MENU

5 「自己家畜化」という革命

成功した日本人移民 生き延びるために賭けるもの 日本にはなぜ華僑財閥がないのか? 「遺伝決定論」を否定したヒトラー 弥生人の〝ジェノサイド〟 「下戸遺伝子」でわかる弥生と縄文の遺伝分布 アメリカ社会でもっとも成功したアジア系移民 アファーマティブ・アクションで「差別」されるアジア系 アジア系は内向型人間 ペットになったキツネ 石槍という「大量破壊兵器」 道徳の起源は相互監視 農耕という第二の「自己家畜化」 チワワとドーベルマン

5 「自己家畜化」という革命 1492年 10月、陸地を離れ大西洋を西に進むという冒険に挑んだコロンブスは、苦難に満ちた航海の末に陸地を発見した。彼はこれをインドだと信じたが、じつはカリブ海の島で、その後イスパニョーラ(スペイン)島と呼ばれるようになる。キューバの次に大きな島だが、この名があまり知られていないのは、植民地時代に分割され、西の旧フランス領がハイチ、東の旧スペイン領がドミニカ共和国として独立したからだ。 第二次世界大戦後の混乱のなか、海外からの帰還者で人口が増えすぎることを憂慮した日本政府は移民政策を採り、ブラジル、ボリビア、パラグアイなど南米諸国に農業移民を送り出した。ドミニカもそのひとつで、 1956年から 59年にかけて政府の募集に応じた 1319人の日本人が移住した。 ドミニカ移民の多くは鹿児島の農村出身で、日本政府から農業に適した肥沃な土地が与えられると約束されたものの、実際に連れていかれたのは岩だらけの荒地や作物の生えない塩害の土地で、隣国ハイチからの越境者を防ぐための入植が目的だった。絶望した移民たちが抗議の声をあげたことで、あわてた日本政府は旅費を立て替えて帰国や南米への転住を認め、約 8割がドミニカを去った。これが日本国の「棄民政策」として国家賠償請求訴訟に至るのだが、その詳細は本書の手に余る【 65】。 成功した日本人移民 2016年9月、旅行でドミニカを訪れた際、日本人移民一世の方々から話を聞く機会を得た【 66】。親に連れられて幼少時に海を渡り、貧しさやひもじさを乗り越えて、ドミニカ社会で経済的な成功を手にしたひとたちだ。 1人はドミニカの大学で物理学を講じて引退し、もう 1人は夫婦で小さな宝石店を経営していた。それぞれの人生の物語も興味深かったのだが、より強い印象が残ったのは彼らの子どもたちの経歴だ。 元大学教師の長男はニューヨークのヘッジファンドマネージャー、長女は英仏西日の四カ国語を話す国連の高級職員だという。宝石商にも 2人の子どもがおり、長男はアメリカに留学して医学部を出たあと、そのままアメリカの病院で医師をしており、二男は建築家になっていまはスペインで暮らしているという話だった。 言葉は悪いが、ドミニカへの移民の勧誘に応じたのは鹿児島の農家の二男や三男とその伴侶で、高い学歴や知能で選抜されたわけではない。私が会ったのはドミニカのなかでも成功した日本人であることはまちがいないが、現地に残ったのは当初の 1300人の移民の 2割、 300人にも満たない。鹿児島の農村部で、あるいは都市部を加えても、子どもがヘッジファンドマネージャーや国連のエリート職員、アメリカの病院の医師やスペイン在住の建築家になった家がどれほどあるだろうか。 日本からの移民はドミニカ社会の最貧困層で、言葉もわからず、家柄や財産はもちろん耕す土地すらなく、成功するための要素はなにひとつもっていなかった。ではいったい何が、彼らの子どもたちの目覚ましい経歴につながったのだろうか。 じつは、日本人移民の子どもたちにはたったひとつだけ、ライバルである地元の子どもたちより有利なものがあった。それは、東アジア系としての平均的に高い知能だ。 生き延びるために賭けるもの 極貧から経済的な成功を手にしていく日本人移民の子どもたちの物語はよく似ている。 彼らの親には子どもを学校に通わせる経済的な余裕はなかったが、スペイン植民地時代から敬虔なカトリック国であるドミニカにはどんな僻地にも教会があり、神父が聖書の物語とかんたんな読み書きを教えていた。家の仕事を手伝う合間に、日本人の子どもたちも近くの教会に通うことができた。 在野の発達心理学者ジュディス・リッチ・ハリスは、子どもは自分の属する集団をグループ間の争いに勝たせる「部族闘争」と、友だち集団のなかで自分を目立たせる「個人競争」の複雑なゲームをしていると考えた。人類がその大半を生きてきた旧石器時代には、部族闘争に負ければ皆殺しにされるほかなかったが、だからといって集団内でリーダーに追従しているだけでは子孫を残すことができない。 ドミニカに移民した日本人の子どもたちは、極貧で栄養状態も悪かったから身体も大きくないし、力も強くなかっただろう。ヨーロッパ系や白人との混血が上位とされる社会では、容姿も不利になったにちがいない。だがそんな子どもたちも、必死に「友だちとちがうもの」を探したはずだ。 そんなとき、かんたんな数の計算や聖書の暗唱などで、自分のほうがほんのすこしうまくできることに気づいたとしよう。だとすれば、このわずかな遺伝的ちがいに、生き延びるためのすべての可能性を賭けようと(無意識に)思わないだろうか。 元大学教師の場合は、教会の牧師がその能力に気づいて、進学させるよう親を説得してくれた。中学を卒業すると留学制度で日本の専門学校に入学し、働きながら貯めたお金と奨学金でドミニカの大学を卒業して教職の資格を得た。ほかの日本人移民も、教会や小学校で目をかけられて進学への道を切り開いていったのは同じだという。 彼らの子どもたちも、生活はすこしは楽になったとしても、ドミニカの学校で似たような体験をしたにちがいない。そして、自分を友だち集団のなかで目立たせるには勉強しかないと(無意識に)気づいた。 こうして鹿児島の貧農の家庭から、わずか二世代で目もくらむような経歴の子どもたちが現われたのではないだろうか。 日本にはなぜ華僑財閥がないのか? 近年は「日本史ブーム」だというが、これまで歴史学者が(おそらく)考えたことのない問いがある。それは、「日本にはなぜ華僑財閥がないのか」だ。 中国と接する韓国も同じで、小さな中華街はあるものの、サムスングループなどグローバルな財閥はどれも韓国人が創業者だ。金王朝の独裁によって経済発展が大きく遅れた北朝鮮ですら、中国系が経済を牛耳っているという話は聞かない。 それに対して、タイ、インドネシア、マレーシア、フィリピンなど東南アジア諸国はどこも華僑財閥が経済を支配している。マレーシアでは「ブミプトラ(土地の子)」という露骨なマレー人優遇策が行なわれ、インドネシアでは反華僑の暴動や虐殺が起きた。華僑は「闇のネットワーク」で権力とつながり、不正をほしいままにしていると批判されている。 だがもとを辿れば、華僑は福建省や広東省の貧農や、中国のなかできびしい差別にさらされてきた客家の子孫で、(科挙に合格した)士大夫を頂点とする中国の知識社会の最底辺に位置していた。 もうおわかりのように、これはドミニカの日本人移民と同じ話だ。東南アジア社会で生き延びなくてはならなかった極貧の中国人の子どもたちは、現地

の友だち集団のなかで優位なものをなにももっていなかった──唯一、東アジア系の高い知能を除いては。 そんな子どもたちが、生き延びるために、遺伝的なわずかなちがいに自らの可能性のすべてを賭けた。そう考えれば、数世代で巨大財閥をつくりあげたとしても不思議はないだろう。「闇の華僑ネットワーク」という陰謀論では、地理的にも文化的にももっとも近接した日本や朝鮮半島(ベトナムも含まれるかもしれない)が真っ先に経済侵略の標的にならなかった理由を説明できない。だが、遺伝的なわずかなちがいが成長とともに増幅されていくというジュディス・ハリスの集団社会化論なら、この謎をかんたんに解くことができる。 華僑は、知能の優位性のある地域でしか財閥をつくることができない。東アジア系の国は IQが同じなので、経済的成功のための条件がない。だから、日本には華僑財閥が存在しないのだ。 「遺伝決定論」を否定したヒトラー 若き日のアドルフ・ヒトラーは中学を中退し、父親の遺族年金を頼りにウィーンにやってきた。ワーグナーのオペラに熱狂し、画家や建築家になる夢を描くが、憧れていた美術学校に落第したあと、さまざまな職を転々としながら社会の最底辺に落ちぶれていく。 ヒトラーの自伝でもあり、ナチズムのプロパガンダでもある『わが闘争』には、当時の心境が赤裸々に描かれている。 ヒトラーが育った南ドイツの田舎町にはユダヤ人はほとんどおらず、無口なユダヤ人の同級生を見てむしろその境遇に同情したという。しかしあるとき、ウィーンの町でカフタン(黒の長上着)姿を見かけて驚愕する。彼の故郷には、そのような奇妙な格好をしたユダヤ人はいなかったからだ。 それからヒトラーは、新聞や政治パンフレットなどをむさぼり読むようになる。 まず、下劣きわまりないと考える演劇の作者を調べた。するとそのほとんどがユダヤ人だった。次にオーストリアで発行されている大新聞の編集者を調べると、これもユダヤ人だった。 こうしてヒトラーは、すこしずつ不安になっていく。 当時のヨーロッパではマルクス主義が大きな影響力をもっていて、オーストリアでは社会民主党が労働者の大規模なデモを組織していた。ヒトラーは、この政治運動はいったい誰が動かしているのかを知ろうとする。『わが闘争』のなかから有名な一節を引用しよう。 そこでわたしは我慢してこの種のマルクシズムの新聞記事を読もうとしたが、それに応じて嫌悪感が無限に大きくなってくるので、今度はこの総括的な悪事製造者をもっとくわしく知ろうとした。 発行人をはじめとして、みんなユダヤ人だった。 わたしはどうにか手に入る社会民主党のパンフレットを買って、その編集者の名前をしらべた。ユダヤ人だった。わたしはほとんどすべての指導者の名前に注意した。議会の代議士を問題にしても、労働組合の書記を問題にしても、また組織の議長、街頭の扇動者を問題にしてみても、そのほとんど大部分が、同様に「選ばれた民族(ユダヤ人のこと──引用者註)」に属しているものたちであった【 67】。 こうしてヒトラーは、マルクス主義とはユダヤ人が世界を征服するための陰謀だという「真実」を発見することになる。 だがいまや、ヒトラーがどこでまちがえたのかは明らかだ。 ユダヤ人(アシュケナージ)がヨーロッパ系白人より 1標準偏差ちかくも高い知能をもっているならば、金融業のような計算能力を必要とする仕事で経済的に成功するだけでなく、文学や演劇、ジャーナリズムなど高い言語的知能が要求される分野でも成功するはずだ。政治活動も同じで、政治的主張を理路整然と展開して政敵を論破し、大衆のこころに訴えるアジテーションをするにはきわめて高い論理的知能と言語的知能が不可欠だ(マルクス、レーニンを想起されたい)。 ナチスが「優生学」によってホロコーストを引き起こしたことから、「遺伝決定論」は忌み嫌われている。だが皮肉なことに、ヒトラーが「ユダヤ陰謀論」を信じ込んだのは、ユダヤ人が生得的に高い知能をもっているという「遺伝決定論」を否定したからなのだ。 弥生人の〝ジェノサイド〟 日本人の知能はなぜ、中国人や韓国人と同じなのか。その答えはものすごく単純で、中国人、日本人、韓国・朝鮮人はもともと同じ大陸系統だからだ。 近年の遺伝学や分子生物学の急速な進歩によって、 DNAの解析からヒトの出自や系譜をかなり正確に推定できるようになった。それによれば、日本人の祖先はすくなくとも 4万年前には、ユーラシア大陸からサハリン経由で陸続きだった北海道に渡ってきた。彼らは温暖な気候を求めて日本列島を南下し、関東や東海地方に後期旧石器時代の多くの遺跡を残し、約 1万 6000年前に土器をつくるようになって縄文時代に移行した。 一方、朝鮮半島南部では紀元前 4000年頃から漁撈・採集とともにキビやアワなどが栽培されはじめ、紀元前 15 ~前 13世紀に中国北部から青銅器をもつひとびとが南下して、前 11世紀頃から本格的な稲作が始まった。紀元前 4世紀に、中国の戦国時代の混乱で中原(黄河流域)で大量の難民が発生し、その一部が鴨緑江を超えて朝鮮半島に押し寄せたため、南部で暮らしていた稲作民が押し出されるように海を渡り、九州北部に移住して「弥生人」になったというのがこれまでの通説だった。 だが 2003年に国立歴史民俗博物館の研究チームが AMS炭素 14年代測定という手法で土器などを分析し、通説より 500年以上さかのぼる紀元前 10世紀に日本列島で稲作が始まったと発表した。 この新説によれば、縄文時代末期から朝鮮半島と九州北部には交流があり、紀元前 8世紀には九州東部・中部でも稲作が本格的に行なわれ、前 7世紀には近畿、前 6世紀には四国や奈良盆地、伊勢湾沿岸にも広まったとされる【 68】。 近年の DNA解析によれば、ヤマト人(現代日本人)は大陸由来の弥生人と土着の縄文人の混血であることがわかっている(二重構造説)。地域によって異なるが縄文人の DNAの割合は平均して 14 ~ 20%程度で、アイヌ人とオキナワ(琉球)人は弥生系との混血の度合いが少ない。またゲノム全体を比較すると、ヤマト人、アイヌ人、オキナワ人にもっとも近縁なのは地理的に近接した韓国人で、これら4つの人類集団は統計的に 100%の確率でひとつのグループに入る。上海・北京の漢民族との遺伝的違いは、ヤマト人と韓国人の遺伝的違いのおよそ 3倍程度だ。 縄文時代・弥生時代は新たな分析手法の登場によってこれまでの通説が書き換えられつつあるが、石器と土器で狩猟採集生活をしていた縄文人の世界に現われた青銅器の武器をもつ弥生人は、現代から戦国時代にタイムスリップした『戦国自衛隊』(半村良)のようなものだったはずだ。 近年の DNA解析では、日本列島の人口が 3000 ~ 4000年前に急減している可能性が示されている。縄文時代の人口は最盛期で約 30万人とされるが、それが約 8万人まで減っているというのだ【 69】。

『古事記』や『日本書紀』では、天津神(天下った神)による国津神(土着の神)の征伐が繰り返し描かれている。それがどのようなものだったかは、古今東西の歴史を見れば想像に難くない。弥生人の〝ジェノサイド〟によって縄文人の男は皆殺しにされ、女は犯されて混血が進んだのだ。──こうした仮説を不快に思うひともいるだろうが、人類史のなかで日本列島の住人だけが「平和主義者」で、弥生人は穏便に縄文人の生活圏に入植し、ともに仲良く暮らし愛し合ったなどという〝お話〟よりずっと説得力があるのではないだろうか。 「下戸遺伝子」でわかる弥生と縄文の遺伝分布 DNA分析によって、黄河流域の中国北部と、長江から東南アジアにかけての中国南部では、同じ「中国人」でも遺伝子の型がちがうこともわかった。これは中国南部のひとびとが、もともとは東南アジアを起源とする異なる人種で、彼らが漢字と儒教を受け入れることで中華文明に同化したことを示している。広東語や福建語、上海語は普通話(北京語)の方言ではなく、文法からまったく異なるが、これは中原から南へと文化が伝播・変容したのではなく、南に住む異民族が漢字を受け入れながらも、自分たちの言葉を手放さなかったからだ。 日本列島に彼らの DNAが伝わっていることは、お酒を飲めないひとの分布から確認できる。 体質的にアルコールをまったく受けつけないタイプは「下戸」と呼ばれ、日本では珍しくないが、じつはヨーロッパやアフリカ、アメリカ大陸にはほとんどいない。これは医学的には、遺伝的変異によってアセトアルデヒドを酢酸に分解できないからだが、この変異型には顕著な地域差がある。 これを「下戸遺伝子」と呼ぶなら、中国南部に多く、そこから離れるにつれて保有率が下がっていく。北京では宴会で度数の強い白酒を一気飲みし、南に下るに従って度数の低い紹興酒が好まれるようになるが、これは文化的なちがいというよりアルコールに対する遺伝的な耐性によってもたらされたものだ。 下戸遺伝子の保有率は中国南部の 23・ 1%に対し、北部では 15・ 1%と大きく下がる。ところが日本人の保有比率は 23・ 9%と中国南部と並んでもっとも高い。 さらに日本国内でも保有率に顕著な地域差があり、近畿地方を中心とした本州中部に多く、東北と南九州、四国の太平洋側で少ない。 これは弥生人のなかに中国南部を起源とする下戸遺伝子をもつ者が多く、それが(野生型の遺伝子をもつ)縄文人と混血したからだろう。これが日本の酒文化にも影響を与え、縄文人の遺伝子の影響が強く残る地域で強い酒が好まれるようになった【 70】。 明治維新以降、西欧以外で日本だけがなぜ近代化に成功できたかが大きな謎とされ、「日本人は特別だ」という自尊感情が生まれたが、これが誤りであることはいまでは明らかだ。日本の旧植民地である韓国、台湾だけでなく、香港やシンガポール、そして中国本土までが爆発的な経済成長を実現したからだ。 日本の一足早い近代化は地理的・歴史的・文化的な偶然(幸運)によるもので、条件が整えば他の東アジア諸国でも同じことが可能だった。なぜなら、東アジア系はどこも同じように知能が高いから。「日本人の起源」では縄文人と弥生人、ヤマト人とアイヌ人、オキナワ人の遺伝的なちがいが研究され、近年では日本人と中国人、韓国・朝鮮人が遺伝的にどれほど異なっているかが(一部で)強調されるようになった。だが DNA解析が示すのは、東アジア系は混血が進んでおり、遺伝的にとてもよく似ているということだ。日本人だからといって、あるいは中国人、韓国・朝鮮人だからといって、「特別」なところはなにもないのだ。 アメリカ社会でもっとも成功したアジア系移民 アメリカ社会において、日系・中国系・韓国系など東アジア系の移民が経済的な成功を収めていることは数字によって明らかだ。 2016年の世帯年収調査では、アメリカ人の平均世帯年収 5万 9029ドル(約 650万円)を 100とすれば、白人 110、黒人 67、ヒスパニック 81に対し、アジア系は 138で、アメリカ人の平均より約 4割、白人と比べても 25%も高い。白人の世帯年収は 6万 5041ドル(約 715万円)だが、アジア系は 8万 1431ドル(約 896万円)にもなるのだ【 71】。 アメリカにおいてこうした統計がとられるのは、知能テストと同じく、「人種による差別のない社会」をつくるためだ。黒人の世帯年収は平均の 7割以下、白人と比べれば 6割しかないが、これは法的には平等になったものの暗黙の差別が残っているからだとされる。だからこそ人種間の経済格差がなくなるまで、マイノリティに対するアファーマティブ・アクション(積極的差別是正措置)をつづけなくてはならない。──リベラルの理屈ではこうなる。 ところでここで、「同じアメリカ社会のマイノリティ(少数民族)なのに、なぜアジア系の世帯年収はこんなに高いのか?」と疑問に思わないだろうか。黒人がアメリカ社会で差別されてきたのはまちがいないとしても、日系アメリカ人も第二次世界大戦中は「敵性民族」として全財産を没収され強制収容所に閉じ込められた。終戦直後の社会的・経済的地位は、日系人より黒人の方がはるかに恵まれていた。ところがそれから 70年たつと、日系人(アジア系)の世帯年収は黒人の 2倍にもなったのだ。 こうした疑問を抱くこと自体を「人種差別」と感じるかもしれないが、これを最初に指摘したのは「黒人保守派」と呼ばれる知識人たちだ。 シカゴ大学大学院でミルトン・フリードマンに師事し、コーネル大学教授やフーバー研究所の上席フェローを歴任したトマス・ソーウェルは数少ない黒人の経済学者だが、「日系アメリカ人が経済的に成功したのは〝特別扱い〟されなかったからだ」と主張して大論争を巻き起こした。ソーウェルによれば、黒人は過去の奴隷制の歴史を盾に進学や就学で「特権」を手に入れたことで堕落し、「負け犬の文化」を身につけたために、アメリカ社会の最下層に甘んじることになった。現在の逆境から抜け出そうと思うなら、すべての「特権」を返上し、(日系アメリカ人と同様に)公平な条件で競争し富を獲得していかなくてはならないのだ【 72】。 ──とはいえ、アメリカ社会が抱えるやっかいな問題にこれ以上立ち入ることは本題ではない。 ここでの疑問は、アジア系の世帯年収はなぜ白人より 25%も高いのか、ということだ。アジア系と白人の知能はほとんど変わらないのだから、そこにはなにか別の要因があるはずなのだ。 アファーマティブ・アクションで「差別」されるアジア系 カリフォルニア州、シリコンバレーにあるクパチーノはアップル本社の所在地として知られる。 2012年、『ウォールストリート・ジャーナル』に「またしても白人居住者の脱出」という記事が掲載されたことでちょっとした話題になった。このゆたかな町から白人の家族が続々と脱出しているのだという。 クパチーノには I T企業で働く中国系の家族が流入し、高校によっては 8割ちかくがアジア系というところもある(そのため中国語のホームページもつくっている)。これだけなら「人種問題」に思えるが、白人が逃げ出す理由は中国系の隣人を嫌ったからではない。彼らが恐れるのは、地域の学校の成績

が高すぎることだ。 アイビーリーグの大学に多くの卒業生を送り込むクパチーノのハイスクールでは、 SA T(大学進学適性試験)の平均点が全米平均より 27%も高い。一般生徒がこれほど優秀だと、白人の親たちはわが子が勉強についていけなくなることを心配するようになるのだ。 アジア系アメリカ人はアメリカの人口の 5%程度に過ぎないが、スタンフォード、コロンビア、コーネルなどのエリート大学では学生数の 4分の 1を占める。しかもこれは、アファーマティブ・アクションによる得点調整をされたあとの結果だ。 2018年8月、アメリカ司法省はハーバード大学の入学選考でアジア系の学生が不当に排除されているとの意見書を提出した。 ハーバード大が 2013年に行なった学内調査では、学業成績だけならアジア系の割合は全入学者の 43%になるが、他の評価を加えたことで 19%まで下がった。また 2009年の調査では、アジア系の学生がハーバードのような名門校に合格するには、 2400点満点の SATで白人より 140点、ヒスパニックより 270点、黒人より 450点高い点数を取る必要があるとされる。 米司法省の意見書は、「公平な入学選考を求める学生たち( SF A)」という NPO団体が、ハーバード大を相手取って 2014年にボストンの連邦地裁に起こした訴訟のために提出されたもので、同団体は白人保守派の活動家が代表を務めている。こうした背景から意見書は、白人に対する「逆差別」だとして保守派が嫌悪するアファーマティブ・アクション撤廃に向けての布石ともいわれている【 73】。 アジア系は内向型人間 アメリカの大学で白人学生が外向的なのに対し、日本からの留学生が内向的で授業中もほとんど発言しないことが、日米の文化のちがいとしてしばしば指摘される。だがこれは、日本人にかぎったことではない。「内向性」は、中国系や韓国系など東アジア系の学生にも共通する傾向だ。 ハーバード大学ロースクールを卒業してウォール街の弁護士になったあと、ライターに転じたスーザン・ケインは、アメリカ社会はなぜこれほど「積極的」で「外向的」であることが求められるのか疑問に思い、『 Quiet(ものしずか)』という本を書いた(邦題は『内向型人間の時代』)。ケイン自身が内向的な性格で、子どもの頃からずっと「もっと積極的になりなさい」という圧力に苦しんできたからだ【 74】。 ケインは、自分の同類を東アジア系のなかに次々と見つけた。クパチーノの高校から東部の名門大学に進学することが決まっている中国系の女子生徒は、ケインにこう不安を打ち明けた。「私はすごく静かなタイプ。パーティはあんまり好きじゃないし、社交的でもないの。向こうではみんなとても積極的みたい。私はずいぶん異質な気がするわ。向こうで友達ができるかどうか心配なくらいよ」 クパチーノに住む中国系の母親の一人は、 UCLAの大学院で学んだときの体験を語った。「教室で、私は静かな学生だった。なのに UCLAでは、教授は開口一番『さあ、ディスカッションだ!』と言うの。みんながくだらないことを延々と話しているのを私はじっと見ていた。教授はすごく忍耐強くて、みんなの話を熱心に聴いていたわ」 ディスカッションに参加しないアジア系の学生はアメリカの大学で問題になり、授業中の積極性を成績評価の一部にすると決めた教授も現われた。それが新聞に報じられると、インターネットには「アジア系アメリカ人は沈黙のせいで踏みつけにされるのを許してはならない」との投稿が寄せられた。 東アジア系の学生が内向的なのは「儒教文化」の影響とされるが、これは説得力があるとはいえない。儒教の受容は国によって異なるし、現代日本で儒教的な子育てをしている親はごく少数だろう。 行動遺伝学では、「外向的/内向的」のような性格の遺伝率はおよそ 5割とされている。遺伝率が 8割にちかい知能よりは低いものの、内向性も親から遺伝するのだ。──ちなみに残りの半分は、「子育て(共有環境)」ではなくやはり「友だち関係(非共有環境)」だ。 ペットになったキツネ 旧ソ連の遺伝学者ドミトリ・ベリャーエフはスターリン統治下の 1948年、「環境因子が形質の変化を引き起こし、その獲得形質が遺伝する」というルイセンコの学説に反対したことを理由に降格され、シベリアの研究施設に送られた。そこでベリャーエフは、メンデル遺伝学の正しさを証明するため、人間になつかないキツネ(ギンキツネ)のなかからおとなしい個体を選んで繁殖する実験を行なった。 その結果は驚くべきものだった。わずか数世代でキツネの個体群はより従順になり、 9世代が過ぎると、何頭かの子ギツネにまったく新しい特徴が現われはじめた。それはイヌをオオカミから区別する特徴とほぼ同じで、頭部と胸部に白い斑点が現われ、顎や歯は小さくなり、まっすぐだった尾はカールした。そして 30世代が経過する頃には、ヒトになつくことはないとされていた野生のキツネはペットにできるほど従順になった【 75】。 ヒトはオオカミを飼いならし、 18世紀以降の品種改良によってわずか数百年でセントバーナードからチワワまで、(イヌの本性を維持しつつも)外見も気質も大きく異なるさまざまな犬種をつくりだした。ある特殊な条件の下では、進化はきわめて短期間で起きるのだ。 ベリャーエフの実験は、同様の淘汰圧がヒトの集団に加わった場合、オオカミがイヌになるように、異なる外見や性格の個体に「進化」する可能性を示している。もちろん、育種のような極端なことが繰り返しヒトに起こったとはいえない。しかしその期間が数千年だったらどうだろうか。 キツネの品種改良を人間に当てはめるのは突飛に思えるが、じつは DRD 4(ドーパミン受容体 D 4)遺伝子の 7 R( 7リピート)対立遺伝子で興味深い事実がわかっている。この遺伝子は AD H D(注意欠陥・多動性障害)に関係し、落ち着きのない衝動的な振る舞いや注意散漫などを引き起こすとされている。欧米をはじめ世界各地でこの遺伝子の遺伝的多型がかなりの頻度で見られるが、東アジアではほとんど存在していないのだ。 中国では、 7 R対立遺伝子と同類の対立遺伝子がかなり一般的なのに、 ADHDを引き起こす 7 R対立遺伝子だけがきわめて稀だ。自然状態でこのようなことが起こるとは考えられないから、中国社会では 7 R対立遺伝子をもつ者は人為的に徹底して排除された可能性がある【 76】。 ヒトもまた、ベリャーエフのキツネと同様に「家畜化」されているのかもしれないのだ。 石槍という「大量破壊兵器」「ヒトの家畜化」というと、宗教の一種ではないかと疑うひともいるだろう。ヒトがイヌやウシ、ブタなどを家畜化してきたのと同様に、何者かがヒトを家畜化したとしたら、それは神ではないだろうか。 だが「現代の進化論」は、超越者を介在させずにヒトの家畜化を説明する。なぜなら、ヒトがヒトを家畜化してきたから。これが「自己家畜化」だ。 進化心理学者のマーティン・デイリーはヒトの暴力性について研究するうちに、チンパンジーなど他の霊長類と比べても、ヒトは暴力を抑制するよう進化してきたのではないかと考えるようになった。この発想をさらに進めたのが、文化人類学者のクリストファー・ボームで、『 Hierarchy in the Forest(森のなかのヒエラルキー)』で、旧石器時代にヒトの暴力性は大きく変化したという刺激的な議論を提起した【 77】。

石の先端を鋭利に尖らせ、長い棒の先にくくりつけた石槍は旧石器時代の遺跡から大量に見つかっている。こうした打製石器の多くは、ヒト(サピエンス)の祖先であるホモ・ハビリスやホモ・エレクトスの時代(約 250万年前の更新世)に人類が「狩られる側」から「狩る側」に転じ、マンモスなどの大型獣の狩猟のために発明されたとされている。 これはもちろんまちがいではないが、ボームはそれ以外にも石槍が人類に大きな影響を与えたはずだと考えた。 チンパンジーはアルファオス(ボスザル)を頂点とする階層社会をつくるが、その頂点に立つのは常に身体が大きくちからの強いオスだ。人類にもこうした傾向は受け継がれていて、身体の大きい男性は女性に好まれ、(アメリカでは)大企業の CEOの身長は平均よりかなり高い。だがこれにはいくらでも例外があり、身体的に恵まれていなくても権謀術数でのし上がっていく物語は古今東西いくらでもある。 霊長類学者のフランス・ドゥ・ヴァールが『政治をするサル』で世界じゅうを驚かせたように、高い知能をもつチンパンジーは政治家並みの権力闘争をする(政治家が「チンパンジー並み」ともいえる)。だがそれも屈強なオスが複数いる場合で、ひ弱なオスや、ましてやメスがヒエラルキーの頂点に立つようなことはない。 なぜ人類は、身体的な強さが権力と直結しないように進化したのだろうか。 ボームの慧眼は、石槍は獲物を倒したり外敵と戦うときのためだけに役立つのではないと気づいたことだ。いまならオモチャにしか思えないかもしれないが、打製石器は人類の歴史では大量破壊兵器に匹敵するイノベーションだった。ひとたびそれを手にすれば、ひ弱な人間も集団でマンモスをしとめることができる。だとすれば、共同体のなかのひ弱なメンバーが身体の大きなボスを殺すのはもっとかんたんだったはずだ。 こうして旧石器時代の人類は、共同体の全員が大量破壊兵器(打製石器)を保有し、「いつでも好きな時に気に入らない相手を殺すことができる」社会で生き延びなければならなくなった。 道徳の起源は相互監視 旧石器時代でも身体が大きいことは共同体のリーダーになるのに有利だっただろうが、彼はもはや絶対的な権力を行使できるわけではない。集団内の不満が高まれば、槍を手にした者たちにいつ殺されるかわからないからだ。 文化人類学者は、文明社会とは隔絶した地域で狩猟採集生活をつづける伝統的社会をフィールドワークし、それが例外なく「平等」であることを発見した。ここから、人間の本性はもともと平等主義的であり、それが農耕社会(あるいは文明化や資本主義、グローバリズム)によって歪められたのだという(リベラルな)主張が生まれた。 これは一見もっともらしいが、進化の観点からは、人類がなぜ平等主義的な本性をもつようになったのかが説明できない。生存と生殖を最優先しないような個体は子孫を残すことができない。だとしたら、「神」がヒトをリベラルになるようにお創りになったのだろうか。 だがボームの「自己家畜化」論なら、進化論(科学)の枠組みのなかでこの謎を解くことができる。旧石器時代以降の人類社会のリーダーは、仲間を平等に扱わなければあっさり殺されてしまったのだ。 それ以外にも「自己家畜化」論で、人類の進化のさまざまな疑問を説明できる。 すべてのメンバーが「大量破壊兵器」を手にした共同体で、自分の身を守りつつヒエラルキーを昇っていこうとすれば、徒党を組むことが不可欠だ。いまの政治と同じで、旧石器時代でもリーダーはもっとも大きな派閥から選ばれたはずだ。利害の異なる相手と手を結び、権力集団を維持・拡大していくためには高度な言語能力と政治的知能が必要になる。これが、人類が大きな脳を必要とし、言葉を獲得した理由ではないだろうか。──「大量破壊兵器の時代」では、噂話によってライバルの信用を落とし、共同体内での自分の評価を上げていく社会的知能も重要になっただろう。 社会が平等主義的に変わっていくと、仲間内で自己中心的だったり、暴力的な振る舞いをすることが忌避されるようになる。極端に暴力的な人間は殺されたり、共同体から排斥されて、その遺伝子はじょじょに消えていったはずだ。 共同体の秩序を保つためには、抜け駆けをするような自分勝手な行為を禁止することも必要だ。旧石器時代には法律も裁判所もないのだから、この問題に対処するもっとも効果的な方法は、不道徳な行為に対しては怒りを感じ、懲罰するようななんらかの本能をあらかじめ埋め込んでおくことだろう。ボームは、これが「道徳の起源」だと考えた【 78】。 いたるところに警察官を配置し、一挙手一投足を監視するには膨大なコストがかかる。だが、他人の道徳的不正を罰することで快感を覚えるように脳を「プログラム」しておけば、共同体の全員が「道徳警察」になって相互監視することで、秩序維持に必要なコストは劇的に下がるだろう。──近年の脳科学は、この予想どおり、他人の道徳的な悪を罰すると、セックスやギャンブル、ドラッグなどと同様に快楽物質のドーパミンが放出されることを明らかにした。ヒトにとって「正義」は最大の娯楽のひとつなのだ。 農耕という第二の「自己家畜化」 旧石器時代の打製石器というイノベーションにつづいて、人類が生み出した次の巨大なイノベーションが約 1万年前の農耕だ。ヒト(サピエンス)は、この大きな環境の変化にも適応したはずだ。 10万年前の世界人口は、アフリカのヒト(サピエンス)とユーラシアの旧人類(ネアンデルタール人など)を合わせて 50万ほどしかいなかった。ヒトがユーラシア大陸に拡散した 1万 2000年前(氷河期の終わり)でも、その数は 600万人程度だったと推計されている。だが農業という技術イノベーションでカロリー生産量が急激に高まったことで、紀元前 1万年から西暦 1年までのあいだに世界人口は 100倍に増加した(推定値は 40 ~ 170倍【 79】)。 農業が現生人類に与えた最大の変化は、食糧を求めて少人数で広大な大陸を移動する狩猟採集生活から、土地にしばりつけられた人口密度の高い集団生活に移行したことだ。これによって人類は感染症の危険にさらされることになって免疫機能を発達させ、炭水化物を大量摂取しても糖尿病になりにくい体質へと〝進化〟した。 狩猟採集生活をしていたり、農業を始めてから歴史の浅い新大陸(アメリカやオーストラリア)の原住民は、ヨーロッパ人との接触で天然痘などに感染して甚大な被害を被った。大量の炭水化物を経験したことのない彼らが糖尿病にかかりやすいことや、穀物を発酵させた酒に耐性がなくアルコール依存症が深刻な問題になっていることもここから説明できるかもしれない。 それ以外でも、「農業による集団生活」というまったく新しい環境は、ヒトに対してさまざまな淘汰圧を加えた。 狩猟採集生活では獲得した獲物はその場で食べるか、仲間と平等に分けるしかなかったが、貯蔵できる穀物は「所有」の概念を生み出し、自分の財産を管理するための数学的能力や、紛争を解決するための言語的能力が重視されるようになった。 その一方で、狩猟採集社会では有用だった勇敢さや獰猛さといった気質が人口稠密な集住社会(ムラ社会)では嫌われるようになった。牧畜業では気性

の荒い牛は仲間を傷つけるので真っ先に排除される。それと同様に、農耕によってはじめて登場した共同体の支配者(権力者)は自分に歯向かう攻撃的な人間を容赦なく処分しただろうし、村人たちも攻撃的な人間をムラの平和を乱す迷惑者として村八分にして追い出しただろう。農耕社会では、温厚な気性が選択的に優遇されたのだ。 チワワとドーベルマン 「1万年の進化爆発」仮説は、「工業社会や知識社会では、農業を経験した人種とそうでない人種の間には適応度にちがいがある」可能性を示している。サハラ以南のアフリカでも農耕は行なわれていたが、規模は小さく歴史も短いためじゅうぶんに「進化」することができなかった。 それに対して、ユーラシア大陸で 1万年にわたって農業を行なってきたひとびとの末裔であるヨーロッパ系や東アジア系は、ムラ社会の習慣をそのまま学校・軍隊・工場などに持ち込むことで容易に適応することができた。これがたんなる文化のちがいだったら、アフリカ人やオーストラリアのアボリジニもすぐに真似できるはずだ。なぜ上手くいかないかというと、文化や習慣の背後に生得的な基礎があるからだ──という話になる。 これはきわめて危うい論理だが、視点を変えれば、ヨーロッパ系や東アジア系はムラ社会のなかで、それぞれの仕方で自らを「家畜化」してきたのに対し、アフリカ人やアボリジニは「家畜化」されていないということでもある。白人をダックスフント、アジア人をチワワとするならば、彼らはドーベルマンやシェパードなのだ。 チワワやダックスフントがドーベルマンより優れているとはいえないように、〝家畜化という進化〟を経た人種を家畜化されていない人種よりも優秀だとする根拠はない。ペットをマンションで飼うようになった現代社会では、ドーベルマンよりもチワワやダックスフントの方が適応度が高いというだけのことだ。 ここまできてようやく、「私たち(日本人)は何者なのか?」という問いにたどり着くことができた。 農耕の開始によって「 1万年の進化爆発」が始まったとしたら、狩猟採集社会や遊牧社会はもちろん、小麦作のヨーロッパ社会に比べてもはるかに人口稠密なムラ社会で生きてきた東アジア系は、それに最適化するよう気質や性格を「進化」させてきたはずなのだ。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次