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Ⅰ │努力は遺伝に勝てないのか

言ってはいけない 残酷すぎる真実橘 玲

まえがき 最初に断っておくが、これは不愉快な本だ。だから、気分よく一日を終わりたいひとは読むのをやめたほうがいい。 だったらなぜこんな本を書いたのか。それは、世の中に必要だから。 テレビや新聞、雑誌には耳触りのいい言葉が溢れている。メディアに登場する政治家や学者、評論家は「いい話」と「わかりやすい話」しかしない。でも世の中に気分のいいことしかないのなら、なぜこんなに怒っているひとがたくさんいるのだろうか。──インターネットニュースのコメント欄には、「正義」の名を借りた呪詛の言葉ばかりが並んでいる。 世界は本来、残酷で理不尽なものだ。その理由を、いまではたった 1行で説明できる。 ひとは幸福になるために生きているけれど、幸福になるようにデザインされているわけではない。 私たちを「デザイン」しているのは誰か? ひとびとはこれまで、それを神と呼んでいた。だがダーウィンが現われて、「神」のほんとうの名前を告げた。それは〝進化〟だ。 ダーウィンの「危険な思想」は、 100年経ってもほとんど理解されなかった。 1930年代になってようやくメンデルの遺伝学が再評価され、進化の仕組みが(まがりなりにも)説明できるようになったが、不幸なことにナチスによって誤用され、ユダヤ人やロマ(ジプシー)、精神病者など「遺伝的に劣った種」の絶滅を正当化する優生学になった。悲惨な戦争が終わると、「進化論は自然や生き物の不思議を研究する学問で、知性を持つ人間は別だ」という〝人間中心主義(ヒューマニズム)〟が政治的に正しい態度とされるようになった。 だが 1950年代にワトソンとクリックが DNAの二重らせんを発見し、生命の神秘の謎を解く鍵を手に入れたことで、ダーウィンの進化論は大きくヴァージョンアップした。動物行動学(エソロジー)は、チンパンジーなど霊長類の観察を通して、ヒトの生態の多くが動物たちと共通しており、私たちが「特別な種」ではないことを説得力をもって示した。こうして進化生物学・進化心理学が誕生した。「現代の進化論」は、こう主張した。 身体だけでなく、ひとのこころも進化によってデザインされた。 だとしたら私たちの喜びや悲しみ、愛情や憎しみはもちろん、世の中で起きているあらゆる出来事が進化の枠組のなかで理解できるはずだ。このようにして現代の進化論は、コンピュータなどテクノロジーの急速な発達に支えられ、分子遺伝学、脳科学、ゲーム理論、複雑系などの「新しい知」と融合して、人文科学・社会科学を根底から書き換えようとしている。 もちろんこれは私が勝手にいっていることではなく、専門家であれば常識として誰でも知っていることだ。でも日本ではなぜか、こういう当たり前の話を一般読者に向けて説くひとがほとんどいないし、もしいたとしても黙殺されてしまう。なぜなら現代の進化論が、良識を踏みにじり、感情を逆なでする、ものすごく不愉快な学問だからだ。 古代社会では、不幸な知らせを伝えた使者は斬首された。これはいまでも同じで、集団にとって不愉快なことをいう者は疎んじられ、排斥されていく。みんな見たいものだけを見て、気分のいいことだけを聞きたいのだから、知識人(すなわち賢いひとたち)が知らないふりをするのは、正しい大人の態度なのだろう。 だが「言ってはいけない」とされている残酷すぎる真実こそが、世の中をよくするために必要なのだ。この不愉快な本を最後まで読めば、そのことがわかってもらえるだろう。 なお、本書で述べたことにはすべてエビデンス(証拠)がある。より詳しく知りたい方は巻末の文献一覧を参照してほしい。本文で説明が不十分なところはコラムで補ったが、煩瑣に思われるなら本文のみを先に読んでいただきたい。

目次まえがき

Ⅰ │努力は遺伝に勝てないのか

1 遺伝にまつわる語られざるタブー馬鹿は遺伝なのか依存症・精神病は遺伝するのか犯罪は遺伝するのか〔コラム 1〕 ◉遺伝率〔コラム 2〕 ◉遺伝と犯罪 2 「頭がよくなる」とはどういうことか──知能のタブー親の収入と子どもの学歴の関係は人種と I Qについてのタブー差別のない平等社会をつくれないワケ「知能格差」の真因とは〔コラム 3〕 ◉ユダヤ人はなぜ知能が高いのか〔コラム 4〕 ◉アジア系の知能と遺伝 3 知識社会で勝ち抜く人、最貧困層に堕ちる人経済格差の根源は何か超高学歴でエリート主義のスノッブたち強欲な 1%と善良で貧しい 99%日本社会に潜む「最貧困層」 4 進化がもたらす、残酷なレイプは防げるか犯罪は「凶暴な男」の問題進化のために赤ん坊が殺される妻殺しやレイプを誘発する残酷な真実オランウータンもレイプする夫婦間のレイプはなぜ起こるのか〔コラム 5〕 ◉実の親と義理の親の子殺し〔コラム 6〕 ◉家庭内殺人と血縁 5 反社会的な人間はどのように生まれるかこころを支配するもの心拍数と反社会的行動の因果関係犯罪者になる子ども、実業家になる子ども「発汗しない子ども」は良心を学習できない「賢いサイコパス」と「愚かなサイコパス」少年犯罪者や異常性欲者への驚愕の治療法脳科学による犯罪者早期発見システム子どもの選別と親の免許制非科学的な人権侵害よりも脳科学による監視社会を〔コラム 7〕 ◉犯罪と妊婦の喫煙・飲酒

Ⅰ │努力は遺伝に勝てないのか

1 遺伝にまつわる語られざるタブー 親から子へと外見や性格が遺伝することは昔から知られていた。背の高い親の子どもが長身なのは当たり前で、せっかちな子どもを「親に似たのね」と評するのもごく自然だ。 その一方で、「トンビがタカを生む」という諺があるように、親とはちがう形質を持つ子どもが生まれることもわかっていた。しかしそこにも一定の範囲があり、顔かたちから性格までなにもかも違うと、ほんとうの親子なのか疑われることになる。 ここまでは常識で、私たちはみんな遺伝について漠然とした知識を持っている。だが、そこから先を考えてみたことはあるだろうか。 子どもは親を選べないのだし、もって生まれたものでなんとかやっていくしかない──これはまっとうな人生観だが、それがいま大きく揺らいでいる。遺伝をめぐる自然科学の急速な進歩は、これまで想像もできなかった難題を私たちに突きつけている。馬鹿は遺伝なのか 遺伝についての次の文を読んで、どう感じるだろうか。 ① やせた親からはやせた子どもが生まれる ② 太った親からは太った子どもが生まれる いずれも体型が遺伝的なものだと述べているが、 ①には抵抗がなくても ②には引っかかりを覚えるひともいるだろう。 このことは、次の例だとよりはっきりする。 ③ 親が陽気なら子どもも明るい性格に育つ ④ 親が陰鬱だと子どもも暗い性格に育つ どちらも性格と遺伝について述べているが、 ③と ④では印象がまるで違うはずだ。だがこれは、「性格は遺伝する」ということを異なる例で説明しているだけだ。 同じ話でも受け止め方にちがいが生じるのは、私たちの社会に暗黙の規範があるからだ。「スリムな女性は美しい」という規範は、言外に「太っている女性は醜い」と告げている。「子どもは明るく元気であるべきだ」という規範は、「暗くて地味な子どもには問題がある」という規範を内包している。そして私たちは、これも暗黙のうちに、規範からの逸脱(太っている女性や暗い子ども)を遺伝のせいにしてはならないと思っている。なぜなら、体型や性格に遺伝の影響があるとしても、それは本人の努力や親が与える環境によって乗り越えられるはずだから。「すべてが遺伝で決まるのなら、努力は無駄になってしまう。それでは頑張っているひとが可哀想だ」──この論理に、多くのひとは同意するだろう。だが考えてみれば、これはずいぶん残酷な話だ。 太っている女性には「やせるべきだ」という社会的圧力が、暗い子どもには「明るくなれ」という教育的圧力が加えられている。そして彼ら/彼女らは、ゆたかな社会と恵まれた環境のなかで、自らの「失敗」をなにかほかのもののせいにすることが許されない。家族や友人、教師や会社の上司・同僚の「善意」の励ましは、どれほど努力してもやせられない女性や、明るくなれない子どもをこれ以上ないほど深く傷つけるのだ。 遺伝についての詳しい話はあとまわしにして、もうすこし「思考実験」を続けてみよう。 次の3つの文をどう感じるだろうか。 ① スポーツ選手の子どもは運動が得意だ ② 音楽家の子どもは歌がうまい ③ 大学教授の子どもは頭がいい 体型や性格と同様に能力も遺伝することが知られているから、どれも当たり前の話で違和感はないかもしれない。だが同じことを逆の立場で説明すると、ちがいがはっきりわかる。 ④ 子どもが逆上がりができないのは親が運動音痴だからだ ⑤ 子どもの歌が下手なのは親が音痴だからだ ⑥ 子どもの成績が悪いのは親が馬鹿だからだ ④と ⑤はほとんどの場合、笑い話で済まされるだろうが、 ⑥は公には口にしてはならないとされている。だが運動神経や音楽の才能と同様に知能も遺伝するのなら(だから大学教授の子どもは頭がいい)、それを別の仕方で語ることが許されないのはおかしい。もうおわかりのように、ここにも暗黙の強い社会的規範が働いている。逆上がりができなかったり、歌が下手だったりするのは、私たちの社会ではどうでもいいことだから、個性のひとつとして容認される。だが成績(知能)は子どもの将来や人格の評価に直結するから、努力によって向上しなければならないのだ。 学校教育では、すべての子どもによい成績を獲得するようがんばることが強制されている。もしも知能が遺伝し「馬鹿な親から馬鹿な子どもが生まれる」のなら、努力は無駄になって「教育」が成立しなくなってしまう。だからこそ、自然科学の研究成果とは無関係に、「(負の)知能は遺伝しない」というイデオロギー(お話)が必要とされるのだ。 一般知能は I Q(知能指数)によって数値化できるから、一卵性双生児と二卵性双生児を比較したり、養子に出された一卵性双生児を追跡することで、その遺伝率をかなり正確に計測できる。こうした学問を行動遺伝学というが、結論だけを先にいうならば、論理的推論能力の遺伝率は 68%、一般知能( I Q)の遺伝率は 77%だ。これは、知能のちがい(頭の良し悪し)の 7 ~ 8割は遺伝で説明できることを示している【 1】。 どれほど努力しても逆上がりのできない子どもはいるし、訓練によって音痴が矯正できないこともある。それと同じように、どんなに頑張っても勉強できない子どももいる。だが現在の学校教育はそのような子どもの存在を認めないから、不登校や学級崩壊などの現象が多発するのは当たり前なのだ。依存症・精神病は遺伝するのか がんや糖尿病などには遺伝的な要因が強く影響していることがわかっている。体型や性格、能力と同様に体質(病気)もまた遺伝するからだ──ここまではほとんどのひとが医学の成果として受け入れ、だからこそ遺伝子治療の進展に期待するのだろう。 病気には身体的な疾患のほかにこころの病(精神疾患)もある。では、次のような文をあなたはどう感じるだろうか。 ① アルコール中毒は遺伝する ② 精神病は遺伝する ③ 犯罪は遺伝する ここでは ①から ③に向かって社会的タブーが強くなるよう並べてある。 ③にいたっては、一般にはまず見かけることのない主張だ。だが犯罪と遺伝の関係は、精神医学の専門書では頻繁に言及されている。 依存症(アルコール中毒)、統合失調症(精神病)、反社会性パーソナリティ障害(犯罪)に遺伝がどうかかわるのかも、行動遺伝学者によって 1960年代から研究されてきた。そこでは、精神疾患(ひとのこころのネガティブな側面)にも遺伝が強く影響していることが繰り返し確認されている。 ここで、なぜこんな不愉快な研究をするのか疑問に思うひとがいるかもしれない。だが、次のように考えてみたらどうだろう。 依存症から身を守るもっとも効果的な方法は、アルコールやドラッグなどの薬物に手を出さないことだ。依存症が遺伝なら、子どもには自分の遺伝的脆弱性(アルコール中毒になりやすい)をあらかじめ知識として教えることができる。 アルコール中毒者は酒に対する適性がきわめて高く、最初のうちは飲めば飲むほど気持ち良くなっていく。だが「このくらいなら大丈夫」と大酒を繰り返すうちに一線を越え、やがてはベッドから起き上がるためだけに大量のアルコールが必要になって、最後は廃人と化してしまうというのが典型的なパターンだ。 大学生になれば酒を勧められる機会も増えるだろうが、そのとき正しい知識があれば、「自分には遺伝的に大きなリスクがある」と説明してきっぱり断ることもできる。あるいは依存症と遺伝の関係が社会に周知されていれば、遺伝的脆弱性のある友人や部下に無理に酒を飲ませようとはしないだろう。薬物に接触しなければ依存症になることはないのだから、そのような環境を社会がつくってあげればいいのだ。 依存症が遺伝することを受け入れるひとでも、統合失調症のような精神病の遺伝については強く拒絶するにちがいない。それは、遺伝が精神病者に対する差別の正当化に使われてきた不幸な歴史があるからだ。ナチスの唱えた優生学では、ユダヤ人やロマ(ジプシー)、精神病者は遺伝的に欠陥があるとされ、絶滅すべきだとされた。 こうした批判はたしかに正当に思えるが、次のようなケースはどう考えたらいいのだろう。 インターネットの質問サイトに、「精神病は遺伝するのでしょうか」との質問が寄せられることがある。そこでは匿名の回答者が「精神病と遺伝の関係は証明されていない」とか、「精神病の原因は遺伝よりストレス(あるいは人格形成期の体験)にある」などとこたえている。医師(小児科医)が自身のホームページで、「精神病は遺伝ではありませんから安心して子どもを産んでください」と書いているものもあった。 夫(もしくは妻)が精神疾患を患っていて、子どもをつくろうかどうか悩んでいる夫婦がワラにもすがる思いでインターネットを検索すると、ほぼ確実に、専門家らしき人物が「精神病は遺伝しない」と断言している文章を見つけることになる。それを読んだ 2人は、妊娠をこころから喜ぶことができるかもしれない。 これはたしかにいい話だ。しかし匿名の回答者や善意の医師は、その後の 2人の人生に起こる出来事になんの責任も取ろうとはしないだろう。 これも結論だけを先に述べるが、さまざまな研究を総合して推計された統合失調症の遺伝率は双極性障害(躁うつ病)と並んできわめて高く、 80%を超えている(統合失調症が 82%、双極性障害が 83%【 2】)。遺伝率 80%というのは「 8割の子どもが病気にかかる」ということではないが、身長の遺伝率が 66%、体重の遺伝率が 74%であることを考えれば【 3】、どのような数字かある程度イメージできるだろう。背の高い親から長身の子どもが生まれるよりずっと高い確率で、親が統合失調症なら子どもも同じ病気を発症するのだ。 私たちはこの「科学的知見」をどのように受け止めればいいのだろう。私のいいたいことはきわめてシンプルだ。 精神病のリスクを持つ夫婦がこの事実を知ったとき、彼らは出産をあきらめるかもしれないし、それでも子どもがほしいと思うかもしれない。 2人(と子ども)の人生は自分たちでつくりあげるものだから、どちらの選択が正しいということはできない。だがその決断は、願望ではなく正しい知識に基づいてなされるべきだ。 あるいは、精神病と遺伝との関係が社会に周知されていれば、父母やきょうだい、友人たちはそのリスクを知ったうえで、 2人を援助したり、助言したりできるかもしれない。そのほうが、インターネットの匿名掲示板を頼りに、人生のたいせつな決断をするよりずっとマシではないだろうか。 優生学が間違っているのは「精神病は遺伝する」と主張したからではなく、その論理が精神病者に対する差別と偏見を前提にしているからだ。科学的知見を「不都合なイデオロギー」として拒絶するのではなく、それを精神病の予防や治療につなげ、社会の偏見をなくしていくよう努力することが求められているのだ。犯罪は遺伝するのか「犯罪は遺伝する」という仮説は、依存症や精神病よりずっと受け入れがたいにちがいない。これが間違いなく、犯罪者の子どもへの差別に直結するからだ。だが犯罪と遺伝の関係を認めない社会は、ときにきわめて残酷なことをする。 2014年7月 26日、長崎県佐世保市の公立高校に通う女子生徒が、同級生の女子を自宅マンションに誘い、首を絞めるなどして殺害したのち、遺体の頭と左手首を切断した。取調べに対し女子生徒は、「身体のなかを見たかった」「人を殺して解体してみたかった」などと供述し犯行を認めたものの、受け答えは淡々として反省の様子は見られなかったという。 父親は地元では高名な弁護士で、女子生徒は裕福な家庭で育てられたが、中学 3年のときに母親を病気で失い、父親の再婚話を機に父娘関係が悪化、事件の 5カ月ほど前には就寝中の父親を金属バットで殴打し、頭蓋骨陥没の重傷を負わせている。その後、父親は娘をマンションで一人暮らしさせることにし、そこが凶行の舞台となった。 近代刑法では犯罪は本人自身の責任とされ、家族や共同体に連帯責任を負わせることは禁じられている。精神障害などで自己責任を問えない場合は罪を

免責し、刑務所の代わりに精神病院に収容している。 だがこうした「罪と罰」の約束事は、未成年の凶悪犯罪をめぐって混乱を来たしている。 犯罪者に脳の器質的・精神的な異常が認められなければ、凶行に至る原因はすべて環境にあることになる。犯人が成人なら自らの意思で環境を選び取ったということもできるが、未成年には責任能力を問えないのだから、親が監督責任を負うほかはない。この論理では、親が子どもに与えた環境、すなわち子育てが犯罪を引き起こすのだ。 実際、事件後には多くの〝識者〟が、母親の死後、父親が若い女性と交際し再婚話を進めたことを事件のきっかけとして挙げた。家族と離れて一人暮らしさせたことの「孤独感」に言及するものもあった。 この女子生徒は成績優秀だったが、小学校のときからネコを解剖したり、給食に異物を混入するなど異常行動が見られた。事件後には、「中学生の頃から、人を殺してみたいという欲求があった」と供述してもいる。母親との死別を機に折り合いが悪くなったとはいえ、就寝中の父親を金属バットで襲うというのも常軌を逸している。 妻が死んで別の女性とつき合いはじめるのは犯罪でもなんでもなく、事情のわからない部外者が道徳的に断罪すべきものでもないが、子育てに犯罪の原因を求めるひとたちは、父親に対し、「再婚話を進めたりせず、娘と同居して愛情深く接すればこんな事件を起こすことはなかった」との暗黙の批判を加えている。だがこれほどまで異常な子どもに対し、親はいったいなにができただろう。 マスメディアが親の責任を問うのは、子どもの人権に配慮しているからではない。不吉なことが起こると、ひとびとは無意識のうちに因果関係を探し、その原因を排除しようとする。異常な犯罪がなんの理由もなく行なわれる、という不安にひとは耐えられないから、子ども(未成年者)が免責されていれば親が生贄になるのだ。 現代の精神医学では、犯罪を引き起こすような精神障害は「反社会性パーソナリティ障害」と呼ばれている。とはいえ、ずるがしこいひとや残酷な人間はどんな社会にも一定数いるし、これを安易に治療の必要な「病気」にしてしまうと、刑法における責任能力との関係でやっかいな問題が出てくるから、どこからを「障害」と見なすかはあいまいにならざるを得ない。だがそれでも、誰が見ても「異常」な人間はいる。 イギリスで、 1994年から 3年間に生まれた 5000組の双子の子どもたちを対象に、反社会的な傾向の遺伝率調査が行なわれた。それによると、「冷淡で無感情」といった性格を持つ子どもの遺伝率は 30%で、残りの 70%は環境の影響だとされた。この「環境」には当然、子育ても含まれるだろうから、これは常識的な結果だ。 次いで研究者は、教師などから「矯正不可能」と評された、きわめて高い反社会性を持つ子どもだけを抽出してみた。 その結果は、衝撃的なものだった。 犯罪心理学でサイコパスに分類されるような子どもの場合、その遺伝率は 81%で、環境の影響は 2割弱しかなかった。しかもその環境は、子育てではなく友だち関係のような「非共有環境」の影響とされた【 4】。 この結果が正しいとすれば、子どもの極端な異常行動に対して親ができることはほとんどない。親の「責任」とは、たまたまその遺伝子を自分が持っており、それを子どもに伝えたということだけだ。 事件から 2カ月後の 10月 5日、女子生徒の父親は自宅で首をつって自殺した。〔コラム 1〕 ◉遺伝率 遺伝についての専門的な説明は本書の範囲を超えるが、誤解を招きやすい「遺伝率」についてかんたんに解説しておきたい。 世の中には、背の高いひとも低いひともいる。日本人の場合、平均身長は男性が 167センチ、女性が 154センチで、背が高くなったり、低くなったりするにつれて人数が減っていく(身長 190センチ以上の男性は 0・ 06%しかいない)。このばらつきは正規分布(ベルカーブ)で、極端なことほど起こりにくい。 誰でも知っているように、身長の要因には遺伝と環境がある。両親ともに背が高くても、幼児期の栄養状態が悪ければ身長は低いままかもしれない。だったら、遺伝(あるいは環境)の影響はどのくらいあるのだろうか。 これを調べたのが遺伝率で、「身長の遺伝率 66%」というのは、背の高さのばらつきのうち 66%を遺伝で、 34%を環境で説明できるということだ。 よくある誤解は、遺伝率を個々の確率と取り違えることだ。身長の遺伝率は、「背の高い親から 66%の確率で背の高い子どもが生まれ、 34%の確率で子どもの背は低い」ということではない。受精は DNAのランダムな組み合わせなので、両親の遺伝的特性からどのような子どもが生まれるのかを事前に知ることはできない。とはいえ、遺伝率が高いほど遺伝的な要因が大きく作用することは間違いない。 このことは、遺伝の影響を料理における砂糖のようなものだと考えるとわかりやすい。レシピごとに料理の味は多様だが、砂糖をたくさんいれればどんな料理も甘くなる。同様に、ひとの身体的特徴や行動、性格、知能などは多様に分布するが、遺伝率が高いほど環境の影響は後景に退き、遺伝の影響が強く現われてくる【 5】。 興味深いのは、体重の遺伝率が 74%と身長よりも高いことだ。スリムなことが美徳とされる社会では、太っているのはダイエットに失敗した(努力が足りない)からだと考えられているが、体重の高い遺伝率から考えれば、「ダイエットに成功できるのは遺伝的にやせているひとだけ」という可能性のほうが高そうだ。 なお、遺伝と環境(共有環境と非共有環境)についてのより詳しい説明は 11章を参照。〔コラム 2〕 ◉遺伝と犯罪 米国の神経犯罪学者エイドリアン・レインが南カリフォルニアの小学校に通う 9歳の双子 605組( 1210人)を調査したところ、教師が問題行動ありと評価した場合の遺伝率は 40%、親による評価では 47%、本人の評価では 50%で大きな違いはなかった。これは、「子どもの問題行動の半分は遺伝、半分は環境の影響」という妥当な結論に思える。 次にレインは、教師、親、本人の三者ともが「反社会的」と評価した子どもだけを抽出してみた。(本人も含め)誰からも暴力性や異常性が顕著と見なされた子どもの反社会的行動は、遺伝率 96%という驚くべき数字が示された。──これは本文で述べたイギリスの調査結果と整合的だ。 それでもまだ、「双子がよく似ているだけでは環境の影響を否定できない」との反論があるかもしれない。遺伝的に類似性の高い子どもは、同じような環境を招き寄せるかもしれないからだ。そこでレインは、生まれてすぐに養子に出され、別々に育てられた一卵性双生児について調べてみた。 こうした条件に合う双子はめったにいないのだが、双子のどちらか一方が犯罪者である 8組の、別々に育てられた一卵性双生児では、半数の 4組が、双子のもう一方も 1件以上の犯罪歴を持っていた。生後 9カ月で別々に養子に出されたメキシコ人女性の一卵性双生児のケースはとくに顕著で、一方は都会、もう一方は砂漠地帯で暮らし、養親の性格も家庭環境もまったく異なっていたにもかかわらず、どちらも思春期に差しかかると家出し、街を徘徊し、非行

のため何度も施設に収容されていた【 6】。 犯罪における遺伝と環境の影響を知るには、養子に出された犯罪者の子どもがどのような人生を歩んだかを調べてみるのも有益だ。もちろんこうした研究も行なわれていて、約 1万 5000人の養子(男の子)を対象としたデンマークの大規模な調査が有名だ。 この調査では、実の親も養親もともに犯罪歴がない場合、有罪判決を受けた息子の割合は 13・ 5%だった。養親に犯罪歴があり、実の親にない(遺伝的な影響がない)場合、この割合は 14・ 7%にしか上がらない。しかし養親に犯罪歴がなく、実の親が有罪判決を受けたことのある(遺伝的な影響がある)ケースでは、息子が犯罪をおかす割合は 20%にはねあがったのだ。

そればかりかこの調査では、有罪判決を受けた子どもの割合は、実の親の犯罪件数に比例して高くなっている(前頁図 1‐ 1)。常習的な犯罪者の息子は全サンプルの 1%にすぎないが、有罪記録の 30%にかかわっていたのだ【 7】。 エイドリアン・レインが調査した反社会的行動と遺伝の研究は 100件を超え、被験者は生後 17カ月から 70歳まで広範囲にわたる。時期は世界大恐慌( 1930年頃)から現代まで、実施国もオーストラリア、オランダ、ノルウェー、スウェーデン、イギリス、アメリカなど多様だが、双子、養子、兄弟姉妹いずれを調べても暴力に対する犯罪の遺伝的影響は顕著だった。

2「頭がよくなる」とはどういうことか──知能のタブー親の収入と子どもの学歴の関係は 2007年 10月、 DNAの二重らせん構造を発見してノーベル医学生理学賞を受賞した分子生物学者ジェイムズ・ワトソンの発言が、英誌『サンデー・タイムズ・マガジン』 1面に掲載された。そこでワトソンは、「アフリカの将来についてはまったく悲観的だ」として、「社会政策はすべて、アフリカ人の知能が我々の知性と同じだという前提を基本にしているが、すべての研究でそうなっているわけではない」「黒人労働者と交渉しなければならない雇用主なら、そうでないことを分かっている」と語った。 この発言でワトソンは激しい批判に晒され、その名声は地に堕ちたが、欧米のアフリカ援助関係者のなかに、「ここだけの話だが」と前置きして、同様の意見を述べる者がいくらでもいることは公然の秘密だ。ワトソンの発言がスキャンダラスなのは、誰もが密かに思っていることを堂々と口にしたからだった。 人種と知能に関しては、これまではげしい論争が繰り返されてきた。このきわめて政治的なテーマは、次の3つの要素を含んでいる。 ① 知能とは何か。そもそも知能を計測することができるのか。 ② 知能を決めるのは遺伝なのか、それとも環境なのか。 ③ 知能が遺伝するとしても、それは人種によって異なるのか。「リベラル」と呼ばれるひとたちは、この順番で人種と知能の関係を否定しようと試みてきた。「知能はそもそも計測不能だ」というのは、もっとも原理的な批判だ。「すべてのひとがそれぞれ個性的に頭がいい」のなら、知能のちがいについて語ること自体に意味がなくなる。だがこの美しい〝真実〟は「ひとの賢さにはちがいがある」という常識に反するし、学校で生徒を成績によって序列化している現実とも矛盾する。心理学は、 IQが知能の近似値として妥当性を持つことを繰り返し示してきた。 では知能を IQで数値化できるとして、それはなにによって決まるのか。「こころは空白の石板(ブランク・スレート)」というのがリベラルの立場で、子どもはみな平等に生まれてくるが、環境によって知能の差が生じると考える。日本でも「親が高収入だと子どもの学歴が高い(貧しい家庭の子どもは良い教育を受けることができない)」といわれるが、これが典型的な「環境決定論」だ。 ところが行動遺伝学の双生児研究などによって、「知能が環境のみによって決まる」という仮説は完膚なきまでに否定されてしまった。言語性知能は家庭環境の影響を強く受けるものの、それを除けば、一般知能の 8割、論理的推論能力の 7割が遺伝で説明できるなど、認知能力における遺伝の影響はきわめて大きいのだ。「相関関係があるからといって因果関係があるとはかぎらない」というのは統計学の基本だ。 アイスクリームの売上と水死者の数を調べると、どちらも季節によって同じように増減する。だがこの相関関係から、「アイスクリームが水死の原因になる」という因果関係を導き出すひとはいないだろう。アイスクリームがよく売れるのは夏で、海やプールの事故が起きるのも多くは夏だ。「夏の暑さ」という共通の原因によって、アイスクリームと水死者の相関関係が生じるのだ。 じつは、親の収入と子どもの学歴にも同様の「擬似相関」がある。知能が遺伝するという事実を受け入れるならば、「知能の高い親は社会的に成功し、同時に遺伝によって子どもは高学歴になる」という因果関係ですっきり説明できるのだ。人種と I Qについてのタブー 知能が遺伝の強い影響を受けることが専門家の共通了解になると、リベラルの最後の砦は「(遺伝によって個人の知能が異なったとしても)人種と知能は無関係だ」という主張になる。 1964年にアメリカで黒人差別を禁じた公民権法が成立すると、リンドン・ジョンソンの民主党政権は「偉大なる社会」を掲げて貧困との戦いに乗り出した。その中心に据えられたのが、「ヘッドスタート」と呼ばれる貧困家庭の子どもの教育支援プログラムだ。経済的事情で幼児教育を受けられない 3、 4歳児にさまざまな就学支援をするもので、連邦予算としては宇宙計画に次ぐ巨費が投じられてきた。「すべての子どもが、親の所得にかかわらず、平等に人生のスタートを切るべきだ」という理念に反対するひとはいないだろう。だが問題は、ヘッドスタートに顕著な効果が見られないことだった。幼児教育はたしかに子どもの学力を向上させるが、その効果は就学後 1年程度で消失してしまうのだ。 1969年、アメリカの教育心理学者アーサー・ジェンセンが「 I Qと学業成績をどれほど増進できるか」と題した論文を発表した【 8】。 ジェンセンは知能を記憶力(レベル Ⅰ)と概念理解(レベル Ⅱ)に分け、レベル Ⅰの知能はすべての人種に共有されているが、レベル Ⅱの知能は白人とアジア系が、黒人やメキシコ系(ヒスパニック)に比べて統計的に有意に高いことを示した。そのうえで、ヘッドスタート・プログラムの効果が期待を下回るのは、知能の遺伝規定性が 80%もの高さを持つからだと述べたのだ。 この主張は「黒人の子どもは遺伝的に知能が低いから幼児教育には意味がない」と受け取られ、全米に憤激の嵐を巻き起こした。ジェンセンは「人種差別主義者」のレッテルを貼られ、大学(カリフォルニア大学バークレー校)の研究室にはデモ隊が押しかけ、暗殺されかねないほどの非難を受けることになる。 なぜジェンセンは、身の危険をも顧みず危ういテーマを取り上げたのか。そしてなぜ、轟々たる非難にもかかわらず一流大学の教授職に留まることができたのか。それはジェンセンの背後に強力な支持者がいたからだ。 アメリカの建国の理念は、西部開拓時代に培われた「自助自立」だ。政府は市民の生活に最低限の関与しかしてはならず、市民の義務は税の使い道を厳しく監視することだ。こうした市民主義の立場からすれば、巨額の税を投入するヘッドスタート・プログラムに計画どおりの効果があるかどうかは重大な政治的関心事となる。 ジェンセンの支持者たちは、ヘッドスタートが貧困家庭の子どもたちのためではなく、税金に群がる教育関係者の巨大な利権になっていると批判した。その効果が科学的に検証できないにもかかわらず、毎年多額の連邦予算を計上しているのは、既得権層の役得を税によって支えるためなのだ。 もちろん、こうした政治的主張を「人種差別の隠れ蓑」と批判することは可能だ。ジェンセンを支持したのはほとんどが白人で、彼らは自分たちの税金

が黒人やヒスパニックの子どもたちに使われることに反対したのだから。 しかしその一方で、「良心に心地いい」からといって、科学的な根拠のない政策に莫大な支出を続けることが許されるはずはない。ジェンセンの研究は偏狭な白人に黒人差別を正当化する根拠を与えたかもしれないが、それは同時に、肥大化した政府に対する正当な異議申立てでもあったのだ。差別のない平等社会をつくれないワケ ジェンセン・スキャンダルに匹敵する激震をアメリカ社会にもたらしたのが、行動計量学者リチャード・ハーンスタインと政治学者チャールズ・マレーが 1994年に出版した『 The Bell Curve(ベルカーブ)』だ【 9】。 ベルカーブは正規分布(釣鐘曲線)のことで、身長や体重を考えればわかるが、平均値がもっとも多く、平均から離れるにつれて頻度が小さくなる。ここでのベルカーブは I Qのことで、平均的な知能( IQ 100)を中心に、知能が正規分布することをいう(要するに、学生時代の成績の偏差値のことだ)。『ベルカーブ』でハーンスタインとマレーは、現代社会が知能の高い層にきわめて有利な仕組みになっていることを膨大なデータをもとに論じている。そのうえで彼らは、白人と黒人のあいだにはおよそ 1標準偏差(白人の平均を 100とすると黒人は 85)の I Qの差があり、これが黒人に貧困層が多い理由だと述べたのだ。 このことで著者たちは、ジェンセン同様「人種差別主義者」のレッテルを貼られてすさまじい非難に晒されることになる。だが『ベルカーブ』では、白人と黒人の IQにかなり大きな差がある〝事実〟が示されているものの、遺伝との関係については述べられていない。さらには、貧困層に対する再分配や社会福祉に反対しているわけでもない。『ベルカーブ』は大判で 900ページちかくある分厚い本だが、白人と黒人の知能の差を扱ったのはそのなかの 1章、 40ページあまりにすぎない。だがこの部分だけがメディアによって大きく取り上げられ、「黒人は遺伝的に知能が低い」と(悪意によって)誤読されたことで、著者たちにとってはきわめて不本意な評価をされることになった(その結果、ベストセラーになったともいえる)。 奴隷制の〝負の歴史〟を抱えるアメリカでは、黒人などの少数民族(マイノリティ)に対するアファーマティブ・アクション(積極的差別是正措置)が実施されている。黒人の学力が低いのは差別の歴史のせいなのだから、大学入学や就職において、差別を是正するよう黒人の特別枠を設けることは当然とされているのだ。 こうした政策が妥当なのか、『ベルカーブ』の著者たちは、同じ I Qの白人と黒人を比較することでアファーマティブ・アクションを検討した。 たとえば平均的アメリカ人( 29歳)のうち、学士号取得者の割合は白人で 27%、黒人で 11%だ。これだけを見るとたしかに黒人に対する差別の影響のように思えるが、同じ IQで比較すると、学士号を持つ割合が白人で 50%の場合、黒人は 68%と比率は逆転する( IQが同じであれば、白人よりも黒人のほうが学士号を取得しやすい)。 同様に、平均的アメリカ人が高い I Qを必要とする職業につく見込みは白人で 5%、黒人で 3%だが、これを同じ IQで比較すると白人 10%に対して黒人は 26%になる( IQが同じであれば、黒人は白人の 2倍以上、知的職業に従事できる)。また 1989年時点の平均的アメリカ人の年収は、白人の約 2万 7000ドルに対し黒人が約 2万ドルだが(黒人の収入は白人の 4分の 3)、 IQ 100の白人と黒人を比べればともに約 2万 5000ドルで経済格差は消失する(次頁図 2‐ 1)。

このようなデータを積み上げることで、ハーンスタインとマレーは、人種間の格差はもはやなくなっており、これ以上のアファーマティブ・アクションは白人や(もともと学力の高い)アジア系に対する逆差別につながると危惧した。 同じ IQで見れば、黒人は白人と平等か、むしろ優遇されている。黒人が差別されているように見えるのは、白人に比べて知能の低い層が大きいからだ。アファーマティブ・アクションは一部の黒人を有利にするものの、黒人全体の知能を向上させることにまったく役立ってはいない──。 このような主張が、リベラルにとって許しがたいことはいうまでもない。アファーマティブ・アクションは人種差別を解消し、平等な社会をつくるための根幹だとされてきたが、『ベルカーブ』は統計学を駆使してその根拠を否定しようとした。その危険な論理に気がついたからこそ、「人種差別」のレッテルを貼ることで議論を封殺しようとしたのだ。「知能格差」の真因とは 現在では、人種間で知能の差があることはさまざまな研究で疑いのない事実とされている。議論が分かれるのは、それが遺伝的なものかどうか、ということだ。 知能が環境から影響を受ける証拠は膨大にある。たとえば、 3歳時点で栄養不良だった子どもは 11歳時点の IQが低い。それも栄養不良の度合いが深刻なほど成長後の知能は低く、最大で I Qが 17ポイント下がった。これはクラスの中位から下位 11%に転落するのと同じだ【 10】。 白人よりも黒人の方が、貧困で栄養状態の悪い子どもが多いことは間違いない。黒人の学力の低さが家庭環境にあるのなら、福祉政策によって状況を改善できるにちがいない。個人と同様に人種間の「知能格差」においても、環境決定論はリベラルにきわめて居心地がいいのだ。 ところがこれに対して、アーサー・ジェンセンは強力な反論を行なった。 たしかに貧困は I Qを下げるが、その因子は白人と黒人の貧困度合いを揃えることで除外できる。すなわち、平均的な黒人と同じ程度に貧しい白人を選んで、人種間の知能を比較してみればいいのだ。 アメリカでは I Q 75以下が知的障害とみなされる。社会的な階層を5つに区分すると、知的障害のある子どもの割合は最下層の白人では 7・ 8%だが、同じ最下層の黒人では 42・ 9%だ。さらに、黒人では上から 2番目の社会階層ですら 14・ 5%( 7人に 1人)の子どもが I Q 75を下回るが、白人では 0・ 8%だ。同じ社会階層でこれほどまで大きな差が生じるのは環境要因では説明できないと、ジェンセンは主張する【 11】。 同時にこのデータは、次のような奇妙な事実を示している。 もっとも低い社会階層では、 I Q 75以下の子どもの比率は黒人( 42・ 9%)が白人( 7・ 8%)の 5・ 5倍だ。ところがこの比率は、もっとも高い社会階層の黒人で 6・ 2倍と最下層より高く、 2番目の社会階層ではなんと 18・ 1倍に跳ね上がる。なぜこのようなことが起きるのだろうか。 ジェンセンはこれについて、統計学でいう「平均への回帰」の法則がはたらいているのではないかと述べている。成功した黒人は知能が高いが、それは一時的なもので、彼らの子どもは平均的な黒人の認知能力へ回帰していくのだ(図 2‐ 2)。

もっとも、これで環境決定論が完全に否定されるわけではない。 IQに影響を与える要因は貧困だけにかぎらない。アイデンティティを集団への帰属意識のことだとすれば、そもそも「黒人集団」に分類されること自体が子どもの学習能力や IQを引き下げる要因になるかもしれない(黒人の友だち集団では、勉強する子どもは仲間から排除される)。──心理学者ジュディス・リッチ・ハリスの集団社会化論が人種と遺伝についての有力な反論になり得ることは 12章で検討する。 私たちは、運動能力や音楽的才能に人種間のちがいがあることをごくふつうに受け入れている。──「黒人の並外れた身体能力」とか、「天性のリズム感」とか。アフリカには多様な民族が暮らしており、適性もさまざまだろうが、スポーツや音楽を語るときに肌の色で「黒人」という人種にひとまとめにすることが問題とされることはない。 それに対して知能の格差は差別に直結し、政治的な問題となってはげしい論争を生む。なぜなら私たちが暮らす「知識社会」が、ヒトのさまざまな能力のなかで知的能力(言語運用能力と論理数学的能力)に特権的な価値を与えているからだ。──政治家や弁護士は言語的知能が高く、医者や科学者は論理数学的知能が高い。逆に IQが低いと経済的に成功できず、社会の落伍者になってしまう……。 こうした現実から、「潜在的な知能は人種にかかわらず均質でなければならない」というイデオロギー的な要請が生まれる。しかし、これはきわめて危うい論理ではないだろうか。「人種と知能は無関係」という前提で社会の仕組みが成り立っているとすると、将来、研究が進んでその前提が否定されれば大混乱に陥ってしまう。知能が遺伝の強い影響を受けているという行動遺伝学の知見を認めたうえで、個人の人権を平等に扱い、効果的な再分配や社会福祉を設計したほうがずっと現実的だろう。 しかしこれは、それほどかんたんなことではない。 それは私たちの社会が、「知能の呪縛」にあまりにも強くとらわれているからだ。それについては 3章で考えてみることにしよう。〔コラム 3〕 ◉ユダヤ人はなぜ知能が高いのか 著名な科学者のなかでユダヤ人が占める割合は、アメリカとヨーロッパでは人口比率から予想されるより 10倍も高い。過去 2世代においてユダヤ人は科学関連のノーベル賞の 4分の 1以上を獲得したが、彼らの数は世界人口の 600分の 1にも満たない。 20世紀のチェスチャンピオンの半数はユダヤ人で、アメリカにおいては人口の 3%未満にすぎない彼らが企業の CEO(最高経営責任者)の約 5分の 1、アイビーリーグの学生の 22%を占めている。──こうした数字を挙げたうえで、「ユダヤ人はなぜ知能が高いのか」の謎に迫ったのが、物理学者出身のグレゴリー・コクランと人類学から集団遺伝学に転じたヘンリー・ハーペンディングだ【 12】。 彼らはまず、以下の2つの事実を挙げる。 ① ギリシア・ローマ時代において、「ユダヤ人の知能が高い」と述べた文献は皆無だ(当時、「並外れて賢い」とされていたのはギリシア人だった)。 ② イスラエルにおける I Q検査などからわかったのは、きわめて知能が高いのはアシュケナージ系のユダヤ人だけで、かつてスペインに住んでいたセファルディーや、中東や北アフリカで暮らしていたミズラヒムなど、それ以外のユダヤ人の知能は平均と変わらない。 このことから、問うべきは「アシュケナージ系ユダヤ人だけがなぜ高い知能を持つようになったのか」だと、コクランとハーペンディングはいう。彼らの IQは平均して 112 ~ 115くらいで、ヨーロッパの平均( 100)より 1標準偏差ちかく高いのだ(平均的な偏差値を 50とすると、アシュケナージ系は偏差値 60に相当する)。 アシュケナージは「ドイツの」という意味で、ライン川沿いのユダヤ人コミュニティを発祥とし、その後ポーランドやロシアなど東欧諸国に移り住んでいった。 オスマン帝国のようなイスラーム圏で暮らしていたユダヤ人に比べて、アシュケナージには際立った特徴があった。ヨーロッパにおける激しいユダヤ人差別によって人口の増加が抑えられていたことと、キリスト教で禁忌とされていた金貸しで生計を立てざるをえなかったことだ。こうした条件にユダヤ教独特の他民族との婚姻の禁忌が加わると、数十世代のうちに知能に関する遺伝的な変異が起きてもおかしくはないとコクランとハーペンディングは述べる。彼らの仮説は次のようなものだ。 イヌは哺乳類のなかでもっとも多様性に富むが、もともとはオオカミをヒトが飼いならし、 18世紀以降の品種改良によってわずか数百年でセントバーナードからチワワまでさまざまな犬種がつくりだされた。ある特殊な条件の下では、こうした極端な淘汰が起こりうる。 金融以外に生きていく術がないとしたら、数学的知能(計算能力)に秀でていたほうが有利だから、ヨーロッパのユダヤ人の富裕層は平均よりほんのすこし知能が高かっただろう。ユダヤ人はもともと多産で、中世は少子化とは無縁だったから、裕福なユダヤ人は飢饉のときにも生き延び、平均より多くの子を産んだはずだ。 虐殺や追放によってヨーロッパのユダヤ人の人口増加は抑えられていたが、だからといって絶滅に向かうのではなく、多産によって 1世代か 2世代で人口は回復した。こうしたときも、知能の高いユダヤ人は追放先で真っ先に経済的に成功し、大家族をつくるのに有利だったはずだ。 DNA分析では、今日のアシュケナージ系ユダヤ人は祖先である中東人の遺伝子をいまだに 50%ちかく保有している。これは過去 2000年間における混血率が 1世代あたり 1%未満であったことを示しており、ここまで同族婚が極端だと、有利な遺伝的変異は散逸することなく集団内に蓄積される。 仮に富裕なユダヤ人が平均より 1ポイントだけ知能が高く、平均的な親たちよりも多くの子どもを残したとすると、 I Qの遺伝率を 30%と控えめに見積もっても、 40世代すなわち 1000年後の IQは 12ポイント(およそ 1標準偏差)増加する。 それに対してイスラーム圏に住むユダヤ人は人口も多く、手工業のほかに革なめし職人、肉屋、絞首刑執行人などの職につき、金融業に特化することはなかった。これが、彼らの IQが平均と変わらない理由だ。アシュケナージ系の高い知能は、ヨーロッパにおけるきびしいユダヤ人差別から生まれたのだ。 アシュケナージはテイ‐サックス病、ゴーシェ病、家族性自律神経障害、2つの異なる型の遺伝性乳がん( BRCA 1と BRCA 2)といった、まれで重篤な遺伝病を持つ率が高いことが知られている(アシュケナージ系ユダヤ人のこうした疾患の有病率は他のヨーロッパ人に比べて 100倍も高い)。 変異遺伝子のなかには、2つ持つと病気が発症するが、1つだけなら有用な効果があるものがある。有名なのがアフリカで見られる鎌状赤血球貧血で、2つの変異遺伝子で重篤な貧血になるが、1つだけだとマラリアへの抵抗力が増す。同様にユダヤ人も、差別的環境への適応として知能を高める変異遺伝子を持つよう〝進化〟したが、その代償としてさまざまな遺伝病を抱えることになったのではないか、というのがコクランとハーペンディングの仮説だ。〔コラム 4〕 ◉アジア系の知能と遺伝 白人と黒人の I Qの差を計測したアーサー・ジェンセンは、同時にアジア系アメリカ人の IQが白人よりも高いことを指摘していた。このことは PISA(国際学力調査)を見ても明らかだ。 図 2‐ 3は 2012年の国際比較だが、数学的リテラシー、読解力、科学的リテラシーのすべてで上海、香港、シンガポールが上位3つを独占し、それに台湾、韓国、日本がつづく。東アジア系の国々に割って入るのはフィンランドなど北欧の国だけ

こうした傾向は従来、家庭での教育を重視する儒教的文化の影響とされてきたが、 IQの高い遺伝率と、子どもの人格形成に子育てはほとんど関係ないという行動遺伝学の知見(第 Ⅲ部参照)から考えると、この「文化決定論」が正しいとはいい難い。 古代人の骨の DNA解析は、日本人の祖先(弥生人)が中国南部(揚子江流域)から朝鮮半島南部を経て北九州に渡ってきたことを明らかにしつつある【 13】。外見からもわかるように、華人と韓国人、日本人は同じ遺伝子を共有している。だとしたら、それが知能と関係しているのだろうか。 ひとつの仮説は、セロトニントランスポーター遺伝子の分布だ。「幸福のホルモン」と呼ばれるセロトニンは、脳内の濃度(セロトニンレベル)が高いと楽天的になり、レベルが下がると神経質で不安を感じやすくなるとされる。このセロトニンを運搬するトランスポーター遺伝子には、伝達能力が高い L型と伝達能力が低い S型があり、その組み合わせで LL型、 SL型、 SS型の3つが決まる。 この分布は大きな地域差があり、日本人の場合、約 7割が SS型で、 LL型は 2%と世界でもっとも少ない。これが、日本人にうつ病や自殺が多い遺伝的な理由だとされている。 I Qで測る「知能」と PISAの「学力(テストの点数)」は同じではない。 S型遺伝子が知能と無関係でも、勤勉と結びつくことはじゅうぶんに考えられる。 不安感が強いひとは将来のことを心配して、いまから備えておこうとするだろう。逆に過度に楽天的だと、先のことを考えるよりいまを楽しもうとするかもしれない。 こうした遺伝的傾向が東アジアの国々に共通するのなら、国際比較で試験の成績が高いことも説明できそうだ。不安感と引き換えに高い知能を手に入れた、というように。 そしてこのことが、東アジアの国々で封建的な政治・社会制度が発達し、きびしい規律の組織が好まれる理由とも考えられる。儒教は SS型の遺伝子型に適した思想だったからこそ、東アジア全域に広まったのだ【 14】。

3 知識社会で勝ち抜く人、最貧困層に堕ちる人 何年か前の話だが、ワシントンのダレス国際空港経由でメキシコのリゾート地カンクンに向かった。 12月半ばで、機内はすこし早いクリスマス休暇をビーチで過ごす家族連れで満席だった。乗客は約 8割が白人で 2割はアジア(中国)系、あとはインド系の家族が数組という感じだった。クリスマスまでまだ 1週間以上あるから、彼らは長い休暇をとる経済的な余裕のあるワシントン近郊のひとたちだ。 その富裕層の割合は、アメリカの人種構成とは大きく異なっている。国勢調査によれば全米の人口のおよそ 6割は白人(ヨーロッパ系)で、ヒスパニックが 16%、アフリカ系(黒人)が 12%、アジア系は 5%弱だ。しかし私が乗り合わせた乗客のなかに黒人の姿はなく、メキシコに向かう便にもかかわらずヒスパニックの比率もきわめて低かった。 もちろん私は、たったいちどの体験でアメリカについてなにごとかを語ろうとは思わない。だがこのとき感じた疑問は、アメリカの政治学者チャールズ・マレーによって解き明かされている。経済格差の根源は何か マレーは行動計量学者のリチャード・ハーンスタインと共著で 1994年に『 The Bell Curve(ベルカーブ)』を出版し、全米に憤激の嵐を巻き起こした。白人と黒人のあいだにはおよそ 1標準偏差(白人の平均を 100とすると黒人は 85)の I Qの差があり、これが黒人に貧困層が多い理由だと述べたからだ。 だがマレーにいわせれば、「人種差別」との批判は因果関係をまるっきり間違えている。彼らが黒人を差別しているのではなく、国家が黒人を(逆)差別しているのだ。それがアファーマティブ・アクション(積極的差別是正措置)で、奴隷制の〝負の歴史〟でいまも不利益を被っている黒人に対し大学入学や就職などで特別枠を設けている。 近代国家の大原則は、国民を無差別に扱うことだ。年齢や性別、宗教や社会的地位などの属性によって一部の国民を差別したり、特別扱いしてはならないというのは、民主社会の根幹にあるルールだ。アファーマティブ・アクションが議論を呼ぶのは、この原則に修正を加えているからだ。 もちろん、いかなるルールにも例外をつくる余地はある。障がい者を一般の健常者と同じに扱えと主張するひとはいないだろう。だが有権者 =納税者には、人種を基準とした例外措置が当初の目的にかなっているか、検証する権利があるはずだ。そして国家が黒人を(逆)差別している以上、検証のためには人種別に知能や年収、生活水準を統計調査するほかない、というのがマレーたちの反論だ【 15】。『ベルカーブ』はベストセラーになったものの、マレーは「白人と黒人の知能の差を暴いた」と評価されることが不満だった。なぜなら彼らはそこで、アメリカ社会を分断するのは人種ではなくもっと別のものだと述べていたのだから。「別のもの」とはなんだろう。マレーたちの主張は、わずか 1行に要約できる。 アメリカの経済格差は知能の格差だ。 そしてマレーは、このスキャンダラスな仮説を検証するために新たな本を書いた。それが『階級「断絶」社会アメリカ』だ【 16】。超高学歴でエリート主義のスノッブたち この本でマレーは、アメリカにおいてもっともやっかいな人種問題を回避するために、分析対象を白人に限定した。そのうえで、知能の格差が彼らの人生にどのような影響を与えるかを調べるために、大学や大学院を卒業した知識層と、高校を中退した労働者層とを膨大な社会調査のデータを使って比較している。 マレーはまず、郵便番号( ZIP)と国勢調査の世帯所得から所得の上位 5%、年収 20万ドル(約 2400万円)以上の富裕層が住んでいる場所を抽出し、彼らが特定の地域に集住していることを突き止めた。 VIPの住むこの超高級住宅地が「スーパー ZIP」だ。 次いで、企業経営者への登竜門とされるハーヴァード・ビジネス・スクール( H BS)と、ハーヴァード、プリンストン、エールの3つの一流大学の卒業生名簿から、 40代と 50代の住所を調べた。それによると H BSの卒業生の 61%がスーパー ZIPに住み、全体の 83%が(世帯所得で上位 2割の)高級住宅地に住所があった。一流大学でも卒業生の 45%がスーパー ZIPに、 74%が高級住宅地に住んでいた。アメリカ社会に新しく登場したこの富裕層を、マレーは「新上流階級(超高学歴でエリート主義のスノッブ)」と呼んでいる【 17】。 スーパー ZIPが全米でもっとも集積しているのはワシントン(特別区)で、それ以外ではニューヨークとサンフランシスコ(シリコンバレー)に大きなスーパー ZIPがあり、ロサンゼルスやボストンがそれに続く。 ワシントンに知識層が集まるのは、「政治」に特化した特殊な都市だからだ。この街ではビジネスチャンスは、国家機関のスタッフやシンクタンクの研究員、コンサルタントやロビイストなど、きわめて高い知能と学歴を有するひとにしか手に入らない。 ニューヨークは国際金融、シリコンバレーは IC T(情報通信産業)で世界経済を牽引し、ロサンゼルスはエンタテインメントの、ボストンは教育の中心だ。グローバル化によってアメリカの文化や芸術、技術やビジネスモデルが大きな影響力を持つようになったことで、世界に通用する仕事に従事するひとたち(クリエイティブクラス)の収入が大きく増え、新しいタイプの富裕層が登場したのだ。 スーパー ZIPに住む新上流階級はマクドナルドのようなファストフード店には近づかず、アルコールはワインかクラフトビールで煙草は吸わない。アメリカでも新聞の購読者は減っているが、新上流階級はニューヨーク・タイムズ(リベラル派)やウォール・ストリート・ジャーナル(保守派)に毎朝目を通し、『ニューヨーカー』や『エコノミスト』、場合によっては『ローリングストーン』などの雑誌を定期購読している。 また彼らは、基本的にあまりテレビを観ず、人気ランキング上位に入るようなトークラジオ(リスナーと電話でのトークを中心にした番組)も聴かない。休日の昼からカウチでスポーツ番組を観て過ごすようなことはせず、休暇はラスベガスやディズニーワールドではなく、バックパックを背負ってカナダや中米の大自然のなかで過ごす。 マレーは、これが新上流階級がスーパー ZIPに集住する理由だという。彼らの趣味嗜好は一般のアメリカ人とまったく異なっているので、一緒にいても話が合わない。「自分に似たひと」と結婚したり、隣人になったほうがずっと楽しいのだ。 アメリカでは民主党を支持するリベラル派(青いアメリカ)と、共和党を支持する保守派(赤いアメリカ)の分裂が問題になっている。だが新上流階級

は、政治的信条の同じ労働者階級よりも政治的信条の異なる新上流階級と隣同士になることを好む。政治を抜きにするならば、彼らの趣味やライフスタイルはほとんど同じなのだ。強欲な 1%と善良で貧しい 99% 政治学者のロバート・パットナムは、ボウリングクラブや大学同窓会から復員兵協会にいたるまで、 1950年代に隆盛を極めたコミュニティがアメリカ各地で急速に衰退している様子を詳細なデータで示して社会に衝撃を与えた【 18】。フランスの思想家アレクシ・ド・トクヴィルは独立戦争後のアメリカを旅行し、そこに(階級社会のヨーロッパにはない)教会を中心とした平等で健全なコミュニティを見出したが【 19】、いまでは「古きよきアメリカ」は失われ、ひとびとは自分ひとりで孤独なボウリングをするようになったのだ。 戦前はもちろん戦後も 1960年代くらいまで、アメリカの大富豪は庶民とたいして変わらなかった。金持ちになればハイボールがジムビームではなくジャックダニエルになり、乗っている車がシボレーではなくビュイックやキャデラックに変わったが、金持ちは(召使に囲まれて暮らすような)庶民と異なるスタイルを身につけただけで、異なる文化コンテンツを持っていたわけではなかった。 しかし 1980年代以降、とりわけ 21世紀になって、アメリカ社会に大きな変化が訪れた。それが富の二極化で、新上流階級はいまや庶民とはまったく異なる文化を生きている。 2011年にウォール街を占拠した若者たちはこれを、「強欲な 1%と貧しい 99%」と表現した。 だがマレーは、経済格差の拡大を認めたうえで、きわめて論争的な主張を展開する。庶民(労働者階級)のあいだでたしかにコミュニティは崩壊したが、新上流階級のなかでは伝統的な価値観がまだ健在だというのだ。 マレーは、アメリカ社会の建国の美徳として「結婚」「勤勉」「正直」「信仰」の4つを挙げる。これについては異論もあるだろうが、円満な家庭を営み、日々仕事をし、地域のひとたちを信頼し、日曜には教会に通うひとは、孤独な一人暮らしをし、仕事がなく失業中で、犯罪に怯えて誰も信用せず、教会の活動からも足が遠のいているひとよりも幸福である可能性が高いことは間違いないだろう。 そのうえでマレーは、認知能力において上位 20%の新上流階級が暮らすベルモントと、下位 30%の労働者階級が住むフィッシュタウンという架空の町を設定し、いずれの基準でもベルモントにはフィッシュタウンよりも圧倒的に高い割合で「幸福の条件」が揃っていることを示す。 もちろんマレーは、一人ひとりを取り上げて「知能が低いから幸福になれない」などといっているわけではない。彼が指摘するのは、フィッシュタウンでは働く気がなかったり、薬物やアルコールに溺れたり、赤ん坊を置いて遊びに行くような問題行動をとる住人が急速に増えているという事実だ。その割合が限界を超えると地域社会は重荷を背負えなくなり、コミュニティは崩壊して町全体が「新下層階級」へと堕ちてしまう。 それに対して新上流階級ではこうした問題行動はごく少ないか、すぐに排除されてしまうため、トクヴィルが感嘆したような健全なコミュニティを維持することがまだ可能なのだ(次頁図 3‐ 1)。

こうしてマレーは、格差社会における「強欲な 1%」と「善良な 99%」の構図を反転する。アメリカが分断された格差社会になったのは事実だが、美徳は〝善良〟な 99%ではなく〝強欲〟な 1%のなかにかろうじて残されているのだ。なぜなら彼らは、そのきわめて高い所得を使って、親たちが彼らに望んだ「古きよきアメリカの理想の家族」を忠実に演じることができるのだから。 このように書いてもイメージできないだろうから、「 99%」に属するペンシルバニア州フィラデルフィアの低所得地域を紹介しよう。住民のほとんどは白人で、これは地元のカトリック学校に通う 16歳の娘を持つ母親の話だ。「この 4カ月で娘は 6回もベビー・シャワー(妊娠した友人のためのパーティー)に招かれました。(略)(娘が通っている学校には) 52人も妊娠している女子生徒がいるんです。 52人ですよ。ひどい話です。しかもそれ以外に、すでに子供を産んだ生徒もいるんですから。(略)誰もがみんなこうだから、もう誰が悪いともいえないし、いったいどうなってしまったんでしょう? なぜこんなにたくさんの子供たちが妊娠するんでしょう? わたしが学校に通っていたころも少しはいましたけど、でも 1年にせいぜい 4人でした」 繰り返すが、これはアメリカ社会で相対的に恵まれている白人社会で起きていることだ。マレーはこうした新下層階級の規模を、「生計を立てていない男性」「 1人で子供を育てている母親たち」「孤立している人々」という3つの基準から、(控えめに見積もっても) 30歳以上 50歳未満の全白人の 2割に達すると推測している。 もちろん黒人やヒスパニックでは、この比率はずっと高くなるだろう。だが白人社会でも新上流階級と新下層階級が分断されていることからわかるように、これは人種問題ではなく、〝知能の問題〟なのだ。日本社会に潜む「最貧困層」 日本には幸いなことにアメリカのような深刻な人種問題はないし、ほとんどの富裕層は庶民とそう変わらない生活をしている。だったら、マレーが指摘する「知能による社会の分断」とは無縁なのだろうか。 ルポライターの鈴木大介は、東京などの都市部に暮らす 20代の女性のなかに極度の貧困が広がっていると警鐘を鳴らし、彼女たちを「最貧困女子」と名づけた【 20】。最貧困女子の多くは地方出身で、さまざまな事情で家族や友人と切り離され、都会で孤独に暮らしている。 多くの最貧困女子を取材した鈴木は、そこには「3つの障害」があるという。それは精神障害、発達障害、知的障害だ。これは現代社会の最大のタブーのひとつで、それを真正面から指摘したことは高く評価されるべきだろう。 最貧困女子はなぜ、地元を捨てて都会に出てくるのか。その理由は、(不幸な生い立ちなどがあるとしても)「3つの障害」によってつき合うのが面倒くさく、「仲間」から排除されるからだ。 彼女たちの多くは学校でいじめにあって家出するが、行政の保護が期待できるわけではない。福祉事務所の職員にしても、社会人・家庭人として、「3つの障害」を持つ相談者に親身につき合うことは面倒くさい。その結果、家出少女を保護しても家庭に連絡するか地元の施設に引き渡すという画一的な対応をとることになり、当の家出少女が公的サービスを忌避することにつながっている。 鈴木によれば、そんな彼女たちの〝セーフティネット〟は路上のスカウトだ。彼らは若い女性を風俗店で働かせて上前をはねるが、食い物にするためには商売の元手を生かしておかなければならないから、最低限の〝福祉〟を提供するのだ。 ところが現在、日本社会の最貧困層の生態系に大きな変化が起きている。少子高齢化と価値観の多様化(若い男性の草食化)によって、風俗の市場が大きく縮小してしまったのだ。同時に、女性の側に「身体を売る」ことへの抵抗がなくなって風俗嬢志望者が激増した。需要が減って供給が増えたのだから、当然、価格は下落する。 これが「セックスのデフレ化」で、かつては月 100万円稼ぐ風俗嬢は珍しくなかったが、いまでは指名が殺到する一部の風俗嬢の話でしかなく、地方の風俗店では週 4日出勤しても月額 25万円程度と、コンビニや居酒屋の店員、介護職員などとほとんど変わらないという。 貧困線上にある若い女性にとってさらに深刻なのは、景気の悪化によって風俗業界が新規採用を抑制するようになったことだ。そのため現在では、 10人の求人のうち採用されるのはせいぜい 3 ~ 4人という状況になっている。日本社会は(おそらく)人類史上はじめて、若い女性が身体を売りたくても売れない時代を迎えたのだ【 21】。 このようにして、地方から都会にやってきた若い女性のなかにセックスすらマネタイズできない層が現われた。彼女たちは最底辺の風俗業者にすら相手にされないので、インターネットなどを使って自力で相手を探すか、路上に立つしかない。それでもじゅうぶんな稼ぎにはほど遠く、家賃滞納でアパートを追い出され、ネットカフェで寝泊りするようになる──すなわち「最貧困女子」の誕生だ。 最貧困女子は「3つの障害」によって、社会資本(家族や友人)も金融資本(貯金)もほとんど持っていないため、人的資本(仕事)を失うとあっというまに社会の最底辺に堕ちてしまう。日本においても、知能の格差が経済格差として現われているのだ。 私たちはこの「残酷すぎる真実」を直視するのを恐れ、知能と貧困との明白な関係にずっと気づかないふりをしてきた。税金を投入して高等教育を無償化したところで、教育に適性のない最貧困層の困窮はなにひとつ改善しないだろう。その代わり、知識社会に適応した高学歴層(教育関係者)の既得権がまたひとつ増えるだけだ。 パン屋が、「パンを食べれば健康になるから税金でパンを無料にすべきだ」と主張するのなら、パンと健康との因果関係を科学的に証明し、納税者を説得する責任はパン屋にある。教育関係者は「知能の遺伝率はきわめて高い」という行動遺伝学の知見を無視し、説明責任を放棄したまま、「教育にもっと税を投入すればみんなが幸福になれる」と主張して巨額の公費を手にしている。「知識社会」とは、知能の高い人間が知能の低い人間を搾取する社会のことなのだ。

4 進化がもたらす、残酷なレイプは防げるか ① 生まれた赤ん坊がその日に殺される確率は、他の日より 100倍高い。 ② 殺された赤ん坊の 95%は病院で生まれていない。 ③ イギリスでは、継親に育てられている幼児は 1%に過ぎないのに、赤ん坊殺しの 53%は継親の手による。 ④ アメリカでも、継親の虐待の結果、子どもが死ぬ可能性は実の親に比べて 100倍にのぼる。 ⑤ 実の親に比べ、継親は 2歳未満の継子を 6倍の割合で虐待する【 22】。 いずれも陰惨な数字だが、いまではなぜこんなことが起きるのか、一貫した論理で説明できる。それは現代の生物学や心理学が、身体的特徴だけでなく、こころや感情も進化の産物だとみなすようになったからだ。犯罪は「凶暴な男」の問題 犯罪には、あらゆる時代、あらゆる社会で顕著に観察される遺伝的・生物学的基盤がある。それは性差で、女に比べて男のほうがはるかに暴力的・攻撃的なのは明らかだ。 アメリカを例にとれば、男性の殺人は女性の約 9倍、強盗は 10倍、重度の傷害は 6・ 5倍で、暴力犯罪全体では 8倍ちかい。暴力をともなわない犯罪でも詐欺が女性の 13・ 5倍、自動車の窃盗が 9倍、放火が 7倍、麻薬常習が 5倍、子どもや家族への違法行為が 4・ 5倍となっている。女性の違法行為が男性を上回るのは未成年者の家出と商業売春だけだ【 23】。こうした犯罪傾向は日本も同じで、男性の殺人は女性の 3倍、強盗は 15倍、傷害が 12・ 5倍、暴行が 10・ 5倍などとなっている(平成 27年版犯罪白書)。 なぜこのようなことになるのだろうか。進化生物学はこれを次のように説明する。 女性は生涯に産める子どもの数に上限があるから卵子はきわめて貴重で、相手の男性を強く選り好みするように進化した。それに対して男性は精子の生産コストが低く、機会さえあれば何人でも子どもをつくることができる──これが、時代と場所を問わず権力を握った男がハーレムをつくろうとする理由だ。 こうした状況では、男は女をめぐって競争するよう進化してきたはずだ。思春期になると男性ホルモンであるテストステロンの濃度が急激に上昇し、女性獲得競争に備えて冒険的・暴力的になるのは霊長類をはじめ両性生殖の多くの動物に共通している。進化が自らの遺伝子の複製を最大化するよう強い圧力をかけているとすれば、思春期の男は女性とセックスするのに手段を選ばなくなるだろう。 一夫多妻の社会では、女性は地位の高い高齢の男に独占されている。それに挑戦し、戦いを挑む蛮勇を持った個体だけが、後世に遺伝子を伝えることができた。そう考えれば、若い男性の犯罪率や事故率がきわめて高く、年をとるにつれて「まるくなっていく」のが進化の必然であることがわかる。進化のために赤ん坊が殺される 生殖において男と女のもっとも大きなちがいは、女性は自分の子どもを確実に知っているが、( DNA鑑定のなかった時代には)男性には知る術がないことだ。進化のちからが繁殖力(遺伝子の複製)を最大化するようにはたらくとすれば、男性にとっての最大の「進化的損失」は、血のつながらない子どもに貴重な資源を投じることだろう。 日本を含むすべての国で、継親(たいていは子連れの女性と同居する男性)に虐待され、殺される子どもの数は際立って多い。これは、血縁によって子どもが差別されていることを示している。 性差のもうひとつの大きな特徴は、女性にとって出産と子育てに大きなコストがかかることだ。巨大な脳を持つヒトは、出生後も親からの長期の援助がなければ独り立ちできない。多くの社会が一夫一妻制なのは、母親だけで子どもを育てることが困難だからだ。 このことからとりわけ若い未婚の女性は、望まない妊娠をしたときにきわめて困難な選択を迫られる。生殖可能な期間が限られている以上、生き延びる可能性の低い子どもを養育することは「進化的損失」なのだ。もし女性が(無意識に)このような判断をしているのなら、生まれてすぐに(養育コストがゼロのうちに)子どもを殺すことがもっとも「経済合理的」な行動になるだろう。 こうした説明は感情を逆なでするだろうが、カナダの犯罪記録では赤ん坊を殺すのは 10代の母親がもっとも多く、年齢が上がるにつれて減少していく。また未婚の母親が産んだ子どもは全体の 12%だが、母親による子殺しでは半数を占める【 24】。最初に挙げた子殺しの特徴は、進化の観点からすべて理解することができるのだ(〔コラム 5〕参照)。 だがこれは、現代社会の病理ではないだろうか。そう考えたくもなるが、これも人類学者の調査によって否定されている。アフリカや南米などの、文明社会と接触のなかった狩猟採集民族でも、赤ん坊殺しは広く行なわれているのだ。 伝統的社会において赤ん坊が殺されるのは、以下の3つの状況のときだ【 25】。 ① 赤ん坊が父親のほんとうの子どもではない場合。ヤノマモ(南米)やチコピア(オセアニア)の社会では、前の夫とのあいだにできた乳幼児のいる女性と結婚した男性は、妻に、その子たちを殺すよう要求する。 ② 赤ん坊の質に問題がある場合。多くの社会で奇形児は幽霊か悪魔と考えられており、出産直後に殺される。 ③ 子育てに適した条件がない場合。一部のエスキモーでは、長くてつらい移動の季節に生まれた子どもは捨てなくてはならない。もっと一般的なのは出産間隔が短すぎる場合で、赤ん坊の世話で上の子どもの養育ができなくなる恐れがあると、下の子どもが殺される。同様に双子も、出産直後に一方を殺すことが広く見られる(性別が異なる場合は男の子が優先される)。 このように現代文明とは隔絶した社会でも、ほぼ同じ基準で赤ん坊は殺されていく。さらにいえば、子殺しはヒトだけでなく、チンパンジーなど霊長類でも行なわれている。 ハヌマンラングール(オナガザル科)では、メスの子連れ集団を乗っ取ったオスが真っ先にするのは、月齢 6 ~ 7カ月以下の子ザルをすべて殺すことだ。授乳中のメスは排卵せず、次の子どもを妊娠できないからで、授乳を終えるのを待つより赤ん坊を殺して自分の子を産ませたほうが〝合理的〟なのだ(そのため、生殖を妨げない 8カ月齢以上の若いサルにはなんの興味も示さない【 26】)。

赤ん坊殺しの背後には、それによって繁殖度を高めようとする進化のプログラムが隠されているのだ。妻殺しやレイプを誘発する残酷な真実 子どもとの血縁を確認する方法を持たない男性にとって、もっとも大きな進化的損失は、他人の子どもをそうとは知らずに育てさせられることだ。嫉妬という強い感情はここから生まれ、あらゆる社会で妻の姦通がきびしく罰せられるようになった(その反面、多くの社会で夫の不倫は不問に付される)。 夫婦間での殺しの大半は夫の嫉妬が原因だ。妻ももちろん嫉妬することはあるが、それを理由に夫を殺すことはほとんどない。妻が夫を殺すのは正当防衛か、父親の虐待から子どもを守るのが理由だ。 これももちろん現代社会だけのことではなく、インド、ウガンダ、コンゴなどさまざまな伝統的社会で嫉妬から夫が妻を殺しており、男同士の殺人でも女性をめぐる争いが原因のことが多い。人類学者マーガレット・ミードが「嫉妬も暴力もない楽園」として描いたサモアでも、現実には姦通に対する夫の暴力の頻度が高いことがわかっている。 カナダの犯罪記録によれば、夫婦間の殺人には以下のような顕著な特徴がある【 27】。 ① 殺されるのは高齢の妻ではなく若い妻で、とりわけ夫が 20歳未満の妻を殺す事件が顕著に多い(ここでは婚姻関係にある妻と内縁の妻、同棲相手を区別しない)。 進化論的にみると、これは一見奇妙な現象だ。女性の繁殖力は年齢が若いほど高いのだから、男にとって若い女は価値が高く、年をとって繁殖力が低くなるにつれて価値も下がるはずだからだ。だがこの現象は、若い妻を持つのは若い夫であることが多く、若い男がもっとも暴力的であることと、女性の繁殖力が高いほど嫉妬も激しくなる(貴重なものを奪われたと激怒する)と考えれば理解できるだろう。 ② 年齢差のあまりない夫婦に比べて、年齢差の大きい夫婦での夫の妻殺しが際立って多い。 10歳以上年長の夫が魅力的な若い妻の不倫に理性を失う、というのはありそうな話だ。だがこのデータが興味深いのは、若い夫が 5歳以上年長の妻を殺す割合も同様に高いことだ。 なぜこんなことが起こるのだろうか。ここで示唆されているのは、(男の本性は若い妻を持つということだから)妻が 5歳以上高齢というのはなんらかの事情がある複雑なケースか、こうした「人間の本性」に反する選択をするのは特殊な人物である(だから犯罪の危険性も高い)というものだが、このかなり差別的な仮説を支持する証拠があるわけではない。 ③ 法的婚姻関係にある夫婦に比べて、内縁関係にある男女の殺人がきわだって高い。 これは直感的にも理解しやすい。内縁関係にある(同棲している)のは若い男女に多いだろうから、 ①で見たようにもっとも危険性の高いグループに入っている。さらに内縁関係にある男女は、一般に都市部の貧困層に多い。これを女性の立場で見ると、パートナーの男性はたいした資源を持っておらず、浮気が発覚してパートナーからの支援がなくなったとしても失うものはそれほど大きくない。貧しい男女の内縁関係では女性の浮気のハードルが低く、それが男性の嫉妬を引き起こして殺人へと至るのだ。 ④ 内縁関係にある夫婦では、 40代から 50代の女性が被害者になる割合が高い。 内縁関係は若い男女に多いのだから、殺人事件の件数も 20代から 30代でもっとも多くなるのは当然だ。ただしこれを 100万組あたりの殺人件数で見ると、 40 ~ 55歳の妻(および 40代前半と 50代後半の夫)の被害率がきわだって高くなる。年齢の高い内縁のカップルでは妻が前の結婚で産んだ子どもを連れていることが多く、(前述のように)血のつながらない子どもは義父から虐待されたり殺されたりする危険性が実子に比べてきわめて高い。だとすれば、継子が原因で夫婦間に亀裂が走り、夫が妻を殺したり、正当防衛で妻が夫を殺すようなことが起こるのだろう。 こうしたデータで興味深いのは、一家皆殺しは男しか起こさないことだ。典型的なのは妻と子ども(継子のことが多い)を殺した後に自殺するケースだが、女性はこうした行動をほとんどとらない。 妻が夫を(正当防衛などで)殺すことはあっても、子ども(ほとんどが実子だろう)を手にかけることはない。あるいは、やむをえない事情で子どもを殺さざるを得なくなり、自らも死を選ぶとしても、夫までいっしょに殺そうとは思わないのだ。オランウータンもレイプする レイプを進化論的視点から研究したランディ・ソーンヒル(動物学)、クレイグ・パーマー(進化心理学)は、これを生物界ではよく見られる性戦略だとする【 28】。 たとえばガガンボモドキ(シリアゲムシ目)のオスは、メスに自分が吐き出して固めた唾液か、または昆虫の死骸を差し出して交尾を誘う。この唾液は昆虫の死骸を食べたあとの栄養分を吐き出したもので、〝プレゼント〟を手に入れられなかったオスはメスに相手にされない。そこでプレゼントのないオスは、メスに近づくやいなや、生殖器についた留め金(ペニスの両側についている一対の器官)でメスをつかんでしまう。さらにはメスの片方の前翅を、翅の後ろあたりについた鉗子状の背部器官によって固定し、交尾のあいだじゅう離さない。ソーンヒルとパーマーは、この器官は他に用途がない以上、メスをレイプするためだけに進化してきたとしか考えられないという。 レイプする昆虫にはさしたる驚きはないかもしれないが、より暗澹とした気持ちになるのは、遺伝子レベルではるかにヒトに近いオランウータンのレイプだ。 あまり知られてはいないが、オランウータンのオスには 2種類のまったく異なるタイプがいる。 ひとつは平均体重 70キロと(平均体重 40キロの)メスよりもはるかに大きく、頭の上が脂肪組織でふくらみ、頬から横にひだが張り出して、キャッチャーマスクをかぶっているように見える(写真などでおなじみの)大型のオスだ。こうしたオスは大きな喉頭嚢を持ち、それがロングコールを発するときの共鳴装置になる。メスはこの大型のオスに惹かれ、ロングコールのするほうに近づいていく。 もうひとつのタイプは小型のオスで、体格はメスと同じくらいだが思春期にさしかかったばかりの若者ではなく成熟した大人である。このタイプのオスは途中で成育が止まるが、テストステロン値でみるかぎり生殖能力は完全で、突然急速な成長を開始して大型のオスになることもある(オスの成長が止まるのは近くに大型のオスがいるためだという徴候があるが、大型のオスがいても成長する場合もある)。 オランウータンの観察が始まった当初は、小型のオスは単なる若いオスだと思われていたが、やがて彼らが特殊な性行動をとることがわかってきた。先に述べたように、オランウータンのメスは大型のオスに惹かれるから、小型のオスは人気がない。そこでどうするかというと、メスをレイプするのだ。 自然界におけるオランウータンのレイプを最初に報告したのはイギリスの動物学者ジョン・マッキノンで、彼は次のように書いている。

「メスは恐がってオスから逃げようとしたが、追いかけられて捕まり、ときには殴られたり咬まれたりする場面もあった。メスはときどき悲鳴をあげた。メスと一緒にいる子どもは、悲鳴をあげながら交尾をしているオスに咬みつき、毛を引っぱり、蹴る。オスは物をつかむのに適した足を使って、メスの腿をつかむか腰にまわすかするのだが、メスは腕を使って体を引き抜こうとして暴れ、移動していく。オスもそれにあわせて移動する。樹上ではじまった交尾が地上で終わった例も一例あった。こうしたレイプはおよそ 10分間つづく」 マッキノンは調査期間中に 8例の交尾を観察したが、そのうち 7例はこうした〝レイプ〟だった【 29】。夫婦間のレイプはなぜ起こるのか? 男性(ヒトのオス)は思春期になると、女性をめぐるきびしい競争に身を投じることになる。だがこの競争はフェアプレイで行なわれるわけではない。自然は道徳的なものではなく、さまざまな戦略をとる個体のうち、後世により多くの子孫を残した遺伝子が生き残っていくだけだからだ。そう考えれば、オランウータンの小型のオスと同様に、ヒトのオスのレイプも進化の適応である可能性は否定できない。女性獲得競争で不利な要素があるとして、それですぐにあきらめてしまうような遺伝的プログラムは、性淘汰のなかでとっくの昔に消えてしまったはずなのだ。 ところで、男の側がレイプを進化させてきたとすれば、女の側でもそれへの対抗策を進化させてきたはずだ。 ソーンヒルとパーマーは、レイプされた女性がオルガスムを感じないことがひとつの対抗策ではないかと述べている【 30】。女性がオルガスムを得るとオキシトシンという性ホルモンが分泌され、これによって子宮が収縮し、スポイトのようにより多くの精子を吸い上げる。レイプではこの効果がないため、妊娠しにくいのではないかという。 レイプされた女性は、当然のことながら大きな精神的ショックを受けるが、これも進化論的な適応の可能性がある。 女性がレイプされると、利害関係を持つ男性(とりわけ夫)の怒りは、レイプ犯はもちろんのことながら、被害者である女性にも向けられる。じつはレイプを装っているだけで、合意のうえでのセックスではないかと疑うのだ。その結果、夫からの資源の提供を打ち切られると、レイプ被害者は生きていけなくなってしまう。そのように考えれば、レイプによって激しく傷ついた姿を見せることで夫の嫉妬や疑いをかわすように進化したとしても不思議はない。 そしてこの仮説は、被害者に対する暴力の程度と心理的な苦痛に負の相関があることで補強される。暴力的に関係を迫られた証拠が身体に残っているほうが、レイプされた女性の精神的苦痛が少ないことがわかっているが、これは一方的なレイプだった(合意のうえでのセックスではない)ことを夫に信じてもらいやすくなるからだろう。 ソーンヒルとパーマーはここからさらに進んで、レイプ犯の子どもを産むことが女性にとって進化の適応である可能性すら指摘する。性淘汰の目的が後世により多くの遺伝子を残すことであれば、フェアプレイで競争する個体よりも巧みにレイプする個体のほうが有利かもしれないのだ──ここまで読んでほとんどのひとは不快な気分になっただろうが、これが進化心理学の典型的な考え方だ(これについての興味深い反論は 10章を参照)。 ただし次のような指摘は、不愉快だけれど納得できる。 近年は夫婦間や、長くつき合っているカップルのあいだでもレイプが起こることがわかってきた(米国では 10 ~ 26%のカップルが結婚生活中にレイプされたと報告している【 31】)。こうしたレイプはほとんどが、男性が妻や恋人の不倫を疑ったときに起こっている。 なぜ嫉妬にかられた男は妻や恋人を犯すのか? 彼が〝進化論的に合理的〟であるとすれば、その目的は自分の精子を子宮に注入することだ。そうすれば、ライバルの精子に打ち勝つ可能性が多少はあるのだから……。〔コラム 5〕 ◉実の親と義理の親の子殺し 家庭内では男が妻や同棲相手の(自分とは血縁関係にない)子どもを虐待したり、殺したりすることが際立って多い。また母親による子殺しのうち、男から強要されて生まれたばかりの実子を殺す事件がかなりの割合に達する。こうした主張を受け入れがたいと感じるひともいるだろう。 だが反論の前に、次のデータを見てほしい。

図 4‐ 1はアメリカ、図 4‐ 2はカナダの児童虐待についての記録をもとに、両親ともに実の親の場合と、実の親と義理の親(大半が義理の父親と母親の連れ子)の場合で、子どもの年齢によって虐待数がどのように変わるかを調べたものだ【 32】。 ここからわかるように、両親ともに子どもと血のつながりがある(遺伝子を共有している)ケースでは、子どもの年齢にかかわらず虐待数はほぼ一定だ。それに対して両親の一方が血縁関係にないケースでは、児童虐待の総数が多いのはもとより、子どもが幼いほど虐待の被害にあっていることが明白だ。この事実は、「生まれたばかりの赤ん坊は養育コストが投じられていない分だけ、(無意識のうちに)利害得失を計算してあきらめやすい」という進化心理学の仮説と整合的だ。逆にいうと、子どもが成長するにつれて養育の累積コストも大きくなり、母親はより強く子どもを守ろうとするだろう。 このことは図 4‐ 3を見るとよくわかる。これはカナダの犯罪記録をもとに、実の親と義理の親で子どもが殺される危険性を年齢別に推計したものだ。

当然のことながら、実の親は子どもをほとんど殺さない。一方、義理の親による子殺しは子どもが 2歳までのときに集中し、 6歳以降は大きく下がる。これは、子どもと血縁関係にない男性と暮らすようになった母親が、虐待には見て見ぬふりをしても、成長した子どもを殺すことには激しく抵抗するためだと考えられる。 誤解のないように述べておくと、これはあくまでも「義理の父親と母親の連れ子」のケースで、養子のいる家庭とは関係ない。欧米では子どものいない夫婦や子育ての終わった家庭で養子を受け入れることが珍しくないが、養親は一般に裕福なことが多く、養子がうまく馴染めない場合は仲介者に戻すこともできるため、虐待などの事件はきわめて少ない。 またこれらのデータをみればわかるように、カナダにおいて血のつながらない 2歳以下の子どもを殺した男(義理の父親)は 1万人あたり 6人、 4歳以下の子どもを虐待したのも 100人あたり 1人強だ。妻の連れ子と暮らす男性はたくさんいるだろうが、そのほとんどが暴力とは無縁の家庭を営んでいることも強調しておきたい。〔コラム 6〕 ◉家庭内殺人と血縁 犯罪統計では、殺人の多くが家庭内で起きている。これだけを見ればもっとも危険な場所は家庭で、「午前 3時のセントラルパークよりも家族といるほうが危ない」などといわれる。だがこれは、典型的な統計の誤用だ。 セントラルパークはニューヨーク市民の憩いの場だが、深夜に散歩したいというひとは多くない。それに比べて家族といっしょに夜をすごすひとはものすごくたくさんいるし、その時間も長い。正しい統計をとるなら、午前 3時にセントラルパークを 1時間散歩することと、同じ 1時間を家族とともにいることの危険性を比較しなければならない。 家庭が安全なのは、ひとは自分と血縁関係にある近しいひとに危害を加えようとは思わないからだ。だが家族だからといって、なにもかも丸くおさまるわけではない。関係が深いからこそ、ときに利害がはげしく対立することもある(どうでもいいひとを恨んだり憎んだりはしない)。そしてデータは、家庭内のトラブルが血縁関係のない構成員(夫と妻、ないしは義理の父親と継子)のあいだで起こりやすいことを示している。 嫉妬にかられた夫が妻を殺したり、暴力に耐えかねた妻が夫を殺す、というのはよくある事件だが、実子や実の親を殺すのは例外的な出来事で、きょうだい間の殺人もほとんど起きない。ただし、親子ときょうだいでは愛情が異なるようだ。 イギリスの経済学者ニック・ポータヴィーは、さまざまな「幸福」を金銭に換算している【 33】。それによると、家族と死別したときのかなしみを埋め合わせる賠償額は、配偶者が 5000万円、子どもが 2000万円に対し、きょうだいはわずか 16万円で友人( 130万円)よりも少ない(原著はポンド表示だが円建てに換算した)。 幼いころは親しかったきょうだいも、齢を重ねるにつれて疎遠になっていく。絆の価値がたった 16万円なら、相続が「争続」になるのも無理はない。

5 反社会的人間はどのように生まれるかこころを支配するもの マイケル・オフトは中流階級に属する平凡なアメリカ人中年男性だった。刑務所職員として働いたのち大学で修士号を取得し、バージニア州の学校教師になった彼は、子どもを教えることが好きで、再婚した妻のアンと 12歳の義理の娘クリスティーナをこころから愛していた。 ところが 40歳になる頃から、オフトの態度はゆっくりと変わりはじめる。それまでまったく関心を示さなかった風俗の店に通うようになり、児童ポルノを収集しはじめた。妻が週に 2度、パートの仕事で午後 10時まで外出するようになると、義理の娘クリスティーナが寝ているベッドにもぐり込み、彼女の身体に触るようになった。 クリスティーナは義父を愛していたものの、その行為が許されないものであることはわかった。思い余った彼女がカウンセラーに相談したことで、オフトはチャイルド・セクシャル・アビューズ(児童性的虐待)の罪に問われ、ペドフィリア(小児性愛)と診断されて治療施設に送られることになる。ところがそこでも女性スタッフや患者を性的に誘惑し、施設を追い出されて刑務所に行かざるをえなくなった。 収監の前日、オフトは州の大学病院で頭痛を訴えた。精神病棟に入院させたところ、彼が最初にしたのは女性看護師への性的行為の要求だった。本来なら強制退院が当然だが、一人の医師が、この患者が小便を漏らしてもまったく気にかけず、歩き方もぎこちないことに気がついた。そこで脳スキャンにかけてみると、眼窩前頭皮質の基底に大きな腫瘍ができていることがわかったのだ。 脳外科医がその腫瘍を切除すると、オフトの症状は劇的に改善した。義理の娘に性的な悪戯をしたことに良心の呵責を感じ、女性看護師に性交渉を要求することもなくなり、セックス中毒者のセラピーを受けて 7カ月後には妻と娘の待つ家に戻ることができた。 奇跡の物語だが、話はこれで終わらない。 帰宅から数カ月後、妻のアンがオフトのパソコンに児童ポルノ画像が保存されているのを見つけたのだ。再発を疑ったアンが夫を病院に連れていくとふたたび脳の腫瘍が発見され、 2度目の腫瘍切除手術で症状は消失した。それから 6年間、オフトの性衝動と行動は通常のレベルを維持している──【 34】。 こころが脳の機能だとすれば、脳の器質的障害が異常行動を誘発したとしてもなんの不思議もない。近年の脳科学研究の急速な進歩によって、テストステロンなどのホルモンがひとの行動に大きな影響を与えることも明らかになった。 だが私たちは、こころとは一見なんの関係もない生理的特徴によって人生を支配されているかもしれない。それが心拍数( 1分間の鼓動の回数)だ。心拍数と反社会的行動の因果関係 攻撃的で支配的なウサギは、おとなしく従属的な個体に比べて安静時心拍数が低い。さらに、ウサギの支配関係を実験的に操作すると、支配力(群れの中での地位)が上がるにつれて心拍数が下がる。これと同じ相関関係はボノボ(チンパンジー属)、マカク(オナガザル科)、ツパイ(リスに似た哺乳類)、マウスなど動物界で広範に見られる。 では、人間ではどうだろうか。 神経犯罪学者エイドリアン・レインはイギリスの大学で研究していたとき、反社会的な学生の安静時心拍数が低いことに興味を抱いた。これが偶然かどうかを知るために 40本の論文(被験者の子どもの総数 5868人)を調べたところ、安静時心拍数は反社会的な行動に関する被験者間の差異のおよそ 5%を説明した。これは医学的には、喫煙と肺がん発症との関係よりもはるかに強い。 次にレインは、ストレス時の心拍数も調べてみた。これは「 1000から逆向きに7つ置きで数える」というような課題を与えられたときの心拍数だ。 ストレス時心拍数は、反社会的行動に関する変動の 12%を説明した。これは家庭用妊娠テストキットの正確さや不眠症を改善する睡眠薬の効果などに匹敵する。 心拍数の性差は早くも 3歳の時点で見られ、男子の心拍数は女子より 1分間に 6・ 1回少ない。男性の犯罪者は女性よりはるかに多いが、この心拍数の性差は、反社会的行動の性差が現われはじめる前に出現する。 幼少時に測定した心拍数が、成人後の反社会的行動に結びつくことを示す経年研究も行なわれている。イギリス、ニュージーランドなどで実施された 5件の経年研究によれば、子どもの頃(早くは 3歳の時点)の心拍数の低さが後年の非行、暴力、犯罪の予測因子になることが示された。 もちろん、反社会的な子どものすべてが心拍数が低いわけではない。そこでレインは、 15歳のときに反社会的な態度をとっていて、 29歳までに犯罪者になった者と、成人後に反社会的にも犯罪者にもならなかった者とを比較してみた。その結果、犯罪者にならなかったグループは、犯罪者になったグループに比べて安静時心拍数がかなり高いことが判明した。心拍数の高い子どもは、非行に走ったとしても大人になれば更生するのだ。 心拍数の低さと反社会的、攻撃的な行動はなぜ相関するのだろうか。これについてはいくつかの説明が提示されている。 ひとつは恐怖心のなさ。「安静時」とはいえ、被験者の子どもは不慣れな環境で、見知らぬ大人の監督のもと、電極をとりつけられて心拍数を計測されるのだから、軽いストレスを受けている。そのような状況では、臆病で不安を感じやすい子どもの心拍数は上がるだろう。心拍数の低さは、恐れの欠如を反映しているのだ。 このことは、爆発物解体の専門家の心拍数がとりわけ低いという事実とも合致する。彼らは一般のひとより恐怖を感じる度合いが低く、それを有効に使って社会に貢献しているのだ。 2つ目の説明は、心拍数の低い子どもは高い子どもよりも共感力が低いというもの。共感力を欠く子どもは他人の立場に身を置くことができず、いじめられたり殴られたりするとどんな気分になるか想像できない。同様に、共感力の低い成人は他人の感情に無関心で、反社会的・攻撃的になりやすいのかもしれない。 3つ目の説明は刺激の追求だ。覚醒度の低さが不快な生理的状況をもたらし、それを最適なレベルに上げるために刺激を求めて反社会的行動に走る。 この仮説では、ひとにはそれぞれ快適かつ最適な覚醒度があると考える。心拍数が低いと容易にその覚醒度に到達できず、誰かを殴る、万引きする、麻薬に手を染める、などの方法で刺激を高めようとするのだ。 もちろん、こうしたとってつけたような説明を胡散臭く感じるひともいるはずだ。だが「心拍数で将来の犯罪を予測できる」という仮説が、大規模な実証実験によって証明されているとしたらどうだろう。

犯罪者になる子ども、実業家になる子ども モーリシャスは、マダガスカル東方のインド洋に浮かぶ人口 130万人あまりの小島だ。かつては英仏の植民地で、アフリカやインドから連れてこられた労働者がプランテーションで働いていたが、いまでは豪華なリゾートで知られている。そのモーリシャスが 1967年、世界保健機関( WHO)によって、「将来的に臨床障害を発達させる危険性を持つ子ども」に関する研究地に選ばれた。 このプロジェクトの経年研究では、 3歳の同齢集団 1795人が、おもちゃのある部屋でも母親から離れない「刺激を避けるタイプ」と、何のためらいもなくおもちゃで遊ぶ「(刺激を追求する)冒険家タイプ」に分けられた。それから 8年後、子どもたちが 11歳になったときに「けんかをする」「人を殴る」「人を脅す」などの攻撃性を含む問題行動を両親にチェックしてもらうと、 3歳時点で刺激追求度が高かった子ども(上位 15%)は 11歳時点での攻撃性がより高いことがわかった。 だがこれは、 3歳のときに冒険的だった子どもがみんな非行に走ったり、犯罪者になるということではない。 ラジ(少年)とジョエル(少女)は、被験者のなかでもっとも心拍数が低く、最高レベルの刺激追求度と恐怖心のなさを示していた。 少年ラジは成人すると、盗み、暴行、強盗などの罪状で有罪判決を受けた。彼は典型的なサイコパスで、他人を恐れさせ、従わせることに快楽を覚えた。「暴力の犠牲者を気の毒に思うことはあるか」と訊くと、「ない。良心を求めているのはやつらで俺ではない」とこたえた。ラジにとって、人生は快楽と興奮を求める制限のないゲームだ。 一方、少女ジョエルはラジとはまったく異なる人生を歩んだ。彼女はたしかに恐れを知らず、つねに刺激を求める大人に成長したが、その願望をミス・モーリシャスになることで実現したのだ。 ジョエルは、子どものときの自分を振り返って、何でもためしてみよう、世界を探検しよう、みんなの前に積極的に出ようと考えていたと述べる。「人生についてさまざまなことを知りたかった。私にとってもっとも重要なのは、自分を表現することだった【 35】」 この話で真っ先に思いつくのは、ヴァージン・グループ創設者のリチャード・ブランソンだ。ディスレクシア(難読症)で 16歳のときにパブリックスクールを中退したブランソンは、趣味で始めた中古レコードの通信販売で成功し、「ヴァージン・レコード」を立ち上げると、セックス・ピストルズやカルチャー・クラブなどの人気ミュージシャンを擁する大手レコード会社の一つへと成長させた。 ヴァージン・レコードを EMIに売却すると、次にブランソンは音楽業界とはまったく畑違いの航空産業へと事業を転身させ、ヴァージン・アトランティック航空を設立。ボーイング 747のリース機 1機から始まったこの航空会社は、現在では世界じゅうに路線を持ち、傘下に格安航空会社ヴァージン・エキスプレス(ヨーロッパ)やヴァージン・オーストラリアを持つまでに成功した。 ブランソンは冒険家としても知られ、飛行機による無着陸世界一周飛行や熱気球での太平洋、大西洋横断で話題を集めた【 36】。こうした冒険は事業の PRのためだといわれたが、モーリシャスでの実験を知ると、ブランソンの心拍数をぜひ調べたくなる。 心拍数の低い子どもは刺激を求めて反社会的な行動に走ることが多い。覚醒度の低さが生理的に不快で、覚醒剤のような麻薬に手を染めるのかもしれない。 だがもしその子どもが知能や才能に恵まれていれば、社会的・経済的にとてつもない成功を手にするかもしれない。そもそもベンチャー企業の立ち上げなど、恐れを知らない人間にしかできないのだ。「発汗しない子ども」は良心を学習できない モーリシャスの大規模実験では、 3歳児が不快な刺激にどのように反応するかが、皮膚コンダクタンス(きわめて微弱な電流を流したときの発汗量)によって計測された。ヘッドフォンを通してまず低音が与えられてから 10秒後に不快な騒音が流される。これを数回繰り返しただけで、パブロフの犬同様、 3歳児は低音が流されると同時に発汗するようになる。 この実験から 20年がたち、被験者が 23歳になったとき、研究者たちは島内のすべての裁判記録から、どの子どもが成人後に犯罪者になったかを調査した。 1795人の被験者のうち 137人が有罪判決を受けていたが、彼らは(犯罪と無関係の)正常対照群に比べて、 3歳時点の恐怖条件づけで際立ったちがいがあった。一般の子どもは、不愉快な音を予告する低音を聞くと、発汗量が増加する。ところが将来犯罪者になる被験者には、この反応がまったく見られなかったのだ。 この発見は、幼少期における自律神経系の恐怖条件づけ機能の障害が、成人犯罪を導く因子として作用し得ることを示唆している。「発汗しない子ども」は、親がどれほど厳しくしつけても、良心を学習することができないのだ。 だが神経犯罪学者のレインは、ここでさらに予想もしない実験を考えつく。彼は、刑務所に収監されていない「賢い(上首尾な)サイコパス」の心拍数と皮膚コンダクタンス反応を測ろうとしたのだ。 そもそも、警察に捕まっていないサイコパスをどのように見つければいいのだろうか。レインは、彼らが集まっている場所はどこかを考えた。それは臨時職業紹介所だ。「賢いサイコパス」は犯罪者であることを知られずに社会に紛れ込んでいるのだから、ふつうのひとたちといっしょに働いているはずだ。だが彼らは刺激を求めており、退屈な会社勤めを長く続けることができないだろうし、一見ひとあたりがよくても、いずれその正体が周囲に知られることになる。その結果、彼らは頻繁に転職を繰り返すことになり、その間、職業紹介所に一時的に滞留するのだ。 そこでレインは、職業紹介所で心理学実験の協力者を募り、集まった被験者に「最近どんな罪を犯したのか?」と質問してみた。彼らが「賢いサイコパス」なら、そんなことを正直にしゃべるはずがないと思うだろう。だが案に相違して、多くの被験者が自分の「犯罪体験」を嬉々として話し出したのだ。 理由のひとつは、レインたちの研究がアメリカ厚生省長官から機密保持の認証を受けていたことにある。インタビュー前に被験者は、どんな秘密を打ち明けても不利益にはならないと説明される。 だがそれ以上に決定的なのは、彼らが自分の体験を誰かに話したがっていたことだ。彼ら「賢いサイコパス」は、レイプや殺人を含め、自分の犯した悪事について、生まれてはじめて思う存分語る機会を得たのだ。「賢いサイコパス」と「愚かなサイコパス」 一般集団における男性の反社会性パーソナリティ障害の基準率は 3%だが、職業紹介所で募集した被験者では基準率 24・ 1%という驚異的な値が得られた。彼らのうち 43%にはレイプの、 53%に傷害の経験があり、 29%は武装強盗、 38%は他人への発砲、そして 29%は殺人未遂もしくは殺人をおかしていた(

すべてを足すと 100%を大きく超えるのは、これら複数の犯罪に手を染めているからだ)。それなのに彼らの多くは、これまでいちども警察の捜査対象になったことがないのだ。 こうしてレインは、社会に潜む「賢いサイコパス」のサンプルを手に入れた。次にこのサンプルと、刑務所に収監されている「愚かな(不首尾な)サイコパス」、および犯罪とは無縁の一般のひと(正常対照群)とを比較してみた。 ストレスに対する皮膚コンダクタンス反応では、「愚かなサイコパス」は理論が予想するとおり、発汗のない低い値しか示さなかった(良心を学習する能力がなかった)。だが「賢いサイコパス」は正常対照群と同様に、ストレスによって発汗率が上昇した。すなわち彼らは、ふつうのひとと同じ自律神経系の素早い反応を持っていた。 次にレインは、計画、注意、認知の柔軟性など「実行機能」を測定してみた。これは企業経営者として成功するために必須の能力で、「愚かなサイコパス」は正常対照群に比べてこの能力が著しく劣っていた。だが「賢いサイコパス」は、「愚かなサイコパス」はもちろん、一般のひとを上回る高い実行能力を持っていたのだ。「賢いサイコパス」は、恐怖条件づけで良心を学習することもできたはずだし、企業経営者にも劣らない高い能力も持っていた。ではなぜ、彼らは犯罪の道を選んだのだろうか。 これについてレインは 2点指摘している。 ひとつは、「賢いサイコパス」には養子に出されたり、孤児院などの施設で育てられたケースが多かったこと。実の両親との結びつきが弱かったために、親密な社会関係を形成する機会を逃したと考えられる。 そしてもうひとつの明確な要因が、心拍数の低さだ。「賢いサイコパス」の安静時心拍数は、「愚かなサイコパス」と同様に明らかに低かった。だが大きなちがいは、ストレスを与えられると正常対照群と同じ値まで一気に心拍数が上がることだ(図 5‐ 1)。

この刺激が快感になるなら、「賢いサイコパス」は心拍数を急上昇させるような体験を何度も求めるだろう。 もちろんここで述べたことはすべて仮説の域を出ず、研究も緒についたばかりだ。心拍数のような単純な生理現象が犯罪を生むというのは衝撃的だが、しかし考えてみれば、すべての感覚的・生理的刺激は脳で処理されるのだから、そこから固有の性格や嗜好が生じたとしても不思議はないのかもしれない。少年犯罪者や異常性欲者への驚愕の治療法 愛情と思いやりに満ちた裕福な家庭で育てられたダニーは、早くも 3歳の頃には手のつけられない問題児だった。ものを盗み、巧みなウソをつき、 10歳で麻薬の売買に手を出した。成長してたくましくなると車を盗み、麻薬の取引のために母親から宝石を脅し取り、 15歳のときには少年院に 18カ月拘置された。 ワラにもすがりたい思いの両親は、少年院を出たダニーを「脳を変える」というあやしげな診療所に連れて行った。最初の検査では、前頭前皮質に過度に遅い脳波の活動が検出された。これは覚醒度の低さの典型的な徴候だ。 診療所はダニーに電極が装着された帽子をかぶせ、パックマンなどのビデオゲームをやらせた。これで集中力を維持し、覚醒度の低い未熟な皮質を鍛錬するというのだ。 ほとんどのひとはこれをバカバカしいと思うにちがいない。札付きの不良がパックマンをやったからといって、いったい何が変わるというのか。 だが、その効果は劇的なものだった。 1年間のセッションで、ダニーは通信簿に Fが並ぶ非行少年からオール Aの優秀な生徒に変貌したのだ。治療が完了したあと、ダニーは次のように過去の自分を述懐している。「学校はまったくおもしろくなかったけど、犯罪にはほんとうに興奮した。とにかく、警官を出し抜いて派手に暴れ回りたかった。それがイカすことだと思ってたんだ【 37】」 犯罪と心拍数の関係でわかるように、脳は家庭や学校のような外的な環境よりもむしろ体内の生理的な刺激から強い影響を受ける。覚醒度の低い子どもは無意識のうちにより強い刺激を求め、それが犯罪を誘発するのだ。 もうひとつ、特徴的なケースを挙げよう。 ビル・モリルは制御しがたい性衝動があり、結婚してからも売春婦を買うことがやめられず、あらゆる機会にセックスを求めた。その性衝動は、そこから逃れるために自殺を考えるほど強烈なものだった。 そんな彼が最後に頼ったのは、異常な性欲を治療する専門病院だった。そこで処方されたのが、 SRI(セロトニン再取り込み阻害剤)と呼ばれるありふれた抗うつ剤だ。 脳内物質であるセロトニンの濃度を高めることでうつを軽減させる薬だが、驚いたことにそれを飲んだだけでビル・モリルの性衝動はほとんどなくなり、勃起を長時間維持することもできなくなって、妻がせがんだときだけセックスするようになった。じつは SRIには、性衝動を減少させる副作用があったのだ【 38】。 これらの例は、犯罪(の一部)が治療可能な病気であることを示している。だとしたら、私たちの未来はどのようなものになるのだろう。脳科学による犯罪者早期発見システム 2006年、アメリカ、フィラデルフィアで殺人容疑で逮捕された者の 22%は執行猶予中、もしくは仮釈放中だった。そこで犯罪学者たちは、機械学習を用いた統計技術を駆使して、どの仮釈放者が再び殺人をおかすかの予測を試みた。それは基本的な人口統計学的データと犯罪前の履歴データを使った単純なものだったが、それでも釈放後 2年以内に殺人罪で告発される者を 43%の確率で正しく選び出した。 こうした研究成果の蓄積を受けて、神経犯罪学者のエイドリアン・レインは「ロンブローゾ・プログラム」という犯罪者早期発見システムが運用される近未来社会( 2034年)を描いている【 39】。 このプログラムでは、 18歳以上の男性は全員、病院で脳スキャンと DNAテストを受けなくてはならない。「基本 5機能」の検査は、 ①構造的スキャンによる脳の構造の検査、 ②機能的スキャンによる安静時の脳の活動の検査、 ③拡散テンソルスキャンによる白質の統合度と脳の接続性の検査、 ④ M Rスペクトロスコピーによる脳の神経化学の検査、 ⑤細胞機能の精査による細胞レベルでの 2万 3000の遺伝子における発現状態の検査、からなる。 ちなみにこれらの検査は現在の医療技術で可能なもので、それによって LP‐ V(ロンブローゾ陽性─暴力犯罪)に属すると評価された者の 79%は重大な暴力犯罪を、 LP‐ S(ロンブローゾ陽性─性犯罪)の 82%はレイプか小児性犯罪を、 LP‐ H(ロンブローゾ陽性─殺人)の 51%は殺人を、 5年以内に犯すと予測できる【 40】。──これも架空の話ではなく、現実のデータから推計されたものだ。 ロンブローゾ・プログラムは次のように実施される。 いずれかの基準で陽性と評価された者には、特別施設への無期限の収容が言い渡される。擬似陽性のおそれもあるため、陽性と評価された者は評価に異議を唱え、第三者による再テストを要求する権利が法的に保証されている。 収容施設は厳重な警備の下に置かれているが、彼らはまだいかなる犯罪もおかしていないのだから、第二の家庭として機能するよう設計されており、週末には配偶者の訪問も許される。レクリエーションや教育にも配慮が行き届いていて、選挙の投票もできる。 収容者には教育など社会的なものだけでなく、薬物治療や脳深部刺激療法など脳科学的なさまざまな治療がほどこされ、それによって LPステータスも変わるため、全員が毎年再テストを受ける。もっとも犯罪をおかしやすいのは思春期から青年期なので、年齢とともに自然に LPステータスが正常範囲内に戻る者もいる。こうした収容者は保護観察期間を設定して社会に戻され、それを無犯罪で終えれば LPステータスは完全に外されて一般市民として生きていくことができる。 また本人の希望によるが、 LP‐ S(ロンブローゾ陽性─性犯罪)で収容された者は、去勢などによってテストステロンの濃度を下げれば出所が認められる。 潜在的な犯罪者の管理を始めた政府は、次に LP‐ Pというステータスを導入する。これは「ロンブローゾ部分陽性」のことで、施設に収容するほどではないが、一般市民に比べて犯罪をおかす危険性が有意に高い層だ。警察は LP‐ Pと評価された者のデータベースを保有しており、犯罪捜査にあたっては容疑者としてまずこのデータベースが参照される。ただし LP‐ Pの多くは犯罪とは無縁の人生を送るのだから、このデータベースは厳重に管理され、本人にもそのステータスが知らされることはない。 これらの措置によって、殺人などの凶悪犯罪の発生率は 25%程度低下するだろうとレインは予測している。

子どもの選別と親の免許制 レインの描く近未来では、ロンブローゾ・プログラムの成功を受けて、政府は次に「全国子ども選別プログラム」を開始する。これは 10歳の子ども全員を対象に、生理機能、心理、社会関係、行動の評価を行ない、それを幼少期のデータと統合しながら分析することで、将来の犯罪を予測しようとするものだ。 このプログラムが洗練されてくれば、親は、「あなたの長男が成人後に暴力犯罪者になる可能性は 48%、殺人をおかす可能性は 14%」などという報告を受けることになる。 もちろん、まだなんの罪もおかしていない子どもを強制的に施設に収容することなどできない。しかし危険因子のある子どもを持つ親には、 2年間、親元を離れて集中的なバイオソーシャル・セラピーを受けさせる選択肢が与えられる。このセラピーによって、子どもが成人後に犯罪者になる確率を有意に引き下げることができる。 犯罪の生物学的基礎を考えるならば、 10歳のときに矯正を始めても効果に限界がある。そこで政府は、遺伝的な問題や乳幼児期の家庭環境に対処するため、「子どもを産むにはまず免許を取得しなければならない」という法律をつくるかもしれない。自動車は社会にとって有益だが、同時に危険でもあるので、車の運転には免許の取得が義務づけられている。それと同様に、新しいメンバーは社会にとって必要だが、同時に市民社会に対する脅威にもなりかねないのだから、「親の免許制」の発想が出てくるのは当然なのだ。 親の免許制は、「親のよき行動は、子のよき行動を導く」をスローガンに、子どもの人権と保護をなによりも優先する。 免許の取得にあたっては、男女は妊娠前に養育に関する基本知識を習得する必要がある。それは生殖機能の仕組みから始まって、胎児期の栄養補給、ストレスの除去、乳児の欲求、成長期の子どもに対するしつけやサポートの仕方、ティーンエイジャーとの接し方などで、その最終目標は責任ある市民になることだ。免許制によって親への教育が徹底されれば、煙草やアルコールによる胎内環境の汚染で脳に器質的な障害が生じるような不幸な事例を防ぐこともできるだろう(〔コラム 7〕参照)。 親の免許制では、試験を通って免許を取得しなければ出産が許されない。これは当然、学習障害を持つひとたちへの差別として大きな問題になるだろう。だがそれでも、「安全な社会」を求めるひとびとの要求のほうが強ければ、将来、このような制度が導入されたとしても不思議はない。非科学的な人権侵害よりも脳科学による監視社会を こうした「脳科学による監視社会」にほとんどのひとは強い抵抗を持つだろう。だが、次のようなデータはどうだろう。 イギリスでは、刑務所から釈放された犯罪者の再犯が問題になり、 2003年に「社会防衛のための拘禁刑( IPP)」プログラムが発足した。これは、以前なら終身刑にならない被告を再犯の危険度によって無期懲役にする制度で、 2010年までに 5828人が IPP終身刑を宣告され、そのうち 2500人は本来の犯罪の刑期を務めおえているものの釈放されたのは 94人と 4%に過ぎない。このプログラムによって、妥当な年数をはるかに超えて刑務所に収監されるひとは膨大な数にのぼるだろう。 さらにイギリスでは 2000年に、精神科医たちの異議を無視して「危険で重篤な人格障害( DSPD)」に対する法律が制定され、その法のもとで危険だと考えられる人物を、たとえなんら犯罪をおかしていなかったとしても、警官が逮捕し、検査と治療のためと称して施設に送ることができるようになってもいる。 このように、現在でも「人権」を侵害した犯罪者予備軍の隔離は公然と行なわれている。なぜなら、「安全」に対する先進国の市民の要求がきわめて厳しくなっているからだ。犯罪者の人権を尊重する(犯罪に甘い)政治家は、真っ先に選挙で落とされる。イギリスの DSPD法も、 IPPも、トニー・ブレア率いる「リベラル」な労働党政権によって制定されているのだ。 こうした事実を挙げて、レインはいう。問題は犯罪者(もしくは犯罪者予備軍)の人権侵害ではなく、こうした〝人権侵害〟が非科学的で粗雑な方法で現実に行なわれていることだ。だとすれば、神経犯罪学の最先端の成果を活かして、より科学的に正しい方法で犯罪を管理したほうが、社会にとっても、当の犯罪者にとっても、状況はいまよりずっと改善するのではないだろうか、と。 もちろんこれは、とても重い問いだ。だが脳科学の進歩は急速で、私たちはいずれこの現実から目をそらすことができなくなるだろう。〔コラム 7〕 ◉犯罪と妊婦の喫煙・飲酒 犯罪は遺伝と環境の相互作用によって起きる社会現象だ。だがここでいう環境は家庭や子育てだけでなく、胎内環境も含まれる。遺伝的になんの問題もなくても胎内が汚染されていれば胎児の脳の発達に深刻な障害をもたらす恐れがあるからだ。 犯罪学者の調査によると、血中の鉛レベルが高い少年は、教師の評価でも自己評価でも非行スコアが高い。また胎児期、および出生後に鉛レベルが高かった子どもは、 20代前半になると犯罪や暴力を起こしやすくなる(ある研究によると、胎児期における血中の鉛濃度が 5マイクログラム増えるごとに、逮捕の可能性は 40%上昇した)。 アメリカでは、環境中の鉛レベルは 1950年代から 70年代にかけて上昇し、 70年代後半から 80年代前半に規制強化によって大きく改善した。その鉛レベルの推移と、 23年後の犯罪発生率とのあいだにはきわめて強い相関関係がある。母親の胎内で鉛に暴露した胎児や、鉛で汚染された母乳で育てられた乳児は成人して犯罪者になる可能性が高いのだ。同様の関係はイギリス、カナダ、フランス、オーストラリア、フィンランド、イタリア、西ドイツ、ニュージーランドで見出されており、世界、国、州、都市いずれの単位でも鉛レベルと成人後の犯罪件数を示すグラフの曲線はほぼ正確に一致している【 41】。 胎児の脳に悪影響を与える重金属には、鉛以外にもカドミウム、マンガン、水銀などさまざまなものがある。だがそれよりも問題が大きいのは妊婦の喫煙と飲酒だ。 現在では、妊娠中の喫煙は胎児の脳の発達に悪影響を及ぼすばかりでなく、高い攻撃性や行為障害を引き起こすことが知られている。 デンマークの男性 4169人を対象に行なわれた研究では、 1日に 20本の煙草を吸う母親の子どもは、成人後に暴力犯罪に至る割合が倍増した。フィンランド人 5966人を対象にした研究でも、煙草を吸う母親の子どもは 22歳までに前科を持つ確率が倍になった。またアメリカの研究では、妊娠期間中に 1日 10本の煙草を吸った母親の息子は、行為障害を持つ可能性が 4倍になった。 この研究結果を見て、因果関係が逆ではないかと思った人もいるだろう。喫煙が胎児に悪影響を与えるのではなく、妊娠中に喫煙するような母親だからこそ、遺伝的な影響もしくは幼児虐待によって、子どもが反社会的行動をとるようになるのだ。──実際、妊娠中に煙草を吸った母親の子どもの実に 72%が身体的、性的な虐待を受けているという研究もある。ダメな母親だからこそ、妊娠中に煙草も吸うし、子どももダメになるのだ。

ただし最近では、こうした第三の要因(擬似相関)は広く知られていて、それを統計的にコントロールしていない研究は学術誌に掲載できない。ここで紹介した喫煙と犯罪の関係も、両親の犯罪歴や社会的地位の低さ、母親の教育レベルの低さや家庭環境など、考えられるかぎりの要因を調整したあとの結果なのだ。 喫煙には、一酸化炭素とニコチンという 2種類の神経毒性がある。 喫煙は子宮の血流を減少させ、胎児への酸素と栄養の供給を減らし、低酸素症を引き起こして脳に障害を与える。喫煙の影響を受けた胎児は頭囲が小さくなり、脳の発達が損なわれ、選択的注意や記憶などさまざまな側面で障害を起こし、計算と綴りの能力が低くなる。 また胎児期のニコチンへの暴露はノルアドレナリン系への発達を阻害し、交感神経系の活動を損なう。その結果、自律神経の機能が低下し、安静時心拍数が低くなり、覚醒度の低い、常に刺激を求める子どもが生まれる可能性も指摘されている。 一方、妊娠中に母親がアルコールを大量摂取すると、胎児性アルコール症候群と呼ばれる障害が引き起こされる。その特徴は頭蓋顔面の異常で、顔の中央部は比較的平らで、上唇はきわめて薄く、両目の間隔が大きく離れているケースが多い。 アルコールは、胎児の脳の機能そのものにも重大な影響を与える。アルコールに暴露された脳は組織が広範に萎縮し、とりわけ脳の2つの半球を連結する脳梁の機能が失われる。ニューロンの損失も顕著で、構造的・機能的障害によって学習能力や実行機能が大きく低下する。 アルコールの胎児への影響はきわめて深刻で、アフリカ系アメリカ人の母親を対象にした研究では、妊娠期間中、週にたった 1杯のアルコール飲料を摂取しただけで子どもが攻撃的になったり、非行に走ったりする確率が上昇した。 また出生後の栄養不良、とりわけ亜鉛、鉄、タンパク質の不足が脳の発達を阻害し、認知能力( I Q)を低下させて反社会的行動を導くこともわかっている【 42】。

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