてはいけなくなった。それまで食べ慣れていた果物、ベリー、芽は、木々がなくなるのと同時に減っていった。狩りによって肉を得る機会も、地上での遅い動きのせいで大きく減った。さらに運の悪いことに、草原には巨大な捕食動物がうろついていた。では、食べ物の消滅と危険な捕食動物の登場という二重苦に、先祖はどのように対応したのだろう? 言うまでもなく、多くの先祖候補たちはそのまま死んでいった。しかし一部はそのまま繁栄を続け、彼らの物語がわたしたち人間の物語となった。ディクディク/ヒヒ戦略 わたしたちのチンパンジーのような先祖は、地上での生活を試した唯一の樹木生活動物ではなかった。そこで研究者たちはたびたびほかの種の行動を調べ、チンパンジーが草原の暮らしに適応していた可能性について予想しようとする。似たような動物のひとつにヒヒがいる。ヒヒはサルであり、類人猿ではない(したがって、チンパンジーほど利口ではない)。しかし多くの点においてチンパンジーと似ており、現在も数種のヒヒがアフリカのサバンナに生息している。サバンナに棲むヒヒは、大きな集団で暮らすことによって多くの眼で捕食動物を見張り、多くの歯で自分たちを護ろうとする。今日でも数多くのヒヒが生き残っているという事実が証明するとおり、サバンナ生活への〝ヒヒの解決策〟はそれほど悪いものではなかった。が、大きなストレスと危険をともなうものだった。実際、ヒヒの人生は、飢えたライオンやヒョウの牙によって突如として幕が下りることも多い。 捕食者に立ち向かうとき、ヒヒはおもに大きな門歯を使って闘おうとする。身体は小さいものの、ヒヒはチンパンジーよりも大きな門歯をもっている。もし人間のチンパンジーのような先祖が、サバンナ生活のジレンマへの答えが嚙むことだと決めていたら、人間の顔は現在よりも犬に近く、突きでた顎とはるかに大きな歯をもつようになっていたにちがいない。人間の小さな顎と弱々しい犬歯を見るかぎり、ヒヒの解決策はわれわれの祖先には適していなかったようだ。彼らは、平原での暮らしに対して別のアプローチをとった。たしかに、人類がアウストラロピテクスに進化した時点までに、すでにこの決断は下されていた。アウストラロピテクスの顎と歯は、チンパンジーと人間のちょうど中間くらいの形状だった。 チンパンジーはヒヒよりも賢いため、成獣になるまでより長い時間がかかる。ゆっくり成長するということは、母親による世話がよりたくさん必要になることを意味する。結果、ヒヒに比べてチンパンジーは生殖年齢に達するのが遅く、繁殖率も低くなった。もしヒヒと同じ頻度で敵に狙い撃ちにされていたら、遅い生殖活動が仇となり、われわれの先祖たちは絶滅の危機にひんしていたはずだ。このような理由から、チンパンジー似の祖先たちのなかで進化の圧力を生き抜いたのは──ライオンや剣歯虎などの捕食動物に敵対的なアプローチをとるのではなく──それらの敵に見つかることをなんとか避けようと全力を尽くした集団だと考えてまちがいないだろう。 事実、多くの草食動物にとって、隠れることはなにより大切な生き残り戦略となる。ここでは、ディクディクについて考えてみよう。ディクディクは、東アフリカのサバンナに棲むイエネコほどの大きさのアンテロープだ。身体が非常に小さなディクディクは、プードル犬程度の大きさの敵に対してさえなにひとつ防衛手段をもっていないので、ほとんどの時間を隠れて生活する。敵に追いかけられたとき、ディクディクは驚くほど迅速かつ機敏に動くことができるものの、拓けた草原で逃げ切れるほどのスピードではない。そのため、ディクディクはまわりの環境に溶け込み、捕食動物が近くにいないかずっと見張り、深い茂みのそばにつねにとどまろうとする。 チンパンジーのような人間の先祖はディクディクほど機敏ではなかったが、木に登ることができた。おそらく彼らは日々長い時間を隠れて過ごし、敵を見張り、危険を感じたときには木によじ登ったにちがいない。現代のチンパンジーも、サバンナにいるときにはこの種の複合的なディクディク/ヒヒ戦略をとり、熱帯雨林のチンパンジーよりも大きな集団で行動し、すぐによじ登れる木がない拓けた場所をなるべく避けようとする。さらに興味深いのは、サバンナのチンパンジーがほかにもふたつの特徴的な行動をとるという点だろう。まず、サバンナに生息するチンパンジーは木枝から串のようなものを作りだし、それを木の空洞に突き刺し、なかに隠れているサルを攻撃して追いだそうとする。もうひとつ特徴的なのは、熱帯雨林のチンパンジーよりも互いに

共有しようとする傾向が強いという点だ。これらふたつの行動は、熱帯雨林を離れたあとの人間の祖先が示した変化とよく似ている(この点については、あとでさらにくわしく触れる)。 サバンナに生息するチンパンジーやヒヒの研究から得られたデータによって、人間の祖先がサバンナで生き残れたのは〝用心深さ〟のたまものだった可能性が高いことは明らかだ。熱帯雨林が消えたすぐあとの数百万年のあいだ、そのような用心深さこそが、生き残りのために大きな役割を果たしていたことはまちがいない。ところが、ヒヒやディクディクとは異なり、わたしたちの祖先はその程度のわずかな成功では満足しなかった。もはや移動のために前肢を必要としなくなった賢い類人猿に、サバンナは新たな機会をもたらした。変化は一晩のうちに起きたものではなく、人類の心や身体はその後に続く三〇〇万年のあいだ、数え切れないほどの適応を繰り返してきた。それは、草原で自分たちの身を護るために、人間がまったく新しい方法を見つけだしたことを意味するものだった。ライオンに石を投げつける 強く、凶暴で、動きの機敏な動物に襲われ、逃げることも素手で倒すこともできそうになかったら、あなたはどうするだろう? わたしの場合、たいして迷うことなくこの問いに答えることができる。わたしが生まれ育ったのは、ペットの放し飼い禁止条例に無関心な住人が多い地域だった。友人たちと遊んでいるときに、同じ通りで飼われていたシェパードやドーベルマンに追いかけられることなどしょっちゅうだった。わたしはガリガリに痩せた子どもだったし、大型犬を眼にするといまでも怯えてしまう。それでも七歳か八歳になるころまでに、石を投げつけるという作戦によって首尾よく自分を護ることができるようになった。とくに、きょうだいや友人と一緒にいるときであれば、屈んで石を拾うだけで事足りた。こちらに突進していた犬たちは、石を拾おうとするわたしたちの姿を見ただけで、突然うしろに逃げていった。ひとりのときにはすぐに石を投げることができなかったため、近くのフェンスや木の上に逃げるしかなかった。しかし、ひとりでも別の人がそばにいれば、その場にとどまって自分たちを護ることができた。 これらの経験は、わたしたちの祖先がサバンナで捕食動物の脅威にどう対応していたかについてヒントを与えてくれる。彼らは石を投げていたのではないか? 集団でたくさんの石を投げることができれば、とりわけ効果的だったはずだ。祖先たちがほんとうにそんな行動をとっていたのか、時間をさかのぼって確かめることはできない。しかし、現代人と当時の人類の身体の差を比べると、この戦略が妥当なものだったのかどうか見当をつけることができる。さて、歴史的な証拠はどんなことを指し示しているのだろう? たしかに時代ごとの化石記録に見られるたくさんの変化は、石投げ仮説を裏づけるものだった。これらの変化の形跡の多くは、少なくともアウストラロピテクス・アファレンシス(アファール猿人)の一部の化石に残っている。アウストラロピテクス・アファレンシスとは、およそ三五〇万年前に東アフリカを歩きまわっていた猿人で、レイモンド・ダートが発見したアウストラロピテクス・アフリカヌスより以前から存在していた(そのうちのひとつの化石人骨には〝ルーシー〟という名前がつけられた)。脳の大きさから判断するに、ルーシーの知性はチンパンジーとさほど変わらなかったようだ。しかし彼女は、ただ物陰に隠れて見つからないことを望むだけでなく、捕食動物に対処する新たな方法を見つけだした。チンパンジーと比べると、ルーシーの手と手首は可動域がより広く、上腕の柔軟性が高く、肩が水平に近く、股関節と下部胸郭のあいだの空間が大きかった。こういったさまざまな変化は、ルーシーが二足歩行(直立歩行)していたという事実──彼女の祖先がサバンナで身につけてきた習慣──によってもたらされたものである可能性が高い。この新しい特性はまた、モノを投げることにも非常に効果的だった。 砂浜で人々がボールを投げ合う姿を見ていると、投げるという動きがおもに片腕と肩の筋肉を利用したもののようにも思えてくる。しかしながら、力強く正確に投げる技術を身につけたければ、野球選手、アメフトのクォーターバック、あるいは狩猟採集民の動きを観察する必要がある。経験豊かな投げ手にとって、腕や肩は全体の方程式のほんの小さな一部にすぎない。力強い投擲は、反対側の脚(右利きであれば左脚)を前に踏み込むことから始まる。次に腰を回転させながら前進し、胴体から肩の順に身体をまわし、最後に肘と手首の動きへとつなげる。 これらの連続的な動きが利用しているのは、身体の前方移動と回転が組み合わさった力が、腕と肩の靱帯、腱、筋肉を引き伸ばすという事実だ。その動きによって投擲のいちばん最後には、輪ゴムがはじかれるように腕が前方へと加速して動いていく。チンパンジーは人間より力こそ強いものの、モノを投げるときにこのような弾性エネルギーを生みだすことはできない。関節には充分な柔軟性がなく、筋肉がうまく連動するようにつながっていないのだ。腰、肩、腕、手首、手に起きた変化によって、ルーシーと仲間のアウストラロピテクスたちはこれまでよりはるかにうまく石を投げることができるようになった。同じ変化はまた、こん棒で殴る* 2ことにも大いに役立った(投擲でうまく敵を倒せなかったときには、こん棒が役立った)。 ドーベルマンを石で追い払うのと、ライオンや剣歯虎を追い払うのはまったく異なる挑戦だ。アウストラロピテクスのように体重がおよそ二五 ~四五キロで、身長が一 ~一・五メートルほど* 3しかない場合、その挑戦はとりわけたいへんになる。とはいえ、たくさん練習すれば、投げることは驚くほど大きな効果を発揮する。この事実を知らなかったわたしが大恥をかいたのは、二〇代後半のころに恋人とオハイオ州祭りを訪れたときのことだった。ピッチング・ネットとスピードガンが置かれた屋台を見つけたわたしは、自分の運動能力を見せつけて彼女に好印象を与えようと、意気揚々とボールを投げつけた。わたしは時速八〇キロの投球に充分に満足し、彼女も充分に驚いているように見えた。しかしそんな浮かれた空気は、一二歳のひょろっとした少年が隣でボールを投げた瞬間に消えてしまった。体重四〇キロにも満たない思春期前の少年は、一滴の汗をかくこともなく、時速九五キロ超えの速球を軽々と立てつづけに繰りだした。男同士の力比べで、小枝のような細身の少年に負けることなど本望ではなかった。わたしは渾身の力を込めて最後のボールを投げたが、その軌道はひどく曲がり、時速九〇キロ弱という記録と耐えがたいほどの肘と肩の痛みだけが残った。隣にいたガールフレンドは、ボールを投げるのに必要なのは力ではなく、練習なのだと言ってわたしを慰めようとしてくれたが、まさにそのとおりだった(わたしがはじめて彼女との結婚を意識したのは、そのときだった気がする)。「継続は力なり」ということわざが正しいと考えた場合、石投げ仮説はよりもっともらしく聞こえてくる。とくに、投げるという行為に集団全体で取り組んだとき、効果はさらに増すはずだ。この可能性を裏づけるように、歴史的な記録もまた投擲が驚くほど有効だったことを指し示している。ヨーロッパの探検家と先住民のあいだの遭遇については数多くの記録が残っているが、その後に起きた紛争のなかで先住民たちが用いた武器は石だけだったという。ヨーロッパの探検家たちの多くは鉄砲や甲冑を駆使して戦いに挑んだが、たびたび負けるどころか、惨敗することさえあった。ここで、人類学者のバーバラ・アイザックが「投擲と人間の進化」というすばらしい論文のなかで引用した三つの歴史的説明を見てみよう。ほぼ一瞬にして、彼らはわれわれをこてんぱんに打ちのめし、こちらはすぐに安全な場所に戻るしかなかった。飛んできた石のせいでみな頭から血が流れ、腕や足の骨も折れていた。彼らはほかの武器のことなどなにも知らない。にもかかわらず、キリスト教徒よりもはるかに巧みに石を扱って投げた。彼らが投げる石は、まるで石弓の矢のようだった。──ジャン・ド・ベタンクール(一五世紀のフランスの探検家)野蛮人たちが投げつけてくる巨大な石によって、われわれの仲間はひとり、またひとりと大ケガを負った……通常では考えられない軌道と力で飛んでくるため、降り注ぐ石を避けるのは非常にむずかしく、その石はわれわれの銃弾とほぼ同じような効果を生みだした。それどころか、より迅速に次の

攻撃を続けるという点においては向こうに分があった。──ラ・ペルーズ伯ジャン =フランソワ・ド・ガロー(一八世紀のフランスの探検家)多くの場合、向こうの特徴もまだわからない段階で、まったく非武装のオーストラリアの原住民の攻撃によって、武装した兵士が殺された。その兵士は原住民に向かって銃を撃ったが、原住民は素早く身をかわし、兵士が的確に狙いを定めることを防いだ。それから、兵士の身体は降り注ぐ石によって切り刻まれた。飛んでくる石の威力と精度は想像を絶するものである……オーストラリアの原住民は驚くべき速さで代わる代わる石を投げつけてきたが、まるで何かの機械から放たれているかのようだった。さらに、原住民の男は左右に飛び跳ねて移動しながら石を投げるため、餌食となった不運な兵士の上に石がさまざまな方向から落ちてくるのであった。──ジョン・ウッド(一九世紀のイギリスの探検家) これらの説明は、集団による石投げがどれほど危険かを教えてくれる。しかし同時に、ある重要な点を浮き彫りにするものでもある──ライオンやヒョウのような大きな動物を相手にするとき、この石投げ戦略を成功に導くためには〝協力〟がカギとなる。集団行動の心理学 チンパンジーは協力よりも競争する傾向のほうが強い。だとすれば、われわれのチンパンジーのような遠い祖先にとって、集団的に行動して大きな捕食動物を追い払うのはそう簡単なことではなかったにちがいない。(ほかの仲間たちが逃げてしまったあとに)アウストラロピテクス・アファレンシスがひとりで石を投げても、敵の腹に小さな傷を負わせることしかできない。しかし、大勢のアウストラロピテクスが一緒に石を投げれば、ハイエナ、剣歯虎、さらにはライオンを退治することができたかもしれない。この集団行動の必要性が、人類にとってもっとも大切な心理的変化を生みだした──協力し合う能力と欲求だ。結果、わたしたちはサバンナでただ生き残るだけではなく、繁栄することができるようになった。 現代のチンパンジーは、集団で狩りをしたり敵の群れを攻撃したりするときのみ、少しだけ協力し合う。しかし親族や仲間ではないメンバーに対しては、つねに競争意識をあらわに行動する。チンパンジーのような先祖たちが草原をこそこそと横断したとき、はじめの一〇〇回、一〇〇〇回、あるいは一〇〇万回のあいだ、攻撃の気配を感じるなり誰もがすぐに近くの木へと四散していた可能性は高い。しかし、どこかの段階で先祖たちは団結して集団的に防衛することを決め、その時点から全員の生き延びる確率も高くなった。 共同作業に取り組むことを学んだ個々は、集団内で有利な立場に立てた。さらに、「自分のことは自分でやる」という戦略のメンバーよりも、容易に多くの子孫をもうけることができたにちがいない。その後の進化もまた、集団全体での協力の質を高める心理的変化をより強く推し進めていったと考えられる。協力を好み、協力するために他者に頼りにされた先祖たちには、結果として大きな報酬が与えられた。 石を投げて敵を追い払えると学んだアウストラロピテクスは、すぐに集団的な石投げを使って狩りができることにも気づいたはずだ。集団的な投石には事前の計画も調整もほとんど必要ないため、われわれの遠い先祖たちの限られた認知能力でも行なうことができた。アウストラロピテクスの集団は敵と遭遇するたび、相手に向かって石を投げつけたのだろう。さらに投石によって、ほかの動物が殺したばかりの獲物を横取りすることもできた。獲物を仕留めた獣が夕食を独占しようとしても、アウストラロピテクスが次々と投げる石の下でその場にとどまりつづければ、自分が相手の夕食になってしまうだけだった。 石投げは協力の効果を大いに高めただけでなく、協力をうながす新たな方法も生みだした。協力を阻む最大の敵はただ乗り、つまり面倒な作業をサボって利益だけ共有しようという傾向だ。サバンナで暮らしていた初期のアウストラロピテクスの多くがただ乗りの誘惑に駆られたことは想像にかたくない。敵の気配を感じた瞬間、残りの仲間たちは協力し合って退治しようと動きだしたにもかかわらず、自分だけ逃げてしまいたいと感じた者もいただろう。先祖たちがフリーライダーに悩まされたことはまちがいないが、その状況はいまでも変わっていない。徹夜で作業したチームに上司がねぎらいの言葉をかけたとき、それまでサボっていたはずの同僚が疲れた顔でうなずいたら、誰もが腹を立てるはずだ。しかし、人類の先祖たちは新たな武器を巧みに使って全員に協力をうながそうとした。 ひとつ目の武器は追放の脅威だった。森に棲む類人猿の集団から追いだされるのは不愉快なことだった。一方、草原のアウストラロピテクスの集団から追いだされることは、死を意味した。そのため先祖たちは、村でのけ者にされる* 4脅威に対して強く感情的な反応を示すように急速に進化していった。アウストラロピテクスのうち、追いだされるのを歯牙にもかけなかった者たちは、そのまま生き残って人間の先祖となることはなかった。村を追われるという恐怖は、すぐにフリーライダーたちの怠け癖を抑え込むようになった。追放と拒絶はいつの世も、協力をうながす大切なツールでありつづけた。結果としてわたしたち人間はいまでも、社会からの拒絶を耐えがたいほど苦痛に感じ、あらゆる手を尽くして集団内で気に入られようとする。 なかには貝のようにしつこく集団にしがみつく者、凶暴な性格で追放を快く受け容れない者もいた。追放することがむずかしい常習者には、集団的な処罰の脅威が効果てきめんだった。戦争の歴史のなかでも離れた場所から相手を殺す能力は、とくに重要な発明だった──より弱い立場にいる個人でも、大きな集団を作って比較的安全な立場を保ちながら、より強い個人を攻撃することができる。おそらく〝石打ち〟は、与えられた役割を果たすことのできなかった仲間に対して祖先が割り当てた初期の刑罰の形態のひとつだったと考えられる。たしかに、つい最近まで石打ちは一般的な罰として使われつづけていた。たとえば聖書のなかでは絞首、斬首、十字架への磔などさまざまな殺害方法が当時あったにもかかわらず、多種多様な罪への懲罰として石打ちの刑を言い渡すことが定められている。違反者に石を投げつけることがいかに安全* 5で効果的だったのか、聖書の法の創造者たちはきちんと理解していたのだ。 石を投げることは高度な論理とはほど遠かったが、この初期の集団行動は進化のプロセスを大いに刺激し、それから三〇〇万年にわたる人類の精神能力の飛躍的な拡大へとつながった。捕食動物に石を投げると決めたことに、大きな意味などないようにも思える。実際、はじめの数百 ~千回のあいだはたいして役に立たなかったのかもしれない。しかし最終的に効果が現われたとき、それがすべてを変えたのだった。集団行動がもたらした認知革命 科学者はかつて、わたしたち人間は非常に利口になったため、母指対向性(親指をほかの四本の指と向かい合わせにして使うこと)によって生じた〝モノを操る機会〟をうまく利用するようになったと信じていた。この説には、まちがいなくいくらかの真実が含まれている。たとえば、八本の触手によって母指対向性と同じような機会を利用できるタコもそうとう利口だ。一方、シマウマの蹄では道具を作ったり使いこなしたりすることはできないため、たとえ巨大な脳をもっていてもムダになる。 しかし突きつめて考えると、集団の仲間たちに対応することは、モノを操ることよりもはるかに大きな精神的な問題となる。そのため、多くの科学者たちは「社会脳仮説」を信じるようになった。これは、霊長類の脳が大きく進化したのは、社会的な課題──きわめて相互依存性の高い集団のほかのメンバーに対処するときに避けられない課題──に向き合うためだったという考えである* 6。この仮説はとりわけ人間に当てはまるが、理由はわたしたちが

ほかの類人猿よりも大きな集団で生活しているからだけではない。むしろ、チームワークの恩恵を受けはじめた先祖たちが、あらゆる種類の社会的なイノベーションのための土台を築いていったという事実があるからだ(そのようなイノベーションの大部分は一 ~二〇〇万年後に実現したが、くわしくは第 2章で説明する)。これらの社会的なイノベーションを調整・実行するにはより大きな脳が必要になり、それが「もっと利口になれ」と先祖たちに大きな圧力をかけた* 7。 協力はわたしたちの祖先をより利口にした。同時に協力は、精神の機能にいくつもの変化を求めるものだった。まずなにより、先祖たちは情報共有から恩恵を受けるようになった。それ以前の競争の激しい生活では〝知識 =力〟であり(もちろん、それはいまでも同じ)、貴重な個人的情報を共有するなどほぼありえないことだった。ところがいったん協力が始まると、誰もが共通の認識をもっているほうがはるかに有利になった。 共通の認識をもつための第一歩は、注意を共有することだ。集団のほかのメンバーと敵対関係にあるとき、わたしは自分の考えを相手に知られないように努め、どの方向を見ているのか気取られないようにする。配偶者の候補を見つめているにせよ、おいしそうなイチジクに注目しているにせよ、相手にさきに奪われないように秘密にしようとする。しかし集団のほかのメンバーと協力関係にあれば、自分の注意がどちらに向いているのかわたしは喜んで相手に教えるにちがいない。おいしそうな獲物を誰より早く見つけたとしても、それを仲間たちにも知らせ、一緒に協力して捕まえるよううながすはずだ。 人間の親戚であるチンパンジーは全体像を視覚的に把握することに長けており、仲間たちに何が見えているのか、自分のいる場所から識別することができる。しかし進化するにつれ、茶色い強膜(いわゆる白目)によって視線の向きを隠すようになり、仲間たちがこの視覚情報を得ることはよりむずかしくなった。チンパンジーの顔を見ても、眼をまじまじと近くで見つめないかぎり、実際にどちらを向いているのかを知ることはできない。このようにチンパンジー、ゴリラ、オランウータンの視線の方向を追うのは容易なことではない。対照的に、人間の強膜は進化の末に白くなったため、視線の向きは誰にでもわかってしまう。たとえ顔と眼が別の方向を向いていたとしても、視線のさきに何があるのかはバレバレだ。 人間が視線の向きをそこまで明らかにするという事実は、自分が注意を惹かれているものを隠したときよりも、相手に伝えたときのほうが他者から得るものが多くなったという明らかな証拠である。さもなければ、人間の強膜がほかの類人猿と異なる進化を遂げるはずはない。そのような進化が起きるのは、それが集団に利益をもたらし、間接的に(集団の一員としての)個人の利益へとつながるからだと一部の研究者は主張してきた。理論上、この考え方も正しいように思える。しかし、そういったウィンウィンの流れができあがるのは、集団の利益が非常に大きく、個々の犠牲が小さい場合にかぎられる。個々のメンバーに対して大きな犠牲をともなう知識から集団が利益を得るとき、ほとんどの状況において、個人はその知識を共有しようとはしない。たとえ個人の成功が集団に損失を与えるものだとしても、次の世代に引き継がれる遺伝子を決めるのは「個人の成功」のほうなのだ。 結果として、集団と個人の目標が相反するときには、ほぼ確実に個人の目標が勝利を収めることになる。チンパンジーは人間よりもはるかに個人志向が強く、はるかに集団志向が弱いため、集団としてうまく協力し合うことを苦手とする。しかしいったんサバンナに移り住み、協力が成功のカギだと気づいた人類にとっては幸運なことに、集団と個人の目標は両立するものだった。それは、類人猿史上はじめての出来事だった。言い換えれば、森林からの追放は、競争よりも協力することを選んだ類人猿のために新たなニッチ(生態的地位)を作りだした。集団と個人の目的が両立するというこの進化こそが、大きな脳以外に生物的な武器をいっさいもたない人類をのちに食物連鎖の頂点へと導いたのだった。 この意味でいえば、ここ六〇〇万年にわたる人間の認知の進化は、無意識の自助努力によるプロセスだととらえることができる。地域的な気候の危機が起きたとき、協力し合って解決策を見つけたことによって、人間はこの地球上ではじめて社会的認知のためのニッチを作り上げた。その後の数百万年をかけ、このニッチをより効果的に活用するための新たな能力を発達させていった。わたしたちをヒトにした社会的跳躍 わたしたちの祖先は、サバンナでの生活で数々の障壁に立ち向かうための社会的解決策を見つけた。偶然の流れではあったものの、そのときから一連の出来事が動きだし、のちにヒトの誕生へとつながった。これが、熱帯雨林からサバンナへの人類の移動をわたしが〝社会的跳躍〟と呼ぶ理由だ。「森林から草原への跳躍」というのは、言うまでもなく比喩的な表現でしかない(実際には跳躍よりも追放に近かった)。しかし社会的な解決策へのこの跳躍によって、人間は大きな捕食動物による支配から逃れ、より複雑な社会的戦略のための土台を作ることができるようになった。 草原での生活のなかで祖先たちが別の解決策を選んでいたら? たとえば、より効果的に穴を開けたり、隠れたり、走ったりできるようになっていたら? その場合はおそらく、わたしはいまこの本を書いてはいないだろうし、あなたもこの本を読んでいないはずだ。先祖による選択の多くは、まったくのランダムなものだった。同時にそれらの選択は、先祖たちに与えられた機会に大きく左右されるものでもあった。 熱帯雨林の生息地が失われたとき、そこで人類の歴史が終わってもおかしくなかった。この熱帯雨林消滅シナリオを何度か繰り返したとしたら、十中八九、わたしたちの先祖は臆病なヒヒのような動物となり、近くにある木から眼を離すことなくライオンの登場をつねに恐れて生活していたにちがいない。つまり食物連鎖の頂点へと上りつめるのではなく、絶滅したり日陰の存在となったりする可能性のほうがずっと高かったのだ。しかし祖先の一部は幸運にも絶滅の危機への解決策を見つけ、現在のわたしたちはその〝回復力〟の恩恵の受益者となることができた。 草原から現在のインターネット社会への移り変わりはひどく残酷で、恐ろしいほど非効率的なものだったが、それこそが進化そのものの性質だといっていい。地球はつねに変化しつづけており、適応できなければ生命は絶える。たしかに、六六〇〇万年前に大型の小惑星が地球に衝突していなかったら、おそらく人類が進化することはなかった。メキシコ湾にぶつかり、地球規模の火事嵐と気候変動を引き起こした気まぐれな宇宙ゴミによって、それまで一億年以上にわたって地球を支配してきた巨大な捕食動物たちはすべて絶滅した。祖先たちは、石を投げることでライオンや剣歯虎を追い払えた。しかし、たとえ大勢で集まってうまく協力し合えたとしても、ティラノサウルスにとって祖先たちはただの甘いお菓子でしかなかった。人類の社会的跳躍は鮮やかで先見の明に満ちたものに見えた。しかし同時にそれは、人類に偶然有利に働いた一連の長い出来事に大きく依存したものでもあった。 なによりも重要なのは、この社会的跳躍が、わたしたち人類にかかる進化的圧力をも変えたということだ。新しい生活とともに訪れた危険と機会にうまく対応するために、人類は次の数百万年をかけて精神的な性質を大いに変え、認知能力をさらに広げていった。それについては次の章で説明したい。

*1 人間とチンパンジーは共通の祖先から進化したものの、その祖先たちがどのような見かけだったのかははっきりとわかっていない。化石による記録は、共通の古代の祖父母たちは、今日の人間よりもチンパンジーの姿にずっと近かったことを強く示している。この理由からわたしは、共通の祖先を「チンパンジーのような」「チンパンジーっぽい」と呼ぶ。 *2 ここでいうクラビングとは、さまざまな種類のこん棒で相手を殴ることを意味する。化石を調べるかぎり、古代のサバンナでクラブ通いが流行していた形跡はない。 *3 現代のチンパンジーより少しだけ背が高く、少し体重が軽い。 *4 ここでわたしは「 ostracize」という英語の動詞を使った。語源となるギリシャ語のとおり、陶片追放という意味を表わすためにわたしはこの単語を選んだ。心理学の世界では、「無視」「その場にいないかのように相手を扱う」という意味で「 ostracize」が使われることも多い。これも心理的な追放の一形態を表わすものであり、不快であることはまちがいない。しかし、古代の環境における追放はまったく別物であり、生死にかかわるほどの影響を及ぼすものだった。 *5 石打ちの刑の執行人にとっては安全だった、という意味。いうまでもなく、刑を受ける側にとってはつらいことだった。 *6 社会的な課題は、ほかの数多くの種の認知能力においても重要な役割を果たしている。たとえば、ゾウは遠く離れた場所からでも集団メンバーの位置を追跡することができる。カササギの子どもは、大きな集団で生活したときのほうがより賢い成鳥に育つ。 *7 心理学者のマシュー・リーバーマンは、著書『 21世紀の脳科学 人生を豊かにする3つの「脳力」』のなかでこの議論をさらに展開させ、人間の脳が社会的なツールとして機能する根本的な仕組みについて解説した。

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