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第4章「判断力」を高める実践手法

目次

1「失敗学」を学ぶことの重要性 ▼知識はやっぱり必要だが、心理学も重要

さて、この章までは、数多くの判断ミスの要因を心理学の視点から解説し、それを意識し、そういった思考に陥らないことで判断ミスをなくす、ということを説いてきた。

ここではまとめをかねて、そうした方法以外で、判断力を高めるためには何をしたらいいのかを説いていくことにする。さて、組織が判断を誤らないためには、知識が豊富な人を入れることが望ましい、というのは改めて言うまでもないことだ。

知識が少ない人には、判断材料が少ないのだから、良い判断ができないのは当然である。そのような人に判断を任せるのは、当たるも八卦、当たらぬも八卦のような、勘に頼った行き当たりばったりの判断となってしまう。

リスクを減らすために、その分野についての知識が豊富な人を加えるのは常識的な対応であろう。うまくいけばいいが、失敗したときには痛手が大きい。

しかしながら、その分野を専門とする大学教授を集めてみても、あるいは、マッキンゼーのような著名コンサルティング会社に頼んだとしても、彼らが正しい判断ができるとは限らない。その原因として心理学的要因が働くことが多いというのは、前にも述べたとおりだ。

第5章でも、いくつかの事例を取り上げるが、いずれのケースも、成功者による判断ミスであり、賢い人による判断ミスのケースが目立つ。

だからと言って知識を得たり、トレーニングをしたりする必要がないということではない。それらは当然、持っていてしかるべきものだ。

だが、あまりに知識ばかりを重視すると、知らずに心理学的なワナに陥ってしまうので、それは注意しなくてはならない。

繰り返しになるが、マネジメント層の判断ミスというのは、非常に影響が大きい。会社を一瞬にして破綻させかねない。

そのような意味からすると、マネジメント層こそ、あらゆる判断ミスを避けなければならない。仮に判断ミスをしたとしても、そのリスクを最小限にしていかないといけない。

少しでも負けを小さくするために、心理学を知って、生かしていく必要があるのだ。

▼失敗情報を集めて研究する

さて、判断力をつけるために身につけるべき知識として、「失敗事例」について研究するということがある。

失敗学を提唱している畑村洋太郎氏は、古今東西の失敗事例を集めて、失敗博物館か失敗図書館をつくるべきだと言っている。

過去と現在では状況は違っていても、人間が陥りやすい失敗には類似性がある。過去の失敗について知ることが、同じようなミスを食い止めたり、同じような失敗をしたりしないために役立つと考えられる。

これまでのコンサルティング会社がやってきたことは、「どうやったらうまくいくか」ということを、過去の成功事例をもとに概念化し、それを企業に応用するという方法だった。

だから、コンサルティング会社は「失敗を避けるために、どうしたらいいか」という点に関しては、あまりノウハウを持っていない。

過去の失敗をファイリングしておくという畑村さんの考え方は、失敗を減らしリスクを減らすためにとても重要な考え方だと言えるだろう。

本書でもいくつかの失敗事例を取り上げているが、さらに深く学びたい人は畑村さんの本をおすすめする。

失敗事例をいくつも勉強されるといいと思う。畑村さんによれば、大きな失敗というのは、小さな失敗の積み重ねによって起こるそうだ。

たとえば、茨城県東海村のJCO臨界事故の例でも、決められた手順以外に裏マニュアルのようなものがあり、だんだんと手抜きが行われてきたようだ。

耐震偽装事件では、構造計算書以外でも、定められたことが行われていなかったが、これも各業者のちょっとした手抜きの積み重ねによるものと考えられる。

これらは、ある人が「少し手を抜いてみた」ことから始まったものだと思われる。少し手を抜いてみたけれども、事故にはつながらなかった。何の問題も起こらなかった。「ここまでは大丈夫だ」と思って、手抜きが常態化する。その後に、また別の人がもう少し手抜きをする。それでも事故は起こらない。

「ここまでは大丈夫だ」と思い、それが常態化する。そのようなことが積み重なっていくと、あるときに臨界点を超えて、重大事故となって表れる。

前の人がどのくらい手を抜いているのかということはわからないため、それぞれの人が「自分はちょっとした手抜きをしただけだ」としか思っていないかもしれない。

しかし、それが重なってしまうと、重大なことが起こるのである。その点から言えば、過去にまでさかのぼって、さまざまな経緯を調べていくことが、失敗防止につながってくる。

また、建設業界のように、元請け、孫請け、曾孫請けとつながっていく業界では、発注元から最終業者までずっとたどって確認作業をしていかないと、事故を防げない可能性もある。

どの企業でも過去に諸先輩方がさまざまな失敗を重ねてきているはずである。現在のマニュアルに至るまでには、さまざまな経緯もあったはずだ。

「判断」で失敗を犯さないためには、面倒なようでも、社内の資料室などで、それらの過去の経緯についての情報を引っ張り出してきて、しっかりと学ぶことが必要だと思う。

▼失敗情報を持っていないと医者はできない

医者のことを考えてもらうと、失敗情報がいかに大切かということをわかってもらえるのではないかと思う。医者は薬の効果については勉強してよく知っているが、それだけでは医者の仕事は勤まらない。副作用についての知識を持っていない医者は危険な処方をしてしまう可能性があるのだ。

たとえば、狭心症の患者さんにどんな薬を出せばいいかということは、表面的な知識に過ぎない。その程度のことは、一般向けに発売されている薬の本を読んでもわかる。素人でも、一部の人はそのくらいのことは知っている。

しかし、動脈硬化による心臓疾患を持っている高齢の患者さんは、一つの病気だけではなく、いろいろな病気を持っていることが多い。

さまざまな診療科で薬をもらっているだろうから、そこにさらにどんな薬を処方したらいいかということは、簡単な判断ではできない。

「コレと、コレを一緒に飲んでは危険である」というような併用についての情報や、それぞれの薬の副作用について、よく知っていなければならないのだ。

南江堂という出版社から『今日の治療薬――解説と便覧』という本が出ている。毎年発売される本で、五〇〇〇円近くする本だが、全国の医者が買っている。

これには、各薬の効果について書かれているが、記述の量からすると、効果の欄よりも、副作用と相互作用についての欄のほうが多い。副作用と相互作用についての情報がメインの本なのである。

たとえば、高血圧の患者さんにどんな薬を出したらよいかというときにこの本を読むと、利尿剤やACE阻害剤やカルシウム拮抗剤などが出ているが、ACE阻害剤だけでもたくさんの種類が出ている。

それぞれについて、副作用や相互作用の情報が詳細に書かれている。

「禁」と書かれている部分は、基本的には絶対に使ってはいけないという記述で、たとえば、喘息がある患者さんにベータブロッカーは使ってはいけないというようなことが書いてある。

どの薬とどの薬を併用すると危険であるという相互作用についてもたくさん記述してある。このようなマイナス情報が専門家にとっては重要な情報と言えるのだ。

患者さんから「この薬を飲んだ後に、気分が悪くなったんです」とか「吐き気がするんですけど」「咳が出るんですけど」と言われたときに、「これは薬の副作用かもしれない」ということにすぐに気がつかなければいけない。

もちろん実際には副作用でないことも多いが、副作用が疑える姿勢と対応が重要なのであるし、それでないと危険である。

このように、医者にとっては、「いかに多くのリスク情報を持っているか」が重要なのである。

▼カウンセラーにも失敗情報が必要

薬を処方する医療と比べて、カウンセリングにはリスクがないと思っている人もいる。しかし、カウンセリングにも副作用はあり、プロたちは、それをしっかりと把握している。

うつ病の患者さんをカウンセリングするときに、「先生、なるべく薬を使わないでください」「カウンセリングで治してください」というようなことを言われることがある。

患者さんは、薬には副作用があるが、カウンセリングには副作用がないと考えているのだと思う。しかし、カウンセリングにも副作用はある。

たとえば、下手なカウンセラーがカウンセリングをすると、クライエントが治療者に対して恋愛感情を持ってしまったりするなどということが起こりうるのだ。その結果、治療者に対してストーカー的な行為を行う人もいる。

また、カウンセリングによって、その人の奥底にしまいこまれていた感情を無理やり掘り起こしてしまって、状況をいっそうひどくしてしまう場合もある。

感情が不安定になったり、人間不信がひどくなったりするのだ。実のところ、カウンセリング期間中に自殺する人は結構な数で存在する。

カウンセリング後に具合が悪くなった人や、夫婦関係が悪くなったり、あげくに離婚する人も少なくないようだ。かつて、ある父親が家庭内暴力に悩んで子供を金属バットで殴り殺してしまった事件があった。このとき、父親はカウンセリングを受けていた。

カウンセラーは、その父親に対して、「なるべく子供の言うことを逆らわずに受け入れてあげてください」というようなアドバイスをしたそうだ。

その結果、父親は子供の言うことをひたすら受け入れてしまったために、子供の暴力行為はいっそうエスカレートして、手に負えなくなってしまった。その結果、どうしようもなくなって、子供を殺す結果になってしまったのだ。

つまり、カウンセリングにも副作用はあるということである。優秀な治療者は、カウンセリングにもリスクや副作用があることを十分に承知している。

カウンセリングによって攻撃衝動が増してしまいそうな人や、さまざまなことに我慢ができなくなっているような人には、治療の方法を変えたり、先に薬を投与して、状況を改善させた段階でカウンセリングをしたりするなど、治療法や手順を変えていくのである。

薬を投与する場合も、カウンセリングをする場合も、リスクを知っている人でないと、良い治療はできない。

▼優秀な企業は「失敗情報を共有する」

ビジネスの場合も同じではないだろうか。「これには、こんなリスクがある」ということを想定できる人でなければ、仕事は任せられないだろう。

新入社員にいきなり仕事を任せられないのは、スキル不足に加えて、リスクを知らないという側面もある。新人に任せる場合には、大失敗をされては困るから、リスクを知っている先輩社員をつけたりするものだ。

「あのお客さんには、こんなことを言ってはダメだぞ」とか「あの部長に、○○のことは禁句だ」というようなことも、リスク情報と言えるかもしれない。

お客さんや上司に対して失敗しないためにも、リスク情報、失敗情報が生きてくる。もちろん、大きな経営判断の際にも、過去の失敗情報やリスク情報は、とても役に立つものである。

過去に大きな不祥事を起こしながらも立派に再生した企業の多くは、社員にその失敗について徹底的に学ばせるのだという。

往々にして上司や経営者というものは、過去に自分の犯した失敗を語ることを恥と思う傾向が強いようだ。だが、それによって部下が同じ失敗を繰り返すのを黙ってみていては、企業はいつまでたっても進歩することはない。

最近では、社員の失敗事例を全社員に(個人名を出さずに)公表するようなシステムを取る企業も増えている。ここで大事なのは、「失敗した個人名を出さない」ということだ。

罪を罰するのではなく、あくまで失敗から学ぶということを徹底する。これが、失敗を糧にできる企業の条件だろう。

2メタ認知を生かす▼ 自分を客観的に見つめるのがメタ認知への第一歩

判断力を高めるためのもう一つの方法として、「メタ認知」というものを知る、ということがある。メタ認知とは、自分の「認知パターン」を認知するということだ。簡単に言えば、自分のことを客観的に見つめるということでもある。もう一人の自分が、今の自分を見て、どんな状態にあるのかを判断するのだ。

そもそも人間の認知というものは、案外とあてにならない。コンピュータであれば、同じ情報をインプットして、同じソフトウェアを使えば、何度やっても同じ答えを出してくれる。ところが、人間の場合は、同じ情報を入れても、その都度答えが違ってきたりする。

たとえば、仕事でイライラして腹の立っているときには、奥さんの作ってくれた料理を食べてもおいしいとも思わない。しかし、仕事が順調に進んでいて、うまくいっているときに食べると、同じ料理に対して、「いやあ、本当においしい。うちの女房は料理がうまい」などと思ったりする。

料理の味自体が変わったわけではない。自分の認知の状態が変わったのである。

「あばたもえくぼ」というのも、人間の認知があてにならない例だ。

恋人どうしでうまくいっているときには、相手の女性のあばたもえくぼに見えるのに、恋が冷めてしまうと、えくぼには見えなくなる。

このように、人間の認知は、立場や状況、感情などによって、揺れ動いたり、ゆがめられたりしてしまうものなのだ。

だからこそ、自分の認知状態が何かにゆがめられていないかどうか、現在どのような状態にあるのかを客観的に見つめてみる必要がある。

経営判断を下す人ならば、「今は景気がいいから、それに踊らされて、過大な楽観視をしていないだろうか」とか「あの会社の経営者とは仲がいいが、そのために、見過ごしている面はないだろうか」など、メタ認知によって冷静に自分のことを見つめる習慣を持っておく必要があるだろう。

そうでないと、判断を誤って重大な結果をもたらすこともありうる。

▼メタ認知的知識とは?

判断に役立つメタ認知について、具体的に説明していこう。

メタ認知には、大きく分けると、「メタ認知的知識」と「メタ認知的活動」がある。

メタ認知的知識とは、自分のことをどれだけ知っているかとか、人間の認知というものについてどれだけ知っているかというような知識のことである。具体的には、人変数に関する知識、課題変数に関する知識、方略変数に関する知識に分けられる。

人変数に関する知識とは、自分は何が得意で、何が苦手かといった自分にまつわる知識、自分は他人と比べて何が勝っているかという対人比較においての知識、そして、人間一般についての知識などが含まれる。

ここで問題になるのは、「長所」である。多くの人は、自分の短所についてはよく知っているものの、自分の長所についてあまり知らないものだからだ。

アメリカ人を対象にした実験によると、アメリカ人ですら、自分の否定的な側面を見がちな傾向があるそうだ。日本人の場合は、もっとその要素が強いのではないかと思う。

私の場合も、自分の短所のほうがよくわかっていて、長所はなかなか出てこない。

娘が中学受験をするときにも、願書に子供の取り柄と苦手な点を書かなければならなくて、悩んだことがあった。

娘の短所はいくつでも知っているのに、長所となると出てこない。

「明るい」とか「はきはきしている」とか、無理矢理作り出したような一般的なものしか出てこないのだ。だからといって長所がない、ということではもちろんない。

自分の長所、家族の長所、他人の長所などは、普段からあまり認識していないことが多いので、すぐには出てこないだけである。この「長所についてよく見つめる」ということを意識して行うことで、メタ認知的知識が高まるだろう。

また、人変数に関する知識の中には、人間一般についての知識も含まれている。

たとえば、「人間は、落ち込んでいるときには、悲観的な結論を導き出しやすい」とか、反対に「気分のいいときには、楽観的な結論を出しやすい」というのも、人間一般についての知識である。

また、第2章、第3章で述べたようなスキーマや集団心理学なども人間一般についての知識となる。

企業経営の場面で言えば、自社の人材の長所・短所や、部下の長所・短所などが人変数に関する知識と言えるだろう。

あなたは自分自身、そして自分の会社の同僚や部下の長所を、すぐに挙げることができるだろうか?それらを冷静に分析してみると、会社や部署の方向性を考えるときに、判断の誤りが少なくなってくる。

人とのコミュニケーション力に難があるが、一つのことにこだわることには長けている部下なら、彼一人でできるようなプロジェクトを任せてしまってもいいだろう。

また、部下に「明るい」という長所を持つ人が多いなら、職場の雰囲気をより明るくすることで、やる気を高めるための施策を採ることもできるだろう。

▼「課題変数」「方略変数」とは?

次に、課題変数に関する知識である。これは、自分が取り組もうとしている課題についての知識のことである。受験の例で言えば、受験しようとする大学の試験の難易度、出題傾向などだ。それらを知っている受験生のほうが、効果的な入試対策を立てやすい。自分の実力に比べて課題が高すぎると判断した場合は、少し難易度の低い大学を狙ったほうが、成功する確率は高くなる。

ビジネスの場面で言えば、目の前の課題や問題についての情報である。マーケット動向や業務内容についてよく理解していて、知識を持っている人ほど、仕事がうまくいきやすい。また、会社全体の方針の中での自分の仕事の位置づけなども理解している人のほうが結果は出やすいはずだ。

最後の、方略変数に関する知識というのは、課題に取り組む方法論である。ある課題をクリアしようとするときには、いろいろな方法論がある。このやり方でやってダメなら、別のやり方でやってみる。そのように方法論についての知識をたくさん持っている人のほうが、良い結果を生み出しやすい。

以上のように、人変数に関する知識、課題変数に関する知識、方略変数に関する知識を持って自分を見つめてみて、チェックしていくことが、メタ認知的な知識を増やすことにつながる。

▼メタ認知的活動を実践する

以前は、メタ認知的知識を増やすことが、メタ認知の中の重要な点とされてきた。しかし、最近の考え方では、メタ認知的知識を使っていかに自分の行動をコントロールしていくかということが、メタ認知において最も重要な点とされている。それが「メタ認知的活動」である。

現在の自分の状態について、モニターしていき、修正すべき点があれば修正をしていくことで、メタ認知が本当に生きてくるのだ。

もう一度、受験生の例で考えてみよう。受験生は模試を受けて、偏差値や合格判定などを知ることが多い。その合格判定を見て「A判定だから、受かる」「C判定だから、危ない」と一喜一憂しているだけの人は、メタ認知は何もできていない人と言える。

試験結果を見て、「社会では記憶の問題が苦手なようだ」とか「数学では、関数の問題は得意だが、図形の問題が弱いようだ」ということを具体的に探っていくことが、メタ認知的知識を増やしていく。だが、これだけでは、合格はできない。自分の得意分野と苦手分野がわかったのなら、それに応じた対策をしなければならない。

社会の記憶問題が苦手であれば、記憶問題の練習を増やしたり、計算ミスが多いなら、計算の練習をするとか、あるいは、数学の図形問題の練習を増やしたりしていくことによって、合格に近づいていく。

その逆の作戦も考えられる。苦手な記憶問題と図形問題ではほどほどに失点を抑えて、得意な関数で確実に点数を取れるようにするとか、他の得意な科目でカバーするように勉強の仕方を変えるという方法もある。

このように、模試の結果を見て、具体的な勉強につなげていくことによって、合格に近づくことができるのだ。単にメタ認知的知識を持つだけではなく、メタ認知的な活動をしてはじめて、受験に成功する。

▼自分を知るだけでなく、自分を「改造」すること

メーカーや販売店ではよく、顧客やお得意先を売り上げや購入頻度によってランク分けするということが行われる。

ここで、「このお客さんはCランクだからこのまま放っておけばいいや」となると、これはメタ認知はできても「メタ認知的活動」はできていないことになるだろう。

いったいどうしてこの顧客の購入金額が少ないのかを考え、次につなげる活動が必要になるだろう。あるいは、不愉快なお客様がいて、その気持ちが顔や態度に出てしまったとしよう。

同僚から「お前は感情に流されやすい奴だな」と言われて、「そんなことは、俺はわかっている。俺はお天気屋だもん」と言っている人は、メタ認知的知識をうまく生かせていない人である。

自分についての知識は持っていて、わかっているのに、行動を変えられなければ何の意味もない。

「今、自分はどんな感情になっているんだろう。お客様に対して怒りの気持ちが強いのかもしれない。怒りの気持ちに任せて、お客様に対応していないだろうか」と考えて、行動を自制していくのがメタ認知的活動である。

このように、自分を知り、自分を改造していける人が、試行錯誤を繰り返しながら、判断力を磨いていくことができる。

だれしも、初めから良い判断ができるわけではないが、メタ認知を使って、自分をコントロールしていくことによって、徐々に正しい判断ができるようになっていくのである。

■こんな思考に要注意!「この顧客は顧客としてのランクが低い。だから営業をしても仕方がない」

3「短期的判断」と「長期的判断」の使い分け▼「エビデンス」とは何か?

心理学とはややずれるが、最近の医療現場の見地から、判断にとって必要な要素について述べてみたいと思う。最近の医療では、エビデンスというものが重視されている。

エビデンスは、「科学的根拠」などと訳されるが、要するに、「医療においては、科学的根拠に基づいた治療をすべきである」という考え方だ。

読者の方は、医療は科学的なものであると考えているかもしれない。しかし、これまでの医療は、科学的な要素も含まれているとはいえ、個々の治療者の経験則などに基づいていることが多かった。

厳密な科学的根拠によって、医療が支えられていたとは言いがたいのだ。

そこで、アメリカを中心に、明確な科学的根拠によって、効果や副作用などを明らかにした上で、治療をしていこうという考え方が広がっている。

それがEBM(エビデンス・ベースト・メディスン)と言われるものである。ここで重要なのは、「エビデンス」とはどういうものかということである。

たとえば、薬を飲んだときに、すぐに薬が効いたとか、検査データが改善したというようなデータは、あまりエビデンスとは考えられていない。

実のところ、あるターゲットの数値を変化させること自体は、あまり難しいことではない。

薬というのは、体内で化学反応を起こさせるわけだから、ターゲットとなるものが絞られていれば、その数値を上げたり、下げたりすることは比較的簡単なことなのだ。

重要な点は、そのターゲットとなる数値を変化させることによって、本当に健康が改善されたのかどうかということだ。

たとえば、血圧が高い人には、血圧を下げる薬を投与すれば、ほどなく血圧は下がっていく。しかし、その人が健康になったかどうかは別問題だ。

血圧が下がっても、別のところに負担がかかっている可能性もある。薬を飲めば胃や肝臓などには負担がかかる。血圧が下がっても、他の部分に害が出るようでは、健康になったとは言えないのだ。

そこで、EBMの考え方では、ある薬を使ったときに、一週間後、一カ月後にどうなるかではなく、五年後の生存率、一〇年後の生存率が改善されたのかどうかというデータが重視される。

それも、ただ生きているだけではなく、QOL(クオリティー・オブ・ライフ)の高い生存をしているかどうかという点もデータとして求められる傾向にある。

このように長期的なデータがエビデンスとして求められているのである。

アメリカでは、こうした長期的なデータがきちんとそろっていないと、保険会社がお金を出してくれない場合すらある。

「この薬を飲んだら、一週間後に血圧が下がりました」というだけでは、保険が下りず、「この薬は、五年後の生存率を高める臨床データがあります」という状態にしないと保険が下りなかったりするわけだ。

つまり、医療の世界では、短期的な改善はもちろんだが、長期的な改善が重視されるようになっているということである。

▼四半期決算の功罪

医療の話を取り上げたが、ここで私が言いたいのは、三カ月後の改善と、五年後の改善では意味が違っているということだ。このような視点は、企業経営にも当てはまるのではないだろうか。

最近の多くの企業は四半期決算になっているから、経営者は直近の四半期の業績を上げようと必死になって取り組んでいる。

最近は株主の発言力が高まり、四半期の業績が悪いと経営者に対する評価を下げ、株価の暴落につながったりするという事例がよく見られる。しかし、物事には長期的な視点も必要である。

三カ月後の業績は悪化したとしても、五年後には業績が大きく伸びている場合もあるからだ。

逆に、直近の決算日の数字を改善するために、まだ不安のある製品を前倒しして市場に投入したり、期末に「押し込み営業」をしたりという事例はよく聞くことである。これでは逆に顧客の信頼を損ねることになり、長期的に見ればマイナスになるのは明らかである。

▼会社を長きにわたって継続させるのが、優秀な経営者の条件

医者の場合、患者さんにある薬を投与するかどうかの「判断」は、三カ月後に改善するかどうかだけではなく、その患者さんの五年後の生存率も考慮した上でなければならない。

患者さんの命と健康がかかっているのだから、当然だ。経営者の場合は、会社の命を預かっていると言ってもいい。

経営者の場合もやはり、三カ月後の業績を良くするための「判断」と五年後の業績に寄与するための「判断」では、違ってきて当然だろうと思う。

私の個人的な考えでは、本当に優秀な経営者は、医者と同じく、三カ月後のための判断ではなく、五年後、一〇年後のためのベストの判断を下せる人ではないかと思う。

その点から言えば、株式市場やアナリストから高く評価される判断が必ずしも正しい判断とは言えないし、逆に、「今は苦しいが研究開発費にこれだけの巨額投資をする。これがわが社の五年後、一〇年後のためになる」と思うのであれば、批判があってもその判断を貫き通すことは悪いことではないと考えている。

一口に判断と言っても、短期的な視点での判断と長期的な視点での判断には違いがある。判断力を高めるためには、まず、どのスパンで考えて判断するのかということを決めておく必要がある。

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