どうすれば、自分は結果を出せるのか。成功体験を積んで、この問いの答えを見つけよう。ただがむしゃらでは、結果につながらない。正しい努力を理解し、すぐ実践してほしい。
結果を出すためには何をすればいいか
結果を出す。そのために、どんどん失敗しよう
心からの夢を描こう。繰り返し、それを述べてきた。
しかし就職活動に勝つことを含めて、夢は描いただけでは実現しないという当たり前のことについて、ここでは述べたい。
就職活動も、その後の仕事も、人生そのものも、夢を描くだけではなく、最終的には勝たなければ、結果を出さなければ意味がない。
極めて乱暴な言い方だが、僕はきみのこれからのすべてのことについて、そういう視点も持つべきだと思っている。
それほどまでに強烈な思いを持ってほしい。そういう厳しさを持ってほしい。もちろん実際には、意味がないというのはウソだ。
結果を出せなかったからこそ得られるというものも大きい。
挫折経験を乗り越えて初めて自信が持てたり、人の気持ちを汲み取ることができたりと、人間性の成長だけでなく、新たな出会いや発見など、負けて得るものの大きさも僕は経験的に知っているつもりだ。
負けたら終わりではなく、そこからまた新しい世界が広がっていくということも知っているつもりだ。また、ギブアップしない限り、実は負けはあり得ないとも思っている。執着心を失わず戦い続ける姿勢がある限り、夢を実現するチャンスは必ずあり続けると信じている。
しかし―‐それは本気で結果を出そうと自分を信じ、本気で戦った上で敗れた者のみに言えることではないだろうか。
「負けてもいいや、できなくてもいいや」と最初から思っている人に、「結果がすべてではない」と言う資格はない。
勝負する前から勝負を避ける「逃げる人」、何としてでも実現したいという強烈な思いのない「本気でない人」には、挫折することもなければ、そこから得られるものなど、ほとんどないのではないだろうか。
勝負を避けられたと思っているかもしれないが、実は自分から自旗を掲げているのだ。勝負をしていないのだ。それではどんな目標も達成することはできないだろう。自分と戦う充実感さえ味わうことはできないだろう。
「結果を出そう」ということは、そのために「どんどん失敗しよう」ということでもある。挑戦して失敗して最終的に結果を出すのだ。失敗を恐れて、守りながら戦うのではない。
その逆だ。僕はここで、「全員就職活動を死に物狂いで頑張れ。結果を出せ―」と言いたいのではない。
自分のビジョン(本質)に照らし合わせて、勝負すべき(就職活動すべき)だと心の底から思うのであれば、それを実現したいという思いをもっともっと強く持って、本気で自分と戦って絶対に勝ってはしい。
しかし、就職活動をする必要がないと思う人は、「サラリーマンには興味がない」と堂々と言ってのけてはしい。そして、自分の日標に向かっての勝負に本気で挑んではしいのだ。
「何としてでも結果を出すこと」にこだわれ
話を元に戻そう。仕事や人生そのものは、その時に結果を出せなくとも、あきらめずに失敗を生かして次を頑張ればいい。
誰に何を言われようと、夢を譲るべきではないと思っている。
就職活動も同じだ。
希望の仕事ができる可能性のある会社に行けなくとも、そこで今度こそ本気になって力をつけ、いずれ転職すればいい。あるいは将来、独立してやりたかった仕事をやればいい。しかし、現実にはどうだろうか――。
最終的にある程度以上、納得のいく結果を出せた場合、すなわち関連するフィールドの会社に入社できれば転職も独立も可能性は十分にある。
しかし、そうではなかった場合、まったく違うフィールドの仕事への転職は、時として限界がある。
転職の際、次に生かせるどんなキャリア、実力を身につけたかが問われるからだ。また、つまらない話だが、会社のネームバリューが関係する場合も少なくない。
また、それ以前に、納得し切れていない会社に内定して入社した場合、そもそもやりたかった仕事や夢への情熱をなくしてしまいかねない。
理想と現実のギャップにあがくことに疲れ、現実に甘んじてしまうことが多いのだ。寂しいけれど、そういう人は少なくない。なくしてしまいがちなのは情熱だけではない。
就職活動を中途半端にやって納得のいく結果を出せない場合、自信や希望までなくしてしまうことも少なくない。
「どうせ私はこのレベルだったんだ」、あるいは「どうせ社会はそんなもんだ」「私は本気になれない人間なのかも」というふうに。本当に寂しいことだ。
しかし、会社の名前が大学名以上にいちいちつきまとっていく生活の中で、ラベルで判断することが多い日本の社会では、特に自分自身が納得できていないと、そんなことで自信を失ってしまうことが少なくないのが現実である。きみがそうなるかもしれないというわけではないが、今わざわざ遠回りすることはない。
このビツグチャンスの今、きみは「何としてでも結果を出す」ということにもこだわるべきだと僕は思う。成功体験、社会に対する納得体験をぜひとも積むべきだ。
大いなる期待と希望とやる気を持って社会に飛び立っていくべきだ。また、結果を出すことにこだわらなければ、就職活動も仕事も本当に結果を出すことはできないものだ。
どんなに自信を持って悠長に構えていようと、やる気だけで押し通そうと、あるいは流れに任せて自然体で臨もうと、それだけでは「結果を出す=自分の思ったとおりに実現させる」ことができないのが、大人の社会であり、就職活動なのだ。
よく雑誌のインタビューなどで、成功をつかんだビジネスパーソンや芸能人が、「私は自分に正直に、自然体で生きてきた」などと語っている。
これは多分、真実なのだろうが、その裏側の要所要所で人が見たらびつくりするほどの努力をしてきたという事実を忘れてはならない。彼らにとって、その努力さえもが自然体なのである。
そして、本当に必死な時を除いて、それさえも楽しんでいるはずだ。
前述のとおり、「やらなければいけないこと」に縛られることなく「心から望んでいる自分の夢に直結したこと=本質をとらえたこと」を、とことんやってきたということなのである。
芸能界や起業家の世界だけでなく、ビジネスパーソンの世界でもそれは同じだ。ラッキーだけで面白い仕事ができる人や活躍する人などいない。
商社、金融、コンサルテイング、マスコミ、どの業界を見ても、活躍している人は、一見遊んでいるようで、まじめに仕事をしていないように見えたとしても、実は本質をとらえた肝心なところで、非常に努力しているものなのである。
活躍している大人はみんな知っている。
「超本気の過程がないと活躍なんてできない」ことを、「結果なんて出せない」ことを。
そんなことを言うと変な人に思われるから、みんな言わないだけなのだ。
すべてを捨てゴから学ぶ「全裸作戦」で臨もう
参考までに自分のことを話そう。
僕は住友商事に就職したが、入社前から将来は独立すると決めていたため、出世よりも、「自分のやりたい仕事を思う存分やりたい」と、いつも思っていた。
最も厳しい環境で、「自ら新しい事業を生み出す」ということを、机上ではなく、実際のビジネスを通じて思う存分学んでやろうと思っていた。
そうすることで自分を鍛えていこうと思っていた。
思う存分できるようになったと自分で確信できた時、それが自分にとってのブレイクポイント(独立のタイミング)だと思っていた。
学生時代から、本質を押さえることと発想と行動力には自信があった。クラブ活動でも遊びでも研究でも、いつも自分の思いどおりにやっていた。
正直言えば、実はそんなに頑張っていないのに、それでそこそこうまくいっていたので、自分は仕事もできるものだと思い込んでいた。
しかし、就職してみて、仕事の世界ではそれまでの自分がまったく通用しないということを嫌というほど味わった。
入社して1年弱は、思いどおりにならないことだらけだつた。今だから言えるけど、悔しくてベッドの中で泣いたこともあつた。
学生時代のサークル活動や遊びや研究と違って、大人の社会でやりたい仕事を実現するためには、たとえどんなに斬新な発想も企画も、説得力のあるものでなければ、誰も動いてくれない。
人間としても、知識の面でも、信頼されるに足る自分になっていかなければ、誰も聞いてはくれない。
行動力がいくらあつても、勢いだけではどうにもならない。やっばり緻密な努力があって、初めて人を動かす仕事ができるのだ。それに気がつくまでは大いに悩んだ。
何とか思いどおりに仕事ができるようになるために、いろんなことを考え実行もした。1年目の冬になって、最終的に思いついたのが「全裸作戦」だつた。
「俺はできるはずだ」と思い上がっていた自分を捨て、自分は何も分かつていない「全裸の状態」であると位置づけ、「よっしゃ、俺はすべてを捨て、一から学んでやろう」という、自分をゼロにする半分破れかぶれの作戦だ。
自分は「全裸」なのだから、恥ずかしいものは何もない。何でも話せた。何でも聞くことができた。
そして、上司の話や考え方、新しく知ったこと、気がついたこと、思いついたことなどを、すべて大学ノートにメモしていった。
2週間で1冊ぐらいのペースでどんどん書いていった。
家に帰って、それを何度も見直し、「なるほど、これは覚えておいて損はない」ということは蛍光ペンでマークして覚えた。
納得できない上司の考え方の横には、自分の思いや考えも書き込んでいき、翌日上司にぶつけた。
失敗やミスをした時は、なぜ失敗したのか、その時、自分はどう考えてそうしたのか、足りなかったのは何なのか、知識なのか、考えの深さなのか、執着心なのか、伝え方なのか、人間性なのか、考えた末に書いた。調べた。
うまくいった時(そんなことはほとんどなかったけれど)は、なぜうまくいったのか、その時自分はどう感じたか、さらにうまく生かすにはどうすればいいのか、書いて書いて書きまくった。
今思えば、この、自分の経験や考えを何でも書き込んでいったことが、あとで出てくる「我究ワークシート」の原点であった。
「全裸作戦」を実行してから数力月後、自分の考えが学生時代と比べて数段深く、そして多角的で、的を射る(本質をとらえる)ことができているのに自分でも気づいた。
すると、それまでろくに話も聞いてくれなかった上司を説得できたり、決して通らなかった企画がすんなり通ったり、会議を自分の考えている方向に導けたりと、何もかもが思いどおりに動くようになっていったのである。
今でも、ノートを常に持ち歩き、何でもメモする習慣は続いている。また、新しいことを始めたり、なかなかうまくいかないことがあると、あの時のことを思い出すようにしている。
別に、苦労話や自慢話をするつもりはない。ただ、「頑張ったら、頑張っただけのことはある。頑張らなかつたらそれまでよ」ということである。それが仕事であり、「社会」なのだ。
もっと言えば、「力(人間性と能力)があればうまくいく。力がなければうまくいかない。力をつけるには本気でやるしか方法はない」―「社会」とは、そういう当たり前のところなのだ。
だからといつて、努力すれば何でもいいというものではない。努力の仕方を間違えて、やみくもに頑張ったところで、それはただの無駄な努力になってしまうのは試験勉強と同じ。
長い日で見れば、無駄な努力など存在しないのかもしれないが、就職活動をはじめ、世の中のほとんどのことには締め切りがある。一定の期間を過ぎて努力が実っても意味がない。
要するに「本質をとらえた、効率的で、的を射た努力」が必要なのである。
就職活動に失敗した学生が寂しそうにこう話す。「やる気と頑張りだけでは、どうにもならないものがあるんですね。社会の厳しさを知りました」残念だ。彼にどれだけのやる気があったか定かではないが、彼は頑張るべきポイントと頑張り方を間違えたのだろう。
彼の頑張りが内定という目標の本質をとらえた、内定に直結した戦略的な行動であれば、結果は違っていたはずだ。僕は自信を持つて、そう断言できる。
本質をとらえるとは、どういうことか
自分の頭で考えよう。そのためにも「考える力」を学ベ
技術的なことを含めて、方法を誤ることはきわめて非効率的だ。しかし、効率的な方法をとることだけで結果を出せるのは、暗記したことを答えるペーパーテストぐらいなものだ。
「本質をとらえたことをやること」に加えて、「自分の頭で本質をとらえていくこと」が必要であることを重ねてきみに伝えたい。
この本も含めて、きみもこれからいろんな人にいろんなアドバイスをもらうことだろう。そこで忘れてはいけないことは「言われたことをちゃんとやればいいということではない」ということだ。
ありとあらゆるアドバイスに対し、「なぜそう言われたのか、なぜそう言つてくれたのか」そこ(日本質)をきちんと自分でとらえられる人にならなければ。
「メモを取れ」と言われたからといってただメモを取っていても、あとで見返さなければ意味がない。また、そのメモでさえ、結果として言われたことだけをメモしていてもあまり意味はないだろう。なぜそう言われたのかを押さえること。
そして、そのアドバイスが本当に自分にとって的を射ていることなのかを、自分の頭で吟味することが大切なのだ。それだけではない。
さらに「もっといい方法を自分で思いつくこと。提案できること」が実は必要なのだ。
どんなに優れたマニュアルも、それが自分にとって最高のものではあり得ない。自分にとって最高のものを自分で提案する能力も必要なのだ。
自らの頭脳を駆使して、自分にとって最高の新しいマニュアルをつくり出していく能力が、結果を出すために常に求められるのだ。
本質をとらえ、自ら問題意識を持とう
例えば、ここ数年、就職活動する学生に「自已分析ブーム」が吹き荒れている。
自己分析することには確かに意味があるのだが、「自己分析さえすれば内定できる」と思い込んでいる学生が少なくないようだ。
自分の頭を使って考えろ、と僕は言いたい。
「なぜ、自己分析すると有効だと言われているのか?」「そもそも自己分析って何なのか?」「自己分析は何のためにやるのか?」「自己分析以外には、自分には何が必要なのか」そういう疑間を抱き、「今、自己分析が必要だ」と納得して取り組むのでなく、「自己分析するといいらしい」という声をうのみにして、ひたすらやっているのだろう。
もしそうだとするならば、そういう学生は、自己分析をすることさえ実はできていないだろう。
要するに、たとえ目標達成のために本質をとらえ、的を射たことだとしても、「やみくもな努力」では無駄になるということをきみに伝えたい。
本当にそれをやることに意味があるのかと、自ら問題意識を持つこと。その都度、自分の頭で、それが本質をとらえているのか考えられること、そういう能力が求められるのだ。
このことは就職活動に限つたことではない。
プロスポーツ選手や芸能人とは違い、僕らには常に傍らに優秀なコーチやマネージャーがいてくれるわけではない。
誰かに指摘されなくとも、自分で自分のやろうとしていることに疑間を持ち、「それは本質からそれていないか?本当に的を射ているのか?」と、常に自分でチェックし、納得し、修正できなくてはならない。
あくまでも、その上で一生懸命頑張ることが求められるのだ。
きみは今の自分を信じられるか
なぜ僕が嫌というほど、一生懸命に取り組もうと強く言うのか。それは、現在進行形で一生懸命になっている人にしか、深いレベルで自分を信じることができないからである。自分を信じられなければ、自分の可能性も信じられない。
自分の未来も、やりたいことも夢も、何となくいいなあとは思えても、決意すること、確信することができないからである。心からの将来のビジョンとは、そのビジョンが美しいから確信できるというものではない。
自分の心が、「今、決意できる状態にあること」が大切なのである。
そういう状態でないのならば、どんなビジョンが目の前に示されても、心から取り組もうと決意できないのである。
それだけではない。自分を信じることができる状態でなければ、自分の長所も短所も、はっきりと自覚することはできないのである。
何かに一生懸命になっている人は誰の目にも分かる。光っている。
しかし、面接時にきみが光るためだけでなく、自分を信じることができる状態になるため、すなわち、心から望む未来を描き、また自分の強みも弱みもはっきりと見つめられる状態になるために、まずきみは何かに一生懸命に取り組むことが必要なのだ。
長所だけではなく、自分の「弱点」を客観的にとらえよう
自分を過大評価する人は多い。中には過小評価する人もいる。
過小評価するぐらいなら過大評価するほうがいいと思うが、僕は自分に対してシビアな視点も持っていなくてはいけないと思っている。
自分の可能性を信じることと楽観視することを混同じないではしい。
自分の可能性を信じるからこそ、「まだまだ。もっともっと。とことんやらねば」という意識で行動していくことが結果を出す秘訣であるのだ。
あらゆる目標について言えることだが、特に就職活動では、強みだけでなく、「自分のウイークポイントはどこなのか」を把握することが極めて重要である。
本当は、「欠点は気にするな。長所を伸ばせ」と耳ざわりのいいことを言いたいところだが、本当に気にしないで就職活動に臨めば、まず間違いなく落ちる。それが現実だ。
「欠点は直そうと思うな。しっかり把握せよ」。それが大切なのだ。詳細は後述するが、ウイークポイントは、たいていの場合、そのまま放っておいたら、かなりの確率で命取りになる。
そう思っておいて間違いはない。それぐらいシビアな視点も持っておくべきだ。
しかし、ここで難しいことが3つある。
1つ目は、誰だって自分の、特に人間性に関するウイークなところを見つめることは嫌なこと、つらいことである、ということ。覚悟ができていない状態であれば。
英語や筆記などスキルに関しては、自覚することは難しくない。
しかし、特に人間性となると「就職活動には関係なさそうだからバレないだろう」という気持ち(実際にはバレる)がそうさせるのか、あるいはこれまでの怠惰がそうさせるのか、心の奥では気づいていても、人間的に弱い部分、たるんでいる部分をしつかりと自覚することが難かしい。
適当にごまかすことで通用してきた、なあなあの学生生活を過ごしてきた人は特に、それが苦手な傾向がある。
たいていの場合は、まさにその「自分に対して人に対して適当にごまかす」という、すなわち、覚悟ができていないという部分がウイークポイントになることを、ここではつきりと押さえておきたい。どんなにポテンシャルが高い学生も、そのままでは好結果は出ない。
2つ目は、自分が井の中の蛙になってしまっていてライバルの実力を知らないということが少なくないこと。
その結果、相対的なウイークポイントがあつたとしてもそのことに気づかないこと。人間性にせよ、能力にせよ、自分は自分のレベルでそこそこ満足していたとしても、他のライバルがはるかに上を行っているというケースも実態として少なくない。
基本的には、何をやるにも、超ツワモノがライバルだとしても、それを上回る実力を培っておくしかないという考えに基づくべきだろう。
そう考えると過大評価や楽観視することのナンセンスさに気づくだろう。
3つ目は、ウイークかウイークでないか、その価値基準が学生社会と仕事をする大人の社会では違うことが少なくないため、「自分では自分の何がウイークなのか気づかないことがある」ということだ。
大人社会の価値基準を自覚しよう
そこで、仕事をする上で求められる価値基準と学校が学生に求める価値基準との「価値の逆転」を把握することが極めて重要になる。
例えば、
①言われたことを言われたとおりにやること……学生社会では良しとされることも多いが、大人の社会では業界や会社によってはダメの烙印を押されかねない。少なくとも、「言われたとおりにするだけ」では、どこに行ってもダメだろう。
②目上の人の意見に問題意識を持ち、より本質をとらえたことを謙虚な気持ちで提案する……学生社会では先生に煙たがられる存在になってしまうことも少なくない。しかし、大人の社会ではそれも求められることだ。それができないのなら、その人が存在する価値はあまりないとも言える。
③勉強はよくやった……学生社会では非常に評価されることだが、大人の社会ではある程度当たり前のことだ。
さらにその上で、コミュニケーション能力や交渉能力、新しい考えを体系立てて自分でつくり出せる能力、そして人間性などが問われるのだ。
受け身の勉強だけではアルバイトとしてしか通用しないのだ。
覚悟ができていない状態でウイークなところを把握しようとすると、全体にこぢんまりして小さい人になってしまうまじめな人が多い。
前に述べたとおり、無理に直そうとする必要はない。まずは把握するのだ。直そうとしすぎて、小さくまとまつてしまつたら本当にその人の魅力は半減する。
繰り返すが、欠点はあっていい。それを本人が把握していることが大事なのだ。
もちろん場合によっては、どんなに把握していても、その欠点を持ったままでは希望どおりの就職が難しいということもある。それも現実だ。
学生社会の中ではウイークと感じないところ、それこそが就職活動では命取りになることが多い。
学生社会と大人の社会での価値の相違を自覚し、大人の社会での価値基準の中で、自分にとつてウイークなところも適当にごまかさずにしっかりと自覚しよう。
そして行動を伴わせることで、それを何としてでも克服しなければいけないということを肝に銘じてほしい。
今いる居越地のいい場所「ラクチンゾーン」から抜け出そう
人は安心でラクチンで居心地のいい場所にいたがるものだ。「問題意識を持ち続けることは頭も心も疲れるから、マニュアルどおりにやったほうがラクだ」そう思う気持ちも、ラクチンでありたいからだ。
不安になりたくないからだ。独自の路線を歩むことも勇気がいるし、怖かったりする。みんなと一緒なら安心だからと、みんなと一緒でありたがる。
また、いったんやろうと決断しても、いざやるときは億劫に感じてしまったり、後回しにしたり。何もやらないことのラクチンヘの誘惑、怠惰であることへの誘惑に簡単に負けてしまう人も少なくない。
しかしやらなければ何も始まらない。ラクチンであり続ける限り、成長もなければ結果が出ることもない。
次に出てくる図を見てほしい。重力に従ってボールが下へ落ちるように、「ラクチンゾーン」にいることは文字どおリラクチンである。
ラクチンゾーンに留まる限り何も状況が変わらないから、勝手知ったる生ぬるい環境の中で、ある意味で安心感も味わえるかもしれない。
一方で、ラクチンゾーンから抜け出すことは、重力に逆らつて上に上がるための運動エネルギーと位置エネルギーの分だけ苦痛が伴う。
それ以前に勇気と決断が必要だ。しかし動き出せば目標に近づく。運動エネルギーと位置エネルギーの分だけ自分に力もつく。
これは何にでも言えることだ。勉強でも、遊びでも、新しい友人づくりでも。
「ラクチンゾーン」の先には、新しい自分・価値観・出会いがある
例えば、学校からの帰り道、駅の階段で素敵な女性に出会ったとしよう。
「何と素敵な女性だろう。ああいう人と友達になりたいなあ」そう思っても、たいていの人は足を止めて、ちょっぴリドキドキしながらも遠くから彼女に熱い視線を送るだけだ。
いずれ彼女は通りすぎ、そして見えなくなってしまう。彼女と会えることはまず二度とないだろう。一生他人のままである。なぜそうしてしまうのか。
遠くから見ているだけで終わってしまうのか。勇気がないから。恥ずかしいから。「玉砕」するのが目に見えているから。ほかの人に見られたくないから。人前で女性に話しかけ、バカな人だと思われたくないから。
いろいろ理由はあるだろう。
一方で、もし話しかけたら……。ものすごくドキドキするかもしれない。きみは赤面してしまうかもしれない。無視されるかもしれない……。
しかし、もし無視されたとしても、きっときみは自分のことを好きになるだろう。
思つたことを行動に移すことができた自分の中の勇気に気づき、「俺もやるじゃないか」と自分の可能性を感じることができるだろう。テンションは確実に上がるはずだ。また、もしかしたら友達になれるかもしれない。デートできるかもしれないのだ。
この具体例を少々不謹慎に感じる人もいるかもしれない。
それでもあえて僕がこの例を持ち出したのは、この例があらゆる願望の実現に適応する要素を含んでいるからである。
人と出会い仲良くなることは、自分一人の裁量でできるものではない。「勉強すること」などとは違ってコミュニケーションであり、心を通わせる要素、そして相手のジャッジという要素をも含んでいる。
さらに、「人が見たら不謹慎な」と思われるかもしれないことをやるということは、すなわち通念を突破しての行動ができるということ。
それをやっても誰にも褒められないし、やらなくても誰にも迷惑をかけるわけでもないばかりか、もしかしたらややヒンシュクを買うかもしれないことに「アクション」をとれるということなのである。「自分を貫く」ということでもあるのだ。
また、やる時は中途半端ではなく、勇気を出して堂々とやらなければ結果がついてこないことも知ることができる。
ラクチンゾーンから抜け出し、勇気と根性を持って行動することなしには、いかなる目標にも到達することはできない。
ラクチンゾーンから抜け出すことのメリットは目標達成だけではない。抜け出すことで新しい世界が始まる。新しい出会いがある。新しい価値観も持つことができる。
もしかしたら、それまで掲げていた目標がとるに足らないことであると気づくかもしれない。さらなる勇気も自信も手に入れることができる。今までと違う新しい行動をとることで、新しい自分を発見することができるのだ。
「選ばせる」ために踏要なものとは
会社で受ず活躍できるだけの力があることを見せよう
「選ばせる」ために必要なものとは、ズバリ言つてしまえば、「その会社で活躍できるだけの力」である。
それは大きく8つの要素に分けられる。
夢を実現していくための、いわば「手段」である就職活動であるが、それでもこれらの要素が備わっていないと、突破できないのが現実なのである。
難関企業であればあるほど求められるものだ。
一つ一つについて、述べておく。
本当に重要なことを述べているので、しっかり押さえてほしい。
1.自信
□情緒の安定性
□自信のない時でも持っていられる根拠のない自信
□どんな場でもやっていけるという自信
2.価値観。人間性
□自分のためだけでなく社会のためという思いがあるか
□向上心の強さ
ロモラル
3.能力①(思考力)
□論理思考
ロスピード
ロアイデア発想
4.能力
②■人間関係力・リーダーシップ)
□相手の包容力に頼らずに、どんな人とも良好な関係を築けるか
□人をポジティブにさせる力
ロリーダーシップ
5.能力C(文章力・面接力・センス)
□わかりやすく心を動かす説得力のある文章力
□口頭での説得力、人の心をつかむ力
ロビジネスセンス(採算感覚)
6.容姿。雰囲気(存在感・見た日)
□存在感
□美しく印象に残る容姿
□雰囲気が合っているか
7.実績
□信念を持って思いを実現した経験
□人がしていないような経験
□「これが私です」と言える実績
8.スペック
□高校名、大学名、学部名
□TOEIC①スコア
□海外経験
ロプログラミングスキル
アクション別、成長度とアピール度
今からでも様々な活動ができるだろう。
学年や時期によっては、相当なことができるはず。たとえ就活直前や就活中であっても、就活一辺倒になるのではなく、スポーツや勉強など、様々なことにチャレンジすべきだ。
どんなに忙しくともどこか余裕があること、それこそがエスタブリッシュメントの条件だ。忙しいからこそ、視野を広く持ち、ほかのことにもチャレンジしよう。そうやつて自分を大きくしていこう。
参考までに、アクション別の成長度、および就活におけるアピール度のリストを掲載しておく。
成長の度合いもアピールの度合いも、正確には各自の頑張り方などによるが、ざっくりとしたものは見えてくるはずだ。
注意すべきは、サークルの設立もゼミの改革も、NPOも、本気の恋も、勉強以外のほとんどのアクションは、自分の成長のためにやるものではないということ。
自分の成長を第一の目的としてリーダーをやられたら、メンバーはたまったものじやないだろう。本末転倒にならないようにしたい。
今から本気で何かに打ち込む経験をしよう
実際問題、総合商社や電通、キー局に内定する人間は、コネの人を除けば、人がなかなかしていない経験をしてきている人が多い。
留学しているだけでなく、留学先で何かに打ち込んでいたり、海外長期滞在経験の中で何かに打ち込んでいたり、スポーツで全国レベルの結果を出していたり。
趣味がプロレベルに達していたり。何らかの結果を出してきた人である。少なくとも何かに一生懸命になったことがない、という人はほとんど見当たらない。
なぜ、そういう人が内定するのか。経験の量と質だけで判断しているわけではない。
経験、すなわちこれまでとってきた行動により、様々な力、特に自信を身につけてきたからである。結果として「選ばせる実力」を身につけているからである。
「選ばせる実力」を持つた人なら、すでに結果が伴っているはずだと、たいていの人は考えるからである。
実際に、もしきみが、本気で何かに打ち込んだ経験がないと自分で思っているとしたら、きみは今、自分の胸に聞いてみてはしい。
「自分はどこかごまかしていないか?・何事もどこか適当にすませて通用させようとしてきていないか?」すべてを全力でまつたくごまかさずに生きることは極めて困難だろう。そんなことは誰も要求していない。
しかし、それではたつた一つでも、まったくごまかさずに、いい加減になることなく、きつちり本気でやってきたことはあるだろうか。
難関企業といわれる会社の仕事にはまさにそれが要求されるのだ。中途半端にしか物事に取り組めない人では困るのだ。
一生懸命な行動が大逆転を呼ぶ
また、7、8章でも出てくるが、
- リーダー経験
- 競技スポーツ経験
- 異種スポーツや他サークルとの交流経験
- 独自のアイデア経験
- 新しいコンセプトを創造して、形にした経験
- 人にもまれ、みんなと共同で何かをつくった経験
それらが自分にはないという人は、何としてでもこれから経験してはしい。経験して初めて分かる、それらの経験の尊さ、それらの経験によって初めて身につけることができる力を体で知って身につけてはしい。
選ばせる実力=仕事で活躍する力とは何か。孤独に勉強を一生懸命やるといった力だけでは本当に通用しない。
そういう部分ももちろん絶対必要だが、それ以上に、「スポーツや遊びなどのように、価値観の違う人たちと交流しながら、そこで結果を出す」ということが重要なのだ。
机にかじりついて、自分との戦いに勝つという側面だけではないのだ。人と折衝し、人と意気投合し、議論し、団結して仕事はするものなのだ。
中には、この本を手にするタイミングが遅くて、今からではもう何もできないと思っている人もいるかもしれない。
また、「ラグビー部のスタメンで優勝経験があるとか、サークルのキャプテンをやつていたとか、輝かしい実績がある人はいいけど、僕はゲームとナンパばかりで特に何もしていませんでした。人に言えるほどの経験など何もないから勝負になりませんよ」
そういう人もいるだろう。
「どんなに時間がなくとも、今からでも経験しよう」まず僕はそう言いたい。さらに、「本当に一生懸命になったことが何もないのか」と問いたい。
人に誇れる特別な経験がなくとも、きわだった実績がなくとも、今までの人生、学生生活の中に、自分なりに一生懸命だったこと、深く考えさせられたことが必ずあるはずだ。
それらについてもう一度深く考え、きちんと整理して、自分のものにしていくこと。さらに就職活動において今度こそ徹底的に一生懸命な行動をとっていくことで、誰もが我究できるはずである。
その結果、就職活動での大逆転が可能なのである。誤解のないように言っておくが、電通やキー局にコネなしで内定した人全員が「突出した実績」を持っているわけではない。
全国レベルの実績ではないけれども、塾講師など極めて地味だけれども何らかの実績を持って、それで突破している人が我究館の学生にも少なくないことを押さえておきたい。
サークルにもゼミにも入っていなくて、さらに成績の悪い学生や、さらに輪をかけて浪人も留年もしている学生が、我究して超人気企業に内定していっているのだ。
失敗を恐れるな、守りに入るな。失うものなどないことに気づこう
存在のエネルギーを高めるために、最も必要なもの、それは失敗を恐れないこと。うまくいきそうになると、弱虫はみな、失敗を恐れ、守りに入る。そうすると必ず媚びる。魅力は一気に失せる。
二次面接までは光っていたのに、「もしかしたら内定できるかも」と思って守りに入った瞬間、次の面接ではまるで魅力がなくなっている、なんてことはよくあることだ。
どんな状況でも、堂々と振る舞えるように。うまくいっていない状況でも、むしろうまくいっている状況でこそ、「失うものなどない心境」でいられるように。守りに入らず100パーセント挑戦者でいられるように。それが若者の特権であり、最大の強み。
そのメンタリティを持つことで、おのずとエネルギーレベルが高まり、一日見ればそれが分かる。それを手にするために我究があるのだ。
まとめ
・就職活動も、その後の仕事も、人生そのものも、夢を描くだけではなく、最終的には勝たなければ、結果を出さなければ意味がない。
・「結果を出そう」ということは、そのために「どんどん失敗しよう」ということでもある。
自分のビジョン(本質)に照らし合わせて、勝負すべき(就職活動すべき)だと心の底から思うのであれば、本気で自分と戦って勝ってほしい。
。何としてでも結果を出すことにこだわれ。成功体験、社会に対する納得体験はぜひとも積むべきだ。大いなる期待と希望とやる気を持って社会に飛び立っていくべきだ。
・「自己分析さえすれば内定する」という思い込みは捨てよ。なぜ自己分析が必要なのか、そもそも自己分析とは何か。自ら問題意識を持ち、自分の頭で考えよう。そして、さらにもっといい方法を思いつき、提案できることが必要とされるのだ。
。「選ばせる」ために必要なものは、一言で言ってしまえば「その会社で必ず活躍できるだけの力」である。
具体的には①自信②価値観・人間性③思考力④人間関係力・リーダーシップ⑤文章力・面接力・センス⑥容姿・雰囲気⑦実績③スペツクの8つの要素に分けられる。
コメント