すべてのヨーロッパ人の祖先 私もあなたも「天皇家の遠縁」 犬種を論じるのはイヌ差別? 人種は社会的構築物 人類はかつて水生生活していた? 赤ちゃんはなぜ泳げるのか? サピエンスの誕生は 77万 ~ 55万年前 覆される通説 サピエンスはユーラシアで誕生した ネアンデルタール人になにが起こったか? 「出アフリカ」はわずか 1000人? ヒトの「進化」は加速している 遺伝と文化は「共進化」する
3 人種と大陸系統 私たちにはみな 2人の生物学的な親がいる。両親にもそれぞれ 2人の親がいるから祖父母は 4人で、祖父母にも 2人の親がいて曾祖父母は 8人だ。 当たり前のことだと思うかもしれないが、このネズミ算をつづけていくと奇妙なことに気づくはずだ。 一世代ごとに祖先の数が倍になるなら、いまから 1300年ほど前、日本では奈良時代あたりで地球上に 1兆人が住んでいた計算になる。 なぜこんな矛盾が起きるのだろうか。それは、家系図が非近交の(血縁関係のある人間とはぜったいに結婚しない)ルールでできていると仮定するからだ。だが実際には、数世代さかのぼると家系図に同じ人物が現われるようになり、「折りたたまれ」ていく。これをわかりやすくいうと、「近親相姦」によって、家系図は私たちがイメージするような樹木状ではなく網の目状になっているのだ。 すべてのヨーロッパ人の祖先 ジョセフ・チャンはイェール大学出身の統計学者で、「ヨーロッパ人はどの時代までさかのぼれば共通祖先をもっているのか」を数学的に解明しようとした。いとこ婚などの近親婚を取り入れたモデルで現在の人口数から家系図をさかのぼり、すべての線がどの時代で交差するかを計算すると、驚いたことに、こたえはたったの 600年前だった。 13世紀末のどこかの時点で、すべてのヨーロッパ人が祖先としてたどり着ける 1人の男または女がいたのだ。 だがこれは、「人類の母」とされるミトコンドリア・イヴのように、その 1人がヨーロッパ人すべての祖先となったということではない。家系図を隙間もないほど錯綜した網の目と考え、現在のヨーロッパ人の遺伝的系列をたどると、 600年ほど前にすべての系が交差する結節点が見つかるということにすぎない。もちろん、この人物が王侯貴族など特別な地位にあったかどうかもわからない。 チャンの家系モデルはもうひとつ興味深い結果を導き出した。それは、「ヨーロッパで 1000年前に生きていた人間の 5分の 1( 20%)は、現在誰一人生きていない人々の祖先である」ということだ。彼らの子孫が子どもを残さなかったため、どこかの時点で家系が途絶えてしまったのだ。 その結果、残りの 80%が現在生きているすべてのヨーロッパ人の祖先になる。「先祖に至る系譜の線のすべては、 10世紀のあらゆる個人に合体する」のだ。 なぜこのような奇妙なことになるかを理解するには、やはり家系図が樹木ではなく網の目だと考える必要がある。 10世紀もたつと、その網の目から 20%の部分が脱落してしまう。その一方で、系譜が途切れずに現在まで子孫を残したひとの遺伝子は、緊密な網の目によって拡散することですべてのひとの祖先になるのだ。 10世紀前の偉人(シャルルマーニュ大帝)も名もなき農民も、家系が途絶えた 20%を除く中世前期のすべてのひとが現在のヨーロッパ人に自らの DNAを伝えているのだ。 しかし、これはたんなる机上の計算ではないだろうか。だが現在では、安価かつ容易な DNAシーケンサー(塩基配列解析装置)によってこの数学を検証できる可能性が出てきた。 2013年、遺伝学者のピーター・ラルフとグレアム・クープはヨーロッパじゅうから選んだ 2257名(最近の移民である可能性を減らすため、被験者はすべて同じ地域あるいは国出身の 4人の祖父母をもつ者から選ばれた)における同祖 DNAの長さを調べた。これによって任意の 2人がどれほど近縁かを推計することができるが、その結論はチャンの数学的祖先探しとまったく同じだった【 36】。 私もあなたも「天皇家の遠縁」 ジョセフ・チャンの計算は、その後、さらに奇妙な主張につながった。「現在地球上で生きているすべての人のもっとも新しい共通祖先がいたのはわずか 3400年前あたりにすぎない」というのだ。ここで使われたのは町や港、ひとの移動を組み込んだモデルで、それによると全人類の祖先の系譜が交差するのは紀元前 1400年あたりのアジアのどこかになる。 ここで、「人類はアフリカで誕生したのではないか」とか、「南北アメリカや南太平洋の島々など、ユーラシアから隔離されたところに住むひとたちもいるではないか」と疑問に思うかもしれない。だがこれは、ひとびとの移動(これは移民だけではなく侵略や戦争、植民地化も含まれる)の効果を過小評価している。 新大陸が「発見」されたあと、スペイン人の遺伝子は原住民(インディオ/インディアン)のあいだに急速に広まった。サトウキビなどのプランテーションの労働力としてアフリカから黒人が「輸入」されると、彼らの遺伝子も現地のひとたちと混ざり合った。 太平洋中部のごく小さなピンゲラップ島やモキル環礁の住民にしても、発見された 19世紀の数年間に彼らの遺伝子プールにヨーロッパ人の遺伝子が取り込まれたことがわかっている。「全人類の共通祖先」がアフリカではなくアジアになるのは、紀元前 1400年の人口分布では地理的中心がユーラシア大陸の東へと大きく移動していたからだ。それよりさらに時代をさかのぼれば「全人類の共通祖先」の人数は増えていき、その中心もアフリカに近づいていくことになる。 この奇妙な結果を、チャンは次のように説明している。 私たちの発見は、注目すべき考えを提案している。すなわち、言語や肌の色などに関係なく、私たちは、揚子江の岸辺にイネを植え、初めてウクライナのステップ地帯でウマを家畜化し、南北アメリカの森でオオナマケモノを狩り、そしてクフ王の大ピラミッドを建造するために働いていた祖先を共有しているのだ。 この魅力的な考え方を紹介しつつ、進化遺伝学者のアダム・ラザフォードはこう補足する。 あなたがヨーロッパ人なら、王族の血統である。誰もがそうなのだから。また、ヴァイキングの血統でもある。誰もがそうなのだから。さらには、サラセン人、ローマ人、ゴート族、フン族、ユダヤ人の血統である。なぜなら、もうおわかりだろう。すべてのヨーロッパ人は、厳密に同じ人間から由来したのであり、それもそう遠い昔のことではない。 10世紀に生きていて、子孫を残した人間は誰でも、今日生きているすべてのヨーロッパ人の祖先であり、そこにはシャルルマーニュも、彼の息子のドロゴ、ピピンも含まれる。(中略) もしあなたが、広い意味の東アジア人なら、同じ流儀で、あなたの家系図のどこかの頂点にチンギスカンが座っていることはほとんど確実で、実際にそう主張する人も多い。
この理論を日本の歴史に当てはめれば、(つい最近移民してきた少数を除き)すべての日本人が継体天皇( 507 ~ 531年。古墳や文献などによって実在が確認できる最古の天皇)の子孫であり、飛鳥時代の天智・天武や奈良時代の聖武天皇の遺伝子も、その系譜がなんらかのかたちで続いているとすれば、共有していることになる。 戦前の天皇制国家・日本は国民を「天皇の赤子」とした。これは政治イデオロギーとしてはまちがっていたが、遺伝学( DNA)的には正しかったのだ。 いまでも「私は天皇家の遠縁にあたる」などと自慢するひとがいるが、そういうときは「奇遇ですね。私もそうです」と教えてあげよう。 犬種を論じるのはイヌ差別? 身長や体重が一人ひとり生得的に異なるのと同様に、知能や性格などの〝こころ〟も遺伝の強い影響を受けていることを、行動遺伝学は膨大な証拠(エビデンス)とともに示した。これによってリベラルな知識人も、「遺伝決定論」「ナチスの優生学」というステレオタイプな批判を浴びせるだけでは対抗できなくなった。そこで彼らは戦線を一歩後退させて、身体的な特徴と同様に脳の生理学的な特徴が遺伝することを認めつつ、それを「人種」にまで拡大することはできないと主張するようになった。 人種主義に反対する「リベラル」の定説が「異なる人種のあいだの遺伝的なちがいよりも、同じ人種のなかでの遺伝的なばらつきの方がはるかに大きい」で、スティーヴン・ジェイ・グールドの盟友だった遺伝学者のリチャード・ルウォンティンが 1970年代の社会生物学論争で唱えた。ヒトの遺伝的変異の 85%は集団の内部で見られ、集団間の差異は 15%にすぎない。したがって、集団(人種)の遺伝的なちがいをことさらに強調するのは科学的に意味がない、というのだ。 これはたしかにもっともらしいが、この論理を拡張していくと、次のような奇妙な結論にたどりつく。 イヌの遺伝的変異の分布を調べると、遺伝的なちがいの 70%は品種内で見られ、品種間の差異は 30%にすぎない。したがって、ドーベルマンとチワワの犬種のちがいを語ることは非科学的だ……。 人類が進化の過程の大半を過ごしたのは旧石器時代で、脳は器質的にはその頃からほとんど変わってはいない。人種に分岐したのは、〝ヒューマン・ユニヴァーサルズ(ヒトの本性)〟が出来上がったずっとあとのことだ、との主張もある。 この論理は完璧に正しいが、同様に、すべてのイヌに共通する〝ドッグ・ユニヴァーサルズ(イヌの本性)〟が出来上がったずっとあとに、ブリーダーがさまざまな犬種を生み出していった。そして愛犬家なら誰でも知っているように、イヌの気質は犬種によって大きく異なる。だとすれば、「ヒトには共通の本性があるが、人種によって気質は異なる」と考えることもできるはずだ。 人種間より人種内の遺伝的多様性がはるかに大きいとすれば、「白人らしい」とか「黒人特有」などのステレオタイプを個人にあてはめることはできない。白人でも 100メートルを 9秒台で走る陸上選手がいるし、黒人にもウォール街の金融マンや大学教授はたくさんいる。 これは、「ある人物の DNAを調べればどのカテゴリーに属するかはほぼ確実にわかるが、これを逆にして、カテゴリーから個人の性質や行動を予測することはできない」ということだ。 この主張も 100%正しいが、だからといって「人種というカテゴリーに意味はない」とはいえない。 ハチというイヌを例に、同じ説明をしてみよう。 飼い主が死んだにもかかわらず毎日駅前で待ちつづけているイヌの DNAを調べると、この忠犬が秋田犬であることがわかった。だがこれを逆にして、たまたま見かけたのが秋田犬だからといって、そのイヌが、飼い主が死んでも毎日駅に出かけるとはいえない。なぜならイヌの遺伝的多様性は、犬種間より犬種内の方がはるかに大きいのだから。 この説明も科学的にまちがってはいないが、ここから「秋田犬とブルドッグの性格のちがいを語ることに意味がない」とか、「犬種を論じるのはイヌ差別だ」といわれたら困惑するだけだろう。人種のちがいを否定するために遺伝的多様性をもちだすのはこれとまったく同じ論法で、科学ではなく政治的イデオロギーなのだ。 人種は社会的構築物 リベラルからのより強力な批判は、「人種は社会的構築物で科学的な根拠がない」というものだ。このことは、人種の呼称がいかに混乱しているかを見ればよくわかる。 1960年代の公民権運動以降、アメリカでは国民を肌の色で差別することはタブーとなった。黒人の俗称だった「ニガー( Nigger)」を(黒人以外が)公に口にすれば社会的生命は終わるし、学術用語の「ネグロイド( Negroid)」の短縮形である「ニグロ( Nigro)」も専門書以外では目にすることはなくなった。「黒人( Black)」の呼称も差別的だとして「アフリカ系アメリカ人( African American)」になり、それにともなって「白人( White)」には「コケイジャン( Caucasian)」という奇妙な名前があてがわれた。アメリカの白人の大半は欧州からの移民なのだから「ヨーロッパ系アメリカ人( European American)」でよさそうなものだが、ヨーロッパ中心主義 =植民地主義を連想させるとして避けられたのだろう。 コケイジャンは「コーカサス人」のことで、白人と(北)インド人やイラン人の共通の祖先である「アーリア」の故郷コーカサス(カフカス)からつくられた造語だ。インド =ヨーロッパ語族が同族であることは学問的には定説になっているが、コーカサスがアーリア人発祥の地という確たる証拠があるわけではなく、ナチスは自らを純粋なアーリアとしてホロコーストを行なった。 ところがその後、黒人活動家たちが「 Black Power」「 Black is beautiful」を掲げるようになる。アメリカの黒人の多くは、もはやアフリカにほとんど心情的なつながりをもっていない。それにもかかわらず「アフリカ系」と呼ばれるのは新たな差別で、「 Black」であることに誇りをもとうというのだ。 こうして肌の色にもとづく「黒人」の呼称が復活すると、コケイジャンも使われなくなって「白人」に戻った。だが「黄色人種( Yellow)」は差別とされ「アジア系」が使われている。ここですでに、生物学的分類(白人、黒人)と地域的分類(アジア系)が混在している。 中南米からの移民は「ヒスパニック」と呼ばれるが、これはさらに複雑だ。コロンブスによる新大陸「発見」以来、アメリカ大陸の原住民は「エル・ドラード(黄金郷)」にとりつかれたヨーロッパの無法者たちに酷使され、虐殺され、旧世界から持ち込まれた病原菌によって大量死した。 原住民の数が減って労働力が足りなくなると、スペイン人やポルトガル人がサトウキビのプランテーションなどで使役するためにアフリカから奴隷を輸入するようになり、この儲け話にイギリス人やフランス人、オランダ人が飛びついた。ジェノサイド(大量虐殺)と大量の移民によって、キューバ、ジャマイカ、イスパニューラ島(現在のドミニカとハイチ)は、それぞれ 100万人を超える原住民が暮らしていたにもかかわらず、人種構成がまるごと入れ替わってしまった。 こうして中南米からの移民は、原住民(インディオ)とヨーロッパ系白人、黒人奴隷の末裔、およびその混血が複雑にからみあうようになり、「人種」
として定義できなくなった。出身地域で「南米系( South American)」とすると「アメリカ南部人( Southern American)」と区別がつかなくなる。こうして「スペイン語話者」を意味するヒスパニック(「スペイン系」の意味にもなる)が使われるようになったのだろう。 この混乱に輪をかけたのは、コロンブスが新大陸をインドだと誤解し、原住民を「インディオ(英語ではインディアン)」と呼んだことだ。これは「インド人」のことだから、公民権運動の時代になると、より政治的に正しい「ネイティブ・アメリカン( Native American)」が使われるようになる。 だが「アフリカン・アメリカン」と同様に、この珍奇な呼称も当の原住民から拒絶された。彼らはコマンチ、アパッチ、ナバホなど由緒正しい部族の末裔であり、「ネイティブ」などという聞いたこともない人種の子孫ではないのだ。そして、もし自分たちの総称が必要だというのなら、歴史的に使われてきた「インディアン」の方がまだましだと主張した。かつて彼らの祖先は「インディアン」として、侵略者である白人と誇りをもって戦ったのだから。 しかしアメリカには、いまではインドからの移民もたくさん暮らしている。そこで「インド系アメリカ人( Indian American)」と「アメリカン・インディアン( American Indian)」が使い分けられるようになった。肌の色とも出身地域とも言語とも無関係な歴史的な呼称が「人種」になったのだ。 ここでついでにいっておくと、日本では「原住民」は差別語で「先住民」に言い換えるべきだとの主張があるが、漢語として両者には明確なちがいがある。「原住民」は「かつて住んでいて、いまも暮らしているひとたち」で、「先住民」は「かつて住んでいたが、いまは絶滅してしまったひとたち」のことだ。日本の台湾統治時代に「高砂族」と呼ばれていたひとたちは「台湾原住民」で、「台湾先住民」とはぜったいにいわない。霧社事件を描いた台湾映画『セデック・バレ』でこのことを教えられたので、本書でも漢字本来の意味にのっとって「原住民」の表記を使っている。──というような面倒な事情からわかるように、人種概念が「社会的構築物」であることはまちがいない。だがだからといって、科学的(遺伝学的)になんの意味もないと言い切れるだろうか。 人類はかつて水生生活していた? 進化の歴史のなかでは、ホモ・サピエンス(現生人類)にはさまざまな祖先や同類がいた。ラミダス猿人やホモ・ハビリス、北京原人やネアンデルタール人などの化石人類を含めた「ホモ属」は、 700万 ~ 500万年前にアフリカのどこかでチンパンジーとの共通祖先から分かれたとされている。 人類はその後、二足歩行、大きな脳、複雑な発話ができる喉頭、道具を使える内向きの親指、体毛の消失など、他の霊長類とは明らかに異なる身体的特徴を備えるように進化していった。これは森林の樹上生活からサバンナに生活圏が変わり、狩猟採集しながら長距離を歩くのに適していたからだとされる。暑くて蒸し暑いサバンナを長時間移動するには、体毛をなくし発汗によって温度調節する方が有利だというのだ。 これは一見もっともらしい説明だが、だったらなぜサバンナの動物はみな体毛があるのだろうか。進化の仕組み(自然選択)を考えれば、鳥(鳥類)とコウモリ(動物)、白亜紀の翼竜(爬虫類)が翼をもつように、種がちがっても共通の環境は同じような適応を生み出すはずだ。 じつはこの問題は、ずっと動物学者を悩ませてきた。昼は太陽が照りつけ、夜はきびしい寒さにさらされる乾燥したサバンナでは、定説とは逆に、厚い毛皮が必須だからだ。 毛皮は体温の喪失を防ぐだけでなく、太陽熱を半分遮り、残りの熱を皮膚から離れた場所に閉じ込めて対流や放射によって放散させる。さらには、閉じ込めた熱が皮膚まで伝わらないようにする断熱材の役目も果たしている。だからこそサバンナよりきびしい環境の砂漠でも、ラクダのような大型動物は立派な毛皮を身にまとっている。それにもかかわらず人類の祖先はどこかで体毛を失い、大量の水を飲んで大量の汗をかかなければ体温調整できなくなってしまったのだ。 この謎に対するひとつのこたえが、「アクア説」だ。これはもともと 1942年にドイツの人類学者マックス・ヴェシュテンヘーファーによって唱えられ、その後、海洋生物学者のアリスター・ハーディーが 1960年に別の観点から主張した(ヴェシュテンヘーファーの説は無視され、忘れさられていた)。それを在野の女性人類学者、故エレイン・モーガンが再発見し、精力的な執筆活動で「啓蒙」に努めた。アクア説では、チンパンジーの祖先と枝分かれしたあと、人類の祖先は樹上生活から水生生活に移行したとする。 ここまで読んで、「バカバカしい」と一笑に付したひとは多いだろう。だが騙されたと思って、もうすこしつきあってほしい。 赤ちゃんはなぜ泳げるのか? 海洋生物学者のハーディーは、「陸生の大型哺乳類のなかで、皮膚の下に脂肪を蓄えているのは人類だけだ」との記述を読んで、アシカやクジラ、カバなど水生哺乳類はみな皮下脂肪をもっていることに気づいた。だとしたら人類も、過去に水生生活をしていたのではないか。 このアイデア(コロンブスの卵)を知ったモーガンは、アクア説ならさまざまな謎が一気に解けることに驚いた。 人類が二足歩行に移行したのは、四つ足で水のなかに入っていくよりも、直立したほうが水深の深いところで息ができるからだ(それに、水の浮力が上半身を支えてくれるから倒れない)。鼻が高く、鼻の穴が下向きなのも、水にもぐるときに都合がいいからだ。体毛がないのはそのほうが水中で動きやすいからで、皮下脂肪を蓄えれば冷たい水のなかでも生活できるし、水に浮きやすくなって動きもスムーズになる。 とはいえこれは、人類の祖先が人魚だったという荒唐無稽なものではない。チンパンジーと分岐したあと、彼らは森を出てアフリカのどこか(おそらくは北東部の大地溝帯 =グレート・リフト・バレー)の水辺で暮らすようになった。大型捕食獣のうろつくサバンナは、非力な彼らにとって危険すぎたのだ。 この水辺の暮らしのなかで人類は知能を発達させ、脳の容量も大きくなっていった。大きな頭蓋骨をもつ子どもを産むことは困難で、そのため人類は他の哺乳類と比べて異常なほど早産になったのだが、それでも危険な出産を乗り切るにはなんらかの助けが必要だったはずだ。 だがアクア説なら、この疑問にもこたえることができる。「水中出産」すればいいのだ。 1600件の水中出産を行なったイタリアの病院では、温水で水中出産した妊婦は分娩が加速され、会陰切開の必要が減り、ほとんどが鎮痛剤なしですませた(通常の出産では妊婦の 66%が硬膜外麻酔を求めるが、水中出産は 5%だけだった)。 子宮内にいる胎児は息を止めており(代わりに羊水を吸い込んでいる)、顔に空気があたったときにはじめて息を吸う。このとき分娩時の残余物などがいっしょに肺のなかに入ってしまうと感染症を引き起こすが、水中出産なら赤ん坊は呼吸していないので、母親は落ち着いて残余物を顔から拭うことができる。 しかしより決定的なのは、出産直後の赤ちゃんが「泳げる」ことだ。すでに 1930年代に、乳児は水中で反射的に息を止めるだけでなく、水をかくように腕をリズミカルに動かすことが知られていた(こうした動作は生後 4カ月ごろまでつづき、その後はぎこちなくなる)。熱く乾燥したアフリカのサバンナで進化した動物の赤ちゃんが、なぜ生まれてすぐに泳げるのだろうか。 ヒトはごくふつうに呼吸をコントロールできるが、近縁種であるチンパンジーは意識的に息を止めたり吐いたりすることがうまくできず、これが「しゃべれない」大きな理由になっている。だが水生生物は、水中で呼吸をコントロールするよう進化してきた【 37】。 アクア説の真偽は本書の主題ではないのでこのくらいにするが、たんなる〝トンデモ説〟ではないことがわかってもらえただろうか。
サピエンスの誕生は 77万 ~ 55万年前 近年、遺跡などから発掘された遺骨から DNAを解析する技術が急速に進歩し、歴史時代はもちろん、サピエンスが他の人類と分岐する以前の古代人の骨の欠片から DNAを読み取ることもできるようになった。この「古代 DNA革命」によって、従来の遺跡調査からはわからなかった人類の移動や交雑の様子が明らかになり、古代史・歴史の常識が次々と覆されている。 デイヴィッド・ライクは、サピエンスとネアンデルタール人の交雑を証明したマックス・プランク進化人類学研究所のスヴァンテ・ペーボとともにこの「古代 DNA革命」を牽引する気鋭の遺伝学者だ。ここではライクの説にもとづいて、人類の歴史をざっと見ておこう【 38】。 日常的に「ヒト」と「人類」を区別することはないが、人類学では両者は異なる意味で使われる。「ヒト」は現生人類(ホモ・サピエンス)のことで、「人類」はヒト属のみならず化石人類(アウストラロピテクス属など)を含むより広義の分類だ(専門用語ではホモ属 =ホミニン homininという)。 人類(ホモ属)の起源が、アフリカのどこかでパン属(チンパンジーとボノボ)との共通祖先から分かれた 700万 ~ 500万年前であることに大きな異論はない(あまりに遠い過去で証明のしようがない)が、その後の人類の歴史については、多地域進化説とアフリカ起源説が対立した。 多地域進化説では、 180万年ほど前にユーラシアに拡散したホモ・エレクトス(原人)が各地で進化し、アフリカ、ヨーロッパ、アジアの異なる地域で並行的にサピエンスに進化したとする。それに対してアフリカ起源説では、サピエンスの祖先はアフリカで誕生し、その後、ユーラシア大陸に広がっていった。 1980年代後半、遺伝学者が多様な民族のミトコンドリア DNAを解析して母系を辿り、すべてのサンプルがアフリカにいた 1人の女性から分岐していることを明らかにした。これがミトコンドリア・イブで、約 16万年( ± 4万年)に生存したとされる。この発見によってアフリカ起源説に軍配が上がったのだが、これはサピエンスが 20万 ~ 10万年前のアフリカで誕生したということではない。 ライクによれば、この誤解はミトコンドリアの DNAしか解析できなかった技術的な制約によるもので、全ゲノム解析によると、ネアンデルタール人の系統とサピエンスの系統が分岐したのは約 77万 ~ 55万年前へと大きくさかのぼる。サピエンスの起源は、従来の説より 50万年も古くなったのだ。 覆される通説 そうなると、(最長) 77万年前からミトコンドリア・イブがいた 16万年前までの約 60万年が空白になる。これまでの通説では、その間もサピエンスはずっとアフリカで暮らしていたということになるだろう。 ところがその後、サピエンスの解剖学的特徴をもつ最古の化石が発見され、その年代が約 33万 ~ 30万年前とされたことで、従来のアフリカ起源説は大きく動揺することになる。〝最古のサピエンス〟はジェベル・イルード遺跡で見つかったのだが、その場所は北アフリカのモロッコだったのだ(正確には石器や頭蓋の破片が発見されたのは 1960年代で、近年の再鑑定で約 30万年前のものと評価された)。 アフリカ起源説では、サピエンスはサハラ以南のアフリカのサバンナで誕生し、 5万年ほど前に東アフリカの大地溝帯から紅海を渡って「出アフリカ( Out of Africa)」を果たしたとされていた。だが 30万年前に北アフリカにサピエンスが暮らしていたとなると、この通説は覆されてしまうのだ。 遺伝学的には、サピエンスは「アフリカ系統」と「ユーラシア系統」の大きく2つの系統に分かれる。ユーラシア系統は 5万年ほど前にアフリカを出て世界じゅうに広がっていき、アフリカ系統はそのまま元の大陸に残った。 この2つの系統は、ネアンデルタール人の DNAを保有しているかどうかで明確に分かれる。ネアンデルタール人はユーラシアにしかいなかったため、アフリカにいるサピエンスとは交雑せず、そのためアフリカ系統の現代人にネアンデルタール人の DNAの痕跡はない。 従来の説では、ネアンデルタール人の遺跡がヨーロッパで多く発見されたため、出アフリカ後に北に向かったサピエンスが交雑したとされていた。だが現代人の DNAを解析すると、非アフリカ系(ユーラシア系)はゲノムの 1・ 5 ~ 2・ 1%ほどがネアンデルタール人に由来するが、東アジア系(私たち)の割合はヨーロッパ系より若干高いことが明らかになったのだ。 その後も、単純な「出アフリカ説」では説明の難しい人類学上の重要な発見が相次いだ。 サピエンスはユーラシアで誕生した 2008年、ロシア・アルタイ地方のデニソワ洞窟で、約 4万 1000年前に住んでいたとされるヒト属の骨の断片が見つかった。サピエンスともネアンデルタール人とも異なるこの人類は「デニソワ人」と名づけられたが、 DNA解析でニューギニアやメラネシアでデニソワ人との交雑が行なわれていたことがわかった。──ライクは、これをシベリア(北方)のデニソワ人とは別系統としてアウストラロ(南方)・デニソワ人と呼んでいる。 さらに、アフリカ系と非アフリカ系の DNAを比較すると、ネアンデルタール人、デニソワ人とは別系統の DNAをもつ集団がいたと考えないと整合性がとれないこともわかった。 ライクはこの幻の古代人を「超旧人類」と名づけ、サピエンス、ネアンデルタール人、デニソワ人の共通祖先(約 77万 ~ 55万年前)よりもさらに古い 140万 ~ 90万年前に分岐したと推定した。超旧人類はデニソワ人と交雑し、その後、絶滅したと考えられる。 約 5万年前にサピエンスが「出アフリカ」を遂げたとき、ユーラシアにはすくなくともネアンデルタール人とデニソワ人(アウストラロ・デニソワ人)という人類がおり、サピエンスは彼らと各地で遭遇した。交雑というのは性交によって子どもをつくることで、動物の交配(品種改良)を見ればわかるように、きわめて近い血統でなければこうしたことは起こらない。 分類学では、子をつくらなくなった時点で別の「種」になったとみなす。ということは、サピエンス、ネアンデルタール人、デニソワ人は(あるいは超旧人類も)「同種」ということだ。ネアンデルタール人とデニソワ人は同じユーラシアに住み、 47万 ~ 38万年前に分岐したとされるから「同種」なのもわかるが、それより前の 77万 ~ 55万年前に分岐し、地理的に隔絶したアフリカ大陸で(最長) 70万年も独自の進化をとげてきたはずのサピエンスがとつぜんユーラシアに現われ、彼らと交雑できるのだろうか。 ここでライクは、きわめて大胆な説を唱える。サピエンスもユーラシアで誕生したというのだ。 ネアンデルタール人になにが起こったか? ライクは古代人の DNA解析にもとづいて、ユーラシアに進出したホモ・エレクトスから超旧人類が分岐し、さらにサピエンス、ネアンデルタール人、デニソワ人と分岐していったのではないかと考える。デニソワ人は東ユーラシアから南ユーラシアに広がり、ネアンデルタール人はヨーロッパを中心に西ユーラシアに分布した。だとしたら、サピエンスはどこにいたのか。
ライクの説によると、サピエンスは脆弱な人類で、ネアンデルタール人に圧迫されて中東の一部に押し込められていた。その後、ネアンデルタール人がさらに中東まで進出したことで、約 30万年前には北アフリカや東アフリカまで撤退せざるを得なくなった。これが、モロッコでサピエンスの痕跡が発見された理由だ。 ところが 5万年ほど前に、そのサピエンスが「出アフリカ」を敢行し、こんどはネアンデルタール人やデニソワ人などを「絶滅」させながらユーラシアじゅうに広がっていく。このときネアンデルタール人は中東におり、サピエンスと交雑した。このように考えると、アフリカ系にネアンデルタール人の DNAがなく、東アジア系がヨーロッパ系と同程度にネアンデルタール人と交雑していることが説明できる。ネアンデルタール人の遺跡がヨーロッパで多数見つかるのは、サピエンスと遭遇したのち、彼らがユーラシア大陸の西の端に追い詰められていったからだろう。 中東でネアンデルタール人と交雑したサピエンスの一部は東に向かい、北ユーラシアでデニソワ人と、南ユーラシアでアウストラロ・デニソワ人と遭遇して交雑した。その後、彼らはベーリング海峡を渡ってアメリカ大陸へ、海を越えてオーストラリア大陸へ、そして千島列島から北海道、本州へと渡り縄文人の先祖になった。 ところで、ネアンデルタール人に圧迫されて逃げまどっていた脆弱なサピエンスは、なぜ 5万年前には、他の人類を絶滅させるまでになったか。これについては遺伝学者のライクはなにも述べていないが、ひとつの仮説として、アフリカに逃げ延びた 30万年前から「出アフリカ」の 5万年前までのあいだに、共同で狩りをするのに必要な高い知能とコミュニケーション能力を進化させたことが考えられる。これによってサピエンスは、マンモスなどの大型動物だけでなく、ネアンデルタール人やデニソワ人を容赦なく狩り、男を皆殺しにし女を犯して交雑しながら、他の人類を絶滅させていったのかもしれない。 「出アフリカ」はわずか 1000人? 分子遺伝学者は、他の人類から分かれアフリカにはじめて登場したサピエンスの人数を 6000人から 1万人ほどと推計しており、もっとも大胆な予測ではわずか 700人だ。このきわめて小さな集団が共通祖先なのだから、人種のちがいにかかわらず私たちは遺伝的にとてもよく似ている。 5万年ほど前、サピエンスの一団がアフリカを出て、アラビア半島を経由してユーラシア大陸全域に広がった。これが「出アフリカ」だが、やはり近年の分子遺伝学の研究では、この集団の実効的人口(子孫ができる交配プール)は 1000人から 2000人ほどしかいなかったらしい( 600人との説もある)。──アフリカを出たのがこの小規模な集団だけだったのか、あるいは旅立ちを試みた多数の集団がきびしい環境で絶滅したのかは明らかではない。 この興味深い知見からわかるのは、アフリカ人の直系の子孫ではないひとたちはみな、「出アフリカ」に成功した 1000人から 2000人の祖先を共有しているということだ。この隘路(ボトルネック)によって、多くの遺伝的多様性が失われることになった。 若い種であるサピエンスはもともと遺伝的によく似ているが、「ユーラシア系(ユーラシアを経由して南北アメリカやオーストラリアなどに渡ったサピエンスも含む)」はさらにお互いによく似ている。それに対してアフリカには、いまだに多くの遺伝的多型が残されている。 このため遺伝的な集団のちがいを調べると、東アジア系とヨーロッパ系の距離よりも、タンザニア北部中央のハッツァ族から西アフリカのフラニ牧羊民(現在のマリ、ニジェール、ブルキナファソ、ギニアに暮らす)までの距離の方がはるかに長い。アフリカ内の集団間の遺伝子的距離は、世界の他のところに住む「人種的に離れた」集団の遺伝子的距離なみに大きいのだ。 だとすれば、「遺伝的に正しい人種」はどのようなものだろうか。 まず、「白人」と(北)インド人はきわめて近いので、「インド・ヨーロッパ系」にまとめるべきだ。東アジア系と、南北アメリカの原住民(インディオ/インディアン)もひとつの人種にできるだろう。それに対して「黒人」には2つか3つの区分を立てる必要がある【 39】(図表 6)。
このように遺伝学的には、「白人」「黒人」という肌の色による集団の区分はまちがいで、「人種」は存在しない。そのため現在では、生物学系の研究者は「大陸系統( continental ancestry)」という用語を使うようになった。 だが、これで問題が片づいたわけではない。大陸系統には明らかに遺伝的な偏りがあり、東アジアからの移動距離が、集団における遺伝的多様性を表わすよい指標になるからだ。人種は科学的に成り立たないが、大陸系統はたしかに遺伝子に基づいている。 このようにして現代の遺伝学は、従来の人種概念をより「科学的」に精緻に修正した。だとすれば、大陸系統でどのような遺伝的なちがいがあるかが次の問題になる。 ヒトの「進化」は加速している リベラルな進化論者を代表するスティーヴン・ジェイ・グールドは、「人類には 4万年あるいは 5万年の間、生物学的な変化はなかった。私たちが文化と呼んだり文明と呼んだりするすべては、同じ身体と脳で築かれた」と述べて人種間のちがいを否定した。 これまでの遺伝学の常識では、突然変異はめったに起こらないのだから、自然淘汰による進化(遺伝的変異)のスピードはものすごくゆっくりしているとされてきた。これが、「人類は旧石器時代人のこころをもってアスファルトジャングルを生きている」といわれる所以で、「環境によってしか遺伝子は変化しないのだから、農業革命によってヒトが環境を支配するようになったことで進化は止まった」と唱える研究者もいた。 わずか数万年で腕が 3本になったり目が3つになるような大きな変化が起きるわけがないように、脳も器質的には旧石器時代のままであることはまちがいない。だがこれは、なにもかもいっさい変わらないということではない。逆にいまでは、さまざまな証拠から、ヒトの進化が「加速」していることがわかってきた。 進化を「遺伝的な偏り(遺伝子頻度の変動)」とするならば、それが生じる原因は突然変異だけではない。それ以外に、主要なものとして移住、遺伝的浮動、自然選択、社会選択があり、近年ではエピジェネティクス(遺伝子発現の後天的変化)に注目が集まっている。 集団から離れた小さなグループ(移民)がたまたま特有の遺伝子(たとえば青い目)を多くもっていたとすると、移住先ではその頻度が高くなるだろう。自然選択は環境に対して有利な変異が選択され不利な変異が排除されることだが、社会選択では婚姻制度などの文化的要因が遺伝子頻度に影響を与える。 遺伝的浮動は「遺伝子頻度がランダムに変動すること」で、集団のサイズが小さい(人口が少ない)ときにその効果が強く現われる。 サイコロを振ると理論的にはそれぞれの目が 6分の 1ずつになるはずで、何度も繰り返すうちに結果は理論値に近づいていく。だが試行回数が少ないと、 1が 3回つづけて出るような極端なことが起こる。遺伝的浮動はこれと同じで、集団のサイズがじゅうぶんに大きいなら遺伝的多型は一定の割合に収斂していくが、数が少ないときは極端なことが起こり、遺伝子頻度が大きく変わることもあり得る。 短期間に集団の遺伝子頻度が変わった代表的な例が、乳糖(ラクトース)への耐性だ。 もともとヒトは、乳児期は母乳(乳糖)を栄養源にするが、離乳とともに乳糖不耐性になる(ミルクを飲めなくなる)よう遺伝的に設計されていた。だが西アフリカやヨーロッパで牧畜が広く行なわれるようになると、家畜から採取される高栄養の乳や、そこからつくられる乳製品を消化できないのはきわめて不経済だから、大人になっても乳糖に耐性のある遺伝子が選好されるようになった。こうして牧畜の開始からわずか数千年でヨーロッパや西アジアでチーズなどが食卓に供されるようになったが、日本など東アジア圏では牧畜が一般的ではなかったため、いまだに乳糖不耐性のタイプがかなりいて、牛乳を飲むとおなかをこわしやすく、チーズはソフトタイプよりハードタイプを好む。 日本の学校給食では 1980年代頃まで、すべての子どもに強制的に牛乳を飲ませていた。牛乳を飲めない子どもは居残りさせられたが、これは教育の名を借りた「虐待」で、この子どもたちはしつけができていないのではなく、遺伝的に乳糖を分解する能力をもっていなかったのだ。 登山家を助けるシェルパで有名なネパールの高地に住む少数民族も、遺伝子の急速な変異の例として興味深い。シェルパのなかには、標高 8848メートルのエベレスト山頂に酸素吸入器を使用しないで 4回も登った者もいる。 なぜこれほどまでに高度順応できるかというと、彼らが という遺伝子の変異を受け継いでいるからだ。これを「シェルパ遺伝子」と呼ぶならば、その機能は赤血球細胞をふつうより少なく産生することだ。 ここで疑問に思うひとがいるかもしれない。酸素は赤血球によって運ばれるのだから、高地に順応するなら逆に血液中の赤血球を多くしなければならないのではないか。これはたしかにそのとおりで、私たちが高地である程度長く過ごすと、 EPO(エリスロポエチン)というホルモンが分泌され、骨髄にある細胞を刺激して赤血球の産生を増やす。 だがこの方法にはデメリットがあり、生まれてから死ぬまで高地で暮らすには適さない。赤血球は血液の粘度を上げるので、 EPOの分泌が過剰だと血栓が生じる危険性が高くなってしまう。そこで「シェルパ遺伝子」は、低酸素状況下でも長期にわたって身体に安定的に酸素を行き渡らせ、赤血球の過剰産生が起こらないように変異したのだ。 独特の遺伝子をもつ集団としてシェルパは驚くほど若く、彼らがエベレストの麓に移住したのは 16世紀頃と考えられている。 (シェルパ遺伝子)の変異は「今まで記録されたなかで最速の人類進化の例」といわれている【 40】。 遺伝と文化は「共進化」する ヒトゲノム計画によって全人類の遺伝子が 99・ 9%は同じで、ヒトには、別の集団にはない遺伝子をもつ特別な集団は存在せず、集団間よりも集団内の方が遺伝的多様性が大きいことが明らかになった。ヒトの種内の遺伝的多様性は、チンパンジーやゴリラ、オランウータンより圧倒的に小さいこともわかっている。生まれた場所や肌の色がちがっても、私たちはお互いにとてもよく似ている。 こうした事実から、「人種のちがいを語るのは非科学的だ」との主張がちからをもつようになった。だが最新の分子遺伝学の知見にもとづいて『ベルカーブ』を批判的に検証した社会学者のダルトン・コンリーと集団衛生学のジェイソン・フレッチャーは、こうした「リベラル」からの批判を「根も葉もない話だ」という【 41】。──ちなみに 2人の政治的立場はリベラルだ。 ヒトはチンパンジーと 98・ 8%の遺伝子が同じで、ネアンデルタール人とは 99・ 7%を共有している。この論法を拡張すると、人種によるちがいがないのと同様に、サピエンスとネアンデルタール人を区別することも非科学的だし、ヒトがチンパンジーと異なると考えることにも意味がないという話になってしまう。 このような過ちは、人種を遺伝的多様性のちがいで理解しようとすることから生じるとコンリーとフレッチャーはいう。 遺伝子は「言語遺伝子」とも呼ばれ、突然変異で転写因子(他のいくつかの遺伝子の発現を刺激するのを助ける遺伝子)が機能しなくなると言葉によって意思疎通する能力を失ってしまう。この変異をもつ「話がまったく通じない」集団が生まれたとすると、周囲のひとたちと遺伝子的には 99・ 9999%が同一にもかかわらず、 0・ 0001%の差によってまったくちがう集団(カテゴリー)に入れられることになるだろう。
コンリーとフレッチャーは、このことを次のように説明する。 進化による変化や生物学的差異の多くは、遺伝子の発現の調節(遺伝子のスイッチがいつどこで入ったり切れたりするかの範囲、タイミング、位置)によるものだ。人間の差異のほとんどは、 2万の遺伝子のスイッチが特定の組織、特定の時間で入ったり切れたりすることによって生じる。これは、ゲノムの調節領域(プロモーター、エンハンサー、マイクロ RNAといった分子のスイッチ)のちがいに基づいて表現型に差が出るということでもある。現代の遺伝学では、身長や体重、性格や行動、精神疾患にいたるまで、表現型のちがいの大半は「遺伝子のネットワーク」の相互作用(ポリジェニック)から生じると考えられている。 従来の遺伝学では、突然変異が自然淘汰を通じて集団のなかに浸透していくには長大な時間がかかるため、現代人は遺伝的には原始時代とほとんど変わっていないとされてきた。だがさまざまな事実が、進化が逆に加速していることを示している。これは遺伝がきわめて複雑な相互作用だからで、そこには自然環境だけでなく社会環境との相互作用も含まれる。これがダーウィン的な「自然選択」説に対する「社会選択」説で、私たち現代人は遺伝と文化の「共進化」の産物なのだ。 ここまで来てようやく、次の議論につなげることができるようになった。 現代の遺伝学は、「人種」のちがいに意味がないことを明らかにした。だが「大陸系統」には、集団遺伝学的にみて明らかな偏りがある。 ヒトの進化が「加速」しているのは、遺伝と文化(社会)が共進化するからだ。文化によって社会環境が変わると、それに適応した遺伝子が選択され、その効果はポリジェニックに増幅される。数千年どころか数百年あれば、これだけで他の集団とは異なる遺伝的傾向をもつグループが生まれる可能性がある【 42】。 リベラルな知識人は、「人種は社会的な構築物だ」とか、「人種などというものはない」と好んでいいたがる。だが 2002年、遺伝学者のグループがゲノム解析によって世界中の集団サンプルを分析し、なんら人種的偏見をもたなくても、それが一般的な人種カテゴリー、すなわち「アフリカ人」「ヨーロッパ人」「東アジア人」「オセアニア原住民」「アメリカ原住民」と強い関係のあるクラスターにグループ分けされることを立証した【 43】。これはもちろん、「人種によってひとを区別(差別)できる」ということではないが、人種(大陸系統)のちがいに遺伝的な根拠があることをもはや否定することはできない。 このことは、もっとも論争の的となる人種と知能の問題でも同じだ。 ヨーロッパ人系統の 40万人以上のゲノムをさまざまな病気との関連で調査した結果から、遺伝学者のグループが就学年数に関する情報だけを抽出した。その後、家庭の経済状況などのさまざまなちがいを調整したうえで、ゲノム解析によって、就学年数の少ない個人より多い個人の方に圧倒的によく見られる 74の遺伝的変異が特定された【 44】。 これも遺伝によって頭のよさ(就学年数の長さ)が決まっているということではないが、遺伝学には就学年数を予測する力があり、それはけっして些細なものではない。予測値がもっとも高いほうから 5%のひとが 12年の教育期間を完了する見込みは 96%なのに対して、もっとも低いほうから 5%のひとは 37%なのだ。 古代 DNA研究の第一人者であるデイヴィッド・ライクは、リベラルな研究者でありながら(あるいはリベラルだからこそ)、こうしたリベラル派にとって不都合な研究結果を紹介し、「実質的な差異の可能性を否定する人々が、弁明の余地のない立場にみずからを追い込んでいるのではないか」として、「そうした立場は科学の猛攻撃に遭えばひとたまりもないだろう」と危惧する。「認知や行動の特性の大半については、まだ説得力のある研究ができるだけの試料数が得られていないが、研究のためのテクノロジーはある。好むと好まざるとにかかわらず、世界のどこかで、質のよい研究が実施される日が来るだろうし、いったん実施されれば、発見される遺伝学的なつながりを否定することはできないだろう。そうした研究が発表されるとき、わたしたちは正面から向き合い、責任を持って対処しなければならない。きっと驚くような結果も含まれていることだろう【 45】」 私なりに翻案するならば、ライクの警告は、「扉の陰にいるのは白いネコであるべきだし、白いネコに間違いないし、いっさい異論は許さない」と頑強に主張しているときに、黒いネコが出てきたらいったいどうなるのか、ということだ。そして黒ネコは、すでに身体の半分を現わしている。
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