この本はぶ厚くて長い。長すぎて読めない、という声をよく耳にする。もしきみが全部は読みたくないとしても、この章だけは何度か繰り返し読んで感じてほしい。
大切なのは内定をもらうことではなく、自分はどうなりたいのか、何をやりたいのか、なのだから。
きみは漫然と生きていていいのか
人間には、自分の夢を次々と実現し、心の底からの達成感を何度も何度も味わいながら生きていく人がいる一方で、その時その時は頑張つていたけれど、結局自分として納得できることはできていないという人もいる。
生き生きと目標に向かって輝いて生きている人がいる一方で、毎日大して面白くない日々を漫然と過ごしている人もいる。
その差はいったい、何だろうか。答えは簡単。まずは本気の夢があるか、ないか。そして次に、それを実現するための戦略と勇気があるか、ないかだ。
「どういう人生にしたいのか、自分はどうなりたいのか、何を達成したいのか」それが、あるのかないのか。そして、その思いはどれほど強いものなのか。
多くの人は、心からの夢や本当にやりたいことを持っていない。とりあえずの「与えられた日標」や「何となくやりたいこと」には向かっていても、心の奥底からの本気の思いに突き動かされて、本気で生きている人は極めて少ない。それが現状ではないだろうか。
自分はどうなりたいのか
今、きみはどうだろう。「夢は何ですか?」と尋ねられて答えられるだろうか。
「その思いは、どれほど強いものですか?」と尋ねられて、「本気度100パーセントだ」と答えられるだろうか。
これは学生に限ったことではない。
社会人になっても、いい歳になっても、否、歳をとればとるほど、人生をその場しのぎ的に過ごしてしまっている人は少なくない。
会社などの組織の目標や、置かれている環境における義務(当面やらなければいけないこと)を自分の目標や夢にすり替えて日々を積み重ね、あとから「自分の人生は何だったのか」と悔いる人が少なくないのが現状ではないだろうか。
人生は長いようで短い。
大学時代がアッという間に過ぎたように、残りの人生も明確な夢や目標を持って生きなければ、大きな充実感を得ないまま過ぎてしまうだろう。
「いつかは自分の人生を本気で生きるのだ」と思っているうちに歳をとり、気がつけば腹の回りにたっぶり脂肪をつけて、そのうちそんな思いさえ忘れていってしまうだろう。
「そんなこと言っていられるほど人生は甘くない」というセリフを、自分の甘さをごまかす隠れ蓑にしていくのだろう。
僕はそんな人生は嫌だ。そんなオヤジにはなりたくない。一度しかないのだから、誰が何と言おうと、充実させたい。きみもそう思わないか。のんきなことを言っているつもりはない。むしろその正反対だ。
夢を描き、それに向かって生きることは、社会を知り、己を知り、「自分と社会のあるべき姿を本気で追求すること」にはかならないからだ。
実力より、まずはイメージ。
「なりたい自分」を想像しよう
自己分析とか、自分と向き合うとか、ビジョンを描くとか、分かるようで分かりにくい言葉に振り回されてはいけない。
これから僕もいろんなことを述べるが、ここで述べることを常に忘れないではしい。
一番大事なことは、自分がどうなりたいのか、どうなっている自分が自分にとって極上なのか、その時きみはどんな気分だろうか。
今ここで瞳を閉じ、映像をフルカラーで鮮明にイメージしてみよう。
感じてみよう。ウソ偽りなく「こうなりたい」という映像が浮かぶか。「この気分だ」と心から素直に思い震える気分を感じられるか。
その「絵」がある人は、世の中で1パーセントにも満たないだろう。
しかしその鮮明な絵を持つ人のほとんどはそれを実現していくだろう。少なくとも僕は、これまで鮮明な映像をイメージできて、実現できなかったことは一度もない。どんなに無理めなことであっても。
逆に、映像が描けずに実現できたことは一度もない。魂から湧き出る映像を持つことだ。「なりたい自分」をイメージするために、注意しておきたいことが9つある。
自分と向き合う状態でなければ、「なりたい自分」は描けない
「理屈抜きでこうなりたい」と、心から思えなければ、意味がない。ではどうすれば、本気で思える「なりたい自分」を描けるのか。
実は、心から思えるなりたい自分を描くには、それができる状態になる必要があるのだ。それは、自分と向き合っている状態だ。
例えば、悔しさに涙している状態や、悩み抜いて、「このままでは嫌だ」と心から思っている状態。
すなわち、自分の至らなさに、現状の自分を否定し、納得できていない状態だ。正直に誠実に自分と向き合つている状態のことだ。
もしきみが、その状態でないのなら、今のきみには残念ながら心からの「なりたい自分」は描けない。なりたい自分を描くには、未来を描くには、自分と真っすぐに向き合うこと、すなわち、納得できない自分に気づくプロセスが必要なのだ。
自分を否定し、悩み、そしてその、否定した自分をも受け入れた時、なりたい自分が見えるものなのだ。現実から目をそむけたり、鈍感になったことにして現状に満足しているふりをしていたら、いつまでも未来は描けないのである。
このことは知っておこう。
いつまでたっても未来が描けない人、自分がどうしたいかわからない人にならないように。臆病風を吹き飛ばせ。
極上を求めよ
だからこそ真に極上を求めることだ。「どうせ自分には……」という発想を持たないことだ。人に言ったらバカにされると思うなら誰にも言わなければいい。
まず自分で心の底から、「これがベストなのだ」と思えるものを求めるのだ。
現状はひよつこでも、自分の心に誠実に極上の崇高なものを求めよ。
就職して突出して大活躍している我究館の卒業生たちも、起業して大活躍している卒業生たちも、例外なく学生時代から強烈なビジョン、野望を持っていた。
「金融界の帝王」や、「日本の財界のトップ」「ビル・ゲイツのように世界を動かす男」「首相」など、人によつては言葉にするのは恥ずかしくなるほどの野望を、我究の結果、大真面目に、素直に、そしてリアルな願望として当時から持っていた。
僕の言う「第1志望(極上)を求めよ」とはそういうことだ。就職に限らず、何でも最高に気持ちいい状態を求めるのだ。今の自分が大したことないからなど、そんな思いを持ってはいけない。
心から極上を求めれば、問題意識も解決策も自ずと出てくる。妥協した思いでは、本気じゃないから問題意識も出てこないものなのだ。
我慢するな
だからこそ、普段から我慢するな。言い換えれば、自分の気持ちをごまかすな。日常生活においても、些細なことでもできるだけ我慢するな。せっかく心から湧き出る思いに「ふた」をしてしまうな。
どうしても従わなければいけない瞬間では、悔しいという気持ちをためておけ。大人として感情をコントロールしなければいけないシーンでも、自分にウツはつくな。
自分のことしか考えないセルフィツシュな発想では、世の中ほとんどのことが通用しない。
しかし、自分のことも周りのことも、社会全体のことも、さらに日の前だけでなく、先を見据えた上での思いであるならば、たいていの思いは通用する。
他を説得できる。言い換えれば、心の根っこがひん曲がっていなければ、その思いが崇高であるならば、そして具体的なアクションが本質を突いているものであるならば、その人のわがままのほとんどが通用するということだ。
自分だけでなく周りのことも心から考えている人は、感情をコントロールする必要がほとんどないのだ。
世の中で活躍している人のほとんどが実はわがままだ。セルフィツシュでないわがままだ。わがままだからこそ、絵が描け、問題意識にあふれ、アイデアにあふれ、本質を突けるのだ。だから思いを形にできるのだ。
4セコイ人になるな
いつも自分のことばかり考えているような人、自分の得になることばかり考えているセコイ人、人の悪口や陰口をこそこそ言っているような人は、ちまちましたことでちょっと得することはあっても、大きな思いは何一つ形にならない。
悔しさや惨めな気持ちは願望実現のエネルギーになるが、そんな気持ちの時でさえ、実は自分が極めて恵まれた環境にあるということを意識するのだ。自己実現のための悔しさや惨めさを感じる余裕のある状況であることに感謝の気持ちを持とう。
悔しい時こそ、気高くあり続けるのだ。心から豊かな気持ちになれている状態、すなわち周りの人のためを考えることのできる状態であれば、人を動かすことは難しくないのだ。
セコくてケチな人が大きくなれる時代はもう終わった。そういう人は残念ながらどう頑張っても伸びていけない世の中だ。
大活躍している卒業生には、先に述べた願望に関すること以外にも共通項がある。
一人の例外もなく、「絆」を強烈に大事にするということだ。自分のことだけ最優先の人などいない。だからこそ人は信頼する。人がついてくる。思いが実現していく。
実はその思いを実現するための並大抵でない努力や、ギリギリの一手を後押しするもう一歩の勇気は、絆によってのみ生まれるものなのだ。
世の中の多くのことが一人では実現できないものだ。一人でやつているように見えても、実はチームや組織で成し遂げていくものが多い。
だからこそ、ビジョンを、映像イメージを、共有することが大切なのだ。語り合い、思いをぶつけ合い、心を合わせ、気持ちを一つにしていくのだ。
それができれば、あとはクレバーな戦略を立てればよい。最近の日本は、国家も企業も個人も、セコイ発想がはびこっている。
自分のこと、自分たちのことしか考えていない。考える以前に、自分を守ることに必死、自分たちのことしか見えていない。
自己主張も結構だが、狭量な状態でのセコイ自己主張になっているように思えてならない。
何かがうまくいかない時、人のせいにしたくなる。学校が面白くない。サークルが面白くない。仕事が面白くない。
しかし、本当に大きな人間であるならば、自分がそこに関わっている以上、自分が何とかして面白くしているはずだ。
面白くないと言っている人は、受け身なのだ。
学校や職場をディズニーランドか何かと勘違いして、そこにお客さんとして参加して、ジャッジを下しているということなのだ。
人間関係はまさにそれだ。「あいつは嫌な人だ」と思った時は、それは自分のことだと思え。「あいつは大したことない人だ」と思った時は、それは自分が愚かになっているということだ。
大事なものが見えていない「見えない人=感じられない人」になっているということだ。
何かが劣っている人は、その対極にある何かが優れているはずだと僕は信じている。
きみが価値を置いている何かが大したことない人は、単にそのことに関して仮に本当に大したことないかもしれないが、その対極にあるもの=きみがその時まで価値を置いていないこと=おそらくきみが弱い部分、が、きみよりはるかに優れているものだと僕は信じている。
例えば器用にしゃべるのが苦手な人。自分の意見も言えないのかと言いたくなるかもしれないが、それは、繊細で感じる力がハンパじやないから整理できなくて言葉にできないのかもしれない。
適切な言葉が存在しないほど、言葉にできないほどものを感じ、考えている人はじゃべりがうまいはずもなかろう。実は日記の上では言葉にできても、繊細さゆえに口にできないのかもしれない。
胸に抱えた思いを絵にはできても、メロディや詩にはできても、理路整然とした言葉にはできないのかもしれない。誰かを大したことない人だと見下しそうになったら、その人こそ、きみの弱いところに秀でている人であることを忘れるな。
もう一つのアプローチを紹介する。
誰かのある面を「嫌だ」と感じたら、「何で、その人のその面が嫌になったのだろう」とも考えてみよ。その人のヒストリーを、できれば幼少期から考えてみよ。できることなら調べてみよ。
きみには想像もできない苦労を重ねている可能性が100パーセントに限りなく近くあるはずだ。その苦労を経て、今の性格が成立したその過程に、きみにはないものすごいものを培っているはずなのだ。人のせいにしたくなったら、その時きみは「自分が受け身ちゃんに成り下がっていること」に気づこう。
「自分が関わっている以上は面白くするのだ」、その姿勢で向かってはしい。
「あいつは嫌な人だ」「あいつは大したことない人だ」あるいは「興味がない」と感じたら、嫌な人で大したことない人なのは、実はきみなのかもしれないのだ。
その人は、きみが気づいていないかもしれないきみの弱い部分を高い水準で持っている、きみの先生たる人でもあるのだ。
そういう姿勢を持った上で、責めるべき時は堂々と責め、許すべきでないものは堂々と許さず、であるべきだと僕は考える。自分のためだけでなく全体のためにも。なめられるわけにはいかないのだ。
他人をリスペクトするとは、実感を伴わない表面的な心の持ちようのお話ではないのだ。
相手のいいところ、素敵なところが確実に「見えて」、だからこそ心からの本音として他人をリスペクトできる大きな人であってほしい。
「勝ち組」「負け組」などという言葉が横行し、経営・ビジネスの枠を超えて、序列をつける風潮が当たり前のようになりつつある昨今だが、自分のほうが上だと思っている人は間違いなく、まだ見えていないのだ。
人を上下で測りたくなる人の多くは、価値観のものさしが少ない人だ。ダイバーシティ(いくつものものさし)を自分の中に持ちたいものだ。
自分が大切にしたいものさしを持つことは大事だし勝手だが、それ以外のものさしもたくさん持っていたいものだ。
一般に負け組と言われている人のほうが、やさしさや思いやりや、深いところで人をリスペクトすることで味わえる人生の醍醐味を知っているケースが多いのではないか、とさえ僕は思っている。
陰湿さを捨てよ
皆の前ではいい顔して気持ちいい人を演じているのに、特定の人に対してこっそり陰湿な態度をとる人がいる。
小学校低学年で卒業すべきことを、二十歳過ぎてまでやっているのだ。社会人にも少なくない。そういう人は、たいてい普段は明るくて頑張り屋のいい人ってことになっている。
そういう態度はもうやめよ。一刻も早く捨てよ。死ぬまで三度とするな。そういう心がプアーな人のままでは、絶対に幸せになれない。
いつまでたっても心の深い部分で自分を好きになれないから。誰からも心底からは愛されない。
面接でも、一流の会社であれば確実に見抜かれる。自分を変えられるなら、そういう人は、将来が期待できる。
なぜなら、そういう人は自分への期待値が高く、決まって頑張れる人だからだ。
期待値が高いのに、実績や評価がそれに伴わないとき、心の奥が寂しいがゆえに陰湿になってしまうようだ。
手遅れになる前に、今すぐ改めよ。一度しかない人生がそういう自分でいいわけない。あまりにももったいない。
大切にしてくれる仲間の存在に気づき、陰湿な態度を一切やめて、腹を据えて何かに一生懸命になった時、心底から誰かに愛されて、心も豊かな、結果を出す人間になっていくのだ。
恥部を見つめろ。
見たくないものを見ろ。ごまかすな。演技をするな。我慢しないクセをつけると、見たくないものは見ないという弱い人に成り下がる傾向がある。
耳ざわりのいい言葉だけに反応し、自分を褒めてくれる大人にだけすり寄ってはいないか。見たくないものほど見つめるのだ。
きみを取り巻く現状の問題でも、自分自身のことでも、見たくない部分を勇気を持ってきっちりと見つめるのだ。涙が出るほど。その瞬間はつらいだろう。
しかし、そのあと強くなっている自分にも気づく。何より、見たくないものは、見なければいけないものであることがほとんどなのだ。
「大事だけれど見たくない」ものを目の前に持ってくるのだ。見たくないものとは、短所だ。自分の人間性における短所だ。昨今、表面的に上手に体裁を整えるのが得意な若者が増えている。
バブル崩壊後、生活に必死な中、日常にいらつき、子供に必要以上に厳しくなってしまったり、逆に褒めるだけの手抜きの親の教育の影響か、それともいじめさえ見て見ぬ振りするような骨抜きの教師の影響か、あるいは、この20年ブームが続いた耳ざわりのいい軟弱なポジティブシンキングブームの影響か、勝ち組になるために、他人の評価ばかりに敏感になってしまい、外ヅラをごまかすのが上手なのだ。
人にも、自分にも。自分のいいとこだけ見る。見せる。芝居する。ごまかす。ウソをつく。人にも自分にも。それでは社会に通用しない。就職活動でも絶対に通用しない。就活どころか、そのままでは人生は絶対に楽しくならない。
充実もハッピーもない。今まではダメでも構わない。全然ダメでもいい。これから変わればいいのだ。だからこそ、思い切って自分と向き合うのだ。
覚悟せよ
極上の絵も、本気の行動も、覚悟がなければ描けない。感じられない。動けない。人間はいつでも覚悟ができるわけではない。
特に豊かに育った僕たちは。このままでもある程度は満ち足りているから。死ぬわけじやないから。
きみが極上を描き、それを体感していきたいのなら、覚悟が絶対に必要だ。そのためにも、勇気を出して自分と向き合うことだ。自分と向き合うことで覚悟ができる。落ち込むところまで落ち込めば、あとは上がるしかない。希望しかない。嫌でも覚悟ができるのだ。
覚悟ができれば、本気になれる。ぐんぐん動ける。逃げ出したい気持ちが0になる。その時、人間はどんどん成長できる。
そのためにも、抜く時は抜くことが大事だ。サボる時はサボることだ。ずっと全開はあり得ないし、ずっとそこそこ60パーセントじや覚悟はできない。
音楽のサビの前にはAメロBメロがあるように。サビの前は大きくブレスをするように。飛び跳ねる時はかがむように。運動会の前の日は早く寝るように。自分の気分のリズムを把握し、自分でコントロールすることだ。
時間軸、空間軸、温度、湿度、匂い、色、音質、音程……この世の中のすべての存在のリズムを感じ、流れを感じ、自分も含めてすべてが美しく存在できるよう、すべてが心地よく存在できるように、バランスや位相関係を敏感に感じられるように感覚を研ぎ澄ますこと。
その中で自分を「流れるように活かす」こと。それが目指すことだと僕は思っている。もちろん覚悟を持った(ケツをまくった)状態の人にしかそれは感じられないことである。
・「その先の絵」を描き続けること
心からの鮮明な絵があれば、その絵は次々と実現していくだろう。だからこそ常に、「その一歩先の絵」を描き続けることだ。安心して慢心して現状維持していたら、気づけば一気に何もかも失いかねないものなのだ。
ジャパン・アズ。ナンバーワン、競争力世界一といつて浮かれていた日本のように。「その先の絵」がないまま想像以上にうまくいっても、必ず壊れる運命にある。
もっと悩め―もっと感じろ!ある日突然「絵」が見えてくる
絵はもちろん簡単に描けるものではない。しかし描こうとし続けることだ。
はっきりとした映像や言葉にならない段階であっても、描こうとしている人は、無意識レベルで絵が明確になりつつあるものだ。寝ている時も含めて24時間脳みそは動いている。
グチャグチャになっているジグソーパズルが、脳みその中で勝手に少しずつ整理されていく。うんうん悩んでいるからこそ、ある時、突然はっきりと絵が見えてくる。
もっと考える。もっと自分の本音を感じようとする。多くの情報や刺激を脳みそと心に与えながら、自分の絵を描こうと悩み続けるのだ。軟弱に、安易にラクになりたい人には永遠に見えないのだ。
理想の自分であり続けよ
結果ばかりを追い求めず、自分を磨け。理想の自分であり続けよ。夢は何か。欲しいものは何か。やりたいこどは何か。夢を実現すること。欲しいものを得ること。やりたいことをやること。
そういう「ビジョン」や「結果」ばかりにとらわれて、「プロセス」すなわち、どういう人間でありたいかという「姿勢」を軽視してしまいがち。
例えば、内定が欲しいから「第1志望です」とウソをつく。そんなことが常識として広まっているが、そんな傾向は40年前の日本にはなかったことだ。一つだけお伝えしておきたい。社会に出て、本当に活躍している人は例外なく、就職活動で調子のいいウソなどついていなかった。
「実は、他にも興味がある会社があります」と堂々と伝えられた人である。ウソをついてしまうと、大切なものを失ってしまう。結果として、就職活動もうまくいかない。就活以前に、そんな人間できみはいいのか。
自分の夢とは何なのか
夢を3つの切り口で考える
夢を考える時は3つの切り口で考えてみよ。
- どんな人でありたいか……Being
- 手に入れたいものは何か……Having
- 社会に(どんな人たちに)どのような影響を与えたいか……Giving
「やりたいことをやろうぜ!」と、声高に叫ぶ風潮がある。
しかし、間違っても、「全員が業務内容レベルでの『どうしてもやりたいこと』を見つけなければならない」などと勘違いしないでほしい。
そういう誤解をして、「やりたいことがわからない」と悩み苦しんでいる学生が多いので、ここではっきり言っておきたい。
「どうしてもやりたいことなど、今の段階で見つからなくても当然だ。やりたいこと探しに縛られるな。まずはきみの夢を持とう」
もちろん中には、やりたいことの中身に強烈にこだわるタイプの人もいる。
スポーツ選手もアーティストも作家も、映画監督やドラマのプロデューサーもドラマのデイレクターも雑誌や書籍の編集者も、ジャーナリストも、フリーランスだろうと会社に所属していようと、プロと言われる人はほとんど「何をやるのか」にもこだわっている。その中身自体が夢という人だ。
それをやりたくてやりたくてしょうがない、「誰に何と言われようと、それをやってないとイヤだ」という人だ。
マスコミの人も、クリエイティブな要素が強ければ強いほど、たいていの場合、その内容にある程度以上こだわっている。
しかし、やりたいことの内容にそれほどこだわらない人もいる。やりたいことを見つけ出そうにも見つけられなくて当然の人も大勢いるのだ。
例えば、世界経済を前進させる実感を持ちたくて、金融に行っている人もいるし、同じような思いで自動車メーカーに行っている人もいる。
商社で化学製品を扱っている人もいる。
その人たちはどうしても金融なのだろうか、どうしても自動車なのだろうか、どうしても化学製品なのだろうか。そうではないケースのほうが多いのだ。
どうしてもその商品、その業界でなくても、その人の夢は実現できるが、よりベターな選択として、あるいは結果として、その業界を選んでいるはずだ。
僕がこれまで数千人を見てきたところ、どうしてもやりたいことにこだわる人は、全体の1割に満たない。
9割以上の人は、仕事の内容よりも、仕事の目的(影響)や名誉や会社の価値観など、「仕事を通じて実現したいこと」(まさにBeingHavingGiving)にこだわるタイプである。
どうしてもやりたいことを持っているか持っていないか。どちらがいい悪いではない。どのレベルまで業務内容レベルでのやりたいことの中身にこだわるかは、きみ次第だ。か。
具体的には、誰に(どんな人たちに)、どんな影響を与えたいのか。それらについて、どのようなものを望むのか。
このように、「夢」=「仕事を通じて実現したいこと」と、定義すれば、夢を言葉にすることはそれほど難しくはない。
また、大人のアドバイスさえあれば、「仕事を通じて実現したいこと」の多くを実現できそうな仕事や会社と具体的に出会うことができる。
例えば、早稲田のK君の夢=「仕事を通じて実現したいこと」は、
1.Being:心が大きく優しく、いざという時に頼りになる男になりたい
2.Having:ある程度以上の豊かさ、名声、グローバルに動く世界の中で活躍している実感が欲しい
3.Giving:グローバルレベルの地球や人類の進歩に何らかの貢献をしているという実感が欲しい
というものだった。
総合商社、JBIC、大手自動車メーカー、投資銀行などを考えたが、早々に商社に絞りM商事を選んだ。
立教大学のYさんは、
1.ωめ〓”いつも余裕のある雰囲気を持った人でいたい
2.国“く〓”ある程度の豊かさ、時間的な余裕、ストレスの少ない日常、余暇の多さ、多くの方との出会い、激動する社会を感じていたいか。
3.o〓●”激動する社会をサポートしたい、人々から安らぎや笑顔を引き出したい
という思いで、最終的に航空会社を選んでいった。このように3つの切り口さえあれば万能なのか、というと、実はそれほど甘くはない。
今すぐにでも実際にやってみるとよい。3つの切り口で、「仕事を通じて実現したいこと」を言葉にできるだろうか。そして、それらが、自分の本音だと言い切れるだろうか。なかなかそうはいかないだろう。
実際、K君も、Yさんも就職留年して人知れぬ頑張りを経たからこそ、本音の言葉化に成功しているのである。
たるんだ日常を送る中から、突然本音の未来を言葉にすることは決して容易ではない。
このポイントは重要なので、後ほどまた振り返る。
さて、夢とは、たとえ、たかが就職活動で納得できる結果が出せなかったとしても、それでなくなってしまうものではない。
その過程にどんなことがあろうと、たまたま出会った面接官に嫌われようと、譲るわけにはいかないものであるはずだ。ほかの業界から攻め上がってもいい。
その業界に執着するなら転職してもいい。その業界への転職が困難なら、違うアプローチだっていくらでもあるはずだ。
失敗しても持ち続けるもの。それが夢だ
話を戻そう。「世界に通用する広告パーソンになりたい」など、特定の業界での夢を否定するつもりはない。本当にどうしても広告にこだわりたいのなら、それも大いに結構だ。
しかし特定の業界に縛られたものだけでなく、それを超越したレベルでのものも考えてみてはしい。その意味での夢を持とう。どうしても欲しいと思える本音の夢を。
就職活動をする学生に、ある特定の業界しか研究せず、また受けもしないという学生がいる。
いろいろ見てみた上で、どうしてもその業界にこだわるという人は別として、そういう学生の多くは、夢を意識しているのではなく、その業界(会社)の内定、あるいはその会社の一員になることを意識しているのではないか。
広告業界の営業は、実は多くの場合「夢」ではないのではないか。多くの場合「どうしてもやりたいこと」でもないのではないか。「やってみたいことの一つ」なのではないか。
それをあたかも「どうしてもやりたいこと」のごとく、自分を欺かないでほしい。現実は厳しい。
そういう「本音の夢」を持つことがないままに、悩む苦痛を放棄して、特定の業界に絞り込みすぎた学生の多くは、残念ながらその業界の志望度の高い企業に落ちるだろう。
そして必要以上に落胆する。一生懸命やったからこそ、悔しさもショックも大きいのは分かる。
しかし、そこで言いたい。「ところで夢は何ですか」と。「仕事を通じて実現したいことは何ですか」と。
夢とは、たかがある会社に落ちたごときで、なくなるものではないのだ。夢とは、それを持ち続ける限り、実現の可能性があるものだ。逆に、すんなり実現できる夢などない。誰もが一度や二度の大きな挫折を経験して実現していくものなのだ。少なくとも、就職活動よりよっぽどハードな戦いが待っている。
それを乗り越え続けてこその夢であるはずなのだ。僕が描くべきだと主張している夢とは、その種のものだ。「○○業界での営業」といったものではないのだ。
たかが就職活動に失敗しようと、あるいは社会に出てから途中で失敗して落ち込もうと、あるいはいつ会社がなくなろうと、それでも変わらず持ち続けるもの――。それが夢だ。
就職活動を楽しめる余裕を持とう
二満たされて初めてあふれる、フルカップ理論
誰だって心が満たされている時、余裕が生まれる。満たされていなければ、自分のことで精いっぱいで、テンパッてしまうもの。ましてや人のことに心を配る余裕はない。
「フルカップ理論」というものがある。コップの水は、満たされて初めてあふれる。心も同じだ。やらなければいけないことをやれていない自分。責任を呆たしていない自分。やろうと決めたことをやれていない自分――。
そういった状態では、心に余裕を持つことは困難である。価値観の幅が狭い、視野が狭い場合も同様だ。それだけではない。
例えば、人間関係の基本である家族、特に親との関係が悪かったり、恋人との関係が悪かったり……具体的には信頼関係を築けていなかったり、愛情を感じていなかったり、反抗期の子供のように無意識に親や恋人にいじわるな態度をとつていたりしている状態では、誰だって心のコップは満たせない。
学校やアルバイト先で、どんなにいい人で通っていても、もっと身近な人との関係が悪いようでは、心は満たされないものなのだ。
簡単な問題ではない。特に、子供が親離れできていないケースでは、ほぼ間違いなく親も子離れできていないもの。
そう簡単には良好な関係を築きにくい。また、何らかの強いコンプレツクスを持ってしまっている状態も同様だ。心の奥で、他人に対してどこか卑屈になってしまっている状態で心を満たすのは容易ではない。
ここ数年、特に両親の伸が悪かったり、その分そのストレスを子供にぶつけてしまっている親だったり、そうでなくても子供の頃から両親の不仲をストレスに感じながら育っていたりする人は本当に多い。
ここで安易に書くこともはばかられるほど大きな問題であるが、何とか子供である自分が、20歳を過ぎた大人として親に接していくことで、少しずつ関係を改善していってはしい。
親だって人間なんだから、いくらでも欠点はある。
親の事情も分かってあげて、僕らが知るよしもない事情を想像してあげて、包み込んであげて、親を育てるぐらいのつもりで接していってはしい。
たいていの場合、子供である学生がいつまでも親に甘えて(原因が親にあるにせよ)、問題を大きくしてしまっているケースが多い。
苦労して育ててきてくれた親を包み込むほどの気持ちで接していくことだ。
自分の夢=「仕事を通じて実現したいこと一を「言葉化」する方法
本音を語る準備。
スマートフォンの電源を切って本音と向き合う
さて、「夢」や「仕事を通じて実現したいこと」など、自分が心から望んでいることは一体どういう時に言葉にできるのか考えてみよう。
前述のとおり、それらはいつでも考えれば出てくるというものではない。「ああなりたい、こうなりたい」と、心から本気で感じられるかどうかが重要なのだ。理由やロジックはあとからついてくるものだ。
だからこそ「自分を信じられる状態」。具体的には、
- 自分のことが好きな状態
- 自分の可能性を信じられる状態。
- 怖がらない。逃げない
といった、自分を信じられる状態でなければ、心も研ぎ澄まされない。描く力も冴えない。意思決定もできない。
願望に敏感になるために、未来に確信を持つために、何としてでも「自分を信じられる状態」を作り出す必要があるのだ。
「いくら探しても望むものが分からない」「夢が特にない」と言っている人たちは、まだその状態にない人たちなのである。
自分に自信がない状態なのである。自分を信じられなければ自分の気持ちにも気がつけない。決めることができない。どんな思いも「そうかなぁ。でも……」のレベルからは飛び越え切れない。
この、夢を描いて言葉にする状態、スタンバイOKの「Iamready」の状態、自分を信じられる状態になるために、3つのステップを踏む必要がある。
ステップ①自分の恥部を客観的に見つめる。
自分を否定する自分の恥部を客観的に見つめる。見たくないものから目をそらさず、向き合うのだ。自分の内面について部分的にせよ否定し、それによって落ち込む。心からの悔しさ。
一方で、恥部を見つめた達成感、納得感、自信。それが、自分の内面を成長させたい、高めたいという強い思いになっていく。
ステップ②理屈抜きで憧れる人物との出会い
素晴らしい、こうなりたい、かっこいい、と理屈抜きで思える本物との出会い。内面にも外面にも惚れる人物。できれば実際に会い、同じ空気を吸いたいが、YouTubeなど動画メディアを通してでもよい。
ステップ③自分を受け入れる
その上で、自分の内面の変化に気づき、否定していたことを否定し、否定していた部分も含めた自分を肯定し、自分を受け入れ、浮上する。
この自分を自分が育て、この自分で生きていくのだという決意。このプロセスが必要なのだ。このプロセスにかかる期間はどれぐらいだろうか。短くて数日。長ければ数週間かかる人もいるだろう。
ナイーブなポジティプシンキングで自分の本音を長い問ごまかしてきた人ほど、自分を見つめることが苦手になっているかもしれない。
自分を見つめる過程で、我究ワークシート以外に実践してみるとよいこと
- 親、家族、恋人など、より身近な人間関係を大切にする。特に親。親の愛情を納得できるまでとことん想像し、分かってあげる。
- 新しい友人をつくる。本音で語り、誠実に接することで共感を得て、友情を感じることのできるレベルで。誠実に接することが重要なポイントだ。
- 今までの自分からは想像できないような、新しい趣味に挑戦する。自分のイメージを覆すようなものにチャレンジしてみる
- オンライン英会話、資格取得に向けた勉強など、自分を高めるアクションを起こす
- これまでほったらかしにしていた「心の隅に引っかかっているトラブル」など「余計な心配ごと」を解消すべく、人として社会人として責任ある自分を目指し、自ら行動する
など、勇気を出して新しい行動や責任のある行動をとってみることで、チヤレンジできた自分を好きになったり、自分の可能性を感じたりする。
世界が広がることで新鮮な驚きや発見がある。また、
勉強でもワークシートでも何でもいいから、一晩でいいから、全力でやってみるのもいい。
「私はやれる。私は逃げない人間だ」という実感を持つことだ。その自信、勇気が夢を描くためにも絶対に不可欠なのだ。
- 社会で様々な形で活躍している先輩の生き方に触れる。心が震えるだろうか。
- まだまだほとんど分かっていない世の中のことについて情報を貪欲に吸収する。できれば人と直接会って話を聞くのがいい。心を震わせながら感じたい。
- はじめて手に取るジヤンルの本を読み、新しい視点や考えを自分の中に取り込む。
- 様々な価値観を持つ人、違う世代(特に年上)の人と深いレベルで語り合う(人生観や恋愛観など、互いの価値観を吐露し合えるような話題で)
- 情報の遮断。情報の洪水から逃れ、必要最小限の本などを持って、短くてもいいから独り旅に出る
- 実家に帰省する。親をいたわり、語り合う。
- 愛情に包まれた安堵感の中で冷静に自分を見つめる。好きな街を一人でフラフラ歩く。
- 見なれた景色をもう一度見てみる
- 映画や演劇などを一人で観に行く
夢が見つからないなら、考えるよりも刺激を受けまくれ‐
夢は考え出すものではない。ひねり出すものでもない。頭で戦略的に考えた夢(目標)を否定するつもりはないが、心の中からナチュラルに湧き出るものを大事にしてはしい。
実行の段階においては、時には意志の力も必要になるだろうが、夢発見の段階においては、勝手に心が動かされるものを自分の内に感じ取ってはしい。
そういうものであればあるほど、努力が苦痛ではないはずだ。人から言われるのではなく、ナチュラルに自分の気持ちで動いていけるのだ。とことんやれるはずなのだ。
心を動かされる夢や憧れがない人は、そのほとんどが刺激を受けるチャンスが足りなすぎる。
意志の力で自分を抑圧して、漫然と勉強や興味の持てないバイトなどに長期的に力を注いでしまったためか、あるいは金銭的制約や家族などの狭い価値観の常識の抑圧の中で、常に現実的な選択を迫られてきたためか、いずれにしろ心の内の本音に気づく感受性も鈍ってしまっている。若いのにオジサン、オバサンになってしまっている。
そういう状態の人は必然的に爆発的な集中力も、突っ走りたくなる衝動も失ってしまっている。
もつと刺激を受けよう。世の中には刺激的な人間がいくらでもいる。
会社員にも大学生にも、目が覚めて強烈な夢と志を持って燃えて生きている人間がいるのだ。
そういう人物に触れ、また先進国でも途上国でも、もちろん日本の中にも、憧れ、悲しみ、驚きにあふれる社会の現実を見て、心を突き動かされてほしいのだ。
突き動かされる夢を持てば、その瞬間、きみは人と違う行動を歩むことに恐怖を感じなくなるはずだ。
「私には私の夢がある」その状態で、本音と行動がミートしている感覚を持ちながら、生身で現実に立ち向かってはしいのだ。
「今はまだ実現は無理」な夢でも構わない
なかなか夢ややりたいことを見つけ出せない人に、次のようなケースが多く見られる。
経済的な制約や親の狭い価値観による制約などで、心の奥の本音の思いにふたをしてしまっている―本当はやりたいこと、例えば落合信彦や森鴎外の『舞姫』のようなエキサイティングでロマンテイツクな留学や沢木耕太郎の『深夜特急』のような世界の旅、ヘンリー・ミラーのようなスリリングでセクシーな旅を望んでいるのに、金もないし、親が許すわけないし、親を悲しませたくないし、自分も怖くてできないし、人にどう思われるか分からないし、どうせ無理だから……という気持ちから、自分の思いにふたをしてしまうのだ。
たとえ本当に無理だとしても、自分の思いにふたをして、ごまかして社会人訪問しても、エントリーシートを書いても、思いにふたをしている状態では、「やりたいことが分からない」という悩みのスパイラルに落ちていく……。
「どうせ無理だから」の心のふたは、実にやっかいな代物だ。ふたがあると、いつまでもケツがまくれない。本気で何かに取りかかることが極めて困難になる。心の中にある本音に、いつまでたっても気づきにくい。まずふたを取れ。取ってしまえ。
非現実的だろうと、金がないから絶対に無理であろうと、無謀で危険で破廉恥で親不孝で、あり得ない選択だとしても、「もし何の制約もないのなら本当はどうしたいのか」をはつきりと感じ取ろう。
言葉にしてみよう。そして、本当に今それをしたいのか。できるのか。逃げずに現実的に考えてみよう。
「今は無理だ」あるいは「憧れるが現実的でない」とはっきり分かったのなら、どうするか考えよう。いつか実現するとして、今は違う選択をするもよし。何か違うやりたいことを見つけるもよし。
「やっぱりどうしてもやりたい。できるだけ早く実現したい」とはっきり感じたならば、覚悟を持てたならば、その実現に向かって準備を始めるがいい。
いずれにしろ、はっきりと割り切ることだ。心に決着をつけることだ。
夢は変わり得るもの。夢もきみも成長する
前にも書いたが、今後、自分が成長するにつれ、あるいは社会が変化したり、社会に対する理解をさらに深めていくにつれ、きみの夢も変わっていく可能性がある。
夢(仕事を通じて実現したいこと)については、じっくり我究をすることで、ほぼ変わらないという人が僕も含めて多いが、目標ややりたいことは、次々と実現し突破する中で、あるいは実現の過程であっても、今後変化していって不思議ではないものである。
いったん決めた夢や目標に縛られない柔軟性がほしい。そもそも、自分も社会も成長していくものなのだから、定期的に自分の本音をチェックしていくことが今後も求められる。
大学生で取り組む我究によって確信した夢や目標が、今後の人生において常に変わらず一定のものというわけではないことをまず理解しておいてほしい。
もちろん死ぬまで変わらなくてもいいのだが、まず夢や目標ありきではなく、あくまでも「納得のいくレベルで考え、感じた自分の本音が最優先」という考えであってはじいと思う。
あくまでも自分の人生を通じて、実現していきたい生き方や夢を見つけ出すという気持ちで、今回も、また次回も取り組まなければ、いつまでたっても「とりあえず」の呪縛から逃れることはできないだろう。
それで何かを達成できるとは思えない。納得できるハッピーな人生を送れるとは僕には思えない。今、就職活動を機に、「とりあえず」のループから、きみは飛び出すのだ。
自分と向き合ってみよう(コア探しのための4枚のワークシート)
ワークシートは第8章に載せてある。たくさんありすぎて抵抗感のある人もいるだろう。しかし、実はやってみると結構楽しい。
まずはここで自分と向き合う4枚のワークシートに取り組んでみよう。過去を振り返りながらコアを見つけようとするもの。
自分の弱点について見つめるもの。
そして自分の願望について見つめるものだ。
‐‐1好きなことo楽しかったこと(12分)
自分がどんなことに楽しさを感じてきたか。数多く挙げることだ。そしてそれぞれについてどんなところにどんな楽しさや喜びを感じるのか。本音を掘り下げてみよう。
何となく自分では分かっているようなことも、文字にして書いてみることで、より明確になるだろう。
文字にしてみることで自分の大事にしたいこと、これからも追い求めたい喜び⌒コア)が見えてくるはずだ。
1‐2悔しかったこと・満たされなかったこと(10分)
家庭環境や幼少期の体験などから、欲しかったのに手に入れられなかったもの、寂しさ、悔しさなどの満たされなかった思いやコンプレツクスを見つめてみよう。
その中に、これからの人生で追い求めたいことのヒン卜があるかもしれない。
今の夢一覧(10分)/■1うZ
具体的でなくてもいい。きみの実現したいことを、どんどん挙げてみることだ。書き上げたら、印をつけてみるといい。本気で思えることには〇、そこそこレベルで現実味を感じないものには△を。こうやって言葉にして書き出さないと、具体的にイメージできないものだ。
イメージできないものはいつまでたっても実現しないものだ。ちなみに僕は20代から、ずつと手帳にこれを書き込んできた。
ほぼ3ヵ月に1回の割合で何度もリバイスをかけ、本気で欲しいもの実現したいことを文字にしてきた。
当時のリストに載っているもので、30代までに実現できていないものは、不思議なことに一つもない。ウソみたいだがそういうものだ。
4‐v我究の整理「私のビジョン」(20分)
巻頭カラーページの第0章「絶対内定」するために知っておきたいことの32・33ページを今一度見てほしい。
この本で何度も登場しているBeing Having Givingや、「仕事を通じて実現したいこと」について、このワークシートに書いてみるのだ。
仕事を通じて自分は何をしたいのか、やりたいことや夢を実現するために、どんな仕事があるのか。意外な発見があるかもしれない。業界や職種にとらわれずに文字にしてみよう。
まとめ
一番大事なことは、「どういう人生にしたいのか、自分はどうなりたいのか、何を手に入れたいのか、どんな影響を与えたいか」。
何となくではなく、本気の夢を描く。そのことが「絶対内定」するためにも重要だ。自分がどうなりたいのか、なりたい自分の姿を、映像としてフルカラーで鮮明にイメージしてみよう。
映像がイメージできれば、夢は実現できる。やりたいこと探しに縛られるな。やりたいことの中身よりも、本音の夢を持つこと。
夢は①どんな人間性の人になりたいか②手に入れたいものは何か③社会にどのような影響を与えたいかの3つの切り口で考える。
「急いでやらなければいけないこと=やらなければ怒られること=やれば誰かに褒められること」に追われ、それを勤勉にこなしていくだけでは、毎日の達成感は味わうことができるだろうが、心の底からの達成感や感動は味わえない。
大学生の時点で取り組む我究によって確信した夢や目標が、今後の人生において常に変わらず一定のものというわけではない。
夢や日標ありきではなく、あくまでも「納得がいくレベルで考え、感じた自分の本音が最優先」という考えであってはしい。
コア探しのための4枚のワークシートを、まずやってみよう。文字にしてみることで、思いや現実がより明確になる。
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