第 5章/つけこまれてバカをみないために友人・同僚のこんなタイプには要注意!
60 やけに「限定」を強調するセールスにはのらない 61「みんなそうしていますよ」という言葉のマジック 62 義理と人情につけこんで無理難題を押し付ける 63 貸したものをなかなか返してくれない人 64 悪の道に誘う人は道連れを欲しがっている 65 笑いながら謝る人は本当に悪かったと思っていない 66 2つの選択肢から無難なほうを“選ばせる”話法 67 社会的地位 =信用ではない、と心したい 68 ストーカーの心理のウラをのぞく 69 3パターンの「ここだけの話」とは?
60 やけに「限定」を強調するセールスにはのらない「限定」という言葉に弱い人は多い。
ポテトチップスでも「春季限定」「関東限定」とつけばまず買ってしまう人はいるし、作家のサイン会が「 100名様限定」とつけば、前日から徹夜して列を作ったりする。
この「限定」という言葉にはどんな魔力があるのだろうか。
それは、「今このときしか手に入れることができない」という貴重感だと言えるだろう。
今を逃せばもう一生手に入らないという切迫感、今買わずにいて、後で欲しくなったら悔やんでも悔やみ切れないのではないかという気持ちが購買意欲を るのである。
それから、「限られた人しか手にできない」という意味での貴重感もあるだろう。
他の人が手に入れて、自分だけが入手できなかったら悔しいから欲しいと思うのである。
しかし、この り文句につられて欲しくもないものを買ってしまい、家に帰ってから後悔したという経験は、「限定品」を買った人間なら一度や二度はあるだろう。
「限定」という言葉には、人を駆りたてるものがあるらしく、その「限定」が終わってしまう前に結論を出さなくては、と思うため、冷静な判断ができなくなってしまうのだ。
その結果、「とりあえず買っておこう!」と焦ってしまい、失敗をする。
似たような商法に、「これが最後のチャンス!」という文句がある。
本来なら人は、できるだけ安く商品を買おうとするため、値下がりするギリギリまで待つことが多い。
しかし、そういうときに「最後のチャンスです!」と言われると、「ならこれ以上待ってももう安くはならないのだ」と思い、購買に踏み切ってしまう。
また、買おうか買うまいか迷っているときに、「これは最後のひとつなんですよ」と言われると、俄然買う気が起きてくるものだ。
それまでにもたくさん売れているならきっといい商品に違いないし、それが最後のひとつということは、もし自分がここで買わなかったら他の誰かが買ってしまって、もう自分はこの商品を手に入れることができなくなるのだ、という思考が働くからである。
しかしこれらも「限定」と同じで、冷静に考えてみると「買わなくても良かったかも……」というような商品であることが多い。
しかし、衝動買いは後悔すると理解していても、バーゲン会場に行くと、ただでさえ客と客が商品の取り合いをするので興奮しているところに店員が「最後のチャンスです!」「今回限りのお値打ち品です!」と り立てるものだから、購買意欲がヒートアップしてしまうのである。
さらに、行列に並ぶのも似たような心理からである。
こんなに人が並んでいるのだからきっといい商品があるに違いない、自分も乗り遅れないように並ばなくては、と思うのだ。
しかしやはりこれも、行列の先にものすごくいい買い物が待っているわけではない。
ただ、これだけ並んだのだから何か買っていかなくては、と思い、結局無駄な買い物をしてしまうのである。
61「みんなそうしていますよ」という言葉のマジック これも代表的なセールストークのひとつであるが、「みんなそうしていますよ」というのがある。
「このあたりの奥様は皆様使っていただいてまして……」「社会人ともなれば、皆さんこれくらいのスーツを着ていらっしゃいますよ」 のように、「周りの誰もがそうしているから、あなたも買いませんか」というのである。
この言葉に言いくるめられるのは日本人だけだという。
欧米では、訪問セールスで、「ご近所さんもみんな使ってますよ」 と言ったら、「じゃあウチはいらないわ。
他と一緒なんて嫌だもの」 と返されるというのである。
しかしこれが日本だったら、「みんなが使っているのなら、きっといい商品に違いない」という意識が働いて、つい買ってしまうのだという。
右にならえが好きな日本人らしいエピソードだと言えよう。
これと似た効力を持つセールストークはまだ他にもある。
「この形のスカートは今年の流行で、皆さん 1枚は買って行かれますね」「今日印鑑をお持ちでないなら契約だけしていただいて、捺印は後日でも結構ですよ。
実際、そうされる方は多いです」 このように勧められると、「みんなが買っているのに自分だけ持っていなかったら流行に遅れてしまうかしら」とか、「みんなそうしているなら、契約しても大丈夫よね」とか思ってしまい、結局購入してしまうのである。
しかし、実際には「みんな」とはどれくらいの「みんな」なのか怪しいものである。
とりあえずあなたの周囲の全員ということはないし、半分ですらないだろう。
ひょっとしてひとりも買っていないのに「みなさん買って行かれますよ」と言っているのかも知れないのだ。
それは詐欺じゃないの? と言われれば、確かに誇大広告や誤解を生じさせる広告は、広告詐欺として糾弾されなくてはいけない。
しかし言葉は証拠として残りにくく、さらに「みなさん」という曖昧な表現のため、騙されているという実感がわきにくいものだ。
こういったセールストークに騙されないためにはどうすればいいか。
それは、店員やセールスマンの話よりも、「自分が欲しいか欲しくないか」に重点を置いて、冷静に見極めればいいのである。
どうしても話に惑わされそうになったらいったん店を出るか、「ちょっと考えさせて」と言ってセールスマンを追い出してしまおう。
そしてひとりになって、冷えた頭でゆっくりと考えるのだ。
そして、「考えさせて」と言ったときに、「今決めて買ってもらわないとお売りできないんですよ」 と言われたら、それは大したことのない商品を売りつけようとしていると思ってまず間違いない。
62 義理と人情につけこんで無理難題を押し付ける よく別々の人の間で心が揺れることを「義理と人情の板ばさみ」と言い表すが、これは義理と人情が相反しているのではなく、義理と義理がせめぎあっている状態なのだという見解がある。
「忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず」(頼山陽『日本外史』)とは、後白河法皇を攻めようとした父・清盛を戒めたときの平重盛の苦悩を表した言葉だが、これも義理と人情ではなく、義理と義理の板ばさみだというのである。
この考えによれば、人情は日本人特有の感情であり、それは前の章で述べた他者に対する「甘え」と無関係ではない。
そして義理は親子や友人、近所などの人間関係に人情を持ち込むことによって発生する。
よって、義理とはそもそも人情を内包しているものであり、義理も「甘え」に根ざしたものであるということになる。
これをふまえて先ほどの「義理と義理の板ばさみ」を考えてみると、これは、どちらにも義理がある 2者が対立関係にある場合、自分がどちらかの義理を優先させればもう一方の義理を欠くことになり、できることならどちらの義理もなくしたくないのだが、それが無理なため、「板ばさみ」の葛藤が生まれる。
それは、片方の義理を切り捨てることによって、その相手に嫌われるのではないかという恐怖心があるからである。
日本人は「他人に嫌われたくない」という感情が強く、どちらの相手の好意も手元に残しておきたいという願望 =「甘え」が葛藤を生むのだ。
さて、この義理と人情を利用して他人につけこもうとするケースがある。
「お願いします、なんとかお金を貸してもらえませんか」「そう言われても、ウチも無理ですよ」「無理を言っているのは承知してますが、そこをなんとか……」「まいったなぁ……」 この人は、このあと、結局押し切られてお金を貸してしまった。
こういったやり取りは金銭問題以外にもよく見られる。
仕事の残業を頼み込むときや、近所の清掃当番を替わってもらおうとするときにも同じようなやり取りがあるだろう。
この会話にはポイントが2つある。
ひとつは「無理を言っているのは承知」、もうひとつは「そこをなんとか」である。
相手に「無理を言っている」ことをわかっていながら、「そこをなんとか」してくれ、と言うのはよく考えると随分と図々しい要求だ。
しかし、それをあまり図々しいと思わせないのがこの言い方の恐ろしいところである。
先に述べた通り、私たち日本人はどうしても「相手に嫌われたくない」と思いがちである。
「ノーと言えない日本人」なのだ。
ただでさえ相手に嫌われたくないと思っていることころに「そこをなんとか」と言われると、ますます断りづらくなり、最終的に「なんとか」してしまう。
気の弱い人には多いパターンであろう。
とくに「義理」と表現される間柄であると、一度つっぱねただけで関係が壊れてしまうのではないかと思う程度の心理的結びつきしかないので、余計に断りにくいのだ。
これが肉親や親友関係ならば、それを断っても自分たちの繋がり自体がなくなってしまうことはないだろうという安心感がある。
そのため人は時として、より人情の結びつきが強い相手(肉親・友人など)よりも人情の結びつきが弱い相手、つまり「義理のある人」を優先してしまうことがあるのだ。
肉親や友人ならば、後回しにしても許してくれるだろうと考えるのである。
ここにも「甘え」の構造は生きている。
しかし、よく考えれば必要なときだけ「そこをなんとか」と擦り寄ってくるような相手への「義理」は、本当に必要なものだろうか? 嫌われたくないと思うかも知れないが、世の中には嫌われても何の問題もない相手もいるのではないだろうか。
そういう相手にまで義理を感じて、自分が損をするのはばかばかしいとしか言えない。
それよりもあなたにとって優先すべき、もっと大切なものはいくらでもあるはずだ。
それに、本当にあなたが情を感じるべき相手ならば、頼みごとを断られたくらいであなたとの縁を切ろうとするはずがない。
それで縁を切るような相手ならば、むしろ早く切れて良かったと思えばいいのである。
63 貸したものをなかなか返してくれない人 本や CD、ゲームソフトなど、貸したものをなかなか返してくれない人がいる。
とくに急ぐものでない場合、貸すときに「返すのはいつでもいいよ」と言ってしまいがちだが、そう言ったが最後、本当にいつまでも返ってこない。
こちらもとくに入り用でなかったため時間だけが経過し、気がついたら 1年も経っていた、もしくは結局返ってこないままその人との縁が切れてしまい、貸したものをあげる結果になってしまった、という経験はないだろうか。
あまりにも長い間貸していたので、いまさら「返してくれ」とは言い出しにくく、泣き寝入り……。
こういう相手は困りものである。
では、どうしたらいいだろうか。
まず最も簡単な方法は、貸すときに、「〇日までに返してくれ」 と一言添えることである。
多くの人は、別にもとから借りたものを搾取しようと思っているわけではないのだ。
ただちょっと返すのが遅くなっているだけの話なのだから、最初から貸し出し期間を決めておけば、相手もそれに沿って借りたものを読んだり聴いたりするだろう。
こう言っておいても返してくれない相手には、「いきなり必要になったから、悪いんだけど来週持ってきてくれ」 と約束を取り付けるのである。
この約束は一方的なものでいいし、一方的であったほうがいい。
そうすれば相手はそれに従わなくてはいけないという心理が働く。
ここでまた「近いうちに」などと曖昧な表現をすると、またいつまでたっても返ってこないに決まっているのだ。
貸したものを返してくれない人は基本的にルーズである。
曖昧な態度では埒があかないと覚えておこう。
「あげた」のではなく「貸した」のだから、返してもらうのは当然のことで、なにも遠慮することはないのである。
64 悪の道に誘う人は道連れを欲しがっている 昔から「悪い友達」という言い回しがある。
一昔前の言葉で言えば「不良」だ。
近頃はいかにもな「不良」を見かけることは少なくなったが、やはり街には目的を無くしたような「今時の若者」がたむろしているものである。
そういう友達がいると、だんだんとその人の影響を受け、「悪い道」に進んでしまうと言われる。
このように、人にはつきあいの深い人と同調していく傾向がある。
相手と仲良くなりたいと思うなら尚更、相手と同じことをやり、同じ服装をするようになるのだ。
4章で「類は友を呼ぶ」の話をしたが、「友は類になる」とも言えるかも知れない。
相手を「悪い道」に誘う人は、道連れを欲しがっていると考えられる。
これは「赤信号、みんなで渡れば怖くない」という心理で、悪いことをするのがひとりでは心細いからである。
悪い生活、乱れた生活をしていても、大多数の人は罪悪感を知らないわけではない。
自分の行動が他人の迷惑になっていることや、道徳に反していること、場合によっては法に背いていることには気がついている。
それを敢えてやることを目的としている節もあり、そういったものはいわゆる反抗期によく見られる行動である。
抑圧への反抗と言ってもいい。
しかし、そういうことをひとりきりでできる人間は実は少ない。
だから一緒にやる「友達」を必要とするのである。
友達と一緒であれば心強く、また、ゲーム感覚が生まれるからである。
逆に誘われる側からすると、友達に誘われると、「同じことをしないと友達をやめられてしまうかもしれない」という心理が働き、同調する原動力になる。
これは何も反抗期の子どもに限ったことではない。
大人でも違法行為に手を染めることはある。
「こういう話があるんだけれど……」と持ちかけられたら、相手はあなたを自分の道連れに加えようとしているのだ。
それがどちらのためにもならないことは自明である。
65 笑いながら謝る人は本当に悪かったと思っていない 謝罪というのは本来、真摯なものであるべきである。
自分の行動や発言につき、非を認め、相手に対して申し訳なかったという気持ちを告げるものなのである。
しかし、この謝罪を軽く口にする人がいる。
「ごめんねぇ」「いやぁ、悪かったね」 これを笑顔で言うのである。
これは本当に「悪かった」と思っているのだろうか? たとえば、約束の時間に遅刻したり、人から借りたものを汚してしまったりすれば、謝るのは当然だ。
そういう場合、謝る側も申し訳ないという気持ちではいる
はずである。
しかし、それならばなぜ笑いながら謝るのだろう。
考えられるのは、笑顔で謝ることで、問題を「笑って済まそう」とすることである。
確かに、真面目な顔で深刻に謝れば、物事がますます深刻になったような気がするだろう。
それを嫌って、敢えて明るい笑顔をつくるのである。
それによって謝られたほうも「まぁいいか」と思いがちになる。
しかし、これは小さな問題で謝罪する場合であれば有効だろうが、それが癖になってしまうと大きな問題の場合に同じ事をして、相手に不快感を与えることになる。
また、きちんと謝られればなんの抵抗もなく許せたのに、あまりにも軽い口調で「ごめん、ごめん」と言われたために、その態度に腹を立てる人もいるだろう。
笑いながら謝る人は、問題を深刻に捉えたくない楽観的な人(または楽観的でいたい人)であると言える。
物事を深く考えようとしない人でもある。
あなたが、「なんだその態度は。
本当に悪いと思っているのか!」 と怒ってみても、「モチロン、思ってるよ。
本当に悪かったね」 と軽く返されて終わりということも多いはずで、怒っている自分がばかばかしくなってしまうだろう。
それでも相手の態度を糾弾すると、次第に、「そんなに怒らなくてもいいじゃないか」 と気を悪くしていくこともある。
いわゆる「逆ギレ」という状態だ。
自分の非を心から謝れない人なのだから、自分の態度についてもそう簡単に反省するわけがないのである。
よって、こういうタイプには何を言ってもムダと諦めて、軽いつきあいに留めておいたほうがあなたの精神衛生上は楽だと言えよう。
それでももし、どうしても相手に自分の非を認めさせたければ、面と向かってじっくりと話し合うしかない。
しかし、その後「小さなことでグチグチうるさい、口やかましい人」というレッテルがあなたに貼られてしまう可能性もあることは否めない。
66 2つの選択肢から無難なほうを“選ばせる”話法 頼まれごとというのは基本的に面倒なものだ。
しかし、つい引き受けてしまうこともある。
たとえば、ある人の家に友人が遊びに来る約束をしていたとする。
その友人はいつも家に来るときは電車とバスを乗り継いでやってくるのだが、その日は会社から電話をかけてきて、「今日は仕事が大変で、疲れたから会社まで車で迎えに来てくれないか?」 と頼んできた。
友人の会社は車で 1時間もかかる場所にあったため、彼はとんでもないと思い、断った。
「それは無理だよ。
いつものように電車とバスで来てくれ」 すると友人は少し悩んだ後、「じゃあ、最寄りの駅まで迎えに来てくれよ」 と提案したのである。
最寄駅も家から車で 20分以上かかるところにあるのだが、彼は、 1時間もかけて会社まで行くよりはましだと思い、承諾した。
実はこれは「譲歩的要請法」とか「ドア・イン・ザ・フェイス」と呼ばれる交渉法である。
この人は結局、最寄駅まで車を 20分も運転していかなくてはいけないが、疲れているという友人に会社まで迎えに来てくれと頼まれたのを断ってしまったので、なんとなく心苦しくて、「 20分で済むならまぁいいか」と思ってしまったのである。
しかしいつもならば友人は電車とバスを使い、自分でやってくるのだから、わざわざ迎えに行く必要はなかったのである。
このように、最初に誰でもが断るような無理な頼みごとをしておいて、その直後にやや簡単な頼みごとをすると、頼まれたほうは、最初の頼みごとに比べれば楽なものか、と思ってしまい、つい承諾してしまう。
しかも、最初の頼みごとを断っているので相手に対して負い目を感じ、「じゃあこっちの頼みごとを聞いて勘弁してもらうか」と思うのである。
この例のように、友人同士ならまだいいが、セールスや仕事でこの方法に引っかからないように注意したい。
「3日の納期であげて欲しい。
それが無理なら 5日でもいい」 と言われ、 5日で了承したが、本来なら一週間はかかる仕事であった、ということはよくある話だ。
セールスでも、最初に高価な商品を出しておいて、それは払えない、と言うと別の商品を出してきて、「こちらも先ほどの商品とあまり差はないのですが、価格は半分です」 などと言う。
しかし、こういう場合、たいていは最初から後に出したほうの商品を売るつもりでいたのである。
また、この逆で、「段階的要請法」「フット・イン・ザ・ドア」と言われる交渉法もある。
こちらは誰でも引き受けてくれるような最初に簡単な頼みごとをしておいて、次に比較的大きな頼みごと(本来の頼みごと)をするというものである。
どちらにしろ、頼みごとを聞くときはその前後に惑わされず、実際に自分が何をさせられるのかをよく考えてから返答をしよう。
67 社会的地位 =信用ではない、と心したい 人は権威に弱いところがある。
「偉い先生が言っているから」「有名なコメンテーターが言っているから」という程度の根拠で、その人の言うことなら何でも鵜呑みにしてしまう傾向があるのである。
しかしよく考えて欲しい。
本当に聞くべきものはその発言の内容である。
それを話している人が誰であるかは実はあまり重要ではないはずなのだ。
もちろん、専門的なことは専門家であれば信頼が置けるという図式はある。
しかし、だからといってその人が間違ったことを言っていないという保証にはならないだろう。
人は間違いを犯すことのある生き物なのだ。
また、間違っていないとしても、それはあくまでその人一個人の考えに過ぎないのだということも忘れてはいけない。
こういった、権威者の発言を鵜呑みにしてしまうことで最も危険なのは、政治や犯罪、経済などに関することである。
たとえば、テレビで人気の政治アナリストが現政権の政策に対してコメントをしていたとする。
それをそのまま自分の考えとして取り入れてしまう人がいるのだ。
そしてあたかも自分の意見のように「今の政権は……」などと発言したりする。
しかしそういったものは、自分の頭で考えなくてはいけないことである。
そうでなければデマゴーグに惑わされ、戦争すら起こしかねないことになる。
これは決して大袈裟なことではないのだ。
また、そもそも発言者の権威自体が胡散臭いことが多いという現実もある。
たとえば「大学教授」というが、それはある限定した学問についてのスペシャリストであるというだけで、それ以外のことについては何か特別な権威を持っているわけではないはずだ。
肩書きに惑わされないようにしたい。
68 ストーカーの心理のウラをのぞく ストーカーといってもいろいろいるが、ここでは恋愛妄想型のストーカーについてみてみる。
恋愛妄想型ストーカーとは、一言で言えば、人の気持ちを勝手に捏造するタイプである。
こちらは相手のことをただの友達だとしか思っていないし、また、友達としての態度しか取っていないのに、勝手に「自分のことが好きなんだ」と思い込んでしまうのである。
こういう相手は、まずこちらの話を聞かない。
聞いていても、自分が解釈するときに事実を捻じ曲げて納得してしまう。
たとえば「もう近付かないで欲しい」とはっきり言っても、ストーカーは「そんなことを言うなんて恥ずかしがっているんだな」 と、都合よく解釈するのである。
そこでもっとハッキリ、「私は恥ずかしがってもいないし、本当にあなたのことが好きじゃない」と告げたとする。
しかしやはりストーカーは自分勝手に解釈して、「君はまだ自分の本当の気持ちに気付いていないだけなんだ。
君が本当に幸せになれるのは僕の傍だけだと決まっているのに」 などと思うのだ。
勝手に結婚指輪を送りつけてきたり、本気で 2人で住むための新居を探すといったような行動をとることもある。
もはや何を言ってもムダなのである。
しかし、だからといって手をこまねいていては、いつなにがあるかわからない。
そこで有効な手段が、第三者を間に立てて話し合いをすることである。
このとき重要なのは、ストーカー本人の知っている、目上の人間を仲介者に立てることだ。
その人に、こちらは本当にそのストーカーのことを愛していないし、これからも愛することはなく、迷惑しているのだと説得してもらうことが有効なのである。
69 3パターンの「ここだけの話」とは?「誰にも言っちゃだめだよ。
○ ○ちゃんにだけ教えるんだから」 こんなセリフを小さなころに言った記憶があるだろう。
しかし、このような「ここだけの話」は、むしろ大人になってからのほうがタチが悪い。
「ここだけの話だけど……」「あなたにだけ教えるんだけど……」 このように話されたら、その話はどこででもされている話だと思っておいたほうがいい。
その話を持ちかけてきた相手は、きっと誰にでも同じことを言って回っているに違いないのだ。
とくにゴシップの場合、「ここだけ」で済んでいるはずがない。
本人はみんなに触れ回りたいに決まっているのだから。
「ここだけの話なんだけど、 × ×さんちの旦那さん、浮気してたらしいわよ。
それが奥さんにばれて、大ゲンカ! ほら、うちはお隣だから、大きな声が筒抜けで……」 もしこの話を聞いた人が何も言わなくても、本人が言いふらして、数日中には誰でもが知っている話になっているものだ。
こういうタイプはただ単に口が軽い、ウワサ好きな人である。
困った人だが、それ以上の目的はないと思っていい。
しかし、こういう場合もある。
「あなたにだけ教えるんだけど、実は私、昔モデルをやっていたのよね。
あ、こんなこと誰にも言わないでね、恥ずかしいから」 この人も、やはり喧伝タイプである。
この場合は「誰にも言わないで」と言いつつ、本心では「言いふらして!」と思っているだろうことは、誰にでも想像がつくだろう。
この「ここだけの話」は、本当は大声で言いたいけれど、それでは自慢に聞こえてしまうので、いちおう謙遜しているのである。
これも自慢以上の目的はないので深く考える必要はない。
では、どんな場合がタチが悪いというのかといえば、それは相手に取り入ろうとするタイプである。
「ここだけの話なんだけど、私、ちょっとの投資でものすっごく利益の上がるサイドビジネスをやってるのよね」 などと、声をひそめて耳打ちしてくるタイプがそれである。
この話には、ただのウワサ話や自慢話以上の目的がこめられている。
右の例では、話し手の目的は「すっごく利益の上がるサイドビジネス」に相手を引き込むことである。
なぜそれを「ここだけの話」にしなくてはいけないかというと、「ここだけの話」という言葉には、相手を特別扱いしているというニュアンスが含まれるからである。
人は誰しも、自分が周りより特別扱いされれば嬉しいし、特別に扱ってくれた相手に対して好意を抱くようになっている。
「あなただけ」「あなただから」という態度は、自分がその人にとって、いかにも特別で重要な存在なのだと錯覚させるのである。
つまり、「ここだけの話」をする人は、「私はあなたの味方よ」という顔をして、相手の心をつかもうとしているのだ。
また、「ここだけの話」ということは、相手と自分の間に共通の秘密ができるということである。
その話題を共有することで関係を密にすることができるし、さらに、「秘密」というオプションをつけることで、その話題に付加価値を与える効果を狙っているのである。
こうして相手の心をしっかりキャッチしてから、「あなたもやってみる?」 と持ちかけるのである。
こういう場合、言われたほうも本当に「ここだけの話」にするので、このサイドビジネスのことは誰にも話さない。
本当に文字通り「ここだけの話」になるのである。
しかし、何かの拍子にその「ここだけの話」が明るみに出てみると、周りの何人もが同じ「ここだけの話」を持っていたりするものだ。
真剣に「ここだけの話」を持ってくる人ほど注意が必要だということである。
人の心を見抜く 69の方法発行日 2014年1月 11日著 者 ISM Publishing Lab.企画編集 ISM Publishing Lab.発行所 株式会社イズムインターナショナル 東京都港区南青山 4- 13- 15- 301 (c) ISM international 2014
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