いよいよ最後の章だ。我究が自分ごとになってきているだろうか。不十分だと感じる人は、理想に向けて困難を乗り越えた、先輩たちの物語を読んでほしい。
就職も内定もただの通過点にすぎない
そもそも就職活動とは、きみにとって何なのか。何度も繰り返してきたことだが、だからこそきみにもう一度考えてほしくて、この章を書こうと思う。
就職を考える時、自分の人生について考えることが不可避であるという僕の考え方を、ここまで読み進めてきみは、分かつてくれたはずである。
「どう生きたいのか。どうなりたいのか。何をやりたいのか」
きみがワークシートを使って一生懸命見つけようとしてきた
「我究のコア(=自分の願望)を実現していくこと」=「人生を大いに楽しむこと。幸せを体験していくこと」=「豊かな人生を送ること」
こそが、生きることの目的であり、その自分の生きたい生き方の過程として、「今、ある企業に入ることがベストチョイスである」と思われた場合のみ、就職すればいいのだと思っている。
したがって、よく世間で言われているような、「まず就職しよう。それから先は、その時に考えよう」という考え方が、最終的にその結論に達した場合は別として、たとえ、きみがどんなに未熟であったとしても、また、そんないい加減な考え方で仮に就職できたとしても、今がきみにとって絶好のチャンスの一つである以上、それが妥当だとは僕には到底思えないのである。
あらゆるものが複雑であって、しかもそれぞれが絡み合い、そしてその一つ一つさえもが刻一刻と変化している。
人間ももちろんだが、すべての総称としての「世の中」も同様だ。今日の常識は明日の非常識。今日の成功体験は明日の衰退原因。
僕は40歳代の若造だけれど、それが現実であることをこれまで何度も見、そして体感してきた。
若年層人口が減っていくとはいえ、加速する空洞化と経営の効率化、業務の高度化の中、若年層の失業率はどんどん上がっていくだろう。
優秀な学生ほど就職しない時代にもなることだろう。米国や香港、シンガポールなど海外に就職していく日本人もどんどん増えていくだろう。どんどん世の中は変わっていく。
だからこそ自分のものさし、自分の価値観を大切にして、そして自分も社会をつくっていく一人であることを自覚して、強く生きていつてはしいと願うのである。
自分の求める生き方に合わせて道を選ぶ
内定することが目的ではない。手段にすぎない。一通過点でしかない。
我究を通じて、「自分にとってのなりたい自分」や「夢」を認識し、それに向かって主体的に生きていくことこそが重要なのだ。
人生をトータルで見た時に、自分にとっての幸せな生き方を深く考え、スタートさせるキッカケをつかむ(=我究する)のに最もベストなタイミングは、学生社会から大人の社会への転機である就職活動時であると僕は思っている。
それだけではない。現実と激突すること。真剣な就職活動を通じて、それを体感してはしいのだ。
なりたい自分像、やりたいこと、望む生き方、それらを持って生きるということはエネルギーを要することである。
自分の思いがただの幻で終わらないようにするためには、僕たちは現実と激突するほかない。エネルギーを最初から持っている人はいない。そのことを通じてエネルギーを培い、育み、強くなっていけばいい。
さらに、自分について、社会について、深く考え、行動していくことで、いかに自分が社会と深くつながりを持っているかにも気がつくはずだ。
そして、単に個人的な存在としての願望だけでなく、社会における存在として責任を持って生きるという意志を心の内側から育むことができるだろう。
外的制約要因のほとんどない学生の今こそ、これらのことを描き、体感し、筋肉の中にしみ込ませることができるのだ。
受かったり落ちたりと、人が人を短時間で判断する就職活動という極めて特殊なイベントは、就職するかどうかとは別なところで、おおむね平和な現代社会に生きる僕たちにとって、ものすごく意義のある経験ができるチャンスだと僕は思っている。
もっと言えば、人によっては、嫌で嫌でたまらないストレスの溜まる職場にでも就かない限り、なかなか容易には経験することのできない、めったにないチャンスだと思っている。
だから僕は就職活動に関わっているのであり、その意味で実は就職活動を利用させてもらっているにすぎないのだ。
つい最近まで、就職活動を迎える大学生のほとんどがマニュアルを読み、とりあえず内定することを目的とするといった本末転倒な就職活動をしているという実態があった。
その結果として、内定しても、入社後、本当にこれがやりたかったのかという思いに駆られながらも、それを深く考えないようにして目の前にあるものだけを見て黙々と不本意ながらやり続け(やらされ続け)、そうやって問題意識を失っていくビジネスパーソンが大量に生み出された。
今でもその傾向は続いている。
それが少しずつ、「自分はどういう自分になりたいのか」「どういう生き方をしていきたいのか」「どんなことをやりたいのか」と、自分を真剣に見つめ直す=我究する風潮に変わりつつある。
自分の求める生き方を見つけ出そうとし、それに合わせて道を選んでいく風潮に変わりつつある。僕としては本当にうれしいことなのである。
本当は、もっともっと多くの就職活動を迎える学生たち、そして学生に限らず多くの社会人に自分を見つめ直す作業を実行してもらえたらと僣越ながら思うのである。
単にやりたいことやキャリアだけでなく、自分にとっての幸福とは何かを真剣に考える時がきたと思うのである。
自分を動かすエンジンを身につけよう
今年も我究館では、就職活動の結果としても、納得のいく実績を挙げることができた。ほとんどの学生が本命はもとより、一人で複数の内定をたたき出した。
テレビ、出版、アナウンサー、広告、商社、コンサルティング、政府系などの超難関企業にも志望した学生のほとんどが本当に次々と内定していった。
起業家、官僚、政治家、学者、弁護士、ピアニスト、タレントも順調にスタートを切った。
就職活動に限らず、社会人の転職活動においても、テレビ、新聞、コンサルテイングなど確実に結果を出すことができた。
我究という作業が極めて効果があることに、僕は絶対の自信がある。これさえ本当に本気でやれば、たかが就職活動ぐらい勝てると確信している。
自分に厳しく、かつ楽しく就職戦線を戦う。
それに尽きる。
「もう一歩も下がれない。絶対に負けない」という本気の決意。「死ぬ気でやる」という本気の覚悟。
「いったん死んだつもりになれば、どんなことでも楽しいと感じるはずなのだ」「苦しいとか、つらいとか、不安だとか言っているようではまだまだ甘い。涙が出ようが落ち込もうが、前進あるのみでとことんやる。徹底してやる。それしかない。まさに行動あるのみ!」
こんなことを言うと、きみは異様に感じてしまうかもしれないが、できる大人たちは誰もがこのテンションをカラダの中に持っているのだ。
できる大人だけではない。本命をゲットする学生は、みんな持っているものなのだ。確固たるタフなハートを身につけさえすれば、そんなに大変なことではない。
逆に、気負うことなく、媚びることなく自然体で臨めるようになるのである。自分の中の甘えを一切排除して全身全霊で臨む。
そうすることで本気度は100パーセントになる。充実度も100パーセントになる。それが確実に結果に出る。
文字ではとても表せないほどの、ものすごいパワーを内に秘めて立ち向かっていくのだ。難しいことはない。やるかやらないか、単純にそれだけだ。
「人間の可能性は無限だ」両手を挙げてガッツポーズする一回り大きくなった学生を見るたび、僕は心の底からそう実感している。
そしてさらに、彼らが将来どれだけ大きく羽ばたいていくかと思うと、うれしくてそれまでの苦労も徹夜の日々もすべてが吹き飛んでしまうのだ。
我究とは就職に勝つためだけのものではないことに、きみはもう気づいているだろう。できる人材として、仕事に勝つためにもベストなワークなのである。
仕事だけじやない。恋愛や人生そのものに勝つためのものなのだと思っている。「夢を夢で終わらせない」ためのものなのだ。
「どこどこに内定した」そんなちっぽけなものは、正直言ってどうでもいいとさえ僕は思っている。「自分の目指す自分像、大人像」に向かって、自分を推進させていく力=エンジンを身につけることこそ重要なものだと思っている。
我究館から飛び立った先輩たちからのメッセージ
もう一つ、僕にはうれしいことがある。それは、学生時代に我究して、社会に飛び立った我究館の先輩たちの際立った活躍ぶりである(業績だけを見ても明らかに一線を画している人が多い)。
単に、社会の厳しさの最初のカベを短期間にクリアしたとか、実績において同期で一番だとかいう、ちっぽけなことだけではない。
企業人という範疇を突き抜けて、会社のためでなく、自分の夢(なりたい自分、やりたいこと)のために、とことん頑張り、結果を出し始め、日々を充実させて楽しく生きている彼らを見ていると、僕も初めて恋をした時のように、カラダの奥底からやる気とパワーがあふれ出てくる。
会う度に大きくなってきている彼らからのメッセージを載せて、この本を締めくくろう。
あとがき
僕ときみとは、就職活動を通して知り合うことができた。
もうきみは気がついていることと思うけど、僕がきみに延々と述べてきたことは、本当は就職についてではない。「大人になること」という人間の本質についてである。
今の日本の教育システムは、ある種の「突破」を自ら図らなければ、一生「大人」になれない仕組みになっている。
誰もがいい高校に行こうとし、誰もがいい大学へ行こうとする。そしてあたかも、いい会社という学校に入れば、自動的にハッピーにさせてくれるような、そんな錯覚を抱いている。
そして、それでもハッピーになれないと気づくと、自分以外の何かのせいにして、放課後に陰で憂さを晴らし、先生の前ではじっと我慢している。大人になれない子供たちには、その我慢が大人の美学であるかのごとく賛辞を呈する風潮さえある。
また、我慢するまでもなく、日常の忙しさに紛れ、そのことに気づかないふりをしている人も多い。そして本当に何も気づかないまま、いい歳した頑固で従順な子供になっている人も多
中学、高校、大学と「卒業」を繰り返していくうちに、いつのまにか会社まで、「いつかきっといいことがあるんだから」と、「卒業」目指して我慢することを、先生という心の中の絶対的な大人から言われ続けたとおり守り抜いているのだ。
いつまでも幻想でしかない淡い期待にすがる甘えん坊の子供なのだ。
確かに、日本の教育システムは、大量の優秀な子供を生み出す仕組みになってはいる。また、日本の社会全体が、いつまでも子供であることを許容したり、時にはそれを強いるといった構造になってもいる。
しかし、僕は問題をすり替えたくはない。きみにも問題をすり替えてはしくない。
「きみはどうしたいの?きみの幸せは何なの?」と、いちいちきみに聞いてくれる先生は、もうどこにも存在しない。
ハッピーを与えてくれる絶対的な大人も、もうどこにも存在しない。自分の幸せは、自分でつかみとるものなのだ。
自分からアクションを起こしてつかみにいかないと、待っていても誰も何もくれないのだ。
僕がいつも学生に言っている言葉がある。
「志を持った異端者たれ!」僕自身が抱き続けている大入像であり、きみに目指してはしい大人像だ。
現実や常識を、絶対的な限界という言い訳にするのではなく、味方にできる強さを持った人間。
現実や常識という薬を飲み込んで、泣き寝入りしたり、逆に現実や常識に背を向けて、手に負えない子供として自分だけの世界の中で生きていくのではなく、現実や常識に立ち向かい、いったんはあえて飲み込み、自分に力をつけることで堂々と突破し、新しい現実や常識を自分の力でつくっていく人間。
既存の価値基準にとらわれることなく、自分自身の究極の夢・志に向かって、自分から次々と突破を図り、常識を超越して社会の中で堂々と自由に楽しく生き、夢や志を実現していく人間。
誰かのものさしに合わせていくのではなく、自分がものさしになり、世界で唯一の存在として、周りのものさしさえ変えてしまうほど生き生きとした人間。
そんな強い人間になってほしい。
自立――。
使い古された言葉だが、「志を持った異端者」になるために、あえてこの言葉の意味を考えてみたい。
親や会社など他に依存せず、自分を頼りに生きていく―‐もちろんそういう意味である。しかし、僕はそれにもう一つ、つけ加えたい。
「人に依存せずして、人を愛せよ」それが僕の自立の定義だ。
「志を持った異端者」になるべく、僕が目指している生き方だ。
単に依存しないというだけではなく、親や会社、あるいは社会、友人、学校、恋人、上司、部下、同僚、取引先、さらに日常の中で触れるものすべて、自然や街並みから、ボールペンや書類、フアイルなど、ありとあらゆるものに、心からの愛情をもって接する生き方、単に自分本位になることなく、心からの愛情と、責任という自分を律する厳しさを持った生き方、すなわち気品を持った生き方こそが、自立した人間としての生き方なのではないだろうか。
もちろん厳密には、人間は自分以外のほかのものにまったく依存せずして生きていくことはできない。
実は、互いに依存し合うということも、豊かな暮らしのためにも、より良い人間関係を維持していくためにも必要なことだ。
しかしそれは、互いが自立した存在であって初めて成り立つことである。
社会と個人は、そして大人としての他人と自分の関係は、何をしても最終的には絶対的な愛で守られ許される親と子のような関係ではなく、他に甘えることなく自らをまつとうし、さらに他を愛してこその補完の関係なのであると僕は考える。
きれいごとを言うつもりはない。
きみが社会や企業の中で生きていくことを選ぶ以上、しがらみから解き放たれて、いや現実にはしがらみを引きずりながらも、真に自由に生きていくことが、そうそう簡単ではないことは僕も身をもって知っている。
やりたいことをやるためには、やらなければいけないことが山ほどある。やらなければならないことをやつた上でしか、やりたいことはできない。
やらなければならないことをやり続けられる人にしか、やりたいことをやる資格はない。そうでなければ誰にも認められない。ただの現実逃避でしかない――。
しかし、企業人であっても、心底自由にのびのびと活躍できる方法がある。
それが抜群にできる人材になることなのだ。抜群にできる人材とは仕事ができるだけではない。
- 仕事が抜群にでき、さらに、あらゆるものに対し、惜しみない愛情を注ぎ続けるパワー・強さ、
- そして高潔さをも持ち続ける必要がある。
この2点を身につけた時、僕たちは自由になることができる。現実や常識さえも味方になる。そしてそこに、きみのものさしが新しい常識として加わることだろう。
できない人にとっては嫌な上司も、できる人にとっては最高の上司であるし、できない人にとってはどうしようもない現実のカベも、できる人にとってはクリアして新しい常識をつくれる絶好のチャンスなのである。
きみの時代の夜明けを迎える前の、前夜の間でしかないのだ。関門は「千」あると思っておいてはしい。「七転び八起き」どころではない。「千転び千一起き」だ。しかも関門に終わりはない。
朝がくれば夜がくるように永遠に発生し続ける。
絶対に屈するな。絶対に負けるな。常に笑顔で、もうひと踏ん張りだ。僕はいつもそう思っている。
*偉そうなことを述べてきたけど、そういう僕も屈しかけたことがある。
25歳の時だ。トガっていた分、エグイ経験は数多くしてきたが、きみが社会に出てからの何かの参考になればと、その一つを告白する。
最初に勤めた住友商事での経験で、僕は当時、勘違いもはなはだしい、あきれるほどの自信を持ってしまっていた。
今にして思えば、大したこともやっていないのに、周りの方々に助けられていただけにすぎないのに、「俺は抜群にできる」と、心底思っていた。
はっきり言っておごっていた。熊本の中学時代からの夢だったCDデビューも実現させて、調子に乗っていたこともあっただろう。
損保に転職して、三度目に配属された職場(広報)で、僕は仕事で干されるという、やる気のある人にとって最もつらい経験をした。
男性の上司が一人、あとは全員女性(一般職)という変わった部署だった。期待されて配属されたものとはり切っていた。
ところが……。
「仕事を何もさせてもらえない。何度企画を出しても読んでももらえない。一人しかいない男の上司がまったく話も聞いてくれない……。芸能活動をやってるヤツなんか、とまったく相手にされない。シカト同然……なぜ、この俺が……」
やる気をどこにぶつけていいのかわからない。朝から僕だけが何もすることがなく、一般職の女性たちの世間話に囲まれながら、ただただボーツと机に座り、読まれるあてのない企画書をだらだら書いていた。
数ヵ月して、極めて簡単、単調な、仕事を任された。看板のメンテナンスという、それまで20歳の新入社員(一般職)がやっていた仕事だった。
「商社で数十億のプロジェクトを、英語も駆使してやっていた俺がなぜ……。転職の時、仕事もバリバリやらせてもらえるはずだったのに……こんなはずじやなかった……」かなり苦しかった。
できる自信があったし、仕事で力を爆発させたい気持ちにあふれていただけに、心底つらかった。生殺しとはこんなにもつらいものかと思った。
「俺の何がいけないというのだ。あまりにもひどすぎる……」自信が崩れかけていった。
当時、芸能活動では「仕事も遊びもこなす、二足のわらじのシンガー」として、笑顔でやっていたのだが、心の中では、ぐちゃぐちやに悩んでいた。
毎日のように、「もう辞めてやる!」と、思っていたが、「ここで辞めたら、ただの負け大だ。負け大になってたまるか!」という、かすかに残っていた意地で、「あと3日、あと3日」そう言い聞かせて、ぎりぎりに耐え続けていた。
そして、恥ずかしながら、高校時代のように、夜な夜なバイクで大黒埠頭を走りまくった。
二足のわらじで睡眠不足にもかかわらず、いい歳して、真夜中、高校生に交じり限界走行に挑んで憂さを晴らしていた。
親友であり、また僕の尊敬する大塚祥史氏はそんな僕を見かねて、黙って夜更けの限界走行につき合つてくれたこともあった。
涙がこぼれないようにメットのシールドを開け、首都高速を朝まで全開で疾走したこともあった。
しかし、そんな乱れた生活を半年も(!)続けているうちに、あることに気がついた。
「このまま満足できない現状を上司のせいにして、憂さを晴らして、疲れはてて眠る生活を続けていても、何一つ解決しやしない。あの上司に俺の実力を認めてもらい、やりたいように仕事ができるようになることしか、解決はない」
「そうだ!上司が悪いんじやない。いつまでそう思っていても解決しない。俺の何かが足りないんだ。俺がもっと大きく、もっと力がある男だったら、あの上司も、仕事も芸能活動も認めてくれるはずだ。そうだ。もう一度『全裸作戦』だ―」
その日から、大学ノートを再び取り出し、自分がやつていたこと、会社での態度、感じたこと、考えたこと、職場の女性が僕をどう見ているか、自分のダメなところはどこか、そしてこれから自分がやるべきことなど、考えたり職場の女性に聞いたりして、次から次へと書き出していった。
最悪の上司のいいところ探しも意地になってやり続けた。今、考えてみると、この経験が「我究ワークシート」の生みの親だったのだ。そして分かつたことが、次のことだった。
1.会社での態度を入れ替える。ここは商社ではなく損害保険会社なのだ。スーツもネクタイも言葉づかいも振る舞いも、ランチタイムの過ごし方も、まずはこの会社のカルチャーに合わせ、自分を入れ替える
2.今、自分がやるべきことは、新しい広告戦略の企画を出すことではない。任された看板のメンテナンスをまずは完璧にこなし、次にその方法をより良いものに改善することだ
3.人間関係がうまくいかないのは、自分に何かが足りないからなのだ。そう思い込め。あの憎き(失礼―)上司も心底嫌な人間のわけがない。
彼を憎むのではなく、自分の態度を入れ替えた上で、俺のほうから心を開き飛び込んでいくことだそれに気がつくと、あとはやるしかなかった。
ぎりぎり許せる地味なネクタイも購入した。紺のシングルの地味なスーツも初めて購入した。英語交じりの商社のしゃべり方も改めた。業務の改善案の策定は得意とするところ。
看板のメンテナンス法について最高のものをつくるべく、家に書類を持ち帰り、練りに練った。
看板の発注先にも毎日足を運び、コミュニケーションをできるだけとり、自腹の接待も行い、ヒアリングも重ねた。
そして、ほとんどシカト状態だった上司に接近するべく、勇気を振り絞ってデート(?)に誘った。
椿の花の咲く頃、神代植物公園にも2人きりで行った。ランチも上司のあとにくっついて、近所のそば屋で強引に一緒に食べた。
ローリング・ストーンズが好きらしいという息子さんのために、ジャパンツアーのアリーナチケツトを入手すべく、代理店、テレビ局を奔走した。
そしてライブを隣同士で見る段取りを組み、息子さんと一緒にドームで絶叫した。部内旅行を企画し、一緒に風呂に入り背中を流そうとした(実際には断られた)。
しかし、朝まで飲んでくれた。少しだったけど初めて本音で語り合えた……。数ヵ月後、気づいた時には、上司は厳しいが正義感の強い親分肌のかっこいいおやじだった。
僕に最も欠けているきっちり感を持った、僕にとってある意味で最高の上司だった。
自分がいかに子供であったのか、力もないくせに、ただの生意気なガキにすぎなかったこともよく分かった。
看板のメンテナンス方法も改善し、認められた。そのほかの企画も通った。……そしてその後、僕は結局、1年弱の修業を経て、転職当初からの希望どおり人事に異動になった。
そして最終的に、心の広い上司、同僚たちの理解もあり、自分の思い描いていた仕事(モチベーションアツプのための研修企画や、キャリア形成プログラムの企画、採用企画など、社員の幸せ追求の企画に特化した業務)や、勤務スタイル(ポロシャツでの勤務、バイクでの通勤、年俸制。
フレツクス制の個人的導入、プライベートのワーキングスペースの獲得……。ぶつかることも多かったが、相手が上司であろうと、誰だろうと思ったことは本音で何でも言い合え、語り合うことなど)を実現した。
そんなに大したことをやつたわけではもちろんないが、結果として、自分の中にさらなる自信を持つことができた。
今にしてみれば、あの干された頃の経験は本当にためになった。あの経験がなければ、今の自分はないとも思う。自分がいかに子供だったかを教えてくれたあの上司に心の底から感謝している。
*僕は、我究館を「自分の目指す大入像、自分の目指す夢に向かって本気で自己研鑽する場」だと思っている。
就職をきっかけとしてはいるけど、僕は正直言って、どこどこに内定したかなど、大して興味は持っていない。
就職活動の醍醐味は、内定などというちっぽけなものではない。内定なんて、通過点どころかスタートにすぎない。
22歳で始まる、本当のマラソンの地図は、まだまだスタート地点が実線で描かれただけである。
きみが予想もしていない障害や心臓破りの丘がいくつも待っている。ドラマティックな出会いも、エキサイティングで眠れぬ夜も、ロマンティツクな朝も、これからいくつもあるだろう。
きみはこれから、きみ自身が、原作、脚本、演出、監督、プロデューサーもやってのける、どんな映画やドラマよりもエキサイティングでリアルな超大作ドラマの主人公であることを忘れないでほしい。
本当にワクワクするエンターテインメントの始まりのブザーが、今、鳴ったのだ。思いっ切り本気で、思いっ切り楽しんで、就職活動をしてください。
そしてきっと、心の底から湧き上がるきみの欲望のままに夢に向かって自分の道を切り開き、実現し、一点の曇りもない、青空に突き抜けたハツピーな大人になってください。
「人は人からしか学び得ない」僕はそう思っている。
本で学ぶことももちろん大切だが、生の人間から学び得るもののほうが、はるかに大きく、温かく、素晴らしいものであることを知っている。
この本は、きみの隣で僕が直接アドバイスしているつもりになって書いた。僕自身、今までいかに多くの方に学び、育ててもらつてきたことだろう。
彼らから学んだものの大きさは計り知れない。僕がこの本で偉そうに述べたことは、すべて彼らとの触れ合いの中から学んだことなのだ。
「あの人だったら、こんな時どうするだろう」いつもそう考えて行動してきた。
僕を育ててくれ、いつも温かく、厳しく指導し、応援してくれている恩師、諸先輩方、友人たち、そしていつも的確なアドバイスと指導をしていただいているダイヤモンド社の和田史子さんをはじめ多くの方々に、この場を借りてお礼を申し上げたい。
また、もし分からないことや、ぶつけてみたい思いがあれば、いつでも連絡してはしい。燃えているスタッフと仲間が待っている。
きみの10年後、20年後を心から楽しみにしています。すべてはきみ次第。お互い、最高の人生にしよう。
日本は少しずつ小さくなっていくけれど、よりよい世界をつくるために、日本から世界へ、お互いに発信していこヽつ。
杉村太郎
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