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第3章 部下の意欲的かつ自律的な目標達成に向けてリーダーがすべきこと

Doとは達成手段をやり切ること!リーダーとメンバーは、職場目標や個人のチャレンジ目標と、その達成手段を検討した。

検討過程では頭が痛くなるような場面もあったが、考える面白さも味わえただろう。

みんなでワイワイと揉み合って、最後は自分の意思を込めてチャレンジ目標と達成手段を決定したのだ。

そういう目標だから、ある程度の納得感は持っている。

「達成したい!」、あるいは「達成せねばならぬ!」という意欲や責任感の高まりも感じている。

しかし、一抹の不安が残る。

目標は立案したが、あくまでも机上のプランであり、うまくやり切れるかどうか、絶対的な自信はない。

また、達成手段によっては、仕事を進めながら具体化したり、追加したりしなければならないものがあり、それができなければ期末には未達成が待っている。

そんな不安とヤル気とが入り混じった状態で、チャレンジ目標のDoはスタートする。

チャレンジ目標のDoとは、チャレンジ目標の達成手段をやり切ることである。

やり切るための原動力は、リーダーとメンバーの意欲的、かつ自律的な仕事ぶりにある。

それが一般的に言われている「ヤル気」である。

この章では、達成手段をやり切るためにリーダーがなすべきことや、ヤル気の喚起方法を解説する。

年度レベルの目標達成手段を細分化する達成手段をやり切るためには、年度レベルの目標とその達成手段を細分化、もしくは具体化し、「より短期の目標と達成手段」に置き換えて、その「Plan→Do→See」を推進する。

それを「小さなPDS(Plan→Do→See)」と呼ぶ。

短期とは丁度よい〝仕事の区切り〟を意味しており、目標や手段の種類によってフレキシブルに設定するとよい。

さまざまなケースが考えられるが、いちばん極端な場合は「日々目標」の設定である。

「感謝の気持ちを込めた〝笑顔〟と〝ありがとうございます〟の言葉で接客する」という類いの目標は、毎日のふりかえりが大切であり、1日ごとのPDSが経験的にはベストである。

しかし、多くの目標は、仕事や人間生活のリズム感からして、1ヶ月単位、あるいは1週間単位のサイクル展開が望ましい。

小さなPDSをきちんと回す「小さなPDS」をきちんと回せば、回すつど、何らかの経験的ノウハウが蓄積される。

それを用いて次なる小さなPlanを立案し、Do→Seeへとつないでいく。

それが確実な目標達成に向けた仕事の進め方の定石である。

1回ごとの小さなPDSをきちんと回し切ること。

その習慣化がチャレンジ目標の達成を促進するのである。

自分で決めた目標だが……小さなPDSをきちんと回し切れるかどうか。

それがDoにおける最大の押さえどころであるが、それを可能にするのはメンバーのヤル気である。

ヤル気は意欲と責任感との集合体と考える。

意欲は「目標に対する興味や関心(目標の魅力)と納得感」、「仕事の面白さや自己成長の手応え」、あるいは「報酬の魅力」などがもたらす目標達成への思いであり、責任感は「自分に課せられた役割をまっとうしようとする決意」である。

メンバーは、年度目標の設定段階で納得感と責任感を醸成し、ある程度のヤル気を持ってDoの場面に臨んでいる。

それは確かであるが、それだけで、メンバーが自走するとは限らない。

チャレンジ目標そのものにエクスタシーを感じるような達成動機の高い人は別として、多くの人たちは達成活動の苦しさや辛さゆえに、活動途中で失速しがちである。

たとえば、「新規顧客の獲得に向け、1日10件以上、見込み客を訪問する」という目標達成手段を立案した。

この種の手段は、アタリマエの実践であり、いかに飽きず、休まず、やり切るか、その工夫と努力に実践の成否がかかっている。

ところが、アタリマエを当たり前にやり切ることほど難しいものはない。

見込み客にいくら電話をしても、アポが取れずに苦悩する。

懇切丁寧な商品説明をしたにもかかわらず、お客様から袖にされ、思わず不快な顔をする。

その態度にクレームが付き、こっぴどく叱られる。

ガックリ肩を落として会社に戻る。

そんな出来事が3日も続けば、せっかく盛り上げたヤル気も、シャボン玉がはじけるように一挙にしぼんでしまう。

それが、普通の人間が抱えている弱さではないか。

そんなとき、「お前が決めた目標だから、やり切れよ!」と叱責しても始まらない。

リーダーがやるべきことは、メンバーのヤル気の喚起策である。

それを「動機づけ」と呼ぶ。

2つの動機づけ方法人間の心に存在する「欲求や価値観」などの動機に、何らかの方法で刺激を与えて、目標達成意欲と責任感を高めること。

これが本書の動機づけの定義である。

平たく言えば、「〝何かが欲しい〟という気持ち」や「〝ああなりたい〟、〝こうあるべきだ〟という思い」を刺激すること。

それが動機づけである。

動機づけには、「外発的動機づけ」と「内発的動機づけ」との2つがある。

外発的動機づけとは、他者から与えられるアメとムチによるヤル気であり、主導権は多分に他者が握っている。

それに対して、内発的動機づけは自分で自分のヤル気を喚起する世界であり、自らが積極的に取りに行かない限り、入手が困難なヤル気である。

リーダーはこの2つの動機づけを念頭に置き、自分の権限で実行できる動機づけ策を実践するが、まず着手すべきは外発的動機づけである。

一部の鉄人は別として、普通の人間は、まず外発的動機づけでヤル気を出し、そのヤル気を使って内発的動機づけに火をつけるからである。

以下に、代表的な3つの外発的動機づけを説明するが、「関心と愛情を注ぐ」と、「承認欲求を満たす」はリーダーの権限でできるものであり、ぜひとも実践してほしい動機づけ策である。

〈代表的な3つの外発的動機づけ〉外発的動機づけの代表例は金銭的報酬によるヤル気である。

働く人々は、お金のために汗水流して仕事をする。

生活のためにはお金が必要であり、お金があれば精神的にも、かなりの部分が充足されることを知っているからである。

お金がなければ3度の食事に不自由する。

隣の家に負けない立派なマイホームも、友達が羨むようなブランド品も、贅を尽くしたファッショナブルな装いも、みんなお金があってこそ。

場合によっては、愛情や健康までもがお金次第で左右されてしまうという世の中だ。

そのような環境で、「たとえ貧しくとも、心は清く正しく美しく、堂々と胸を張って生きていきたい」と願ってみても、現実の生活はそれを許さない。

世間並みの賃金が保証されなければ、後述する「愛情や承認の欲求」などがいくら満たされたとしても、ヤル気は弱いものにとどまってしまうだろう。

何はさておき、企業は金銭的報酬というヤル気のもとを従業員に提供すること。

それが責務である。

金銭的報酬は、贅沢な暮らしをしたいという経済的な欲望のみならず、優越感などの精神的欲望をも充足する手段であり、働く人々がおカネの獲得をヤル気の最優先事項に位置づけるのは至極当然な人間行為と考える。

リーダーは、間違っても、「いいか。

仕事は金のためにするんじゃない。

カネよりも大事なことがあるだろう!?」などと説教しないことが肝要である。

〈代表的な3つの外発的動機づけ〉誰でもが、他者からの「関心と愛情」を欲しており、それなしに生きていくことは難しい。

たとえば、若者たちは、この欲求の充足を仲間同士に求めている。

彼らは、スマホや携帯電話を使って長時間、取り留めのない会話を繰り返す。

部外者から見ると、単なる戯れのように思えるが、当事者たちにとっては生きるための儀式である。

1日数回の、「誰か私を愛して!」、「うん、わかった。

愛してあげるよ!」というメッセージの交換が彼らの活力源になっている。

そうまでして愛情がほしいのかと、嫌みの1つも言いたくなるが、よく考えてみれば筆者も別の方法で誰かの愛を求めている。

やはり人間は、他者の関心と愛情なしには生きていけない生き物なのである。

心理学では、それを「ストロークの必要性」と説明する。

仲間との絆を深める肯定的ストロークストロークとは、TA(トランザクショナル・アナリシス/心の交換関係分析)の主要概念であり、「ある他の人の存在を認めるための行動や働きかけ」(『新しい自己への出発』岡野嘉宏、多田徹佑/(株)社会産業教育研究所/1977年)と定義する。

平たく言えば、ストロークは「関心と愛情の合図」であり、合図の仕方は「肯定的」と「否定的」との2つがある。

「笑顔で接する・励ます・ほめる・認める・他者の話に耳を傾ける」などが「肯定的ストローク」である。

それをもらうと心の中にハッピー感が湧いてくる。

「ご苦労さん!」、「体の具合は大丈夫か?」。

このリーダーの一言で、メンバーはどれだけ心が癒されて、明日への活力が生まれることか。

職場における肯定的ストロークは、働く仲間に対する関心と愛情の合図であり、ヤル気の源泉として不可欠なものである。

ときには必要な否定的ストロークただし、「否定的ストローク」が必要なこともある。

たとえば、メンバーが手抜き仕事をしたり、同じ失敗を何回も繰り返すときなどは、リーダーは「叱る・注意する・止める」という否定的ストロークを発信しなければならない。

否定的ストロークは「人間関係が壊れるのでは?」という不安もあり、発信にはかなりのエネルギーが必要だ。

もらった側は、瞬間的にはムカッとするだろう。

しかし、それでも、否定的ストロークの必要性を感じたならば、表現の仕方に十分な配慮をし、きちんと発信すること。

そこに関心と愛情が込められていれば、たとえ否定的なストロークであったとしても、相手は嬉しく感じるものである。

肯定的と否定的のバランスは9対1程度で、肯定的ストロークを多めにする。

否定的ストロークは真剣に打ち込めば、少ない量で効き目があり、肯定的ストロークはいくらもらっても、十分過ぎることはないからである。

否定的ストロークとディスカウントとの違い否定的ストロークと紛らわしいのが「ディスカウント」である。

次の図表を見てほしい。

ディスカウントは、「あなたには関心もなければ、愛情もありません」という合図である。

朝のエレベーターで、メンバーが満面の笑顔で挨拶したのに、リーダーはブスッとして目も合わさない。

典型的なディスカウントであり、相手に不幸を投げつけるような行為である。

それをされたら、普通の人間は生きてはいけない。

だから、ディスカウントはしないこと。

それが人間関係の原則である。

しかし、1つ厄介なことがある。

その行為がディスカウントかどうかは、相手が決めるということである。

否定的ストロークは、発信側がストロークだと思って投げたとしても、相手がその奥底に関心と愛情を感じなければ、ディスカウントになってしまう。

そうなるかならないかは、日頃のストローク次第である。

肯定的ストロークをたくさんもらっている相手から、ときたま否定的ストロークが投げられたとしても、それもまた「関心と愛情の1つの合図だ」と比較的素直に受け止められるものである。

〈代表的な3つの外発的動機づけ〉周囲の人たちとのストロークのキャッチボールにより、関心と愛情の欲求が満たされても、まだ不足が残る。

人間の心の中には、「他者から重要な〝価値ある人物〟として、一目おかれたい」、あるいは「認められることによって自分に自信をつけたい」という気持ちが存在し、その充足を待っている。

それをA・H・マズローは「承認欲求」と命名した。

この欲求が充足されると、きわめて大きな、かつ深い喜びが湧いてきて、何とも言えぬ幸福感で心が満たされる。

ヤル気もグーンと強くなる。

承認欲求の充足は絶対に外せない〝働きがい〟であり、ヤル気のもとなのだ。

人間は虚栄心の塊である『近代の労働観』(今村仁司/岩波新書/1998年)は、承認欲求を「虚栄心」という概念で捉えている。

同書はまず、「労働の喜びがあるかないかは、他人の視線の効果から生まれる」と説き起こし、「現実の労働はそのつどつねに承認願望に包まれている。

この承認願望を情熱的に求めるがゆえに、労働者や職人は、苛酷な労働にも〝耐えること〟ができる。

忍耐と喜びの関係は、承認願望によって結合される」と、ヤル気の源泉としての承認願望の重要性を訴える。

そして、「だれでも自己敬意(セルフレスペクト)をもっている。

それは自分で自分をいわば高く評価することであり(自己承認)、そうであるゆえに人間は生きている感じをもつことができる。

これが生きがいの源泉であろう」、と承認願望と自尊心の関係、および自尊心と生きがいとの関係を説明する。

さらに、その「自尊心なるもの」の正体を炙り出し、「他人から〝自分は偉いのだ〟と認めてもらいたいという欲望は、自己尊厳、威信、自尊心などの言葉で語られてきたが、その実質的な内容は虚栄心にほかならない」と結論する。

同書はさらには、パスカルの言葉を援用しながら、「およそ虚栄心とはほど遠いパスカルですら虚栄心と言う欲望から開放されていないという指摘は、社会の中で生きる人間の一種の宿命的原事実を否定しようもなく露わにすることである。

〝いっしょにいる人たちから尊敬されたいという願い〟、そこから人間の一切の派生的欲望が生まれてくる」、とも言い切っている。

人間の本性同様に、アーサー・ラヴジョイの研究(『人間本性考』/名古屋大学出版会/1998年)も、承認欲求充足の重要性を説いている。

その研究によれば、「他人からよい評判をもらうことによる快感」、あるいは「他人との関係において自分自身が快楽を感じること」、それこそが人間の本性であり、動機づけの源泉であるという。

それを「快楽的感受性」と呼び、以下の3項目の存在を指摘している。

他者から注目され、称讃され、認められたいという〝承認願望〟自分自身を高く評価したいという〝自己称讃〟他の人々よりも秀でたいという〝競争心〟これらが満たされたとき、人間は「えもいわれぬ快楽」を実感する。

その快楽を求めて、人類は永遠に努力し続けているのであり、ゆえに快楽的感受性は人間の本性に近いものなのである、とラヴジョイは説く。

承認の仕組みを作ろうこれら2冊の本やマズローの主張から共通して読み取れるのは、承認欲求の充足が人間のハッピーやヤル気を左右するきわめて重要な要因だということである。

そうならば、マネジメントに際しても、承認欲求の存在と重要性を直視して、他者から与えられる精神的報酬の増強に向けた積極的な努力が必要になるだろう。

組織全体としては、「昇進・昇格」、「プロジェクト・リーダーなどへの抜擢」、「表彰制度」などの公式な承認の仕組みを作ることである。

また、リーダーはメンバーに対して、自分の権限で実行できる承認欲求の充足策を考えて実践する。

たとえば職場内の表彰制度である。

表彰テーマを決めて、月に1回、みんなで投票する。

最高点を獲得した人には、リーダーの心のこもった文面の表彰状を用意して、月次ミーティングの席上で表彰する。

あるいは、重要案件の受注に成功した営業マンに、同僚が握手を求めて祝福する。

成功事例発表会などを通して、成功者の喜びをみんなで分かち合う。

そのような「承認のキャッチボール」の習慣を積極的に仕掛ければ、多くのメンバーの承認欲求が満たされて、ヤル気も湧いてくる。

またそれは、適度な競争心をも刺激する。

メンバーの承認欲求の充足は、リーダーがやるべき重要な動機づけの行為である。

内発的動機づけはなぜ必要かこれまで紹介した代表的な3つの外発的動機づけにより、メンバーのヤル気はある程度高まるだろう。

しかし、これらは他者から与えられたヤル気であり、他者からの働きかけがなくなれば、たちまち消滅してしまう。

また、与えられることに免疫ができてしまい、さらに刺激的なものが得られない限り、ヤル気にならないということも起きてくる。

これが外発的動機づけの限界であり、より強いヤル気の喚起と持続にはどうしても、内発的動機づけが必要になる。

自分で自分のヤル気を刺激する内発的動機づけは、心の底から湧き出るような喜びや、「石にかじりついてでも……」という執念を伴ったヤル気である。

「それは面白そうなテーマだ!」という興味・関心。

「なるほど。

よ〜く、わかった!」という納得感。

「そういうことならば、やらねばならぬ!」という責任感。

「これだ!」という発見や「やった!」という達成の喜びなどの仕事の面白さの実感。

「自信ができた。

自分は仕事ができる人間だ」という自己成長の手応え。

「自分は相当の可能性を秘めた存在だ」という自分の潜在的可能性の確信。

こうした気持ちを持つことにより、目標達成への思いを強めること。

それが内発的動機づけの世界である。

リーダーは根気強く支援するこのように、内発的動機づけは、自らが積極的に取りに行かない限り、入手できないヤル気であり、動機づけの主導権は当事者が握っている。

リーダーにできることは支援である。

リーダーは、目標設定ミーティングなどの場を設けたり、目標達成手段をメンバーと一緒になって考える。

あるいは、同行営業やロールプレイングなど部下の育成にも時間を割くことが必要だ。

しかし、リーダーが必死になって支援をしても、それに比例するように、メンバーの内発的動機づけが喚起されるとは限らない。

場合によっては、何の反応もないこともあるだろう。

それを承知で、「いつか、必ず反応する」と自分に言い聞かせ、細くとも、息長く、支援するのがポイントである。

とくに、Doの場面では、メンバーが仕事の面白さを実感できるように支援する。

また、責任感と納得感は、そのかなりの部分がチャレンジ目標づくりの段階で醸成されるものではあるが、Doの場面でも引き続きの支援が必要である。

セルフ・コントロール働く人々のヤル気の喚起や持続には、外発と内発の両方の動機づけが必要だが、MBOSではとくに内発的動機づけを重視する。

内発的動機づけがセルフ・コントロールのもとになっているからだ。

MBOSのキーワードは「チャレンジ目標」と「セルフ・コントロール」であり、チャレンジ目標については第2章で解説した。

では、残るセルフコントロールとは、いったい何なのか。

本書では、セルフ・コントロールとは「内発的動機づけをエネルギー源とする意欲的、かつ自律的な行動」と定義する。

もちろん、意欲や自律には、外発的動機づけも影響を及ぼすであろう。

だから、他者の称賛や励まし、あるいは叱責なども無視できない。

しかし、圧倒的な面積を占めるのは内発的動機づけである。

内発的動機づけの面積拡大の努力と工夫をやり続けること。

それがセルフ・コントロールの開発であり、チャレンジ目標のPlan→Do→Seeのいずれの場面においても必要なことである。

とりわけ、目標達成手段をやり切ることが命のDoの場面では、メンバーのセルフ・コントロールが必須である。

仕事は面白くなければならないギリギリ背伸びした目標の達成に向け、深く考えて知恵を出し、相当の苦しさや辛さはあるが、歯を食いしばって実践する。

そのような仕事をしてほしいと会社は本気で求めているし、従業員も頭ではそうしなければと思っている。

それは責任感の発露であり、昨今の競争環境を考慮に入れれば、好ましい状態には違いない。

しかし、責任感だけに支えられた仕事では、仕事は苦役となり、とてもじゃないが普通の人間は潰れてしまう。

苦しさを薄めるような何かが、「仕事そのもの」の中に必要である。

その1つが、仕事の面白さの実感という内発的動機づけである。

「仕事は重く苦しいが、同時に面白さも味わえる」。

そういう状態を創り出すことが大切であり、それがなければ、たとえ責任感が旺盛でも、あるいは高額報酬をもらっても、はたまた承認欲求が充足されようとも、働く人々のハッピー感は半減してしまう。

では、仕事の面白さとは、具体的に何なのであろうか。

考えるという面白さ普通のビジネスマンが早朝からいそいそとゴルフに出かけるのは、ゴルフが面白いからだろう。

ネット・ゲームに熱中している子供たちに、なぜ夢中になるのかと問えば「面白いから」という答えが返ってくる。

両者に共通する面白さは、頭を使って作戦を練りあげる楽しさと、作戦を実行した結果得られる成功の手応えである。

それはまた、苦しみながらも知恵を絞るのを楽しむことであり、知恵が生み出す成果に自ら感動することでもある。

仕事も同様で、考えて考えた末に、「あっ、そうだ!」という気づきや発見に巡り合ったり、考え抜いた内容を実践して、「やったぁ!」という達成感を味わうことは、仕事の面白さの代表例だ。

仕事への没入がもたらす「フロー体験」学者たちの研究によれば、「フロー体験」という究極の〝仕事の面白さ〟があるという。

それは、物事に熱中したときに得られる「深く、大きな喜び」である。

時間を忘れて無我夢中で仕事に没頭するプロセスで、ウキウキワクワクするような精神的高揚感やえも言われぬ快感、あるいは「幸せだなぁー」という幸福感に遭遇する。

それが、フロー体験である。

『マネジメント革命』(天外伺朗/講談社/2006年)は、「ミハイ・チクセントミハイのフロー体験」の理論を援用しながら、仕事の面白さに動機づけられて、さらに深く仕事を探求することの必要性を説いている。

「創業時のソニーは火のように燃えていた」という著者自身が体験したフロー体験を織り交ぜながらの記述であり、臨場感を持って読める。

最近では、『モチベーション3・0持続する「やる気!」をいかに引き出すか』(ダニエル・ピンク/講談社/2010年)も、まったく同様の主張を展開している。

同書は、まず、金銭的報酬中心の動機づけ策を「バージョン2・0」と位置づけて、その機能不全のあり様を指摘する。

そのうえで、「3・0へのバージョンアップ」を提唱する。

仕事の面白さの実感など、内発的動機づけを中心としたマネジメント体制への切り替えである。

理性や論理では説明しにくい世界「フロー」という言葉には、「流れに乗る」という意味がある。

フロー体験は、チャレンジングな目標の達成プロセスで起きる「一瞬の体験」である。

時間がたてば喜びは薄れ、モチベーションは元の状態に戻ってしまう。

理想的には、こうした一瞬の体験を数多く、連続的に持つことだ。

つまり、フローの持続が必要なのである。

フローが持続された状態で仕事に取り組むと、偶然が偶然を呼ぶような思わぬ発見やひらめきが次々と現れて、成功の道筋が見えてくるという。

それは、「成功の流れに乗って仕事をする」という状況の出現である。

スポーツ選手が「ゾーンに入った」と言うのはおそらくフロー体験を指しているのであろう、と『モチベーション3・0』(前掲書)は指摘する。

このようなフロー体験は、理性や論理では説明しにくい世界である。

そのために、フローの存在そのものを疑う人がいるかもしれない。

あるいは、スポーツの世界の出来事で、ビジネスに適用するには無理がある、と考える人もいるだろう。

しかし、筆者の見るところ、一般の仕事現場でもフロー体験に近い状態は間違いなく起きている。

たとえば、営業マンが新製品の販売に「はまっている」とか、製造現場の人たちが不良率削減の「虜になった」という話を筆者はよく耳にする。

実際に会ってみると、見るからに生き生きしていて楽しそうである。

彼らはどんな仕事でも、徹底的に取り組めば、フロー状態は必ず訪れると信じているようだ。

一度でもフロー状態を経験すれば、フローがもたらす楽しさや面白さを求めて、次なるフローを取りに行くのだろう。

そんな予感がする人たちである。

リーダーによる「ひと引っ張り」では、どうすれば、「はまった」とか、「虜になった」というフローを体験できるのだろうか。

自力でフローに突入するのが理想の姿であるが、よほど達成動機の高い人でない限り、一人で実現するのは難しい。

普通の人は他者の協力が必要だ。

だから第2章では上位計画の理解や職場ミッションづくり、職場目標や個人目標づくりをみんなでワイワイと取り組むことを提案した。

ところが、そうやって決めた目標や達成手段でも、実行段階では必ず何らかの壁にぶち当たる。

一所懸命に接しても顧客は反応せず、何をやったらよいのか思考も鈍り、モチベーションは低下の一途を辿る。

ついにはギリギリ背伸びした目標の達成という修羅場に入るのが怖くなり、他のメンバーが頑張っているのを傍観者のように眺めてしまう。

仕事の面白さは、仕事にのめり込む以外には実感できない。

そう頭では十分過ぎるほどわかっているのに、いっこうにヤル気が出てこない。

そのくせ、一丁前の理屈を述べてはリーダーや同僚を煙に巻く。

何とも嫌みな存在である。

これは筆者が売れない営業マンだったときの状態だが、チャレンジ目標のDoのプロセスではそういうメンバーが出てくる可能性がきわめて高い。

そのときにリーダーはそんなメンバーにどう接するか。

「修羅場へのひと引っ張り」が必要である。

「悩む前に行動しよう!」「行動しながら考えて、行動を修正する。

そういう仕事のやり方に切り替えろ」「逃げてはダメだ。

オレがサポートするから一緒に修羅場に入ろう。

そうすれば、仕事の面白さがついてくる」そう励ましながら、リーダーはメンバーを修羅場の中に、ぐいっと一歩引っ張り込む。

それはメンバーを仕事の面白さへと誘う導火線である。

ノルマ管理との違い研修などで、「ひと引っ張り」の話をすると、決まって「それではノルマ管理と一緒じゃないか?」という疑問とも非難とも取れるような質問が飛んでくる。

確かにそうだ。

リーダーが「ともにハッピー」と「Y理論」のスタンスを身につけていなければ、ノルマ管理になってしまう。

次の図表を見てほしい。

本来のMBOSは、右上のの状態であり、会社と働く人々が「ともにハッピー」という状態を目指すものである。

MBOSは、ときには生じるであろう激しい葛藤をも克服し、何とかして、「業績向上(会社のハッピー)」と「働きがい(働く人々のハッピー)」の同時実現を図りたい、そういう思いに支えられたマネジメント法である。

ともにハッピーの実現努力を怠れば、「MBOSもどき」になってしまうのだ。

いちばん多く見られる「もどき」は左上のノルマ管理であり、会社のハッピーに費やす執念や意欲の高さに比べて、働く人々のハッピーへの関心が極端に希薄なのが特徴である。

ノルマ管理の会社では、ひたすら「会社のために」が強調され、働く人々は滅私奉公を強いられる。

本来、会社と働く人々の「ともにハッピー」のためにあるチャレンジ目標も、会社のための目標になっている。

こうした会社を一概に悪と決めつけるわけにはいかないが、ノルマ管理は明らかに、ハッピーのバランスが崩れたマネジメントである。

会社と働く人々の「ともにハッピー」を追求するなぜ、ノルマ管理が起きるのか。

本質的な理由が2つある。

1つは、経営陣やリーダーの持つ、「働く人々は業績向上の手段である」という割り切った考え方であり、かなりの歪みを持った思想である。

確かに、人間は経営資源の1つであり、業績を上げるための手段には違いない。

しかし、人間は「掛け替えのない存在」であり、モノ・カネと同列に論じることのできない別格資源である。

そう人間を位置づけて、会社と働く人々の「ともにハッピー」を追求する。

それが会社と働く人々の望ましい関係であると、筆者は考える。

現に、そのような関係づくりに向けて、ひたむきな努力をしている会社がある。

たとえば、キリンビール(株)である。

同社は、会社と社員との望ましい関係を「イコール・パートナー/仕事を介した対等な関係」と定義して、お互いが果たすべき役割を約束事として交わしている。

会社は「〝自律した個〟を尊重し、支援すること」を社員に約束し、社員は「〝自律した個〟であること」を会社に約束する。

そういう構図の中で、MBOSを展開し、人事諸施策の運用を行っている。

筆者の見るところ、人によって濃淡はあるものの、「イコール・パートナー」はかなりのインパクトを持って浸透しているように思われる。

葛藤なしに修羅場行きを命ずるな人間を別格資源と位置づけて、「ともにハッピー」を追求するというスタンス固めがないままに、リーダーが修羅場へのひと引っ張りを行えば、それはノルマ管理になってしまう。

リーダーは、心を鬼にすることなく、当然のごとく、いとも簡単にメンバーの修羅場行きを命令する。

そこには「葛藤」が存在しない。

果たしてそれで、メンバーは幸せなのだろうか。

やはり、会社やリーダーには、「何とかして、メンバーにもハッピーになってほしい」という思い入れが必要だ。

それがなければ、修羅場は単なる辛く苦しい場だけに終わってしまい、メンバーの前向きな仕事への取り組みを引き出せない。

メンバー自身の、「苦しいけれども頑張って、会社に貢献し、そのプロセスで自分も成長する」という決意と、リーダーのメンバーへの思い入れ。

その両方があって初めて、修羅場の乗り切りが可能になるのである。

こうした努力をするかしないのか、それがノルマ管理とMBOSとの本質的な違いの1つである。

ノルマ管理につながる歪んだ人間観MBOSがノルマ管理化する本質的な理由の2つ目は、リーダーの人間観である。

ノルマ管理を志向するリーダーたちは、以下のような人間観を持っているのではなかろうか。

大多数の人間は、本性的に、労働意欲に欠けている。

成果を上げるための能力もかなりの程度劣っている。

成果に対する責任感に至っては、皆無に等しい状態で、放っておけば、確実に怠けてしまう。

そのような悪しき特性の人間を、仕事に駆り立てるためにどうするか。

命令とアメとムチを使うに限る。

それがいちばんの方法だ。

これは、ダグラス・マグレガーによって問題提起された「X理論」(『新版・企業の人間的側面』/産業能率大学出版部/1966年)の世界である。

全否定はできないが、何か人間を小馬鹿にしたような響きが感じられ、不快の念さえ湧いてくる。

X理論の信奉者には反発すら感じてしまう。

X理論の問題点X理論を信奉するリーダーは、メンバーの持つ潜在的可能性が信用できず、メンバーの「成長したい!」という気持ちも軽視しがちである。

仕事に必要な意欲・能力・責任感は、オレをはじめとする一部のエリートだけのものであり、一般庶民には無縁である。

そういう目で、メンバーを見てしまう。

だから、心を鬼にしてまでも、メンバーを修羅場に引き入れて苦楽を共にしようとは思わない。

「何とか育ててやろう」という情熱も希薄である。

それなのに、目標達成意欲は旺盛で、「心を鬼にせず」に平然と、メンバーを修羅場に閉じ込めて、あたかも消耗品のごとく酷使する。

疑う余地のないノルマ管理の世界であり、メンバーは不幸である。

生涯発達心理学の研究からも明らかなように、人間は成長の可能性を秘めた存在であり、生まれてから死ぬまで、何らかの成長を望んでいる。

その本能的な欲求を軽視して、薄っぺらな期待感しか示してくれないリーダーに、命を預ける人は皆無であろう。

メンバーの心はリーダーから離れていき、焦ったリーダーは、ますます修羅場への閉じ込め機能を強めてしまう。

それもこれも、リーダーのX理論の信奉が引き起こす結果なのである。

リーダーも人間であり、他者に対する優越感を欲している。

禁欲しろとは言わないが、他者に対する優越感とメンバーの持つ潜在的可能性の否定とを混同しないこと。

リーダーには、「Y理論の人間観」(前掲書/D・マグレガー)が必要である。

Y理論の人間観松下幸之助は、Y理論の世界を「人間の本質は、磨けば輝くダイヤモンドの原石」(『人生心得帖』/松下幸之助/PHP研究所/1984年)と表現した。

実にうまい、Y理論の言い換えだと思う。

普通の人間は意欲・能力・責任感を潜在的に持ってはいるが、発揮度にバラツキがある。

そう人間を肯定的に捉えて、潜在能力の顕在化に向けた努力をするのがY理論の世界である。

そのY理論のスタンスで、リーダーはメンバーを修羅場に向けてひと引っ張りする。

修羅場に入るのは、さぞ辛らかろう。

過去のオレもそうだった。

しかし、チャレンジ目標の達成は避けて通れないみんなの責務である。

そう腹をくくって飛び込めば、必ず仕事の面白さが味わえる。

それが自己成長の肥やしにもなる。

一緒に修羅場を乗り切ってオレ自身も成長したいと思っている。

そういう思いをメンバーに、目と心で、優しく熱く伝えていく。

それがY理論のリーダーの行動であり、MBOSとノルマ管理との分岐点である。

MBOSとノルマ管理の違いは紙一重Y理論のスタンスも、ともにハッピーの気持ちも、いずれも目に見えないところに存在するMBOSとノルマ管理との違いであり、表面的に眺めたのでは両者の識別は難しい。

たとえ、外的動機づけに積極的であっても、リーダーがX理論の信奉者であったり、人間は別格資源という認識が薄かったりすれば、それはノルマ管理と言わざるを得ないマネジメントである。

逆に、リーダーが心を鬼にして、「今が勝負のしどころだ。

だから、怠け心は許さない」と修羅場へのひと引っ張りを仕掛けても、根底に、Y理論と、ともにハッピーのスタンスを持つならば、それは「MBOSの愚直な実践」を意味しており、ノルマ管理とは区分すべきものである。

このように、MBOSは、会社とリーダーの心の持ち様で、本当のMBOSになったりノルマ管理になったりと変化する。

両者の違いはその意味では「紙一重」。

そう表現するのが妥当だろう。

365日、ありとあらゆる場面におけるコミュニケーション修羅場へのひと引っ張りとは、実務的に、何をすることなのか。

それは、365日、ありとあらゆる場面において、以下の3種類のコミュニケーションを仕掛けることである。

それも、メールやFAXなどの間接コミュニケーションではなく、肉声と体温が触れ合う「フェイスツゥフェイス」の直接コミュニケーションを重視する。

「問題創造・問題解決(何を目標にするのか、どう達成するのか)」のコミュニケーション「志(世の中になくてはならない会社になろう!)」のコミュニケーション「人間関係円滑化(一所懸命に伝える・聞くなど)」のコミュニケーション立ち話的「報・連・相」問題創造・問題解決のコミュニケーションとは、「小さなPDS」の内容をこまめに情報交換することだ。

毎朝のショートタイム・ミーティングや休憩室における真面目な雑談の場などを利用して、あるいは隣の席に椅子だけを移動して、2〜3分程度の「報・連・相」を立ち話的に行うのがポイントである。

思いのほか効果の高い方法であり、Doの場面におけるコミュニケーションはこれを中心に展開するとよい。

個人目標の進捗検討会小さなPDSは、日々の立ち話的「報・連・相」にプラスして、もう少しまとまった時間を使って実施することも必要だ。

月に1回は定例ミーティングの場を利用して、個人目標の進捗検討会をみんなで実施するとよい。

以下の3つのアウトプットを目的に毎月、1〜2人の発表当番を決め、その人の目標達成手段をみんなで検討する。

発表者の目標達成手段の補強発表者の実践の決意の強化職場としての協働意識の醸成1人当たりの持ち時間は1時間程度が目安であり、発表者は、約15分間、自分で考えた来月の達成手段を、思いを込めて他者に語ってみる。

語れば、誰かが反応し、手段の補強に役立つようなアイデアがもらえるかもしれない。

ときには、ピント外れな質問が飛んでくるかもしれないが、みんなでワイワイと発表者の達成手段の補強策を検討したり、お互いに協力できることを確認し合う。

そのプロセスで、発表者は実践の決意を強くするし、リーダーを含め他のメンバーも発表者の思いを共有でき、職場の一体感も醸成される。

検討会のテーマは「来月、何をするのか」がメインであるが、ときには「なぜ、その行動が今まで実践できなかったのか」という原因の掘り下げの議論も必要である。

たとえば、以下のようなケースである。

製造現場で「全員が整理・整頓を実践する」という行動目標を設定した。

整理とは「いらないものを捨てること」であり、整頓とは「決められた物を決められた場所に置き、いつでも取り出せる状態にしておくこと」だ。

整理は比較的スムーズに受け入れられたが、整頓の習慣化は思いのほか難しく、いっこうに定着しない。

その原因は何なのか。

今までは働く人々の意識の低さに原因を求め、いろいろな啓蒙活動を展開したが、なかなか思ったような効果が得られなかった。

そこでみんなで再度、原因の見直し作業を実施して、「やらざるを得ない環境づくり」という対策を考えて、整理・整頓の自己チェック表を整備した。

チェックしない限り1日の仕事が終わらない、という仕組みにしたのである。

志を語り合うコミュニケーション365日のコミュニケーションの中心は小さなPDSがメインであるが、それだけやっていたのではモチベーションは高まらない。

状況によっては気分が滅入ることもある。

そこで、ときにはロマンや志を語り合うことも必要だ。

たとえば「わが社の商品とは何だろう?」というテーマはどうだろうか。

筆者はよく、研修などで「あなたの会社の主力商品は何ですか?」と質問する。

「テレビだ、自動車部品だ、惣菜だ」という答えが返ってくる。

それでいいのだろうかと思わず考え込んでしまうことも稀ではない。

それらは一般名詞であり、その会社の付加価値を表現したものではないからである。

たとえば化粧品会社であれば、わが社の商品は「化粧水や乳液です」ではなく、「美しさがもたらすハッピー感」となるのではないか。

長期的に業績を上げている会社や部門では、必ずこの種のコミュニケーションが何らかの形で行なわれているものである。

パーソナル情報のキャッチボール人と人とが一緒に仕事をする以上、人間関係の円滑化も不可欠であり、それを積極的に仕掛けるのもリーダーの役割だ。

人間関係とは煎じつめれば「好き嫌い」の問題だが、万人が万人を好きになるのは難しい。

しかし、お互いが思いやりの感情を持つことは可能であり、それがあるから職場が1つの生き物として機能する。

思いやりの気持ちの醸成は職場のチームワークにとって、最低限の条件なのである。

ではどうすれば思いやりの気持ちが生まれるのか。

その第一歩は「お互いに知り合うこと」だ。

相手を理解すれば親近感も沸いてくる。

筆者は相互理解の促進にはパーソナルな側面の情報交換が必須と考えて、宿泊研修の懇親会では必ず「パーソナル情報のキャッチボール」を実施する。

当事者が「他者に話してもいいよ」という日常生活や趣味の話をみんなでワイワイと語り合う。

お互いの心の距離が縮まって、翌朝顔を合わせれば、前日とはまったく違う親近感で「おはようございます」という挨拶がごく自然に口をつく。

よく飲みに行く仲間は別として、毎日顔を合わせていても、意外と仕事以外の話はしていないのではなかろうか。

また、パーソナル情報の交換は、お互いの思考や行動パターンの理解も促進する。

理解し合えば、普通に聞くとムカつくような言動でも、「悪気はないのだから……」と容認できるであろう。

一所懸命に話す・聴くコミュニケーションの原点は話すことと聴くことであり、その善し悪しが職場の人間関係づくりにも影響する。

とくにリーダーの話す態度や聴く姿勢は、リーダーとメンバーとの心の絆の決定要因になってしまうほどの重みを持っている。

リーダーがメンバーに話すとき、いちばん大事にしてほしいのは「一所懸命さ」である。

「オレはこうしたい」、「ココが問題だと思うのだが……」と自分の思いを一所懸命に話す。

できれば上手に話してほしいが、人間関係の円滑化により効果が大きいのは一所懸命さの方である。

話し方は訥々でも構わない。

とにかく、一所懸命に語ることが肝要である。

同時に一所懸命聴くことも大切だ。

業績を上げている職場にインタビューに訪れると、職場のメンバーからは、「リーダーが聴く耳を持つようになってくれた。

話を聴いてもらえると、なぜか元気が出る」と異口同音の答えが返ってくる。

「感情まで含めて、聴いてもらっているような感じがする」と答える人もいる。

どうも、リーダーの聴く姿勢がメンバーの元気のもとを刺激して、それが業績向上の原動力になっているようである。

リーダーの聴く力とメンバーのモチベーションとの間には相関があるという研究結果もあるようだ。

また、『モモ』(ミヒャエル・エンデ/岩波書店/1976年)では、聴くということの本質を次のように表現している。

小さなモモにできたこと、それはほかでもありません、あいての話を聞くことでした。

なあんだ、そんなこと、とみなさんは言うでしょうね。

話を聞くなんて、だれだってできるじゃないかって。

でもそれはまちがいです。

ほんとうに聞くことのできる人は、めったにいないものです。

そしてこの点でモモは、それこそほかには例のないすばらしい才能をもっていたのです。

モモに話を聞いてもらっていると、ばかな人にもきゅうにまともな考えがうかんできます。

モモがそういう考えを引き出すようなことを言ったり質問したりした、というわけではないのです。

彼女はただじっとすわって、注意ぶかく聞いているだけです。

その大きな黒い目は、あいてをじっと見つめています。

するとあいてには、じぶんのどこにそんなものがひそんでいたかとおどろくような考えが、すうっとうかびあがってくるのです。

モモに話を聞いてもらっていると、どうしてよいかわからずに思いまよっていた人は、きゅうにじぶんの意志がはっきりしてきます。

ひっこみ思案の人には、きゅうに目のまえがひらけ、勇気が出てきます。

不幸な人、なやみのある人には、希望とあかるさがわいてきます。

たとえば、こう考えている人がいたとします。

おれの人生は失敗で、なんの意味もない、おれはなん千万もの人間の中のケチな一人で、死んだところでこわれたつぼとおんなじだ。

べつのつぼがすぐにおれの場所をふさぐだけさ、生きていようと死んでしまおうと、どうってちがいはありゃしない。

この人がモモのところへ出かけていって、その考えをうちあけたとします。

するとしゃべっているうちに、ふしぎなことにじぶんがまちがっていたことがわかってくるのです。

いや、おれはおれなんだ、世界じゅうの人間の中で、おれという人間はひとりしかいない、だからおれはおれなりに、この世の中でたいせつな存在なんだ。

こういうふうにモモは人の話が聞けたのです!このような凄さを持つ聴く力は、リーダーが身につけるべき能力の1つである。

しかし、多くの人間は生まれながらにして聴くことが苦手であり、その習得には話すことの数倍の努力が必要だ。

努力とは意識と練習である。

意識は寝る前に、「今日は人の話を積極的に聴いただろうか?」と自問自答する習慣であり、練習はコーチングなどのコミュニケーション研修の受講を意味している。

「コンフリクト(対立感情)」をどう解決するかチームワークを劣化させないために人間関係円滑化のコミュニケーションで、もう1つ、重要な押さえどころが残っている。

「コンフリクト(対立感情)」に関することである。

二人以上の人間が集まれば、必ずコンフリクトが発生する。

それを避けたり、放置したりすれば、表面的な人間関係が出来上がり、チームワークが劣化する。

だから、コンフリクトは解消しなければならない。

リーダーはメンバーを集めて、コンフリクトの共有化と解消策について話し合う。

ただし、この種のコミュニケーションを仕切るには、相当難度の高いヒューマンスキル(対人関係調整能力)がリーダーには要求される。

経験的には、ファシリテーター的役割を担う人(中立的な立場で気づきなどを支援できる上位者や外部講師)の参加が必須である。

納得感や責任感の維持のためにリーダーがすべきことここまで、Doの場面における、仕事の面白さの実感という内発的動機づけの必要性や喚起方法について述べてきた。

最後に、メンバーのチャレンジ目標に対する納得感や責任感を持続させるためにリーダーがすべきことについて説明し、この章を終わりにしたい。

チャレンジ目標に対する納得感は「小さなPDSの習慣化」によって持続し、強化される。

小さなPDSをきちんと回して新たな達成手段を手に入れることで、納得感は強まるのである。

責任感はどうであろうか。

責任感は、他者の脅しなどによって発生する恐怖心とは違い、「やらねばならぬ」という前向きな思いをメンバー自身で育む世界であり、リーダーにできることは支援である。

第2章で、ミッションと貢献領域一覧表づくりを紹介した。

「中期経営計画の実現に向け、我々の職場は何をなすべきか」という風に自問自答して、自分に言い聞かす。

こうした取り組みも、リーダーが仕掛けた、メンバーの責任感の醸成に向けた支援策の1つである。

仕事ぶりをフィードバックするメンバーの責任感の醸成には、仕事ぶりのフィードバックも有効である。

チャレンジ目標のDoの過程では、メンバーは日々、さまざまな努力をするが、それが正しい方向に向かっているのかどうか、ときどきチェックが必要だ。

いちばん理想的な状態は、何らかの仕組みを使った「メンバー自身によるセルフ・チェック」である。

たとえば、営業マンの場合には、個人別の営業効率分析表などが月に1回程度、配布される会社もあるだろう。

そこには営業活動の結果が、さまざまな切り口で、数値で記載されている。

当初計画との差異や他の営業マンとの比較もできる。

こうしたものがフィードバック情報であり、それを手掛かりに、営業マンは自分の活動のあり方を自分でチェックできる。

このようなセルフ・チェックの仕組みの改良や運用方法に工夫を凝らすのが、リーダーの役割である。

ただし、セルフ・チェックの仕組みがあってもうまく機能しないこともある。

フィードバック情報に反応しないメンバーがいたり、また、営業効率分析表などではカバーしきれないフィードバック情報が存在するからである。

たとえば「周囲の人たちの期待に応えた仕事ぶりになっているかどうか」などの情報はセルフ・チェックの仕組みに乗りにくい。

そんなとき、リーダーは口頭によるフィードバックを試みるといい。

一般的に、リーダーが口頭でのフィードバックの必要性を感じるのは、ネガティブなことを伝えたいときだ。

フィードバックする方もされる方も、相当しんどいコミュニケーションであり、双方とも、できれば避けて通りたい、そう思うのが自然である。

しかし、人間には自分ひとりでは気づきづらい領域が存在し、それが仕事の支障になるならば、なるべく早い段階で気づきを得るのが望ましい。

だから、リーダーもメンバーも避けたい気持ちを乗り越えて、フィードバックに臨んでほしい。

相手に受け入れられるフィードバックを!ネガティブ情報のフィードバックに際しては、留意すべきことがいくつかある。

1つは、ポジティブ情報との抱き合わせで実施すること。

ネガティブだけでは、人格否定のように感じられ、素直に聞けないからである。

2つは、さまざまな内容を、一度にフィードバックしないこと。

あれもダメ、これもダメでは、相手は気が滅入り、落ち込んでしまうか、反発するかである。

特定事項に絞り込むのが、ネガティブ・フィードバックの原則だ。

3つは、フィードバックのタイミングである。

「今、ここでの出来事(HereandNow)」がもっとも効果的であり、「あのとき、あの出来事(ThereandThen)」の情報は封印するのが望ましい。

フィードバックの受け入れ態勢一方で、フィードバックを受ける側にも、留意してほしいことがある。

フィードバックの内容に対しては、正当な言い訳が山ほどあるだろう。

ときには反論が必要な誤解も含んでいる。

だから、つい、話を遮ってしまいたい衝動が襲ってくる。

そこをぐっと堪えて、相手の話を最後まで聞いてみる。

そのうえで、一呼吸整えて、こちら側の言い分を冷静に訴える。

それができればネガティブ情報も、自分にとって意味ある情報に転換することが可能である。

それともう1つ、「どうしても納得できないことは、捨て去ること」。

相手の言わんとする内容をよく咀嚼して、思い当たることがあるのかないのか、胸に手を当てて考える。

それでも、何も出てこなければ、いったん捨て去るのが得策である。

第3章のまとめチャレンジ目標のDoとは、目標達成手段をやり切ること。

・年度レベルの目標達成手段をより短期の目標に置き換えて、「小さなPDS(Plan→Do→See)」をグルグルと回すことである。

小さなPDSをきちんとやり切るための原動力は、働く人々のヤル気である。

メンバーのヤル気の喚起には、「外発的動機づけ」と「内発的動機づけ」の2つが有効である。

・外発的動機づけとは、他者から与えられるアメとムチによるヤル気の喚起である。

・内発的動機づけとは、納得感や責任感の醸成、あるいは仕事の面白さや自己成長の手応えの実感などである。

・内発的動機づけによる意欲的、かつ自律的な行動をセルフ・コントロールと呼ぶ。

Doの場面における内発的動機づけの中心は、仕事の面白さの実感だ。

・究極の仕事の面白さは、「フロー」を体験することである。

フローの状態は、チャレンジ目標の達成に本気になって取り組む以外には訪れない。

・しかし、難度の高い目標の達成活動は苦しさが伴う修羅場であり、踏み込みを躊躇する人も稀ではない。

・そういう人には、リーダーによる修羅場へのひと引っ張りが必要だ。

リーダーが「ともにハッピー」と「Y理論」のスタンスを身につけていなければ、ひと引っ張りはノルマ管理になってしまう。

リーダーは365日、ありとあらゆる場面において以下の3つのコミュニケーションを図ること。

・問題創造・問題解決のコミュニケーション・志のコミュニケーション・人間関係円滑化のコミュニケーションDoの場面でも、メンバーのチャレンジ目標に対する納得感や責任感の持続が必要だ。

・小さなPDSを回すうちに何らかの達成手段が手に入り、「達成できそうだ」という納得感が強くなる。

・責任感の醸成には、仕事ぶりのフィードバックが必須である。

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