01健康の3つの数値をノートに残す
決算発表の朝、突然意識不明にさて、ここまで、変革、仕組みづくり、風土改革まで、一冊の手帳を思考の基地として、経営のさまざまな局面を乗り越えてきました。
もちろん、それらのノウハウを理解し、取り入れることも大切ですが、その大前提として、自分自身の健康を保つことがすべてにおいて大きな意味を持ちます。
それは、何も、屈強であれということではありません。
ただ、組織を預かる以上は意図的に心身を健やかな状態に保つこと、つまり健康管理は、上に立つものとしての務めでもあるのです。
そして、何よりも健康でなければプライベートも充実しません。
健康は1回きりの人生を送る必要条件なのです。
それを痛感したのが、社長になって約1年後の2002年1月10日のこと。
前年11月までの第3四半期の決算発表の日でした。
この日の朝、私は自宅で意識を失います。
目の前が暗くなり、何もわからなくなりました。
決算発表は社長の仕事です。
代役を立てるわけにはいきません。
幸い、次第に落ち着いてきて、何とか大事には至らず、決算発表も行うことができました。
ただ、そのまま仕事を続けるのは危険だと判断し、数日後に病院に行き精密検査を受けました。
なぜ突然、意識不明になったのか、その原因はわかりませんでしたが、おそらく疲労とストレスだったのでしょう。
夜の会食も増え、体重が増えていました。
なんとか細かいメンテナンスで維持できると思っていたのですが、それでは足りないほど、カロリー摂取が増えていたのでしょう。
このとき医者に勧められて始めたのが、毎日の血圧測定です。
朝起きると、まずストレッチを行い、それから血圧を測ります。
そして、上(収縮時血圧)と下(拡張時血圧)と脈拍の3つの数値を日付とともにノートに書き込みます。
手帳に書くことも考えたのですが、毎日の数値を小さな紙面に書き込むと、見づらくなってしまいます。
何よりも、手帳は大きな骨格だけを書き、一覧性と簡潔性を備えていなければ、かえって使いづらくなります。
そこで、専用のノートにしました。
血圧を下げる薬など、薬を飲んだときも、このノートに書いています。
夏はほとんど飲まなくてもいいのですが、冬は血圧が高くなることがあり、上が150を超えてくると具合が悪いので薬を飲みます。
社長は最後の決裁者ですから、責任の重みと、それに伴うストレスの大きさはそれ相応のものがあります。
実際に社長を引き受けてみて、その前の専務の時代と比べて20倍ぐらいきつくなったという印象があります。
人によっては、100倍きつくなったと言う人もいるぐらいです。
社長と副社長、トップとナンバーツーでは、それほどまでに受けるプレッシャーがまったく違うのです。
02健康も「C」「A」で管理する
体重と血圧の関係を記録から読み解く私の場合、まず健康管理で重要になるのは、血圧と体重です。
血圧と体重は私にとってパラレルの関係で、血圧が高いときは体重が重く、血圧が低いときは体重が軽い。
逆にいうと、体重が増えると血圧も上がり、体重を減らすと血圧も下がるという関係です。
この関係がわかったのも、血圧とともに体重をノートに書き続け、それを振り返ってきたからです。
記録を残し(D)、それを評価して(C)、改善する(A)のは、健康管理も仕事も変わりません。
あるときから体組成計を利用するようになり、体重だけでなく基礎代謝や体脂肪率、内臓脂肪レベル、筋肉量なども測るようになりました。
現在は、体組成計に乗れば、Wi-Fiでスマートフォンに情報が飛び、アプリですべての数値が管理できます。
便利になりましたが、体重と体脂肪率、血圧の上下、脈拍の5つの数値は今でもノートに書き続けています。
序章で、前年の手帳の同じ時期を見ながら、今年の予定を考えると述べましたが、ノートも1年前の同じ時期の数値と見比べます(C)。
体重が同じか、減っていればいいのですが、増えているのは危険信号。
「運動して汗をかいて体重を減らさなければ」と、手帳を見ながら、ウォーキングができる時間を探します(A)。
これら以外に、健康のために就寝時間を手帳に書いておき、土日に直近の1週間を振り返る際にチェックしています。
社長時代は必死に経営を考えていましたから、まったく眠れないまま2日を過ごしたことがあります。
しかし、3日目には眠れるのです。
人間の生存本能というのはすごいなと思いました。
そして、3日目には眠れるんだという気づきが、2日くらい寝られなくても大丈夫だという安心感につながりました。
とはいえ、睡眠時間は健康には非常に大事ですから、7時間は眠るようにしています。
健康管理もPDCAの「C」「A」が大事になるのです。
30代からの各年代で3度13キロ超減量体重については苦い思い出があります。
それは、30代、40代、50代で、一度ずつ半年かけて13キログラムの減量をしたことです。
30代で、体重が85キログラムぐらいあったときに血液検査をする機会がありました。
検査結果に「濁」と書いてあるのが見えて医師に尋ねると、「脂肪分が血液の中にあって白く濁っている」と言います。
「これは、さすがにまずい」と思い、減量を決心しました。
まず手をつけたのは、夜に飲む回数を減らすことです。
飲んだ日は手帳に「飲」と書き、飲んだ日数を管理します。
週7日のうち、5日以上飲むと体重は増え、4日だと維持、3日にできると減ることがわかり、週に4日飲まない日をつくるようにします(P)。
そして、土日の運動。
若いときはランニングとスイミングで体重を減らしました。
もともと体育会系ですから運動すること自体は大好きで、ランニングもスイミングもまったく苦になりません。
食事のコントロールも必須ですから、まずは毎食の量も減らしました。
ときには、プチ断食で、夜はサラダだけにしたりします。
もちろん糖分の多い飲料もやめ、ウーロン茶に切り替えます。
こうして食事量を減らして3カ月くらい経つと、慣れて胃が小さくなるのか、それほど量を食べなくても満腹感を得られるようになります。
こうなると、しめたもので、だんだんと体重が減り始めます。
それでも、十数キログラム落とすのには、少なくとも半年はかかりました。
苦労して体重を落としたことで、それから4~5年はベスト体重を維持できるのですが、6年目あたりからまた次第に体重が増え始め、それから数年でまた85キログラムオーバーになって減量に挑むということを2回も経験しました。
50代のときには、冬は体重が落ちづらく、夏のほうが落ちやすいことがわかっていたので、3月から減量をはじめ、6月ぐらいに少量でも満足できる胃になり、夏の運動で多くの汗をかくことで、半年で十数キログラムの減量を成功させました。
自慢にもなりませんが、3度の経験で、減量のコツを習得したのです。
夜増えた分は翌朝すぐに減らす60代は会長になっていたこともあり、同じ轍を踏むわけにはいきません。
社長のときは夜の会食もほとんどが仕事がらみですから減らそうにも減らせなかったのですが、会長のときはそれほど夜の会食も多くなくなりました。
それでも会食が続くと体重が1~2キログラム増えます。
そのときは、翌日朝5時に起き、ストレッチと血圧・体重測定を行ったあと、8キロメートルのウォーキングに出かけます。
自宅近くの川の土手を4キロメートル歩き、橋を渡って戻ってきます。
時間にして約1時間20分。
シャワーを浴びて、また体重を量ります。
冬は1キログラムも減りませんが、夏は2キログラムぐらい減ります。
これで前日増えた分を取り返すことができるというわけです。
こうしたウォーキングの記録もノートに書くとともに、その前後の体重も書きます。
60代からの体重コントロールはもっぱらこの方法で、大量に食べたり飲んだりした翌日は、朝ウォーキングをして増えた分をすぐに減らします。
翌日すぐに取り返してしまうのがコツで、これにより私のボーダーラインである78キログラムまで体重が増えることはまったくなくなりました。
健康管理は個人の責任、自己責任です。
自己責任で健康管理をしていかないと、仕事だけでなく人生を楽しむこともできなくなってしまいます。
「健康第一」とよく言いますが、この歳になって、それを実感として受け止めています。
03趣味もPDCAで管理して楽しむ
三つ星レストラン巡りは「P」と「C」が大事社長になった2001年は、前にもお伝えしたとおり、さすがに大型の休みを取る余裕はなかったのですが、翌年からは、きっちり毎年10日以上の連続休暇をとるようにしました。
きっかけは、しまむらの社長(当時)、藤原秀次郎さんに言われた一言、「社長が休みを取らないと社員が休めない」でした。
毎年夏は約10日。
休みに入ったら、仕事は忘れて「休みを楽しむ」と決めていますから、飛行機に乗ってシャンパンを飲み干したら、きれいさっぱり仕事のことは忘れます。
たかが10日のことです。
社長や会長がいなくたって会社は動きます。
逆に言うと、そういう組織をつくらなければなりません。
夏休みは、毎年、ヨーロッパの三つ星レストランの食べ歩きです。
2017年は、イギリスに行ってからフランスに移動しました。
フランスの三つ星レストランはほとんど足を運びましたが、今回は5軒。
イギリスの3軒と合わせて8軒の三つ星レストランと1軒の二つ星レストランに行ったのが2017年の夏休みです。
だいたい12日前後休みをとり、ヨーロッパにいるのが10日間。
移動もありますから、9軒回れたのは上々の結果です。
現地の知り合いに頼み、半年くらい前から店を予約してもらったりします。
三つ星レストランの予約ですから、やはり早め早めに計画を立てることが肝心で、毎年、半年くらい前から計画表をつくります(P)。
食べに行ったら(D)、その日の夜か、翌日の朝に、すべての料理をその計画表に書き出し、印象と評価を書きます(C)。
二重丸はかなり美味しかった料理、三重丸は文句をつけようがないベストな料理です。
こうして記録を残しておけば、美味しかったレストランにまた行くことができます(A)。
美食を追求するにも記録、そしてPDCAの発想が役に立つのです。
同じ三つ星でも、すばらしく美味しい料理を出すレストランと味がいま一つの料理ばかりのレストランがあります。
じつは、三つ星、二つ星、一つ星の差よりも、同じ三つ星レストランのなかでの差の方が大きいのです。
したがって、お気に入りの三つ星レストランに出会うと本当にうれしくなります。
また、雑誌等で、レストランのコメントを求められることもあり、たくさんのフードジャーナリストとの情報交換も頻繁にしますので、記録は絶対に残しておかなければならないのです。
三つ星レストランを訪ね美食を堪能するのが旅行の目的ですから、観光は一切なし。
三つ星レストランの多くは、都心に集中する日本と違って田舎に店を構えています。
ヨーロッパでは多様な文化の中で歴史がつくられてきたため、それぞれが地域や地元の食材をものすごく大事にします。
したがって、自分の育った地域で最高のレストランをつくることが何よりの自慢です。
「豊かさ」の発想が日本とはまったく違うのです。
朝はゆっくり起き、11時ぐらいまでに朝食をとり、午後1時ぐらいにホテルをレンタカーで出発。
200キロメートルくらい走って5時ごろレストランのある地に着き、プールで軽く泳いで、夜の9時ごろから食事を始めます。
ゆっくりと食事を楽しんだ後は、そのままレストラン併設のホテルか近くのホテルに戻ります。
04自分を成長させる言葉を手帳に貯める
ヒントはメモしておいて熟成させる手帳には、後半にノートとして使えるページがあります。
ここには、そのとき自分が気になった言葉や印象に残った言葉などを書いています。
これらの言葉は、自己啓発の要素だけでなく、次期の部門運営の指針、経営方針をつくる際のヒントにもなります。
また、おもしろいことに、年代ごとに、自分の関心事が浮き彫りになるという効果もあります。
1993年の手帳を見ると、「メビウスの輪」が書いてあります(次の写真)。
総務人事部長として、非常に重要なマネジメント理論だと考え、手帳に書いて繰り返し見ていました。
2000年5月にMUJIネットの社長になりましたが、その年の手帳の後半ノート部分には、次の写真のような言葉が書かれています。
ここで紹介した言葉のほかにも、カルロス・ゴーンや野家の安倍修仁元社長の言葉などが書かれています。
インターネット販売を主事業とする会社の社長になったので、インターネットに関する言葉と、社長という立場になって気になった言葉が多く書かれています。
「莫煩悩」という言葉との出合い社長になった2001年、NHKの元寇に関する番組を見ていて手帳にメモしたのが、「莫煩悩」という言葉です。
正確に言うと、そのときはとっさに「漠ぼんのう」とメモしました。
漢字がわからず、あとで調べて「莫煩悩」だと知ります。
時の執権北条時宗は、元が攻めてくるという情報を得ますが、戦うかどうか思い悩みます。
勝てる可能性が低いことが、わかっていたからです。
そんなときに、僧の無学祖元から贈られた言葉が、「莫煩悩」でした。
「もう悩み尽くしたのだから、悩むことをやめて、自分の思う通りに行動しなさい」といった意味でしょうか。
折りしも、この言葉と出合ったのは、在庫を焼却処分したり、フランスの店舗で人員整理をしたり、品質不良を次々に発表したりと、先がまったく見えない時期でした。
自分がやっていることが本当に正しいかどうかもよくわからず、業績が回復する見込みも全然立たない。
だから、余計にこの言葉が印象に残ったのでしょう。
すぐに手帳に書きつけたのです。
時宗は、この言葉に励まされ、元と戦うことを決心します。
結果は、みなさんご存じのとおり、暴風雨によって元が退散して危機を乗り越えます。
私も、「莫煩悩」という言葉に出合い、いろいろと思い悩んでいても仕方がない、とにかく、目の前の課題を一つひとつクリアしていこうと心を強くしたのです。
いい言葉をストックして方針発表で使うさらに、2003年の手帳には、『経営は「実行」』(ラリー・ボシディ、ラム・チャラン著、高遠裕子訳/日本経済新聞社)を読んで、いろいろな言葉を手帳に書きました。
ちょうどその頃、私は「進化と実行」を経営方針に掲げます。
何より実行しきれないと経営には何の役にも立たないのです。
そんな時、この本に出合います。
自分のやってきたことが果たして正しいかどうか判然としない中で、間違っていなかったのだと確信させてくれたのです。
先人の書いた本は非常に役に立ちますが、なかでもこの本は企業の実証研究のなかから書かれていたため見事に本質をついていました。
経営者にとって大事なのは、本質が見えること、そして先が見えることです。
私には1キロメートル先しか見えないことでも、3キロメートル、いや5キロメートル先まで見える人が必ずいます。
自分が先と本質が見える人になろうとするよりも、先と本質が見える本や人から学ぶほうがはるかに効率的ではないでしょうか。
学んだことを記憶の片隅にとどめ、いざというとき、実際の仕事で活用できるように手帳に書いておきます。
さらに、毎年12月になったら、それらの言葉をワープロソフトに打ち込んで年ごとにまとめておけば、「座右の銘」のストックがどんどん増えます。
それは先人たちが生み出した「知」の宝庫とも言い換えられるでしょう。
そうやって、キャッチした「知」をいったん自分の手帳──思考の基地──に待機させる。
そして、自分の目指す方向を念頭に置きながら眺めるのです。
たとえば、経営方針を考えるとき。
今期は、当事者意識や責任感を経営方針にしようと思ったとします。
そんな意識でまとめた冊子をさらさらっとなぞって見ていくと、「当事者意識が成果を生む」という言葉が目に飛び込んできます。
「よし、これだ」と方針の一つに加える……。
こんな具合です。
自分というフィルターを通して手帳に短く書きとめた言葉は、シンプルでわかりやすく、方針としてもわかりやすく伝えることができます。
こうやって、手帳という基地から取り出し、「方針」の形で蒔いた種が、毎年芽を出し、花を咲かせ、実を結びます。
翌年はそこで得た経験を糧として、もう少し大きな種を蒔くことができるでしょう。
これも一つのPDCAの形です。
人も、組織も、そうやって螺旋(スパイラル)を描いて成長していくのです。
おわりに
手帳とPDCAについて、私の考えと実践したことについてこれまで述べてきました。
私は、計画5%、実行95%の組織が強いと思っていますので、PDCAでも「D」の実行を一番重要視してきました。
計画は、あくまで実行するための実行計画であるべきだと考えています。
そして、実行したことをどう評価するか、どう改善するかという「C」「A」もまた重要です。
実行の質を上げるために、または実行のヌケモレを防ぐためには、「C」「A」が欠かせません。
環境や技術、人の意識もどんどん変化する時代です。
今日のベストが明日のベストとは限らない。
そうした変化に早く気づき、早く対応するためにも「C」「A」が絶対不可欠なのです。
さらに、PDCAは回し続けることもまた重要です。
1回や2回回して終わりではなく、回し続けるためには、回り続ける仕組みにする必要があります。
気合や意識のみに頼ると、必ず尻切れトンボに終わります。
それらに頼らずとも回せる仕組み化こそが、PDCAを回し続ける秘訣です。
最後に重要なのが、手帳です。
実行するためには、実行するスケジュールをきちんと管理し、一日一日、時間をムダにすることなく行動するしかありません。
そのために手帳が役立ちます。
どんなに素晴らしい経営方針を立てても、それを口が酸っぱくなるほど経営者が語っても、それで実行されるのはせいぜい2~3割でしかなく、100%実行できる組織になるためには、日々手帳を使ってPDCAを回し続けるしかない。
これが私の結論です。
手帳を使ってPDCAを回し、繰り返し実行し続ければ、人も組織も着実に成長することができます。
一年一年成長を積み重ねることで、数年前にはできなかったことができるようになる。
まさに進化することができるのです。
2017年10月松井忠三
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