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03心についての理解

ところで皆さんは、心にはどのような働きがあるかよく考えたことがありますか?心とは一体どんなものでしょうか。

心と一言でいっても、喜びや悲しみ、怒りといった感情、何か美味しいものを食べたいといった欲望、悩んだり、迷ったりする思考など様々な働きがあることが分かります。

心の問題に取り組むとき、この様々な性質のある心をいくつかの要素に分けてとらえていくことがとても大切です。

「これは欲望の働きだから今は抑えなくてはいけない」というように、心の働きを客観的にとらえることで心を制御しやすくなるからです。

それでは、心を大きく三つの性質に分けて考えてみましょう。心の三つの性質まず、心には欲望という心の働きがあります。欲望は主にこの体に関する欲求です。

「美味しいものを食べたい」という食欲、「洋服を買いたい」「かっこいい車が欲しい」「あの人と付き合いたい」というような物欲や性欲などがあります。

現代の私たちにとって、この欲望を満たすことは人生の目的のように感じられます。

例えば、美味しい食事をしたり欲しい物を買うとき、私たちには大きな喜びが生じます。

一方で、欲しいものがどうしても手に入らないとき、私たちの心には飢餓感や苦しみが起こります。このように、欲望によって、私たちの心は大きく揺れ動くことになります。さて、欲望は私たちの心の大きな要素ですが、心の性質が欲望だけかといえばそうではありません。

例えば、「昨日は焼肉を食べに行ってお肉ばかり食べ過ぎたから、今日は野菜を多めに食べよう」とか「今月はお金を使い過ぎたから、新しい洋服を買うのはやめよう」という様に、心には欲望を抑える思考の働きもあります。

また、思考には様々な問題を解決したり、未来の出来事をあれこれ予測したり、自分と他人を比べたりという働きもあります。

そして、今こうしてテキストを読みながら瞑想や心について考えているのも思考の働きです。

このように、思考の働きは私たちの日常生活に欠かせないものですが、一方でこの働きが私たちの心に大きな問題を起こしています。

例えば、何か問題が起きると、その場では解決することができなくても、ずっとその事で悩んでしまうことがあります。

また、過去の嫌な出来事を何度も思い出して苦しくなってしまったり、いつの間にか他人と比べて劣等感を感じてしまうなど、思考の働きによって苦しむということもあるからです。

本書では、主にこの思考の不必要な働きが心の問題を起こす原因であると考え、思考の動きを制御することに注目していきます。

もちろん、思考を止めっぱなしにしていては何もできません。ですから、思考を制御する目的は、必要な時は集中して使う、必要でない時はできるだけ止めておくということです。

つまり、思考の働きを自分でコントロールできるように練習していくのです。さて、心には欲望と思考があるというお話しをしてきましたが、それだけで心の全ての性質がそろったかと言えばそうではありません。

直感的な閃きや、感動すること、愛情を感じたり他人を助けたいと思う心の働きです。例えば、映画を見に行ったとき、意図的に感動しようと思っても感動することはできません。これは思考によってではなく、胸の内側からふいに起こってくる衝動です。

同様に、他人への思いやりも思考とは関係のない心の動きです。「子供が泣いているから助けてあげなきゃ」「困っている人のために何かしてあげたい」という愛情も胸の内側から自然と起こります。

また、「この苦しみから解放されたい」「心の波を静めて安らぎを得たい」というような悟りへの内的衝動も思考や欲望とは区別されます。

何か聖典のようなものを読むときにも、それが理論的に正しいというより、直感的に自分の胸の内で深く納得させられることがあります。

古代ギリシャの哲学者プラトンは、「真善美といった人間の理想はイデア界という天界にあって、私たちは地上に生まれてくるときそのことをすっかり忘れてしまうが、地上の生活でそのイデアの片鱗を見るとその理想を思い出す」と述べています。

つまり、これらの心の働きは生まれてから獲得するわけではなく、すでに備わっているものの想起であると考えたのです。このような心の働きを、日常生活の中で使う知恵とは区別して、智慧という難しい呼び方をします。

さて、以上で心の働きを欲望・思考・智慧の三つに分けて考えてみました。これらは、その心の性質から高い心と低い心と表現することができます。

智慧のような高い心は私たちを本当の幸福に導いてくれるもの、欲望のような低い心は常に移ろいやすく、動物的なものであり、喜びが起きたと思えばすぐ失われてしまうものです。

思考はその中間にあって、智慧のためにも使えますし、欲望のためにも使えます。

多くの人は欲望を実現するために思考を使いますが、私たちはヨガという実践においては、智慧を実現するために思考を使わなければいけません。

欲望を必ずしも悪いものと断定することはできませんが、少なくとも、この心の働きが度々私たちに苦しみを与えるということはよく理解しておかなければならないでしょう。

欲望は決して満足することがなく、体を喜ばせるものを次から次に求め続けているからです。当然、欲望を主体に生きていれば、体が病気になったり、人間関係を壊したりということが起きてきます。

この欲望に対する規定は、ラージャ・ヨガの八支則の中で、ヤマ(してはならないこと)・ニヤマ(進んで行うべきこと)として表現されています。

ですから、欲望を自分の低級な性質としてとらえて自制していくことは、ヨガの取り組みの第一歩でもあります。

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