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第 8章 地頭力のベース

□地頭力のベースの構造 ■守りの「論理」と攻めの「直観」/ ■ビジネスは「アート」か「サイエンス」か □「万人に理解される」ための論理思考力 □経験と訓練で鍛えられる直観力 □地頭力の一番のベースとなる知的好奇心 ■知的好奇心にも二種類/ ■子供に学ぶ好奇心/ ■問題解決の達人に見る知的好奇心 ■第 8章のまとめ

□地頭力のベースの構造 引き続いて地頭力のベースについて解説する。

対象が何であれ通常の解説書ではまず基礎となるベースを固めてからその上の応用にいくという順序をとるのがオーソドックスなやり方かとは思うが、本書ではあくまでも「結論から」「全体から」「単純に」考えるという地頭力固有の三つの思考力を中心ととらえ、その基礎体力ともいえるベース部分を最後に解説するという構成とした。

これまで述べてきた地頭力の三つの思考力のベースは「論理思考力」「直観力」「知的好奇心」の三つと定義する。

これらはさらに二層構成となっており、上から順に「論理思考力」と「直観力」のペア、続いて知的好奇心という構造となっているので、この順序で解説していくこととする。

■守りの「論理」と攻めの「直観」 昨今の脳力開発ブームの一環として、ロジカルシンキングが流行となっており、この数年だけでも多数の著作が出版されている。

こうした流れの中ではともすると、「考える力」 =「論理思考」とも取れるほどに論理が強調されているが、実際には人間の発想、特に創造的な発想をする上では、論理だけでは不十分である。

「論理的に考える」とはものごとの一貫性や整合性を担保することへの貢献が大きいと考えられるが、新たな概念を生み出すことへの貢献に関しては、むしろ論理と対比して考えられる「直観」の得意とする領域である。

つまりは相反すると考えられるこの二つの概念をうまく組み合わせて考えることが重要になってくる。

一言で考える力といってもこれらのバランスには個人差があって、得意とする分野やアプローチが異なってくる。

これまでにも、人間の考える能力に関しての論理と直観に関する様々な議論がなされてきた。

例えば、一九世紀末 ~二〇世紀初頭に活躍したフランスの数学者ポアンカレは、その著書『科学の価値』(岩波文庫)の中で数学者にも論理型と直観型の二とおり存在することを以下のように述べている。

「大数学者の、いや小数学者のでもよろしい、ともかくも数学者の実績を研究してみると、どうしても二つの相反する傾向が眼について、これを区別しないわけにいかないことになってくる。

あるいはむしろ、まったく相異なる二種類の精神構造といったほうがいいかもしれない」 この例にもあるように、論理と直観というのはある意味対比概念であるとともに、地頭力のベースとしては両輪とも言えるものである。

地頭力の構成要素である三つの思考力にはいずれも論理思考と直観力の両方が必要とされるのである。

例えばまず仮説思考力に関して、まず仮説を立てるという行為そのものは純粋に論理的にできるものではなく、直観力が必要になってくる。

例えば作家の丸谷才一氏はその著書『思考のレッスン』(文春文庫)の中で以下のように述べている。

「とにかく最初に仮説を立てるという冒険をしなければ、事柄は進まない。

直観と想像力を使って仮説を立てること、これはたいへん大事なことですね。

同時に、仮説を立てるに当たっては、大胆であること。

びくびく、おどおどしていてはダメです。

同じ仮説なら、みんながアッと驚くようなものを立てたほうがいい。

つまり仮説を立てるに当たっては、学者的手堅さよりも、むしろ芸術家的奔放さのほうが大事だと思う」 これに対して、設定した仮説に基づいてそれを検証していくのは多分に論理の側面が強くなる。

次にフレームワーク思考力に関して、最初の全体俯瞰については「全体の絵をイメージする」という点での直観力が必要である。

次の適切な断面の選択、つまりどういうフレームワークを選択するかというのが最大の「アート」であり、経験に基づく勘のようなものが必要になってくる部分である。

どういうフレームワークを選べばその後の分析を最適に運べるかということに関しての「公式」というものはない。

つまり個人の「アート」としてのスキルに依存するものである。

その後の分類や分解に関しても切り口の選択は直観力の部分が大きい一方で、選んだ切り口で MECEに分類したり、因数分解したりしていくのは論理的な思考がより求められる。

最後に抽象化思考力に関しては最初の抽象化・モデル化は直観力の要素が大きく、次のモデルを使った解の導出と具体化に関しては、公式のようなパターンの当てはめ等の論理性が強くなってくる。

以上のように、「結論から」「全体から」「単純に」考えるという地頭力の三つの思考能力は論理思考力が必要となる側面と直観力が必要となる側面の両面から成り立っているのである。

ここまで述べてきた論理と直観の対比を表 8- 1にまとめておく。

■ビジネスは「アート」か「サイエンス」か すべて人間の営む知的活動には科学的・論理的に説明ができて(原理的には)万人に再現が可能な「サイエンス」の部分と、科学的・論理的に説明することが難しく、誰にでも再現することができるわけではない個人技である「アート」の部分が存在する。

例えば音楽や絵画等いわゆる「芸術家」と呼ばれる人たちの仕事はアートと言えるし、工学の世界等、一度原理が発明・発見されてしまえばあとは誰がやっても同じ結果が出てくる類の営みはサイエンスと呼べる(ただし、原理・原則そのものを発見する行為というのは多分にアートの世界である)。

では我々が日々かかわっている「ビジネス」というのはアートなのか、サイエンスなのか? これは永遠のテーマである。

もちろん両者にはアートの部分もあればサイエンスの部分もある。

例えば財務会計のような経理業務においては基本的に誰がやっても同じ結果が出てこなければ都合の悪い、サイエンスの代表例である一方で、研究開発における基礎研究のように、アイデアやひらめきが重要となる純粋にアートに近い業務も存在する。

経営に関しても、事業アイデアの醸成や人を動かすカリスマ性やリーダシップ等、個性を持った経営者としてのアートの面が重要である一方で策定した戦略を株主や従業員に筋道立てて説明したり、組織全体で実行可能な業務プロセスや実施計画に落とし込んでいくのはサイエンスの側面が重要になってくる。

大企業のように多くの人間が組織だって動く場合にはできるだけアートの部分を排除して「科学的に」組織を運営していくのが望ましい側面がある一方で、他社に対しての差別化を行うためにはアートの部分をいかに引き出していくかという点も重要になってくる。

つまりは比較論でいえば、企業としての守りをしっかりと固めるための施策、例えばコストダウン等の地道な改善活動にはサイエンスの部分が重要となり、攻めのための施策、例えば斬新な発想が必要なイノベーションや新製品開発等にはアートの部分が必要になり、これらのバランスをうまく取ることが重要である。

□「万人に理解される」ための論理思考力 論理的であるとはどういうことだろうか。

これは何も難しいことを言っているわけではない。

要は説明対象の事象や言葉の間が「誰が見ても一貫してつながっている」ということである。

それ以上でもなければ以下でもない。

つまり、論理というのはすべての人にとっての共通語という位置づけである。

したがって、論理思考力というのは、新たな発想で新しいアイデアを出すといったようなクリエイティブなものではなく、いわば「守り」のためのツールである。

それでもなぜこれだけ論理的思考力の重要性が語られるかと言えば、「きちんとつながった話をする」という基本中の基本がいかに難しいかということなのである。

ここで重要なのは、「万人に理解される」ということである。

自分の話していることがつながっていないとか一貫性がないと思っている人はいない。

問題は知らず知らずのうちに自分自身しか気がつかない思い込みから話が飛んでしまうことである。

これを防ぎ、万人の間でのコミュニケーションを誤解なきよう進めるための一定のルールが論理性なのである。

したがって、論理思考力を鍛えるためには、自分自身の思い込みを捨てて客観的に話が一貫するよう整合させなければならない。

このためのツールとしてフェルミ推定は有効である。

まずは何らかの例題の解答を他人にわかりやすいように説明するのがよい。

やってみるとわかるが、自らが考えたロジックを他人に説明するというのは意外に難しい。

なぜ全体の仮説をそう考えたのか、どういう根拠でそれを分類し、因数分解したのか、といった項目を話の飛躍なく説明してみることは、問題設定がわかりやすいだけに非常に良い訓練となるので、誰か聞き手を見つけて練習し

てみるのがよい。

□経験と訓練で鍛えられる直観力 先に述べたように、考える力としての地頭力には、論理的な思考力とのペアとして直観力というものが求められる。

論理というのは当たり前のことを当たり前にするためのもので、そこに創造的に新たなものを生み出していくためのブレークスルーには必ず経験や知識に裏付けられた直観力というものが重要になってくるのである。

発明に関して、アインシュタインは以下のような言葉を残している。

「発明は、最終的結果が論理的な構造と結びついていても、論理的な思考の結果ではない」 直観力というのはまさにアートであり、きわめて属人的な能力であるために、科学的に鍛え方を説明するのが難しいが、これがどうやって鍛えられていくかというイメージをフェルミ推定で表現することができる。

フェルミ推定で単純なモデルでの訓練を繰り返していくと、仮説の設定の仕方やフレームワークの断面の設定の訓練等を経験することができ、これらの積み重ねから仮説や断面の選択の精度を上げていくことが段々とできるようになってくる。

例えば市場規模の推定に関しては様々な分野での推定を行っていくと、どの切り口が一番特徴をつかんだ分類(セグメンテーション)ができるか、計算がしやすいか、データの精度を上げやすいかといった勘が身についてくる。

仮説の設定に関しても同様である。

□地頭力の一番のベースとなる知的好奇心 第 3章で地頭力のベースとなり、実は一番重要であるかもしれないと述べたのが知的好奇心であった。

地頭力の三層構造図に示すごとく、これはこれまで述べてきた三つの思考力や論理思考力、直観力という地頭力のその他の要素を動かすための最下層での原動力となるものであり、これがなければ他のすべての能力がもしあったとしても宝の持ち腐れとなってしまう類のものである。

■知的好奇心にも二種類 「自分は好奇心が旺盛だ」と安心している読者に一つ警鐘を鳴らしておきたい。

実は知的好奇心にも大きく分けて二種類ある。

問題解決に関する好奇心( Why型)と知識に対する好奇心( What型)である。

こと地頭力の鍛錬に関しては前者は有益なのだが、後者はときには有害にもなりうるのである。

普通は両者を同時に持ちあわせている場合がほとんどなのだが、時として二つのうちでもどちらが強いかが分かれる場面が出てくる。

ここで一つあなたの知的好奇心が前述のどちらのタイプかを簡単に判定してみよう(第 3章のチェックリストにおける質問項目の 9も質問の主旨は同様である)。

例えばクイズ形式の本を購入したとする。

問題と答えが裏表ペアの二ページに記述されていて、問題ページをめくると次のページに答えが書いてあるというよくある形式のものである。

ここで読み方が二つに分かれる。

問題を読んだらすぐに答えを読みながらどんどん読み進める 一つ問題を読んだら一度本を脇に置いて、自分なりの答えを出してからページをめくって答えを読むの二とおりである。

これらは 知識への好奇心( What型好奇心)と 問題解決への好奇心( Why型好奇心)の違いを表している。

What型好奇心の人はとにかく情報や知識を吸収することに貪欲であるが、答えを知ってしまった途端に安心してしまい、それ以上にものごとを深く考えない傾向も見られる。

いわゆる「雑学博士」の類の人は要注意である。

どうも日本人は問題を見ると必ず(料理番組のように)答えがどこかに用意されていると考える傾向があるようである。

考える力というのは基本的に答えがあるなしにかかわらずまず自分の力で考えてみるという習慣付けが重要である。

ぜひ Why型の好奇心をもって日々をすごしてほしいものである。

ここで言及した What型好奇心と Why型好奇心は第 1章で定義した知的能力の各々「 Z軸」(知識・記憶力)と「 X軸」(地頭力)に対応する。

ここで地頭力に関係するのは、当然のことながら X軸型の好奇心、すなわち問題解決への好奇心である。

問題解決への好奇心とは何か? これは一言でいうと「そこに問題があったら解決しなければ気がすまない」という、本能のようなものである。

ちょうど登山家がなぜ山に登るのかと聞かれて「そこに山があるからだ」と答えるが如く、「地頭型多能人」が問題解決をするには「そこに問題があるからだ」と答えるレベルの知的好奇心がほしいものである。

逆に Z軸型好奇心の人は「コピペ族」の予備軍として要注意である。

■子供に学ぶ好奇心 子供は例外なくこれら両方の好奇心の固まりであり、小学校入学前の「なぜなぜ坊や」の時代というのは特に Why型好奇心の固まりである。

それが学校教育で知識を詰め込まれ、成長とともに「常識」という形で純粋に疑う心を失っていく。

外山滋比古氏は著書『思考の整理学』(ちくま文庫)の中で人間の能力を、 受動的に知識を得る「グライダー能力」と 自分でものごとを発明・発見する「飛行機能力」の二つに分けた上で、学校教育が「グライダー能力」を養成することに注力されていると、以下のように批判している。

「学校はグライダー人間をつくるには適しているが、飛行機人間を育てる努力はほんの少ししかしていない。

学校教育が整備されてきたということは、ますますグライダー人間をふやす結果になった。

お互いに似たようなグライダー人間になると、グライダーの欠点を忘れてしまう。

知的、知的と言っていれば、翔んでいるように錯覚する」 すでに二十年以上も前の言葉だが、現在の働き盛りのビジネスパーソンが受けてきた学校教育がまさにこうしたものであっただろう。

こうやって純粋だった子供の「なぜなぜ心」が教育や社会生活を通じて「分別ある大人」に変わる間に我々の Why型好奇心、つまり「疑う心」といったものがなくなってきたのである。

「頭の固さ」とは何か? それはこの「疑う心」に対する「知識・情報への依存心」の比率のことである。

年齢とともに重ねた経験や学習によってこの比率は通常高くなっていく。

さらにこの傾向がインターネットの時代の情報洪水で助長され、ついには思考停止に陥ってしまうのではないかという「ジアタマデバイド」のリスクを示したのが図 8- 1である。

■問題解決の達人に見る知的好奇心 ここで再びシャーロック・ホームズにご登場いただき、彼の尋常でない知的好奇心の強さが垣間見られる場面を紹介しよう。

第 3章で述べた『ボヘミアの醜聞』のテレビ版( Granada TV製作:この場面は原作にはない)の冒頭で久々にワトソンと再会し、コカインの服用を詰問されたホームズは、自分には知的な刺激が必要だといった後に「私に問題を、事件を与えてほしい」(” Give me problems, give me work”)という台詞を残している。

その後の彼の台詞には「精神が沈滞を嫌う」とか「難解な暗号や分析を欲している」等というものもある。

これらの台詞から、「問題解決」というのは彼にとっては何かをするための手段ではなくてそのものが目的であり生業そのものというほどに、解くべき問題というものの存在が大きいということがわかる。

ここに見られるのは、問題に対しての意識の高さである。

さらにこの話の原作の中でホームズは、ワトソンの近況についての推理をぴたりと的中させてワトソンを驚かせている。

また依頼人に対しての観察から、その人の背景についての推理を働かせるというのも有名なホームズの習性である。

ここで見られるホームズの問題解決に対する好奇心、それは「頼まれもしない問題まで解決しようとする」という姿勢である。

問題というのは何も与えられるものではなく、その気になれば身の回りにいくらでも転がっているものである。

『料理の鉄人』や『カノッサの屈辱』といった個性的なテレビ番組の企画で知られる放送作家の小山薫堂氏は著書の『考えないヒント』の中で「勝手にてこ入れトレーニング」というものを推奨している。

これは「日々目に入るものに勝手にてこ入れする」というもので、例えばレストランに行ったり CMを見たりしながら、「自分だったらこうする」というのを常に考えてみるということで、これも常に高い問題意識を持つべしということの一つの表現といえるだろう。

これらの事例に見られる知的好奇心、それはいずれも問題意識を常に高く持って自ら課題を発見していくという姿勢を持った上で「すでに何らかの実態(答え)があるものに対して自分なりの視点を加えてさらによい答えがないかを常に考える姿勢」が重要であることを示している。

すでに何らかの答えがある事象に対しては普通の人間はそれで安心してしまい、それ以上のことを考えようとはしないであろう(特に「 What型好奇心」の人はそうである)。

ここでさらに一歩も二歩も進んで「自分の頭で考える」という姿勢が特にオリジナルのアイデアを生み出すのに重要だということなのである。

あらゆる対象に対して心を開いて見なければ課題は見えてこない。

思考停止している人には何の課題も見えてこないのだ。

言い換えれば既存の状況を「疑ってみる」姿勢といってもよい。

一つ誤解してはならないのは、これは単に「人の意見にケチをつける」のとは大きな違いがあるということである。

単に部分的な批判をするのではなく、あくまでも「自分だったらどうするか?」という主体性を持った一人称で考え、さらによりよくするにはどうするかという建設的批判精神、これが X軸型の知的好奇心に重要だということである。

答えを教えられたら安心してしまうか、そこからさらに考えを建設的な批判で発展させられるかどうかが「地頭型多能人」になれるかどうかの境目である。

第 3章でフェルミ推定の電柱の例題を出題したが、この解答例に対してあなたはどう反応しただろうか。

答えを見て安心してしまったとしたら、まだあなたには(問題解決の意味での)知的好奇心が十分ではない。

筆者自身が考えてもこの解答例は必ずしもベストのものとは思っていない。

「もっといい解法があるはずだ」という建設的批判精神を持ってさらによい解法を追求していただきたいものである。

本章の最後をアインシュタインの言葉で締めくくっておく。

「私には特別な才能などありません。

ただ好奇心が激しく強いだけです」 ■第 8章のまとめ 「論理」と「直観」は地頭力のベースとしての両輪を構成するものである。

「論理」は「誰が見ても一貫してつながっている」ことを担保する「守り」、「直観」は個人特有のアイデアを生み出す「攻め」という位置付けである。

知的好奇心は地頭力の最も根源的な原動力となるものである。

知的好奇心には問題解決型( Why型)と知識型( What型)の二種類があり、地頭力を鍛えるに当たって前者は有益だが、後者は有害ともなりえる。

問題解決型好奇心を養うには何でも疑ってみて、よりよい解決策を考えてみる習慣をつけることが重要である。

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