第四章 人生を見透す技術
変わりゆくもの、変わらぬもの 忘れていた一面を思い出す きっかけのボールが人生を変える ゲンコツがくれた人生の転機 「無茶苦茶」から「苦茶」を取る どこまでも未完を求める できない人から学ぶ よい真似、悪い真似 「絶対に」「関係ねえ」という病 語尾上げに見る無責任の風潮 優しさの迷惑 夢や希望がなくても生きられる 子どもを叱らないで修正する方法 誰でも「シグナル」を発している 結果より挑んだ過程こそ尊い
第四章 人生を見透す技術
変わりゆくもの、変わらぬもの 先日、小学校の同窓会に出席した。
私くらいの歳になれば、ほとんどの人に子もいれば孫もいる。
人生に一段落ついて、のんびりと余生を過ごしている人もいれば、肩を落とし、どこか陰のある、暗い表情の人もいた。
しかし「三つ子の魂百まで」とはよくいったもので、幼少期に育まれたその人の個性や本質といったものは、何十年経っても変わらない。
勉強、勉強で友達とも遊ばずにいた人は、やはり友達のいない孤独な生涯を送っているようだった。
いい大学にも行ったのだろう。
会社では出世もしたに違いない。
しかし、奥さんも亡くなって、結局、気づいてみたら独りぼっち。
彼は、自分の道を突き進むために〝仲間〟を犠牲にしてきたのだ。
仲間をつくらず、自分の道を生きてきたのだから、今独りぼっちなのも当然といえば当然なのだが。
「なにかを成し遂げるには、なにかを犠牲にしなければならない」という考え方があるが、私はそれは少し違うと思う。
「修業中だから恋愛をしちゃいけない」「受験勉強中だから遊んではいけない」だなんて、修業や勉強を〝させている側〟の言い分でしかない。
修業中に恋愛してもいいと思うし、受験勉強中に遊んだっていい。
恋愛や遊びをバネにして、それを励みにさらにがんばればいいだけなのだ。
一方、女性のクラスメートは疲れている人が多かった。
とくにがんばり屋さんだった人が。
結婚してがんばり、子育てにがんばってきた人が、今では親や旦那の介護ですっかり疲れ切ってしまっていた。
いちばん明るかったのは独身の女性だった。
独身を通しているその人だけは、とても明るく見えた。
お金持ちの娘さんやいい学校に行った女の子も、今はなぜか肩をすぼめ、うつむき加減の人が多かった。
年齢のせいもあるだろうが、認知症と鬱などが入り交じっているような女性もいた。
鬱の人は、ふとした瞬間にすべてがしなだれたような感じになってしまう。
目線は下に向き、肩は落ちる。
誰かと話しているときは一瞬しゃきっとするのだが、会話が終わるとまたフッとうなだれてしまう。
この鬱の特徴は、年齢を問わず見られるが、歳をとるとそれがはっきりと出てくる。
肌のシミと同じで、体にすっかり染みついているから隠しようがないのだろう。
忘れていた一面を思い出す 同窓会では、時間の経過とともにみんながどんどん素になっていった。
高校や大学の同窓会では、なかなかこうはいかなかっただろう。
小学校の仲間であったからこそ、みんなが素っ裸になれたのだ。
思い出を重ね合わせているうちに、自分が小学生になったような感覚になる。
だから地が出る。
本音も出てくる。
読者の中で、小学校時の同窓会をやったことのない方がいれば、私はぜひおすすめしたい。
同窓会で本音を語り合うのは精神的にもいいことだ。
もしかしたら、その中で、自分の忘れていた一面を思い出したりすることもあるかもしれない。
隠れていた自分の一面を目の当たりにするのが嫌な人もいるだろう。
でも、その忘れていた一面を改めて確認するというのは、人生においてけっして無駄なことではないのだ。
このとき、同窓会に出席した元クラスメートたちは、ほとんどの人が仕事の第一線を退いていた。
中には、毎日自分の時間を持て余しているような人もいた。
格好よくいえば〝悠々自適〟なのだろうが、私から見ればただの暇人。
一日中テレビを見て過ごすとか、散歩するのが日課だとか。
自分の趣味を自慢げに話す人もいた。
菊づくりに熱中してますとか、カラオケ教室やダンス教室に通ってますとか。
そういう話を聞いて、失礼ながら私は「くだらないなあ」と思った。
「俺は趣味がなくてよかった」とつくづく感じた。
やることがなくなり、趣味に逃げざるを得なくなった自分を想像することが私にはできない。
なぜなら、私は趣味のあることがけっしていいことだとは思っていないからだ。
私は、趣味というものはある種の「逃げ場」だと思っている。
だから私は、今までの人生において趣味というものを持ったことがない。
一貫して無趣味を通してきた。
「ではなにが好きなの?」と聞かれたら、私は「海が好きです」と答える。
でも、私にとって、海は趣味ではない。
私の場合、海とかあるいは格闘技とか、素っ裸同然で〝モノ〟を持たずに遊ぶことが好きなだけなのだ。
だから、海で遊ぶにしても、酸素ボンベを担ぐスキューバダイビングのようなものにはまったく興味がない。
なにもないところからなにかを生み出したり、なにか楽しみを見つけながら遊ぶ。
いくつになっても、私はそうやって遊ぶことがたまらなく好きなのだ。
きっかけのボールが人生を変える インターネットや携帯電話が普及した現代社会は、人と人とのコミュニケーション、肌と肌の触れ合いが昔に比べて確実に減ってきている。
とりわけ、そこで暮らす人々の地域内交流が希薄になっている気がする。
「隣に誰が住んでいるのか知らない」という話も、よく耳にする。
誰もが感じていることなので、改めていうほどのことではないかもしれないが、昔は子どもが悪いことをすればその親でなくても近所の誰かが必ず注意をしてくれた。
住民は自分の暮らす地域に対して、今よりはるかに関心を持っていた。
しかし今は、そのような交流はほとんど見かけなくなってしまった。
子どもたちが成長していく過程で、誰かから〝きっかけのボール〟を投げてもらうのはとても大切なことだ。
〝きっかけのボール〟を投げるのは親だったり、近所の大人だったり、あるいは学校の先生だったりする。
いずれにしても、大人たちが投じる〝きっかけのボール〟をキャッチすることで、子どもたちは人として成長していく。
現代社会では、そういう〝きっかけのボール〟を投げる大人が減ってしまった。
〝きっかけのボール〟を持っている大人がいたとしても、子どもたちにそれを投げることが許されない社会的風潮も大きな原因だ。
「ここで叱らなくていつ叱る」という場面でも、子どもを叱ることができない。
学校の先生でさえ、叱りつけることがなかなかできない社会になってしまった。
「モンスターペアレント」などと呼ばれる厚顔無恥な親たちがのさばり、怒るべきときに怒れない先生たちが次々と心の病に冒されていく。
怒られるべきときに怒られないで育った子どもたちは、人としての道を少しずつ逸れていってしまうことだろう。
それはやがて、大きな社会問題に発展するかもしれない。
ゲンコツがくれた人生の転機 子どもは、誰かの投じた〝きっかけのボール〟を捕ることで救われることがある。
そのボールが人生の転機になることも珍しくはない。
私にも、人生の大きな転機となる〝きっかけのボール〟を投げてくれた大人がいた。
それは、私が小学校四年生のときの担任の先生だ。
先生が私にくれた〝きっかけのボール〟はゲンコツだった。
ゲンコツを食らわされて目が覚めた。
あのゲンコツがなかったら、私は悪いことのボーダーラインがわからないまま、少し違った道を歩んでいた可能性もあった。
私が通っていた学校には、体に障害を持った子どもがいた。
私はその子の仕種を真似してみんなから笑いをとっていた。
そのときだった。
気づいた先生が駆け寄ってきて私にゲンコツを食らわしたのだ。
その先生は、普段はとても優しい先生だった。
私は、いろいろな悪さをしていたが、先生からゲンコツを食らわされるようなことはなかった。
ほかの先生からあからさまに差別を受けるようなこともあったが、その担任の先生は、すべての子どもに対して分け隔てない接し方をしてくれていた。
子ども心にも、その先生の教育方針、方向性みたいなものが理解できた。
できる子もできない子もいっしょ。
口で言うだけではなく、実際に行動で示してくれていると実感していた。
私は、そんな先生が大好きだった。
そんな先生が、障害を持った子の真似をしている私を見て、鬼の形相で飛んできた。
ゲンコツを食らわされて、「ああ、こういうことなんだ、やっちゃいけないことは」と私は気づくことができた。
とても痛いゲンコツだったが、怖さはなかった。
でも、痛さ以上に感じるものがあった。
先生もきっと辛かったに違いない。
いつも笑っている先生が、鬼の形相となっていたことが私自身、かなりこたえた。
そして目が覚めた。
人としてやっていいこと、悪いことがある。
そのひとつのラインを、先生は身をもって示してくれたのだ。
中学、高校では、そういった意味で恩師と呼べるような先生には出会わなかった。
「汚い大人だな」と思う先生はたくさんいたが。
恩師と呼べるのは、小学校四年生のときに出会ったこの担任の先生だけだ。
だから、小学校は私にとっていちばんの学校だったと今でも思っている。
「無茶苦茶」から「苦茶」を取る 私は、幼い頃から無茶をくり返してきた。
自分の限界に挑戦する中で〝生〟を実感してきた。
危険なこともたくさんした。
だから、体中いつもケガだらけ。
骨折しているのに無茶をしてまた骨折、なんてこともザラだった。
そんな私だから、今でも雀鬼会の道場生たちには、「無茶になれよ」と教えている。
しかし、そこにひとつ注意点がある。
〝無茶〟はいいが〝苦茶〟はダメだということだ。
〝無茶〟と〝無茶苦茶〟は違うのだ。
ここを勘違いしてはいけない。
〝無茶〟が〝無茶苦茶〟になってしまうと、人様に迷惑をかけたりとか、独りよがりとかいったことが多くなってしまう。
〝無茶〟だけならば、人にできない体験もできるだろうし、人のためになにかやろうかな、ということにも繫がる。
〝無茶〟をすると、普段の自分にはない「火事場の馬鹿力」みたいな力がポッと出てくることがある。
私も小学生の頃、最初は〝無茶苦茶〟だったように思う。
そんな私から、四年生のときの担任の先生が〝苦茶〟を取り除いてくれた。
むろん、今でも〝苦茶〟が完全に取れたとは思っていない。
ただ、そのとき以来、「それ、苦茶だぞ」と忠告してくれるもう一人の自分が心の中にいる。
〝無茶苦茶〟にならないよう自分で気をつけながら、私は〝無茶〟をやり通してきた。
そのおかげで、ほかの人ではなかなか味わえないたくさんのことを私は体験することができた。
振り返ってみても、その〝無茶〟は、じつにおもしろいものばかりだった。
これが〝無茶苦茶〟だったら、きっと今とは違った、とんでもない人生になっていたような気がする。
まわりを見渡すと、素質的に無茶っぽい子は少なからずいる。
しかしそのほとんどが、〝無茶〟ではなく〝無茶苦茶〟。
そして本人は、自分が〝無茶苦茶〟になっていることに気づいていない。
〝無茶苦茶〟になっている子は、がむしゃらな子が多いということもある。
だから私は、〝無茶〟と〝苦茶〟は違うんだよ、と説明してやる。
〝無茶苦茶〟というのは始末に悪い。
自分と関わりがないところの〝無茶苦茶〟なら鼻をつまめば済むことだが、中には、自分の身に降りかかってくる〝無茶苦茶〟も存在する。
政治家の〝無茶苦茶〟、官僚の〝無茶苦茶〟、すべては国民である我々に、なんらかの形で影響を及ぼすことになる。
社会が〝無茶苦茶〟だから〝無茶苦茶〟な事件も頻発する。
世界に目を向けても、市場資本主義という祭り囃子に踊らされた〝無茶苦茶〟なやつらのせいで、世界中いたるところが〝無茶苦茶〟なことになってしまっている。
現代の子どもたちは、私が子どもだった頃と違って、なかなか〝無茶〟ができなくなっているようだ。
「海や川には近づいてはいけません」「あそこに登ってはいけません」「あそこに入ってはいけません」など、「 ○ ○してはいけません」という幾多の制約に縛られてしまっている。
これは、大人たちが自分の責任を放棄してしまったからにほかならない。
親は親の責任を果たさず、なんでも他人のせいにする。
学校は、そんな親が怖いから、いろいろな制約を設けて予防線を張っておく。
そんな世の中だから、親も先生もすっかり縮こまってしまっている。
きわめて不自然な形で萎縮してしまっているのだ。
こんな状況では、子どもたちが伸び伸びと暮らしていけるわけがない。
私が子どもの頃は、なにか無茶をしてケガをしても、それはケガをした者の責任だった。
私は年中ケガをしていたが、学校の責任になどしたことはなかった。
「自分のやったことは自分で責任を取る。
子どもが責任を取れないなら親がしっかり責任を取る」。
それが本来あるべき姿だと思う。
どこまでも未完を求める「みかんの花咲く丘」という童謡をご存じだろうか。
〝みかんの花が咲いている ~〟の歌詞で始まるあの童謡である。
とある雑誌で、「みかんの花咲く丘」に関する記事を見つけ、私は雀鬼会のメンバーたちにさっそく歌わせてみた。
すると、ほとんどのメンバーがまともに歌うことができなかった。
「みかんの花咲く丘」を知らなかった者ならまだしも、知っている者ですら満足に歌いこなすことができなかったのだ。
「みかんの花咲く丘」はおもしろい。
なにがおもしろいのかというと、何度練習しても、なかなか歌いこなすことができないからだ。
雀鬼会のメンバーの中には、家で一〇〇回ぐらい練習してきて私の前で再度披露してくれた者がいた。
しかし、いざ歌ってみると歌えない。
別に私の前で緊張しているというのではない。
本人は歌いこなせるようになったと思って私の前で披露したのに、実際やってみたら、再び元に戻ってしまっていたのだ。
あの歌独特の微妙な旋律がそうさせているのかもしれない。
一〇〇回練習したのに「じゃ、歌って」といわれたらまた元に戻ってしまっている。
私は、ここにとてつもない意味を感じる。
雀鬼流も、「みかんの花咲く丘」と同じなのだ。
私が教えてやっても、道場から出ればみんなまた元に戻ってしまう。
雀鬼流というのは、一生ずっと追いかけてもけっして追いつけないものを追っている。
完成しないであろうものをつくり続けているのが雀鬼流なのだ。
私は知っている。
雀鬼流は一〇〇年かけても絶対に完成しない。
私を含め、雀鬼流を成し遂げられる者はきっといないだろう。
でもやる。
それがおもしろい。
できないとわかっていながらも、努力を積み重ねていく。
よくなるのか、悪くなるのか、それすらもわからない中で続けていく。
人の一生、人生も同じではないだろうか。
一生を終えてみたときに、「やはり追いついていなかった」と気づく。
「完成していないな」と悟る。
今では、この「みかんの花咲く丘」が雀鬼会にとっての校歌、あるいは社歌のような存在になっている。
できない人から学ぶ 学問やそのほかのさまざまな専門分野を学ぶうえで、自分より知識のある人、もしくは自分よりその分野に深く関わっている人からものごとを教えてもらうのは当然のことだ。
いわゆる〝できる人〟たちからいろいろなことを学ぶ。
しかし、それが〝人生を学ぶ〟ということになった場合、私はその学ぶ対象に〝できる人〟をけっして選ばない。
私が人生を学ぶのは〝できる人〟からではなく、〝できない人〟からだ。
「あの人がすごい」「あの人はいろんなことを知っている」というように、世界には、いろいろな〝できる人〟がいるのだろうが、私はそんな人たちにはいっさい興味がない。
生きていくうえで私に多くのことを教えてくれるのは〝できない人〟たちなのだ。
人は、あるレベルに達すると(達したと思っているのは本人だけだったりするのだが)、そのレベル以下の人からは学ばなくなる。
学ぼうとするのはたいてい、「この人は自分より上」と判断した人からばかりだ。
たいがいの人が〝能力のある人〟を敬っていくようになってしまう。
でも私は、違う。
〝できない人〟を見
て、「なんでできないんだろう?」と考え、そこから学んでいく。
私は別に、能力のある人をバカにしているわけではない。
ただ私は、なにかに秀でているからといって、その人から教えを請おうとは思わないだけなのだ。
それよりも、〝できない人〟に断然興味がある。
「なぜ、できないんだろう?」「人間って、なんでこうなってしまうんだろう?」と考える。
そこから学ぶこと、得ることのほうがはるかに身になるし、自分を成長させてくれる。
人は、小学校・中学校・高校・大学と、さまざまな学問を学んでいく。
その中で、〝上に行くともっと高度なレベルがある〟という固定観念を植え付けられていく。
私も、ご多分に洩れず、小学校から大学まで一通り教育の道を辿ってきた。
自分の学問、自分の基がどこにあるのかと考えたとき、それはやはり、小学校にあるような気がする。
いちばん勉強をしなかった小学校に。
学者や大学の教授のように、ひとつのことを追究してきた人には、強い固定観念に囚われている人が多い。
融通が利かなかったり、変な頑固さを持っていたり。
プライドも人一倍だから、そんな人たちは〝できない人〟から学ぼうなんて、これっぽっちも思わない。
学問というのは、どんどん積み重ね、得ていくばかりで捨てることがない。
自然界のサイクルは、〝得たら捨てる〟のくり返しで成り立っている。
しかし教育や学問は、そんな自然のサイクルに反し、得る一辺倒だ。
得る、積み重ねるをくり返すことで大企業が生まれ、さらには大国家が形成されていく。
でも、この成り立ちは自然の摂理からは大きく外れてしまっている。
自然の摂理から外れているということは、いつかどこかに無理がきて、形成されていたものは瓦解する。
その証拠に今、世界のいたるところでそんなことが実際に起きているではないか。
本当は、学者や大学教授などのように、世の中から〝能力のある人〟と思われている人こそ、〝できない人〟から学ぶ姿勢を持つことが大切なのだ。
余談だが、かつて〝得ることと捨てること〟のバランスの取れている大学の先生に一人だけお会いしたことがある。
それは、京都大学の名誉教授である数学者の森毅先生だ。
森先生は、私がそれまで会ったどの大学教授とも違っていた。
数学の大家である森先生がこうおっしゃったのだ。
「統計学ほどあてにならないものはない」と。
数学者のトップでありながら、数学を否定するようなことを平気でいう。
この話を聞いたとき、私は「ああ、この人はやっぱり数学者のトップなんだな」とわかった。
頭ではなく、体でそう感じたのだ。
よい真似、悪い真似 日本人は真似をするのがうまい民族だと評されることがある。
これははるか昔に、大和民族が大陸から移動してきたことや、戦後の高度成長期の中で欧米から多くのものを取り入れたことが関連しているのだろうが、いずれも人間が生きていくうえで必要だったから行われたことにすぎない。
日本人はけっして真似がうまいわけではなく、そうせざるを得ない理由があっただけのことなのだ。
真似をしたのは、日本人に限らない。
人類の歴史そのものが〝真似のくり返し史〟といってもよいだろう。
ほかの人がやっているよいこと、便利なことを自分もやってみて、ときにそれを発展させてみたりもする。
中には、「やらなきゃよかった」などということもあったに違いない。
生物の〝進化論〟と同じで、その中からよいものだけが真似されて、より広がっていき、生き延びてきた。
そうやって時代は移り変わってきたのだ。
真似をした人のほうが低く見られたりすることもあるが、その発想自体、人類の歩みをなにもわかっていない。
どちらが偉いか偉くないかという話でも、どっちが上か下かという話でもない。
誰かが生きるためにやったことが、結果として真似になっているだけ。
それを、〝これは自分の考えたものだ〟と勘違いしてしまった人が、そういう発想に陥ってしまうのかもしれない。
ただし、流行に流され、人の真似しかできない〝安っぽい人〟が実際にいるというのも事実だ。
自分を見失ってしまっているわけだから、安っぽく見られてしまうのはどうしようもない。
安っぽく見られたくないなら、まずは自分をしっかりと見つめ直すことから始めることが必要だろう。
一方、ゼロからなにかを生み出すのは真似ではない。
真似は一を一に、さらに先に述べたように一を二や三へと発展させていくのが真似である。
しかし、一を二や三へと発展させていく真似はよいものばかりとは限らない。
肉づけすることで、逆に動きが悪くなったり、働きが悪くなったりすることもあるからだ。
たとえるなら、今巷で盛んにいわれているメタボリック症候群のようなものだ。
よかれと思ってやったことが、結局贅肉をつけているだけになってしまう真似もあるのだ。
必要なものだけ真似る、そのほかのいらない部分は省いていくという感覚。
そういう感覚を持てば、欲や執着も消えていくだろうし、最良のバランスも見えてくる。
さらに真似について考えていくと、そこには真似のできるレベル、真似をしてもできないレベルがあることにも気づく。
これは、地震にたとえるとわかりやすい。
地震には、体で感じる地震と感じない地震のふたつがある。
人間、誰もが感じられる地震もあれば、揺れに敏感な動物でないと感じられない微小な地震もある。
つまり、いくら見ようとしても、あるいは感じようとしても、その人の感性ではわからない部分というのが必ず出てくるものなのだ。
真似をしてもできない部分を克服するには、真似の技術を追うだけではなく、その対象の根っこの部分を感じる感性を少しずつ磨いていくことが大切だ。
感性を研ぎ澄ましていくことで、それまで見えなかったもの、見落としていたものが見えてくるようになるのだ。
「絶対に」「関係ねえ」という病 人間は、固定観念を持つ生き物だが、それだけに囚われてしまうと悲劇の道を辿ることになる。
別の選択肢もあるのに、どうしてもひとつのものを選んでしまう。
しかも、そういうことがままある。
じつはここに、人間の弱さが潜んでいる。
固定観念に囚われ、「それしかない」と思い込んでいるのだ。
答えは常にひとつしかない、というような強迫観念にも似た考えだ。
そういう人は、「絶対」という言葉をすぐに使ったりもする。
「絶対嫌です」とか、「絶対許せません」などと口にする。
簡単に言葉、台詞の中に「絶対」を使うのは、ある種の癖ともいえる。
大したことのないものにでも「絶対」を使うというのは、どこか精神的に病んでいる場合も多い。
最近では、若者が「あり得ない」という言葉を使うのをよく耳にする。
なにかにつけて、「あり得ねー」と簡単に口にする。
自分に対して都合の悪いこと、そういう類のものに、とても敏感になっているのだろう。
だから、否定的な言葉をすぐに出したくなる。
「あり得ねー」ということで、多少柔らかく思えてくるから多用している部分もあると思う。
しかし、その「あり得ない」は、自分の都合でいっているだけでしかない。
決めつけている部分があるのだ。
「絶対」ほどには病的ではないにしても、ここにも固定観念の影が見え隠れしている。
それでも、若者が「あり得ねー」と使いたくなる気も多少わかる部分がある。
今の世の中を見たら、あり得ないことばかりだ。
政治を見てもあり得ないことだらけ。
経済の仕組みも、世界のありようも、どこを見ても「あり得ない」ことだらけだ。
若者たちは、そんな世の中の状況を本能的に感じ取って、「あり得ない」という声を発しているのかもしれない。
ほかにも、ちょっと前に流行ったお笑いの「そんなの関係ねえ」というセリフも、もしかしたら時代が発したものかもしれない。
息苦しく、足かせをはめられたままのような社会の中で、「そんなの関係ねえ」といえない人たちのなんと多いことか。
「そんなの関係ねえ」というお笑いのセリフは、そんな社会で生きる人たちの声と捉えることもできる。
私だって、現代社会に対して「そんなの関係ねえ」と思うことはある。
携帯電話も持たない、パソコンもやらない。
なぜなら、そんなの私には関係ないから。
しかし、もっと大局から見ると、「そんなの関係ねえ」とはいっていられないことも多い。
世界中に貧困で喘いでいる人がいる。
病気で苦しんでいる人がいる。
食料であるトウモロコシを石油代わりに使ったりして、「おいおい、トウモロコシを食っていた人はどうなるんだ」といいたくもなる。
エコだ、エコだと叫んでいる人たちは、私にとって大いに「関係ねえ」だが、それによって苦しんでいる人たちがいるという現実がある。
その苦しんでいる人たちを「関係ねえ」と突き放すことはできない。
語尾上げに見る無責任の風潮 会話の中で語尾の調子だけを上げて話す、いわゆる〝語尾上げ〟。
語尾を上げることによって、話している内容を疑問形のようにしてしまうこの〝語尾上げ〟には、ものごとを断定するのを避けている感じを受ける。
責任を放棄しているようにも受け取れる。
さらに、相手に内容を預けるという依存心が出ている可能性もある。
その人の依存している部分が、言葉遣いとなって出ているのではないだろうか。
なにごとも他人任せにしてしまえば、楽だし、簡単だ。
語尾上げには、「相手が決めてくれたほうが楽」という考えもきっと潜んでいる。
そういう人は、それまでの人生で、だいたいのことを親が決めてくれていたのかもしれない。
人間は、自由を求めながらもどこか管理されることを喜び、管理されているほうが楽と考える面がある。
このふたつのものの狭間で人は生きている。
〝語尾上げ〟になる人は、この自由と管理のバランスが、管理されるほうに傾いているのだと思う。
まずは、自分の話し言葉が語尾上げになっていないか確認してみてほしい。
もし語尾上げになっているようなら、あなたの自由と管理のバランスは崩れてしまっている。
バランスを整えるには自分の無責任さや依存心に気づき、それを少しでも小さくしようと努めることが大切だ。
そうすれば語尾上げも少しずつ収まっていくに違いない。
優しさの迷惑 よくいわれることだが、現代社会には情報が溢れ、人々はその情報から生まれた〝常識〟に囚われてしまっている。
その常識が本当に常識なのか、まったく疑うこともない。
たとえば割り箸。
海外の森林伐採の影響なのか、日本でも「割り箸は使わずに〝マイ箸〟を使いましょう」などといわれている。
しかしこれは、杉や檜の植林が多い日本には、必ずしも当てはまらない。
杉や檜の植林は、人間が間伐しないとダメになってしまう。
杉や檜が年々成長し、木々の間隔が狭くなり、山肌に陽光が当たらなくなってしまうからだ。
人間の手により間伐された山肌には、十分な陽光が入り、草や低木が育つ。
すると、山肌の土が雨風から守られ、土砂崩れや地滑りなどを防ぐだけでなく、活性化した木々や草木が二酸化炭素を吸収して、地球温暖化防止にも大いに役立つのだ。
ところが、どこから出たのか「エコだ、エコだ」と人々は声高に叫び、巷では意味もわからずに〝マイ箸〟なんぞを使って悦に入っている人もいる。
地上の楽園ともいわれるアメリカのヨセミテ国立公園へ行ったとき、こんな話を聞いた。
昔は、山火事になると大がかりな消火活動をしていた。
それが自然を助けるため、人間を助けるためだと。
火がつけば消す、それが常識だったのだ。
だが、今はそうではない。
今は燃えっぱなしにさせている。
その燃えかすが肥料として土壤を豊かにさせるからだ。
そうすることで、自然を蘇らせているのだ。
これが、太古から続く自然の摂理に則った方法ではないだろうか。
昔だって、雷によって森林火災は至るところで起きていた。
そして、その火災によって新たな生命が生まれ、自然のサイクルは成立していたのだ。
このように、諸々の間違った〝常識〟を考えていくと、人間の優しさはなんと危なっかしいものかと思う。
逆に、マイナス方向の優しさになってしまっていることもたくさんあるのではないか。
子どもの問題でも、もっと燃やしておいてやればいいものを、親の優しさで一刻も早く消火しようとしてしまう。
中には、もっと燃やしてすっきりさせてやったほうが、その子にとってよい場合だってあるはずだ。
しかし、親は勘違いしたマイナスの優しさでやみくもに消火に走ってしまうのだ。
私は、愛だとか優しさという言葉を吐かれてぞっとするときがある。
私にとって、「桜井さんは優しいですね」といわれるのは屈辱に等しい。
根っこの部分は優しいのだろうと自分でも思わないでもない。
しかし、それを売り物にしようとか、優しい男性になろう、子どもに優しい親になろうとか、そんなふうに思ったことは一度もない。
なにごとも〝自然の赴くままに〟がいちばんよいのだ。
夢や希望がなくても生きられる 人間、生きているといろいろな悩みが生じる。
失敗したり、傷ついたりすることを恐れるがゆえに悩み、考える。
それが生きるということだ。
しかし、精神的に弱い人は、その症状が極端だったりする。
いろいろなことに脅威を感じ、失敗してはごまかしたり、隠したりする。
人間は元来、弱い生き物だ。
しかも、それに気づいていながら強くなろうとしない。
誰も彼も、私もあなたも、人間はみな弱いのだ。
十月十日、母体の中で守られていた赤ん坊は、誕生と同時に、自分が危険な世界に投げ出されたことを知る。
人間がまず感じるのは、不安と恐怖だ。
母体の外へ出た瞬間に、人間はみな、それを肌で感じてきたのだ。
人間には、そうやってまず最初に不安や恐怖が植え付けられている。
それをそのままにして生きていくか、それとも不安や恐怖に対して少しずつでも対処しながら生きていくのか。
それだけの問題なのに、人間はなかなか不安や恐怖に対して真正面から向かい合おうとはしない。
赤ん坊の頃は、お腹が空けば二時間おきにミルクをくれる、おしめも替えてくれる、自分でなにもしなくてもすべて親がやってくれる。
そういう〝裸の王様〟の時期を、人間の誰もが過ごしてきた。
そしてその〝裸の王様〟の期間に、〝依存心〟というものも植え付けられるのだ。
十月十日の間が体内胎児だとすれば、赤ん坊の頃は〝体外胎児〟だ。
人間には一人ではなにもできない、ふたつの時期があるのだ。
そして幼児期に、今度は妄想や幻想も植え込まれる。
だから、大人になってそれをどうにかごまかそうとしても、もう無理なのだ。
妄想や幻想をごまかすために、人は〝夢〟や〝希望〟という言葉を使うが、私はそれがおかしくてたまらない。
夢や希望というものは、妄想や幻想をごまかすためにあるのだということをまずは自覚することが大切だ。
夢や希望を錦の御旗として掲げたら、それこそ噓っぱちだらけの人間になってしまう。
夢がなければ生きられないとか、希望があるから生きていけるとか、そんなものは人間の〝生〟とはまったく関係のないことだ。
現に、私は夢や希望を抱いたりしたことはない。
でも、今、こうして私は生きている。
夢や希望よりも、私にはそのときどきの環境の中でやらざるを得ないことがあった。
その中で自問自答をくり返しながらやるべきことはやる、やりたいことはやる。
そんな生き方をしてきた。
子どもを叱らないで修正する方法 すべてを依存して生きていた体外胎児の時期に、人間は幻想や妄想、そのほかいろいろなものを植え込まれる。
そしてそれが、大人になるに従って、徐々にさまざまな形で表れてくる。
人間の〝癖〟もその表れのひとつといえるだろう。
母親にあまり面倒を見てもらえなかった子は、大人になってその反動が出てきたりもする。
なにかにしがみつきたくなったりとか、頼りたくなったりとか、満たされなかった依存心が違う形で表れるのだ。
親の立場として、子どもを甘えさせるにしても、そのやり方はやはり簡単ではない。
私の場合、子どもが生まれたとき、「そうだ、この子が小学校に上がるまでは、俺は子どもの奴隷になろう」と心に決めた。
徹底的に遊んでやろうと決めたのだ。
そして、中学校くらいで対等となり、一八歳を過ぎたら「俺の背中を見ろ」と示そうと考えた。
二、三十年前に、ふとそんなことを思ったことを今、懐かしく思い出す。
今は、子どもよりも孫を見ている。
孫と遊ぶ中で優しさ、意地悪、いろいろな形を自由に出させてあげる。
孫のいったこと、やったことが「ちょっと違うな」と思ったときは、物語のようなお話を即興でつくり、修正してあげたりもする。
卑怯だったり、ずるかったりする部分を直接指摘して修正するのではなく、ひとつのお話を聞かせて、間接的に訴えるのだ。
「この間、公園にこんな子がいてね」とか、「ある国にこんな王様がいてね」とか。
孫の顔色、心の動きを見ながら話を組み立てていく。
すると、孫は孫なりに、いろいろと気づいていく。
黙って私の話を聞きながら、反省しなければならないところはきちんと反省もしている。
子どものよくない行為を直接叱るより、そのほうが断然効果がある。
私は経験知でそのことを知っている。
育児で悩んでいる方がいたら、ぜひこの手法をお試しいただきたい。
誰でも「シグナル」を発している ここ数年、子どもの起こす事件が頻発している。
一連の報道などに接して気になるのが、子どものやったことに対して、「知らなかった」「気づかなかった」と申し訳を口にする親や教師がじつに多い、ということだ。
学校でいじめがあったにもかかわらず、「気づきませんでした」などと本気でいっている教師は、そもそも教師としての資質がない。
そんな人間が教師になってはいけない。
子どもが事件を起こし、そのことに関して、「知らなかった」「わからない」をくり返す親は、自分を防御しているから、なによりも先に「わからない」という言葉が口をついて出てくる。
「気づいていたんですが……」といえば「わかっていたのになぜ?」と返ってくるし、それが責任問題に発展する。
なにか事が起こると、「わからない」と人がいうのは、言葉でまず防御しているのだ。
「今のところわかりませんから、よく調べてから」などというのも、もうすでにわかっていることの証だ。
子どもが起こしたことに対して、親が責任を取れない。
そんな親も、親になる資質がなかったのだ。
確かに、親子の関係でもすべてをわかり合って生きている親子などいないだろう。
しかし、そこには〝わかること〟と〝わからないこと〟の両方が存在するはずだ。
ただ、〝わからない〟といったほうが自分の先々に利を感じるから、口にしてしまうのだろう。
子どものことより自分の利を優先してしまう、そんな親が確実に増えている。
子どもがなにか事件を起こす前には、その予兆ともいえるシグナルを必ず発していたはずだ。
それを見逃していた親は、自分が〝親〟であることにいつの間にか怠惰になってしまったのだろう。
子どもの発するシグナルはさまざまで、一概に「こうだ」とはいい切れない。
表情でいえば、目や口元が開きすぎたりとか、閉じすぎたりとか、目が一点を見つめすぎたりとか、さまざまなパターンがある。
子どもが関与した事件が起こるたびに思うのは、その事件がけっして突発的に起きたのではないということだ。
もともと持っていた衝動が抑えられていた、あるいは収まっていただけのことで、けっして突然そういう精神状態になったわけではないのだ。
昨今頻発している無差別殺人にしても、犯人たちは〝殺す〟という衝動をもともと持っていたに違いない。
それが、大人になって実行できるようになった。
体力もあれば、モノも買え、武器も手に入る。
いつしか衝動は抑えられないほどに膨らみ、実行の日に至ったのだと思う。
しかし、これは誰もが持つ衝動でもある。
残酷性と慈悲深さ、両方を持っているのが人間の精神なのだ。
人は、それをコントロールして生きている。
そのバランスが負のほうへ崩れると人間の心は病んでいく。
無差別殺人のような冷酷非情な事件が起きたとき、人は「信じられない」「なんでそんなことができるのか」と嘆く。
でも、それらの事件を他人事として考えてはいけない。
けっして特別な例ではないのだ。
「私の中にもあるな」と自覚することで、心をコントロールしていかなければならない。
結果より挑んだ過程こそ尊い 雀鬼会に通ってくる道場生たちは皆、結果至上主義の能力社会で毎日揉まれながら生きている。
だから私は、せめて道場にいるときくらいは、みんなに柔らかい気持ちになってもらえるように努めている。
私の目が届く範囲で、能力社会の被害者を出したくない。
心の病になりそうな者がいれば、それを少しでも軽減してやろうという気持ちが湧き起こってくる。
能力社会では「できた子が偉い」とされる。
でも私は、「できないながらも、できっこないことに挑み、がんばっている子のほうがもっといい」と考えている。
結果より、その過程、努力を認めてあげたいという気持ちがある。
そうすることで、できない子も、なにかやってみることがいかに大切かわかってくる。
そもそも人間というものは、評価されるからがんばるのであって、評価されなければがんばるのをやめてしまう。
世の中には、なにをやっても評価されない子がいる。
しかし私は、そういう子も評価したいと思っている。
なにもせずに「僕、ダメです」という子はダメかもしれない。
でも、なにかをやったうえで「ダメだった」ということは、評価してやらなくてはいけない。
能力とは結果だけでなく、その過程も含めてすべてが能力という考え方。
できないながらもがんばっていたら、もう、それだけで十分にその人は能力があるのだ。
結果至上主義の能力社会でもがき苦しむ人の数は増え続けている。
そんな人たちを、私は救うことができない。
しかしあなたが、結果の前に必ず存在する過程を評価できるようになれば、もしかしたら、それによって救われる人があなたの身の回りで出てくるかもしれない。
そうやって一人、また一人と変わっていくことが新たな時代を創造する力となる。
〝個は全体なり、全体は個なり〟。
人間一人の力を、けっして見くびってはいけない。
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