ワークシートに書けないことや、どう書くべきかわからないことがあるだろう。この章では、壁にぶつかったときの対処法を解説している。
悩んだり、つまずいたりしていたら一度読んでほしい。
我究を進める上での注意点とは
我究に正解はない。ワークシートに模範口答はない
もうきみは十分に分かってくれたことと思うが、我究とは大学時代の試験勉強とはまったく違う。
覚えたり理解すればいいというものではない。どこにも正解はない。
自分で頭とハートとカラダすべてを使って、もがき、苦しみながらも、ある日、気がつくと、「私は間違いなくやれるな。私の夢はきっと実現するんだな」「なるほど、私は必ず結果を出すな。面接を受けるのが楽しみだ」という、自分のビジョンに対する絶対の自信を手にすることすらできるのである。
心臓の中から、半永久的にあふれ出るマグマのような力(誰にも譲れない意志)を手に入れることで、自分を極限までパワーアップできるものなのだ。
したがって、通り一遍で身につくものであるはずがない。この章を参考にしながら、ぜひもう一度、最初から取り組んでほしい。そしてワークシート以外のことにも挑戦してほしい。
ワークシートは何回やり直してもいいのだ
結論から言えば、20回程度はやり直してほしい。感じ直し、考え直してほしい。
数多くの学生を見てきて、ワークシートヘの取り組み姿勢(どれだけ徹底してやるか)、自己解放の度合(どこまで本音で自分を出せているか)などは学生によって大きな差がある。
就職留年していた早稲田大のM君は当初、中途半端だった。
我究を始めたのが遅かったせいもあるが、日の前に迫つたテレビ局のエントリーシートや面接のことを考えると、一見遠回りのワークシートに本腰を入れて取り組むことができなかった。
それではまずいと分かつていても、結局、エントリーシートづくりと自己PR・志望動機づくりに終始してしまった。
1社落ちて初めて、ワークシートの重要性に気がつく。彼はその後、ワークシートをやりまくった。信じられないが、ほぼ2日で1回、最初からすべて繰り返していった。
そうなると僕の役割は、ただ彼の書いたもの(我究の成果)を週に数回チェックし、その後ビールを飲みながら語り合うだけだった。
A4判のノート4冊分にわたる我究を終えて、本命の最終面接の前日、最後のチェックを終えた時、彼は笑顔でこう言った。
「太郎さん。俺はもう大文夫です。必ず結果を出します。どこどこに内定するとか、そんなちっぽけな結果ではなく、15年後には日本のナンバーワンのプロデューサーに必ずなります」
予想どおり、彼は大本命のTをはじめ、ほかのテレビ局など、その後受けた会社すべてに内定した。
Tの内定の報告の時も、狂喜する僕とは裏腹に、彼は一言、「ああ、内定しました」と、当然だと言わんばかりの、ふてぶてしいほどの笑顔をしてみせてのけた。
ちなみにM君は今、誰もが知る作品を手がける、日本を代表するプロデューサーである。
我究により経験は何倍にも深められる
就職活動を通じて、これからのわずか数ヵ月間の間に、きみは様々な経験をしていく。社会人訪問などで新しく出会う人や、ともに戦っていく友人たち。
彼らと語り合い、褒められたり、時にはけなされたり、説教されたり、あるいはぶつかり合ったり……。
まさに人間にもまれながら、きみは考え、喜怒哀楽、そして感動、すべてを体験していくのだ。
その過程で、我究するチャンスは自分次第で無限に広がっていくことが可能なのである。逆に、どれだけ自分の目指す大人になれるかが勝負の分かれ目なのである。
きみにその意志があれば、1日1日、大人になっていけるのである。だからこそ、最終面接の直前まで、いや内定後も我究を続けるべきなのだ。
すべてのワークシートについて何回も書く必要はない。
読み返し、考え方が変わっていないのなら、アンダーラインを引いたり、○で囲ったりして確認していけばよい。
新しい考え方を持ったものについては書き直す必要がある。既存のものを線で消して、空いたところに書き込んでいってもいい。
また、自分で我究ノートなどをつくり、新しく書いていってもいい(M君をはじめ、我究館の学生のほとんど全員がこの方法である)。
ただ、注意してほしいのは、あとにも述べるが、机の前にへばりついて、勉強ばっかりしている青びょうたんの浪人生のようにならないことだ。
考えることばかりしていると、感じることなどの感動を忘れてしまう。考えすぎて、「遊び心」を失ってしまっては元も子もない。
ワークシートが独り善がりにならないためにはどうすればいいか
「やりたいこと」と「やれること」「やってきたこと」の関係
僕は今も、全国各地で講演をさせてもらっているが、いつも講演を終えたあと、集まってくれた学生や社会人たちとコミュニケーションをとるようにしている。
そんな中で、「私は世界を舞台に活躍したいんです」という人は多い。
頼もしい限りだが、本当に申し訳ないが、なかには一日見ただけで、「厳しい。グローバルビジネスの世界で、活躍できるのだろうか。自分が客観的に見えてないなあ」と心配になってしまう人が少なくない。
また、「旅行が好きなので、商社に行って駐在員になりたいんです」という学生の中に、「きみに務まるのだろうか。きみにできるのだろうか。自分も仕事も見えてないぞ」と思える人も少なくない。
「リアルにイメージアップしよう!」と僕は声を大にして言いたい。憧れだけでは現実はものにならない。憧れだけではリアルなイメージアップはできない。
憧れだけでは、自分に何が足りないか、それを身につけるには何をすればいいかも見えてこない。本当に近い将来、その仕事ができるだけの総合的な力を自分は持っているのか。
きみが今、憧れの仕事、アナウンサーでも商社パーソンでもいい、その仕事に就いたとしよう。
その名刺を持っているとしよう、その現場にいるとしよう。
さあ、きみにできるか?
- きみはきみがやるべきこと=やりたいことを自分を頼りにやってのけられるのか。
- 今でなくても、近い将来それができるのか。
そういうふうにリアルにイメージアップしていこう。
きみは自分のヤッテキタコトを振り返りながら、自分に問いかけてみてほしい。本当にきみの思っているやりたいことは、きみにできるのだろうか。
きみは、「やりたいことのミニチュア版・擬似体験」を学生時代にすでに経験してきているだろうか。
きみは、やりたいことをやっている時の喜びがどんなものか、そのための努力と困難と苦痛がどんなものかを、「やりたいことのミニチュア版・擬似体験」を通じて、ある程度は体で分かっているか面接官は、活躍できる人とは、すでに学生時代のうちにも、そのやりたいことのミニチュア版や擬似体験を経験している人に多いことを経験的に知っている。
したがって、現に内定していく人は、ほとんどの場合、そういった経験をしてきている学生である。
特にマスコミや広告、商社、コンサル、外資系金融など難関企業では、これは内定者のほとんど全員について当てはまるといっても過言ではなかろう。
「やりたいことのミニチュア版。擬似体験」といっても、そんなすごいことである必要はない。分かりやすいよう、具体例で見てみよう。
〈例1)やりたいことが「商社パーソンとして、世界中にあるニーズを発見してきて、新たなビジネスを生み出すこと」だとする。
当然、多種多様な価値観に飛び込んで行く度胸や、0から1を生み出す能力が求められる。
そのミニチュア版・擬似体験とは、例えば、
- 大学に自分の趣味であるお茶サークルがなかったので仲間と創設して、著名な先生に顧問として週に1回来ていただいたという経験
- 途上国や新興国に旅行に行った際に、現地の激安でオシャレなものを買ってきてネットオークションで売り、利益を出して旅費の元をとった経験。
- 国際交流サークルに入り、多国籍な人を巻き込んで、「持ち回りで自国の食文化を紹介する」ホームパーティーを全20回開催したという経験
〈例2〉やりたいことが「ビジネスを通じて発展途上国を豊かにしていくこと」だとする。
そのミニチュア版・擬似体験とは、例えば、
- 塾の講師として多くの中学生のために頑張ってきた経験
- サークルを仲間とともに創立し、みんなを盛り上げながら、リーグ戦の優勝を目指して頑張ってきた経験などである。
逆に、擬似体験が本当にない場合、例えば、
- 学生時代は1人でコツコツと資格試験の勉強をしてきたけれど、ある日、テレビで発展途上国の現状を見て、そこに生活する彼らを豊かにしたいと思った。
- 週に3日、英会話と中国語の学校に通い、身につけた語学力を生かして、途上国の発展に寄与したい以上のような経験の人には現実として、そのままでは活躍を期待しにくいのである。
では、そういう経験=「やりたいことのミニチュア版・擬似体験」をしてきた人でないと、そのやりたいことを将来できる力を持つた人にはなれないのかというと、僕はそんなことはないと思っている。
一度しかない人生において、過去に未来を振り回されてたまるかとさえ思っている。
しかし現実として、未来は過去と現在の延長線上にしかあり得ないのだし、ある日突然、やったこともないことが完璧にできるようになるわけではないだろう。
また、実際に社会で活躍している人には、学生時代に何らかの「やりたいことのミニチュア版・擬似体験」なり、後述する「特A級の経験」をしていたという人が圧倒的に多いのは事実だ。
確かに、17、18歳の高校生ならまだしも、20歳を過ぎた大学3年生なのだから、すでにそういった経験をしていてほしいものだと僕も思う。
もしきみが、「そういう経験がない」と言うのであれば(見つけ出せていない可能性もあるが)、今からでも新たなワークシートとして取り組んでいくべきだ。
就職のため、内定のため、というちっぽけなもののためでなく、将来の「なりたい自分」のために、ぜひとも取り組むべきだろう。
「特A級の経験」によって「特A級の喜び」を得よう
「特A級の経験」とは一言で言えば、「自分がイニシアチブをとり、みんなを動かし、みんなとともに、多くの人に喜び(プラスの影響)を与える経験」であり、「特A級の喜び」とは、「主体的。能動的な行動に基づいて、多くの人に喜び(プラスの影響)を与えることを通じて得られる、彼らとともに感じる喜び=人を喜ばせること(プラスの影響を与えること)で得られる喜び」のことである。
自分に問いかけてみてほしい。
- 受け身ではなく、能動的な行動をどれだけしてきたか(ファンサイドかステージサイドか)
- 自己完結型ではなく、人を巻き込むことをどれだけしてきたか。どれだけ人を深く、多く喜ばせてきた(プラスの影響を与えてきた)のか。
- きみが打ち込んだことは、単発的なことだけではなく、じっくりと時間をかけて取り組んだことか
「特A級の経験」によって得られる「特A級の喜び」を得るためには、たとえそれがどんなことであれ、それ相当の、かなりの努力と困難と苦痛を伴うはずである。
しかし、「特A級の経験」をしてきた人は、必然的に我究する前から、自分のアイデンテイテイ(「個」の存在意義)を常に自覚しながら生きてきた人であるはずなのだ。
ワークシートが懺悔になってしまう
未熟な自分のギャップを埋めていこう
時々、ワークシートが懺悔になってしまう人がいる。「私は、これこれこんなふうにダメでした」とか、「……だから結局、俺はまだ何も分かっちゃいないのです」など……。
等身大の自分に気づき、自分を否定する。それは成長のために絶対に欠かせないステップだ。それでいい。
そんな時、僕は、その学生にまずこう言うようにしている。
「自信がないのはよく分かった。きみが反省しているのも分かった。でも、いつまでもそれじやあダメだ。もう失うものは何もない。あとは悔しさと希望を胸に上がっていくだけだ」
明治大5年のY君のワークシートも懺悔だった。
やる気まんまんだったゼミでも結局は暴走して、皆の力を結集するはずの共同論文も、ほとんど自分一人で作り上げてしまったこと。
他大学との対抗ゼミも自分だけ張り切って、自己満足だけのものに終わってしまったこと。
去年の就職活動も中途半端で逃げるようにバンド活動に走ったことなど、ああでもないこうでもないと、しきりに反省していた。
しかし、Y君もそうだったが、そういう学生は間違いなく見どころがある。ごまかしを捨て、ダメな自分としっかり向き合えたからこその懺悔なのだ。
過去から現在をプラス思考で肯定できていないのだが、それだけではない。志も理想も高いのだ。
だからこそ、自分の理想としてイメージしているものと現実とのギャップから反省になってしまうのだ。それでこそ我究だ。
ここまでが褒め言葉。
「理想と現実のギャップを埋めるために、いったいおまえは何をしていたのだ。つい最近始めたことでもいい。ギャツプを埋めるための何らかの努力をしなければ、ワークシートは何十枚書いても、いつまでたっても、おまえは自分で書いたとおり、落ち込むだけのダメな人間のまんまだぞ!」
懺悔はいくら繰り返しても懺悔にしかならない。あきらめにしかならない。未熟だつた自分をいかに克服するか。
イメージする理想の自分に、実体の自分が追いつき、ありのままの自分がベストの自分になってこそ我究できたことになり、自価を高めたことになるのだ。
そのためにすること。理想の自分を描き、ギャップ(今の自分に足りないもの)を明確にする。
そして、その足りないものを身につけるために具体的に今日から何をしていくのか、自らに課題を課し、実行していく。
Y君の場合はコミュニケーション。友人たちとの対話により、友情を深めていくこと。
そのための具体的な行動として、昔のゼミの仲間との飲み会を自らセツト、徹夜の語りを繰り返していくことで友情を築き上げていつた。
さらに我究館においても、仲間や講師たちと、自分をさらけ出す本音の語り合いを繰り返すことで、早慶など他大学の親友を何人もつくつていつた。
数ヵ月後、Y君は別人のように変わった。自信が涯り、どんな人にも自分から語りかけ、心を開き合える男になっていた。
すかした暗い人間から、おちやめで明るい頼り甲斐のある人間に変わっていた。予定どおり、きっちり商社の内定もゲットした。そして現在は、予定どおり独立し、自ら経営する店を軌道にのせている。
ワークシートに本音が書けないという人はどうすればいいか
自分から逃げない強さを身につけよう
ワークシートは誰かに見せるために書くものではない。ましてや面接の時、面接官に話すために、その原稿を書くものではない。
自分を知り、自分を高め、自分の未来を描くために書くのだ。本音で書かなければ意味がない。
どうしても書きたくないという特別な場合は別にしても、基本的には思い出したくないことも、勇気を持って書いていこう。
思い出したくないこと、書きたくないことを書けるようになった時、必ずその人は強くなることを、僕は書き切れないほど多くの実例として見てきた。
トラウマになっているようなこと―例えば、幼い頃の両親との確執、友人に裏切られたこと、裏切ったこと、人にだまされたこと、だましたこと、今の学生の中には少なくないドラッグにはまりかけてしまった経験などなど……。
涙なしには書けないこともあるだろうが、勇気を持って書いてみよう。今、思い出してみると、「裏切られた」などと、あの時感じたことは、幼いゆえの独り善がりな誤解だったのかもしれない。甘えだったのかもしれない。
誤解ではなかったのかもしれないが、自分にも非があったことに気づいて楽になるかもしれない。いずれにしても、今となってみればいい勉強、教訓になっているかもしれない。
いや、かもしれないではなく、そう確信できるまでプラス思考で見つめ直してみる必要があると僕は思う。
他人に対してではなく、「自分に対して隠し事を持たない状態になること」は、「自分に対して逃げない人になる」ということだ。
逃げない強さを身につけたいのなら、自分の過去からも逃げないでほしい。このことは我究において必要条件の一つなのである。
大学時代、これといって一生懸命になったものが本当にない
就職活動のためを考えると、本当にないのなら、今からつくればよい。今から何かに一生懸命になればよい。
この本を読むタイミングが遅れて、就職活動のことしか考えられないとしても、それでも就職活動ももちろんだが、それ以外の何かに一生懸命になるべきだ。
面接官は一生懸命になったものの量や質で学生を選ぶのではない。現在および未来のきみの価値で選ぶのだ。
期間が短くても、我究により密度の高いものにすることができれば、それでいいのだ。なぜ、一生懸命になったものがあるべきなのか。
それは面接で自己PRとして「しゃべる内容」を持つためではもちろんない。一生懸命になったことがある人、本気で徹底して打ち込んだものがある人にしか身につけられないものが存在するからである。
自分の知らない弱みに気づこう
慶應大のY君も、なかなか「一生懸命になれるもの」が見つからなかった学生の一人だった。
「サークルも途中でやめた。勉強は皆無。やったことといえば麻雀と、強いて言えばナンパぐらいかな……」最初は頼りなさそうに、そんなことを言っていた。
しかし、徹夜の我究と語りを繰り返した後、自分には人に負けない武器があることにY君は気がついた。
彼の家(一人暮らし)は、学生や社会人、近所のおっちゃんたちの麻雀の溜まり場だったのだ。
Y君が彼女と深夜に帰宅すると、勝手に友人たちが上がり込んで、テレビゲームに興じていたこともあるという。
そう、彼はどんな人とも伸良くなれるという特性を持っていたのだ。なぜ、彼がそんなに誰からも好かれる人になったのか。そのきっかけは中学3年の秋に遡る。彼は当時、大阪の不良だった。荒廃した中学において、二大勢力の1つを牛耳っていたはど、かなリイキがっていた。
ところが、その秋の運動会の予行演習の日のこと、彼が一人ですかして歩いていると、突然、もう1つの勢力の連中が現れた。
そしていきなり、女の子たちの面前で、彼らにボコボコにされたのだった。傷だらけの14歳のY君は、ヤンキーにもかかわらず不覚にも泣いてしまった。女の子たちは、そんなY君を冷ややかに見ていたという。その日以来、彼はヤンキーをやめた。
「もうイキがるのはよそう。もっと素直に、もっとみんなと仲良くしよう」と、自分の心にそう誓ったのだった。
そんなことがあったからこそ、今、みんなに好かれる自分がいたことにY君は気づいた。自分が一生懸命だつたこと、自分の強み(エッジ)に気づいてからのY君は見違えるようだった。
当然のことのように、Aが4つだけにもかかわらず、商社の内定をゲットした。きみにもきっと何かあるはずだ。
一生懸命にやったという意識が特になくても、知らず知らずのうちに、きみならではの何かをしているはずである。とことん自分を振り返ってみることだ。
仕事は本当に面白いのか
僕は理想論を言うつもりはない。きみにインスタント・ドリームを植えつけるつもりもない。あくまでも現実として言いたい。
「仕事が面白いと感じるのはできる人だけである。できない人にとっては仕事は苦痛である」どんなことに面白みを感じるかは、人それぞれ興味によって違うだろう。
しかし、どんな時に面白いと感じるかは、多くの人に共通するものがあるのではないだろうか。
すなわち、「チームの成果最大化のためにやってきて、チームの心が一つになっていると感じられる時、一人ひとりが生き生きしていると感じられる時、同時に自分の力もチームや誰かにポジティブな影響を与えていると感じられる時」である。
人から言われたとおり、大して期待されていないことをして、誰がやっても同じような結果を出していては、面白いはずはない。
それは仕事ではなく労働である。労働はいくらやつても、小さな達成感はあっても、心から面白いと感じることはないだろう。
まさに、「金はいらないから、これをやりたい!」と言えることこそ、本当に面白いことではないかと僕は思う。
そのあたりの感覚は、サークルやゼミとまったく同じだから、きみも分かるはずだ。つらいけど、しんどいけど、面白い。その感覚だ。
では、どんな業界や部署でも同じようにそれを味わえるのかというと、そういうわけではない。
はっきり言って、マスコミや制作、企画、営業などの、自分の色を出さないとまったく仕事にならない自由度の高い業界や部署のほうが、明らかにその感覚が味わいやすい。
また、業界にかかわらず、若い人間に仕事をできるだけ任せてくれる会社のほうが当然味わえる。
工夫して楽しめば仕事は始ず面白くなる
ここでは、あえて自由度の低い「経理」というセクションでの具体例を挙げて考えてみよう。
1万、2万円のお金を扱っていたのでは正直、面白みは持てないだろう。しかし、それが数千万、数億円となれば、自分の担うものの影響力は大きい。
期待されたとおりの仕事をしていたとしても、達成感や面白みを感じることができるだろう。
しかし、それで本当に仕事の面白さを味わえるかというと、答えは否だと僕は思う。なぜなら、そこに自分の色、創意工夫が出ていないからだ。
経理というセクションの中で、金額を変えることができないのであれば、仕事のやり方を変えればいい。
考え、工夫することにより、業務をより効率化させるためのオリジナルの方法を編み出すのだ。
誰がやっても同じ仕事などコンピュータにやらせればいい。脳みそと心を持った人間がやる必要はない。
僕はそう思っている。人間がやる以上、より良いものを目指して工夫していくべきだ。
経理に限らず、どんなに額の大きい仕事をしていても、どんなに面白いと言われている部署にいようと、たとえ多くの人に喜ばれても、きみが、「自分じゃなくても同じ」という仕事をしていたのでは、最高に面白いとは言えなくなる。
最初は、たとえどんなに小さなことであっても、「自分がいたから、これができた」「私がいたから、こう変わった(プラスに変わった)」ということを自分からつくつていかないと、心から面白いと言える仕事にはなり得ないのだ。
最初は、例えば無駄に思える業務を効率化させたり、古いマニュアルを書き換えたり、できる範囲で工夫していけば、必ず仕事は面白くなる。
また、その方法がまったく思いつかないのであれば、まずは仕事に関係ないことで、自分の色を出すことをやってみるのだ。
例えば、自分から大きな声で挨拶をすることで、挨拶をする習慣をつくってしまうとか、部の飲み会の店や内容をこれまでの慣例と違う、もっと楽しいものにするなど、仕事に関係ないことに思えても自分なりの工夫で、会社の何かを変えることをやってみよう。
それができたら、自分の中に小さな自信の種を持つことができる。それを少しずつ育てていくことで、今度は少しずつ仕事の中身で自分の色を出していくのだ。
そうしていくことで、自分のプラスの影響力が大きくなればなるほど、一気に仕事は面白くなっていくのだ。
・夕会社でやりたいことは本当にできるのか
6、7年先の自分のために、勝負は1年目だ
やりたいことが会社にとって有益なことであるのならば、それをやるだけの「力」さえあれば確実にできる。
「会社でやりたいことができるわけないじゃないか」そんなことを真顔で言っているビジネスパーソンは多い。
会社にもよるが、これからという若い人にもそういう人が多い。そのような人は現段階では、その「力」を持てていない人なのだ。近い将来、日が覚めて、カを蓄え、行動が伴った時は、違うことを言っているはずだ。
やりたいことが高度なものであればあるほど、それを実現するための力も大きなものが必要になってくる。知識も経験も行動も高度なものが求められる。
だからこそ、入社早々でできるものではない。
特に、バイタリティが強く、大きな野望を持っている頼もしい人材ほど、若いうちは焦ってしまうものだ。
焦る気持ちは僕もそうだつたからよく分かる。先輩から「焦るな」と言われて、はやる気持ちを抑えられるほど、きみのバイタリティはやわじゃなかろう。
しかし、ここでよく考えてみてほしい。
会社とか何とかは、とっぱらつて考えよう。
仕事で自分を生かしていく上で、本当に勝負するのはきみがいったい何歳になった時なのか。社会人として本当にその人間の真価が問われるのは一般に30代からだろう。
時代とともに、それが若年化する傾向にはあるが、社会に出てからの6、7年は、まさに自分にとっての修業の時代だと位置づけるという考え方を持ってほしい。
修業時代にバイタリティがなくなってしまったり、トゲを抜かれてしまうほどやわな人ではお話にならないが、本当に真価が問われ、やりたいことをやりたいようにできる力をつけた時に、思う存分やりたいことをやれることが最も重要なのだ。
しかし、そのためにも1年目が勝負だ。修業時代とは、我慢の時でも休憩の時でも変身の時でもない。全力で主体的に取り組むべき時だ。
夢ややりたいことは、いつか変わってしまうのではないか
人間は変わる。だから夢ややりたいことも変わっていい
結論から言うと、夢ややりたいことは変わることがある。変化していく。やりたいことが二転三転どんなに変わってもいい。
しかし、僕自身や僕の友人たち、先輩たちを見ていて思うが、一般に20代で真剣に考え、我究して描いたものであるのならば、変わったとしても、そんなに違うものにはなり得ない。
特に入社して数年後、社会をカラダで体験し、自分の力量も判断した上で描いたものがその人の我究の夢であり、やりたいことであることが、諸先輩方や自分の周りの友人たちを見ていても多いようだ。
ここで言いたいのは、入社数年後のその時、どれほどの人間になっているかが、大きなカギを握っているということだ。
いつか夢がよりいっそう明確になった時に、「理想を言えば、こういうふうになりたいけど、今からじゃ無理だな」なんてことには絶対なりたくない。
ということは、今からその時までに、どんな経験をし、どれだけいろんなものを吸収できるかが重要になってくる。本来、夢ややりたいことは、何歳で変わっても構わないものだ。
ただ、肉体に老いというものがある以上、若さみなぎる20代の今こそ我究し、自分を大きくするための自己研鑽に励むこと。
そのための自分に対するモチベーションをハイテンションにキープするためにも、自分のビジョンに向かって試行錯誤しながらも驀進する生き方がベストであると、僕は自信を持って言いたい。
深く考えること、自分と向き合うことが苦手な人はどうしたらいいか
中には、我究の苦手な学生もいる。深く考えることを拒む人だ。
人間をパターン分けするのは、はなはだ不本意かつ僣越であるが、いくつかのパターンに分けられる。
一番多いのが次のタイプの人。
明るくて性格も人なつっこく、能力の高い(頭の回転の速い)人。
あまり考えなくても、学生社会では感覚でたいていのことは(勉強も遊びも)人並み以上にできちやった人で、偏差値の高い大学に多い。自分にそこそこの自信も持っている。
さらに共通しているのは、過去に傷ついた経験があり、それ以来、自分と向き合うことを拒絶してしまった人だ。
忍耐強くないため、嫌になるとすぐプイッとふくれてしまったりする子供だ。そういう人は夢を明確化するのも早い。
ワークシートもサーッと流すだけで、究極の夢もやりたい仕事も感覚でつくったものに過ぎない(本当に抜群の人なら、すべてが感覚だけでいいのだろうが)。
夢ややりたい仕事に限らず、何に関しても、表層を浅くすくったような感覚を自分の考えとしてしまうことは、学生社会やテレビの中の社会では通用しても、仕事ではまったく通用しない。
やりたいことも夢も、そのままではぐらぐら揺らぐ、ちょつとしたことですぐにぐらつく。カベに弱いため忍耐力がなく、あきらめも早い。ほんの少しずつでいい。
腰を据えて、嫌々ながらもじっくリワークシートに取り組み、我究することで克服できるのだが、そのままでは本人の表面的な自信とは裏腹に内定は難しい。
我究できる人が1社落ちると、その都度ワークシートで我究し、落ちた原因を分析し、それを補うための戦略を立て実行していくのに対し、我究できない人は何社受けても落ちた原因を分析しないため力がつかない。
我究が苦手な人は難関企業には確実に内定できないのだ(落ちる人のパターンは『絶対内定2025面接』参照)
やれば分かる。やって良かったと自分で気づく
いずれにしてもワークシートに取り組むのが苦手な人は、まれにいる超抜群な人を除き、そのままでは内定は難しい。
面倒くさいとか、嫌だとか、意味ないんじやないかとか、甘えたことを言う前に、まず本腰を入れてワークシートをやってみよう。
やったら分かる。やって良かったと、結果が出る前に自分で気がつく。
また、僕もそうだったし、多くの男子学生にも当てはまるが、実際問題20代前半までは、性欲というものが脳みその半分(人によっては差があるが)を占めている。
特に若いうちは女性のことが頭をよぎって、目標を見失いがちになったりする。
そんな時は究極の夢ややりたいことを考えようにも、「俺の夢は、とにかく女にモテまくること」「究極の夢は、飛び切りいい女を抱くこと」などとなってしまう。
それが本音であるならば、それはそれで大いに結構。
エネルギーがあふれている証拠だし、そういう人が抜群にできる人になる有望な人材だったりする。そういう人が仕事に目覚めると、誰にも止められないパワーを発揮する。
しかし、自分の性欲を自分でうまくコントロールしながら、それ以外の観点でも、ぜひじっくり考える必要がある。
まとめ
・ワークシートは20回程度はやり直してほしい。感じ直し、考え直してほしい。
・すべてのワークシートについて何回も書く必要はない。読み返し、考え方が変わっていないのなら、アンダーラインを引いたり、○で囲ったりして確認していけばよい。
新しい考え方を持ったものについては書き直す必要がある。既存のものを線で消して、空いたところに書き込んでいってもいい。また、自分で我究ノートなどをつくり、新しく書いていってもいい。
o「やりたいことのミニチュア版・擬似体験」なり、「特A級の経験」を通じて、「特A級の喜び」や、そのための努力や苦痛や困難を乗り越えてきた経験を体にしみ込ませてきたことが、その人の顔つきにも、表情にも、しゃべり方にも、態度にも、雰囲気にも、考え方にも、自然に表れてくるものなのだ。
・夢ややりたいことは変わることもある。本来、夢ややりたいことは、何歳で変わっても構わないものだ。
ただ、肉体に老いというものがある以上、若さみなぎる20代の今こそ我究し、自分を大きくするための自己研鑽に励むこと。
・面倒くさいとか、嫌だとか、意味ないんじゃないかとか、甘えたことを言う前に、まず本腰を入れてワークシートをやってみよう。
やったら分かる。やって良かったと、結果が出る前に自分で気がつく。
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