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第一五章 コンフオートゾーンを広げなさい

目次

★「これで十分だ!」

何年も前に、ダイアンと私は二人のカトリックの修道女をオレゴン州ポートランドで開かれるセミナーに案内したことがあります。

一人はシアトル大学の哲学の教授で、 一人はアラスカにある学校の校長、 一人は近隣のワシントン州ベルビューの小学校で二年生を教えていました。

思い出すのは、その小学校の先生が決して空腹を訴えなかったことです。彼女は私たちと一緒にどんな良いレストランにも入ろうとしませんでした。

「いえ、けっこうです。あとでサンドイツチでも食べますから」と彼女は言ったものです。

セミナー三日目の土曜日、ダイアンは二人の修道女を、ポートランドの雰囲気の良い一区画へ流行の店のウィンドウショツピングに連れていきました。

二人はある凝った装飾の店の前で足を止めてしばらく眺め、それから中へ入ろうとしました。

しかし、小学校の先生が「いいえ、私には時間がありません。ホテルヘ戻らないと」と言ったので、みんなで引き返しました。

ホテルヘ戻ると、ダイアンは彼女に「あのすてきなお店に一緒に入ろうとしなかったのはなぜなんです? レストランで食事をしなかったのは?」とたずねました。

その女性は何と答えたと思いますか?「私にはすばらしすぎたからです。私はああいう場所には似合いません。私は高価な料理を食べる必要はないし、ああいう服を着る必要もないんです」

私たちは環境上のコンフオートゾーンに踏みとどまっているとき、十分でない、あるいは良好すぎると思う状況にあえて身を置こうとはしません。

潜在意識下で制限区域をつくり出し― ‐「自分にはこれで十分だ」― ,そこから出ることはありません。

POINT

自分の考え方が自分に制限を課す。その制限から外れたところで考えることを学ばなければならない。

★自分にとって十分とは

あなたはどんな場所でどんなときに場違いな感じを持ちますか? どんな人と一緒にいるときに? どんなビジネスの場で? どんな社会活動をしているときに? あなたのコンフオートゾーンは、セルフトークでつくり出した信念により支配されています。

「自分はいつまでも貧乏だ」と思い込んでいたら、もっと高みにいる自分を思い描く方法を学ばないかぎり、おそらくずっと貧乏のままでしょう。

「いや、いつまでも貧乏じゃない。頑張り抜いてみせる」とあなたは言うかもしれません。どうぞやってみてください― ‐成功する可能性もありますが、ストレスがもとで死ぬ可能性もあります。

その一方で、誕生日プレゼントを開けるのを心待ちにする子どものように、変化を期待して待つこともできます。そのほうが、苦しい状況に追い込まれて耐え抜くとか、緊張に襲われるのをただ待つよりはいいでしょう。

想像力、視覚化、アファメーションを使うことで、新たな状況がどう見えるかのイメージを、実際にその場面になる前に頭の中でつくり出すことができます。

自分自身に何を期待するかを明確に知ることは役に立ちます。そこで、「何が自分にとって十分なのか?」という問いかけをしてみましよう。

これは日々の生活のあらゆる側面にあてはまります― 感情面にも、肉体面にも、道徳面にも、教育面にも、金銭面にも。

たとえば、販売手数料で毎月平均三〇〇〇ドルの収入があるとき、なぜ六〇〇〇ドル稼げないのでしょうか。

それは実際に毎月六〇〇〇ドル稼ぐことが不可能なわけではなく、頭の中のイメージとして、自分にとって十分な範囲を無理に超えようとすることだと感じているだけなのです。

あなたはこう拒絶するでしよう。

「わざわざストレスを抱えたくないよ。それに、もっと家族と一緒に過ごしたいんだ」ほかの人たちはそう考えていないと思いますか?「気晴らしをする自由な時間がもっと欲しいんだ」。

ほかの人たちはそう考えていないと思いますか?「自分の健康が心配なんだ」ほかの人たちはそう考えていないと思いますか? コンフオートゾーンにとどまるためなら、人はこんなにも創造的になれるものなのです。

自分が月二〇〇〇ドル稼ぐ人間だと思っているとき、六〇〇〇ドル稼ごうと努力すればストレスが生じます。

でも、月六〇〇〇ドルの水準が自分のあるべき姿だと信じれば、あなたのシステムは毎月それだけ稼ごうという意欲を生み出してくれるでしょう― ―ごく自然に、苦もなく、流れるように、ストレスなしに。

だからあなたは、頭の中にある自分にとって十分と思うものを変えていくだけで、コンフオートゾーンを広げ、ストレスを取り除くことができます。

POINT

ストレスを感じるのは、自分はこうでないとわかっているものになろうとするとき、つまり、自己イメージを越えようと努力している時だけである。

★環境上のコンフオートゾーン

内面のコンフオートゾーンは私たちの感情を統制して、安心か心配か、有能か無能か、うれしいか悲しいか、優しいか冷たいか、失望か満足か、弱気か強気か、誇らしいか恥ずかしいか、積極的か消極的か、賢いか愚かか、寛容か狭量かといったように、私たちの感覚をどちらかに振り分けます。

感情的、倫理的、精神的に何が自分にとって十分かを明らかにすることで、コンフオートゾーンは私たちの内面における現実をコントロールしています。

しかし私たちは、外の物事がどうあるべきかも明確に定めています。

周囲の環境があるべき姿についての考えを持っています― ‐住むとしたら都会がいいか田舎がいいか、海辺がいいか山がいいか、砂漠がいいか熱帯雨林がいいか、といったように。どんなアパートや家がいいかもわかっています。

買い物をする店、運転する車、住む地域、携わる仕事についても、こうするのがいいという意見を持っています。

環境上のコンフォートゾーンに良い悪いはありません。

でも、ひとたびそのイメージが頭の中でつくられると、場違いに感じたときはいつも緊張が生じます。

しばらく家を離れて遠くへ行ったとき、「ホームシックになっている」と思ったことはありませんか? そんなときはおそらく創造性を大いに発揮して、その場を去る理由を見つけようとしたはずです。

たとえそのリゾート地なり第二のわが家なりが、もっと綺麗で、もっと楽しく、もっとリラックスできる場所だったとしても、あなたは自分のいるべき場所へ帰らずにはいられなかったでしょう。

環境上のコンフオートゾーンから外へ出ると、緊張が襲って元のいるべき場所へ戻そうとしますが、もしそのとき、戻ることができない状態だったらどうなるでしょう? 潜在意識は慣れ親しんだ状況にとどまるように促します。

否定的なストレスを和らげるために、なじみの環境を再現させようとするのです。

オランダ人がオランダを離れたとき、イギリス人がイギリスを離れたとき、フランス人がフランスを離れたとき、彼らが向かったのはアメリカでした。

そこは自分たちの環境上のコンフォートゾーンからはかけ離れた土地です。彼らはどうしたでしょうか。自分たちの故郷のイメージをそこに再現しました。

それでニューホランド、ニューイングランド、ニューハンプシャー、ニューヨーク、ニューオーリンズができたのです。

「ここには自分と似た人間がいない」などの、ネガティブな緊張のフィードバックがとても強力だったので、彼らはもっと居心地をよくするために、家、店、道路をはじめ、あらゆる文化を再現する必要に迫られました。

マイアミのリトルハバナを見てください。

母国から逃れてフロリダヘ渡った反カストロ派のキューバ人たちは、マイアミに集まってキューバを再現したのです。

彼らは「ここではスペイン語が話されています」という看板を掲げました。道路の名前はハバナの道路と同じものに変えました。キューバ料理を食べ、キューバ音楽を演奏し、キューバ産の物品を売りました。わかりますか? これが慣れ親しんだものと暮らすということです。

場違いな感じを持ったとき、人は自分がいるべき場所へ戻るか、でなければ物事があるべき状態をその場で再現しようとするのです。

環境上のコンフオートゾーンは、何であれ新しいものに適応するときに役立ちます。しかしまた、精神的な牢獄となって、潜在能力を封じ込めてしまうこともありえます。

なじみの世界から思い切って遠くまで出ていき、新しい世界を経験するのを妨げるかもしれません。

新しい言語、新しい食べ物、新しい伝統文化、あるいは人種や肌の色や信条が異なる人々のことを探究しようとするのを思いとどまらせるかもしれません。

たとえば、アメリカ軍は、この環境上のコンフオートゾーンのコンセプトを理解しています。

ドイツや韓国、その他どの国にある米国陸軍の兵合も、アメリカ国内にある米国陸軍の兵舎と同じ外見をしています。

部隊を新たな環境へ移動させるときは、その部隊のコンフォートゾーンごと移動させるということを軍はわかっているのです。

フオートデイクスやフォートブラッグやフォートキヤンベルにあるような兵舎を再現すれば、新たなコンフォートゾーンに順応するときのストレスが大幅に軽減できます。

そして駐屯地の売店でアメリカの製品を売り、ハンバーガーやホットドッグやビーンズを供給し、アメリカの映画や新聞や雑誌を提供します。

兵士たちの多くは、めったに兵舎から出ることはありません。

外へ出たときは、まったく同じような姿の者同士で群れをなして移動し、そんなに遠くまで行かず、急いで帰ってきます。

彼らは「外は敵だらけだ― なにしろ、あいつらは英語さえしゃべらないんだ!」と言い合っています。

コンフオートゾーンを広げることを恐れているのです。

こうした理由で、私たちは高校時代の古い友人といつまでもくっついていたり、故郷を離れようとしなかったり、いつも同じ音楽ばかり聴いたり、休暇のときに毎度毎度同じ場所へ来てしまったりします。慣れ親しんだものと暮らしているわけです。

でも、潜在能力を十分に発揮して、もっと優秀になり、さらなる成功を収め、より変化に富んだ生活を送ることを望むなら、物事がこうあるべきというイメージを絶えず変化させていかなければなりません。

同じ家に四十年間住み続けた高齢者が、突然保養所に入れられたらどうなるでしようか。

当人にとっては悲劇的なほどにつらいことです。

なじみのものは何一つなく、コンフオートゾーンから外れていることを感じても戻る方法はないのです。新たな環境上の現実がもたらすストレスは、文字どおり当人を殺しかねません。

無能なリーダーは、人々がなぜ変化と成長に抗うのか理解できていないので、成長しない原因は人々にあるとして非難します。

★コンフオートゾーンを変えなさい

では、どうしたらコンフオートゾーンを変えられるのでしょうか。これは、実際の場面に遭遇する前に、新たなイメージを潜在意識に刷り込めるかどうかの問題です。

新たな状況が現実の一部となる前に、その状況の中にいる自分を思い浮かべてみてください。

将来の大きな目標のすべてにおいて、実際に目標を追いかける前に、潜在意識のレベルで変化する方法を学びましょう。

それができれば、あなたはもう以前の環境でお決まりの生活をして、なじみのものとだけ過ごしていることには満足できなくなるでしょう。

それでいて、緊張や苛立ち、不安や気分の悪さを感じることはありません。頑張り通さなくても″気楽に″やることができます。なぜなら、″安全かつ意図的に″自分をコンフォートゾーンから外に出す方法は学ぶことができるからです。

思い切って自分のコンフオートゾーンから足を踏み出すと、それが刺激となって、矛盾を解消し、新たな目標を成し遂げ、コンフオートゾーンを広げ、成長しようとする創造的な緊張とエネルギーがあなたのシステムの中に生まれます。

意図的に自分自身をコンフオートゾーンから外に出す行為は、「冒険」と呼ばれます。

冒険をすれば、日々の生活にとても多くの好ましい変化を生み出すことができるので、これからは冒険こそがあなたにとっての物事のあるべき姿になるでしよう。

★自分がいるべき場所はどこか?

あなたのコンフオートゾーンを囲んでいる壁は、あなたの家の壁と同じくらい現実的なものです。そこを自分から突き破ろうとすることはないので、この壁は潜在能力の活用を制限しています。

これは内部の問題で、外部の問題ではありません。内面が変化するにつれ、外の世界は広がっていきます。内面で考えていることの質と量は、日々の生活ではっきりと外に現れます。外の世界を変えたいなら、内面を変えるようにしましょう。

個人的な目標を定め、それを肯定し、セルフトークをコントロールし、態度を変えることで、内面の質も変わっていきます。そうすれば、外側の生活もより良いものになっていくでしょう。

私にもまだコンフオートゾーンがあります。

「ロシアに行ってみたらどう?」と聞かれたら、そうしない口実を百個は思いつくでしょう。

「ここでビジネスをしてみたら? あそこへ行ってみたら? あれをやってみたら?」。これは日実というより、きちんとした理由のある問題だと私は思います。

しかし私たちは、本当の理由と潜在意識下で障害になっている幻想との違いは知っておかなくてはなりません。そうでないと、日の前の問題に恐れをなしてしまうでしよう。

自分自身に正直でなければ― ‐自分が何を怖がっているか、どこへ行くと冷や汗が出るか、なぜパーティーに行かないか、なぜ投資をしないか、なぜ成長しないか、なぜ試してみないか、といったことに正面から向き合わなければ― ‐多くの成長は望めません。ですから、自分の感情や恐れをとらえて、それと向き合うことを学びましょう。

私を押しとどめるのは自分自身のコンフオートゾーンだけではなく、 一緒に暮らし働く人たちのコンフオートゾーンでもあるということを私は知っています。

私の周囲の人たちが発展的な、あるいは費用のかかるアイディアに怖じ気づいたとき、彼らは私にとっての障害となります。

自分のコンフオートゾーンの外にあるからというだけで、私の行きたい場所へついてこようとしない相手とは、 一緒にやっていくことはできません。人は自分がいるべき場所についての内なるイメージを持っています。

たとえば、空港や映画館や野球場で公衆トイレを使う必要があるときは、自分がどちらの側に入るべきかわかっています。

正しい側のトイレに入れば、緊張することもなく十分にリラックスして、潜在能力を活用できるでしょう。でも、反対側のトイレに入って潜在能力を活用しようとしてみてください。

必要性があり、欲求もあり、やり方もわかっていて、実行する能力もあるのに、間違つたトイレに入ると潜在能力を活用しにくいことがわかるでしょう。

コンフオートゾーンの中にいないからです。

人と交わりを持ったり一緒に仕事をしたりしようとするとき、相手の人種、宗教、国籍、業界が自分と異なると、あるいは性別が異なるだけでも、間違つたトイレに入ってしまったように感じるかもしれません。

人は特定の他者を閉め出すために、クラブや交友仲間といったような環境に加わったり、そういう環境をつくり出したりする傾向があります。

自分と同じ宗教、肌の色、職業、収入、コンフォートゾーンを持っている人たちで自分の周りを固めようとするのです。

今日の世界では、さまざまな国、人種、宗教の人々と一緒にいることに慣れなくてはいけません。

私たちは違いがあるというよりも、むしろ自分で他者との距離をつくり出してしまっているようなところがあります。

しかし世界は変化しており、あなたもそれに合わせて成長していかなければなりません。やがてあなたやあなたの子どもたち、あなたの会社や組織にとって、世界が境界線のないものに変わるまで。

境界線とは、あなたの頭の中や、あなたと一緒に働く人たちの頭の中にある固定されたコンフオートゾーンのことです。

しかし建設的な想像力を使えば、この境界は広げられます。あなたは今いる場所を抜け出して、次のレベル、次の環境、次の冒険へ進むことができます。

まずは頭の中で、それから実際に体を使って、その目的地まで安全に移動することができるのです。

しかし、想像力と先を見通す力を使って自分のコンフオートゾーンや自分のいるべき場所についての考えを押し広げれば、あきらめ引き返させようとする否定的なフィードバックを生むことなしに、かつて行ったことのない場所へ安全にたどり着く方法を学ぶことができます。不意の変化に驚かされ、急に慣れない状況に放り込まれると、人の思考は否定的な相乗効果をあふれるほど生み出す源になります。

あなたはうまくいかないという理由を十個思いつきます。

そしてその考えを、同じように十個の独自の考えを持つ人たちと共有すれば、たちまちその活動を中止すべきだという考えが千個集まります。

「君はどう思う?」、「私もそう。私もそう。私もそう」運動競技の「ホームの有利」とはどんなものでしょうか。

本拠地を離れて移動している選手たちは、臆病なわけではありません。環境が異なるのです。そのせいで遠征中の選手たちは効果的に考えることができません。選手たちは間違ったプレーを指示してしまいます。作戦を忘れてしまいます。堅くなってしまいます。

ボールを落としてしまいます。余裕で入るキックを外してしまいます。間抜けなことをしてしまいます。

遠征に出ているようなときは、耐え抜きながら、自分のシステムを押さえ込み、無理にでも前へ進むようにして、 一時しのぎの結果を出すよう努力するという手もあるかもしれません。

しかしほどなく、あなたは逃げ出して引き返すべきだという理由を見つけるでしよう。あの地域には移りたくない、あの学校には行きたくない、このビジネスは試したくないというように。

想像力を正しく使わないと、どんな冒険も危険な取引になるのです。

★コンフオートゾーンを超えて成長する

想像の中で自分をコンフオートゾーンから引っ張り出し、自分にとって自然でない状況の中へ連れていってみると、実際に自分がその場にいるのと同じようなフィードバックが得られます。

あなたがコンフオートゾーンから外に出ると、 一定のシグナルがそのことを伝えてきます。あなたは記憶を引き出すのがむずかしくなります。

親しい友人といるときのような、居心地よく、気楽で、落ち着いた気分だったのが、突然ぎこちなく要領が悪くなり、事故を起こしやすくなるでしょう。

緊張して、頭がガンガン鳴り始め、両手が汗ばみ、吐き気をもよおし、血圧が上がり、脈拍が速くなり、ひざが震え、バランスを失い、声帯が締めつけられておかしな声になるでしよう。

では、何か新しいことに挑戦しようとするたびに、突然苛立ち、頭がガンガン鳴り、心臓がどきどきし、汗をかき始め、声がドナルドダックのようになるとしたら、あなたは自分に何と言うでしようか。

「気はたしかなのか? 何でこんなことをしている? いつものままでいろよ!」と言うでしょう。

そこであなたは、新しい物事を試したり、新しい友人を探したり、新しい仕事に挑戦したり、新しい娯楽を見つけたり、住む場所を変えたり、冒険をしたりといったことはやろうとしなくなります。

同じ日常にとどまり、同じ友人たちと過ごし、同じように夜にボウリングをし、同じものを食べることをより快適に感じるでしょう。

その違いを生むのは、あなたが感じる違和感です。あなたの潜在意識は、利点や欠点には関心を持ちません。

潜在意識が関与するのは、あなたにとっての物事があるべき状態にあなた自身の歩調を合わせることです。家でくつろいで数人の友だちと話しているときなら、あなたは言葉を繰り出すのに苦労しないでしょう。

しかし、同じ話題を五〇〇〇人の会議参加者の前で話そうとしたら、頭が真っ白になるのではないでしようか。知識も、欲求も、潜在能力もあるのに、何も言葉が出てきません。

一五センチ幅の梁が床の上に置いてあるのなら、その上を歩くのは簡単です。一〇回連続だろうと、後ろ向きだろうとできるし、おそらく目隠しでもいけるでしょう。

でも、同じ梁を地上一五〇メートルに設置して、その上を歩いてみろと迫られたら、たとえ一〇〇万ドル積まれてもあなたはやらないかもしれません。

なぜやらないのでしょう。同じ梁です。

あなたにはスキルがあり、バランス感覚があり、潜在能力があります。地上ではすでに後ろ向きと目隠しで成功しています。

たしかにそうなのですが、地上と空中の違いがこの違いをもたらしているのです。いきなり地上一五〇メートルに立たされたら、潜在能力を発揮することはできません。

コンフオートゾーンから離れすぎているからです。

緊張のフィードバックがあるために、私たちは現時点で支配的な自己イメージから大きく離れようとはしません。現在の態度、習慣、意見に忠実であろうとします。

あるとき、十代半ばの息子が私に「父さんは、僕を愛してるってところを見せてくれたことないよね」と言ったことがあります。私は言いました。

「どういう意味だい? なぜお前を養子にしたと思ってる?」「僕らを愛してないと言ってるんじゃないよ。態度で示したことがないって言ったの」

このころ、私は妻と娘たちに対しては愛情を示して優しく接することができそうでしたが、息子たちに対してはそうでもありませんでした。

そういう考えは私のイメージの中になかったのです。私は一二歳のときに父親を亡くし、以後はほぼ自力で成長しました。

父親から愛情のこもった抱擁を受けずに育ったため、「そんなものはいらない。それに男らしくない」と考えていました。

高校でフットボールのコーチをしていたときは、少年たちに愛情を示す行為とは、怒鳴りつけることだと考えていました。

「どういう意味だい、私がおまえを愛していないって? 昨日怒鳴ったじゃないか― 覚えていないのか?」「あれは愛情だったの、父さん?」「ああ、もちろんだ― 何だと思っていたんだ?」息子にこれを言われてから、私は息子たちに愛情を示して優しく接するように、いっそうの努力をしました。

部屋へ入っていき、息子たちをすばやく抱きじめて言ったものです。

「ほら、愛しているよ。じゃあもう行くからね」もちろん、こんなやり方が通じるわけはありません。私はプレツシヤーを感じて苛立っていました。コンフォートゾーンから外れており、それが態度に現れてしまっていました。

流れるように自然に愛情を表に出すことができませんでした1 本際に愛情を感じており、それを示したいと思い、示せるだけの潜在能力もあったというのに。

息子たちに愛情を示そうと何度努力を重ねても、何も得るものはありませんでした。

前もって新しい状況を思い浮かべて潜在意識に刷り込み、その状況を自分にとって物事がそうあるべきというイメージの一部にする方法を学べば、あなたは大胆な気持ちになって、次のレベルなり状況なりへ安全に進んでいけるでしょうc

★現状を疑ってみる

物事はこういうものだとあなたが思っている内容は、疑ってみる必要があります。

クリフ・ヤングという六二歳のオーストラリア人は、あるときシドニーとメルボルン間の六〇〇キロを走るマラソンレースに出場して、世界的なランナーたちと競走しました。

クリフはオシュコシュビゴッシュ社製のオーバーオール姿でレース会場に現れました。運営委員たちは、彼がこのレースにふさわしいとは思わなかったでしょう。

しかしクリフは、この自身初となるレースで、ほかのランナーたちに一日半の差をつけて勝利しました。いつたい、どうやったのでしょう? クリフが速かったわけではありません。

ほかのランナーたちが、六〇〇キロを走るときは六時間眠って一八時間走らなければならないという、〃真実〃とされる考えに凝り固まっていたのです。

内陸地(アウトバツク)から出てきたクリフは、この″真実″を知る人たちと一緒に走ったことがありませんでした。

レースの途中で眠るという発想がなかったのです。そのため彼は、ほかのランナーが眠っているあいだも走り続けました。

人々は「いや、そんなの無理だ。肉体的に不可能だ」と言いましたが、すでにクリフはそんな″真実″も耳に入らないほど先へ行ってしまっていたのです。

翌年には、ほかのランナーたちが次々とクリフの記録を破りました。

考え方を変えれば、人生の走り方も変わります。あなたの現在の信条は、自身のコンフォートゾーンや思考の中にあなたを開じ込めています。あなたは自分自身の感覚を都合のいいように操作しているわけです。

あるMBA課程の学生が、かつて私にこんな話をしました。

「先生がケーススタディを用意して、会社の経営方針を指定してから、こう言ったんです。『目標は誰も解雇することなく、効率を八〇〇%向上させること』って。効率を八〇〇%向上させることはできても、解雇なしで達成する方法は誰も思いつけませんでした。

教授は、『週末を交替勤務にすることは考えなかったのかい?』と言いました。僕らが『いいえ、それは経営方針に反しています』と言うと、教授はこう答えたんです。

『でも会社の方針はいつだって変えられる』」現状のコンフオートゾーンを広げ、人生の「現在地」から「目的地」までたどり着くには、選択肢を考える人間、建設的に自分との対話ができる楽観的な人間にならなくてはいけません。

その試金石となるのは、心理学者のマーティン・セリグマンが指摘するように、(一)良いことが起こったときどう考えるか?(二)悪いことが起こったときどう考えるか?という二つの問いかけです。

悪いことが起こると、悲観的な人は「全部自分のせいだ。これで何もかも台無しだ。この悪影響は一生残るだろう」と考えます。

たとえ結果を変えるためにできることが明らかに何もなかったとしてもです。

楽観的な人は、悪いことが起こると、それはすべて自分の責任ではなく、その日一日は台無しになるとしても、人生が台無しになることはないと考えます。

彼らは悪影響を切り離して考えるわけです。

良いことが起こると、悲観的な人は「私の力は関係ない」と言い、楽観的な人は「私の力があったからだ」と言います。

悲観的な人は「長くは続かないよ」と言い、楽観的な人は「ずっと続くだろう」と言います。

悲観的な人は「でもこの一回限りだよ」と言い、楽観的な人は「自分の運はずっと好転したままさ」と言います。

私の親友に、国内で最高レベルのバスケットボールのコーチがいます。

つい最近彼のチームが上位十位に入っているチームを破ったので、私は彼に電話をかけて、「おめでとう!すごいじゃないか」と言いました。

彼は「ルー、これは奇跡だよ」と言いました。そして新聞にも、「ただ幸運だっただけ」というコメントが載りました。チームは彼のこの言葉を信じたのでしょう。

すぐに上位十位から落ち、さらに上位二五位からも落ち、シーズンの残りは低迷してしまいました。

実質的に、彼は自分に対してもチームに対しても、「これは自分たちの力じゃない。われわれはそんなに優秀じゃない」と言ったも同然だったのです。

コンフオートゾーンを広げようとして、失敗をすることもあるでしょう。でも、それで自信を失ってはいけません。あれこれ考えすぎず、気にしないようにしてください。

あっさり笑い飛ばして、「自分はこの程度じゃない。もっといい結果が出せるんだ。次はちゃんとやるさ」と言うのがいいでしょう。

そうして先へ進むのです。立ち直る力を身につけ、燃えさかる理想を内面に持ち続けるようにしましよう。

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