シュガー・レイの話を聞いて元気をもらっておいてよかった。この後も、秋の間中ずっと依頼を断られっぱなしだったから。クリスマスの休日を満喫する間もなく時は過ぎ、1月になった。春の新学期の第1週だというのに、夢に描いていた人たちに会える見込みは厳しかった。首席秘書からの電話ある午後、僕はドラッグストアCVSの駐車場に立っていた。灰色の重い雲が頭上に垂れ込めていたが、手にはチョコレート・ブラウニーのアイスクリーム。人生に打ちひしがれたときも、アイスクリームがあるのは救いだ。ポケットの携帯が鳴った。シアトルエリアの市外局番が表示され、僕は目を見開いた。たちまち灰色の雲が割れて、白い光が差し込んできた気分になった。「それで、ビルにインタビューしたいんだって?」相手はビル・ゲイツの首席秘書だった。マイクロソフトのインサイドマンであるステファン・ワイツが、首席秘書と電話で話せるよう手を回してくれたのだ。プライバシーを考慮して、彼の名前は伏せておきたい。僕はミッションのことを話そうとしたが、ステファン・ワイツとチー・ルーから何もかも聞いているから言わなくていい、と止められた。「君のやろうとしていることは支持するよ」と彼は言う。「君の行動力もいいね。同世代の助けになりたいという目的にも賛同するし、応援したい──」そう聞いただけで99パーセント成し遂げた気分になった。「でも肝心なのは、君がまだ5パーセントしか成し得ていないことだ。この話をビルに持っていくわけにはいかない。まだ機が熟してないからね」〝機が熟す?〟「いいかい」と彼は言った。「まだ出版社も決まっていない本のインタビュー依頼をビルに持っていくわけにはいかないんだよ。著名作家のマルコム・グラッドウェルが、ベストセラー『天才!成功する人々の法則』の執筆で取材を申し込んできたときでさえ、すぐ実現というわけにはいかなかったんだ。君がもっとインタビューをこなして、ペンギンブックスとかランダムハウスとかの出版社と契約を結んだら、この話をビルにどう持っていくか一緒に検討しようじゃないか。その段階までいけるように、君はまだ準備を進める必要があるんだよ」さよならと言って彼は電話を切った。僕にはフラストレーションしか残らず、彼が言った数字が頭の中でこだました。5パーセント?気づくと僕は、収納部屋にいて手で頭を押さえていた。この数字が鳴り響いて頭から離れない。この調子じゃあ、ミッションが成就する頃には、友人たちは年老いてロッキングチェアに揺られているだろう。チー・ルーとの出会いがビル・ゲイツにたどり着くまでの5パーセントに過ぎないのなら、ウォーレン・バフェットやビル・クリントンみたいな人たちはどうだ?僕が今いるのはきっと、彼らにたどり着くまでのマイナス20パーセントの地点だろう。なのに大学のテストや宿題ざんまいで、このままじゃ……。神出鬼没の男〝待てよ、ビル・クリントン……〟心の中で何かがうずくように、じわじわと記憶が蘇ってきた。〝ヴァージン・グループの創業者リチャード・ブランソンと、元大統領のビル・クリントンが豪華客船で会談したって、夏に誰かが言ってなかったっけ?しかもそれを企画したのは若い男性だって〟僕はノートパソコンを開いて、グーグルに「ビル・クリントン、リチャード・ブランソン、豪華客船」と打った。すると、fastcompany.comにある以下の記事を見つけた。2008年、複数の会社を所有する起業家エリオット・ビズノーはサミット・シリーズを立ち上げた。「会議をしない会議」であるこの会合は、若い起業家に共済資金を提供する団体として活動していく。当初こそ、スキー旅行に参加した19名のみの会だったが、直近の5月のイベントには750名を超える人たちが参加するまでの会になった。ネットワーク(人脈作り)イベントでもあり、プレゼンイベントTEDのようでもあり、エクストリームスポーツを楽しむ会でもあるこのイベントは、招待客限定で、今や社会的起業の中心となっている。サミット・シリーズは、ここに至るまでに、非営利団体向けの1500万ドルの資金を集めた。
参加者には元大統領のビル・クリントン、デフジャム共同創業者で音楽プロデューサーのラッセル・シモンズ、フェイスブック初代CEOのショーン・パーカー、大富豪の実業家マーク・キューバン、CNN創業者のテッド・ターナー、R&Bシンガーのジョン・レジェンドらがいる。記事を読み続けていくうちに驚いた。これほどのリーダーたちを集めたサミット・シリーズのCEOであるエリオット・ビズノーは、このときまだ25歳だったのだ。どうしてそんなことができたのか。僕のいとこと同じ年の若さなのに。僕は「エリオット・ビズノー」で検索してみた。数十の記事がヒットしたが、どれも彼についてのものじゃなかった。ブログに何百回も投稿しているが、載せているのは写真ばかりだ。ナイアガラでサーフィンしていたり、テルアビブでスーパーモデルとはしゃいでいたり、スペインでは闘牛場にいて、ベルギーではツール・ド・フランスを観ていたり。ホワイトハウスではツイッターの創業者や、ザッポスのCEOと一緒に写っている。ハイチでは教室を作り、ジャマイカで視力テストを導入し、メキシコでは子どもたちにシューズを贈っている。ダイエットコークのCMの中には彼が出ているビデオまであった。エリオットにとってのヒーローは、CNNの創業者テッド・ターナーであり、ターナーに会うのが彼の夢だとある記事内に書いてあった。その記事の1年後に、エリオットとターナーが国連で握手を交わしている写真を見つけた。エリオットが、コスタリカの浜辺やアムステルダムのハウスボートで暮らしている写真もあった。どの写真でも、彼はTシャツとジーンズに、むさ苦しいあごひげとフサフサした茶色の髪という格好だ。『ハフィントン・ポスト』の「IT業界のパーティ好きランキング」という記事で、エリオットは6位になっていた。記事内の最後の見出しを見て、僕はドシンとイスに座った。「ビズノーの最新のプラン:ユタ州の山を4000万ドルで買う」こうしてクリックを続けて、いつの間にか食事を2回も飛ばしていた。どこかのリビングルームで、クリントン元大統領と彼が笑っている写真があった。別の写真では彼はクリントンに賞状を授与し、また別の写真ではサミットのイベントでクリントンがステージに立っている。でも、エリオット・ビズノーが何者なのかを教えてくれるものはネット上にはまったくない。映画の『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』に出てくる神出鬼没の詐欺師を、ネット上で追いかけている気分だ。エリオットのことはよくわからなかったが、一方で僕は彼とつながっているような気がしてならなかった。エリオットの夢は世界トップの起業家を1つにまとめあげることで、とにもかくにも、彼はそれをやってのけたのだ。ビル・ゲイツの首席秘書は僕に、機が熟すように準備を進めろと言った。エリオットは、間違いなくその術を知っている。答えを知っている人にたどり着いたように感じた。僕はうつむき目を閉じ考えた。もし今何よりも欲しいものがあるとすれば、エリオットの教えだろう。僕は日記を取り出し真新しいページを開いて、一番上に「夢のメンター」と走り書きをした。そして1行目にこう書いた。「エリオット・ビズノー」どうすれば機は熟す?大学の宿題とテストはどんどん増えていったので、その週は毎晩図書館で過ごし、落第しないようにがんばった。でも毎日うわの空で、エリオットと話せたらという思いを募らせるばかり。会計の期末試験の3日前の午後、気持ちを抑えられなくなった。〝テストなんてクソ食らえだ、メールを出そう〟インタビューしたいわけじゃない。ただビル・ゲイツにたどり着くために何をしたらいいか聞きたいだけだ。どうすれば機は熟すのでしょうかと。僕はコールドメールを書き始めた。2時間経ってもまだ終わらない。エリオットについて詳細に書き記すことで、グーグルでヒットした23ページ分の項目を調べたことを本人に伝えたいと思った。彼はきっとコールドメールの達人に違いないから、完璧に仕上げなければ。送信者:アレックス・バナヤン宛先:エリオット・ビズノー件名:ビズノーさんへ──アドバイスをいただきたいですこんにちは、ビズノーさん、USCの2年生のアレックスと言います。ぶしつけなのは承知していますが、あなたの大ファンで、今僕が手がけているプロジェクトについてアドバイスをいただきたいと思ったのです。非常にお忙しく、メールもたくさん送られてくるでしょうから、1分で読める内容にします。僕は19歳で、同世代の若者たちの生き方を変えようと本を書いています。世界で最も成功した人たちを特集し、彼らが今日に至る前、駆け出しの頃に何をしたかをテーマにしています。すでにこのミッションに関わってくれた、マイクロソフトでオンラインサービスのプレジデントをしているチー・ルーさん、また起業家でベストセラー作家のティム・フェリスさんには心から感謝しています。古い世代から新しい世代に至る偉大な人たちの知恵と有益なアドバイスを1冊の本にまとめ、人々の生き方を変えたいのです(あなたが「ちまちました計画なんて立てるな」とおっしゃるとおりにやっています)。ビズノーさん、19歳という年齢でビジョンを追求していると何かと壁に突き当たるため、次の問いについて答えをいただけたら、本当にありがたいです。どうやってあなたは輝かしい人たちを、1つのビジョンの下に招集できたのでしょうか?あなたは2008年の最初のスキー旅行を成功させ、年々サミットの規模を拡大させてきました。とてもお忙しいのは承知していますが、アドバイスをいただければ、僕にとってかけがえのない機会になるでしょう。よろしければ、いくつか質問をメールで送りますから、数分間でも電話でお話しできないでしょうか。あるいはスケジュール的に可能であれば、喫茶店とか……。あるいはご縁があれば……かの世界的に有名なサミット・ハウスで……。忙しくて返事ができないということでもまったくかまいません。
でも1行か2行でもご返事いただければ、本当にうれしいです。夢は大きくアレックス30分かけて彼のメールアドレスをネットで検索したが、見つからなかった。3時間経ってもわからない。そこで、「これがそうかな」と思える5つのアドレスを入力して全部に送った。あとは神、そしてティム・フェリスのコールドメールのご利益を祈るだけだ。どうか、うまくいきますように。24時間後、エリオットから返事が来た。すばらしいメールだった。明日か木曜、ロスに来れるかい?僕はカレンダーをチェックした。木曜は会計の期末試験の日だ。「どちらも空いています」彼が木曜日は都合が悪いと言ってくれたらいいんだけど。USC(南カリフォルニア大学)では、期末試験を欠席した者は落第になる。エリオットはすぐに返事をくれた。木曜日の朝8時に、ロングビーチにあるルネッサンス・ホテルのロビーで会えるかい?こっちまで来てもらって悪いけど、そこで打ち合わせがあるんだ。それから会う前に、名プロデューサー、ジェリー・ワイントローブの自伝『私は死ぬまで話し続ける』の、「アルダバンの星」を読んでおいて。たしか1章か2章だったと思う。きっと気に入ってくれるはずです。期末試験の勉強もしないで『プライス・イズ・ライト』に出て、今度はエリオットに会うために試験を欠席とは。誰かが僕の人生をテレビゲームにしてもて遊び、他人事のように笑いながら僕の足元にバナナの皮を投げつけてるみたいだ。無謀な決断はどれも、僕の迷いを断ち切るための関門だった。でも今回初めて、僕の中に迷いはなかった。
2日後、僕はホテルのロビーの赤いカウチに座って、腕時計から入り口へと視線を移した。もし打ち合わせが20分で終わって、それから学校に30分で戻れたら、2時間詰め込んで期末試験に臨める。打ち合わせが1時間続いても、まだあと──。頭の中で計算していたら、エリオットが時間ぴったりにやってきた。彼はロビーを横切った。こんなに離れていても、エリオットの目は射抜くような鋭さだ。ゆっくりと周囲を見た。その目はジャングルを探索するパンサーさながらだ。僕に近づいてきた。まったく瞬きをしていない。僕を見つけてうなずいて、隣に座り、「ちょっと待っててくれ」と目を合わせずに言った。彼は携帯を取り出して何か打ち出した。1分が過ぎた……それから2分……それから……彼が顔を上げて僕をじっと見た。思わず目をそらして腕時計を見た。出会って5分、でもほとんど話をしていない。もう1度エリオットの方に目をやり、彼の靴を見て笑みがこぼれた。予想どおりの靴を履いていたからだ。大学にいて気づいたのだが、親睦パーティなどの場では学生は見た目が似たタイプ同士で群がるようだ。つまり見た目が似ている者同士ほど、友情を築きやすいのだ。だからその日の朝、エリオットが何を着てくるだろうかと考えた。僕はブルーのジーンズ、グリーンのVネックシャツ、茶色のトムスシューズを身につけた。トムスの創業者がサミットに参加したことを調べていたからだ。エリオットはグレーのジーンズ、ブルーのVネック、そして案の定、灰色のトムスだった。でも彼はうつむいて携帯の画面に釘付けになっているから、僕が着ているものには気づかないだろう。「大学にはまだ通ってるの?」と彼はうつむいたまま聞いた。「ええ、2年生です」「中退するつもりかい?」「えっ?」「聞こえただろ」祖母の顔が脳裏をよぎる。ジューネイマン。「いいえ」と思わず言った。「そのつもりはないです」エリオットは軽く笑った。「わかった、じゃあ始めよう」転換点なんてない僕は話を切り出した。「あなたは見事に人々をまとめて、サミットは機が熟して盛り上がっています。その方法にとても興味があって。そこで1つ聞きたいのは──」「別に1つだけじゃなくていいよ」「じゃあ、最初の質問ですが、これまでのキャリアの中で、〝機が熟して〟大きく弾みがついたティッピング・ポイントはどこでしたか?」「そんな転換点なんてなかった」と彼は言った。まだ携帯を打っている。「小さなステップの積み重ねさ」普通なら、満足のいく答えかもしれない。でも僕は、エリオットがこのテーマについて十分に長く語ってくれることを何週間も夢見ていた。だからこんなふうに一言で片づけられて、何だか適当にあしらわれている気分だった。「ええと、わかりました。では次の質問ですが──」「アルダバンの星の章は読んだかい?本は開いた?それともいきなり言われて、2章分も読むどころじゃなかった?」「読みました」と僕は言った。「本は全部読みました」エリオットはやっと顔を上げた。携帯をしまってこう言った。「俺が19歳のときも、今の君みたいだったよ。今の君のようにがんばってた。君がくれたあのメール、書くのに丸1週間もかけてリサーチしたんだろ?」「2週間です。それからあなたのメールアドレスを見つけるのに、さらに3時間かかりました」「そうか、俺もずっとそんなことばかりやってたよ」僕はようやくリラックスしたが、それが間違いだった。エリオットはすかさず僕の方を向いて、ミッションについてマシンガンのように質問を浴びせてきた。
執拗に矢継ぎ早に聞くものだから、僕は尋問されている気分だった。できる限り丁寧に答えたが、この先会話がどう展開していくのか見当もつかない。ティム・フェリスのスピーチをトイレでしゃがんで聞いたときの話をすると、エリオットは笑った。彼は携帯で時間をチェックした。「あのさ、30分くらいで済むと思ってたんだけど、ひょっとして──待てよ、今日は授業はないのか?」「大丈夫です。それが何か?」「もしよかったら、もうちょっと一緒にいて、次の打ち合わせに出ないか?」「えっ、すごい」「よし」と彼は言った。「じゃあまず、基本ルールを言っておかなくちゃ。これから話す5つのルールは、今日に限ったことじゃない。君のこれからの人生にとっても必要なんだ」エリオットは僕の目をじっと見た。「書き留めといてくれ」5つのルール僕はメモ帳を取り出した。「ルールその1ミーティング中は決して携帯を見るな。メモを取るのはかまわない。電話を使っているとバカみたいに見える。いつもポケットにペンを入れておくんだ。世の中がデジタル化すればするほど、ペンを使った方が印象が強まる。そもそもミーティング中に電話を使うなんて無礼だ」「ルールその2メンバーとして振る舞え。以前からいるみたいに部屋に入るんだ。有名人を見たからってポカンと見とれちゃだめだ。クールに、落ち着いて。写真を撮らせてくださいなんて決して頼むな。仲間と見なされたいのなら、仲間らしく振る舞うんだ。ファンは写真をねだる。仲間は握手をする」「写真といえば、ルールその3神秘が歴史を作る。クールなことをしたからって、その写真をフェイスブックに投稿するな。世の中を変える人間は、やみくもにネットに投稿したりしない。あの人は何をしているんだろうと勝手に思わせておけばいい。それに、ネットに投稿しないと注目してくれない連中なんて、初めから相手にすべきじゃない」「ルールその4」彼はゆっくりと言葉の一つひとつに力を込めた。「これが一番大事だ。これを破ったら」と言って、彼は首の前で手を水平に動かした。「君は終わりだ」「俺の信用を失ったら、君は終わりだ。決して約束を破るな。君を信頼して俺が何か打ち明けたなら、君は金庫になったつもりでそれを胸にしまうんだ。一度中に入れたものを出しちゃだめだ。今日この日から、みんなとの関係も同じだ。君が金庫のように振る舞えば、みんなも君を大切に扱ってくれる。名声を築くには何年もかかるが、失うのは一瞬だ。わかった?」「わかりました」「よし」。彼は立ち上がって、僕を見下ろした。「立って」「でも、たしかルールは5つだって」「ああ、そうそう。最後はこれだ。冒険好きな者にだけチャンスは訪れる」どういう意味なのか聞く前に、エリオットは歩き出した。後を追いかけると、彼は僕の方を振り返った。「大物たちと遊んでみるか?」僕はうなずいた。「ところで」と彼は僕を上から下まで見てこう言った。「トムスが似合ってるな」面白おかしく語れエリオットの打ち合わせが始まった。僕は膝に手を置いて座り、教授の講義を聴くよりも熱心に耳を傾けた。エリオットは気さくに話を始めた。ジョークを交え、今朝の気分はどうと女性ゲストに聞いた。そしていつの間にか全神経を彼女に注いで、彼女が今何に夢中で、何に取り組んでいるのかを聞いた。彼女が丁寧に答え、逆にエリオットに質問をすると、彼は笑って「いや、僕なんてそんな大したことはないですよ」と言って別の質問をする。会話の初めから終わりまで、エリオットは自分のことはほとんど話さなかった。打ち合わせの残り10パーセントくらいに差し掛かった頃、エリオットは自分の話をした。「僕にとってあこがれの街なんて存在しなかったから、自分でそれを築こうと思うんです」彼はユタ州のエデンと呼ばれる地の、北米最大のスキー場を買い取ろうとしていた。その山奥に、起業家、芸術家、活動家のための、小さな居住用のコミュニティを作るつもりだ。彼女がすごいという顔をすると、エリオットは会話を終わらせた。エリオットは彼女にハグして、彼女は出ていった。それからまた別のゲストが来た。2回目の打ち合わせも1回目と同様にスムーズに進んだ。僕はエリオットの見事な進め方に魅了された。彼から目をそらしたくなかったが、こっそり腕時計に目をやった。試験を受けるには、1時間以内にここを出なくちゃいけない。2回目の打ち合わせが終わり、エリオットは立ち上がって、僕にも立つように促した。「楽しかった?」と彼は聞いた。僕は満面の笑みを返した。「よかった。次も気に入るよ」僕は出口に向かう彼にピッタリとくっついていった。頭の中に浮かぶのは巨大な砂時計だ。期末試験の時間まで、刻一刻と砂が落ちていく。僕たちは通りを横切ってウェスティン・ホテルに行った。そこは、ただのホテルじゃなくなっていた。世界でも指折りの有名な集会、TEDカンファレンスの講演者の宿泊施設になっていたのだ。ロビーにあるレストランに行った。アットホームな雰囲気で、テーブル数は多く見て15くらいか。バックにはクラシック音楽が流れ、陶器のカップとスプーンがぶつかる音がいいアクセントになっている。エリオットはそのまま支配人の元に行った。「4人分の席を頼みます」。ダイニングエリアに案内された。このミーティングは早めに退席させてもらいたいと言わなければ。するとエリオットは近くのテーブルの男性に挨拶した。
その男性が誰かすぐにわかった。ザッポスCEOのトニー・シェイだ。彼の本『ザッポス伝説』は、このときも僕の本棚の一番上にあった。エリオットは歩き続けて、「向こうに見える人だけど」と僕に耳打ちした。「ラリー・ペイジだ。グーグルCEOの。左にいるのはリード・ホフマン、リンクトインの創業者だ。向こうを見てみな。ずっと奥のテーブルにメガネをかけた人。Gメールを作った人だ。右手にいるブルーのランニングシャツを着た人はチャドだ。ユーチューブの共同創業者さ」僕たちがテーブルにたどり着くと、エリオットのゲストも到着した。最初に来たのはフランク。世界最大の起業家組織の1つ、スタートアップウィークエンドの創業者だ。それからグルーポンの創業者ブラッド。当時のグルーポンの企業価値は130億ドルだった。3人は会話を始めたが、食事の間中、エリオットの目は査定しているかのように僕に注がれた。もっと話せと思っているのか、出しゃばり過ぎだと思っているのか、どっちなんだろう。朝食の途中でグルーポンの創設者はトイレに行き、スタートアップウィークエンドの創業者は電話が鳴って席をはずした。エリオットはこっちを向いて尋問を始めた。「ところで金はどうやって工面したんだ?どうやってここに来た?」テレビ番組に出て勝ち取った賞金を使っていると答えた。「何だって?」「『プライス・イズ・ライト』って聞いたことあります?」「誰だって知ってるだろ」「去年、期末試験の2日前に、徹夜で勝ち方を調べたんです。翌日番組の収録に行って、ヨットをゲットしてそれを売って、ミッションの資金にしてます」エリオットはフォークを落とした。「ちょっと待て。2時間前から一緒にいて、テレビのショーで稼いだ金で冒険してるって、今言うか?」僕は肩をすくめた。「バカ野郎!」彼は体を寄せて声を落とし、一言ひとことに力を込めた。「せっかくのミーティングで、そんなおいしい話をしないなんて、もったいなさ過ぎる。お前のミッションはすばらしい。でも今の話は、何よりもお前のことを物語ってる。注目に値する話だぞ」「誰だって生きていれば何かしら経験する。それを面白おかしく語れるかどうかで、違いが生まれるんだよ」僕はエリオットの言葉にあっけにとられて、ゲストたちが戻ってきたことに気づかなかった。「アレックス、今の話をするんだ」とエリオット。「ミッションの資金をどうやって作ったのかをね」僕はしどろもどろで話を始めた。言葉に詰まりながらだったが、最後にはテーブルの雰囲気が変わった。ブラッドが途中でこう言った。「それは……すごい」そして朝食の間ずっと、彼は自分のことやアドバイスを僕に話して聞かせ、メールアドレスを渡して、これからも連絡し合おうと言ってくれた。もう1度腕時計を見た。あと5分で出ないと、終わりだ。ラリー・ペイジがそこにいる僕は席をはずして、USCビジネススクールの事務室の番号を調べた。発信音を聞きながらちらっと振り返ると、この人のアドバイスを得たいと願ったCEOや億万長者たちがいる。秘書が出たので、極めて緊急だと言わんばかりに「学部長につないでください」と言うと、意外にもつないでくれた。電話に出たのは、ビジネススクールの副学部長だ(僕がスピルバーグに近づくのを阻止した映画学部の学部長ではない)。「アレックス・バナヤンといいます。今の状況を説明したいんです。今僕の3メートル前にいるのが……」そう言って近くにいる人たちの名前を挙げた。「これがどれほど貴重な機会なのかおわかりでしょう。あと1時間で期末試験だから、すぐにここを出てキャンパスに行かなきゃならないんですが、どうすべきか迷ってるんです。副学部長が決めてください。30秒以内にお返事をいただけないでしょうか」彼女はだまった。30秒後、彼女がまだ電話口にいるか確認した。「私からは聞かなかったことにして」と彼女は言った。「担当の教授に明日の朝メールして、こう打つのよ。サンフランシスコからロスまでの飛行機が遅れて、どうしようもなくて、期末試験を受けられませんでしたって」「ガチャン」。電話が切れた。今でも、あの日の朝にそう言ってくれた副学部長にどう感謝の気持ちを伝えていいのかわからないくらいだ。席に戻ると、朝食はまだ続いていて、場はどんどん盛り上がっていた。自分のいるシカゴに訪ねてこいとブラッドが言ってくれた。それからリード・ホフマンが僕たちのテーブルにやってきた。エリオットの2人のゲストが去ったあとで、僕は座ったままレストランを見渡し、状況を把握した。「よお、大物」とエリオットがささやいた。「お前、IT業界の著名人にインタビューしたいんだろ?ほら、すぐそこにグーグルCEOのラリー・ペイジがいるぞ。チャンスだ。行って話してこい。お前が何を学ぶか、見せてもらおうじゃないか」パニックの波が押し寄せてきた。「望むものが目の前にあるんだぜ」「いつも何週間も前からインタビューの準備をするんです。彼のことは何も知らないし、うまく行くとは思えないんだけど」「やれよ」もう少しでエリオットにフリンチを感づかれるところだった。「さあ、やれるさ」と彼は言う。「お手並み拝見といこうか」僕は動かなかった。「さあ、やるんだ」と彼はヤクの売人みたいな口ぶりで繰り返す。そのたびに彼の背は高く、肩幅も大きくなり、よけいに僕の不安を煽っているみたいだった。パンサーのような目が僕をにらんだ。「目の前にチャンスがあるんだ。ものにしろよ」ラリー・ペイジが席を立った。かろうじて僕の足が動いた。ペイジが歩き去っていく。僕は立ち上がった。レストランを出て、階段を下りていく彼を追った。彼はトイレに入った。僕は固まった……。〝またダメだ〟中に入ると小便器が6個並んでいた。ペイジは端に立った。他の5個には誰もいない。僕は思わず彼から最も離れた便器を選んだ。そして何か名案はないかと考えた。でも頭の中に響いてくるのは、エリオットの声だけだ。〝目の前にチャンスがあるんだ。ものにしろ〟ペイジは用を済ませ手を洗いに行った。僕は後を追い、またもや彼から一番離れた洗面台を選んだ。失敗したときのことを考えれば考えるほど、失敗するものだ。ペイジは手を乾かしている。何か言わないと。「あのう、ラリー・ペイジさんですか?」「そうだが」僕は真っ青になった。ペイジは僕を見て困惑しながら出て行った。それで終わりだ。とぼとぼとテーブルに戻ると、エリオットが待っていた。僕はどさっと腰を下ろした。「どうだった?」「あの……そのう……」「まだまだ、これからたくさん学ばないとな」
ビル・ゲイツの首席秘書から、まずは出版契約を結ぶよう言われたので、僕はそれに取りかかった。グーグルのおかげで基本を学ぶのに時間はかからなかった。最初に出版企画書を書いて、著作権エージェントに売り込む。それからエージェントが出版社と話をまとめる。どのブログを読んでも、著作権エージェント抜きでは大手出版社と契約することはできないと書いてある。そこでわかってきた。エージェントなくしてゲイツにはたどり着けないと。ノー・エージェントノー・ゲイツ僕は出版プロセスに関する本をたくさん買った。『出版企画書の書き方』とか、『ベストセラー本の出版企画書』とか、『最強の出版企画書』とか。机の上にうず高く積み上がったこれらの本を精読して企画書を作った。それからティム・フェリスのコールドメールをひな形にして、大勢のベストセラー作家にアドバイスを求めるメールを送った。すると、奇跡的にたくさんの返事が返って来た。僕の質問にメールで答えてくれたり、電話で話してくれたり、中には直接会ってくれる人までいた。彼らの親切心には驚くばかりで、おかげで僕は前に立ちはだかる障害が何かわかった。それは僕が若くて、知名度もなく、経験も浅いくせに本を出そうとしているということだ。業界が縮小し、売れっ子の書き手でも契約をとるのに苦労している時代にだ。僕に話をしてくれた作家たちは声を大にして言った。出版企画書を書くときも、エージェントと話すときも、マーケティングの発想が大事だと。あらゆる事実や統計を駆使して、この本が売れる根拠をアピールすべきだと言った。売れる根拠もないのに、エージェントが貴重な時間を割いてくれるはずがない。でもまず決めるべきは、どの著作権エージェントにお願いをするかだ。1人の作家がやり方を教えてくれた。自分が書きたいと思うのと似たような本を20冊買って、謝辞のページをよく見て、著者が名前を挙げて感謝しているエージェントをメモすればいいと。僕はそうして数週間かけてエージェントのリストを作成し、そのエージェントが他にどんな本を手がけているのかを調べ、どのエージェントが自分にとってベストなのかを決めた。そしてある夜、収納部屋で白紙のプリント用紙を1枚つかみ、黒い太字のマーカーのキャップを取って一番上にこう書いた。「NOAGENT,NOBILLGATES」(エージェントなくしてゲイツにはたどり着けない)そして、大本命のエージェントを上に書き、下まで順に1人ずつ20人のエージェントの名前を書き出して、そのリストを壁に貼った。出版企画書を書き終えてから、彼らへのアプローチを開始した。1度にいくつかのエージェントに打診した。大学の2年目が終わり、夏が来て、彼らから返事が届き始めた。あるエージェントは「こういう本は売れません」と言ってきた。僕はそのエージェントの名前を線で消した。「私どもでは力になれないと考えます」と別のエージェントが言ってきた。その人の名前も線で消した。「これ以上顧客を増やすつもりはないので」とも言われた。断られるたびに、いっそう傷が深まった。ロンドンへ行こうある日、僕は間違っているのだろうかと悩んでいると、机の上の携帯が鳴った。エリオットからのメールだ。彼の名前を見てすぐに携帯をつかんだ。今ロスにいる……ちょっと遊びに来いよ。気晴らしをしたくてうずうずしていたので、まっしぐらにサンタモニカにあるエリオットのマンションへ行った。着いてみると、エリオットと、彼の弟で24歳のオースティンがカウチに座って、2人ともノートパソコンを開いている。「やあ!」と僕は言った。エリオットはそっけない視線で僕の元気な挨拶をあしらい、パソコンに注意を戻した。「俺たちは今晩ヨーロッパに行くんだ」とエリオット。「へえ、いいなあ。何時に発つんですか?」「まだわからない。1分前に行くって決めたばかりで、今チケットを探してるんだ」彼はいったいどんな生き方をしているのだろうか。僕の両親が海外旅行をするときなんて、半年前から計画を立てる。父だったら、パスポートのコピー、緊急用の連絡先、旅行日程が入った分厚い封筒を3人の知人に送るところだ。「一緒に来いよ」とエリオット。
冗談だろうと思った。「今週末に何か大事な予定でもあるのか?」と彼は聞く。「いえ、別に」「よし、じゃあ行こう」「本気で?」「もちろん。今からチケットを予約するんだ」「両親が行かせてくれないよ」「お前は19歳だろ。なんで親に聞く必要がある?」エリオットは僕の母に会ったことがないから、そう言えるんだ。「行かないのか?」と彼がせっつく。「無理です。僕には……今夜、家の用事があるんで」「わかった。明日の朝に発てばいい。向こうで会おう」僕は答えなかった。「来ないのか?」と彼は繰り返した。「『プライス・イズ・ライト』の賞金があまり残ってなくて。お金が足りないかなって」「飛行機のチケットを買ってくれたら、残りはこっちでもつよ」言い訳ができなくなった。「決まりだな。一緒に来るんだ」僕は決心がつかなかったが、チャンスを逃がしたくはなかったから、うなずいた。「よし。明日の朝飛行機でロンドンに来な。そこで会おう」「どうやって合流するんですか」「着いたらメールをくれ。住所を知らせるから。簡単さ。空港からチューブ(ロンドンの地下鉄)に乗って、どの駅で降りたらいいか知らせるから」「チューブって?」エリオットは苦笑して、オースティンの方を見た。「やれやれだ。ロンドンで会おうと言っといて、こいつが着いたら今アムステルダムにいるってメモだけ残しておこうか。それでアムステルダムに来たら、今ベルリンにいるってメモを残してさ。どこまでいけるか、笑っちゃうな」僕は顔を赤らめた。「冗談、冗談だよ」とエリオットは言った。彼はオースティンに目をやり、2人はゲラゲラ笑った。冒険好きな者にだけチャンスは訪れる僕は祖母の家に向かった。親戚が集まって、シャバット(安息日)の夕食を一緒にとるのだ。だが実際は穏やかな家族の集まりとは程遠いものだった。テーブルを囲んで、おじ、おば、いとこたちの30人が集い、大声で語り合う。そんなふうなので、食事中にロンドンの話を母にするのはやめておいた。夕食後、隣の部屋で話がしたいと母に言った。2人で部屋に入ってドアを閉め、僕はエリオットのことを打ち明けた。なぜ彼から懸命にいろいろと学びたいと思っているのか、また最初の出会いの日がどんな様子だったのかを話した。「まあ」と母は言った。「素敵じゃない」それから、明日ロンドンに行って彼に会うんだと話した。「ロンドンに行くってどういうこと?からかってるの?彼のことを何も知りもしないのに」「知ってるさ。それに彼はただの人じゃない。ビジネス界では知られた人なんだ」母は携帯を使ってグーグルでエリオットを検索した。しまった、まずい。「この写真は何なの?」「そのう……」「彼の家はどこなの?ウェブ上に自分の職業を書いてないけど、どうして?」「ママ、わかってないね。神秘が歴史を作るんだ」「神秘が歴史を作る?あなた気は確か?ロンドンまで行ってミスター・ミステリーがいなかったらどうするの?どこに泊まるつもり?」「エリオットは僕がロンドンに着いたらメールするって」「あなたが着いたらメールする?どうかしてるわ!つきあいきれない。行っちゃだめよ」「ママ、僕はちゃんと考えたんだ。最悪、彼に見捨てられるかもしれない。でもそうなったら帰りのチケットを買って、『プライス・イズ・ライト』の金をどぶに捨てれば済むだけさ。逆にうまくいったら、彼が僕のメンターになってくれるかもしれないんだ」「それで済むわけがないでしょ。一度つきあったら、どんなすごいプレッシャーをかけてくるかわかったものじゃない。どこに連れて行かれて、どんな連中とつきあわされるか──」「ママ、聞いて──」「いいえ、こっちの話を聞きなさい!冷静に考えて。会ったばかりの人に明日ロンドンで会おうと言われて、はいと答えたの?私たちはあなたに何も教えなかったわけ?常識はどこに行ったの?彼が1つの街に落ち着かない理由が何か、考えたことはないの?なぜ彼は出発の数時間前に飛行機のチケットを買うの?何から逃げてるの?どうして19歳の子を連れて行きたがるの?何を企んでるの?」僕は答えられなかった。でも心の中では、そんなのはどうでもいいことだと思っていた。「ママ、僕が自分で得たお金だよ。自分で決めたんだ。行くよ」母の顔が真っ赤になった。「明日の朝、話しましょう」その晩遅く、寝室の壁越しに、母が泣きながら祖母と電話で話しているのが聞こえた。「もうあの子をどうしていいかわからない」と母は言った。「手に負えないわ」翌朝、母はキッチンにいた。母にパソコンの画面を見せて、ロンドンに行くにはあと2時間でチケットを買わないと、と言った。時間が迫っているというのは、説得材料にはならなかった。昨夜からの議論が繰り返された。ペルシャ人の家庭はだいたいそうだが、1対1の話し合いがたちまち大騒動となる。
姉妹のブリアナとタリアがパジャマ姿で入ってきて、すぐにそれぞれ双方に付いて言い争いを始め、大声でののしりあう。父が混乱しきった様子で入ってきて、「エリオットって誰だ!何者なんだ!」と怒鳴り出す始末だ。すると玄関のベルが鳴った。祖母がいて、皮をむいたキュウリを入れたタッパーを抱え、どうなったのかと聞いてきた。チケットの購入期限まであと15分だというのに、母は身動き一つしない。ママのことは大好きだけど、この決断は自分のためなんだと僕は言った。母が何か言おうとすると、祖母がさえぎってこう言った。「もういいじゃない。この子はいい子よ。行かせてあげなさい」キッチンは静まり返った。母は僕のパソコンに手を伸ばした。画面をのぞくと、母はチケットの予約を進めてくれていた。
翌日、ロンドンのとある屋上プールこんな場所が実際にあるとは思わなかった。数十人、いや数百人のビキニ姿の長身の美女たちがいる。大学の親睦パーティさえ苦手な僕みたいなウブな男には、刺激的過ぎる曲線美だ。プールの中もプールサイドも美女たちであふれ、みんなまぶしい夏の日差しを浴びている。聞こえてくるのは笑い声と水の音と、シャンパンを開けるポンという音だけ。エリオットは僕の右隣でプールサイドチェアに寝そべっている。軽く泳いだ後で髪が濡れていた。オースティンはエリオットの隣でギターを弾いている。「あのう」と僕はエリオットに聞いた。「起業家ってこういうものなの?」「いや、まったく違うよ」エリオットが言うには、彼が大学に入ったばかりの頃は、「起業家」という言葉の意味すら知らなかったそうだ。でも彼は1年生のうちに、その何たるかを知った。エリオットが寮の廊下を歩いていると、ドアの下から蒸気が出てくるのが見えた。慌てて中に入ると、友人の部屋がにわかTシャツ工場になっていた。「何をしてるんだ?」とエリオットが聞いた。友人はスクリーン印刷のやり方を説明した。「すごいね」とエリオット。「どこで働いてるんだ?」「別に」「〝別に〟って何だよ?どの会社に勤めてるんだ?」「勤めてなんてないって」「会社に勤めてなくて、どこから金をもらってるんだ?」「Tシャツを買ってくれた人から直接もらうのさ」「マジわかんないな。上司もいないしオフィスもない?どうやって──」「いいか、これが起業家っていうやつさ。君だってできるよ」理屈は超簡単だ。彼は自分でTシャツを作る。それを20ドルで買う人がいる。そして、上司がいない!これはエリオットにとって夢のような話だった。でも彼自身は何をしたいかがわからなかったから、とりあえず自分もTシャツを作ろうと考えた。彼は友人に一緒にやろうと持ちかけ、パートナーになった。でも売れないTシャツを抱えて、このビジネスをあきらめた。翌年2人は、大学近辺の店を対象にしたマーケティング・コンサルティング会社を立ち上げる。9カ月間、あちこちの店に売り込んだが、どことも契約を結べなかった。コールドコールをかけまくる夏休みに彼がワシントンDCの自宅に戻ると、父親が、地元の不動産物件を紹介するメールのニュースレターを始めていた。「俺が広告を取ってこようか」とエリオットは言ったが、父親は断った。なにせ当時のエリオットは、2つのビジネスを失敗させた大学生に過ぎなかった。でも彼は父親の説得に成功して、仕事を始めた。地元の新聞を手に取って不動産の欄をめくり、広告を出してくれそうな会社に当たりをつけて、電話してみた。「こんにちは!うちの広告欄に広告を出しませんか?ご担当はどなたでしょう?」「悪いね、考えてないよ」。ガチャン。彼は次の会社に電話した。「もしもし、広告ご担当の方は?」「マーケティング・ディレクターです」「そうですか、ぜひお話がしたいのですが」「すみませんが、考えておりません」。ガチャン。エリオットはさらに電話をかけた。「こんにちは、マーケティング・ディレクターの方はどなたでしょうか?」「サラ・スミスですが」「そうですか、彼女とお話がしたいのですが」「結構です」。ガチャン。エリオットは後でかけなおすために名前をメモしておいた。
1週間後、彼はもう一度電話して、できるだけ専門家ぶった声でこう言った。「もしもし、エリオット・ビズノーです。サラ・スミスさんをお願いします」「少々お待ちください」と言われて電話をつないでもらった。エリオットは3週間にわたって売り込みのコールドコールをかけ続け、ようやく大手不動産会社、ジョーンズ・ラング・ラサールのワシントンDCオフィスでのミーティングにこぎつけた。エリオットはかつてこんなコツを耳にしていた。3種類の価格を提示するときは、1つは価格を高めにして、もう1つは内容を貧弱にしておくといい。すると多くの場合、残る1つが選ばれるというものだ。そこで彼はゴールド、シルバー、ブロンズという3つのプランを用意した。シルバー・プランは、10個の広告枠を6000ドルで売るというものだ。科学的根拠なんてない。さも妥当な額に思えたから決めただけだ。エリオットはミーティングに出向いて売り込んだ。案の定、相手が言った。「当方はこちらでいきましょうか……シルバー・プランで」ところが、そこからどうしていいかわからなかった。エリオットは「ありがとうございます」と言い、プロフェッショナルな態度を装いながらこう言った。「プランが決まりましたので、この後はどう進めていきましょうか。初めてのお付き合いとなる取引相手の場合、御社では通常どのようにされているでしょうか?」「そうですね、まず広告掲載の申込書を送ってもらっています」「承知しました」と言って、「広告掲載の申込書の送付」とメモし、帰宅してからそれが何かをグーグルで調べた。その夏、エリオットは毎日電話をかけまくって、3万ドル分の広告を売った。手数料を20パーセントとして、彼の懐には6000ドルが入った。大学の1年生として学校に戻ると、毎朝5時に起きて広告枠を売った。自ら経験を積むことで、彼は売り込みのコールドコールのエキスパートになった。売り上げは2万ドル、5万ドル、数十万ドルとトントン拍子に伸びていった。彼は大学を休学し、それから結局中退する。ビズノー・メディアという会社を立ち上げてからの数年間で、エリオットはさらに100万ドル分の広告枠を売った。「難しい理屈なんてない」とエリオットはプールサイドチェアに座ったまま言った。「ビジネス書に書いてあるほど複雑なことでもない。だろ?」僕はうなずいて、誰かにコールドコールをしていると、緊張のせいでときどき言葉が出なくなると打ち明けた。「それは考え過ぎてるからさ」。とエリオット。「友だちに電話してるんだと自分に言い聞かせて、さっさとダイヤルして、すぐに話を始めるといい。緊張に対する一番の特効薬はすぐ行動に移すことだ」エリオットの人生の要は、すぐに動くことだった。そこに、絶えず懸命に働くことも加わった。エリオットが最初の広告枠を売ってちょうど10年が経ったとき、彼と父親はビズノー・メディアを、プライベート・エクイティ(投資ファンド)に5000万ドルで売却する。サミットはこうして始まった僕は手で日差しをさえぎりながら「ちょっと待って」と言った。「すべての時間をコールドコールに注ぎながら、どうやってサミットを立ち上げる時間を作ったの?」「サイドプロジェクトで始めたんだ」大学を中退したエリオットは、ビジネス界で活躍する自分と同い年の人を知らなかった。彼は友人が欲しかったし、何かしら学べる人との関係を築きたかった。そこで、雑誌で目にしたある若手起業家にコールドコールをかけて、「週末に集まって、みんなで遊びませんか?」と誘った。エリオットの声がけで、カレッジユーモア、トムスシューズ、スリリストといった会社の創業者たち十数人が集まり、週末にスキーに出かけた。費用はエリオット持ちで、みんなの飛行機代まで出した。もちろん、当時の彼にはそんなお金はなかったので、3万ドルの旅費をカード払いにして、支払期限の月末まで金策に走り回ることになる。そしてエリオットは知恵を絞って行動に出る。複数の会社にコールドコールをかけたのだ。アメリカの若き起業家20人が集まる会議のスポンサーになりませんか、と。そしてOKの返事をもらった。「母が山小屋の予約を手伝ってくれた。俺は車を何台か借りて、みんなが集まったらあとは出たとこ勝負さ」とエリオット。「母にこんなふうに相談したのを覚えてるよ。『この人たちに何を出したらいいかな?リンゴか、グラノーラバーとか?グラノーラバーだったらどんなのがいい?どうやって調達しようかな?』ってね。何をやってるか、自分でもわからなかったんだ。あれ以来、俺の人生のモットーはこうだ。実力以上の仕事を引き受けろ、やり方は後から学べばいい」エリオットはカクテルのメニュー表で顔をあおぎながら、プールのデッキを見回した。「ここはちょっと暑いな」彼はアイフォーンを取り出し天気のアプリを開いて、ヨーロッパの主要都市をチェックし始めた。「パリは33度?ダメだ。カンヌは31度?やめよう。マドリードは32度?ここもダメ」エリオットはイスにもたれてあごを高く挙げ、気象を支配する全知全能の神ゼウスみたいに、あちこちの都市の天気をチェックした。「おお、あった」と彼は言った。「バルセロナ、22度、晴れ」彼は別のアプリを開いて飛行機のチケットを3枚買い、僕たちはロンドンを後にした。
8時間後、バルセロナのナイトクラブ音楽が流れ、7人のウエイトレスが僕たちの方へパレードのように近づいてきた。片手にクラッカー、もう一方の手には大きなウォッカのボトルを抱えている。ボトルが7本で、僕たちは6人だ。エリオットに酒が注がれるたびに、彼は笑顔で「乾杯」と言って、みんなが飲み干しているときに、左側にある鉢植えにグラスの酒を注いでいた。僕たちの飛行機が到着したのは3時間前だ。ホテルのロビーで、エリオットの知り合いのペルーのメディア王にばったり出会った。そしてホテルのナイトクラブのパーティに招かれたのだ。メディア王のいるテーブルに着くと、エリオットは僕を彼の隣に座らせて『プライス・イズ・ライト』の話をさせた。僕が話すと、その人は目をキョトンとさせた。するとエリオットが話に入ってきて、僕が言い忘れた細かい愉快なネタを盛り込んでストーリーをいい感じに導いた。話が終わる頃には僕らは笑いあい、メディア王は連絡を取りあおうと、僕のメールアドレスを聞いてきた。エリオットはテーブルの別の1人を指さした。「アレックス、彼にも話してあげな」僕は話をした。それが終わると、エリオットはまた別の人を指さして「ほら彼にも」と言う。彼はさらに続けた。「あの人にも」。「ほらもう1度だ」そのうち、彼はまったく知らない人を指さすようになった。でも状況が気まずくなるほど、僕は調子が出てきた。話を繰り返すたびにフリンチは引っ込んでいき、いつしかほとんど感じなくなった。「お前がわかってないのはここさ」とエリオットが言う。「お前はみんなが、自分のやったこと自体に興味を持ってると思ってるだろ。なんせ有名なテレビ番組の話だしな。でも大事なのはそこじゃない。伝え方こそが大事なんだ」もう夜中の2時になっていた。エリオットはテーブルの他の人たちの中に溶け込んでいる。大学では、新しい人と接するときはプロフェッショナルな振る舞いをするよう習った。携帯メールじゃなくて、ちゃんとした名刺と会社のメールアドレスを交換するべきだと。エリオットのやっていることはまるで正反対だ。さあ、君のことを話して本人が言うには、それは彼が生まれつき持っていたスキルではないそうだ。2人でナイトクラブのバルコニーに出て、彼は打ち明けた。自分には、幼い頃から友だちがあまりいなかったと。背が低くて小太りで、学校では目立たない存在だった。いじめっ子たちからは「チビ」と呼ばれていた。ラストネームのビズノーをもじってビッグノーズ(鼻でか)とも呼ばれていた。彼にとって心が休まる場所はテニスコートだけ。そこでエリオットはハイスクール1年生のときに学校を辞めて、テニスアカデミーに入ろうと決意する。その後大学に入っても、周囲との関係は改善しなかった。誰も彼とつるんだり、パーティに誘ったりしたがらない。ようやくガールフレンドができても、毎朝早く起きてコールドコールをかける彼のことを気味悪がって、彼女は去っていった。大学を辞めても、状況は変わらなかった。交流イベントで集めた名刺が溜まるばかりで、彼はそれを靴箱にしまうだけだった。だがそんなある夜、エリオットは教訓を得た。その夜、彼はスーツとネクタイを身につけてステーキハウスに行った。顧客になってくれそうなクライアントに会うためだ。エリオットは緊張していた。オフィスじゃない場所での打ち合わせは初めてだった。エリオットが挨拶すると、クライアントは彼を見て首を振った。「エリオット、上着を脱いで。いいから。ネクタイもね。袖をまくるんだ。座って」エリオットは隅のテーブルを予約していた。クライアントはここはやめようと言って、エリオットをバーに連れて行った。「ママ、僕たち2人にチーズフライとビール」「ビジネスの打ち合わせかと思っていました」とエリオット。「リラックスして。君のことを話してくれないか」彼らは語りあい、笑いあい、エリオットは互いに共通点が多いことを知った。こうして1時間かけてわかりあった後で、クライアントはグラスを置いて言った。「それで僕に何を売りたいの?」
「そうですね。これと、これと、これをこの価格でいかがでしょうか」「うん、これをこの値段でいいよ。あとこれをこういうふうにしたい。それでいいかな?」「ここをちょっと変えてもいいですか?」「もちろんいいよ。これでいいかな?」とその人は言った。「結構です」2人は握手を交わし、1万6000ドルの契約を結んだ。さらに1時間2人は一緒にいて、バーを出るときその人はエリオットを見てこう言うのだった。「これがビジネスってものだよ」あいつは仲間だエリオットと僕はナイトクラブを出て自分たちの部屋に向かった。廊下を歩きながら、「お前がほんとに来るとは思わなかった」とエリオットが言った。「どういうこと?」「俺たちと一緒に来いって言ったとき、お前ためらっただろ。なのに本当に来たからさ、驚いたんだ。どうして来たんだ?」「ロジカルにちゃんと考えたんです」と僕は言った。「最高のシナリオは、あなたと最高の経験ができるということ。最悪のシナリオは、お金を少し失うこと。最悪そうなったとしても、人生ってそういうものだってあきらめがつくでしょ?もちろん出費は痛いけど」エリオットは歩くのを止めた。僕の目を見つめたけれど何も言わない。するとまた歩き出した。数分後、オースティンが部屋に戻ってきて、僕たちは寝る用意をした。エリオットはベッドに入った。オースティンがもう1台のベッドに入り、僕はバスルームの洗面台の隣にあった折り畳み式ベッドに入った。僕は明かりを消した。しばらく経って、エリオットがささやく声が聞こえてきた。「アレックス、起きてるか?」疲れ切っていて、話す気分になれなかったから、黙っていた。30秒後、エリオットが部屋の反対側に向かってささやく声を聞いた。「オースティン?」その声の調子から、部屋が暗くても彼が笑顔なのがわかった。シーツの中でごそごそ音がする。「オースティン……あいつは俺たちの仲間だ」
「アレックスにハンプトンズの話をしてやりなよ」と、エリオットに卵を放りながらオースティンが言った。長い目で考える翌日の午後、僕たちはバルセロナのランブラス通り沿いのカフェでランチを食べた。思いのほか、十分な休息をとることができた。エリオットが、みんなたっぷり8時間睡眠をとることと、朝起きてヨガをやることにこだわったからだ。それから数時間仕事をこなしてホテルを出た。彼は酒もタバコもやらないし、道を歩きながら電話会議をこなす。彼の生活は、イメージよりもずっとバランスが取れている。「ああ、ハンプトンズの話?」とエリオット。「アレックスなら気に入るだろうな」大学を辞めて1年後、エリオットは、高級リゾート地のハンプトンズで行われるテニスのプロアマ選手権のことを耳にした。エリオットのようなアマチュアが出場するためには、チャリティに4000ドルを寄付する必要があった。エリオットは、知り合いの富豪がプライベートジェットでワシントンDCからハンプトンズに行くことを知って、乗せてもらった。「そんな金なんてなかったんだけど」とエリオットは言う。「寄付して選手権に出ようと決めた。こう思ったんだ。『そうすれば、裕福な人の仲間になれる。プライベートジェットでハンプトンズに行ってトーナメントに出れば、すごく信用されて、今後の仕事にもつながるだろう』ってね」3日間のトーナメントの間、エリオットは会った人たちからこの後どうするのかと聞かれた。ハンプトンズにいるつもりですと答えたが、実際は何も考えてなかった。泊まる場所がないんですと言ったら、相手はみな「じゃあうちに泊まるといいさ!」と誘ってくれた。エリオットは無邪気に「わあ、ぜひ泊めてください!ご親切にどうも。助かります」と好意に甘えるのだった。その旅が終わる頃には、エリオットはすごい邸宅を泊まり歩き、高級車のアストンマーティンを借りてドライブし、ヤンキースのオーナーの1人とテレビで試合を観戦するまでになった。「セレブなハンプトンズを渡り歩くバックパックの旅さ」とエリオット。「最高だったよ。3週間にわたる冒険だったね」テニスのトーナメントで彼はゴールドマン・サックスの重役と会い、その人から、第2回目のサミットのスポンサーになってもいいよと言ってもらった。エリオットは、僕らのウェブサイトで御社のロゴを使わせてもらっていいなら、お金はいりませんと答えた。それから別の会社に電話して、こう強気に出た。「サミットのスポンサーになることをご希望なら、今すぐでないと間に合いません。ごく少数の会社さんに限らせてもらっていますし、最近ゴールドマン・サックスとも契約を結んだばかりです。真剣にご検討願います。われわれは最高の相手としか組みません」これまた、ティム・フェリスと同じく「信用を借りる」例だ。ゴールドマン・サックスとの契約によって、エリオットは他のスポンサーをひきつけ、結果的にサミットを大成功に導いた。「これは、単に有り金をはたいたとか、個人的に投資したっていう話じゃない」と彼は言う。「お金をつぎ込んで目先儲かったでよしとするのか、長い目で見てもっと大きな何かにつながることを望むのか、そこをよく考えて判断したんだ。生きるのに必要な額以上のお金はさ、『ゲームに参加するために』使うんだ」ホワイトハウス・イベントランチは続き、僕の中に「機が熟す」という言葉が蘇ってきた。小さなスキー旅行からスタートしたサミットは、クリントン大統領が「アメリカへのギフト」と呼ぶようになるまでになった。エリオットは、いったいどうやってそこまで成長させたのだろうか。僕はパズルのピースが欠けているような、肝心のところを聞いていない気がして、サミットの初めの頃についてぜひ聞きたいと言った。エリオットによると、最初のサミットから2~3年経ったとき、ティム・フェリスの『「週4時間」だけ働く。』を読んで、持っていたものを全部売り払ったそうだ。それからビズノー・メディアの日常業務を離れ、ニカラグア、テルアビブ、アムステルダムなど世界を回った。その時期に、ワシントンDCにいる両親に会いに行き、あるパーティに出向く。そこで出会ったのがヨシ・サーガントだ。ヨシは、シェパード・フェアリーというストリート・アーティストと一緒に、オバマ元大統領の有名な選挙キャンペーン「ホープ」を立ち上げた人物だった。ヨシはオバマ政権から、若い投資家をホワイトハウスに招くという仕事を任されていた。エリオットからサミットの話を聞かされたヨシは、ホワイトハウスに投資家を招くイベントのホスト役になってくれないかと言ってきた。うまくいくかどうか自信はなかったが、なんとかなるだろうと思い、エリオットは「はい」と答えておいた。1週間後にヨシから電話があった。
「例のイベントをやることになった。金曜日だ」「いつの金曜日ですか?」とエリオットが聞いた。「来週だ」「無理です、僕は今──」「それで火曜日の正午までに、参加者全員の名前と社会保障番号が必要なんだ。35人連れてきてくれ」「でもたった4日で、どうやって集めればいいんですか?」「こう言えばいいさ。『ホワイトハウスからの要請だから、従ってください』」そこでエリオットはそれまでにサミットに参加した人たちに電話して、ツイッターの創業者やザッポスのCEOなどにつないでもらった。エリオットは彼らに電話をかけ、できるだけ格式ばった声で言った。「もしもし、サミット・シリーズのエリオット・ビズノーと申します。ホワイトハウスから委任され、大統領府で会議を行う予定です。会議では、しかじかのことを行いたいと考えています」ヨシは環境に優しい石鹼でおなじみの、メソッド社の創業者をイベントに呼びたいと言った。そこでエリオットは同社のオフィスに電話をかけた。「もしもし、エリオット・ビズノーと申します。エリック・ライアンさんとアダム・ローリーさんにお話がありご連絡しました。至急アシスタントの方につないでください」「ご用件は?」「私はアメリカ大統領の代理で電話しました。ホワイトハウスから、来週の金曜日に、ライアンさんとローリーさんに来てほしいとの要請がありました」「非常にありがたいお話ですが、無理です。2人ともその日は大事なスピーチの予定が入っておりまして」「いいですか」とエリオットは声を低くした。「ホワイトハウスからの要請です。従ってください」こうして彼はその予定をキャンセルさせた。イベントの数日前になって、エリオットは、ヨシが計画していたイベントは自分が思っていたほど大がかりなものではないことを知った。そこで彼は、新たに友人となった起業家たちを前に恥をかかないよう、ホワイトハウスのオフィスにコールドコールをかけた。政府高官たちに、この「限定」イベントにあなたは招かれていないと意識させ、向こうから「ぜひ出席したい」と言ってくるように仕向けたのだ。エリオットは彼らにこう伝えた。「お聞きになっているかどうかわかりませんが、アメリカの一流の若手起業家たちが全員ホワイトハウスに集まります。その会には、選ばれた人しか呼ばれていないみたいです」この作戦はうまくいった。政府で緊急経済対策を企画した人たち、国家経済委員会のスタッフ、環境対策チームの全員が参加した。オバマの首席補佐官であるラーム・エマニュエルがヨシに電話して、なぜ自分を招かなかったのかと怒鳴ったほどだ。イベントが成功してサミットの評判が広まると、クリントン財団からエリオットに連絡があり、資金集めイベントのホストをしてほしいと依頼があった。その後、サミットチームはワシントンDCで次のイベントを計画し、参加者は750人という規模になった。その次のイベントはカリブ海に浮かぶ豪華客船で行われ、1000人が参加した。イベントの人気は増していき、次はスキーリゾート地のタホ湖での開催となった。そしてついにエリオットはユタ州エデンに山を購入するところまできた。そこがサミット・コミュニティの拠点となるのだ。「ヨシに『うまくいきっこありません』とか、『1カ月後にしましょう』とか言ってもよかったんだ」とエリオットは言う。「あの日の終わりに、ヨシが来週の金曜日にしたいと言って、俺がはいと答えた。そうなったら失敗の可能性があってもやるしかない。チャンスだと思ったなら、思い切って飛び込むしかないだろ」4日後、ニューヨークで「俺が今から言うことは」とエリオットは切り出した。「世間の99パーセントの人にはわかってもらえないだろうな」このとき、僕たちはこの週で初めて二人きりになった。エリオットがオースティンに、僕と1対1で話をしたい、と言ったのだ。僕たちは夕暮れ時のルーフトップ・ラウンジに立ち、マンハッタンの風景を眺めた。「いいか、大半の人たちは直線の人生を生きる」と彼は続けた。「大学に行ってインターンをやり、卒業して会社に入って昇進する。毎年の休暇に備えてお金を貯め、次の出世を目指して働き、そうやって生涯を送る。直線の上を順番にゆっくりと、敷かれたレールの上を生きていくんだ。でも成功する人間はそんな枠に収まらない。彼らは一足飛びの人生を選ぶ。直線上を一歩ずつじゃなくて、段階を飛ばして進むんだ。みんな言うだろ。まずは『下積み』をして数年は経験を積まなきゃ、独立したって欲しいものなんか手に入らないよ、とかさ。世間はそんな噓を俺らに植え付けるんだ。1、2、3と手順を踏まないと夢なんて達成できないって。そんなのおかしい。一足飛びの人生を選んだっていいんだ。それを決めるのは、自分自身さ。天才だったら、ほっといても一足飛びのチャンスが舞い込んでくる。でもたいていの場合、俺らみたいな人間は、自分でつかむしかない。本気で有名になりたいんなら、自分の人生を成功、冒険、インスピレーションにあふれたものにしたいなら、一足飛びの人生をこの手でつかんで、全力で守るしかないんだ」僕はエリオットを見て、魅入られたようにうなずいた。「お前だってそうしたいんだろ?」僕の体中の繊維細胞がイエスと脈打った。喜んでファストパスをやるよエリオットは僕の返事を待たずに言った。「よし、本題に入ろう。お前は大きな間違いを犯してるんだ」「どんな?」「お前はいつまでも19歳じゃない。テレビ番組で稼いだ金でこの先も暮らすなんてことはできない。バカげたインタビューばかりに時間を費やすのはやめた方がいい。人生にはステップアップする時期が必要で、お前は今その時期に来ている。ミッションをやめて、俺の下で働いてくれないか」僕は返事をしなかった。「いいか」と彼は言った。「お前のミッションはすばらしいし、それにどうこう言うつもりはない。でもそれはお前の経歴にはならない。ただ『おめでとう、望みがかなったね』って言
われて終わりさ。お前は自分を見失っていたけど、方向性を見出しつつある。次のステージに進むべきときだ。本を書いても金にはならない。ビジネスをしてこそ金になる。お前になら喜んでファストパスをやるよ。順番待ちの列になんか並ばずに、俺と一緒に最前列に立ってくれ。ゲームに参加すべきときだ」「少し考える時間を──」「考えるって何を?お前が望む以上の金を払うし、知るべき以上のことを教えてやる。お前の知らない世界へ連れて行ってやるよ」「それはすごいや」と言いながら僕は言葉を選んだ。「でもこのミッションは僕にとってとても大事なもので──」「わかった。インタビューしたい相手のリストをメールで送ってくれ。全員に会わせてやるし、本はゴーストライターに書かせよう。だからお前は来週から俺の下で働けばいい」エリオットは僕の答えを待ったが、口から言葉が出てこない。「この話を受けないのなら」と彼は言う。「お前は人生最大の過ちを犯すんだ。こんな機会を提供するやつが他にいるなら、教えてほしいよ。一段一段はしごを上らなくていいんだぜ。俺と一緒にいれば、お前を一番上まで連れてってやる。お前が寮の部屋で夢見ていたことを全部かなえてやるよ。インタビューなんてやめて、ミッションとも縁を切って、一緒にやろうぜ。どうだ?」
翌日、ユタ州のエデンレンタカーの窓には、黄色い草が生い茂る野原と古い丸太小屋が映っている。エデンという名の人口600人のこの街に、エリオットは住んでいた。彼のオファーを受けたら、僕はここで暮らすことになる。ソルトレイクシティから北に1時間、1車線道路の外れにある街。〝僕には丸太小屋なんて似合わない……。でも彼の誘いにノーと言うのはバカげている。彼と一緒にいればすべてが変わる……〟今日は金曜日で、エリオットは週末が終わるまでに返事をくれと言った。さらに車を飛ばして角を曲がり、長い私道に入ると、見えてきた。巨大な邸宅ほどもある大きさのログハウスだ。そばには輝く湖、裏手には常緑の木々とそびえ立つ山脈、表にはフットボール球場ほどもある大きい芝生がある。これがエリオットの家だ。この日の朝、僕とエリオットは別々にニューヨークから飛行機でここに来た。彼の家に入ると、エリオットはものすごく広いリビングルームにいた。「現実とは思えない家だね」と僕は言った。エリオットはにっこり笑った。「山にもう一軒建てるから、楽しみにしてろよ」彼によるとここは仮住まいで、彼と数十人の従業員が暮らしており、サミットのイベント開催場になっているそうだ。この週末行われるイベントで彼はホスト役を務め、100人ほどの参加者は数マイル離れた、より小さめのログハウスに宿泊しているそうだ。エリオットは、ここから北に16キロほど離れたパウダー・マウンテンを購入する手続きの最中だった。その山の裏手に、起業家たちのユートピアを築こうとしているのだ。「食べ物でも取って、楽にしてくれ」とエリオットは言って、僕が返事する間もなくその場からいなくなり、別の客に挨拶した。キッチンまで行くと、アロマのいい香りに圧倒された。大学の食堂なんか二度と行くもんかと思わされるほどだ。3人のお抱えシェフはたくさんの料理のトレイを並べている。スクランブルエッグ、フライドエッグ、ポーチドエッグ、肉汁の滴るベーコン、フワフワしたブルーベリーのパンケーキ、キャラメルのフレンチトースト。大きなボウルに入っているのは、チアプディング、ベリーのパフェ、オリーブオイルとヒマラヤソルトをまぶしたアボカド。長いカウンターにはベーグルにパン、砂糖のかかった自家製のシナモンロールが積まれている。もう一つのカウンターに並んだ新鮮なカットフルーツと野菜は、隣の農場で栽培したものだ。〝ハロー、エデン〟僕はお皿いっぱいの食べ物を取った。そして、1人で食事をしている男性の隣に座った。彼は長髪で、腕にはびっしりとタトゥーが彫られている。数分足らずで、僕たちは以前からの知り合いみたいに語り合っていた。彼はサメの出る海でサーフィンしたときの武勇伝を話してくれた。それから僕たちはずっとお喋りして、連絡先を交換し合い、ロスでまた会おうと約束した。後で知ったのだが、彼はマルチプラチナのメガヒットを叩き出したロックバンド、インキュバスのリードシンガーだった。僕たちのテーブルにもう一人加わった。MTVのリクエスト番組『TRL(トータル・リクエスト・ライブ)』の元司会者だ。さらにもう一人加わってきたのが、バラク・オバマの経済顧問だった。〝呑気に朝食なんて食べてる場合じゃない〟ここはちゃんと呼吸ができる気づくとエリオットが、2階の手すりから僕たちを見降ろしている。僕を指さしてこう叫んだ。「大学を中退した俺の仲間だ!」僕は固まった。祖母の声が頭の中で鳴り響く。〝ジューネイマン〟それから外に出て、その日の活動予定が書かれた黒板を見ると、また元気が出てきた。ヨガ、ハイキング、乗馬、マウンテンバイク、バレーボール、アルティメット、瞑想、バギーレース、スカイダイビングなどなど。冒険のエキスパートと楽しむサバイバルコースに参加しようか、詩の朗読チャンピオンと詩を書く勉強会に参加しようか。結局、僕は急いでバレーボールの試合に向かった。同じチームに神経科学者がいた。1年前に生物の授業で、彼が話したTEDカンファレンスを観たことがある。それからトランポリンに飛び乗ると、入ってきた女性は2009年のミスアメリカだ。それから瞑想サークルに行った。そこで左隣に座っていたのは元NFLのプロ選手、右隣に座っていたのはネイティブアメリカンのシャーマンだ。僕は、魔法魔術学校のホグワーツに入学した初日のハリー・ポッターみたいに、午後中ずっと走り回った。誰とも話していない僕を見かけると、エリオットが僕の腕をつかんで新しい人を紹介してくれる。僕はピンボールの玉になって、刺激だらけの盤上のあちこちにぶつかりながら、1分間に1000点を叩きだす気分だった。
ここは、何もかもが規格外だ。みんなのエネルギーは並外れているし、誰かが笑えばたちまち笑いが広がっていく。みんなの仕事はすごく面白くて、誰の話を聞いても愉快だ。空までもがほかよりずっと青く感じられる。寮の部屋に寝転がっていたときは窒息しそうだったのに、ここではちゃんと呼吸ができる。太陽がゆっくりと沈み、僕たちはディナーを食べようと家の中に入った。リビングルームは5つ星ホテルのダイニングルームに変わっていた。ただの豪華さとはわけが違う。伝説上のきこりの巨人ポール・バニヤンが経営するリッツ・カールトン・ホテルに来たみたいだ。荒削りの石の甕の横にスパークリングワインのグラスが置かれ、輝くロウソクがピクニックテーブルの上にずらりと並ぶ。頭上には壮大なシャンデリアがあり、壁に掛かったヘラジカの頭やブラックベアーの毛皮を照らしている。僕の座った席の向かいには、同時に3カ所の会話に参加しそうな女性がいた。あまりのテンションの高さに、僕はいつのまにか彼女を見つめていた。「ねえ、ちょっと」と彼女は声をかけてきた。「ミキ・アグラワルよ」夢を追いかける充実感彼女は僕に拳を合わせて挨拶し、周りに座っている男性たちを紹介してくれた。「こちらは友人のジェシ、こちらはベン、それでこちらはボーイフレンドのアンドリューよ」僕が自己紹介すると、ミキはまくし立てた。「アレックス、バカな話を聞きたい?私がジェシと会ったのは、彼が10年前にセントラルパークで草サッカーをしてたとき。当時、彼は電話で学習教材の販売をやってたの。歩合は1冊25セント。あなたはもっと頭がいいんだから、ちゃんとしなさいよって叱ったの。少しの間よく会ってたけどしばらくごぶさたでね、今日知ったの……何と彼、今はナイキの重役なんだって」ミキはさも自分のおかげだと言わんばかりにニヤリとした。「ベン、あなたの話をしてあげなさいよ!」ベンがテーブルにワイングラスを置く間もなく、ミキが自分で話し始めた。「これもバカげた話よ。ベンと友だちが大学でなんかつまんないってなったとき、死ぬまでにしたい100のリストを作ったの。で、バンを買ってその車で国中を回って、達成したリストを消していった。そのたびに他人の夢をかなえる手助けまでしてあげたんだって。ベン、ほら!アレックスにいくつか話してあげなさいよ!」ベンはオバマ大統領とバスケットをしたこと、プロサッカーの試合で裸で歩き回るストリーキングをしたこと、出産で赤ちゃんを取り出すのを手伝ったこと、ラスベガスに行って25万ドルも賭けたことなどを話した。こうした冒険が何年も続いて、MTVの人気リアリティ番組『TheBuriedLife──死ぬまでにやりたい100のこと』が誕生し、書籍化もされてベストセラーになった。ベンが夢を追いかける充実感を話していくにつれ、エリオットが僕に夢をあきらめるように言ったことが蘇ってきた。「私は大学を出てからは、ベンとは正反対よ」とミキは言った。「私はウォール街で働いてたけど、すごく嫌だった」「何がきっかけで変わったの?」と僕は聞いた。「9・11よ」と彼女は言った。ミキはノースタワーが襲撃されたとき、ワールドトレードセンターの中庭で朝食会議をしているはずだった。「目覚ましが鳴ったのに寝過ごしちゃって。ミーティングを欠席したのは、これまでの人生であの朝だけよ」あの日、悲劇的な犠牲者となった数千人の中に、ミキの同僚が2人いた。「あの日、人生この先どうなるかわからないって気づいたの」と彼女は言う。「自分の人生じゃなくて、他人の人生を生きて日々を無駄に過ごすのが、バカらしくなったのよ」僕の体が綱引きのロープになったみたいに思えた。一方からエリオットのオファーが僕をひっぱり、反対側からミキとベンがひっぱっている。ミキは人生を悟って仕事を辞め、興味のあることを片っ端から追い求めた。プロのサッカーチームに入り、映画の脚本を書き、ニューヨークのウエスト・ビレッジにオーガニックでグルテンフリーのピザ屋を開いた。THINX(シンクス)という女性用下着の専門店を立ち上げ、『DoCoolSh*t』という本を書いている途中だった。「アレックス、あなたの番よ!」とミキ。「話して!ほら、早く!」僕が『プライス・イズ・ライト』の話をすると、彼らは笑って歓声を上げ、僕とハイタッチをした。ミッションのために次に何をするのとミキに聞かれ、著作権エージェントを見つけて出版社と契約し、ビル・ゲイツに会いたいんだと言った。「今まで連絡を取ったどのエージェントからも断られたんだ」「そうか、じゃあ僕のエージェントを紹介するよ」とベンが言った。「私のエージェントとも話して」とミキ。「彼女ならあなたを気に入るわ!」「ほんとに?そうなったらすばら──」突然、グラスを叩くフォークの音が周囲に鳴り響いた。エリオットが部屋の前に立ち、グラスを掲げてこう言った。「このサミットでは、ちょっとした慣例があります。ディナーの間に、感謝の時間を設けることです。食事を用意してくれたシェフのみなさんへ、食べ物の恵みへ、そしてみなさんの一人ひとりに感謝します。エデンへようこそ!」僕たちはグラスを合わせ、部屋中に喝采の声が響いた。エリオットは続けて、このディナーの席でとりわけ感謝したい人がいますと言った。ティム・フェリスだ。エリオットはグラスをフェリスに向けた。気づくとフェリスはテーブルをいくつか隔てた僕の後ろの方に座っていた。エリオットが言うには、デスクにしがみつかなくても成功できることを教えてくれた最初の人がフェリスだそうだ。おかげでエリオットは、旅と冒険によって視野を広げながら仕事ができるようになった。「ティムが、僕に人生を見つめ直す術を教えてくれました」とエリオット。スポットライトが当たったみたいに、100人の視線がフェリスに注がれた。「ティムに乾杯!」とエリオットが叫んだ。「ティムに乾杯」と僕たちは繰り返した。「ティムのおかげで、僕の心の中に特別な場所ができたように」とエリオットは続けた。「同じような場所を作ろうとしている若者がここにいます。僕が駆け出しの頃ティムにコールドメールを出したように、彼は僕にコールドメールを送ってきま
した」僕は口から心臓が出そうな気分になった。エリオットは『プライス・イズ・ライト』の話を僕より上手に皆に話し、それから僕にグラスを向けた。「サミットではこうした創意工夫を尊重し、このようなエネルギーにさらなる力を与えます。だからこそ僕は、アレックス・バナヤンを身近に置き、彼をこのコミュニティの新メンバーとして誇りを持って迎え入れたのです。アレックスに乾杯!」ダンのアドバイス金曜日はピンボールの球になったみたいだったが、土曜日は人を引き寄せる磁石になったみたいだった。「昨晩エリオットが話していたのは君だね?」「『プライス・イズ・ライト』で賞金を獲得したのが君か?」「エリオットとはいつからの知り合いなの?」「君たち2人は親戚なの?」「どんなプロジェクトに携わっているの?」「何か手伝えることはない?」エリオットは僕を新しい世界に連れてきただけでなく、ドアを蹴り破ってくれた。〝これこそ僕が以前から望んでいたものだ。エリオットと一緒に仕事をすれば、ここを離れなくて済む。この人たちが僕の元に来て、ミッションを手伝うよと、われもわれもと手を差し伸べてくれる……〟〝でももし彼のオファーを受け入れたら、ミッションそのものがなくなってしまう……〟日曜の朝、1人で朝食のテーブルに座ったが、混乱して食事が喉を通らない。ニューヨークでエリオットが言った言葉が僕の中を駆け巡っている。〝この話を受けないのなら、お前は人生最大の過ちを犯すんだ〟彼のオファーについて考えれば考えるほど、脅迫めいたものを感じてしまう。「もし嫌だと言ったら、俺たちは終わりだ」と。彼の口調や鋭い眼差しがそう言っている。そうなれば、もうエデンに来ることはなく、メンターもいなくなる。帰りの飛行機に間に合うように、数時間後にはここを出なくちゃいけない。でもどう返事をしたらいいか、まだ結論を出せない。「冴えない朝のようだが?」と参加者の1人が僕の隣に座った。両手でコーヒーを抱えるようにしている。「ええ、何となく」と僕は言った。男性は背が高くて穏やかな表情だ。理由は後で明かすが、ここではダン・バブコックという仮名を使わせてもらおう。僕はきっと胸の内を吐き出したかったんだと思う。心の中の板挟みを、いつの間にかダンに打ち明けていた。「僕はどうしたらいいでしょうか?」「それは誰にもわからないと思う」とダンは言った。「難しい決断だね。正解を知っているのは君だけだ。でも何か助けになることをしてあげたいな」ダンは自分のノートに手を伸ばし、2枚破って僕に手渡しこう言った。「僕はウォーレン・バフェットの下で7年間働いたんだ。彼から教わった中で最高のアドバイスがこれだった」僕はポケットからペンを取り出した。「1枚目の紙には」とダン。「これから先の1年で達成したい25個のことを書くんだ」僕は家族のこと、健康のこと、エリオットとの仕事、ミッションに励むこと、旅行したい場所、読みたい本などを書いた。「この中で、今から3カ月で達成したいものを5個しか選べないとすれば」とダン。「どれにする?」僕はそれらを丸で囲った。ダンは、「その5つを2枚目の紙に書き移して」と言って、1枚目の紙にあるこの5つを線で消した。「これで君には2つのリストができた」と彼は言った。「5つのリストの上に優先リストと書いて」僕は言われたとおりにした。「よし」と彼は言った。「さて、残りの20個がある1枚目の紙にはこう書くんだ。『やらないことリスト』」「えっ?」「それがバフェット氏の成功の秘訣さ」とダンは言った。「優先すべきトップ5を達成するカギは、残りの20をやめることだ」僕は優先リストに目をやり、それからやらないことリストに視線を移して言った。「なるほどと思いますが、やらないことリストの中には、本当にやりたいこともあるんです」「君次第さ」とダンは言う。「この25個を全部かなえようとするのもいいし、あるいは5個に絞って世界レベルを目指すのもいい。でもほとんどの人はやりたいことが多過ぎて、どれ1つまともにできないんだよ。僕がバフェット氏から学んだことが1つあるとすれば、やらないことリストこそがワールドクラスになるカギだってことさ」「成功とは」と彼は続けた。「自分の欲求に優先順位を付けた結果なんだ」サミットか、ミッションかダッフルバッグにシャツを1枚しまうたび、バルセロナの1日が蘇ってきた。ズボンをしまうたび、ニューヨークの夜が思い出された。レンタカーに乗ってエリオットのいるログハウスに向かうと、彼は玄関のドアのそばで、ゲストの1人と談笑していた。エリオットは会話を終えて近づいてきた。「週末は楽しめたか?」「そりゃあもう」と僕は言った。「感謝しきれないよ。それに……答えが出たんだ」彼の顔に満面の笑みが浮かんだ。「サミットは最高だよ」と僕は言った。「生涯で、あなたほどのメンターに出会ったこともない。でも僕は、2つのことを中途半端のまま同時にやるなんてできない。僕は1つのことをちゃんとやりたい。それは、ミッションなんだ」エリオットはぎゅっと口を結んだ。彼はゆっくりと下を向いて、怒りを抑えようとしているみたいだった。「お前は大きな間違いを犯している」と彼は言った。さらに何かを言おうとしたが、彼はそれを飲み込んだ。大きなため息をついて、肩をすぼめた。「お前がそうするって言うなら」と彼は言う。「お前が決めたことだし──お前のこと、ますますすごいやつだなって思うよ」彼は僕の肩に手を置いた。「いいか」と彼は付け加えた。「いつでもここに戻ってこい。お前は仲間なんだ」
次の日、僕は気分も新たに収納部屋に行き、壁に貼った白い紙を見つめた。一番上には5つの単語が書いてある。今の僕にとって何より重要な言葉だ。「NOAGENT,NOBILLGATES」(エージェントなくしてゲイツにはたどり着けない)著作権エージェントがいなければ、出版契約は結べない。そして契約がなければ、ゲイツに会うことはかなわない。この旅を始めたあの日から、ビル・ゲイツのアドバイスこそ僕にとっての聖杯だった。彼なしでは、僕のミッションは完遂しない。僕は机に座ってメールをチェックした。またしても断りのメールだ。ペンのキャップをはずして、リストにあるエージェントの名前を消していった。20人のうち、19人の名前が線で消された。机の上には、出版プロセスについて書いた本がうず高く積まれている。そこに書かれている言葉を一つひとつ丁寧に読んだ。ベストセラー作家がくれたアドバイスもすべてやった。〝なのになぜうまくいかないんだ?〟でも今回の断りでは、それまでとは違い、それほど落ち込まなかった。エージェントの名前を線で消していくうちに、このやり方自体を線で消しているように思えてきた。こんなリストなんてもういらない。僕にはミキとベンがいる。ミキのエージェントを訪ねてミキに電話して、この間言ってくれたことはまだ有効かいと聞いた。「何言ってるの」と彼女は言った。「もちろんよ!私のエージェントならあなたを気に入るわ。ニューヨークに来なさい!」「いつ行けば──」「すぐチケットを買って。泊まる場所は心配しないで。私のアパートの寝室が一つ空いてるから」ベンに電話すると、彼もエージェントとのミーティングを用意すると言ってくれた。僕はすぐにニューヨーク行きの飛行機のチケットを買った。翌日、出かける直前に、もう捨てようと思って、収納部屋の壁に貼ってあるエージェントのリストをはがした。でもなぜか、僕の中で捨てるなという声がしたので、その紙を折りたたんでポケットに入れた。JFK空港に着いてすぐタクシーに乗り、ウエスト・ビレッジにあるミキのグルテンフリーのピザ屋に直行した。店の事務所にダッフルバッグを置くと、ミキは僕を座らせて本題に入った。「これまでどのエージェントと話したの?」リストを捨てなかった理由は、これだったのか。ポケットからリストを出すと、ミキは一番上の名前を指さした。「どうしてこの人の名前だけ消されてないの?」「大本命のエージェントだからさ。彼女は『ニューヨーク・タイムズ』のベストセラーリストに入った本を23冊も担当してるんだ。サンフランシスコに拠点があって、大手出版社とでかい契約も交わしてる。それに──」「わかった、わかった。ならなんでアプローチしないのよ?」「彼女に担当してもらってる作家の1人と話したとき、紹介してくれって頼んだんだ。そしたら、あえて連絡しない方がいいって。彼女はその作家の1冊目の本も、ティム・フェリスの1冊目の本も担当しなかったんだって。それほどの大物なんだ。零細のエージェントとも打ち合わせすらできない僕なんて、そもそも無理でしょ。僕は楽天家だけど、妄想癖はないからさ……」「悠長に失敗してる時間はないってことね」とミキ。彼女は僕の腕をつかんで、ドアの方に引っ張った。「行きましょう、さあ、さあ」と彼女は言った。「ディナーで街が混雑するまで、まだ1時間あるわ」ミキは僕をマンハッタンストリートまで引っぱっていき、歩行者の間を縫って交差点を走って渡り、クラクションを鳴らす車の前に飛び出した。ミキのエージェントが入っているオフィスビルに着いて、彼女は正面入り口のドアをさっと開けた。フロントを足早に通り過ぎて、廊下を進んだ。髪のきれいなアシスタントが飛び出してきて、腕を振って止めようとした。「ミキ!待って!あなたアポとってないでしょ!」ミキはエージェントのドアを本当に蹴り開けて、僕を中に入れた。エージェントの女性は散らかったデスクに座って、電話中だった。彼女は真っ青になった。書類が部屋中に散乱し、床の上に本が積み重なっている。「その仕事をちょっとやめて」とミキは彼女に言った。「10分欲しいの」
エージェントは電話口にささやいて、受話器を置いた。「アレックス、座って」と言ってミキはカウチを指さした。「あなたの本のことを話してあげて」僕はできうるかぎりすべての事実、統計、マーケティングのアイディアを織り込んで、懸命にプレゼンした。作家たちがくれたアドバイスどおりに、持てる情熱を総動員して話した。ミーティングが終わる直前に、彼と仕事をするべきだわとミキが言い、エージェントはうなずいた。「すごく面白そうじゃない!アレックス、あなたの出版企画書を送ってちょうだい。なるべく早急に読んで返事をするから」オフィスビルを出たとき、僕の顔は紅潮していた。ニューヨークの歩道は相変わらず騒々しい。でも一瞬だけ、騒音が消えたようだった。「さあ、行きましょう!」と威勢よく僕に声をかけるミキは、もう半ブロック先を足早に進んでいる。僕は走って追いついた。「何てお礼を言っていいか」と言って、彼女について行った。「いいのよ」と彼女は言った。「私だって若かった頃、30歳の起業家グループに面倒を見てもらったのよ。それと同じことをしてるだけ。世の中そういうものよ。人生はそういうふうに回っていくの」ウィリアム・モリス・エンデヴァー翌日。今日も人生は回りまわっている。僕は案内されてピカピカの床を進んだ。そこは世界最高の著作権エージェントの1つ、ウィリアム・モリス・エンデヴァーだ。玄関ホールですれ違う誰もが、このミーティングをお膳立てしたのがベンであることをわかっているみたいだ。ベンの本は数カ月前に『ニューヨーク・タイムズ』のベストセラーリスト入りを果たしていたから、こちらからドアを蹴り開ける必要もなかった。ベンのエージェントは机から立ち上がって、温かく迎えてくれた。大きなオフィスで、窓から外の景色を一望できる。みんなでカウチに座ると、さっそく僕は売り込みを始めた。ミキのエージェントとのミーティングがうまくいったこともあり、プレゼンには倍の熱がこもった。統計、事実、マーケティングのアイディアをさらに増やして喋りまくった。ミーティングは1時間を超え、終わりに彼女もまた出版企画書を送ってほしいと言った。ミーティングは最高の出来だという満足感があった。次の日、僕は勝ち誇った気分のまま、飛行機でロスに戻った。収納部屋に行き、机の上に積み重なった本の山に目をやり、それにキスをした。1週間が経ち、ベンとミキのエージェントに、様子うかがいのメールを送った。ミキのエージェントからは返事がなかった。ベンのエージェントからは、数日後に返事が来た。「アレックス、先日はお会いできてよかったです。あなたの将来が楽しみです。でも……」いつも「でも」がついてくる。「……でも私ではお役に立てそうにありません。ただ力になれそうな者がいますから、そちらを紹介しましょう」彼女はウィリアム・モリスの同僚を紹介してくれた。その人に電話でミッションについてアピールすると、なんと彼女はその場でイエスと言った。僕は電話の通話音を最小にしてから、思いきり「やった!」と叫んだ。ビル・ゲイツまでの行く手をはばむレンガをすべて、ダイナマイトで粉砕した気分だった。ダイナマイトの勢いは止まらなかった。その翌日、知り合いの作家がウィリアム・モリスの別のエージェントを紹介してくれて、その人もまたその場でイエスと言ってくれたのだ。僕は再びニューヨーク行きの飛行機のチケットを買って、ウィリアム・モリスの2人のエージェントに直接会うことにした。ミキのエージェントからなぜ返事がないのかはわからなかった。確実にうまくいくと思ったのに。いずれにせよ、今度はこっちがエージェントを選ぶ番だ。その数日後のことだ。ニューヨークの地下鉄を出たところで、僕は携帯をチェックするためにポケットに手を入れた。少し暑い夏の日差しが顔に当たっていた。僕が面会した2人に代わって、ウィリアム・モリスの別のエージェントがメールを送ってきていた。それにはずばりこう書いてあった。「拝啓アレックス様。残念ながら当方のオファーを取り消さざるをえません」どうやら2人のエージェントは新人で、2人ともそろって僕にオファーしたため、この状況をどうしたものかと上司に相談したようだ。上司が下した判決は、2人とも僕から手を引くことだった。その上司は、僕には時間をかける価値がないと判断したのだ。まるで歩道の下からひっぱられているみたいに、僕の足取りは重かった。人生でこれほど自分が無価値に思えたことはなかった。何よりも打ちのめされたのは、ミキのエージェントには望みがないとわかったことだ。僕はリストに書いた19のエージェントに認められなかったし、新人の2人のエージェントともうまくいかなかった。ということは、ミキのエージェントがわざわざ僕と契約するはずがない。彼女が僕をもてなしてくれたのは、ミキのご機嫌を取るためであって、僕と仕事がしたいからじゃない。僕は無価値で、何者でもない。メールの返事をする価値さえないというわけだ。完全にもぬけの殻となって、ミキのアパートに行った。エージェントのリストを取り出して例の言葉を見た。「NOAGENT,NOBILLGATES」リストの紙を丸めて壁に投げつけた。お前はウォルマートだ1時間後、まだカウチから動けずにいたときに電話が鳴った。人と話すような気分じゃなかったけれど、画面を見ると友人のブランドンからだ。電話を取って、これまでのいきさつを洗いざらいぶちまけた。「気の毒にな」と彼は言った。「これからどうするつもりだ?」「できることなんてないさ。作家からのアドバイスは全部やった。本に書いてあったことも全部やった。もう何も残ってないよ」ブランドンは黙っていた。そしてこう切り出した。「別のやり方があるかもな。ずっと前に読んだ話で、どこで読んだかも覚えてないから、本当かどうかもわからないけど。大事な教訓なんだ」「助けようとしてくれてるのはわかるよ。でもお前が読んだ本の話だったら、まだ聞く気になんてなれないよ」「聞いてくれ」僕はうーんとうなった。「少しだけ時間をくれ」とブランドン。「2000年頃の話だ。インターネットがブームになりつつあって、アマゾンがネットショッピングで独り勝ちしそうだった。
競合するウォルマートの重役は、最初はほとんど気にかけてなかったんだ。けど、アマゾンの勢いに食われそうになって焦り出してさ、緊急会議を開いた。そして人員を整理して、エンジニアの数を増やして、ありったけの金をウェブサイトの構築につぎ込んだんだ。でもだめだった。そこでアマゾンの戦略をコピーし、彼らの技術まで模倣しようとして、さらに金をつぎ込んだ。それでも何も変わらなかったんだ」「ブランドン、それと僕に何の関係があるんだよ」「いいから、聞けって!」とブランドン。「そしたらある日、新しい重役がやってきた。彼女は状況をよく見て、何が起きているかに気づいた。そして翌日、オフィス中に垂れ幕を掲げたんだ。そしたらほどなくして、ウォルマートのシェアは急激に伸びた。垂れ幕には、シンプルにこう書いてあった。『アマゾンのまねではアマゾンに勝てない』」ブランドンは、僕が話を飲み込めるように間を置いた。「わからないか?お前はウォルマートなんだよ」「何だって?」「エージェント探しを始めた頃から、お前がやってきたのは他の人たちの戦略のコピーだ。まるでティム・フェリスと同等の力があるみたいにエージェントにアピールしたけどさ、お前にそんな力はないだろ。彼みたいな信用だってない。つまり、お前とフェリスじゃ状況がまったく違うんだ。フェリスをまねたって、彼みたいにはいかないんだよ」〝ちくしょう、こいつの言うとおりだ〟寮の部屋のベッドに寝転がってからというもの、僕はずっと成功者の歩んだ道を調べることばかりに取りつかれていた。それはそれで、何かを学ぶのに有効なアプローチかもしれない。でもそれであらゆる問題を解決できるわけじゃない。他人の戦略をコピペしたら自分の問題が全部解けたなんて、虫のいい話はないだろう。彼らの戦略が有効だったのは、それが彼ら自身のものだったからだ。彼らの力と状況に応じた戦略だったんだ。なのに僕は一度も自分の内面を見つめて、自分の力や状況について考えたことはなかった。どうやったらアレックスのままで、うまくやることができるのか。他人のやり方を研究する時間も大事だけど、自分の個性を磨く時間も必要なんだ。そうするためには、自分という人間について、深く知る必要があったんだ。午前3時に考えたことその晩遅く、当然ながら眠れずにいた。ミキのアパートのベッドで、何度も寝返りを打ちながら、ブランドンの話について考えた。〝アマゾンをまねてもアマゾンに勝てない……〟数時間が過ぎた。どうしても心が落ち着かない。夜中の3時頃、ベッドから出て部屋の隅に行って、丸めて投げたエージェントのリストを拾って開いた。リストの一番上の名前に目をやった。例の最もハードルが高い、大本命のサンフランシスコのエージェントだ。〝もう失うものなんてない〟僕はノートパソコンを開いて、彼女にメールを書き始めた。でもこれまで使っていたのと同じ文面にするのはやめて、自分のミッションになぜ信念を持っているのかを書いた。出版業界にはうんざりで、駆け引きはもうたくさんですとも書いた。これまでのいきさつと、なぜこのミッションに人生を捧げているのかを話し、どのパラグラフにも、「あなたと2人で世の中を変えることができます」と書いた。タイトルは「午前3時に考えたこと」読み返すといかにもティーンエイジャーのラブレターみたいだったが、とりあえず送信した。返事は期待していなかった。1日が過ぎ、返事が来た。「電話をください」電話をかけると、その場で彼女はあなたのエージェントになりましょうと言ってくれた。
僕はミキのアパートのクローゼットからダッフルバッグを引っぱり出して、荷造りを始めた。「ちょっと、ちょっと、ちょっと!」とミキが止めた。「どこ行くの?今はダメよ」「あと数時間で帰りの飛行機が出るんだ」「ありえない。キャンセルして。あなたはアグラパルーザに出るのよ!」アグラパルーザは、ミキがホストを務めるサマーキャンプのことで、コスプレパーティだ。ニュージャージーのミキの友人の家が会場になる。「そうしたいよ。でもやらなくちゃいけないことがあって」著作権エージェントと話をして、出版企画書を根本から書き直す必要があるのがわかった。なるべく早くそうしたかったのだ。「いいから、予定を変えてちょうだい。話し合いは終わりよ」「でも……ミキ、ミキ……」トニー・シェイへのお願い次の日の朝、僕はミキの友人の家のカウチで目を覚ました。ニュージャージーの太陽が窓から押し寄せてくる。部屋の向こうで、ネイビーブルーのザッポスのTシャツを着た坊主頭の男とミキが話している。僕はまさかと目をこすった。クリスマスの朝にサンタを見た気分だった。僕の前にいて、ミキと話しているのはザッポスのCEO、トニー・シェイじゃないか。〝深呼吸だ……深呼吸〟エリオットから以前、誰かの友人かファンのどちらかにはなれても、両方にはなれないと教わった。だから僕はクールに振る舞おうとし、どう自己紹介したものかと考えた。でも考え過ぎてしまって、結局何も言えなかった。ガラスでできたスライドドアを開けて裏庭に出ると、移動用の大きなゴルフカートが停めてある。パーティが始まると、僕は二人三脚レースに出てつまずき、エッグトス・ゲームでは2位になった。次のゲームが始まる前に、僕らは食べ物を取りにテラスに行った。大きなオレンジのパラソルの下に立っていたら、トニー・シェイが通り過ぎていく。僕もみんなも、その様子をこっそり見ずにはいられなかった。数分後、トニーがまた近づいてきた。今度は足を止めて、僕たちの輪に加わった。彼は片手にクリップボード、もう片方の手に紫のマーカーを持っている。「君の望みは何だい」と、トニーは僕の右手にいる男性に聞いた。「えっ?」と彼は言った。トニーはクリップボードを見せた。一番上に「望みのリスト」と書いてある。「聞こえなかったのかい」とトニー。「今日、僕は魔法使いなんだ」彼が真顔で言うものだから、これが彼流のユーモアだと気づくまでしばらくかかった。ミキが後で教えてくれたのだが、トニーはいつも石のような硬い表情とガラスのような鋭い目つきでいるらしい。彼は常にポーカーフェイスを崩さない。「テレポートしたい」と僕の右手の男性は言った。「わかった」とトニーは言った。「ただしテレポートしても、ここから目的地までの85パーセントしか行けないよ」彼はクリップボードの一番下を指さした。「望みがかなったら、15パーセントの手数料をいただきます」「魔法使いというより」とトニー。「『望みをかなえるブローカー』だね。魔法使いだって生活がかかってるからさ」彼は僕の方を向いて願いは何かと聞いた。僕は何か笑えることを言って、気に入られようと考えた。僕の中で、今頭に浮かんだことをすぐ言えと促す声がする。〝でもそれはさすがに……不快な人間だと思われるかも。それにミキが怒ったらどうする?それにそれに──〟だが幸い、状況がプラスに働いた。こういうときに出るフリンチは、「慎重に考えている」みたいに装ってくれるのだ。僕は心の中で自分の頰に平手打ちを浴びせて、思い切って言った。「1日だけザッポスのCEOになりたいです」
トニーは返事をしなかった。クリップボードに僕の願いを書くこともしない。僕を見つめるばかりだ。「いえ、あのう」と僕は言って、説明しようとした。「というか、あなたにくっついて行って、あなたの生活がどんなものか見てみたいんです」「ああ、僕の影になりたいってことか」僕はうなずいた。トニーはしばらく考えて、こう言った。「わかった……いいだろう。やるならいつがいい?」「あと数週間で20歳の誕生日が来るので、その日はどうでしょうか」「いいね。君の誕生日ってことで、2日間あげよう」自分に正直に日が暮れて数時間が経ち、コスプレパーティが始まろうとしていた。キッチンを通るとトニーがテディベアの格好をして、ヒルビリー(カントリー風)の格好をしたアーシフ・マンドヴィと話し込んでいる。アーシフは、政治を風刺する人気コメディ番組『ザ・デイリー・ショー』で「中近東担当上席特派員」を演じている人物だ。アーシフが本を執筆中だと言っているのが聞こえた。どうやらトニーに本のマーケティングのアドバイスを求めているようだ。僕は会話に加わろうと近づいた。「そうだね、使える戦略はいろいろある」とトニー。「でも本を書くモチベーションが何なのかがわからないと、どの戦略が一番効果的なのかアドバイスできないよ。君の最終的な目標は何だい?」アーシフは額にしわを寄せた。トニーは言う。「たいていの人間は、自分がやっていることについて、なぜそれをやっているのかとじっくり自問することはない。自問したとしても、たいていは自分に噓をつくんだ。僕が『ザッポス伝説』を書いたとき、心の底に見栄とかエゴがあるのは自分でもわかってた。両親の前で、僕の本が『ニューヨーク・タイムズ』のベストセラーリストで1位になったよって伝えるのは、結構なことじゃないか。それも1つのモチベーションだよ。もう1つは……」それを聞いて、ショックを受けたのか、それとも混乱したのか、自分でもわからなかった。僕は以前から見栄やエゴを「悪い」ものだと思っていた。だから僕は自分をアピールするとき、その言葉を決して使わなかった。なのにトニーは使った。何の後ろめたさも、ためらいもなく。彼は相変わらず無表情だ。「エゴは健全だよ、とまでは言わないけど」とトニーは続けた。「もっと悪いのは、エゴを持ちながらそんなのはないと自分に噓をつくことだ。マーケティング戦略を考える前に、自分の本当のモチベーションは何なのか、自覚した方がいい。今やっていることについて、なぜそれをしているのかと自分に問うんだ。『いい』とか『悪い』でモチベーションを判断しちゃダメだ。自分の最終目標を知れば、妥当な戦略なんて簡単に決まるさ」トニーが言うには、ベストセラー作家になりたいという見栄があってもいい。その見栄のせいで、若い起業家をインスパイアする本にしたいとか、強力な企業文化の作り方を読者に提示したいというモチベーションが損なわれることはない。見栄とモチベーションは共存するんだ。2人の会話が進んでいき、それを聞こうとキッチンに人が集まってきた。状況を理解しようと、僕は少し冷静に考えてみた。僕はここでカメレオンのカウボーイ・ランゴの姿をしている。尻尾を生やし、頭にはカウボーイハットを被って。そして、ヒルビリーに本の売り方を教えているテディベアの言葉に耳を傾けているのだ。「発売してから最初の3カ月が一番大事だ」とトニーは言う。「僕の最終目標は本をベストセラーにすることだったから、その3カ月の間はできるだけいろんなところに行って講演したんだ。ビジネス・カンファレンスとか大学の授業とか、あらゆる場所に出向いたよ。RV車を買ってそれに本の表紙の写真を貼って、3カ月間走り回ったんだ」「その3カ月ほど、消耗した時期はなかったよ」と彼は、声の調子を弱めた。「1日中話しまくって、ひと晩中車を走らせ、種をまくためにあらゆることをやった。もちろん同時にあちこち行けるわけじゃないから、本を箱に詰めていろんなイベント宛てにタダで配ったんだ。僕のメッセージが届くようにって」「正直言って」と彼は付け加えた。「そうやって配った本を誰かがちゃんと読んでくれたかどうかわからない。送ってよかったのかどうかもわからないんだ」〝彼に言わなくちゃ……〟でも、エリオットの言葉が僕の肩にのしかかってきた。〝バカなマネはよせ。それを話せば、お前はいつまでもファン扱いされるだけだぞ〟でもその瞬間、僕は自分に正直でありたいと思った。「トニー、僕は大学1年のとき、あなたが本を送ったビジネス・カンファレンスで、ボランティアをやってました。あなたの名前も、ザッポスの名前さえ知らなかったけど、会議のコーディネーターが本を配っていたので、一冊家に持って帰ったんです。それから数カ月経って、人生で一番苦しかったとき、あなたの本を手にとったら手放せなくなりました。その週末に全部読みました。夢を追いかけるあなたの姿を知って、自分にも夢がかなえられるんだって思えるようになったんです」「あなたがあの会議に本を送ってくれなかったら」と声を震わせて付け加えた。「僕は今日こうしてここにいないでしょう。トニー、あなたの本が僕の人生を変えてくれたんです」キッチンの誰もが固まっていた。トニーは静かに僕をただ見ていた。でも彼の表情は穏やかになり、うるんだ彼の目が言葉以上のものを僕に伝えてくれた。ザッポスCEOの世界僕は宅配便の箱を開けて、ネイビーブルーのザッポスのTシャツを取り出した。他の人にすればこれはただの布きれだろう。でも僕にとっては、これはスーパーマンのマントだ。僕はトニーのマンションの一室で目を覚ました。ここに泊まるように手配してくれたのだ。頭からTシャツを被りバックパックをつかんで下の階に行くと、ザッポスの社用車が待機していた。
車は通りを曲がり、10分後にザッポスの本社前に停まった。ドアをくぐると、受付ロビーのデスクの上にはポップコーンメイカーが、カウチのそばにはダンスダンスレボリューションというアーケードゲームがある。壁には何百本もの切られたネクタイがピンで留められている。アシスタントの案内で廊下を歩いて仕事場に行くと、こちらも受付ロビー以上にワイルドに飾りつけられている。誕生日の飾りリボンで埋め尽くされた通路が1本あり、2本目の通路はクリスマス用の電球が点滅している。3本目の通路には3メートルもある風船の海賊船が置いてある。熱帯雨林ふうに飾られたエリアにある、散らかった机に座っているのがトニーだ。彼はノートパソコンの前で背を丸めている。僕を見て、イスを持ってきて座るよう合図した。「おはようございます」と挨拶すると、トニーのアシスタントがかがんで僕に耳打ちをした。「5時間遅刻ですよ。トニーは朝4時に起きてます」トニーはノートパソコンを閉じて立ち上がり、ついてくるよう僕に合図した。僕たちはカーペットを敷いた廊下を歩いて、最初のミーティングへと向かった。彼の黒い革靴は整然としたステップを刻んで進み、僕はその少し後ろをついていった。自分の足取りがひどく萎縮しているのがわかる。トニーは最初からいい人だったけど、このときもまだ僕はここにいる資格はあるのかと思っていた。少しでもヘマをしようものなら家に帰されるんじゃないかと、内心ビビっていたんだ。会議室に着いた。後ろの方のイスに座ろうとしたら、その席じゃないとトニーが合図してきて、彼の隣の席を指さした。次のミーティングのために別の会議室に行くと、またしても彼は自分の隣に座るよう合図した。その次のミーティングでも。午後に行われた4つ目のミーティングでは、彼の指示がなくても、僕は自分から彼の隣に座った。販売業者とのランチミーティングを終えて、トニーは僕を連れて廊下に出た。振り返って僕に「どうだった?」と聞いた。僕は言葉に詰まりながらも答えたが、彼からは何の反応もない。ただ聞いてうなずくだけだ。次のミーティングを終えると、彼はまたしても僕を振り返って「どうだった?」と聞いた。次も、そしてその次も、トニーは僕の意見を聞いた。窓の外は暗くなり、オフィスには誰もいなくなった。最後のミーティングを終えて、トニーはまたもや僕にどう思うか聞いた。でももう彼が振り向くことはなかった。僕は彼の後ろではなく、彼と並んで歩いていたからだ。誰も頼んでこないんだ翌朝、もう1枚のザッポスのTシャツを着て下に降りると、トニーの運転手が僕を待っていた。僕らは街の向こうにある2000人を収容するホールに向かった。トニーが全社ミーティングの準備をしていた。彼は2時間前からすでにそこにいた。僕はホールに着いて、午前中はずっとバックステージからトニーのリハーサルを見ていた。彼のプレゼンは、企業トップの基調講演とハイスクールの激励会の中間みたいなものだった。数時間後、会場の明かりが消え、カーテンが開いた。トニーの父親と僕は、最前列の席に並んで座り、本番を見守った。1日が終わる頃、ホールから出ようとすると、ドアの近くでザッポスの従業員の1人に呼び止められた。昨日の午後、僕がトニーにくっついていたのを見たらしい。彼はザッポスに勤めて数年になり、一番の夢はトニーの影となってお伴をすることだそうだ。どうして君はそんなチャンスを手に入れられたのかと聞かれた。そんな羨望の眼差しで見られたのは、それが初めてじゃなかった。前日も何人かのザッポスの社員が、自分もそこにいたいと言わんばかりに、同じ視線で僕を見ていたのだ。その夜遅くに、僕はトニーの元へ行き、別れを告げて、2日間のお礼を言った。「変な質問だと思うかもしれませんが」と僕は聞いた。「どうして他の社員の人に影の役をやらせてあげないんですか?」トニーはあっ気にとられたように僕を見てこう言った。「喜んでやらせたいよ。でも誰も頼んでこないんだ」
2週間後、収納部屋で僕はずっとウロウロしながら机の上の携帯をちらちら見ていた。電話すべきなのはわかっている。でもできない。あのときのやり取りが脳裏をよぎるのだ。エリオットは僕に言った。「(大学を)中退するつもりかい?」「えっ?」「聞こえただろ」この件は彼にだけは相談したくなかったけれど、相談できるのは彼だけだとも思っていた。僕は携帯に手を伸ばした。「よお、調子はどうだ?」「エリオット、助けてくれませんか」僕は彼に、著作権エージェントから言われたことを伝えた。エージェントによれば、出版社に本の企画を売り込む理想の時期は来月だそうだ。つまり僕はそれまでに出版企画書を仕上げる必要がある。でもあと1週間で、僕の大学3年目が始まるところだった。「それで、問題は何?」とエリオットが聞いた。「大学が始まったら、また宿題とテスト漬けで、出版企画書の書き直しが間に合わないんです。やるべきことはわかってるんだけど、でも両親の目をまっすぐに見て、大学を中退しますなんて、どうしても言えなくて」「まあまあまあ、中退なんてしなくていいだろ」「えっ、どういうこと?」「賢い人間なら、本当に大学を中退したりなんかしないよ」と彼は続けた。「話が一人歩きしてるんだ。ビル・ゲイツやマーク・ザッカーバーグはお前が思ってるようには大学を中退していない。俺の言っている意味がそのうちわかるよ」すべてはグレーだ電話が終わって、僕はすぐに本棚を探し、まだ読んでいなかった本を取り出した。『フェイスブック若き天才の野望』。フェイスブックの創設時について書かれた公認本だ。この本の52ページに、関連する記述があった。ザッカーバーグが大学3年になる前の夏、彼はサンフランシスコのパロアルトでいくつかのプロジェクトに携わっていた。その1つがフェイスブックで、立ち上げたのは7カ月前のことだった。その夏の終わりにザッカーバーグは、メンターのショーン・パーカーにこっそりと、フェイスブックについてアドバイスを求めた。「こういうのが続くと思う?」とザッカーバーグは聞いた。「一時の流行かな?いずれ廃れていくかな?」フェイスブックのユーザーがほぼ20万人に達したときも、彼は将来に不安を持っていた。僕は何か違和感を覚えたが、それが何かはわからなかった。そこでもっと深く調べようと、ノートパソコンを開いた。ユーチューブで何時間もザッカーバーグのインタビューを観るうちに、ついに違和感の正体が見えてきた。3年生になる数週間前、ザッカーバーグはフェイスブックの資金を集めるために、有名なベンチャーキャピタリストのピーター・ティールに会う。ティールから大学を辞めるのかと聞かれたザッカーバーグは、ノーと言った。彼は3年生に進級するつもりだったのだ。授業が始まる日の直前に、共同創業者でありクラスメートのダスティン・モスコーヴィッツは、もっと現実的なやり方を見出した。「いいか」とモスコーヴィッツは言った。「ユーザーは増えてきてるし、サーバーの数も増えてるけど、オペレーション担当がいない。これはかなり厄介だ。この問題に対処しながら同時に授業に出るなんてできっこない。だから一緒に1学期休学して、事態を収拾しよう。そして次の春学期から復学しようぜ」エリオットが話していたのは、このことだったんだ。フェイスブックの映画『ソーシャル・ネットワーク』を観てからというもの、僕はザッカーバーグは大学を中退した反逆者で、空に中指を突き立てて、決して後戻りしない人だと思っていた。映画では、ザッカーバーグがフェイスブックの将来に不安を抱いているシーンなどいっさいなかった。彼が大学を1学期休学しようと共同創業者と慎重に議論しているシーンなんて、まるでなかったんだ。僕は何年もの間、「ドロップアウト、マーク・ザッカーバーグ」という見出しを見て、彼は自分の意志で進んで大学を辞めたんだと思い込んでいた。見出しとか映画は、物事を白黒はっきりさせて描くことが多い。でも僕にはわかってきた。真実は決して白か黒かで割り切れるものじゃない。グレーだ。すべてはグレーなんだ。
話の一部始終を知りたいなら、もっと深く掘り下げるしかない。見出しやツイートなんて当てにならない。グレーの部分は、140字のつぶやきじゃ言い尽くせないんだ。ビル・ゲイツの本を取ってみると、ゲイツも大学を中退するに当たって、勢いに任せてなんてことはしていない。93ページにこうあった。彼はマイクロソフトでフルタイムで働くために、3年生のときに1学期だけ休学している。そして会社が十分にうまくいかず、まだ機が熟していないときに、大学に戻っていた。でも、それについて触れている人はいない。翌年になってゲイツはマイクロソフトの成長を見ながら、もう1学期休学し、それからまたもう1学期休学した。リスクを取るときに難しいのは、取るかどうかの決断ではなく、いつそうするかというタイミングの判断だ。学校を辞めるという一大事について機が熟したかどうかなんて、はっきりわかるわけがない。仕事を辞めるタイミングだってそうだ。いざ大きな決断をするというときに、それが正しいタイミングかなんて決してわからない。後で振り返ってみて初めてわかることだ。だから僕らにできるのは、できるだけ慎重に一歩を踏み出すことだけだ。大学を辞めるのはさすがにどうかと思っていたが、1学期だけ休学するのなら何の問題もない。僕は車で大学キャンパスまで行き、指導教官に相談し、彼女から「USC休学申請書」と書かれた鮮やかな緑の申請書をもらった。7年の猶予があって、いつでも復帰することができる。僕は両親にいい知らせを伝えようと自宅に急いだ。人生の優先順位「1学期を休学ですって?」と母は叫んだ。「気は確かなの?」母はキッチンでトマトを切っていた。「ママが思うほど大変なことじゃないよ」「いいえ、あなたが思ってる以上に大変なことよ。私にはわかるの。あなたのことはあなたが物心つく前からわかってる。一度学校から離れたら、あなたは絶対戻らないわ」「ママ、別にただ──」「いいえ、私の息子が大学中退者になるなんて許さないわ」「中退じゃないって」と言って、緑の申請書を振ってみせた。「休学申請書って書いてあるでしょ」トマトを切る包丁の勢いが増した。「ママ、信じてよ。エリオットが僕に──」「わかった!エリオットが裏で糸を引いてるのね!」「エリオットは関係ない。大学は好きだよ、でも──」「じゃあ、なぜ残らないの?」「どうしても出版契約を結びたいんだよ。契約を結べばビル・ゲイツに会えるし、ゲイツに取材ができれば、ミッションが大きく動いてインタビューしたい他の人たちにも会えるんだ。実現させたいんだよ」「実現できなかったらどうするの?もっと悪いのは、不可能だってことにあなただけが気づかないことよ。契約をとろうとがんばって、失敗して、またがんばる。そうやって何年も過ぎたらどうするの?無理だってことにやっと気づいて大学に戻ろうとしたけど、もう大学が受け入れてくれないなんてことになったら?」僕は母に7年の猶予期間を説明した。母は歯を食いしばって僕を見つめ、嵐の勢いで出て行った。僕は自分の部屋に戻って思い切りドアを閉めた。ベッドに倒れると同時に、僕の中から声がした……。〝ママの言うことが正しかったら?〟いつもなら母とここまでの口論になったら、祖母に電話する。でも今回はどうしてもできない。そうしようと思っても、心の中で歯止めがかかるんだ。〝ジューネイマン〟祖母には絶対に大学を辞めないと誓った。もし約束を破ったらどうなるんだろう。でも祖母との約束を守ることで、自分に噓をつく結果になったらどうなんだ?祖母に誓ったときには、自分の人生がその先どうなるかなんて考えもしなかった。サミットでダン・バブコックから聞いたアドバイスを思い出した。〝成功とは、自分の欲求に優先順位を付けた結果なんだ〟でも何を優先させればいいんだろうか。もちろん家族が一番だ。でも僕らはどのタイミングで他人のために生きるのをやめ、自分のために生きるようになるのか。僕は板挟みになった。その晩、不安と混乱でいっぱいになりながらエリオットに電話した。彼の話は今まで以上に核心をついていた。「俺も同じことで両親ともめたよ。でも気づいたんだ。学校なんて、別に全員が行く必要はないってね。数年前に聴いたカニエ・ウエストの歌にこんな歌詞がある」学校を辞めて事業をやるとみんなに言った。みんな聞くんだ。「お前卒業したのか」と。いや違う。自分で見切りをつけたのさ。「今までよく大学でがんばったよ」とエリオット。「今度はお前自身のためにがんばる番だ。区切りを付けるときだよ」祖母の涙次の週は毎日のように、母と父と一緒にリビングに座って、僕の決断から両親が感じている不安を和らげようとした。そしてついに、休学申請書を提出する期限が来た。締め切りまであと3時間しかない。僕は申請書に署名して、キャンパスまで提出しに行こうと部屋で準備をしていた。ベッドの上に置いた緑色の申請書を見れば見るほど、血管の中で不安が脈打つような気がした。エリオットはできるだけの指導をしてくれているが、彼との電話での20分と、母と暮らした20年とでは比較にならない。僕の中には、まだこう感じている自分
がいる。〝ママの言うとおりかもしれない。夢物語が終わるまでに10年もかかったらどうなる?出版契約をものにできず、大学の学位もとれずに〟猶予期間が7年もあるのは知っている。エリオットも心配するなと言ってくれたが、僕は人生で最大の過ちを犯そうとしているのかもしれない。靴ひもを結んでいると、玄関のベルが鳴った。僕は緑の申請書をポケットにさっとしまい、車のキーをつかんでドアに向かった。ノブを回してドアを開けた。祖母だった。戸口に立つ祖母は肩を震わせ、その頰には涙がつたっていた。
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