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PART3バレットジャーナルの使い方——よりよく生きるための実践法

目次

1冊のノートで行動に移す——思考の整理から実行へ

あれをしよう、これをしようと忙しく計画を立てているうちに、思わぬことが起こるのが人生というものだ。

——アレン・サンダース(アメリカの著述家)さあ、これで頭のなかを整理するバレットジャーナルを始めるためのツールはすべて揃った。

これからあなたは貴重な時間とエネルギーを、ほんのちょっとバレットジャーナルに向けることになる。

とはいえ整理術というのは、一歩間違うと、気を散らせるものになってしまうから注意が必要だ。

何時間もかけてToDoリストをつくったのに、ひとつも完了できずに終わってしまうことだってある。

もっと重要な目標があるのに、家のなかを必死で片づけているうちに1日が終わってしまうかもしれない。

頭のなかを整理して、きちんと段階を踏んだうえで、まったく見当違いの目標を実現するために数日を、数か月を、ことによっては数年を費やしてしまう可能性だってある。

自分たちがしていること(What)、それをおこなう方法(How)よりも、そもそも、なぜそれをしているのかという根本的な理由(Why)のほうがはるかに重要なのだ。

多忙な毎日を送っているからといって、生産性が高いとはかぎらない。

忙しくすごしていると、刺激、反応、刺激、反応というサイクルにおちいりがちだ。

すると、つい刺激ばかりに注意を向け、愛、成長、目的のために行動を起こす能力を発揮できなくなる。

こうしたものこそが人生に価値を加えているのに、多忙な生活のせいで大切なものが見えなくなってしまうのだ。

本当の意味で生産性を高めるには、まず、刺激を追い求めるサイクルから脱出しなければならない。

自分の身に「起こったこと」と、それに対する自分の「反応」のあいだに、いわばスペースを設けるのだ。

そうすれば、自分の身に起こったことをじっくりと検証する機会ができる。

すると、自力でコントロールできるものはなにか、有意義なものはなにか、注意を向ける価値があるものはなにか、そして自分のWhyとはなにかが、把握できるようになる。

いったい自分は何者であるのか、いったい自分はどんな信念をもっているのかを、みずからの言葉で明確に定められるようになる。

こうした理解は、目標に向かって前進するうえで重要なステップだけれど、いくら大切なことを学んだところで、それはただ頭のなかで考えているにすぎない。

思考というものの例に漏れず、なにを考えたところで時間の経過とともに色褪せてしまうからだ。

とりわけ、それが抽象的な思考のままで、実際に具体的な行動に移さないでいると、すぐに忘れてしまう。

どれほど熱く信じているものがあろうが、どれほど有益な教訓を学ぼうが、それを行動に反映させないでいると消散してしまうのだ。

だから、定期的に自分の信念をじっくりとかえりみて、それを行動に移そう。

見込みのありそうなアイディアがあれば試し、自分の人生がどのくらい変わるのか、結果を確認するのもいい。

パート3を読めば、バレットジャーナルが、あなたの「信念」と「行動」のあいだの架け橋となることがおわかりいただけるだろう。

古来の哲学の教えを、1冊のノートを活用して行動に反映させる方法もわかるはずだ。

そうすれば、目的を意識した「意志力」のある人生を送る方法がわかり、What(自分の行動)とWhy(その行動を起こす根本的な理由)のあいだの距離を少しずつ縮めていけるだろう。

自分を肯定する力——恐怖という壁を乗り越える

まだなにも描かれていない白いキャンバスをおそれる画家は多いが、白いキャンバスのほうは「おまえにはできない」という呪文を破って挑んでくる画家をおそれる。

——フィンセント・ファン・ゴッホ(オランダの画家)思い切って大胆な行動をとれば、失敗のリスクにさらされる。

そして、失敗はたいてい歓迎されない。

だから僕たちはリスクを避けようとして、その結果、妥協せざるをえなくなり、「これで失敗する可能性はなくなった」と自分をなぐさめる。

だが、みずから運転するのではなく、助手席でシートベルトを締めた状態に甘んじていれば、結局は運命に翻弄されることになる。

そのうえ、どんな人生を送ろうとも、失敗を避けることはできない。

失敗は気持ちいいものではないけれど、妥協した人生における失敗は、挑戦した結果の失敗の2倍は悲惨な結果を招く。

たとえば、いまの生活を続けるほうが楽だからと、胸躍る海外勤務の話を辞退したとしよう。

ところが、いまの居心地のいい仕事を、あなたは突然、失うことになる。

すると、あなたはふたつの仕事を失ったような気がする——そのうえ、ひとつの仕事には、人生を大きく変える可能性まであったのに。

実際にどうなっていたかはわからないけれど、あのとき海外勤務の道を選んでいたらどうなっていただろうと、あなたはいつまでもぐずぐずと後悔することになる。

●ノートに書くと自己肯定感が育つ恐怖心に負けて、人生の色合いを薄めてはならない。

たとえばバレットジャーナル・ユーザーのヘザー・カリリは、子どもの頃から不安障害に苦しんできた。

「自分にはうまくできない」という不安がつのるため、勇気をだして新たなことに挑戦したり、リスクを承知でなにかに挑んだり、大好きなことを楽しんだりする機会を潰してきた。

そして、なにより好きな読書でも、彼女はそうした過ちを犯した。

そのうえ家庭をもち、育児に忙しくなると、腰を下ろしてじっくりと読書を楽しむというシンプルな喜びに浸れる時間は減っていった。

やがて、読書の習慣にも不安を覚えるようになった。

十分に本を読めていないのではないか、さまざまなジャンルの作品を読めていないのではないか、自分にふさわしい作品を読めていないのではないかと、不安がつのったのだ。

こうして読書習慣を意識すればするほど、読書の時間を捻出するのがむずかしくなった。

ところがバレットジャーナルを始めると、すごくやる気がでるようになって、彼女は驚いた。

ToDoリストで完了したタスクに×印をつけると達成感を覚えたし、1冊のノートのなかで日々の生活を美しく表現できる創造性も気にいった。

それでも、読書記録をつけるのはまだためらっていた。

「読書量が足りないことを意識するようになれば、不安が増すに違いない」と考えたのだ。

けれど、ついに「読んだ本」のコレクションをつくったところ、事実はその正反対であることがわかった。

実際のところ、彼女はたくさんの本を読んでいたのだ。

問題は、モチベーションが欠けていることじゃなかった。

失敗するのがこわくて、挑戦をためらう気持ちが問題だったのだ。

ヘザーは自分の努力をもっと信頼するようにした。

そして、たくさんの本を読むにつれ、自分の価値を認めることができるようになった。

やがて、読書の喜び、興奮、読書への情熱がよみがえってきた。

バレットジャーナルのおかげで、読書体験を整理することができたうえ、これまで感じてきた壁を乗り越えることができたのだ。

こうして勇気をだして行動を起こした結果、それが報われる機会を得られたことで、彼女は大きな力を得た。

あなたと同じ人間は、この世にひとりもいないし、今後も現れることはない。

あなたの非凡なものの見方は、ボロボロの生地に人類があけた無数の小さい穴に、いくつか継ぎをあてるかもしれない。

でも、「唯一無二」であるだけでは、価値ある人間にはなれない。

なにもしなければ、みずから勇気をだして行動を起こさなければ、有意義なことに貢献するチャンスを世界から——自分自身から——奪ってしまう。

フランスの映画監督、ロベール・ブレッソンは「君なしでは恐らく決して見られないであろうものを出現させよ」と述べている(『シネマトグラフ覚書』松浦寿輝訳、筑摩書房)。

なにかに挑戦しなければ、挑戦した結果も決して生じない。

あなたが挑戦した爪痕さえも残せないのだ。

たしかに、すべての努力が実るとはかぎらないけれど、失敗は貴重な教師となり、教訓を与えてくれる。

僕たちは、みずから進んで成長しなければならない。

学ぶことで成長し、敢えて行動を起こすことで学ぶ。

そこには、常にリスクがともなう。

結果をコントロールすることなどできない。

それが人生というもので、それは避けようがない。

でも、「勇気をだして行動を起こしていたらどうなっていただろう?」と後悔し、いつまでも悶々と苦しむという事態は避けることができる。

「リスクを冒すだけの価値はある」と信じる許可を、自分に与えよう。

BuJo実践法箇条書きで思考を紙に書きだすなにかを始めるときに、どこから始めればいいのかを見きわめるのが、いちばんむずかしい場合がある。

もしかするとあなたは、目標達成に、プロジェクトに、タスクに、どう取り組めばいいかがわからないのかもしれない。

勘違いをしているのでは、自分に失望するのではと、尻込みしているのかもしれない。

そうした場合は、まず、頭のなかにある考えを紙に書きだすことから始めてみよう。

手始めに、本書に関するメモをバレットジャーナルに書き込んでみよう。

パート3では、バレットジャーナルに関するさまざまなアイディアを紹介していく。

アイディアを見つけたら、そのまま先に進まずに、その場ですぐに書き留めよう。

ノートに「バレットジャーナル・メソッド」というコレクションをつくろう。

これまで読んできたように、「ラピッドロギング記法」とは、頭に思い浮かんだことを箇条書きで短く書き留める方法だ。

本書を読むあいだに、なにか考えが頭に浮かんだら、それをすぐに書き留めよう。

そうすれば、バレットジャーナルのシステムに自然に慣れていくはずだ。

それから、次になにをする必要があるのか、考えよう。

おそらく、書き留めたメモの項目をインデックスに加えることになるだろう。

そうすれば、あとで記憶をたどることができる。

思考は、僕たちの目標、希望、夢の源だ。

結局、僕たちは自分の思考を基盤に行動を起こすことになるのだから。

どんな努力を始めるにせよ、まず、思考を頭のなかから外にだし、それを紙に書きだして整理しよう。

そうすれば、もうあなたは知らないあいだにスタートを切っている……そのうえ、これまでとは違い、ハンドルを握っているのはあなた自身なのだ。

振り返り——有意義な人生は正しい自己認識から

汝自身を知れ。

——ソクラテス(古代ギリシアの哲人)本書を手にとったきっかけはなんだろう?どんな経緯があって、この本を読み始めたのだろう?ただ書店で本棚を見てまわっていただけ?誰かから贈られて、相手の気持ちを傷つけたくなくて読んでいるだけ?(それが理由なら、ここまで読んでくれて、ありがとう!)それとも、なにかあなたの生活に欠けているものがあって、この本でそれを見つけたいと思ったのだろうか?その場合、あなたの生活にはなにが欠けているのだろう?あなたの生活はそれにどう影響を受けているのだろう?そう問われて、落ち着かない気分になったかもしれない。

それがどれほどシンプルな行動に思えても、ひとつの行動を起こすうえでは、これまでに重ねてきた無数の選択が影響を及ぼしているからだ。

僕はオーギュスト・ロダンの「考える人」という彫刻が好きだ。

裸体の男性が座り込み、手に顎をのせ、じっと思索にふけっている。

ロダンのほかの作品にも同様の特徴があるけれど、作品全体が未完成のような印象を与えている。

表面には粗削りに見える部分がある。

細部が省略されているように見える部分もある。

そうした無数のささやかな選択が重なり、彼の作品には人間らしさとなまなましさがある——まるで彫刻家本人が思索にふけっているような印象を与えるのだ。

大理石の塊と同様、僕たちの人生には限りがある。

人生は荒々しく始まり、形など決められていない。

ただ大理石のどこを彫っていくか、僕たちは選択を重ねていく。

行動を起こすたびに、撤回できない時間が少しずつ削られていく。

無意味な行動などないからこそ、行動は慎重に起こさなければならない。

きちんと注意を払わずに、判断を誤って行動を起こすと、大理石は作品にならず、ただ石の残骸となりはてる。

もちろん、どんなに賢い人でも、頭の切れる人でも、判断を誤ることはあるし、それは人間の宿命だ。

そのうえ、人生はこちらの言うことなど聞かない。

あなたの手から滑り落ちて粉々になったり、形を変えたり、潰れたりする。

ときには、自分自身が削られてしまうこともある。

おかげで角がなくなり、丸くなることもあるだろう。

だからこそ人生の美点とは、生きているかぎり、常に取り組むべきものがあることだ。

「考える人」と同様、あなたの人生は壮大である必要も、磨きあげられている必要もない。

完璧である必要も、美しくある必要もない。

ただ、「よりよく」なろうと努力することが肝心なのだ。

自己認識が足りないと、僕たちはつい誤った判断をくだしてしまう。

そもそも、なぜそうした行動をとるのかという自問をせずに、ただ用事をこなすことにとらわれてしまうのだ。

だからこそ、「Why」と根本的な理由を自問することが、有意義な人生を模索するうえでは欠かせない。

●小さなWhyから始めよう人生の意味の探究を始めるのは、たいてい遅くなるものだ。

というのも、「人生の意味の探究」などと聞くと、途方もない大仕事に思えるし、すごく難解で深刻な作業に思えるからだ。

だから実際に危機的状況におちいり、そうせざるをえなくなるまで、僕たちはなかなか「Why」と自問しようとはしない。

でも、実際に危機に直面してから「Why」の答えを探すのはむずかしい。

つらい状況に置かれると、物事を冷静かつ明確に考える能力が衰えるからだ。

とはいえ、なにも艱難辛苦を味わっている最中じゃなくても、人生の意味を考えることはできる。

日常生活のなかで、心穏やかに考えることもできるのだから。

そのためには、まず、自分の時間とエネルギーをなにに向けているかに注意を払おう——バレットジャーナルに誠実に記入されている内容を見返せば、それがよくわかるはずだ。

あなたはこう思っているかもしれない。

いくらToDoリストを分析したところで、人生の大きい疑問に答えられはしないだろう、と。

そうかもしれないけれど、その理由のひとつは、僕たちがこうした自問をすることに慣れていないせいだ。

だから、思わず萎縮してしまうような大きなWhy(「人生の意味とはなんだろう?」「なぜ自分はここにいるんだろう?」)を自問する前に、小さなWhyから始めてみよう。

「なぜ自分は、このプロジェクトに取り組んでいるのだろう?」「なぜパートナーは僕にイライラしているんだろう?」「どうしてこんなにストレスを感じるんだろう?」。

バレットジャーナルでは、「振り返り」の時間を設けて、この自問をおこなっていく。

「振り返り」の時間をもつからこそ、僕たちは意志力を育むことができる。

この時間には、安心して自分を見つめ、いまの自分に欠けている大局観を取り戻し、Whyと自問することができる。

進行状況、責務、精神状態などを確認し、現状を把握することができるのだ。

すると、自分がふさわしい問題に取り組み、ふさわしい疑問に答えているかどうかがわかる。

自問することで、WhatとWhyを見わけられるようになるのだ。

とはいえ、心配はいらない。

振り返りは、過去の失敗についてあなたを厳しく罰するためのものじゃない。

あなたの実体験に埋め込まれている豊富な情報を収穫し、あなたの未来を肥沃にするために利用するのだから。

「振り返り」は、あなたに栄養を与えるものを見さだめるうえで役に立つ。

それがわかれば、人生の次の季節に種を蒔くとき、よりよい判断をくだせる。

僕たちの人生は、収穫の多い季節、収穫の少ない季節、勝利の季節、敗北の季節で成り立っている。

それぞれの季節が、僕たちに変化をうながす。

僕たちは生き、学び、適応する。

そしてまた、なにが有意義なのかも判断しなければならない。

ある季節に成長したものは、ほかの季節に腐敗する。

やみくもに過去にしがみついていれば、季節はずれの思い込みにとらわれてしまう。

そんな真似を続けていれば、いつも満たされず、むなしくなり、実体があるものを渇望するようになってもおかしくない。

充実した人生を送るには、有意義な人生を探究する行為を習慣として身につけ、経験の質が変化していくことを受け入れねばならない。

だからこそ、バレットジャーナル・メソッドには振り返りのメカニズムが組み込まれている。

有意義なものを明らかにし、不要なものを常に取り除くことで、バレットジャーナル・メソッドはたんなる「システム」から「実践するもの」へと変容するのだ。

BuJo実践法自分のペースで意識的に振り返るもしかすると、あなたはこう思っているかもしれない。

「ライダーくん、そりゃ僕だってもっと思慮深い人間になりたいけれど、なにしろ時間がなくってさ。

思索にふけるには、気持ちを鎮めて一点に集中しなくちゃならないだろう?だけど僕の頭のなかには、いろいろな考えがとっちらかってるし、僕自身もとっちらかってるんだよ」バレットジャーナルをすでに利用している人は、じつはすでに「振り返り」を始めている。

異なるタイプの記録を残すことで、「しなければならないこと」の整理ができるだけではなく、思考と行動の記録を証拠として残しているからだ。

いわば気づかないうちに「振り返り」を受動態でおこなっているようなものだ!では次に、自分のペースで、受動態ではなく能動態で、「振り返り」をおこなう方法を説明していこう。

「毎日の振り返り」——デイリーログを1日2回読み返す1日を通じてデイリーログを活用すれば、1日中、どんなときでも頭に浮かんだことを書き留めておける。

「振り返り」とは、そのデイリーログを読み直すだけの作業だ。

1日に2回、デイリーログを読み返し、積極的に内省をおこなおう。

「午前の振り返り」——明確な目的をもって1日を始める午前中、あるいは1日を始める朝の時間帯に、少し時間をとり、バレットジャーナルを手に腰を下ろそう。

あなたが朝、起きるとすぐに、いろいろな考えが浮かんできて頭のなかが整理できないタイプなら、そのプレッシャーを解放しよう。

一夜にして頭のなかに湧きあがってきたものを外にだそう。

頭のなかをすっきりさせ、これから始まる1日のためのスペースをつくろう。

ゾンビのような状態で朝食を食べるタイプの人にとって、「午前の振り返り」は気分を変え、すがすがしく1日を始めるうえで役に立つ。

次に、現在の月のページをすべてめくり、完了していないタスクを確認しよう。

未完了のタスクに優先順位をつけ、それに従って計画を練ろう。

そうすれば明確な目的と自信をもって、1日を始めることができる。

「午後の振り返り」——1日を見直しストレスと不安を解き放つ「午前の振り返り」は、効率よく1日をすごすための計画を立てるのに適している。

一方「午後の振り返り」は、緊張をほぐすためにおこなう。

ベッドに横になる前に、バレットジャーナルを手に腰を下ろし、今日1日に記録した内容を見直そう。

完了したタスクに「×」をつけよう。

もし、なにかのタスクの記入を忘れていたら、それを書き留めておこう。

そうすれば、あなたはまた頭のなかの重荷を下ろすことができる。

最新の情報をすべて書き終えたら、個別の項目に注意を向けよう。

そして「なぜ、これは重要なんだろう?」「なぜ、これをしているんだろう?」「なぜ、このタスクの優先順位が高いんだろう?」などと、自問しよう。

こう自問すると、たんに「気を散らせるにすぎない」ものがわかってくる。

もうこれは関係ないと判断したタスクがあれば、取り消し線を引いて消去しよう。

最後に、しばらく時間をとり、自分がまた前進できたことを評価しよう。

1日、頑張って成果をあげたことを認め、勝利を祝おう。

「午後の振り返り」の時間は、就寝前に、気持ちの負担となっているプレッシャーを解放するのにうってつけの機会だ。

「自分は今日前進できたし、準備をととのえたし、明確な目的ももっている」と自信をもち、ストレスと不安を解き放とう。

ヒント「毎日の振り返り」の時間を、デジタル・デトックスの機会として利用するのもいい。

「午後の振り返り」を終えたら、もう絶対にパソコンや携帯電話などを見ないというポリシーを設けるのだ。

こうして「午後の振り返り」を終えたら、翌朝の「午前の振り返り」の時間を終えるまでは、「スリープ」すなわち「休止モード」に入ろう。

こうすれば、いわば電源を切るようにして、リラックスして就寝できるはずだ。

「月末・年末の振り返り」——本当は大切でないことを手放すテクノロジーの発達により、日々の生活で、節目や継ぎ目を感じにくくなっている。

もちろん、ピザを注文するときには、配達までスムーズにおこなわれるほうがありがたい。

べつに奇跡のようなテクノロジーの正体など知らなくたって、あなたの部屋の戸口には熱々チーズのピザがちゃんと届けられる。

たしかにすごく便利ではあるけれど、そのシステムの背後でどのようなテクノロジーが駆使されているのかはわからない。

このように、ある物事についてじっくりと検証する時間が少なくなればなるほど、あなたはそれについての理解を深められなくなる。

だからこそ、「自分の人生をどのようにすごすか」という疑問に答えるには、ペースを落とし、時間をかけてじっくりと考えることが肝心なのだ。

タスクの「移動」をおこなう際には、しばし時間をとり、状況の全体像を把握し、自分に課されているタスクについて熟考しなければならない。

一見、タスクをフィルターにかけて必要なものを濾過するのは簡単そうに思えるけれど、この作業ではあなたの忍耐力には限界があるという事実を利用している。

ほんの数秒でも時間を費やしてその内容を書き直す価値などないと思えば、そのタスクは本当の意味では重要ではない確率が高い。

そのうえ、手で文字を書いていると物事を批判的に考えやすくなるので、頭のなかの考えに新たなつながりが生じやすくなる。

タスクをひとつずつ移動させるのは、いわば顕微鏡を利用してタスクを詳細に観察するようなものだ。

僕たちがなにかに「イエス」と言えば、同時に、ほかのものに「ノー」と言っていることになる。

「移動」という作業を通じて、僕たちは大切なものに再び取り組み、大切ではないものを手放すことができる。

いまは亡きブルース・リーも「日々、増やすのではなく、日々、減らすのだ。

本質的に大切じゃないものはそぎ落とせ」と言っていたのだから。

短くても必ず振り返りを続けること「毎日、どのくらいの時間を『振り返り』にあてていますか?」と、よく質問を受ける。

1回につき、5〜15分というところだろうか。

重要なのは、どのくらいの時間を使うかではない。

「一貫して変わらずに継続する」ことが肝心なのだ。

毎日、振り返りをサボりがちになってきたら、振り返りにかける時間を減らそう。

日々のルーティンに確実に組み込める程度に短縮してかまわない。

目標は、自分の状態を把握し、ささやかなWhyを自問する習慣を身につけることだ。

時間をかけて振り返りに取り組めば、だんだん、Whyという疑問にきちんと答えられるようになる。

自分の信念、価値観、能力を常に見つめていれば、長所や短所もよくわかるようになる。

そうすれば、時間はかかるかもしれないけれど、確実に無駄なタスクを除去できるようになり、「いま、ここ」にもっと意識を向けられるようになるはずだ。

自動操縦のスイッチを切り、自分だけの経験と向き合う作家デヴィッド・フォスター・ウォレスは、ケニヨン大学の卒業式に招かれ、かの有名な「これは水です」というタイトルのスピーチをおこなった。

そこで彼は日々の暮らしについて、次のように語った。

そして、いわゆる「現実の世界」なるものは初期設定のまま、やりすごそうとするあなたのまえに立ちはだかってはくれません。

だって、人びとやカネや権力の群がるいわゆる「現実の世界」は恐怖と軽蔑、屈託と渇望そして自己崇拝を、炉にくべて炊くからこそ滑らかに回っているのですから。

彼が伝えたかったのは、僕たちは十分に気をつけていないと、つい自動操縦で暮らしてしまい、真の意味で世界を経験できないということだ。

だが、振り返りの時間をもてば、自動操縦のスイッチを切り、自分の経験についてじっくりと考えられる。

そのためには、自問を繰り返さなければならないし、物事を額面どおりに受けとってはならない。

もっと慎重に、自分自身と世界について思索しなければならないのだ。

継続して自分の経験と向き合っていると、どれほど退屈な時間にも深遠な意味があることが意識できるようになる。

そうした意識を高めるにつれ、ウォレスが述べたようなものの見方ができるようになる。

人がごった返し暑苦しく、のろのろした消費文明のただなかでも、なお意味があるばかりか星々を輝かせるのとおなじ力が、炎となって燃えあがり聖なる光で満たすのは、本当は、あなた次第でしょう——思いやりと愛、表面を見透かせば森羅万象はひとつです。

『これは水です』(阿部重夫訳、田畑書店)「振り返り」で自分の人生に焦点を絞る視力検査の際に、検眼機のフレームに額をあてて、画面に映る記号を読むように言われたことがあるだろう。

あなたが記号を読むたびに、検眼士はレンズを交換し、どちらの記号がよく見えますかと質問する。

こちらのほうがよく見えますか?カチッ。

こちらはどうですか?カチッ。

この作業の目的は、網膜にぶつかる光の屈折を変え、あなたがいちばんはっきり見えるレンズの配列を見つけることだ。

もっと「意志力」のある生活について考えてみよう。

振り返りは、この検眼機のような役割を果たす。

僕たちの認識を改善させるうえで役立つメカニズムなのだ。

でも、うまく機能させるためには、レンズを加える必要がある。

あなたにはすでに自分の「信条」や「価値観」といった、独自のレンズがあるはずだ。

そして「振り返り」とは、古来、脈々と続けられてきた濃密な営みでもある。

どんな伝統や慣習にも、それぞれのレンズがあり、僕たちはそのレンズを利用して近視眼的なものの見方を改善したり、深い内省をしたりする。

次章では、そうしたレンズのなかで、僕がもっとも有益だと思ったレンズを紹介しよう。

このレンズを利用すれば、あなたはもっと自分の人生に焦点を絞って日々を送っていくことができる。

夢中になれることを探すのが幸福への近道

目は光を見ることしかできませんし、耳は音を聞くことしかできません。

けれど、心で耳を傾ければ、真意を把握することができるのです。

——デヴィッド・スタインドル=ラスト(ベネディクト会修道士)●贅沢な生活は本当に幸せか僕は往年のSFドラマ『トワイライト・ゾーン』が好きで、とりわけ「地獄にきた男」(ANicePlacetoVisit)というエピソードが気にいっている。

主人公のヴァレンタインはけんかっ早い強盗で、ある日、店に強盗に入ったあと警官に追いかけられ、射殺される。

目覚めた彼は、白いスーツをぱりっと着こなした愛想のいいイギリス紳士の案内で、死後の世界に向かう。

すると驚いたことに、そこで彼を待っていたのは贅沢きわまるきらびやかな世界だった。

案内されたのはニューヨーク市の贅沢な高級マンションの最上階。

オーダーメイドのスーツがよりどりみどりのクローゼットや、最高級のブランデーが並ぶバーもある。

その部屋で暮らし始めた彼は、高級車で街を走り、カジノでは負け知らず、社交界の名士にちやほやされる。

金、権力、セックスアピール——望んでいたものすべて——が、ついに自分のものになったのだ。

ところが、しばらくすると、目新しさは薄れていく。

贅沢三昧の生活はもはや退屈きわまりなく、彼は倦怠の日々にげんなりし始める。

あれほど憧れていた生活が現実のものになったのに、まったく気持ちが満たされないことがわかったのだ。

彼はイギリス紳士のところに行き、こう訴える。

「どうやら、おれには天国が向いちゃいないらしい。

ほかの場所のほうが、性に合うと思うんだがね」すると、イギリス紳士は顔をしかめ、こう応じる。

「どうして、ここが天国だと思ったんです?」●いくら自己改善しても幸せになれない成功しても、意外なことに、むなしく感じる場合がある。

それは金銭面での成功だけではなく、健康になりたい、充実した日々を送りたいと努力した結果にもあてはまる。

ZenHabitsというブログを連載しているレオ・バボータは「常に自己改善をしなくてはならないという強迫観念をどう克服したか」という記事で、ウルトラマラソンを走り、「ゴーラック・チャレンジ」(レンガを詰めたバックパックを背負い、障害物のあるコースを10時間走る)に参加し、プログラミングも学んだけれど、人生はちっともよくならなかったし、「いくら自己改善に励んだところで、よりよい人生は手に入らない」と述べている。

こうした理解に至ったのは、彼だけじゃない。

世界では、読み書きができる人、栄養がゆきわたっている人、予防接種を受けた人の数が以前より増えているし、テクノロジーも進歩している。

ところが、人生に渇望を覚えている人の数は増えていて、ベビーブーム世代の人たちはその上の世代よりも、自己改善のために1か月に倍近い費用をかけている(上の世代の半分程度の収入しかないにもかかわらず)。

すると、別の疑問も浮かびあがる。

この傾向と、うつ病の罹患率が増えているという現象には、なにか関係があるのだろうか?アメリカでは重度のうつ病に苦しむ若者の割合が2012年の5・9%から2015年には8・2%に上昇している。

アメリカだけでも、不安障害は4000万人の成人に影響を及ぼしている——なんと人口の18・1%にあたる割合だ。

そうはいっても、健康になることも、夜間になにかを勉強することも、すごくやりがいがあることだし、いい目標のはずだと、あなたは思うかもしれない。

たしかにそうだろうが、あなたが「なぜ」それをしているのかによって、その行為の意義は変わってくる。

いったいどんなモチベーションをもって、そうした努力に励んでいるのだろう?「努力すればなにかを得られる」という見通しがあるからこそ、僕たちは努力する。

あなたは、自分が流す血、汗、涙と引き換えに、正確なところ、なにを期待しているのだろう?あらゆる目標の背後に隠れている真意はなんだろう?たいていの場合、それは「幸福になること」で、問題はそこにある。

最近、あなたが達成した目標について考えてもらいたい。

努力して目標を達成すれば幸福になれると信じて自分を追い込み、頑張ったはずだ。

でも、ついにその目標を達成したあと、なにを感じただろう?昇給、新居、車、休暇という目標を達成したあと、期待したような幸福感を覚えただろうか?おそらく、その答えは「ノー」のはずだ。

たとえしばらくは幸福感を覚えたとしても、それは長続きしない。

いったいなぜ、長続きしないのだろう?●幸せになろうと努力すると幸せになれないまず、シンプルな事実を受け入れよう。

「なにをすれば幸福になれるかは、誰にもわからない」という事実を。

自分を幸福にするものを、真の確信をもって知ることはできない。

それどころか、そもそも僕たちは「インパクト・バイアス」という現象のせいで、「ある出来事を自分がどう感じるか」を予測するのが苦手なのだ。

インパクト・バイアスとは「将来の感情の状態の強度や持続期間を過剰評価する傾向」を指す。

僕たちは本質的に、みずからの適応力をたえず過小評価しているのだ。

目標に向かって邁進しているとき、人は新たなことを学ぶ。

そして周囲の状況は変化を続ける。

だからゴールに到着する頃には、僕たちは以前とは違う人間になっている。

僕たちにできるのは、せいぜい「なにが自分を幸せにするのか」を想像することくらいだ。

だから幸福を追求する方向性を間違え、やみくもに賭けをしておカネや時間を失ってしまう。

幸福になろうと必死で努力すればするほど、幸福は手からすり抜けていく。

コメディアンのティム・ミンチンは、こんな気のきいた台詞を決めている。

「幸福はオーガズムみたいなものだ。

あまり深刻に考えすぎると、逃げちまう」快楽を求める衝動は、僕たちにもともと埋め込まれていて、これが「幸福」というとらえがたい性質を理解するうえで、重要なカギを握っている。

僕たちにはもともと、暑さ、寒さ、苦難に適応する能力があるけれど、こうした適応力を備えているのは、快楽を体験する能力があればこそだ。

快楽を求める過程で、いいものと悪いものを区別し、有害なものと有益なものを見わける。

気分よく感じることを好み、避難所、食糧、水といったものを求めて力を尽くすのだ。

過酷な時代を生きていた人類は、もっぱら死を避けるためだけに時間を費やしてきた。

快楽は限られたものであり、もっと実用的なものだった。

ところが近年、快楽は商品となり、幸福の代替品として市場で売買されているうえ、ほしいときにいつでも入手できるようになった。

おまけに、僕たちにはすぐに適応する能力があるため、どれほど激しい快楽を覚えても、ほしくてたまらなかったモノを購入しても、すぐに飽きてしまう。

だから、また手っ取り早く入手できる快楽を新たに求める。

すでに手に入れたものではもはや満足できないのだ。

それは投薬量を徐々に増やし、痛みを消そうとするようなもの。

もっと靴、もっと酒、もっとセックス、もっと食べ物がほしい。

もっと「いいね!」がほし

い。

もっと、もっと。

こうした現象は「快楽順応」と呼ばれている。

フェイスブックで初代CEOを務めたショーン・パーカーは、この「人間心理のもろさ」は、経済の「パンとバター」であると述べた。

商品の広告を見ても、「よい」ではなく「もっと」に焦点があてられていることがよくわかる。

よりよい、より速い、より新鮮な、より強い、より軽い。

「よい」でも悪くはないけれど、「よりよい」には、いまより幸福になれる見込みがある。

買えるモノは、所有できる。

それが社会契約というものだ。

僕たちは靴店で靴を買い、衣料品販売店で服を買い、ディーラーで車を買う。

ところが「幸福」を販売している店はない。

それは、幸福が買えないからじゃない。

幸福は「所有できない」からだ。

幸福は、悲しみと同様、訪れては去る。

それは感情であり、感情の例に漏れず、ありがたいことに一時的なものだ。

感情が石灰化する世界、悪魔をいつまでも楽しませることを強要する世界を想像してもらいたい。

あるいは『トワイライト・ゾーン』の主人公、ヴァレンタインがたどり着いた天国、もしくは地獄を。

物事があまりにも完璧だと、比較する対象がなくなり、結局はすべてが無意味に感じられるようになる。

すると、僕たちは毒されてしまう。

実際、感情的な波をうまく乗りこなせない状態を、精神疾患と見なす場合もある。

この観点からすると、永遠の幸福という神話的な状態を求めるのは、現実と一致しないだけじゃなく、望ましくない。

では、いくら目標を立てたところで、その目標に向かって奮闘したところで、結局のところは無意味なのだろうか?いや、まったくそんなことはない。

ただ「幸福自体を目標にはできない」だけだ。

もちろん、幸福は重要だ。

だから、こう自問しよう。

どうすれば、自分の生活に幸福をおびき寄せることができるだろう?「幸福」という単語を辞書で調べれば、十数もの同義語が見つかる。

それほど、幸福になるのは複雑で微妙な体験なのだ。

でも、いくら調べたところで、幸福になる方法はわからない。

ここまでくれば、それはもはや哲学の領域だ。

哲学と聞くと、なんだか堅苦しい印象をもつけれど、哲学を学ぶと、よりよい人生を生きるヒントが得られる。

そうした哲学のひとつが、ギリシアの幸福主義、すなわち、「個人の健康で幸福な状態を導くための適切な行動を定義する倫理説」だ。

この考え方は、満足した幸福な状態をただ個人的な産業の副産物ととらえている。

これは、世界各地のさまざまな哲学的思想のなかで繰り返し取り上げられているテーマだ。

つまり幸福とは、「ほかの目標に向かって起こした行動の結果」といえるだろう。

幸福が行動の結果であるのなら、「どうすれば幸せになれるのか」と自問するのをやめなければならない。

そうではなく、「どうあるべきか」を自問すべきだ。

日本の沖縄県の住民は、長寿で幸福な住民が多いことで知られていて、100歳以上の住民の割合が10万人当たり約50人と、世界でもっとも高い。

幸福の秘訣はなんですかという質問に、もっとも多かった答えが「生きがい」だという。

作家のエクトル・ガルシアは「あなたの生きがいは、あなたが得意なものと、あなたが好んですることとの交差点だ」と述べている。

「人類は夜明けの時代から、物と金を渇望してきたが、なかには金や名声を絶えず求めることに満足できない者もいて、彼らは自分の富よりもっと大きなものに目を向けてきた。

長年、そうした行為はさまざまな言葉や習慣で表現されてきたが、最終的には、有意義に人生を生きるという核となる思想に戻ってきたのである」もしかすると、僕たちはこれまでずっと、この因果関係を逆に考えてきたのかもしれない。

幸福を追求すると、有意義なものが見えなくなる。

ところが有意義なものを追求すると、その結果、幸福が見えてくる場合があるのだ。

ヴィクトール・フランクルが著書『意味による癒し』(山田邦男訳、春秋社)で「幸福は『追求』して得られるものではなく、むしろ結果として生じるはずのものなのです」と述べているように。

●では、有意義な人生とはすると、また新たな疑問が生じる。

では、有意義とはなんだろう?その疑問に、自信をもって答えられる人は少ないだろうし、それでかまわない。

それは恐ろしく複雑な問いかけだし、考えていると頭が痛くなってくる。

学術的にも「有意義」の定義は漠然としている。

というのも、さまざまな主観的な見方が含まれてくるからだ。

そのうえ「有意義とはなにか」という主観的な見方そのものが、時間の経過とともに変化を遂げる。

あなたは12歳の頃、大切にしていた宝物をまだ大切にしているだろうか?おそらく、そんなことはないはずだ。

ただ、ひとつはっきりしているのは、「人生には有意義なものがひとつしかない」などということは、ありえないということ。

有意義なものはたくさんある。

信仰への献身から、家族への貢献まで、人は「これこそ有意義だ」と思い、さまざまな道を進んでいく。

もちろん、そうした献身には価値があるけれど、だからといってあなた自身が充足感を覚えるとはかぎらない。

有意義だと信じて努力を続けた結果、幻滅を覚えたボランティア、ソーシャルワーカー、教師、医師は大勢いる。

ときには子どもをもった親でさえ、幻滅することがある。

客観的に見れば、いま、自分がしていることには意義があることはわかっていても、本人はそれを実感できないのだ。

有意義であることには、どんな感情がともなうべきなのだろう?おそらく、すべてだろう。

あなたが感銘を受けるときには、頭で考えているわけじゃない。

だから、定義するのがむずかしいのだ。

あなたはそれを感じる。

古代ギリシア人は、こうした現象を「ファイネスタイ」と呼んでいた。

その意味としては「出現する」「姿を現す」「光を放つ」「現れる」など、さまざまな翻訳があてられている。

あなたの五感は「光を放つ」ものを察知するだろう。

それは有意義である見込みが高い。

受け身で人生を生き、光を放つものを追求せずにいれば、僕たちは世界における自分の居場所に関して、ほぼ無知のまま、暗闇のなかにとどまることになる。

この状態ではどれほど高貴な目的があろうと、どれほど善意があろうと、なんの目的も果たしていないような気がして、努力が無意味に感じられる。

僕たちは試行錯誤を重ね、そのむなしさをモノで埋めようとするけれど、結局はむなしさをいっそうつのらせることになる。

だから「自分にとって光を放つものはなにか」を探すことが肝要なのだ。

●自分にとって光を放つものはなにかでは「光を放つ」ものをどうすれば発掘できるのだろう?僕たちには「見る」という機能があらかじめそなわっているように、自分に向かって光を発散するものを感じとる機能もそなわっている。

それは「好奇心」だ。

好奇心とは、光を放ちそうなものを感じとると、ビビッと走る電気のようなものだ。

それは僕たちに想像力をはたらかせ、驚異の念を起こし、自分という殻のなかから世界へと引っ張りだす。

それは磁気となり、理性、貪欲、個人的な利益、ときには幸福とさえ入れ替わる。

あなたも次のような体験があるはずだ。

誰かに強く惹かれた、なにかの話題に夢中になった、好きなことに取り組んでいる最中に高揚感を覚えた、などだ。

ときには、自分がまだ経験したことがないものに好奇心が湧く場合もある。

もしかするとそれは、家族を育てる、起業する、アルバムを制作する、世界のある問題について取り組むことかもしれない。

それがなんであれ、これには意義がある可能性があると、あなたの心が察知したのだ。

だから、こう自問してもらいたい。

自分はこれまで「意義がある可能性があるもの」がなにかを、じっくりと考える時間をもったことがあるだろうか?ほかのものを例にして考えてみよう。

たとえばスポーツジムに入会したり、なにかの講座を受講したり、なにか目標を決めたりする前には、全体像を意識してから行動を起こすはずだ。

だから、これまでの経験から有意義な人生とはなにかを考えるために、自分のビジョンを明確にしよう。

そうしたビジョンを基盤に方向性を決めないと、自分にとって大切なものとはまるで関係のない「見当違いの場所」で迷子になりかねない。

だからまず、自分がどんな人生を送りたいのか、考えていこう。

次のエクササイズを試してもらいたい。

BuJo実践法自分の死亡記事からわかるふたつの別れ道●ふたつの人生の物語この思考実験は、ロバート・フロストの「歩む者のない道」という詩にインスパイアされて思いついた。

旅をしていて、別れ道にやってきたところを想像してもらいたい。

1本の道は、よく人が通っていそうな道だ。

もう1本の道は、あまり人が通ったことがなさそうな道だ。

●よく人が通っていそうな道この道は、慣れ親しんだ世界へとあなたを連れていく。

それはリスクより、居心地のよさを好む。

いわば、あなたの現在の生活の延長だ。

あなたはただ居心地のいいものだけを求めて進んでいく。

だから短所を改めようと変化を起こすことも、本気で自分を改善しようと取り組むこともない。

そうやって人生の最期を迎えたとき、あなたは私生活で、仕事で、なにを成し遂げているだろう?この人生の結末はどうなっているだろう?●あまり人が通ったことがなさそうな道この道は、あなたを馴染みのない場所へと連れていく。

それは居心地のよさより、リスクを好む。

あなたは関心をもったものを果敢に追求し、自己を改善しようとせっせと努力する。

そうやって人生の最期を迎えたとき、あなたは私生活で、仕事で、なにを成し遂げているだろう?この人生の結末はどうなっているだろう?次に、それぞれの道を選んだ人生を終えたと仮定して、15分以上の時間を割いて自分の死亡記事を書こう。

「ふたつの人生」というタイトルのコレクションをつくり、それをインデックスに加えよう。

まず、片方の道に進んだ場合の死亡記事を書こう。

すべて書き終えてから、もう片方の道を進んだ場合の死亡記事を書こう。

ページは必要なだけ使ってかまわない。

深く掘り下げよう。

正直になろう。

これを読むのはあなただけなのだから。

それぞれの道を進んでいった先には、どんな景色が広がっているだろう?●記事を書いたらなにを感じたか1両方の死亡記事を読む。

バレットジャーナルの次のページに、自分に宛てた手紙を書く。

死亡記事を書いているあいだ、どんな理解を得て、どんな疑問や感情、どんなポジティブな考えやネガティブな考えが浮かんできただろう?意外に思ったことはなんだろう?悲しかったこと、こわかったことはなんだろう?興奮したことはなんだろう?ここで大切なのは、自分の全生涯を目にしたときの感覚を把握することだ。

未来の自分——あとでこれを読むであろう人——に、なにが変化したかを伝えよう。

そして自分が逃げようとしていたもの、行きたいと願っていた場所を思いださせよう。

2あなたがいちばん好きな人生を選び、自分が成し遂げたものでもっとも誇りに思うものに丸印をつけよう。

それを終えたら、その内容を「目標コレクション」に「移動」させよう。

そうすれば、自分自身の言葉でもっと有意義な人生を理解する最初の一歩を踏みだせる。

そのまま前進を続けよう!

目標を決めると自分の望みがわかる

私たちに、大きいことはできません。

ささやかなことを大きな愛をもっておこなうだけです。

——マザー・テレサ(カトリック修道女)好奇心があるからこそ、僕たちの心のなかのコンパスは、可能性と意義に満ちた、希望がもてる磁場のほうを針で指す。

そしてどんなに不確実でリスクがあろうと、居心地のいいゾーンを思い切って飛びだし、未知の領域へと果敢に進んでいけと背中を押す。

では、次の自問を投げかけてみよう。

「失敗するリスクを減らす一方で、どうすれば好奇心の手綱をうまくさばけるだろう?」と。

目標を設定する際に、意志力をもって定めれば、そこには構造、方向性、焦点、目的が生まれるのだ。

目標を定めると、「自分が望んでいるものはなにか」が明確になる。

意志力をもって目標を設定しないと、人生の不快なもの、つらいことへのお決まりの反動しか起こせなくなってしまう。

たとえばあなたが太りすぎを気にしていて、数か月後にフルマラソンを完走しようと思い立つのは、ありがちな反動だ——そして逆効果となりやすい。

目標を達成する可能性はごくわずかしかないし、ケガを負ったり、自分に失望したりする可能性はとても高い。

反動的な目標を設定すると、スタート地点に逆戻りする確率が高い。

つまり「ハイリスク、ローリターン」なのだ。

ほかの人たちの目標を自分の目標にするのも、よくある間違いだ。

たとえば「100万ドル稼ぐ」というのは、よく耳にする目標ではあるけれど、有意義な目標ではない。

なぜ?なぜなら、なんの目的も果たしていないからだ。

あなたの目標は、持続可能な実体のあるものでなければならない。

なぜ100万ドルが必要なのかを正確に把握しなければならないのだ。

あなたの目標は、実体験で感じたことに端を発するべきだ。

あなたには心から情熱を傾けていることがあるはずだ。

自分に喜びをもたらすものをポジティブな駆動力にしているのかもしれないし、学校でのつらい体験で学んだ教訓を活かそうとしているのかもしれない。

そうした情熱の源を活性化しよう!そうした情熱を基盤に、有意義な目標を立てることができるはずだ。

これを念頭に置いたうえで、もう一度、「大金を稼ぐ」という目標について考えてみよう。

「奨学金を返済して、両親が退職後暮らせるような一軒家を買って、子どもたちの教育費にあてたい」という理由が、今度は明確になるはずだ。

今度の目標には、最初のものとは違って——やはり野心的ではあるけれど——有意義な要因が含まれている。

目標をかなえたら、自分の生活がどれほど改善されるかが、正確に把握できているからだ。

この点は非常に重要だ。

というのも、大きな目標を達成するには時間がかかるし、努力を継続しなければならない。

その道中でさまざまな困難に直面したとき、忍耐力がもっとも狡猾で手強い敵となることがわかっている。

だから大きな目標を達成するには数日、数か月、数年がかかるにせよ、根拠の明確な本物の欲求が必要となる。

あなたの気を散らせ、違う方向へと誘惑し、言い訳させ、疑念をもたせようとするものに負けない頑強な意志が必要となるのだ。

『やり抜く力』(神崎朗子訳、ダイヤモンド社)の著者アンジェラ・リー・ダックワースは「長期的な目標に向けた忍耐力や情熱」が「どんなほかの予測変数よりも」成功の指標となることに気づいたという。

忍耐力や情熱と聞くと、「ノー・ペイン、ノー・ゲイン」(苦労せずして得られるものはない)をモットーに、たとえ手足を骨折していようと得点を決めるアスリートのイメージを思い浮かべる人もいるだろう。

あるいは極寒の屋根裏部屋で震えながらすべてを芸術のために犠牲にしている画家や、数十年も沈黙を貫いて瞑想を続ける修道士といったイメージだろうか。

だが忍耐力や情熱には、程度というものがある。

「すべてかゼロか」という観点でものを見ていると、ささやかなものにも大きなパワーがあることを忘れがちになる。

どんなに太い幹をもつ樹木も、傷つきやすい種から発芽する。

情熱の種は好奇心だ。

忍耐力の種は忍耐だ。

あなたの目標を戦略的に設定すれば、忍耐力と好奇心、両方の種を蒔き、チャンスを広げていくことができるだろう。

BuJo実践法目標を上手に管理するテクニック●「目標コレクション」をつくるどんな大志をもっていても、頭のなかに渦巻く抽象的な白昼夢や漠然とした考えに足を引っ張られることがある。

「いつの日か、僕は……」というアイディアが頭に浮かんだら、その考えを紙に書きだそう。

そうすれば、漠然とした考えを、行動を起こせる目標に変えられる。

まだ「目標コレクション」をつくっていない方は、バレットジャーナルの次の白い見開きページに、「目標コレクション」をつくろう。

大きい目標でも小さい目標でもかまわない、すべてを書きだせば、再利用できる場所に保管しておける。

書きだすだけで、その内容を理解する第一歩をすでに踏みだしているのだ。

このコレクションは、あなたの未来の可能性を一覧表にする役割を果たす。

このコレクションがあれば、目標に集中し、モチベーションを維持できる。

でも、どれほどすばらしいメニューがあっても、注文しなければなんの役にも立たない。

次のステップは、行動を起こすよう自分の背中を押すことだ。

行動を起こさなければ、それはただ目標を蓄えるだけになり、行動を起こすタイミングをひたすら待つだけになる。

だが、そんなタイミングは永遠に訪れない。

僕たちは自分で機会をつくりださなければならない。

人生は待ってくれないのだから。

●「5、4、3、2、1エクササイズ」モチベーションを維持する最高の方法は、時間がいかに限られたものであるかを実感することだ。

「5、4、3、2、1エクササイズ」は、時間という観点から、目標を眺める役に立つ。

あなたの目標を、短期、中期、長期に分けて考えよう。

目標を達成できずに苦労している人は、ぜひ試していただきたい。

最初に、バレットジャーナルの次の白い見開きのページを開こう。

この新たなコレクションのトピックは「5、4、3、2、1」だ。

まず1ページを5つの列に分けよう。

左側のページには、あなたの私生活での目標を書く。

右側のページには、あなたの仕事の目標を書く。

いちばん上のセルには、5年以内に達成したい目標を書く。

次のセルには、4か月以内に達成したい目標を書く。

その次のセルには3週間で達成したい目標を書く。

次のセルには2日以内に達成したい目標を書く。

そして最後のセルには、1時間以内に達成したい目標を書く。

それから「目標コレクション」に戻り、そこに並んでいる目標をこの5つのセルのどこかに移動させよう。

正確に並べる必要はないけれど、肝心なのは、割りあてる時間とエネルギー(忍耐力と情熱)を決め、私生活と仕事の目標に向けてスタートを切ることだ。

すると自然に、全体の流れが把握できるようになる。

●目標の優先順位を決める目標を立てたら、ひとつずつ、個別に検討していこう。

その目標には、それをおこなうために必要と思われる時間を費やすだけの価値があるだろうか?それだけの時間を割く必要などないと思ったら、その項目に取り消し線を引いて消そう。

そして、残ったものに優先順位をつけよう。

あなたの経験に共鳴しているものはどれ?どれが、ほかのものよりまぶしい光を放っている?そうした優先順位の高いものには、優先順位の高い記号としてアスタリスク「*」をつけよう。

「5、4、3、2、1エクササイズ」を実施したら、それぞれのセルでひとつ、最優先にする目標ができるかもしれない。

私生活と仕事のページでは、別々に優先順位をつけよう。

全部合わせると、いちばん優先順位の高いものが10個あるはずだ。

次に、デイリーログに短期(1時間以内と2日以内)の目標を4つ、加えよう。

そして優先順位の高い記号「*」を加えよう。

これらを手早く片づけ、もっと大きな目標に取り組むためのはずみをつけよう。

これで10個の最優先の目標のうち、4つを移動させたことになる!残った目標はすべて、それ自体が別々のコレクションだ。

たとえば「ほかの言語に堪能になる」「ハワイ旅行」を独立したコレクションにしよう。

新たなコレクションを6つ(私生活で3つ、仕事で3つ)つくることに躊躇しているのなら、あなたが考えていたほどには重要ではない目標が交じっているのかもしれない。

それがわかったら、取り消し線を引いて削除しよう。

肝心なのは目標の数ではない。

「重要な目標に取り組む」ことが肝心なのだ。

●優先順位が高い目標に集中するコレクションを立ちあげたら、その目標を達成するか、その目標を達成する必要がなくなるまで、「目標」や「5、4、3、2、1」のコレクションを決して見直さないと誓おう。

やりたいことが多い人の場合、プロジェクトになりそうなもののリストは魅力的に感じられるものだ。

とりわけ、あなたが現在取り組んでいるものが、なかなかうまくいかないと、ほかのものに気をとられがちになる。

抵抗しよう!意志力をもって生きるとは、もっとも重要なものに集中することだ。

目標を選ぶときには、この点を忘れないように。

自分の人生でいま、最優先で実現したいものはなんだろう——そして、もっと重要なこと、そのWhy(根本的な理由)はなんだろう?取り組むタスクの数は、できるだけ少ないほうがいい。

なんだって?複数のタスクを同時進行するほうが有効なんじゃないの?そう疑問に思う人もいるだろう。

いや、同時におこなうタスクの数は最小限に抑えるべきだ。

なぜかって?研究によれば、心理学的にマルチタスクができる人は人口の約2%しかいないからだ。

その他大勢にあたる僕たちは、実際のところ、マルチタスクなどこなしていない。

ただジャグリングをしているだけ。

同時に複数の物事に取り組むことなどできない。

実際のところ、タスクをすばやく切り変えているだけなのだ——ボールを落とすまいと必死になって。

目の前のタスクを完了しないまま、慌ててほかのタスクに着手すると、以前のタスクに注意力を残したまま新たなタスクに取り組むことになり、目の前のタスクに集中できない。

ミネソタ大学のソフィー・ルロイ教授は、この現象を「注意力の残留」と呼び、「次のタスクにしっかりと取り組み、きちんとやり遂げるには、以前のタスクについて考えるのをやめ、注意力を完全に移行させる必要がある。

ところが研究の結果、完了していないタスクから新たなタスクに注意力を移行させるのはむずかしいことがわかった。

そのため、次のタスクをしっかりと完了することができないのだ」と述べている。

つまり注意力と時間を薄切りにすればするほど、集中できなくなるのだ。

集中力が下がれば、前進することもできなくなる。

こうした理由があるからこそ、自分では「すごく忙しい」と思っていても、多くの物事をきちんと終えられていないような気持ちになるのだ。

優先順位が高い核となるタスクに本気で取り組もう。

そこに集中し、ほかのところに気が散らないようにしよう。

体系的に取り組み、一点集中を心がけよう。

そのプロセスを通じて、あなたはなにか貴重な教訓を得るはずだ。

というより、目標達成より、そこに至るまでのプロセスにもっとも価値があることがわかるはずだ。

そのプロセスが、あなたの日々の経験の大半を構成しているのであり、だからこそ、あなたの成長をうながす情報を与えてくれるのだ。

●大きな目標を短期目標に分割するその昔、静止している被写体を少しずつ動かして撮影し、まるで動いているように見せる「ストップモーション・アニメーター」になりたいと思っていたことがある。

アラビアン・ナイトやギリシア神話を題材にしたストップモーション・アニメの映画を何度も何度も観るようになり、レイ・ハリーハウゼンがデザインした空想上の生き物に夢中になったのだ。

これこそ僕がしたいことだと、僕は思い込んだ。

疑問の余地なんてなかった……実際にやってみるまでは。

僕は友人とふたりで、ついに短いストップモーションの作品を撮影した。

冷凍ピザと小量の粘土にしか予算を割かなかった作品としては、そこそこの出来栄えだった。

でも実際に試してみたところ、このプロジェクトには細々とした無数の作業がともなうことがわかったうえ、これを生涯の仕事とするほどには夢中になれないこともわかった。

たしかに、それがわかったときには気落ちしたけれど、同時に、少しほっとした。

おかげで、ほかのことに挑戦できるようになったからだ。

だからいま、当時を振り返って、あのときこうしていたら……と後悔することはない。

なにかに夢中になったからといって、それが自分の職業になるとはかぎらない。

とくに若い頃には、身をもってそれを体験すべきだ。

自分が関心をもっているものが、人生でどんな役割を果たしているのか、考えてみよう。

すべての趣味に好奇心をもてるわけじゃないけれど、無性に惹かれるものもあるはずだ。

なにかに惹かれたら、それを生涯の仕事にするといった大きな決断をくだす前に、短期間、少しだけ試してみよう。

僕がストップモーションのアニメを制作したときも、短期間、小規模で試してみただけだった。

映画学校に入学し、アニメーションの講座を申し込むといった大きな目標を設ける前に、安全な範囲で試すことが肝心だ。

長期的な目標を、短期で達成できる独立した目標に分解するのは、フルマラソンをいくつもの短距離走に分けて考えるようなものだ。

最終的には同じ距離を走るのだが、もっと短く管理できるインターバルに分けて考える。

このテクニックは、ソフトウェア開発における有効な手法を応用したもので、どんなタイプの目標を達成するうえでも威力を発揮する。

それほど壮大な目標ではなくても、たいていの目標は複数の小さい目標に分けることができる。

そうすれば、忍耐力のない人(まさしく、僕がそのタイプ)でも、目標を達成できるようになるはずだ。

大きな目標を、短期で達成できる目標に分解すると、仕事量に圧倒され、疲弊しきってしまうリスクを減らすことができる。

たとえば料理が不得手な人が、どうにかして少しは料理の腕をあげたいと考えているとしよう。

その場合、「美食家の友人6人のためにスフレを焼こう」などと考えてはならない。

たとえうまくいったとしても、プレッシャーのせいで「スフレを焼く」という行為そのものが不愉快に感じられ、料理に対する好奇心がしおれてしまう。

「つらい」という感情を覚えると、好奇心や満足の邪魔をする。

だから、もっとささやかな、もっと簡単な料理から始めよう。

そして、実際に料理ができあがったときの気分を確認しよう。

この手法は、目標達成へのプロセスを段階に分ける手法と、どこが違うのだろう?段階には、それ自体に終わりがない。

一方短期目標はそれぞれが独立していて、それだけで完結するプロジェクトだ——そのため、その小さい目標を達成すれば、満足、情報、前進するモチベーションを得ることができる(あるいは、僕のストップモーション・アニメを制作したときのように、その目標をあきらめるうえでいいきっかけとなる)。

たとえば、作家でもある起業家が、ポッドキャスティングに興味をもっていたとしよう。

彼にはポッドキャストに関する知識がほとんどなかったので、友人のケヴィン・ローズと組んで6つの番組を制作した。

数年後、この試みはiTunesのビジネスポッドキャストで人気ナンバーワンの「ティム・フェリス・ショー」に実を結んだ。

すでに200以上のエピソードがあり、1億回以上のダウンロード数を誇っている。

この例からもわかるように、短期で小規模のプロジェクトを試した結果、そこから大きな可能性が広がる場合がある。

僕が最初にbulletjournal.comを立ちあげたときも、いわば短距離走にプロジェクトを分けて考えたからこそ、実現できたといえる。

短期の目標を立てるには、長期的な目標を達成するために必要な目標やスキルを具体的に挙げよう。

料理のたとえ話で説明すれば、次のようになる。

●長期的な目標──料理ができるようになる短期的な目標として考えられるもの・包丁の使い方を覚える・焼いたり炒めたりする方法を覚える(ほかの調理法も、随時、タスクとして加える)・新鮮な野菜の見分け方を学ぶ(野菜の見分け方を覚えたら、「果物や肉の選び方を学ぶ」などのタスクを加える)・卵料理を覚える(ゆで卵、スクランブルエッグ、目玉焼き、オムレツなど、卵料理のレパートリーをタスクとして加える)●短期目標に分けるときの注意点1目標を設定する際には、入口を狭めないこと(始めることが肝心)。

たとえば包丁の使い方を覚えたいからといって、料理人が使うような高価な包丁セットを購入する必要はない。

いわゆるキッチンの万能ナイフがあれば、それでいい。

すでに包丁をもっているのであればそれを使えばいいし、手元になければあまり高価ではない包丁を買えばいい。

2実行可能で具体的なタスクに分ける。

包丁の正しいもち方、研ぎ方、皮のむき方、薄切り、さいのめ切り、みじん切りといったタスクに分けるといい。

3完了するまでに比較的短い時間を定める(完了まで1か月未満にすべきで、できれば1〜2週間でできるものがいい)。

1週間に何回かサラダをつくる、簡単な野菜スープを覚えるなどという目標を立てれば、包丁を使う技術を身につけるスピードがアップする。

この3つのルールを守れば、あなたは短期目標に集中し、行動を起こし、スケジュールを管理できる。

この手順を踏めば、短期目標の達成を延期する言い訳を並べるのはむずかしくなるはずだ。

完了までに1か月以上かかりそうな目標は、それをまたふたつの目標に分けて考えよう。

時間を無駄にせず、安全に好奇心を満たし、自分に合うかどうか試してみることが肝心だ。

●WhatとWhyのブレーンストーミング目標を分解する前に、その内容をよく理解しよう。

いま、あなたは達成したい目標を選び、バレットジャーナルにそのコレクションをつくったはずだ。

その最初の見開きページを利用し、WhatとWhyのブレーンストーミングをおこなおう。

掘り下げてじっくりと考えてもらいたい。

そして頭に浮かんだものがあれば、なんでも書き込もう。

このプロセスをたどると、あなたの頭のなかの歯車が回転を始めるはずだ。

たとえば「料理を学ぶ」という目標のブレーンストーミングのページは、次のようになる。

1この目標に、好奇心がかきたてられるだろうか?僕はこれまでずっと、レストランのテーブルに座りながら、「いったいどうすればこんなに栄養バランスがよくて見た目も美しい料理ができるんだろう」と不思議に思ってきた。

正確なところ、なにをどうすれば、こんなことができるんだろう?2時間とエネルギーを投資してまでやってみたいと思う、その動機は?僕はこれまで、テイクアウトやレトルト食品におカネを使ってきたけれど、それがヘルシーじゃないってことは自覚してきた。

ここのところ少し体重が増えたし、カロリーにも気をつけたい。

3なにを達成しようとしているのか?料理ができるようになれば、食費を節約できるし、もっとヘルシーな食生活を送れるようになる。

少し体重も落としたい。

それに、自宅での夕食に友人や恋人を招待したあげく、惨憺たる結果になるのではと心配したくない。

4どんな技術を身につけたいのか?基本的な料理法を学んで、簡単なレシピを覚えて自分の食事の支度ができるようになりたい。

それにチリ、スープ、バーガーといったみんなが好きなレシピも覚えたい。

5この目標を達成したといえる、成功の目安はなんだろう?テイクアウトやレトルト食品への浪費を減らす。

ヘルシーな食生活を送る。

自宅での夕食に友人を招く。

ブレーンストーミングを終えたら、目標を達成する範囲、目標を達成するまでのプロセス、そしてその目標の達成がなぜ重要なのかといったことが、以前よりよく理解できているはずだ。

ここまできたら、いよいよ目標を短期で達成できるものに分けていこう。

その短期の目標にもサブコレクションをつくることができる。

次に、それぞれの目標を、細かいタスクに分解しよう。

●目標を必ず達成するコツタスクの一覧をつくったら、それぞれの短期目標にどれくらいの時間がかかるか計算しよう。

工事を発注したことがある人ならおわかりだろうが、時間の見積もりにはコツがある。

最初に時間を見積もったら、その3倍はかかると覚悟すること。

スピードより、完了することのほうが重要だ。

もし、予想より早く完了できたものがあれば、すばらしい!予想より早く完了したからといって、なにも困ることはない。

避けたいのは、予定より遅れることだ。

目標達成に向け努力を重ねる過程で、つらいことのほうが多いと感じるようになると、問題をクリアしていくのがむずかしくなる。

時間に余裕ができたら、それを有効活用しよう。

時間が足りなければ、目標を設定する範囲を狭めよう。

短期目標に分割できたら、それを記入するカレンダーを選び、書き込もう。

そして、タスクを完了するまでの時間を明確に定めよう。

こうすればいつプロジェクトに着手し、どのくらい時間がかかり、いつ完了するかがわかる。

目標を達成するのに長い時間がかかるほど、モチベーションに負荷がかかる。

モチベーションがなくなると、目標を達成することはできない。

短期目標を設定すると、一定の間隔で自分が前進したことを実感できるため、充足感を覚えられるようになる。

「成功をおさめるには、このプロジェクトを完了しなければならない」とわかっていても、チームやボスからの支援が得られないと、なかなかやる気がでないものだ。

でも、自分が確実に前進していることがわかれば、励みになる。

すると、自然に忍耐力も身についてくる。

スウェーデン在住の作家、オーロヴ・ヴィルマルクは、自分がうつ状態におちいった一因は、タスクのリストがまったく減らないと思えたことにあると考えていた。

タスクを管理するアプリを使い、タスクを完了するとリストから削除していたのだ。

そんなときにパソコンが壊れてしまい、仕方なく古いタイプライターを使い始めたおかげで、突破口が見えた。

「タイプライターを使っていると、自分に厳しくせずにすむことに気づいたのです。

いったん書いた内容をあとで編集して削除できなくなったので、いったん書いたらそのままにするか、1ページ丸ごと書き直すか、どちらかの選択をするしかなくなった。

すると、言葉が僕のなかからあふれだすようになりました。

そして驚いたことに、夜にはタイプライターの横に原稿の山ができるようになったのです。

成果をあげられるようになると、気分も明るくなってきました」と、彼は語っている。

「バレットジャーナルもまた、実際に手でふれることができます。

進行状況がはっきりとわかりますし、継続して振り返ることもできます。

ページを開くたびに、新たになにかを書き込める喜びがあるのです」

ある日、彼はブルーグレーのインクを入れた万年筆をもって、町にでかけた。

「以前のやり方では完了できなかったタスクは、すべてバレットジャーナルに移行させました。

いまではタスクはすべて計画に組み込んでいますし、きちんと完了するか、無関係になったら削除するようになりました」大きな目標を短期目標に分割すると、ダメージコントロールのうえでも役に立つ。

ときには、ある短期目標を達成できない場合もある。

それが自分に向いていないことがわかったり、なにか邪魔が入ったりすることもあるだろう。

その場合、その短期目標を達成できないからといって、ほかの短期目標まで頓挫させてはならない。

せいぜい、スケジュールを変更する程度の影響に留めよう。

短期目標を設定すれば、あなたには振り返る時間ができる。

それに日々の振り返りの時間に、短期目標に関してじっくりと考え、これまでの進行状況を検証することができる。

たとえば、次のように考えてみよう。

1自分の長所と短所について、どんなことがわかっただろう?2なにがうまくいっているだろう?なにがうまくいっていないだろう?3どうすれば、次回は少し改善できるだろう?4自分の人生にどんな価値が加わっているだろう?こうして振り返るうちに、核となる目標を見直す必要があることに気づくかもしれない。

それもまたすばらしい!本当はイタリア料理を学びたいことに気づくかもしれないし、もっと大勢の人たちのために料理をつくりたいと思うようになるかもしれないし、料理より家庭菜園に興味がでてくるかもしれない。

そうした変化に気づけば、目標を調整できるし、時間とエネルギーをもっと効率よく配分できるようになる。

このような軌道修正は、あなたがもっと有意義なことを発見したことを意味するし、それこそが重要だ。

古い短期目標で学んだ教訓を、新たな短期目標で活かそう。

こうして自分で修正を重ねていくからこそ、あなたは人生で大切なことに一歩ずつ近づきながら、常に成長を続けていくことができるのだ。

小さいステップで少しずつパズルのピースをはめる

僕には、3つの共通点をもつ3人の友人がいる。

3つの共通点とは「心が折れそうになる退屈な事務の仕事」「ヨガが大好き」「インスタグラムへの美しい画像の投稿」だ。

読者のみなさんも、そんな画像をご覧になったことがあるだろう。

真っ白な砂浜のビーチ、スカイブルーの海、青々としたヤシの木、ココナッツ・カクテルを飲みながら浜辺のかがり火を囲み、美しい人たちが微笑みながら談笑している……。

ひとり目の友人を、カレンと呼ぼう。

彼女は仕事を辞め、家財道具を売り払い、ヨガのインストラクターになるためにコスタリカに向かった。

ところが1年後、彼女は帰国し、また事務の仕事を再開した。

なぜだろう?彼女の説明によれば、リゾート地の観光客にヨガを教える仕事を楽しめなかったそうだ。

それまで彼女は世界各地を旅した経験があったので、コスタリカでも地元の文化を知りたいと思っていた。

けれど、地元の住民たちにはヨガのレッスン代を払う余裕などなかったし、彼女自身、旅先で仕事をしていると、「旅をしている」という楽しみを感じなくなった。

しだいに、デスクワークと同様、ヨガのインストラクターという仕事は骨の折れる退屈な作業になってしまった。

天気だけはよかったけれど、彼女が愛している人たちとは接点がなかったのだ。

ふたり目の友人は、レイチェル。

彼女もまたヨガを教えるために仕事を辞め、浜辺の洒落たリゾートで働き始めた。

1年と少しが経過した頃、彼女もまた事務の仕事に戻った。

その理由?ヨガを教えるのがちっとも楽しくないことに気づいたからだ。

それはいわば、彼女が大切にしていた避難場所が職場になったようなものだった——そのうえ、身体への負担も大きかった。

●目標達成できた人はどこが違ったのか3人目の友人は、リー。

彼女は10年ほど前に仕事を辞め、その後、決して振り返らなかった。

彼女はいまでも、世界各地でヨガを教えている。

どうして、前出のふたりとは違うのだろう?最初、彼女は小さな一歩を踏みだしていた。

9時から5時までのフルタイムの仕事をするかたわら、まず、週に1度、週末のレッスンで教えることから始めた。

それに旅行が好きだったので、1〜2週間の休暇を利用して、旅先のリゾート地でヨガのレッスンを試してみた。

すると、リゾート地でのレッスンは自分に向いていないことがわかった。

彼女はなにも失わず、ただその理解だけを得たのだ。

次に、療養所のゲスト・インストラクターを試してみた。

当たり!彼女は療養所で教えることが気にいった。

療養所は雰囲気もよかったし、楽しかったし、報酬もよかった。

そのうえ、療養所でインストラクターをするシステムには改善すべき点が多々あることにも気づいた。

そこで彼女は地元の療養所に新たなシステムを導入し、ヨガの指導を開始した。

それが軌道に乗ると、今度は南の島のリゾート地にもそのシステムを導入した。

その後も、彼女は事業の拡大を続けていった。

こうして彼女は、それまでの人生を根こそぎ引き抜くのではなく、少しずつ段階を踏み、目標を達成していった。

忍耐力と好奇心をもち、変革を起こし、少しずつパズルのピースをはめていった。

研究熱心ではあるけれど、秩序立てた手法をとることで、まったく新たな人生を切り開き、その後も継続して前進することができたのだ。

変革は、生産性と成長に欠かせない——個人的にも、職業的にも、なににおいても。

変革を起こせば自分の状況を大きく変えられるが、裏目にでる場合もある。

大きな変化は、恐怖反応を引き起こすからだ。

こわくなると、自分をなだめる必要が生じる。

そのため、生産性をあげようと努力したあと、停滞期を迎えることも多い。

「自分にはなにもできない」と感じる谷底を経験したあと、「自分にはなんでもできる」と自信を感じられるようになることがあるのは、そのためだ。

では、あまりストレスを感じずに、どうすれば持続可能な変化を起こすことができるのだろう?日本には「カイゼン」(改善)というコンセプトがある。

「カイ」には「改める」という意味があり、「ゼン」には「よい」という意味がある——つまりは「よい変化」だ。

欧米文化では、前進する過程での「中断」もまた好まれるけれど、「カイゼン」では徐々に改善できる機会があるのなら、どんなにささいな点であろうと着目する。

それは問題解決のためのアプローチで、こんなふうに小さな質問を重ねていくのだ。

「この状況を改善するために、なにかささやかな努力はできないだろうか?」「次回、もっとうまく進行させるために、なにをすればいいだろう?」。

こうした質問を重ねるのは、改善点を見つけるうえでとても有効な方法であり、前進の継続をうながす。

「カイゼン」は、日本の自動車産業の品質改善と企業文化向上のメソッドに由来するけれど、どんなところでも応用できる。

日常生活で活用すれば、有意義な変化を起こせるようになるだろう。

ささやかなことに着目すれば、あまりストレスを感じずに変化を起こせるのだ。

一度にひとつずつ、ごく小さな問題を解決すればいい。

それぞれの解決策は、それ以前に起こったことに基盤を置いている。

だからこそ、こうした小さなステップを積みあげていくと、時間の経過とともに、大きな変化を起こせるようになるのだ。

BuJo実践法短期目標を行動できるタスクに分解する●問題にささやかな問いかけをする目標の章では、大きな目標を独立した短期目標に分割する方法を説明した。

今度は、そうした短期目標を、行動を起こせるステップ、すなわちタスクへと分解していこう。

厳しい命令をくだしたり、最後通牒を突きつけたりするのではなく、好奇心というレンズを通してタスクをつくっていこう。

「体重を減らせ!」という恫喝と、「いまの食生活から排除できる不健康なものはなんだろう?」という問いかけのあいだには、大きな違いがある。

脳は、疑問を投げかけられれば反応する。

もともと脳は、問題があると解決しようとするからだ。

自問すれば好奇心を刺激し、想像力をはたらかせることもできる。

・自分はなにをしたいのだろう?・なぜ、それをしたいのだろう?・それを始めるために、いますぐにできるささやかなことはなんだろう?

ささやかな問いかけにしておけば、タスクを管理できる。

タスクが困難になるにつれ、いっそうの努力が必要となり、あなたはそのタスクを先延ばしにしやすくなる。

できるだけ、あまり努力をせずにタスクを完了できるようにしよう。

このテクニックは、プロジェクトが行き詰まっているときにも利用できる。

なにかに、あるいは誰かにお手上げになっていても、プロジェクトを進めるために、なにか打つ手はあるはずだ。

こんなことを自問しよう。

・これを進めるために、どんな小さな一歩を踏みだせばいい?・いま、なにを改善できるだろう?その答えは、インターネットで関連情報を検索するとか、その分野に詳しい友人や同僚に相談するとか、短期目標を見直すとか、これまでに学んだことをノートに片っ端から書きだすとか、きわめてシンプルな行動かもしれない。

徐々に改善していく方法がわかれば、前進する方法も見つかる。

そうして努力を重ねていけば、もっと先を読んで行動するよう自分を鍛えることもできる。

このテクニックがもっとも力を発揮するのは、問題を解決するときだ。

バレットジャーナル・メソッドは、最初から完璧に形が決まっていたわけじゃない。

一度にひとつずつ課題を解決することで、解決策を集めてきたのだ。

長い歳月のなかで、僕が試した手法の大半はうまくいかなかった。

それでも、そうした努力が失敗だとは思っていない。

的外れの試みをひとつひとつ積み重ねることで、よりよい解決策が生まれたのだから。

ロシアの作家アレクサンドル・ソルジェニーツインは、こう述べている。

「失敗は偉大なる教師だ——すなおに失敗を認め、そこから学ぼうとすれば」問題に直面したら、一歩引いて全体像を眺めよう。

そして次の例のようにささやかな問いかけを重ね、問題を小さく分解していこう。

・正確にいえば、どの点がうまくいかなかったのだろう?・なぜ、うまくいかなかったのだろう?・次回、改善できるささやかな点はどこだろう?目標達成をめざす途中で、どんな障害や難題にぶつかっても、好奇心をかきたてて対処しよう。

ささやかな質問を重ねて、問題を受け入れ、検証しよう。

自問を重ねるせっかくの機会を、恐怖心や見栄や苛立ちで潰してはならない。

アメリカの天文学者、カール・セーガンは著書『悪霊にさいなまれる世界』(青木薫訳、早川書房)で、こう述べている。

「単純素朴な質問もあれば、退屈な質問もあるし、要領を得ない質問もあれば、思いつきまかせの質問もあるだろう。

しかしどんな質問でも、それは世界を理解したいという心の叫びなのだ。

くだらない質問などというものはないのである」●失敗から正解にたどり着くPDCAサイクル問いかけを重ねた結果、答えが見つかったとしても、その答えが間違っていないかどうか、確かめなければならない。

発明家のトーマス・エディソンは、こんな気のきいたことを言っている。

「私は失敗したことなどない。

うまくいかない方法を一万とおり、見つけただけだ」と。

失敗には利益も実用性もある。

一種の学習メカニズムとして積極的に受け入れれば、僕たちは成長できる。

失敗を「一巻の終わり」と見なすのではなく、「創造的なプロセスに欠かせない段階」として再評価しよう。

「成功に欠かせない前兆」と見なせばいいのだ。

たとえばダイソンの掃除機を発明したサー・ジームズ・ダイソンは、思い描いていた製品をつくるまでに5126個もの試作品をつくった。

いまや、ダイソンは40億ドル以上の資産の持ち主となっている。

エディソンやダイソンといった発明家たちは失敗を尊重し、そこで学んだ教訓を積極的に活用した。

「失敗」のおかげで、自分のアイディアに何度も磨きをかけ、ついに解決策を発案したのだ。

これは「カイゼン」を促進する「反復サイクル」として知られている。

「反復」と聞くと、少し複雑な作業に思えるかもしれない。

でも「これをよりよくするために、なにかささやかな変化を起こせるだろうか?」と自問するだけで、あなたはすでに「デミング・サイクル」を始めている。

これはカイゼンの父と呼ばれるアメリカの統計学者、W・エドワーズ・デミングが開発した方法だ。

「デミング・サイクル」は改善を継続するための「Plan(計画)→Do(実行)→Check(評価)→Act(改善)」という4段階で成り立っている。

1Plan(計画):機会を認識して、変革の計画を立てる。

2Do(実行):計画を実行し、変革を試す。

3Check(評価):試験結果を分析し、学んだことを明確にする。

4Act(改善):これまで学んだことを基盤にして改善する。

この変革がうまくいかなければ、新たに計画を立て、同じサイクルを繰り返す。

うまくいったら、学んだことを活かして、新たな改善を計画する。

このサイクルを繰り返す。

では、この方法をバレットジャーナルで応用する方法を見ていこう。

まず、1日を反復サイクルと見なすことができる。

午前の振り返りの時間に、計画を立てるといいだろう。

日中に実行し、午後の振り返りの時間に、評価と改善を実施しよう。

バレットジャーナルのすべてがそうであるように、これは反復サイクルの唯一の活用法ではない。

いつでも好きなときに反復サイクルを実施できる——毎日、毎週、毎月の「移動」のあいだにおこなうのもいい。

肝心なのは、習慣としてこの手法を身につけることだ。

生産性とは、一貫性という全体像の一部にすぎない。

いったん頭のなかから思考を外にだしたら、猛烈なスピードで取り組まなければならないし、そのプロセスに集中すべきだ。

僕たちには超人的な意志の力などないのだから、このプロセスを続けていくしかないことをお忘れなく。

●毎日少しずつ改善して人生を変えていく気落ちしているとき、行き詰まっているとき、ストレスを感じているときには、こうした反復のサイクルは大仕事に思えるかもしれない。

「個人的な目標はおろか、仕事の目標に取り組むだけの気力もなければ、時間もおカネもエネルギーもないよ」と、ぼやきたくなるかもしれない。

でも、そう考えたとしても、それは真実じゃない。

たとえどん底に落ちているときでも、あなたには選択肢があるからだ。

「できない」言い訳ばかりを考えて決断をくだすことも、ささやかながらも「できること」に着目して決断をくだすこともできる。

いま幸せな人生を送っていると思えないのなら、こう自問してみよう。

「人生をほんの少しよりよくするためにできる、ささやかなことはなんだろう?」と。

その答えは友人に電話をかけることかもしれないし、天気がよければ朝、少し早く家をでて、景色のいいルートを通って職場に行くことかもしれない。

あるいは衣類で埋まってしまった椅子を引っ張りだすことかもしれない。

ここでも「勝利」を探すことが肝心だ。

どれほどささやかな勝利でもかまわない。

ハードルをすごく低く設定すれば、必ずなんらかの勝利をおさめられる。

それをタスクとして、バレットジャーナルに記入しよう。

翌日、同じ問いかけをしてみよう。

なにか、なんでもいいから、人生を少しよくするものを見つけよう。

昨日電話をしていたときに頭に浮かんだ友人に電話をかけるのもいい。

景色のいい通勤ルートで見つけた洒落たカフェでコーヒーをテイクアウトするのもいい。

ドレッサーのひきだしを整理するのもいい。

これを毎日、1か月続けて、バレットジャーナルに記録をつけよう。

それと気づかぬうちに、あなたは大切に思っている人たちと再び連絡をとったり、お気にいりの場所を新たにつくったり、少し片づいた部屋に気持ちよく帰宅できたりするようになっているはずだ。

「いまいる場所」と「行きたい場所」のあいだの溝を、あなたは少しずつ埋めてきたのだ。

こうして、ささやかな問いかけに応じて行動を起こすことで、幾何級数的にポジティブな影響を人生に及ぼすことができる。

質問に質問を重ね、タスクにタスクを重ねることで、小さな一歩を踏み重ね、常に改善を続ける持続可能な道を切り開いていくのだ。

時間の質をあげる——「いま、ここ」に集中する戦略

つまるところ、何歳まで生きたかではなく、いかにして生きたかが問題なのだ。

——エイブラハム・リンカーン(アメリカ合衆国第16代大統領)相対性理論とはいったいなんなのか、説明していただけますかと頼まれ、アインシュタインは(慈悲深いことに)、こんなふうにおどけて言い換えた。

「可愛いお嬢さんと一緒に1時間座っていれば、1分くらいにしか感じないでしょう。

でも熱いストーブの上に1分間座っていれば、1時間より長く感じる。

それが相対性です」つまり時間の認識というものは、「そのとき、なにをしているか」で変わってくるのだ。

子どもの頃を思いだせば、時間の認識がどれほど違うか、思い当たるふしがあるはずだ。

あの頃、車に乗っていると、1時間が永遠にも思えたものだ。

でも、いまは違う。

年齢を重ねるにつれ、時間の経過に鈍感になり、時間の使い方にもあまり気を留めなくなる。

締切りまた締切り、目標また目標と、とりわけ多忙なときには時間はあっという間にすぎる。

時間の経験はいたって相対的なものだから、時間が「限りある資源」であることを、つい忘れてしまうのだ。

だから気づいたときには、時間切れになっている。

「時間をつくる」ことはできない。

「時間をとる」ことしかできないのだ。

それが厳然たる事実。

たしかに時間をつくることはできないけれど、「時間の質」を向上させることはできる。

「時間の質」の測定は、厳密には自然科学とはいえないけれど、次のような感覚を覚えたことはないだろうか。

1日中デスクに座っていたのに「ちっとも仕事がはかどらない」と思ったことは?その反対に、ほんの数時間で数日分もの仕事をこなせたように思えたことは?つまり、仕事に何時間あてられたかではなく、目の前の仕事にどれほど集中できたかが肝心なのだ。

ところが集中力を維持するのはむずかしいことが証明されている。

つい、気を散らせてしまうからだ。

過去のことや未来のことにとらわれ、頭のなかで時間旅行を始めてしまうのだ。

変えられない過去に執着したり、予測できないことをあれこれ不安に思ったりしているうちに、変革を起こせる唯一の場所——「いま、ここ」——から時間とエネルギーを奪ってしまう。

時間の質は、「いま、ここ」に集中する能力で決まる。

集中力は高くなるときもあれば、低くなるときもある。

低くなるのは「免許更新の手続きに行く」といった、まったく好奇心を刺激されない用事をこなすときだ。

一方、その対極にあるのが「フロー」と呼ばれる状態だ。

「フロー」という言葉をつくりだしたハンガリー出身の心理学者、ミハイ・チクセントミハイ博士は、人間を幸福にするものの研究に生涯を捧げた。

調査のため、彼は画家、詩人、科学者など、創造的な仕事にたずさわる人たちを対象にインタビューをおこなった。

すると全員が、自分の作品(または研究の成果など)が生命力を帯びるように思えたときが理想の状態だ、と説明した。

なかには、それは忘我の恍惚状態だと表現する人もいた。

この「恍惚」(エクスタシー)という言葉の語源はギリシア語の「エクスタシス」で、「自分の外に立つ」という意味だ。

チクセントミハイは、この感覚は目の前のタスクに没頭するあまり、自己を意識できなくなる精神状態がもたらすのではないかと考えた。

僕たちは完全に没頭しているとき「フロー」に入る。

それは「いま、ここ」にいることであり、目の前のことに集中できれば、生産性をあげ、創造的な能力を存分に発揮できるようになる。

では、「フロー」をつくりだすことはできるのだろうか?フローは、幸福と同様、強制されたからといって生みだせるものではない。

とはいえ、戦略を立てて時間を活用すれば、フローが起こりやすい状態をつくりだせる。

BuJo実践法有限の時間を逆に利用する●タイム・ボクシング——制限時間のなかで一気に片づける人生にどれほど目的意識をもっていようと、楽しくはない用事や責務を避けることはできない。

誰だって、そうした責任を負っている。

なかには困難に思えるものもあるし、考えるだけでひるんでしまうものもある(大切な人と腹を割った話し合いをする、昇給について上司と交渉する、重要なプレゼンをするなど)。

その反対に、簡単で退屈な用事に思えるものもある(部屋の掃除、請求書の支払い、職場でのルーティンワークなど)。

こうした用事は、つい先延ばしにしがちだ。

とはいえ、当然のことながら、そうした用事がただ消えてなくなることはない。

タスクのリストに残ったまま、時限爆弾のようにカチカチと時を刻み続ける。

先延ばしにすればするほど、そのタスクの優先順位は高くなる。

すると「支払いをすませる」というささいな用事が、エネルギーと時間を消耗する大仕事になる。

遅延金の支払いの期限が迫ってきて、おまけに預金の残高が減ってくれば、おカネの心配が頭から離れなくなる。

「タイム・ボクシング」を利用すれば、こうした用事をさくさくとこなせるようになる。

「タイム・ボクシング」とは、その名のとおり「時間を箱に入れる」、つまり活動を特定の時間に押し込む作業を指す。

あらかじめ時間制限を設け、その枠のなかで完全に集中するように仕向けるのだ。

「タイム・ボクシング」は、先延ばしにしてきたタスクに、ふたつの大きなモチベーションを与える。

「時間制限」と「緊急性」だ。

試験勉強のために割ける時間が1日に30分しかなければ、あなたはその30分をまるまる試験勉強にあてるだろう。

渋る自分を、こう言ってなだめるのだ(「べつにだらだらと長引くわけじゃない。

ありがたいことに30分こっきりしかないんだから」)。

長時間、勉強せずにすむと思えば、ひるまずにとりかかれる(「これくらいならできる!」)。

そのうえ、短時間ならやる気も湧く(「よし、30分だけ集中して取り組もう。

さあ、集中して頑張ろう!」)たとえば、1か月以内に確定申告をしなければならないとしよう。

ギリギリになるまで先延ばしにした結果、予想外の事態が生じる可能性を計算に入れて、慌てずにすむよう「タイム・ボクシング」を利用しよう。

次の例のように、プロセスをいくつかのセッションに分けて考えてもらいたい。

セッション1〜2日曜、午後8時半〜9時——必要な書類を集める。

セッション3〜6月、水、日曜、午後8時半〜9時——データを入力する。

セッション7火曜、午後8時半〜9時——データをファイルにまとめる。

セッション8木曜(最終日)、午後8時半〜9時——追加の情報があれば加える。

「フロー」状態に入るコツは、課題のむずかしさとあなたのスキルのバランスをとることだ。

そのタスクをこなす技術がなければ、あなたは不安になり、圧倒されてしまう。

そんなとき「タイム・ボクシング」を実施すれば、タスクを小分けにし、それを処理していく過程で徐々に技術を身につけられる。

すると時間の経過につれ、そのタスクの難度は下がっていく。

反対に、そのタスクがほとんど努力を要さないのであれば、スキルも求められない。

そんなときは「タイム・ボクシング」を利用することで、「緊急だ」という感覚を生みだし、タスクの難度を上げられる。

●スケジューリング——厄介な用事を最初にすませる1日の集中力は、朝から晩へと経過するにつれ、落ちていく。

よって、いつするかで、それをうまくできるかどうかが大きく変わってくる。

なにか先延ばしにしていることがあるのなら、それが「しなければならない用事」かどうか考えよう。

先延ばしにしている理由は、手間がかかるタスクだからかもしれない。

それで不安になっているのかもしれないし、そのタスクにまったく興味がないのかもしれない。

そんなタスクは、スケジュールの最初に入れて、さっさとすませてしまおう。

なにも、まったくワクワクしないこと、やる気がでないことに取り組んで1日を始めなさいと薦めているわけじゃない。

ただ、最初に障害物を道からどけておくほうが歩きやすくなると言っているだけだ。

それはいわば、あなたの靴のなかに入り込んでいる小石なのだから。

大きなトラブルを起こす前に、その小石をとりだそう。

1日の最初に簡単なタスクを割りあてるのは、それ自体が先延ばしだ。

最初にわずらわしくて厄介な用事をすませてしまえば、1日を気分よくすごせる。

ウェイトをつけて走れば、外したあとはより軽く、より強く走れるように感じるものだ。

それに、いちばん気が進まないタスクから片づけてしまえば、本当に関心をもっているものに向かって道を進めるようになる。

楽しみにしていることが先にあるほうが、集中力とやる気を1日中保つことができる。

とはいえ、人によってバイオリズムは異なる。

なかには、夜、元気がでる人もいるだろう。

自分にとっていちばん集中力があり、生産性がある時間帯はいつかをよく考えて、そのリズムに従って計画を立てよう。

●メメント・モリ——いまを意識して時間の質をあげる最後に祖父と話したのは、もう1年も前になる。

祖父の体調がよくないことはわかっていたので、僕はバレットジャーナルに「おじいちゃんに電話」というタスクを記入していた。

でも、そのタスクを完了する前に、祖父は亡くなった。

僕の知人の誰もが同じような体験をしていたし、同じような後悔をしていた。

死は、時間が貴重であることを僕たちに思いださせる、もっとも厳粛なリマインダーだ。

古代ローマ人には「メメント・モリ」という概念があった。

「死を忘れるな」という意味だという。

伝説によれば、戦場で勝利をおさめて帰還した将軍たちが、街を行進した。

そのとき、彼らは使用人に、このフレーズを耳元で何度もつぶやかせ、「有頂天になるな、気を抜くな」と自戒したという。

すべての命あるものには、死が訪れる。

それは数少ない絶対的真実のひとつだ。

それなのに欧米社会では「永久ではないもの」は悪者扱いされる。

死は「死神」として擬人化され、影のなかからぬっと現れ、僕たちからすべてを奪おうとする残忍な敵として描かれる。

避けようのない一方通行の関係だと思えば、こわくなるのが当然だ。

けれど、そんなふうに考える必要はない。

「永久ではない」という現実を受け入れるからこそ、生きているあいだの時間がこのうえなく貴重なものになるのだから。

たとえば、好物について考えてみよう。

あなたの好物がピザだとしよう。

ある日、あなたは「人生であと87回、ピザを食べられる」と言われる。

すると、ピザが嫌いになったり、ピザを食べようとしなくなったり、ピザを食べると思うだけでうんざりしたりするだろうか。

ピザのことを考えると気が滅入るようになるだろうか。

いや、その正反対になるのでは?ピザを食べられる機会に限界があることを自覚し、「いま」という瞬間を意識して、ひと口ひと口をじっくり味わって食べるのではないだろうか。

以前は、そんなことを意識もしなかったのに。

あなた自身も、嫌味ばかり言う同僚も、ペットも、恋人も、兄弟も、親も、いつかは必ず死ぬ。

それを忘れないようにしよう。

この事実を念頭に置けば、彼らとの関係を根本的に改善できるはずだ。

相手の立場にもっと思いやりを示し、寛大になり、辛抱強くなり、やさしくなり、感謝できるようになるだろう。

そしてなによりも、もっと「いま」を意識するようになれば、時間の質を改善することができる。

ローマ皇帝であり、ストア派の哲人でもあったマルクス・アウレーリウスは「いますぐにも人生を去って行くことのできる者のごとくあらゆることをおこない、話し、考えること」と、語ったという。

もし、そんなふうにするとしたら、あなたの人生はどうなるだろう?すべてが同じ状態を続けるだろうか?なにか違うことをするだろうか?なにか違うことを言うだろうか?なにか違うことを考えるようになり、新たなものの見方をしたり、物事を明確にとらえたりするようになるだろうか?そして、核心を衝く質問はこうだ。

なぜ、そう考えて行動しないのだろう?結局のところ、僕たちは死と隣り合わせの世界に暮らしているのだから。

運命を左右する力は、僕たちにはない。

だから、せめて選択肢がある場合は、日々の生活になにを取り入れるのか、慎重に考えよう。

だって、人生には無駄にできる余裕などないのだから。

タスクを移動させるときには、「欠かせないもの」「重要なもの」はなんだろうと考え、不要なものは削除する。

ときには、判別がむずかしい場合もあるだろう。

けれど「永遠なものはない」というレンズを通して眺めれば、「振り返り」の時間に明確に物事を見きわめられるようになる。

「死」の存在を忘れずにすごすからこそ、生きている時間を存分に活用できるのだ。

成果を祝い感謝する——真の充足感を確認する

人生はとらえがたい。

あの扉が開きますようにと、あれほど願っていた扉をすでに通り抜けていることにも気づかないほどだ。

——ブリアンナ・ウィースト(アメリカの作家)デヴィッド・リンチ監督の『ツイン・ピークス』に、こんなシーンがある。

デイル・クーパー特別捜査官とハリー・S・トルーマン保安官が、趣のある古風なダブル・R・ダイナーに食事にでかける。

クーパー捜査官がトルーマン保安官の胸を軽くたたき、にやりとして、こう言う。

「ちょっとした秘密を教えよう。

毎日、必ず1回は、自分にプレゼントを贈るといいぞ」プレゼント?それは「熱くてうまいブラックコーヒー」、2杯の注文だった。

このシーンには琴線にふれるものがある。

奇妙で、暴力的で、信用の置けないデヴィッド・リンチの世界で、クーパー捜査官は人生を少し明るく照らしだす方法を見つけたのだ。

彼は、自分にとっての「よきもの」をきちんと見わけている。

彼はこの食堂が好きだし、ここのコーヒーも好きだ。

ここですごす時間をしみじみと味わい、そのありがたみを実感している。

彼はここですごす習慣を「秘密」だと言っているけれど、僕は声を大にして言いたい。

それは誰にでも活用できる、過小評価されているスキルだ、と。

●自分はなんのために努力しているのかマインドフルネスの瞑想では、「いま」という瞬間に意識を向けなさいと教わる。

料理をしているときに、歯磨きをしているときに、レジの列に並んでいるときに、それを実践しよう。

「いま、ここ」にいる能力に磨きをかけよう。

「瞑想中は、思考を取り除かなくちゃならないんだろう?」と誤解する人が多い。

そうではなく、マインドフルネスは「思考と自分」のあいだの距離を広げるうえで役に立つ。

僕もインストラクターからたとえ話で説明してもらって腑に落ちたのだが、瞑想をすると、いわば渋滞にはまって身動きできなくなるのではなく、道路脇に立てるようになるのだ。

とはいえ、人生の渋滞にはまってしまい、本当はじっくりと味わうべき重要な瞬間に気づかないまますごしてしまうのはよくあることだ。

その最たる例は、成果や業績に固執してすごすことだろう。

たしかに成果や業績は、生産性の尺度にはなるけれど、本当の成果とはいったいなんだろう?そもそも、なぜ成果や業績に価値があるのだろう?富を得るため?成長するため?そうした結果がもたらされる可能性もあるけれど、その前に、自分がなにを目標に努力をしているのか、しっかりと把握しなければならない。

フルスピードで運転しているからといって、正しい方向に向かっているとはかぎらないのだから。

BuJoでひとつのタスクを完了し、取り消し線を引いて削除したら、いったんスローダウンしよう。

しばし休憩し、タスクを終えたあとの達成感について考えよう。

なにを感じているだろう?なにも感じないのなら——あるいは、少しほっとした程度なら——あなたがこつこつと取り組んでいることが、人生にあまり価値を加えていない可能性がある。

もしそうなら、その事実から目をそらさず、しっかりと認識しよう。

その反対に、少しでも歓喜、誇り、感謝、充足感を覚えているのであれば、あなたはなにか大切なことに取り組んでいる。

しばらく時間をとり、頑張って成果をあげた自分を褒め、その成果を認めるというプレゼントを自分に贈ろう。

そうしていれば、なにが大切なのかが、明確にわかってくるはずだ。

自分の成果に価値があることを認められないのなら、努力する価値などあるはずもない。

あなたが努力した成果には、あなたを育み、あなたを導く力がある。

でも、そのためにはまずしばし時間をとり、それを評価し、感謝しなければならない。

BuJo実践法人生をより楽しむ記録法——「書く」ことの密かな効用●「感謝ログ」に書きだして自分を褒めるバレットジャーナルは、あなたがいま抱えているタスクのリストの置き場所だ。

タスクをひとつ完了させれば、それはひとつの成果に変わる。

完了したタスクに×をつけたら、自分が「成果をあげたこと」を評価しよう。

その結果、少しでもいい影響が及んでいるのなら、お祝いをしよう!大きな山を越えた、長期的な目標を達成したなどという場合には、それにふさわしいお祝いをしよう。

できれば関係者や、あなたが成果をあげたことを喜んでくれる人と一緒に祝うといい。

ほどほどの成果であれば、友人に電話をかけて報告したり、普段より少し早目に仕事を切りあげたりして祝おう。

じつにささやかな成果であれば、にっこりと微笑もう!指を鳴らそう!ガッツポーズをとろう!「終わった」と歓声をあげて、ドーパミンがどっと放出される瞬間を楽しもう。

勝利を祝うのは、ただ背中を撫で「よくやった」とねぎらうだけじゃなく、あいまいなままやりすごさず、ポジティブな瞬間を明確にする訓練にもなる。

すると、だんだん、ポジティブな瞬間に気づけるようになり、それを堪能できるようになる。

ささやかな勝利を祝うと、自己認識と気持ちの持ち方を大きく変えられる。

僕たちは、つい失敗したことをくよくよ考えがちだし、きちんと終えたことをなおざりにしがちだ。

成果をあげるたびにお祝いをするようになれば、自分には能力があること、社会に貢献できることを認識できるようになる。

そうすれば「こんな山ほどの用事、どうすればこなせるんだろう?」という考え方を、「ほら、こんなに頑張ったんだ!自分は成果をあげたんだ!」という考え方に変えられる。

すると、失敗への恐怖に支配されないようになる。

なにも、自分を甘やかせと発破をかけているわけじゃない。

前進するはずみをつけ、楽観的に考え、失敗から立ち直る力を身につける機会にしてほしいのだ。

自分の成果を褒めるシンプルな方法は、それを「書きだす」ことだ。

紙に文字で残せば、注意をそこに向け、しばらく自分に敬意を払える。

バレットジャーナルでは、デイリーログやマンスリーログに、あるいは感謝ログに、感謝している内容を書きだせばいい。

●「感謝する」習慣を身につけて精神のバランスをとる研究によれば、日々、自分に向けられたネガティブな発言とバランスをとるには、5つの賞賛やお世辞が必要となるそうだ。

というのも、僕たちはポジティブな出来事より、ネガティブな出来事のほうを強く記憶するからだ。

だからこそ、「感謝」する習慣を身につけよう。

そうすれば、感謝していることを書き留めておけるし、人生におけるポジティブな出来事を意識し、ネガティ

ブなものの見方のゆがみを直すこともできる。

「感謝する」習慣を身につければ、人間関係を改善し、心身ともに健康になり、他者への共感を深め、自尊心を高められることが証明されている。

そうすることで、人生との対話が常に生産的なものになると、僕は考えるようにしている。

これを念頭に置き、バレットジャーナルに「感謝する」習慣を組み込む例をふたつ、紹介しよう。

1午後の振り返りの時間に、デイリーログにひとつ以上、感謝していることを書きだす。

これを毎日、続ける。

2「感謝ログ」をつくる(インデックスに、そのページ数を書き込むのを忘れないように)。

感謝していることを、最低ひとつ、書き込む。

これを毎日、続ける。

しばらくすると、感謝していることがもう思い浮かばなくなるかもしれない。

健康、家庭、家族、友人、犬など、感謝すべきもののネタが切れてしまったら、別のものに目を向けよう。

すると、周囲のことに新たに好奇心を向けられるようになる。

ネタを探して、日々の生活を深く掘り下げるようにすれば、「いま」をもっと意識できるようになる。

「よき」ものを見つけようと行動を起こせば、だんだんそれを見つけるのがうまくなり、きちんと感謝できるようになる。

ベネディクト会修道士のデヴィッド・スタインドル=ラストの言葉を借りれば「万物に感謝することはできなくても、どんなときでも感謝することはできる」のだから。

たいして前進できなかったように思う日でも、感謝する習慣を身につければ、どんなことでもありがたく思えるようになる——同僚が力を貸してくれた、見知らぬ人がドアをあけてくれた、食事が美味しかった、入口に近い駐車場が空いていた……。

すると、人生を楽しむ気持ちの余裕が生まれる。

毎日、1日に1回、人生における「よきもの」をしみじみと味わう機会を自分に贈ろう。

他人は変えられないが、自分のことはコントロールできる

主よ、変えられないものを受け入れる心の静けさと変えられるものを変える勇気とその違いを見わける叡智をわれに与えたまえ。

——ラインホールド・ニーバー(アメリカの神学者)万物はうつろい、変化を続けていく。

それは不変の真実だ。

もちろん、悪いほうへと変わることもある。

だから失業、降格、老化、健康の悪化、失恋におちいるような事態をなんとかして避けようと、僕たちは多大な時間とエネルギーを費やしている。

同じことはポジティブな変化を起こそうとする努力にもあてはまり、僕たちはできるだけよりよい教育を受け、外見を磨き、能力を伸ばそうとするし、せっせと自己啓発にも励む。

いずれの場合も、そうした努力は無駄になることが多い。

そもそも、変化に抵抗などできないのに、必死で抵抗しているからだ。

自分に変えられるものを知るには、まず、自分で「コントロールできるものはなにか」を理解しなければならない。

自分でコントロールできるものを理解する。

それは「よき人生の送り方とはなにか」という難問に挑んだ、古代ギリシアのストア派哲学の核心をなす考え方だ。

ストア派の哲人たちによれば、自分にコントロールできるものとできないものの「違いを知る」ことこそが、その難問を解く重要なカギを握っている。

彼らの考え方によれば、人間には周囲の世界をコントロールすることなどできないし、そこに暮らす人々のこともコントロールできない。

だからいくら無駄な抵抗をしたところで、挫折し、打ちのめされ、完敗を喫するだけだ。

たとえば、僕たちは努力したあと、その報酬として、他者からの賞賛や承認を求める。

そして誰からも褒められたり認められたりしないと、猛烈に腹を立てる。

そのうえ、探しているものが見つからなければ、混乱する。

なぜ、こんなに気分を害するのだろう?なぜなら、そもそも自分の力の及ばないものに期待しているからだ。

この事実を念頭に置いてこれまでの人生を振り返れば、思い当たるふしがあるはずだ。

どんなに誰かに親切にしても、向こうからは好かれない。

あなたがアドバイスをしても、友人はまったく耳を貸さないどころか、それとは正反対のことをする。

遅くまで残業を続けているのに、いつまでたっても昇進できない。

こちらは心を開いたのに、相手からは拒絶される。

そんなことは、いくらだってある。

他者をコントロールしようとすればするほど、あなたは疲弊し、消耗していく。

たしかに周囲の世界や人間をコントロールすることはできないけれど、自分のなかの世界、つまり内面をコントロールすることはできる。

人間は複雑な感情をもつ生物だ。

自分を不当に扱う人には怒りを覚えるし、途方に暮れれば悲しくなる。

だから完全に自分をコントロールすることはできない。

自分の感情も、他人のことも、周囲で起こる出来事も、自分の意のままにすることはできないのだ。

それでも、僕たちにコントロールできることはあるし、それは強い威力を発揮する。

自分の身に起こったことへの反応は、コントロールすることができる。

周囲の世界、他者、自分の感情が起こす多種多様な問題に対して慎重に反応する力が、僕たちにはそなわっている。

人生でなにが起ころうと、それがどれほど悪いことであろうと、あなたは自分の反応を変えることができる。

どんな反応を示すのか、自由に選べるのだ。

そして僕たちには、その自由を最大限に活用する義務がある。

パソコンの調子が悪くなったときに、乱暴にマウスやキーボードのコードを引っこ抜くのは、雨に打たれて腹を立て、水たまりに八つ当たりするようなものだ。

バレットジャーナルを始めてから、僕は小さなことにいちいちむかっ腹を立てるのをやめ、「なぜだろう?」と自問するようになった。

たとえばハイウェイを運転していて、誰かが突然、目の前に車線変更してきたら、こう問いかける。

「自分にはどうしようもないことに、なんだってカッカするんだ?」と。

そうすると、「車間距離を長くすれば、それでいいや」って思えるようになるのさ。

——トレイ・カウフマン(バレットジャーナル・ユーザー)BuJo実践法不安にいちいち反応しなくなる方法●自分宛てに手紙を書く——悩みを手放すコツ人はたいてい本能的に、思っていたこととは違う反応を示してしまう。

とりわけ、他人や状況のせいで、こちらがとんでもなく不快な思いをさせられているときには。

たとえば同僚のチャドが、あなたが不快に思う行動をとっているとしよう。

だから、あなたはチャドにひどく腹を立てている。

チャドの一挙手一投足が気にいらないし、しまいには彼の靴の選び方までが気に障る。

だからといって、あなたが彼を非難して、彼も負けずに言い返してこようものなら、負のスパイラルが始まり、もう引き返せないところまでふたりの関係は悪化する。

僕たちは自分を「守ろう」として、エネルギーを浪費する。

それもこれも、僕たちが本質的には動物だからだ。

僕たちの祖先は命を狙われれば、走って逃げたり、相手に噛みついたりして生き延びてきた。

これが、いわゆる「闘争・逃走反応」だ。

僕たちが木から木へと飛び移っていた時代から、長い時間が経過し、いまの僕たちには、ほかにも選択肢ができた。

「闘う」か「逃げる」かという選択肢のほかにも、行動を選べるようになったのだ。

ちょっと顔を貸せとチャドにすごむのではなく、まずは深呼吸をしよう。

相手に噛みついてはならない。

かっときた瞬間をなんとかやりすごそう。

午前と午後の振り返りの時間を利用して、このときの経験を客観的に考えよう。

なぜ、彼はあんなことを言ったのだろう?なぜ、わざわざ物議をかもすような発言をしたのだろう?どうして自分はあれほど腹を立てたのだろう?自分には、どんな対処の仕方があったのだろう?こうした疑問を、バレットジャーナルに手紙の形で書いてみよう。

この手紙はチャドに宛てて書く必要はない。

思考を整理したいのは、あなた自身なのだから。

手紙を書いているうちに、頭に血がのぼっていたときにはわからなかった事実が見えてくるかもしれない。

このテクニックは、困難に直面したときや、苦手な人を相手にしているときにも活用できる。

なにより、安全弁の役割を果たす。

考えていることをすべて頭の外にだせば、重荷から解放される。

紙に思考を書きだせば、取るに足らないものや不合理なものが見えてくる。

なかには、馬鹿げたものもあるだろう。

こうして冷静に振り返れば、もっと思慮深く検討できるようになるし、生産的な次のステップを踏みだす方法もわかってくる。

たとえば、口論になった根本的な原因は、相手がどうしてそう考えるようになったのかという経緯を、あなたが理解していないことにあるのかもしれない。

その場合は、相手とよく話し合い、相手の話に本気で耳を傾ければ、その経緯がよく理解できるはずだ。

相手の言い分にも一理あると思えるかもしれない。

ひょっとすると、相手はなにかを誤解しているのかもしれないし、あなたのほうが誤解していて、勝手に腹を立てているのかもしれない。

あなたには、相手がまぬけな真似をしているようにしか見えないとしても、相手が間違っているとはかぎらない……同様に、あなたが腹を立てているからといって、あなたが正しいとはかぎらないのだから。

この手紙を書いているうちに、相手の言動が、じつは自分とはなんの関係もないことがわかるかもしれない。

感情的になっているときは、相手もまた当人の苦しみと闘っていることを忘れがちだ。

恐怖や怒りに駆られて反応すれば、相手も自分もいっそう傷つく。

すると相互理解を深め、前進し、問題を解決する機会を失ってしまう。

そのうえ、自分の力の及ばない物事について悩み、時間とエネルギーをいっそう無駄にすることになる。

アメリカの作家、マーク・トウェインは「これまで、山ほどのことを心配してきたが、その大半は現実には起こらなかった」と記している。

心配事は、集中力を人質にとる。

とくに不確実な要素が多く、自分にはコントロールできないものがあると、心配でたまらなくなる。

すると、あれこれ心配し、対応策を練っているうちに集中力を使い果たしてしまう。

でも現実には、ただ不安を煽っているだけなのだ。

自分の力の及ばないものについてあれこれ対策を練るのは、生産性があるように思えるかもしれないが、実際には壮大な時間の無駄遣いをしているにすぎない。

解決策があるようなそぶりを見せ、心配事は僕たちを誘惑する。

でも、解決策など、まずない。

ダライ・ラマ14世は、こう述べている。

「問題が解決できるのであれば、心配する必要はない。

問題が解決できないのであれば、心配したところでなんの役にも立たない」●「結果」と「プロセス」を分ける毎日の「振り返り」の時間に、あるいは月末の「移動」の時間に、タスクをざっと見直し、自分でコントロールできるものとできないものを区別しよう。

簡単な見分け方は、そのタスクが「プロセス」より「結果」を重視しているかどうかだ。

「見事なプレゼンをする」「5キロやせる」「本を5冊読む」「チャドに道理をわからせる」は、どれも「結果」だ。

方向性はあるにせよ、結果を重視しているから、結局のところ、自分でコントロールすることはできない。

だからこそ、結果に至るプロセスを細かく分けることが大切だ。

「プレゼンの内容を覚える」、「日曜日に甘い飲み物を飲まない」「読書の時間を別に設ける」「チャドに困っていることはないか尋ねる」といったタスクであれば、自分の力で行動を起こせる。

コントロールできないものを見わけたら、それを手放そう。

そうすれば集中力を取り戻し、コントロールできるものに集中できるようになる。

コントロールできるものだけに取り組み、成功に向けて前進しよう。

僕たちにできることはそれしかない。

というより、それしかできないのだ。

みずから光を放つ——自分が変われば周囲も変わる

自分から変わっていくからこそ、世界を変えることができるのです。

——マハトマ・ガンディー(インドの政治指導者)職場に、とても不愉快な同僚がいるとしよう。

あなた自身は仕事には満足しているけれど、彼らが会社のことを悪く言ったり、不満を並べたり、自分の都合がいいように周囲の人を操作したりしていたら、どんな気持ちになるだろう?帰宅後も、後味の悪さが残るかもしれない。

自覚していなくても、夕食の席でパートナーに不機嫌な態度をとるかもしれない。

ある研究結果によれば、その悪影響は翌日になってから、パートナーの同僚に及ぶおそれもあるという。

湖に落ちた小石のように、僕たちの行動は周囲の世界にさざなみを立てる。

そのさざなみがまた周囲の世界に影響を及ぼし、どんどん遠くへと広がっていく。

だから、たとえばドアを誰かのためにあけてあげれば、その人もまた同じことを次の人にしてあげて、次々と善行が続いていくかもしれない。

すると、あなたがドアをあけていなければこの世に存在しなかった善行が、形を変えて広がっていく。

同様に、あなたが噛みつくように相手に食ってかかれば、その相手の配偶者、友人、子どももまたその悪影響を受けるかもしれない。

僕たちはみんな、このように周囲に影響を及ぼす力をもっている。

僕はこの力を「みずから発散する光」だと考えている——文字どおり、僕たちが放つ「輝き」と見なすのだ。

僕たちの輝きには、内心で考えていることが反映される。

だから、利己的にならずに自己認識を育むことが肝心なのだ。

自分の欠点を自覚しなければ(あるいは責任をとろうとしなければ)、否定的な考え方や怒りを周囲の人についまき散らしてしまう。

つまり、あなたの言動が周囲の世界を形成すると同時に、あなたの内面の世界も形成するのだ。

だから、あなたが職場のプロジェクトに熱心に取り組まなければ、その悪影響はチーム全体へとじわじわと広がっていく。

そして不機嫌に帰宅すれば、それは一切会話のない夕食の気まずさとなって、結局は自分のところに戻ってくるのだ。

なにも、楽観主義を虹のように発散しているディズニーのキャラクターのように、どこまでも陽気で明るくなってほしいわけじゃない。

そうではなく、僕たちはひとりきりで生活しているわけではないのだから、「みずから弱点を改善する努力をして、長所を伸ばす義務がある」と言いたいのだ。

自分のなかの可能性を伸ばせば、自分にとっても、周囲にとっても、価値のある人間になれる。

とりわけ、身近にいる人たちにとって価値のある人間になれるのだ。

人をコントロールすることはできないけれど、接した人に影響を及ぼすことはできる。

すると、その人は同様の影響を順番にほかの人に及ぼすだろう。

あなたは他人に知識を伝えることができる。

懸命に働けば、ほかの人も奮起する。

いつも前向きな気持ちでいれば、ほかの人も明るい気持ちになる。

作家のセス・ゴーディンは、こう書いている。

「エネルギーをつくりだす人になるか、それを破壊する人になるかだ」自分がいい人間になろうと努力していれば、周囲の人もいい人間になる——そのさざなみ効果が続けば、無限に善意が広がり、世界はよりよい場所になるだろう。

たとえ、いい人間になりたいとは思っていなくても、周囲の人のためにそう思うのだ。

人生の目標を「人の役に立つこと」にするのなら、まず自分の役に立つ方法を考えよう。

BuJo実践法感謝ログでシンプルな自問から始めてみる●「内なる批評家」に記録で対抗するいま、つらい思いをしている友人のことを考えてみよう。

職場でしくじった、誰かに冷たい態度をとられた、会社をクビになった……。

なんであれ、その人は自信を失い、落ち込んでいる。

もしかすると、あなたはその人のそばに辛抱強く座り、自分など無能だとか役立たずだという話に、延々と耳を傾けているかもしれない。

おそらくあなたは、その人の歪んだ自己認識を訂正しようとしただろう。

「きみには得意なことも、うまくできたこともあるじゃないか」と、励ましたかもしれない。

「きみのことを心から大切に思ってるよ。

誰だってミスはするものだ」と、なぐさめたかもしれない。

「過去の失敗をくよくよと思い悩んでも、短所を気に病んでもなんの役にも立たない。

とにかく前を見ようぜ」と、声をかけたかもしれない。

そこまではしなくても、最低、相手の話を聞くくらいのことはしたはずだ。

大切に思っている人が困っていれば、僕たちは喜んで手を差し伸べるし、元気づけようとする。

では、そうした思いやりを自分にも示したら、いったいどうなるだろう?言うは易く、おこなうは難し。

自分につらくあたる理由なら、いくらだって見つかる——とくに不安にさいなまれ、神経過敏になっているときには。

僕たちは他人が苦しんでいれば思いやりを示し、客観的に助言をして、やさしくなぐさめる。

だから、同じ思いやりを、自分にも示そう。

自分への思いやりは、シンプルな自問から始めよう。

「同じ状況に友人がおちいっていたら、どうするだろう?」こう自問すれば、頭のなかで自分を批判する「内なる批評家」の声を消し、問題解決モードへとギアを切り替えられる。

ひどく苦しんでいる友人が自分を頼ってきてくれたときには、相手をいっそう苦しめるような真似はしないはずだ。

だってあなたはよき友であり、相手のことを大切に思っているのだから。

それなのに、僕たちはよく、自分をわざと苦しめるような真似をしている。

今度、あなたのバースデーケーキのろうそくを吹き消すような真似をした相手にキレそうになったら、「困っている友人の世話をしているのだ」と思うようにしよう。

友人が状況を別の角度から見て、困難を乗り越えるためなら、辛抱強く、思いやりをもって助言するのではないだろうか。

たとえば友人が職場で大失敗をしでかしたら、負のスパイラルにおちいり、自分の能力や価値に自信を失うかもしれない。

すると、自分のことを客観的に眺められなくなる。

そんな相手の気分を手っ取り早く立て直したければ、自分の能力に疑問を投げかける声を消すだけの力がある証拠を示すことだ。

この方法は、あなた自身が自信を失ったときにも活用できる。

ミスを犯すと、そうした「内なる批評家」の声は大きくなり、説得力をもち始める。

幸い、あなたには、そうした声が間違っていることを示す強力な証拠がある。

みずから手書きで記した証拠が残っているのだから!デイリーログを使っていれば、あなたが成功した例、あなたの能力、やさしさ、思いやりなどがしっかりと記録されている。

「感謝ログ」をつけていればなおさらだ。

なにが原因で自分を批判しているにせよ、それはあなたのバレットジャーナルに綴られている内容とは正反対であることがわかる。

気分が落ち込んでいるときには、振り返りの時間を利用して、そうした成功例を確認しよう。

実際に証拠を自分に示して、それを受け入れよう。

もちろん最初は自信がもてなくて疑心暗鬼になるかもしれない。

でも、心のなかの暗闇にいる聖歌隊に慈悲深い声を授けよう。

その声の残響が長いほど、自分自身に届く可能性は高くなる。

そうすれば時間をかけて、あなたは自信を取り戻せるはずだ。

●相手の印象をメモする「みずから発散する光」は、いわば二車線道路だ。

だから周囲にいる人のことをいつも心に留めておこう。

なぜなら、彼らもまたあなたに影響を及ぼすからだ。

彼らの長所と短所は、あなたの生き方にも多大な影響を及ぼす。

だから職場でも私生活でも、そばにいる人とは慎重に接することが肝心だ。

バレットジャーナルをじっくりと見返し、一緒に時間をすごしている相手は誰か、確認しよう。

彼らのことをどう思っているかはわかっているだろうけれど、彼らがあなたに及ぼす影響について考えたことがあるだろうか?そうした相手との交流についてメモをとろう。

べつに、友人のことで薄気味悪い記録を残そうというわけじゃない。

ただ、彼らの「輝き」が自分にどんな影響を及ぼしているかに留意するのだ。

帰宅したら、夕食、デート、ミーティングに関してメモを残そう。

楽しいひとときをすごせただろうか?なにか学べただろうか?あなたはもっぱら相手の愚痴の聞き役に徹していただろうか……またしても?その人と一緒にいると、どんな気分になっただろう?そう自問し、次のようなメモを残そう。

○ベッカと夕食@エヴェリーナ─夢や野心の話をする─一緒にポルトガルに旅行に行きたい─パーティーを一緒に開催したい─一緒にでかけたあとは、いつもやる気が高まる慣れないうちは手間に思えるかもしれないが、交流の印象を記録に残すと、初めて見えてくるものがある。

もしかすると、ふたりの関係が一方的で、自分は疲れるばかりであることがわかるかもしれない。

あるいは、ふたりの関係は完全に一方通行なのかもしれない。

電話をかけ、準備万端ととのえるのは、いつだってあなたなのかもしれない。

これとは反対に、一緒にいるとやる気がでる人、気持ちが明るくなる人、元気になれる人、深く考えさせてくれる人、あるいは気持ちが穏やかになる人もいるはずだ。

いずれの場合も、あなたはその相手との関係をどうすべきか、じっくりと考えるようになる。

ときには、こんな関係をこのまま続ける必要はないと判断する場合もあるだろう。

ネガティブなことばかり言う人や意欲がない人は、意志力をもって生きようとする努力の邪魔をする。

だから、インスパイアしてくれる人、やる気をださせてくれる人、建設的に問題に取り組む人と付き合おう。

迷ったら、こう自問しよう。

その人から、なにを学べるだろう?その人がいてくれたおかげで、世界はよりよい場所になっているだろうか?一緒にいると、よりよい人間になりたいと思わせてくれるだろうか?ミニマリストのジョシュア・フィールズ・ミルバーンは「周囲の人を変えることはできないけれど、周囲の人たちを丸ごと別の人たちに変えることはできる」

と述べている。

貴重な時間を一緒にすごす人を、これからは選んでいこう。

あなたにとって最善のことを望んでいる人たちに囲まれるようにしよう。

そうした人たちは、なんでもあなたの意見を聞いてくれるわけでも、見境なく支援してくれるわけでもない。

そうではなく、「あなたの成功を願っている人」を探そう。

あなたに辛口の意見を言ってくれる人、あなたとは異なる見解を述べてくれる人、あなたが間違っていれば指摘してくれる人を探そう。

だって僕たちはみんな、ときおりチェックされる必要があるのだから。

互いに尊敬し、互いに評価し、互いに大切に思う場所から成長させてくれる人を見つけよう。

●進行中の「学び」に着目して振り返る人の役に立つために、「みずから光を放つ」最善の方法は、自分を成長させることだ。

そのためにはまず、自分の人生で進行中のものに着目しよう。

振り返りの時間に、次のように自問しよう。

・自分はなにを学んでいるのだろう?・なんのレッスン(状況や人間関係)が、自分を学ばせてくれただろうか?あるいは、学ぶように影響を及ぼしただろうか?・もっと知りたいことはなんだろう?それを学ぶために、どうすればいいだろう?読書、授業、信頼している友人や師との会話など、学びの機会になるものがあれば、それを計画に組み込もう。

バレットジャーナルを利用して、これからも自問をうながすものはなにかを見さだめよう。

自分が関心をもったものがわかったら、目標を立てる。

バレットジャーナルのほかの目標と同じように、それに取り組めばいい。

次に、この方法を学びに活用する方法の例を紹介する。

新たなことを学ぶにつれ、あなたは有能に、多才になれるし、信頼の置ける人物になれる。

すると、あなたと一緒にいる人の価値も高められる——それは、相手のためにあなたがなにかをしたからではなく、自分を輝かそうとあなたが努力した結果なのだ。

自分の体験に耳を傾ける——大切なことは思いもよらないところにある

なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える。

——フリードリヒ・ニーチェ(ドイツの哲学者)人それぞれだとは思うけれど、僕は皿洗いが大きらいだ。

馬鹿げているのはわかっている。

だから、皿洗いをしながらマインドフルネスだって試してみた。

気持ちを鎮める時間にしようとしたけれど、うまくいかなかった。

皿洗いは、子どもの頃から僕が担当する家事だったので、どうも苦手なのだ。

以前、交際していた彼女は、料理を覚えたがっていた。

彼女がせっせと料理をつくれば、結局、僕が皿洗いを引き受けざるをえない。

毎晩、同じことの繰り返し。

彼女は帰宅すると、前夜、僕がきれいに洗った鍋類を汚しにかかるのだ。

そりゃ、手づくりの美味しい料理を食べられるのだから、感謝すべきだってことはわかっている。

彼女だって1日の多忙な仕事を終えたあと、わざわざキッチンに立ってくれるのだから。

でも、僕はひねくれ、腹を立てていた。

1日の自由時間は限られているのに、なんだって毎晩毎晩、皿洗いに時間を割かなくちゃならないんだ?そのすべてが、一夜にして変わった。

彼女が鼻歌を歌っているのを聞いた瞬間に。

その晩、彼女は気落ちした様子で料理を始めていた。

普段は明るくて、活気にあふれていて、彼女のそんなところに僕は惹かれたのだけれど、その日は表情がさえなかった。

彼女がなにを悩んでいたにせよ、それは僕の力が及ばないことだった。

もちろん、そう考えると、僕はおのれの非力がうらめしかった。

愛する人がつらい思いをしているのに、なんの力にもなれないなんて。

ところが、その晩、やさしいメロディーが聞こえてきて、ふと仕事の手をとめた。

同居してから、彼女の歌など一度も聞いたことがなかったので、意外だった。

でも、彼女は低く鼻歌を歌っていた。

夕食の支度をしながら、ガスコンロの横で身体を揺らして。

そのとき、はたと思い当たった。

毎日の夕食の支度は、彼女なりの悪魔と闘う方法だったのだ。

だって料理は、自分でコントロールできるものだから。

その晩、僕は皿洗いをしながら、鼻歌を歌う彼女の穏やかな表情を思い浮かべていた。

気落ちしている彼女の力になる唯一の方法は——僕にとって——皿を洗うことであると、ようやく合点がいったのだ。

しだいに、彼女の料理の腕前は上がった。

僕も彼女の料理を楽しみにするようになり、それと同時に、彼女もまた以前の明るさを取り戻していった。

こうして夕食の席は、安心してふたりの絆を強められる場になった。

ふたりのあいだに微妙な空気が流れ、話し合いが必要になると、どちらかが相手のために料理をした。

たとえつらい話し合いになったとしても、そこには相手への深い尊敬と思いやりがあった。

皿洗いも、そうした相手への思いやりの表れとなった——彼女もまた皿洗いが大の苦手だったという。

でも、苦手なことを協力しておこなえば、ふたりの絆はいっそう強まった。

おかげで、僕が皿洗いを楽しめるようになったかって?そんなことにはならなかった。

でも、皿洗いの重要性はよくわかった。

それまでひたすら我慢していた、面倒で退屈な家事が、人生にとって価値あるものになったのだ。

それで、なにが変わったかって?皿洗いという平凡な手順にはまったく変化なし。

もちろん、変わったのは僕だった。

このタスクが重い意味をもち始め、僕は以前より心をこめて皿を洗うようになった。

ある晩、美味しい夕食を食べたあと、皿洗いをしていると、後ろを通りがかった彼女が頬にキスをしてくれた。

「ありがとう。

今夜は忙しかったし、皿洗いが苦手なのはわかってる。

でも、すごく助かる。

愛されてるって、実感できるの」自分にとって大切なもの——僕にとって有意義なもの——とはなんだろうと模索していたとき、それはすごく大事のように思えた。

海外旅行にでかけて、人里離れた場所で原始的な暮らしをしている部族にでも会わなくては有意義なものを見つけられないような気分にもなった。

でもいまは、有意義なものがすぐそばにあることがわかる。

有意義なものは、思いもよらないところに、どうということのない瞬間に姿を現す。

周囲の世界に、そして自分の心の声に耳を傾けなければ、大切なもの——日常のなかの音楽——を聞き逃してしまう。

このスキルは研究を通じて身につけられる——ただし学術的な研究なんかじゃなく、自分の体験に耳を傾けることで。

自動運転で日々を生きていると、なぜ、自分はこんなふうに感じるのか、なにがそんなふうに感じさせるのかと、じっくり考える暇はない。

でも、自分にとって大切なことや、自分の人生に価値を加えるものを理解しないままでは、いくら努力したところでむなしさだけがつのる。

物事の全体像に目を向けるようにすれば、不快な体験やつらい体験でさえ、結局自分にプラスにはたらくことがわかる。

そうした全体像や物事の裏の意味をさぐる方法を、いくつか紹介していこう。

BuJo実践法日常生活を新たな枠組みで眺める●「明快ログ」で本来の意義に気づくスピーカーズ・トライブの創設者、サム・カウソーンは「いちばん幸福な人たちが、なんでも最高級品をもっているとはかぎらない。

でも、彼らは手持ちのものを最大限に活用している」と述べた。

このテクニックを身につけるために、日常のさまざまなことを新たな枠組みで眺めてみよう。

日常生活には、つまらなく思えるタスクが山ほどある。

洗濯をする、プロジェクトを終わらせる、食料品を買う……。

だが、その用事のつまらない面に目を向けるのではなく、そのおかげで可能になることに注目しよう。

洗濯をすれば、シャワーのあとにふわふわのタオルを使えるし、職場にぱりっとしたシャツを着ていけるし、夜になれば清潔なシーツで眠れる。

プロジェクトを終わらせれば、仕事をきちんと終えたという充足感を味わえるし、給料もきちんと支払われる——もしかすると、いつかハワイ旅行にだって行けるかも。

食料品を買えば、テーブルには美味しい料理が並ぶし、愛する人と親密な時間をすごすこともできる。

これは、いわゆる「ポジティブ・シンキング」とは違う。

あらゆる用事や努力の目的を、体系的に分析するのだ。

僕たちは、自分の義務に関しては、その全体像を把握しようとしないものだ。

なぜ、この行動をとっているのか?この疑問を常に意識するために、バレットジャーナルに「明快ログ」をつくろう。

デイリーログを確認して、いちばん苦労している責務や用事はなにか、考えよう。

それをひとつ選び、「明快ログ」の左側のページに書きだそう。

たとえば、「家賃の支払い」について考えてみよう。

家賃を支払うと、なんだか無駄な浪費をしているようで、気が滅入る。

家賃の支払いを、必死で稼いだおカネを大家さんの懐に入れる儀式だと考えれば、当然、気が滅入る。

でも、あなたがいまの部屋を借りている理由があるはずだ。

だから、しばらく時間を割き、いま借りている部屋のいいところを思い浮かべよう。

目を閉じて、ひとつかふたつ、いまの部屋を借りている理由を思い起こそう。

それがなんであれ、右側のページに書きだそう。

─ベッド脇の床に射し込む、朝陽の角度がいい。

─窓から漂ってくるコーヒーショップの香りがいい。

─通勤に時間がかからない。

完璧な場所などない。

でも、いまの部屋におおむね満足しているのなら、家賃の支払いを、そうした喜びをもたらす毎月のご褒美と見なせるようになる。

すると、一見、ただの義務にしか思えないものにも意義があることがわかる。

義務や用事に意味があることを見つけるもうひとつの方法は、愛している人たちに思いを馳せることだ。

もしかしたらあなたは、いまの部屋のいいところなどひとつも思いつかなかったかもしれない。

だからといって、なんの意味もなくなるわけじゃない。

なぜここに引越してきたのかを、「愛する人との関係」という観点から分析してみよう。

もしかすると、いまの住まいは、子どもがいい学校に通学できる場所なのかもしれない。

職場が近いから、通勤時間が短くてすむのかもしれないし、友人とすごせる時間が長くなるのかもしれない。

なんであれ、思いついたものを書きだそう。

あなたの責務と、あなたが愛している人とを結びつけて考えよう。

そうすれば、責務にも重要な意味があることがわかるはずだ。

だからといって、そうした責務が楽しくなるわけじゃないけれど、目的ができれば、面倒で厄介なタスクにも我慢できるようになる。

●価値が見つからなければ手放す万が一、その責務になんの意義も、いいところも見つからなかった場合は?たいていのことは、すぐにはその価値がわからないものだ。

そのうえ、「意義」は、迷惑な客のようなものだ。

ホームパーティーに遅刻してくるけれど、そのかわりにワインのビッグボトルを抱えてやってくる場合もある。

辛抱強く観察を続けよう。

なんの目的も見つからなくても、とにかく目を光らせよう。

月末のタスクの移動は、進行状況を確認するいい機会だ。

月末を定期的な観測に利用して、なにか事態に変化があったかどうか、進行状況を見守ろう。

それでも、「このタスクは自分の人生になんの価値も加えていない」という結論がでたら、あるいは「自分の努力に見合うだけの価値を生みだしていない」と判断したら、あなたは「削除すべきもの」を見つけたことになる。

それを手放そう。

なんらかの理由があって手放せない場合は、次に紹介する「脱構築」を利用して、なにか代替案がないかどうか、考えてみよう。

現実のなかから状況を変えるヒントをさぐる

道に立ちふさがるものが、新たな道となる。

——マルクス・アウレーリウス(第16代ローマ皇帝)「エヌマ・エリシュ」は世界最古の文書のひとつだ。

バビロニアの天地創造の神話で、主神マルドゥクがドラゴンのような獣ティアマトと戦う。

ティアマトは怪物たちの母であり、神々を全滅させようとしている。

この「エヌマ・エリシュ」という叙事詩は、善と悪、秩序と混沌の勇壮な戦いを活写していて、マルドゥクはティアマトを退治し、その死体をばらばらにし、あらゆる創造物の基盤にした。

ティアマトの肋骨は空になり、口が大海原になったという。

たしかに少々気味が悪いけれど、この神話は僕たちが難題を「脱構築」し、それを利用できることを示している。

●前途多難の始まり大学卒業を目前に控えた頃、僕は幸運にも、憧れていた職場でインターンとして働けることになった。

僕はグラフィックデザインとクリエイティブ・ライティングを勉強していたので、このふたつのスキルを活用して、映画のタイトルバック制作の仕事に就きたいと考えていた。

タイトルバックとは、映画の前後に流れる映像で、タイトルやスタッフのクレジットが入っている。

このタイトルバックの制作に新たな手法を導入している男性の下で働けることになり、僕はやる気満々だった。

僕はふたつのバッグに荷物をまとめ、ニューヨークに引越し、どうにか家賃を払える部屋を借りた。

部屋はアパートの地下にあって、カビが生えていた。

ルームメイトがふたりいて、すでにいいほうの部屋を占拠していた。

それに、どうしても僕と目を合わせようとしない神経質な猫も1匹、棲んでいた。

その地下室は、僕が新たなキャリアを開拓するために支払わなければならない、ささやかな代償だった。

仕事を始める予定にしていた前の週、インターンの仕事の内容について詳しい説明を受けるべく、僕はオフィスを訪ねた。

すると、その前年に同時多発テロ事件が起こった影響で、会社はリストラを実施中だと聞かされた。

というわけで、長い話をざっくりまとめて言うと、僕は最初の出社日を迎える前に会社をクビになった。

そのうえ、会社の人間は誰ひとり、そのことを事前に僕に伝えてくれなかった。

僕は突然、無職のままニューヨークに放りだされた芸術系の学生になった。

近年、まれに見る就職難の最中だというのに。

おまけにその冬は、その数十年でもっとも厳しい寒波に見舞われていた。

●空回りした地獄の日々何か月か職探しをしたものの、仕事は見つからなかった。

乏しい貯金は底をついた。

ついている日には、雪のなかをとぼとぼ歩き、ラッシュアワーで混雑する地下鉄にポートフォリオを抱えて乗り込み、退屈そうな顔の人事担当者の面接を受け、結局、不採用となった。

ついていない日には、ひたすらパソコンの前に座り、求人に応募した。

ある朝、妙な音が聞こえて、はっと目が覚めた。

目をあけると、床が動いていた——ウソだろ、床が水浸しだ!前夜の雪が溶けて水になり、僕の部屋に溜まったのだ。

床の水の上を漂っていたのは、僕のポートフォリオだった。

就職活動には欠かせない、僕のデザインが詰まっているポートフォリオ。

仕方ない、バックアップをとっておいたのがせめてもの救いだ。

そう、自分をなぐさめた。

そのとき、パソコンのバックアップ用のハードディスクが床の上で水浸しになっているのが見えた。

その横ではパソコンがちかちかと点滅している。

その日の朝、僕は自分の財産をほぼすべて失った。

すぐに、僕はただ生き延びるためだけに、生まれて初めて、就職した。

その仕事は僕のスキルとはまったく関係がなかったけれど、贅沢は言えない。

なにしろ僕は一文無しだったのだから。

最初の週、この仕事の前任者たちがみんな悲鳴をあげて逃げだしたと聞かされた。

その理由はすぐにわかった。

僕のおもな仕事は、注文フォームをつくることだった。

注文フォームには、その会社が出版しているすべての刊行物のリスト……数十万冊に及ぶ……を載せなければならない。

僕はさっそくリストづくりに着手したけれど、その仕事は僕にとってさえ、地獄のように思えた。

このプロセスをスムーズにおこなうためのシステムが、その時点ではなにもなかった。

ゆえに当然のことながら、どこかで間違いが生じた。

すると、すべて僕が悪いと非難された。

なにより気が滅入ったのは、きわめて口の悪い上司に業務の報告をしなければならないことだった。

彼女に罵倒されると、自尊心や自信といったものは粉々に砕け散った。

大声で怒鳴り散らされていたら、隣のオフィスから人が走ってやってきたこともあった。

すわ、事件かと思ったのだろう。

ついに心が折れ、出社するのがこわくてたまらなくなった。

どうすればいいのかわからない。

でも、なにか手を打たなければ。

再び僕は就職活動を始めた。

でも、うまくいかなかった。

それもそのはず、僕には「自分にはこれができます」と自信をもって見せられるものがなにもなかったのだ。

ポートフォリオはなくなってしまったし、職歴はといえば、夏の短期のインターンシップ程度だった。

そのうえ、当時の僕は自分のスキルとは無関係の仕事をしていた。

僕が人事担当者でも、僕のことなんて採用しなかっただろう!僕はプライドをいったん脇に置き、自分をもっと価値ある人間にする方法を見つけなければならなかった。

●未来のヒントはノートのなかにあるバレットジャーナルを創案した頃、自由時間をどう使っているかを調べようと、マッピングをしてみたことがある。

すると、大量の時間をネットに使っていることがわかった。

そこで、どんなサイトを見ていたのか履歴を調べたところ、インタラクティブ動画に関する記事を読んでいることがわかった。

当時はちょうど体験型ウェブサイトの創成期で、双方向に交流できる写真技術、動画、デザインなどが次々と生まれていた。

そしてまた、アーティスト、デザイナー、スモールビジネスに関わる人がウェブサイトを立ちあげ始めていた。

部屋の浸水事件からまだ完全には立ち直っていなかったけれど、ネットで仕事をするというアイディアは名案に思えた。

無責任な家主や、水の神の悪行とは無縁のものに思えたのだ。

それに数人の友人から、個人の、あるいは勤務先のウェブサイトの立ちあげを手伝ってくれないかと頼まれるようにもなっていた。

もしかすると、これで少しは稼げるようになるかもしれない。

そう考えた僕は、笑ってしまうほど少額の給与を節約し、当時はまだ新しい分野だった「ウェブデザイン」の夜間講座を受け始めた。

週に2日、夜になると窓のない教室に通った。

昼間の仕事のあとで疲れてはいたけれど、やる気はあった。

すると久しぶりに、やりがいを感じられる作業に取り組めるようになった。

やがて僕は、ウェブサイトのデザインやプログラミングの基礎を身につけた。

そしてウェブサイトの立ちあげに関われる機会があれば、迷わず飛びついた。

最初にデザインしたウェブサイトは、近所のレストランのウェブサイトだった。

次に、そのレストランに勤務していたバーテンダーのバンドのウェブサイトを立ちあげると、その後は仕事の依頼が途切れなくなった。

ついに、この仕事に集中して取り組めるだけの貯金ができたので、僕は晴れてフリーとなり、独立する

ことにした。

この道に進んだのは、それだけの技術を最初から身につけていたからではないし、昔からこの道に進みたかったからでもない。

だからこそ、このときの体験を通じて、僕は実感するようになった。

僕たちは、そのときの状況についとらわれ、人質になっているような気分になってしまう。

税金や家賃の支払い、病気の家族の看病、奨学金の返済など、人生にはさまざまなドラゴンがいる。

そんなドラゴンと対峙するとき、僕たちは恐怖に身を縮ませることも、運命に激怒することも、殉教者を演じることも、自己憐憫にふけることもできる。

魔法をかけられたように空がぱっくりと割れ、救出されるのを待つこともできる——さもなければ、もはやお手あげと降参することだってできる。

BuJo実践法問題を見直し状況を変える技術なにか問題が起こると、僕たちはつい偏ったものの見方をしてしまう。

問題の程度に関係なく、どんどん悪いほうに考えてしまうのだ。

そうすると、すごく疲れるし、自分が無力で役立たずに思える。

でも、そんなことは決してない。

状況がどれほど恐ろしく思えても、僕たちは言いなりになるわけじゃない。

そうした状況に対処する力や自由は奪われないし、行動を起こす力だって残っている。

どれほど小さくてもかまわない、なんらかの行動を起こせば、それが状況を変えるきっかけになる。

この場合は、ただ「自分の問題を見直す時間をとる」、それだけでいい。

そうすれば、脱構築を始めることができる。

そのために、「5回のなぜ」(5Whys)というテクニックを使おう。

●「5回のなぜ」で真因をさぐる「5回のなぜ」というテクニックは、日本のトヨタ自動車で使われている手法だ。

自社の製造工程の技術的な問題の原因を解明するうえで功を奏するのだ。

シンプルな手法ではあるけれど、思わぬときに現れる問題の根源をあきらかにすることができる。

一見、大きく見える問題を、細かく分解していくのだ。

この手法は、バレットジャーナルを活用して課題に取り組むときにも利用できる。

新たなコレクションをつくり、その課題をトピックにしよう。

たとえば「家賃を支払えない」というトピックをつくる。

そして、そのWhyを自問し、答えを書く。

それから、またWhyを自問し、答えを書く。

同じことを5回、繰り返そう。

家賃を支払えない。

1なぜ?なぜなら、おカネがないから。

2なぜ?なぜなら、家賃が高いから。

3なぜ?なぜなら、家賃が高い地域に住んでいるから。

4なぜ?なぜなら、このあたりが気にいっているから。

5なぜ?なぜなら、近所の人たちはみんな感じがいいし、いい店やレストランがあるし、安全な感じがするから。

これで、大きな課題を細かい構成要素に分解できた。

こうすれば、それぞれの問題を個別に検討できる。

さらには、この状況によっておびやかされている大切なものの存在も浮かびあがってくる。

このように、問題が起こったら、その問題を分解していくと、問題の根源がわかるようになる。

この場合は、家賃の支払いが根本的な問題ではなかった。

いまの部屋から越したら、快適さや安心感を失ってしまうのではと不安を覚えていたのだ。

このように根本的な問題がわかれば、課題の解決プランを練る材料として利用できる。

●人生のドラゴンを倒す解決リストWhyに対する理由のリストができたら、次に、どんな選択肢があるのか考えよう。

当然、また新たなリストをつくることになる。

「家賃を支払えない」コレクションの右側のページに記入していこう。

まずは「おカネがない」という問題に対処するために、解決策として頭に浮かんだ方策をリストにして書きだそう。

1昇給を頼む。

2もっと給料のいい仕事を探す。

3ルームメイトをつくる。

4もう少し家賃が安い地域に越す。

5自分の価値を高めるために、講座などを受講し、学習を続ける。

さあ、少し前進した!どの方策にも、前進するための道が示されている。

これで目の前に選択肢が明示されたのだから、そのなかからひとつ、いちばんワクワクするものを選ぼう——未来に向けて「光を放つ」ものを。

たとえば「自分の価値を高めるために、講座などを受講し、学習を続ける」を、解決策として選んだとしよう。

それが、あなたの次なる目標だ。

次の真っ白な見開きページを開き、この目標のためのサブコレクションをつくろう。

目標が決まったら、すぐに実行できる段階へと分解していこう。

たとえば「関心のある分野をリサーチする」「どんな講座があるのか調べる」「受講を申し込む」といった具合に。

これがあなたの課題の解決プランだ。

それぞれのタスクを完了すれば、ドラゴンとの闘いで有効な一撃をお見舞いできる。

人生には、ドラゴンがうようよいる。

ドラゴンたちは長生きすればするほど、図体が大きくなる。

僕たちの不幸、憤慨、無力感という餌をがつがつと食べると、またいっそう大きくなる。

だから、ドラゴンたちをにらみつけ、尻込みさせよう。

その大きくて獰猛な目をまっすぐにのぞきこもう。

そこにあなたは、自分自身の姿を見るはずだ。

僕たちが直面する課題は、みずからの傷つきやすさ、不安、弱さ、恐怖心を映しだす鏡だ。

それがどれほど恐ろしく見えても、目をそらしてはならない。

直視し、問題の根源を調べ、好奇心をもって対処しよう。

そうすれば、必ず前進する道が見つかる。

勇気をだして行動を起こさなければ、仕事のうえでも私生活でも、チャンスはめぐってこない。

僕にとって、「ドラゴン」は「仕事」だった。

仕事のことを考えると、こわくてたまらなかった。

それは、僕が二度と犠牲になりたくないと思っているすべてのものを体現していた。

なんの創造性もない、どんづまりの仕事。

でも、生活費を稼がなくちゃならないから、しぶしぶ続けていた仕事。

当時の僕には目の前のみじめな状況しか見えず、単純な事実がまったく見えていなかった。

「心臓の鼓動が続いているかぎり、必ずチャンスはある」という事実が。

例の上司からさんざん罵倒されたあと、ついに僕は意を決した。

もう、こりごりだ。

もう、被害者でいるのはうんざりだ。

上司の被害者でいるのも、自分の無能さの被害者でいるのも、もう十分だ。

僕は自分ひとりしか出席しない自己憐憫のパーティーを開くことにうんざりしていた。

こんな状況に耐えているからといって、高貴な殉教者を気どっている場合じゃない。

そんなふうに考えるのは馬鹿げているし、子どもじみている。

唯一の解決策は、自分で考えだすしかない。

誰かが代わりに考えくれるわけじゃない。

そこでまず、目標を定めることから始めた。

「転職する」だ。

でも、もっと資格やスキルを身につけないと転職はむずかしいことがわかり、ついに僕は新たな目標を定めた。

「ウェブサイトの立ちあげ方を勉強する」こと。

そのとき、僕は自分のドラゴン——僕の仕事——を利用し始めた。

乏しい給料から受講料をひねりだした。

上司からパワハラを受け、仕事が無意味にしか思えなくなるたびにモチベーションを高め、疲れた身体を引きずるようにして夜間講座に通った。

大変ではあったけれど、講座に出席するたびに、ドラゴンとの戦いでささやかな勝利をおさめたような気がした。

そして僕はついに、とどめの一撃でドラゴンを仕留めた——剣ではなく、浸水でたわんだ紙にプリントアウトした辞表を提出して。

思うようにいかないとき、ちっとも胸が弾まないことに取り組まなければならないとき、僕は「ドラゴン」つまり「自分がおそれているもの」と戦ったときの経験を思いだすことにしている。

恐ろしいものがあったからこそ、僕はプログラミングを学び、デジタルプロダクト・デザイナーとしてやりがいのある仕事ができるようになったし、そのおかげでbulletjournal.comの立ちあげに必要な知識も身につけることができた。

その結果、本書を執筆し、バレットジャーナルを読者のみなさんとシェアするという恩恵に浴することができたのだ。

スランプになったときの対処法——行き詰まりを解消するコツ

道は見つけるか、なければ自分でつくるものだ。

——ハンニバル・バルカ(古代カルタゴの将軍)目標の章では、大きな課題を管理しやすい短期目標へと分割して考える方法について説明した。

でも、その途中で行き詰まってしまったら?目標に向かって努力しているプロセスでは、泥沼にはまって動けなくなること、やる気がでなくなること、プロジェクトや目標や人間関係をうまくいかせる方法がわからなくなることがあるはずだ。

理由はなんであれ、あなたはスランプにおちいり、イライラしている。

こんなときは、なにをすべきなんだろう?スランプから脱出するテクニックをふたつ編みだしたので、紹介しよう。

BuJo実践法もやもやした気持ちを変える方法●「ラバー・ダッキング」で不安を頭の外にだすスモールビジネスを立ちあげて成功した友人が、ある物件に目を留め、そこに新たにテナントを出店したいと考えた。

そこで彼女は、銀行に新たな融資を依頼した。

ところが、すでに3つの店で黒字経営をしていたにもかかわらず、銀行から融資を断わられた。

彼女はあわてて税理士に連絡し、どこに問題があるのか調べさせることにした。

だが、税理士に状況を説明しているうちに、自分が本当にめざしているものがなにかを、彼女はじっくりと考え直した。

そして、いまの目標はその物件での新規出店ではなく、事業をもっと成長させることだという結論に達した。

そこで5か所の物件で期間限定のポップアップショップを試し、どの物件がもっともビジネスに適しているかを検討することにした。

それなら、銀行の融資に頼らずにすむ。

こうして彼女は問題を説明しているうちに、自力で解決策を見つけだした。

このプロセスは「ラバー・ダッキング」と呼ばれている。

『達人プログラマー』(アンドリュー・ハント、デビッド・トーマス著、村上政章訳、ピアソンエデュケーション)から生まれた言葉で、ゴムのアヒルのおもちゃに話しかけ、問題について少しずつ説明していくことで、開発者がプログラミングの問題を解決していくことを表している。

そう、お風呂で遊ぶあの黄色いおもちゃを相手にして、わかりやすく説明するのだ。

急きたてられるようにして生活していると、僕たちはつい客観性を失ってしまう。

ところが、誰かに(なにかに)問題を詳しく説明しているうちに、自然と物事を俯瞰できるようになる。

いわば、あなたがいま落ち込んでいる穴から外に脱出できるのだ。

周囲に聞いてくれる人が誰もいなければ、バレットジャーナルを手に腰を下ろし、「親愛なるアヒル」——あるいはあなたが信頼を寄せている、やさしくて慈悲深い存在——に手紙を書こう。

そして、次のような内容について説明しよう。

・あなたの問題・うまくいかないこと・なぜ、それがうまくいかないのか・これまで試してみたこと・まだ試していないこと・こうなってほしいと思っていること肝心なのは、あなたの頭のなかから、前記のような問題を外にだすことだ。

だから慎重に、辛抱強く、説明していこう。

相手は、あなたが知っている情報をすべて理解しているわけではないという事実を忘れずに。

良好なコミュニケーションは、「情報」と「理解」のあいだの溝に橋をかける。

問題について丁寧に説明しているうちに、解決策が浮かんでくるかもしれない。

そしてゴムのアヒル、パンダのぬいぐるみ、たまたまそばにあったホッチキスに手紙を書いたら、思いついた解決策を行動に移そう。

●行き詰まったら2週間中断してみる本書を冒頭から順番にここまで読んできたみなさんは、もうバレットジャーナルに「目標コレクション」をつくっているはずだ。

このコレクションは、行き詰まったり、やる気をなくしたりしたときに、刺激を与えてくれる強力なツールだ。

もちろん、「いま取り組んでいる課題を終えるまでは、目標コレクションを見直さないように」とは助言した。

でも、いまは非常事態だ!行き詰まったような気分になっているときには、大局的なものの見方ができなくなっている。

問題を至近距離から眺めるばかりで、目の前に伸びている道が見えていないのかもしれない。

大局的なものの見方を取り戻したければ、一時的に、ほかのことに集中するといい。

そのためには、短期目標への取り組みをいったん中断しよう。

大きな目標の短期目標への分割と同様、一時的に目標への取り組みを中断すること自体を、独立した小さなプロジェクトとして考えることができる。

行き詰まっている気持ちを解放しよう。

これを実施するには、短期目標の設定と同様にバレットジャーナルに書き込めばいいけれど、わずかに違うルールがある。

1一時的に中断する期間は、2週間程度までにする。

たしかに休憩が必要だけれど、大本のプロジェクトの流れを滞らせたくはない。

2休憩しているあいだは、悩みのタネである問題やプロジェクトとは無関係のことをしてすごす。

あなたはプロジェクトと少し距離を置かなければならない。

べつにプロジェクトとの関係が破綻したわけじゃない。

ただ、いまのあなたには「ひとりの時間」が必要なのだ。

3休憩中にほかのことに精をだす期限を、必ず明確に決めておくこと。

行き詰まると、スランプにおちいったように感じて、やる気を失う。

休憩中にほかのことに取り組む目的のひとつは、並んだタスクのリストの最後の項目に線を引いて消去し、充足感を覚えることにある。

こうして達成感を覚えれば、またやる気がよみがえり、本当の目標達成に向けて力を発揮できるようになる。

休憩中に取り組みたいことがあれば、断捨離でもなんでもいい。

ネットで講座を受講する、ブログに記事を書く、デジタル画像を整理する、近藤麻理恵の「こんまり流ときめき整理収納法」でクローゼットを整理する、同僚とボランティアをする……。

なにをするかはあなた次第だ。

ただ必ず、あなたが好奇心を寄せていることにしよう。

一時的な休憩期間を終える頃には、新たな経験を通じて、なにかを感じとっているはずだ。

これまでとは違う頭の使い方をして、新たなアイディアが浮かんでいるかもしれない。

新たな経験のすべてが、あなたの成長をうながし、新たなものの見方を授ける。

するとスランプにおちいり、もがいていたときのあなたとは、わずかに違う人間になっているはずだ。

そのささやかな違いが、大きな違いを生むのだ。

不完全を受け入れる——人生は0か1かの二進法ではない

どんなものにもひびがあり、そこから光が射し込む。

——レナード・コーエン(カナダ生まれの詩人)クリスマス休暇の浮かれ騒ぎはとうの昔に終わり、いつも混雑しているニューヨークの街に人の姿はなかった。

街全体が集団冬眠を始めたようだったし、これから始まる寒い陰鬱な季節にむけて身構えているようだった。

その頃、僕と当時のパートナーとの関係はうまくいっていなかった。

そこである晩、僕はロマンティックに自宅でデートしようと思い立った。

以前、よく通っていたレストランが閉店したので、そこの美味しいサツマイモのニョッキを真似してつくることにしたのだ。

一度もつくったことはなかったけれど、彼女の好物であることはわかっていた。

ニョッキをつくるのって、そんなに大変なんだろうか?結局、恐ろしく大変なことがわかった。

当然のことながら、すべてがうまくいかず、最初からやり直すはめになった……それも、何度も。

僕は何時間もかけてレシピと格闘し、サツマイモのように顔をゆがめた。

数時間後、僕はイライラし、キレそうになっていた。

彼女が自宅に戻ってきたときには、完璧に用意したテーブルができているはずだったのに。

キャンドルのゆらめく炎、静かに流れる音楽といった夢は消えていた。

でも、どうにかこうにか、僕はニョッキをつくり、テーブルをしつらえた。

彼女は部屋に入ってくると、テーブルを見やった。

そして手にもっていたすべてのバッグを床に落とし、僕の腕に飛び込んできて、冷えた頬を押しつけてきた。

ところが僕の顔を見あげると、満面の笑みが翳った。

どうかしたの、と彼女が尋ねた。

「べつに」と、僕はむっつりと応じ、パンツから小麦粉を払い落とした。

テーブルを前に腰を下ろすと、なにもかもすごく素敵ねと、彼女が言った。

でも、僕はといえば、自分が犯したミスの数々を思い返すのに忙しかった。

きちんと火がとおっていないし、だいいち、もう冷めてるし……僕は自分がつくりたかった料理——頭のなかの完璧なイメージ——と目の前の料理とを比較していた。

唯一、僕に見えていなかったのは、彼女が喜びを全身で表現していたこと、僕がくよくよと後悔しているうちに、その喜びが消えていたことだった。

僕は夕食でもっとも重要な素材を台無しにしたのだ。

「ふたりで一緒にすごす時間」という素材を。

それもこれも、僕がすべてを完璧にしたいと思ったからだ。

●「完璧」は不自然な考え方「完璧」は、不自然で、有害な考え方だ。

「不自然」と表現したのは、僕の考えでは、物質世界にはなにひとつ完璧なものなどないからだ。

綿密に検証すれば、完璧という定義を満たすものなどない。

そもそも、欠陥がなければ、改善することもできない。

現代の測定の基準でさえ、完璧ではない。

たとえば「キログラム」という国際的な質量の単位を示す国際キログラム原器(フランスでつくられた)は、世界でもっとも広く利用されている人工基準器だ。

複製が世界各国へと輸出されたものの、しばらくすると、この「完璧」な基準器が、個体によって質量が異なることがわかった。

質量の基準器として活用するには大問題だ。

だって、完璧な基準器に差があってはならないのだから。

そのため、近年では、質量の基準は方程式や概念で表現されるようになった。

「数学のテストで百点をとったら?それって完璧な得点だろ?」と反論したくなるかもしれない。

たしかに、あなたの答えは正解だったのだろう。

でも、設問は?テストを実施するポイントはどこにあったのだろう?そのテストはあなたの能力を評価するうえで完璧な方法なのだろうか?いや、テストの結果なんて、せいぜい近似値にすぎない。

テストの成績はいいけれど、仕事ができない人は大勢いる。

テストの結果は悪いけれど、仕事ができる人もまた大勢いる。

完璧なものは理想、永遠、神といったものの定義に使われるだけだ、完璧とは無形の概念や理論や信条にのみ存在するなどと主張する人もいるだろう。

なぜ、この話をくどくど説明するのかって?なぜなら、「完璧」という考え方をしていると、自分のもてる能力を存分に発揮できなくなるからだ。

僕たちはすばらしい生き物ではあるけれど、同時に、不完全でもある。

自分に達成不可能な目標を課せば、それがよくわかる。

だから自分の肉体、精神、業績、人間関係に対して誤った理想をもったまま生きていると、どんな大志をもっていようと、実を結ぶことはない。

完璧になろうとして失敗する。

これが自己嫌悪におちいる最大の原因だ。

いっこうに達成できない目標に対して時間とエネルギーを費やしてしまうのだ。

すると計画を断念し、非生産的な行為に手をだし、「内なる批評家」を増長させるという悪循環におちいる。

最大の誤解は、「完璧」の対義語が「失敗」だと考えていることだ。

ありがたいことに、人生は0と1で成り立つ二進法ではない。

そこにはバランスがある。

片方には、絶対に達成することのできない「完璧さ」がある。

その反対には、避けることのできない「混沌」がある。

そのあいだでバランスをとっている世界に、すべての美しきものが存在するのだ。

日本には「ワビ・サビ」(侘・寂)という考え方がある。

「ワビ・サビ」では、ものの美しさはその不完全さにある。

欧米では、完璧だからこそ美しいと考えられがちだけれど、「ワビ・サビ」ははかなさ、個性、欠陥をともなう本来の性質を尊ぶ。

そうしたものがあるからこそ、純粋で、独特で、美しいものが生じるのだ。

器に入ったひび、木材のゆがみ、石の上の枯葉、墨がはねた跡。

そこには仏教哲学の思想も垣間見える。

仏教哲学では、智慧は人間の誤りをともなう性質を受け入れることから生じるからだ。

不完全さを受け入れれば、人間の進むべき道が自然と見えてくる。

すなわち、「改善の継続」だ。

こう考えれば、地雷をつくるという過ちを、道路標識を立てるという工夫に変え、進むべき道を示せるようになる。

はかなさを愛で、万物のうつろいを寿ぐことで、ワビ・サビは向上する無限の可能性をもつ寛大な径を示している。

BuJo実践法自分の欠点を受け入れる方法●不完全のコレクションを敢えてつくるあなたはいま、こう考えているかもしれない。

自分が人間だってことは十分にわかってるから、もうこれ以上、不完全さを実践する必要なんてないよ、と。

僕はなにもわざとミスをしてほしいと言ってるわけじゃない。

ミスへの反応を、違う角度から見てほしいのだ。

瞑想に目標があるとするならば、それは「いま、ここ」にいることだ。

みずからの思考から自身を解き放つために、客観視しよう。

たしかに「言うは易く、おこなうは難し」ではあるけれど。

どんなに経験を積んだ人でも、瞑想の最中に気が散ることはある。

そんなときには「いま自分は思考にとらわれている」という事実を認識し、そこから脱出し

よう。

そうして瞑想を続けていると、気が散るのはミスではなく、機会だと認識できるようになる。

「いま、ここ」に戻ってくるたびに、わずかではあるけれど、以前より集中力が高まっているからだ。

こうした努力を続けていけば、自分を批判するのではなく、好奇心を高めて欠点を受け入れられるようになる。

あなたは完璧なノートをつくろうと意気込むタイプだろうか?もしかすると、あなたは字を書くのが苦手なのかもしれないし、ノートに素敵なイラストを描くのが不得手なのかもしれない。

でも、それって重要なことなのだろうか?それは、あなたの見方次第。

ノートを自分の「不完全の証拠」と見なすのか、それとも自分の「勇気の証明」と見なすのか。

曲がった線や乱暴な字は、人生でポジティブな変化を懸命に起こそうとし、学び続けている人間の証しだ。

完璧ではないかもしれないけれど、疑問の余地なく美しい。

ミスをしたり、出だしでつまずいたりして、そのノートを使うのをやめてしまったことがあるだろうか?あるのなら、「不完全のコレクション」をつくってみよう。

ノートのどこかのページで、ちょっと羽目を外すのだ。

利き手ではないほうの手で、不器用に字を書くのもいい。

殴り書きをするのも、いたずら書きをするのもいい。

こんなことをしたら自分のバレットジャーナルに傷がつくと思えるものを書いてみよう。

あなたのバレットジャーナルの価値が下がったように感じるだろうか?そんなことはない。

これで唯一無二のバレットジャーナルができたと感じる人もいるだろう。

細かいことをなんでも完璧にしなければ気がすまないように感じたら、バレットジャーナルはただのツールにすぎないことを肝に銘じよう。

大切なのは、そのツールを利用して、なにを構築していくかだ。

完璧にはなれないこと、失敗は避けられないことを受け入れれば、また集中して取り組めるようになる。

●完璧を求めず、繰り返し改善すること完璧を求めるのは、自己改善じゃないの?それが自己啓発なんじゃないの?そう疑問に思う人もいるだろう。

それは、あなたがどんな目標を設定するかによる。

完璧をめざしたり、他人より上にいくことをめざしたりするのではなく、継続して自分自身を改善する機会を見つけよう。

作家のW・L・シェルドンはこう書いたと言われている。

「まわりの仲間よりすぐれているからといって、べつに気高いわけではない。

真の気高さとは、過去の自分よりすぐれていることだ」自己啓発のモデルとして「ワビ・サビ」の真価を認めたいのであれば、その価値観を育んだ文化を参考にするといい。

日本には職人を神格化するほど、その技を評価する長い歴史がある。

大工であれ、金物細工師であれ、その腕が評価されるし、商品パッケージの技術でも同様だ。

重視されるのは完璧さよりも、匠の技だ。

匠の技は完璧とは異なり、はかなさと不完全さをはらむ。

なぜならそれはプロセスであり、「いま」の状態であり、最終目標ではないからだ。

それは改善と学習を続ける結果だ。

作家のマルコム・グラッドウェルは、かの有名な「1万時間の法則」を提唱したと、神経科学者のダニエル・レヴィンティンは述べている。

目的意識をもって1万時間、練習を続ければ、どんな分野でも一流になれるというのだ。

一方日本の徒弟制度では、学びの期間は生涯にわたる場合もある。

匠の技とは、完璧を求めるのではなく、専念して修業を続けることで、よりよい自分になりたいと熱望することだ。

そもそも熟練の技に、固定された到達点などない。

いかなる巨匠でも、熱心な弟子であり続ける。

彼らは僕たちと同様、時間をかけて技術を身につけていく。

彼らだって例外なく、最初は初心者だったし、僕たちと同様、当初は不器用だったはずだ。

毎日、ささやかな質問を自分に投げかけよう。

そして自分を改善できる方法はないか、考えよう。

その答えを、バレットジャーナルにタスクや目標として書き込もう。

そのタスクを完了するたび、あなたは経験を積んだことになる。

自分の進行状況を記録に残し、その推移を確認しよう。

こうすれば、あなたは実際に行動を起こしやすくなる。

すべての行動が、いまの自分を成長させるステップとなる。

そのステップがどれほど小さくてもかまわない。

大切なのは、あなたがステップアップを続けることなのだ。

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