013つのタイプの自己表現
Part1では、アサーションとアサーションでない自己表現について、その意味と特徴を知ることにしましょう。まず、アサーションでない自己表現から説明しましょう。
非主張的自己表現
自分の考えや気持ちを言わず、言いたくても自分を抑え、結果として相手の言うことを聞き入れてしまうことを「非主張的(ノン・アサーティブ)自己表現」と呼びます。
非主張的自己表現は、気持ちや考えを表現できないとか、しないことなので、自分の状態を知らせていないことになります。
また、したとしてもひとり言のような言い方をすると、聞こえなかったり、伝わらなかったり、無視されたりする可能性があります。
たとえば、三江さん本人は渋谷部長や先輩を立て、思いを大切にし、相手が不愉快にならないように自分の主張を抑えて譲ったつもりでいます。
しかしそのことは伝えていないので、デートや自分の時間を犠牲にしている配慮は伝わりません。
そのため、相手には、「三江さんが自分に同意してくれ、不満はない」と受け取られます。
とりわけ、わがままで人に配慮せず、目下の人は命令に従うべきだと思っている、親や上司のような立場の人は、非主張的な人を、「従順で自分の言いなりになってくれる都合のいい人」とみて、強引な押しつけや理不尽な命令をすることもあります。
すぐ怒ったり、機嫌が悪くなる親や上司の下では、子どもや部下は、ついそれ以上の怒りや押しつけが来ないようにと用心して従ってしまいます。
非主張的な人は、相手にとっては都合よく頼りにされ、排除もされないのですが、それを続けていると、引き換えに心理的なストレスを負い、メンタルヘルス被害に陥っていくこともあります。
自分を後回しにする人と、自分を優先する人の組み合わせになると、そこには気づかないうちに、パワハラやセクハラが起こりやすくなるのですが、それをわかっているのはがまんして犠牲になった人だけで、相手からは気づかれず、それでいいと思われています。
また、自分を後回しにする人は自らが犠牲になるだけでなく、自分の一番身近な人を巻き込んで相手をも犠牲にし、結局、関係が悪くなったり、壊れたりして、一番大切にしたい友人や家族の関係が続かなくなったりします。
もし、自分が非主張的なうえに相手も非主張的な場合は、思いが伝わりにくいので話は弾まず、互いにわかり合えず、気が合うかもしれないのにそれがわからないまま近づけないことにもなりかねません。
攻撃的自己表現
「攻撃的自己表現」は非主張的自己表現の逆で、自分の考えや気持ちを伝えることはできるのですが、自分の言い分を一方的に通そうとして、言い分を相手に押しつけたり、言い放しにしたりすることです。
渋谷部長のように命令する、言い負かす、嫌味を言って操作するなどが含まれます。
あるいは、キャビン・アテンダント(CA)の先輩や仲間のように、ていねいに、やさしく言っていても、自分の思い通りに動かそうとしている態度や言い方などは攻撃的自己表現に入ります。
また、そんな人の中には自分の言い分を通したいあまり、自分があたかも正しいかのように言い張り、相手を黙らせようとして大声で怒鳴ることもあります。
自分と異なる意見やものの見方は邪魔で、無視したり排除したりしようとするため、気づかなかったり、耳を傾けようとしません。
自分の言い分は通るのですが、相手から敬遠され、親しい関係をつくることはできず、孤立していくことにもなります。
孤立した人は、そんな人同士が集まって、子どものいじめの集団のようになっていくこともあります。
あるいは、非主張的自己表現を続けた人が、友達や家族に自分の思いを押しつけて、攻撃的になったり、欲求不満を攻撃的に発散させることもあります。
たとえば、家で虐待を受けている子どもが学校でその怒りをぶつけて乱暴したり、上司にパワハラを受けている部下が家族に対して不機嫌になったり怒鳴ったりするなどが、これに当たります。いわば、相手や周囲の人々に理解できない〝八つ当たり〟です。
権力や地位がある人、役割や年齢が上の人は、その立場を利用して、つい攻撃的な自己表現をしてしまいます。
部下や弱い立場の人、子どもなどのストレスのもとになっているのですが、渋谷部長やキャビン・アテンダント(CA)の先輩のように、その立場を無意識に利用していることに気づいていないかもしれません。
あるいは、過去に同じ体験をしたので、利用してもいい立場になったのを機に、後輩へ無意識に仕返しをしているかもしれません。
攻撃的な表現は、自分の気分が良くなるために、自分の言い分のみを通そうとし、相手を無視したり軽視したりしています。
思いが通るので自分の方が優位に立ち、勝ったような気分になり、自分は偉いとか能力があると思い違いをしていることもあります。
しかしじつは、それは相手の善意や配慮に依存している言動であり、自立的行為ではありません。また、周囲に過剰なストレスや被害を与え、相手の人権を侵していることに気づいていないこともあります。相手も攻撃的な場合は、自己主張の押しつけ合いやケンカになります。
アサーションでない自己表現の特徴
非主張的と攻撃的な自己表現は、年齢や地位の差、権威や力のある人とない人との関係など、格差を社会的・文化的な習慣として当たり前だと認めているところに生じやすくなります。
つまり、ジェンダー・バイアス(※)や差別意識のあるところでは、無意識のうちにどちらかの表現が使われやすくなります。
人生経験が少なく弱い立場の人は非主張的になりやすく、強い立場の人の攻撃的態度・表現に屈することになり、ストレスの蓄積と心理的不適応を抱えることになりかねません。
一方、有利な立場や地位にある人は、その強い立場を利用して、弱い立場の人の弱みや善意を踏みにじり、弱い者いじめをして自分を支えることになります。
いずれの自己表現も、自分も相手も大切にした人間関係とは言えないので、ざっくばらんで、親密さを培うようなやり取りにはなりませんし、仕事やものごとが楽しく、やりがいのあるものにもなっていかないでしょう。
アサーティブな自己表現
それでは、アサーション、つまりアサーティブな自己表現とは、どんな表現なのでしょうか。それは、非主張的自己表現と攻撃的自己表現の黄金率とも言える自己表現です。
自分の考えや気持ちなどを後回しにしたり、ごまかしたりせず、自分でまずはっきりさせ、それを伝えたほうが自分も相手も大切にしていることになるかどうかを判断し、そう思ったら、正直に、相手にわかりやすく伝えてみようとすることです。
伝えるには、このプロセスを自分の中でたどることが重要です。練習をすると安心して表現できるようになります。そのために、アサーション・トレーニングを受けることもできます。
もちろんその前に、多少の心がまえがあるとこれまでの自分の自己表現を変えることもできます。したがって、まずはアサーションを知ることが大切です。
読者の皆さんはすでに、アサーションでない自己表現を知ったことによって、自分がどんなとき、どんな自己表現をしているか思い起こすことができたでしょう。
そして、「自分も相手も大切にする自己表現」があることに希望を持った人もいるでしょう。
また、まず自分を大切にして自己表現をしてみようとするプロセスをたどることが大事なこともわかったと思います。
そして、これができることがわかったら、次に、相手を大切にすることは、相手も同じように自己表現することが当然であり、相手の考え、気持ちを聴き、理解しようとする心がまえを持ちましょう。
コミュニケーションは、じつは、自分が伝えるだけでなく、相手とやりとりすること、そのような関係をつくることだからです。
3つの自己表現の違い
3つの自己表現の特徴は、以下のようにまとめることができます。それぞれの特徴を縦に読んでいくと、自分や他者の言動にどの特徴が多いかを理解することができるでしょう。また、横に比べると、日ごろの自分の言動を変えるヒントが見つかるかもしれません。
※ジェンダー・バイアス:文化的・社会的性差による差別、偏見。(本文に戻る)
02アサーションの広がり
現在、アサーションの考え方と方法が注目され、世界に広がっている背景には、学問や科学の進歩によって便利な生活ができるようになればなるほど、人間関係のトラブルや悩みにコミュニケーションの問題が絡まっていることがわかってきたことがあります。
能率や競争が重視される現代社会では、面倒なことを排除してものごとを素早く進めたいという欲求のために、立場や考え方の違う人々と関わり合うと、自分や他者を脇に置いた非主張的、あるいは攻撃的なコミュニケーションが起こっていることも明確になっています。
誰にも必要なアサーション
私が最初にアサーションを知ったのは、カウンセリングの勉強をしているときのことです。心理療法の一技法として学びました。
ところが、たまたま出席したカリフォルニアで行われたさまざまなテーマのカウンセリングの研修会で、アサーションを学んでいるグループ・メンバーに出会って、アサーションが心理療法のひとつとしてではなく、「アサーション・トレーニング」という独立した方法を持った訓練として成立していることを知ったのです。
もっと知りたいと考えてアサーションに関する本を購入して帰国し、1979年には1年間の研究休暇を取ってカリフォルニアの大学でアサーション・トレーニングを学び、帰国してアサーションを紹介することになったのです。
そのときの気づきは、日本人は「相手を大切にしなさい」とは言われるけれども、「自分も大切にしていい」とはあまり言われてこなかったということでした。
たとえば、十分に自己表現ができない子どもは、わかりにくいことを言ったりして、「自分を大切にしてほしい!」「聞いてほしい!」と訴えているのですが、うまく言えなくて理解されないことがあります。
親や教師は一方的に自分の言い分を押しつけたり、上司はプライベートを無視して仕事を命令したりして相手を大切にしていません。また、自分を大切にしてもいいとなると、一方的に自己主張をしたり、自分の権利だけを言いつのる人も出てきます。
そんな中で、力が弱い者は、強い者の強要や非難・排除を怖れて従うことになり、弱い者はますます追い込まれ、強い者は一層強引になって、この悪循環が続くことがわかりました。
強引に自分の言い分を通そうとする人と言い分を聞き入れてしまう人との関わりがある場では、それぞれが自分で自分を大切にしてもいいし、自分を大切にするように相手を大切にできるようになることが重要だと考えたのです。
そうなると、アサーションは、関係性の視点からコミュニケーションを考えることになり、単なる言い方の改良だけの問題でもないことになります。
とりわけ、力がある側もアサーションを意識する必要性がよくわかります。
アメリカでは、アサーションの考え方と方法は1970年から1980年代の人種や性の差別に対する人権回復の運動の中で、アサーションをする必要がある人々のための訓練法として広がっていきました。
また、国連で「子どもの権利」を重視する条約が決まったとき、世界で特別な配慮やケアが必要な人々の人権を守るために、そして人権を軽視・無視して人の存在を脅かすような人々への注意を促すために、教育、福祉、産業などの分野にも広がっていきました。
私は、1980年代に日本で「アサーション〈自己表現〉トレーニング」を開始し、その後、子ども、教師、ナース、カウンセラー、そしてビジネス・パーソンのためのアサーション・トレーニングを実施してきました。
私たちは、いつでも自分も相手も大切にしたコミュニケーションができるとは限りません。
言いたいことが言えなかったり、言いたい気持ちはあるものの言い方を知らなかったり、言いたいことがはっきりしなかったり、はっきりしていても言ってもよいかどうか迷ったりすることがあります。
自己表現には、苦手な相手とか状況といった個人的な事情が影響したり、常識や習慣といった社会的な背景が絡まったりすることもあります。
したがって、一度で自分も相手も大切にしたやり取りをするのは難しく、いつの時代にも、誰にもコミュニケーションの問題は起こりえます。
しかし、人はコミュニケーションなしでは生きていけません。
アサーションを単なる表現法や交渉術の問題の解決法だけではなく、関係のあり方として受け取っていくと、関係づくりのコミュニケーションの道が開けるように思います。
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