年収 2000万円になっても幸福度は上がらない
いい人生を送りたいと願いながら、「それができていない」と悩み、試行錯誤をくり返している人に共通するのは、最初から「今の自分ではダメだ」と決めつけてしまっていることです。
そして、「変わりたい」と言いながらも、具体的にどうなりたいのか明確なビジョンが見えていないことです。
自分が送りたい人生像を具体的に描けない人は、どうしてもその基準をお金に置こうとします。
「幸せ =お金持ちであること」という認識に留まってしまうのです。
「お金持ちになりたい」という願望を抱いている人は多くいますが、「ではどのくらいお金が欲しいですか?」と聞かれると、返答に窮してしまうことがよくあります。
「とにかくたくさん、使い切れないくらい欲しい」などと曖昧な答えしか出てきません。
かつて私は、「お金持ちになりたい」と話す数名の若者に、どうしてお金持ちになりたいのかと聞いたことがあります。
するとその多くが、「お金がたくさんあったほうが幸せだから」と答えました。私は思わず聞き返しました。
「お金があると、どうして幸せなのですか?」 この私の問いには、大きく分けて二つの答えが返ってきました。
「何でも欲しいものが買えるから」「働かなくてもすむから」 欲しいものが買えるお金があれば幸せだと考える人たちに、「では、欲しいものって何ですか?」と聞けば、最初のうちこそ「マンション」「外車」など出てくるのですが、すぐに言い尽くされてしまいます。
「プライベートジェット」などと答えてみても、それを使って実際にどこに行くのかといったら、具体的に答えは得られません。
本当は、心から欲しいものなどたいしてないのです。
働かないですむほどお金があれば幸せだと考える人たちに、「では、働く代わりに何がしたいのですか?」と聞くと、答えはさらに怪しくなってきます。
実際に、仕事をやめれば暇を持て余してしまうし、毎日、旅行やグルメに明け暮れていてもすぐに飽きてしまうかもしれないと思えてくるようです。
つまり、ほとんどの人が、曖昧なまま「お金が欲しい」という願望を抱いており、まるで「今の自分はお金がないからうまくいかないのだ」と思い込んでいるようなのです。そもそも、本当にお金は「あればあるほど幸せ」なのでしょうか。
かつて、大阪大学の筒井義郎教授が行ったアンケート調査では、非常に興味深いデータが公表されました。
それによると、世帯年収が 1500万円までは、収入が上がるに比例して幸福度も増えるが、それを超えると幸福度は増加しなくなるというのです。この理由は何なのでしょう。
年収 1500万円まで収入と幸福度が比例するのは、その段階まではお金の使い道が比較的見えやすいからではないでしょうか。
ベンツに乗りたい、高級住宅地に家を建てたい、上質なブランド品を身に着けたい、週に 2回は贅沢な外食をしたい、豪華客船で旅をしたいなど、具体的にイメージしやすいのです。
ところが、年収が 1500万円を超えた人の多くは、こういった望みをすでにかなえています。
何かを買いたい、贅沢をしたいというレベルを超え、今度は資産を減らさずどう守っていくかという不安が首をもたげてきます。
税金対策に神経をすり減らしたり、近づいてくる人が自分の財産を狙っているように思えることもあるでしょう。どうやら、収入がある一定以上になると、逆に幸せを感じにくくなるようです。
ゴールを「曖昧」にしないコツ
こうしたデータからもわかるように、漠然と「もっと ○ ○があれば幸せだろう」と考えるのは意味がないことです。
あなたが、「今の自分自身の状態は理想と異なっている」という不満を抱えているとしても、それは置かれた環境のせいではありません。
「給料が安いから」「美人じゃないから」「学歴が低いから」「妻の協力が得られないから」 どれもこれも見当違いです。「 ○ ○がない」から満足できないのではなく、どうなりたいかが具体的でないから充たされることがないのです。
そもそも、なんとなく「お金持ちになりたい」という願望を抱いているだけでは、具体的行動が伴わないため、お金持ちになることはありません。
さらに言うと、具体性のない願望を追い求める人は、他人よりずっと頑張って寝る間も惜しんで働き、たとえ年収が 4000万円になろうと 6000万円になろうと、満足することはできません。
「もっとないとまずいんじゃないか」という不安感に絶えず苛まれることになります。こんな状態を幸せだと言えないことは明らかです。
願望は具体的に描き、その願望の先にあるものまで見据えてこそ現実の形になっていきます。
大事なのは、何らかの願望を持ったら、それがかなったとき自分はどんな状況になるか、その状況で自分はどうしたいのかということを具体的に考えることです。
設計図がなければ建築物が完成しないように、満足のいく人生にも具体的な設計図が必要です。もちろん、設計図を書くためには、曖昧な表現は向いていないということはわかるでしょう。
「柱は多めに立てて」だの「頑張ってブロックたくさん積んで」だのと言っていたら、そのビルは完成して数年で崩壊してしまいます。あなたは、自分というビルを建て直したいと考えています。
どうせなら、大きくて立派なかっこいいビルにしたいと思っているのでしょう。それは大いに結構です。しかし、建ったはいいが、空室だらけの傾いたビルにしたくはないはずです。そのビルをどう活用し、メンテナンスしていきましょうか? 今日から一切の曖昧さを排除して、人生の設計図を書いていきましょう。
人との比較では真の幸福は得られない
国際的な調査機関であるギャラップが発表している、世界の国々の「幸福度ランキング」では、 1位デンマーク、 2位フィンランド、 3位ノルウェー、 4位スウェーデンと北欧諸国が上位を占めています。81位の日本をはじめ、物質的に豊かな国の人々があまり幸福感を得られないでいるのは、物質主義に傾きすぎているからでしょう。物質はいくらあっても「これでよし」という判断が下しにくいものです。
私は、かつてサハラマラソンを完走したとき、モロッコのホテルに泊まりました。ベッドはギシギシ鳴るし、虫も出るし、バスタブはなくシャワーのお湯はすぐすぐに冷たくなるようなホテルでした。日本の生活に慣れきっているいつもの私だったら、不満たらたらになるところです。
しかし、その夜は、過酷な砂漠での数日間から解放されたばかりだったので、天国のように思えました。ほかの日本人参加者も、「屋根がある」「ドアが閉まる」「水が出る」「電気がつく」といったことで、いちいち大喜びしていました。
私はこのとき、「幸せとは自分のとらえ方で決まるものだ」ということを、はっきりと理解しました。同じ環境でも幸せだと思う人もいれば、不幸せだと思う人もいます。せっかくの人生を与えられておきながら、わが身の不幸を嘆く人は多くいます。
日本という非常に恵まれた国に生まれながら、「あの人はもっとすごい」「せめてトップ 2割に入らなくてはダメだ」などと、人と比較しての不満を常に先行させます。逆に、人と比較して満足を感じようとする人もいます。
「彼と比べたら自分は優れている」「真ん中くらいだから OKだ」といった具合です。どちらも、自分軸で生きていないため、真の幸福感を得にくくなります。
ある大企業に同期で入社した二人の男性がいます。仮に A氏と B氏としましょう。今は 40代後半ですが、入社したときからウマが合って、よく飲みに行ったりしました。ところが、 30歳の声を聞いてからは、ほとんど交流がなくなりました。というのも、あまりにも生活環境が違ってしまったからです。
A氏は、学生時代からの彼女と 20代後半に結婚し、ローンでマンションを買いました。今は二人の子どもの学費がかさむ時期ですが、なんとかローン完済できそうです。そのことをとても幸せに思っています。今の望みは、もっと自分の時間をつくって英会話の勉強を始めたいということです。
一方、 B氏は、そんな A氏を見下すような発言をするようになりました。
「絵に描いたようなマイホームパパだな。つまらなくないのかよ」 B氏は結婚もしていないしマンションも持っていません。その分、自由になるお金は A氏よりもたくさんあります。英会話教室だって、行きたければいつでも行けます。
だから自分のほうが面白く生きていると思っています。これは、どちらがいいとか悪いとかいう問題ではありません。個人の価値観の相違はあっていいのです。
ただ、私が注目しているのは、 A氏は自分に幸せを感じているけれど、 B氏は A氏との対比で自分の人生を語っているということです。
そうしたやり方は、自分の人生と向き合うことを邪魔します。自分軸で人生をとらえることができず、いつも誰かとの比較に頼ることになります。だから、変わろうにもどう変わっていいかわからなくなります。
A氏は、今も幸せではあるけれど、現状を変えたくないわけではありません。英会話教室に通うことで自分を変えたいと思っています。人との比較ではなく自分軸で人生を見据えているから、具体的な道が見えています。
A氏はこれからもいろいろ変わっていくことができるでしょう。そして、幸福度の高い人生を送ることになるでしょう。
一方、 A氏との比較で満足感を得ている B氏は、大金持ちになった同級生 C氏や、研究が認められ有名になった D氏と比べると、一気に雲行きが怪しくなります。
「ダメだ。もっともっとだ」 しかし、目指しているところが自分軸でないため、とる行動も曖昧になるし、どこに着地したとしても、そこが本当に自分が望んでいたところだという満足感が得られません。自分の幸福度は、間違いなく自分が決めるということです。
「MORSの法則」で自分を動かす
「自分にとって何が幸せなのか」「どんな自分になりたいのか」ということが自分軸で具体的に描けていなければ、いつまでたっても不満ばかりが目につき、不幸感が募っていくだけです。ただ「幸せになりたい」と漠然と思うだけでは、永遠に幸せになれません。
曖昧な願望を口にする人ほど、ただ現状に不平不満を言い続けるだけで、それらを解決するための行動はとらずに終わります。もっと正確に言うなら、どういう行動をとればいいのかわからないのです。
行動科学マネジメント理論では、曖昧さは徹底して排除されます。
私たちは、自分でも気づかないところでとても曖昧な判断をし、それによって多くのロスを生んでいます。
たとえば、何か新しいことをやろうとするとき、「一生懸命やろう」「とにかく頑張ろう」といった思いで取り組むのはよくあることです。
しかし、「一生懸命」とか「頑張る」という言葉はかなり曖昧で、具体性がありません。だから、いくら自分に言い聞かせてみても、なかなか行動が伴わないのです。
真面目な性格で物事にきちんと向き合おうとする人ほど、このような曖昧な言葉で自分を焚きつけようとしがちなので、注意が必要です。
行動科学マネジメントでは、誰が聞いても同じように動ける言葉しか使いません。行動科学マネジメントが認める行動は、「 MORSの法則」という概念で定義づけられたものだけです。
「 MORSの法則」は、以下の四つの要素の頭文字をとってつけられました。
M = Measured(計測できる) O = Observable(観察できる) R = Reliable(信頼できる) S = Specific(明確化された) これらを充たした形でとるべき行動を示してあげたとき、はじめて人は「どう動いたらいいか」がわかります。
セルフマネジメントにおいても同様で、あなたは自分自身に具体的な指示を出してあげなくてはなりません。それをしないで「できない自分はダメだ」というのでは、あまりにも自分がかわいそうです。
「スタート」と「継続」は別の行動である
「目的をかなえる」ため、「なりたい自分になる」ためには、理想の行動を 1回だけとれればいいというものではありません。それを継続できてこそ可能になります。
たとえば、「怒りっぽい自分を変えたい」のなら、苛立ちそうなことが 10回あったうちの 8回は穏やかにやり過ごしたいと思うでしょう。
ところが、最初の 1回はそれができても、すぐにもとに戻ってしまい、自分に失望することになります。物事を始めるのは比較的簡単でも、続けることは難しいのです。
継続できない自分、何事も三日坊主になってしまう自分に嫌気が差した経験は誰にでもあると思います。始めた当初はできたのにだんだん続けられなくなってしまうのは、あなたに限ったことではありません。
それにしても、なぜ多くの人が、始めたことを続けられずに悩むのでしょうか。その最たる理由は、「始める」と「続ける」は別物であることです。二者はセットではないので、必ずしも両立しません。
だから、始めたことを続けられないというのは自然なことです。行動科学マネジメントでは、思うように結果につなげられない理由は二つしかないと考えています。
- 1 やり方がわからない
- 2 やり方はわかっているが継続の仕方がわからない
最初の理由である「やり方がわからない」とは、たとえば禁煙やダイエット、英語学習をどうやればいいかわからなければ、それらに成功することもできないということです。しかし、これだけの情報社会において、方法そのものはたいていの人はわかっています。
ダイエットなら、食事制限の方法も運動法もたくさんあります。それを知るために書店などに行かずとも、インターネットに情報は溢れています。だから、やり方そのものはすでにわかっていることが多いものです。
より問題になるのは、 2番目の「やり方はわかっているが継続の仕方がわからない」というものです。実は、多くの人が継続の仕方を知りません。
これまで、教師や親から何かの継続法を教わったことがあるという人のほうが少ないはずです。そういう環境で大人になったのだから、続けられないのは無理もないことです。
「続けられない自分は意志が弱い」のではなく、続けられないのは当然のことと考えてください。そして、だからこそ続ける仕組みを考える必要があるのです。
「すぐに結果が出る」ようにスタートする
「始める」ことに関して大事なのは、「ハードルを低くする」ということです。
たとえば、はじめて跳び箱に挑戦する人が、いきなり 8段を跳ぼうとしてもできるはずがありません。2段くらいが跳べるようになったら次は 3段、 4段と増やしていくことで、いつか 8段を跳ぶこともできるようになるでしょう。
健康のための運動習慣を身につけたいと考えたときに、「 1日 30分歩く」というものなら、今すぐにでも抵抗なく始められそうです。でも「 5キロ走る」としたらどうでしょう。「今日は寒い」「ちょっと風邪気味だ」などと、スタートを延ばし延ばしにしてしまうかもしれませんね。
また、「環境を整える」のも、始めるためには効果的です。かっこいいウェアや履き心地のいいシューズがあれば、少し運動してみようという気持ちにもなるでしょう。友人を誘って一緒にやるというのもいいかもしれません。
しかし、かっこいいウェアや履き心地のいいシューズを揃え、友人も巻き込み、 1日 30分歩くということにして、それでも、 1週間もしたらやめてしまう人もいます。
それは、「いい結果がなかなか得られない」からです。
運動するようになってすぐに体重が減ったり、血圧や中性脂肪などが理想的な数値になれば、俄然、続ける気になるでしょう。
しかし、現実にはそううまくはいきません。だから「もういいや」と投げ出してしまうのです。
第 1章で触れた「 ABCモデル」という概念を思い出してください。
「いい結果をすぐに得られる」とわかったときに、人は積極的にその行動を繰り返します。だから、運動したからといってすぐにいい結果が手にできないのであれば、自ら別のいい結果を用意してあげることで、行動を継続させていきましょう。つまり、行動をとれた自分にご褒美をあげるのです。
「達成感」という報酬があれば、人は自発的に行動する
行動科学マネジメントでは、いい結果がすぐに得られなくてもその行動を続けるために、「報酬」を用意することが多々あります。
ただし、高価なものではなくて、できれば金銭を伴わないもの。伴ったとしてもごく少額のものです。
たとえば、上司が部下に望ましい行動を繰り返してもらいたいときに用いるべき報酬は何でしょうか。高価なレストランでごちそうすることでも、昇給を匂わせることでもありません。
最も効果的な報酬は何かといったら、「褒めること」です。ここには 1銭の金銭も発生しません。
ただしセルフマネジメントの場合は、もう少し自由に考えていいでしょう。
「ダイエットが成功したら、憧れのホテルのプールに行こう」「英会話教室に 3か月通えたら、新しいスーツを買おう」 こうして、金銭が伴う報酬を自分に与えてあげて結構です。
何度も述べているように、「意志の力で継続しよう」などと考えるからつまずくのです。目の前にニンジンをぶら下げて自分を発奮させるという方法は悪くありません。
そして、とにかく続けているうちに、「自分はできている」という達成感を得られることが非常に大きな意味を持ちます。
上司が部下に与えられる最高の報酬は「褒めること」だと前述しました。
上司に褒められ、認められることで、「できているんだ」「自分は貢献しているんだ」という達成感が得られ、部下は望ましい行動を自発的に繰り返すようになります。
子どもたちの学習でも同様です。わからなかったことが理解できたという達成感によって、勉強好きな子どもが育ちます。同じことがセルフマネジメントにおいても言えます。
ニンジン目当てでいいから続けているうちに、それなりのいい結果が出ます。
そこで得た「できた」という達成感は、「また次のことも続けよう」と思える材料になります。つまり、達成感自体が強力な報酬となるということです。
ここまできたら、シメたものです。
とくにニンジンを用意しなくても「結果を出して、またあの達成感を味わいたい」と思えたら、何だって続けられるでしょう。
「やらなければ気持ち悪い」のが習慣化
以前、毎日 1時間の勉強を 365日欠かさずに続けているというビジネスマンに会ったことがあります。夜はどうしても不規則になるので、朝 5時から 6時までの 1時間を何かしらの勉強に費やしているというのです。
「よく、そんなことが続けられますね」 感心する私に、彼はこともなげに言いました。「いや、もうすっかり習慣になっているので、やらないでいると気持ち悪いんです」 彼いわく、毎朝の勉強は洗顔と同じようなものなのだそうです。
もちろん、そうなるまでは大変だったことでしょう。でも、どんなことでも習慣になってしまえば、苦もなく行動を継続できるということです。
たとえば、歯磨きの習慣を考えてみれば明らかです。幼い子どもにとって、歯磨きは面倒くさいものです。親から口うるさく「歯を磨きなさい」と言われて抵抗したり、渋々磨いていた頃を、あなたも覚えていることでしょう。
それにしても、なぜ多くの人が、始めたことを続けられずに悩むのでしょうか。
その最たる理由は、「始める」と「続ける」は別物であることです。二者はセットではないので、必ずしも両立しません。だから、始めたことを続けられないというのは自然なことです。
漠然と頭の中に何かを持ち続けることをやめるのです。
たとえば、あなたが会社の廊下で社長とすれ違い、「 3日の午後 4時半に、新商品パンフレットを 18通届けてくれ」と言われたとしましょう。
あなたは、自席に戻ってそれを手帳にメモするはずです。メモしてはじめてほっとすることができます。「とりあえず、今は忘れていていいや」と。
ところが、メモをとる前に上司がやってきて、明日のプレゼンについてあれこれ質問を始めたらどうでしょう。その質問には答えなければならないし、社長の命令内容は覚えておかなければならないし、結構ストレスが溜まります。
いろいろなことを、自分の頭の中に抱え込まず、見える化していきましょう。幸運にも、現代を生きる私たちは「道具」に恵まれています。便利なものは何でも活用して、ストレスから解放されましょう。
「チェックリスト」はセルフマネジメントにこそ有効
行動科学マネジメントで最も頻繁に活躍するツールは「チェックリスト」です。ペラ 1枚の簡単なものから、重層的にチェック項目が並ぶものまで、実に多様なチェックリストを使います。その目的は、仕事を確実にできるようにすることです。
たとえば、部下に仕事を教えるときは、一連の仕事を細かく行動分解し、一つひとつをチェックリストに落とし込みます。そして、その行動がとれたらチェックを入れていくということを、上司と部下が一緒にやっていきます。
これを繰り返しているうちに習慣化して、上司が言わなくても部下は正しくできるようになります。
新入社員に社会人としての基本マナーを身につけさせるときなども、チェックリストがあればずっと容易になります。
「もっときちんとしろ」だの「だらしなく見えるぞ」だのと、曖昧な注意をしているから新人には理解できないのです。
「服装」「髪型」「清潔感」など、大きな項目を設定してから、さらに細かい項目をチェックリストに出していきます。たとえば、服装については、「ズボンの折り目はついているか」「ネクタイの結び目は緩んでいないか」「靴は磨けているか」などなど。
清潔感なら、「爪は汚れていないか」「ふけは落ちていないか」「口臭はしないか」といった具合です。
こうした項目の一つひとつにチェックを入れながら身だしなみを整えているうちに、やがてそれらが習慣化し、上司が心配する必要はなくなります。
こうしたチェックリストは、セルフマネジメントにも大いに役立ちます。
健康についてきちんとマネジメントしたいなら、「食事」「運動」「睡眠」など大きな項目を立て、その中に「 3食きちんと食べた」「野菜を食べた」「ファストフードは食べなかった」とか、「 1駅分歩いた」「駅では階段を利用した」「腕立て伏せを 10回やった」など、自分で小項目をつくって書いていきます。
そして、それができたらチェックボックスにチェックを入れます。
このとき、「動作として自らチェックを書き入れる」ということが大事で、「頭の中でチェックした」ではダメなのです。
チェックリストに書き込むことで「今日もできた」という達成感を得ることができ、それが思いのほか継続の大きな力となります。
精神的な面や、周囲とのコミュニケーションについても、チェックリストでマネジメントしてみましょう。
「勝手な思い込みはしない」「イライラしたときは深呼吸」「朝、鏡の前で笑顔をつくる」「人に会ったらこちらから挨拶する」「過去の嫌な経験を思い出さない」 などなど、あなたが「こうありたい」と考えていることを、チェックリストに落とし込んでみましょう。
そして、できたらチェックを入れて、「よしよし、この調子」と喜んでください。
「便利なデジタルツール」を使いこなす
最近、あちこちで「ライフログ」という言葉を耳にするようになりました。
直訳すれば「人生の記録」であるライフログとは、インターネットサイトやアプリケーションを使って生活の記録をデジタルデータに残すというものです。
訪問したウェブサイトや位置情報などが記録事項の基本ですが、使用するアプリケーションによっては、睡眠時間や起床時間、移動先や移動した距離、食事、読書、睡眠といったものも記録できます。
私たち人間の記憶力には限界がありますから、大いに利用する価値があるでしょう。こうしたサイトやアプリを用いて記録を行うと、過去のデータと簡単に比較することもできます。
ある行動の頻度を見たり、グラフ化することも可能になります。
また、内容をウェブ上に保存することで、パソコン、スマートフォン、携帯電話、モバイルといったあらゆる媒体から接続できるので、時間や場所を選ばずに記録や閲覧ができます。
ライフログの内容は、好みに応じていかようにも決められます。何時に起き、朝食に何を食べ、目的地までどの交通機関を使ったか。
その日の仕事の内容や会った人、飲食した店などをすべて事細かに記録してもいいですし、もっとポイントを絞って記録してもかまいません。
ライフログのためのツールはいくつかありますが、「 Evernote」を用いると効率よく行えます。「 Evernote」はウェブ上にメモや写真などを保存しておき、いつでも閲覧できるクラウドサービス。言わば自由に使えるデジタルなノートです。
期間は無制限で、日々の記録以外にも名刺のスキャンや整理、好みのウェブサイトの保存など多数の用途があります。
この「 Evernote」への記録をさらに快適に行うために、私は iPhoneアプリケーションの一つである「 iライフログ」を活用しています。
「 iライフログ」は、「 Evernote」と完全に連動でき、データをすべて「 Evernote」に送ってくれます。
記録内容の編集も「 Evernote」で行うより格段にラクで、変更した内容はそのまま「 Evernote」に送られるのでとても便利です。
資格試験にチャレンジしたり語学を勉強したりという人には、「スタディプラス」という SNSが利用する価値があります。
これは、自分が使用した教材、内容、時間などを記録し、 twitterと同様のタイムラインで共有することができるものです。
仲間から励ましや刺激を得られ、楽しく勉強を続けられるサービスです。いい行動を継続するには、「感謝」や「称賛」といった報酬が不可欠です。
デジタルツールを上手に使うことで、自分の環境に感謝したり、ほかの人から褒めてもらったりして、いい行動を長く楽しみながら続けていきましょう。
もちろん、これらのツールを取り入れなければいけないというわけではありません。便利なものはとりあえず活用し、「いい行動をラクに継続できれば儲けもの」といった気軽なスタンスで使ってみましょう。
※「 Evernote」 テキストファイル、メール、写真、音声ノートなどをすべて保存でき、検索で探せるアプリ。名刺や請求伝票などを写真で撮影して保存しておいても検索できるのが便利です。容量によって、無料版と有料版があります。
※「 iライフログ」「 Evernote」にライフログを残すためのアプリ。様々なカテゴリーのアイコンを使って、写真やメモとともにログを残すことができます。
※「スタディプラス」 資格取得や受験に向けた勉強を応援するアプリ。勉強時間やボリュームをはかって記録すると進捗状況がグラフになり、同じ目標を目指す人とつながる SNS機能もついています。無料でダウンロードできます。
ライフログで「できる自分」を実感する
私がとくにおすすめしたいのは、「今日あったよかったこと」をライフログに三つ記録し、それによって達成感を得るというものです。
デジタルなデータに残すことがかえって億劫に感じられたり、手書きのほうが好きだという人は、ノートを 1冊用意し、そこに記録していってもいいでしょう。
手書きでもいいとなると、「日記とどう違うのか」という疑問がわくかもしれません。日記と違う点は、よかったことにのみ着目して記録するということです。
ここに大きなポイントがあります。
毎晩寝る前に 1日を振り返り、よかったことを三つ探してみましょう。それによって、「いいことが三つもあった 1日」を毎日終えることができます。
「取引先の S社との交渉がうまくいった」「久々に友人 Tと会って楽しい時間を過ごした」「探していた古本が見つかった」 どんなレベルのどんな内容でもかまいません。
自分があとで見返してわかるように、頑張った仕事の内容、会った人の名前、本のタイトルなどは具体的に記録します。自分のための記録ですから、「立派な内容にしなければ」と思う必要はありません。
大きなことでなくていいので、三つよかったことを探してみましょう。どう思い出しても、とくにこれといっていいことがなかった場合は、当たり前と思えるようなことでも OKです。
「1日 3食、食べることができた」「電車が時刻通り動いた」「忘れ物をしなかった」 くだらないことだと思わないでください。こんな小さなことだって、充分に自分への報酬とすることができるのです。私たちの人生は、今日という日々の積み重ねです。
「今日もつらかったけれど、すべては将来のためだ」というのでは、いくら頑張っていてもいい人生にはつながりません。いい 1日が積み重なれば、それは間違いなくいい人生です。
だから、「今日もいい 1日だった」と感じることは、非常に重要なことです。
そのとき、「いい 1日だったと思おう」ではどうにも曖昧で実行しにくいですが、「なぜいい 1日だったのか」を具体的に挙げるようにすると明確に実感できます。
それによって、ネガティブな認知のゆがみに陥ることも少なくなります。また、出来事や行動のいい部分を意識できるようになるので、さらなる成果に向けて積極的に動けるようになります。
精神的な効果とともに、有益な行動が増える実利的効果が非常に大きいのです。
「サンキューカード」で人間関係のストレスをなくす
さて、ここで一度、基本に立ち返りましょう。あなたが「自分を変えたい」と思うのはなぜでしょうか? 仕事でもっと成果を出したい、時間を有効に使えるようになりたい、ダイエットに成功したい、英語がすらすら話せるようになりたい……。
「なりたい自分」の姿はいろいろあると思いますが、その根本には「自分という人間の価値を自分自身が認めたい」という願望が存在するのではないでしょうか。
だとしたら、自分を価値ある人間だと実感できる場面をたくさんつくってあげることは、人生にとってとても有益なはずです。
なかでも、周囲から感謝をもらうことは、自分の価値を実感するのに最もいい方法です。そんな機会を自ら増やしていきましょう。
行動科学マネジメントの重要なツールに「サンキューカード」があります。サンキューカードは、その名のとおり「感謝」の気持ちをしたためるカードです。感謝されて嬉しい気持ちにならない人はいません。誰かを嬉しい気持ちにさせることができたなら、それだけであなたは素晴らしい存在です。
また、あなたが誰かにサンキューカードを手渡すことをしていたら、あなたも誰かからそれを受け取ることができるでしょう。サンキューカードは大げさなものでなく、どんな紙を使ってもかまいません。
ただ、簡単に書けることと、短い文章ですませられることが大事なので、持ち運びに便利な名刺サイズくらいのものがおすすめです。
それをいつもポケットに入れておき、小さな感謝のネタがあったらすかさず書いて、相手に手渡すかデスクに置くかします。
「今日はいろいろ教えてくださりありがとうございました。とても助かりました」 このくらい簡素な文面でも、もらったほうは充分に嬉しい気持ちになります。
ある大型書店では、サンキューカードを導入することで、社内コミュニケーションが見違えるほどよくなりました。その書店では、チームごとに担当するフロアがはっきり分けられていました。
そのため、お互いにフォローし合う土壌がなく、普段から職場にギスギスした空気が流れていました。繁忙期にも手を貸し合わない状況に危機感を感じた経営陣が出した指令が、「全員、毎日 1枚、サンキューカードを書くこと」というものでした。
従業員同士、誰でもいいから感謝の気持ちを書いたカードを最低 1枚渡すことを義務づけたのです。となると、何か感謝のネタを探さなくてはなりません。
同じチーム内では限界がありますから、自ずと違うチームの人たちとも交流を持つようになりました。
「Mさんは忙しい中、いつも積極的に電話をとってくれます」 「3階の新人 Kさんの挨拶が気持ちいい」「料理本コーナーの陳列が素敵で勉強になりました」 こうやって無理にでも感謝のネタを探しているうちに、お互いに対する理解が深まり、それまでとは職場の雰囲気がまったく変わったといいます。
最初は表面上のいいところ探しをしていたら、本当にいいところが見えてきたというわけです。私たちのストレスの 8割は、人間関係に原因があるとされています。みんな「誰かの存在が気に入らない」のです。
しかし、本当に憎たらしい人などほとんどいません。たいていは認知のゆがみが「嫌いだ」と思わせているだけです。サンキューカードで、そういう状況から抜け出しましょう。そして自分も感謝をもらって嬉しい気持ちになりましょう。
「サンキューカードなんて、そんなちっぽけなもので何が変わるんだ?」と疑問を持つなら、とにかくやってみてください。何もせずに批判だけしているうちは、自分を変えることなどできません。
「実況中継」で意識を現実に戻す
一昔前までだったら、「私は日常的にメディテーションしている」などと言おうものなら「変な人」と思われたことでしょう。
メディテーションは、宗教的意味合い意味合いが強く、特別な人たちが行うものと見なされていました。しかし、今や心を整え自分と対話する知的な行為と理解されるようになりました。
身体一つあればどこでもできるメディテーションは、ストレスフルな社会に生きるあなたを支える最強のツールとなり得ます。
一般的には座禅スタイルを思い浮かべる人が多いかもしれませんが、必ずしもじっと座って行う必要はありません。要は「今ここにある自分」を意識することですから、歩きながらでも、仕事をしながらでも実行可能です。
私の場合、ランニングをしているときがメディテーションタイムです。何も難しく考えることはありません。
ただ目を閉じて意識を「現実」「今」に向けるだけでも、ささくれだった気持ちがすーっと落ち着いていきます。
「目を閉じても、いろいろ過去や未来のことばかり考えてしまう」というなら、テーラワーダ仏教の重鎮、アルボムッレ・スマナサーラ氏が提唱している「自分の行動を実況中継する」という方法を試してはいかがでしょう。
テーラワーダ教では、自分が今やっていることに全神経を向け実況中継するメソッドを取り入れており、認知行動療法やマインドフルネスの見地からも、非常に有効なこととされています。
それは、「今自分が行っていることを一つひとつ言葉にして頭の中で確認する」というシンプルなものです。自らの行動をあたかも読み上げるように自覚することで、過去や未来に意識を向けず、今だけに集中する効果があります。
たとえばご飯を食べているとき。
「箸を右手に取りました。茶碗に左手を伸ばしました。茶碗を持ち上げました。箸でご飯を掴み上げました。ご飯を口に運びました。口に入れました。噛んでいます。飲み込みました」 このように、自分の行動をひたすら客観的に見つめます。仕事中、不安を感じたり、イライラが募ったときなども、この手法で「現実」「今」に意識を戻すことができます。
「パソコンに向かっています。右手が動きました。キーボードを引き寄せました……」「コピー機のカバーを開けました、書類を置きました、蓋を閉じました……」 頭の中で中継することで現在の自分の心身に意識が戻り、過去への後悔や未来への心配を排除できます。
結果的に、今やらなければならないことに集中しやすくなり、いい仕事ができるのです。
「明日レポートを提出しなければならない。できなかったらどうしよう。ああ嫌だ」などと思うことはよくありますが、客観的に見ればそれは明日のことです。
今この時点でやるべきなのは、そのレポートの一字一字を書くことです。
「今やらなければならないことが明らかなのに動けない」という心理状況において、実況中継は現実感覚を取り戻すためにとても役立ちます。
「結局、やらなければならないのは現在目の前にあることだけだ」と自覚することは、健全な気持ちで行動を続けていくためにも非常に重要なのです。
大きすぎるものは分けて考える
デジタル社会になって情勢は様変わりしましたが、私が幼い頃は多くの家に百科事典がありました。我が家にも、 1巻 800ページほどの分厚いものが、 12巻ほどセットになって、本棚に鎮座していました。
しかし、多くの家庭では、飾ってあるだけで実際に読まれることはあまりありませんでした。今思えばもったいないことです。もし、子どもの頃にあの百科事典を読破していたら、今よりはるかに物知りになっていたことでしょう。
ところが、私のような多数派を尻目に、ごくまれに「子どもの頃に百科事典を隅から隅まで読んだ」という経験を持っている人がいます。「広辞苑を全部読んだ」という人もいます。
これから新しい勉強を始めようという人、何か大きな仕事にチャレンジしようという人には、百科事典や広辞苑を読破した人たちのメソッドは役に立つかもしれません。
それは、「最初から小分けにする」というものです。目の前にある「やらなければならないこと」の分量が膨大だと、それを見ただけで私たちは大きなストレスを感じることになります。「うわ、こんなにあるのか、ウンザリ」 その気持ちが、行動にストップをかけます。
なんとか気を取り直して行動してみても、全体からしたらほとんど進んでいないように思えてしまいます。
「これ、いつまでたっても終わらないよ」 毎日頑張ってやっているのに、ゴールが見えないことでストレスまみれになっていきます。そして、だんだんと嫌になってやめてしまいます。
こうしたケースでは、「最初から小さく分解して、その日にやる分しか見ない」という方法をとると、無用なストレスから解放されます。
百科事典や広辞苑を読破できた人に共通していたのは、「一度に読み進めるページを最初から決めて区切っておく」というものです。800ページで 12巻あれば、合計 9600ページです。
それを「全部読もう」と考えたら、なかなか取りかかることができません。では、「 1日 10ページ」と決めたらどうでしょう。それは簡単なことです。
そして、 1日 10ページ読んだら、毎日達成感を味わうことができます。これを 960回繰り返すと、いつのまにか 9600ページの百科事典は読破できることになります。
たまにさぼる日があっても、 3年足らずで終了です。膨大な「やらなければならないこと」を全部見て、「まだまだだ」とストレスにするのはやめましょう。小さく区切ってやっつけて、そのたびに達成感を味わったほうがはるかに得策です。
「100かゼロか」ではない
「行動科学マネジメントでは曖昧さを徹底して排除する」ということを、たびたび述べてきました。ただし、それは「 100かゼロか」ということではありません。この「 100かゼロか」という思考は、一見明確なようでいて、実は根拠のない曖昧な概念です。
実際には「 23」だったり「 74」だったりするわけで、その数値を明確にすることが大事なのです。「白黒つける」も同様に NGです。
物事はいつも真っ白や真っ黒ではなく、限りなく白に近い薄いグレーだったり真っ黒と見紛うばかりの濃いグレーだったり、その中間だったりして当然なのです。
ここを理解しておかないと、認知をゆがめることになります。あなたが行動して手にした結果は 100でもゼロでもありません。真っ白でも真っ黒でもありません。できたこととできなかったことがあるはずです。
やたらと大きな目標を掲げたり、今の自分を否定しがちな人は、「 100でなければ意味がない」と考えがちです。
しかし、どんな人にも「パーフェクト」は不可能です。一度はできても、それを継続することは不可能です。
だから、「 100を求める」思考は、自分に強いストレスを与え続けることになります。もっと自分を許しましょう。もっと自分を褒めましょう。
「 23」でも「 74」でも充分に成果が出ているのです。その数値をきちんと見据えて評価しましょう。
「23まできたってことは、あと 77必要なんだな」 これが事実です。それを認識すればいいだけのことです。それをしないで「全然足りていない」とか「もう少しで届くのに」といった曖昧な感想を抱いているから、いつもモヤモヤするのです。
累積を計測して評価する
あなたは自分が行動した結果について、「成功か失敗か」ではなく、「六つできたけれど四つはできなかった」というように、事実に基づいた正確な認識をすればそれでいいのです。
ところが多くの人が「六つできたけれど四つはできなかった」という評価こそ曖昧だと考えます。「だから、それは成功したのか失敗だったのか、どっちなんだ」とすぐに問うのです。
さて、「六つできたけれど四つはできなかった」というのは、成功なんでしょうか失敗なんでしょうか。少なくとも「成功に向かっている」ことはたしかです。
自分のパフォーマンスを評価するときに大事なのは、点ではなく線で行うということです。つまり、ある一時点の出来不出来だけを見るのではなく、一定期間の累積を計測して評価を行うことが最も重要なのです。
そうしなければ本当の成果はわかりません。営業の現場では、従業員がとってきた契約数を棒グラフなどにして掲示することがよく行われます。成果を目に見える形にして、従業員同士競わせ発奮させる目的があるのでしょう。
では、その棒グラフからは何がわかるかと言えば、たとえば「 Z君の先月の契約が 30件で、今月は 18件である」といったことだけです。
ところが、ここで多くの人が数字のとらえ方を誤ってしまいます。
「Z君は、今月は先月の約半分しか契約をとれなかった」 だから Z君は落ち目になっているか、やる気を失っているかに違いないというマイナスの評価をします。
しかし、先月より今月のほうがいいか悪いかという比較は、一面的であまり意味がありません。
行動科学マネジメントでは、評価は累積で行うべきだと考えています。
「先月が 30件で今月が 18件だから、 2か月で累積 48件もの契約に成功した」 これが、事実に基づいた評価であり、本人のいい行動を継続させる評価なのです。
この手法は営業成績に限ったことではなく、あらゆる評価の際に役立ちます。
とくに自己評価を行うときには必須と言えます。
もし、半年前にできたことが 8個、 3か月前にできたことが 5個、今月できたことが 3個あったとしたら、あなたは自分をどう評価しますか?「自分はできることが減ってきている」「成長のスピードが遅くなっている」といった評価をして、自信を失ってしまうのではありませんか? しかし、それは事実ではありません。
正しい評価は、「自分はできることを少しずつ増やせている」ということです。このように累積で考えれば、誰もが一日一日成長しているのだということがわかるでしょう。
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