うわべがいい人が送る二重のメッセージ巧妙な言い逃れで真実を歪曲する人対話を避け、相手の存在すら無視する人責任逃れのために巧妙にあいまいさを残す人振り回す人が常用する混乱させる話し方
うわべがいい人が送る二重のメッセージ
第 1章で取り上げたダブルバインドほどではなくても、二重のメッセージを知らず知らずのうちに送って、他人を混乱させ振り回すことは誰にでも多かれ少なかれあるのではないか。 二重のメッセージは、主に三つの手法で送られる。 1 口調と内容の解離 2 「はい」と言いながら「いいえ」と言う 3 パッシブ・アグレッション( passive aggression) 1 口調と内容の解離 他人をグサッと傷つけることをさりげなく口にする人はどこにでもいる。笑いながら侮辱したり、丁寧な言葉であざけったり、穏やかな口調で脅したりする。もしかしたら、あなた自身も言いにくいことを言うときに限って、言葉とは裏腹にほほえみを浮かべるかもしれない。 たとえば、「こんなミスをするなんて、中学校から行き直したほうがいいんじゃないの」と、お局様が笑いながら新入社員の女性に言う。「お宅のご主人、リストラにお遭いになったとうかがいましたけど、本当に大変ですね」と同情するふりをしながら、知り合いの奥さんをあざ笑う。あるいは、取引先に「もっと安い価格で入れてくれるところはいくらでもありますから、取引先をいつ替えてもよろしいんですよ」と穏やかに告げる。 逆に、称賛や祝福を凍りつかせるような口調で伝える場合もあるだろう。「業績を伸ばしているらしいね」と上司が部下に冷たく言う。「昇進おめでとう」と同僚にそっけなく告げる。あるいは、息子が一流大学に合格した隣の奥さんに「いい大学に入れて将来安泰ですね」と、そっぽを向きながら言う。 このように話の内容と口調がそぐわないと、相手は混乱して、恐怖さえ抱くだろう。一体どちらを信じればいいのか? この奇妙さをどう受け止めればいいのか? 言葉を信じるべきなのか、それとも口調を信じるべきなのか?……というふうに。 こういう混乱を引き起こすことを、話し手の側が薄々気づいていることも少なくない。同時に、防衛的な側面もある。攻撃的な言葉を笑いながら吐けば、万一「どうしてそんなことを言うんですか」と相手から問い詰められても、「いえいえ、ほんの冗談ですよ」と逃げられるだろうから。 しかも、相手の心の中に疑惑の種をあいまいな形でまくほうが、振り回すには有効だ。話の内容と口調の落差に戸惑い、「けなされたんだろうか」「脅されたんだろうか」などともんもんと思い悩むほうが、明確な侮辱や脅迫の言葉を投げつけられるよりも大きな精神的ダメージを受けるはずである。 2 「はい」と言いながら「いいえ」と言う
たとえば、男性社員が先輩から仕事を頼まれて、「はい、はい、やりますよ。今、本当に仕事が多すぎて、時間がないので、手が回らないけど、やりますよ。自分の仕事も締め切りまでに終わらせることができないかもしれないけど、先輩のためだったら、優先してやりますよ」と答えるとしよう。 この場合、「はい」と言っているのだろうか? それとも「いいえ」と言っているのだろうか? おそらく、先輩の頼みだから断り切れず、理性では引き受けなければならないと思いつつも、感情ではとても無理だと思っているのだろう。こうした葛藤が、一体何を言っているのかわからないあいまいな返事となって表れる。 これを聞いた先輩は、もしかしたら仕事を頼むのを控えるかもしれない。そこまでの深謀遠慮があって返事したとは思えないが、仕事が手一杯でこれ以上引き受けられない状況に情念が悲鳴を上げており、それが図らずも出てしまった可能性もある。そういう形でしか SOSを発することができなかったのだとすれば、二重のメッセージには防衛的な側面もあると考えられる。 この男性社員が典型だが、理性と情念の間には常に落差があり、それを埋め合わせるのが難しいほど、二重のメッセージを送らずにはいられない。これは、人間である限り避けがたい。「人間は考える葦である」という言葉で有名なフランスの哲学者、パスカルも言っているように、「もし人間に、情念なしで、理性だけあったら。もし人間に、理性なしで、情念だけあったら。ところが、両方ともあるので、一方と戦わない限り、他方と平和を得ることができず、戦いなしにはいられない」のだから。 パスカルほどの賢者でも、「理性と情念との間の人間の内戦」に悩んでいたことがうかがえる一節である。われわれ凡人が理性だけでは行動できず、感情とのせめぎ合いによって揺れ動くのは当然だろう。この「内戦」が解決不能だと、頭では「はい」と言いながら、心の奥の「いいえ」という叫びが出てくる。 これは、誰でも多かれ少なかれ経験しているのではないか。たとえば、出勤したらデスクの上に山のように書類が積み上げられており、上司から「 ○ ○君が体調不良でしばらく休むことになったから、その分の仕事も君にやってもらうことになった。締め切りが迫っていて大変だろうけど、うちの部署で書類を安心して任せられるのは君だけだから、頑張ってくれたまえ」と言われたら、「はい」と答えるしかないだろう。 もっとも、理性では上司から頼まれた仕事を快く引き受けなければならないと思いながらも、心の底では「そんなこと、やれるわけない。自分の仕事だけで手一杯なのに。だいたい、 ○ ○君が休むことになったのも、上司のパワハラ発言が原因なのだから、その責任をとって、てめえがやれよ」とつぶやいているかもしれない。それでも、そんなことを口に出す勇気はない。「いいえ、できません」とは口が裂けても言えない。 必然的に、「はい」と答えるしかないのだが、その答え方にさまざまなニュアンスを漂わせることもある。前掲 1の手法で、口調によって「いいえ」と言いたい気持ちを伝えようとするかもしれない。仏頂面で「はい」と答えたり、「はーい。承知いたしました ー」と不機嫌な声で言ったりする。あるいは、「はい。しかし……」と何らかの言葉をつけ加えて、自分だけに余分な仕事を押しつけた上司に対する不満をそれとなく伝えようとすることもある。 いずれにせよ、にじみ出た情念が「いいえ」と叫んでいるのであり、二重のメッセージは、抑圧せざるを得ない情念のほとばしりといえるだろう。 3 パッシブ・アグレッション パッシブ・アグレッション( passive aggression)とは、怒りをこそこそと表出するやり方であり、「受動的攻撃」と訳されることが多い。なぜ「パッシブ(受動的)」と呼ばれるのかといえば、「積極的( active)」にではなく、「消極的( passive)」に攻撃するからである。 たとえば、先ほど紹介した会社員のように、本当はやりたくない仕事なのに、やらなければしょうがない状況に置かれて、いやいややらされているような場合には、表に出せない怒りが、思いがけないミスという形で出てくることがある。あるいは、やるべきことをなかなかしない怠慢という形で出て、締め切りが迫っていることは上司から聞いていたにもかかわらず、締め切りに遅れてしまうこともある。つまり、怒りを大っぴらに出せないからこそ、パッシブ・アグレッションという陰湿な形で表出するわけである。 ミスをしたり、締め切りに遅れたりすれば、周囲からの評価が低下して、結局自分が損することはちょっと考えればわかりそうなものだが、なぜパッシブ・アグレッションの形で怒りが出てしまうのか? これは、やはりパスカルが指摘した「理性と情念との間の人間の内戦」によると考えられる。理性では重々わかっていても、情念では我慢できないからこそ、こういう形で怒りが噴出するのである。 さらに、もう一つ見逃せないメカニズムも働いている。上司から頼まれた仕事を締め切りに間に合わせることができなければ、上司が困ることに薄々気づいている可能性も考えられる。自分に余分な仕事、しかも膨大な量の仕事を押しつけた上司を少しでも困らせることができれば、復讐を果たしたような気になり、復讐願望を満たせるのだから。 もっとも、それは同時に自分自身の評価の低下や上司からの叱責にもつながりかねないが、そういう現実的な判断ができなくなるほど、情念が理性に勝つことは誰にでもある。そういうときほど、パッシブ・アグレッションの形で怒りが出やすい。 しかも、単に不注意がミスを、怠慢が仕事の遅れを招いたのか、それとも秘めた怒りがパッシブ・アグレッションの形で出たのか、判別するのが難しいグレーゾーンであることが多い。そのため、周囲はどう対応すればいいのかわからず、困惑して不安になるので、パッシブ・アグレッションは他人を振り回すには格好の手段といえよう。 パッシブ・アグレッションがその威力を存分に発揮するのは、他人の悪口を言うときである。たとえば、 60代の有閑マダムは、「今日の午後息子の家に電話したら、まず孫が出て、お嫁さんを呼びに行ったの。お嫁さんは寝ていたみたい。私の誕生日に手編みのカーディガンを送ってくれたから、そのお礼にと電話したの。うちの嫁は器用で料理もうまいし、掃除や洗濯もきちんとやっているみたい。でも、ずっと家にいるんだから当然だし、もうちょっと早く起きるようにしないと、孫が幼稚園に行くようになったら困るわよね」と話した。 ちょっとだけ聞くと、お嫁さんをほめているような印象を受けなくもないが、よく聞くと、実はけなしていて、強い敵意が漂っていることがわかる。この有閑マダムは、「私は悪口なんか言わない。悪口を言う人の気が知れない」と常々主張しており、自分は〝善人〟だと思い込んでいるようなので、自分が嫁の悪口を言うことなど到底受け入れられないのだろう。それゆえ、遠回しに嫁をけなすようなことを言うのであり、自己欺瞞の塊にほかならない。 この有閑マダムは、「悪口を言う」という自分自身の内なる「悪」を否認したいので、理性では息子の嫁をほめようとするのだが、情念の部分では敵意を抑えられない。だからこそ、きわめて微妙な形で嫁への敵意が漏れ出るのであり、典型的なパッシブ・アグレッションである。 彼女を一言で評すれば、「うわべはいい人」である。いや、むしろ「うわべはいい人」でいようと取り繕っているといえるかもしれない。厄介なのは、「うわべはいい人」ほど、実は陰でこそこそと他人を攻撃することだ。 こういう人のうわべを信じると、振り回されて大変なことになる。たとえば、ある会社では、自分が聞いた上司への不満や愚痴を多少膨らませて密告する 20代の女性社員に同僚の多くが振り回されている。この女性社員は、猜疑心の強い神経質な融資課の 30代の女性課長との関係を円滑にしたいのか、やんわりと密告する。たとえば、ランチの際に同僚が「課長はこちらの仕事量も考えずに仕事を振ってくる」と愚痴をこぼすと、この女性社員は、「『課長はこちらの仕事量も考えずに仕事を振ってくるから迷惑。寿退社すればいいのに』って舌打ちしていました」と膨らませて、課長に伝える。 困ったことに、この女性社員はいつもにこやかで、同僚の愚痴を親身になって聞くふりをするようだ。そのため、誰でも最初はだまされて、つい口を滑らせてしまう。すると、それを膨らませて課長に伝えるわけである。 このように、自分が聞いた愚痴を多少膨らませ、密告する人は意外と多い。これは、愚痴をこぼした本人を蹴落とすと同時に自分が上司から気に入られることを期待しているからで、自己保身の意味合いもある。もっとも、こんなことを繰り返していたら、誰からも相手にされなくなるはずだが、人事異動の直後などに、にこやかな顔で事情を知らない社員に近づいて信頼させ、根掘り葉掘り聞くのだという。「うわべはいい人」なのに、陰で変な噂を流す友人もいるようだ。たとえば、 20代の男性は、仕事や恋愛の悩みを親身になって聞いてくれる友人を「いい人」と信頼して、何でも話していた。ところが、あるとき、「仕事を生きがいにしたいから、できる先輩に鍛えてもらいたい」と意欲のあるところを見せたところ、悪意のある加工をして友人たちに話していたことが判明した。「ここだけの話だけど、あいつは出世しか興味がないみたいだから、できる友達しかいらないみたいだよ」という具合である。共通の友人から、自分の発言がねじ曲げられて伝わっていることを聞いて、啞然としたという。 他人の悩みや愚痴を親身になって聞く「うわべはいい人」の中には、ただ他人の不幸話を聞くのが好きという手合いも少なくないようだ。たとえば、 30代のパートの女性は、「最近、夫とちょっとしたことで喧嘩になって……」と愚痴をこぼしたところ、ママ友の一人が心配そうに話を聞き、いろいろとアドバイスしてくれたので、親切な人だと信頼して、つい長々と話してしまった。 ところが、他のママ友には「〇〇ちゃんのママ、旦那さんと仲悪いみたい。パートをかけ持ちして夜遅くまで働いているから、あまり料理をしないのかしら? それじゃ、旦那さんもかわいそうよね。でも、旦那さんの会社がつぶれかけていて、それで奥さんがパートに出るしかないみたいだから、旦那さんも文句言えない
わよね」などと、尾ひれをつけて広めていたことがわかった。そのため、極度の人間不信に陥り、ママ友とはできるだけつき合わないようにしようと思いながらも、子供がいじめられたり仲間はずれにされたりしたらどうしようという不安もあり、悩んでいるようだ。 このように、「うわべはいい人」ほど、秘めた怒りや敵意をパッシブ・アグレッションの形で出し、他人を攻撃して振り回す。裏返せば、怒りや敵意を大っぴらに出せないからこそ、こういう陰湿な形で表現するしかないということでもある。 したがって、「うわべはいい人」に遭遇したら、抑圧した怒りや敵意を無自覚のままパッシブ・アグレッションの形で出すのではないかと警戒したほうがいい。逆に、自分自身も「うわべはいい人」であろうとするあまり、怒りも敵意も抱いてないかのように装っているうちに、心の中の毒をこそこそと陰湿な形で吐くようなことをしていないかと振り返るまなざしを常に持っておくべきである。巧妙な言い逃れで真実を歪曲する人 真実を定義するのは難しい。とくに感情や印象は、それぞれの個人がどう感じたかとか、どんなふうに受け止めたかという主観の関与する部分が大きく、人によって違うのは当然である。 とはいえ、事実や出来事などについては、当事者の間に「これが真実だろう」という合意が一応成り立っていることが多い。もちろん、そんなことをいちいち意識しながら日常生活を送っているわけではないにせよ、何となくお互いに阿吽の呼吸でわかり合っているという前提があるからこそ、話し合いができるのではないか。 ところが、そういう前提が成り立たないような人が世の中には結構いる。いついつに、これこれの出来事があって、その場には複数の証人もいたので、こちらとしては自明の真実だと思っているようなことであっても、「そんなことはない」と否定する。あるいは、「知らない」「見たこともない」などと、しらを切る。 たとえば、ある会社では、知ったかぶりをして、質問しないため、重大なミスをする男性の新入社員に上司が手を焼いている。この新入社員は、一流大学を優秀な成績で卒業しており、仕事にも熱心に取り組んでいる。ただ、「質問するのはできない社員の証」と思い込んでいるのか、わからないことがあっても質問せず、自分の判断で仕事を進めて重大なミスをし、しばしば周りを巻き込む。ときには取引先にまで迷惑をかけるため、上司が謝罪に行かなければならない。にもかかわらず、当の本人は、自己判断で勝手に進めたことが招いた事態の深刻さをきちんと認識していないようだ。「わからないことがあったら、質問するように」と上司から注意されると、「はい、わかりました」と素直に答えるのだが、やはり自己判断で仕事を進めて重大なミスを繰り返す。その尻ぬぐいを彼だけでできるわけではなく、結局上司や同僚を振り回して迷惑をかける。 そのため、上司が「わからないことがあったら質問するようにと言っただろうが」と詰問すると、「聞いていません」と答える。上司はたしかにそう言ったはずだし、たとえ聞いていなかったとしても、わからないことがあったら質問するのは当たり前だと上司としては思うのだが、そういう理屈はこの新入社員には通じない。 その一因として、上司が「わからないことがあったら質問するように」と注意したのが真実か否かを確認するのが難しいことがあるかもしれない。会話を全部録音するようなことは、会社では普通しない。第一、できない。上司が部下との会話を録音するようなことをしたら、信頼関係は成り立たず、仕事も進まないだろうから。 証拠がない以上、「聞いていません」と答えても許されると思ってしらを切るのだとしたら、これからも自己判断で勝手に仕事を進める可能性が高い。そう判断した上司は、この新入社員にはあまり重要な仕事を任せないことにしたという。 もう一つの可能性として考えられるのは、この新入社員が、強い自己愛ゆえに、自分は何でもできるという万能感幻想を抱いていることだ。こういう場合、自分にわからないことがあるという事実自体を認めようとしない。いや、むしろ認めたくないので、質問などせず、自分の判断で進めてしまう。その結果、取引先にまで迷惑をかける事態を招いて、上司から叱責されても、知らぬ存ぜぬで通そうとする。自分の責任を認めれば、自己愛が傷つくので、それを避けるために責任転嫁して「自分は悪くない」と主張するわけである。 同じようなことを取引先からされると、もっと困る。 40代の中小企業の経営者は、「大きな仕事が発生したら、必ず声をかけますから」と言いながら、面倒な仕事や儲からない仕事ばかりを振ってくる取引先の 30代の担当者の男性にいつも泣かされている。しかも、何かミスが発生すると、自社の責任であっても、こちらのせいにする。 こちらが資金繰りに困っているのをいいことに、便利な使い捨ての下請けとしてしか考えていないのではないかと思うと腹が立つが、なかなか断れない。一度断ると、次から仕事を回してもらえなくなるのではないかという危惧があるし、もしかしたら本当に大きな仕事を振ってもらえるかもしれないとわずかな期待も抱いているからだ。 厄介なのは、この取引先の担当者が嘘をついているとは決めつけられないことだ。大きな仕事が発生したら、本当に声をかけてくれるつもりだったのだが、これまでは大きな仕事がなかったから、声をかけられなかっただけかもしれない。そうだとしたら、「こちらの弱みにつけ込んで面倒な仕事や儲からない仕事ばかり押しつけているんだろう」と担当者を責めるわけにはいかない。 たとえ「今まで一度も大きな仕事を回してくれなかったじゃないですか」とこちらが問い詰めても、先方の担当者は「大きな仕事がこなかっただけで、本当に回してあげるつもりでしたよ」と巧妙に言い逃れるだろう。担当者の言葉の真偽をたしかめるのが難しいからこそ、こちらが振り回されるわけだが、このようにあいまいさを残すことによって非難されないようにするのはビジネスの常套手段である。 こうした巧妙な言い逃れによって相手を振り回す手法は、男女関係でもしばしば用いられる。たとえば、第 1章でも取り上げたが、結婚をほのめかしながら、女性に部屋の掃除や料理をさせ、そのうえお金まで借りている男性は、「結婚するって言っているけど、本当はそんな気ないんじゃないの。結婚を餌にして私をいいように利用しているだけなんじゃないの」と相手の女性から問い詰められたときに、「本当に結婚するつもりだったよ。ただ、仕事で実績を積んで昇進してから結婚したほうがいいと思っているうちに、延び延びになっただけさ」と答えたそうだ。この答えを聞いて、女性はもう一度彼を信じる気になったらしく、いまだに関係をずるずると続けている。 これは、かなり狡猾な手法である。「本当に ○ ○するつもりだった」という真偽を容易にたしかめられないことで相手を釣って、振り回す。嘘をついているわけではないので、相手をいくら振り回しても、罪悪感を覚えずにすむ。この手を無自覚のうちに使っている人は少なくないはずだ。対話を避け、相手の存在すら無視する人 先ほど紹介した、自己判断で仕事を進めて重大なミスを繰り返す新入社員は、上司から叱責されるたびに知らぬ存ぜぬで通そうとするらしいが、これは対話を拒否したいという欲望の表れだろう。 対話の拒否も、他人を振り回すのにしばしば用いられる手法であり、その目的は、相手を無視することにある。お互いに説明して、理解し合い、問題を解決しようとする相手の話をさえぎり、質問にも答えようとしないのだから、相手の存在自体を無視しようとしているともいえる。 対話の拒否には、さまざまなやり方がある。・ずっと一方的にしゃべり続け、決して口をはさませない。問題や解決策について自分の意見だけを饒舌に話し、相手には意見を言わせない。・相手が何か言いたそうなそぶりをすると、すぐに話をさえぎる。あるいは、大きな声かつ強い調子で一方的にしゃべる。・相手が話しかけたり、質問したりすると、いかにも忙しそうなそぶりで、スッと逃げる。ときには「今は忙しいから、後で」と言うが、後で話を聞くようなことは一切ない。・相手が話している間は、いかにもつまらなそうにしている。あるいは、携帯をいじるなど他のことをしていて、相手の話を真剣に聞こうとしない。もちろん、質問にも答えず、目も合わせない。・話題を頻繁に変えて、話をそらす。とくに、自分にとって都合の悪い話題になると、「そんな不愉快な話ではなく、お互いにとって楽しい話をしましょうよ」などと言う。あるいは、もっとつっけんどんに「もうたくさんだ。そんな話は聞きたくない。私には他にすることがあるんだ」と言って、その場を離れることもある。
・話し合いの時間を限定して、それを守るように要求する。一応礼儀正しく話を聞くのだが、所定の時間が来ると、「はい、終わり」と告げる。まるで、その話し合いが自分にとっては苦役であり、何の興味も抱いていなかったかのような印象を与える。・鼻で笑い、相手の話なんかどうでもいいと思っていることをことさら伝えようとする。「そんなことは誰でもやっているはずで、大したことじゃないですよ」というふうに。 ・「話にならん」などと言って、会話が成り立たないことをしきりに強調しようとする。・電話中であれば、突然電話を切る。対面して話し合っている場合は、突然部屋を出ていく。ドアを手荒く閉めることもある。 いずれも、これ以上対話を続けたくない、あるいは話し合い自体をしたくないという意思表示である。自分にとって嫌な話題に触れられたり、叱責や非難を受けたりする恐れがあれば、これくらいのことを本当にやりたいと誰だって思うはずだ。自己防衛本能が働くからで、嫌な相手とは話もしたくないと思ったことが一度もない方はむしろまれなのではないか。 それでも、普通はそういう大人げない振る舞いをしてはいけないという理性が働いて、嫌な相手であっても、避けたい話題であっても、話し合いに臨む。とくに、職場では、そうせざるを得ない。 ところが、この理性が働かなくなると、感情が優位に立ち、対話を拒否するようなことでも平気でやり始める。とくに他人を平気で振り回す人は、周囲の反応が目に入らなくなることが多く、傲慢に振る舞いがちである。自分自身がそういう人になっていないか、わが身を省みるべきである。責任逃れのために巧妙にあいまいさを残す人 肝心な点をあいまいなままにしておき、はっきり言わないのも、他人を振り回す手法の一つである。これは、多くの場合、何かあったときに言い逃れができるようにするため、つまり責任回避のためである。したがって、自己保身の欲望が強く、責任をなるべく取りたくない人がしばしば用いる。 たとえば、先ほど紹介した、面倒な仕事や儲からない仕事ばかりを振ってくる取引先の担当者に対して、下請けの中小企業の経営者が「これはかなり面倒だし、利益もあまり出ない仕事ですが、これをお引き受けしたら、次は本当に大きな仕事をいただけるんですね?」と尋ねたところ、「大きな仕事が入ったら、ぜひお願いしたいと個人的には思っていますが、いつ入るかは現時点ではわかりませんし、どこに発注するかも会議で決めます。うちの仕事をいつもきちんとやってくださっている下請けの中から選びます」という答えが返ってきたという。 この答えは、二重のあいまいさを残しているという点で、芸術的である。まず、大きな仕事が入る時期をあいまいにしている。また、どこに発注するかは会議で決めると伝えることによって、発注先を自分一人で決められるわけではないので、どこになるかわからないという言い逃れもしている。これは、お宅に発注できないとしても、それは自分のせいではないという言い訳でもある。 巧妙なのは、「うちの仕事をいつもきちんとやってくださっている下請けの中から選びます」という言葉によって、暗に脅していることだ。これは、裏返せば、「面倒な仕事や儲からない仕事でも、嫌がらずに引き受けてくれる下請けにしか、大きな仕事は発注しない。大きな仕事が欲しかったら、文句を言わずにやれ」と伝えているのである。 この手のあいまいな脅しは、どこでも行われているのではないか。たとえば、上司が部下に「厄介な仕事でも嫌がらずにやる人は出世する」と言うときは、「おれが命じる仕事は、どんなに厄介でも、ときには汚れ仕事でも、嫌がらずにやる奴しか、昇進させない」と脅している。 また、「転勤を受け入れる人しか昇進できない」という会社の内規も、「転勤しない奴は昇進させない。だから、出世したかったら、どんな僻地でも嫌がらずに転勤しろ」という脅しと解釈することもできる。 あるいは、親が子供に「親が寝たきりになったときに介護してくれる子供に遺産を譲りたいと思うのが親心」と言うときは、「私をきちんと介護してくれなければ、遺産を一銭もやらない」と脅している。 私自身、実家に帰って開業するようにしつこく要求する母に、「じゃあ、遺産は一銭も要らんのんじゃな」と言われたことがある。さすがに、心が揺れたが、これは脅しだと感じたし、ここで母の脅しに屈したら一生母に支配されると思ったので、「要りません」ときっぱりと答えた。私は自分で稼げるし、母の支配欲求の強さを職業柄よく理解していたので、「私の要求に従わなければ、遺産を一銭もやらない」という母の脅しを突っぱねることができたが、経済的にそれほど余裕がなかったり、親の要求にはできるだけ応えるべきと思っていたりすると、やはり脅しに屈するのではないか。 たとえば、 40代の独身女性は、実家を出て、一人で働きながら自活していたが、給料が一向に上がらないことに不満を抱いていたので、父親の死後、単身生活に不安を覚えた母親から「一緒に暮らして、介護をしてくれた子供に財産を譲るつもり」などと言われ、離職して実家に戻り母親を介護するようになった。ところが、年老いてますます頑固になった母親のわがままに振り回され、疲れ果てた。しかも、少しでも反発すると、母親が「嫌なら、出ていけばいい。私はここで一人でやっていける」と言い放ち、杖を振り回すので、自分は一体何をやっているんだろうと徒労感にさいなまれ、何もする気がなくなって精神科を受診した。「出ていけばいい」と言われても、この年で新たに仕事を探すのは至難の業である。たとえ見つかったとしても、離職したときよりも条件が悪くなるのは目に見えている。そういうことをわかったうえでこういう言葉を吐く母親への怒りを彼女はどうしても抑えられない。いつか、介護殺人を犯すのではないかという不安にしばしば襲われ、それを防ぐにはどうすればいいのか知りたいと思ったことも、精神科を受診した一因だという。 この母親は、私の母のように、「私の要求に従わなければ、遺産を一銭もやらない」という脅し文句をはっきりと口にしているわけではない。それでも、そうほのめかすことによって、娘が介護離職するように巧妙に仕向けている。このように脅し文句を一切吐かず、暗に脅して、相手を自分の望み通りに操作できるのが、あいまいさの最大のメリットである。 この手は、言質を取られたり責任を追及されたりする事態を避けるために、しばしば用いられる。その達人ともいえるのが政治家や官僚であり、答弁を聞くたびに、まさに芸術的だなあと感心せずにはいられない。振り回す人が常用する混乱させる話し方 混乱させる話し方で、相手を振り回すのもよくあることだ。さまざまな手法があるが、よく用いられるのは次の四つである。 1 不明瞭な発音、あるいはほとんど聞き取れないような声で話す。すさまじい早口で話すこともある。いずれにせよ、相手に理解させるつもりなど全然ないような印象を与える。当然、わかったかどうか相手に確認することもない。うがった見方をすれば、言質を取られないようにするために、あえてこういう話し方をするのだとも考えられる。 2 細かい点にこだわり、取るに足らないことをくどくどと話すので、とにかく話が長い。また、どうでもいいようなことを長々と話していたかと思うと、脈絡もなく別の話題に移って、相手をいらだたせる。そのため、肝心の話題から常にずれていて、核心に触れる話し合いができない。これは、本人が要領よく話をまとめることができないせいかもしれないが、あえて脱線し続けることによって、自分にとって都合の悪い話題を避けようとしている可能性もなきにしもあらずである。 3 肝心な点を明確にせず、宙ぶらりんのままにしておく。そのため、どんなふうにも解釈でき、誤解が生まれやすい。たとえば、ある企画を推進するのか否かを明らかにしないまま、上司が会議を終えようとする場合。賛成派からも、反対派からも恨まれないように、玉虫色の意見を上司がほのめかしたら、部下はどうしていいかわからず、当惑するだろう。中には、この企画を推進していいんだと自分に都合のいいように解釈して、どんどん進めてしまう賛成派の部下もいるかもしれない。 4 一般論しか話さない。これは、何も言っていないのと結局は同じである。たとえば、病院で投薬ミスを減らすにはどうすればいいのかについて医師や看護師が話し合っているときに、「そもそもヒューマンエラーが起こるのは……」という類の一般論を延々と話し始める。こういう話が必要な場合もあるが、それは学会や研修会ですべきだろう。今、ここで投薬ミスを減らすための具体的な方策について話し合っているのに、ヒューマンエラーに関する一般論を長々と披露するのは、はた迷惑である。 学のあるところをひけらかしたいのかもしれない。だが、一般論を延々と話すのは、目の前の問題にどう対処すればいいのかわからず、その困惑を隠蔽するためではないかと私なんかは思う。だから、かえって逆効果ではないだろうか。
この章で取り上げた手法のいくつかは、誰でも多かれ少なかれ用いながら身過ぎ世過ぎをしているはずだ。たいていは自己防衛のためであり、自己防衛は自己愛に由来する。自己愛は、程度の差はあれ誰でも持っていて、そのせいで自分自身の振る舞いが見えなくなることも少なくない。したがって、みんなちょっとだけ振り回す人なのであり、自分も例外ではないのだと肝に銘じるべきである。
第 2章で述べたように、誰でもちょっとだけ他人を振り回すことはあるにせよ、ちょっとだけではすまず、さんざん振り回しておきながら平気な顔をしている人が世の中にはいる。そのうえ、悪いのは振り回した自分ではなく、振り回された相手のほうだと言わんばかりに罵詈雑言を浴びせる人もいる。 こういう人は、だいたい自己愛が強い。この強い自己愛ゆえに、とにかく自己中心的であり、自分自身の目的を達成するためなら他人を不当に利用しても許されると思っている。これが他人を平気で振り回す人に共通する核であり、この核から派生した次のような特徴もしばしば認められる。どの特徴が目立つかは人それぞれである。 1 自分自身の過大評価。ときには、誇大妄想を抱いているのではないかと思われるほど、現実離れしている。 2 自分は何でもできるという万能感。現実にもとづいているわけではなく、何でもできるはずという思い込みにすぎず、幻想的万能感である。 3 自分は特別という特権意識。そのため、少々のことは許されると勝手に思い込んでおり、特別有利な取り計らいを要求する。 4 強い支配欲求。何でも自分の思い通りにしないと気がすまない。 5 自分が決めたルールにしか従わず、しかもマイルールを他人に押しつける傲慢さ。 6 自分のものの見方や価値観を他人に押しつける強引さ。これは、自分は絶対正しいし、誰よりも賢いと思い込んでいるからである。 7 欲求不満を処理する能力の低さ。そのため、嫌なことや不都合なことがあると、すぐふくれるなど、大人げない振る舞いが多い。 8 自分自身の言動が他人にどんな影響を及ぼすのかという想像力の欠如。他人は、自分の欲望を満たすための道具にすぎないと思い込んでいることさえある。 9 打算的。自己中心的であるがゆえに損得だけで動く。もっとも、あまりにも見え見えなので、しばしば周囲の反感を買う。 10 誰よりも優れていることを認めてほしいという承認欲求。認めてもらうためなら、自分の経歴や業績に関して嘘をつくこともいとわない。 これらの特徴を全て兼ね備えた人は、精神医学では自己愛性人格障害と診断される。全ての特徴を持ち合わせていなくても、いくつかが認められる人は、あなたの周囲にもいて、他人を平気で振り回す迷惑な人になっているのではないか。そういう人の精神構造を、ここで挙げた特徴を綿密に分析しながら、解明していきたい。
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