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第 7章 「単純に考える」抽象化思考力

□抽象化思考力のポイント □抽象化とは「一を聞いて十を知ること」 ■共通の性質から応用力を広げる/ ■抽象化思考のプロセスは「逆 U字型」/ ■本質に迫るための抽象化/ ■抽象化レベルの違いに見る「改善」と「改革」の違い □「モデル化」でシンプルに考える ■自然科学の標準アプローチ/ ■図解でモデル化力を鍛える/ ■枝葉を切り捨てる/ ■「牛を球とみなす」という発想/ ■知れば知るほど遅くなる?/ ■情報量が増えると本質が見えなくなる/ ■本質を理解すれば「三〇秒で」説明できる/ ■「三〇秒チェック」で頭の整理を □アナロジーで考える ■「自分は特殊である」という思い込みを排除する/ ■抽象化能力の高い人はたとえ話がうまい/ ■たとえ話の効用の例/ ■「なぞかけ」は日本伝統のアナロジー能力開発ツール □抽象化思考の留意事項 ■抽象化と具体化をうまく組み合わせるべし/ ■「過度の一般化」にも注意すべし ■第 7章のまとめ

□抽象化思考力のポイント 三つの思考能力の締めくくりとして、「単純に考える」抽象化思考力について、その意味するところ、効用、応用例等について具体的に説明する。

第 3章で述べた抽象化思考力のポイントを再整理しておこう。

抽象化思考とは、対象の最大の特徴を抽出して「単純化」「モデル化」した後に一般解を導き出して、それを再び具体化して個別解を導く思考パターンのことである(図 7- 1)。

また抽象化に重要なキーワードは三つで、 モデル化、 枝葉の切り捨て、 アナロジー(類推:ある事象を類似のものから説明すること)であった。

□抽象化とは「一を聞いて十を知ること」 そもそも抽象化して考えることがなぜ必要なのか。

それは「限られた知識の応用範囲を飛躍的に広げる」ためである。

「一を聞いて十を知る」ためと言ってもよい。

抽象化の概念が最も顕著に活用されるのが、物理や数学等の自然科学の分野である。

我々の身の回りでも、一見違うものに対しても本質を見きわめて単純化すれば同一の原理を多数のものに適用して解を導くことが可能になるのである。

「モデル化」「枝葉の切り捨て」「アナロジー」のビジネスや日常生活への適用範囲はきわめて広い。

モデル化・一般化して考えることの苦手な人は自分の経験のみに依存するあまり「自分の会社(業界)は特別だ」という意識が強く、他社や他業界、あるいは別の世界でやっていることをアナロジーとして自分の業務に取り入れるという発想ができない。

そのために現状の延長でのみものごとを考えてしまい、斬新な発想をすることが苦手である。

また「枝葉を切り捨てる」ことができない人はついつい最終結果への影響度を度外視して例外事項に固執して完璧主義に陥り、何をするにも時間がかかってしまう。

■共通の性質から応用力を広げる 「共通点を探す」あるいは「パターン認識する」というのは、「考える」という行為の中でも最も基本かつ重要といえる能力の一つである。

我々の身の回りに起きている課題を一つ一つ個別に解いていたらいくら時間があっても足りないし、過去の類似の経験を生かすこともできない。

過去に行った解法や公式を一般化しておいて、個別の事象をその一般化されたモデルに当てはめていけば、限りない応用が可能になるのである。

これは数学や物理学における「公式を当てはめる」というのと同じである。

公式を当てはめるためには、そのためのパターンを個別の事象の中から見出して適用していくということが必要になってくる。

■抽象化思考のプロセスは「逆 U字型」

抽象化思考のプロセスの詳細を整理しておこう。

もう一度図 7- 1を見てほしい。

一番目のプロセスが抽象化・モデル化である。

これは課題の対象とする事象の特徴を抽出して一般化し、取り扱いが簡単な形にすることである。

そして次のステップが抽象化したモデルにおける解の導出である。

ここで、図 7- 1でいう「下のレベル」(具体レベル)ではなく、あえて一度「上のレベル」(抽象レベル)に引き上げてから解を導くのはなぜか? 基本的な理由は「上のレベル」で解くことによって格段に解を導く可能性が広がるのである。

これには大きく三つのパターンが考えられる。

第一にモデル化して事象をシンプルにすることによって解が導きやすくなることが挙げられる。

第 3章で紹介したフェルミ推定の電柱の例題がこのパターンである。

二番目のパターンは、抽象化することによって、すでに存在している公式や法則が使えるようになるということである。

物理学や工学における、実世界での事象を単純化して公式をあてはめて解を導くというのが典型的な事例である。

そして三番目が、公式化まではされていないがすでに類似の経験をした先人の知恵を利用することである。

一般的に我々が直面する課題というのは、すでに他の人が経験ずみであることが多い。

他の世界の人であったり、昔の人であったり、海外の人であったりと利用可能な知識・知恵はいくらでも世の中に転がっている。

ただし、そのものずばりという形で存在していることは少ないので、抽象化・一般化することによって適用可能な形に咀嚼する必要があるのである。

そうすれば先人の名言やことわざといったものまでが利用可能になってくるのだ。

例えば「急がば回れ」ということわざをこれまで延べ何億という人が活用してきただろう。

「急ぐ」とか「回り道をする」という言葉は一般化されているからどんな人にもどんな場合にも適用でき、数々の問題解決に役立ってきたにちがいない。

ただし、実際に「急いでいる」課題の状況は、「一週間先の投資の意思決定を急いでいる」のかもしれないし、「一〇分後の友人との待ち合わせに間に合うよう急いでいる」のかもしれない。

同様に「回り道をする」という解決策の方法も適用する人によって千差万別なのだ。

そして、プロセスの最後がこうして「上のレベル」で導かれた解を再び具体化して我々がもともと求めていた解に導くことである。

つまり抽象化プロセスというのは、一度対象物を 「二階」(つまり抽象レベル)に上げて、 二階にある「道具」で解決し、 再び「一階」(具体レベル)に下ろしてくる」という三ステップのプロセスによるものである。

二階にある道具とは、これまで先人が積み上げた法則や知識であり、これを利用することによって様々な問題解決が図れるようになるのである。

このように、抽象化思考プロセスは「逆 U字型」の三ステップになっている。

第 3章のフェルミ推定の電柱の例題で具体的にこのプロセスを見てみよう。

図 7- 2を見てほしい。

この例題を具体レベルで(一階で)解こうとするというのは、すべての電柱を一本一本数え上げることに他ならない。

そこでこの場合は電柱の配置を一度モデル化することによって抽象レベルに引き上げて、そこで簡略化されたモデルを用いて計算を実行し、そこで算出した結果をさらに電柱の本数として具体的に認識し直して解答を算出するという手順を踏んだのである。

■本質に迫るための抽象化 抽象化するもう一つの重要な意義は、表層的でなく根本的、本質的なレベルでの問題解決が図れるという点である。

単に表層的な解決というのはいわゆる「もぐらたたき」的な解決で、表に見えていることをつぶしていくだけだが、抽象化することによってより深い、本質的な解決を図れるので、汎用的・永続的な解を導くことができる。

以下に具体的な例を挙げよう。

■抽象化レベルの違いに見る「改善」と「改革」の違い

企業変革をするときに使われる言葉に「改善」と「改革」という言葉がある。

これらの違いは何だろうか。

いろいろな定義はあるだろうが、抽象化思考の観点からいえばそれは「問題解決の抽象化レベルの違い」である。

図 7- 3を見てほしい。

具体レベルでの課題を裏返した解決策をそのまま実施するものが改善で、その課題を一度抽象化して本質を追究した上で解決策を具体的に落としてくるのが改革である。

具体的な例をケーススタディで見てみよう。

(図 7- 4) 法人を顧客とするビジネスを営む X社で、長年の得意客である Y社の売上げが落ち込んできたために対策を考えることになった。

ここで二つのアプローチが考えられる。

前述したような改善的なアプローチか改革的なアプローチかのいずれかである。

まずは表層的に問題解決を図る、改善的なアプローチを考えてみよう。

Y社の売上げが落ちたのだからその事象に直接対策を打つというのが改善的アプローチである。

したがって、 Y社担当の営業マンをスキルの高い人に変えるとか、 Y社に対しての値引率を上げるとか、 Y社向けに特別プロモーションを適用する等の施策がこれに相当する。

次に改革的なアプローチを考えてみる。

Y社の売上減少の原因をさらに「なぜか?」という観点で深掘りしてみると、 Y社に対しての売上げのみならず、新規顧客に比べて昔からの得意顧客の売上げが軒並み減少し、ひいてはそれが全社的な売上げの停滞につながっていることがわかった。

つまり根本的な課題は、新規顧客の開拓にエネルギーを注ぐあまり、本来守るべき上得意顧客が十分にケアされていない、いわば「釣った魚に餌をやらない」という状態になっていたのである。

一般的に既存顧客から繰り返し受注をもらうよりも新規顧客を獲得する方が何倍もコストがかかるという原則があるので、このような結果が起きてしまったのである。

そこでの改革の施策は、すでにマーケティングの世界で手法として確立されている「キーアカウントマネジメント」という顧客管理手法を適用することができる。

それは例えば、重要顧客専用のチームを設置して顧客と(点ではなく)「面」の関係を築くとか、それによって顧客の経営課題により入り込んだ提案を行っていくとかいった手法である。

これを具体的に X社の業界や Y社との関係にうまく当てはめていくことによって Y社との関係を改善することがより根本的・本質的な改革としての施策につながるのであり、その効果は Y社のみにとどまらず、上得意客全般に及ぶのである。

□「モデル化」でシンプルに考える シンプルに考えるための有効なツールがモデル化である。

「モデル」とは事象の持っている本質的な特性のみを切り出して単純化したものであり、モデルで考えることによって問題解決が容易かつ応用範囲の広いものとすることができる(電柱の例題を思い出してほしい)。

■自然科学の標準アプローチ このモデル化という概念を用いる典型的な分野が数学や物理学等の自然科学の分野である。

例えば「ものが落下する」という事象のモデル化を考えてみよう。

ものが落下するという物理的事象には、そのものの質量と重力定数が支配的に作用することがニュートンの万有引力の法則によってわかっている。

したがって、「石が山から落下する」のも「ボールペンが机から落ちる」のも同じように、「質点」と「質量」という形で物質の大きさや構成要素にかかわらず同じように扱ってしまって公式を当てはめることによって森羅万象を説明しようという考え方である。

■図解でモデル化力を鍛える 前章のフレームワーク思考力の説明で、「図解して考える」ことの有用性について述べた。

この「図解して考える」ことは抽象化思考力にも深く関連しており、特にモデル化する力を鍛えるためにも非常に有効である。

そもそも図解するというのは問題解決であれ何であれ、対象とする事象の特徴をとらえて簡略化し、特定の図形で代表させるという点でモデル化の発想そのものであり、図形化の訓練をするということはモデル化の訓練そのものと言ってもよい。

フェルミ推定の電柱の事例等で、第 3章で示したような「格子状にする」というのも図形化 =モデル化の発想である。

■枝葉を切り捨てる 抽象化思考の次のポイントは「枝葉を切り捨てる」ということである。

前述の「モデル化」を考える上で「単純に考える」抽象化には必須の考え方である。

モデル化、一般化をするには、事象の本質を見抜くとともにその本質と関係のない部分(つまりこれが枝葉である)をばっさりと切り捨ててものごとを考える習性が必要になってくるのである。

■「牛を球とみなす」という発想 ローレンス・ M・クラウスはその著書『物理学者はマルがお好き』(ハヤカワ文庫)の中で「牛を球として考える」という表現で物理学者がいかに対象物を大胆にモデル化するかという例を紹介している。

あるいは第 3章のフェルミ推定の電柱の例題でも、「日本列島を長方形とみなす」とか、「全国の電柱の配置を格子状に近似する」というような大胆な近似を試みている。

こうした議論は、几帳面で律儀にものごとを進めていくタイプの人にはきわめて「乱暴」と写るに違いない。

複雑な海岸線を直線とみなすとか、(実際にはありえない)電柱が二〇〇 m角の格子状に配置しているとか、そんな暴論がゆるされていいのかと思うだろう。

抽象化とは枝葉を切り捨てることであると前述した。

では、ここでいう「枝葉」とはいったい何なのか? 「枝葉を切り捨てる」ということの最大の課題は枝葉にこだわっている人というのはそれが枝葉であることに気がついていないことなのである。

どこまでが枝葉で、どこからが枝葉でないかというのは、状況によって異なる。

考えるという行為を通じて問題解決を行っていく場合に「枝葉である」かどうかの判断基準は基本的に「最終目的に対しての合致性」である。

常に最終目的を意識して、最終目的に関係ないものはすべて枝葉と考えてよい。

さらに考慮すべきは、最終結果に対しての影響度合いの大きさである。

最終結果に対しての影響度合いが相対的に小さいものはすべて枝葉と判断できる。

フェルミ推定の例題でいえば、最終的に算出する電柱の本数の精度に影響を与えないものはすべて枝葉ということになる。

■知れば知るほど遅くなる? 「枝葉を切り捨てる」のはこれまでに述べてきたようなモデル化して本質をつかむということの他にも意味がある。

それは往々にして「情報が意思決定を遅らせる」ということがあるからである。

情報や知識が十分なければ意思決定ができないということは当然であるが、情報がありすぎる、あるいは現実を知りすぎているという状況も意思決定を非効率にさせる場面が非常に多いのである。

■情報量が増えると本質が見えなくなる 枝葉が時間的な意味での意思決定を遅らせるのに加えて質的な点でも、本質を見えにくくするという意思決定の阻害要因となることがある。

膨大な情報から本質を見抜くというのは非常に高いスキルが要求される。

おかしなもので、自分が詳しい分野になればなるほど、余計な情報に惑わされてしまう。

フェルミ推定でも、自分の専門外の分野でやれば大胆な単純化ができたり、枝葉を切り捨てたりできるのに、こと自分の専門分野になった途端に言葉の厳密な定義にこだわってみたり、思い入れがある分野であるが故に専門外の人から見ると明らかに枝葉のことにこだわってしまったりして本質に迫れなかったりすることがあるのである。

情報がない、あるいは少ないとなかなか結論に至らないというフェルミ推定の一般的課題を仮説思考力の章で述べたが、逆に情報がありすぎるのも結論に至る過程の阻害要因になるという「フェルミ推定のジレンマ」である。

これはすなわち問題解決一般に当てはまるといってよい。

例えば顧客分析や製品分析をする際に「こんな顧客もいる」「あんな製品もある」といったごく少数の例外に注意が向いてしまったり、「十把ひとからげで考えるのは無理だ」「現実はそんなに単純ではない」という話になっていつまでも結論が出なかったという経験はないだろうか? スピード重視の時代にあって「単純に考える」ことの効用は大きい。

ところが事象を単純にとらえるというのは実は非常に難しいことなのである。

■本質を理解すれば「三〇秒で」説明できる 「単純に考える」というのは深く考えないという意味ではない。

むしろその正反対だ。

ものごとを考えに考え抜き、つきつめた結果到達した本質、つまり「要するにそれは何なのか?」という質問に対する答えは非常にシンプルなものになる。

端的に言ってしまえばものごとの本質を理解すれば、それは一言で、長くても三〇秒で説明できるものである。

逆に長時間かけないと説明できない、あるいはどうしても説明資料が複雑になってしまうというのであれば、まだまだ思考が浅く本質に迫っていないと考えた方がよい。

情報収集に情報収集を重ねて五〇〇ページの調査報告書を作れるというのは単なる「専門家」であって、単純に考えることのできる「地頭型多能人」ではない。

真の地頭型多能人に求められるのは五〇〇ページの調査報告書の内容を、 相手に応じて、 三〇秒で説明できることである。

だらだらと長時間、複雑な資料を説明するのは実は何も「地頭力」を使っていないと思った方がよい(単に Z軸の「知識力」を使っているだけである)。

■「三〇秒チェック」で頭の整理を 読者はさまざまな場面で提案書や企画書、調査報告書、仕様書等のドキュメントを作ることがあるかと思う。

前項で説明したことを応用して自分の作成したドキュメントに関しての「三〇秒チェック」をやってみてはいかがだろうか。

例えば二〇ページの企画書の要点は何なのか、相手別にこれを三〇秒で説明するとしたら何と言って説明するか、あるいはこれは資料全体でなくてもその中の一つの章や一つの図でもよい。

章の要点は三〇秒で説明できるほどに自分の中で十分に考え抜かれたものだろうか、あるいは説明用の図表はキーメッセージが明確になっており、情報量が多すぎではないかなどという確認によって、この枝葉を切り捨てて本質を突くという訓練ができる。

あるいはビジネスの場だけでなくても、一冊本を読み終わったら、読後に「この本のキーメッセージは何か」「三〇秒で説明するとしたら何というか」と考えてみる。

その他テレビ番組でも講演会でもよい。

九〇分の内容をいかに三〇秒で説明するかという訓練を積み重ねると本質に迫る力は着実につくはずである(ただし、小説やドラマ等で芸術性が高く、結果でなく「過程」重視の内容を楽しむものについては不向きなことをおことわりしておく)。

この項のまとめとして、読者に一つの例題を出しておく。

「あなたは自分自身を三〇秒でどう説明するだろう?」 読者はすべて「自分自身の専門家」のはずである。

したがって、自分自身について九〇分語ることは比較的容易なのではないか。

生まれたところから、幼稚園や学校、家族やこれまでの仕事のことなどを順番に並べていけば誰だってそのくらいの話はまあまあのレベルでできるはずである(その話が面白いかどうかは別問題である)。

では三〇秒で説明しようとしたらどうか? これは相当頭を使って考えざるを得ないのではないか。

あなたの強みや弱みは何か、どういう価値観なのか等、「あなたを一言で表現する」には本当にあなた自身の「本質」を突き詰めて考える必要があるだろう。

しかもこれは相手によってアピールポイントが違うに違いない。

就職の面接官なのか、見合い相手なのか、はたまたビジネスのプレゼン先の社長なのか……。

ぜひ一度電車の中ででも考えてみてほしい。

□アナロジーで考える 抽象化思考力の次のポイントは「アナロジー(類推)で考える」ということである。

アナロジーとは、異なる領域のものの間での共通点をきっかけに一つのことから他のことを類推して考えることである。

アナロジーは抽象化思考の縮図であり、これを用いることによって、すでに起きて

いる本質的に類似した事象を参考にした問題解決を図ることができるので、対象範囲が桁違いに広がり、飛躍的に応用範囲を広げたり、先人の知恵を限りなく活用したりすることができるようになる。

およそこの世の中で起きていることというのは、表面的にはすべて異なっているものの根本的な構図を掘り下げていけばほとんど同じ構造になっていることが多い。

自然科学においては、量子力学、相対性理論等ごく少数の理論によって宇宙の森羅万象がほとんど説明できるというのが現在の物理学の教えるところである。

さらに人間の行動に目を向けてみても、人間の行動の根本的なモチベーションというのは心理学者のマズローの分析結果にあるように、生理的欲求、安全の欲求、自己実現の欲求といった基本的なものであって、環境が多少変わっても根本原理というのはそれほど変わるものではない。

つまり、我々が直面する課題というのは表面的には違った形に見えるが実はすでに同じ原因やメカニズムで起こっているというのがほとんどなのである。

したがって「先人の知恵」を拝借することによって、一から問題を解決しなくても問題解決を図ることが可能なのである。

これを有効に実施する方法が「アナロジー」なのだ。

■「自分は特殊である」という思い込みを排除する アナロジーで考えるために排除しなければならない考えがある。

それは「自分(の置かれた環境)は特殊である」という思い込みである。

一般的に人間は他人から見ている以上に自分自身で「自分の経験していることは特殊である」「自分の置かれた環境(組織、会社、業界等)は特殊である」というふうに思い込みがちである。

ただこれを客観的に見てみると、確かに特殊な部分はあるが、部分的には共通している部分も多いことが往々にしてある。

図 7- 5を見てほしい。

一番左が、我々が自分自身の認識のことをこう思い込みがちであるという状態である。

ところが実際は図の真ん中にあるように、本当に特殊といえる部分はほんの一部で、あとはいくつかの共通化が可能な部分の組み合わせで成り立っていることが多い(組み合わせの掛け算をすれば実際には個別にはほとんどが違っているという状態にはなりうる)。

所詮は同じ人間がやっていることである。

個人を動かす行動原理というのはそれほど異なっているはずがない。

その集合体としての組織や会社であってもそんなに特別なことばかりではない。

構成要素としての個別の原理原則はシンプルなはずである。

実際には個別の構成要素の組み合わせで複雑に見えるだけで本当に特殊なところはわずかである場合がほとんどである。

第 4章で述べた「経験至上主義者」の陥りがちな落とし穴がここにある。

唐突なたとえかもしれないが、例えばピアニストが左官職人から学べることはないだろうか? 素直に表面的な仕事から考えればおよそ共通点はなさそうに見える(強引に結びつければ「手を使う」とかいうこじつけも考えられるが……)。

ただし、同じ人間がやっている職業であることを考慮すれば、前述のとおり基本的な行動原理は同じところもあるはずである。

例えば「職人気質」という、その道をきわめた人の行動パターンというのが一流のピアニストと一流の左官職人に当てはまらないだろうか。

弟子の教育の仕方、仕事の品質へのこだわり、顧客満足に対する考え方等にこうした共通の考え方があるはずである。

もう一つ自然科学の例で考えてみよう。

ニュートンの万有引力発見以前に「月が地球の周りを回る」のと「りんごが木から落ちる」のが同じ原理である等という話を誰が信じただろうか? あるいは地球上の落下運動が物体によらずたった一つの単純な式で表現できるという話を誰が信じただろうか。

おそらく万有引力の存在を知らない人にこの話をしたら、「頭がおかしい」としか思われなかったに違いない。

半分だけ水の入ったコップを見たときに、「半分しか水が入っていない」と思う人と、「半分も水が入っている」と思う人の二とおりがあるという話がポジティブ思考とネガティブ思考の違いの説明でよく用いられるが、本章で解説しているような、二つの事象を比較してまず共通点から見るのと、相違点から見るのとではまったく異なった価値観になるのだ。

「まず相違点から見る」というのは、地頭力に一番必要な「考える」という姿勢を拒否した思考停止の状態に陥ることを意味するのである。

ところが往々にしてイノベーションというものは、こういった「似ても似つかないようなものに共通性を見つける」という発想から生まれるものである。

これまでにまったくなかったような原理原則を発明しなくても、すでに存在している原理や法則等を普通の人が思いもしなかったような意外なところに適用することによるイノベーションの例の方が実際は多いのである。

インターネットを使った新しいビジネスモデル等もよく見るとこのパターンがほとんどである。

逆に、すぐに誰でも気づくような表面的な類似事例の研究はとっくにみんなやっているから革新性はほとんどない。

以上述べてきたように、アナロジー、あるいは抽象化思考にあっては「対象とする課題が特殊である」と考えた途端に思考停止が起きる。

そのため、本当に特殊なのかをきちんと切り分けて考えて部分的にでも抽象化・一般化ができないか、他の事例や歴史や一般法則から学べることがないかと考えてみることが非常に重要である。

心を開いて問題意識を持っていなければそれは見えてはこないのだ。

もしそれでも、いま自分の置かれた状況(会社や業界)が特殊であって他でやっている事例は適用できないと思ったら考えてみてほしい。

「本当にいまの状況は特殊なのだろうか?」 もしその答えがイエスであれば、再度問い直してほしい。

「本当にそうだろうか?」 ■抽象化能力の高い人はたとえ話がうまい たとえ話がうまい人というのがいる。

こうした人たちの思考回路はどうなっているのだろうか。

そもそもたとえ話とは何だろう。

これはアナロジー、すなわち類推の考え方そのものである。

前述のように、類推とは「一見異なるように見えるが共通の特徴を持つ二つの事象を関係づけて、一つに当てはまる事象がもう片方にも適用できるかということを考えて適用する」という発想である。

たとえ話というのも、一つの概念をわかりやすく説明するために、 説明したい内容と共通の特徴を持ち、 より卑近な事象を例に出して、理解を促進するという効果がある。

これがうまいということは、 の共通の特徴を持つものを瞬時にして頭の中で探し出してくるという能力が必要になってくる。

これは抽象化能力そのものである。

つまり、たとえ話がうまいというのは抽象化能力が高いということを意味しているのである。

さらにこれを高度化させたスキルとして、他の人が持ち出したたとえ話を引用してさらに発展させるというテクニックがある。

これは単なるたとえ話よりさらに高度なスキルが要求される。

なぜならば瞬時に相手のアナロジーを理解してその意図する本質を把握してさらにそれを他人が持ち出した土俵上で膨らませるということが必要になるからである。

■たとえ話の効用の例 ではたとえ話にはどんな意味があるのだろうか? 簡単なケーススタディを挙げてみよう。

Eさんはシステムエンジニア。

二〇年前に構築した情報システムを更新したいという W社情報システム部の F部長を訪ねて W社の状況をヒアリングしていた。

Eさん:貴社がレガシーシステムの更新をしたいという話を伺って訪問したのですが、どんな状況か教えていただけますか? F部長:そうなんです。

実は弊社のシステムはもうかれこれ二〇年前に入れたホストシステムが中心になっているので、これを一気に刷新したいんですよ。

E:なるほど。

おそらく二〇年の間にはいろいろと少しずつ小さな改善をしてきたんですよね。

F:ええ、でもそれが問題でね。

二〇年の間にはもちろん情報技術もめまぐるしく変化してきたし、もちろんビジネスの環境も変わってユーザーの使い方も変わってきていますからね。

毎年のようにシステムの改良を繰り返しているうちに、かなり肥大化してきて全体の構造がぐちゃぐちゃになっていてね。

メンテナンスにも非常にコストがかかるようになってきている上に最新技術が反映しにくくなってきているのでユーザーからの不満も大きいんですよ。

E:増改築を繰り返している古い温泉旅館のようになっているんですね。

F:そうそうそう! まさにそのとおりです。

二人の会話を整理してみよう。

F部長による W社の情報システムは 長期にわたって改良を繰り返してきている、 肥大化して複雑になっている、 コストがかかる、 ユーザーニーズを反映しきれないという説明から「長期にわたって改良が繰り返された構築物」という形で特徴を抽象化し、同様の共通点を持ち、なおかつ誰もが経験したことがあるような「古い温泉旅館」という身近な例をたとえ話として持ち出して、 F部長の共感を得ることができたのである。

ではここで用いられたたとえ話はどんな効用があったのだろうか。

大きく二つある。

一つ目は、 F部長の話のポイントを正確に把握していることを一言で表現し、相手にもそれを一瞬にして伝えることができたということ、そして二点目は、「古い温泉旅館」を例に出すことによって、今後の対策や課題として話されるであろう、 ・設計図(システムで言えば仕様書)が満足に残っていない ・一気に刷新したくても多数のしがらみがある ・しかし刷新した場合のメリットも計り知れないといったいくつものことを一気に先読みすることができたのである。

まさに「一を聞いて十を知る」という抽象化思考のメリットを享受したと言える。

■「なぞかけ」は日本伝統のアナロジー能力開発ツール アナロジーを鍛えるための日本古来の言葉遊びがある。

それが「なぞかけ」である。

なぞかけの仕組みを見てみよう(図 7- 6)。

なぞかけの標準スタイルは、 「 ○ ○とかけて △ △と解く」 「その心は?」 「 × ×」(「おち」が来る)というものである。

ここでいう「心」というのは一見まったく異なるものに見える二つの事象の共通点のことである。

つまりなぞかけというのは、言い換えれば「共通点探しのクイズ」ということになる。

この構図は前項で説明した「たとえ話」の構図とまったく一緒だということに気づいただろうか。

この共通点探しというのは抽象化プロセスそのものである。

ただ単なるだじゃれや言葉尻の一致という点では抽象化というレベルにまではいかないが、レベルの高いなぞかけというのは、二つの事象の本質に迫った特徴をうまく導き出したものと言える。

なるほど「心」とはうまい言葉を使ったものだ。

再びニュートンの例にもどって、万有引力の話をなぞかけにあてはめてみよう。

ニュートンは、「りんご」とかけて「月」と解いたのである。

その心は「地球と引き合っている」というなぞかけである。

ニュートンが発見した共通点、すなわち「心」というのがいかにとてつもないものだったかがおわかりだろうか。

□抽象化思考の留意事項 本章では抽象化思考の意義、具体的ステップや適用方法等について述べてきた。

非常に威力を発揮する抽象化思考であるが、その「使い方」には十分留意する必要がある。

最後にその注意点について述べておこう。

■抽象化と具体化をうまく組み合わせるべし 抽象化思考が比較的得意な人にありがちな落とし穴として、抽象概念の世界に生きる(つまり「二階」の住人になってしまう)あまりに、具体性がなく、一般の人に説明するにも過度に抽象化された言葉を使ってしまって理解されないということがある。

抽象化思考のプロセスでいうところの モデル化 解法の適用のプロセスはいいのだが、 の「再具体化」というのは実際に解いた問題を十分に具体的に噛み砕いて実際の世界(一階の住人)にわかりやすく説明する必要があるのである。

その場合には「たとえ話」や「アナロジー」を使うのも有効である。

話に難しい公式や抽象概念の専門用語が出てきてまったく理解されない人というのはこの落とし穴にはまっている人である。

■「過度の一般化」にも注意すべし もう一つの落とし穴を挙げておこう。

本章では「抽象化」の重要性について繰り返し説いてきた。

そのために「自分を特殊視すべきでない」というメッセージで繰り返し抽象化思考の適用をすすめてきた。

しかしながら人間の特性として「自分を必要以上に特殊視する」という反面で、「他者を必要以上に一般化する」ということがある。

例えばあまりなじみのない他国の人の特別な言動を見て「 ○ ○人はすぐ × ×する」とか、普段つきあいのない世界の人と少し話をしただけで「 □ □の業界

の人は △ △だ」といった偏見を持ったり即断をしたりしがちであるが、抽象化思考に必要なのは、過度に特殊化したり一般化するのではなく、事象の持つ性質を正確に見きわめて切り分けた上で共通の部分は共通として取り扱うとともに、相違する部分も正確に把握していくという姿勢なのだ。

「近頃の若い社員は……」「最近の学生は……」が口癖の人は二つの点で要注意である。

一点目は「他者の過度の一般化」、二点目は「自己の特殊化」(「自分の世代だけはもっとまともだった……」)である。

ある意味で思考停止の一例といえるだろう。

くれぐれもご注意を。

■第 7章のまとめ 抽象化思考力によって応用力を飛躍的に向上させることができる。

抽象化思考の基本プロセスは、 抽象化、 解法の適用、 再具体化の三ステップである。

抽象化思考力に必要なポイントは モデル化、 そのための枝葉の切り捨て、 アナロジーの考え方の三点である。

抽象化の概念の基本は「共通点を探す」ことである。

これは人間の「考える」という行為の基本といえる。

抽象化思考の阻害要因は「自分(社)は特殊だ」という思い込みである。

抽象化思考の留意事項は、 具体化とのバランスを常に意識すること、 過度に一般化しないことである。

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