洞察49代打は神様か
気持ちのコントロールが、どれほど結果に影響を与えるか。
現役を引退した2013年にあらためて実感することになった。現役最後のシーズンとなった2013年は、代打で出場する機会が増えていた。
ところが、この代打という役割が想像以上に難しかった。先発出場した場合は1試合で4打席程度は打順が回る。一方の代打は1打席での勝負だ。
相手投手が投げるボールに目が慣れていないという事情があった。さらには走者を置いた場面での起用が多いため、相手も細心の注意を払って投げてくる。
均衡した試合では、セットアッパーや抑えといった力のある投手と対戦する機会が多いという理由もあった。ああでもない、こうでもないと考えれば考えるほど深みにはまり、結果が付いてこない。
現役引退を発表する8月26日まで、代打では23打数で1安打しか打つことができなかった。その代打での成績がシーズンの終盤に好転することになった。
引退発表後には25打数で12安打と、自分でも驚くような結果が出たのである。「これまで一生懸命やってきたから、野球の神様が最後にご褒美をくれているのかな」と思えるほどであった。
残り打席は少ないのだから、悔いのないようにバットを振ろう。それだけを考えて打席に立っていたら、良い結果が続いたのである。
実は発想を転換させてくれる、大きなきっかけがあった。
現役時代、阪神で「代打の神様」と呼ばれた川藤幸三さんがくれたアドバイスだった。夏場に差しかかった頃だった。甲子園球場での練習中に、球場を訪れていた川藤さんに「代打の極意はあるのですか?」と尋ねた。
いつもの口調で返ってきたのは、予想外の言葉だった。
「お前はアホか。代打は補欠や。代打の切り札とか、代打の神様とか、ええかっこして言われるけど、そんなもん、真に受けたらあかん。代打は補欠や。ほんまに期待されとったら、監督は4回打席に立たすやろう」
代打という新しい役割への適応に苦しんでいた私にとっては、目からうろこが落ちる思いだった。
周囲やメディアから「代打の切り札」「代打の神様」と呼ばれようが、先発起用されないならチームの中では補欠である。
3回バットを振って、それで駄目ならベンチに帰ってきたらいい。
「打てへんかっても、しょうがない。もし打てたら、こっちのもんや」それぐらいの心持ちで打席に向かった方が、結果につながりやすいというのである。
良いことを言うなと思ったのだった。
もちろん、監督は期待をかけて代打に送り出しているのだが、自分自身で必要以上に重圧を感じることはない。例えばチャンスの場面では、全てヒットを打たなくてもいいのである。
外野フライで点が入るのなら外野フライでいいし、内野ゴロで点が入るのなら内野ゴロでも最低限の仕事をこなしたことになる。
一つの役割で結果を出している人は、やはり気持ちのコントロールに長けていると感じた。会社の中で新しいポジションを任されたが、結果が出ないと悩んでいる人にも同じことがいえるのかもしれない。必要以上の重圧を感じることは、行動を制限することにもつながりかねない。
時には楽な考え方も試してみる。
自分を追い詰めるタイプの人ほど、違う視界が開けてくるかもしれない。
「お前はアホか。代打は補欠や。代打の切り札とか、代打の神様とか、ええかっこして言われるけど、そんなもん、真に受けたらあかん。代打は補欠や。ほんまに期待されとったら、監督は4回打席に立たすやろう」
洞察50組織に不可欠なムードメーカー
形がない力の一つに、雰囲気というものが挙げられるだろう。チームの中にムードメーカーと呼べる存在がいるかどうかで、ベンチやロッカー内の雰囲気は大きく変わってくる。
プロ野球のシーズンは長丁場だ。
時には連敗が続いたり、何をやってもうまくいかなかったりという時期が訪れる。そういった結果が出ない時期にチームの全員が下を向いてしまうよりは、明るく前向きな選手が一人でもいた方が良い。
チームとしてポジティブな雰囲気を保つことができた方が、好結果につながりやすいのは当然だろう。
チームのムードを形成するためには、ただ明るければいいというわけではない。おちゃらけることとは、似ているようで異なるからだ。
例えば、自分が試合に出ないときはベンチで大きな声を出すが、いざ自分が試合に出場すると縮こまったようなプレーしかできない選手もいる。
これではベンチでおちゃらけているだけで、チームのムードは形成できない。
自分の仕事を前向きにこなしつつ、さらに周囲を明るくできるのがムードメーカーと呼べる存在だ。
2006年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)、2008年の北京五輪の日本代表でムードメーカーと呼べたのが、川﨑宗則(現ソフトバンク)だった。WBCや五輪のような日本代表の試合には、各チームの主力選手が集まってくる。
普段はチームで主役として活躍している選手たちが、日本代表ではベンチを温めることも多いのだが、川﨑は進んで裏方の仕事を引き受けてくれた。
練習中からとにかく明るいし、ベンチやロッカーでもよく声が出る。それだけでなく、WBC決勝のキューバ戦では、捕手のブロックの隙間から右手をねじ込んで生還と、試合を決める大事な仕事も成し遂げた。
何よりも彼のすごいところは、そのスタイルが一貫しているという点だ。米国に渡ってからも、変わらなかった。
言葉が通じないので、インタビューにとんちんかんな受け答えをするときがあったが、それもユーモアとして米国でも人気になっていたという。
もちろん、試合で結果も残していた。日本代表のような即席のチームでは、なおさら川﨑のような存在は貴重だった。
ヤクルトでいえば度会博文(現ヤクルト球団職員)や三木肇(現ヤクルトヘッドコーチ)がムードメーカーといえた。どちらも代打や代走が主な仕事となっていた。
自分の出る場面がある程度分かっているからその場面に集中していたし、それ以外のときはチームメートがプレーしやすいようにと気配りをしてくれた。
私が打席で凡退してベンチに帰ってきても、よく声を出してくれた。二人とは年齢も近いので試合後に食事に行く機会も多かった。
明るい性格の選手と一緒にいた方が、自分も明るくいられるという利点もあった。雰囲気作りの重要性は、個人に対してもいえる。
私自身、故障してリハビリをしている最中には、あえて明るく振る舞うように心掛けていた。
笑顔でいた方が細胞が活性化されて免疫力が上がるというが、ただでさえ苦しいリハビリを暗い顔でやっていたら、治るものも治らなくなってしまうという考えがあったからだ。
私自身は小さいときから人を笑わせることが好きだったが、一方で考え込むことも多いタイプだった。
変えてくれたのは妻の存在だろうか。妻が全く逆の明るい性格だったことで、自然と前を向けるようになった。
洞察51チーム運営での役割の重要性
プロで生きる術を教えてもらったのが野村克也監督なら、プロの世界に導いてもらったのは、2013年に私が現役を引退したときのヤクルト監督だった小川淳司監督である。
社会人野球のプリンスホテルから入団した1995年当時、担当スカウトをしていただいた。今でも年に一度、同じく小川監督の担当だった石井弘寿(現ヤクルト一軍投手コーチ)、度会博文(現ヤクルト球団職員)と4人で食事をさせてもらっている。
「いつか、宮本を獲って良かったと言ってもらえるように頑張ります」入団発表の当日、私が小川監督に言った言葉を今でも覚えてくれているのだという。
スカウトの世界では「担当した選手が(入団時の)契約金を年俸で稼げるようになったら成功」といわれているそうだ。
東京都武蔵村山市にあったプリンスホテルのグラウンドに何度も足を運んでもらっていたが、当時は自分が守備だけの選手という負い目をどこかに感じていた。2013年に小川監督が指揮を執る下で現役を引退できたのは、選手として幸せなことだった。
一選手が小川監督を評するのはおこがましいが、監督と選手として過ごす中で勉強になったのは、青木宣親(現大リーグ、メッツ)の起用法だった。
小川監督は監督代行となった2010年途中から、3番を打っていた青木を1番に変えた。毎年3割以上を打つ青木ほどの打力があれば、誰が監督でもポイントゲッターとして3番で起用したいものだろう。
ところが、小川監督は青木を1番に固定して戦うことを選択した。当時の青木には高い打撃技術がある一方で、まれに集中力を欠いてしまう場面があった。
3番や2番に置くと試合状況を考えなければならない打席が増えるため、安打することに長けた青木の長所が死んでしまうことが多かった。
それならば、出塁することだけに集中できる1番に置いた方が青木の長所は生きる。小川監督はそう考えたのだろう。
1番に固定したことで青木はその年、打率3割5分8厘で首位打者を獲得した。
どんな組織であっても、プレーヤーが同じ方向を向かなければチームとして最大限の力を発揮することはできない。
プロ野球の世界でいえば、一軍のベンチに入る選手は28人。二軍と往復する選手を含めて年間30人から40人の選手が実際の戦力となるわけだ。
もちろん、30人から40人のプレーヤー全員が同じ志を持って戦うのが理想だが、現実には難しい。主力選手や控え選手といったチーム内で置かれた立場が異なれば、それぞれの性格も異なる。
長いシーズンを戦っていく上では、首脳陣の起用法に不満を持つ選手が出てくる。
チームの負けが続けば、個人成績に走る選手も出てきてしまうからだ。
私自身、以前はチーム全員が同じ志を持たなければならないと考えていた。
だが、小川監督のマネジメント法を間近で見て、別の考えを抱くようになった。プレーヤー全員が同じ志を持てないのだとしたら、指導者が同じ方向を向く「役割」を与えればいい。
たとえ個人が違う方向を向いてしまったとしても、「役割」を限定することでチームとしてのベクトルを同じ方向に向けることはできる。
チーム運営における「役割」の重要性に改めて気付くことになった。プレーヤー全員が同じ志を持てないのだとしたら、指導者が同じ方向を向く「役割」を与えればいい。
洞察52点がつながって線になる
野球の要素の一つに打順がある。1番から9番まで9つの打順には首脳陣が期待する役割があり、点がつながって初めて線になるわけだ。
現役時代の私は何番バッターのイメージが強いだろうか?脇役ということで、2番というイメージを持っている読者の方も多いことだろう。
公式戦では4番と9番以外の打順を打ったことがあるが、何番が自分に合っていたかというのは、今でもよく分からないというのが本音だ。
2番打者の役割とは何か。言うまでもなく、走者がいる場面では、送りバントや右方向への打撃で次の塁に進めること。走者がいない局面では、ヒットを打ち、四球を選んでクリーンアップの前に出塁することが求められる。
基本的には置かれた状況に対応した打撃ができる、器用な選手が置かれることが多い。現役時代を振り返ってみると、私はそこまで四球を多く選ぶタイプのバッターとはいえなかった。
19年間の通算で四球は398個だ(そのうち敬遠四球は36個)。シーズン別で見ても、2003年の38個(同1個)が最多だった。
2番打者としてのイメージがあるにもかかわらず、四球が多くなかったのには理由がある。
私には長打力がなかったので、相手投手がストライクを取りに来るボールを、確実にバットの芯に当ててヒットにすることを優先して考えていた。
早いカウントから打つことを選択することが多かった結果、粘ってフォアボールを選ぶという場面が少なかったわけだ。
9つの打順にはそれぞれの役割があると書いたが、2番打者には1番打者との連携が求められる場面が多い。1番が出塁をして、2番が進める。あるいは、1番がミスをしたときには2番がカバーしなければならない。
個人的に相性が良かったと思っているのは、同じ学年の真中満(前ヤクルト監督)との1、2番だった。1番の真中が自由に打ち、2番の私がある程度をカバーする。1、2番としての関係性が自然と出来上がっていた。
一度など、真中が3打席連続で回の先頭打者で初球を打ってセカンドゴロに倒れたことがあった。1番の真中が初球で倒れた分、今度は2番の私が打席で粘らなければならない。
3打席目はさすがに待つだろうなと思ったら、また初球を打ってセカンドゴロだった。
「マンさん(真中の愛称)、ちょっとやめてくれよ」と言うと、「だって2打席続けて初球アウトになったら、相手(バッテリー)は次は初球を打たないと思っているでしょ」と返ってきた。
いかにもポジティブな思考をする真中らしい言葉である。「それはそうだけど、じゃあヒットを打ってくれよ」と言い返したのを覚えている。
それぐらい、真中はプラス思考で前向きな性格の選手だった。
1番打者として、チームに勢いを与えるには適したタイプの選手といえた。
マイナス思考で最悪の事態から想定する私とは、性格的にも相性が良かったのだろう。
洞察53それでも目指すべきは「主役」
現役を引退してから、少年野球のチームでコーチを務めている。
長男が入団した少年野球のチームから「もし良かったら、うちのチームでコーチとして野球を教えてもらえないか?」と声をかけてもらい、少しでも役に立てればと引き受けたわけだ。
少年野球のチームには、さまざまな保護者がいる。大学、社会人まで野球をプレーしていたような人もいれば、自身は全く野球経験がないという人もいる。
保護者の年齢や就いている職業もさまざまで、初めて聞くような話題が上ることも多い。少しでも役に立てればと思って引き受けたコーチだが、私自身が充実した時間を過ごさせてもらっている。
練習試合などでは、他のチームの方に話しかけられる機会もあるが、保護者からはこんな質問を受けることが多い。
「息子さんには宮本さんのような選手になってほしいと思いますか?」答えは全くの「ノー」である。
「洞察脇役が主役に変わるとき」週刊ダイヤモンドでの連載時にも、このようなタイトルにしていたが、現役時代の私はとてもチームの「主役」と呼べるような選手ではなかった。
打席ではランナーを進めるためにバントをしたり、右方向に進塁打を打ったりする「脇役」の選手だった。どうして自分の息子にも、せっかくの打席でバントをしたり、あくせくと逆方向に打ったりしてほしいと願うだろうか。
できることならば、ベンチからノーサインで「おまえに任せた」と言われるバッターになった方がいい。ピッチャーならば、球速160キロを投げる圧倒的なエースになった方がいい。
可能性のあるうちは「脇役」ではなく、チームの「主役」を目指してほしいと思うのである。少年野球のコーチとして子供たちを指導する上でも、同じことがいえる。
小学校の低学年は体格の個人差が大きい時期だが、小柄でバットに振られてしまうような子供にも「ホームランを打つように練習をさせましょう」と声をかけている。
たとえ今は体が小さくとも、4、5年後には、身長が180センチメートルに伸びているかもしれない。そうなった場合にこつこつと打つ練習ばかりをさせていては、選手としてのスケールが小さくなってしまう。
指導者が選手の可能性を限定することで、将来性を奪うこともあるのである。
小学生のように可能性が広がっているうちは全員がホームランバッター、エースといったチームの「主役」を目指した方がいい。
いつかは、他者と比較する中で自分は「脇役」に徹しなければならないと気付くときが来る。それまでは、周囲が可能性を限定することはないのである。
以前、ヤクルトで監督を務められた古田敦也さんと野球教室で一緒になったときに、こんな言葉をかけられたことがあった。
「息子には、『バントなんかしたくない』と言ってほしいよな」まさに、その通りである。
小学生のように可能性が広がっているうちは全員がホームランバッター、エースといった「主役」を目指した方がいい。いつかは、他者と比較する中で自分は「脇役」に徹しなければならないと気付くときが来る。それまでは、周囲が可能性を限定することはない。
洞察54日本代表キャプテンの役割
2020年東京五輪の追加種目として、野球・ソフトボールの採用が決まった。野球界全体にとって東京五輪での成否が持つ意味は重い。自国開催で日本国中が盛り上がる中、金メダルを獲得すれば野球人口の底辺拡大につながる。
東京五輪以降も野球が正式種目として採用されるような好印象を残し、「次」につなげることも求められる。東京五輪を戦う日本代表の選手たちは、日の丸とともに大きな使命を背負うことになる。
後の「組織」の章でも触れるが、私は、プロ野球のチームにはキャプテン制は必要ないと考えている。プロ野球選手は個人事業主である。選手全員が個人の生活を懸けて戦っている。
キャプテンは個人よりチームを優先して考えなければならない立場で、自分とポジションを争う選手も応援しなければならないという矛盾が生じるからだ。
しかしながら、日本代表という即席のチームにおいては、キャプテン制は必要だと思っている。
小久保裕紀前監督が率いた際には数年間かけてチームを作り上げたため、最後はキャプテン制を敷かなかった。
しかし、短期決戦では特定の人物に責任を背負わせた方がチーム全体としての方向性を示しやすい。
首脳陣の考えを伝達するという部分でもキャプテン制は有効だ。
所属チームとは違い、日本代表では個人成績よりもチームの勝敗を最優先に考えることができるという側面もあるだろう。
それでは、東京五輪を戦うであろうメンバーの中でキャプテンに相応しい選手は誰だろうか。私は坂本勇人(巨人)しかいないと考えている。国際大会の経験も豊富で、年齢的にも日本代表の中心となるべき年代だ。
2016年シーズンに首位打者を獲得した実力をとっても、日本代表のキャプテンは坂本しか思い浮ばない。その意味でも、彼にはよりしっかりとした自覚を求めたい。
2017年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)期間中に、一度注意をしたことがあった。守備練習の際に捕球できそうもない打球に向かって、彼がグラブを投げつけていたのである。
いくら練習中とはいえ、日本代表の中心選手がとるべき振る舞いではない。他球団の若い選手は彼の背中を見ている。現役時代、彼には合同自主トレで守備を教えたことがあった。
ベンチに戻ってきたときに「こんにちは」とあいさつをしてきたので、「おい、ジャパンのときにグラブを投げるなよ」とあえて厳しい声をかけることにした。
野球の素晴らしさを伝えるのも、日本代表の役割と言えるからだ。五輪は日本人の良さを世界にアピールできる舞台でもある。
例えば死球を与えたとき、日本人は帽子を取って謝ることができる。ところが、これを米国の選手がすると臆病者と罵られることになる。
文化の違いと言ってしまえばそれまでだが、素直に頭を下げられるのは日本人の美徳と言える。
思い出すのは北京五輪のアジア予選での出来事だ。
対戦相手の韓国代表が開始直前になってスターティングメンバーを大幅に入れ替える手段に出たことがあった。プロの大会ならまだしも、スポーツマン精神を謳う五輪にはそぐわない行為だと感じた。
競技は違うが、サッカーでは日本のサポーターが試合後にスタンドを掃除して帰る姿が世界で報じられることが多い。日本人にとっては当たり前の行為が、世界的に評価されるのはうれしいことだ。
もちろん競技での勝敗も大事だが、五輪には各国の文化を改めて知るという面もある。だからこそ、東京五輪を戦う日本代表の選手たちには自覚を求めたい。
日の丸を背負った選手がプレー中にガムを噛んだり、唾を吐いたりしては寂しい。五輪の重みが増す中、選手が軽くなってしまってはいけない。
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