突然ですが、人生の目的とはなんでしょうか?「私は有名なサッカー選手になりたい」とか「歌手になりたい」など様々な夢があるでしょう。
もちろん、このように人によって人生の目的は細分化されていても、私たちの共通した目的は「幸福になること」ですね。結局のところ、私たちはそれぞれの方法で「どうすれば私は幸せになれるだろうか?」ということを常に探究しています。
ある人は「お金持ちになれば私は幸せだ」と思っているかもしれませんし、ある人は「愛する人がいれば私は幸せだ」と思っているかもしれません。
しかし一方で、「お金をたくさん稼いだけど、それほど幸せにはならなかった」という事が起きたり、「大好きな恋人はいたけど、フラれてしまって苦しい」という問題が起きる可能性もあります。
このように、私たちは常に「幸せになりたい」と願ってはいますが、実際はそうならない場合もある、ということが現実に起きています。
では、どうすれば私たちは幸せになれるのでしょうか?これが、ヨガの教えの本質的なテーマでもあります。
つまり『ヨーガ・スートラ』は、この「私たちはどうすれば幸福になるか?」という問題について答えているからです。
しかし、「心の働きを止める」ことと、私たちの幸せには一体どんな関係があるというのでしょうか。この点についてこれから考えていきたいと思います。
「見る者」の三つの性質まず、ヨガの教えには意識である本当の私、つまり「見る者」であるアートマン(プルシャ)には三つの性質があると言われています。
それは、「サッチダーナンダ」と呼ばれるもので、⑴サット(実在している)⑵チット(意識状態である)⑶アーナンダ(至福である)の三つです。
つまり、私たちの本質である「見る者」は永遠に存在し、常に至福であるということなのです。言い換えれば、「私たちはすでに幸福である」とも言えます。これが、ヨガの教えの非常に重要な点です。
私たちはいつも外にある何か喜ばしいものを見て、「あれがあれば自分は幸せになれる」と思っていますが、そうではなく、「私の本質が幸福なので、幸福を外側に探すのではなく、自分の内側に求めなくてはならない」と言っているからです。
このヨガの至福について考えるとき、私たちは今までの価値観を全く逆にしなければいけません。つまり、これまで私たちは「心を喜ばせることで私は幸せになる」と考えていましたが、「心の働きを止めなければ私は幸せになることができない」と言い直さなければならないからです。
しかし、ヨガの経典がこのように述べる根拠は何でしょうか?次はこの点について考えてみましょう。
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