個人と組織の関係性なぜ組織に属するのかフォロワーの五つの選択肢自分自身の個としての成長を最優先フォロワーであることのメリットフォロワーとしての力をつけるとはプロジェクト化=仲間と共にフォロワーとしての自覚とプライドを持つ
個人と組織の関係性本章では、組織のリーダーではなく、フォロワーの立場になって、どう組織を支えていくかに重点を置いて言及する。
まず、本論に入る前に、個と組織の原点について考えてみたい。
なぜ組織に属するのかそもそも、ヒトはなぜ組織に属するのか?この質問は、フォロワーと組織の関係性を整理する際にとても役に立つ。
例えば「なぜ、あなたは今の会社にいるのか?」「なぜ、あなたはこのボランティアサークルに所属しているのか?」このように、現在、あなたが所属している組織を例に、自問自答してみてください。
たいていの人々はそんな当たり前のことを聞かれても……と思われるだろう。
しかし、実は、当たり前のことを文字に落としていくというのは非常に難しく大切な作業である。
それぞれの組織に属する理由は事情によってさまざまあるにせよ、考えてほしいのは人類が組織を作る根本的な理由に立ち返ることである。
第1章の冒頭に「組織とは、意義を持って集まった二人以上の集団」と定義を示した。
この定義にならっても、ヒトが組織を作る理由は、「一人ではできない」からである。
要するに、あらゆる組織はヒトが個人では目的を果たすことができないから存在しているのだ。
他人の力を借りなければ目的を達成できないから組織化するのであって、意味もなく組織は発生しない。
仮に、誰の力も借りずに自分独りの力で目的が達成できるのであれば、会社に行く必要もないし、サークルに入る必要もないだろう。
この組織の存在意義を再認識することがフォロワーとしてのフォロワーシップの発揮につながる。
余談であるが、他の国、特に、イギリス・フランス等のヨーロッパ諸国で先ほどのような「なぜ、組織に属するのか」といった質問をするとほとんどの人が答えることができる。
参考までに、組織文化の違いにおける個人と組織の捉え方の違いというのを紹介したい。
まず日本をはじめとするいわゆる集団主義社会では、ヒトは基本的に何らかの組織に属していることが前提となることが多い。
例えば、自己紹介にしても、多くの日本人は「はじめまして、私は株式会社●●の山田太郎です」と言って名刺を差し出す。
仕事上での挨拶であれば当然だが、プライベートの会話でもその傾向が強いと言われている。
要するに、自分を表現するときに、自分自身の性格や思想ではなく、どの組織に属しているかを重要視してしまいがちだ。
これは、ヨーロッパ諸国の人たちからすれば、少し奇妙に感じるらしい。
彼らの自己紹介では最初に名前、それから趣味や職種(所属会社ではなく、仕事の内容)などから雑談へ発展していくのが一般的だ。
彼らは常に自分自身のことについて語る。
多くの日本人と違って、基本的生活において「個」が自立しているといえるだろう。
また、日本人は比較的、帰属意識というものが強いせいか既に所属している組織から別の組織に移ることを好ましく思わない。
個人がある目的を果たしたいと思った場合、既存組織の中で新たにその目的を立てゴールに向かって進んでいくことが一般的である。
たとえて言えば、多目的サークルのような形態。
今週はテニス、来週は野球観戦、再来週はバーベキューといった具合に、メンバーは常に同じで、やる活動自体が変化していく形がそれに当たる。
「何を」するかより「誰と」するかの方が重要視されており、仕事にしろプライベートにしろ常に同じ仲間と過ごしている時間が多いのが、いわゆるこれまでの日本的な組織の形である。
一方で、西洋人の多くは自分独りでは目的を達成できないという壁が見えてはじめて組織に目を向ける傾向にある。
そこが大きな違いだ。
日本人のように組織があってその組織の中で目的を変えていくのではなく、目的に応じて個が組織を選択していくというのが西洋の基本的な姿勢といわれている。
よって、例えば余暇を楽しむためスポーツクラブを選ぶ際、地域内の全てのクラブを転々としながら探し続ける。
要するに、西洋では個人にとって組織は目的のための一手段と言えるのだ。
もう一つの違いは、日本では集団の中にいることが個人に安心感を与えていると言える。
これまでの公教育の影響かもしれないが「みんなと同じことが正しい」という傾向が強い。
集団の中で他との行動を同じくすることが基本的に安心を生み出す。
一方で、西洋では、集団に入るということは個人では果たせない目的や理由があるための、特別な状態なわけで、それは逆に緊張感を与える。
簡単な例を挙げると、イギリスやフランスなどの基本的に個人主義の強い社会では、実は、サッカーやラグビー、ハンドボールなど集団スポーツの競技レベルが高い。
もちろん、身体的な優位性もあるが、それだけでなく文化的な背景の中に要因がある。
彼らは、極端に言えばチームに属した瞬間から積極度が100パーセントに達する。
例えば、それはトレーニングや練習の段階からそうで、やらされている感や惰性的な態度が圧倒的に少ない。
とにかく普段の単体の自分では味わえない時間と空間に、全力を費やす。
私がイギリスに留学していた際に驚いたことがある。
地元の草ラグビークラブに所属していたころ、練習中にある選手が、突然、練習をやめてグラウンドから消え去っていった。
彼はその直前まできついトレーニングドリルを誰よりも勤勉にこなし、リーダーシップを発揮して若い仲間を鼓舞していたのだが、何かの弾みで手を痛めたようだった。
後でグラウンドから離れた理由を聞いてみたが、「ただ手を怪我したからだ」という。
他のメンバーも理解していたようで、彼の行動を特に問題にしていなかった。
普通の日本人ならば、みんなでやっている練習を途中で抜けることは、ある意味非常識と捉えがちである。
似たようなケースとして、会社でも上司が帰るまでなんとなく帰れない風土や、飲み会にはとりあえず全員参加しなければならない風土などがある。
個人の意思や都合が、組織に完全に負けている証拠だ。
欧米の集団はこうした風土からは対極に位置している。
各人が組織を活用しながら、一人では達成できない自身の目的達成にわがままに全力を尽くす。
私見であるが、個が個人主義を強烈に持った集団の方が、チームスポーツに向いているような気がする。
昔は、集団主義である日本こそが集団スポーツに有利と言われてきたが、最近では、欧米における集団スポーツチームのコーチングやマネジメントが研究対象として注目を集めている。
近代化、情報化、グローバル化などの影響により、いわゆる日本固有の集団主義的風土や欧米古来の個人主義的風土は、徐々に変化している。
けれども、人類である以上、原則的には、組織の存在意義や個人の組織所属の意義は普遍だ。
個が単体では達成できない目的やテーマのために、組織が存在する。
そして、個はリーダーやフォロワーにかかわらず、組織に関わるという意味では対等であるべきであり、個の存在意識が明確でなければ、組織にい続ける必要はない。
リーダーとフォロワーとの関係性においては権限や権力に伴うパワーバランスが生まれるが、組織への関わり方においてはリーダーがフォロワーよりも組織を離れやすいとか離れにくいという議論はそもそも存在しない。
もちろん、リーダーはその立場上責任が重いことが一般的であるため、常識的には組織を離脱しにくいのは否めない。
ただし、誰もが考えなければならないのは、なぜ、組織に参画しているのかという原点である。
日本の社会では、中学を卒業したらなんとなく高校へ、高校を卒業したらなんとなく大学へ、大学を卒業したらなんとなく企業へ就職するといった流れがある。
こうした「なんとなく」の流れは個と組織の関係性を、ついつい意識の外に置き去りにしてしまう。
リーダーにしろフォロワーにしろ、この「なんとなく」の流れに負けてはならない。
なぜ、今、人と人の間にいるのかをきちんと意識できなければ、適切なリーダーシップやフォロワーシップは発揮できない。
特に、フォロワーというのは組織に対して受け身になりがちなため、組織に属する意義やメリットを常に意識して行動することが大切である。
フォロワーの五つの選択肢集団に加わる際の心構えを確認したので、ここからはフォロワーのあり方について考えてみたいと思う。
組織の一員として活動をしていく場合、フォロワーが持つことができる選択肢は五つある。
当然、この議論は個が組織に対して改善や成長を考えていることが前提だ。
1.自分自身の個としての成長を最優先2.仲間(=フォロワー)と共に成長する3.リーダーを成長させる4.リーダーを代える5.組織を脱退するこの五つは、どれが最も正しくてどれが悪いかを議論するものではない。
自分の置かれた状況で判断し行動するものだ。
まず、それぞれの選択肢を説明したい。
まず、「1.自分自身の個としての成長を最優先」とは、組織の良し悪しやリーダーとの相性にかかわらず、所属した組織の中で個としての成長を最優先に考える行動パターンだ。
特に、新入社員や新入部員などは、経験もなく知らないことや分からないことばかりなので、このパターンが比較的合うだろう。
次の「2.仲間(=フォロワー)と共に成長する」とは、自分の個としての成長だけでなく、同僚や仲間といった自分以外のフォロワーと共に成長することに重点を置いたパターンだ。
以上の二パターンが、フォロワーのためのフォロワーシップの行動パターンといえる。
それ以降の3、4、5は、フォロワーが考えるリーダーシップである。
リーダーのリーダーシップを発揮させるために、フォロワーが何をするべきかを追求した選択肢だ。
具体的には次の第7章で説明するため、ここでは簡単な説明に留めておく。
「3.リーダーを成長させる」は、極論であるがフォロワーがリーダーを成長させることに最も重点を置くパターンだ。
例えば、若手リーダーの育成や世代交代する際に考えるべきことである。
「4.リーダーを代える」は、フォロワーがリーダーを別の人に交代させることを目的とした行動パターン。
現行のリーダーを育てるより、より適したリーダーを配置しなければならない場合だ。
実際、この選択肢を選ばざるを得ない状況では、組織はあまりうまくいっていないと言えよう。
要するに、クーデターだ。
最後の「5.組織を脱退する」は、フォロワー自身がその組織から脱退することである。
究極的にはフォロワーがその組織に属している価値を見出せない場合は、直ちに立ち去った方が良い。
要するにフォロワーとしての最終的な手段だ。
後半の三つのパターンは、「フォロワーのためのリーダーシップ」の考え方であるため、詳しくは次章で説明する。
よって、本章では最初の二つに焦点を当てていきたい。
自分自身の個としての成長を最優先組織に属する以上、どのような姿勢で組織に関わるかは、それなりの妥当性が必要である。
単に利己的に自分だけの成長を優先させるのではなく、組織的にも論理的にも納得のいくものでなければならない。
組織が巨大化すればするほど、通常、フォロワー一人ひとりの責任や役割は小さくなる。
さらに、組織自体が硬直し、進化や変化を恐れ、組織の抜本的な改革が困難なときは、一フォロワーが生み出す組織への貢献度は低くなる。
このような場合、フォロワーは自分自身の成長を最優先に考えることが、フォロワーにとっても組織にとっても望ましいといえる。
さて、では実際に組織に所属しながら、自分自身の成長に対して貪欲に行動するということは一体どんなことなのだろうか。
まず、成長とは何を指すのかを整理することが大切である。
自分なりの成長の定義を考えなければならない。
世の中の期待やなんとなくの体裁から判断するのではなく、未来の自分にとって大切なものを成長とする定義が必要だ。
例えば、その業界におけるルーティンワークや基本知識の習得、仕事をうまくやっていくための技術の向上、業界内のネットワークの形成など、人によって成長の定義はさまざまだろう。
しかし、最も陥りがちな落とし穴がある。
それは、個としての「成長」と個としての「成功」を履き違えることだ。
成長=成功と捉え、とにかく数字や実績を作ることだけに集中している人は、いつまで経ってもフォロワーとして成長しないだろう。
フォロワーであることのメリット個としての成長を考えるには、まず、フォロワーであることのメリットを理解しておくことが重要である。
まず、フォロワーは、リーダーに比べ、人から要求されていることが少ないため、自分のことに専念できる環境が多く与えられる。
組織の原理上、人はフォロワーからリーダーになると他に与える影響が拡大する。
また、リーダーの失敗は必然的に組織全体の失敗に直結してしまう。
一方でフォロワーであれば、組織環境に差異はあるものの、自分一人の失敗はそこで完結され、多くの場合、リーダーが責任を肩代わりするか、仲間が穴埋めをしてくれる仕組みになっている。
従ってフォロワーの方が失敗を恐れる必要がないため、思い切って行動できるのだ。
個の成長に焦点を当ててみた場合、失敗は、財産である。
人間は、一度大きな失敗を経て、それから学び再び挑戦して成功を摑めば、それが身体に染み付き、自分の経験知となる。
フォロワーが失敗した場合の組織への影響度は、成果についても同じことが言える。
要するに、フォロワーが上げた成果は、リーダーや他の仲間に吸収されることが少なくない。
となると、当然、フォロワーである間はたくさんの成果を上げて経験を積むよりも、たくさんの失敗をして経験を積んだ方が、フォロワーであることのメリットを活かせるはずである。
フォロワーであるうちに、たくさんの失敗を経験した方が組織にとっても本人にとっても都合が良い。
持論であるが、失敗には二つの種類がある。
開かれた失敗と閉ざされた失敗。
前者は、確実に財産になる。
後者は、失敗の事実すら認識できなかったり、言い訳することで失敗というレッテルを排除してしまうことだ。
では、開かれた失敗をするにはどうしたら良いか。
それは、簡単。
チャレンジをすることだ。
チャレンジした後の失敗こそが血肉となる。
第3章で述べたが、フォロワーのままでいるにしろ、後にリーダーになるにしろ、自分のスタイルを築くことはとても大切なことである。
そのスタイルを確立するために、たくさんのチャレンジが必要だ。
それにはフォロワーという立場が好都合なのである。
フォロワーとしての力をつけるとは「一人前になる」というフレーズを耳にするが、それは実際どのようなことだろうか。
終身雇用の文化も薄れつつある昨今の雇用環境において、自分の知識やスキルをアップさせることに熱心な若手社員は少なくないだろう。
そうした社員たちは、キャリアアップ志向が強く、自分だけの成長を第一に考える傾向にある。
転職や独立を視野に入れたキャリアプランを描いている人が多いのも事実だ。
そうした人たちが組織に属しながら自己成長を図る上で、最も失敗するパターンがある。
それは、いわゆる仕事ができる男、できる女になるために、日々、奔走している人たちが嵌るパターンだ。
これが先ほど述べた、成長と成功を履き違えたケースといえるだろう。
社会人をある程度の期間経験したことのある人ならばお分かりであろうが、日々の一般業務の中で、特別専門的な知識やスキルを使う割合というものは、実は非常に少ない。
革命的な発明を毎分、毎秒、生み出している人がいないように、国家資格を有する医療専門家や法律専門家であっても、本当に専門家でなければできない仕事を朝から晩までやっているわけではない。
日々の多くは、誰でもできる作業で占められている。
分かっていることを確認する、お客や同僚に連絡をとる、会議の準備をする、作業の計画を立てる、業務の報告をする、相談をするといった類のものが大半である。
ビジネススクールで教わるようないわゆるビジネスの特殊なスキルを、世の中の会社員が使っているのかというと、そうではない。
例えば医者であれば、専門部位の手術の腕を磨きたいと思っていても、診察、カルテ作成、同僚医師・看護師との打ち合わせ、外部業者との交渉、研究関連業務がその周辺に莫大にあるのが普通だ。
超専門的なスキルが常に必要というより、日々の一般管理業務であったり、他者とのコミュニケーションが大切になってくる。
誰もができるようなことをやることは、それほど楽しくない。
それができても、あまりうれしくない。
また、毎回きちんとやったとしても別に褒められるわけでもない。
だから、もっとレベルの高いことや新しいことをやらせてもらいたい。
そして自分を高めたい。
そうでないと、やる気が出ない。
これが本音であろう。
向上心が高い若手社員ほど、こうした心境で悩みがちだ。
これが「できる人」を目指した者が、嵌りがちな失敗のパターンである。
やりたい仕事ができる会社に就職した。
しかし、やりたい仕事とはギャップがあった。
ここでは成長できない。
だから半年で辞めた。
これはよく聞く話だ。
また、本人はやる気満々で凄腕のビジネスマンを目指している。
当然、会社も自分にそう期待しているだろう。
しかし、なかなかビッグチャンスが与えられない。
裏切られた気分だ。
何だか、友達の話を聞くと、別の会社の方が、楽しそう……そして転職。
これもよく聞く話だ。
なぜ、これが失敗のパターンなのか。
それは、若手社員に限らず、最低限社会人として求められるものは、仕事が「できる」ことではないからだ。
第4章で触れたダメな新人さんの姿を思い出してほしい。
最も多かったのが「あいさつがきちんとできない」、続いて、「メモを取らず、同じ事を何度も聞く」「敬語が使えない」「雑用を率先してやろうとしない」「ホウレンソウ(報告・連絡・相談)ができない」「同じ間違いを繰り返す」「返事ができない」「自分のミスを謝らない」といった具合だ。
往々にして、ビッグチャンスを狙っている若者は、こうした日々の当たり前の行動を疎かにしてしまいがちだ。
本人たちからすれば、「敬語をきちんと使いなさい!」と上司から怒られると、「敬語の指導なんかより、もっと技術の指導をしてほしいんだよ!」と内心で叫んでいるに違いない。
特に、できる男になろうとしている人、できる女になろうとしている人は、敬語や挨拶に気を使う暇があったら勉強しようと思っている。
しかし、ビジネス経験者は知っている。
仕事ができないことより、敬語が使えないことの方が、ビジネスで失敗することを。
誰もが当たり前のようにできると思われている「挨拶」が実はなかなか難しいことも。
「おはようございます」は、私の3歳の娘でもいえる。
だからといって、彼女がきちんとした挨拶ができるかどうかは、また別の話だ。
挨拶をきちんとするには、それなりの心構えとスキル、経験が必要だ。
相手に正対し、相手より先に、そして明るく、見て見ぬふりをせず面倒がらずに、毎日できてこそ、初めて「挨拶ができる人」となるのだ。
「できる」とは、能力がつくことではなく、日々絶え間なく「きちんと+する」こと。
要するに、簡単な仕事をなめてはいけないのだ。
結局、仕事ができる人は、多少の力の配分はするものの、どんな仕事もなめてかからない。
きちんとやることを大切にしている。
「できる人」と「すごい人」は違う。
「すごい人」は、天才的な能力に恵まれ、他がまねできない独特な成果を上げる。
一方で、一般雑務やルーティンが苦手で、いわゆる常識的なマナーに欠如することが多い。
そのようなタイプの人は、別に仕事をなめているわけではないが、その専門分野だけに集中しがちで、それ以外は「きちんとする」ことができない。
「できる人」は、常に自分のペースを保ち、それが比較的派手ではなく、特別なことをやっているようにも見えないが、きちんと準備して、抜かりなく問題を片付け、確実に成果を上げている人だ。
実は、会社であれ学校であれどんな組織でも、結局は、その人間の能力を見て評価しているのではなく、その仕事に向かう姿勢や態度を見ていることが多い。
特に新人に対しては、物事に向かう態度が評価の基準となり得ることが多い。
物事に向かう態度や姿勢を、アティチュードという。
フォロワーであるときは、スキルやノウハウよりも、アティチュードが圧倒的に大切だ。
なぜなら、リーダーになれば、自分の組織という意識が高くなるため、大半はアティチュードは高いレベルで保たれる。
しかし、組織に対してあまり忠誠心や帰属意識がわかない人間だと、仕事一つひとつに心が込もるはずがない。
少なくとも、リーダーよりもその作業に魂は込められない。
アティチュードで大切なのは、質である。
質の高いアティチュードとは責任を持ってやること。
責任を持ってやることとは、そのものに対して、準備し、実行し、改善するという三つのフェーズが組み込まれていることである。
では、そのアティチュードの質がどのような場面で影響するかを考えてみよう。
準備段階:「あらかじめ言ってくれれば、私だってやりましたよ」実行段階:「時間がもっとあれば、私だってきちんとできたのに」改善段階:「え、すみません、前回はどうやったか忘れました」上司と新人との会話でありがちな発言だ。
多くのフォロワーは、真ん中の「実行フェーズ」だけが自分の責任だと思っている。
課された仕事を「やる」だけ。
そういう姿勢でいると、準備を怠り、次につなげようとしない。
だから、その仕事の周辺にある課題にも気付かなければ、時間配分もできない。
なおかつ、やりっぱなしで、引き継ぎや次への改善の発想など浮かびもしない。
やっかいなのは、それでいて、「やりました感」「できました感」が強い。
責任を持つということは、準備に責任を持ち、実行に責任を持ち、改善に責任を持つことだ。
この三つのフェーズ全てに責任を持つことができれば、それがどんな雑務であっても己の魂が宿り、こだわりが現れる。
そして、アティチュードの質は自然と上がり「真のできる人」につながるだろう。
アティチュードの質が低いということは、「きちんと+する」ことにリスペクトできない証拠である。
フォロワーの段階で、誰でもできる簡単な雑務に心を込めて行うことの難しさや大切を学んでおけば、いつか、リーダーになった場合にフォロワーのアティチュードの質が分かる。
これは、ビジネススクールでは教えてもらえないし、学ぶこともできない。
なぜなら、ビジネススクールは、誰でもできるようなアティチュードが試されるようなフォロワーのタスクをやる場ではないからだ。
もし、フォロワーとしていわゆる雑務に魂を込めてやった経験があれば、自分がリーダーになったときに、自分の部下の本気度が分かる。
一度、同じフィールドで本気になった経験は一つの基準軸となって部下たちのアティチュードの質を測ることができるのだ。
要するに、ビジネスマンとして仕事ができるようになるということは、ビジネスマンとしての知識やスキルを手に入れることではない。
「きちんと+する」を継続させることなのだ。
フォロワーは、無駄だと思える雑務をたくさんやれるチャンスに溢れている。
実はどんな組織でも、意味があるのかどうか不明な仕事というものが存在する。
それが組織だ。
ずっと続いている慣例であったり、文化が残っている。
もちろん、プロセスの中で立ち消えるものもあれば、長年続いていく儀礼的な仕事や雑務も少なくない。
それが掃除だったり、日誌だったり、挨拶だったり、ミーティングだったり、飲み会だったり、と。
意味があるかないかを、追求することは実はとても難しい。
なぜなら、作業自体が同じでも、その背景や環境に応じて、その作業の位置づけや目的が変わってくるからである。
意味のあるなしを、組織全員が共有することは不可能に近く、往々にして解釈を履き違える。
フォロワーとしてのチャンスは、失敗やチャレンジを思い切ってできることだけでなく、そうした雑務をする機会を与えられていることだ。
リーダーになってしまうと、一見無駄なように思える業務に触れる機会をほとんど失ってしまう。
例えば、ある会社で、新人は毎朝、誰よりも早く来て、掃除をするという文化があるとする。
床のごみを捨てて、部署の全メンバーの机を雑巾で拭く。
誰もいないオフィスで半眼を擦りながら、「なんで、オレが、他人のデスクまで拭かないといけないのか」と思うのが普通である。
普段は、自分のことは自分でやれと言いながら、何で掃除はオレにやらせるのか……と不満たらたら。
そう思いながら掃除をしていると、なんとなく先輩たちに気持ちよく挨拶ができない。
すると、その先輩からは「この新人は、挨拶ができない奴だ」と評価される。
これが悪循環のパターンだ。
フォロワーとして仕事ができるとは、正当に理不尽を受け入れることでもある。
これは、仕事をこなしていく上でとても大切なスキルだ。
なぜなら、顧客とのやりとりの中では、そうした理不尽や非常識に思えることがたくさんあるからだ。
一方で、こちらの常識は、あちらの非常識となることだ
って大いにあり得る。
大切なのは、お互いがそのギャップを認識して、調整していくこと。
どんな組織にも、理屈では説明できない文化がある。
それこそが組織のアイデンティティになっている場合も少なくない。
フォロワーとして己を成長させるとは、言い換えれば、全てを受け入れることである。
そのためにも、組織の末端にいる一人間として、フォロワーであることの優位性を基礎認識として持っておくことが大切と言えよう。
プロジェクト化=仲間と共に自分だけでなく、仲間と共に成長したいという意思があるというのは健全である。
仲間と一緒に成長したいと思った場合、最も簡単な方法は、組織に存在する課題をプロジェクト化することである。
いわゆる組織の業務として成り立っているプロジェクトではなく、外野でプロジェクトを立ち上げるイメージだ。
プロジェクトには、必ず期限がある。
また、目的と目標が明確でメンバーが共有していることが大切だ。
テーマは何でもいい。
誰とやるかについても、プロジェクトメンバーというのは、出入りが自由というのがメリットの一つである。
気の乗らない人、合わない人は、気軽に去ってもいいし、気に入ったら別のメンバーを連れてきても構わない。
ただ、同じ組織にいるから仲間と呼び、結束が生まれるかといえば、そうではない。
大切なのは、時間と空間、想いを共有することである。
漠然とした課題でも、プロジェクト化すれば、なんとなく、やりがいが生まれる。
それは、期限ができることで、緊張が生まれ、具体的な目的と目標ができることで、責任が生まれるからだ。
自主プロジェクトのメリットは、成果に対する当該組織やリーダーからの評価を一切受けないことである。
要するに、自由に発想し、自由に行動、やめようががんばろうが、誰からも制約や制裁を受けることのない、フリーな立場であるからだ。
やりたければ、やる。
それは、どんな理由でも構わない。
また、このプロジェクト化に必要なのは、基本的に当該組織上のリーダーを入れないこと。
ここはあくまでも、フォロワーだけでプロジェクトメンバーを組んだ方が良いだろう。
もし、そのプロジェクトに当該リーダーが参加表明をしてきたら、こっちのものだ。
肩書きを逆転させればいい。
そうした方がうまくいくはずだ。
なぜなら、そうしないと、普段の上下関係、通常の業務の延長となりがちで、形式的なプロジェクトとなる。
コツとしては、プロジェクト化を極秘にしておくことも良い。
例えば、ある仕事場でのお話。
A:最近、うちの部署、不況の打撃を受け、忙しさが増しているにもかかわらず売り上げも上がらない。
だから、オフィスは溜め息ばかりで元気ないなあ。
B:じゃあ、わたしたち三人で「元気プロジェクト」を立ち上げてみない?C:いいねえ、最近、会社がつまんなかったから、どうやったら元気が出るのか真剣に考えてみるのもいいね。
B:けれど、そもそも、人が元気を出すのに、理由っているんだっけ?人が気分が良くなったり、元気を出すのに、理屈はいらないよね。
だって、わたし、どんなに落ち込んでいても、ドーナツ食べれば幸せになるもん。
A:ああ、そういえば、オレもどんなに疲れていても、風呂上がりのビールをくいっと飲めば、ニヤニヤしてるなあ。
B:じゃあ、この職場でできることってなんだろう?とにかく、なんかこの不景気のいやな雰囲気を吹き飛ばすために、何か変えればいいんじゃあない?C:ああ、そうだね。
オフィスに音楽を流したり、花や絵を飾る。
あと、気分転換に座席の配置換えをしたり、朝のあの眠い会議をスタバでやるとか。
そういえば、D君って飲み会でよく手品やるけど、それを休み時間にステージを作ってやってもらうとか。
B:いいねえ、だったら、Dさんもこのプロジェクトに入れようよ。
C:いいね。
じゃあ、今からメールしてみよう。
B:期限は、あまり長くても意味ないから、特に理由はないけど、来月のわたしの誕生日までっていうのはどう?A:ずるいねえ、そこで、誕生日を祝ってもらおうっていう作戦?まあ、いいか。
どうせ、彼氏もいないんだろうから、みんなで誕生日会をプロジェクト打ち上げ会と一緒にしよう!ほんの簡単な例だが、こうした具合に非公式のプロジェクトができれば、自然とアクションを起こしやすい。
プロジェクト化によるメリットは次のようなものである。
まず、自主的に発案してプロジェクトをスタートすることで責任感が生まれ、期限を決めることでやりがいが生まれ、一つのことをやりきることでメンバー同士の一体感が生まれる。
もちろん、通常業務や活動でできれば問題はないが、組織の本来の業務であれば、組織が必ず責任をとらなければならない。
非公式のプロジェクト化の利点は、外部に対して原則的には責任がないことだ。
先の元気プロジェクトが失敗しても、誰からも咎められないように、要するに、気楽であり、いい加減なのである。
ぜひ、皆さんにも、試してもらいたい。
フォロワーとしての自覚とプライドを持つ再三言及してきたが、組織においてフォロワーであることは、成長を図る上でとても恵まれたポジションである。
しかし、実際にそのメリットを自覚し、享受している人がとても少ないのが現状だ。
それは、これまで多くの組織では、誰もがリーダーになることが最終目標であるかのように育成され続けてきたからだろう。
持論であるが、あえてリーダーを目指さず、フォロワーに徹することに誇りを持って、フォロワーとしての役割を全うするというプライドを持った人たちにも焦点を当てるべきだと思う。
今こそ、あまり表舞台に立たない陰の立役者が、組織の本当の危機を救い、確固たる基盤を作るのではないかと感じている。
しかし、実際は、フォロワー本人にそうした自覚があったとしても、それだけでは真のフォロワーは育たない。
組織がきちんとフォロワーを評価し、プライドを持続させ、役割を機能させる土壌を整備することが必須である。
そうでなければ、恐らく、これまで通り誰もが不自然に違和感を抱きながらリーダーというポジションを目指していくだろう。
いつの日か、フォロワーが普通に、かつ、自然体でリスペクト(尊敬)されるような組織が、バランス良く活躍していることを期待したい。
コメント