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第 3章 創造性の火花を散らせ!

クリエイティブな力を伸ばすクリエイティブになると決意する旅行者のように考える column 共同黒板を設ける「リラックスした注意」を払う column 「リラックスした注意」を実践するコツエンド・ユーザーに共感する column ビッグ・データの世界における共感現場で観察する「なぜ」で始まる質問をする column インタビュー・テクニック問題の枠組みをとらえ直す column 問題の枠組みをとらえ直すテクニック心を許せる仲間のネットワークを築く創造のセレンディピティを育む

第 3章創造性の火花を散らせ!

たったひとつの授業が学生の人生を変えることもある。

ラフール・パニッカー、ジェーン・チェン、ライナス・リャン、そしてのちのナガナンド・マーティは、デザイン思考の手法を用いた授業で、まさに人生が変わる体験をした。

彼らはクラスで出された平凡な課題をきっかけに、現実の新しい製品を生み出した。

それが「エンブレイス・インファント・ウォーマー」だ(注 1)。

これは従来型の保育器と比べて 99パーセントも安く、使い勝手の良い医療用具であり、途上国で数百万人の新生児を救う可能性を秘めている。

彼らが受講したのは、「デザイン・フォー・エクストリーム・アフォーダビリティ」(究極の安さを追求するデザイン)というコースで、 dスクールではだいたい、単に「エクストリーム」と呼ばれている。

この言葉は、クラスのめまぐるしさと体験の両方を非常によく言い表わしている。

スタンフォード大学経営大学院教授のジム・パテルをはじめとする教員チームが指導する「エクストリーム」クラスは、いわば学問分野のるつぼだ。

大学のあらゆる学部の学生が dスクールにやってきて、現実の世界における難題の解決策を練るのだ。

彼らが取り組んだプロジェクトは、途上国で使える低価格な保育器の調査とデザインだった。

とはいえ、チームには早産の合併症について詳しい者はひとりもいなかったし、ましてや諸外国の医療機器のデザインについて知る者などいなかった。

電気工学やコンピューター科学の専門家、 MBAの学生はいても、公衆衛生の専門家はいなかったのだ。

彼らはまず、発想を求めて外に目を向けた。

そこで、キャンパス内の意外な場所でミーティングを開くことにした。

カフェ「 CoHo」の外に立つ木の上だ。

4人の学生はその高い木の上に陣取り、世界の幼児死亡率の問題をグーグルで調べた。

統計を見つけて彼らは仰天した。

毎年、およそ 1500万人の早産児と低体重児が生まれているのだ(注 2)。

そのうち 100万人は、たいてい生後 24時間以内に亡くなる。

では、予防可能な最大の死因は? ずばり、低体温だ。

「低体重児は身体が小さいので、体温を調節できるだけの脂肪がないんです」とジェーン・チェンは話す(注 3)。

彼女は M B Aを持つチーム・メンバーのひとりだ。

「それどころか、室温でも、赤ん坊にとっては凍える冷水のように感じるのです」。

世界の低体重児のおよそ半数が生まれるインドでは、生後の数日間が山場となる。

そのあいだ、院内の保育器が赤ん坊に安定した熱を与え、命を救っている。

しかし、従来の保育器は 2万ドルくらいすることもある。

もちろん 1台あたり。

そこで、チームは真っ先に思いつく解決策を考えた。

部品を減らし、安価な素材を用いれば、従来の保育器の設計にかかるコストを一律に削減できる。

下調べは完璧だ。

それでも、人間中心のデザインの中心原理のひとつは、「エンド・ユーザーに共感する」ことだ。

この基本的なイノベーション・アプローチをすっ飛ばすことは考えられなかった。

そこで、コンピューター科学を学ぶチーム・メンバーのライナス・リャンは、満たされていない保育器関連のニーズを自分の目でもっと深く理解するため、ネパール行きの資金を調達した。

現地の光景を見て、彼は自分の持っていた思い込みをくつがえされた。

そして、イノベーティブな解決策につながる独創的なヒントを得た。

ライナスはネパール都市部の現代的な病院を訪れたとき、おかしな光景に気づいた。

病院に寄付された保育器の多くが空っぽだったのだ。

不思議に思った彼は、理由をたずねた。

この地域には生存のために保育器を必要としている未熟児がたくさんいるのに、どうしてこんなに多くの保育器が空いているのか? ある医師はありのままの悲しい真実を打ち明けた。

院内の保育器の多くが未使用なのは、保育器の必要な赤ん坊がたいてい 50キロメートルも離れた奥地の村々で生まれるからだという。

保育器がどれだけ安くて高品質になっても、生死を分ける闘いは、病院ではなく母親の家で起こっている。

しかも、たとえ長時間の移動に耐えられるほど母親の体調が良く、母親が家族のサポートを得てずっと赤ん坊を抱きしめながら病院にやってきたとしても、赤ん坊を治療のため病院に残していくことは難しい。

村では家族が待っているので、本来なら未熟児を何週間も保育器に預けておくべきところを、 5日か 6日で連れて帰るはめになっていたのだ。

こうして、ライナスは気づいた。

保育器の価格は、複雑に絡み合う人間のニーズの中では、デザイン上の課題のひとつにすぎないのだと。

ライナスがパロアルトに戻ってくると、チームの面々はこれらの問題にどう対処すべきかを話し合った。

一方では、地方の母親や赤ん坊を救う解決策が必要なのは明白だった。

しかしもう一方では、とてつもなく難しい問題でもあった。

電気工学の専門家のラフール・パニッカーが「おいおい、こいつは厄介だぞ」と言うのも無理はなかった(注 4)。

技術的な課題にこだわり、病院向けの低価格な保育器を設計するべきなのか? それとも、人間的なニーズに挑み、地方の母親向けの解決策を練るべきなのか? 「この点については、意見が分かれました。

地方の母親の問題に挑みたいと思うチーム・メンバーもいれば、私のように、クラスが終わるまでに何かを完成させたいと思うメンバーもいました」とラフールは話す。

結局、彼らは授業助手のひとり、サラ・スタイン・グリーンバーグ( dスクールの現マネージング・ディレクター)に相談を求めた。

すると彼女は、「選択に直面したら、難しい方の課題を選びなさい。

それがエクストリーム・アフォーダビリティの〝エクストリーム〟の意味でしょう?」と言った。

そこで、彼らは病院向けの保育器を作り直す代わりに、デザインの課題をこうとらえ直した。

どうすれば、生死の境をさまよう赤ん坊に生きるチャンスを与えられる、地方の母親向けの保温器具を作れるだろうか? エンブレイス・チームが開発しようとしていたのは、もはや医師ではなく母親向けの解決策だった。

彼らはこの理念を作業場のホワイトボードに書き込んだ。

この理念は、合計 20週間のクラスの残りの期間、そしてその後も、彼らの指針になった。

次に、エンブレイス・チームは、この洞察をイノベーションに変えるべく取り組んだ。

そのために、 4 ~5つのラフなプロトタイプ(試作品)を次々とすばやく製作し、シンプルながらも強力な解決策を作っていった。

彼らの開発した器具は、小さな寝袋のような形をしていて、中にはパラフィン・パックが入っている。

パラフィン・パックを加熱すれば、最大 4時間は温度を保つことができる。

この解決策なら病院の外でも利用できる。

世界じゅうのどこにいても、赤ん坊を適温に保つことができるのだ。

次のステップは、地方の村々の親や関係者たちを対象に、プロトタイプをテストすることだった。

彼らはプロトタイプをインドに持っていき、文化の違いを理解しようと努めた。

文化の違いは、母親に器具を受け入れてもらえるかどうかを左右するからだ。

その過程で、シリコンバレーでじっとしていたら絶対にわからなかったような要因を発見した。

たとえば、ラフールがマハーラーシュトラ州の小さな町で、母親たちにプロトタイプを見せていた日のことだ。

当時のプロトタイプには、子どもの体温を示す温度計が付いていた。

水槽や簡易体温計に付いているアナログ液晶温度計のようなやつだ。

ラフールは赤ん坊の体温を調節するために、加熱パックを 37度に温めてくださいと母親に伝えた。

すると、びっくりするような意外な反応が返ってきた。

ある母親いわく、彼女の村では、西洋の薬は効き目が強すぎることが多いと考えられていたのだ。

だから、医者に小さじ 1杯の薬を赤ん坊に与えるよう指示されたとしても、「私なら安全を取って小さじ半分しか与えません。

ですから、 37度まで加熱しなさいと言われたら、安全を取って 30度くらいまでしか加熱しないと思います」と彼女は話した。

その話を聞いて、ラフールの頭の中で「警報ベル」が鳴った。

ふつうのエンジニアであれば、これをランダムな〝ユーザー・エラー〟として片づけ、そのまま開発段階に進んだかもしれない。

しかし、エンブレイス・チームはデザインを改良した。

現在では、適温に達すると表示が単純に「 OK」に変わる仕組みになっている。

数値が表示されないので、母親が余計なことを考えることもない。

こうして、現場のエンド・ユーザーとともにプロトタイプを製作したことで、生と死を分けるような改良を施すことができたわけだ。

クラスが終わると、彼らは今後どうするかという難しい決断に直面した。

実際に動くプロトタイプが完成したところでやめることもできただろう。

ラフールとライナスはすでに将来有望な技術系スタートアップ企業で働きはじめていたし、ジェーンは M B Aを取得して就職先をいくつか見つくろっていた。

また、当初からのチーム・メンバーのひとりは、父親になったばかりで、プロジェクトにフルタイムで参加しつづけることはできなくなった(注 5)。

それでも結局、チームはプロジェクトを見殺しにすることはできなかった。

彼らは社会的起業プログラムやフェローシップに応募し、プロジェクトの継続資金を集めはじめた。

その後、ソーシャル・ベンチャーとして法人化を行ない、インドに行って自分たちの解決策を商品化した。

「ある意味では、見殺しにする勇気がなかったんです」とラフールは話す。

「世の中に影響を及ぼせる方法が見つかったというのに、目の前に〝いい就職の機会〟があるから見殺しにするって? そんな考えはとても受け入れられませんでした。

私は有意義な活動をするために、人生で最良の時間を捧げたかったのです」 2年間、チームはインドの各地を回り、母親、助産師、看護師、医師、店主の話を聞いた。

「本当の意味で優れたデザインを生み出すには、エンド・ユーザーに寄り添わなければならない、というのがエンブレイスの基本哲学なんです」とジェーンは話す。

「インドにいるあいだ、たくさんのことを学びました。

それがこの商品の成功に欠かせない役割を果たしてきたのです」(注 6)。

その過程で、克服しなければならない戦略上のハードルは無数にあった。

ユーザーのフィードバックに基づいてデザインを絶えず改良しつづける必要があったのだ。

「何から何まで手探り状態でした」とラフールは言う。

「医療用具を商品化する方法など、何ひとつわかりませんでした。

低価格を維持しながら、製品を緻密に開発・テストし、基準を守るにはどうすればいいのか? 町や村の人々は医療についてどう考えているのか? 商品やサービスを町や村に届けるには?」 2010年 12月、 ABCニュースの番組「 20/ 20」のあるコーナーで、エンブレイスの特集が組まれた(注 7)。

番組では、バンガロールで産まれた体重 2キロあまりのニーシャという女の赤ん坊の映像が紹介された。

ニーシャは臨床試験の一環でエンブレイス・インファント・ウォーマーを使ったひとり目の赤ん坊だ。

そしておそらく、エンブレイス・インファント・ウォーマーで救われたひとつ目の命だろう。

番組内では、スダーサという女性のインタビューも紹介された。

彼女は 3人の子どもを産んで 3人とも亡くした経験があった。

3人とも低体重のため、身体が小さすぎて体温が保てなかったのだ。

スダーサはエンブレイス・インファント・ウォーマーをしげしげと見ると、「これがあったら、私の赤ちゃんも死なずにすんだのに……」と言った。

このテレビ番組が放映されてから、チームは大きな成長を遂げた。

社員は 90名にまで増加。

今でも、製品そのものから流通モデル、組織構造まで、ありとあらゆる面で進化を続けている。

また、政府施設への商品の販売も開始し、インドの最貧困地域にも商品を届けられるようになった。

組織向けの販路を開拓したことで、新しい制約が生まれ、デザイン上の変更も必要になった。

ジェーンはハーバード・ビジネス・レビューの最近のブログ記事の中で、「コンセプトから製造、臨床試験済みの製品へと進むまでに、どれだけの時間と費用がかかるのか、ましてや製品を販売するための流通チャネルを築くのがどれだけ大変なのか、まったくといっていいほどわかっていませんでした」と記している(注 8)。

ほかにも、彼らの予測していなかった問題はあった。

製品自体には切実なニーズがあったのだが、今までの行動を変えて新しいインファント・ウォーマーを使ってもらうためには、親たちの説得が必要だったのだ。

普及率を上げるため、彼らは母親たちに低体温症の啓蒙を行ない、ヨーロッパの医療用具の基準を満たす臨床研究を実施した。

エンブレイス・チームの創意工夫と忍耐力によって、どれくらいの母親がスダーサと同じ運命をたどらずにすむのかは、まだわからない。

しかし、現時点で、彼らは 3000人を超える赤ん坊に手を差し伸べてきた。

そして、インドでの実験プログラムに成功した彼らは、さらに 9カ国の NGOパートナーと手を結び、 G Eヘルスケアと国際的な流通契約を結んだ。

最近では、電気がなくてもお湯だけで温められる保温器も発売した。

クリエイティブな力を伸ばす エンブレイスはシリコンバレーで誕生した。

しかし、個人であれチームであれ、イノベーションはどこでも起こりうる。

その火種になるのは、飽くなき知的好奇心、楽観主義、最終的な成功のために何度も失敗することを受け入れる能力、懸命に働く意欲、アイデアだけでなく行動を重視する考え方なのだ。

新しい解決策を生み出すのに必要なクリエイティブな力は、繰り返し育てていかなければならないものだ。

そのためには、日常生活でインスピレーションに遭遇

遭遇する機会を増やすよう心がけるのがひとつの手だ。

クリエイティブな力を伸ばすために日頃から心がけたい方法について、以下にご紹介しよう。

クリエイティブになると決意する。

クリエイティブになるための第一歩は、クリエイティブになりたいと決意することだ。

旅行者のように考える。

どんなに平凡なものでも見慣れたものでもかまわないから、外国を訪れる旅行者のように、周囲のものを新しい視点で見てみる。

ただ待っていてはいけない。

新しいアイデアや体験に身をさらそう。

「リラックスした注意」を払う。

ひらめきは、具体的な作業に没頭しているときではなく、精神がリラックスしているときに訪れやすい。

精神がリラックスしていると、一見すると無関係なアイデア同士に新しい接点を見つけられるからだ。

エンド・ユーザーに共感する。

解決策を届けようとしている相手のニーズや状況を深く理解した方が、よりイノベーティブなアイデアを思いつきやすい。

現場に行って観察する。

人類学者になったつもりで他人を観察すれば、目の前に潜んでいる新しいチャンスに気づくかもしれない。

「なぜ」で始まる質問をする。

「なぜ」を繰り返すことで、表面的で些細な点から、問題の核心へと迫ることができる。

たとえば、なぜ時代遅れの技術(固定電話など)をいまだに使っているのかと誰かにたずねれば、実用性よりも心理と結びついた理由を教えてくれるかもしれない。

問題の枠組みをとらえ直す。

疑問の枠組みをとらえ直すことが、絶妙な解決策を生み出す第一歩になることもある。

別の視点から出発すれば、問題の本質にたどりつくきっかけになるのだ。

心を許せる仲間のネットワークを築く。

一緒にアイデアをぶつけ合うことのできる仲間がいた方が、創造力を発揮しやすいし、何より楽しい。

では、各項目について、ひとつずつ詳しく見てみよう。

クリエイティブになると決意する 30年以上にわたって知性、知恵、創造性、リーダーシップについて幅広い研究を行なっている心理学者のロバート・スタンバーグによれば、彼の調べたクリエイティブな人々にはみな、ひとつの共通点があったという。

ある時点で、クリエイティブになると決意したのだ(注 9)。

彼らには次の傾向が見られた。

●解決策を探し出すために、問題を新しい方法でとらえ直す。

●賢くリスクを冒し、失敗をイノベーション・プロセスの一部として受け入れる。

●現状を打ち破ろうとしているときに生じる障害と向き合う。

●自分の進んでいる道が正しいかどうかわからないときのあいまいな状況に耐える。

●いつまでも同じ技術や知識にすがるのではなく、知的な面で成長しつづける。

スタンバーグはこう述べている。

「心理学者が誰かに創造性を教え込みたいと思うなら、クリエイティブになる決意を促し、そう決意する喜びを植えつけ、必ずやってくる難問に対してあらかじめ免疫を付けさせる方が、うまくいく確率は高いだろう。

クリエイティブになると決意したからといって、創造力が湧いてくるとはかぎらないが、そう決意しなければ湧いてこないことは確かだ」 何もしないで創造力が湧いてくることはまずない。

意識的にクリエイティブになると決意する必要があるのだ。

この決意がいかに重要かを実証している人物といえば、ジル・レヴィンソンだ。

ジルは IDEOのビジネス開発チームに加わる前、広告業界で 6年間働いていた。

広告業界で「クリエイティブ」といえば決まった集団を意味していて、ジルには縁遠い排他的な一団を指していた。

「もちろん、私の仕事にもクリエイティブな側面はありました。

でも、〝クリエイティブ〟と私のような彼らの補佐役には、明確な境界があったんです」とジルは説明する。

ある日の自宅でのこと、ジルはもっとクリエイティブになろうと決意した。

彼女はファッションのアイデア、レシピ、 DIYのプランといったオンライン・コンテンツを視覚的に収集・共有するソーシャル・ネットワーク「ピンタレスト」に登録した。

彼女は友人が主催するシンコ・デ・マヨ(訳注:メキシコ発祥の5月 5日の祝日。

アメリカでは盛大に祝われる)のパーティに行く前、ピニャータ・クッキーのレシピを掲載した(注 10)。

クッキーは 3層になっていて、真ん中の層には、小さなエム&エムズ・チョコレートが隠れている。

色とりどりのクッキーは人々の心をわしづかみにした。

1週間もしないうちに、彼女のアイデアは 500回以上も再掲載された。

ジルはその後もピンタレストでいろいろなものを収集しつづけた。

すると驚いたことに、彼女の収集スタイルは絶大な人気を集めた。

フォロワーが 10万人を超えると、彼女はピンタレストそのものからも注目された。

ピンタレストのサイト上で彼女の特集が組まれ、 2012年後半になると、ジルのフォロワーは 100万人を超えていた。

ジルはこの経験が自身の創造力に対する自信を目覚めさせたのだと話す。

広告業界にいたころ、〝クリエイティブ〟の補佐役だった彼女は、どちらかといえば自分を創造性とは縁遠い人間だと思っていた。

しかし今では、ピンタレストのようなサイトは創造性を表現するのにうってつけのツールだと考えている。

参加のハードルは恐ろしく低いし、全員に創造性を発揮するチャンスがあるからだ。

「ここに来れば、自分が何かをやっている、誇りに思えることをしているという事実を実感できるんです」とジルは言う。

「たとえ私のやっていることが世界一すばらしいことや世界一クリエイティブなことではないとしても、やはり価値があるのです」 現在、ジルはクライアントとの仕事もクリエイティブだと感じている。

クリエイティブであるためには、一から何かを生み出す必要も、唯一無二の創造者になる必要もないと彼女は考えている。

自分にできる何かを加え、創造的な貢献をすればいいのだ。

旅行者のように考える 外国の都市を旅した経験はあるだろうか? 「旅は視野を広げる」という言葉をよく聞く。

しかし、この使い古された格言には、深い真理が潜んでいる。

外国では、道路標識、郵便受け、レストランでの支払い方法など、何から何まで自分の国とは違うので、色々な物事が自然と目に飛び込んでくる。

そして、あらゆる細部に気づくわけだ。

旅が良い経験になるのは、旅に出ると頭が冴えるからではなく、細部に注目するようになるからだ。

旅に出ると、私たちはシャーロック・ホームズのように周囲のものをじっくりと観察する。

つまり、新しい未知の世界を理解しようと懸命に努力しつづけるわけだ。

しかし、普段の日常生活となると、私たちは周囲のものの多くには目もくれず、自動運転で過ごしていることがあまりにも多い。

問題点に気づくには──そして物事のやり方を改善する機会に気づくには──、新しい視点で世界を眺めるのが効果的なのだ。

アイデアが次から次へとひっきりなしにあふれてくるクリエイティブな人々と会うと、「ほかの人とは違うモードで動いているんじゃないか」と感じることも多いだろう。

たいていの場合、実際にそうだ。

クリエイティブな人々は、すべてのアンテナをオンにしている。

しかも、たいてい感度を最大まで上げている。

しかし実際のところ、誰でも同じモードで動作する能力を持っているのだ。

そこで、「初心」に返ってみてほしい。

子どもにとっては、何もかもが新鮮だ。

だから、たくさん質問をし、目をまんまるに見開いて世界を観察し、すべてを吸収していく。

どこへ行っても、「あれはもう知っているよ」ではなく「あれって面白くない?」と考えるわけだ。

dスクールでは、見慣れたものを再発見することの力を知ってもらうため、経営幹部たちをよくガソリンスタンドや空港といった場所に連れていく。

彼らは空港がどんなものなのか正確にわかっていると思い込んでいる。

だから、私たちは彼らを座らせ、乗客が列に並ぶ様子、コンベアからかばんを受け取る様子、空港の担当者と話す様子を観察してもらう。

すると空港を出るころには、ほとんどの人が初めて気づいた事実にすっかり面を食らっている。

念のため搭乗時刻の 4時間前に到着し、ゲートの前にひとりで座っている乗客(注 11)。

搭乗の開始時刻になってようやく支払いをしている大慌ての母親。

機内に乗り込むときに飛行機の横っ腹を 3回ポンポンポンと叩いたりして、安全祈願のゲンかつぎをする人。

見慣れたものを再発見するプロセスは、注意深く観察するだけで違うものが見えてくることを示す好例だ。

ぜひみなさんも、初心に返ったつもりで、職場への通勤、夕食の食べ方、会議の準備方法など、日常の行動やモノを見つめ直してみよう。

慣れきった日常の中に、新しい洞察を探そう。

宝探しをしているような気分で。

旅行者の視点を取り入れ、初心に返れば、普段なら見逃してしまうような細かな点にどんどん気づくだろう。

先入観を脇にのけ、周囲の世界に没入しよう。

いったんこの高感度モードに入ってしまえば、インスピレーションを積極的に探しはじめる準備はできている。

そして、インスピレーションという点でいえば、量が大事だ。

たとえば、ベンチャー・キャピタリストがあれほどビジネスの手腕に長け、最終的に成功できるひとつの理由は、ふつうの人よりもたくさんアイデアを見ているからだ。

何といっても、若くて情熱的な起業家が、融資を得ようと、まったく新しいビジネス・アイデアを携えて毎日山のようにやってくるのだ。

ベンチャー・キャピタル業界では、これを「ディール・フロー」(投資案件の引き合い数)と呼ぶ。

そのほかの条件がみな同じなら、ディール・フローが優れていればいるほど、ベンチャー・キャピタルの成功率は高くなるのだ。

ベンチャー・キャピタルのディール・フローについていえることは、アイデア・フローについてもいえる。

1日のうちに視界に入ってくる斬新なアイデアが多ければ多いほど、重大な洞察が得られるだろう。

ノーベル賞受賞者のライナス・ポーリングは、「いいアイデアを得たければ、まずは多くのアイデアを得ることだ」と述べたことで有名だ。

IDEOでは、刺激的な新技術、発想を掻き立てる事例研究、最新の動向について、常に大量の会話を交わすよう心がけている。

共同黒板を設ける(注 12) インスピレーションを探すひとつの方法は、オンラインでも現実の世界でもいいので、想定外のスペースで質問をすることだ。

たとえば、 IDEOのサンフランシスコ・オフィスでは、洗面所のひとつに、床から天井まである黒板を設けている。

この黒板はカジュアルなフォーラムのような役割を果たし、現在の状況やみんなの考えをサッと確認できる。

「今年できそうな面白いことは?」「友人に勧める健康的なおやつは?」といった質問が黒板を飾る。

時には、空っぽの水槽など、未完成の絵を描いておき、書き込みを促すこともある。

共同黒板を作るポイントとして、 IDEOのシニア・エクスペリエンス・マネジャーのアラン・ラトリフは次のいくつかのコツを紹介している。

まず実験する。

壁を本格的に黒板にする前に、色々なサイズや配置を試そう。

私たちの場合、小さめの黒板から始め、アイデアが軌道に乗ってから大きくした。

今では、なるべく柔軟に使えるよう、壁に直接黒板の塗装を施している。

材質を選ぶ。

私たちは大半の会議室でホワイトボードを利用しているが、黒板とチョークを使うのも代替策として面白い。

つい書いてみたくなるし、消しやすいので、気軽に内容の追加や変更をしてもらえる。

アイデアを促す。

真っ黒な黒板は威圧感がある。

そこで、きっかけとなる質問やベースとなる絵をあらかじめ描いておき、弾みを付けよう。

定期的に消す。

冷蔵庫の中味と同じで、黒板の中味も 1週間もすれば古くなる。

そうなったら、すべてを消してまた一から始めるタイミングだ。

視界に入ってくる名案に目を光らせよう。

多くのアイデアに触れれば触れるほど、「たくさんのアイデアを見て最良のものに投資する」というベンチャー・キャピタリストの技を活かすことができる。

だから、リスクとメリットがそれぞれ異なるような、短期的なアイデアや長期的なアイデアの山を築こう。

そして、アイデアをデジタル・フォルダーに保存したり、壁に貼り出したりして管理しよう。

また、「新しいアイデアの〝ディール・フロー〟を増やすにはどうすればいいか?」と自問しよう。

最後に何かの授業を受けたのは? 普段読まないような雑誌やブログを読んだのは? 新しいジャンルの音楽を聴いたのは? いつもと違うルートで出勤したのは? 知らないことを教えてくれる友人や同僚とコーヒーを飲んだのは? ソーシャル・メディアを通じて〝ビッグ・アイデア〟を持つ人々とつながったのは? 思考の新鮮さを保つには、常に新しい情報源を探すことだ。

たとえば、私たちは 1年に数十回も TEDトークを見るし、毎朝愛用のニュース・アグリゲーター(訳注:オンラインのニュース・サイトやブログから最新のコンテンツを収集して、一目で確認できるツール)に目を通すし、見事に編纂された「クール・ニュース・オブ・ザ・デイ」などのオンライン・マガジンも購読している(注 13)。

また、 7カ国の 600人を超える IDEO従業員が、「聞き逃すのはもったいない」と思う選りすぐりのアイデアを共有している。

そう聞くと大変そうに感じるかもしれないが、そんなことはない。

自分に合ったデータ・ストリームさえ見つかれば、信じられないくらいのパワーが湧いてくるのだ。

インスピレーションを探すのにうってつけの場所がもうひとつある。

文化の異なるほかの組織で新しいアイデアを探すのだ。

異なる部門、異なる会社、異なる業界で話を聞くことは、しばらく同じ仕事しかしていない人々にとって、特に有効だ。

いくら自分の業界について最新のブログや雑誌を読んだりして、一流の情報に触れていても、競争相手とまったく同じデータを見ているかぎり、競争で優位に立つのは難しい。

とすれば、外に目を向け、新しい情報源を探してみてはどうだろう? ロンドンにあるグレート・オーモンド・ストリート病院の小児集中治療室の責任者は、テレビで F1のピット・クルーを見ていてインスピレーションを得た(

た(注 14)。

彼は F1チームが見事な連携で順序よく作業をこなし、ものの数秒でレース・カーを整備する様子に感動した。

それとは対照的に、彼の病院では、手術室から集中治療室への患者の引き継ぎがめちゃくちゃな状態だった。

そこで彼は、常識では考えられない方法を取った。

フェラーリのピット・クルーに病院職員の指導を依頼したのだ。

医師や看護師たちはピット・クルーの技法を新しい行動へと変えた。

たとえば、必要な会話をなるべく少なくするために、すべての役割について、作業内容やタイミングを綿密に定めるようになった。

また、チェックリストを追いながら患者の重要な情報を伝えるようになった。

ウォール・ストリート・ジャーナルの報告によると、フェラーリにヒントを得た変更のおかげで、技術的なミスが 42パーセント、情報伝達のミスが 49パーセントも減ったという。

アイデアが欠乏すると、どうしても所有欲や縄張り意識が強くなり、選択肢が狭まってしまう。

アイデアの在庫が少ないと、数少ないアイデアの中から選ばざるをえなくなる。

そして、たとえそれが最善のアイデアではなくても、猛烈に擁護するようになるのだ。

しかし、アイデアが豊富で簡単に出てくるような環境、たとえば 1日に 10個以上のアイデアが飛び出すような環境では、アイデアに縄張り意識を持つ必要がない。

それに、あなたのアイデアとほかの人のアイデアが混ざり合っても、何の問題もない。

手柄は全員のものなのだ。

何といっても、多くの考えがもとになって最終的なアイデアが生まれたのだから。

ビジネス界の第一人者、スティーブン・コヴィーは、この考え方を「豊かさマインド」( abundance mentality)と呼んでいる(注 15)。

そして、豊かさマインドを持っていれば、白紙の状態から洞察へと進むのはずっとラクになるのだ。

スタンバーグが言うように、クリエイティブになると決意するのは簡単だ。

しかし、常にインスピレーションを得つづけ、創造性を習慣へと変えるには努力がいるのだ。

「リラックスした注意」を払う 夢想にふけるのは悪いこととされている。

ハリウッド映画の教室のシーンを見てみてほしい。

たいてい、生徒が授業中にボーッと夢想にふけっていて怒られる。

教師が呼びかけているのに、生徒が窓の外を眺めたり、空を見つめたりしていて、注意されるのだ。

まさに「芸術は人生を模倣する」の好例だ。

なぜなら、私たちは夢想にふけることが多いからだ。

しかし、夢想にふけるのにはプラスの面もある。

カリフォルニア大学サンタバーバラ校の研究者、ジョナサン・スクーラーによれば、夢想にふけっているとき、私たちの脳は具体的な作業とは無関係なアイデアや解決策について考えていることが多いのだという(注 16)。

数々の研究によると、あれこれと夢想にふけることが多い人ほど、創造性のテストの得点が高いことがわかっている。

また、脳のネットワークに関する最新の研究でも、具体的な作業やプロジェクトに取り組まずに休んでいるとき、私たちの脳はアイデア、記憶、体験同士を予期せぬ形で結びつけることがわかっている。

実際、私たちは夢想が持つ問題解決能力を心から信じている。

時には、問題に集中するのをやめ、「リラックスした注意」( relaxed attention)を払う方がいいこともある。

これはデイヴィッドの師であるボブ・マッキムがよく使っていた言葉だ(注 17)。

この心理状態にあるとき、問題や課題は脳の一角にはあるが、最前列を占めているわけではない。

「リラックスした注意」は、完全に心を空っぽにする「瞑想」と、難しい数学の問題に取り組んでいるときのような鋭い「集中」とのちょうど中間に位置する。

私たちの脳は、問題に没頭していないとき、認知の飛躍を起こすことがある。

だからこそ、シャワーを浴びている最中や、散歩や長距離の運転をしているときに、名案が浮かんでくることがあるのだ。

デイヴィッドは脳裏に浮かんだアイデアを忘れる前にガラスの壁に書き残せるよう、浴室にホワイトボード・マーカーを常備している。

だから、目の前の問題で行き詰まったら、 20分くらい思考回路をオフにして、しばらくボーッとしよう。

突然、閃光のように解決策をひらめくかもしれない。

「リラックスした注意」を実践するコツ 問題で行き詰まったとき、精神の集中を解く方法をいくつかご紹介しよう。

人ごみを避け、邪魔の入らないところで散歩をしてみる。

歴史上の詩人、作家、科学者、あらゆる種類の思想家たちは、散歩中にインスピレーションを得てきた。

哲学者で詩人のフリードリヒ・ニーチェは、「本当にすばらしい考えはみな散歩中に生まれる」と述べた。

もしかすると、運動のおかげで血流が増すからかもしれないし、 1日じゅうずっと頭を占めている切実な問題と、心の距離を置けるからかもしれない。

「考え歩き」なら、昼夜を問わずいつでも行なえる。

リラックスした注意の威力を活用するもうひとつの機会は、朝にある。

といっても、ベッドから出る必要さえない。

アラームが鳴るなどして、深い眠りから覚めたとき、覚醒と夢の中間の夢うつつの状態になることがある。

この瞬間こそ、リラックスした注意を実践する絶好のタイミングだ。

私たちはこの夢うつつの状態を活かして、新しい解決策や斬新なアイデアをいくつも考えてきた。

もちろん、みなさんにもできる。

アラームのスヌーズ・ボタンを別の目的で使ってみよう。

スヌーズ・ボタンを「瞑想ボタン」と考え、 1日のはじめの貴重な瞬間を有効活用するのだ。

アラームが鳴ったら、瞑想ボタンを押し、「リラックスした注意」の状態で 5分間、頭を巡らせる。

あなたがずっと取り組んできた課題や問題について、ぼんやりと考えるのだ。

これを何回か試してみてほしい。

ちょっと練習すれば、 1日が始まる前に、斬新な洞察が見つかるようになるだろう。

エンド・ユーザーに共感する 数百万の顧客を抱える組織や、一般大衆にサービスを提供する業界では、顧客をステレオタイプ化したり、モノとしてとらえたりしがちだ。

すると、顧客は単なる数値、案件、正規分布曲線上のデータ点になる。

または、市場セグメンテーション・データに基づいて作られた人工的なペルソナの一部になってしまう。

このような単純化は、データを理解するうえでは有効だと思うかもしれないが、私たちの経験からいうと、生身の人間のためにデザインする際にはあまり役立たないのだ。

共感や人間中心という考え方は、多くの企業ではまだ本格的に実践されていない。

ビジネスの世界の人々は、めったに自社のウェブサイトを自分で使ったり、実際に人々が製品を使う様子を観察したりしない。

「ビジネスパーソン」という言葉から何を連想するかとたずねても、「共感」という答えが返ってくることは少ない。

創造性やイノベーションにおいて、「共感」とはどのような意味を持つのか? 私たちにとって共感とは、他者の目を通して体験をとらえる能力、人々がその行動を取る理由を理解する能力を指す。

共感するために、現場におもむき、人々が製品やサービスを利用する様子をリアルタイムで観察する。

これを私たちは「デザイン調査」( design research)と呼ぶこともある。

共感するには一定の時間と知恵が必要なこともある。

しかし、製品を届けようとしている相手を観察し、新しい洞察を得るのに越したことはない。

そして、意識的にエンド・ユーザーに共感しようとすれば、自分自身のエゴを脇にのけることにもなる。

私たちの経験からいえば、ほかの人々の真のニーズを理解することが、もっとも有意義なイノベーションにつながる。

つまり共感は、自分自身のアイデアやアプローチを際立たせる貴重な洞察──そして時に意外な洞察──を手に入れるための入り口なのだ。

このような人類学的な調査を現場で行い、プロジェクトの開始時にインスピレーションを集めれば、デザイン・プロセス全体を通じて得られるコンセプトやプロトタイプ

プロトタイプを実証できるし、アイデアやエネルギーが尽きてきたとき、勢いを取り戻すことができる。

IDEOや dスクールでは、自宅、職場、遊び場にいる人々をよく観察する。

製品やサービスを利用する様子を観察するのはもちろんだが、相手の考えや感覚をもっと深く理解するために、インタビューを行なうこともある。

この種の実地調査の結果、エンド・ユーザーの人物像に対する理解が変わることもある。

エンブレイス・チームも同じことをして、病院や診療所向けのデザインから、地方の村に住む母親向けのデザインへと方針を変えた。

IDEOでは、社会学の経歴や、認知心理学、人類学、言語学といった分野で修士以上の学位を持つ人々を、デザイン調査担当者として雇っている。

彼らはインタビューや観察から洞察を集め、統合するのが上手だ。

しかし、高度な学位などなくても、現場に行くことはできる。

IDEOや dスクールでは、ふつうはプロジェクトのチーム・メンバー全員がこのような実地調査に参加する。

その方が最終的なコンセプトにとってプラスになるからだ。

文化人類学者のグラント・マクラッケンは、「人類学は人類学者に任せておくには重要すぎる」と述べている(注 18)。

ちょっと練習すれば、誰でも共感力を磨くことはできる。

そして、共感力を磨けば、最高のアイデアを思いつけるかもしれない。

組織やチームの多くは、イノベーションを起こそうとする際にベンチマーキングを行なう。

競合他社のやり方をチェックし、〝ベスト・プラクティス〟とおぼしきものを抜き出すのだ。

言い換えれば、従来のやり方を疑ったり新しい洞察を探したりせずに、コピー&ペーストしてまねするわけだ。

2007年、アメリカの大手地方銀行の PNCファイナンシャル・サービシズは、若年層の顧客に訴えかけようとしていた(注 19)。

単に競合他社のやり方をまねたり、当座預金の利率を 0・ 5パーセント引き上げて、マーケティング・キャンペーンを行なって若者に宣伝したりすることもできただろうが、 PNCはその代わりに、若者向けの新しい種類の口座を作り、最初の 2カ月で 1万 4000人の新規顧客を獲得した(注 20)。

PNCはベンチマーキングから始めたわけではない。

自社が惹きつけようとしている顧客を理解し、その顧客との関係を改善することに力を入れたのだ。

PNCは、アメリカ全土の 6000万人以上の人々を対象に、小売銀行業務、法人向け銀行業務、資産管理サービスを提供している(注 21)。

当時、 PNCは「 Y世代」と呼ばれる新しい層にサービスを提供したいと考えていた。

Y世代とは、初代のデジタル・ネイティブ(訳注:生まれたときからインターネットやパソコンが当たり前の環境で育ってきた人々)を意味し、おおむね大学生から 30代半ばの人々を指す。

PNCのチームは Y世代の人々を理解するため、インタビューを行なった。

すると、 Y世代の人々は技術に精通していて、テクノロジーを生活にすんなりと溶け込ませるのは上手なのに、お金の管理についてはまったくといっていいほど無知だとわかった。

難なく暮らせる以上のお金を稼いでいる人でも、給与が振り込まれる前に支払いをしようとして、口座の残金がマイナスになることも多かった。

そして、彼らは助けが必要なことを認めていた。

そこで PNCのチームは、お金をより効率的に管理できるツールがあれば、 Y世代の人々の役に立つだろうと気づいた。

自分の資産をより主体的に管理できるようになれば、もっと貯蓄を増やせるし、使いすぎで残高がマイナスになるのを避けられる。

このプロジェクトの担当者のマーク・ジョーンズは、「その日暮らしのような生活を送り、お金の管理に苦労している人にとって大事なのは、物事をもっと視覚化してアクセスしやすくし、口座同士でとても簡単にお金のやり取りができるようにすることなのです」と話す。

銀行の顧客たちは、当座貸越手数料(訳注:顧客が預金残高を超えて資金を引き出した際、銀行から科せられる罰金)を避けたいと思っている。

しかし、そんな商品を開発するのは、銀行にとって勇気がいる。

当座貸越手数料は銀行業界でも特に儲けが大きい分野なのだ。

当時のアメリカの銀行は、当座貸越手数料で年間 300億ドル以上を荒稼ぎしていた(注 22)。

特に若者は、当座貸越手数料の餌食になりやすい。

しかし、 PNCは、お金に関する健全な行動をサポートすることで、顧客とより良好な長期的関係を築こうと考えたわけだ。

こうして生まれた「 PNCバーチャル・ウォレット」(仮想財布)は、 PNCの銀行商品の一種だ。

このツールを使えば、顧客は自分の金融資産にデジタルでアクセスし、お金をより効率的に管理できる。

帳簿の代わりにカレンダーが表示されるので、残高を視覚的にとらえ、給料日や支払日に基づいて将来的なキャッシュ・フローを見積もることができる。

残高がマイナスになる可能性のある「要注意日」がハイライト表示されるので、請求書の支払予定日を変更したりして、計画を見直すことができる。

資金のスライド・バーでは、「支出」「貯蓄」「投資」の資金配分を視覚的に表示し、管理することができる。

また、「貯蓄エンジン」を使えば、独自のルールを設定できる。

たとえば、給与を受け取った際にお金を自動的に貯蓄に回すことも可能だ。

この新しい方向性は功を奏した。

預金残高が増え、小切手の不渡りや当座貸越で得られる手数料がなくなった分を穴埋めした。

ある顧客は自身の体験についてこう話している(注 23)。

「私はついこのあいだ大学を卒業したばかりなのですが、自分では管理しきれないくらい、出ていくお金も入ってくるお金も増えました。

でも、バーチャル・ウォレットのおかげで、ある程度のお金を貯蓄し、請求書の代金をきちんと支払い、すべてのお金の流れを完璧に把握することができました。

こんなに自分のお金を管理できていると感じたのは、人生で初めてです」 PNCにとって、バーチャル・ウォレットは〝常識〟からの脱却だった。

しかし、脱却する自信を与えてくれたのは、ほかでもない顧客だった。

Y世代の人物像を知り、そのニーズを理解することで、 PNCは商品の長期的な成功を信じることができたのだ。

私たちが企業の経営幹部たちを顧客の観察、面会、さらにはインタビューに連れていくと、その経験は彼らの心に深く焼きつく。

「今では、単に開発してテストするのではなく、顧客とともにプロジェクトを開始し、より早い段階で効果的に顧客の考えを取り入れるようになりました」とフィデリティ・インベストメンツの最高カスタマー・エクスペリエンス担当責任者のフレデリック・レクターは話している(注 24)。

ビッグ・データの世界における共感(注 25) 共感を得るための調査と〝ビッグ・データ〟の活用へと向かう時流は、両立できないものなのか? 歴史的に、定量的な市場調査と定性的な研究や民族誌学的調査のあいだにギャップがあったのは事実だ。

しかし、本当に人間のリアルな話とデータを切り離して考える必要はあるのだろうか? 最近、デザイン調査担当者たちは、私たちが「洞察の掛け合わせ」と呼ぶ手法を使って、その溝を埋めはじめている。

洞察の掛け合わせとは、定量的な調査を人間中心のデザインへと組み込むアプローチだ。

そうすることで、データに物語を埋め込み、命を吹き込むことができる。

このやり方としては、人間中心の方法で調査を設計することが考えられる(たとえば、調査での質問の仕方や人々の興味を引きつける方法をじっくりと練るなど)。

または、より厳密にコンセプトを評価することもできる。

多数のユーザーを対象にプロトタイプをテストし、一定の方向性をさらに追求するべきかどうかを確かめるのだ。

適切なターゲット市場の中で、「共感に基づく洞察」と「分析の信頼性」を組み合わせるのが、両方の調査手法を最大限に活かすやり方だといえるかもしれない。

したがって、時流は今後もビッグ・データに向かうことは間違いないだろうが、意思決定をする者は、根底にある人間的な要素を決して忘れてはならないのだ。

現場で観察する 人々を自然な環境の中で観察するのは、難しいこともある。

特に、自分のことをすでに専門家だと思っている人にとってはなおさら難しい。

たとえば、あなたが大手製薬会社で働いているとしたら、おそらく人々の薬の飲み方をすでに知っているだろう。

しかし、共感とは、自分の先入観を疑い、自分が正しいと思うこと

ことをいったん脇にのけ、本当に正しいことを学ぶことなのだ。

IDEOのチームは、スイスの家庭用品会社「チリス」と協力し、 24種類の便利な台所用品シリーズの開発に取り組んでいたとき、現場におもむき、人々が日用品を使う様子を観察した。

そのひとつがアイスクリーム・スクープだ(注 26)。

もちろん、じっと机に座ったまま、人々が私たちと同じように道具を使うところを想像することもできただろう。

そうすれば、人間工学を駆使した取っ手や、アイスクリームをすんなりとすくえる道具をデザインしていたかもしれない。

しかし、台所に立つ人々と一緒に時間を過ごしてみると、顧客の行動から別の隠れたニーズが浮かび上がった。

多くの人々は、スクープを使い終えると、シンクに置く前にこびりついたアイスクリームを無意識にぺろりとなめていたのだ。

私たちはそれを見て、アイスクリームを容器からうまくすくえるだけでなく、すくい終わったあとに残ったアイスクリームを最後までなめられるアイスクリーム・スクープこそ、本当に優れたアイスクリーム・スクープなのだと悟った。

そこで、私たちはお口に優しいアイスクリーム・スクープを開発することにした。

手始めに、鋭利な箇所や舌がはさまるような可動部分をなくした。

単純に、アイスクリーム・スクープの使い方を人々にたずねることもできただろう。

しかし、それでは「スクープをなめる」とは答えなかっただろうし、そう聞かれても否定したかもしれない。

つまり、人々に望みを聞くだけでは、実地調査とはいえないのだ。

もちろん、実地調査をしたからといって、名案を考える手間が省けるわけではない。

それでも、潜在的なニーズ、つまり人々が意識していない隠れたニーズを理解する助けにはなる。

インタビューだけではそうはいかない。

時には、台所まで消費者を尾け回すことも必要なのだ。

私たちは未来の美容に関するプロジェクトでも、似たような教訓を学んだ(注 27)。

ターゲット市場は若い女性だったが、デザイン調査担当者たちはもっと奥深くまで踏み込み、〝エクストリーム・ユーザー〟を探した。

つまり、正規分布曲線の両端にいるようなユーザーを探したのだ。

エクストリーム・ユーザーの極端な要求や行動は、メインストリーム市場に芽生えかけているニーズを指し示していることも多い。

エクストリーム・ユーザーの予想外の観察結果から、洞察やインスピレーションが得られることもあるのだ。

たとえば、私たちの調査担当者がインタビューしたあるエクストリーム・ユーザーは、フォークリフトの運転手だったのだが、口ではいちども自分自身のケアなどしたことがないと言っていた。

しかし、彼と話すうち、クライアントのあるチーム・メンバーは、彼の座っている場所の隣に足湯の道具が置かれているのに気づいた。

そこで、彼女は誰のものかたずねた。

すると、運転手はその足湯を「ちょっとした癒し」と呼んでいることがわかった。

彼は作業ブーツを履いていてできたマメや外反母趾を癒すため、エプソム・ソルトを溶かしたお湯に両足を浸していたのだ。

また、彼はペディキュアや特殊なフット・クリームも日常的に利用していた。

彼の自宅を訪れなければ、こうした行動を発見することはできなかっただろう。

現場での観察は、インタビューを大きく補い、意外な事実や隠れた機会を明らかにしてくれる。

目に見えるものと期待するものに食い違いがある場合は、もっと掘り下げなければならないというサインなのだ。

このような潜在的なニーズは、探してみると至るところに見つかるようになる。

数年前、トムは同僚で作家のカラ・ジョンソンと一緒に、日本の新宿駅のプラットフォームを歩いていた。

新宿駅といえば、世界でもっとも乗降客数の多い鉄道駅であり、 1日に 300万人以上が改札を通る。

その中には、買い物客、学生、そしてホワイトカラーの〝サラリーマン〟など、さまざまな人がいる。

カラとトムは、目の前の若い日本人女性が、ヴィヴィッドな色のスニーカーを履いているのに気づいた。

しかし、ふたりが目を奪われたのは、その日の新宿駅を埋め尽くす何百万足という黒い靴の中に、ぽつんと色鮮やかな靴があったからだけではない。

もっと奇異だったのは、左右の色が違うという事実だった。

どちらもイマドキの靴には違いなかったが、左の靴は水色、右の靴は強烈なピンクだったのだ。

いったいどういうわけか? 真っ先に思いついた考えは、まったく同じ靴がもう 1足、自宅にあるというもの。

もちろん、左右の色は逆なわけだが。

ふたつ目の考えは、靴のサイズが同じ女性の友だちがいるというもの。

しかし、もっとも興味をそそられたのは3つ目の考えだった。

左右色違いの靴には、立派な市場機会があるのではないだろうか。

トムはこの〝バカバカしい〟考えをすぐに否定したくなった。

しかし、当時の彼が気づいていない事実があった。

左右色違いの靴下を販売して成功している企業はすでにあったのだ。

「リトルミスマッチ」という会社は、「ぜんぶバラバラ、その代わりどれでも OK」をモットーに、色違いの靴下を販売していた(注 28)。

リトルミスマッチは設立 3年で収益を 500万ドルから 2500万ドルに伸ばし、その後も成功しつづけている。

それなら靴もイケるのでは? 次に変なモノを見かけたら、先入観を持たずに接してみよう。

目の前に潜むビジネス・チャンスが見つかるかもしれない。

どれだけ出世しても、どれだけ専門知識を身に付けても、常に新しい知識や洞察を取り入れることは欠かせない。

そうしなければ、既存の〝知識〟を過信し、間違った判断を下しかねないからだ。

情報に基づく直感が有効なのは、最新の正確な情報に基づいて判断した場合だけなのだ。

トムは数年前、古い知識がどれだけ危険かをつくづくと思い知らされた。

それはシンガポール副首相(現大統領)のトニー・タンに招かれ、「アイランド・フォーラム」というシンクタンクに参加したときのことだ。

1985年ごろ、トムは 1年間の大半をシンガポールで過ごしながら、かの有名なシンガポール航空と仕事をしていた。

シンガポールのどの場所も自分のアパートから約 30キロメートル圏内にあったので、その街を深く知るのは簡単だった。

オフィスにトニー・タンからの招待状が届くと、トムはシンガポールへの旅が待ち遠しくてたまらなくなった。

自分の行きつけの場所をいくつか思い出した。

シンガポールの文化を心から楽しんでいたのだ。

しかし、飛行機から超現代的なチャンギ空港に降り立って 5分としないうちに、トムは自分がシンガポールのことを少しもわかっていなかったことを思い知らされた。

彼が知っていた 1985年のシンガポールの面影はどこにもなかった。

シンガポールはトムが発って以来、ずっと進化を続けていた。

ラサ・シンガプーラにあった屋外の屋台はなくなっていた。

トムがこの世でいちばん美味しいと思った屋台の食事だ。

もうたった 2ドルで夕食にチキン・サテをつまむことはできなくなったのだ。

新設された地下鉄のマス・ラピッド・トランジット・システムは、彼の滞在中には大規模な工事の真っ最中だったが、今では 50もの駅が都市を縦横無尽に結んでいた。

それに、ホテルの半数は、新設されたか所有者が変わったようだった。

この一件以来、トムは「 1985年のシンガポール」の教訓をずっと忘れないようにしている。

アメリカの作家のマーク・トウェインは 1世紀前、「トラブルを招くのは、知らないことではない。

知っていると思い込んでいて、実際には知らないことだ」と述べている。

みなさんも、顧客、自分自身、ビジネス、世界について、知っていると思い込んでいる物事にだまされてはいけない。

周囲を観察し、世界観を改める機会を積極的に求めよう。

「なぜ」で始まる質問をする 学習速度を上げる最良の方法のひとつといえば、質問をすることだ。

「なぜ?」や「 ~だったらどうなるか?」というタイプの質問をすれば、表面的な細かい点を無視し、問題の核心に迫ることができる。

医師は病気を診断するため、日常的に患者に質問をする。

しかし、「なぜ?」や「 ~だったらどうなるか?」というアプローチを加えることで、診断を改善できる。

もしかすると、治療にも良い影響が出るかもしれない。

アマンダ・サマンは、メディカル・ディレクターとして最近 IDEOの仕事にかかわるようになった外科医だ。

彼女がいかにも経験豊富な医者らしい自信をただよわせながら、手慣れた様子で患者の状態を調べ、すばやく診断を下す光景は容易に想像できる。

そういうわけで、アマンダは最初のデザイン・プロジェクトで病院の実地調査を行なうことになると、自分のホーム・グラウンドにいるような気分だと私たちに言った。

夜勤を終えると、彼女は医療衣と IDカードを着け、チームメイトとともに幼い患者の問診に当たった。

「私は診察室に入り、〝こんにちは。

医師のサマンといいます。

症状について聞かせてください〟と言いました」とアマンダ・サマンは話す(注 29)。

彼女はこんな教科書に出てきそうな医師の言葉を使って、いつも患者に話しかけていた。

するとチームメイトが優しく会話をさえぎり、少年の隣に座って、彼が携帯電話で遊んでいるゲームについて雑談を始めた。

アマンダが観察していると、少年は心を開き、とうとう自分の病気だけでなく、家族、日常生活、医師や治療に対する感想まで話しはじめたのだ。

アマンダは自分が医師として、共感を築くのではなく、患者の病歴や治療計画をはっきりさせることばかり考えていたことに気づいた。

「病院では、どうしても自分の本来の仕事の仕方になってしまいます」とアマンダは言う。

「でも、別の視点で問診に臨むことで、色々なことを学びました。

そして、いつものように単刀直入な質問を繰り返すだけではわからないようなことがわかったのです」 飲み込みの早いアマンダは、次に救急救命室に呼ばれたら今回の教訓を活かそうと決めた。

次に会った患者は、 3週間前に手首を骨折した年配の女性だった。

しかし、診察してみると、手首はいまだに紫色に腫れていた。

どう見ても治療を受けた形跡がない。

女性を病院に連れてきた娘は怒っていた。

普段なら、怪我の診察を終えると、治療歴(この場合は治療歴がないこと)を記録し、引き続き手を専門とする外科医の治療を受けるよう勧めていただろう。

しかし、彼女は患者の手首以外にも、異様な雰囲気を感じ取った。

「ふつうなら、家族同士のいざこざや、治療が必要な母親への娘の怒りに対処するのは、医師の仕事ではないと考えるでしょう」と彼女は話す。

しかし、アマンダは今回、ふと立ち止まって外科的でないアプローチを試してみることにした。

そこで、彼女は患者自身についてたずねてみた。

すると、彼女がエネルギー療法(訳注:鍼、指圧、気功など、身体的な接触のあるなしにかかわらず生体エネルギーを用いて行なう治療法)の実践者だとわかった。

彼女は友人に頼んで手首にエネルギー療法を施してもらい、ある程度の効果があったので、医者のところに来なかったというわけだ。

それを聞いて、アマンダは言い方を変えてみた。

「確かにエネルギー療法にも一定の役割はありますが、骨折の場合はさすがに医師の助けが必要です。

そうしないと、手首が固くなって、今後エネルギー療法を実践できなくなる危険性がありますよ」と。

患者の言い分を理解しなければ、こんな風には言えなかっただろう。

外科医の思考から人類学者の思考へと頭を切り替えたことで、アマンダは患者と深いつながりを築くことができた。

そうすることで、共感を築くという目的をきちんと理解し、状況に応じた治療を行なうことができたのだ。

あなたはクライアントや顧客とどう接しているだろう? 深く掘り下げるような質問をしているだろうか? それとも自分の聞きたい内容を聞き出しているだけなのか? 相手と深いつながりを築いているだろうか? それともただ相手と接しているにすぎないのか? 認知発達学の博士号を持つ IDEOのベテラン・デザイン調査担当者のコー・リータ・スタッフォードはこれまで、エンド・ユーザーになるかもしれない人々に数々の質問をしてきた(注 30)。

彼女が質問に命を吹き込むために使っているひとつの方法は、遊び心を加えるというものだ。

単に「なぜこの本がそんなに好きなの?」と聞く代わりに、「この本を読むよう友だちを説得するとしたら、何て言う?」と聞き、質問をゲームに変えるのだ。

つまり、〝型どおり〟の回答を避け、もっと有意義な答えを引き出すために、質問の枠組みをとらえ直しているわけだ。

たとえ難しい質問でも、文化的な壁や〝政治的〟な壁を乗り越えやすいようにすることはできる。

たとえば、革新的なアプローチに反対しそうな社内の部署を明らかにしたいと思っているとしよう。

その場合、彼女は「どんなに厄介なプロセスや人々でも乗り越えられる〝無敵〟マントを手に入れたとしましょう。

そのマントをいつどこで使いますか?」と聞く。

質問の仕方を工夫するだけで、大きな違いが出ることもあるのだ。

インタビュー・テクニック(注 31) 共感とは、顧客のところに行き、顧客の要望を聞き出し、望みどおりのものを与えることだと誤解している人もいる。

だが、ふつうこの戦略はあまりうまくいかない。

自分のニーズを表現できるほどの自己認識(または語彙)がある人は少ないからだ。

それに、世界にまだ存在しない選択肢まで考えてくれる人はまずいない。

共感とはむしろ、人々がはっきりと表現できない隠れたニーズを理解することだ。

生身の人間やその行動を観察すれば、単刀直入な質問だけでは見出せない教訓が学べるのだ。

そこで、 IDEOの「人間中心のデザイン・ツールキット」( Human-Centered Design Toolkit)をもとに、いくつかのインタビュー・テクニックをご紹介しよう。

現場で実践する前に、仲間と一緒に練習してみてほしい。

見せてもらう 人々の自宅、職場、行きつけの場所を訪れたら、普段使っているもの(モノ、スペース、道具など)を見せてもらおう。

あとで思い出せるように、写真やメモとして残すといいだろう。

そして、普段の日常生活をありのまま再現してもらおう。

描いてもらう 図やダイアグラムを使って、相手の体験を視覚的に表現してもらおう。

この方法は、思い込みを暴くのには打ってつけだ。

また、相手がどのように考え、行動に優先順位を付けているのかを理解するのにも役立つ。

5回の「なぜ?」 何か質問をして、相手が答えを返してきたら、「なぜ?」と質問しよう。

その答えに対してもまた「なぜ?」と聞こう。

5回続けて「なぜ?」と問うのがポイント。

そうすれば、相手は自分の行動や考え方の根底にある理由を探り、表現しようとするはずだ。

わかりきったことに思えても、相手(または自分の)思い込みを深く掘り下げよう。

声に出して考える 具体的な作業を行なってもらう場合には、考えていることを声に出して説明してもらおう。

そうすれば、相手の動機、懸念事項、認識、思考の過程を理解できるだろう。

多種多様な人々に質問をすれば、新しい回答を引き出しやすくなる。

たとえば、想定外の専門家に話を聞いてみるといい。

冷蔵庫を開発しているなら、修理屋にいちばん修理する機会が多い部品を聞いてみよう。

目の見えない人にスマートフォンの使い方を聞いてみよう。

バイオミミクリー(生体模倣)の専門家にアリの観察から人間が学べることを教えてもらおう。

SF作家にパッケージングの未来について考えてもらおう。

また、色々な年齢層の人々に意見を聞くのもいい。

いちばん年少の同僚やチーム・メンバーが、プロジェクトの前進につながる新しい視点を与えてくれることもある。

長年の勤務経験を持つベテランの経営幹部にとって、自分よりも若い〝逆メンター〟(訳注:メンターの逆。

通常は先輩が後輩のメンター(師、相談相手)となるが、技術や最新文化など若い人が得意とする分野で、逆に若い社員がベテラン社員の師となることを逆メンタリングという。

『イノベーションの達人!』では「師弟関係の逆転」と訳されている。

96 ~ 98ページを参照)を探すのは、時に絶好の方法といえる。

お互いが関心を持つ分野で成長や繁栄を続け、新しい文化の波についていくには、逆メンタリングが最適なのだ。

また、逆メンタリングは、組織の上下関係を超えて意外な情報源から新鮮なアイデアを集め、過去の経験に頼りすぎてしまう会社の悪い癖を直すのにも優れている。

IDEOの逆メンターたちは、最新のスマートフォン・アプリに関するちょっとしたコツから、若いチーム・メンバーにやる気を与えるにはどうすればいいかという実践的なアドバイスまで、あらゆる面で助けになっている。

問題の枠組みをとらえ直す 時に、問題の枠組みをとらえ直すことが優れた答えへの第一歩になる。

問題を提起する段階では、自分の求めているものや正しい解決策がすでにわかっていて、あとはその達成方法を練るだけでいいという前提で話が進められることも多い。

しかし、解決策を探しはじめる前に、一歩下がって、掲げている疑問自体が正しいかどうかを確かめてみよう。

偉大なリーダーは問題の枠組みをとらえ直すのが上手だ。

たとえば、シスコシステムズ社 CEOのジョン・チェンバースは、シスコの高級テレビ会議システム「テレプレゼンス」の未来について考える際、「どうすればテレビ会議を改良できるか?」という単純な疑問を、「どうすれば飛行機の旅に代わる実現可能な選択肢を提供できるか?」ととらえ直した(注 32)。

問題の枠組みをとらえ直すことで、有望な新しい方向に踏み出せることもある。

IDEOのチームはこれまで、数々の精密医療用具や手術器具をデザインしてきた。

私たちのクライアントは、医師から今までの副鼻腔手術用の切開器具は手が疲れるという不満を聞いたとき、「どうすれば器具をもっと軽くできるか?」という疑問を掲げた(注 33)。

確かに、これは問う価値のある疑問だ。

解決策としては、素材をより比強度の高いものに変えたり、複数の部品をひとつにまとめたり、モーターの仕様をより小さくて軽いものに変えたりすることが考えられるだろう。

どれも実現性のある選択肢ばかりだ。

しかし、私たちは次のように問題の枠組みをとらえ直した。

「どうすれば長時間の手術でもラクに持ちつづけられる手術器具を作れるか?」。

新しい疑問を掲げたことで、考えられる解決策の幅はぐっと広がった。

私たちはメーカーや会社の医療顧問委員会と密接に協力しながら、持ちやすさに照準を移し、器具をデザインし直した。

こうして完成した器具は、従来よりもむしろ数グラム重くなったかもしれない。

でも、外科医には好評だ。

IDEOのミュンヘン・オフィスでは、枠組みをとらえ直した問題を「クエスチョン・ゼロ」と呼んでいる。

クリエイティブな解決策を探す新たな出発点になるからだ。

問題の枠組みをとらえ直すことで、より有効な解決策を見つけられるだけでなく、より重大な問題に対処することもできる。

たとえば、多くの人は、大学の中退率が高いのは、学生に学費を支払う金銭的余裕がないからだと考えている。

この前提からいえば、根本的な問題は奨学金や金銭的支援の不足だといえる。

しかし、調査によれば、純粋に金銭的な理由で中退する学生は、全体のわずか 8パーセントにすぎない(注 34)。

現在、研究者はほかの要因が重要な役割を果たしていることに気づきつつある。

たとえば、基礎的な学力不足などの具体的な要因から、やる気や帰属意識の欠如などの見えない要因まで、さまざまなものがある。

このような深い疑問に行き着かなければ、より根の深い問題はとうてい解決しようもない。

早急に答えを求めているときでも、疑問の枠組みをとらえ直すくらいの時間はかける価値があるのだ。

問題の枠組みをとらえ直すもっとも強力な方法のひとつは、問題に人間味を加えるというものだ。

G Eのダグ・ディーツの場合、「 MRIスキャナーのデザイン」から「幼い患者に安全に喜んで MRIスキャンを受けてもらう方法」へと問題の枠組みをとらえ直したことで、製品ばかりか自分自身の人生までも変えた。

そして、ちょっぴり人間味を加えるだけでずっと良くなるのは、何も MRIだけではない。

周りを見渡せば、人間のニーズよりも機械のニーズを優先して作られているものがいくらでも見つかるだろう。

たとえば、私たち筆者はふたりとも 1メートル 80センチ超の身長がある。

なぜ自動販売機から炭酸ジュースを取り出すのに、毎回毎回わざわざ膝を曲げなければいけないのだろう? 重力で足下の取り出し口まで缶を落とす方が、腰の高さまで持ち上げるよりも、機械にとってラクだからだ。

機械の勝ち。

人間の負けだ。

20年間にわたってスタンフォード大学のプロダクト・デザイン・プログラムのディレクターを勤めたロルフ・ファスティは、「問題にそもそも解決する価値がないなら、巧みに解決する価値もない」が口癖だった。

適切な疑問の解決に力を注ぐかどうかで、漸進的な改良になるのか、画期的なイノベーションが生まれるのかが分かれることもある。

イノベーションの多くは、真の問題やニーズに気づき、その解決策を探しはじめたときの「そうだったのか!」という瞬間に生まれるものなのだ。

問題の枠組みをとらえ直すテクニック 問題の枠組みをとらえ直す方法をいくつかご紹介しよう。

ぜひみなさんも、次の方法を試し、もっといい疑問の掲げ方はないか確かめてみよう。

人間のニーズに対処する疑問、発想を広げる疑問を見つけてほしい。

明白な解決策から離れる。

たとえば、より効率的なネズミ取りを発明しようとするのではなく、家にネズミを寄せつけない別の方法を考えてみる。

もしかすると、ネズミ取りの問題ではないのかも。

焦点や視点を変える。

ジョン・ F・ケネディはアメリカ国民に向かって、「国がみなさんに何をしてくれるかではなく、みなさんが国のために何をできるかを問おうではないか」と訴え、国民の権利と義務について考え直すよう迫った。

別の当事者に目を向けることで、視点を切り替えられることも多い。

たとえば、子どもから親、自動車の売り手から自動車の買い手など。

真の問題を突き止める。

10年前、ハーバード・ビジネス・スクール教授のセオドア・レビットは、「人々は 4分の 1インチ径のドリルが買いたいのではない。

4分の 1インチ径の穴を開けたいのだ!」と述べた。

ドリルにこだわっていたら、レーザーを使って、ノートパソコンのスピーカーの編み目のような、小さく精密な穴を開ける可能性を見落としてしまうかもしれない。

抵抗や心理的な否定を避ける方法を探す。

たとえば、途上国で地域の井戸から汚い水を汲んで飲むのをやめさせようとすれば、「私の母はこの井戸の水を飲ませてくれた。

母が間違っていたとでも?」と応じられてしまうかもしれない(注 35)。

過去の慣習を断ち切りたいなら、この種の質問には完璧な枠組みのとらえ直しが必要だ。

やり方を変えて、現在の井戸水が浄化された水と比べてどれだけ汚くて危険なのかを実証するのがいい。

そうすれば、世界じゅうのどの地域でも、親たちにまったく違う質問を投げかけられる。

「どちらの水を子どもに飲ませたいですか?」と。

質問が違えば、答えも大違いだ。

逆を考える。

IDEO・ org(訳注: IDEOが 2011年に設立した非営利のデザイン&イノベーション組織。

貧困などの社会的問題の解決に励む)の共同代表のジョセリン・ワイヤットとパトリス・マーティンは、オクラホマ州の「コミュニティ・アクション・プロジェクト」との仕事で、ある問題と闘っていた(注 36)。

都市部の親たちに、子どもの未来を支援するプログラムにもっと参加してもらうにはどうしたらいいだろう? 彼らは 20パーセントを下回る参加率を改善しようと知恵を絞っていた。

しかし、彼らは逆の方向から問題に迫り、「親たちが参加してくれない理由は何だろう?」と問いかけた(多忙な生活、交通の問題、子どもの世話など)。

そのおかげで、すべての問題が明らかになり、解決策の候補がいくつも浮かんだ。

たとえば、主催者はプログラムが無料だという点を強調する代わりに、親や子どもの未来にとってプログラムがどれだけ貴重かを訴えはじめた。

疑問を反転させるのは、先入観や型にはまった考え方を見直し、新しい視点で状況を見つめるのに役立つ手段なのだ。

心を許せる仲間のネットワークを築く クリエイティブな人々というと、孤高の天才や頑固一徹な人間として描かれることが少なくない。

しかし、私たちの経験からいえば、最良のアイデアは他者とのコラボレーションの中で生まれることが多い。

私たちは、メイカソン(訳注:プログラマーなどがチームを組んで短期間でシステムやソフトウェアを開発する集中的なイベント「ハッカソン」の〝モノ作り版〟。

メイク(作る) +マラソンの混成語)であれ、学問分野の枠を超えたチームであれ、創造性をチーム競技と考えている。

創造力に対する自信の多くの要素と同じように、他者のアイデアを土台にするには謙虚さが必要だ。

第一に、「私にはすべての答えがわかるわけではない」と(少なくとも心の中で)認めなければならないのだ。

そのメリットは、アイデアを何から何までひとりで生み出す必要がなくなるので、少し肩の荷が下りる点だ。

デイヴィッドはずいぶんと昔にこの点に気づいた。

カーネギーメロン大学の学部生時代、春の学園祭に向けて巨大な合板の構造物を作るのに、仲間の手を借りるようになったのがきっかけだった。

その後、彼は「友人と一緒に働く」というアイデアをもとに現在の会社を興した。

自分にふさわしい協力者がまだ見つかっていないとしても、心配は無用。

他者のアイデアを土台にすることは、誰でもできるのだ。

たとえば、デジタル創作コミュニティを見つける。

仕事を終えたあとにあなたにとって重要なアイデアの実現に取り組む全員有志のプロジェクト・チームを築く。

月に 1回、昼食会やアフター・ワークの飲み会を催すグループを発足させる。

つまり、イノベーターたちからなるあなた独自のサポート集団を築くための行動を取るということだ。

ベストセラー書『一生モノの人脈力』(原題: Never Eat Alone〔ひとりで食事をするな〕)の著者のキース・フェラッジは、重大な意思決定や問題に直面したときには、あなたの個人的な顧問団の力を借りるよう熱心に勧めている(注 37)。

そして、デイヴィッドはずっと前から、個人的な顧問団をいくつか抱えている。

彼にとって個人的な顧問団は、新しい情報の源になると同時に、自分の見方に賛否を投げかけてくれる相談相手の役割も果たしているのだ。

いざというときに助けてくれる集団がいるとわかっていれば、自信が持てるだろう。

私たちの母のマーサは、地元に個人的な顧問団を抱えている。

もちろん、顧問団なんて呼び方をしたことはいちどもないが。

母は高校時代の女性クラスメイトたちと数十年間、月に最低 1回は会い、喜びや悩みを共有していた。

歳を取るにつれ、月 1回は週 1回へと変わった。

ウソやごまかしもなければ、家族や人生の問題について洗いざらい話すのを邪魔するようなこともしない。

彼女たちは希望も苦しみも共有してきたのだ。

時には涙を流し、励まし合うことも。

これ以上の顧問団はないだろう。

残念ながら今では、 8人組の「クラブ・ガール」(彼女たちは自分らをそう呼んでいる。

全員が 1943年クラスの出身だ)は、ひとり、またひとりと亡くなり、 3人組にまで減ってしまった。

それでも、残った 3人は今でも毎週水曜日に地元のレストランで会って朝食を取り、生活について話したり、

たり、助け合ったりしている。

70年間もメンバーの変わらない顧問団を築けるほど幸運な人は、そういないかもしれない。

しかし、いざというときに助けを求められる信頼できる助言者がいれば、さまざまなアイデアや選択肢について貴重な意見交換ができるだろう。

これは何物にも代えがたい宝なのだ。

創造のセレンディピティを育む 学芸の女神たちは気まぐれだ。

突然のひらめきは、照明のスイッチを入れるくらい簡単に訪れるわけではないし、論理、数学、物理学の方法論を使えば手に入るほど単純でもない。

しかし、あなた自身や組織の中にひらめきやすい環境を築き、創造力の種を植えることはできるのだ。

フランスの化学者のルイ・パスツールは 160年前、「偶然は心構えのある者に味方する」と訴えたことで有名だ。

いやむしろ、彼の本来の表現( Le hasard ne favorise que les esprits préparés)を翻訳すれば、「偶然は心構えのある者だけに味方する」と言いたかったとも解釈できる。

発見の歴史は創造のセレンディピティであふれている。

たとえば、オハイオ州のアクロン都市圏(当時の「世界のゴムの中心地」)で育った私たちは、歴史の授業で、チャールズ・グッドイヤーは誤ってゴムと硫黄の混合物をストーブの上にこぼしたとき、加硫法を発見したのだと習った(注 38)。

たとえそうだったにしても、そこからビジネスを築き、成功させるには、単なる運以上のものが必要だ。

ストーブの上にゴムをこぼしたとしても(アクロンの人なら誰でも、家中に匂いが充満すると一発でわかるだろう)、妻や両親が帰ってくる前に大慌てで掃除したりせずに、ちょっと時間を置いて発見の意味をじっくりと理解しなければならない。

その点、グッドイヤーは、発見の重大性に気づき、しかも理解した。

現在、彼の名前にちなんだ数十億ドル規模の企業が存在するのも、そこに一因があるといえよう。

一流の科学者は、こうした幸運な出来事にきわめて敏感だったに違いない。

というのも、科学や発明の歴史には、この手の話が山ほどあるからだ。

ペニシリンからペースメーカー、サッカリン、安全ガラスまで、多くの発見は、科学者が不運な出来事や失敗から突破口を見出したことで生まれてきたのだ。

失敗を成功に変えた物語を見ればわかるように、彼らは単なる鋭い観察者だっただけではない。

そもそも大量の実験を繰り返していたのだ。

グッドイヤーは夕食の料理中にストーブの上に少しゴムをこぼしてしまったわけではない。

何年も前からゴムを安定化させる方法を模索していたし、色々なやり方で根気強く実験を繰り返してきたのだ。

パスツールが言いたかったのはおそらく、「偶然は、何度も実験を行ない、想定外の出来事が起きたときに細心の注意を払う者に味方する」ということだろう。

もちろん、格言としてはイマイチだが、この方がより現実に即しているだろう。

そして、この種のセレンディピティは、科学の世界だけで起こるわけではない。

新規事業の多くは、業界の会議で交わした会話や、長距離のフライトで隣の乗客から得たヒントなど、偶然の出会いがきっかけになっている。

だから、パスツールの忠告の意味を心に留めよう。

ひらめきが訪れた瞬間にがっちりとつかみ取る心構えを養おう。

そして、もっと実験を行ない、次の章でお話しするように、計画を実行に移そう。

時には、ちょっとした視点の変化で、新しい洞察が生まれることもある。

あなたの〝知識〟を脇にのければ、物事を新しい視点で眺められるようになる。

そして、答えよりも疑問が多く見つかるようになる。

しかし、本当の洞察とは、世界に飛び出し、あなたが生活を改善したいと思っている相手に共感してこそ得られるものなのだ。

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