第2章仏陀はどのようにして誕生したのか
インドの人たちにとっての「輪廻」釈迦の生涯と四住期釈迦が悟りを開くまで悟りから入滅、涅槃まで拡散する釈迦の伝説釈迦の生涯が記された『今昔物語』釈迦とはどんな存在なのか
第3章仏教はどうやって広まったのか
イスラム教はどうやって広まったのか釈迦の遺骨を安置した仏塔が果たした役割仏教の広まりにおける寺院の存在大乗仏教と上座部仏教出家が重視される上座部仏教諸説ある大乗仏教の成り立ち上座部仏教を批判する『般若心経』『般若心経』で説かれている空の教えシンプルな上座部仏教と複雑な大乗仏教
第4章日本に影響を与えた中国仏教の特徴
インドにむかった法顕、玄奘、鳩摩羅什仏典の翻訳という作業の難しさ来世のとらえ方に決定的な違いがあったインドと中国中国で変容した仏教中国で生まれた宗派天台宗の教えが日本に波及仏教衰退の危機
第5章日本人にとって仏教はどういう意味を持っているのか
日本には根付かなかったインド仏教中国仏教を積極的に受け入れた日本人日本人が受け入れた仏教の姿日本で仏教が受け入れられた過程「葬式仏教」としての仏教
第6章仏教は他の宗教とどう違うのか
キリスト教とイスラム教仏教における人の生とは各宗教における寄進の意味合い仏を信仰する者がめざすのは悟りを開くこと仏教における悟りとは変容し続ける日本の仏教
第7章新しい時代の新しい仏教
かつてヨーロッパで恐れられた仏教日本で深刻な仏教離れの傾向仏教をめぐる新たな動き仏教関係者の危機感今の時代に求められる仏教とはおわりに著者プロフィール
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◆本書の内容は2019年3月末現在のものです。
◆文中敬称略。
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はじめに
仏教について学ぶ。それが、この本の目的である。ではなぜ、私たちは仏教について学ぶ必要があるのだろうか。最初にそのことを考えてみたい。
仏教は世界の三大宗教の一つと言われる。他の二つはキリスト教とイスラム教である。
ただし、信者の数ということでは、仏教はキリスト教やイスラム教にはかなわない。世界で一番信者が多いのがキリスト教で、その次がイスラム教だ。
どちらも、唯一絶対の神、世界を創造したとされる神を信仰する「一神教」である。それに対して仏教は、神ではなく、仏を信仰の対象とする。
仏にはさまざまな種類があるし、インドの神々をも取り入れているので、その実体は「多神教」である。
信者の数で、仏教はキリスト教やイスラム教に及ばないだけではなく、仏教を生んだインドに広がったヒンドゥー教にも及ばない。
さらに、中国の人たちを、儒教と道教、それに仏教が入り交じった中国特有の民間信仰の信者としてとらえるならば、仏教単体ではそれにも及ばない。信者の数としては、仏教はそれほど多くはないのだ。
そこには、仏教が生まれたインドで、いったん消滅してしまったことが関係している。中国で、民間信仰のなかに取り込まれてしまったことも影響している。
ただ、私たちが生活している日本ということで考えてみると、仏教は土着の宗教ではなく、外来の宗教ではあるものの、長い歴史を重ね、現在でも私たちの暮らしのなかに深く浸透している。
「あなたの信仰は何か」と問われて、「自分は仏教徒である」とはっきりと答える人は少ないかもしれない。けれども、多くの日本人は仏教に親しみを感じている。
実際、さまざまな形で仏教寺院を訪れることがある。法事や墓参りで寺院を訪れることはあるし、観光に出かける際に、仏教の有名な寺院を目的地にすることもある。
子どもたちの修学旅行でも、奈良や京都の寺院がそのなかに含まれる。葬式というきっかけとくに、私たちと仏教とのかかわりは、死をめぐって訪れる。
現在でも、葬式を挙げるというときには、仏教式が選択されることが多い。それまで、「自分は無宗教だ」と言っていた人でも、いざ葬式ということになると、仏教式を選択する。
無宗教だった人が、急にキリスト教式や神道式の葬式を選択することは考えにくい。キリスト教式の葬式を選択するのは、ほとんどが生前にキリスト教の信仰を持っていた人たちだ。そうした人たちは洗礼を受けている。
神道式の葬式を選択するのも、家が神道を代々信仰しているという人がほとんどを占めている。急に神道式を選択することは少ない。
死んだ後、私たちはどういった世界に赴くと考えているだろうか。それは人それぞれで、なかには人は死んだら無になると考えている人もいる。神や仏を信じない「無神論」という立場をとるなら、そういうことになる。
けれども、多くの人たちは、死後には天国に生まれ変わるか、さもなければ地獄に落とされると考えている。
生きている間、悪いことばかりしてきたので、自分は必ずや地獄に落とされるだろうと、半ば諦めの気持ちを抱いている人たちもいる。
ただ、それよりもはるかに多いのは、漠然とではあるものの、死んだら天国に生まれ変わると考えている人たちだろう。
誰かが亡くなったとき、「故人は天国に生まれ変わった」と、知り合い同士で言い交わすことは珍しくない。死後に天国に赴くことが前提になっているわけだ。では、その天国はどういう世界としてとらえられているのだろうか。
世界中の人たちは皆、同じ天国に生まれ変わるという考え方もある。だが、キリスト教徒やイスラム教徒が考えている天国と、私たち日本人が考えている天国とでは、やはりそのイメージはかなり異なっている。
仏教では、死後の世界を「浄土」としてとらえる。浄土とは、いっさいの穢れや煩悩から解放された清浄な世界のことだ。はっきりと自分は死後に浄土に赴くと考えている人は少ないかもしれない。だが、仏教式の葬式は、故人を「成仏」させることを目的として営まれる。
成仏とは、仏になるということを意味する。その仏の住まう世界が浄土なのである。最期は、仏教式の葬式を挙げてもらい、浄土に赴く。それが、多くの日本人にとっての死後のあり方である。
自分たちが死後、浄土に赴くということであれば、浄土について説いている仏教のことを知っておく必要がある。自分が赴く世界なのだから、事前に知識を得ておくことが不可欠だ。どうしてもそういうことになってくる。
年齢とともに高まる信仰心そうは言っても、「それは理屈の上でのことではないのか」。そのように感じる人もいるかもしれない。けれども、日本人の場合、年齢が上がるにつれて信仰率が上昇するという世論調査の結果も出ている。
これは、NHK放送文化研究所が行った調査で、2008年に行われたものである。
それによると、年齢が若いと信仰率は低いが、60歳以上になると、半数を超える人が「宗教を信仰している」と答えている。
面白いのは、男女でその傾向が異なることだ。女性の場合には、16歳から29歳のあいだの信仰率は20パーセントとかなり低い。ところが、年齢が上がるにつれて徐々に上昇していき、60歳以上で56パーセントに達する。半分以上の人が、信仰を持っているのだ。
男性の場合だと、40歳代でも信仰率は19パーセントと、その世代では女性の半分にも満たない(女性は39パーセント)。ところが、50歳代になると、41パーセントとなり、女性に肉薄する(女性は43パーセント)。そして、60歳以上になると、56パーセントと女性と肩を並べるのである(『放送研究と調査』2009年5月号)。
男性は、50歳を超えると急に信仰に関心を持つようになる。これは、注目すべきことだが、世の中では十分には認識されていない。現実にそういう人たちは少なくない。
たとえば、私は大学で非常勤講師として教えているが、学生たちの親は50歳代が多い。
話を聞いてみると、「お父さんは最近、急にお寺めぐりをするようになった」と答える学生がいる。あるいは、「お父さんが先生の本を読むようになった」と、私にとっては有り難い話も聞いた。
ではなぜ、そのようなことが起こるのだろうか。
定年後の生き方そこには、二つの原因があるように思われる。一つは、50歳を超えると、定年後のことを考えるということがあげられる。現在では、企業に勤めている場合、定年は60歳、ないしは65歳である。
私は、2018年の終わりの時点でちょうど65歳だが、同級生はほとんどが最近仕事から退いている。
定年後の人生をどのように送ればいいのだろうか。
その先には、老いがあり、死がある。
そうした状況にさしかかったとき、宗教というものが、それまでとは違ったものとして意識されるようになる。
人生の根幹にある、極めて重要なこととして考えられるようになるのだ。
その際の宗教が仏教である。
あるいは、土着の神道と混じり合った仏教ということかもしれない。
いったい仏教とはどういう宗教なのか。
それを考えるようになっていくのだ。
その時点で、キリスト教やイスラム教に関心が向くようになったという人はさほど多くはないはずだ。
仏教を学ぶもう一つの原因として考えられるのが、親の葬式を出すという経験である。
あるいは、自分の親しい人間が、そうした経験をしたということを見聞きするということかもしれない。
葬式は、すでに述べたように、仏教式であることが多い。
仏教式の葬式を出すときには、家の「宗旨」が問題になる。
仏教式の葬式の際、導師として来てもらう僧侶は、必ずどこかの「宗派」に属している。
基本的に宗派に属していない僧侶はいない。
宗派によって、葬式のやり方は変わってくるし、そこで読まれるお経も違う。
したがって、自分の家の宗旨に従って、その宗派の僧侶を葬式に呼ばなければならない。
自分の家の宗旨について、葬式を出すまで知らなかったという人も少なくない。
普段意識する必要がないからだ。
葬式を契機に、家の宗旨が分かると、その宗派がどういうものなのかに自ずと関心が向くようになる。
そうなると、旅行を計画するとき、宗派の本山を訪れてみようと考えたりもする。
自分の宗派ではなくても、それぞれの寺院がどの宗派なのかに関心が向くようになる。
これは仏教には限られないが、宗教の世界は広く、奥が深い。
いったん宗教に関心が向くようになると、自分が宗教について、いかに知識がないかが分かってくる。
宗教について、とくに仏教について学んでおく必要があるのではないか。
多くの日本人は、年齢を重ねることで、そのように考えるようになる。
では、仏教についてどのように学んでいけばいいのだろうか。
この本は、仏教を学びはじめたいと考えている人たちに、それをどう学んでいけばいいのかを伝えようとするものである。
仏教の世界は広大であるため、その全貌を伝えることは難しい。
ただ、仏教が、宗教の一つとしてどういった特徴を持っているのかをおさえておくことが出発点になる。
話はそこからはじまることになる。
仏教とはどういう宗教なのか。
仏教について学ぶ上で、この点はもっとも重要である。
日本の土着の宗教である神道の場合には、自然発生したものであり、特定の開祖、教祖は存在しない。
それに対して、仏教の場合には、釈迦という開祖がいる。
釈迦は悟りを開き、それをもとに教えを説いていった。
したがって、釈迦の教えが仏教の教義である。
では、釈迦の教えとはどういうものなのだろうか。
それを説明できる人は、かなり少ない。
「あなたの信仰している宗教は何か」と尋ねられたとき、「仏教だ」と答える人でも、「では、仏教を開いた釈迦の教えは何ですか」と問われると、途端に答えられなくなったりする。
すらすらと答えられる人の方が珍しい。
これは、考えてみると、不思議なことである。
釈迦の教えについて知らないのに仏教を信仰している。
これはどういうことなのか。
当然、そうした疑問が湧いてくる。
一つの原因は、日本の仏教の特徴と関係している。
これは、「はじめに」でもふれたが、仏教の信仰を持っているというときに、日本では必ず「宗派」が関係してくる。
葬式に導師として呼ぶ僧侶は、いずれかの宗派に属しているわけだが、それは、お寺の檀家になっている一般の人たちについても言える。
曹洞宗の僧侶を導師に呼ぶ家の宗派は曹洞宗であり、その家の人間は曹洞宗の信者ということになる。
これは、他の宗派の場合にも同じだ。
浄土真宗ならその信者、天台宗ならその信者になる。
宗派には関係のない僧侶がいないように、宗派にかかわりのない信者も存在しない。
ただの仏教徒ではなく、皆、それぞれの宗派の信者になっているのである。
キリスト教の場合も、カトリックや東方教会、聖公会やプロテスタントというように、いくつもの流れ、派に分かれている。
その点では、日本の仏教もキリスト教も同じだと言えるかもしれない。
だが、キリスト教では、キリスト教が生まれるきっかけになったイエス・キリストの教えが、すべてのキリスト教の流れ、派の教えになっている。
その教えを記したものが新約聖書の「福音書」だ。
これに対して、日本の仏教では、宗派が前面に出てくるため、その大本にあるはずの釈迦よりも、それぞれの宗派の宗祖の方が重視される。
その結果、それぞれの宗派の信者は、釈迦の教えではなく、宗祖の教えを信仰の対象にしている。
真言宗なら空海の教え、浄土宗なら法然の教えが重要で、釈迦の教えはその陰に隠れてしまっているのだ。
だからこそ、自分は仏教徒だと言う人に釈迦の教えは何かと聞いても、すぐにははっきりとした答えが返ってこないのである。
それだけではない。
もっと重要な理由がある。
釈迦の教えとは
私たちが釈迦の教えはどういうものかということで、仏教関係の本を調べてみたとする。
ここでは、古い本だが、広く読まれてきた、渡辺照宏『仏教』(岩波新書)を見てみることにしよう。
その本を開いてみると、釈迦の教えについては、次のようなことばで説明されている。
「道」、「八正道」、「四つの聖なる真理」、「縁起説」、「戒律」である。
こうしたことばを見て、聞いたことがあるという人もいるだろう。
けれども、あまり聞いたことがない、よく分からないと感じる人の方が多いはずだ。
『仏教』の本のなかで、中道とは、苦行主義でも、快楽主義でもないと説明されている。
仏教では、さまざまな形で修行が実践されているが、実は苦行を勧めるものではないし、まして快楽を追求するものではないというのだ。
八正道は、中道の実践であると説明されている。
それには八つのやり方があり、「正しい見解」や「正しい決意」といったことが含まれるという。
四つの聖なる真理とは、「苦悩と、苦悩の起源と、苦悩の超克と、苦悩の超克にいたりつく道」からなっていると説明されている。
そして、こうした苦悩が生じてくる過程を説明したものが縁起説だというのである。
もちろん、『仏教』の本のなかでは、こうしたことばについて、その内容が詳しく説明されている。
ただ、そうした説明をじっくり読んだとしても、「あまりピンとこない」。
そういう感想を抱くのではないだろうか。
というのも、釈迦の基本的な教えとされるそれぞれのことばが、私たちの生活とどのようにかかわりを持つのかが、なかなか理解できないからだ。
たとえば、八正道の一つとされる正しい見解について考えてみるとする。
いったい何が正しい見解なのか、それだけでは皆目見当がつかない。
正しいか正しくないかの判断は、どんなときでもひどく難しい。
自分では正しい見解に立っていると考えても、それがそのまま他の人に同じように受け取られるとは限らない。
それが現実だ。
正しい見解と言うだけでは、説明があまりにも簡単すぎて、不十分なのではないか。
当然、そういう不満が出てくる。
そのなかでも比較的分かりやすいのが戒律である。
『仏教』の本のなかでは、代表的な戒律として、次の五つがあげられている。
一、殺生をしない。
二、盗みをしない。
三、淫らなことをしない。
四、虚言をいわない。
五、酒の類を飲まない。
これは、一般に「五戒」と呼ばれるもので、仏教の信者が守るべき基本的な戒律とされている。
こうなると、かなり具体的である。
では、こうした釈迦の教えは、いったいどこに記されているのだろうか。
また、新しい疑問が湧いてくる。
釈迦の教えはどのように記されているのか
キリスト教でも、イスラム教でも、定められた教典がある。
キリスト教なら「聖書」、イスラム教なら「コーラン」である。
日曜日の礼拝で、キリスト教の聖職者がイエス・キリストの教えについてふれるときには、必ずそれが聖書、この場合は新約聖書の「福音書」ということになるが、そのどこに記されているかを示す。
福音書は、イエス・キリストがどういった行動をとり、どういうことばを発したかを記した言行録である。
イスラム教では、「シャリーア」と呼ばれる「イスラム法」に従って信者は日々の生活を送るが、シャリーアの根拠になるものは、まず第一にコーランである。
ところが、釈迦の教えについては、それがどこで説かれているか、キリスト教やイスラム教に比べると、はっきりとは説明されないことが多い。
釈迦の説いた教えは、「仏典」に記されている。
仏典は膨大な量にのぼる。
聖書やコーランも相当に厚い書物になっているが、量の面では仏典にはとてもかなわない。
仏典を集めたものは、「大蔵経」と呼ばれる。
あるいは、「一切経」と呼ばれる。
現在、日本で一般的に使われる大蔵経は、『大正新脩大蔵経』である。
これは、大正時代から昭和のはじめにかけて編纂され、刊行されたもので、全体は100巻にも及んでいる。
100巻というだけでも相当な量だが、『大正新脩大蔵経』の1ページは3段組みで、1段が17字詰め29行からなっている。
その上、1巻あたりのページ数は1000ページにも及んでいる。
大きな図書館では、『大正新脩大蔵経』が書棚に収められているので、それを見ていただきたい。
はじめてそれを見たら、誰もが圧倒されるはずだ。
大蔵経の場合、そのなかには、釈迦の説いた教えのほかに、戒律を集めたものや釈迦の教えについて解釈を施した理論書も含まれている。
その点で、すべてが釈迦の教えというわけではない。
ここで一つ大きな問題になってくるのが、『大正新脩大蔵経』のなかには、それが膨大な量にのぼるにもかかわらず、実は釈迦が直接に説いた教えが含まれていないということである。
そんなことがあり得るのか。
誰だってそう思うだろう。
けれども、そこが仏教の不思議なところだ。
なぜそうなってしまうのか。
それを考えてみる必要がある。
中国に伝えられた「大乗仏典」が日本仏教の土台
『大正新脩大蔵経』に収められている釈迦の教えは漢訳されたものである。
中国で中国語に翻訳されたものが漢訳である。
翻訳されたということは、その元になるものがあるということだが、それはインドのことば、サンスクリット語で記されている。
現在の研究では、釈迦は、インドの北部にあったマガタ国で生まれ、マガタ語を使ったと考えられている。
後に釈迦の教えは経典にまとめられるが、それは、「パーリ仏典」、「パーリ語仏典」などと呼ばれる。
マガタ語とパーリ語は近い。
普通なら、パーリ仏典が釈迦の教えを記したものになるはずである。
ところが、パーリ仏典がはじめて日本語に翻訳されたのは昭和の時代に入ってからのことだった。
1935年から1941年にかけてのことで、それは『南伝大蔵経』としてまとめられた。
つまり、日本人はごく最近になるまで、最初に作られたパーリ仏典の存在も、その内容も知らなかったのである。
これは随分と不思議な話だが、そこには、日本が仏教を、発祥の地インドからではなく、主に中国を経由して取り入れたことが影響していた。
インドで生まれた仏教は、やがて周辺の国々に伝えられた。
そのなかには中国も含まれた。
中国に伝えられたのは、パーリ仏典ではなく、サンスクリット語で記された「大乗仏典」だった。
『大正新脩大蔵経』は、その大乗仏典を収めたものなのである。
パーリ仏典の方は、現在の日本では、「原始仏典」と呼ばれることが多い。
仏教が誕生して間もない時期に作られた経典だからである。
ところが、日本人は、仏教を最初に受け入れたときからずっと大乗仏典には親しんできたものの、原始仏典については、その存在すら知らなかった。
原始仏典のことを日本人が知るようになるのは、明治に入り、欧米の仏教研究に接するようになってからである。
仏教の歴史について説明することが難しいのは、仏教を生んだインドの人たちが歴史に関心を持たなかったからである。
したがって、釈迦が生きていた時代がいったいいつなのか、仏典は原始仏典にしても、大乗仏典にしても、いったいいつ成立したのか、それがはっきりしないのだ。
推定はされているが、それは現在の学者がさまざまな史料をもとに割り出したもので、本当の歴史は分かっていないのだ。
そうした推計によると、釈迦が生きていたのは紀元前560年から前480年だとされる。
あるいは、前460年から前380年だとする説もある。
パーリ仏典については、それが仏典のなかでも古いものだとはされているものの、いったいいつ成立したかは明らかになっていない。
推定の時期さえほとんどあげられない。
大乗仏典についても、西暦紀元後に生まれたとはされているが、個々の仏典がいつ成立したのか、はっきりした年代が示されることはない。
分からないことだらけだが、『仏教』の本のなかで説明されていた釈迦の教えは、パーリ仏典の一つ、『スッタニパータ』に説かれている。
『スッタニパータ』は、パーリ仏典のなかでもっとも古いものとされている。
そして、釈迦が実際に説いた教えがそのなかに含まれているとも言われている。
その点で『スッタニパータ』は、仏教の原点に位置している仏典ということになる。
ところが、すでに述べたような事情から、日本の仏教宗派のなかで、『スッタニパータ』を用いるところはない。
各宗派の宗祖たちは、『スッタニパータ』の存在さえ知らなかったのだから、教えのなかにそれを取り込むことはなかった。
キリスト教では聖書が聖典で、そこに説かれたイエス・キリストの教えが根幹になっている。
イスラム教ではコーランが聖典で、そこに示された神の啓示が教えの根幹になっている。
ところが、日本の仏教では、『スッタニパータ』などのパーリ仏典が聖典とはされていない。
それぞれの仏教宗派が信仰の対象としているのは、釈迦が亡くなってから数百年後に編纂されたと思われる大乗仏典なのである。
宗教は、開祖が説いた教えがもとになっている。
一般にはそのように考えられている。
けれども、仏教には必ずしもそれがあてはまらない。
だからこそ、釈迦の教えが何かを問われても、多くの人が答えられないのである。
異なる宗派が生み出されてきたわけ
そうした事態を踏まえ、江戸時代の町人の学者、富永仲基(1715~1746年)が唱えたものに「大乗非仏説」がある。
当時の仏教の世界では、仏典はすべて釈迦がその生涯のあいだに説いたものであるということが前提になっていた。
それに対して仲基は、仏典は釈迦の説いた教えをもとにしながら、後の時代にさまざまな考え方や学説が付け加えられることで、今日の形をとるようになったと主張した。
仲基の学説は「加上説」とも呼ばれる。
明治に入ってからも、仲基と同じように、大乗非仏説を唱える学者が現れた。
すでに述べたように、パーリ仏典が日本でも紹介されるようになったのだから、そういう説が強く主張されても不思議ではない。
しかし、いくら大乗非仏説が唱えられても、たとえそれが正しい仏典のとらえ方だとしても、それによって大乗仏典に説かれた教えはまったく意味がないとはされなかった。
もし大乗仏典の価値が否定されてしまったら、それを信仰の対象としてきたそれぞれの仏教宗派も、間違った教えにもとづくものになってしまう。
釈迦の本来の教えは、パーリ仏典に記されているのだから、大乗仏典を捨て、パーリ仏典に還らなければならない。
理屈としてはそうなる。
だがそれは、仏教の各宗派にとって都合が悪い。
宗派の教えには根拠がないことになってしまうからだ。
その点では、各宗派の利害が優り、大乗非仏説が日本仏教の主流となる考え方にはならなかったとも言える。
けれども、仏教においては、他の宗教とは異なり、最初に説かれた教えがもっとも重要だというわけではない。
『仏教』の本で説明された釈迦の教えに戻るならば、それはあまりに単純で、具体的な内容に乏しいとも言える。
『スッタニパータ』は全部で5章から構成されている。
そのうち第4章と第5章で述べられていることは、釈迦が実際に説いた教えに近いとされている。
では、その第4章の冒頭の部分を引用してみよう。
766欲望をかなえたいと望んでいる人が、もしもうまくゆくならば、かれは実に人間の欲するものを得て、心に喜ぶ。
767欲望をかなえたいと望み貪欲の生じた人が、もしも欲望をはたすことができなくなるならば、かれは、矢に射られたかのように、悩み苦しむ。
768足で蛇の頭を踏まないようにするのと同様に、よく気をつけて諸々の欲望を回避する人は、この世でこの執著をのり超える。
(中村元訳『ブッダのことば』岩波文庫)普段、私たちが接する仏教の経典は漢訳なので、かなり難しい。
読んでもすぐに意味は分からない。
それに対して、パーリ仏典の場合には、漢訳はないわけで、すべて現代語に訳されている。
その点で、意味はすぐに分かる。
大乗仏典とパーリ仏典では、そうした翻訳の問題があるものの、『スッタニパータ』で説かれていることは、分かりやすい分、深みに欠ける。
釈迦の悟りが究極的なものであったとするなら、果たしてそのレベルに達している教えなのか。
どうしてもそこに疑問を感じてしまう。
もしもパーリ仏典だけだったとしたら、仏教は、それほど日本で広がらなかったのではないか。
多くの信奉者を生むことにはならなかったのではないか。
『スッタニパータ』全体に目を通してみると、正直そのように感じてしまう。
その後、パーリ仏典だけではなく、膨大な量の大乗仏典が生まれた。
それぞれの大乗仏典においては独自の教えが説かれた。
その内容は仏典によって相当に異なっている。
たとえば、日本で多くの信奉者を生んだ『法華経』では、人間を含むすべての存在は仏になる可能性を有していると説かれている。
「浄土三部経」の一つ、『無量寿経』では、西方極楽浄土に往生することが説かれている。
密教の経典である『理趣経』では、一般の仏教ではその価値を否定される愛欲などの欲望が、むしろ清浄なものであるとして高く評価されている。
ここに述べたことからも明らかなように、個々の大乗仏典で説かれている内容は、それぞれ大いに異なっている。
大乗仏典の内容は、お互いに矛盾し、対立している。
だからこそ、どの仏典を信仰の対象とするかによって異なる宗派が生み出されてきたわけである。
重要なのは「教え」ではなく「悟り」
これを踏まえると、仏教は釈迦の教えをもとにしているというとらえ方自体を見直さなければならなくなってくる。
重要なのは、釈迦が説いた教えではない。
本当に重要なのは、釈迦が悟りを開いたという出来事の方である。
釈迦の悟りは究極のものとされており、仏教を信仰する人々は、悟りの内容を明らかにしようと試みてきた。
その試みをまとめたものが、各種の仏典である。
仏教は、原典にあたる聖典をもっとも重視する宗教ではない。
そこで、キリスト教やイスラム教とは異なる。
仏教は、釈迦の悟りの内容を探求し続けていく試みである。
その点で絶えず発展し、変化していく。
私たちは、そうした仏教の特徴を認識する必要がある。
私は、仏教の特徴を理解しようとする際に、その全体を「ギリシア哲学」になぞらえてみればいいのではないかと考えている。
ギリシア哲学の場合、それを実践したさまざまな哲学者がいた。
パルメニデスやプラトン、ソクラテス、そしてアリストテレスなどである。
哲学者によって唱えた説は異なっており、ギリシア哲学全体に共通する思想はない。
仏教もそれと同じで、実践は釈迦の後に続いたさまざまな仏教徒が担ってきたものであり、その内容は異なっている。
その全体が仏教の世界を構成している。
そのように考えられるのではないだろうか。
キリスト教では、しばしば「イエス・キリストに還れ」と主張される。
それも、イエス・キリストの教えがキリスト教の原点に位置づけられているからだ。
それに対して仏教では、釈迦の教えに還ることはさほど重視されない。
むしろ、悟りが何かを明らかにするために思想や哲学を発展させていくことが重要だとされてきた。
仏教とは、発展を続けていく宗教なのである。
その結果、多様な思想、哲学、あるいは修行の方法がそのなかに組み込まれていくこととなったのだ。
釈迦は「仏陀」とも呼ばれる。
釈迦という名前は、出身部族である釈迦族に由来する。
一方、仏陀は「悟りを開いた人」を意味する。
釈迦は固有名詞で、仏陀は普通名詞である。
仏陀が普通名詞である以上、それは釈迦以外の人物にも用いられるはずだ。
たとえば、仏教と同じ時代に生まれた宗教に「ジャイナ教」がある。
その開祖であるマハーヴィーラも仏陀と呼ばれる。
釈迦以外にも仏陀が存在する。
この点は釈迦の生涯とも関係してくるので、この章の後の部分で改めて説明を加えることにする。
釈迦が生まれたのは、現在の北インドであったとされる。
釈迦の父親は小さな国の王であった。
釈迦は王子として生まれた。
高貴な生まれだ。
ただ、第1章でもふれたように、インドでは歴史ということについて関心が持たれなかった。
日本では、中国の影響で、古代から歴史を記録する営みが行われてきた。
ところが、歴史に関心を持たないインドでは、歴史を記述する試みは行われなかった。
とくに時代を遡れば遡るほど、その傾向が著しい。
そのため、仏教の歴史については、はっきりしない部分が多い。
なぜインドの人たちは歴史に関心を持たなかったのだろうか。
そこには、インドの人たちの宗教観が深くかかわっている。
そして、仏教の誕生も、このインド特有の宗教観と密接に関連している。
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