「挫折をすると人間的に深みが出る」「挫折を知らない人は打たれ弱い」「若いときの苦労は買ってでもしろ」 こんなふうに言われることもありますね。大きなしくじりを経験していると、人間的に成長するし、長い目で見たらプラスだと思う人は多いでしょう。 日本の神様も、神話の中で多くの失敗や挫折を経験しています。神様がたくさんしくじっているのですから、人間が失敗や挫折をしないはずがありません。 ただ、失敗や挫折をしたらみんな神様のようになる、は言いすぎです。 神様のように成長する人もいれば、成長しない人もいる。 先ほども申し上げましたが、「悪いことがあったら、良いことがある」といっても、しくじった後の対応をしくじると、良い時期はすぐ終わります。 その違いはどこにあるのでしょうか? 結論を申し上げると、「ありのままに受容すること」が、しくじりを成功につなげる最大のポイントです。 その根拠データは、高知大学の渡邊ひとみ准教授が「心理学研究」に発表した原著論文。 494名の大学生を対象に、ネガティブな経験がどのように成長につながるか統計解析をしています。統計解析では、「原因」と「結果」の因果関係を立証しているのですが、その因果関係は、次のようなものです。「挫折や失敗、不幸な出来事などネガティブな経験」 ↓「ありのままに受容する」 ↓「自分らしさが確立する」 自分らしさを確立するとは、具体的には次が当てはまる状態です。・自分を十分に信頼し、・自分の個性を大切にし、・社会の中で生きがいを見つけ、・興味をもったことはどんどん実行し、・何かをつくりあげることができ、・自分なりの価値観をもって、・主体的に生き方を選び、・魅力的な人間に成長中である。 この状態は、学術用語で「アイデンティティ確立」といって、かなり精神的に成長しています。自己啓発セミナーふうにいうと、「成功者マインド」を身につけているといったところでしょうか(笑)。自分らしさが確立すると、周りの評価や地位・収入・財産・経歴など関係なく、自分で自分を認められる。精神世界でいう「悟った人」に進化するわけですね。
しくじりを成功につなげる2つ目のポイントは、「新しい視点の獲得」です。 新しい視点とは、具体的に次のことです。・自分という存在を見つめ直し、・非物理的なものの重要性を再認識し(非物理的 =精神的なこと)、・幸福であること、物事を楽しむことを知り、・物事をありのままに受けとめるようになり、・生きる目的や本当に重要なことに気づく。 ネガティブな経験の後、こうした新しい視点を獲得すると、やはり自分らしさの確立につながります。こんな素晴らしい状態になれるなら、積極的にしくじりたくなりますね(笑)。 ですが、もちろん、そんな生やさしいものではありません。 強いストレスを伴うネガティブな出来事は、抑うつ、自分らしさの喪失、心的外傷後ストレス障害( PTSD)など、精神的な不健康をもたらしかねません。無理に受容しようとすると、精神的な苦痛を味わうでしょう。 一方で「おかげで忍耐強くなった」「前よりストレスにうまく対処できるようになった」など、ネガティブな出来事の中にも前向きな意味を見出せれば、精神的な健康や成長につながります。 そんな難しい状況を乗り切るために、もうひとつポイントがあります。 しくじりを成功につなげる3つ目のポイントは、他者からのサポートです。 ネガティブな出来事を通して、対人関係が深まり、他者の温かさに気づく。 難しい状況だからこそ、人からサポートしてもらう経験をします。そこで他者の愛を知ると同時に、自分自身も他者を深く愛するようになります。 他者の愛により深く接することが、精神的な健康を保つ助けになるわけですね。「他力のありがたみ」に気づくことは、今後の人生にとって大きなプラスでしょう。 ここまで、しくじりを成功につなげる話をしました。 では逆に、成功体験を通して成功者マインドは身につくのでしょうか?「ポジティブな出来事で、自分らしさは確立するのか?」ということですね。 もちろん可能です。ただ、ネガティブな出来事の場合と比較すると、共通する部分もあれば、異なる部分もあります。 まず共通する部分ですが、ポジティブな出来事は「新しい視点の獲得」を促します。そのことはやはり、自分らしさの確立につながります。 次に異なる部分ですが、ポジティブな出来事は「ありのままに受容すること」を促しません。自分を見直すほどの迷いも葛藤も起こらないからでしょうか。 そしてもうひとつ異なる部分は、ポジティブな出来事は、その出来事を経験すること自体が、自分らしさの確立につながる点です。
つまり成功体験の場合、とくに振り返らなくとも、成功体験自体が、さらなる成功へと導きます。その成功体験が本人にとって大事なことであるほど、成功者マインドが身につくでしょう。 ですから、大きな挫折をしていない人も、別に劣等感を抱く必要はありません。堂々とうまくいき続けてください(笑)。 しくじりを成功につなげる場合、そのしくじり体験を振り返って、ありのままに受容し、他者からのサポートを受けながら、前向きな意味を見出すのがポイントでした。「ありのまま」ですから、起きたことをそのまま受けとめます。いじけない、すねない、ひねくれない。過大評価も過小評価もしない。都合よくこじつけないし、ありえない妄想にも走りません。 先の渡邊論文で紹介されていた「ありのままに受容したネガティブ経験」は、次のような出来事です。「学校で仲間との関係が悪くなり、クラスでいじめにあった」「駅伝チームにいたとき、レース直前に風邪をひいて、選考レースにも出られず悔しい思いをした」「両親が離婚し、父親と離れて暮らすようになった」「勇気を出して学校で係を引き受けたら、できもしないくせにと祖父母にののしられた」「センター試験でうまくいかなくて、目標の大学に出願できず、第 2志望校を受験して落ちた」 こうした経験を、調査対象の大学生たちは「ありのままに受容」しました。 いじけず、すねず、ひねくれず、過大評価も過小評価もせず、都合のいい妄想にも走らず、真っ直ぐ受けとめた。そして、自分らしさを確立していったわけですね。 日本の神様も、いじめにあい、戦いに負け、作戦に失敗し、離婚や失恋をし、親から捨てられています。そうしたつらい経験を「のちの世の人には味わってほしくない」と思うのが神様でした。 我々も、そんな神様の心と変わりません。日本の神様には、元人間もたくさんいて、いわば人間の延長線上にある存在。あなたも私もどの人も神様になりえます。 神様は我々に善き人生を教えてくれる「知的生命体の先輩」なのです。 我々が神様に近づく鍵が、やはりありのままの「受容」です。 不快でストレスフルな出来事を「受容」すると、過剰な反応が抑制され、その出来事に対して冷静なアプローチが促されます。ありのままに受容し、自分らしさを確立した人々は、神様のように徳を積み、優しさを磨いていくでしょう。 もちろん、多くの人にとって、ありのままに受容するのは困難なこと。 現実を受容するのが難しいからこそ、陰謀論のようなありえない妄想を信じる人たちもいます。
イソップ物語の『すっぱい葡萄』をご存じでしょうか。 お腹をすかせたキツネが葡萄を取ろうとして失敗し、食べるのをあきらめた後、その葡萄が「すっぱくておいしくないに決まっている」と言うことで自己正当化した物語です。 キツネは食べたい葡萄の入手をあきらめて不快でした。 この不快感を、社会心理学の用語で「認知的不協和」といいます。 自分の信じたいことと矛盾する出来事や情報に出くわしたときに覚える不快感です。 キツネはこの不快感を解消するために、葡萄の入手をあきらめた自分の判断を正しいと思いたい。だから「あの葡萄はまずいはず」と認識を変更したわけですね(本当は食べたいのに!)。 ありのままに受容して神様になるか、それとも『すっぱい葡萄』のキツネのように自分に都合のいい妄想に走るか。ただ私は、都合のいい妄想に走る人を責める気はありません。もし社会問題化するくらいに陰謀論を信じる人がいるなら、社会にこそ病巣があるのではないでしょうか。 いま日本は「失敗が許されない社会」といわれます。失敗して、しくじってマイナス評価がついたら、それで終わり。そんな減点法で評価される社会では、一度も失敗できません。社会からダメ出しされ、さらに自分で自分を「ダメだ」と裁いたら、精神的に生きていけないでしょう。 だったら「社会の方がおかしい!」とする説は救いになります。失敗が許されない社会で生き抜くには、陰謀論も必要悪なのです。 裏を返せば、失敗に対してより寛容な社会になれば、おのずと、失敗をありのままに受容する人が増え、より多くの人が精神的に成長します。神様が増える!(笑)。 もっと世界が優しくなればいいし、もっと自分に優しくなればいい。 もし「ありのままに受容」がハードル高く感じたなら、跳ばなくていいです。「あのときは、あの葡萄をすっぱいと思い込もうとしていたんだよな」と、いつか笑い話にできれば、私は十分だと思います。 しくじってもいい。だって人間だもの(笑)。「あなたは、地べたにゴザを広げて、何かを売ることができるだろうか? そういう姿を元部下や元同僚に見られてもかまわないという覚悟があるだろうか? きっと、ない。だから、あなたの脱サラは失敗する。なぜそう言うかというと、僕もその覚悟がないままに会社を辞めたからだ」 私の言葉ではありません。「多くの脱サラ起業が失敗する理由」というブログ記事より引用しました。筆者の和田一郎氏は、 18年間会社員をし、 42歳で独立して古着屋を始めた方です( 62歳で引退)。 私も 41歳で富士通研究所を退職して、独立しました。 そのときは、和田氏の言葉をかみしめていました。 独立する際、私はあまり知られていない願望実現の方法を使いました。 それは、「予悔」。 将来後悔しそうなことを、先に悔やんでおくというものです。 これは、経営コンサルタント・岡本吏郎氏の造語です。 将来実現したいことを、もう実現したとして先に祝う「予祝」なる方法は、割と知られています。前祝いするわけですね。「予悔」はこの「予祝」の逆です。予め悔しがることで、「このままだと悔しい思いをするけれど、いまのうちならばまだ変えられる!」と気づきを促します。 富士通研究所を退職したときは、こんな想像をしました。「会社の前でホームレスをしている自分」です。 当時、勤務先の最寄り駅前にホームレスの方がいらっしゃり、よく椅子に座っておられるのをお見かけしていました。 その椅子に自分が座っていることを想像したのですね。 岡本氏の「予悔」の方法だと、ここで「そんなことにならないために、いまできることは?」と自分に問いかけて対応策を考えるのですが、私の場合はちょっと違っていました。「まあ、それもありか」と受け入れたのです。 最悪の結果と思われる状況を想像し受け入れることで、腹がすわりました。「何でも来い! どんな運命でも受け入れてやる!」と。 なぜ会社の前でホームレスをしている自分を想像したのか? サラリーマンが独立起業するときに強く気にすることのひとつが、いまいる会社の人たちとの比較だと、前述の和田氏のブログを読んで知ったからです。 これ、要はつまらないプライドの問題ですよね。そのつまらないプライドを粉々にできて、はじめて起業は成功するのだと教えてもらいました。 また和田氏のブログ記事を引用させてください。
「僕は、思っている。職業人は、社会に出てから二度死ぬのだと。 一度目は、何ものでもない自分というものを受け入れる過程で。 そして、二度目は 40才の声を聞く中年となったころ、やはり自分は何ものにもなれずに人生を終わるのだということを受け入れる過程で。 会社を辞めたばかりの僕は、まだ死んでいなかった。再生するためには、本当にもう一度死ぬことが必要だったのだ。 2度目の死を本当の意味で受け入れないかぎり、自分の足で立ち上がることはできないのである」 この二度目の死を迎えるために、私は「予悔」をしたのでした。 何ものでもない自分を受け入れるために。 この章では、ありのままに受け入れることの重要性をお話ししてきましたが、すぐには難しいときもあるでしょう。そこで、『古事記』に隠されていた「日本古来の成功のしくみ」をご紹介しましょう。 イザナギが日本史上最大の成功「三貴神の誕生」を実現したとき、何をしたでしょうか? はい、「みそぎ」でしたね。 誰ですか、「妻を怒らせた」と思ったのは(笑)。いや、たしかに激怒させました! 死者の国で激怒した妻に殺されかけたイザナギは、「穢れた」として、水辺で体を洗うと、日本の神様ベスト 3の「三貴神」が生まれ、使命を達成したのでした。 この神話に、日本古来の「成功のしくみ」がつまっています。 日本古来の成功のしくみは、「ネガティブな経験をしたら、みそぐ。みそいで穢れを取り除く。そうすれば成功する!」です。 神道において、「穢れ」は汚れて悪しき状態。 清浄の逆、つまり不浄性が「穢れ」です。 穢れは自然に身につき、個人や社会に災いをもたらすとされます。また「罪」を犯しやすくなるとも考えられました。「穢れ」について、著名な民俗学者の桜井徳太郎博士は「気枯れ」説を唱えました。 どちらも読み仮名は「ケガレ」ですね。「気枯れ」はエネルギーが枯渇し、やる気や気力がとぼしい状態。 桜井博士は、「ケガレ」の「ケ」を生産活動のエネルギー源「気」と捉え、時間が経つほど減退・衰弱するとしたのです。「穢れ」とはまた意味が違いますよね。 もうひとつご紹介したいのが、「ケガレ =エネルギー」論です。 ケガレのもつ不浄性が強いエネルギーは、気力に転じるとします。「ケガレ =エネルギー」論は、文化人類学者の波平恵美子氏(お茶の水女子大学名誉教授)の説です。「ケガレというのは、危険であるということと同時に力があるというか、周りに非常に強い影響力をもつという意味で、力があってエネルギーがある」と述べています。 この「ケガレ =エネルギー」論を私は支持しています。 なぜなら、強力な神様は「穢れ」から生まれているからです。 イザナギが穢れをみそいだとき、多くの神々が生まれました。 イザナギが川の中流に潜って身を清めると、まず穢れからマガツヒノカミ(禍津日神)と呼ばれる「禍(災厄)の神」が生まれ、次にナオヒノカミ(直日神)と呼ばれる「禍を直す神」が生まれます。 そして、水の底・中程・表面で身を清めると、強力な海の神が生まれます。これは、住吉大社に祀られる住吉三神、龍宮の王で志賀海神社や鹿児島神社に祀られる綿津見三神で、どちらも天皇やその祖先に大きな力を授けて天下を取らせた海の神。 最後に顔を洗うと、「三貴神」が生まれます。左の目を洗うとアマテラスが、右の目を洗うとツキヨミが、鼻を洗うとスサノオが生まれたのです。 この日本史上最大の成功「三貴神の誕生」が実現したプロセスを図にすると、 U字型になります。
強力な神々を生んだ成功の出発点は、「大しくじり」でした。 そのとき同時に、「穢れ」という名の「強力で不浄なエネルギー」が生まれたわけですね。 穢れや不浄は、拒否・否定するものではなく、大きな成功の種なのです。 ただ、穢れが危険なことに変わりはありません。 穢れを気力に転じさせるトリガーが必要。 それは、「水で清める」こと。 体を水で洗い、汚れを落とすことで、穢れから災いを除去します。「いやそれ、古代の神話でしょ!」「神話ではうまくいっても、現実に効果あるの?」 そう疑問に思うかもしれませんね。 ですが、意外なことかもしれませんが、科学的にも適切な対応です。『すっぱい葡萄』のお話、思い出してください。 お腹をすかせたキツネが葡萄を取ろうとして失敗。キツネは「あの葡萄はすっぱくてまずい」と妄想し、「食べたい →食べたくない」に認識を変更した物語です。 葡萄を取るのをあきらめた自分の判断を「正しい」と思いたいわけですね。 じつは手を洗うと、このような自己正当化がなくなります。 トロント大学の心理学者スパイク・リー准教授が大学院生のとき、実験で 85名の学生に「2つのジャムから好きな方をひとつ選択」させました(味見はなし)。 その選択後、殺菌用ティッシュで「手をふいたグループ」と「手をふかなかったグループ」を比較したのです。 手をふかなかった学生は、自分の選んだジャムの方がずっとおいしいと予想。 一方、手をふいた学生は、どちらのジャムも同じ程度の味だと予想しました。 手をふかなかった学生は、「自分の選んだ方が良いはず」と、自分の判断を正当化しました。すっぱい葡萄のキツネと同じですね! 一方で、手をふいた学生は、現実をありのままに受け入れたのです。 リー氏の別の実験では、学生 40名に 10枚の音楽 CDを好きな順番に並べてもらい、 5位か 6位の CDを 1枚持ち帰れると告げました。並べてもらった後、一部の学生には液体ハンドソープで手を洗ってもらいます。 その後でもう一度 CDを好きな順番に並べてもらったところ、手を洗わなかった学生は、自分が持ち帰る CDを前回よりも高い順位に変えました。一方、手を洗った学生は 10枚の CDを前回とほぼ同じ順番に並べたのです。 手を洗わなかった学生は、自分が選択したものを高く評価し、選択しなかったものを低く評価することで、「自分の選択はやはり正しい」と安心感を得るわけです。裏を返せば、本当に自分の選択は正しいのか、迷いや不安があるわけですね。 しかし手を洗えば、自分が選択したことへの迷いも不安もなくなります。 迷いも不安もなくなれば、自分の判断を正当化する必要性はありません。 ネガティブな経験の後、ただ手を洗うだけで、「認知的不協和(自己正当化)が減る →ネガティブな出来事をありのままに受容し人間的に成長する →自分らしさを確立する」が可能になるのだから驚きですね! ただし、「手洗いすれば何でも OK!」ではありません。 手洗いは罪悪感や挫折感といったネガティブ感情を洗い流すだけでなく、「次はもっとがんばろう」というやる気まで洗い流すとの報告もあります。これは、ドイツ・ケルン大学のカイ・カスパー氏が行った実験で証明されています。 手洗いは楽観的な態度へと導くのですが、同時に油断も招いてパフォーマンスが下がるのです。 そうなると、毎日のように「みそぎ」をする必要はありません。 科学的に見た「みそぎ」のベストタイミングは、エネルギーが枯渇した気枯れの状態。 うまくいかなくて、疲れたり落ち込んだりしているときになります。 あとは、ネガティブ感情がたまりすぎないよう、たまに「みそぎ」をすれば十分でしょう。月 1回、四半期に 1回など、定期的にメンテナンスするといいですね。
不運なときこそ、水で流す「みそぎ」をすれば、次は幸運が来る番です。 手洗い以外にも、シャワーを浴びる、風呂につかって湯船をあふれさせる、海に行く、汗をかく、涙を流す、排泄する、洗い物をする、水回りを掃除する、滝行をする、神社参拝で手を洗いお祓いを受けるなど、みそぎの方法はいろいろです。「でも、幸運がやってきたら、また不運が来るのでしょう?」 そうですね。そうしたら、また水に流せばいい。 イザナギもイザナミも、 2人から生まれた日本の神々も、たくさんしくじり、不運にみまわれました。だから「みそぎ」をするのです。 しくじったら、不運や不幸な目にあったら、泣き疲れるくらい、泣いたらいい! 水分が出るのだから、それもみそぎです。 いっぱい水を流して、幸運や成功を呼び込みましょう。
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