「現状のチェックリスト」と「できる人材の本質30ヶ条」これらで、理想へ近づくためにすべきことを明確にしよう。
どれも社会人として重要なことだ。至らないところは、この瞬間から変えればいい。
面接ではどんな人が採用されるのか
会社にとって採用したい人とはどんな人なのだろう
我究館では、各企業の人事採用担当者たちが学生のどんなポイントを見て採用するのか、調べている。
- 意欲があるか
- バイタリティがあるか
- 前向きか
- チャレンジ精神があるか
- 積極性があるか
- 行動力があるか
- 自分のポリシーを持っているか
- 自分の意見を言えるか
- 本音で語っているか
- 好奇心旺盛か
- 自分で考える力はあるか
- 頭の回転が速いか
- 創造性があるか
- 柔軟性があるか
- 明るいか
- 元気か
- 素直か
- 誠実か
- 協調性があるか
- 我慢強いか
- 責任感が強いか
- 人を育てられるか
結果を出せるかいろんな企業の採用担当者が、自分のことは棚に上げて、好き勝手なことを言う。しかし、実際の採用試験(面接や論文、筆記)で、これらのポイントを一つ一つチェックしていくわけではない。
「どんな学生を採用するのか」は、どの企業においても、その会社の採用担当者の統一見解があるわけでもないし、採用担当者自身が一人一人明確な見解を持っているわけでもない。
最終的には役員面接で役員が○か×かを決めるのである。
選ばれる学生は、たいていその会社の、どの面接官(採用担当者)が見ても選ばれるし、落ちる学生は、どの人が見ても落ちる。
面接官一人一人は、厳密には「何となく」選んでいるのだけれど、「いい学生」は、誰が見ても「いい」のである。
僕は企業戦略としての人材開発や採用を研究し、また実際に数多くの企業の人事採用担当者に接して調査・分析してきた。
その結果、採用する学生すなわち「内定を出す学生」の決め手というものを明確にすることができた。きみは「勝つため」に認識しておいてほしい。
絶対内定する人とは
「将来、その会社で大活躍できる人」かつ「面接官をはじめ多くの人に好かれる人=一緒に働きたいと思われる人」「将来、その会社で大活躍できる人」をもつと噛み砕くと、「その会社のカルチャーの中で、将来仕事が抜群にできる=実績をあげる(と思われる)人」これである。
各会社には、それぞれのカルチャー、個性がある。業種・職種ごとに求められる能力にも違いがある(詳細は後述)。その中で十分に力を発揮して、「会社に大きな利益をもたらしてくれる人」ならば、会社は何が何でもその人が欲しいのだ。
答えは簡単。「できる人」になればいい
したがって、きみは、「その会社で、将来仕事ができる人間になってしまえばいい」ただそれだけ。極めてシンプル。分かりやすい。
落ちる人は運が悪かったのではなく、将来その会社で仕事が抜群にできる人ではなかった。抜群にできる人は必ず通る。
面接がどうの、一筆記がどうのという前に、そのことをわかっておいてほしい。また、結局は人が人を選ぶのである。面接官も人間だ。見落としもあるし、自分から見て好きな学生を選ぶのは当然のことなのだ。
「落ちた人イコール、仕事ができない人ではない。人に好かれない人ではない」ということ。
ただ単に、「その業界や会社では仕事ができる人ではない(と思わせてしまった)」あるいは、「もっとできる人がほかにいた(と思わせてしまった)」ということにすぎない。
できる人とはどんな人か その1
業界・業種ごとに、「できる人材」の能力・キャラクターに若干違いがあることは前に述べたとおりである。
しかし、「できる人」の人間的な「本質」は、どこに行ってもほとんど同じである。
僕は仕事や遊びを通じて、いろんな業界の人たちと接してきたが、マスコミにおいても、商社においても、金融においても、音楽業界においても、芸能界においても、「できる人材」の「本質」は同じだと痛感している。
その傾向は、この数年、ますます顕著である。
それは、一言で言ってしまえば、「できる人材=自分のものさしで主体的に生きる自立した人。かつ人間的に優れた魅力ある人であり、新しい価値(仕事)を自分でつくり出せる人」である。
仕事を、「やらされているもの」ではなく「自分から取り組むもの」として主体的にとらえている人で、しかも人格的に優れた魅力ある人で、さらに新しい価値を自分からつくり出す頭とハートと体と行動力を持っている人である。
「主体的に生きる自立した人」について考えてみよう
分かりやすく言えば、「給料をもらっているから、その分、仕方なく仕事をする」のではなく、義務でなく権利として、「前向き」に仕事に立ち向かう、精神的に自立した人である。
そしてそれが、気持ちだけでなく行動に表れている人である。そういう人は、仕事に気持ちが入っている。魂を込めて本気で仕事をしている。気持ちが入っている本気の仕事はうまくいくことが多い。
結果として、給料の何倍も稼ぐ。実績をあげる。気持ちが入っていない仕事は、どんなに一生懸命やったふりをしても、ほとんどうまくいかないものだ。
学生時代の遊びやサークルなどでもこのことは言えるので、きみにも何となく分かると思う。
また、本気で仕事をするからといつて、会社にすべてを捧げている人とは違う。彼らできる人は自分のために、そして社会のために仕事をしているのだ。
自分の夢の実現のために仕事をしているのであって、会社のためだけにしているのではない。もちろん愛する仲間のためという思いもあるが、会社のためが第一ではない。
そういう思いも含め、自分の思いに正直になることが、結果的に会社のためにもなっているのである。会社の仕事の延長線上に自分の夢がある。だからこそ、一生懸命仕事をするのである。すなわち、「自分のやりたいこと=自分の夢」と会社の利益が、全部または一部重なっているのである。
したがって、そういう人はどんなに仕事をしようと心底苦にはならない。逆に仕事が本当に楽しい。
もちろん、困難も苦痛も伴うが、それでもやりたいからやっている。やりがいを感じるからこそ、情熱が湧き出してくる。
実際の社会人で「自分のものさしで主体的に生きている、精神的に自立した人」は、僕の知る限りでアバウトに言えば、メーカーで全体の約3パーセント。商社や金融で5〜10パーセント、マスコミでも30パーセントだろう。どこの人事も、社員の大多数を占める「主体的でない人」「精神的に自立していない人」、すなわち「会社に飼われている人」「会社にぶら下がっているような人」は、これ以上欲しくないのだ。
次に「人間的、人格的に優れた魅力のある人」についてはどうだろう
優れた人間性も、ほとんどの仕事において活躍していくために必要不可欠である。仕事とは、人と人との触れ合いの中で行っていくものである。自分勝手に自分の都合で自分のことだけ考えてガリガリやっていても、誰もついてはこない。
アルバイトや派遣社員ではなく、部下を持ち、また会社の将来を、経営を担う人なのだ。学校で個人の成績を上げることや、個人技を磨いていくことと、仕事で実績をあげていくこととは、頑張るということでは共通であるが、心の持ち方が違うのである。
ミーイズムでは通用しない。できる人とは頑張りだけでなく、人間性においても尊敬されるような人物なのである。
しかし実際には、尊敬されるような人物でない人も活躍していることがある。なぜだろうか。突きつめれば、それは会社が利益を求める集団であるという側面を持っているからである。
たとえ人間的にできた人物でなくとも、大きな利益を生み出すことで会社に貢献しているのであれば、貢献度が高く活躍している人として評価されてしまうのである。
利益を上げればよいという価値観に染まっている一部のベンチャーや外資金融、金融のディーリングなど仕事が属人的な分野、SEやITエンジニアなど技術力が高い人ほど評価される分野、一部のマスコミなどアイデアカが勝負の分野に、そういった傾向が見られる。
「人間的、人格的に優れた人こそが活躍できるものだ。人間的にできた人こそが、利益も生み出せるものだ」と本当は言い切りたい。
また、きみにはそういう志で社会に出ていってほしいと思っている。しかし、残念ながら、現実はそうとは限らない。
マスコミの報道で知っているとおり、いや実はそれ以上に、僕たちが生きている社会は、そこまでクリーンでない部分が少なくないのが実態なのだ。
どんなにイメージがいい業界でも、残念ながら汚い部分が必ずあるのが現状なのだ。驚くほどモラルの低い会社も少なくない。
問題の本質は、さらに突きつめれば、「自己利益(=自分にメリットがあるならばやる)という価値判断で多くの人が動いてしまう」ということにある。
業界や会社によって大きな差はあるが、良くないことだとわかっていても、自分や自分たちにメリットがあれば、ついついやってしまうという人や「こと」が多いのが現実の社会なのだ。
高いモラルに改善していこう
実は、僕もそういうシーンに出くわして、自分たちがやろうとしていることに疑間を感じて嫌になったことが何度かある。
しかし、それに関わる多くの人たちはその行為に疑間さえ持たなくなっているものだ。社会でもまれているうちに、それまでの習慣で当たり前としてしまっているのだ。
それが人間社会だと言ってしまうのは簡単だが、それを少しでも改善していく使命を、僕たち若い世代が担っているのではないだろうか。
政治や企業の上層部にそれを期待するより、自分たちから変えていくという意識と行動を僕はきみたちに期待したい。そういう意識を持って、きみには社会に出ていってほしい。
汚い部分があるから、社会から逃避するのではなく、その中に飛び込み、自分から改善していってほしい。社会に出る前に、そういう意識をしっかりと持っておいてほしい。
それが、きみのためだけでなく、混沌の中から抜け出そうとしている日本社会が世界の中で生き残り、世界にいっそうの貢献をすることができる存在になっていくためにも、間違いなく必要なことの一つでもある。
1980年代までは、日本のビジネス界には、モラルや誠実さが間違いなく存在した。
90年以後、グローバリゼーションで、アメリカ的資本主義が世界を飲み込む中でそれらが崩壊し、日本の社会も短期的に成果を出すことに走ってしまった。
改めて、本来あるべきモラルを、日本から世界に発信、浸透させていこう。世界をよりよい方向ヘリードする存在たるべき使命が、きみたちにあるのである。
これまで何度も述べてきたが、もう一度押さえておく。名だたる一流企業でも、今話題の人気企業でもモラルの低い企業があるのも事実。そういう社員が少なくないのも事実。
しかし、特に難関であればあるほど、モラルが高く人間性の優れたできた人材しか、内定はできない。
モラルが高く、人間的に素晴らしい人材を求めているのである。その上で高い能力が求められているのである。それができる人間なのである。
自分から新しい価値をつくり出すとはどういうことか
既存のワク組みを越えて発想できるか
学校の授業のように、与えられた問題に、求められている正解にできるだけ近いものを答える能力でなく、「与えられた問題も解けますが、本当に重要なのは、その問題ではなく、この問題ですよ」と、より重要な問題を見つけ出す能力だ。
仕事でいうなら、前任者のいるポジションに入って、自分も先輩に負けないよう一生懸命成績を上げるという発想ではなく、新しい仕事をつくり出す能力だ。
就職でいうのなら、求めている人材は何かを把握して、そのワクにきれいに入ろうとするのでなく、「もっとこういう人材のほうがいいんですよ」と感じさせられることだ。既存の前提から新しいものを構築できる能力のことだ。
実際、就職において、「こういう人材が欲しい」と望まれているとおりの人材では、難関企業では落ちる。
「○○な人材が欲しいと思っていたけど、それ以上にこういう人材が欲しいのだなあ」と採用担当者の常識を覆せる=目からうろこを落とさせる人材であるべきなのだ。
採用する側としては、思っていた範囲内の人材だつたら、不十分なのだ。そういう会社は年々増えている。
アイデアを実現する力が求められている
自分から新しい価値(仕事)をつくり出すということ。このことも極めて重要である。
どんなに意識の面で自立していて、行動力があっても、さらに人間的、人格的に優れていても、それだけで「自分から新しい価値(仕事)をつくり出せる」わけではない。
何が必要か。
「社会の動き、社会が潜在的に求めているものをとらえていること」と「創造性があること」、さらに「結果を出せること」である。
新しいことを考え出せること(アイデア)、さらにそれが社会に浸透できる的を射たものであること、すなわち誰かに評価されることで価値を持つ「考え=アイデア」であること。
さらに、それが「考え=アイデア」で終わるのではなく、現実のもの(カタチ)にすることができること。そういう「力」が求められているのである。就職活動という観点から、もう少し分かりやすく述べよう。
- 新しいスタンダードになるアイデア(クオリティの高い企画)を出す力があること
- 実際に新しいスタンダードになり得るクオリティの高い企画を、すでにいくつか持っていること
- 具体的な企画を現実のものにできる力を持っていること。
あるいは近い将来、それだけの力を必ず持てそうであることこの3つが、「主体的で自立した人間」であり、「人に好かれる魅力的な人間」であり、「誤解なく自分を伝えられるコミュニケーション能力を持った人間」であることに加えて必要なのである。
「クオリティの高い」とは、会社においてはズバリ「できるだけ多くの利益を生み出せる」ということである。
単発のアイデアではなく、その後それが常識になること。それこそが多くの利益を生み出せるということだ。また、具体的な企画をたくさん持つていればいいというわけではない。
1で言わんとしていることは、「今後も出し続けられる人であること」である。面接において企画を聞かれて答えられればいい、ということではないことに注意してほしい。
面接というコミュニケーションを通じて、「企画はありますか」という質問以外のところからも、創造性がある人かどうかはチェックされるのである。しかも、それが単にアイデアで終わるのでなく、それをカタチにできる人なのかどうかを重視している。
より多くの利益を生み出せる人が採用される
ここ数年、特に「企画力」と「カタチにする力」を、どの業界でも求めている。すべての業界において提出を求められる傾向にあるエントリーシートにも、まずそれが間違いなく尋ねられているし、実際に面接でも、「入社してどんなことをやりたいですか。具体的な企画があったら教えてください」と聞かれることが本当に多い。マスコミに限つたことではない。本当にどの業界でも必ず聞かれるものだと思っておいたほうがいい。
特に、事業をつくり出すことを「業」としている総合商社では、「あなたが企画したその事業は、何年後に、どれぐらいの規模のビジネスになりますか」というレベルまで求められている。自分で用意しておいた企画についてだけではない。
「あなたは、もし食品部に配属されたら、どんな事業を考え出しますか」「その実現のために具体的に、まずどんな行動に出ますか。その後、どんな行動に出ますか」というレベルまで求められるのだ。
用意しておけるものだけでなく、本当に的を射たアイデアをその場で考え出せる力、さらに、そのアイデアを本当にカタチにできる「実現力」が求められていることを知っておいてほしい。
我究館でも、企画について、とことん考えている。様々な情報を持っていなければ、社会の動きをとらえていなければ、的を射た企画はできない。
学生だけでなく、現役の社会人、商社パーソン、金融パーソン、テレビパーソンなどとともに、具体的にどんな企画がこれから「あり」なのか、とことん議論する。
さらに、その企画の将来性、実現のための方法、具体的なステツプ、実現のために乗り越えるべき問題、さらに、その後の展開方法についても、とことんリアルに具体的に考えまくっている。
すでに第1志望の会社に入社して、名刺を手にした気になって、リアルに考えることが必要だ。
自分で仕事をつくり出さなければ、給料はもらえない―それぐらいの意識でリアルに考えるべきだ。
会社によっては、研修や配属先の先輩などがいろいろと教えてくれるところもあるが、それはあくまでも基本中の基本の知識についてだけだ。
基本中の基本以外は、すべて自分で考え、自分で盗みとっていかなければ何もないと思うべきだ。
商社やマスコミに限らず、どんな職種や部署を志望するにしても、自分で新しい価値をつくり出せる人が本当に求められているのだ。そういう人でないのならば、社員にする価値はないのである。
指示されたことをしっかりとやってくれるアルバイトでも派遣スタッフでもいいのだ。
ボーナスも出し、社会保険料などのコストも含め、アルバイトや派遣スタッフ以上のコストをかけて、社員として雇うのであれば、「より多くの利益を生み出すために、何らかの工夫をしてアイデアを自ら出し、自ら現状を改善していける人」「その人の言動や存在がより多くの利益を生み出すことに貢献する人」でなければ採用するに値しないという現実をしっかり把握しよう。
ではもう一度整理しておこう。「自分から新しい価値をつくり出せる人」の3つのポイントとは、
- 「創造性がある」=ワク組みを越えた発想ができること。新しいこと⌒アイデア)を考え出せること
- 「社会の動きを敏感にとらえられる」=社会に浸透し、的を射たものにできること
- 「結果を出せる」=現実のもの⌒カタチ)にする(実行する)ことができること
あらゆる面接官に好かれるためにはどうすればいいか
自分より優秀でない人材を選んでしまうという事実
何とも失礼な表現だが、これは現実にあることだ。人格的にも、意識的にも、創造性や頭のキレといつた能力的にも、失礼ながら「?」という先輩だっていらっしゃる。
受験者が多い会社では、人事の人間だけでなく一般の社員も面接官になる。特に初期段階においては、若い社員がリクルーターとしてジャッジをする。その際、特に注意すべきことがある。
一般にリクルーターなどは、「自分の部下(後輩)として一緒に働きたいか」という観点でジャッジするのだが、その場合、「自分の後輩として使いやすい人材=自分の言うことを聞きそうな人材=自分がハンドリングしやすい人材=自分より優秀でない人材」を無意識に選んでしまう人が少なくないのも現実だ。
特に、若く、まだ実績を出せていない人は、ついついそうなりがちである。
本来は、会社の利益のために、「自分より優秀な人」こそ採用すべきところなのだが、そういう人は、リクルーターにとって自分の存在意義を失わせてしまう可能性があるため、鼻につくという印象であっさりと落としてしまったりすることがあるのだ。
現に、人事の面接まで進んだ会社ではトップレベルで内定する人物が、別の会社ではリクルーターにあっさり落とされるというケースは少なくない。実際、人気企業でこの傾向は強い。受験者が多いため、初期段階で、たった一人の人物がジャッジするケースが多いからだ。また、業界上位の会社では内定するが、下位では優秀すぎて扱いづらいため落とされるということも少なくない。
先輩は立てながら、盛り上げよう
ここで、求められることは、「能ある鷹は先輩を立てながら爪を上手に見せる」ということだ。
「自分よりはるかに優秀だ。こういう後輩がいたら本当に心強い」という印象を与えることができなければ、コミュニケーション能力に長けているとは言えない。
本当に優秀な人、できる人ではないということだ。実際に、入社後、優秀なできる人材ほど、年齢の近い先輩から煙たがられることが多い。
現実として、役員や部長、課長など上の人から見れば、その先輩より後輩のほうが優秀なため、かわいがられてしまうからだ。
先輩がスモールな人でなくても、自分より後輩のほうが明らかに期待されている状態では、面白くないと感じてしまうものだ。
どんなに先輩を立てようにも、先輩も優秀でなければ限界があるものだが、だからこそきみには、先輩も自分が育て盛り上げていくという気概を持ってほしい。
「先輩は使えないからしょうがない」とあきらめてしまうのではなく、先輩に学ぶべきものを見つけ、学び、先輩を立てながら、先輩にいろいろ教えてあげて盛り上げていけるような人間であってほしい。そういう人物なら、初期段階のリクルーターなどの面接で落とされることはない。
できる人材に不可欠なことは、結果で証明すること
「アイデアを本当にカタチにできる人なのか」を知るために、面接官はついつい過去の実績を気にしてくる。「じゃあ実際に、これまでにどんなことができたのか」と。この傾向は当然の流れだと言える。
片やリストラを実施し、クビを切っている一方で、新しく人を採用しているわけだから、将来の可能性に期待するなどと悠長なことを言っていられない状況があるからだ。
確実に結果を出せる人、まず間違いなく期待に応えてくれる人材が欲しいのだ。
そういう現状の中で、就職においては、「これからこうしようと思っています」「必ず頑張ります」という未来への宣言だけでは、すでに通用しなくなっていると思うべきだ。
どんなに心の底からの思いで宣言しようと、どんなにしやべっていることや考えが立派であっても、実際にすでにやっている人のほうが確実だし、やれる人ならすでにやっているだろうと思われるものなのだ。
今後、新卒の採用は、よりいっそうスペックや実績を重視してくるだろう。英語やITのスキルにしても、アイデアをカタチにした経験にしても、実際にすでに身につけている人、やってきた実績のある人を求めるようになる。
アクションすること、実際にやっていることが大事
「宣言したリプランを練っている暇があつたら、着手しろ―」僕は、学生に回が酸っぱくなるほど言っている。もちろん、プランを練ることや宣言することに意味がないということではない。
宣言したり、考えたり、プランを練ることは大変重要であるが、それだけでは意味がないということだ。実際には、学生にも社会人にも、プランは素晴らしいが実行が伴っていないという人は本当に多い。
しかし、実行が伴っていないプランも宣言も、それだけではまったく意味がないということを本当に肝に銘じてほしい。
これからも何度も述べるが、アクションすること、実際にやっていること、結果で証明すること、それができる人材に不可欠なことであり、それは学生でも同じことが言えるということを押さえておきたい。
二人一人ができる社員になることが望ましい
できる人について整理しよう。できる人とは、会社で活躍する人、すなわち実績をあげる人のことである。
では実績をあげるのは、どういう人かというと、主体的に取り組み自立していて、かつ人間的、人格的に優れた人であり、かつ自分で新しい価値をつくり出せる人、すなわち自分のアイデアで実績に貢献できる何かを実現できる人のことなのである。
活躍する。結果を出す。実績をあげる。
なんて言うと、ガツガツ利益にこだわるせせこましい人、というイメージがあるかもしれないが、人間的に優れたできた人、人格者でないと、実は人を動かし、実績をあげることはできないばかりか、たとえ実績をあげることができたとしても、それで心から納得でき、ハツピーになれるわけではないと僕は考えている。
中には、天才的な才能で数字をあげることのできる仕事もあるし、顧客や取引先を次々と取り換え、だましたりそれに近いことなど、モラルの低いことをやつてでも利益を出すこと(短期的に)を良しとしている志の低い業界、会社、仕事もある。
あるいは、ノリと勢いとマーケテイングだけで利益をあげることができるため、それを良しとしている業界、会社、仕事も実際にある。
それもまた現実ではあるが、ほとんどの会社において、そんなことでは経営は成り立たない。利益をあげ続けることはできない。
これまではそれで通用していたが、これからは違う。いや違うようになっていかないと、日本はますます取り残されていつてしまうだろう。
すでに、その兆候が随所に見られているように、世界の中での日本という国の運営が成り立たなくなっていくだろう。
そもそも会社とは何のために存在するのか。
個々の会社の経営者の考えによつても違うものであろうが、きみも考えてみてほしい。
僕は、本来会社とは、社会と社員(経営者自身や社員の家族も含む)、株主を「幸福」にするために存在するものだと思っている。
大きな利益をあげる会社が、あたかも素晴らしい会社だともてはやされる風潮があるし、実際利益をあげることばかり考えているような会社も少なくない。
しかし、利益とは、投資することで会社を回転させ、社会と社員に幸福を与える影響力を拡大していくために存在するものであるはずだ。
利益をあげることは大切なことであるが、実はそれは「手段」であり、そもそもの「目的」ではないはずだと僕は考えている。
そういう意識を社員一人一人が持っているべきなのである。それは、会社に依存じ甘えることとは対極にある。一人一人が「私が(社会と社員、そして自分のために)引っ張つていくのだ」という認識を持ち、できる社員として活躍するのが望ましいのだ。
できる人とはどんな人かその2
主体性のない子供社員はもう必要ではない
「できる人」について、もう少し説明しよう。会社、特に大企業に行くといろんな人がいる。一握りの「主体的に生きる、自立したできる人」の裏側には、終身雇用。
年功序列という幻の制度の恩恵を受けて会社にぶら下がっている人たちが、どこの会社にも今も大勢いる。
言われたことしかできない。言われたことをやればいいと思っている。前例のあることしかできない。自分では何も新しいことはできない。
役職名がなければ人をひきつけていくことができない。そういう人が大勢、会社の中にのさばっている。無名の大衆として、会社というぬるま湯の中に浸かっている。与えられた目の前の仕事に夢中になっているだけでは、本人が気づくことなく子供のままでいてしまう。
「お利口に仕事をこなしていくことが大人になることだ」と錯覚したまま、子供のままで歳をくっていくのだ。
そして定年がくると、あるいは定年を前にして、使えない存在であることが判明すると、ぶら下がってきた社員たちは、会社という親に一気に切り捨てられる。
そして目が覚める。この社会のシステム(からくり)に、きみには今、気がついてほしい。
バブル期以前、すなわち経済の右肩上がりの成長期においては、このような主体性のない子供社員も会社にとっては有効であった。
子供社員でも、マニュアルどおりのことをきちんとやってくれるマニュアルレイバーとして使い道があったのである。マニュアルどおりにやっていても、それなりに仕事がこなせ、存在価値があった時代だったのである。
したがって、特に意識の面で「何でこんな人が」という人が、大勢、歳をくつているだけで平気で管理職になっている。超難関といわれる企業にも大勢いる。
しかし、いつの時代も、実際に会社を動かし、会社の明日をデザインし、支えてきたのは、彼らのような子供社員ではない。言うまでもなく、ほんの一握りの「日の覚めた大人社員」が支えてきたのだ。時代は変わった。
業界によつて、全員とまではいかないまでも、マニュアルレイバーとして会社にぶら下がる子供社員は、会社にとってほとんど必要がなくなった。
今、会社が求めているのは、経営者や管理職に限らず、平社員にいたるまで、前例のないところで創意工夫し、切り開いていける力を持った、日の覚めた本当の大入なのだ。
マニュアルを次々に作り替えて実行できる人。
会社を頼りにしてぶら下がろうとするのではなく、アイデアと行動で明日の会社を時代のニーズに合わせて作り替えて(=リストラクチャリング)くれる、主体性のある自立した人間、新しい価値をつくり出せる人材を求めているのである。
それが「できる人材」なのである。就職活動とは、いわば子供から大入への脱皮だ。
就職活動を始めようとするきみの今の段階は、ほとんどの場合、親の保護のもと、金を払って、学校へ行く子供なのである。受験も定期試験も、与えられた範囲の中から、どれだけ正解を多く出せるかが問われた。成績は出席率と試験の点数で評価された。
言われたとおりに勉強し、正解を多く出せて、校則などの決まりをきちんと守れる人が優等生として褒められ、認められてきた。しかし、就職活動をはじめとして社会という大人の世界では学生社会の優等生だけではダメなのだ。
大人の社会で求められている人間像は、ほとんどの業界で学生社会といくつかの点でまったくと言っていいほど逆なのである。
学生社会でどんなに優等生でしっかりしている学生であっても、大人社会では単に「普通の人」にすぎない。そのままで「できる人」として通用する「大人」は、僕の見てきた限り一人もいない。
「大人」の学生が「本当の大人」になる
面接官たちは、その会社の中でも、「目の覚めた大人の社員」が選ばれている(もちろん全員とは限らないが)。彼らはぬるま湯の状況を引きずったままの会社に危機感を抱いている「大人」なのだ。
そんな彼らが選ぶ学生は、その会社を受けに来る多くの「子供たち」の中で、今までの通念を打ち破って跳び上がってくる、「日の覚めた大人の学生」である。
学生社会に浸り切ったきみが、まだ子供なのは仕方ない。ノホホンと普通に学生の日常を過ごしてきたのだとしたら無理もない。
しかし、そんなきみが目を覚ますことは不可能なことではないのだ。何といっても下準備はできている。
頭(知能)も、体も、そして経験さえも、十分に「大入」になり得るだけのものを持っているのだ。あとは心(ハート)だ。
大人としての心構え、人間としてのあるべき姿、大人社会で活躍するための考え方をまず身につけよう。そして、それを行動に移そう。
「本当の大人」になる可能性を持ったきみが、より本物になるために、後述の「できる人材の本質30カ条」とワークシートをやり抜き、行動を伴わせることで我究を重ねよう。
そして、大人社会のからくりを認識すると同時に、自分の本質を高め、大人として目覚めよう。その上で就職活動に臨もう。行動しよう。
ただし、注意しなければいけない大切なことがある。
日の覚めた大人になるということは、日の覚めていない人たちを否定することではない。どの会社にも大勢いる目の覚めていない方々とうまくやっていける人、さらにその上で刺激を与え、育んでいける人でないと目の覚めた大人とは言えない。考え方が極端になりすぎて、トガリすぎて排他的になってしまうようではできる人材とは言えないのだ。
彼らにも感情移入し、どうしてそうなったのかを理解し、包み込む大きさが必要である。
できる人材は「課題」と「人」への取り組み方が違う
これまで述べたことを整理しておこう。学生社会のいい子ちやん(優等生)と大人社会のできる人とは、「対。課題(一人でできること)」への取り組み方も、「対。人」の問題への取り組み方も違う。
「対o課題」への取り組み方「言われたことを言われたとおりにやる」のがいい子ちゃんなのに対し、「言われたことに問題意識を持ち、そもそも何のためにやるのか、目的を再確認しながら、やり方を工夫し、期待されている以上のことをやる」のができる人。
それだけではない。それをやって当たり前のこととしてこなし、それに加えて、言われていないのに自分から新しい価値をつくり出していくのだ。
それができてこそできる人材なのだ。アルバイトなどの多くは、言われたことを言われたようにやることを求められたりする。したがって、それが仕事だと思ってしまいがちだが、そういうものではないことを押さえておきたい。
それは作業にすぎない。自らつくり出してこそ仕事なのだ。
「対。人」への取り組み方「みんなと仲良く、ぶつからないように」、そう多くの先生は生徒に期待する。
それをきちんと守るのがいい子ちやんなのに対し、「人とぶつかることを恐れない」。しかし、ぶつかるといっても感情的にではなく、接し方を心得た上で、ぶつかっていくことができる。
嫌われることを恐れることなく、しかし嫌われないようにぶつかることができ、ぶつかってなお強い絆を築くことができる。それができる人材なのだ。
相手のために、全体のために、自分のために、言うべきことを誤解を招かないようにうまく伝えることができ、議論できる。
また、相手の言うことを受けとめられ、議論できる。そして、より深い信頼関係を築くことができる。それができる人材なのだ。
面接官はどこをポイントに見ているのだろうか
面接官が見る5つのポイントとは
「面接官は学生のすべてを見抜く」「面接官は学生の将来性を含めた本質そのものを見る」と言ったが、具体的には「どこ」を見るのか。
これも面接官自身が明確には意識していないことであるが、僕の分析の結果、大きく分けると4章でも挙げた次の8つである。
- 自信
- 価値観。人間性
- 能力①(思考力)
- 能力②(人間関係力・リーダーシップ)
- 能力①⌒文章力・面接力・センス)
- 容姿。雰囲気
- 実績
- スペック
この8つについて、自分自身を究め、人格を磨き自価を高めるしかないのだ。その上で、目指す会社の求める「モノ」について研究し、身につけていくしかない。面接において「しやべる内容」とは、高められた自分自身の上に存在するモノである。
面接官は「しゃべったこと」の向こう側にある、学生の「中身」「本質」を見ているのだということを忘れないでほしい。
もし仮に、【用意してきたしゃべった内容】で合否が決まるのであれば、内定した先輩とまったく同じことをしやべればいいわけであるが、実際にはそれで内定するわけがないことは明らかだ。
それ以前に、面接とは質疑応答ではなく、人間対人間、ハート・トウ・ハートのコミュニケーションなのである。
では、「頭が良くて、人間性が素晴らしくて、体力があれば絶対内定するのか」というと、そうではない。その業界、業種、職種ごとに特有の必要とされる頭(能力)があるし、人間性だって、業種、職種ごとに求められるものが違うのだ。
また、同じ業種、職種でも、各会社によっても求められるもの(特に性格。キャラクター・志)が少しずつ違うのが現実である。
面接官は、素材としての人材を見ている
僕のように、毎年大勢の学生の就職活動に接していると、「この学生は三井物産向きだ」「電通向きだ」とか、「こいつは伊藤忠向きだ」「博報堂向きだ」「ゴールドマン向きだ」といったことが分かる。
実際、三井物産向きの人は業界順位がずっと下の会社に落ちても、三井物産には受かるものだ。さらに面接官は、頭にしろハートにしろ、その学生の現在のレベルを見ているのではない。
その学生の「将来性」までも見ている。
頭やハートを総合的に数値化することは困難(SPIなどでそれを試みてはいるが)だが、もし仮にできたとして、2人の学生が同じレベルにあるとしたら、より実績があり成熟度の高い学生を選ぶものだ。
面接官は素材としての人材を見る。同時に、必ず結論を出してくれる学生を選ぶのだ。
面接官は、少なくともそのうちの何人かは、学生を何百人と見てきた面接のプロだ。人を見抜くプロなのだ。必ずどの会社にもそういう人がいる。
その面接官が本気で、気合を入れて面接するのだから、間に合わせに武装したところで、たとえマニュアルを1冊丸暗記したところで、内定できるほど甘くない。
そう思っておくべきだ。要は中身、人格。頭とハート。そして本音のビジョン。
「まな板の上の鯉」になって、「脳波と心電図をとられ、頭の先からケツの穴まですべて見られる」「普段の行動がこっそリビデオに撮られて見られている」それぐらいの心構えでいてほしい。
面接官はじゃべった内容で決めるのではない。人間で選ぶのだ
ここ数年、いろんな就職のためのマニュアルが出回って、学生たちの間に決定的な誤解が生じてしまった。
それは特に面接において、「自己PR」や「志望動機」など、「面接官の質問に対し、何と答えるかで合否が決まる」という誤解である。
前述のとおり「具体的な企画」も確かに重要ではあるが、そのクオリティで合否が決まるわけではない。ここではっきりと言っておこう。
「面接官は学生の【用意してきたしやべった内容】で合否を決めているのではない」あえてわかりやすく言うなら、「【用意してきたしゃべる内容】よりも、【しゃべっている人】そのものを面接官は見ている」のである。
【しゃべっている人】とは、まさしくその学生の本質そのもの。
繰り返し述べているとおり、「学生の人間そのもの、顔つき、しゃべり方、表情、しぐさ、服装、髪型、声、姿勢、雰囲気、人格、考え方、頭、さらにこれまでの実績、将来性など、頭の先から足の爪の先まで、外見も中身もすべてを見抜いて、この会社で将来活躍できるかどうか。実績をあげられるかどうか」で選んでいるのだ。
実際には、すべてを見抜けない面接官も少なくないが、そういうものだと思って臨もう。
「【用意してきたしゃべった内容】はあくまできっかけとして、【用意できないこと】を引き出し、その向こう側にある学生の本質、将来活躍できるかどうか、大人としての素材を見て選んでいるのだ」採用する側に立って考えてみよう。
企業にしてみれば、人を一人採用するということは、5億〜8億円の買い物をするのと同じなのだ。
200万円の車を買うのとはわけが違う。社員にはいろんな人がいる。会社に何百億という利益をもたらす人もいるし、一方で1円の利益も生み出さず、いるだけで損、いないほうがまし、そういう人材もいるのだ。
「生涯給与だけで4億円。保険など諸経費を含めれば、その倍近い額」もの投資をして人材を採用するのに、一日二日で準備して身につけたような口先のテクニックで選ぶわけがない。
面接官は、「将来性、可能性を含めた人間すべて」を見て「活躍する人」を採用するのである。
‐しゃべる内容と本質はどういう関係にあるのか
面接官は、きみの本質を見ている
面接官は学生に様々な質問をする。
「あなたの長所は何ですか」(自己PR系)「学生時代、一番一生懸命だったことは何ですか」(自己PR系)「一番つらかつたことは何ですか?・一番楽しかったことは」(自己PR系)「なぜ当社に入ろうと思ったのですか」(志望動機系)「当社で、どんなことをしたいのですか」(志望動機系)「10年後、あなたはどうなっていたいですか」(志望動機系)などの基本的なものをはじめ、バリエーションを加えると何百種類もの質問がある。
しかし、何度も同じことを言うが、どの質問にせよ、面接官が見ているのは、それらの質問に対する答え(しゃべる内容)の奥にある、「できる社会人の卵としての本質」である。
したがって、本質が見えてくるまで、「それはなぜですか」「なぜそう思うのですか」「なぜそうしたのですか」「なぜ○○というふうには考えなかったのですか」と、突っ込んでくる。
もし【しゃべる内容】が誰かの受け売りであるならば、「なぜ?」と突っ込まれても、その先は「単なる理由」や「深みのない適当なこと」しか出てこない。
学生にしてみれば、どんなに「もっともらしく答えられた」と思っていても、面接官から見れば「ホンモノでないこと、重みを感じさせないこと」としか受け取れない。
それでは学生の本質は見えてこない。
要するに、いかなる質問にせよ、それに対して、自分の確固たる本質に基づいた自分の考えをしやべらなければ意味がないのだ。面接官はまさにその「確固たる本質=コア」を見ているのであり、最終的に出てきた【字面としてのしゃべった内容】ではないのだ。
しゃべった内容や視線、表情、態度の中で、「キラッと光る一瞬の輝線」で、確固とした本質を感じ取り、判断しているのだ。
すなわち、きみは我究によってきみの「本質そのもの」を高めないと、たとえ何をしゃべろうとまったく意味がないと思ったほうがいい。
【用意できないしゃべった内容】とはきみの本質なのだ
【用意できないしゃべった内容】を導くために、面接官が使う手(質問)は大きく2種類ある。
1つは、先に挙げたような【用意してきたしゃべった内容】に対する突っ込み質問。
「なぜそうしたのですか」「どうしてそう思ったのですか」「その時○○しようとは思わなかったのですか」「○○という考え方もあるけれど、どう思いますか」これらは、我究していればまったく心配はない。思ったとおり率直に答えればよいのだ。
2つ目は、本当に突拍子もない質問だ。
「自分を動物に例えると何だと思いますか」「1億円あったらどうしますか」「無入島に行くとしたら、何を持って行きますか」というような一見くだらない質問。あるいは世間話。
実際に聞かれる頻度は少ないが、現実としてこれまでも、全業界まんべんなくこの手の質問があった。これらの質問に対しては、とっさに自分で答えられないように感じると思う。
しかし、実際には何のことはない。動物に例えて、ベンギンだろうが、ライオンだろうが何でもいいのだ。ペンギンはOKで、シマウマはバツというわけではない。1億円を貯金しようが、馬券にしようが何でもいい。
面接官はきみの「答え」により、合否を決めているわけではないのだ。重要なのは、なぜそう思ったか。何のためにそう思ったか。
要するに、我究した上での自分の考え方、思ったことを、そのまま伝えればいいのだ。
しかし、もし我究していなければ、マニュアルを参考にどんなに立派な自己PRを用意していたとしても、しゃべればしやべるほどボロを出すだけなのである。
本人はうまく切り抜けたつもりでも、面接官にはすべて見透かされているのである。
結局、【用意できないこと】を引き出すための、ありとあらゆる質問は、実はすべて我究により用意できる。手を替え品を替え繰り出してくるどんな質問にも、我究という「高めた自分の考え方」は万能なのである。
面接官の見抜き方のポイントはどこか
優秀な面接官は、頭(能力)、ハート(人格、人間性、自信、意識など)、カラダ(体力)、行動力、物事に取り組む姿勢、すべてを見抜くというが、どうやって見抜くのだろう。
面接官一人一人が独自の明確な視点を持っているわけではない。面接官とて人間である。きみが人を見る時と同じ。特に年下の後輩を見る時とよく似ている。
きみと少しだけ違うところは、彼らは百戦錬磨の経験があり、選び抜かれた人であるだけに、「本音はどうか」「本当はどういう人か」「どの程度の能力があるか」「将来どのように伸びていくか」などを短時間で見抜く能力に優れているというだけだ。
学生のほとんどが、「しゃべる内容が重要」と思い込んでいるが、それよりも重要なものがある。
それは、。顔つき、目つき、姿勢、立ち居振る舞い、雰囲気oしゃべり方、声の出し方、間合いである。
もちろん、しゃべる内容も大切だが、それよりも、見た目の雰囲気やしゃべり方のほうが重要であることを、絶対に心に留めてほしい。気の小さい学生ほど、しゃべる内容に意識が集中してしまい、肝心な雰囲気に意識がいかなくなるものだ。
しゃべる内容よりもはるかに大事なのが、見た目やしゃべり方、それが醸し出す雰囲気なのだ(詳細は『絶対内定2025面接』を参照してほしい)。
見抜き方のポイントとは
これまでにどんなことをやつてきたかという実績もさることながら、面接官に接する態度や顔つき、しゃべり方、緊張の度合い、コミュニケーション、さらに物の考え方からも、それがただのハッタリでないのかどうかを見抜く。
物事に取り組む姿勢についても、中途半端な人か、きっちりと魂を込めてやる人か、筋を通す人か、適当にすます人かは、本当にすぐに必ずバレる。
様々なことにチャレンジし、多くの人とぶつかり、自分を伝え、さらに共感をしてきた人かどうか。そんな経験のある人なら、面接で物怖じすることはないはずである。どんな圧迫感のある雰囲気にも、それなりに慣れているはずである。
「自分はやつてきたんだ」という自信があるのなら、堂々としていられるはずなのである。
このように、きみの頭もハート(人間性)もカラダ(体力)も行動力も、実は面接における質問に何と答えたかではなく、顔つきや態度、しやべり方、コミュニケーションのとり方に表れてしまうものなのである。
ある調査結果がある。人間が初対面の人に対し、その人が一体どういう人であるのか、どんなことから判断するのかを調査したものだ。
なんと、55パーセントは、顔つきや表情、態度、髪型、服装、雰囲気など「日で見えるもの」から。38パーセントは、しゃべり方や声の表情、間のとり方など「耳で聞けるもの」から。そして、7パーセントが、「話の内容」だという。
もちろん面接においては「話の内容」も極めて重要であることは言うまでもない。また、それ以外にもエントリーシートの文章やスペック(大学。高校名や所属組織名、役職や趣味、実績などのデータ)も重要な判断材料ではある。
しかし、きみにここでわかっておいてほしいのは、質問に上手に答えることだけでは繕い切れない「本当のきみの実力」をジャッジされるということだ。
少なくとも優秀な面接官には、「すべてお見通しになってでも当然選ばれる実力」を培っておくことが必要であるということだ。
容姿について
見逃しがちだが、極めて重要なファクターだ。日、顔つき、顔色、肌のつや、声の張り、歩き方など。履歴書の健康欄に何と書こうと、不健康そうだったり、体力がないと思われたらまず落ちる。
学生のきみにはまだピンとこないかもしれないが、社会に出ると、まず睡眠時間が一気に減る。
組織で働くのだから、人によって差はあるがストレスもそれなりに溜まる。おじさんみたいで言いたくはないが、カラダはいつまでも若くはない。
そうなってくると、体力のある人とない人では仕事の出来がまるで違ってくる。「体力のない人に仕事のできる人はいない」と言っても過言ではないのだ。
「ルックス」には2つある。
1つは生まれ持ったもの。純粋に「見栄え」からくる好印象はもちろんだが、ルックスのいい人は自分に自信を持っていることが多く、人間好きであることが多いからでもある。会社や職種によって差はあるが、現実としてそれは事実だ。
もう1つは、ハートや生き方からにじみ出てくるルックス。顔つきも、姿勢も、しゃべり方も、ハート次第でまるで変わってくる。
我究されたルツクスであれば本当に問題はない。
ルツクスに自信がなくても、だからといって、「生まれ持ったものは、どうあがいても仕方がない」と、あきらめてはいけない。我究し、明確な目的と決意を持っただけでも顔つきは全然違う。
その上で、ダイエットや腕立て伏せ、あるいは服装や髪型、化粧などで、できるだけよくすればいいのだ。
また、好印象を与える顔に競技スポーツをやってきた人の顔というのがある。汗をかいて生きてきた人が見せる、すがすがしくて正々堂々としたタフな顔つきだ。
、今までスポーツをやってきていない人や、しばらく遠ざかっている人は、できれば今からでも競技スポーツにチヤレンジしてほしい。
もし、時間的な余裕が本当にないのなら、せめて汗をかくこと。ジョギングなど、自分で目標タイムを決めるなどして、本気で開始してほしい。
実際には、競技スポーツと勝ち負けのないジョギングやスポーツジム通いなどでは、ずいぶんと違うものだ。
また、日焼けして精憚な顔つきになることだけでも、実は極めて有効だ。体力同様、顔つきというのは本当に重要な要素なのだ。
現状レベルをチェックしよう
内定のために必要なものを一覧してみよう
231ページの「現状レベルセルフチェックシート」で、内定のために必要なものを一覧してみよう。全体像を把握するのだ。
これは、我究館で模擬面接の際に使用しているロールプレイング・メモとほぼ同じものである。
これらの項目一つ一つを一定のレベルまで引き上げることができたら、きみは間違いなくトップ内定できるはずだ(超難関に内定する学生は、面接直前の段階では、僕が判断して、どの項目も9点以上がつくレベルだ)。
我究前のきみがすべてにおいてハイレベルでなくてもいい。我究前だからこそ、できるだけ等身大にセルフチェックしてみよう。誰に見せるわけでもないから、カツコつける必要はまったくないはず。自分で正直にチェックしてみてほしい。
親友や恋人、親など、きみのことをわかってくれている人にチェックしてみてもらうのもいいだろう。超難関企業に限らず、数多くの学生から厳選する面接においては、本当に文字どおり抜群である必要がある。
「飛び抜けた長所なり能力なりがあれば、ほかの部分は多少は大目に見てくれる」というものではないことを、僕はここで断言しておきたい。
ついつい自分では、自分を過大評価(最高評価)してしまいがちである。自分の持つ要素の中で、最も高いレベルを自分のレベルだと思ってしまいがちなのだ。
学生同士でもそういう目で見ることが多い。だから、学生同士では、「何であいつが内定しないのか」と感じることも少なくないことであろう。しかし、面接官は違う。もっとシビアに見る。
「うちの会社は学生のいいところを見る」という会社も中にはあるが、現実的にそれはほとんど建前である。ハイレベルの争いでは、ほとんどあり得ない。「いいところ」同様、「弱いところ」も見抜こうとする。
どんなにいい部分があっても、「この部分が弱いな。こういうところが分かってないな、できてないな、幼いな」と判断された(読み取られた)ら、落ちてしまうのが現実だ。
すなわち現状レベルセルフチェックシートの一つ一つの項目のうち、どれか著しく低いものがあれば落ちてしまうのである。
それぐらい面接は本当にシビアであり、就職戦線もシビアな争いであることを分かつておいてほしい。だからこそ現段階では、自分に正直にチェックすることが必要なのだ。何もかも、これから身につけていけばいいのだから。
現段階でチェックするのはもちろんのこと、我究を進めながらも時折チェックしてみてほしい。ここで注意したいのは、自分の弱いポイントを「身につけなければいけないこと」だと思わないこと。
自分の目的(夢)を確認することで、「身につけなければいけないこと」ではなく、「ぜひとも身につけたいこと」であることに気づくことだ。
義務感を感じながらでは決して楽しくないし効率も悪い。主体的になれるよう発想を転換することが大切だ。
人格と自価を向上させるにはどうするか
最も重要な要素は人格、特に自信だ
①人格、②能力、③容姿、これらの3つのうち、まず①人格を向上させることが何よりも先決であると僕は考えている。
なぜかというと、大人の社会で活躍するための心の持ち方、考え方が、学生のきみにはまだまだ身についていないと思うからだ。
活躍する人としての心の持ち方ができれば、あとは行動力がついてくることで(それができない人が本当に多いのだが)、ほかの2つ、②能力や③容姿を向上させる努力ができるからだ。
ここでは特に人格、考え方について、どこの業界のどの職種においても「絶対内定する学生」、すなわち「できる人材」になるために必要な項目を「できる人材の本質30カ条」として次の項で挙げておこう。
仕事で活躍するために、実績をあげるために、最も重要な要素が、ずばリハート(人間性や心の持ち方、考え方)であるからだ。
頭もカラダも重要であるが、まず何よりも人間性あってのものである。その中でも特に重要なのは自信である。頭の切れも、人格も、実は、自信のレベルと比例している。
自信がなければ頭も冴えない、人間性も狭量になってしまうものなのだ。今現在のきみに、すべてが備わっている必要はまったくない。
僕自身も常に意識していることであるが、すべてが備わっているわけではない。また、いったん身についたと思っても、自分を磨くことを怠れば、すぐになくなってしまうものばかりだ。
まずは考え方として身につけよう。
決意とまではいかなくとも、意識して心に留めて生活する=実際に行動することで、「きみの本質=人格と自価」は高まっていくのである。
自価を向上させることは、つけ加えることだ
「自価を高める」とは「自分を変える」ということではない。
まだまだきみは若いのだから、これからどんどん変わつていく。それはある意味で紛れもない事実だが、無理に「自分を変えよう」とすることはない。
僕の言う自価を高めるとは、今までの自分に、違う考え方、物の見方、感じ方、行動などをつけ加えていこうということである。
235ページの図を見てほしい。
人間はラーメン屋にあるような割り箸入れみたいなものに例えられる。甘えている自分。臆病な自分。怠惰な自分。好きなことには打ち込める自分。好きなこと以外にはなかなか打ち込めない自分……。
人によって、いろいろな要素(=割り箸)があつて、それが東になって割り箸入れに入っていて自分という人間があるのではないか。
これからきみがやろうとしている「自価向上」とは、そんな自分の様々な要素をいちいち否定することではない。
その逆に全部認めてあげることだ。自分をごまかさず、今の自分を認め、受け入れることだ。その上で、これも欲しいと思える要素(=割り箸)を、きみという割り箸入れにつけ加えていくことだ。
これまで述べてきたことも、これから述べる「30カ条」も、僕がきみに大人になることを強いているように受け止められるかもしれない。
しかし僕は、誰もが「子供のままの部分」をいつまでも残しておいていいと思っている。子供のままの部分をいつまでもとっておいたほうがいっそう魅力的だし、そのほうが幸せなのではないかと僕は思っているのだ。
新しい割り箸をつけ加えることと、その出し入れができる意志を持つこと。そして、その出し入れのタイミングを読めるようになること。
それが大切なのではないか。人間は意識さえ変われば、本当に別人のように輝き出す。いい人だけど甘つたれの、みんなからかわいがられる人が、みんなから頼られる人になっていく。
自分のことにはがんばり屋でも人望はあまりない人が、みんなから頼られる人になっていく……といつたケースを僕はこれまで何百と見てきた。
自分で何とかしようという意識が変えていく
意識が変われば行動が変わり、それによって周りの人間の接し方が変わっていく。
「面白くないことが次から次へと起こる」という環境から、なぜかしら「面白いことが次から次へと起こる」という状況に、自分の意識が変わることで、環境が変化していくのだ。
そうなるとますます、態度も顔つきも、しゃべり方も雰囲気も変わってくる。成長の順回転が起きていくのだ。きみには、次のようなことは当てはまらないだろうか。
・グループで何かをやる時、うまくいかないことがあったり面白くないことがあると、すぐに文句を言い、人のせいにしたり、環境のせいにしたりする。しかし、自分でその集団を何とかしようと動くことはしない。
人が自分に面白くないような態度で接してきたら、自分も仕返しとばかりに相手につらくあたつたりする。
陰で人の悪口を言っても何も始まらないことは何となくわかっていても、それでも人や環境の悪口を言って、その時だけちょっぴりすっきりして、でもそのあとで余計に気分が悪くなったりするこのような意識、すなわち「自分一人のこと」に関しては自分で何とか改善できるが、所属するグループや関わる人間など「自分だけのことでないこと」に関しては、自分で何とかしようとせずに文句を言ったり、あきらめてしまったりという意識では、おそらくこれから先、面白いことはなかなかないのではないか。
点をとりさえすれば評価される受験やペーパーテストはそれでもうまくいくものだが、仕事や人間関係、家庭など、人生のほとんどはそれだけでは絶対にうまくいかない。
「何で自分ばかりこんな目にあうのだ」「どいつもこいつも、つまらない人ばっかりだ」の繰り返しだろう。人のせいにする。
自分さえ良ければ人のことは構わない……そういった意識をなくしてゼロにせよとは言わない。しかし、それだけじやない気持ち、「非難する前に自分から何とかしよう」という意識をつけ加えてほしい。
そして、そういった気持ちをもっともっと大きく育てていこう。これから始まる30カ条を読みながら、自分と向き合っていこう。
一「できる人材の本質30カ条」とは
第1条強烈な夢・志・目的・日標を持つ
自分の心からの夢や目標がなければ何も始まらない。目標を持たないと本気で頑張ることはできないばかりか、情熱を持つことすらできない。何となくの思いではなく、強烈な思いであることが重要だ。
身近な就職活動でいえば、まずは今現在、自分の「仕事を通じて実現したいこと」がまだ分からなくとも、
「自分の夢の実現に向かって、生き生きと生きていくのだ。私は自分の力を発揮し、自分の望むフイールドで大活躍するのだ」という強い気持ちがなくてはいけない。
そして我究していくうちに、実現したいことや行きたい会社が見えてきたら、さらに一歩進んで、「あの会社で、近い将来あの仕事で大活躍する」という、より具体的な思いを、この数ヵ月のうちに持つのだ。
その際、注意したいのは目先の目標にとらわれすぎないこと。内定することが日標ではない。仕事を通じて実現したいこと(夢)など、もっと先の、より高い目標を常に見失わないようにすることだ。
第1章で述べたように、やりたいことや欲しいものなど、「自分の手に入れたいもの」=国”く〓”だけでなく、「社会に対する影響」=o〓●∞など社会に対する思い、すなわち志を持っていないと、自分に寂しさを感じて、おそらく多くの人が思い半ばで意欲を失っていくだろう。
蒙第2条発展途上の自分に自信を持つ
自信のない人は、たいてい仕事もできない。仕事ができない人を企業が欲しがるはずはない。
逆に、何の裏づけもないのに自信満々な学生もいるが、たいがいは勢いだけの表面的なものであり、面接官から見れば1分もあれば見破ることができる。
「自分なりに努力した。将来のビジョンに向かってこれからも頑張る」という事実と決意の裏づけに基づいた自信が必要なのだ。
薄っぺらなハッタリや自己満足ではなく、自分と向き合い、自分の欠点を認めた上での決意に基づく「発展途上の自分に対する自信」こそが本来の自信であり、それを得られるようにすべきである。
成績が悪くて自分に自信がない人は落ちるし、落第していても自分に自信がある人は受かる。もちろん自信の有無がすべてではないけれど、自信はないよりあるに越したことはないのだ。
実際に、努力した量ではなく、自信がある人ほど内定するものなのだ。
なかなか自信の持てない人にも分かつてほしいのは、「今の、今日現在の自分の能力や人間のレベルに自信を持てと言ってるんじやない」ということ。
まだ学生の身で、社会のことも仕事についてもよく分かつていないはず。それは当然のことだ。分からないからこそ不安なのもよく分かる。
しかし、世の中において、今はちっぽけな存在であっても、「今後努力し、将来できる人材になるのだ」「大きな人間になるために努力するのだ」という本気の決意があるのなら、そしてその上で実際に努力をしている(自分に勝っている)のならば、たとえ客観的な結果がまだなくとも、発展途上の自分に自信を持てるはず。
要するに覚悟なのだ。
たとえ今の自分にダメなところがいっぱいあっても、本気の決意と努力(行動)があれば、自分に勝つことで「発展途上の現状の自分を認められる」はずだ。
もう一つ、自信が持てない理由として考えられるのは、我究が足りないということ。自分のしてきたことや考え方など、まず自分自身を洗いざらい、さらけ出し切れていないのだ。
自分自身のことについて、自分の嫌な部分について、どこか目をつぶろうとしている人は、自分を肯定することはできない。
したがつて、本当の自信を持つことは、いつまでたってもできないだろう。自分をごまかして自信を持つことができるだろうか。考えてみてほしい。
思い出したくない過去や自分の嫌な部分は、誰にだつて1つや2つはあるものだ。そんなものから逃げていては始まらない。過ぎたことは過ぎたこと。いいも悪いもすべて認めて、今日から再スタートしよう。
第3条過去から現在を肯定する
「天職を獲得した」と言える人は全員、自分に対してプラス思考ができる人である。誰もが一人でいくつもの仕事はできない。
世の中に何十、何百という仕事があるにもかかわらず、「今の仕事が自分の天職だ」と言い切るには、過去から現在を肯定する力がなくてはならない。
今までの自分が自分なりに納得でき、さらに現在の延長線上の未来に自分の夢の実現を信じることができるからこそ天職なのである。過去から現在を肯定するには、プラス思考が不可欠である。
「つらいことや大変なこともたくさんあったけど、こんないいこともあった。つらかったからこそ、こんなことが身についた」と、イイトコロを見つけ出す力があるのだ。
「あんなことしなきやよかった」「あんな大学行かなきやよかつた」「別のサークルに入っときゃよかった」と後悔ばかりしている人は、プラス思考ができない人であり、そのままでは、「この会社に来なきゃよかった」と思うことだろう。
そして、決まって仕事のできない人になってしまう。実際、「自分の大学生活は面白くなかった」と否定する学生は多いが、もしきみも今そう思っているとしたら、そのままでは絶対に内定できないことを覚えておこう。
もし今まで本当に大したことをやっていないのなら、それは、「これから無限の可能性がある」ということではないか。下手にいろんなことに手を出して、自分の限界を勝手につくってしまつているよりずっといいではないか。
自分のこれまでの人生のイイトコロを見つけ出し、自分の大学生活を肯定できないといけないのだ。
「自分の大学生活は最高だった。自分は○○大学で納得のいく学生生活を過ごした」とまで思えるようでなければ、超難関の企業には内定できないということを覚えておいてほしい。
卒業までにまだあと丸1年以上ある。今からでも大学生活を最高のものにするために、計画を立て、できることを実行(アクション)していこう。
思いどおりにうまくいった時も、そうでない時も、すべて自分のこととして認め、肯定していく力を身につけよう。
「肯定する」とは、単に能天気にそれでよしとしてしまうことではない。反省すべきところは反省し、次に生かしてこその肯定であることを押さえておく。
第4条人と違う考え方や行動をとることを恐れない
いつも右へ倣えのステレオタイプでは、自分の頭で考えることを鈍らせる。人と違う考え方をしたり、さらにそれを行動に移すのには、孤独に耐え得る自信が必要である。
そういうある種の緊張感を与えられる状況に身を置く経験が、さらなる「深い考え」「行動」をもたらし、結果、さらなる自信を与えてくれるのだろう。
スポーツが練習だけでなく、試合という本番を経験しないと上達しないように、頭も心も、緊張感のある本気を強いられる状況を経験していかないと鍛えられないものなのだ。
人と違う考え方、人と違う行動をとれる自信、あるいは勇気と言ったほうが的を射ているかもしれないが、そもそもそれがないと、仕事においても、提案をしていくことはできないのだ。
誰かの言ったとおり、あるいはみんなと同じようにしか考えられず行動できないのでは、いつまでたっても埋もれた存在から脱することはできない。
第5条人や環境のせいにしない
うまくいかない時、それを人や環境のせいにしていたのでは、向上していかないばかりか、自分がどんどん嫌な人になり、自己嫌悪に陥るだけだ。
さらに、人の悪口を言うのも言語道断。そういう人は何をやつてもうまくいかない。面接でうまくいかない時、それは面接官が悪いのではなく、その学生自身に力がなかったのだ。
飲み屋で愚痴をこぼしているビジネスパーソンにできる人がいないのと同じだ。組織で働く場合において、何事も人のせいにする人は最低の人として誰も寄りつかない。
人や環境のせいにした瞬間、自分に力がつかなくなるばかりか、誰からも相手にされなくなるものだ。
僕自身がこのことを強く認識したのは、社会に出て何年もしてからであるが、「人や環境のせいにしない」という考え方は、自分を強く大きくするために不可欠であると思うし、特に就職に勝つには本当に有効な考え方であると自信を持って言える。
また、「疲れたから」「忙しかったから」「連絡がつかなかった」「面接官と合わなかった」などの言い訳をする学生も内定はできない。
これらを言い訳にして面接をはじめ社会人訪間のアポイントメント、業界研究などのための読書、筆記対策の勉強などを、きちんとやらない人は内定はできない。
社会は厳しさを持っているものにとっては楽しいところだが、厳しさを持つていないものにとっては甘くない厳しい世界なのだ。学校や家族と違って、言い訳は通用しない。とはいえ、いつも「自分のせい」にばかりしていると、それも苦しい。
そんな時は、「誰のせいでもない、神様のせいだ。次にうまくいくための神様のおぼし召しだ」と、思えるくらいの心のゆとりが必要である。
僕の場合は、学生の就職活動が思うようにいかない時、学生が「受かる」と思つていた会社に落ちた時、人間関係で悩んだ時、人を傷つけたり、迷惑をかけてしまった時、ビジネスパーソン時代は、これぞと思った企画が通らない時、あるいはレコード会社に出す曲や出版社に出す原稿が通らない時、納得できるものが書けない時など、つらい時は、いまだに二十数年前の浪人時代に、駿台予備校の故・伊藤和夫先生に教わった言葉を思い出すようにしている。
「逆境また愛すべし」逆境こそ自分を強くする最大のチャンスだ。
また、それでもつらくてしようがない時は、大学時代に一人乗りのデインギーで遭難した時のことを思い出す。
いきなり昔話が出てきて、まやかしっぼくて変だが、極度の疲労と根性の限界で意識を失いそうになった時、僕は荒れ狂う海の上に亡霊(?)を見た。
本当の話だ。おばけを見たのは、その1回だけだが、そのボヤッとしたおばけは、僕にしやべりかけた。言葉自体は鮮明ではないのだが、「あきらめるな、意識を失うな」というメッセージが耳元に強烈に伝わってきた。
死にかけたあの時に比べれば、「この世のあらゆることが大したことはない」と思えるから、本当に貴重な経験をしたものだ。
人や環境のせいにしないということは、自分が責任者であるという意識を持つということでもある。
自分がリーダーであろうとなかろうと、たとえ新人であろうと、自分が関わるものは、何としてでもうまくいかせるのだという意識が必要なのである。
大学生活も社会人生活も、「環境は自分でつくる」という意識で行動するのだ。そうしない限り、面白い会社も面白い仕事も、ハッピーな人生もあり得ないのだ。
誰かが楽しくしてくれるのではない。楽しくするのは常に自分なのだ。
第6条自分の意見を持つ
どんなに素直であっても、自分の信念を持っていないとお話にならない。調子の良さだけで就職活動には勝てない。できる人材にはなれない。
自分のこと、学校に関する身の回りのこと、社会のこと、世の中のこと、情報としての知識とは別に、しっかりと自分の意見、主張を持とう。
論文にしても、面接においても、事実としての情報を並べて得意になっていても何にもならない。
ただ単に「よく知ってるね」で終わってしまう。そういう人は「お勉強はできても仕事はできない」という典型的な人で、内定もできない。
就職活動や仕事は学校の勉強や試験とは違うのだ。知識や情報をたくさん持っているに越したことはないが、その上で自分の意見を持っていないと何にもならない。
時事問題に限らず、新聞や本で覚えたことを並べるのではなく、自分の考えが大切なのだ。普段から、日にするもの耳にするものに対し、自分の意見を持つ癖をつけよう。
第7条否定されてもめげない。あきらめない
第1章で述べたとおり、自分の夢や目標、「どうしてもあの仕事をしたいのだ」という意志と情熱を持ち続け、そのために自分を磨く努力(アクション)を続けることができる精神的な強さ、自分の可能性を信じ続ける執着心(タフなハート)は絶対に必要だ。
ちょつとしたカベに負け、途中であきらめたり、妥協してしまう人には本命に受かる資格はない。もし、まぐれで内定しても、そういう人は活躍できない。
会社は頑張れる人が欲しいに決まっている。がんばり続けられる人だけが仕事ができる人になれるのだ。
就職活動を通して、一番しんどいことは、「どうしても受かりたい」と思っていた会社に落とされた時だ。
特に、これまで受験や恋愛などで負けた経験がない人、優等生として先生に褒められてきたような、順風満帆でそれなりに自分に自信を持っていた学生にとっては、自分を完全に否定された気がしてショックが大きい。
うまくいかずにつまずいて落ち込んでいる時に、自分の気持ちを前に向かせ、「もう一度頑張るんだ」と、次に向かって自分を立ち向かわせるのが、この強い心だ。
そのことは忘れて次に向かうのではなく、何がいけなかったのか原因を分析し、それを身につけるにはどうすればいいか考え、実行していくのだ。
また、人間関係においては、相手がどんなに親しい人であれ、時として、「違うものは違う。できないものはできない」と主張する戦う力も必要だ。
やさしさと甘さを混同することなく、他人に対する厳しさも持つことだ。これもタフなハートがあってこそなのだ。
「タフなハート」はすべての原点ともいえる力なのだ。タフなハートを最初から持っている人などいない。カベにぶつかつた時ほど、身につける絶好のチャンスだ。
カベにぶつかった経験、カベから逃げずにぶつかって突破したり、挫折したりの経験が人を強くするのだ。
そう簡単に身につけられるものではないが、何としてでも自分のものにしたい。
強いぃにを持続させる方法
自分の思いを実現に向けて持続させるためには、「日標設定」をするに限る。
仕事にも達成目標(予算などと呼ばれる)があるように、就職活動においても、達成目標の設定が必要なのだ。
さらに最終的な達成目標(最終日標・ゴール)に到達するためには、最終日標にいたるまでのステップロ標をいくつか設定していくことが大切だ。
最初のステップロ標をクリアするためには何をすればいいのか考え、それを実行していく。
ちょっとの頑張りで達成できるステップロ標を次々と突破していけば、最終日標に到達するという仕組みづくりだ。
第1章で述べたように、自分の夢、きみのビジョンを実現させることが就職活動における最終日標だ。単に、どこどこに内定するということを目標にするのではないことが肝心だ。
その上で、「それを実現するためのフアーストステツプとしてベストの会社で活躍すること」を最初のステップロ標とする。
この目標は一見、具体的なようで、実はまだ漠然としている。この目標は掲げて眺めていただけでは、いくら念じていても何も始まらない。そこで、さらに細かいステップロ標が必要になる。
きみが今この本を読んでいるのがどの時期かわからないが、まずは、この本を読んで、「確かにそうだな」と思ったことがあるのなら、それをすぐにでも実践していくことが第2のステップロ標だ。
さらに、その上で、要するに、日々の行動を改めつつ、第8章の我究ワークシ‥卜の「ステップ0」から「ステップ6」まで取りかかることだ。
目安は1週間。最初はサラッとでもいい。実際に取りかかり、やり抜いてみることだ。やってみることで気づくこともたくさんあると思う。
もっと自分が身につけるべきこと、日々の行動の中に落とし込んでいくべきことも見えてくるだろう。
それらの「行動」を通して、自分のものにしながら、すなわち自価を高めながらワークシートを繰り返していくのだ。
我究ワークシートの具体的な進め方や、その他の活動の具体的な進め方は、第7章、第9章に詳しく載せてある。
就職活動には、急な呼び出しや面接などの予期せぬ出来事もある。
しかし、それらに振り回されることなく、効率的な的を射た努力を自分から主体的にやらなければいけない。
きちんと目標を設定し、スケジュール化して進めていこう。それにより強い心を持ち続けることができるし、また、そのことがまさに「強い心を持つ」ことにほかならないのだ。
就職活動は本当に仕事によく似ている。強い心を持ち続け、就職に勝てる人は仕事もできる人なのだ。
タフなハートを持つための方法
タフなハートを持つための具体的な方法の一つが、「最後まで絶対にあきらめないこと」だ。あきらめた瞬間、何もかもが終わる。
面接の途中でも、筆記試験の途中でもそうだ。特に面接などいじわるな質問にうまく答えられず、その場であきらめてしまう学生が本当に多い。
いじわるな質問も、いじわるな態度も、すべてきみの心の強さを見るためにあるのだ。ある外資系投資銀行では、面接官が学生に「僕はきみみたいな考え方が一番嫌いだ」とまで言うことがある。
これは面接官が本当にそう思ったから言っているのではない。
そんなことを言われてもへこたれない、あきらめないタフなハートを持っているかどうかを試しているのだ。
実際、僕の友人の面接官の中にも、そういつたことを言う人がいる。
でも、そんないじわるなことを言う人に限って、本当はすごくやさしくて思いやりのある方だったりする。わざと言っているのだ。
また、よく面接のあとで「あんな面接官のいる会社なんてまつぴらだ」などと言う学生がいるが、その程度のことでその会社で働きたいという情熱が冷めるなら、その程度の情熱しか持っていないなら、そこで働く資格はない。
選ばれる資格はない。その程度のことで冷めてしまう情熱では仕事はできないことを知っておいてほしい。どんな理由であっても、途中でめげる人はできない人なのだ。
第8条何事も主体的に情熱を持って取り組む
いまさら言うまでもないが、就職活動に限らず何事も、自分のものとして主体的に取り組もう。
ゼミの進め方、卒論の進め方、サークルの新入部員の勧誘から飲み会など、何事においても、「誰かが決めるだろう」という受け身な姿勢はやめよう。自分が関わっていることなのだから、単に参加するだけでなく、建設的に意見を出し、主体的に取り組もう。
就職活動も仕事も、誰かの命令でやらされているのではないのだ。自分がやりたくてやっているのだ。何も就職しなくつたつて、フリーターをやつたつていいのに、自分からやっていることなのだ。
社会人訪間も面接も同じ。
先輩や会社から、「受けてくれ」と頼まれて受けているのではないことをもう一度確認しよう。主体的に取り組まずして、うまくいくことは社会においてはまずない。主体的に取り組むとは、当然ながら「でしゃばること」ではないことをつけ加えておく。
第9条これというものに対しては迪当にすまさない、ごまかさない。全力で徹底して取り組む
何度も述べてきたことだが、一番大切なことだ。ある意味で能力やスキルよりもはるかに大切なことだ。仕事も手を抜こうと思えばいくらでも抜けるもの。勉強も遊びも恋も何だってそうだ。
手を抜いたり、バレないからと適当にすましたり、表面だけ取り繕ってごまかしたりしてうまくいくことなどない。
その時はたとえバレなくとも、取り繕えても、ごまかせても、必ずツケが回ってくる。本当に必ずだ。人生はすべてそういうものだろう。
努力なくしてハッピーなどあり得ない。いつでも何でも全力投球―‐なんてことを言っているのではない。それでは身が持たない。
「これは!」ということに関しては、徹底してやることだ。
「一生懸命だったことは何ですか?」面接で最もポピュラーな質問だ。面接官はどの程度全力でできる人なのか知りたいのだ。そういう人でないと一緒に働けないのである。
きみがやろうとしている仕事において、どの程度「徹底して全力でやること」が求められるか想像してはじい。そのレベルで取り組める人になっていることが必要なのだ。
余談だが、仕事ができる人ほど、不倫など異性関係においてモラルの低い人が多いのは、このことが原因になるケースも少なくないと僕は思っている。
仕事に徹底して打ち込んでいる分、ストレスもプレツシヤーもかかり、どこかでいい加減でないとバランスが取れないのだろう。
もう一枚強くありたいものだ。人として心底気持ちよく生きていきたいものだ。
第10条超プラス思考
プラスに考える力が有効なのは言うまでもない。しかしそれだけではダメだ。ただのポジティブ思考は、アマチュア感覚丸出しのおめでたいノー天気君と同じだ。
「本当にこの程度でいいのか?。いいはずないじゃないか?」と、勇気を持って自分自身に対してとことんシビアに客観的に現実を見つめる日と責任感が絶対に必要なものである。
プラス思考だけでは甘さに通じる。「超プラス思考」とは、「客観視」と「責任感」をあわせ持つことだ。
もっともっとよリベターなものを探し続ける姿勢が、必要なのである。できる人材とは、意外に思うかもしれないが、実は例外なく心配性でもある。
心配性といっても「ヤバイ、ヤバイ」と、うだうだエモーショナルに悩んで、生産性のない時間を過ごすのでない。
暇さえあれば、具体的に頭を使いながら行動していく、生産的な心配性だ。クールに、もっともっとレベルアツプするべく、居残り練習していないと気がすまない人でもあるのだ。
人間性や能力、すべてを支えるカギである自信とは、不安と表裏一体にしか存在しない。
ギリギリまでやるべきことをとことんやった上で、最終的に「絶対にできる」と信じるのである。就職活動でも同じ。難関に内定する学生は、面接前夜の深夜までとことん問題意識を持ち続ける。
不安を隠さず、自分をごまかさない。ギリギリまでより高いものを目指し続ける。仕事もまったく同じである。
第11条実際に行動する
頭で分かっていても行動できない人は、仕事もできないし就職活動も勝てない人だ。順風の時は誰でもフットワークがいい。肝心なのは逆風の時だ。
「社会人訪間は早ければ早いほどいい」と分かっていても、ぐずぐず言い訳をつくってやろうとしない。
みんなが始める頃になってやっと始める。また、数社に落ちて自信をなくして、大事な時期に家に閉じこもってしまう学生もいる。誰でも慣れない行動や逆風に身をさらす行動をする時は億劫になるもの。
しかし、尻込みをする自分をコントロールできなければ、就職活動にも、社会に出てからも勝っていくことはできない。
億劫なのは、僕も同じだ。僕はそんな時、とにかく考えずにカラダを持つていくことにしている。
謝罪に行く時や、遅刻してヒンシュクを買っているとわかっている中待ち合わせの場所に行く時など、極端な話、背中を向けて目をつぶってでも、とりあえず現場にカラダを持つていく。
言い訳など考え始めると、ますます行きたくなくなるだけだ。行動する前は、億劫で尻込みしたくなるけれど、やってみると楽しかったり、すっきりしたり。何でもそんなものだ。
特に就職活動は、我究さえしてあれば、本当に楽しくさえなるものだ。「大変だけど、自分が成長していくのが分かって楽しかった」きれいごとでなく、勝った学生はみなそう言っている。
きみも、この本を読むだけでなく行動してほしい。ワークシートに実際に着手してほしい。そして、机上で考えるだけでなく行動してほしい。
第12条自分で自分をノセていける
自惚れともナルシシズムとも自画自賛とも違うが、自分のことを好きになってあげて、自分を励ますだけでなく、ノセていけることが大切だ。
最初は意識して自分を励ましたり、頑張っている自分をこっそり褒めてあげたりすることも必要だろう。しかし、そのうちに意識しないでも勝手にノッていけるようになりたい。
仕事だろうと遊びだろうと、何かに集中して打ち込むうちに、頭も感覚も冴えてくる状態を容易につくれるようになるのだ。
まさにスポーツやバンドやダンスと同じ感覚だ。ノリノリになっているのに、頭は冷静で周りが見えている。
その結果、驚くようなプレーができている。集中しているため時間がたつのも忘れてしまう。仕事もそういう状態でやってこそ本当に面白くなるのだ。
面接でも同じことが言える。
「用意していないことを聞かれているのに、自分でも信じられないほどうまく伝えることができた」「自分でも信じられないほど相手と心を通わせることができた」そういうレベルの面接が、特に超難関企業では求められる。
面接で突然それをやろうとしてもできるものではない。
自分で自分を励まし、ノセることから始まって、極めて集中したノリにノッた状態になることを、今、日の前の就職活動や学生生活で実践していくことだ。
第13条自分を磨くことを怠らない
優れた人格も、感性も、自信も、ビジュアルも、様々なスキルも、磨き続けなければ現状維持もできない。特に人格的なものや自信は顕著だ。
あんなに光り輝いて魅力的だった人が、数ヵ月もすると、まるで魅力のない人になっていたりする。
憧れのスターやスポーツ選手がスターダムから消えてしばらくすると、別人のように冴えなくなっていることがよくある。
逆に、伸びていく時は本当にキラキラ光つている。さらなるより優れたものを目指して自分を磨き続けることだ。人間の魅力は自転車のライトのダイナモのようなものだ。
走り続ければ光る。ゆっくり走れば光は弱まり、止まれば消える。自分を磨くことを怠つては、どんなに素晴らしい実績があっても光らないのだ。
過去ではなく今、磨いていることが大切なのだ。
第14条悪魔をも味方にして結果を出す
いったんやると決めたら、「悪魔の力を借りてでも実現する=何が何でも結果を出す」という意味。もちろん、あくどいことをやってもいいということではない。言いたいことはその真逆だ。
悪魔さえもがひれ伏すほど高潔に、そして強い意志を持てという意味だ。「できる人材」とは頭が人よリキレる人ではない。人と変わらない場合も多い。体力だって、優れているわけではない。生まれ持ったものは人並みだ。
ただ、「やると決めたらやる」という根性の据わっている、ケツをまくって突っ走っている人なのだ。
それができる人ができる人材なのだ。それは何も仕事におけるビッグプロジェクトに限ったことではない。日常の小さな仕事においても、また就職活動そのものにも、面接にも、できる人材とできない人材ははっきりと違いが表れる。
●第15条 人に対し徹底して誡実に接する
簡単なことではないが、できるだけ実践していこう。自分がもつと好きになるはずだ。毎日がもっと楽しくなるはずだ。
自分を磨くことがおろそかになっている時、目的を見失い怠惰になっている時、自分にだけでなく他人に対してまでいい加減になってしまうものだ。
あるいは、自分のことに一生懸命になるあまりに、人の気持ちが見えなくなってしまうこともある。
どこまで自分が他人に対し徹底して誠実であるか、自分でチェックしてみよう。人が見ていない時こそ、人にバレない時こそ人に対して誠実になってみよう。
一人じゃない時は常に明るく、元気に、さわやかに
これも当然。クラい人と一緒に働きたい人はいない。クラい人は周りまでクラくする。逆に、クラくなっている人を勇気づけたり、明るくしてあげられるような人が会社は欲しいのだ。
誰にでも落ち込むことはあるが、そんな時は、たった一人の時にこっそり落ち込め。あるいは本当に甘えられる人(恋人・親友など)の前だけでこっそり落ち込め。
社会人になると、学生時代はクラかった人も、人前では明るい人に変わるものだ。クラい性格のままでは、会社や社会という組織の中では仕事をやっていけないのだ。
もし、きみが今、「自分はクラいかも」と思っていたら、今のうちに根性で直そう。とにかく明るく振る舞ってみよう。
どうせ社会に出たら自分で直すことになるのだから。最初は気が張って疲れるだろう。しかし徐々にタフさを身につけるうちに、それが自然と自分のものになっていくはずだ。
誰に対しても思いやりを持つ
前述したけれど、他人を思いやり、うまくやっていくことができなくては組織で働くことはできない。組織内に限らず、人を大切にしない人には人脈は築けない。したがって仕事はできない。
内定はできない。
基本中の基本で言うまでもないけれど、本当に他人を思いやる力を身につけておこう。自分の気持ちに余裕がある時は、誰でも思いやりの気持ちを持てるもの。
学生を見ていて思うのは、僕から見て、「今は自分のことで精いっぱいだろうに」という時にも、人の心配ができるような人ほど本命に内定している。きれいごとではなく本当の話だ。面接官は、そこまで見抜けるのだ。
ここで言う「思いやり」とは、上っ面の「気遣い」などとは違う。「気を遣う」ことと「思いやり」を混同している学生がいるが、よく「気を遣う」学生ほど「思いやり」が足りない人だったりする。「思いやり」とは、相手が気づこうと気づくまいと、本当に相手の立場に立ち、思いやる気持ちだ。
ときに厳しく接することを含めての思いやりだ。単に気を遣うことや甘さだけではなめられるだけだ。この「思いやり」は一見どの学生もそれなりに持っているように見えるが、実際にはそのレベルに雲泥の差がある。
例えば、友達にはどんなにいい人でも、自分の気に入らない相手には意地悪な人。学校ではいい人でも、親にはワガママな人などは、今のうちに絶対に、絶対に直しておくこと。
「就職には関係ない」と思うかもしれないが、実は大いに関係している。「そんなの、バレないようにうまくやるから」と言いたくなるのもよく分かる。
しかし現実にはゾツとするかもしれないが、面接官には確実に見破られる。
思いやりのない人は仕事で最も必要な〈信頼関係)を築けない人なのだ。見破られないはずがない。その前に、まず面接官から好かれない。
また、自分の主張を通したり、自分の考えを実現するための説得力も、「思いやり」があってこそのものである。どんな主張にせよ、判断するのは常に相手である。真に相手の立場に立って考えることができなければ、誰も説得できはしない。誰も動いてはくれない。
きみには親友が何人いるだろうか。自分を犠牲にしてでも、いざという時は、そいつのために何でもしてあげられる友人。きみが困った時に、きみを助けてくれる友人。
相手のためには、どんなにきついことも言い合える友人。厳しいことも言い合える友人。そういった本当の親友が多い人ほど、内定できるのも事実である。
逆に、内定できない人は、たいがい本当の親友がいない人だ。
約束は必ず守る
できる人は会社や組織の看板だけでなく、個人としての信用がある。締め切りや待ち合わせなどの約束は何が何でも守る。死んでも守る。
組織のためではなく、自分と相手のためだ。万が一、守れない時は事前に連絡する。
しかし、その場合は、提出するレポートにせよ、企画書にせよ、数段クオリティの高いものでなければならない。したがって、さらに自分の首を絞めることになる。
信用が得られなくては、どんなに能力が高くともできる人材にはなれない。
第16条素直さと聞く力を持つ
人のアドバイスや意見を素直に聞けないと、自己満足の小さな自分で終わってしまう。伸びることはできない。
「自分の強いこだわり」と問題意識を持ちながらも、他人の意見に耳を傾ける「素直さ」を持つことだ。
日上の人の意見がすべて正しいわけではもちろんない。しかし、どんな他人であつても、自分より優れた部分は必ず持っているはずだ。
友達や親、先輩や恋人の助言やアドバイスを素直に聞ける力がなくては、きみがどんなに優れたモノを持っていても大きくはなれないのだ。
「他人の言うことをすべてうのみにしよう」と言っているのではない。「そうかなあ、そういう考え方もあるのかな」と、聞く耳を持つことが大切なのだ。
この本に書いてあることもそうであるが、人から言われたことのうち、自分でよく考え、また調べた上で、いくつかを取捨選択し、なるほどと思つたことを自分のものにしていけばいい。
人からのアドバイスは貴重だ
就職活動も同じ。同じ社会人を訪問しても、「素直さ」を持っている本気の学生には懇切丁寧にアドバイスしてくれるものだ。逆に「素直さ」がないばっかりに、同じ先輩に冷たくあしらわれる学生もいる。
「あいつばっかりずるい。平等じやない」と文句を言ったところで始まらない。世の中すべてそういうものなのだ。
そんなところで損をするのは、あまりにもったいない。就職活動においても、社会に出てからも、先輩に限らず人のアドバイスは本当に貴重である。
言われた時はムッとしたとしても、落ち着いて考え、それらを素直に謙虚に聞ける力をぜひとも身につけよう。
もっといいアドバイスをもらえるはずだ。その上で取捨選択、決断すればいいのだ。自分が完璧なはずはないのだから、他人の言うことは、ありがたいと思つて謙虚に聞くに限る。
よく中学、高校、大学と成績優秀で、一流大学に通う優等生的な学生に多いのだが、自分の考え方に妙に頑固で、人のアドバイスを聞けない人がいる。
自分の考え方と違う場合に、ムッとするだけでなく相手を否定してしまったりする。今まで先生や親に褒められて生きてきた人、模範的な学生で通ってきた挫折を知らない人に多い。
子供社会で認められてきたばっかりに、大入社会における今までとは違うアドバイスを謙虚に聞く力がないのだ。
頑固とは、決めつけること。相手のことも自分のことも。自分の思い込みを否定する勇気のなさや心の小ささが、何かにしがみつきたくさせるのだろう。
そのままでは良好な人間関係も築けなければ、自分自身の殻を破ることもできない。本当に頑固な人は、かわいそうだ。
我究した上の「確固たる信念」は別にしても、学生社会という子供社会で身につけた、ちっぼけで薄っぺらな思い込みやプライドなどかなぐり捨てよう。
他人の意見、アドバイスに対して素直になると同時に、自分に対して、さらに環境に対しても素直さを持とう。
第17条人を受け入れ、包み込む広く大きな赴を持つ
面接やデイスカツションなど、就職活動はもちろん仕事においては、正しいことを主張するばかりが正しいことではない。
いくらきみが確信をもって正しいことを主張したとしても、それによつて相手との人間関係が崩れてしまうようでは、きみの主張は正しかったとは言えないのだ。
目先の論争で大きな目的を見失ってはいけない。デイスカツションでは、こんなケースがある。
A君は与えられたテーマについて、たまたま自分がよく知っていることだったので、ほかの学生の間違いを誇らしげに指摘し、正しいことを自信満々に主張した。
みんなを納得させることができ、そのディスカッションはA君の独壇場となった。すっかりいい気分になっていたA君だったが、なぜか落とされた。
そのかわり間違ったことを主張していたB君が内定した。A君が落ちたのは当然である。正しいことを主張することは、もちろん悪いことではない。
しかし、その主張の仕方により、ほかの人を不快にさせてしまつてはいけないのだ。正しいことを知っていたからといつて成張れない。
それはただ単に「知識があった」にすぎない。知識や情報はパソコンをたたけば、いくらでも出てくる。
それよりも、ほかの人の気分を悪くさせ、やる気を削ぐことで、彼らの能力を発揮させられないようでは、何人かで話し合う意味がなくなってしまう。
A君1人でやっているのと同じことで、「知恵を出し合って、よりよい方向性を見いだそう」という組織のメリットがまったく生かせなくなってしまうのだ。
デイスカツションに限らず、相手が取引先やお客様であっても、先輩であっても、後輩や学生同士であったとしても、相手の立場やメンツを十分に考慮し、相手をシュンとさせたり、プライドを逆撫でしたりしないように説明する「配慮」が必要なのだ。
それでも分かってもらえそうにない、認めてもらえそうにないと判断した場合は、そんなことで人間関係を壊し、全体としての目的が遂げられなくなるよりは、時には相手の主張が間違っていたとしても、受け入れてあげたほうがいい場合もあるのだ。
もちろん、ことによっては人間関係が壊れても主張を譲ってはいけない時もある。
相手を不快にさせ、人間関係が壊れたように思えても、結果としてはあとで相手が納得したことにより、信頼関係がよリタイトになることもある。
要するに、大切なのはどんなに自分が正しい時でも、相手の立場を思いやる配慮と目的を見失わず、小さいことでガタガタ言わない寛大さである。きちんと他人の感情に配慮しながら、主張できる人が欲しいのだ。
人を見下さない、切り捨てない
ダサイ人やサエない人、自分のためにならないと思っている人を、見下したり、切り捨ててしまう人がいる。
そこそこの自信を持っていたり、ラベルにパワーがあるほど、そういう人は少なくない。大学名や社名などのラベルで判断し、見下す人もいる。
非常に寂しいことだ。誰にだって素晴らしい長所がある。そこを見るのだ。自分よりはるかに素晴らしい部分を持っていない人など存在しないだろう。また、切り捨てること、縁を切ることも同様に寂しいことだ。
時として、ある期間それをすべきこともあるのかもしれないが、永遠に縁を切るべき人物はいないはずだ。
たとえある時期、許し難いことがあったとしても、人間は変わるものだから、いつまでも根に持っているようでは、心の寂しい人生になるのではないか。
安易に仕返しをしない
目には目を的な発想の人もいる。何か嫌なことをされたら仕返しをしてやるという発想だ。これも寂しい。ハッピーの逆の気持ちになるだけだろう。嫌なことをされたら、なぜそんなことをされたのかを考えよう。
まったくの誤解でそうなることもあるだろうが、たいていの場合、自分にも誤解を与えてしまったなどの非があるはずだ。
自分のことなら我慢できても、自分の身内や後輩などのこととなると、ついカッときて仕返しをしようとしてしまうものだが、本当にすべきことなのか、いったん考えるべきなのではないか。
人の弱い部分、醜い部分、卑しい部分にも越を開く
誰だって弱い部分を持つている。心の醜い部分や卑しい部分、またスケベな部分、野次馬的な部分も持っているものだ。
それをすべて許そうということではなく、そういう部分を誰もが持つていること、それが人間であることを忘れないように。
特にテレビなどマスコミは、自分自身が潔癖であるのはもちろん、他人も自分と同じように潔癖でなければ許せないような人は通用しない。
報道番組もあれば、スケベな番組もあるように、人間にはいろんな部分があることに心を開くのだ。
時折、まじめ一本、正義の味方的な面接をやろうとする優秀でまじめな学生がいるが、それでいいかどうか、考えてみてほしい。
人間の弱さや醜さ、卑しさを分からずして、テレビ番組制作に限らず、「表現」ができるものなのかどうか。
「表現」に限らず、人をまとめていくことはできないのではないか。
第18条 人を信じる力を持つ
自分を信じる力はもちろん、他人を信じる力も必要である。
互いに自分をさらけ出し合え、何でも本音で語り合える親友や恋人を持っている人には、自然に身についていることであるが、他人を信じる力を持っていない学生も中にはいる。
人を信じられなくて、人から信じてもらうことはできない。人を信頼できない人は、誰からも信頼されない人だ。
仕事をする上で最も大切なものともいえる「信頼関係」を身につけるためにも、ぜひとも人を信じる力を身につけよう。
もちろん安易に信じよ、ということではない。「信じる」とは「疑う」ことでもある。しかし、疑って初めて心から信じることのできる人になれるのではないか。人を本気で信じてみよ。覚悟が必要なのだ。
第19条 堂々としていて、物怖じしない
自分に自信があるから、自分は自分の目的を持っていて、日々それにまい進しているという自党があれば、誰に対してもビビッたりはしない。
どんなに目上の人に対しても、偉い人に対しても、自分は発展途上の人間として、物怖じせず堂々としていられる。逆に、力むこともなく、常に自分らしくいられる。
しかし人間とは不思議なもので、どんなに頑張ってまい進していても、自分で納得できていたとしても、客観的評価が伴わないと、自信を持つことがなかなかできなかったりする。
また、「カラ自信」とでも呼べるような、どこか虚勢を張ったり、「私はおまえには負けない」的な卑屈さを伴ってしまったりもするものだ。
特に、試験に合格したなどの客観的評価があっても、親友がいないとか、愛されていないとか、人間として認められていないと、カラ自信だけになってしまうものだ。
要するに、突きつめれば、自分で「現状の自分を明らかに認められない部分」がある状態では、なかなか人に対して物怖じせずに、常に堂々としているという状態にはなれない。
もし、現状では人から評価される結果(資格試験合格やTOEICoスコア、体育会でのレギュラー、業績など)がなくとも、今からつくれるはずである。
また自分次第で、ほかから愛され、認められる存在になることはできるはずである。自身の評価(納得)と他人からの評価。この両者を得ることで、常に堂々として物怖じしない人になってほしい。常に自分らしくいられる人であってほしい。
入社後の仕事上に限らず、面接においても、それは間違いなく問われることである。たくさんの学生を見てきた経験の上から言わせていただくが、最初のうちは虚勢であってもいい。無理していてもいい。
とにかく自分以外の人がいる時は、できるだけ「カッコよく」振る舞おう。僕は、毎年新しい学生に会うとまず言っている。
「カッコよく振る舞え。死ぬまで物怖じするな。絶対に人に媚びるな」と。一人の時以外は、悩む時でさえも「カッコよく」悩もう。人に相談する時も「カッコよく」相談しよう。さらけ出すとは甘えることではない。プライドをかなぐり捨てるとは、甘えん坊のダメな人に成り下がることではない。
涙を流す時も、涙に勝手に流れさせてあげよう。自分で自分のイメージを作り、アジャストさせていくのだ。
つらいことにも、耳の痛いことにも耐え得る強さを失わずに、ギリギリのところまで耐える強さが、きみを堂々とした物怖じしない人にしてくれるはずだ。タフな自分としての「自分らしさ」を常に失わずにいられるはずだ。
第20条 全体最適の立場に立つ
「自分にとって何が都合がよいか」ではなく、「全体のためにどうすることがよいか」の観点でものを考えることだ。
「全体のための視点で考える」ことが体に染みついている人は、何でも思いどおりになりやすい。逆に、「自分にとって都合のいいように」考えている人は、たいてい自分の思いは実現しない。あたりまえだ。
替天行道(たいてんぎょうどう。天に代わって道を示し行うこと)。
君子たるもの、自分のためでなく、みんなのために本当はどうあるべきか、どうすればよいかを、天の視点でいつも考えられるようになろう。
それができるものこそが、みなに愛され、影響力を持ち、リーダーとなるにふさわしい人だ。正しきものは強くあれる。
調子よく自分を主張しようとするのではなく、フェアネス(公平さ)を自分の中に持つべきだ。フェアとは言い換えれば客観視。
勝つべき人が勝ち、リーダーをやるべき人がやり、幸せになるべき人が幸せになるべきだとは思わないか。だからこそ、僕たちがやるべきことは、己の人格を磨くこと、全体のためにものを考え行動すること。そして「何が正しいことなのか」という人類の永遠のテーマに勇気を出して立ち向かうことだ。
第21条 人にプラスの影響を与える
「人にプラスの影響を与える力」をぜひとも身につけたい。
そういう人は会っているだけで楽しくなったり、うれしくなったり、勉強になったり、またじっくり話し合うことで時に感動したり、やる気になったり、力が湧いてきたりと、喜びを感じることができるものだ。
後輩に限らず、友人たちや先輩、面接官も、取引先も、お客様も、恋人も、そういう人には引きつけられる。
そもそも仕事とは、サービス業に限らず、直接的にあるいは間接的に、誰かの役に立つ(誰かにプラスの影響を与える)ことで対価が支払われているものなのだ。
できる人材になるためはもちろんのこと、お金を払って通う学生(消費サイド)から、お金をもらう社会人になるのならば、人や世の中にプラスの影響力を与える人間(生産サイド)になることは不可欠だといえる。
問題はそのレベルだ。どれだけのプラスの影響力を与えられるかだ。
第22条 感性を磨く
仕事は頭と根性と行動力だけでやるものではない。遊びや恋愛などほかのものと同様、感性が求められる。
例えばマーケティングなども、学問上の理論で通用するものではない。一番大切なものは感性だ。もっと分かりやすく言えば感覚だ。
レイアウトデザインなどビジュアルのセンス。コトバのセンス。コトバのリズム。ビジネスパーソンにも高い感性レベルが求められる時代なのだ。
僕は理系だったが、研究に最も大切なものも感覚だと思っている。音楽でも仕事でも同じだ。学問や理論を軽視するつもりはないが、感性を鋭くすること。感覚を大切にすること。
では、感性を研ぎ澄ますためには、どんなことが有効か。いくつか挙げてみよう。
- ①心の奥の良心と対話する
- ②自分に厳しくすることで、ノリノリの気分にする
- ③情報のシャワーを浴びる
- ④遊ぶことでノリノリの気分にする
また、仕事上で、特にマーケテイングの面での感性を磨くのであれば、社会の大まかな動きをとらえ、また生活者の気持ちをとらえること。
その種の情報のシャワーを浴びることが有効だ。僕は次のようなことをしている。非常に有効な手段だと自信を持っている。
- 流行の曲をザッと聞いて感じて分析する。最新の情報が集められているWebサイトをザッと見て感じて分析する。
- 人気のアプリをザッと使い感じて分析する。ネットニュース、新聞、週刊誌、マンガなど、興味がない分野もザッと目を通し感じて分析する。
- 本屋で流行の本のタイトルをザッと見て感じて分析する・渋谷、青山を歩く。
- デパートの中を歩く。
- 学生、社会人としゃべる
- そのほかギターを弾く、好きなアーティストの音楽を聴く、バイクに乗るなどしてノリノリにさせる
- サーフイン、スノボなど自然と戯れる
遊びを生活に組み込むこと
「遊び心を持つ」などという生やさしいものではない。遊ぶこと。遊びを生活の中に取り入れられる力が必要である。
受験などの正解の存在する試験勉強では、四六時中テンパッても、適当に息抜き、リフレツシュさえできていればいい結果を出せる。
しかし、仕事はそうはいかない。面接もそうだ。
人間対人間の触れ合いなのだ。遊びからくる余裕を持っていないと人は魅力的になれない。人間同士の楽しい空間はつくり出せない。
では、就職活動中に、具体的にどんな遊びをすべきか。結論から言えば何でもいい。学生時代に自分がやってきたことを、そのまま継続すべきだ。
早稲田大のE君は、就職戦線の真っただ中でもライブ活動をやり続け、超難関の音楽業界数社に内定した。成城大のT君もほぼ週1回のペースで合コンをメイクし続け、また個別にデートもし続け、予定どおり広告Hに内定した。
明治大のY君や神戸大のT君は、中断していたナンパ活動やストリートライプを再開したことで勢いづき、それぞれ志望の会社をゲットしていった。
慶應大のラブハンターとの異名を持つK君も、真夜中に熱く商社の未来を語りながら、複数の女性へのアポ入れも欠かさなかった。
あえてここでやや脱線する。
遊びといえば、合コンやナンパの話ばかりが出てくるのは本意ではないが、そもそも異性にモテないようでは広告、テレビ、総合商社などの超難関企業の内定は難しいということを認識しておいてほしい。
現に、そういった会社で活躍している人はほぼ間違いなく、異性に(同性にも)モテる人なのだ。
我究館の学生たちを見てもそうだ。
一対一になれば、必ず口説いてみせるというぐらいの人物が、そういった会社に内定していくものだと認識しておいてほしい。
まじめだけでは活躍する人間にはなれない。
どんな人でも、就職活動中、悲壮感が漂いかける時が一度はあるが、積極的に遊びを取り入れ、そんな暗さを払拭していってほしい。
第23条 問題意識を持つ
自分の意見を持つためにも、物事の本質をとらえるためにも、問題意識を持つことは不可欠である。そもそも世の中には完璧なものなんてない。常に、より良いものがあるはずだ。
仕事にせよ、何にせよ、先輩の話や、やり方を素直に吸収することは必要ではあるけれど、ただうのみにして提案ができないようならば、きみはマニュアルレイバーヘの一途をたどってしまうことになる。
また、自分がやっていること、やってきたことに対し、完壁を目指してストイツクになりすぎるのも考えものだが、大満足で慢心するのはさらに先が危うい。
例えば我究館は1992年に創業以来、幸いにして納得のいく結果を出せているが、自分たちのやってきていることに100点をつけたことは一度もない。「これでいい」と思った瞬間、発展はおろか現状維持もあり得ない。
「成功は将来の衰退原因である」という考え方のもと、常に革新を図るべく、全力を投入し続けている。
実際に、運営方法もカリキュラムも、同じことをやったことは一度もない。常に目的を明確にし、問題点を洗い出し、改善すべく協議を重ね、実行に移している。
自分の考えを否定することも含めて、問題意識を持ち、目指すゴールイメージ(目的)と現状のギャップ、そして問題点を明確にしていかないと、改善はおろか改善するための解決方法の提案さえできないのである。
第24条 自分や社会、物事を客観視できるバーズアイを持つ
矛盾するようだが、自分の前にあることにのめり込みすぎると、かえって自分や状況が見えなくなってしまう。また、悩んだり、心が疲れてしまう。
自分の中に、「もう一人の自分」を常に持ち、自分がやっていること、やろうとしていることを客観的に見ることを心がけよう。
「もう一人の自分」は、きみの最大の理解者であり応援者である。きみ自身が熱くなっている時も、「もう一人の自分」は常に冷静である。落ち着いて、客観的にアドバイスしてもらつたり、励ましてもらおう。
ワークシートをやる時も、自分を第二者的に見て取り組むことで、「自分を客観視する」クセをつけよう。
バーズアイとは「鳥の目」である。
自分の歩もうとする人生における自分の現在地を、鳥の日で見るつもりで客観的に俯腋して上から眺めてみる。
自分の目指す目標に向かって、自分は正しい方向に歩いているか確認できるはずだ。
また、日の前のちっぽけなカベ(例えば就職活動など)でつまずき、立ち止まっている時も、バーズアイで見れば心に余裕も生まれるし、日の前のカベが長い人生においては本当にちっぽけなものであることを認識できる。
大局的に物事をとらえてみることにより、冷静で客観的な判断ができるはずである。
僕が24歳の時、『私の彼はサラリーマン」という曲がレコード会社に認められて、プロ契約をしようとしたのだが、勤めていた会社が認めてくれなくて、大いに悩んだことがあった。
そんな時、たまたま横浜から成田までヘリコプターに乗る機会があつた。ヘリコプターから見た会社は本当にちっぽけで、まるでマッチ箱のように見えた。そうやって上から眺めていくうちに、
「そもそも俺の人生の目標にとって、あの会社がすべてじやないな。せっかくのチャンスだ。やつてみよう」と覚悟ができ、胸のつかえがスツとなくなっていったのを覚えている。
その時のヘリコプターの料金は確か2万円だった。
たかだか2万円程度(当時)で、バーズアイの考え方を身につけることができて本当に良かったと今でも思っている。
もちろん、自分の人生に限ったことではない。視野、世界観を広げることにも通ずる。自分のことに夢中になるのはいいが、視野が狭くなって、周りが見えなくなっていないか。
就職戦線に躍起になっている一方で、本当の戦争に巻き込まれている人たちがいることや、国内でもまた海外でも、様々な問題を抱えている社会の現状が頭の中から抜けてしまってはいないか。
常にとは言わないが、バーズアイで自分のことに限らず、世の中、世界を意識できるように、また世界の中の自分を見られるようになってほしいと思う。
何かにどんなに夢中になっていても、自分のことだけでなく、社会を、世界を、冷静に見続ける目を持ってほしい。地球の中の日本、地球の中の自分を意識することだ。このことは自分の未来像を描く際にも大いに関係してくることである。
ある業界のことしか分からなくて、自分のやりたいことが分かるのか。日本社会、世界の中の日本社会が分からなくて、それで自分が社会の中でどうかかわつていくかを描くことができるだろうか。
ちなみに、我究ワークシートを進めていけば、いや応なくバーズアイが身につくようになっている。
第25条 深く多面的に見る目を持ち、考えや物事の本質をとらえる
自分自身について考えることはもちろん、世の中のあらゆる物事をとらえる時、「深く」「様々な角度(視点)」から見る目が必要である。そうすることで物事の本質が見えてくるはずである。
少し難しいので具体的な例で考えてみよう。
〈例1〉きみがサツカーサークルの幹事長で、きみの友人が副幹事長だったとする。きみがサークルのOB0G会の設立パーティの準備に奔走して、猫の手も借りたいほど忙しかったとしよう。
その時、きみの忙しさを知っているはずの友人は、何も手伝ってくれなかったばかりか、溜まり場にも顔を出さなかったとする。
さて、このケースにおいて、友人は副幹事長として不適格だろうか。感情的には、幹事長をサポートしない副幹事長の友人は「使えない人」になってしまうかもしれない。
しかし、本当にそうだろうか。そう言い切れるのか。なぜ、友人は手伝ってくれなかったのだろうか。もしかしたら、きみがそんなに苦労していることを友人は気がついていなかったのかもしれない。
きみがパーティの準備で忙しくしていた時に、きみの知らない間に持ち上がった1年生の女子と2年生の女子の対立問題を解決すべく、友人は連日のように話し合いの場をつくつていたのかもしれない。
彼女にフラれそうになって周りが見えなくなってしまっていたのかもしれない。あるいは、追試が思うようにできず留年しそうで、それどころじゃなくなっていたのかもしれない。
きみの強引な運営の仕方にサークルが分裂の危機にあり、それを食い止めようと必死になっていたのかもしれない。もしかしたら、きみの強引な運営の仕方に彼自身が前々から疑間を持ち、嫌気がさし、サークルをやめようと思っていたのかもしれない……。要するに、この場合、彼がどういう状況にあるのか。
友人と直接コミニケーションをとるなり、友人や自分自身のことを、もっと深く様々な視点から見つめてみるなりしないと、一概には何とも言えないのである。短絡的に彼を責めることはできないはずである。
〈例2〉やっとのことで実現したOBOG会。
OBOGが少しでも多く来てくれて喜ぶようにと、金曜日の夜に大学の近くの中華料理店で開いたとする。ところが、いざ当日になってみると、参加者は事前に往復ハガキで確認していた人数の半分にも満たなかったとする。さて、OBOGたちは薄情だと言えるだろうか。
この場合も感覚的には、「何で来ると言っておきながら来ないんだよ」と、OBOGに対し、ついつい憤りを感じてしまうものだろう。
しかし本当にそれでいいのだろうか。もしかしたら、月末の金曜日で、営業の先輩たちは忙しく、残業でやむなく来られないのかもしれない。
また、ハガキに店の地図が載ってなくて、多くのOBOGが場所が分からなくて迷っているのかもしれない。同じ名前の違う店に行ってしまつているのかもしれない。
多くのOBOGが、直前になって行けないことが分かつたけれど、連絡先がハガキに載ってなくて連絡できなかったのかもしれない。
ハガキが雑だったこともあり、自分一人ぐらい行けなくなっても問題はなかろうと、多くのOBOGが思ってしまったのかもしれない。
ハガキを出すタイミングが早すぎて、多くのOBOGが忘れてしまっているのかもしれない。
そもそも、「来られそうな方は参加に○をつけてください」ということだったので、「暇だったら行こう」という意識だったのかもしれない。この場合も、単に来てくれなかったから薄情だと決めつけるのは危険なのである。
〈例3〉新興宗教は若者にどういう影響を与えるか。
新興宗教=危険・悪影響という印象があるが、感覚だけでそう決めつけるのは危険である。
僕は個人的に興味がないので詳しくは知らないが、新興宗教の中には若者にとっていい影響を与えるものもあるのかもしれないし、人を殺したり、だましたりする集団に良いも悪いもないが、それぞれの宗教の教義には、もしかしたら部分的には納得できるものもあるのかもしれない。
詳細を知らないものについて、知っているわずかな知識だけで、一元的に判断してしまうことは本当に危険である。
実際に学生と話していて、あるいは社会人と話していても、考えが浅い人は少なくない。特に学生は、ほとんど全員浅いと言っても言い過ぎではないほどだ。
マスコミの報道を見ても、表面的な現象をとらえた報道が少なくない。
単に、「何かについての自分の意見」に限らず、何かの問題を解決する時にも同じことが言えるので、少し詳しく述べておきたい。
時事問題や身の回りのことなど、何かについて自分の意見を持つ時、あるいは何か問題がある時、ムカついたり、困ったことがあった時、まずは、「本当にそうなのか」と自分の感情に問題意識を持ち、冷静に事実と推測をきっちりと分ける。
たいていは事実を知らずに、自身の思い込みと推測だけでムカついたり困ったり、感情的になったりしているものだ。
そして、自分が知らないことをできるだけ調べ、できるだけ事実を知ること。次に、「どうしてそうなったのか」と原因を冷静に掘り下げること。そのためにも、さらなる知識、調査、取材が必要である。事実をできるだけ把握した上で、改めて自分の考えを持つ。トラブルの場合は、さらに解決策を練る。
解決策についても、「ほかの考え方はないか」と、別の切り口を見つけ出すこと、考え出すこと、発想の転換を自分でしてみること。
それができれば、ほとんどの問題は自分で解決できる。悩みを解決する糸口を自分で発見できる。このステップを踏むことが、事実をとらえ、本質をキャッチし、ベストの解決策を見つけ出すために必要なのだ。
できる人は、それを面倒くさがったリサボったりしない。そこに執着心を発揮する。安直な薄っぺらい意見ですまさない。
忙しすぎて心が疲れすぎてしまっていなければ、それでほとんどの問題が突破できるはずである。簡単なことではないが、マスコミや難関企業を狙う人は、このことを必ず、しかもハイレベルで身につけてほしい。
第26条 考え方や物事を構造的にとらえることができる
自分の考えや物事を構造でとらえられないと、なかなか問題は明確にならず、その結果、解決の糸口がつかめないものだ。日の前のもやもやとした雲は、いつまでももやもやした雲でしかない。
構造的な理解をするためには、レベルの違いを判断できること、レベルを合わせること、論理的に考えることが必要である。
いったいなぜそうなっているのか、そもそもどういうことなのかを把握するために、構造的な理解力が求められるのだ。
そのあたりはSPIでも問われることだが、現実はSPIより難しいことが多い。数学の幾何で鍛えられる分野である。
第27条 アイデアを出すことに自信を持つ
「アイデアを出すことに自信がありません」という学生がいるが、ありとあらゆる仕事にはアイデアを出す力が求められる。仕事は与えられたことちやんとやればよいといった多くのアルバイトとは違う。
与えられたことをやった上で、さらに自分で創意工夫して提案していくことが求められるのだ。
安心してほしい。誰もがアイデアパーソンになれると僕は確信している。これまで何百人とアイデアに自信がない人をアイデアに自信がある人に変えてきた。
アイデアを出す本質とは何か。それは、
- 努力すること(もっとないか、もっとないかと、風呂の中でも、寝ながらでも考え続けること)。
- 大衆性。多くの人が喜ぶことはどんなことか、感覚的に分かること。
この2つだ。
②の大衆性は、ワイドショーをチェックする、雑誌を読む、街を歩くといった努力で身につけることができる。
ということは、突きつめれば、努力できる人なら、誰もがアイデアカを身につけることができるのだ。本当に身につけたいと思ったら誰もが努力を努力と思わずにできるもの。
すなわち、アイデアを出せる人間になりたいと心の底から強く持つことができれば、誰もがアイデアを出せるように本当になるのだ。
最初はとんちんかんでもいい。②の努力を続けながら、ほかにもほかにもと何十も何百も考える習慣をつけることだ。たいてい、数力月でアイデアのコツをつかみ、1年ほどでアイデアに自信が持てるようになるものだ。
第28条 魅力的でいられるよう、ビジュアルを磨く
体を鍛えること。余計な脂肪をとり体を引き締めること。
また、フアツションなどにもある程度気を遣い、ビジュアルを磨くことは、仕事に関係ないようで実は非常に大切なことだ。
実際のビジュアルもさることながら、ビジュアルを磨こうとするそのメンタリティが、そして磨かれたビジュアルであることによるメンタリティが大切なことなのだ。
このあたりを、絶対におろそかにすべきではないことを強調しておく。
第29条 赴から思いやれる自分の師、素晴らしい仲間(先輩・後輩)、愛し合える人を持つ
何よりも自価を高めるのに有効なことは、きみ自身の経験、特に素晴らしい人たち、先輩、仲間、恋人との交流である。
表面的ではなく、包み隠さず、自分のことや経験をさらけ出して語り合うことだ。
「朱に交われば赤くなる」もので、人間的に大きな先輩、仲間、できる人たちに囲まれていれば自然と自分も磨かれる。
逆に、つまらない連中とばかりいたら、自分もつまらなくなってしまう。実際、学生たちはつるんでいるグループによって本命にどんどん内定していく集団もあれば、そうでない集団もある。
さらに、そのつるみ方がタイトなグループ、すなわち自分をさらけ出し合える「親友同士のグループ」ほど内定する集団である。
我究館の学生が実績を残せるのは、ワークシートを使って本気で頑張ったからでもあるが、同時に素晴らしい講師陣、仲間同士の(本音の交流〉があるからだと確信している。
できれば、「こういう人になりたい」と本気で思える先輩、心から尊敬できる先輩を見つけ、一緒に遊んだり、いろんなことを本音で語り合つてほしい。
先輩の考え方を参考にし、吸収してほしい。先輩の意見を「テニスの壁打ちのカベ」として、自分の意見をぶつけ、返ってくる先輩の考え方を吸収しながら自分の考えを明確にしていこう。
就職活動中だつて、そういう出会いはたくさん転がっている。社会人訪間をして、その先輩を気に入ったら、とことん仲良くなってしまおう。先輩を飲みに誘ったり、遊びに行ってもいいのだ。
それを言い出すのは少し勇気がいるけど、先輩にしてみたら、誘われて嫌な人など一人もいない。
これは僕が保証する。その会社に就職しようがしまいが関係ない。
大手広告会社Dに行った早稲田大のY君は、Dの面接を前に、落ちたHを受けた時に出会った先輩社員のIさんと、Dに内定するための戦略を練った。
H勤務のIさんは、社会人訪間でたまたま知り合ったY君を、彼が自分の会社に来る来ないには関係なく、「ガッツもあるかわいいヤツだ。それに見どころがある。何とかしてやりたい」と思ったのだ。
だからこそ、相談にのるだけでなく、業界の資料を見せてあげたり、Dに勤める友人を紹介したりと、彼にできることは何でもしてあげたのだ。まさに、一緒に就職活動を乗り切ったとさえ言えよう。
もちろん、どの先輩社員もIさんのような人ばかりではないし、Iさんだってどの学生にも同じように対応しているわけではない。
Y君にやる気があっただけでなく、きっちりと我究し、自分の意見を持っていたからだ。さらに、気取ることなく、自分自身をさらけ出せる人だからこそのことである。
自分をよく見せようと自分と相手の間に見えないカベをつくってしまう学生はこうはいかない。しかし、こういった話は決してまれなケースではない。我究館の学生のほぼ全員に、ごろごろ転がっている話なのだ。
我究館では、学生の成長に合わせ一人一人に可能な限り行きたい会社のできる社員を紹介している。
最初の出会いはスタツフを介してセツテイングすることもあるが、三度日以降は、僕やスタツフとは関係ないところでメシをおごってもらつたり、飲みに連れていってもらつたりしながら相談にのってもらつたり、他社の社員を紹介してもらつたりしているのだ。もちろん、その社員にお金を払っているわけでも何でもない。
すべては「その学生がどれだけ本気になっているか、どれだけ自分をさらけ出せるか」で、相手は学生のために可能な限り動いてくれるのだ。
社会人訪間におけるせっかくの出会いを就職活動だけにとどめるのはあまりにももったいない。気を遣わずに一生つき合えるような先輩後輩になってしまおう。
第30条親を大切にする
親との関係は良好ですか。親を大切にしていますか。
生まれてからこれまで、特に思春期に、互いにどんな誤解を与え合い、どんな侮辱を与え合ったとしても、かけがえのない親子の絆が尊くないはずはない。
幼い頃に感じてしまった誤解を忘れて、大人として、今一度親と接していこう。親も人間だから、頑固になったり、欠点ばかりだったりするもの。
しかしそれでも、今度は子供としてでなく、大入としてきみが親に主体的に接して差し上げるのだ。生んでくれてありがとう。これまで育ててくれてありがとう。
ういう気持ちを込めて、ほんの少しでも気持ちの良い関係が築けるといいなと期待して。
関係の劇的な改善は期待してはいけない。むしろつらくなる。精神的に自立できればそれでいい。言葉を交わせただけでもそれでいい。それぐらいの気持ちで、少しずつ。
人間とはおかしなもので、30歳を過ぎ、40歳を過ぎ、50歳を過ぎようとも、親との関係が自分を深い深い部分で支えるもののようだ。
お父様、あるいはお母様が天に召された方の場合は、あるいは、一度もお会いしたことのない場合は、空に向かってチャネリングでつながることだ。
それだけでも違う。根拠のない自信とは、実は、親に圧倒的に愛された記憶からくるものなのである。今、親を大切に思うことで、彼方に消えた圧倒的に愛された記憶を、どうかたっぷりと思い出してほしい。
僕が考える「人を引きつける方法」について話そう
ここで僣越ながら、僕なりに考える「人を引きつける方法」について述べようと思う。
一言で言うと、「時として、自分のことはどうでもいいから、相手にとってプラスになることだけを考え続け、行動し続けよ」ということだ。
人との絆について考えさせられた、2つの事件
このことに気づいたのは僕が28、29歳の時で、愛していた恋人にフラれたことと、会社を辞めて独立後、超重要なスタッフの一人が辞めてしまったことがきっかけとなっている。
「人を引きつける方法」について考えた結果、得られたことではない。夢中になっている過程で、結果的に分かったことである。
今思えば、それまでの僕は、自分のことが無性にかわいかったのだろう。いい車やバイクも欲しくて、実際、手に入れた。いいマンションにも住みたくて、広い部屋に実際に住んでいた。
また、子供の頃から恥ずかしがり屋なくせに、かなりの目立ちたがりであったし、自分が人気者であることと、「これは!」ということに関しては、何をやっても一番じゃないと気がすまなかった。
実際には一番ではなかったが、そのための頑張りは苦にならなかった。また、さらに質の悪いことに、自分では、自分のことばかりでなく他人に思いやりもあるやさしい男だと思っていた。
今思えば恥ずかしい限りだ(今でも実はそんなに変わっていないのかもしれないが)。そんなお調子者で勘違い野郎の僕が、生まれて初めて思いっきリフラれた。ショックだった。
フラれたこともショックだったが、愛している人の心をひどく傷つけたことはもっとショックだった。それまでにも恋愛に限らず、人を傷つけたことは数知れずあつたけれど、この時ばかりは本当につらかつた。
ショックというよりも、じわじわ心を締めつけられるつらい日々が続いていた。フラれた理由、彼女が傷ついた理由は差し控えるが、その後かなり長い間、「よりは戻らなくてもいいから、彼女には元気になってほしい、ハツピーになってほしい」と心の底から思っていた。
彼女は会つてくれるはずもなく、当時の僕は彼女に対し、なす術は見つからなかったが、ただ一つ、「相手が誰であれ、人の信頼を裏切り、心を傷つけることだけは、もう絶対にするまい。
フラれた理由、傷つけてしまった理由である自分の短所を何としてでも直してやる」と心に刻み込んだ。今思えば、その気持ちさえ騎りだったのかもしれない。
単に、人との信頼、信用が断ち切られることで、人の信頼を裏切ることで、自分がつらい思いをすることが怖かったのかもしれない。
その後スタッフの退社……。ともかく、この2つの事件以来、僕は、「自分の損得はどうでもいい。また、時として嫌われてもいい。みんながプラスになってくれればいい。自分のできることは自分の可能性を信じて全力で突き進むだけだ」と、少しは思えるようになった(と思っている)。
つい長々と、お恥ずかしいことを書いてしまったが、その後の人間関係を見るに、このことが結果として、「人との絆」を築く有効な方法の一つであるばかりか、自分にとっても得られるものが大きいことだと、僕は思っている。
参考にしてほしい。
まとめ
・絶対内定する人とは「将来、その会社で大活躍できる人」かつ「面接官をはじめ多く人に好かれる人=一緒に働きたいと思う人」、つまりできる人のことだ。
。できる人材とは、自分のものさしで主体的に生きる自立した人。かつ人間的に優れた能力のある人であり、新しい価値(仕事)を自分でつくり出せる人。
。自分から新しい価値をつくり出すということは、常識や通念を大人として把握し、その上で新しい常識をつくっていく能力のことをいう。そのためには「考え=アイデア」に終わるのではなく、現実のものにできることだ。
。就職活動において「自分から価値をつくり出すこと」とは、①クオリティの高い企画を出す力があること。
②実際にクオリティの高い企画をすでにいくつか持っていること。
③具体的な企画を現実化できる力を持っていること。
あるいは、近い将来必ず持てそうであること。
・企画力とカタチにする力より多くの利益を生み出せる、「実現力」が求められている。
・できる人は、言われたこと、期待されている以上のことをやる人。また、人とぶつかることを恐れず、そこから固い信頼関係を築ける人。
・全体像を把握するために「現状レベルセルフチェックシート」で内定に必要なものを一覧してみよう。
・さらに「できる人材の本質30カ条」で具体的にチェックしよう。
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