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第三章 トイレがきれいな会社に不況なし

目次

経営者が率先して清掃してこそ社内に浸透する

「トイレのきれいな店、清掃の行き届いている店で潰れたところはありません」 これは、全国の菓子業界を専門に歩いている大手食品新聞のベテラン記者の言葉です。

その記者は、店を訪れると、まずトイレを借り、きちんと清掃されているかどうかで店の業績を判断するといいます。トイレがきれいだと、店の清掃が行き届き、商品の整理整頓もきちんとなされているからです。

店の清掃や商品の整理整頓がなされていたなら、間違いなく二階や奥にある事務所も清掃や整理整頓ができています。

トイレの清掃一つから、その店、その会社の清掃に対する意識を読み取ることができるのです。どういう業種であれ、清掃の行き届いている店であれば、来店したお客様は気持ちよく買い物ができます。そのため、業績は好調です。

わが社の直営店、フランチャイズ( F C)店においても、店長が朝早く店に出てくることと、店の掃除を徹底して続けることを指導しています。

「掃除をしよう」という掛け声だけではダメで、その店のトップが本気で取り組まないことには、早出も掃除も、社員一人ひとりにまで浸透しません。

日本の中小企業のほとんどが「整理整頓」「清掃」をうたっていながら、形ばかりの掃除ですませているところが案外多いのも、会社のトップである経営者がみずから先頭に立って箒やモップを持って掃除をしたり、雑巾を手にトイレを拭いたりしていないからです。

トップの指示の下、社員は業務の一環としてやっているにすぎないため、どうしてもおざなりになってしまいます。

私流の言い方をすると、「掃除に魂が入っていない」のです。

イエローハットの創業者で、「日本を美しくする会」の鍵山秀三郎相談役は、私が最も尊敬する人物の一人ですが、汚れた便器を這いつくばって素手で洗います。

その姿を見て、感動しない人はいません。鍵山さんだけではありません。

一代で会社を起こして一部上場させた経営者で、私の知る範囲の人は朝早く会社に出てきていると第一章でお話しましたが、さらにいえば、その半分の経営者は毎朝トイレ掃除をしています。

楽天の三木谷社長は、自分の机のキャスターまでも毎日拭くそうです。一見すると、トイレ掃除と業績とは関係あるように思えませんが、私は、どこかでつながっているのではないかと思っています。

思っているだけでなく、私自身、六時前に出社すると、流通センターの倉庫の中、トイレなどを掃除して回ります。

出勤してきた社員は、私がモップを手に床磨きをしている姿を見ると、「自分もやらなきゃ」と気合いを入れて掃除をやりはじめます。

中小企業では何事も「率先垂範」が大切で、「掃除をしろ」と社員に文句をいう前に、まず経営者自身が黙ってトイレの便器を磨くことです。

子どもに勉強させたいと思ったなら、「勉強しろ」とうるさくいう前に、親が黙って本を読むなり、勉強するのが一番だ、というのと同じで、経営者が箒や雑巾で一心不乱に掃除をしている姿を社員が目にすれば、何もいわなくてもすすんで掃除をしようという雰囲気が生まれます。

社員の中に自主的に床を掃き、トイレを掃除する心が芽生えたら、確実に会社はよくなっていくでしょう。

社員の心を荒ませないためには、人間なら人格を、会社なら社格・社風を磨いていかねばなりません。

人生を豊かにする秘訣は、平凡なことをコツコツと続けることです。平凡も徹すれば非凡になり、それが人を感動させる力となるのです。

人生だけでなく、事業経営においてもそれは大切なことであり、平凡で小さなことの積み重ねが会社の社風を形成します。

掃除しかり、早朝出社しかり、笑顔や挨拶しかりです。掃除を徹底すれば、環境が美しくなり、そこにいる人はすがすがしい気持ちになります。

社内を清潔にし、整理整頓の行き届いた環境にすることで、少しでも社員に安らいだ気持ちになってほしいとの願いで、率先して掃除を続けてきたことが、結果として、わが社の社格・社風を磨くことになったのではないかと考えています。

掃除をすると、人品骨柄がよくなる

毎朝、流通センターの前の道を掃除するのは社長(弟)の担当です。

周りには何軒もの工場がありますが、朝早くから工場前の道路を清掃しているところは、吉寿屋を含めてほんの数えるほどしかありません。

箒で道路を掃いていると、必ずといってよいほど、道路脇にタバコの吸殻が何本か捨ててあります。朝に掃いてきれいにしても、昼に外出先から戻ると、また吸殻が一本、二本と落ちているのです。

たいていは、車に乗っている人が捨てたものです。灰皿の付いていない車はまずありません。そこに吸殻を入れればよいのに、走行中に窓を開けて、平気で道路へポイと放り投げる。

それが一台や二台ではなく、何台もの自動車のドライバーが道路にポイ捨てするため、いくら掃除をしても吸殻がなくならないのです。

私には、車の外へポイ捨てする人の気持ちが理解できません。

灰皿に吸殻を残しておくと車内に臭いが残り、人を乗せたときに気になるからではないか、とある人が話していましたが、それなら、運転しているときはタバコを吸わなければよいのです。

あるいは、消臭剤を使えばいいのです。タバコは吸いたい。けれども、車の中に臭いがこもるのはイヤ。灰皿が汚れるのはイヤ。わがままそのものです。

そういう自己中心的な考えの持ち主は、タバコだけでなく、紙くずも、爪楊枝も、擦ったマッチ棒も、何もかも道路に捨てます。

何の罪悪感も覚えずに、まるで道路がゴミ箱でもあるかのように、平気な顔でポイポイ捨てて歩くわけです。捨てたものは誰かが回収し、清掃しないと、道路にゴミが溜まり、汚なくなります。

結局、市が税金を使って回収・清掃することになるわけですが、ポイ捨てをする人間はおよそそういう想像力に欠けているのでしょう。

ポイ捨てを十年、二十年も続けていると、人相が確実に悪くなります。怖い顔になるというよりは、卑しい顔になるのです。

本人は気づかないけれど、何ともいえない下品さが顔から滲み出てきます。

経営者の中にもそういう顔つきの人を見かけますが、ゴミをポイ捨てしているのでしょうか。

さて、私の日課は、出社したらすぐに倉庫へ入り、仕事をしている人の邪魔にならないようにモップをかけることです。

ある日、女性社員が私のもとにやってきて、こういいました。

「会長が毎日モップをかけてくださるおかげで、鼻毛が伸びなくなりました」 埃っぽいところにいると、鼻毛が伸びます。

人間の体というのは、埃など不要なものを吸い込まないように、毛を伸ばして防衛するようにできているのでしょう。

私はそれを聞いて、人間の体のすごさに改めて感心するとともに、納得したことがあります。

タバコのポイ捨てをしていると人相が悪くなるのは、本人は気づかなくても、皮膚とか神経が覚えていてどんどん変化していくのではないか、と。

反対に、悪くなった人相をよくするのは簡単です。ポイ捨てをしないことはもちろん、さらに、自分からすすんで掃除をすればよいのです。

私は有志たちと一緒に、毎月第一日曜日、淀川の河原の清掃をおこなっています。

わが社からも二十人ほどが参加するほか、いろいろな人があちこちから集まってきて、少ないときで五十人、多いときには百人ぐらいになります。

掃除をしていると、さまざまなゴミが捨てられているのを知り、よくもこれだけ川や河原に物を捨てるものだと驚くほどです。

あるとき、上流から流れてきたテレビを拾ったわが社の社員が、「流す人の気が知れない」とぼやくのを聞いて、私はいいました。

「テレビを流してくれる人がいるから、私たちは掃除ができるのであって、流した人に感謝しないといけない。流してくれなかったら、掃除ができなくて心を癒されないのだから」 事実、掃除をすると、心が癒されます。

「ボランティアとはいえ、清掃をしているのだから、何かよいことがあるだろう」と、モノや金銭の見返りを期待しても何もありません。

掃除を終えたあと、みんな心を癒されて、ものすごくいい顔をしています。見返りはそれで十分なのです。

一方で、「何かよいことがあるのでは」と期待して参加した人は、掃除をしても何もおいしいことはないとわかると、次からやってこなくなります。

長続きするのは見返りを求めない人で、そのかわり、一生懸命に掃除をすることで心を癒され、人相がどんどんよくなっていくのです。

朝八時から掃除を始めて、終わるのは十時ですが、たった二時間でトラック二十台分ものゴミが出ます。

夏場などみな汗だくですが、掃除を始める前と掃除を終えたときとは、みんなの顔が全然違っており、すがすがしい表情をしています。

参加者の中には不良だった若者もいます。

彼は、それこそ道にタバコの吸殻をポイ捨てしていたのですが、掃除を手伝うようになってみるみる顔の相が変わってきました。

ツッパッていたころと違い、いまは凛とした品のある好青年です。最近、突発的に無差別に人を殺す事件が目を引きます。

タバコの吸殻を道路に捨てるような自己中心的な人間が増えているからではないかと私は思って

いますが、そんな人間でも、掃除をすれば必ず人相がよくなって、人から好かれるようになるでしょう。人生も変わり、きっと幸せを手にできます。

「掃除に学ぶ会」というのが全国にあり、それを主宰しているのが鍵山秀三郎さんです。鍵山さんは、四十四年も掃除を続けています。

だから、人を魅了する穏やかな表情になるのでしょう。たかが掃除、されど掃除です。

少なくとも三年間続けていたら、人間は根底から変わってきます。会社も同じです。

「日本一の美しい会社」を目指す

平成二十三年六月を目標月として、「一流の美しさの会社をつくろう」という運動を全社で展開しています。

本当は日本で一番を目指したくて、「日本一美しい会社にしよう」という目標を掲げていたのですが、「日本一美しい」といっても確たる基準はありません。

「富士山は日本一高い」「琵琶湖は日本一大きい湖である」というのであれば、ちゃんとした数字の裏づけがあり、誰も反対しません。

しかし、「富士山は日本一美しい」「琵琶湖は日本一美しい」といえば、「いや、わが県の ○ ○山のほうがもっと美しい」「松江の宍道湖こそが日本一美しい湖だ」などと議論百出する可能性は大きいでしょう。

「美しい」に対して、何をもって日本一と判断するのか。

その客観的な基準がなくて、見る人の主観に左右される要素が大きいだけに、私が「日本一美しい会社だ」と宣言しても、他社から「いや、わが社こそが日本一美しい」などと異論の出るおそれがあります。

「一流」ならば、掃除がヨソに負けないくらいに徹底されていて、誰からも美しいと思ってもらえたなら、名乗ってもクレームを受ける心配はありません。

それで「一流の美しさの会社をつくろう」にしたのですが、私自身の気持ちとしては、あくまで「日本一美しい会社」を目指すことにあるのはいうまでもありません。

では、誰が見ても美しい会社というのは、どういう状態を指すのでしょうか。整理整頓・清掃が行き届き、倉庫にゴミ一つ落ちていない状態のことです。

口でいうのは簡単ですが、流通センターの倉庫には九九・九%ゴミがあります。

なぜなら、大手の宅配業者の集荷場へ行けばわかるとおり、荷物を出し入れする倉庫の入出荷口はほとんどといってよいくらい、広く、高く開放されているからです。

開けておかないことには荷物の出し入れが不便なためで、その入出荷口の前を作業するトラックが絶えず行き来して、埃を立てます。

さらに、強い風が吹けば、大きく開いた入出荷口からゴミが舞い込んでくるのを避けられません。食品メーカーの場合は四重にトビラを設けて、ゴミ一つ、虫一匹通さないように徹底しています。

しかし、わが社のような卸売業者の場合、取り扱う商品は段ボールケースなどに梱包されているためか、入出荷口から埃やゴミが入ってくることに関して、それほど神経質ではありません。

私はお菓子という食品を扱う会社である以上、清潔で美しいことは不可欠であると思っており、わが社の倉庫の入出荷口は自動で開閉するシート状のトビラで常に締め切っています。

荷物の搬入・搬出にはキャスター付きの台車を使い、トビラに近づくと自動でサッと上に開く。

通り過ぎるとすぐに自動で閉まるため、普段は閉めっぱなしです。

むろん、それでも埃やゴミが外から舞い込む可能性はありますが、開けたままの倉庫と比べたらはるかに少ないはずで、それだけ掃除をするのも簡単です。

簡単といえば、倉庫に置いてある商品は、移動が楽なように、すべてキャスター付きの台に載せて保管しています。

女性の力でも軽く動かせるため、床も楽に掃除ができます。

一部の会社のように、パレットなどの固定した荷台に商品を積み上げて置いておくと、周辺を掃けたとしても、パレットの下までは掃除ができません。

埃がだんだんと溜まり、そのうち倉庫内を舞うことになります。見た目はきれいでも、商品に埃が付着したりするのはそのためです。

商品をキャスター付きの台に置いて移動しやすくしておけば、商品の陰に隠れているゴミや埃もきれいにでき、倉庫を常にピカピカに保っておけます。

商品を保管するのに何も固定したパレットを使う必要はないわけで、これも発想の転換です。ちなみに、掃除を真剣にやれば、机の下の隠れているゴミでも見えてくるようになります。

トイレの便器がきちんと清掃できているかどうかも、入ったらたらすぐにわかります。

ゴミや埃は光を吸収するため、掃除ができていないとどんよりくすんで汚く感じ、ゴミや埃が取り払われていれば、光が反射して輝き、美しく見えるからです。

掃除が行き届いている状態を「ピカピカに光っている」という言い方をしますが、まさにそのとおりで、目には見えなくても、ピカピカに光っているかどうかでゴミや埃のあるなしはすぐにわかります。

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