動物としての人間の怒り「戦う」か「逃げる」の二択
アンガーマネジメントの実践に入る前に、本章では、アンガーマネジメントの仕組みについてご説明していきましょう。
私たちを毎日のように悩ます「怒り」とはいったい何なのでしょうか。としても身近な感情なのに、実は、私たちは「怒り」についてほとんど何も知りません。
そのため参考になるので、まず、動物にとっての怒りとはどのようなものなのかについてお話しさせてください。
ここに一頭の熊がいます。この熊のナワバリに見知らぬ熊が入ってきました。ナワバリの持ち主の熊は勝手に入ってきた熊をどうにかしなければいけません。
どうにかしなければ、自分のナワバリを荒らされ、「安全に生きていく」ということをジャマされてしまうからです。そして、ナワバリの持ち主の熊とナワバリに入ってきた熊が対峙しました。
お互いにとって互いの存在は自分の身を危険にさらす存在です。そこで、自分を危険にさらす相手に対して「怒り」をもちます。怒りをもった熊の体には変化が表れます。
具体的にいえば、心臓を速く動かして体中に血液を大量に送ります。体中に血液を送り、筋肉を緊張させ、硬くすることで、相手が飛びかかってきた場合に備えます。呼吸は速く浅くなり、酸素を大量にとりこもうとします。
筋肉の働きを活発化させるためには大量の酸素が必要だからです。さあ戦闘準備は整いました。勝てると思えば、一瞬のうちに相手に飛びかかり、戦います。
相手が自分よりはるかに強そうで勝ち目がないと思えば、一目散に後ろへ逃げるのです。
これが動物にとっての怒りという感情の役割です。「怒り」は、動物にとっては「戦う」か「逃げる」かの二つの選択肢しかありません。
この目の前の敵に対して戦うか逃げるかという選択をすることを「闘争-逃走行動」と呼びます。
ここでは熊のナワバリ争いの例をあげましたが、熊の体に起きた変化と同じ変化を、私たちは怒ったときに経験します。
自分が怒ったときのことを思い出してみてください。
自分の体にどのような変化が起こるでしょうか。心臓がドキドキする。怒ったとき、心臓がドキドキする人はいるでしょう。これは体中に血液を送っているのです。筋肉が緊張する。体の筋肉が硬くなります。
首や肩などに緊張を覚える人も多いのではないでしょうか。気持ちが高ぶる。興奮することで自分のもてる力以上の力を出せるようになります。呼吸が速く浅くなる。酸素を大量にとりこみ、筋肉の活動を活発化させるために血液に送りこもうとしているのです。
人間の「怒り」も基本的には動物の怒りとあまり変わりはありません。自分を危険にさらす目の前の敵に対して「戦う」か「逃げる」かという選択をするための命令なのです。だから「怒り」は生きていく上で、とても大切な生存本能の一つではあるのです。
怒りは、生きていく上で不可欠な感情
ただ、動物と人間との違いは、私たち人間が動物よりももう少し複雑だということと、社会の中で暮らしているということです。
そのため、怒りを感じるままに、目の前の相手を攻撃する、あるいは、なんのフォローもなくその場から逃げ去ってしまうといった動物の「闘争-逃走行動」とまったく同じのような行動をとれば、どうなるでしょうか。
いくら怒りが本能であり大切なものだといっても、まわりの人と上手にコミュニケーションをとるということはできにくいでしょう。
頭にくれば相手をののしったり、相手を責めたり、あるいは、勝てないとなったら説明もなしにその場からいなくなったりするような人と人間関係を築きたいと思う人は少ないはずです。動物と同じような「闘争-逃走行動」で人間関係を壊さないためにもアンガーマネジメントがあるのです。
怒りは、どのようにして生まれるのか 怒りが生まれるまでの3ステップ
では、次に怒りがどのようにして生まれるのかを説明していきます。人は怒りを感じるとき、次の図の3段階をふみます。
第1章で紹介した「すれ違いざまに誰かと肩がぶつかった」という例を思い出してみてください。
「誰かと肩がぶつかった」という同じ「出来事に遭遇」したとしても、「怒らない」ことも「怒る」こともありました。
好きな人と話しているときはなんとも思わなかったのに、上司に怒られイライラしているときはカチンとくる。つまり第1段階である「出来事に遭遇」と第3段階の「怒りの発生」はイコールではないのです。
だからその出来事で自分が怒るかどうかは、第2段階の「出来事の意味づけ」にかかってくるのです。では、その怒りが生まれるまでの3段階について、もう少し詳しく具体例をあげながら説明していきましょう。
ふだんから営業で車に乗る飯嶋さんは、ある出来事に遭遇し、運転しながらうなるように「ぜったい俺の前にはわりこみさせないぞ」と言いました。
飯嶋さんは、他の車線を走ってきた車がわりこもうとしているのを見て腹を立てているのです。
「ズルしやがって、ムカつくな!他の車もあいつを絶対わりこませるなよ」では、飯嶋さんの怒りはどのように生まれたのでしょうか。
実は飯嶋さんは、次のような段階をへて怒りを感じています。
第1段階「出来事に遭遇」
飯嶋さんはわりこみをしようとする車を見ます。
第2段階「出来事の意味づけ」
「わりこみをする」ということがどういうことなのかを考え、意味づけをします。飯嶋さんは、このように考えました。「この車はズルしてわりこもうとしている。ズルはダメだ。ズルした人が得するべきじゃない」
第3段階「怒りの発生」
「ズルは許されるべきじゃない、真面目に並んだ人間が損してはいけない」と意味づけした結果、怒りが生まれました。そして、飯嶋さんはわりこみをさせないように前の車との車間距離をつめるという行動に出たのでした。これが飯嶋さんにとっての怒りが生まれる3段階です。
ムカッとくるのは、とらえ方しだい
一方、飯嶋さんの後ろの車のドライバーは、同じ状況で、いとも簡単にわりこみを許しました。
後ろのドライバーは、わりこみする車を見てもなんとも思わず、車が入ってこようとしていたので前の車との車間距離をあけたのでした。飯嶋さんと後ろのドライバーが見たものは一緒です。
「1台の車がわりこもうとしていること」です。
しかし、その車に対して、飯嶋さんが意味づけしたことと、後ろのドライバーが意味づけしたことはまったく違いました。
怒りを抱くときに、とても重要なのが、先ほどの「怒りの生まれる3段階」の第2段階「出来事の意味づけ」なのです。出来事をどう意味づけするかで、「怒る」のか「怒らない」のかが決まります。
飯嶋さんはわりこみしようとする車の意味づけをする際、「ズルしてわりこもうとしている」と受け取りました。
本当は、その車が悪意をもってズルしてわりこみをしようとしているのかどうかはわからないはずですが、飯嶋さんはそう思い込んだのです。
そして、「ズルをした人間は報われるべきではない」「真面目に並んだ人間が損すべきではない」という考えから、怒りを感じたのです。
もしかしたら、わりこみをしたドライバーは、身内が危篤だったり、仕事の不測の事態だったりで、やむなく急いでいたかもしれないのに、です。
一方で、後ろのドライバーはわりこみに関して、とくに強い意味づけをしていません。「あ、急いでるのかな」くらいの意味づけしかしませんでした。両者のこの「意味づけ」の違いが怒りが発生するかしないかを決めたのです。
コアビリーフがあなたの怒りを左右する 人は、自分で自分を不快にする
私たちは出来事や誰かの言動などを見た際に、自分が信じていることや、自分の価値基準と比べて、その出来事を正しいのか、間違っているのかといったように判断します。
先ほどの例の飯嶋さんは「ズルしたヤツは報われるべきではない」「真面目に並んだ人間が損すべきではない」という価値基準をもっています。
この二つは、飯嶋さんが日頃から信じていることであり、飯嶋さんが何かを判断するときの価値基準です。この私たちがふだん信じているもの、判断の価値基準にしているものをアンガーマネジメントでは「コアビリーフ」と呼びます。コアビリーフは私たちの怒りに深く関係しています。
もし飯嶋さんが、「わりこみをする車はズルをしているに決まっている」「わりこみはズルで、ズルしたヤツは報われるべきではない。真面目に並んだ人間が損すべきではない」という価値基準をもっていなければ、わりこみをする車を見ても、とくに怒りはもたなかったでしょう。
コアビリーフは価値観の辞書
私たちは出来事や誰かの言動を見たり聞いたりしたときに、自分の価値基準、「コアビリーフ」に照らし合せて、それがどういうことなのかを考え、意味づけをします。コアビリーフは自分の辞書のようなものと考えてもよいでしょう。
そして、その出来事や誰かの言動を、自分のコアビリーフに照らし合わせて認識し、間違っていると思ったり、納得がいかなかったりすれば怒りを感じます。
コアビリーフは、私たちが生きている中で覚えたり、学習したり、経験したりすることで、自然と積み重なってできあがるものです。私たちはあらゆる事柄に対して自分のコアビリーフをもっています。
例えば、「女は控え目でいなければいけない」というコアビリーフをもっている人は、強く主張する女性を見たら「女らしくない」とまゆをひそめるでしょう。
「会社には絶対服従するものだ」というコアビリーフをもっている人は、会社に意見する人を敵対視するでしょう。「上司が残業しているうちは部下は残業するものだ」というコアビリーフをもっている人は、残業しないで帰ってしまう部下を、仕事ができるとは評価しないでしょう。
「コーヒーに砂糖は入れるものじゃない」というコアビリーフをもっている人は、砂糖の入った甘いコーヒーを出されたら不愉快な思いをするかもしれません。
私たち個人がどのようなコアビリーフをもとうが、それは個人の自由です。コアビリーフは本当に人それぞれです。コアビリーフに他人の理屈や一般常識は通用しません。本人にとっては、自分が信じているコアビリーフが唯一の真実で、一番正しいことなのです。
ただ問題なのは、歪んだコアビリーフがあることによって、出来事や誰かの言動を、自分やまわりの人にとってマイナスに認識してしまうことです。
その場合、自分のコアビリーフは修正していかないと、まわりの人と上手な人間関係をつくっていくことが難しいでしょう。
コアビリーフがとても自分勝手なものであったり、現実的なものでなかったりすると、自分にとって都合よく認識したり、事実とかけ離れた認識をしてしまいます。
そうすると、まわりの人との間の認識がずれて、それを受け入れられないと判断すると、そこに怒りが生まれるのです。
アンガーマネジメントをしていく上では、自分がいったいどのようなコアビリーフをもっているのかを知ることが重要です。
自分のコアビリーフを知ることができれば、自分がどうしてその事柄に腹を立てているのかわかるようになるからです。
そして、そのコアビリーフが、まわりの人と上手にコミュニケーションをとりながら仕事をしたり、生きていく上で、障害となるものなのかどうかを知ることができるからです。
もし、そのコアビリーフが障害となるようなものであれば、障害ではなくなるようにコアビリーフの修正に取り組んでいけばよいのです。
アンガーマネジメントの全体像 健全な人間関係をつくり上げるための技術
アンガーマネジメントは、「『怒り』の感情をコントロールすることで、健全な人間関係をつくり上げていくための技術」です。そして、それを実現するために、アンガーマネジメントで具体的にやっていくことは大きく分けると二つになります。
それは、「行動の修正」と「認識の修正」です。「行動の修正」とは、「怒りのままに行動しない」ということ。
つまりは、「『怒り』によってまわりの人と良好な人間関係を築くことを邪魔する行動をとってしまうのであれば、それは直していきましょう」ということです。
もう一方の「認識の修正」とは、簡単にいえば「頭の中を怒りにくい仕組みにする」ということ。
つまり、「もしあなたのコアビリーフがあなた自身やまわりの人にとってマイナスになる『怒り』を生み出すようなものであれば、それは直していきましょう」ということです。ではもう少しわかりやすいように、実際のケースで「行動の修正」と「認識の修正」を考えてみましょう。
市川さん(32歳、電機メーカーA社勤務)は、業界標準を決める業界の会合に会社の代表として出席しています。
市川さんは会合参加者の中では最年少ですが、仕事はとてもでき、どちらかというとはきはきと物怖じせず発言をするタイプです。そして、その会合に参加している他の会社の人と感情的な対立で問題を抱えていました。
市川さんの問題の相手の森さん(40歳、電機メーカーB社勤務)は、会合の幹事役を務めている方です。市川さんは、ある頃から森さんがどうも自分のことを快く思っていないのではないかと思うようになりました。
とくに明確な理由があったわけでも、森さんが自分のことを嫌っているということを聞いたこともなかったのですが、そのような印象を受けたのでした。
そう思い始めると、森さんの発言がいちいち気になるようになります。
例えば、森さんが、「市川さんはまだ若いからわからないと思うけど……」と前置きすれば、「若いからって俺をバカにしてるのか?」と思い、「市川さんのところがもう少し折れてくれればねえ……」と言われれば、「うちばかりがワガママ言ってるわけじゃない。俺のことが気にくわないのか」とイライラします。
そんなことを繰り返すうちに、市川さんは森さんと話をするのがイヤになってしまったのです。そして、逆に森さんの気にさわるような皮肉をあえて言ってみたり、他の参加者に森さんの批判をしたり……。森さんとの関係はもとより、会合自体の人間関係も悪化していきました。
さらには、会社の責務を上手に果たせていないことで、自分自身に対しても不満を募らせ、責めるようになっていったのです。
そして、今の自分の問題をどうにかしたいと思い、私のところへアンガーマネジメントの相談を受けにきたのでした。
行動の修正……怒りのままに行動しない
このケースの場合の「行動の修正」と「認識の修正」とは何でしょうか。アンガーマネジメントの「行動の修正」と「認識の修正」はセットです。どちらかだけを修正するということはありません。
認識の修正から始めるのか、行動の修正から始めるのか、どちらから始めるのかは人によって変わります。
市川さんの場合は、「森さんに対する発言が建設的なものではない」「会合で他の参加者から市川さんの行動を問題と思われてしまっている」ために、まずは「行動」から変えたほうがいいと判断しました。
行動の修正には、「衝動のコントロール」と「長期的な行動の修正」の二つがあります。「衝動のコントロール」とは、要するに、カッとなったときによけいなことを言わない、しないといったことです。
市川さんの場合であれば、とっさに「森さんの気にさわるような皮肉をあえて言う」「他の参加者に森さんの批判をする」という行動を変えることです。
具体的なテクニックについては後ほど第4章で詳しく説明しますが、市川さんにはまずは衝動のコントロールを実践してもらったのです。
そして、衝動のコントロールをしながら、「長期的な行動の修正」にも取り組みました。市川さんに必要な「長期的な行動の修正」は、コミュニケーションのやり方です。
森さんに対して何か不満があるのだとしたら、誤解や不快感を生む言葉を避けつつ、上手に自分の意見が主張できるようコミュニケーションの仕方を学んでもらったのです(詳しくは第7章参照)。
このように「行動の修正」とは、「衝動のコントロール」をしつつ「長期的な行動の修正」をはかるということです。
認識の修正……頭を怒りにくい仕組みにする
次に「認識の修正」についてみていきましょう。アンガーマネジメントでは、たいていの場合、「認識に問題があるから問題のある行動をする」というのが定説です。
つまりコアビリーフが歪んでいるのです。このコアビリーフの歪みを知り、少しずつまわりの人や自分を苦しめないものに変えていくのです。この自分独自のコアビリーフによる認識の歪みを正すのが「認識の修正」です。
では、同じく市川さんの例で具体的にみていくことにしましょう。
市川さんには、まずは、怒りを感じたときの状況や心理状態を書き出してもらいました。怒りを記録してもらったのです。この怒りを記録することをアンガーマネジメントでは「アンガーログ」といいます(詳しくは第5章参照)。
そして、「森さんに発言の真意を確かめていないのに、『森さんは俺のことを嫌っている』という観点のもとに発言を曲解している」ということを、自分で把握してもらいました。
市川さん自身の認識のエラー、つまり「森さんはこういう人」という思い込みが、自分の怒りをつくっていることを理解してもらったのです。
これが基本の「認識の修正」です。
そして、一歩踏み込んで、森さんとの一件以外にも、怒りを感じる場面をアンガーログとして書き出してもらい、じっくり分析してもらうことにしました(詳しくは第5章参照)。
そうすると、市川さんは、「注意をされたり、違う意見を出されたときに、自分を否定されたと感じる」というコアビリーフがあると気づきました。
「注意される」という行動で、「なるほど。親切な人だな」と思う人もいれば、市川さんのように「俺のことが嫌いなんだな」と思う人もいます。
市川さんは後者です。
そして、市川さんの中に「注意をする人は俺のことが嫌いな人だ」というコアビリーフがあるために、森さんの言動を認識するときにエラーが起こるのです。
「君はまだ若いからわからないよね」という森さんの言葉を、「俺をバカにしているのか!」ととらえ、「市川さんのところがもう少し折れてくれれば」を、「俺のことが気にくわないのか」ととらえるのです。
「森さんは自分を嫌っている」「嫌っている人を森さんは攻撃するタイプの人だ」などという思い込みを解消できれば、森さんの言動を見て、いちいち怒ったり、イライラしなくてすみます。
よって市川さんには、「注意は、悪意から言われるものばかりではない」「人の意見は違って当然だ」というようにコアビリーフの歪みを変えていってもらうようにしました。
この市川さんの例からもわかるように、「認識の修正」とは、まず自分がどうして怒るのかを記録し、客観的に把握することが基本です。
さらには、どういうコアビリーフをもっているから怒りを抱きやすいのかを記録を見ながらじっくりと考えていくことが大切です。
その上で、「自分のコアビリーフはこうだ」と気づくこと。そして、そのコアビリーフが、自分やまわりの人にとって、マイナスになるものであるのならば、それをじっくりでいいから変えていくのです。これが「認識の修正」の応用です。
修正法は、人それぞれ異なる
アンガーマネジメントの仕組みは大きく分けて「行動の修正」と「認識の修正」の二つです。どちらから始めないといけない、という決まりはありません。個々のケースに合わせて、両方を組み合わせながらアンガーマネジメントを行います。
ですが、初めてアンガーマネジメントを行う場合、市川さんの例にもあるように、まずは「短期の行動の修正」である「衝動のコントロール」を学ぶことをおすすめします。
このことで、とりあえずは、カッとなったときに、問題のある行動をとらないようにやりすごすことができます。根本的な解決にならなくとも、対処法としては有効なのです。
その上で、長期の行動の修正や、認識の修正に取り組んでもらうのです。ここまでのアンガーマネジメントの仕組みを図にまとめました(次図参照)。さて、その仕組みをわかっていただいたところで、次の第3章にいきましょう。
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