神社とはどういう場所なのか、みなさんどこまでご存じでしょうか。いきなり結論から言うと、「あの世の私」と「この世の私」の情報共有の場なのです。
「は〜?」と思っていただけたならば、幸いです(笑)。
同じプロジェクトのメンバーは、お互いの状況や考えを共有するために定期的に会議をしますよね。それと同じです。
「私の人生」という名のプロジェクトを成功させるために、あの世の私と出会い、あれやこれやを共有できる場なのです。
日本神道にそのような教えが伝わっているわけではないので、神社の人に「この本にそう書いてあったのですけど、本当ですか?」って聞かないでくださいね。
「はあ?」ってなりますから。でもそういう仕組みになっているのです。
つぎの図を見てください。
神社の基本的なつくりです。どこの神社もこんな構造です。
鳥居があり、参道があり、参道をすすむと、みなさんが参拝する拝殿と、その奥に神さまのご神体がある本殿にたどりつきます。
拝殿と本殿が一緒の神社も多いです。ご神体の多くは「鏡」です。鏡であることが、じつは深い意味をもっています。そして参道とは産道です。
どちらも「さんどう」と読みますが、日本の古い言葉は、漢字よりも「読みがな」にポイントがあります。参道は産道。
お母さんから赤ちゃんが生まれるあの産道ですね。
もし参道が産道だとすると、拝殿へ向かうことは生まれる前の自分に戻ることになります。参道が産道なら、本殿は子宮です。女性は神社を体内にかかえているわけですね。
だから日本神道の最高神は女神で、沖縄では女性が神事を担当するのです。そして「鏡」があります。鏡にうつるのは誰でしょうか。あなたが日常で使っている鏡を思い浮かべてください。
鏡にうつるのはあなた自身の姿ですね。ご神体の鏡にうつるのは「生まれる前の私」です。産道をたどることで、生まれる前の自分に戻り、そしてその姿を鏡にうつす。
これが神社という宗教の本質です。神社の神さまは「あの世の私」なのです。
あれ、神さまは宇宙人とか死んだ偉い人ではなかったっけ? と思われるでしょうか。たとえば東照宮の神さまは、神としての徳川家康ではなくて、生まれる前の自分なのでしょうか? これは NOです。
ちょっとややこしいですが、こういうことです。
・鏡 =ご神体 =神社のご祭神(例:東照宮なら神としての徳川家康)・鏡にうつる私 =あの世の私 =神としての私 つまり、神社のご神体はスクリーンのようなものだと思ってください。
参拝者は、その神さまスクリーンを通して、拝殿であの世の私と対面するわけです。神社のご祭神の役割は、鏡として「あの世の私」と「この世の私」をつなぐことなのです。
そのためには、「営業」もします。神さまの世界でも営業ってあるのですね(笑)。
風に乗って水の流れをつたって、僕が見たようなシャボン玉のような透明ななにかになって、他人の口やマスメディアの力を借りて、「神社に会いに来てよ〜」「来ないならこっちから行っちゃうよ〜」と誘いをかけます。
神社に親しみすぎて不思議なことに敏感になった人の中には、神さまからのお誘いに気づいて、「あ! 私 ◯◯神社に呼ばれてる!」という感覚をおぼえることも。
そして誘いに乗って神社に足を運ぶと、ご神体を通して「あの世の私」と対面し、あの世で決めてきた「この世での使命」を無意識に再確認するのです。
あくまで「無意識に」ですよ。意識すると自然に振る舞えなくなるからです。これ恋愛と一緒(笑)。
神社全体が、あの世とこの世をつなぐ場なのですね。鳥居の外はこの世、鳥居の内があの世です。
「あの世の私ってなに?」と思われるかもしれませんね。生まれる前に私はどこにいたのか? そもそもあの世の私が存在しているのか? もちろん存在しています。神さまは人間がつくったエネルギー体でしたね。
「意思と目的をもった知的生命体」です。そして神さまは人間の創造物でもありました。人間がなにかに名前をつけて祈ると、神さまとよばれるスピリットが誕生すると。
もう、おわかりじゃないでしょうか。
親がその存在を認識した瞬間に、あなたというスピリットが創造されます。これが生まれる前の「あの世の私」であり「神としての私」です。
物理的な生命としての誕生は、出産か受精した瞬間でしょうか。しかしスピリットとしては、あなたという存在に誰かがはじめて気づいたときに誕生したのでした。
だから自分の存在を無視されると、スピリットレベルで苦しむのです。拝殿でお祈りするまでに、神社はさまざまなしかけで参拝客の「罪・けがれ」をキレイにします。
これを「祓い」といいます。スピリットのおそうじです。おそうじで、不要なものを捨て、収納を整理することで、空きスペースができますよね。
それと同じです。とにかく祓って祓って、祓いまくります。おさいせんも払いますね(笑)。冗談のように書きましたが、おさいせんも祓いのしかけのひとつです。
日本の言葉は、漢字よりも「読みがな」にポイントがあるとさきほどお話ししましたね。祓うことでスキマをつくります。祓って祓って神さま(あの世の私)からの情報をしまう空きスペースをつくるのです。
スキマがあることで、「あの世の私」と「この世の私」が、人生の使命を達成するための情報をスムーズに共有できます。
「祈り」とは「祓い」なのです。神社とは、あの世とこの世をつなぐ場であり、祓いの仕組みでした。では、その神社にいったい年に何回参拝すればいいでしょうか。
さきに紹介した楽天リサーチさんで僕が収集したデータを見ると、「幸福度」を高めるには、年 2回以上がよいようです。
ただ、本書を読んだ方は、神社に参拝する意識が、読む前とはだいぶ変わっているでしょう。ですから、ここで僕は「年 3回以上の参拝」をおすすめします。なぜ年 3回なのか。
それは「年 1回はひとりで参拝し、年 1回は家族で参拝し、年 1回はとくに大事な仲間と参拝してほしい」からです。
仲間の多い方は、 4回、 5回と行くことになるでしょう。
まずひとりで参拝してほしいのは、神社は「自分と向き合うには最適の場」だからです。心静かにひとりで参拝することで、あの世の私と心ゆくまで交流することができます。
家族や職場の一員である前に、私たちはひとりの人間です。自分が「自立」したうえでの家族と仕事でしょう。その「自立した私」の時間をもつことが、幸せに生きるための大切な土台になります。
神社はあなたの自立をしっかりと支えてくれるでしょう。つぎに家族や仲間との参拝です。大切な人たちと一緒に参拝することで、お互いのきずなが深まります。
神社は、私たちの祈りをためて共有する「祈りの集合体」です。神さまを通じて、日本の人々は魂の深い部分を共有してきました。家族や仲間と一緒に参拝することで、そんな言葉にできない見えない部分を、お互いに共有することができます。
一緒に参拝することで、お互いの集合意識を共有できるのです。親しい人同士でも、言葉にできないことはあるでしょう。親しいからこそ言いにくいこともある。
でも、そんな思いも神社に一緒に参拝することで、神さまが間に立って、うまくやってくれます(笑)。
そうやって、大事な人とのきずなを深めていく。これも縁結びですね。仲間といってもいろいろあります。
職場の人たちも仲間だし、学生時代の友達、目的を同じくする同志なども当てはまります。きずなを深めたい仲間とはぜひ参拝してください。
仲間が多いと参拝回数も増えますが、多い分には害はありません。さらに家族や自分の人生の節目のときもあるでしょう。
そういう「ここぞ!」というときも、ぜひ参拝して決意表明してください。
神さまが後押ししてくれますよ。神さまってあの世の私でもあるのでしょ ⋯⋯? はい、自分にも感謝しましょうね(笑)。
さて、ここでみなさまに重大なお知らせがあります。それは ⋯⋯神さまは「ひいき」します。はい。するのです。あの子は歓迎だけど、この子はそうでもないみたいな。あ、うらまれる心配はないのでご安心を。基本、「愛と情け」の存在ですから。守ってくれるし、志も高いです。
バチがあたるとか、怒られるとか、妄想する人もいらっしゃいますが、大丈夫。信長みたいに神社を燃やすと、わかりませんが(汗)。
でも、愛情の深さには差があります。こいつは応援しがいがある、と思えばたくさん応援してくれます。神さまにも感情があり、生きる目的があるからです。
「え? あの世の私にもひいきされるの??」 はい。「神社のご祭神」と「あの世の私」、両方とも「ひいき」します。「あの世の私」がひいきする基準は「スキマ」です。
魂の空きスペースがどれだけあるのか、「あの世の私」にどれだけ意識が向いているのか。「あの世の私」からのひいきの度合いは、「この世の私」と「あの世の私」のシンクロ率だと思ってください。
シンクロしていればいるほど、この世の私の行動は、生まれてきた使命・目的にそっているわけですから、「確信」をもって人生を送れます。
理屈や根拠ぬきに、「これでいいのだ!」と思える絶対的な自信です。一方、神社のご祭神にはどうすれば「ひいき」されるか? それは「知る」ことです。
「知る」 →「愛する」 →「貢献する」 →「パフォーマンスが向上する」。この原因と結果のプロセスが、当てはまります。愛が生まれる原因は「知る」でしたね。
神さまに愛されるには、神さまを知ることです。知ると知られます。知れば知るほど神さまに愛情がわいてきます。あなたも神さまに愛されます。
知ると知られる。愛すると愛される。ポジティブな感情をいだけば、ポジティブな反応が返ってきます。人間関係だと、嫌うと嫌われるといったネガティブな感情と反応のセットもありますが、神さまにそれはありません。
ポジティブなセットだけ。ネガティブな感情は、罪・けがれとして祓いの対象となり、神社でおそうじされてしまいます。だから、ときにはグチや悩みを吐き出しても OK。
「知るって、具体的にどういうこと?」 これは、営業マンが顧客訪問をすることを思い浮かべてください。
当然訪問先がどういう相手なのか調べるでしょう。調べていない人は相手にされません。神社への参拝も同じことです。
これからどういう神社に参拝しようとしているのか。場所はどこで、お祭りされている神さまは誰で、いつの時代に建てられ、どのような出来事があったのか。
ゆかりのある人は誰で、どういった人が参拝しているのか。どの神社にも歴史があります。また神社は土地の守り神として地域密着型の経営です。ですから周辺の地域について知るのもよいでしょう。
たとえば東京の「渋谷の神さま」といえば、金王八幡宮です。
渋谷の地名は、この地を支配した武士が、堀河天皇から「渋谷」という姓をたまわったことに由来します。その渋谷家の代々の守り神が金王八幡宮でした。渋谷で長い時間をすごす人は、この神社に行くことです。
いやマジですよ? 神社は人々の祈りの集合体です。それも生きている人の祈りだけではありません。神社が建てられて以来、これまで祈り支えてきた人々の思いが積み重なっています。
この積み重なった祈りを集合意識といいます。歴史を知ることは、この神社の集合意識を知ることです。そのうえでお祈りすると、自分もその集合意識の一部になります。
その神社の仲間になれるわけですね。ですから、歴史をかんたんにでも知っていると、参拝したときの「神の風」の吹きぐあいが全然違いますよ。
神社の歴史を知ることは、昔の人々と、見えない次元で思いを共有することなのです。
歴史を知るといっても、なにもたくさん予習をしていけとはいいません。神社に行けばその由来がどこかに書かれています。それをざっと読めばいいでしょう。
神社検定を受けるわけではありませんから、暗記はしなくともいいです。
さきに紹介した麻生太郎元・総理大臣(現・副総理)も、小樽の龍宮神社は、榎本武揚が建てたということを知ったうえで参拝し、そして総理大臣になりました。
徳川家康は諏訪大社をあつく信仰してきた人たちを大事にあつかいました。神社を建てた人も、あつく信仰してきた人たちも、神社の神さまの大いなる一部だからです。彼らの祈りが、神さまそのものだからです。
「神さまにひいきされる」というと、その神さまだけを意識するかもしれませんが、そうではないということです。その神さまに祈りをささげてきた人々に思いを寄せることが、神さまにひいきされる秘けつです。
子どもに親切にすると、親から感謝されるみたいなものです。このことを応用して、僕自身ひとつ心がけていることがあります。
それは「はじめて行く神社は、地元の人と行く」ということ。可能であれば、です。やっぱり地元っ子って、その土地の神さまに愛されているのですよ。
とくにひいきされているわけですね。それにあやかるわけじゃありませんが、その地元の人と仲良くすると、その土地の神さまとも仲良くなりやすいのです。
だから、「神社は地元の人と行け」と。もちろんみなさんそれぞれに地元の神社があります。いま住んでいる場所、生まれた場所、長年通った学校や勤務先のある場所、それぞれに神社があるでしょう。
そんな地理的にご縁の深い神社は、きっとあなたを、よそ者よりもひいきにしてくれますよ。
成功とは「功を成すこと」。神社は人々の成功を応援してくれます。しかし万能ではありません。得意分野があるのですね。その得意分野を「ご神徳」といいます。
人々から見れば、神さまが与えてくれる「ご利益」であり、神さまから見ればおのれの使命です。
たとえば天満宮の「天神さま」は学問の神として、「学問の発展」「学業の成就」を使命とします。この「ご神徳」がどのようにして生まれるのかを理解することが、成功のカギです。ご神徳は「挫折」と「後悔」から生まれます。
たとえば静岡県の秋葉山に祭られる火の神さまカグツチは、「火伏せ」といって火災を防ぐご神徳があります。
火事を防いだことでもあるのかと思いきや、神話ではなんと、生まれたときに母神イザナミに火傷をおわせて、それがもとでイザナミは死んでしまいます。
火を生んだため、大事なところがえらいことになったわけです。で、怒った父神イザナギに剣で首をはねられ、カグツチ死亡(泣)。自分のせいで母を死なせ、そして父に殺される。これでもかというくらい、厄災にあっているカグツチです。
そしてイザナミがカグツチを産んだとされる場所(三重県熊野市)には「産田神社」があり、母神イザナミが祭られているのですが、そこのご神徳は「安産」 ⋯⋯。
ぶ、ぶじに産まれたといっていいのでしょうか(汗)。まだまだ例はあります。織田信長に焼かれ、徳川家康が再建した「諏訪大社」です。
こちらは日本一の軍神として、名将・武田信玄も合戦のたびに戦勝祈願をしました。
そんな諏訪大社の神さま・タケミナカタノカミは、はたしてどんなヒーローだったのかというと、はい、もう想像できますね。「惨敗」しています。これでもかというほど徹底的に負けました。
『古事記』の中で、国ゆずりの神話というのがありまして、鹿島神宮・春日大社などに祭られる神さま・タケミカヅチが、日本を支配するオオクニヌシノミコトに「おまえの国をゆずれ(アマテラスの子に差し出せ)」とせまる場面があります。
はい、そうですかとはなりません。オオクニヌシの息子のひとりであったタケミナカタは、タケミカヅチと力比べをしました。その結果どうなったか。両腕を引きちぎられ投げ飛ばされてしまいます(泣)。
そして諏訪湖まで追いつめられ殺されかけたところ、「この地から出ない」「おとなしく従う」「国はアマテラスオオミカミの子に献上する」と約束して、諏訪大社の神さまになりました。
『キン肉マン』(ゆでたまご著/集英社)でいえば、スペシャルマンさんやカナディアンマンさんのようなやられっぷりです(わからない人すみません)。
「どこが軍神やねん!」とツッコミを入れたくなりますが、日本神道では、だからこそ神さまなのです。ご神徳は「挫折」と「後悔」から生まれると書きました。挫折してさんざんな目にあい、そしてこう願います。
「のちの人たちには自分と同じ目にあってほしくない!」 そう深く後悔する心が「神さまの徳」です。人間でもありますよね。
「私はこんな苦労をした。だからあなたにはそんな苦労をさせません」と、なにかの職業についたり、事業をはじめたりする人たちが。
これはまさしく、ご神徳と同じことです。あなたはどんな挫折や後悔をかかえていますか? それが成功のカギです。
あなたと同じ思いをもった神さまを見つけて祈ってください。神さまの使命は、自分が味わった不幸や災難から人々を守ることです。
人間の立場としては、まず「守ってもらいたい」と思ってしまいますね。しかし「成功したい」のであれば、守ってもらうだけでなく、他者を守る側にまわることが必要になってきます。
他者を守るということは、神さまと使命を同じくするということ。神さまを自分のスキマの中に招き入れて、使命を共有しましょう。
神さまがどんな使命をもっているか。それを知る手がかりが、「ご神徳」であり「ご利益」でした。
さあ、あなたはどんな使命をおもちでしょうか。
神さまとその「お志」を共有してください。必ず応援してくれますよ。神社といえばパワースポットというイメージをおもちの方も多いでしょう。
その通りです。神社の多くはパワースポットです。ではパワースポットとはなんなのか? パワースポットとは「異次元の自分に変身する場所」です。
異次元の自分に導く通路といってもいいですね。「変身」は「成長」とは違います。「成長」はなにかの課題を解決したり克服したりすること。
宗教っぽくいえばカルマの解消ですね。神社で神さまと使命を共有したうえで、現実世界で地道に少しずつ変化していくのが成長です。
一方、パワースポットでの変身は、仮面ライダーやプリキュアのようなもの。もちろん服装や外見が変わるわけではありません。ただ目に見えない自身のエネルギー体が、ガラッと変わります。
光り輝くような、スキッとすみわたるような感じで、気力も充電されます。目の輝きや肌つやもよくなるので、美容にもいいです。
そのパワースポットが神社のどこにあるのかというと、じつは目印があります。それは「境界」です。パワースポットは境界(ボーダー)に生じます。
ここでいう境界とは、ある次元と別次元の境目です。境界の具体例をあげましょう。
まず入口の鳥居です。入口が門の場合は門です。神社の入口は、「あの世とこの世」の境界を象徴しています。
鳥居や門の下をくぐって入るときは、次元をまたいでいるのですよ! だからおしゃべりとかしながら、無意識に通りすぎるのはもったいないです。
鳥居や門の下にある境界線の前で一度立ち止まり、一回おじぎをしてから入ってください。違う次元に入るぞ、と心をひきしめてくぐるわけです。「お、なんか中と外で感覚が違う」と気づいたらしめたもの。
これであなたもパワースポット探知機の仲間入りです(笑)。この感覚の違いに気づくと、あなたのエネルギー体も変身していきます。
「気づかないと変身しないの?」と問われそうですが、気づいた方がより効果的です。なぜなら、気づくとエネルギーの交流が起こるからです。
「あの世とこの世」の境界でもうひとつ代表的なのは「川」です。神社の境内にある川は、渡るとやはり違う次元に行くことが多いです。
たとえば原宿の明治神宮にも川がありますが、橋の上はパワースポットですね。
水のエネルギー、とくに川や海や滝のように流れのある水には強力な「祓い」の効果があります。川にかかる橋の上を渡るだけで、心身の「つまり」や「とどこおり」がさっぱりして気持ちいいです。
川ではなく海が境界になっている神社もありますが、これはもう「超強力」です。湘南の江の島や愛知県蒲郡の竹島は、島内に神社がありますが、入口の鳥居をくぐるまでに、海にかかる長い橋を渡ります。
この橋が最高です! とくに蒲郡の竹島は海がキレイなのもあって、橋を渡るだけで次元を 3回は越えます。島内の八百富神社は金運で知られますし、八大龍神社は龍神のすみかです。僕は風水はまったくわかりません。
ただ龍神の居場所が風水でいう龍穴ならば、竹島の八大龍神社はまさしく龍穴です。竹島には関ヶ原の合戦前に徳川家康が訪れ、皇族の方々も多数訪れています。
ここは穴場ですよ! 海岸や山の頂上もわかりやすい境界です。山の頂上には神社の奥宮(奥社)がよくありますよね。海岸はもちろん海と陸の境界ですし、山の頂上は空と陸の境界です。
「誰にでもわかるパワースポット」といってもいいくらい、どちらにも多くの人が特別な気持ちよさを感じたことがあるのではないでしょうか。
境界といえば、大きな木や岩も境界であることが多いです。日本には「万物に神が宿る」という考え方がありますが、中でも木と石は神の魂が宿りやすいとされます。
そのため神社では、大きな木や巨大な石・岩には注連縄をはって「ご神体」として崇めることがあります。伊勢神宮や長野の戸隠神社・奥社はそんな「ご神木」だらけですし、群馬の榛名神社は巨大な岩に圧倒されます。
鹿島神宮・香取神宮の要石や宮崎の高千穂神社の鎮石も有名ですね。こうした神宿る木や石・岩は、神と人との境界です。神社のご神体は本殿の中にあって、普段あまり近づくことはできません。
それだけに、こうした神宿る木、石・岩は、間近に見たり、物によっては直接さわったりもできるだけに、たいへん貴重なパワースポットです。神社といえば、お参りの前に手を洗いますね。
手だけでなく、音を立てずに口をゆすぎもします。これも「祓い」です。祝詞で「はらいたまえ きよめたまえ」と言うように、水で物理的にも祓い清めるのです。
本来は「みそぎ」といって、神さまに会う前には全身を水で清めるのがよいとされています。しかしそれでは手間がかかるので、簡略化しているのです。
『古事記』をひもとくと、「みそぎ」の由来は、イザナミとともに日本列島を創造したイザナギが、黄泉の国(死者の世界)に行って「けがれを見た」と感じて、川で「みそぎ祓い」をしたことにあります。
裸になって川にもぐり、水の底、水の中、水の上で身体を清めました。その結果、アマテラスやスサノオなど多くの神々が生まれています。「けがれ」とは「汚れ」ではなく、「気枯れ」。
心の深いところで気力がなえて元気のない状態です。ちょっと疲れたというレベルではありません。みそぎをすることで、イザナギは元気を回復し、さまざまな神さまを生み出したという神話です。
じつはこの神話は科学的な意味づけができます。
『その科学があなたを変える』(リチャード・ワイズマン著/文藝春秋)によると、「いくつかの実験結果によると、不道徳な行為をしたあとで除菌効果のあるハンドソープで手を洗った人は、そうしなかった人に比べ、罪の意識がかなり軽くなっていた」のです。
手を洗うと罪悪感が減るのです。神社の祓いとは罪・けがれをとりのぞくこと。神社で手を洗うという行為は、科学的な意味においても、罪の意識をとりのぞくことにつながります。
さらにスピリチュアルな視点を加えると、手を洗うのは、皮ふの汚れを落とすだけでなく、皮ふの周り数センチをとりまくエーテル体を洗い清めるという意味もあります。
「エーテル体? なんじゃそら?」と言う方もいると思います。これは、人間には肉体だけでなく霊体もあるという前提に立っています(くわしくは 315ページ)。
肉体の周辺が厚さ数センチの層におおわれているのを想像してください。この数センチがエーテル体です。肉体が体力をつかさどるのに対し、エーテル体は気力をつかさどります。
手のひらを肉体に注意深く近づけていくと、皮ふから 5センチ位のところで感覚が変わります。密度が濃くなる感じですね。これはその人のエーテル体、すなわち「気」を感じているのです。
「けがれ」とは「気枯れ」だと書きました。けっして肉体の汚れや疲れではありません。「みそぎ祓い」とは、正確には、このエーテル体に水のエネルギーをそそぎ込むことで、気力を充電しているのです。
神社で手と口をきよめるのは、手と口が「気」の入口と出口だからです。口は「呼気・吸気」(息)の入口と出口ですから、わかりやすいですね。じつは手も気の入口と出口です。左手が気の入口で、右手が気の出口です。
合掌すると、右手から出た気が左手に入り、エーテル体の中で気が循環します。循環すると、乱れた気のバランスがおのずと整ってきます。
神社仏閣の外でも、たまに合掌してみるといいですよ。
心が落ち着きます。口の場合も、目的は「気」の補給です。口内の汚れを落とすのであれば、歯をみがいたり強くうがいをしたりしなければいけません。
しかし目的は「気」の補給ですから、水を口にふくみ、そっとそそぎ落とすだけでよいのです。
口にふくむことでエーテル体に神社のエネルギーでいっぱいの水のエネルギーが補給され、そそぎ落とすことで不要なエネルギーは水に溶けて出ていきます。
「気」は水に溶ける特徴があり、だからこそ、水はみそぎ祓いに効果的です。神社によっては、手を洗う場所の水が涸れていたり、汚れていたりするときがあります。
そもそもそんな場所がない場合もありますね。そういうときは、両手をこすり合わせ何度かパパンと音を立てて祓ってください。見えない汚れを払い落とす感じです。
口も、何度かシュッシュッと腹式呼吸で息を吐き出すといいでしょう。これでエーテル体のかんたんなみそぎ祓いができます。
神社のエネルギーをよく取り入れられる参道の歩き方があります。
ウォーキングの講師とかではないのですが、足裏を通してエネルギーの出し入れをすると、力がみなぎってきますよ。
具体的には、左足で吸って、右足で吐きます。左足でエネルギーを受けとり、右足でエネルギーを与える感覚でもいいです。
大地の奥深くから左足裏を通ってエネルギーが上がってきます。そして、おへその指 2本分下にあるといわれる丹田付近に到達すると、今度は丹田から右足をつたってエネルギーが下りていき、右足裏を通って大地の奥深くにエネルギーが出ていきます。
このように足裏で呼吸するように、大地と丹田の間で、エネルギーを循環させると、大地のエネルギーを自分に取り込むことができます。
歩きながらだと難しいと思ったら、たまに立ち止まって「気の体操」をするような感覚でやってみてください。
腹の下に熱いエネルギーが入ってきて、元気になりますよ! とくに「人混みに出ると疲れやすい」人には、この足裏呼吸をおすすめします。
これをやると丹田が活性化するのですが、そうすると「気のバリア」がしっかりして、他人の気が侵入してくるのを防ぐパワーがつきます。
人混みが疲れる人は、他人の気が自分の気に侵入してきて、疲れた気分とかネガティブな思いが、風邪のウイルスのように伝染しているのですよね。
でも丹田がパワーアップすると、気の侵入をバッチリ防ぐことができます。ちなみに、モテたい人にもおすすめかな(笑)。
大地のパワーは、モテにも効果アリです! 神社の参道で、もうひとつお伝えしたいことがあります。それは玉砂利の効果です。
伊勢神宮や明治神宮など、大きな神社ではたいてい参道に玉砂利がしきつめられています。あれ、ぶっちゃけ歩きにくいですよね(苦笑)。
でもちゃんと意味はあります。じつは、あの玉砂利が邪気を落としてくれるのですね。ただ歩くだけで祓いになるのです。
明治神宮のホームページを見ると、玉砂利の玉は「たましい(魂)」「みたま(御霊)」の「たま(霊)」と同じ意味と、「玉の声」「玉のような赤ちゃん」というように「美しい」「宝石」「大切なもの」という意味もあるそうです。
御霊のこもった宝石のように美しい小石ということですね。そんな石の上を歩かせていただけるのですから、ありがたいことです。
神社は自然の豊かさも魅力のひとつですね。
これをいかさない手はありません! グーグルやアップル、インテルなど有名なグローバル企業で、マインドフルネスとよばれる瞑想プログラムが流行しています。
ただ目を閉じて呼吸に意識を向けるだけのシンプルな瞑想ですが、ストレスの軽減や創造性の向上、チームワークの発揮、健康増進などに役立つと注目されています。
「マインド( mind)がフル( full)になる」とは、いまこの瞬間に意識が集中することで、余計なことを考えなくなり、心が穏やかに満たされていくプロセスです。
神社の参拝でも同じようなことが可能になります。神社は自然が豊かで、ただいるだけで心が落ち着きますから、瞑想にはうってつけの環境です。
明治神宮は宝物殿の手前に広大な公園のような芝生があるのですが、そこで座って瞑想している方をけっこう見かけます。
とはいえ、そんな座って目をつむって瞑想できる場所はなかなかないですから、ここでは「歩きながらできるシンプルな瞑想法」をお伝えします。
歩きながらできるシンプルな瞑想法 ①息を吸うとき、「全身から自然のよい気が流れ込んできて、丹田を中心に身体全体に自然の気がみたされる」とイメージします。
②息を吐くとき、「体内の気が、全身の皮ふを通して外に広がっていく」とイメージします。これは僕がレイキヒーリングという癒やしのテクニックで教わった呼吸法です。
全身から気を取り込み、そして全身から気を外に放ちます。この呼吸法を続けると、あたかも全身の皮ふで呼吸しているかのような感覚になります。
神社のような「気」のよい場所で行なうと、とくに気持ちがよい方法です。神社は、手を洗ったり、玉砂利の上を歩いたりと、祓い清める仕組みが自然とあります。
そこに、こうした瞑想法を使うことで、祓い清める効果はさらに倍増するでしょう。
もうひとつ、神社でマインドフルな気分になる日本神道の祝詞をお伝えします。それは「六根清浄」です。もともとは仏教用語ですが、神道でも広まりました。
歩きながら、シンプルに「ろっこんしょうじょう ろっこんしょうじょう」と唱えつづけます。周りに人がいるときは、心の中で唱えましょうね。山道を歩くときなどは、声に出してもいいですね。
このシンプルにただ唱えるだけの祝詞には、じつは大きな意味があります。
六根とは、眼、耳、鼻、舌、身、意(こころ =顕在意識)なのですが、この六根が清浄ならば「願いごとはすべてかなう」とされています。
六根清浄を唱えれば、究極の自然体になり、かなうことしか願わなくなるのです。
非常にシンプルな方法なので、普段から「ろっこんしょうじょう ろっこんしょうじょう」と唱えながら歩いたり、家事をしたりしてはどうでしょうか。
「そんな単純な方法でなにが変わるの?」と思う方もいるかもしれませんが、じつは「単純な方法だからこそ」効果があるのです。
それは「フロー状態」になりやすくなるからです。「ゾーン」に入るともいいます。フロー状態とは、自分の心が 100%、いま取り組んでいることにフォーカスしていることです。
心がいまに 100%フォーカスすると、時間の流れを忘れ、なんともいえない幸福感や高揚感を味わい、能力も向上します。
単純作業に没頭すると、フロー状態になりやすくなります。大量の皿洗いや、オートメーションの職工など、なにも考えずに自動的に作業しつづけると、フローに入りやすいのです。
「六根清浄」のようなシンプルな祝詞を唱えながら山歩きなどすると、単純作業に没頭するのと同じような心理状態になり、やはりフローに入りやすくなります。単純だからこそ入りやすくなるのですね。
「仏教が好き!」という方であれば、「南無妙法蓮華経」を代わりに唱えてもいいですよ。
蓮華(ハスの花)は花と実が同時になることから、原因と結果が同時に起こる、つまり「『願いは瞬時にかなう』妙法(法則)を私は信じます」という意味です。
六根清浄の祝詞とかなり似ていますね。神社に行くと、けっこう木に抱きついたり、べったりさわったりしている方いますよね。
そういうの見ると、「ふっ、素人だな」と思ってしまいます(すみません!)。
たぶんパワーをもらいたい! みたいな目的だと思うのですが、プロとしてはやっぱりちゃんとコツを伝えたい! ポイントは2つあるのです。
・与え合って「循環の流れ」をつくる
・エーテル体にふれる
つぎの図を見てください。
参道の足裏呼吸と似ているなあと思われた方、正解です!
基本は同じで、左手でエネルギーを受けとり、右手でエネルギーを与えます。そうすると、木と自分のエネルギーが循環して、お互いパワーアップします。
違いもあります。
足裏呼吸の場合は、へその指 2本分下にある丹田を中心に、大地と交流しました。一方、木と交流する場合、中心になるのは胸の中心、ハートです。
手と木の間は、数センチあけてください。木もエーテル体があります。木のエーテル体にふれることで、お互いの霊体がハグし合います。
人間は肉体をもっていますから、べたっと肉体でハグしたくなりますが、霊的なパワーを活性化するには、霊体でハグし合うのがいいですね。
エーテル体の感覚がわかってくると、新しい世界が開けますよ。肉体でべたっとさわるのではなく、ふれるかふれないか、さわらずにさわる感じで、そっと手を近づけると、それがあると気づくでしょう。
水のエネルギーでわかりやすいのは、明治神宮の「清正井」です。加藤清正が自ら掘ったという伝説がある湧き水の井戸です。
警備員さんが見張っていてものものしい雰囲気ですが、水のエネルギーが井戸から上空へ 1本の柱のようにのびています! このエネルギーの柱にふれてみましょう。
木だけでなく、水や石・岩のエーテル体も意識してふれてみましょう。石だと、さきほどお話しした鹿島神宮・香取神宮の要石が有名です。
「大地のもっとも深い部分から生えている」「地震を起こす大なまずを押さえている」「鹿島神宮の要石は地中の大なまずの頭、香取神宮の要石は尾を押さえている」「徳川光圀は、(要石を掘り出すべく) 7日 7晩掘りつづけさせたが、底には達しなかった」など不思議な伝説のあるところです。
この要石がつながっている「大地のもっとも深い部分」を地球のコア(核)といいます。この地球のコアを媒介に、要石と自分のエネルギーを交換する方法があります。
これをやると、大地からぐわ〜っと強力なエネルギーがわきあがってきて、見えない温泉にでもつかっているような気分になります。
やり方はすごく単純です。要石の周辺で、手のひらを下にして両手を突き出します。
以上(笑)。
正面でやると他の参拝客に迷惑なので、ちょっと離れたところでやります。この地球のコアには要石がバッチリつながっていまして、図のように要石と自分とのエネルギーが交流・循環します。
手を差し出すと、上空から手の甲を通過して、見えないエネルギーが下りていきます。そして地中の奥深くにどんどん下りていって、地球のコアに到達します。
すると今度は地球のコアからエネルギーが上がってきて、で、まるで温泉につかったように自分の身体が熱に包まれます。
これをやると、額のあたりにある第 3の目(第 6チャクラ)が活性化して、洞察力やインスピレーションが発達してきます。
第六感をきたえたい方、要石おすすめです!
さて、いよいよ祈りのメインディッシュ(!?)お願いごとです。拝殿と呼ばれる祈りの場所で、おさいせんを入れて参拝客は祈ります。お作法はすでにお伝えした通りですが、祈りの効果について、もっとふみこみましょう。
神社に行けば成功するぜという本だから、きっと「願えば、なんでもかなう」と言うんだろうな、と予想されているかもしれません。
いやー、かなり違います(汗)。
神さまへの願いごととは、「愛の告白」なのです。あ、たとえていうならです。たとえていうなら、恋愛の告白なのですね。「スキです、付き合ってください!(ドキドキ)」 これ、絶対かなうのでしょうか? ちょっと違いますよね。
かなうかもしれないし、断られるかもしれない。
でも、告白する前とは大きな変化が出ます。それは白黒をつけられるということ。付き合えるのか、付き合えないのか、結果がはっきり出ます。これが神社でお願いすることの直接的な効果です。
祈りは、もともとは「意(い)宣(の)り」。意思を宣言する行為でした。神社でのお願いごとも、自分の意思を宣言することを意味します。恋愛の告白やプロポーズも、相手に意思を宣言する行為ですよね。同じことです。
「いや、相手いないんですけど ー」 恋愛・結婚を希望する方がたくさん神社に訪れますよね。
これは「恋愛・結婚という人間関係を通じて、私は幸せになります!(だからご縁をよろしく)」と神さまに宣言しているわけですよね。
なので、本気の人はどうぞお参りください。
白黒つけましょ! ⋯⋯ってほとんどおどしですね(すみません・汗)。
これだと参拝する人がかえって減りそうなので、差しさわりがあるかと思い当初は書くつもりはなかったのですが、神社で願望を実現するためのストレートなコツを書いちゃいますね。
たとえば恋愛系の縁結びをしたい方には、湘南の江島神社をおすすめします。理由の方が大切なので、よく確認してくださいね。理由はカップルや家族連れだらけだからです。
神社は人々の祈りの集合体でした。神社にお参りすることで、自分もその集合意識の一部になるのでしたね。
ということは、「希望をすでにかなえている人たち」が行く神社に参拝した方がいいのです。希望をかなえた人たちの集合意識の一部になることで、成功者マインドが勝手に身につくからです。
だから恋愛系の縁結びは江島神社なのですね。もちろん拒否権はあるのでご安心を。カップルたちを見て「いやだな〜」とネガティブに思ったら縁は結ばれませんから。
同様に、国会議員になりたければ、首相官邸の近くにある日枝神社に参拝することです。政治の中心地・永田町にあり、ほとんどの国会議員がこちらに参拝しているからです。
もちろん「あんな連中!」と思ったら、議員にはなれません(笑)。
種明かしをひとつすると、箱根の九頭龍神社が縁結びにご利益があるとものすごく人気になりましたが、あそこはもともとビジネスや政治で成功するための神社です。
ただ、そういう人は恋愛や結婚も成就していたので、結果的に縁結びにも効果があったわけです。なので恋のお相手がいなくてお悩みの方は、行くならば「カップルが行く神社ですよ!」。
結婚希望であれば、「ご家族連れが行く神社」に参拝です。これ、ここだけの秘密ですからね。うまくいっている人の集合意識にアクセスすることが成功への近道です。
神社への参拝はそれを可能にします。だから、どんな参拝者がいらしているのか、よく観察しましょう。この人たちは未来のあなたなのですから。
「おさいせんはいくらがいい?」という質問、けっこうされます。
ご縁を結ぶから 5円がいい、十分ご縁があるように 50円がいいとよくいいますよね。おさいせんは、神さまも気になるようです。なにせ神社の経営に直接関係しますからね(笑)。
触覚型の霊能者を名乗る僕ですが、「声」が聞こえることもたまにあります。それは決まって、おさいせんの額でした。
法隆寺を参拝したときのことです。
すみません、お寺です。お寺にも神さまの魂が宿るところがあるので、ごかんべんを〜。国宝・百済観音像をご存じでしょうか。八頭身のすらりと細身の美しい仏像です。
そこでおさいせんをあげようとしたときに、「声」が聞こえたのです。
「500円」(ん ⋯⋯? なんだいまのは?) かがんだ姿勢のまま、百済観音像を見上げました。「おさいせんには 500円を入れなさい」(お、おお ⋯⋯百済観音さまが、おさいせんの額に注文を ⋯⋯。10円じゃダメなのですね) ニッコリ笑顔で、声の通り 500円を入れました。
心なしか百済観音さまの優美なお顔も、よりにこやかに見えます。現金なものですね。聖地にいると、ときどきこうして声が聞こえてくることがあります。
僕の場合は、ほとんどはこうしたユーモラスなやりとりです。おさいせんについては、もうひとつ重要なポイントがあります。
それは「おさいせんに神が宿る」ということです。
木と石は神さまの魂が宿りやすく、しばしばご神体としてあつかわれますが、じつはお金も神さまの魂が宿りやすい代物です。
他には日本酒やお米も宿りやすいです。
都心の奥まった路地で、ビルにはさまれた小さな稲荷神社を訪れたときのことです。
知人が見つけて参拝をしたのですが、おさいせんをあげませんでした。
「おさいせんを」という声が聞こえたので、そこで僕はそっとおさいせんを供えておじぎをしたところ、神さまのエネルギーが風に乗って、そよそよと降りてこられました。おさいせんは神さまが宿る入れ物になったわけです。
よく人が参拝する神社であれば神さまは常時いらっしゃるのですが、ほとんど人の参拝しない神社や神職の方が常駐していない神社では、誰かが呼んでこないといけません。
参拝は神さまをお呼びするトリガーになります。しかしせっかくお呼びしても、宿る場所(よりしろ)がないと、神さまも降りてこられません。そういうときに、おさいせんなどの「お供え物」が役に立つのです。
神さまが宿る場所になるのですから、お供えするときは、「そっと」お渡ししましょう。間違っても投げつけてはいけません。結婚式のご祝儀を渡すような感じで「そっと」「ていねいに」お願いします。
ちなみに 500円玉は、大きいのもあるし、それなりの金額なので「よりしろ」に向いています。1円玉だと、気持ちも重さも軽すぎて「よりしろ」になりにくいのです。
たとえばバレンタインデーのチョコレートでも、ブラックサンダーを渡す(もらう)か、それともゴディバを渡す(もらう)かで、気持ちが違いますよね。
500円玉はゴディバです。ん? 安いですかね(笑)。ちなみに人間同士でも、謝礼やプレゼントをお渡しするときに「気持ちばかりの」という言い方をしますね。
気持ちをものに込めてお渡しすることが大切です。そうすると、そのものに神が宿ります。渡された方も、ありがたく受け取ることで、お互いの運気が上昇します。
おさいせんについてつきつめると、お互いに高め合える人間関係とはなにか? という話にまでいきつきました。なんだか深い話ですよね( ←自分で言うか)。
神社に行きつづけると、だんだん深いご縁を感じる神社や神さまがあらわれてくるものです。いわゆる成功者とよばれる人の多くは「マイ神社」があります。このマイ神社は自分のルーツやそのときの苦境と大きく関わってきます。
プロローグでお話しした出光佐三のマイ神社は宗像大社でしたが、もともと宗像郡(現在の福岡県福津市)の出身で、子どものころからの信仰でした。
いわゆる「産土神」です。産土神は、母親が自分を産んだ当時に住んでいた土地の神さまです。生まれ育った土地の波動は、自分に大きな影響を与えます。
子どものころからなじみのある神社・神さまがそのままマイ神社・マイ神さまになるというのは、ごく自然なことでしょう。
源頼朝が開運した神社は「箱根神社」と「伊豆山神社」でしたが、それは頼朝が罪人として伊豆に流されるという苦境の時代にいたことと関係します。
やはり自分がしんどいときに支えになってくれた神さまというのは、思い入れが深まるものです。頼朝が武士のトップである征夷大将軍になってからも、この 2社は頼朝にとって特別な存在でありつづけました。神さまの方から声をかけてくるケースもあります。
僕の例ですと、大津市の日吉大社で巨大シャボン玉のような透明ななにかから、「こっちこっち」と誘導されて、ついていったら白山宮だったと 1章でお話ししましたね。
で、どんな神さまか確認したら、菊理姫というお名前で、石川県の母校の近くにいたと気づきました。この母校は僕にとっては、勤めていた会社を辞めて、いわばすべてを捨てて進学した思い入れのある大学院でした。
以来、僕にとってのマイ神さまは菊理姫です。戦略的に神社とご縁をつなぐということもできます。たとえば足利尊氏は戦いに敗れて京都を追われ、九州に行きました。ここで宗像大社の支援をえて盛り返します。
もともと尊氏は源氏の流れですから、頼朝のように鎌倉を中心とした関東の神さまパワーは味方にしていました。そこに新たに加わったのが宗像の神さまパワーです。
尊氏と敵対した後醍醐天皇を中心とした勢力は、宗像大社を軽視していました。そのため尊氏は、強力な宗像パワーを味方にすることができたのです。
こうした「いまの権力者が味方にしていない神さまを味方につける」というのは、現代政治でも通用する戦略です。
たとえば最近の総理ですと、小泉純一郎氏と安倍晋三氏は長期政権を築いていますが、 2人とも過去の権力者が味方にしなかった強力な神さまパワーがついています。
小泉純一郎氏の場合は、横須賀の走水神社です。
純一郎氏だけでなく息子の進次郎氏や入れ墨大臣といわれた祖父の又次郎氏、父親の純也氏(元・防衛庁長官)もそうです。
著名な霊能者も絶賛するたいへん強力な神社ですが、しっかり味方につけた中央の権力者は、小泉家が最初でしょう。
安倍晋三氏の場合は、ちょっと変わっていて、本籍地は山口県ですが、ご自分の先祖は東北の俘囚長・安倍氏だと信じていました。
俘囚とは、中央政府に制圧されて従った蝦夷(マムシの未開人)という意味です。
完全な差別用語で、ケガレとして見下されてきた東北の人たちを指します。安倍氏はその親玉でしたが、前九年の役で源氏に滅ぼされてしまいます。その安倍氏が信仰していた神さまが、安倍晋三氏のマイ神さま「アラハバキ」です。
アラハバキは彼ら俘囚の神さまで、そのルーツをたどると、神武東征で神武天皇軍に敗れた大和の豪族・長髄彦もしくはその兄弟にいきつきます。
2人のどちらかが東北に逃げてアラハバキになったといわれています。
このようにアラハバキは神話の時代から中央政府に敗れ・追われ・しいたげられてきた人たちの集合意識を代表する神さまで、当然、中央の権力者とは縁遠いです。
安倍晋三氏が若くして総理になり、さらに一度失脚してから、考えられない復活をとげたのは、正直どう考えても「おかしい」と思います。
そのおかしなことが実現しているのは、安倍晋三氏のマイ神さまがアラハバキだからと僕は考えます。ちなみにご神徳は「挫折」と「後悔」から生まれるのでしたね。
アラハバキは戦いに敗れ追われた、挫折と後悔のかたまりのような神さまです。
安倍総理は、第 1次政権では大きな挫折と後悔を経験しました。だからこそ、 2度目の政権はよりサポートが強力になり、政権運営がうまくいっているとも読みとけるわけです。さあ、あなたはどの神社・神さまと深いご縁を結びますか。
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