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第二章 動機とモチベーション

「現在地」から「目的地」へと向かうには、多大なエネルギーと意欲が必要になります。その大部分は内から生じるものでなければなりません。

それが、しっ。かり定義された価値観と動機から生じる内なるモチベーションです。

私たちは、なぜ自分が今そうしているように行動しているのかを理解しなければなりません。そうしないと、なぜ自ら障害をつくり出してしまうのか、必要なときにどうやって軌道修正していいのかがわからなくなってしまいます。

南アフリカがまだアパルトヘイト体制だったころ、私はあの国の暴力と紛争に心を痛め、国民の大部分の考え方を変えることで変化を起こしたいと思いました。指導者はもちろん、黒人住民と自人住民それぞれの考え方をです。

シアトルにいながら南アフリカの状況を大きく変えることなどできないことはわかっていました。何らかの行動を起こさなければなりません。

しかし、その行動は――困難で資金を必要とすることに加え― 大部分は望まれもせず、感謝も理解もされないものです。私のビジョンに異議を唱え、動機に疑いを投げかける人たちが大勢いることはわかっていました。

状況は完全に私に不利でした。自分の会社の中でさえそうです。

勇気あふれる何人かはビジョンの実現を手助けしたいという意思を示してくれましたが、多くの仲間が、「行くのはやめてくれないか。何百万ドルもの損失になる」と言ってきました。

覚えている方もいるかもしれませんが、当時は南アフリカとビジネスをしている企業とは取引をしてくれないところもありました。

そうした事情もあって、会社の仲間が私にこう言ったのです。

「私たちのキャリアが台無しになります。会社の資産も、私たちの将来も犠牲にするつもりですか?」私は答えました。一それなら、君は別の仕事を探したほうがいい。

私は行くと決めているからね。それが正しいことなんだ」たしかに、南アフリカ行きによって会社に多少の損失は生じました。いくつかの契約を失うことになりました。

しかし、私たちは利益を得るために南アフリカまで行ったわけではありません。環境を改善し、人々に希望を与え、彼らに人生を変えるツールを授けるために行ったのです。

正しい動機を持って行きさえすれば、たとえ短期的には損失があったとしても、最終的には得るものがあると信じていました。

目次

★動機は正しいものであるか?

あなたはなぜ、なりたい自分になり、したいことをし、欲しいものを手に入れたいと思うのでしょう。なぜ″向こう″にたどり着きたいのでしょう。

あなたの動機は利己的なものではないと言い切れるでしようか?私は、成長を果たしたあなたの到達する場所が、人のために行動し、隠れた下心がなく、周囲の人を助けることを第一に考える場所であることを望みます。

それが、あなたにとっての最大の報酬になるからです。

あなたがそれを実現させるのは、それが正しいことだからであって、誰かに見つけるためではなく、見返りを期待しているからでもありません、あなたの意図は利己的なものではなく、愛と正義に駆り立てられたものではなければなりません。

その場所まで自分を高めることは可能です。私自身、そこにいることもあれば、いないこともあります。いったんそこにたどり着いたら、永久にとどまるといったものではありません。

しかし、その場所に到達すると、すばらしい達成感が得られ、人生の目的を見出すことができます。自分自身の「なぜ」を見つけることが、行動する勇気を与えます。

おそらくそれは、勇気ある行動というより、ただ正しいことをしているだけという気持ちから発した行動になるはずです。勇気ある行動は、年齢や年代にかかわらず見られます。小さい子どもが道徳的な勇気を示すことだって少なくありません。

それは彼らの動機が比較的純粋で、見えないものを信じる力が強いためです。意図や動機が正しいものであることが勇気を育て、″ここ″から″向こう″を目指す目的意識を与えます。

ただし、「なぜ」を決めるのはあなた自身でなければなりません。自分に誇りを持ってください。自分はすばらしい人間で、すばらしい人生を送っていると実感してください。自分に満足してください。

私の目的は、あなたに達成したいことを達成してもらい、そうすることで自分を誇らしく思ってもらうことですcその手助けをする見返りに何かを欲しいなどとは思いません。喝采も称賛もいりません。

私が喝采や称賛を受け入れる、あるいは自分が評価されるのを許す唯一の理由は、それによって別の社会的プロジエクトや問題に取り組むことができるからです。そうでなければ、そんなものは何一ついりません。

最近、オーストラリア出張から戻ってきたときのことです。

私はくたくたに疲れていましたが、その夜にはまたロンドンに向かう予定になっていました。もし私が真夜中の飛行機でロンドンまで行き、 一晩の睡眠を奪われたまま講義を行い、また飛行機に乗って家に戻ることを、「ロンドンに行かなければならない」と考えてしまつたら、良い仕事ができるでしようか?そこで私はこう考えるようにします。

「私は行く必要はないのだ。でも行くことを選ぶ。行くことに意味があると知っているからだ」と。

そう自分に厳しく語りかけないと、犠牲者のように感じて、「まったくひどい話だ」と、愚痴をこぼしながら泣くことになってしまいます。私は自分にこう語りかけます。

「よし、じゃあ、行かなければいい」「でも、行きたい。人の助けになるし、ビジネスの機会も得ることができる」「じゃあ黙って行けばいい。自分が行きたいと思って、自分が行くことを選んだのだから」私のセルフトークはこのように進みました。

ところがその日、会社の仲間の一人がこう言ってきました。

「ルー、オーストラリアから戻ったばかりなのに、なぜすぐにロンドンに行くんです? お金のためですか?」「違うよ。お金のためではなく、使命のために働くことを選ぶんだ。人と組織のありようを改善する手助けをするためにね」

「そんなきれいごとはやめてくれませんか。誰だってお金のために働いていますよ」「そうだ。誰だってお金のために働かなければならない。生活のためにも、多少の望みを満足させるためにもね。でも、お金を稼ぐことだけが私の望むすべてじゃない」

「でも、そうする必要がないときにまで、なぜ必死に働かなければならないんですか?」「そうしたいからだよ。今の生活に満足していない人たちを助けて、彼らが望む場所に連れていってあげるために。それが私の使命だからだ!」

★自分の価値観を明らかにする(五つの質問)

なぜ働くのか?なぜ結婚するのか?なぜ子供を持つのか?なぜ人のために自分を犠牲にするのか?そのすべてに理由を与えるのが価値観です。

自分の価値観を知ることで、選択や目標設定のための枠組みが得られます。ただ生きているだけでは十分ではありません。それはあなたもよくわかっているはずです。

自分のためだけではなく、自分が大事に思う人たちのためにも、生活の質を高めたいと思うはずです。幸せになれるような環境や出来事をつくり出していきたいと思うはずです。

自分の理想や価値観を明らかにするために、次のことを試してみてください。

一.自分の体から心臓を取り出して、手のひらに乗せるところを想像してみる強くイメージしてください。あなたの心臓を取り出して、三分間、手のひらに乗せてください。大丈夫、それで心臓が止まってしまうことはありません。

その状態から自分に問いかけます。「私が自分の人生で最も望むことはなんだろう?」その答えは、「心臓を取り戻したいもっと生きたい」かもしれません。

それでは、心臓を元に戻して、もう一度自分に問いかけてみてください。

では、どんな人生をどれだけ長く生きたいだろう? あなたには、どのような質の人生を過ごすか、そして場合によっては、どのくらい長く生きるかを自由に選ぶことができます。

二.命を脅かすような出来事を想像(あるいは経験)してみる命を脅かすような出来事をイメージしてみてください。

そのような出来事は、自分の価値観をあらためて見直させます。命が危険にさらされているときは、「私にとって最も大切なものはなんだろう?」と考えます。もちろん、それは命でしょう。

しかし、どんな質の命を私は求めているのだろう? 肉体的、精神的に病気を患っているのであれば、あまり選択肢はありません。健康が価値あるものだと思えば、健康的なライフスタイルを送ることを望むでしよう。

ただ肉体的に健康であるだけでなく、精神的、情緒的、社会的にも健康でありたいと思うはずです。そのために、自分が快適に生活できるような内的、外的環境をつくり出そうとします。それが、あなたの望む社会生活であり、あなたの望む家族生活であり、あなたの望む地域生活になります。

三.痛みを経験する痛みは、多くの人や組織が変化を求める理由になります。痛み、みじめき、ストレス、病気を抱えた人生を送っているのなら、こう自分に問いかけてください。

「この痛みの根本的な原因は何だろう? 痛みを和らげるために何ができるだろう?」あなたは、自分が傷つけられたり苦しめられたりするおそれのない、安全な生活に価値を置いていると気づくかもしれません。

痛みは、自由や正義など、自分の持つ核となる価値観に注意を向けさせます。その価値観が自分や子どもたち、周囲の人の生活の質の基盤となっているものです。

四。自分が本当に幸せだと感じるものは何かを考える

成熟した人間の特徴の一つは、見返りを求めることなく″与える″ ことに幸せを見出すことです。年をとるほど、その領域に達したいと必死になっていきます。

「幸せになるためには何が必要か?」と自分に問いかけてみてください。立ち止まって考えてみると、洋服や車や家など、物質的な豊かさはそれほど求めていないと気づくかもしれません。そうしたものはおそらく優先順位の上位には入らないでしよう。

あなたは自分が幸せになるためには何が必要だと思いますか? 自分が望む快適な生活、環境、人間関係を、質と量という点からデザインしてみてください。

チームや家族や会社を築くプロセスを楽しむことを学べば、もっと多くのことをスタートさせたくなります。結果と同じくらいプロセスを愛することができれば、より多くの重要なことをスタートさせ、達成することができます。

そして、より幸せな、より満たされた人になっていくでしよう。

まだ私が若く、高校の教師をしていたころ、私はフットボールの練習を憎むという罠にはまり、学ぶプロセスをスローダウンさせてしまいました。

幸せを感じるのは、試合に勝ったときだけになってしまったのです。まるで、じようごを回に差している空のボトルが歩いているようなものでした。誰かがボトルを満たしてくれるのを、ただ待っている状態です。

誰かがプレゼントをくれたり、褒めてくれたり、認めてくれたり、私のことをすばらしい人間だと思ってくれたときにしか、幸せを感じられない人間になっていました。

しかしやがて、誰かに認められ、称賛されることでしか幸せになれないと、あまり頻繁には幸せを感じられないことに気づきました。

誰かが本当に欲しがっているものをプレゼントすることで、自分も幸せになれるとしたらどうでしよう。

子どもや妻(夫)や友人が絶対に喜ぶとわかっている特別な贈り物が手に入り、それをただ渡すだけでいいとしたらどうでしよう。

贈り物を受け取った相手と同じくらい、それをプレゼントした自分も幸せになれると想像してみてください与えるものはお金である必要はありません。

自分の時間、手助け、技術、知識、能力、才能、励まし― ‐与えられるものはいくらでもあります。高校教師だったころ、ブルースという名前の生徒がいました。

ブルースは口蓋裂という先天性の障害を持ち、 一部にけいれん性の麻痺もありました。学校ではほとんどの生徒が彼の近くに寄るのを避けていました。

私自身は、毎日彼とすれ違うときに声をかけ、ときどき話しかけるだけでした。それが二、三年続き、明日は卒業式という日のことです。ブルースが私にカードを渡してくれました。

そこには、こう書かれていました。

「ありがとう、タイス先生。学校で毎日声をかけてくれて」そのカードは私にとって非常に大きな意味を持ちました。というのも、当時の私はまだ、人生の成功は州大会で優勝することだと思っていたからです。

私の頭を占めていたのは、「どうしたら新聞に写真を載せられるだろう? どうしたら人を圧倒できるだろう? どうしたら世の中で成功できるだろう?」といったことばかりでした。

しかし、″最大の喜び″は、私のすぐ目の前にありました。私に必要なのは、寛大な人間になることだけだったのです。お金を与える必要はありませんでした。

ほんの少しの自分の時間と思いやりと自分自身を、ブルースに与えるだけでよかったのです。

五.厳しい質問を投げかける

自分が最も価値を置くものに厳しい目を向け、こう自分に尋ねてください。

「私はこの人生で何も最も価値を見出すだろう?」「何に対して戦うのだろう?」「何のためなら命をかけられるだろう?」自由?権利?正義?愛する者?快適な生活?精神的・肉体的な健康?あなたが価値を置くものを選び出してください。

自分の人生で重要と思うものを六つか七つ選び出したら、何を人生の目標にすべきかがわかります。

たとえば、私は永遠の魂を信じているので、私の精神的生活は肉体的生活よりも重要です。次に来るのが家族です。人生を賭けた仕事が三番目。健康が四番目。地域環境が五番目ですc優先順位を決めるのは簡単な作業ではありません。

それなりの時間を要します。職場の状況が厳しければ、家庭にそれを持ちこまずにいるのはむずかしいでしょう。両方が相関関係にあるからです。仕事がうまくいかなければ、家計とライフスタイルにも影響します。

★すべてのものが等しい価値ではない

自分にとって最も重要なものを知らなければ、同時にすべてのものに同じだけの価値を与えてしまいがちです。そうすると、ことあるごとに災難に見舞われます。

すべてのものに等しい価値を与えている人たちは、自分の車がへこんだら、どんな行動をとるでしよう?ただ動転するばかりです。

靴ひもがほどけたら、どうなるでしょう? ヒステリー状態になります。家の中がめちゃくちゃなときは? 世界の終わりだと考えます。仕事がうまくいかないときには、どう反応するでしょう? 狂乱状態に陥ります。

なぜでしょう?すべてが同じ重要性を持つという価値観にとらわれているからです。ダイアンと私はオーストラリア旅行から戻った晩に、娘のボニーと一緒に夕食を食べに出かけました。テーブルで話しているときに、ボニーが言いました。

「悪いニュースがあるの。二人の旅行中に、パパの馬がレース中に脚を骨折して転倒したの」

競走馬を一頭失うことは、たしかに何千ドルもの損失になりますが、私が最初にボニーにたずねた質問は、「ジエンズにけがはなかったのか?」でした。

その馬に乗っていた騎手のことです。もちろん、お金は大切です。馬も大切です。でも私にとっては、その馬に乗っている騎手のほうがはるかに大切でした。

そして、私は自分にとって何がいちばん大切かを、そのテーブルであらためて考える必要はありませんでした。人間の命は馬よりも、お金よりもずっと大切です。

しかし、もしそれを理解していなければ、レストランですっかり取り乱していたことでしょう。自分の頭の中で価値あるものに順位をつけ、何が重要かを明らかにしておくことは、大きな助けになります。そうすることで、小さなことでうろたえずにすみます。

しかし、私にとって小さなことが、ほかの人にとっては重要な場合があることも学びました。他人の価値観を尊重しなければならないことも。

ダイアンと私がサンフランシスコ近郊のゴールデンゲートフィールズ競馬場で、二頭のサラブレツドをレースに出していたときのことです。そのときにも一頭の馬が脚を骨折し、安楽死させなければならなくなりました。

子馬のときから育ててきた、私のお気に入りの馬でしたc全米各地のレースにいつも同行していた若い調教師が、その日も一緒でした。

彼は安楽死させる注射を打つと、泣き出しました。その夜、二人で夕食をとりながら、死んだ馬について話していると、彼がまた泣き出しました。

それを見て、私はこう言いました。

「ちょっと待ってくれ。どうして馬のためにそんなに泣けるんだ? 君は今、牛の肉を食べているんだよ」私は彼に倫理と価値観についての即席の講義を行い、重要なものには順位があることを教えましたが、効果はないようでした。

彼の落ち込みはさらにひどくなりました。その夜遅く、ダイアンが私に言いました。

「ねえ、最近のあなた、思いやりにかけているわ。価値感覚を忘れてしまったんじゃない?」彼女の言葉は衝撃でした。

「彼の気持ちを理解してあげようとしていなかったわ。彼の人生は競馬がすべてなのよ。彼は馬を失ったことだけで傷ついたんじゃない。あなたの彼への態度にも傷ついていたのよ。あなたは思いやりを失っていた。

彼という一人の人間に対しても、彼の人生に対しても。彼のことを人としてではなく、所有物のように扱っているからよ。彼が物であるかのように。

彼がただあなたの馬をレースで勝たせるために働いている機械か何かのように。彼が取り乱すのも当然よ。馬とレースが彼の人生のすべてなんだもの」

私は目を見開かされました。

「そのとおりだ。私は周囲の人たちを、私が手に入れたい結果を得るための手段の一部として利用し始めていた」。

私はめったに泣くことはないのですが、そのときは涙を流しました。そして‐ダイアンに言いました。

「私はそんな自分にはなりたくない。そんなのは本当の自分じゃない。どうしてそんな人間になってしまったのかさえわからない」私は大切な教訓を学びました。

自分にとって価値あるものを注意深く選別し、重要なものを見出さないと、徐々に、自分でもわからないうちに、何が最も重要かを見失ってしまいます。

自分の核となる価値観、自分にとってなくてはならないものを忘れてしまいます。

私は故意に周囲の人にひどい態度をとったわけではありません。しかし、気づかないうちに、あるいは不注意にそうしてしまったのです。

★優先順位をつけ、「静かなる絶望」のない人生

すべてのものに等しい価値を与えていると、仕事を失ったとき、顧客を失ったとき、売り込みに失敗したとき、いちいち取り乱してしまいます。すっかり打ちのめされてしまいます。

なぜでしょう? それは、あなたが最も価値を置いていることが、あなたの生活の中で最重要なものではないからです。

最も重要とするものが、永続的な原則、自然の法則、あるいは不変の価値と矛盾しないものであれば、周囲のすべてのものが変化しても自分を強く持ち、冷静でいることができます。

もちろん、その損失によってしばらくは心を悩ませるでしょうが、それでたたきのめされることはありません。強く冷静であろうと思えば、私たち一人ひとりが自分の価値の優先順位を明らかにする必要があります。

不可欠なものは何か、なぜ自分はこの世にいるのか、自分にとって何が重要か、自分の人生にどんな価値があるかを明らかにしましよう。

重要なものが人生に豊かに流れ込むように、アファメーションと目標設定を役立ててみてください。

重要なことの順位づけがなされないと、頭の中で優先順位が定まっていないと、何を選択すべきか、物事への反応をどうコントロールするかを知ることができません。

何に腹を立てるべきかも、何が重大事かもわかりません。私も以前はそうでした。でも今は、以前なら無駄に腹を立てていたようなことでも、 一晩寝れば冷静になることができます。

何が変わったのでしよう?私は自分が価値を置くことが何かを知り、日標に優先順位をつけたのです。ほかのものより重要な価値というものがあります。やるべきことの中には、ほかより重要なことがあります。

それが何かがわかれば― ‐なぜ自分は存在するのか、自分にとって何が重要なのか――自分の家族や仕事仲間を犠牲にしてまで重要性の小さいことをするのをやめる勇気を持つことができます。

個人的な価値観の順位づけが困難になる理由の一つは、私たちの社会的価値体系があまりに歪んでいるからです。

たとえば、プロの運動選手や芸能人の報酬について考えてみてください。彼らの社会的貢献の度合いには見合わない法外な報酬が支払われています。私にこうたずねる人たちもいます。

「でも、ルー、プロのコーチや運動選手と一緒に働くのは、わくわくするだろう?」。ご冗談でしょう。彼らの中には一緒にいて不愉快になる人もいます。

人生にはもっと重要なことがいくらでもあるのに、なぜスポーツでそんなに興奮するのでしょう?私は自分の時間を何に使いたいかを知っています。

自分のお金を何に費やしたいかを知っています。エネルギーを何に注ぎ込みたいかを知っています。

みなさんはどうでしょうか。

それを整理して明らかにしておかないと、時間と才能を浪費することになりかねません。見境なくどんどん多くのものを追い求めてしまいます。

どれだけ多ければ十分なのでしよう。

あなたが本当に求めるものは何ですか?人生のエネルギーを自分のライフワークに注ぐところまで到達すると、ヘンリー・デイヴイツド・ソロー(*十九世紀のアメリカの思想家。作家・詩人)の言うところの「静かなる絶望」を感じることなく毎日を送ることができます。

自分がすばらしいことをしているとわかっているので、死すらも恐れなくなるでしょう。

「私は生きなければならない。これもあれもやらなければならない」と考えたりはしません。プレツシヤーを感じることもありません。自然の流れに身を委ねて生きることができます。

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