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第五章「対話」の言葉を作る

目次

言葉は作られる

前章では、「対話」と「会話」とを区別することが大切だと書いた。

そしてまた、「日本社会には、この『対話』という概念が希薄である。いや、(中略)それがほとんど、なかったと言ってもいいかもしれない」とも書いた。

私たちは、いま話されている話し言葉一般を、空気のように自明のものとして使っているが、その多くは、先人によって作られた言葉だということを忘れてはならない。

先に示した様々な話し言葉のカテゴリー、「演説」「スピーチ」「教授」「対論」などはいずれも、明治の人びとが、血のにじむような努力で作り出した言葉だ。

旧帝国大学は、最初の一〇年、ほとんどの授業は、英語か、あるいはドイツ語、フランス語で行われていた。ただ、しかしここが日本人のすごいところで、たった一〇年から二〇年で、多くの授業を教科書も含めて日本語で行えるようにしてしまった。

いま、大学生たちは、当たり前のように日本語で授業を受けてノホホンとしているけれど、これは先人の努力のたまものである。

多くの途上国では、いまも高等教育の授業は、英語か、あるいは旧宗主国の言語で行われている。たとえばモロッコという国はワールドカップの開催国に立候補するほどの立派な中進国だが、中学校以上の授業は基本的にフランス語で行われていると聞く。

こういった環境では、なかなか民主主義は育たない。言語の習得が、社会的な階層を、そのまま決定づけてしまうから。

論理的な事柄を自国語で話せるようにするのには、ある種の知的操作や、それを支える語彙が必要で、自然言語のままでできるものではない。これは別にアジア、アフリカの言語だけに限った事柄でもない。

たとえば、パスカルの書簡だったかと思うが、「これから先はちょっと込み入った話になるのでラテン語で書きます」といった文章が残っているそうだ。一七世紀、まだフランス語では、哲学を語ることはできなかった。

およそ、どの近代国家も、国民国家を作る過程で、言語を統一し、ただ統一するだけではなく、一つの言葉で政治を語り、哲学を語り、連隊を動かし、ラブレターを書き、裁判を起こし、大学の授業ができるように、その「国語」を育てていく。近代日本語もその埒外ではなかった。

「対話」の言葉だけが作られなかった

ただ、日本語は、英語やフランス語が一五〇年から二〇〇年かけて行った、この言語の近代化を、たった三〇年ほどでほぼ完成してしまった。

その先人の努力に私は深く頭を垂れるが、しかし、その性急な過程では、当然積み残してきてしまったものがあるだろう。

その大きな積み残しの一つが、「対話」の言葉ではなかったかと私は考えてきた。たとえば一般によく言われることだが、日本語には対等な関係で褒める語彙が極端に少ない。

上に向かって尊敬の念を示すか、下に向かって褒めてつかわすような言葉は豊富にあっても、対等な関係の褒め言葉があまり見つからないのだ。

欧米の言語ならば、この手の言葉には、まさに枚挙にいとまがない。「wonderful」「marvelous」「amazing」「great」「lovely」「splendid」……。

しかし日本語には、このような褒め言葉が非常に少ない。

そこでたとえば、スポーツの世界などで相手を褒めようとすると外来語に頼らざるをえなくなる。「ナイス・ショット」「ナイス・ピッチ」「ドンマイ」……。

だが、ここに一つだけ、現代日本語にも、非常に汎用性の高い褒め言葉がある。「かわいい」これはとにかく、何にでも使える。

よく中高年の男性が、「いまどきの子は、なんでも『かわいい』『かわいい』で、ボキャブラリーがないなぁ」とおっしゃっているのを見かけるが、ボキャブラリーがないのは、そう言っている私も含めたオヤジたちの方なのだ。

「対等な関係における褒め言葉」という日本語の欠落を「かわいい」は、一手に引き受けて補っていると言ってもいい。

女性からの指示語

他にも、「対話」の言葉が作られてこなかったために、近代日本語に欠落している要素は、いくつもある。

たとえば、いまは女性の上司─男性の部下という関係は珍しくなくなったが、女性の上司が男性の部下に命令するきちんとした日本語というのは、いまだ定着していない。

女性が管理職に就くと、その地位に慣れるまで、昔ならば「男勝り」と言われたような周囲がきつく感じてしまう言葉遣いか、あるいは過度に丁寧な言葉遣いになってしまう傾向がある(具体的な例はあとで示す)。

慣れてしまえば、そう問題にならないのだが、初めのうちはぎこちない雰囲気が職場に生まれてしまう。

他にも、病院などで、中高年の男性が入院した際に、若い女性の看護師さんから子ども扱いされたと言って怒り出すケースもあるそうだ。だがこれは、若い看護師さんの責任ではないと私は思う。

日本語の二〇〇〇年あまりの歴史の中で、女性が男性に命令をしたり指示したりする関係は、母親が子どもに指示する関係以外にはなかった。

関係がなければ言葉は生まれない。

法律一つで、社会は大きく変わっていく。

男女雇用機会均等法ができて二十数年、諸外国に比べればまだまだ劣っているとはいえ、日本の女性の社会進出は随分と進んできた。

しかし、言葉は、社会の変化に追いつかないという宿命を常に背負っている。そこには必ず、タイムラグが生じる。

一八六八年、明治維新が起こって封建制が崩れ、四民平等、努力すれば出世できる、身分を越えた恋愛や結婚も可能になる社会が実現した。

しかし、先に示したように、一つの言葉で政治を語ったり、ラブレターを書いたりできるようになったのは、すなわち近代日本語というものがかろうじて確立したのは、おおよそ一九一〇年前後、明治も終わりを告げた頃だろう。

ここにも、五〇年近いタイムラグが生じている。

新しい時代の、新しい女性の話し言葉は、いま、確実に過渡期にある。

もちろん、言語は常に変化していくものだから、どんな時代でも「過渡期」と名づけてしまえばそれまでなのだが、それが、どこからどこへ向かっての変化なのかを意識することには、多少なりとも意味がある。

この点に関して言えば、現代社会は、ジェンダーや年齢といった区別なく、対等な関係で「対話」を行うための言葉を生成していく「過渡期」だと言っていいだろう。

ただし、人間は、言語については、常にとてつもなく保守的であり、自己中心的である。人はみな、自分の喋っている言葉を正しいと思うし、普遍的だと信じてさえいる。

しかも、社会の中核にいる人びとほど、その意識は強くなる。また言語は、合理性だけで変化するわけではなく、美の観点もつきまとう。

だから、これを急速に変化させようとすると衝突が起こるし、その変化を人為的に起こそうとするのは危険なことでもある。

たとえば差別語の撤廃は、人為的にどうしても進めていかなければならないが、これに過度に神経質になると言葉狩りのようになって言語としての調和を失ったり、あるいは新たな差別を生み出してしまったりもする。

このように言葉の変化はとてもやっかいだが、しかし、言語的弱者の立場を考えれば、変革をためらうことも罪悪であろう。私たちは、確実に、歩みを前に進めていかなければならない。

コピーとってください

言葉は変わっていくし、それが新しい社会の要請である以上、その変化に私たちは対応していかなければならない。では、この「対話」の言葉の生成、変化とは、どのようなものになるのだろうか。

もちろんそのようなことを完全に予測することは不可能だけれど、たとえば、いまの時点でも、以下のようなことは言えるかもしれない。

「これ、コピーとっとけよ」「これ、コピーとって頂戴」「これ、コピーとって」「これ、コピーとってください」さて、上司が部下に、コピーをとることを指示するときに、適切な言葉はどれだろう。

男性の上司が、男性の部下に、「これ、コピーとっとけよ」と言っても、あまり違和感はない。いや、一昔前ならそうだっただろうが、いまは少し乱暴だと受けとる部下もいるだろうか。

一方、女性の上司が男性の部下に、同じことを言ったらどうだろう?これは確実に、ちょっときつい感じに聞こえるだろう。しかし、それは差別ではないか?現代日本語はまだ、同じ言葉を使っても、女性が不利になるようにできている。

「これ、コピーとって頂戴」はどうだろう。女性の上司が男性の部下にこれを言っても違和感はない。

しかし、男性の上司が言ったらどうだろう。まぁ、ほとんどの人は、戸惑うに違いない。これもある意味、差別、偏見かもしれない。では、一番適切なのはどれだろう。

「これ、コピーとって」でもかまわないが、これでも少し、女性が使うときつく感じる人もいるだろうか。

やはり正解(言語に正解などないが)は、「これ、コピーとってください」だろう。男女を問わず、職場では、こういった少し丁寧な言い回しを、役職の上下を問わず地道に習慣づけていく。

それ以外に、新しい「対話」の言葉を定着させる方策はない。では、このとき変わっていかなければならないのは誰だろう。一目瞭然、言葉遣いをもっとも改めなければならないのは、年長の男性だ。

言語的権力

先にも記したように、言語は常に保守的で、変化を好まない。

「そんなことに目くじらを立てる必要があるのか」という意見もあるだろう。

「それはオレの個性だ。強制されたくない」と言う人もいるだろう。だが、そういうことをおっしゃる方の大半は、中高年の男性だ。言語的な権力を無自覚に独占している年長の男性が、まず率先してこの権力を手放さなければならない。

日本語は、大きな諸言語の中で、もっとも性差の激しい言葉の一つである。このことが、無意識のレベルで女性の社会進出を阻んでいることは、おそらく間違いない。

社会の変貌と共にこの点が変わっていくのは、もう止めようのない変化である。実際に、中高生くらいまでは、話し言葉の男女差は、急速に縮まってきている。

一方、「男らしさ」「女らしさ」は、日本語、ひいては日本文化の特徴、美点だから捨てるべきではないという意見もあるだろう。

だがやはり、私はこの変化を肯定的に捉えるべきだと考えている。別に私は、フェミニストを気取っているわけではない。

電車の中で、女子高生が、「おい、宿題やっとけよ」といった言葉遣いをしているのを聞くと、普通のおじさんである私は、当然、何となく心が痛む。だが、私たちはこの痛みを甘受せねばならない。

女性はこれまで、もっと厳しい差別に苦しみ、心を痛めてきたのだから。そして、現実には、「強制されたくない」などと言っていられない事態が進行している。

英語を社内公用語とする企業の報道は、珍しくなくなった。「強制されたくない」などと宣っているおじさんたちも、こっそりと英会話学校に通っていることだろう。

英語公用語化と、言葉遣いの改革の問題は違う話だとも言っていられない。

英語を公用語化する、あるいは少なくとも会議などを英語で行うようにするのは、国際化という名目以外に、英語の方が、年齢や性差を越えて対等な議論がしやすいという実利的な側面もあるからだ。

もっと身近な変化も起こっている。上場企業の約四割が、社内では個人を役職で呼ばずに、男女問わず、「○○さん」と呼ぶようになっている。この「さんづけ運動」を、もっとも早く取り入れた企業の一つが、資生堂だと言われている。

この運動を開始した当初、社長に就任したばかりだった福原義春氏は、社内掲示のポスターで自ら全社員に向けて、「これからは、まず私を福原さんと呼んでください」と伝えたそうだ。

バブル崩壊以前、一九八八年のことである。これはおそらく、女性の幹部登用が、すでにかなり進んでいた企業だったからこそ、必然的に出てきた改革だったのだろう。

政治家の言葉

企業経営よりさらに重要なのが、政治の世界における「対話」の言葉だ。およそ、日本のほとんどの政治家は、「対話」の言葉を持たない。そして、これまでは、それでもかまわなかった。

戦後政治を代表する田中角栄という政治家は、とてつもなく「演説」のうまい政治家だった。「川中島で上杉謙信公が勝っていれば、新潟は裏日本などとは呼ばれなかった」と始まる名調子が聴衆を惹きつけた。

また彼は、「会話」も得意だった。演説が終わると、選挙カーを降りて、背広に長靴といういでたちでズカズカと田んぼに入っていき、農民たちの肩を叩いて、「やあ、やあ、今年の米の作柄はどうだい」と聞いて回る。

これなら選挙に負けるはずがない。

しかし田中氏が、長岡市民と一対一で向きあい、「あなたの考えはそうですか、しかし私の考えはこうです。でも共通点は見いだせますね」というように「対話」を行う姿は想像できない。

中選挙区制は、それでよかったのだ。街頭演説と、選挙カーからの名前の連呼と、そして宴席での会話を巧みにこなして後援会組織の強化に努めていれば必ず当選できた。

しかし小選挙区制は、本来、「対話」を要求する選挙制度だ。政治家のコミュニケーションの在り方も、当然、変わっていかなければならない。

「政治家が小粒になった」という声をよく耳にする。歴史は常に美化されるから、本当に政治家が小粒になったのかどうかはわからない。

過去の、どんなに立派に見える政治家も、意外とせこい汚職事件なども起こしている。

その客観的評価はどうでもいいのだが、開き直って、私は政治家は小粒でもいいのではないかとも思う。他方、政治家に強いリーダーシップを求める声が根強いことも承知はしている。

二〇一一年の大阪府知事・市長選の選挙結果はまさにそのあらわれだろう。強いリーダーシップが、私たちを本当に、未来永劫幸せにしてくれるのなら、それもいい。

しかし、そこには当然リスクもあるだろう。しかもそれは、原発事故並みに取り返しのつかない大きなリスクだ。

民主主義が権力の暴走を止めるためのシステムだとするなら、小粒かもしれないが、市民一人ひとりとの「対話」を重視する政治家を生み出す小選挙区制というシステムは、成熟社会にとっては、存外悪い制度ではない。

熱しやすく冷めやすい日本民族の特性を考えるなら、議院内閣制もまた、さして悪い制度だとは思えない。

「対話」のない国家

二〇世紀、日本、ドイツ、イタリアが、なぜあの無謀な戦争を引き起こしたのか。原因や理由は様々にあるだろう。

たとえば、枢軸国の共通点として、帝国主義の競争に遅れて参加した三ヵ国が、無理にその再配分を目指して起こした戦争だといった見方。

だが、言葉の観点から言えば、「対話」の言葉の欠如がファシズムを招いたのではないかと想像することはできないだろうか。

この三ヵ国は、いずれも英仏に比べると国家の統一が遅れ、ビスマルクの「鉄血政策」に代表されるように、強い軍隊、強い国家を作るために、国語の統一を急いだ。

明治維新が一八六八年。イタリア半島がほぼ統一されるのが一八七〇年。ビスマルクの初代ドイツ帝国宰相就任は一八七一年。英仏米を除けば、主要国の国民国家としての歴史は、実は意外なほどに浅い。

後発の国民国家は、すでに答えの出ている近代国家のシステムを、合理的に、エッセンスだけを模倣しようとする。

そこでは、無駄は排除され、スピードだけが要求される。冗長性が高く、面倒で、時間のかかる「対話」の言葉の生成は、当然のように置き去りにされた。強いリーダーシップを持った為政者にとっては、「対話」は無駄であり、また脅威でさえあるからだ。

そうして強い国家、強い軍隊はできたかもしれないが、その結果、異なる価値観や文化を摺りあわせる知的体力が国民の間に醸成されることはなく、やがてそれがファシズムの台頭を招いた。

ドイツは二度の大戦に敗れ国家が分割されたし、日本は国家存亡の危機にまで追い込まれた。強いリーダーシップの代償としては、大きすぎるリスクではなかったか。あるいはロシアという国家。この国は、近代国家の成立を待たずに革命が起こり社会主義国家となった。当然、共産党一党独裁の政権に「対話」の言葉はない。

ソヴィエトが崩壊し、民主化がなったあとでも、彼の国が私たちには多少理解しがたい政体を維持しているのは、おそらくロシア語にもまだ「対話」の概念が少ないからではないかと思われる。

もちろん、いまの中国にも。「対話」を意識するそして、再び、演劇の話。

・日本語はまだ「対話」の言葉を確立していない。

・近代演劇は、「対話」の言葉を重要視する。

だとすると、三段論法でいけば、日本には近代演劇は育たないことになってしまう。だが、実際はそんなことはない。

「対話」の苦手な日本人だからこそ、気がつける部分がある。海外の大学や演劇学校で、このような「対話」と「会話」の違いの話をしても、日本と同じような感想が返ってくる。

「そう言われればそうだが、考えたこともなかった」ただし、その内実は少し違う。

欧米では、「対話」はコミュニケーションの前提になっているので、ことさら、この点を指摘しなくても、自然に「対話」を作ることができる。

しかし、戯曲創作の過程では、これを意識する手法を身につければ、一層確実にいい作品が書けるようになることは間違いない。

そうであるなら、苦手なだけに、意識化できる私たち日本人作家にも勝ち目はある。その小さな勝ち目に賭けて、私は今日も戯曲を書いている。

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