動機だけでなく.私たちは態度や姿勢も正す必要があります.「しなければ」という態度でいると、抵抗したくなります。自分をそのことに積極的に向かわせる力がわきません。
動機とモチベーションは結びついています。
したがつて、ネガティプな「しなければ(きくo6)」から、建設的な「したい(〓”〓6)」を態度を変え、創造性と情熱を解き放たなければなりません。
高校でフットボールのコーチをしていたとき、私はまだ思考様式を切り替える前で、他のコーチたちと一緒に、「あんな最低の子どもたちを当てにしなければならないなんで」と愚痴ばかりこばしていました。
「しなければ」の環境ほど、プレツシヤーを生み出すものはありません。
「もう私の手には負えない。なぜこんなことになったんだ?」。
ある試合中にフィールドの反対側に目を向けると、相手チームのコーチも同じくらいうんざりした顔をしていました。自分が生きる姿勢を変えた瞬間のことは.よく覚えています。
それは、私の人生を永遠に変えた瞬間でもありました。スタジアムに車で向かっていたときのことです。赤信号で止まると、すぐ横に酒場がありました‘もう三〇年も前の出来事ですが、今でも鮮明に記憶に残っています。
私のセルフトークが始まります。
「試合なんて行かなくていい。ここで車を停めて、あの店に飲みに行けばいいじゃないか。試合になんて行くな。行く必要なんてないんだ」
しかし、私の中の別の声が言います。
「『行かなくていい』って、どういう意味だ? 『行くな』って、どういう意味だ? おまえは九歳のときからコーチになりたがっていたじゃないか。
『行く必要はない』じゃなくて、『行きたい』だろう? 誰かにこの仕事を取り上げられそうになったら、必死でそれを守るだろう? だから黙って進め。おまえは行くことを選んだ。行きたいと思っているんだよ」。
これは本当のことですが、私はその日以来、大きな重圧を感じることはなくなりました。
プレツシヤーをつくり出すのは自分自身です。仕事や目標や家族や人生を、「しなければ」を基準に考えてしまうからです。
そのプレツシヤーを解き放ってしまえば、今よりずっと効果的に行動することができます。自分の行動を流れに乗せることができます。
そうしないと、「しなければ」の状況を避けるためのネガティブな創造性ばかりを発揮することになります。
私たちは自分という存在のあらゆる側面(洋服、車、政治的見解、友人、仕事、倫理観など、日常生活の基準となるすべてのこと)について、 一定の態度を持つようになります。
それを長く続けていると、自動操縦システムの一部に習慣として組み込まれ、行動や決断を支配します。方向を変えたければ、いくつかの態度を変えなければなりません。
姿勢・態度とは、特定の状況や刺激に対する感情的な傾向です。航空学においては、飛行機の「姿勢」は、地平線上の固定された地点に対する翼の角度によって判断されます。
簡単に言えば、飛行機が傾いている方向のことです。姿勢とは、あなたが傾く方向です。
あなたが何かのほうに傾くと、それに対してポジティブな姿勢をとっているということです。反対側に傾いているのなら、ネガティブな姿勢をとっていることになります。
たとえあなたが結果を思い描き(視覚化し)、善なる意図(正しい動機づけ)を持っているとしても、「とにかくやってみる」のアプローチを使うことはできません。あなたがそれを「したい」と思わないかぎり、うまくいくことはないでしょう。
★建設的なモチベーションと、制限的なモチベーション
モチベーションとは、私たちを前進させる原動力や誘因です。
誰かの言葉や行動という外からの刺激がモチベーションになることもあれば、自身でアファメーションを使って、内からの力をモチベーションにすることもできます。
セルフトークによって建設的なモチベーションを得ることもあれば、行動を制限するようなモチベーションを得ることもあります。
建設的なモチベーションは、「そうしたい」「そうすることを選ぶ」「それが好きだ」という気持ちに基づいたもので、制限的なモチベーションは、一しなければならない」という気持ちに基づいたものです。
次のように自分に問いかけることで、自分の内なるモチベーションがそのどちらかを検証してみてください。
「私が今の生き方をしているのは、それを選んだからだろうか、それとも別の生き方をするのが怖いからだろうか?」「私は人生を自分の意思で、クリエイティブに、自由な流れに従って過ごしているだろうか。それとも制約や恐れや緊張を感じながら過ごしているだろうか?」「自分の行動に責任を持つ覚悟はできているだろうか、それとも誰か他人に責任を委ねているだろうか?」これらの質問に答える方法の一つは、日標の達成に向かってスタートしたときに自分がどう感じるかを確認することです。
建設的なモチベーションは、問題解決への創造的エネルギーを引き出してくれます。制限的なモチベーションからは、結果を楽しむために行動を起こすことがありません。それは結果を恐れるための行動です。
建設的モチベーションと制限的モチベーションの違いは、喜ばしい達成と不幸せな失敗の違いにつながります。
★建設的モチベーション
建設的なモチベーションは、人生に「求めるもの」を思い描くことを意味します。
なぜ新しい仕事がしたいのか、なぜ新たな収入が欲しいのか、なぜ新しいスキルの習得や新しい冒険を楽しむのかを自分に問いかけてください。
すると、「したい」「選ぶ」「好む」の気持ちからその行動を起こすことが多くなります。あなたが何かをするのは、それをすることで得られる恩恵がわかるからです。
建設的なモチベーションで行動する人は、問題の解決、対立の解消、満足できる最終結果といったポジティブなイメージが潜在意識に刷り込まれています。
建設的なモチベーションで行動するときには、最終的な結果のイメージを満足感、達成感、喜びの感情と結びつけ、日標達成を楽しみにしています。
たとえば、「もし私がその職に立候補して勝利することができたら、地域社会にどれだけたくさん貢献できることだろう」という気持ちです。
建設的なモチベーションは、喜びと成功というポジティブな期待を抱かせます。
建設的モチベーションがどんなものかを知りたければ、 一度、男女混合のティーンエイジャーのお泊リパーティーを観察してみるといいでしょう。
午前二時ごろに男女を別々にしてみます。
彼らは何週間も前から異性と一緒に過ごすこのハッピーで実りある時間を楽しみに想像してきたので、窓や通気口や壁の裂け目からでも、何とかして忍び込んで一緒に過ごそうとします。
ドアを開くことなく、中に入る方法を見つけだします。なぜでしょう? 何かを「したい」という強い気持ちが、人の創造力を引き出し、発明の才を開花させるからです。
何も自分を止めることはできないと感じます。意志の力と創造的潜在意識がチームを組むと、無敵の力が得られるのです。
一六歳の自分の子どもにこう告げるのはばかげていると思いませんか?「じゃあ、私はこれから一週間留守にする。これが車の鍵だ。ガソリンスタンドで使えるクレジツトカードも置いていこう。私が戻ってきたときには、走行距離一六〇〇キロになっていてほしい。ノーという答えは認めない」。
子どもたちがその車を運転しないようにするには、車の鍵を持って町を離れるだけではなく、ディストリビューター(車の配電装置)のキャップも持っていかなければなりません。これは私の経験から言っていることです。
★制限的モチベーション
制限的モチベーションは、建設的モチベーションとは反対のものを生み出します。失敗への恐れ、拒絶、罰などです。それをすることで得られる利益の代わりに、恐ろしい結果が思い浮かびます。
「もし彼女をデートに誘って、断られたらどうしよう。恥ずかしくて生きていけない」
「その仕事に応募して、不採用になったらどうしよう。落ち込んで立ち直れなくなる」
「売り込みに失敗したら? きっとクビになってしまう」というような気持ちです。
私はプロの運動選手と仕事をするときにも、競争意識をモチベーションにさせることはありません。競争や他者との比較にはマイナス面があるからです。
競争意識が強すぎると、体がこわばってしまうことがあります。NFLで二度MVPを獲得したスティーヴ・ヤングは、ジョー。
モンタナの陰に隠れて、長く脚光を浴びることはありませんでした。フアンの目からは、モンタナほどの優れた選手には見えませんでした。
しかし一九九四年、ヤングの目覚ましい活躍がサンフランシスコ。
フオーティナイナーズをスーパーボウルでの勝利に導いたとき、彼はモンタナの幻影を払いのけ、チームリーダーになりました。
彼はモンタナと自分を比較するのではなく、自分の最善をつくし、自分とだけ競争することを学んだのです。
他人と自分を比較してどう感じるかは、相手をどう認識するかによって決まります。相手が身近にいる有能な人なら、その人から距離を置きたいと思うようになりがちです。その人と自分を比べるたびに、気持ちが傷つけられるからです。
そして、「競争になんて興味がない」と言うようになるでしょう。大きな成功を収めた人の子どもが、親とは別の方向に行きたがるのは、そのためです。
彼らは親と比較されることで萎縮してしまっているか、比較されることに恐怖を感じているのです。制限的な思考は問題ばかりをくよくよ考えさせ、その問題にぶつかるまで頭から離れることがありません。
起こってほしくないことに気持ちを集中させると、無意識にそれを呼び込んでしまいます。「ひどい結果」を思い描いていると、ひざが崩れ、汗が吹き出し、胃がむかつき、神経がピリピリします。残念ながら、私たちの多くが制限的なモチベーションを与えられて育ってきました。
親や教師、コーチ、精神的な指導者が、規則に従わせることが効果的な教育法だと考えたからです。恐れに基づいた思考法を植えつけられた私たちは、「できない」状況ばかりを繰り返し想定します。
「そこには行けない」「それは買えない」「それはできない」というものです。
その結果、新しい職に応募することも、デートに誘うことも、委員会の選挙に名乗りを上げることもできなくなりました。望みがかなうことを楽しみにする代わりに、結果を恐れるようになりました。
恐怖は、間違った理由から行動を起こすように私たちを駆り立てます。恐怖がモチベーションになると、人生の冒険を受け入れることができなくなります。その代わりに人生の重荷だけを受け入れるのです。
私が中学生のころ、学校でダンス大会がありました。女の子が体育館の一方の側に立ち、男の子は反対側に立ちました。
私たちは反対側にいる、 一緒に踊ってほしい女の子のことを見つめながらも、向こうまで行って誘えば、おそらく断ら,れるとわかっていました。
拒絶される恐怖だけを考え、成功したときの喜びを思い描くことはありませんでした。意を決して反対側へ歩くのは、自分のコンフオートゾーンから離れることを意味します。
女の子にダンスを申し込んでも、何も結果が得られないでしょう。その子におそらく「嫌!」と言われ、すごすごと引き返すのです。
「断られるのはわかっていたんだ」と思いながら。恥ずかしさを隠すために、友だちにはこう言います。「あんな子、全然かわいくないよ。誰がダンスなんて踊りたいと思う? もっとおもしろいことをしに行こうぜ」
このように、制限的なモチベーションは本当はやりたいことから私たちを引き離します。一生をその状態で過ごす人もいます。
しかし、制限的モチベーションの二つの代表的な形を理解すれば、自分がどんなときに恐怖のイメージによる制限的モチベーションで行動しているかがわかります。その二つの形が「強制的」なモチベーションと、「抑制的」なモチベーションです。
〉強制的モチベーションとは?
自分自身に「しなければならない、さもないと」と語りかけるのが強制的モチベーションです。たとえば、「仕事をきちんとやらないなら辞めろ」「私のやり方に従わないなら出て行け」などの言葉です。こうした言葉は、あなたの行動を制限して従わせようとするための典型的な強制的要求です。
自分の生活の中のすべての「しなければならない、さもないと」のモチベーションを分析してみてください。
「与えられた仕事をこなさないと、給料がもらえない」「ショーに行かないと、友だちが怒りを爆発させる」「家をきれいに片づけないと、客は私のことをずばらな人間だと思う」「売り上げを伸ばさないと、上司にクビにされる」。驚くほどたくさんあるはずです。
自分に「しなければならない」と言い聞かせるとき、物理的に体を押されるのとまったく同じことが起こります。誰かがあなたを押そうとすると、あなたは無意識に押し返し、抵抗しようとします。それが条件反射です。
同じように、何かを「しなければならない」と感じるとき、あなたはその状況に無理に押し込まれたと感じ、無意識に押し返そうとします。
「私はこれをしなければならない。それ以外に選択肢はない。でも、もし好きに選べるとしたら、絶対にこんなことはしない」と自分に言うのです。するとそこに、あなたの潜在意識が割って入ります。
「ちょっと待て。実際に自分の思いどおりにする道だってあるんじゃないか。この状況から抜け出す方法、あるいは状況をぶち壊す方法を教えてあげよう」
そしてあなたの潜在意識は、先送り、いい加減な仕事、ずる賢い口実など、あらゆる道具を駆使してあなたに押し戻す力を与えようとするのです。
もしあなたが企業経営者や管理職なら、従業員の労働効率を高めるために、強制的手段を使いますか?そのやり方が、より良いパフォーマンスを引き出せないだけでなく、作業効率を引き下げていることをわかっているでしょうか? 従業員は作業ペースを落とします。
抵抗します。業務を阻害します。あなたが押し続ければ、彼らは無意識に押し返します。自尊心の高い人なら誰でも押し返すでしょう。
彼らは仕事量を減らす方法や、ぞんざいな仕事をする方法を無限に思いつくことができます。常習的な欠勤、怠業、病気、不注意、さらには妨害工作にまで追い込むことすら可能です。
「しなければ、さもないと」のモチベーションを彼らに押しつけると、彼らはただあなたを黙らせるために仕事を停止させてしまいます。
それはあなたを狂乱状態にさせ、おそらく会社は倒産してしまうでしよう。親たちも子どもに同じことをしています。
私もよく子どもたちに、「外に出て枯れ葉拾いをしなさい。二回は言わないよ。今すぐやるんだ!」と言っていました。子どもたちが腰を上げるまでに四五分かかります。先送り工作です。私は激怒して叫びます。
「何をぐずぐずしているんだ!」。子どもたちは答えます。「熊手が見つからないんだよ」。もちろん、それは嘘です。
押されたことへの反応として、「しなければならない」状況を避けようと、無意識のうちに熊手がある場所が見えなくなっていたのです。
外に出てすぐに熊手を見つけると、「さあ、仕事にかかりなさい。今すぐにだ!」と私は言いました。
彼らは五回だけ熊手を動かしただけで、疲れきって座り込みます。これが怠業です。
それから後ろを振り返り、「さもないと」の要因がまだそこにあることを確認すると、私に聞こえるくらい大きな声で、「ああ、疲れた」と言うのです。
熊手を探すだけで、どうしたらそんなに疲れることができるでしょう。これがずる賢い口実です。
「しなければならない」ことを逃れるためには、いくらでもクリエイティブになれるのです。自分自身を押したときにも、同じネガティブな反応が返ってきます。
たばこをやめられない人は「たばこはやめなければいけない!」と自分に言い聞かせます。
すると彼らは、無意識に創造力を発揮して、プレツシヤーのかかる状況に自分を追い込んだり、誰かが彼らに怒鳴りつける状況を生み出したり、尊敬する誰かを失望させたりします。すべて、もう一度たばこを吸う言い訳を見つけることが目的なのです。
自分自身を押すと、たとえそれが自分のためになることであっても、創造的潜在意識が計画を行き詰まらせ、遅らせ、あなたをその状況から抜け出させようとします。
成長しなければならない、変わらなければならない、学ばなければならない、もっとお金を稼がなければならないと感じるとき、あなたの意識と意志の力は創造的潜在意識と対立し、いつも潜在意識が勝利を収めます。
私たちが何かを「しなければならない、さもないと」と感じると、それを避けようと、非常にクリエイティブになります。人に対してやりたくないことを強制しても、最善をつくすことがないのはそのためです。自分自身に強要することもできません。
自分をやる気にさせるのがむずかしいこと――体重を減らす、禁煙する、禁酒する、もっとお金を稼ぐ― に関しては、間違いなくほとんどの場合、みなさんは自分を強要してそれをしようとしています。
「しなければならない、さもないと」と、自分に言い聞かせているのです。変わることを自分に強いるのはやめましょう。自分が本当にそう望むのでないかぎり、無理に成長させようとしてはいけません。
すべての目標は「したい」「選ぶ」「好む」の気持ちに基づいたものでなければなりません。生活の中から、「しなければ」をできるだけ取り除いてください。セルフトークから「しなければ」を追放してください。
「早起きしなければならない」「食べなければいけない」「仕事に行かなければいけない」と考えることを、自分に許してはいけません。
それは真実ではないからです。人生に「しなければならない」はただ一つしか存在しません。それは、いつかは「死ななければならない」ということです。
それ以外のすべてのことは自由意思による選択の問題です。どれだけ自分がそれを実行したいかの程度の問題です。いつもすばらしい選択ができるとはかぎりませんが、それでも選択には違いありません。
★「したい」気持ちに責任を持つ
「しなければ」を基準にして質の高い生活を築くことはできません。結果を受け入れ、責任を負う意思に欠けるからです。あなたが責任を負う覚悟ができているのは、次のように言うときだけです。
「これは私の決断だ。これは私のアイディアだ。私が善人なのは、私が善人であることを選んだからだ。私が働くのは、私が働くことを選んだからだ。法に従うのも従わないのも、すべて私の選択だ」
あるとき、私はシアトルで警察官に呼び止められました。
一番街を車で走っていて間違った通りに入ってしまい、スポーケン通りの高架橋の下で左折したのですが、警官がいることには気づかなかったのです。
標識には「左折禁止」と書かれていましたが、私はそのまま左折しました。高速に出るにはそうするしかなかったからです。
すぐ後ろで赤い警告灯が点滅したのを見て、「いったいどこから出てきたんだ?」と思わず口にしました。警察官が近づいてきて、言いました。
「私が見えなかったのか?」私は心の中で、「冗談だろう? 姿を見ていたら左折なんてしなかったさ」と思いながら、こう答えました。
「ええ、見えませんでした。でもかまいません。禁止だと知っていて左折したんです。つまり、私の過ちです。故意にやりました。どうしてもここで左折したかったんです。危険があるとは思いませんでしたし」
警察官は、「こんなやつはめずらしい。わざと違反して、それを認めるなんて」とでも言いたげに首を振りました。そして、「もう三度とやらないように」とだけ言い、違反キップは切られませんでした。
私が自分の選択に対して責任を負ったことで、警察官を驚かせたのだと思います。
自分の行動に対する責任を引き受けることで、思いがけなく大きな配当を得られることも少なくありません。相手はそれを期待していないからです。
ですから、あなたの生活のベースを「しなければ」から「したい」に切り替えてみましよう。
以前、キプチョゲ・ケイノというケニア出身の長距離ランナーのコーチを務めたことがありました。
彼はモントリオール・オリンピツク出場を目指していたところで、レースの最終ラップ、最後の四〇〇メートルになるといつも経験する激痛に打ち勝つために、何か心理学的な訓練法はないか知りたがっていました。
私は彼にたずねました。
「レースのそのポイントに差しかかったとき、何を考える?」「あと四〇〇メートルも走らなければならない、と思います」「しなければ」を基準に考えることで、自ら痛みの原因をつくり出していました。
そこで、私は言いました。
「解決策はあるよ。でも、君はそれを嫌がるかもしれない」「教えてください。どんな方法ですか?」「最終ラップに入って、最後の四〇〇メートルを走らなければならないとわかったら、そこで止まるんだ。走るのをやめるんだよ。そこで止まって、トラックの内側に座り込むんだ」キップは言います。
「そんなの、ばかげてます。座り込んだら、レースで負けてしまうじゃないですか」
「そうだ。でも、少なくとも君の肺は苦しくなくなる」「僕が何のために走っていると思っているんですか?」「まったくわからないな。
いいかい? 私が走らないことは知っているだろう? 私だって、あの痛みはがまんできないさ」「僕が走るのは、モントリオール・オリンピツクで勝てたら、牛がもらえるからです。
僕の国では、それでずいぶん金持ちになれるんです。家族は、僕をアメリカの大学に送るために自分たちの生活を犠牲にしてきました。
だから僕は、家族のためにも国のためにも、金メダルをとりたいんです」私は言いました。
「じゃあ、黙って走ちたらどうなんだ? 君は走る必要はない。でも、走ることを選んだ。私になぜ走りたいかを話した。それは君自身の考えだ。本当は無理して走る必要などないんだよ。レースを終える必要なんてないんだ。いつだって止まることができるんだ」
「僕は走って勝ちたいんです」「じゃあ、それに気持ちを集中しろ。『したい』『選ぶ』『好む』を忘れずに練習しなさい」
私は大学のフットボールの選手たちに対しても同じことを言います。
試合で緊張のあまり、「あいつがこのサイドを走るのを止めなければ」「パスをインターセプトしなければ」などと考えている場合です。
「違う。相手が点を取ったってかまわない。君たちは″プレーしなければならない″んじゃない。″プレーしたい″んだろう?」
★自分に嘘をつくことをやめなさい
逆に「したい」で考える人もいました。ジョニー・ジョンソンという選手です。
テキサス出身で、三回もオールアメリカンに選抜され、のちにNFLにドラフト入団して最も年俸の高いディフエンスバツクになりました。
大学二年生のときから、ジョニーはいつも「したい」ベースで考えていました。
「こっちに投げろ。頼む。僕にチヤンスをくれ。インターセプトに成功するたびに、 一万ドル契約金が上乗せされるんだ」と。
彼は「こっちにパスが来て、僕がディフェンスに失敗したら、試合に負けるかもしれない。僕が責められる」と考える代わりに、「こっちに来い、こっちに来い、こっちに来い」と念じていました。
敗者のほとんどは、自分の人生を「しなければ」だらけの状況で過ごします。何をやるにしても、自分の行動に責任を持とうとしません。
「しなければ」と自分に言うたびに、個人的責任を放棄するだけでなく、自尊心も引き裂いています。「しなければならない」は、「これは本来の私ではない。誰かが私をコントロールしている」を意味します。
「しなければならない」状況では、つねに自分に「やるよ。でも、もし自分の好きにできるとしたら、別のことをする」と言い聞かせています。それは、「私は自分の意思に反して、強制的にこれをやらされている」ということです。
自分の妻や夫に向かって、「仕事で残業しなければならない。上司が報告書を仕上げるように言っているから」と言うのと同じです。
それは、「彼らが私にやらせている」ということです。自分に嘘をつくのはやめましょう。あなたは何をする必要もないのです。
子どものおむつを換える必要はないのです。そのままにしておけばいいじゃないですか。そのうち、自然にはずれてしまうでしょうから。冬になっても暖房を入れる必要などないのです。
家の中でも分厚いコートを着て、古い水道管が凍ったら、新しいのを買えばいいのですから。税金を払う必要だってありません。
「もちろん、払うさ。そうしないと刑務所行きになってしまう」とあなたは言うでしょう。
「そうかもしれない。あるいは、生活保護に頼ることもできる」
「生活保護なんてまっぴらだ」
「じゃあ、国を離れて、どこか外国で働いたら?」
「そんなふうに自分の人生を根こそぎひっくり返すことなんてできない」
あなたは人生で望むことを何でも好きにすることができます― ‐その結果を受け入れる準備ができているのであれば。
子どもたちは次のように言うかもしれません。
「勉強しなくちゃいけない。勉強しないと先生に落第にされちゃうよ。勉強するしかないんだ」。
彼らにはこう言いましよう。
「いや、ほかにも選択肢がある。勉強しないことを選ぶことだってできるんだよ。すでに知っていることだけで何とかやっていけるかもしれないし、もしかしたら落第するかもしれない。それは良い選択とはいえないが、選択肢にはちがいない」
つまり、こういうことです。自分にとって何が最善かを考えましょう。「しなければ」と自分に言い間なせる代わりに、「私はこれを選ぶ、これがしたい、これをやる」と言いましょう。そうすることで、自分の人生の主導権を握るのです。
すべての「しなければ」の状況を放り投げて、自分のほうに向かってくる大きな力の波を感じてください。あなたにはより大きなエネルギー、より大きな喜び、より良い結婚生活、より良い家族、より良い仕事、より良い人生が待っています。
自尊心と自信を内から外に放射させ、誕生日プレゼントの包みを開くのを待ち切れずにいる小さな子どものように、人生を積極的に生きてください。
人生は厳しいものです。それだけに、モチベーションを切り替えることでたくましくなりたいと思うはずです。もしかしたら、あなたは正しい選択をする手助けをしてくれる魔法の公式があると信じたいのかもしれません。
しかし、ビジョンを持ち、それをアファメーションで自分のものにしていくプロセスは、魔法ではありません。唯一の魔法の公式は、あなたの心の中にあります。それは個人的責任と呼ばれるものです。自分の将来に自分で責任を負いましょう。
「そうしなければならない」からではなく、「そうしたい」からです。
▼抑制的モチベーションとは?
第二の制限的モチベーションは「抑制的」と呼ばれるもので、やる気をくじき、自由を奪い、何かを禁止することを意味します。
強制的モチベーションと同様に、抑制的モチベーションは恐怖によって支配するものです。
強制的モチベーションの引き金となる言葉は「しなければならない」ですが、抑制的モチベーションの引き金となる言葉は「できない」です。
したがって、抑制的なセルフトークの中心は、「私は間違ったことはできない。間違ったことをすると何か恐ろしいことが起きる」といつたものになります。
抑制的モチベーションが行動を縛るのは、選択肢を考えてその中から選ぶことをできなくするからです。スポーツの世界では、コーチは特定の技術をチームに訓練させます。
もし選手たちがその技術を習得できなければ、「腕立て伏せを二十回― それから吐くまでグラウンド周回だ!」と、コーチは罰を課します。
その結果、選手たちは「間違いは犯せない。そうしないとひどいことになる」と学びます。
軍隊もときどき拘束的な訓練技術を使います。
「こつちに行進しろ」「武器はこういうふうに持て」「返事は『ィェス、サー』だ。守らないと罰を与える」と言います。
そこで何を学ぶことができるかといえば、「勝手な行動はとれない。罰される」ということです。
私たちの多くにとって、「おまえはできない」という命令はあまりに強圧的で、「なぜですか?」とたずね返すことすらしないこともあります。
ただ恐怖が押し寄せるのを感じ、命令に従うだけです。私たちは、まず感覚を通して状況を認識します。
それから「これと同じ経験を前にもしただろうか?」と連想します。そのあとに、「これで私はどうなるだろう?」という評価が続きます。
恐怖をモチベーションにすると、子どものころの躾、宗教的教育、運動のトレーニング、軍隊の訓練で経験した恐怖の記憶が呼び起こされ、「私はできない」という考えに支配され、突然の恐怖の波に襲われます。
そして、「ろくなことが起こらない」と結論づけ、最後には「おまえは変わることができない。和を乱すな。余計な波風を立てるな」と決めつけてしまいます。
もし従業員が恐怖をモチベーションとすれば、上司がある日、「今から新しいことを試してもらいたい」と言うと、彼らは「すみません。私たちにはできません!」と言うかもしれません。
あなたの家族、あるいはチームや会社には、そういう人たちはいませんか?彼らは新しいことを試すのを死ぬほど恐れているのです。
それはおそらく、彼らが過去に何度も肉体的、精神的に罰を受けてきて、新しいことを学ぶのは多くの痛みをともなうことだと知っているからです。
そのため彼らは、「私は間違いを犯すことができない―」と考えます。
チームや会社に、間違いを犯すことに対して恐怖を植えつけられて育ってきた者がいれば、彼らは社内の変化に抵抗を示します。
彼らはこう考えるのです。
「私の責任領域を脅かさないでくれ。変化もいらない。そんな痛みには耐えられない」彼らは新しい仕事に対して恐怖の反応を示します。
そのため、社内の状況が変わることはありません。たとえ変化することが会社にとってプラスになるとしても、彼らの抵抗が恐怖の洪水となって押し寄せます。
「それは私の仕事ではない。私の職務範囲を超えています。そんなことはできません!」そのモチベーションが、選択、変化、成長を阻みます。
そして、会社は硬直して停滞することになるでしよう。あなたも私も、間違いや失敗はかまわないのだと認めなければなりません。誰でも間違いたくはありません。
あえて間違うことを選びはしませんし、間違うことを好みもしません。しかし、間違ってしまったときには、その責任をとり、自分に「私らしくなかった。次は改めよう」と言えばいいのです。
★あなたの自由意思で決めなさい
何かの行動をするに際して、選択肢がないように見えると、あるいは自分の意思に反して何かを強制されているように感じると、それが外からのものであろうと内からのものであろうと、あなたは考えます。
一その件に関して私には選択肢がない。とにかくそうしなければならない。そうしないと何かひどいことが起こる」「しなければならない」と感じると、行動はスローダウンします。
言いわけをし、回避的な行動をとったり、先延ばしにしたりします。目的や目標とはまったく関係のない行動に引き寄せられるのです。
それでも目標を達成することはできるでしょうが、質も結果も最低レベルのものでしかありません。生活していくのに十分なだけしか働かず、それ以上の優秀さは求めません。
強制的モチベーションから建設的な態度に切り替え、生活の中の「さもないと」の要因を取り除かないかぎり、自分の最善の力をつくすこともなければ、本来なら達成可能な目標を達成することもできません。
「しなければならない、さもないと」を基準に目標や願望を見ているときには、それを達成する望みはわずかです。「しなければ」と感じるときには、日標を達成するのにもっと多くの鍛錬が必要だと思うかもしれません。あなたは自分に「もっと強くならなければ」と言います。
しかし、あなたが自分に強いるほど、無意識のうちに適切な行動を避けるようになります。「働かなければ」と考える人ばかりの職場で仕事をした経験があれば、彼らがどんな様子かわかると思います。彼らはくたびれて、不平をこぼし、最低限の仕事しかしません。
終業時間にドアの近くに立っていると危険かもしれません。彼らがわれ先にと出口に押し寄せてくるからです。
あるいは、そこに「いなければならない」からいるだけと思っている人たちばかりの学校で、教えたり学んだりした経験があるでしょうか? 私はあります。
そして間違いなく言えますが、そこは学ぶための環境ではありません。教師の立場から、私は生徒たちによくこう言いました。
「君たちは学校に来る必要はない。勉強する必要だってまったくない。別の選択肢もある。しかし、学びたいのなら、私が君たちの助けになろう。私は君たちを楽しませるためではなく、教えるためにここにいる。
勉強を魅力的なものに、できれば楽しいものにしようと努力はするが、君たちがそれを望み、その機会を利用しようとしないかぎり、私たちはどちらも時間を浪費しているだけだ」
もし教育に代価が必要なら、私たちはそれに価値を置くでしょう。
たとえば、私は以前、非言語コミュニケーションについてご教授を願うために、プリンストン神学校のビル・ビーナーズ博士を招いたことがありました。
私は彼に一日五〇〇〇ドルの謝礼と経費を支払いました。これは二五年前の話ですc想像してみてください。たつた一日の講習で、教えを受けるのはダイアンと私だけ。彼は大々的なセミナーを開くと思っていたことでしょう。
私がどれだけノートをとったと思いますか? 山ほどの量になりました。
私が彼から教わったことを実践したと思いますか? もちろんです。大金を無駄にした愚かな男には見られたくありませんから。学習と説明責任には共通するものがあります。
生徒たちが何の説明責任も持たないとき、彼らはこう言うかもしれません。
「わかったよ、先生。教えられるものなら教えてみてよ。さあ、どうぞ」
高パフォーマンスの人たちは、自分の選択の結果を受け入れます。彼らはきちんと責任を負います。彼らが学ばないことを選んだのなら、彼らは成長しないことを選んだのです。
しかし、少なくとも彼らはその結果を受け入れる覚悟ができています。「しなければ」の態度よりはずっとましだと思います。
★「しなければ」を「したい」に変えよう
私は長いあいだ、「これは『しなければならない』ことだ」と自分に愚痴をこぼしてばかりでした。あらゆることを「しなければいけない」ことにしてきました。そして、それに耐えていました。
そのあとでようやく、「それは嘘だ。やる必要はないんだ」と気づいたのです。
そして、「しなければ」から、「したい」「選ぶ」「好む」「大好きだ」「これは自分の考えだ」へと態度を改めた日を境に、それが刺激とエネルギーとなって、成長への道のりを猛烈な勢いで進めるようになりました。
あなたの人生の使命を「したい」を基準に考えましょう。あなたの目標を「したい」モードに乗せましょう。今年のキヤンペーンを「したい」という観点から企画しましよう。
それらが「しなければならない」ことになったら、いったん冷静になって自分と語り合ってください。今していることをストップするか、変化させるかです。
このレツスンを取り入れることで、自分の中に無限のエネルギーを感じ取ることができるでしよう。
それが私の教え方です。それが私の生き方です。それが私の働き方です。それが私の経営の仕方です。
もし私がどこかに「行きたくない」のであれば、単純に私は行きません。
やりたくないことは、できるだけやらないようにします。
★「したい」強い理由を考える
誰でも早起きしたくはありません。でも、生まれたばかりの赤ちゃんがいるなど大きな理由があれば、早起きするはずです。昼だろうと夜だろうと、どんな時間であろうと起きて世話をするでしよう。あるとき、友人が私に言いました。
彼の十代の息子が親元を離れてスキーリゾートで働き始めたのですが、それは朝五時に起きなければいけない仕事だったそうです。「それが、ちゃんと起きているんだよ」と、友人は驚いた様子でした。
「びっくりしているんだ。私の手伝いをさせようと五時に起こそうとしても、息子は絶対に起きなかったからね。フォークリフトを使っても無駄だったろう」人にやりたくないことを強制することはできません。
しかし、彼らがそれをやりたくなるように手助けすることはできます。人に何かをさせようと無理強いするのは、愚かな人の行動です。彼らの「したい」ことを見つけ、その理由を突き止めてください。そして、その気持ちをもっと高めてあげるのです。
何かをすると決断するだけなら、合理的にそう考えただけで、感情を伴うていないかもしれません。ただ合理的な決断をしようとすると、中途半端な気持ちで進むことになります。
「本を書いてみたらどうだい?」一うん、まあいいけど」「行ってみたらどう?」「わかつた、行くよ」。
それは「しなければ」とは異なるものの、「したい」にまでは達していません。
★魔法は使わない
「それに関しては、私にできることは何もない」という態度の人たちと仕事をすることがあるかもしれません。
彼らは自分の無力を感じているか、希望を持てないかのどちらかです。ある問題に関してとるべき必要な行動が、自分にできることかもしれないということがわからないのです。
彼らは他人や状況が自分の生活をコントロールしていると信じています。自分の力で何かを引き起こすことができるとは思っていません。そのため、何らかのまじない、魔法、迷信、兆しに頼ります。
「態度の修正」を試みるときでさえ、彼らはそれをお酒やドラッグの力を借りるか、あるいは同僚からプレツシヤーをかけられてようやく行います。
効果のない方法で潜在意識の恐怖を乗り越えようとします。「酒を何杯か飲めば、きっとできる」とか、「ハイになれば、すごいことができる」と考えるのです。
これは、試練を乗り越える方法としては、非常にまずい方法です。
一度それをしてしまうと、あるいは三度目には、習慣になってしまい、やがては行き詰まってしまうでしよう。私の知り合いに、クロアチア出身の若くて優秀な女性がいます。
彼女はモデル志望なのですが、今はアメリカでレストランのウェイトレスをしています。一度、彼女にこうたずねたことがあります。
「君は将来どうしたいんだい?」「パリに行ってモデルになりたいわ」と、彼女は言いました。
アメリカの大学を卒業したいとも言いましたc「じゃあ、どうしてそうしないの?」「きっかけを待っているの」と、彼女は言います。
「いつも、何かの徴候があるから」「徴候って、どういう意味かな?」「そうね。星みたいなしるしよ。何か私の外にあるもの。私の外にある何かが決断を下すの」自分が迷信深くならないように注意しなければなりません。
運動選手やコーチにも迷信に頼りすぎる人たちがいます。また、私の知るあるコーチは、試合があるたびに彼の″幸運″のパンツをはくようにしていました。
あるとき、彼のチームは決勝進出を決めましたが、試合の前日、クリーエング店が彼のパンツを紛失してしまいました。
アシスタントたちは彼にそのことを伝えませんでした。彼の特別なパンツ、大事な試合用のパンツがなくなったなんて、恐ろしくてとても告げられなかったのです。
そこで、アシスタントの一人がよく似たパンツを買いに行き、サイズ直しをしてもらいました。誰もコーチにはそのことを言いませんでした。
大事な試合に″特別な″パンツがないとわかれば、動揺のあまりどうなるかわからないと思ったからです。
どれほど多くの人たちが迷信に自分の人生を操られているか、想像してみてください。力は自分の中ではなく外にあると信じているのです。
彼らが言っていることは、「私には力がない。力は私の中ではなく、外にある。私には自分が暮らす環境も状況も変えることができない」ということです。
そんなことはありません。もちろん変えられます。態度と目標を定めさえすれば。
★態度を目標と一致させる
態度とは、私たちが目標を設定したときに表面に現れる、潜在意識による感情的反応です。こうした態度が、行動、方向性、創造性、モチベーションに影響を与えます。日標を設定するまでは、態度はポジティブでもネガティブでもありません。
いったん目標を設定すると、あなたは自分にこう問いかけなければなりません。
「私の現在の態度は、日標の達成に「向かわせる」ものだろうか、それとも「引き離す」ものだろうか?」あなたには自分の態度がわからなくても、潜在意識はこう言っているかもしれません。
「私は自分自身をやる気にさせられない」すると、何が起こるでしょうか? 態度を変える代わりに、日標達成をあきらめてしまいます。
「私にはこの仕事は無理なんだ」「私にはこんな車を持つ資格がない」「このチームでプレーするには身長が足りない。世の中そういうものだ」と。いいえ、それは世の中ではなく、あなたの態度です。あなたに必要なことはただ一つ、態度を変えることだけです。
あなたが大学生で、「左利きの人間にはがまんできない」という態度をとっていると仮定しましょう。
そして、大学の学生課で寮の部屋の割り当てを見ると、恐ろしいことに、ルームメイトが左利きだとわかります。あなたにとって、これは大問題です。
彼が右利きの人間にがまんできないタイプだとしたら、事態は最悪です。
何世紀もの対立の歴史を経て、アラブとユダヤ、南アフリカの黒人と自人、アイルランドのカトリックとプロテスタント、サンディニスタとコントラの態度は硬化しました。どちらの側も相互関係を制限し、ポジティブな変化を拒むような態度を相手に対してとってきました。
私たちの時代遅れの態度のいくつかが、私たちや私たちが影響を及ぼす誰かがポジティブな変化を起こすことを妨げています。
一九五〇年代には、大部分のアメリカ人が「女性のいるべき場所は家庭だ」という態度を共有していました。現在は、大部分の女性が――独身者も既婚者も――社会に出て仕事をしています。
一九四七年までは、黒人はメジャーリーグの野球選手にはなれませんでした。この年、ジヤツキー・ロビンソンが″肌の色の壁″を打ち破り、メジャーリーグ入りを果たしました。
現在はもう古い人種差別政策が受け入れられることはありません。時代も価値観も変化しました。
つまり、それに従って、態度も変わらなければなりません。
あなたなら、これらの教訓をどう自分の生活に応用するでしょう? この話を聞くと、自分も目標達成の妨げになるたくさんの古臭い態度に縛られていると気づくことでしょう。そして、古いネガティブな態度の変え方を学べば、日標をあきらめる必要などないことがわかります。大きな期待を胸に、日標に向かって猛烈な勢いで進むことができます。
★創造力を駆使した回避行動
あなたは、「自分がネガティブな態度を持っていると、どうしたらわかるのだろう」と思うかもしれません。行動中の自分自身を観察してみればわかります。
何かについてポジティブな態度をとっていれば、対象が音楽であれ、仕事であれ、愛であれ、お金であれ、芸術であれ、食べ物であれ、冒険であれ、それを探し求めて所有しようとします。ネガティブな態度をとっていれば、無意識に避けようとします。
子どもたちが学校についてどう考えているかは、どうしたらわかるでしょう? もし否定的に思っていれば、心と体が同調し、にきびができたり熱が出たりして、ベッドから出なくてもよい口実をつくり出します。
不快な状況を認めたり予感したりしたときに、私たちはそれを避けようとして自然にクリエイティブになるのです。
たとえば、私には美容院を経営している友人がいます。以前の私は、美容院の経営は男性にはふさわしくない仕事だという態度をとっていました。
当時、私は仮釈放になった元受刑者の保護観察官も務めていましたが、彼らを対象にしたセミナーの運営を友人も手伝ってくれていました。
私が内面のイメージ改善を担当し、友人が外面のイメージ改善を担当していました。彼らに最新のファッションやヘアスタイルの手ほどきをするのです。
ある日、仮釈放中の何人かを集めてこのセミナーを開くことになり、友人としばらく話していなかったので、通りを渡ったところにある大学キヤンパス内のカフェテリアで一緒に昼食をとろうと誘いました。
私たちはセミナーを終えたあと、外に出ました。季節は冬で、彼はおしゃれなコートを着ていました。なかなか高級そうなコートです。
しかし、その肩には小さなショルダーバッグをかけていました。
「ショルダーバッグを持った男性となんて一緒に歩きたくはない」。それが当時の私の姿勢でした。しかし、バッグに気づいたのは、通りを渡り始めたあとだったのです。そのとき、私の頭の中に浮かんだのは、「私は元友人と彼のバッグと一緒に通りを渡っている」という考えでした。
潜在意識の中で、私はすでに逃げ出す方法を考えていました。カフェテリアに入るとすぐに立ち止まり、最初に目に入った人物― まったく知らない男性――に話しかけました。
そして友人のほうを振り向き、「先に行って並んでいてくれ。すぐ行くから」と言いました。
私は古い友人と偶然会ったかのように振る舞ったのです。私の創造的潜在意識が、私の行動を乗っ取っていました。
私は意識的に友人――と彼のバッグー‐を避けようと思っていたわけではありませんでした。私がもっと愚かなら、友人を非難して友情を終わらせていたかもしれません。しかし、彼が問題を抱えていたのではありません。
私のほうが問題を抱えていたのです。問題は私の態度であって、彼のバッグではありませんでした。
この場合の解決策は、フアツションや考え方、あるいは人間そのものも、時代に応じて変化するということに単純に気づくことでした。
私の態度を変えることで問題は解決され、友情を維持することができました。あなたの潜在意識も同じように働きます。
あなたの潜在意識が、友人――あるいは新しい仕事、レストラン、近所の人、新しい経験――をクリエイティブに避けるように導くかもしれません。
自分自身をしっかり監視していないと、ダメージがあってはじめてネガティブな態度に気づくことになります。態度を変えることで、達成できる可能性のあることを達成する方向へ導くことができます。
自分のことを肯定的に考え、ポジティブな思考にこだわり、最終結果を思い描くだけでは不完全です。私たちが自分の能力を最大限に発揮するのをじゃましている、古く不適切な態度や習慣を変える努力もしなければなりません。
★ネガティブな態度を変える方法
現在の態度のままビジョンを追求しようとすると、ネガティブな感情を取り込んでしまうかもしれません。このネガティブな感情が回避行動へと駆り立てます。
あなたの頭の中には過去に経験した状況への感情的反応が記録されているからです。痛み、不快、困惑、嘲り、罰、心の傷など、否定的な結果を予想するときには、それはネガティブな態度です。
あなたの潜在意識はネガティブな創造性を刺激し、不快な状況や環境から自分を引き離すように促します。
ポジティブな態度は結果を追い求めるための創造性を生み出しますが、ネガティブな態度は結果を避けるための創造性を刺激します。
目標を宣言したとき、あなたの現在の態度はその目標を前向きに、大胆に、クリエイティブに追い求めるように促すでしょうか,, それとも、日標に向けた旅は始めるものの、すぐに目標とは関係のない行動や出来事に気持ちを向けていることに気づくでしょうか?もしそうなら、日標をあきらめるのではなく、態度を変えてください。
さて、ネガティブな態度はどうしたら変えられるでしようか。
POINT
態度とはあなたが傾く方向。前に乗り出して何かを手に入れようとすれば、それはポジティブな態度と言える
▼一.どの部分を変える必要があるかを明らかにする
目標を設定する時点では、自分の態度がどんなものになるかはわかりません。したがって、日標を達成するまで自分の態度を監視し続けてください。
自分の潜在意識の中にどれだけ深く目標を埋め込めるかの問題です。自分ではどの態度を変える必要があるかがわかりません。変える方法もわからないかもしれません。
最初にネガティブな態度を明らかにする必要があるのは、そのためです。現代社会では、「境界のない組織」や多文化主義の環境と出くわしたときに、自分の態度が明らかになります。
職場での男性と女性に対するあなたの態度、マイノリティの人たちに対する態度、宗教に対する態度、異なる文化や言語に対する態度、裕福な人や貧しい人への態度、失業者に対する態度――自分とは異なる人や状況と出会ったとき、こうした態度のすべてが表面化します。
あなたはこう言うかもしれません。
「これは私がやりたい仕事だが、今度会社が合併することになった。これからは肌の色の違う、異なる言語を話す人たちと一緒に働くことになる」。
自分がどんなセルフトークをしているかをチェツクし、回避行動をとり始めていないかに注意してください。ネガティブな態度が自分やチームの可能性を制限していないか気をつけていてください。
〉二.反省日記をつける
あなたは自分の望む結果に向かって、積極的かつポジティブに進むような行動をとっていますか? それとも目標に近づくような行動をとるのに苦労しているでしょうか? 電話をしたり、人に会ったり、テストに向けて勉強するのがむずかしいと感じていますか?自分がどんな行動をとっているか、日記に記録してみましょう。
自分の振る舞いや行動を監視し、周囲の人たちの行動を観察します。彼らは目標に向けて突き進むような行動をとっているでしょうか。
それとも、オールアメリカンに選ばれたいと口では言っておきながら、筋カトレーニングもせず、練習にも参加せず、プレー技術を学ぼうともしていないでしょうか。
人間行動の、とくに自分自身の行動の研究者になってください。
たとえば、営業担当として成功したいと思っていることを書き留めておくとします。
それでは、なぜあなたは会議にも出ず、追跡調査も行わず、早々と帰宅しているのでしょう?
▼三.回避行動の結果を見る
目標に向かって進んでいるときに、気がつくと、自分が望んでいるはずのことをするのを避けるような行動ばかりとっているかもしれません。
それは目標に対するあなたの姿勢がネガティブなものだからです。回避的な行動や振る舞いは多くの時間とエネルギーを浪費しかねません。
ですから、自分に正直になって、こうたずねてみてください。
「この偶然見つけた行動は、私を前進させるものだろうか、それとも私がやりたくないと思っている何かをしなくてすむようにしているのだろうか?」
一緒に仕事をしたくないと思っている誰かの姿を見かけたときに、その人物とすれ違わなくてすむように遠回りをしていないかどうか自分を観察してくださいのあなたは何とかして相手を避ける方法を見つけようとします。
否定的な状況や困惑すべき結果を認識したとき、あなたは回避行動に走ります。しかし、意識してそうしているわけではありません。あなたの潜在意識があなたを痛みから守ろうとしているのです。
自分のやりたくないことから抜け出すためなら、とたんに創造性を発揮し、工夫の天才になりますc
▼四。強い欲求を生み出す
さらに、欲しくて仕方がないと思うような強い欲求を生み出すことに多くの時間を使わなければなりません。
たとえば子どもたちを立派に育てたいと思っても、強い欲求を持たないかぎり、子どもたちと過ごす時間を増やそうとはしません。
あるいは、不動産業界で成功したいと思っても、人に会って家の購入を勧めたり、日録に含めることを頼んだりすることが好きではないとわかるかもしれません。
そして、日標を達成するのに不可欠な行動に自分の気持ちを向かわせることができなければ、日標をあきらめてしまいます。
そして、「私はもともと営業向きじゃなかったんだ」「この仕事は私には向いていない」と言うことでしょう。人生を歩みながら、自分には何ができて何ができないかについて、多くの態度を取り入れていきます。
自分では気づかないまま身につけている態度もたくさんあることでしよう。それらは特定の状況に直面しないかぎり、表面化しません。
実際にその状況に直面したときに、はじめてその態度が出てきます。そして、強い欲求を持たないかぎり、回避行動から自分を解き放つために態度を変えることはできません。
▼五.能力を駆使してポジティブな創造性を刺激する
誰か、あるいは何かを求めるとき、人は創造性を生み出します。
一緒にいたい異性と出会うと、とたんに「君も帰り道がこっちだとは知らなかったよ」という気の利いたセリフを思いつきます。たしかにあなたは知りませんでした。
その人と一緒にいたいがために、そうできる方法を、創造力を発揮して見つけたのです。
もしフットボールの試合に行きたいのに、その日はたくさんやらなければならないことがあるとしたら、試合に行けるように物事を片づけるクリエイティブな方法を思いつくで,しよう。
あるとき、私は才能ある写真家と一緒に、会議場からリゾートのレストランまでの道を歩いていました。
突然、彼が立ち止まり「ちょっと待って。光と湿度がちょうどいい」と言いました。彼は少し離れた場所に歩いていき、そこでブラックベリーの花の写真を撮りました。
私はプラックベリーの花が咲いていることさえ気づきませんでしたが、彼は写真を撮るのに完璧な光と湿度のときに、その花を見つけたのです。
そのときは話をしながら歩いていて、彼も周囲を見回していたわけではなかったのに、創造性を発揮する絶好のチヤンスに出くわしたとわかつたとたん、花が目に入ったのです。
▼六.態度を修正するためにアファメーションのプロセスを使う
私は自分のネガティブな態度に気づくと、無意識の振る舞いをコントロールする感情をポジティブな表現で書き表すことにしています。
たとえば、子どものころ、自転車に乗る練習をしたときのことを覚えていますか? 目の前の道に石が見えます。石を避けようと思うほど、石から目を離すことができません。
それで何が起こりましたか? ぶつかりたくはないのに、自転車を石のほうに向かわせてしまいます。
もっとうまく乗れるようになると、障害物が見えても心理的に動揺することはなく、自分の行きたいところをしっかり見ることができます。
つまり、問題の周囲にも視野を広げ、石だけに注意を狭めることなく、その横を通り抜けることができます。
自分の目標を書き出し、態度を変える努力を始めると、障害物の石(ネガティブな態度)と出くわしたときには、こうたずねるようになります。「私はこれを望んでいるだろうか?」。そして、それについて表現してみます。
「どうして望むのだろう? もしこれが望まないことなら、どうして望んだりするのだろう?」簡単そのものです。
その描写をノートに書き込みます。
「もしこれが私にとっての問題なら、問題がないときにはどう見えるだろう?」あなたは自分がすでにそこにいるかのように表現し、それを文字にしていきます。
文字にしたことが、あなたのアファメーションになります。あなたは自分の潜在意識の自動プロセスの一部にしたいポジティブな反応、ポジティブな感情を、自分に向かって表現するのです。
態度を変えるには時間がかかり、何度もアファメーションを繰り返す必要がありますが、いったん変えることに成功すると、日標に向かって飛躍的に前進することができます。
★悪い姿勢を持つ人に対処する
誰かの行動が、あなたの感じ方に影響を与えられるべきではありません。自分の感情は自分でコントロールするのです。他人に今日のあなたの気分を決めさせてはいけません。
あなたがどう行動するかも、どう振る舞うかも。あなたがどんな人間で、どう行動すべきか、内なる自己イメージを他人に変えさせることを許してはいけません。
相手が政策や規則や法律をつくる権力を持っているのなら、あなたはその環境を離れる必要があるかもしれません。彼らの罠にはまってはいけません。
状況によっては、生き残るためには避けることが必要になるかもしれません。ネガティブな行動は避けましょう。
ただ、自分が屈服するのではないこと、問題解決をあきらめたのではないことを確認してくださいc私たちの自尊心は、自分自身に対する態度が好ましいか好ましくないかによって決まります。
あなたの自分自身に対する態度はあなたの自尊心に影響します。自分に対してポジティブな態度をとるとき、自尊心は高まります。
自分への態度をボディランゲージや振る舞いや、言葉によるコミュニケーションを通して周囲の人に投影してください。そうすれば、彼らはあなたが自分を扱うように、あなたを扱うようになるのです。
コメント