▼「失敗の研究」の重要性
第4章にも書いたとおり、判断力を身につけるには、過去の失敗を研究することが不可欠である。
もちろん、自社および自分の失敗を分析するのが一番よいのだが、「失敗から学ぶ」という姿勢を持っていれば、世の中のさまざまな事例から「判断力」を高めることができるだろう。
本書ではまとめとして、今までに世間を騒がせた多くの事例から、本書で解説してきたような「心理学的要因による失敗の原因」を探ってみようと思う。
もちろん、著者はその当事者ではないので、ここに書かれていることはあくまで推測に過ぎない。だが、どのような視点で事例を分析するかの参考にはなるだろう。
以下の事例研究にあたっては、『名経営者が、なぜ失敗するのか?』(シドニー・フィンケルシュタイン著、酒井泰介訳、橋口寛監訳、日経BP社)、「日経ビジネス」連載の「敗軍の将、兵を語る」シリーズなどを参考にさせていただいている。
▼ヤオハン
過去の大成功によるスキーマに気をつけるヤオハンは、静岡県を中心としたスーパーであったが、一九七〇年代から海外に積極的に進出。特にアジア地域では日本企業の成功の代名詞と呼ばれるまでになった。
だが、海外での成功にのめりこむあまり、その分日本での経営が乱脈となっていった。また、大量の進出資金を転換社債により調達したため、株価低迷により一気に業績が悪化。
店舗の多くをダイエーに売却することになり、一九九七年にはついに倒産。現在も営業は続けているが、地域のスーパーに逆戻りしてしまっている。
このケースでは、過去の成功がネックになってしまった感がある。過去に大成功を収めると、人間はその発想から抜けられなくなってしまう。成功したことで作り上げられたスキーマにとらわれてしまって、判断ミスをする可能性が高くなる。
ヤオハンはアジア諸国に進出するなどして、大きな成功を収めた。
そのスキーマから抜け切れず、次々と攻めの経営をしていこうとしていた。それには多額の資金も必要になるために、こうした事態が起こったと考えられる。
ダイエーの場合も似たようなところがある。
過去の成功にとらわれて、次々と店舗展開をしていくうちに借り入れがふくらみ、その資産価値が増えていったころはよかったが、バブル崩壊とともに、経営危機を迎えている。
流通業界で勝ち組と言われるセブン&アイ・ホールディングスの鈴木敏文会長は、極めて慎重な人だと言われる。アメリカのセブン‐イレブンを買うときも、どの程度の損失までは負担できるということを織り込んでいた。
リスクの度合いをしっかりと見極め、足元を固めつつ、拡大していこうとする経営者は、躓くことが少ない。それに対して、拡大路線をとって成功した経営者には、過去の方法論を取り続けて、判断ミスをする人が少なくないようだ。
少なくとも、不動産の価値は上がり続けるという単純なスキーマから脱却できていない。
「部下が粉飾決算なんかしなければこんなことにはならなかった」とか「バブルが崩壊しなければ、こんなことにはならなかった」と言うこともできるかもしれないが、「たられば論」を言いがちな人は、最終的に判断ミスを犯すことが多い。
太平洋戦争を振り返って、「ミッドウェーでああしなければ」とか、「ガダルカナルでああしなければ、今ごろは勝っていた」と言う人もいるが、物量面であれほど負けていたのだから、勝つことはありえなかっただろう。
局地的に勝つことができたとしても、最後には負けたはずだ。それと同じことが、きっとヤオハンやダイエーにも言えたのだろうと思う。バブルが崩壊しなくても、部下が粉飾決算をしなくても、勝ち続けられたという保証はない。これは、企業経営だけでなく、個人レベルでも言えることだ。
「たられば論」を言いがちな人は、自分の考え方に縛られて、判断ミスを犯す可能性がある。特に、過去に大成功をしたビジネスパーソンほど、自分のスキーマにとらわれがちだから、気をつけなければいけない。
▼サムスンの自動車進出
「過度の一般化」をしないで冷静に判断する電気機器や半導体で財を成したサムスンだが、李健煕会長自らの嗜好と「自動車産業こそが韓国経済を牽引する」という個人的な思い入れにより、一九九〇年代半ばに自動車産業に進出。
だが、当時の韓国にはすでにヒュンダイ(現代)をはじめとする自動車メーカーが国内にひしめいていた上、不況もあり国内の自動車需要は低迷していた。
しかも、ノウハウがないためにコストもかかり、作れば作るほど赤字になるということが事前に予想できたにもかかわらず、李会長は頑として引き下がろうとしなかった。
結局アジア経済危機の際に破綻している。その後、ルノー傘下となっている。
このケースは、『第1章◆3その他の不適応思考』で紹介した「過度の一般化」に該当するのではないかと思われる。
「電子産業で成功したサムスンなら、他の業界でも成功できる」と考えてしまったのかもしれない。
しかし、電子産業の成功を自動車産業に当てはめられるとは限らない。ある分野で成功したから、別の分野でも成功できると考えてしまうのは、過度の一般化である。
自動車業界においては、ディーラーの力が重要と言われている。高性能な車を作るだけではダメで、それをディーラーに売ってもらわなければいけない。ところが、各ディーラーは、すべて系列化されてしまっている。
かといって、サムスンショップに車を置くわけにはいかない。どのディーラーも、売れるかどうかわからない車を扱って、リスクは負いたくない。
家電などと違って高額商品だけに、ディーラーがリスクを取りたくないと考えるのは当然だろう。そこにも、業界の違う難しさがあったのではないかと思う。
サムスンと比べると、日本の光岡自動車のほうが参入の仕方が賢かったと思う。
自動車作りで一番難しくてお金がかかるのは、エンジンとシャシーであるという当たり前のことに光岡は気づいていた。だから、エンジンとシャシーは他社から購入して、ボディだけを自社で作る方式にしている。
ヘッドライトなど、各部品に関しては、それぞれ最も適していると思うメーカーから購入して組み立てればいいという発想だ。
また、光岡はいくつかの直営店はあるけれども、基本的には外車のディーラーに委託している。つまり、既成の流通網をいかに利用するかということも含めて考えていた。そのような発想のほうが、リスクは少ないと言える。
一つの業界で成功した企業が、他業界に進出しようとするときほど、冷静な判断が求められるものだ。ブランドについての考え方も間違っていたのではないだろうか。
サムスンブランドはエレクトロニクスの分野では世界市場でもトップブランドの一つであり、韓国内では文句なしにトップブランドである。
そのブランド力があれば、いきなり市場シェアを獲得できると考えたのではないかと思われる。だが、どんな分野でも通用するブランドはありえないということは、冷静になって考えてみればわかることだと思う。
たとえば、「松下電器(ナショナル、パナソニック)」というブランドは世界でも有数のトップブランドだが、だからといって、松下ブランドの自動車が売れるとは、松下の人たちも思ってはいないはずだ。
松下は、家電や電子産業では非常に強いブランドであるが、自動車産業では、やはりメルセデスやレクサスなどのほうがブランド力は圧倒的に上である。
実際、松下は自転車も作っているが、家電ほどのブランド力は持ちあわせていない。自社の強みが他の業界でも通用するかどうかは、冷静に検討して判断を下す必要がある。それを「うちのブランド力があれば、どんな分野でも……」と考えてしまうのは、過度の一般化と言えるだろう。
▼ソニーのベータマックス
技術力のある会社ほど「かくあるべし」という発想が強くなる自社開発し、世界に先駆けて家庭用ビデオデッキを世に送り出したソニー。
しかし、自社製品の技術にこだわるあまり、技術公開をよしとせず、また関連業者の声をあまり聞こうとしなかったため(録画時間は映画一本分の一二〇分にして欲しい、など)、実際のソフトを握る業者の協力を得ることができなかった。
その結果、技術的には決してベータよりも優れているとは言えない後発のVHSにシェアを逆転されることになった。
このケースは、必ずしも、ソニーが消費者や業者の声を軽んじたわけではないと思う。
心理学的な見地から言わせてもらえば、ソニーの経営者や社員の間で、「ソニーは技術で世界トップであるべし」という考え方が強かったからではないかと思われる。前述したように「かくあるべし」という考え方が強いと、その考え方にとらわれてしまうことが多いものだ。
ソニーのように技術力が抜群に高く、常にトップを争っているような会社は、理想が高く、さらに高いレベルの技術を開発しようとする。
それは、おそらくソニーにとっての誇りであり、非常にすばらしい面であると思うが、唯一の問題点は、それに縛られて柔軟性を失ってしまいかねないという点である。
ソニーに限ったことではなく、技術レベルの高い会社は、理想も高いだけに「わが社はかくあるべし」という考え方が強くなる。
それが社員の心を縛ってしまい、「少し技術レベルを落としても、消費者の喜ぶものを売ろう」という柔軟な考え方を持てなくしてしまうのではないかと思う。
非常に高い機能を持っている割には市場シェアの低い会社は、技術にとらわれすぎてしまっていないか、チェックすることも必要と言えるだろう。
▼ソニーのコロンビア・ピクチャーズ買収
任せるときは「属人主義」になっていないかチェックするソニーはベータマックス開発の教訓もあり、ソフトを手中に収めることの意義を痛感したのかもしれない。
そこで一九八九年にコロンビア・ピクチャーズを買収した。
コロンビアには負債もあり、実際には相当な高額の買収となったが、その経営をハリウッドの実力者と言われた経営者二人に任せっきりにしたことが問題とされた。結果として、なかなかヒット作が出てこない一方で、彼らは乱脈な経営に走っていく。
見過ごせなくなった本社は、トップの入れ替えを行ったが、結局は巨額の損失を計上することになった。またもやソニーのケースになってしまったが、このケースに関しては、判断ミスだったと言えるのかどうかはわからない。
心理学的な要因によるものではなく、戦略上の問題かもしれない。
ただ、一つ言えるとすれば、特定人物に任せきってしまったというのは、もしかすると、属人主義的な発想にとらわれていたのかもしれない、ということだろう。
どんな人にも、できることとできないことがあり、長所も短所もある。業界の実力者であっても、その仕事がうまくいくとは限らない。
経営者にとって、「部下に任せる」ことはとても大切なことだろうと思うが、人物だけを見てしまって、属人主義的になってしまうと、「あばたもえくぼ」状態になって、冷静に判断できなくなってくる部分もあると思う。
人に任せる場合でも、是々非々で対応する属事主義的な面も併せ持っておいたほうがいいのではないだろうか。
また、買収にあたって、アメリカ人の感情についての検討が間違っていた可能性もある。日本企業がロックフェラーセンターを買ったときには、アメリカ人から多くの感情的な反発を受けている。同様に、ハリウッドもアメリカ人の魂のようなものなので、他国企業が買うことに感情的な反発がある。
その行為によって相手の感情がどのように動くだろうかと想像してみることは、判断の際にも必要なことと言えるだろう。
▼イリジウム
不都合な情報の「縮小視」に気をつけるモトローラが開発を進めていた衛星を使っての携帯電話サービス「イリジウム」は、当初は世界中どこでも通話ができる画期的なアイデアだと思われていた。
だが、通常の携帯電話技術が急速に発達したため、衛星を使わずとも国際携帯電話の実現が可能となり、しかもイリジウムより小型化も可能となっていった。
だが、開発中にそれを把握していたにもかかわらず、認めようとせず、独自技術の開発にまい進する。その結果一九九八年にサービスを開始したイリジウム携帯は契約者数が伸びず、一九九九年には破綻。二〇〇〇年には早くもサービス自体を停止することになってしまった。
このケースで見逃せないのは、独自技術にこだわったことではなく、開発途中に、「衛星を使わなくても国際携帯電話の実現が可能になった」という情報が入っていたにもかかわらず、それを「縮小視」してしまったことだ。
実際、海外までは衛星を使わなくても太いケーブルでも送ることができるし、現地では地元キャリアによって基地局からの通信網が構築されている。
衛星は必要なくなるということはわかっていたにもかかわらず、独自のアイデアにこだわり、技術者や経営者のオールスターチームのようなものを作って、開発を続けたとされる。
こうして、数ある情報の中から、選択的抽出を行って、自社に都合の良い情報を重視し、自社に不利な情報を縮小視してしまったのではないかと思われる。
これは、イリジウム計画のように、画期的と言われるアイデアを実現しようとする過程においてよく見られる現象だ。
誰でも、「画期的なすばらしいアイデア」にこだわりたい。そのために、それを否定するような平凡なアイデアが出てきたときには、「そんなものは、大したことはない」と無視したくなってしまう。そこに落とし穴が生まれる可能性がある。
画期的なアイデアはすばらしいものであるが、その画期的なことを平凡な技術によって実現できるほうが、さらにすばらしいことと言えるかもしれない。一つのアイデアにとらわれすぎないようにしないといけないだろう。
▼アップル
ベンチャー企業は閉鎖的になっていないか気をつける
スティーブ・ジョブズという個性的な指導者の下、「マッキントッシュ」でパソコンの世界をリードし続けていたアップルだが、一九八〇年代半ばにジョブズ氏が追放された後、迷走が始まる。
まずは、圧倒的にレベルの高かったOSのライセンス供与を当時のCEOが拒否。当初は自社パソコンへのマックOSの使用も考えていたというビル・ゲイツ氏は、ウィンドウズの独自開発を余儀なくされた。
結果的にウィンドウズ95の登場により、アップルは圧倒的なシェアの差をつけられてしまう。
また、その後はウィンドウズに追いつくべく機能強化を図るが、マックユーザーの個性を求める心理を無視したため、個性的な機種が出ず低迷。
その後ジョブズ氏が復帰しiMacが発売されるまで、迷走を続けることになる。
復帰したジョブズ氏により、アップルはiPodによって大成功を収めたので、それまでの過程を一概に判断の間違いと言えるかどうかはわからないが、マックの技術を真似したかのようなウィンドウズ95があれほど大成功したことと比べれば、戦略の失敗と言われても仕方がないと思う。
これに関しては、アップルが自社技術にとらわれ、囲い込みをしすぎたことを判断ミスと指摘する経済評論家は少なくない。このようなことは、ベンチャー企業には起こりがちなことと言える。
ベンチャー企業は技術だけを頼りにビジネスを拡大させてきたために、技術に対する思い入れは特に深いと思われる。
と同時に、『第3章◆2集団凝集性』で指摘したように、ベンチャー企業は、集団凝集性が高いという特徴を持っている。
要するに、社員同士の仲間意識が非常に強く、閉鎖的傾向が強く、外の世界の情報に疎くなっていってしまう可能性があるということだ。
自社の技術をすばらしいものだと思うあまり、そして、仲間同士で、毎日「うちの技術は最高だ」と語り合ったりしているために、世の中の情報や世の中の動きから外れていってしまう可能性がある。これは、個人の問題というよりも、ベンチャー企業というものの組織自体に潜んでいる特徴と言っていいだろう。
▼雪印と不二家
不祥事が発覚したときに破局視をしてしまうと結果が悪くなる一九九〇年代には牛乳のトップメーカーであった雪印。当時の牛乳業界は製造後いかに早く届け、新鮮さをアピールするかにかかっていた。
しかし、そればかりに注力した結果、足元の工場では製造日の粉飾などが日常的に行われたり、生産ラインの清掃が行き渡らないなど、多くの問題を抱えることになり、結果、一万三〇〇〇人以上という過去最大の大型食中毒事件を起こすことになった。
当時は、事件発覚後のトップの対応のまずさをマスコミからバッシングされ、国民や消費者の批判を浴びた。さらには、雪印食品の牛肉の産地偽装事件が発覚。
二つの事件の影響によって、雪印グループは、解体・再編された。また、洋菓子大手の不二家は、消費期限切れの原材料を使って製品を製造したことが二〇〇七年に発覚。
その後もさまざまな不祥事が発覚し、販売中止を余儀なくされた。これらの事件に関しては、経営者の判断ミスと言えるかどうかはわからない。逮捕者を出した犯罪事件でもあり、単純に「判断のミスだった」と言うことはできないだろう。
だが、二〇〇七年に発覚した不二家の消費期限切れの牛乳を使った製造に関する問題では、判断ミスと思われる点が少なくない。
不二家では、社内調査によって、事実を把握していたにもかかわらず、「マスコミに知れたら、雪印の二の舞になる」という判断のもとに、公表をしないできた。
それが後に発覚し、期限切れの問題そのものよりも、隠蔽体質を厳しく指摘された。
これは、雪印事件を十分に知っているにもかかわらず、雪印事件について誤ったとらえ方をしてしまい、判断ミスを招いたと考えられる。
過去の他社の失敗事例を不二家は生かすことができなかったばかりか、かえって、世間の批判を浴びてしまったことになる。
雪印の二の舞を避けるためには、本来は、把握した時点ですぐに公表すべきであったのだが、隠蔽するという判断をしてしまっている。心理学的に見れば、破局視のパターンに陥っていたのではないかと考えられる。
「こんなことが発覚したら、うちの会社はもうおしまいだ」というように、破局観が強くなり、冷静さを欠いてしまったのかもしれない。
少し冷静になって、淡々とそして誠実に公表をしていれば、バッシングは受けただろうが、隠蔽体質を糾弾されることはなかっただろう。
しかし、こうしたことは不二家だけの問題ではない。
どの企業でも、不祥事が起こったときに、責任者の中には「こんな問題が発覚したら、うちはもうダメだ」「こんな問題が発覚したら、俺の立場は、もうおしまいだ」という破局視的なパニック状態になる人はいると思う。
もちろん、責任は取らなければならないだろうが、冷静に対応をすれば、狼狽してより大きな痛手をこうむることはなくなるはずだ。
三菱自動車のリコール隠し問題も、三菱のブランドイメージを守ろうとするために、かえってブランドを地に落としてしまっている。ブランドイメージを保つための方法論が間違っていたのだ。
ちなみに、自動車の中で非常にブランドイメージの高いメルセデス・ベンツは、こまめにリコールを行っている。リコールを繰り返して、状況をオープンにしていくことによって、高いブランドイメージを保っているのだ。
不祥事が起こったときには、どうすればブランドを守れるか、どうすれば会社を守れるかということを、パニックにならずに、冷静になって判断をすることが、責任者にとって不可欠なことではないかと思われる事例である。
▼パロマ事件
情報の選択的抽出をしていないか確認する必要がある二〇〇六年七月に発覚した湯沸かし器での死亡事故に対し、パロマ経営陣は一連の事故原因は、安全装置を解除し不正改造したサービス業者が原因として、「製品にはまったく問題ない」「不正改造に憤りを感じる」などと発言、犠牲者に対して「お悔やみ」を述べたものの、謝罪は一切しなかった。
しかし、世論の風当たりは強く、結局謝罪を表明しトップは辞任。パロマブランドは大きく傷つくこととなった。事件を隠したことももちろんだが、「責任は業者にある」として責任回避を図ったトップに批判が集中した。
この事件は、まさしく情報の選択的抽出と言える。自社にとって都合の悪い情報は受け入れず、都合の良い情報だけを選択的に抽出して、受け入れてしまったのだ。
心理学的に言えば、不適応思考の最たるものだ。
現場責任者がこのような傾向を持っていたのか、経営陣がこうした発想法だったのかはわからないが、いずれにせよ、会社全体が不適応思考をしていたと言える。
それは、同社が典型的な同族企業であったことも原因だろう。
同族企業の多くは、『第2章◆4日本人の陥りやすい「属人主義」』で述べたような属人的な発想で運営されている。
すると、「社長の言うことは正しい」「社長の息子さんの言うことは正しい」というような発想法になってしまう。このような会社では、誰もが社長のイエスマンになり、社長にとって不都合な情報は耳に入れない。
それゆえに、社長には良い情報しか入らず、社長は自分にとって都合の良い情報だけを信じ、都合の悪い情報を知ることができなくなる。
だが「報告を受けていないので、私は知りませんでした」と言って世間に通用するかと言えば、通用するはずがない。
同族企業の場合は、自社にとって都合の悪い情報や、オーナーにとって都合の悪い情報を積極的に収集していくようにしないと、創業社長がいつの間にか「裸の王様」になってしまって、気づいたときには、会社が破綻しているということにもなりかねない。
▼楽天のTBS株取得
感情面を織り込んだ判断をしないと躓くことがある二〇〇五年一〇月、楽天はTBSに対し共同持株会社方式による経営統合を申し入れた。だが、突然の一方的な株式取得にTBSは反発。交渉期限の延長を繰り返しているが結論は出ていない。
この問題は、どのように決着するかわからないので、安易に楽天の判断ミスということはできない。経営統合することよりも、株式の売却益が目的かもしれないし、あるいはTBS株の配当などで楽天に利益がもたらされれば、経営統合ができなくても成功と言えるのかもしれない。
しかし、本気で楽天が経営統合を考えているのだとすれば、少なくとも、世論やTBS側の感情的な反発の度合いを見誤っていたことは確かだろう。
世の中の人は、ライブドア事件を見て、小が大をのみ込むタイプの買収に、どこか胡散臭さと不自然さを感じていた。時価総額で見れば大きな会社かもしれないが、世間はITベンチャーを信用力の高い会社とはまだ認めていない。
「ITベンチャーがテレビ局を傘下におさめるなんて、なんか変だ」と思っていたのだ。それを強引に進めようとしたライブドアに対して、応援者はいたものの、感情的反発を持つ人も少なくなかった。
フジサンケイグループ内のライブドア憎しの感情はかなりのものがあったようだ。同様のことは、TBSと楽天の問題でも言えるだろう。おそらくTBSサイドの感情的な反発は相当なものだろうと思う。また、世間も楽天を後押ししようという雰囲気はない。
楽天が強引に進めようとすれば、世間も感情的になって楽天に否定的な態度を示すだろう。こうした感情の部分を、楽天サイドは読み切れていないのではないかと思う。
人間がかかわっている以上、株の論理や財務の論理だけでは、物事は決まらない。
その顕著な例が、村上ファンドが阪神電鉄を買おうとしたときに表れている。
私自身は、プロ野球の球団は、上場したほうが株主がチェックできて、裏金問題などが減ってくるのではないかと思っており、上場提案自体は間違っていなかったと考えている。
上場すれば、ファンたちが株主となってくれるから、その資金を元に有力選手の補強をすることもできたかもしれない。その点では、これまで以上にファンのことを重視する経営ができた可能性もある。
しかし、問題はそういうところにはなかった。阪神タイガースファンの感情を考えなかったために、失敗したのである。
ビジネスに感情を持ち込んではいけないと言われるが、実社会では、そんなことはありえない話である。
外資のハゲタカファンドに対する抵抗が強いのも、合理的な判断によるものというよりは、日本人の感情の問題である。
頭が良くて、賢い人ほど、合理的な判断を正しいものと決めつけてしまい、感情的な側面を軽視してしまう傾向がある。
だが、それでは実社会は動かない。いかに感情面を織り込んだ判断ができるか。そこに、判断を真に成功させるための大きなポイントがある。
▼北越製紙経営統合問題
理屈の通ったM&Aも成功しないことがある業界トップの王子製紙は、二〇〇六年七月に突然、株式の一〇〇%取得による北越製紙との経営統合案を提示。
世論も統合効果の得られる合併だと好感したが、北越製紙は頑強に反対。日本製紙の介入もあり、八月二九日には敗北宣言を出すに至る。
しかも、業界団体内で王子製紙バッシングが起こるなど、問題は後を引いている。王子製紙の北越製紙買収問題も、楽天と同様に感情面への配慮が足りなかった買収提案だったと言えるかもしれない。
このケースでは、識者をはじめとして多くの人が、王子製紙の経営戦略については合理的な判断だと認めていた。にもかかわらず、うまくいかなかった。
「経営戦略上、明らかに理にかなっているM&Aは受け入れられる」という発想だけでは、成功しないという例だろう。
楽天によるTBSとの経営統合案は、世間でもその効果を疑問視する声が少なくなかった。理にかなった統合提案だとは思われていなかったため、世間もこの提案には納得せず、後押しはなかった。強引に進めれば、世間の反発を買う可能性が高いため、楽天も強引には進められないという面がある。
だが、王子製紙の提案に関しては、世間は合理的だと認めていたのだ。
それでも経営統合案が成功しなかったのは、相手先の北越製紙の経営者や社員たちの心理的な要因が大きいのではないかと思う。誰だって、自分の会社を買われたくはない。
このケースから学ばなければならないのは、経営者や社員の反発によって、経済合理性も通用しなくなるということだ。
アメリカですら、敵対的M&Aはあまりうまくいったケースがないという。合併そのものは実現できても、その後の社員の感情的反発などが残って、合併効果がうまく働かないのだ。M&Aに関しては、各社はもっと心理的な側面の研究を重ねたほうがいいと思う。そこをクリアしなければ、おそらく簡単にはM&Aは成功しないだろう。
▼郵政選挙
国民心理を読めた小泉首相と読めなかった造反組落選者二〇〇五年に、小泉純一郎首相は、郵政法案が参議院で否決されたことを受けて、衆議院の解散を行った。
だが、与党自民党内で郵政民営化に反対していた議員は反発。結局、小泉自民党は郵政民営化に反対の議員たちの公認を取りやめ、新たに「刺客」と呼ばれる対立候補を擁立した。
郵政民営化に反対する勢力は「造反組」と呼ばれ、新党を立ち上げるなどして選挙に臨んだが、結果は自民党の歴史的大勝に終わり、造反組の多くが議席を失うことになった。
この選挙において、小泉自民党は圧勝したから、小泉さんの判断は間違っていなかったのだろう。党が分裂することも、小泉さんは覚悟していたと思う。
郵政改革の中身はともかく、政局的には小泉さんの判断は正しかった。それに対して、造反組と言われる人は読み誤っていた。
一つには、「郵政民営化=改革」という図式が国民の間で定着していたのに、正論と考えるために、その危険性を上手に訴えることができなかった。
さらに亀井静香氏をはじめとするこわもてが前面に出すぎたために、マスコミがみんな郵政民営化の支持に回ってしまった。
とくに彼らがリッチであるように見えたために、国民からは自分の利権を守るためだろうと思われる結果になった。
小泉前首相の政策のほうがはるかに貧しい人に冷たいのに、自らの家などがつましいことや、息子を世襲させないことなどのために、はるかに国民を考えて改革をする人のように映ってしまったのだ。
このような国民の感情面のフォローを考えなかったために、強い地盤を持つ政治家は当選できたが、それ以外の、実際は国のためを思って(アメリカから郵政利権を守ろうとして)郵政民営化に反対した議員たちは、首をそろえて落選する羽目になった。
ただ、それ以上の判断ミスだと私が考えるのは、ここで郵政民営化に反対したにもかかわらず当選した議員たちが、自民党復党のために謝罪をしたり、公約を覆して郵政民営化賛成に回ったりしたことである。
選挙民の感情は一時的なもので、将来的に郵政民営化による弊害が出てくれば、風向きはたちどころに変わるだろう。しかし、公約を簡単に覆すような政治家は、将来的な信頼を失ってしまう。
自民党の公認を得られなくても信念を貫いて、次の選挙で当選するほうが、国民的な信頼を得られるはずだ。
この選挙で男をあげたのは、マスコミ受けのいい政策である郵政民営化を最後まで支持しなかった平沼赳夫氏なのではないだろうか?少なくともその後の論調ではそう映るのである。
▼タカラの吸収合併問題
成功したブランドが他の分野にも通用すると考えていないかチェックする二〇〇〇年代初頭、e-karaやベイブレードといったヒット商品で一世を風靡し、そのV字回復についての書籍まで発刊されるなどしたタカラだったが、二〇〇二年に始めた電気自動車事業などがあだとなり、業績が悪化。
二〇〇六年三月にはついに、事実上吸収されるような形でトミーと合併、タカラトミーとして再出発を余儀なくされた。このケースは、サムスンの小型版と言えるかもしれない。サムスンと同じように、自動車の分野に進出しようとしたがうまくいかなかった。
確かに、一時期はチョロQブームが起こったので、「実際に乗れるチョロQ」というコンセプトは良かったかもしれない。サムスンと比べると、既存事業の延長線上にあるようにも思える。
しかし、自動車はやはり自動車である。おもちゃとは違う。
「チョロQのおもちゃの自動車が成功したから、チョロQの本物の自動車も成功する」と考えるのは、やはり過度の一般化の傾向があると言えるだろう。
また、チョロQ成功の延長線上にあっただけに、「チョロQなら成功する」というスキーマが強すぎたとも考えられる。
もちろん、電気自動車だから、既存の自動車とは違うし、小型なので用途としても十分に可能性はあっただろうが、「Q-CAR」という名称からもわかるように、「チョロQ」という存在が強く意識されている。
チョロQの大成功によって作られた強力なスキーマが、かえってチョロQに縛られてしまったという印象を持たざるを得ない。
タカラが、おもちゃという得意分野に注力せず、手を広げすぎた背景には、やはり成功体験によるスキーマが見え隠れしている。
だが、これはタカラに限ったことではない。同じようなことはどの会社でも多かれ少なかれあると思う。一つのヒット商品が出ると、そのブランドを使って、さまざまな商品を出そうとする。
その企業の既存の事業分野とは、まったく関係ない分野のものにまで、そのヒットブランドをつけて売ろうとする会社もある。
しかし、その多くはうまくはいっていない。せっかく作り上げたヒットブランドだけに、それにあやかりたいという気持ちが出てくるのは当然と言えるが、冷静に判断をしたほうがいい。
消費者の持つブランドイメージは、製品(サービス)と密着しているのであって、ブランドそのものが一人歩きしているわけではない。ブランドというのはそれぞれの事業ドメインと密接にかかわっていると考えられる。
大成功したブランドほど、「何にでも通用する」という思い込みが生まれやすいので、その点には、十分な留意を払うのが賢明である。
▼夕張市破産問題
集団になると正しい判断ができなくなる場合があるので気をつける炭鉱閉鎖などで悪化した経済状況再建のため、夕張市の元市長は「観光」を前面に出すことを提案。
しかし、いずれも成功せず二〇〇六年六月には財政再建団体の申請をするに至る。調査の結果、「ヤミ起債」などが明るみに出るなど多くの問題が発覚。住民サービスの低下は避けられない状態になっている。
この問題では、後を継いだ前市長は、住民からさまざまな批判を浴びた。
夕張市だけの問題ではないので気の毒な気もするが、ずっと夕張市役所に勤務していて、助役にまでなった人だから、その間の事情を知らなかったということはないだろうし、当選後に、どんな状況になるかは想像がついたはずだ。
そう考えると、「火中の栗を拾う」つもりで出馬したならともかく、現状のように袋叩きに合うことを予想していなかったとすれば、政策以前に出馬に関して「判断ミス」だったと言えるのかもしれない。
行政トップの個人の問題はさておくとして、行政機関というのは、夕張市に限らず、無責任体質になることが少なくない。
それは、社会心理学的に言うと、『第3章▼集団的浅慮とは何か?』で述べたような集団的浅慮や集団的手抜きが起こるからである。
「自分がやらなくても誰かがやってくれるだろう」「みんなでやるから、大丈夫だろう」というような心理が働きやすくなるのだ。
だから、役人は誰も責任を取らないような形で、国民や住民に結果的に責任を押し付ける状況が生まれてくる。夕張市の場合も、高齢化が進む自治体で、ハコモノに頼るようなことが行われていた。
個人の役人レベルでは疑問を感じていた人もいただろうが、結果としてはそれが実行されてしまっている。また、「最後は国が何とかしてくれるだろう」というような甘えもあったと思う。
集団で考えると、そのような浅はかな考えが生まれやすく、手抜きが起こりやすい。要するに、集団で考えると良い判断が生まれるのではなく、人間は間違った判断をしやすくなってしまうということである。
それに加えて、行政機関の場合は、前例主義が根付いている。言い換えれば、過去のスキーマに縛られてしまっているということだ。
過去にハコモノ行政でうまくいったと思っている人たちは、それを前例として、いつまでも踏襲しようとする。その結果、気づいたときには、破綻寸前といった状態にまで追い込まれてしまったりするのである。
行政機関について、もう一つ触れておくなら、全国の自治体で裏金が大きな問題となっている。
宮崎県知事に当選した東国原英夫(そのまんま東)知事は、県庁での挨拶でいきなり「裏金はありませんか?」と切り出したほど、全国の県庁で問題となっている。
常識的に考えれば、裏金作りが悪いことであるというのは誰にでもわかる。まして、試験に合格して採用された頭のいい公務員にわからないはずがない。だが、個人で考えれば絶対にありえないようなことでも、集団になると起こるのである。おそらく、そこには、「同調」という集団心理的なダイナミズムが働いている。
悪いこととは知りつつ、みんながやっているからそれに合わせてしまう。それによって、個人レベルでも判断ミスが生じているのである。
残念ながら、行政機関には集団的な無責任体質がはびこりやすいし、また、同調圧力によって、不正なことでもまかり通ってしまう場合がある。
これは、個々の人が悪いのではなく、社会心理学的に見て、そうなりやすいのである。だから、安易に個人を責めるわけにはいかない。
だが、少なくとも、政治家や行政の長は、「集団になると判断を誤る可能性がある」という心理的な側面を知っておく必要があると言えるのではないだろうか。結果的に責任を取らされるのは、首長なのだから。
▼西武グループ
独裁体制の組織では、不都合な情報を軽視していないかチェックする必要がある堤康次郎という伝説的な人物を親に持つ堤義明会長は、父親の路線を継承すべく鉄道事業とともにゴルフ場やスキー場といったリゾート施設やホテルの開発などに力を注ぐ。
しかし、バブル崩壊により投資環境が大幅に変化したにもかかわらず、土地事業に注力し続ける。また、父親と同じくワンマン体制を敷いたため、悪い情報が上がってこない組織を築き上げてしまった。
最終的には、有価証券報告書の虚偽記載などが発覚して、辞任に追い込まれ、東京地検特捜部に逮捕され、有罪が確定している。
西武グループに関しては、さまざまな報道機関がその実態を取り上げているが、ひと言で言えば、独裁体制が出来上がっていたようだ。
前にも述べたように、独裁体制というのは究極の属人主義だ。北朝鮮の金正日支配と似たようなものである。独裁体制で最も恐ろしいのは、悪い情報がトップに上がっていかなくなってしまうという点だ。
トップは、いわゆる「裸の王様」状態になっていく。そのように不都合な情報が上がってこない中で判断をしようとすれば、誤った判断になる確率が高くなるのは自然なことだ。
独裁的な体制の会社は、トップが意識的に悪い情報を収集していくようにしないと、判断ミスが多くなってしまうだろう。
企業の不祥事を取り上げて批判をすることが多いメディアの側も他人事ではない。NHKでも二〇〇四年に番組制作費流用問題が発覚した。
その後の報道を見ていると、NHKも、独裁体制に近かったようである。海老沢勝二前会長は、番組制作費流用問題で引責辞任するも、翌日に顧問に就任。
世論の猛反発でその三日後には辞任に追い込まれ、さらなるイメージダウンを招いた。その結果、NHKの受信料金不払い問題が広がり、現在に至るまでもつれている。
独裁体制になってしまうと、裸の王様になってしまって、世論の動向もあまりわからなくなってしまうのかもしれない。
世論を軽視し、受信料不払いを促進させたのだから、進退に関しても判断ミスだったと言っていいだろう。
このように、トップは進退問題をどう決断するかということだけでも、その会社(組織)のイメージが大幅にダウンし、消費者の反発を買い、売り上げの大幅ダウンにつながったりする。
独裁体制の会社では、後進も育っていないだろうし、トップの首に鈴をつける人は誰もいないから、トップは安易に保身に走りがちだ。
社内での絶大なる権力を背景に、「何があっても自分の身は安泰だ」と思いがちになる。しかし、お客様相手に仕事をしている以上、それは通用しない。
社内でどんなに権力を持っている人でも、大半の株式を持っているオーナーでも、社会から更迭されてしまう。そのような当たり前のことにすら気づかなくなる仕組みが、独裁体制と言っていい。
▼マクドナルド「低価格戦略」と野家の牛丼一筋はどうなるか
短期的判断と長期的判断には違いがある創業者藤田田氏のリーダーシップもあり、デフレ時代の勝ち組と言われた日本マクドナルドは、ハンバーガーの値段を一気に六五円まで下げるなどで話題をさらった。
しかしその後は収益を悪化させ、二〇〇二年には創業以来の赤字に陥り、藤田氏は引責辞任した。その後も高価格化と低価格化の狭間で揺れ動いた。
一方、野家は、二〇〇三年一二月、BSE問題で米国産牛肉の輸入が禁止されたのを受け、二〇〇四年二月には牛丼の販売を停止した。
牛丼一本に絞り込んだ経営戦略が災いし、代替メニューを軌道に乗せられず苦戦が続いた。牛肉の禁輸措置は米国のずさんな管理体制もあり予想以上に長期化し、単品で勝負するという経営戦略が躓いた。
こうしたマクドナルドや野家の例を見て、判断ミスだと指摘する専門家もいる。しかし、私は、判断ミスという結論を下すのはまだ早いと思う。
第4章でも述べたように、物事には短期的な視点と、長期的な視点があるからだ。短期売買の株式投資をしているような人たちは、マクドナルドや野家の戦略を判断ミスと受け止めるかもしれない。
しかし、長期的に見ると、それがどのような結果をもたらすかはまだわからない。
ブランドイメージというものは長期的な信頼から生まれるものであり、最近の考え方では、企業価値は短期的利益より、ブランドイメージのような無形資産で判断されることが少なくないからだ。判断というものは、評価する時期によって異なってくると思う。
三年後に見たら、判断ミスと思われても、一〇年後にはまた別の評価になるかもしれない。松下電器では、一九六四年に松下幸之助氏の決断で、大型コンピュータ事業から撤退するということがあった。その当時は、先々どうなるかわからないため、評価は分かれていたようだ。
その後、松下が家電事業で大成功を収めたため、コンピュータに投資せず経営資源を家電に投入できたということで高い評価をする人もいた。八〇年代くらいまではそのような評価が多かったかもしれない。
その後、九〇年代に入ってコンピュータ全盛の時代になると、「やはり、コンピュータ事業を続けておいたほうが良かったのではないか」という意見も出始めた。
だが、コンピュータ業界も浮き沈みが激しく、コンピュータ事業がどの程度メリットがあるか判断しにくくなり、コンピュータ事業撤退を間違っていたと判断する人は少なくなったと思う。
現在の松下電器はさまざまな得意分野で高収益を上げているため、「コンピュータを続けておいたほうが良かった」という評価はあまりないようである。
このように、一つの判断も、評価する時期によって、良い判断だったのか悪い判断だったのかが異なってくる。
この章で見てきた多くの例は、刑事事件になったり、破綻したり、買収・再編されたりしたため、ある程度の評価は定まっているが、マクドナルドや野家の例は、この先長い目で見ないと、判断が正しかったかどうかを決められないと思う。
短期的に見て判断ミスだったとしても、それを生かしていけば、結果的には企業にとって大きなメリットになることもある。少しくらい失敗があっても、あるいは、いくつも失敗があっても、それを生かして、長期的に成功できればいいのだ。
心理学的要素も考慮しながら、一つ一つの「判断」についてまじめに取り組んでいけば、たとえいくつかの判断ミスがあったとしても、必ずそれを生かしてより健全な「判断力」を手に入れることができるはずだ。
和田秀樹(わだ・ひでき)1960年生まれ。
東京大学医学部卒業。
東京大学附属病院精神神経科助手、米国カールメニンガー精神医学校国際フェローを経て、現在は精神科医。
国際医療福祉大学大学院教授(臨床心理学専攻)。
川崎幸病院精神科コンサルタント。
一橋大学国際・公共政策大学院特任教授。
心理学をビジネスに応用するシンクタンク、ヒデキ・ワダ・インスティテュート代表。
「緑鐵受験指導ゼミナール」代表。
2005年、第5回正論新風賞受賞。
主な著書に、『痛快!心理学』(集英社インターナショナル)、『嫉妬学』(日経BP社)、『学力崩壊』『医者をめざす君たちへ』『人は見かけで決まる』『教育格差』(以上、PHP研究所)、『大人のための勉強法』(PHP新書)、『他人の10倍仕事をこなす私の習慣』『勉強できる子のママがしていること』(以上、PHP文庫)など。
和田秀樹ホームページhttp://www.hidekiwada.com
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