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2章出会い、人づき合いを心地よくする言葉づかい

2章出会い、人づき合いを心地よくする言葉づかい

一期一会という言葉に象徴される出会いの大切さ。初対面はもとより旧知の間柄でも、会うたびにきちんと挨拶し、出会いの喜びを伝えたいものだと思う。ところが、通り一遍の挨拶だけですませたり、ろくに挨拶もしないで、いきなり用件に入ったりしていないだろうか。よく使われる挨拶言葉を交わすのでも、その時々の思いを伝えるひと言を添えると、相手の心により深く届く、温かな響きのこもった挨拶に進化することを知っておきたい。どんな場合も、「どうも……」と語尾をにごすだけという人もいるが、これも問題だ。「どうも」だけでなく、その場や状況に見合った言葉を選び、語尾まではっきり発音すると、それだけで印象は格段にアップする。日本人の心映えを伝える、相手やシチュエーションに合った絶妙な挨拶を身につけたい。

恐れ入ります──◉声をかけるときや感謝の意を伝える際にきちんとした言葉づかいを身につけているかどうかの目安は、「恐れ入ります」を的確な時・所で使えるかどうかだ、といってもよい。折にふれて使いたい一言。人に声をかけるとき、たとえば、お店で店員さんに呼びかけるようなとき、よく、「すみませんが」という人がいる。いうまでもないが、「すみませんが」は、謝罪のときに使う言葉なのだから、呼びかけにふさわしいとはいえない。では、なんといえばよいのだろう。こんなときに使いたい、英語の「Excuseme.」(ちょっと失礼します)のような呼びかけが、「恐れ入ります」だ。「恐れ入ります」は本来、自分のことで相手をわずらわせるのは恐縮なのですが、という意味を持つ言葉である。そうした気持ちを伝える場合から、呼びかけやお礼を述べる場合までかなり幅広い状況で使われ、現在では、美しい響きの挨拶言葉としても広く使われている。たとえば名刺交換から、相手の説明を聞くとき、お茶をすすめられたとき、指示を受けたとき、資料の提供を受けたときなど、社会生活のほとんどの場で使える万能言葉だといえる。「恐れ入ります。ちょっとお尋ねいたしますが」のように、同じものを尋ねる場合も、「恐れ入ります」と話し始めると、いかにも上品でていねいな言い方になる。感謝の気持ちを表す場合も「恐れ入ります」というと、深い謝意を伝えることができる。「ありがとう」を普段着の感謝の言葉だとすれば、「恐れ入ります」は、よそ行き。あるいはフォーマルな感謝の言葉になるといえようか。ていねいな依頼の場合も、「恐れ入ります」で始めるとよい。得意先で資料のコピーを頼みたいときなどは、必ず「恐れ入りますが、この資料をコピーしていただけますか」のようにいうとよい。社員がこうした言葉づかいを身につけていると、「あの会社は社員教育が行き届いている」と、会社全体の信頼まではね上がるだろう。男性なら「恐縮です」も、同じように使える言葉だ。恐縮とは、身を縮めるほど恐れ入っていることを表し、やはり、何かを依頼するときや非常に深い感謝の気持ちを伝えるときに使う。だからといって、「あ、恐縮」などと略した言い方は、真摯な気持ちを表す言葉とは認められない。「恐縮」という言葉を使うなら、「恐縮でございます」「恐縮です」のように、きちんとしたフレーズで使うようにしよう。「恐縮千万」と、「恐縮」をさらに強調する表現を使う人もあるが、「恐縮千万」は、使う場や使う人の雰囲気がそれにふさわしいものでないと、かえって軽薄な印象になってしまうので、時・所をわきまえて使いたい。痛み入ります──◉もっと深く「恐縮している」と伝えたいとくに、目上の人や年長者に対して、最上級の感謝や恐縮の意を表したいときに最適な言葉。かしこまった場合などには必須の言葉でもある。「一度、当社の工場を見てください」といわれたので、ごく気楽な気持ちで出かけたところ、先方の社長がみずから案内してくれ、身の置きどころがないほど恐縮してしまった。そんなとき、「ご配慮、まことに痛み入ります」といえば、非常に恐縮しています、という思いを伝えることができる。「恐れ」よりも、「痛み」のほうがダメージは大きい。そうしたことから、「痛み入ります」といえば、「恐れ入ります」以上の深い感謝の思いを伝えることができるわけである。ただし、「痛み入ります」は、「恐れ入ります」のように話しかけの言葉としては使わないので、注意したい。おかげさまで──◉どんな話しかけに対しても使える万能の返し言葉日本の言葉にはたくさんの仏教用語が含まれている。「おかげさまで」も、仏の深い思いに感謝する心から生まれた言葉だけに、口にするたびに心が和らぐのだ。「忙しくて、大変だったようだね。一段落した?」「おかげさまで」「風邪ぎみだとうかがいましたけど、もう、よろしいんですか?」「おかげさまで」「お子さん、もう、ずいぶん大きくなっただろうね」「おかげさまで」このように、どんな問いかけに対しても「おかげさまで」と返せば、けっして礼を失することはない。これ以上、重宝な言葉はないといってもよいだろう。「おかげさまで」は問いに対する返事というより、相手が問いを発してくれたこと、気づかいを示してくれたことに対する感謝の気持ちを表すというニュアンスのほうが強い。本来であれば、「忙しくて、大変だったようだね。一段落した?」と問われれば、「先週末に納品が終わり、やっと落ち着きました」などと答えるだろう。だが、「おかげさまで」と答えれば、「お尋ねくださって、ありがとうございます」という意味合いのほか、「おっしゃるとおりです」という意味も加えることができる。さらに、それ以上くわしいことはまたの機会に、という思いも暗黙のうちに伝えられ、相手の質問攻撃を巧みにシャットアウトできる。子どもの成長など、質問をした人になんら力添えをしてもらったわけでもないのに、なぜ、「おかげさまで」と答えるのだろうかと疑問に思う人もいるかもしれない。「おかげさまで」は、もともと、仏教をルーツとする言葉で、真意はもっと深いところにある。おかげは「お陰」。なんの陰かといえば、あまねく行き渡っている仏の慈悲の「陰」を意味しているのである。「陰」は光があるからこそできる。光は仏の慈悲の力を意味し、「陰」は、その恩恵を受けているわが身を表している。つまり、「おかげさまで」といったからといって、あなたの身を案じてくれた人の「お陰」だといっているわけではないのだ。仕事が一段落したのも仏縁のお陰。自分が今、ここにあるのも仏縁のお陰。わが子がすくすくと成長しているのも仏縁のお陰。だからこそ、「おかげさまで」は、どんな場合にも使うことができるのである。

そうした深い意味があるからだろう、「おかげさまで」と口にすると、心がふっと和らぐ実感がある。「おかげさまで」といわれたほうも、なぜか心が和らぎ、心がほんのり温まるようにも感じられる。「おかげさまで」は、自分は一人で生きているのではなく、さまざまな人、さまざまなこととの縁によって生かされているという気づきをうながす言葉でもあるといえよう。謹んで──◉心から敬意を表したいときに使う言葉大変恐縮しながらも、ありがたく相手の厚意を受けるときなどに、この言葉を知っておくと好印象を持たれる。とくに目上の人に対しては必ず使いたい言葉。社長や会長、あるいは恩師など、自分よりもはるかに立場が上の人から、何かをいただいたときなどに、「謹んで頂戴いたします」というと、相手に対する恭敬の思いを伝えることができる。賞状や記念品などをもらう場合ばかりでなく、酒の席などで杯を交わすというようなときも、「謹んでお流れを頂戴します」と使いこなす。行動を表す言葉の前に「謹んで」をつけると、それだけで、非常にていねいで謙虚な印象になることを知っておきたい。たとえば、意見がある、といわれたならば「謹んで拝聴します」、同行するように、といわれたならば「謹んでお供させていただきます」など、使い道は広い。もったいない──◉今や国際語となった言葉に隠された真の意味とは無駄を惜しみ、節約をうながす言葉として脚光を浴びているが、これも仏の言葉が語源。相手の厚意に対し、最高の謝辞を述べるときにも使いたい〝ありがたい〟言葉だ。「もったいない」は、使いきっていないものを捨てるのは「まだ、惜しい」というような場合に使われるが、本来は単に「惜しい」というのではなく、そこには、そのものの本質、命に対する敬意や愛がひたひたとあふれている。「もったいない」は「勿体ない」。「勿体」とはものの本来あるべき姿のこと。そこから転じて、威厳、重々しさなどを意味する言葉となり、「妥当ではない」「本質的ではない」という意味としても使われるようになった。その後、さらに転じて、「自分には不相応である」「惜しい」「過分のことで恐れ多い」「かたじけない」という意味にも使われるようになった。自分には過ぎた話を持ちかけられたり、過分なものを贈られたときなどに「私にはもったいないお話(品)」などのように使う。相手の行き届いた配慮に対して、「もったいないことです」、女性言葉では「もったいのうございます」ということもある。あるいは、人から申し出があったが、あまり気が進まないというときに、「私にはもったいないお話で」といえば、婉曲的な「ノー」になる。いわゆる〝敬して遠ざける〟という話法で、あくまで相手にハナを持たせながら申し出を断る。そうすれば、相手もそうイヤな気持ちにはならず、カドが立たない。そんな便利な使い方もできることを知っておこう。「MOTTAINAI」と書けば、今や世界的に通用する国際語になっている。ケニア出身の環境保護活動家でノーベル平和賞受賞者のワンガリ・マータイさんが、日本の「もったいない」精神を知り、この精神を世界に広めたいと、二〇〇五年三月の国連女性地位委員会で、出席者全員と「MOTTAINAI」と唱和したことは広く知られている。「MOTTAINAI」精神は、単にケチや倹約・節約を意味するのではなく、そのものが持つ〝命〟をとことん生かしきったかどうかという問いかけである。地球環境を守るためのキーワードとして、世界に広げていきたいものだと思う。どういたしまして──◉お礼をいわれたときに使う返礼の言葉挨拶は双方の言葉の行き来で成り立つもの。お礼の言葉には、それに対する返礼の言葉がある。最近はあまり聞かれない、おくゆかしい返礼言葉を忘れていませんか?英語の達人かどうかを見極める決め手のひとつは、「Thankyou.」といわれたとき、きちんとした返礼ができるかどうかだという。英語なら「Youarewelcome.」や「Notatall.」「It’smypleasure.」などの表現がある。「ありがとう」「恐縮です」などとお礼をいわれたとき、「いえいえ、とんでもない」「気にしないでください」などといって、大きく手を振る人がいるが、もっと自然で品のいい返礼言葉がある。それが「どういたしまして」だ。「どういたしまして」は、相手の言葉をやわらかく否定する言葉。相手に「このたびは、たいへんご迷惑をおかけいたしました」などと詫びられた場合も、「どういたしまして。こちらこそ行き届きませんで」と応じれば、品性を感じさせる大人の返事となる。ちょっとした挨拶言葉に、それにふさわしい言葉を返せるかどうかは、英語の場合ばかりでなく、日本語の場合にも、言葉力をはかるひとつの目安になる。ふさわしい言葉がすぐに口から出るためには、その言葉が自分の一部ででもあるかのように、しっかり身についていなければならないからだ。日頃から、「ありがとうございました」といわれたら、「どういたしまして」と返す習慣をつけておきたい。おたがいさま──◉ちょっとした親切にお礼をいわれたときに相手が恐縮しているとき、こちらだって、同じような立場になることがあることを伝えれば、相手の気持ちの負担はすっと軽くなる。そんな心づかいのひと言が、これだ。「すまないが、今日はどうしてもはずせない用事があるんだ。残業、代わってくれないか?頼む」こう同僚から頼まれた。そんなとき、「ああ、いいよ、事情があるときはおたがいさまだから」と答えれば、相手の気持ちの負担も軽くなり、同時に「その代わり、オレの都合が悪いときはよろしくな」というニュアンスも伝えることができる。

このように、依頼を受けたときの返事のほかにも、「昨日はありがとう」と、風邪でダウンした同僚の仕事をカバーしてあげたことにお礼をいわれたときなども、「気にするなよ。おたがいさまだもの」といったりする。「おたがいさま」は仏教をルーツにする言葉で、もともとは、「共に阿弥陀さまの前に坐る凡夫」からきた言葉と伝えられている。私もあなたも、おたがいに煩悩具足、力の足りない者同士であるから、助け合い、励まし合って精進しようという気持ちが言葉の底に流れている。今の世の中がなんとなくギスギスしているのは、この「おたがいさま」の精神が乏しくなっているから、とはいえないだろうか。ことにふれ、折にふれ、「おたがいさま」と口にし、その精神を復活させていきたい。いいお日和ですね──◉こう話しかけられたら、気持ちがやわらぐいきなり本題に入るよりも、まず、あたりさわりのない話をすると、その後の会談がスムーズになる。そんなとき、気候や季節の話題を選べば、まず失敗がない。最近のビジネスシーンでは、挨拶に続く言葉はほぼ例外なく、「お忙しいところをどうも」に占拠されてしまった感がある。たしかに時代の動きは目まぐるしく、だれもがいつも忙しい。だからこそ、本題を切り出す前に少しの間、気候や季節を話題にし、ほんのひととき、窓外の景色に目をやってはどうだろう。超高層ビルのオフィスの窓から見える空にも、鰯雲が浮かんで秋を告げたり、曼陀羅のような夕景が浮かんでいたりすることもある。こうした光景に一瞬、目をとめる余裕まで失ってしまうと、仕事にも余裕のなさが反映され、職場の雰囲気もギスギスとした味気ないものになってしまわないだろうか。少し前までは、朝などに家の前の通りを掃き清めながら、通りかかる人を見かけると、知らない人であっても、「いいお日和ですね」「すっかり過ごしよくなって」「いいお湿りで」などと、どちらからともなく声をかけあったものだった。これらの言葉には、季節の移ろいを心地よいものとして受け入れようとする、庶民のしなやかな感性も窺われる。家の前を掃き清める人もあまり見なくなってしまったし、見知らぬ人とふと言葉を交わすこともなくなってしまった今、世の中の雰囲気もそれだけ味けないものになってしまったような気がする。「いいお日和ですね」──。明日の朝、通りがかった人にこう言葉をかけたら、どんな反応が返ってくるだろうか。あんがい、気持ちのよい返事が返ってくるような気がするのだが……。お足元の悪いところ──◉雨や雪の日の訪問客を迎えるときの決め言葉適温に調整されたオフィスにいると、つい外の気候を忘れてしまう。だが、訪問客は雨や雪のなかを足を運んでくれるのだ。そんな日はこんな言葉でねぎらいたい。いくら道路が整備されて歩きやすくなったといっても、雨の日や雪の日の外出は気が重い。そんななかを出かけたところ、訪問先で開口一番、「お足元の悪いところをありがとうございました」と挨拶された──。このひと言で、重い気分は一掃されてすっきりと晴れてしまった。人の心とは他愛ないといえば他愛ない。いや、何げなくかけた言葉でさえ、それほど大きな力を持っているというべきだろうか。「お足元の悪いところ」のほか、「外はお暑かったでしょう。まず、冷たいものでもどうぞ」「今日は冷え込みがきついようですね。温かいものでもいかがですか?」などといわれると、訪問客の気持ちが和らぎ、その後の会話も自然に弾んでくる。道路が舗装されていなかった時代、そして、移動の手段は「歩く」のが普通だった時代は、雨の日は、着物の裾を汚してしまったり、はきものが泥だらけになったりと、それは難儀だったもの。「お足元の悪いところ」は、そうしたなかを出かけてきてくれた相手をねぎらうために、ごく自然に生まれた言葉なのだろう。まず、相手の立場に立ってものをいう。よき時代のおつき合いの基本的な姿勢が伝わってくるようだ。憚りながら──◉遠慮しながら、相手にものをいうときに本来なら、差し出がましく意見をさしはさむ立場ではない。でも、どうしても意見を述べたいというときには、こんな便利な言い回しもあることを知っておきたい。「憚る」とは恐れ慎むことを指す。つまり、「憚りながら」は、「自分のような者が意見を述べるのは非常に恐れ多いことですが、ひと言、述べさせてください」というニュアンスを伝えたいときに使う。意見を述べる前に、「憚りながら、私からもひと言、述べさせていただいてよろしいでしょうか」と話の口火を切ると、立場をわきまえた人、しかも、言葉の使い方を心得た人だという好印象につながるものだ。また、「憚りながら、私も人を教え導く教師の一人のつもりです。ここは私にお任せください」「憚りながら、私ももう三〇年以上、舞台一筋に生きてきた身だ。これしきの熱で休演にするわけにはいかない」など、あくまでも、自分の立場を謙虚に表現しながらも、その裏に、毅然とした姿勢をうかがわせるという場合にも、この言葉はよく使われる。ビジネスパーソンも、ところを得て使うと、言葉づかいの妙が光る。「憚りながら、私も営業マンのはしくれです。たしかにハードルは高いですが、目標達成に向けて全力投球します」などと決意を述べてみよう。ちなみに、トイレのことを「はばかり」ということもあることを心得ておきたい。ご縁がありましたら──◉袖振り合った人と別れるときのひと言飛行機や新幹線で隣り合わせた人など、その後、つき合いが続くことはないと思われる人でも、出会ったのは何かの縁。そんな思いを押しつけがましくなく

伝えたい。新幹線のなかなどで出会い、なんとなく言葉を交わした。やがて、降車駅が近づいてきて、立ち上がる。こんなとき、「では、私はここで」といって、あっさり別れるのが現代風なのかもしれない。だが、こんなとき、「ご縁がありましたら、また……」という言葉をかけられたら、相手はその出会いをなんとも心地よいものに感じ、その人が立ち去ったあとも、しばし、楽しかった会話の余韻に心温まるものを感じるのではないだろうか。「袖振り合うも多生の縁」という。道行く人と袖が触れ合うことさえ「宿縁」によるという意味で、ちょっとした出会いもすべて因縁によるのだから、出会いは大切にしようという言葉である。「袖振り合う」ことから考えれば、旅先でひととき、隣り合わせて座り、言葉を交わすのはよほど深い縁によるものだと思えてくる。別れぎわ、「また、ご縁がありましたら」という挨拶は、そうした思いをかみしめさせ、深い味わいを伝えてくる。「袖すり合うも……」ということもある。知っておきたい。また、こちらが好意を示そうとしたとき、相手が固辞したら、「これも何かのご縁ですから」とも使う。こういえば、押しつけがましくならない。最近はそんな光景もめずらしくなったが、突然の雨に見舞われ、見知らぬ人に傘をさしかけるときなどに、こうした言葉がよく使われたもの。格安のビニール傘の出現により、小さな触れ合いの機会はすっかり奪われてしまった。縁という言葉は、相手の好意を受け入れられないときなど、断る場合にもじょうずに使うと相手を傷つけることがない。縁談は、一方がその気になっても、もう一方がその気がないのなら、むろん、成立しない。そんなときは、「このたびはご縁がなかったようで」とひと言いえば、それ以上は詮索しないのが暗黙の決まりになっている。ビジネスシーンでも、プレゼンや入社試験の結果が不採用であった場合には、「残念ながら、このたびはご縁がなかったようです」のように使う。奇遇ですね──◉知人と思いがけないところで会ったときに知人と偶然会って、「どちらへ?」と聞いたり、めずらしいところで出会って「なぜ、こんなところへ?」と聞いたりするのは立ち入りすぎ。その代わりになる言葉は…。最近は多少変わってきたとはいえ、日本人のつき合いはよくも悪くも、相手に関心を持ちすぎる。休日、駅に向かう道で知人に会い、「今日はお休みなのにお出かけ?どちらまで?」と質問攻撃にさらされた……。そんな経験をしたことはないだろうか。だが、プライバシー意識も進んできた。こんなときは、「お出かけですか?お気をつけて」という程度でとどめるようにしよう。このほうが、ほどよい距離感の人間関係を保つことができ、結果的に長くつき合いを続けられる。子ども連れなら、「あら、ヒカルちゃん、今日はパパとママとお出かけ?よかったわね。楽しんでいらしてね」と声をかけるくらいがほどよい。また、思いがけないところで知人にばったり出会ったときも、「奇遇ですね」「めずらしいところでお目にかかりましたね」といい、なぜ、先方がこんなところにいるのかなど、それ以上の詮索はしないのがマナー。こちらにはそんな気持ちはなくても、それ以上尋ねるのは、好奇心むき出しという感じになり、品のよい行為とはいえない。おたがいに気まずい思いをするような場で出会ったり、相手に異性の連れがいたりする場合は、目が合わないかぎり、気づかないふりで通り過ぎるのが大人の心づかいである。おたがいの立場を入れ替えて、自分だったらどうしてほしいかを考えると、その場でどう振る舞えばよいかがわかるはずだ。お名残惜しい──◉一緒に過ごした時間の楽しさを倍増させる別れの言葉訪問先ですっかり長居をしてしまった。そろそろ引き揚げなければならないが、かといって「そろそろ時間ですので」では、ややそっけない。そんなときのひと言とは…。同窓会で久しぶりに会った、なつかしい顔ぶれ。次に会えるのはいつだろう──。そんな思いから、座を切り上げなければならない時間が迫ってきても、散会時間が来たことを切り出せない。こんなとき、「お名残惜しいですが、そろそろ時間なので……」というと、だれの胸にも同じ思いがしみていき、別れの時間が来たことを深い思いとともに伝えられる。長居の客に引き揚げてもらいたいときにも、「お名残惜しゅうございますが……」と切り出せば、相手もそれと察して、気持ちよく席を立つはずだ。別れぎわ、何度も別れを惜しむことを、「名残を惜しむ」ということもある。遠距離恋愛の経験者なら、別れぎわの「名残惜しさ」は胸に深く刻まれているのではないだろうか。「名残」とは、何かが過ぎ去ったあともなお、それを思い出させるような思い、余韻をいう。漢字で「名残」と書くことから、「名を残す」ことだと考えられがちだが、本来は、打ち寄せた波が引いたあとに残っている海水や海藻をいう言葉だった。「波+残り」から生まれた言葉で、そこから、余韻やあとに残る影響を「なごり」というようになったのだ。「名残」が、別れを惜しむという意味で使われるようになったのはかなり古い時代からで、平安時代にはすでに「名残の雪」とか「名残惜し」という表現が見られる。よく年配の女性などが、別れぎわに一、二度振り向いては「お名残惜しゅうございますが……」とくり返し、頭を下げ合っていることもある。はたで見ていても、おくゆかしさが伝わるやりとりだ。お平らに──◉男性を和室に招いたときの心づかい日本の伝統作法にのっとった座り方、それが「正座」。しかし、堅苦しいままでは、相手と打ち解けることもできない。そんなときの心づかいの日本語を知っていますか?料亭や座敷の宴席などに通され、ふだん座りなれない「正座」で待っていると、招待側が、「どうぞ、お平らに」と声をかけてくれた。これはどういう意味なのだろう?「お平らに」とは、正座を崩して結構ですよ、どうぞ、くつろいだ楽な姿勢になってくださいという意味になる。主に男性に向けて使われ、暗に、どうぞ、あぐらに切り替えてください、といっているのだ。

あぐらは正座よりも姿勢が低くなり、体が少し平らになったような印象になる。そこから、「お平らに」というようになったのだろう。女性に対するときは、「どうぞ、お楽に」とか、「お楽になさってください」というのが普通。「お平らに」「どうぞ、お楽に」といわれたら、「お言葉に甘えて」「では、失礼させていただきます」といって、膝を崩してかまわない。そもそも、正座は人が座る姿勢としてはかなり無理があり、日本以外では、罪人が拷問を受けるとき以外はこうした座り方はないと聞く。日本でも、正座は元来、神や仏を拝む場合や征夷大将軍にひれ伏す場合のみにとられた姿勢で、ふだんは武士も女性も、あぐら、または立て膝で座るのが普通だった。正座が広まったのは江戸・元禄のころから。江戸初期に、幕府は小笠原流礼法を採用し、大名たちが将軍に向かうときには正座をすると定められる。これがしだいに各大名家に伝えられ、さらに一般にも広まったのである。また、畳が普及したことも、正座の普及を進める要因となった。椅子に座る生活が主流になった現代では、正座ができなくても恥にはならない。かえって無理をして足がしびれ、立ち上がるときにふらついたりするほうが見苦しい。招待した側は、早めに「お平らに」のひと言を忘れないことが、欠かせない心づかいとされる。お膝送り──◉少しずつ詰めあい、一人でも多く座れるように公共の場で長椅子に座るときは、隣の人との間隔に気を配りたい。詰めて座らないと、本来座れる人が席からあふれてしまう。そんな注意を喚起する上品な表現。病院の待合室など長いシートを渡した椅子は、すでにいっぱいのように見えても、よく見ると間が少しずつ空いていることがある。あるいは、長い足をもてあますように足を広げて座り、一人で二人分ぐらいのスペースをとって平気な顔をした人もいる。そんなとき、「ちょっと詰めてくれませんか?」という代わりに、「恐れ入りますが、お膝送りを……」というと響きがよく、相手の気持ちを逆なでする心配もない。もっとも、「お膝送り」の意味がわからず、無視されて終わり、という可能性もありそうだが。大座敷にたくさんの客が並ぶ大茶席では、茶室で茶を点てるのは正客の分だけ。あとは、控えの者が陰点したお茶を次々運び、飲んでいくことが多い。「お膝送り」はこうした席で、先客が少しずつ膝をずらして詰め、できるだけたくさんの人が座れるようにはからうのが、礼儀のひとつとされたことに端を発する。ちなみに、ギネスブックには、二〇〇六年一〇月八日、愛知県西尾市で市民一万五〇〇〇人が同時に抹茶を飲んだ大茶会の記録が掲載されている。市街地の路上に赤いマットを敷いた席に、次々、お膝送りをして詰めて座ったのだろう。「お膝送り」とよく似た言葉に、江戸しぐさの「こぶし浮かせ」がある。渡し舟が満員のときなど、一人一人がこぶしひとつずつ分ぐらい詰めると、さらに何人かが座れるスペースが生まれることをいう。「お膝送り」も「こぶし浮かせ」も、「おたがいさま」の精神を物語る、日本人の心づかいに満ちた暮らしに根ざした言葉である。お流れちょうだい──◉今も、接待などの席で行き交う言葉宴席などで、取引先や上司などから杯を差し出された。「恐縮です」といって受けるのも悪くはないが、もっと場にふさわしいひと言がある。室町時代の『酒飯論絵詞』にある武家の宴会の様子を見ると、大きな杯に酒をなみなみと注ぎ、それを回し飲みする習慣があったことがわかる。これがやがて、目上の人の前に部下が一人一人、自分の杯を持って前に出、目上の人が大きな杯から、部下の杯に酒を移し、部下がそれをいただくという習慣に変わっていく。このとき、「お流れちょうだい」という挨拶言葉も生まれた。やがて、目上の人が使った一人用の杯を下の者に差し出し、これに酒をついで飲むようになっていく。杯は差し出す前にさっと洗われ、そのために専用の水を満たした器・杯洗が用意されるようにもなった。「お流れちょうだい」は、この杯を使い回すときにも使われた。おたがいにごく親密な間柄になったことを象徴する行動として、今でも宴席などで行なわれる。そうしたやりとりのときには、ぜひ、使ってみよう。おつもりです──◉こういわれて、キョトンとしていませんか?「朝まで飲むぞお」などと気炎をあげる人もいたりして、酒の席を閉じるのは案外むずかしい。そんなときには、暗黙のうちに「これで終わり」と告げるこの言葉を。飲めば飲むほど盛り上がる酒の席。だが、もてなす側や店側にしてみれば、そろそろ引き揚げてほしい時間がある。そんなとき、ストレートに「もう、お帰りください」とはいいづらい。お酒が入っているだけに、急に機嫌が悪くなり、意地になって飲み続けようとする人もいるかもしれない。そんな場合には、もう一本銚子をつけ、「(これで)おつもりです」といって酌をすると、「これで最後ですよ」、つまり「これを飲み終わったら、お帰りください」とさりげなく伝えることができる。同じ意味でよく使われるのが「お開き」だ。「そろそろ、お開きにしましょうよ」といえば、カドを立てずに、おしまいにしたいと伝えることができる。ただし、この言葉は店側は使い方がむずかしい。そういう場合は、「おしまいに熱いのを一本おつけして……」などといってみよう。それでも、御神輿をあげる気配が見られなかったら、「もう遅いので、そろそろ……」とか、「そろそろ電車がなくなる時間ですが……」などと、「おしまいにしてください」サインを送ってみよう。逆にいえば、そこまでいわれないうちに引き揚げどきを判断し、適当に切り上げるようにするのが飲む側の心づかいといえる。お粗末さま──◉「ご馳走さま」といわれたら…手作りでもてなされるほど感激することはない。心の底から「ご馳走さま」といわれたら、なんと返したらいいだろうか?こんなときの常套句がちゃんとある。ひそかに思う男性を自宅に招いて手料理でもてなせば、たいていは〝陥落〟するそうだ。「ご馳走さま。ああ、おいしかった」と彼がいったとき、彼女が「お

粗末さま」といえば、作戦はさらに完璧。こうした言葉を使いこなすことは、しつけの行き届いた、きちんとした家庭で育ったことを示しているからだ。「お粗末さま」は、「ご馳走さま」に対して返す決まり言葉。もちろん、本心から、粗末なものを出してすまないといっているのではなく、あくまでも謙遜した日本らしい表現だ。少し前までは、家族の間でも、「ご馳走さまでした」というと、妻や母親などが「お粗末さまでした」といったもの。挨拶言葉はふだんから口にしていないと、いざというときに出てこない。最近の家庭では、「ご馳走さま」の答礼は行なわれているだろうか。「お粗末さま」の代わりに、「お草草さま」ということもある。草は、書体の「楷書」「行書」「草書」とか、礼法の「真」「行」「草」などの「草」。いずれの場合も、本来の形をかなり自由に崩した形をいい、その自由奔放さを楽しむのである。「お草草さま」は、「きちんと行き届いたものでなくすみません」というぐらいの意味になろうか。もちろん、これも謙遜表現だ。いうまでもないが、レストランなど外でご馳走した場合には、先方が「ご馳走さま」といっても「お粗末さま」は使わない。自分が選んだ店が、粗末な料理を出したことになり、かえって失礼になってしまうからだ。こうした場合は、「お口に合いましたか」という。お口汚しですが──◉食べ物をすすめるときに添えたいひと言他人に対するときは、へりくだった言い方をするのが日本の伝統作法。少し古くさく感じても、相手が年長者である場合などは作法どおりのほうが受け入れられやすい。人に食べ物をすすめたり、進物をする場合は、だれでも十分に吟味した自信のあるものを選ぶはずだ。最近は、そうした気持ちを素直に表し、「これ、このあたりの名物で、とてもおいしいと評判なんです。どうぞ、お召し上がりください(ご賞味ください)」というような言い方が一般的になっている。だが、年長者やマナーにうるさい人には「お口汚しですが」というほうが、好感を持たれやすい。「口を汚す」とは「まずい」という意味ではなく、口を汚す程度の大したものではありませんが、という意味である。もちろん、実際に出すものは心を尽くし、腕によりをかけてつくった自信の一作なのである。つまり、「お口汚し」はあくまでも、謙遜に徹した言い方だということだ。また、この言葉は、大皿や大鉢に盛大に盛りつけたご馳走には、似つかわしくないことを知って使いたい。「お口に合えばよろしいのですが」とか「お口に合いますかどうか」という場合もある。味の好みに合うかどうかという意味というより、「私どもでお出しするような粗末なものがお口に合いますかどうか……」というニュアンスになり、これも、謙遜の思いを表した言葉になる。「おばさまはお饅頭がお好きだったでしょう。ですから、○○屋の利休饅頭を求めてまいりました。きっとお口に合うと思いますが……」のように、相手のために、わざわざ労を尽くして求めたものだと伝えるのもよい。言葉とは、相手に合わせて選び分け、使い分けるもの。話し相手やシチュエーションしだいで、同じ言葉がベストな言葉づかいになることもあれば、場に不似合いな言葉になることもあるということだ。いただき立ち──◉食事をご馳走になってすぐに帰らなければならない…食事までご馳走になったのに次の予定時間が迫り、食後すぐに帰らなければならない。そんなときに非礼を詫びる言葉を知っておくと、マナー知らずといわれずにすむ。食事をご馳走になったら、その後もゆったりと一緒の時間を過ごし、心ゆくまで談笑にふけりたいもの。ご馳走するほうも、たいていは食事が本命というわけではなく、じっくり話したいという気持ちを持っているはずだからだ。ところが、どうしても時間の都合がつかず、食事を終えるとすぐに帰らなければならないこともある。そんな場合は、「いただき立ちで失礼ではございますが」というと礼にかなった挨拶となり、不快感を与えない。「いただく」は食事を食べたり、飲んだりすること。「立つ」は「出立」の意である。午前中に用をすませる心づもりで訪問したのだが、つい話が長引き、昼時になってしまった。すると、「お昼ご飯をいかがでしょうか。この辺においしいうなぎ屋があるんですよ。今すぐ、注文いたしますから」といわれた。だが、午後は午後で予定があり、そうゆっくりもしていられない。こんな場合は、「せっかくですが、午後の予定があり、いただき立ちになってしまいますので今日は失礼させていただきます」といえば、スマートに食事の申し出を断ることができる。知っておくと便利な言葉だ。お持たせですが──◉いただいた菓子などを一緒に食べるときの常套句来客が持参した菓子などを、来客と一緒に食べるのは失礼に当たらないだろうか?そんなとき、このひと言を添えれば、礼儀を欠くことはない。来客が、おみやげにケーキなどを持ってきてくれた。それを、そのお客に出すとき、「お持たせですが」とひと言添えると、失礼な印象がなくなるだけでなく、喜びを共有したいという気持ちも表現できる。いちごのショートケーキなどのポピュラーなものは、もてなす側も同じものを用意していることもある。そんなときは、来客が持ってきてくれたものを「お持たせですが」といって出すのがマナー。そうしないと、お客が持ってきたケーキより、あらかじめ用意してあったもののほうがおいしそうだから出した、というふうにとられかねない。そうした失礼を避けるためにも、来客は訪問したらすぐに、玄関先などで手みやげを差し出すようにする。また、受け取ったほうはその場で、「なんでしょう、うれしい」などといって中身をたしかめるか、「遠慮なく頂戴します」「ありがたく頂戴いたします」といって、奥で包みを開けて中身をたしかめるようにする。「お持たせですが」といってケーキなどを出す場合は、来客だけに出すのは失礼になるということにも気をつけたい。「私もお相伴にあずかります」「私もご馳走になります」などといって、来客と一緒に味わい、「さすがに○○屋のケーキはおいしいですね」と、お客が持参したものをほめる。これも大切な心づかいだ。なお、お客が持参したものではなく、ほかの人からの頂き物を出すこともある。そんなときには、「到来物ですが、おめずらしいと思いまして……」のようにいって出すようにするといい。

ご散財をおかけしました──◉相手にお金を使わせてしまったときに相手が目上で、懐も豊かだという場合でも、大きなお金を使わせてしまったら、「ありがとうございました」だけでは言葉が足りない。そんなときにはこのひと言を。上司や先輩にすっかりご馳走になってしまった。そんなとき、「今日はご馳走になり、ありがとうございました」でももちろんよいが、ひと言、「ご散財をおかけしてしまい、恐縮です」といってみよう。そういわれた相手は、「なかなか気のきいた言葉を知っているヤツだな」と思うだろう。むろん、あなたの評価も上がるはずだ。「ご散財をおかけしました」は、そんな場合の決め言葉である。散財とは、大きなお金、予定外のお金を使うこと。友人から、結婚祝いや出産祝いをもらった場合なども、「散財かけて悪かったな」などと使うこともある。相手がリッチであることがよくわかっている場合や、得意先で接待を受けた場合などには、「ご散財をおかけしました」は、かえって失礼に響くこともある。こんな場合は、ごく普通に「すっかりご馳走になり、ありがとうございました」でよい。また、こんなケースもある。割り勘で、と思っていたのに、相手が支払いをすませてしまい、「まあ、今日のところはいいよ」とお金を受け取ってくれない。そんな場合は「では、今日は甘えさせていただきます」と素直に従うほうが、相手の気持ちを損なわないものだ。こうした場合も、「ご散財をおかけしてしまい……」は、皮肉に聞こえてしまう心配があるので使わない。つまり、「ご散財をおかけしました」の使い方は、けっこうむずかしいということがわかるだろう。それだけに、最適の場で使うと評価アップを期待できる。お気持ちだけいただいておきます──◉相手の厚意に応えられないときにありがた迷惑という言葉がある。厚意からであることはわかるのだが、こちらにとってはうれしくない、あるいは迷惑だ。そんなとき、相手の気分を害さずに断るには。人から贈り物をもらうことは基本的にはうれしいことだが、なかにはもらうべき筋だとは思えない場合がある。また、すでに自分も持っている、センスが合わないなど、もらっても無駄にすることが明らかなこともある。こんなときには、「お気持ちだけいただいておきます」というとよい。結局は相手が差し出した贈り物を突っ返すことになるのだが、「お気持ちだけいただく」という気のきいたフレーズのおかげで、相手はそう悪い気はしないものだ。また、相手が、経済的にゆとりがないことはわかっている。そんな友人が、一緒に飲んだ費用を半分持つという。こんな場合も、相手の事情を察して、「今日のところは気持ちだけもらっておくよ」のようにいえば、相手もこちらの配慮をすんなり受け入れてくれるはずだ。だが、相手の性格によっては、そういわれるとバカにされたように感じることもあるようだ。「気持ちだけいただく」は、相手の性格、立場などを十分考えに入れたうえで使うようにしたい。ご自愛ください──◉手紙やメールの最後に添えると好印象に「お体に気をつけて」では、健康面への配慮をうながすだけの言葉で不十分。毎日、大事に過ごしてくださいね、という思いを丸ごと伝える便利な言葉はないだろうか。別れぎわには、よく、「くれぐれもお体を大切になさってくださいね」「あなたも、どうぞ……」などと、おたがいに相手の健康や無事を祈る言葉を言い交わすことがある。だが、長い別れや遠く離れてしまう場合でないと、こうしたやりとりはいささかオーバーではないだろうか。「ご自愛ください」は、こうした場合にひと言添えて、相手への気づかいをほどよく伝える決まり言葉だ。「ご自愛」とは、ご自分のことを大切にしてくださいね、という意味。健康に気づかうことはいうまでもなく、仕事や勉強、私生活でも無茶や無理をしないこと、品行を慎むことなど広い意味を持っている。手紙やメールの最後にも、「ご自愛ください」「ご自愛のほど、祈り上げます」と書き添えると、ていねいで行き届いた印象になる。かしこ──◉手紙の最後に書かれているが…大叔母からの手紙の末尾には、必ず「かしこ」と書いてある。たしか、名前は「しのぶ」だったはずだが…などといったら笑われる。いったい、どういう意味なのか?女性の手紙文の末尾に書く常套句。使われ始めた歴史はかなり古く、江戸初期には「めでたくかしく」「めでかしく」「かしく」などがよく使われた。明治になってからは、「あなかしく」「あらあらかしこ」「かしこ」と使われるようになった。鎌倉初期の『玉章秘伝抄』に、「穴賢」は、準漢文体書簡の「恐惶謹言」と同様の礼であると定める一文がある。「恐惶謹言」とは、恐れ入りながら、謹んで以上のことを申し上げます、という意味になろうか。つまり、本来和文体の結びの言葉であった「穴賢」が、このころから女性や子ども、また主人から家来へつかわす手紙である準漢文体書簡の結びとしても使われるようになり、それを正式に礼法にかなうものと認められるようになった、というわけである。年配の女性の手紙などに今も見られる「かしこ」は、その流れ。また、「あなかしこ」は、「あなただけにあてた親書ですよ」という意味合いを含む、という解釈もある。

 

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