ところで、なぜ私は「朝4時起き」を自分に課したのでしょうか。その経緯は、「IQ」に関するトラウマを抜きには語れません。
それは中学2年のある日、担任教師がクラスの皆に向けて言った言葉でした。
「お前たち、千恵はIQが低いんだぞ。こんなにIQが低い千恵がいい点数を取ってるのに、それに比べてお前らはなんだ!」この言葉がきっかけとなり、以来、私はずっとくすぶり続けていたのです。
じつは、「IQ=頭のよさ」ではないそうです。そもそも周囲の環境などによってIQは変動するものなので、IQの高い低いで学校の成績を判断するのはおかしな話です。
でも、担任教師から「IQが低い」と言われた14歳の私は、そんなこととは知らずに深く傷つきました。
そのため、「私はIQが低いから、人一倍努力しよう!」と思って、前向きな気分になれる日もあれば、「私が何をやってもうまくいかないのは、IQが低いせいなんだ」「こんなに頑張っても、どうせIQが低いんだから、もうやっても無駄」と何でもIQにこじつけ、できない自分を甘やかす日もありました。
そうやって腐っていく自分が嫌で、さらに落ち込むことの繰り返し。そんな日常から脱却したかったのでしょう。
自分は「やればできる人間なんだ!」と思いたいという一心で、一流といわれる大学を目指したのかもしれません。しかし、見事に挫折。私の「朝4時起き物語」は、そこから始まったのです。
早起きのきっかけ──挫折からの脱却!二度の大学受験失敗!
私は大学受験に二度失敗しました。現役で不合格の後、自ら退路を断つために福島の田舎から上京し、予備校の寮に入りました。
その寮は、食事付きで、掃除もしなくていいという、勉強だけに集中できる環境でした。でも、そこで1年間浪人生活を送ったにもかかわらず、また第一志望の大学に落ちてしまったのです。
失意のうちに入ったのが〝滑り止め〟で合格した某女子大です。私の父は普通の地方公務員、母はパート勤めの主婦だったので、もう1年浪人させてもらうなんてわがままは通りません。
落ちてしまったのは仕方がない。精一杯、女子大生生活を楽しもう。そう思っていました。でも、自分の気持ちに嘘はつけません。
どうしても、その女子大の雰囲気に慣れなかったのです。私が通ったのは、地元では名門の超お嬢様女子大でした。
そこで出会ったのは、本物のお嬢様とはかけ離れた、「着ぐるみお嬢」たちでした。「ノブレス・オブリージュ」という言葉があります。「高貴な義務」という意味のフランス語です。
高貴な家柄に育った人たちは、裕福である分、一般市民よりも多くの社会的な義務を負うという考え方です。
その理念のもと、真に高貴な人たちはボランティアなどの社会活動を自然に、積極的に行っていますし、自分と違う立場にある相手に対する、豊かな思いやりの気持ちも持ち合わせています。
もちろん、私が通った女子大にも「ノブレス・オブリージュ」を実践している学生もいたとは思いますが、私の周囲にいた「着ぐるみお嬢」たちは、「ノブレス・オブリージュ」からは遠くかけ離れた人たちだったのです。
自分と生活レベルが違う人・価値観が違う人は異質なものとして排除します。
両親や彼氏がすべて自分の思いどおりに動いてくれるため、リスク意識や自立志向がなく、会話も表面的なものにならざるを得ません。
会話の内容は父親や彼氏や自分の持ち物の自慢話か、合コンの相手がどのランクの大学か、といったことばかり。
友達同士でも、表面的には仲がいいように見せながら、じつは仲が悪くて、陰では悪口ざんまい。そんな環境に、どうしても馴染めませんでした。
彼女たちは、今ある裕福な環境が永遠に続くと信じ、その環境を、あたかも自分の実力で作り上げたものだと勘違いしている人たちでした。
他人に自分の人生を丸ごと預けてしまっていることに、自分ではまったく気がついていないようでした。世の中いつ、何が起こるかわかりません。
今は父親の事業がうまくいっているかもしれませんし、彼氏がお金持ちで何でも買ってくれるかもしれません。
でも、環境が変わって頼れる人がいなくなったとき、丸裸になった彼女たちはどうやって生きていくのでしょうか。
他人に人生を振り回されるリスクといつも隣り合わせでいながら、それに気づかない人たちの集まりに、違和感がぬぐえませんでした。
「着ぐるみお嬢」はこりごり!と思った決定的な出来事があります。一番仲が良くて、何でも相談していた友人が、私の服装や訛りについて陰口をたたいていることが、他の友人から聞こえてきたのです。
自分の性格などで陰口を言われるのならまだしも、両親や出身地まで侮辱するような言葉です。
田舎のさえない女の子だった私と話し、見た目で家柄を判断し、心の中では小バカにしていたのでしょう。
そのことがあって以来、私は「親の地位や財力だけで、自分を必要以上に大きく見せている連中には負けたくない!住んでいる場所や持っているもの、両親の威光などに頼らずとも、自分で自分の人生を切り開いていきたい!」と強く思うようになりました。
そのためには、一刻も早くこの女子大から離れなくてはならない、と考えた私は、大学を休学して別の大学に入り直そうと決心したのです。
両親には手紙を書いて、自分の思いを伝えました。経済的に厳しい状況のなか、両親は生活を切り詰めて応援すると言ってくれました。今でもこのときのことを思うと、目頭が熱くなります。ただ、決心したときにはもう9月。他の大学に入り直すためには半年弱しか勉強時間がありません。
半年間でいかに効率的に勉強し、自立した仲間と切磋琢磨できるような環境の大学に入るためには、いったいどうしたらいいのだろう?私は現役~浪人時代、自分で言うのも何ですが、とても真面目なガリ勉でした。
「IQが低いなら低いなりに、他の人が勉強していないときにやれば差をつけられる」と思い、必死で夜中まで勉強しました。
いえ、長時間勉強した「ふり」をしていた、といったほうが正しいかもしれません。でも、勉強というのは、時間をかけた分だけできるようになるわけではありません。とりあえず長時間机には向かうものの、睡眠不足だからつい机に突っ伏して寝てしまう。
机で寝ても熟睡できないから授業中も眠くて、集中力は途切れ途切れ。ついお菓子を買いに行ったりして気分転換しようとする。その繰り返しで、長時間勉強しても、成績はまったく上がらなかったのです。そんな現役~浪人時代と同じ勉強法では、半年で到底受かるわけがない。どうしたらいいだろうか……。
ならば、夜中までダラダラ勉強するのはやめ、早く寝て、早く起きて朝に勉強しようと思いついたのです。これこそが、早起きを始めたきっかけでした。
生活パターンを朝型に変える
そこで、次のような生活パターンを実践するようにしました。
- ・22時就寝。
- ・5時30分起床。
- ・6時に家を出て、横浜の一人暮らしの自宅から代々木にある予備校の自習室へ直行。
- ・席を確保して、ひたすら17時ごろまで勉強。
- ・その間、週に2コマ程度、厳選した講師の授業を受講。
- ・17時を過ぎたら一切勉強はしない。
- ・夜は好きな料理を作ったりテレビを見たりして、リラックスした時間を過ごす。
一人暮らしで家事もしなければならないし、電車での移動もあるので、実質的な勉強時間は高校時代や浪人時代に比べてかなり少ないものでした。
しかも、本番まで5カ月しかありません。気持ちは焦ってもおかしくない状況でしたが、勉強している充実感は今までにないものでした。それは、次のような理由からだったと思います。
- ・早朝の電車は空いていて、必ず座れる。
- ・車窓から差し込む朝日を見ると、エネルギーがムクムクと湧いてくる。
- ・朝は予備校の自習室もガラガラなので、座りたい席は確実にゲットできる。
- ・予備校のライバルたちに、「この子は何か違うぞ」と威圧感を与えられる(という妄想ですが)。
- ・規則正しい生活をするので、朝昼晩、ちゃんとお腹が空く。もりもり食べるから元気いっぱい。便秘も治る。
- ・今日も朝起きられた!私ってエライ!と、自分を肯定できる。
こうした満足感は、現役時代も浪人時代も、味わったことがありませんでした。夜、食事をした後は自由な時間です。
延々と勉強するのを思いきってやめてみたら、メリハリのある生活になりました。そのせいか、一人暮らしで孤独な浪人生活なのに、悲壮感もまったくありませんでした。
この朝型の生活パターンを続けた結果、めでたく慶應義塾大学総合政策学部に合格することができ、「早起きって素晴らしい!」と実感したのです。
朝の時間を活用したことで一番よかったのは、「締め切り意識」と「前向きパワー」が生まれたことでした。
朝~日中に集中して勉強する分、夜は一切勉強なんてしない!と決めていたので、限られた時間で必死になって勉強することができました。デッドラインがあるからこそ、段取りをきちんと考えることができたのです。
また、毎日「自分はちゃんと起きている」という自信と、計画どおりにきっちりと勉強を終わらせることができた達成感が、「私って、やるじゃない!」という前向きな気持ちを生み、それが勉強の継続と成果を上げるパワーにつながったのではないでしょうか。
早起きを始める以前の私は、夜勉強すると永遠に時間が続くような気がして、安心感を抱いていました。
でも、それは安心とともに、気の緩みも招いていたのです。サビがない曲をずっと聞かされていると眠くなってしまいます。サビというメリハリがあってこそ、曲が引き締まります。
夜のダラダラ勉強は、サビがない曲のリピートのようなものでした。それに、夜ずっと起きているとお腹が減ります。
エネルギーをほとんど消費しないところで夜食を食べると、当然太ってしまいますし、肌にも悪い影響を与えます。早起きによって、この悪習も断ち切ることができました。
早起きをすっかり忘れた大学生時代
こうしてせっかく早起きに目覚めた私ですが、じつは、再び大学生になってからはまったくそんなことは忘れ、他の学生たちと同様、授業が午後からのときはお昼過ぎまで惰眠をむさぼる生活を続けていました。
というのも、私が4年間学んだ慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスは、「24時間キャンパス」がキャッチフレーズだったからです。
図書館もパソコン室も24時間開放しており、なかには寝袋を持ち込み、学校に「住んでいる」ツワモノもいたほどです。
グループワークといって、5人程度のグループで議論し、課題を完成させてプレゼンをする授業もたくさんありました。
夜遅くまで学校で、ときには一人暮らしの友人の家で朝方まで議論をするような環境だったので、早起きして何かをする、という考えが吹っ飛んでしまったのです。
その流れで、夜型生活に逆戻りしたのでした。
24時間いつでも勉強できる環境は、人によっては快適なものですが、私にとっては気の休まることがなく、逆効果だったようです。
今考えると、大学時代にも朝型生活を続けていたら、大学生活はもう少し違ったものになっていたかもしれないな、と思います。
というのも、私は大学時代、ひどい落ちこぼれで、精神的にも追い詰められていたからです。当時の成績表を見ると、ABCD評価でA(優秀)は数えるほど。
B(普通)よりC(ぎりぎり単位取得)が多いくらいで、「これでよく卒業できたな」と思います。といっても、サボったり、遊びすぎたわけではありません。真面目にやって、この結果なのです。
自分なりには頑張っていたつもりなのですが、一所懸命勉強しても単位を落としてしまったり、グループワークの準備で週末を全部つぶし、図書館で借りた本を何十冊読んでも、トンチンカンで論点がずれた発言をしてばかりいました。
私はそれまで、必死で暗記する勉強を繰り返していたので、いきなり自分の頭で考えろ!と放り出され、どうしたらいいかわからなくなってしまったのです。
学校の勉強ができることと自分の頭で考えることは別だ、ということを大学時代に身にしみて感じました。
例えば、グループワークの一環で、「ネット環境が広がることによる情報弱者をどうやって助けていくべきか?」というテーマで議論したことがありました。
「情報弱者(パソコンを使いこなせないために必要な情報が入ってこない人)」のことを調べるべきところを、私は「社会的弱者(社会における少数派のために発言権が小さい人たち)」だと思い込んで、身体障がい者について調べてきてしまい、メンバーに「はぁ?使えない!」とあきれられたこともありました。
友人が何気なく、「俺はバカが嫌いだから、周りにいる人は俺より頭がよくて、尊敬できる人がいい」と言ったのを聞いて、「千恵はバカだから付き合いたくない」と言われたような気がして傷ついたりもしました。
そんなときは、「IQの呪縛」がまたもや私を襲うのです。
「私がこれだけやってもうまくいかないのは、やっぱりIQが低いからなんだ……」「自分の足で、自分の力で立ってやる!なんて思っていたけれど、自分の頭で考えられないのは、着ぐるみお嬢じゃなくて私なんだ……」帰国子女で自由に海外を飛び回り、世界中でボランティア活動に精を出す友人。
「入りたいサークルがないから自分で作る!」と、太鼓のサークルを立ち上げてしまった先輩。学生でありながら起業した先輩。
「私、全然勉強してなくて、どうしよう。単位落としちゃうかも」と言いながら、軽々とAを取ってしまったり、何も準備しないですらすらと自分の意見を言えたりする人がどれだけうらやましかったことか……。
周りの皆が輝いて見えました。それに比べて、なんて自分はダメなんだろう……。
親戚や周りの人からは「慶應の総合政策学部なんて、すごいね!」なんて言われていましたが、実際の私は理想の慶大生からは遠くかけ離れていました。
3年のときに入ったゼミでは、自分が発言したせいで議論がトンチンカンなところに行ってしまうのが怖くてたまりませんでした。
だからゼミのグループワークでも一切発言できず、静かに皆の議論を聞いているだけ。海外のビジネススクールに行くと、授業で発言しない人は存在意義がない、ということで最低評価になってしまうと聞きます。
湘南藤沢キャンパスにも同じような空気が流れていました。
ひと言も話さない私は、もちろん存在感はゼロ。グループのお荷物です。結局、ゼミにいるのがつらくなり、途中で辞めてしまいました。
湘南藤沢キャンパスは当時、ゼミの卒論を出さなくても卒業できるシステムだったので、そんな私でもなんとか卒業できました。
「慶應義塾大学卒業」の学位をもらえさえすればなんとかなる。それまでは、息を潜めてなんとか頑張ろう、そう自分を励まして生活をしていました。
じつは私は、大学3年~4年にかけて、ストレスから拒食症と過食症を繰り返しました。
今よりも10キロ以上痩せていて、マッチ棒のように細かったにもかかわらず、「私がダメ人間なのは、太っているせいかもしれない。痩せたら人生が変わるかも」と思い込み、1日600キロカロリーしか摂らない過激なダイエットを繰り返しました。
その反動で、1日の必要エネルギーを大幅に超えるデニッシュ食パン一斤を15分で食べてトイレに走って吐いたり、飲み会の帰りにコンビニでチョコレートや菓子パンを大量に買い込んで、一気に食べてすぐに吐いたりもしていました。
「太っている醜い自分を外にさらしたくない」とカーテンを閉め切り、暗い部屋から一歩も出なかったり、実家に帰るとたくさん料理が出てきて食べすぎてしまうからと、わざと1年に一度しか帰省しなかったり、飲み会をドタキャンしたりもしました。
当時は病気を認めたくなかったので病院には行かなかったのですが、今思うと明らかに病気でした。
行きつけの美容院で「え?こんなに髪の毛がごっそり抜けますけど、どうしたんですか?大丈夫ですか?」と美容師さんに心配されるほど、体と心はボロボロだったのですから。
そんな私の唯一の心の支えが、料理をすることでした。過食と拒食を繰り返していた私の支えが料理。意外かもしれませんが、大学の友人に唯一「すごいね」と言ってもらえるものが料理だったのです。
料理をすることは、私のプライドをかろうじて守るための手段であると同時に、何事も教科書どおりにしかできない私が、創意工夫をするための訓練でもありました。
たとえば、一つのキャベツから6通りの調理方法を考える、といった創意工夫をすることによって、型にはまった自分から脱却しようという思いがありました。
凡人には凡人なりの闘い方がある。勉強では負けるけど、料理では絶対負けない!そう思い込むことで弱い自分を守ろうとしていました。
また、料理は私にとって一つのコミュニケーション手段でもありました。
1章でも触れましたが、私は幼いころから父親の仕事の関係で転校を繰り返しており、そのせいで、内気で人見知りが激しい性格でした。
そんな私がバナナケーキを作って学校に持って行ったのがきっかけで、クラスのみんなと打ち解けることができたことがあります。
「口下手で恥ずかしがり屋な私でも、料理に気持ちを載せることで人と仲良くなることができる」「私の思いを料理が伝えてくれる」ことに気づき、友人を家に招いて料理をふるまうことで、うまく話せない自分の心を癒していました。
勘違いOLだった新入社員時代
そういうわけで、料理は私の唯一の心の支えであり、自信の源でしたから、就職活動をするにあたっては、食関連の会社を中心に受けました。
食品メーカーやコンビニの商品開発部門、料理雑誌を発行している出版社などに片っ端からエントリーシートを送りました。
当時は就職氷河期の真っただ中。それでも「慶大卒」のブランドは効くものだと思い込んでいたのですが、成績も悪く、目立った活動もしていなかった私は書類すら通りません。
30社以上受けましたが、書類が通って面接まで進めたのは4社だけ。
でも面接ではおどおどしてうまく話せないため、最終的に内定をもらったのは居食屋「和民」などを展開する「ワタミ(当時の社名はワタミフードサービス)」だけでした。
ワタミだけが「私を救ってくれた」といっても過言ではありません。
今や、グループ社員数が4000人を超える(2009年4月現在)一部上場の有名企業ですが、私が就職活動した1998年当時は新卒採用を開始して間もなく、二部上場する直前の、知る人ぞ知る会社でした。
最初は興味本位で行ってみた会社説明会でしたが、渡邉美樹社長(当時・現会長)の、「人は仲間や愛する家族と一緒にいて、美味しいものがあるとき、素晴らしい笑顔をする」という言葉に心を動かされました。
「学生時代に落ちこぼれだった私を支えてくれたのは食を通じた笑顔だった。こんな私でも、ワタミだったら素晴らしい笑顔をもっと生み出す仕事ができるかもしれない」と思ったのです。
また、ワタミに入れば、起業家精神を創業社長の近くで学べる、そんな機会はめったにないとの思いもありました。
現在の本社は羽田にありますが、当時は蒲田にあり、2フロアのみの小所帯。歩いて数歩先には渡邉社長が座っている、という環境でした。社員数は、店舗社員と本部社員を合わせても270人でした。
この少数精鋭の中で、経営についてのイロハを学べると思ったのです。最初の1年は「和民」の店舗に勤務。店長の下でマネジメントを学びながら、キッチンやホールの実務を経験しました。
2年目は、本社の総務部に半年勤務後、ワタミの新会社に1年出向し、ワタミの各店舗に配る小冊子の企画や、ワタミグループのホームページ作成などを経験しました。
その後、本社の商品部に半年勤務し、メニューの撮影やキャッチコピー作成などに携わりました。最初の1年は店舗勤務だったので、
・14時起床。
・16時ごろ店舗に出社。
・朝6時~7時ごろ帰宅。
・朝8時に就寝。
といった毎日で、早起きとは縁遠い生活でした。早起きの威力を思い出すのは、しばらく後のことになります。
店舗のキッチンは、「刺し場(刺身パート)」「サラダ場(サラダパート)」「焼き場(焼き鳥などの焼き物パート)」「揚げ場(揚げ物パート)」といったパート分けがきちんとされています。
社員は全パートの料理を作れなければいけないので、数週間かけて手順を学んでいきます。そしてひととおりのことを学んだのち、責任ある立場としてひとつの場を任されます。もともと料理好きの私でしたが、家庭料理と店舗の料理はすべてが大きく異なります。
キッチンは、あわただしさのなかにも創意工夫と効率のよさが求められる戦場であり、店舗に常備してあるマニュアルをしっかり頭にたたき込んだうえで、優先順位をしっかりつける必要があります。
しかし、私にはマニュアルどおりのことをゆっくり一つひとつ進めていくことはできても、同時進行で手際よく物事を進めることはできませんでした。
ピークの20時ごろになると、注文がどんどんたまって、複数の種類の料理を同時並行して作らなければなりません。
でも、そんなとき私は、いったいどこからどう手をつけていいかわからなくなってしまいました。
気づくと注文伝票がどんどんたまってしまい、お客様から注文した料理が来ないとクレームをいただくこともありました。
見かねたアルバイトさんに手伝ってもらってなんとか乗りきる毎日でした。
そのくせホールでは、こちらの不注意についてお客様からご指摘をいただいた際に、「私は悪くありません!」と、飲食業としてはありえない言い訳をしたこともありました。
当時は数カ月に一度、社長とお酒を飲みながらの懇親会がありました。
社長が「何でもいいから悩みを言いなさい!」と言ってくれるので、勘違いした私は、仕事上の悩みではなく、「好きな人にフラれた」と恋愛相談をして社長の前で泣きじゃくったこともありました。
社長の困った顔が今でも目に浮かび、赤面してしまいます。でも、自分ができない人間だとは気づいていませんでした。いえ、じつは心の底では気づいていたのかもしれません。
「ダメな自分は大学時代でこりごり。
ダメな自分を認めたら、また大学時代のように心を病んでしまう」と思い、攻撃的になることで自分を守っていたのだと思います。
仕事のできない自分を棚に上げ、「住宅手当が低すぎる」とか「私は店舗勤務じゃなくて、商品開発の仕事がしたい」など、権利と要求ばかりを主張していました。
今思うと、当時の私は「私がワタミを選んであげた」と思い上がった、傲慢な社員でした。30社以上も落ちた私を拾ってくれたのがワタミだったのに……。
与えられた環境がどんなものであっても、まずそこで徹底的に仕事をして認められなければ、発言権は生まれない。そんな、社会人としての基本すら知らなかったのです。
本来ならば、本部に異動するに当たっては、店舗での仕事ぶりが認められた後、店長としてマネジメントを経験しておくのが筋だと思いますが、私は店長になれないまま1年で本部に異動となりました。本部では総務部で備品の管理をしていました。
備品を切らさないようにして、業務が滞りなく進む環境を整えるのは総務として当然の仕事なのに、総務の中でも備品管理は雑務だからする必要がない、大きな目立つ仕事、やりたい仕事だけやればいいという思いでいました。
ですから、渡邉社長が手紙を書く際に必ず使う記念切手を買い忘れて、秘書があわてて買いに走ったり、トナーやコピー用紙をしょっちゅう切らしてしまったり、一方で過剰発注をしてしまったりして迷惑をかけていました。
私が新会社に出向し、事務用品の無駄な発注が減ったことも一因でしょうか、後任の総務担当者は劇的なコスト削減で会社から表彰状をもらっていました。
さらには、お客様の電話を受けるのが仕事だったのにもかかわらず、3コール以上も電話を鳴らしてしまい、見かねた社長自身が直接お客様からの電話を取ったこともありました。
勘違いしたまま関連会社へ出向
勘違いしたままの社会人生活もなんとか1年半に突入するころ、ワタミが設立する新会社に出向することになりました。
ワタミが今後力を入れていく分野の第1号社員ということで、当時は「抜擢されたんだ!」と誇らしく思っていました。
でも、実態は「今のままではあまりに仕事ができなくて使いようがない。このままでは会社にとっても、彼女にとっても不幸だ。仕事のやり方の基本や心構えを根本から訓練し直すために、厳しい社長の下で徹底して修行させるしかない」ということだったのだと思います。
ワタミの創業期から、ワタミの理念を内外に伝えるブランディングプロデューサーであり、関連新会社の社長であるA社長のところに送り込まれました。
A社長には、当たり前すぎて誰も教えてくれないような社会人としての基本的な心構えから、具体的な仕事の進め方まで徹底的に教育を受けました。
A社長の言葉はとてもストレートなので、当時の私は「スパルタ」の印象を受けましたが、ここで受けた訓練は、ワタミを卒業してからも私の血肉となり、今の仕事に役立っています。
また、ここでの経験は、しばらく忘れていた朝型生活のよさを思い出すきっかけにもなりました。
この会社では毎朝、前日の出来事の「気づき」を仕事にどう活かすかについて、各自が1分ほど発表し合う「朝ミーティング」という集まりがありました。
「気づき」があるかないかの差は、ただ漫然と仕事をしているか、問題意識を持って仕事をしているかの差です。
「普段の何気ない出来事、その出来事から何かしら深く学べた人が、仕事ができる人だ」というのがA社長の持論でした。
気づきには、「イケてる」気づきと、「イケてない」気づきがありました。イケているのは、何気ない出来事から万事に共通する真理や、解決すべき課題を見出す「深い気づき」です。
イケてないのは、誰でも考えつくことを、ただ目についたから言いました、という程度のものです。
例えば、「トイレが汚れていたので、もうちょっときれいに掃除しようと思った」みたいなものは、「イケてない気づき」です。
みんなが、「おお!なるほど!」と唸るような、深い気づきが日々の仕事の中で生まれないということは、そのまま、仕事への問題意識が足りないということになります。
なんとかまともな話をしなければいけない、というプレッシャーを毎朝感じることになりました。
でも、いきなりまともな「気づき」を発表できるぐらいだったら、そもそもA社長のもとに送り込まれていません。
どうしたものだろうかと悩みました。
そこでふと、渡邉社長の朝の使い方を思い出したのです。渡邉社長は4時間睡眠で朝4時半起き。6時半前にはすでに出社し、新聞に目を通していました。
毎週火曜日の「業務改革会議」をはじめ、当時は新卒者向け、店長向け、部課長向けの研修をそれぞれ月一度、朝の7時から開催するのです。
社長の口癖は、「当たり前のことを、当たり前のようにやっていては、当たり前の結果しか出ない」でした。
その信念を、まさに背中で示していたのです。早起きの威力なんてすっかり忘れていた当時の私には、朝4時半起きは無理でした。
とはいえ、少しだけ早く出社して、仕事がスタートする前に考える時間を作ることができたら、もしかしたら「イケてる気づき」発表ができるようになるかもしれない。そう思いついたのです。
そこで毎朝、会社近くのファストフード店に始業の30分前に入り、考える時間を設けることにしました。
- ・それまで朝7時起きだったのを、6時半起きに変更。
- ・8時にファストフード店到着。
- ・8時半まで、昨日の自分の仕事を振り返り、どうして怒られたか、どうすればよかったのかを書き出しながら、「気づき」のネタを考える。
そんな訓練を1年続けました。すぐに効果は表れませんでしたが、人よりも早く会社の近くまで来て準備している、という心の余裕ができたことがよかったのでしょう。
頭がすっきりして仕事もはかどるようになっていきました。この経験から、早く出社して戦闘態勢を整えることが、仕事の成果に必ずつながることを学びました。
そして、ようやく仕事に慣れてきたころ、本社の商品部に戻ってくるように、という指示がありました。
私は入社当初から商品部に入って商品開発をするのが憧れだったので、夢のような話です。意気揚々と本部に戻ってみると、自分が変化していることに気づきました。なんと、周囲の人の話がわかるのです。
社会人としてはあり得ない話で、笑われてしまうかもしれませんが、出向前の私は「自分ルール人間」つまり、やりたい仕事ができないという不満を抱え、会社の方針は無視してやりたいことばかりを主張していたので、「会社ルール」つまり、会社の中での自分の役割がちんぷんかんぷんでした。
出向先での徹底的な訓練によって、自分の仕事が会社全体の中でどんな位置にあって、その中で自分はどんな行動をしなければならないか、ということがやっと理解できるようになったのです。
それだけでも大きな進歩といえるでしょう。ところが、仕事の全体像が把握できるようになると、自分の担当する仕事がなんだか物足りなくなってきました。
もちろん、それまでの自分がどれほど「ダメ社員」だったかもよくわかっていたので、そんなことを言えた義理ではないのですが、やり甲斐のある仕事はこのままずっと任せてもらえないのではないか?ということに不満と不安を感じてしまったのです。
情熱は十分にあり、力もやっとついてきたのに、やりたいことが何もできない空回り状態からなんとか脱したいという思いがありました。
ただの落ちこぼれOLをここまで引き上げてくれたのは、ワタミとA社長でした。今考えると、そこでしばらく頑張ってコツコツと実績を積み、失った信用を取り戻すべきだったのかもしれません。
しかし、当時の私にはそこまでの思慮はなく、3年3カ月お世話になったワタミを卒業することにしました。
これまで私を支えてくれたのは「料理」だ、と思い込んでいましたが、ワタミを卒業するのを機に、ここでいったん「料理そのもの」を職業にすることに固執するのはやめよう、と思いました。
なぜなら、私は「料理」そのものより、「料理」という媒体を通じた人との関わりが好きだと気づいたからです。
「別に料理の世界で働かなくても、趣味として好きな料理を続けていって、それが誰かの役に立てばいいや」「私には料理しか取り柄がないのだから、何がなんでも料理の世界でやっていくんだ!と思わなくてもいいや」と、その後は力を抜いて料理と向き合うことにしたのです。
外資系コンサル会社で再び早起きに目覚める
転職するにあたっては、外食業界の経験しかない、しかも責任のある仕事の実績もないという条件のもとで、さまざまな業種を受けました。当然のことながら多くの会社では書類すら通らず、かなり落ち込みました。
でも、書類で落ちまくることは大学時代に慣れていますし、早起きで培った、落ち込みを前向きに変えるバイタリティがありました。
何十社へも応募するうちに、経歴が面白いということと、ガッツがありそうだということで、最終的に外資系戦略コンサルティング会社で職を得ることができたのです。
外資系コンサル会社というと、年収数千万円で華やかな生活!などと思われがちですが、私の場合は契約社員からのスタートでした。最初の数カ月は時給制による見習という立場です。
時給は1000円台で、月7万円のアパートに住んでカツカツの生活でした。手取りは少なかったものの、その代わりはじめのころは残業が少なく、時間だけはたっぷりありました。そこで、今のうちに、ワインの勉強をしておこうと思い立ちました。
じつは私はワタミ時代に、「仕事に直結する資格を取りたい」との思いから、仕事の合間を縫って「きき酒師」の資格を取得していました。
以来、食に加えてお酒の世界にも興味を持つようになっていたのです。目指したのは、日本ソムリエ協会認定「ワインエキスパート」の資格でした(ソムリエは実務経験が必要なのに対し、ワインエキスパートは実務経験不要の資格。試験問題の内容はほとんど変わらない)。
ワインエキスパートの合格率は40~45%です。しかしワインスクールに通えば、70~90%の確率で受かるといわれています(ちなみに、独学の場合の合格率は20%以下とか)。
つまり、スクールに通えば比較的簡単に取れそうなのですが、カツカツ生活を送っている私には通うお金がありません。独学で勉強せざるを得ない状況でした。
最初は夜に勉強しようと思っていたのですが、私は基本的にお酒好きなので、ついお酒の誘惑に負けてしまいます。
「ワインを飲むことだって勉強だもんね」そんな口実で、飲んでは机に突っ伏して寝てしまい、勉強はできずじまい……といった日々をしばらく送っていましたが、ふと、自分には早起きによる成功体験があったことを思い出したのです。
「あ、そういえば私って、以前は朝型だったじゃない!朝やればうまくいくかも!」ということで、もう一度早起き生活をしてみることにしました。
毎朝、5時半に起きて家を出て、会社近くのファミレスに直行して6時半~8時半の2時間を勉強時間に充てました。ワインの試験は受験勉強に似ています。
テイスティングも大事ですが、一次試験はマークシート式で、ワインの原料となる代表的なぶどうの品種やその味わいの違い、各国別ワインの特徴やワインと料理の相性など、さまざまな細かい知識を暗記していく必要があります。
勉強のためのスケジューリングやノート作成、暗記などには、誰にも邪魔されない朝の時間はとても適していました。
私のワイン受験勉強時のタイムスケジュールは以下のとおりです。
- ・朝5時30分起床。
- ・朝食は家で摂り、電車で出社。
- ・6時30分に会社近くのファミレス到着。
- ・参考書の読み込み、ノート作成、単語帳作り、問題集に挑戦。
- ・昼休みはランチを食べながら単語の暗記。
- ・夜は家でワインテイスティング。ときどき気分転換と勉強を兼ねてレストランでワインを楽しむ。
- ・受験体験記代わりに、勉強したことをブログにアップ。
このようなメリハリある生活ができたおかげで、受験勉強時代の爽快感がよみがえるとともに、無事、ワインエキスパートの資格を取ることができました。
それに味を占め、チーズプロフェッショナル(チーズプロフェッショナル協会認定)、ビアテイスター(ビアテイスター協会認定)、酒匠(きき酒師の上位資格)と、お酒とその周辺の資格を朝勉強で取得しました。
どの資格も、基本的にはまずスケジュールを立て、それにしたがって暗記したり書籍を通じて知識を深めたりする勉強法です。
ワインエキスパートでの成功体験があるので、応用することは簡単でした。
また、朝勉強することによって夜の時間が自由に使えるようになったおかげで、平日の夜や休日は、天然酵母パン教室講師の養成学校に通ったり、マクロビオティックの料理教室に通ったりもできるようになり、天然酵母パン教室とマクロビオティックの師範(教室を開ける免許)をもらうことができました。
さらに、資格試験の勉強で得た知識を応用して、教室開催の方法や授業のカリキュラムを自分で考えるノウハウなども蓄積しました。
このころには、大学時代にコンプレックスに感じていた「暗記勉強」しかできない自分から脱却し始めていました。
自信をつけた私は会社の許可を得て、週末限定で本業に支障がない範囲で、地元の調理教室を借りてのパン教室や、チーズ教室を開くようにもなりました。
とはいっても、本業はもちろん外資系コンサル会社の社員です。趣味にばかり熱中して本業をおろそかにしている、とは絶対言われたくなかったので、もちろん仕事も必死で頑張りました。
そのときに役立ったのが、ワタミ時代に覚えた「始業前の30分間」の使い方だったのです。会社の始業は朝9時でした。会社の近くのファミレスで8時30分まではしっかりと趣味の「食」関連の勉強をして、出社します。
出社してからすぐにメールをチェックし、始業時までにその日の仕事の段取りをシミュレーションします。
具体的には、自分の今日の予定をスケジュール帳で確認しながら、1日の流れを頭に思い浮かべます。
会議などがあって席を外さなければいけないときは、その前後の段取りをどうするかも箇条書きにしてリストアップし、朝から不測の事態が起こっても慌てない態勢を整えます。
このように、9時から全力スタートで仕事ができる環境を整えていくと、思うように仕事がはかどるようになっていきました。そのことで劇的に作業効率が上がり、仕事上でも評価されるようになりました。
たった30分早く出社して臨戦態勢を整えたことで、契約社員から正社員へ、そして平社員からシニアスタッフ(マネジメント職の前段階)へと、順調にキャリアを構築することができました。
キャリアアップの過程で残業は一時増えましたが、朝を活用して効率的に仕事ができるようになった結果、徐々に残業も減り、毎日17時過ぎ~19時ごろには会社を出ることができるようになりました。
このように私は、ワタミに3年余、外資系コンサル会社に6年と、全く違う業種の会社に勤務しました。
ただ、意図したものではなかったのですが、この二つの会社には「朝を有効活用するためのヒントにあふれている」という共通点がありました。
大学受験や学生時代も含め、二つの会社でも朝型、夜型の生活を経験したことで、「自分は朝型で一番効率がよくなる」ということを実感できました。
そのおかげで、現在の23時就寝、4時起床というスタイルを確立するに至ったのです。
メリットがあるから朝4時起きを続けられる!1日24時間を100時間にする超集中法が「朝4時起き」
私は朝の静謐な雰囲気が大好きです。橙色の朝日が、高く上るにつれてしだいに明るい黄色に変わり、空も青く澄んでいきます。
その風景をながめていると、なんともいえず厳粛な気分になります。
最近、私は2009年ホノルルマラソン完走を目指して朝ランニングをしていると第1章で書きましたが、そこで浴びる太陽のエネルギーが、私の元気チャージ法になっています。
空気がきれいなときは富士山が見える近所の川辺を、朝日を浴びながら走ります。太陽のエネルギーを充電しているような気持ちをイメージします。
太陽の光が足元から頭までギュイーンと体に入ってきて、元気がみなぎる様子を想像すると、朝からパワー全開で突き進むことができるのです。
朝は、とても静かです。通りを走る車も少なくて空気がきれい。人もほとんど歩いていないし、聞こえてくるのは鳥のさえずりのみ。
邪魔するものは何もない中で考えを巡らせていると、驚くほど建設的な考えが浮かぶようになるものです。
眠い目をこすりながら早起きした、小学生時代の夏休みのラジオ体操を思い出してみてください。
「なんで休みなのに、こんなに朝早くから起きなきゃいけないの?」文句を言いながら集まった経験は、誰にでもあると思います。
でも、ラジオ体操が終わった後、ハンコを押してもらって家に帰ると、なんだか一日が長ーく感じてトクした気分になりませんでしたか?大人になってからも同じです。
仕事は午前中のほうがはかどるような気がしませんか?朝9時から12時までの3時間は長く感じるのに、どうして15時から18時の終業までの3時間はアッという間なんだろう……。
そんな経験、一度や二度じゃないと思います。朝の時間を活用するメリットは3つあります。
- 1.クリアな頭で、急ぎではないけれど重要なことをじっくり考えられる。
- 2.段取りをじっくり考えることができるので、仕事が早く終わり、プライベートの時間が多く取れる。
- 3.睡眠時間を確保するために早く寝ようと、逆算してものを考えることができ、効率がアップする。
これらのメリットを思いきり享受できるかどうかが、この不安定な時代を生き抜くカギとなってくると思います。
1日が100時間にも感じてしまうこの喜び。早起きすれば毎日味わうことができます。
ちなみに、早起きの効用は、医科学的にも証明されているようです。
東北大学の川島隆太医学博士によると、人間の脳は午前中に一番よく働くとのことで、「〝朝の2時間は夜の5時間分に匹敵〟するぐらい仕事の処理能力が高い時間帯」(Yahoo!特集記事より)だそうです。
また、脳科学者の茂木健一郎氏は『脳を活かす勉強法奇跡の「強化学習」』(PHP研究所)の中で、「脳を最大限に活用するには、夜よりも朝が効果的」と書いています。
眠っている間に、前日までの未整理の記憶が整理され、朝は脳がクリアな状態。だから朝は、クリエイティブな仕事をするのに適している「脳のゴールデンタイム」なのです。
さらに早起き心身医学研究所所長で、うつ病などの心の病気に詳しい税所弘氏も、「早起きがストレスや病気を軽減させる」と提唱しています。
時間密度を意識する
人は適度なプレッシャーのもとで、高いパフォーマンスを発揮するといわれています。
「3日後までにまとめておいてね。急がないから」と言われた資料はなかなかまとまらなくても、「大至急!あと30分でまとめないとお客様からクレームが!」と言われると、さまざまなアイデアを一所懸命考えて、30分でできてしまったりするものです。
そんなプレッシャーが本当に毎日あったら大変です。でも、プレッシャーをイメージして、段取りよく進める練習の機会としてとらえることが、朝ならできます。
始業時間前の数時間を、自分で自分に適度のプレッシャーをかけるリハーサルの時間だと思って意識してみましょう。
「8時半までにあれとこれを終わらせる!」といったように、最初に段取りを決めてしまい、8時半までの時間を、徹底して決めたことを終わらせるために使うのです。
これができると、集中してノッている自分が快感になり、時間どおり終わらせた自分を褒めてあげたくなります。
その勢いが前向きパワーとなり、9時の始業からいきなりエンジンがかかった状態になるのです。
勢いを維持して朝からフル回転できるので、朝イチからの仕事にもスムーズに取りかかれるようになります。
私の外資系コンサル会社時代の一日を紹介しましょう。
- ・夜は23時就寝。
- ・朝4時起床。シャワーを浴びて目を覚ます。
- ・5時までに化粧や髪型を整える&メールチェックなどをすませる。
- ・5時朝食。
- ・5時半家を出る。
- ・6時過ぎ会社近くのファミレス到着。ドリンクバーを注文。
- ・6時過ぎ~7時昨日の夕刊と今朝の朝刊を読む。
- ・7時~8時半趣味のパン教室のアイデアを練ったり、本を読んだり、ブログを書いたり、企画書を書いたりと、「思索と計画」の時間に充てる。
- ・8時半~出社。メールチェックや仕事の段取りをイメージする。
- ・9時~業務スタート。
このように、起床から始業までの限られた時間を細かく区切って実践するためには、いやが上にも時間密度を意識せざるを得ません。
タイムリミットがあるからこそ、やるべきことの全体像を把握し、適切な時間配分を考えることができるのです。
現在は自営で仕事をしているため、自由に時間が使えるのですが、ランニングをする場合、しない場合に分けて自分のすることをスケジュールに落とし込んで、無駄な時間を極力排除するよう意識しています。
朝4時起きすると「忙しい」という口癖は消える
時間密度とプレッシャーをもっと高めよう。──そう書くと、「いつもそんな時間に追われた生活をしていたら、息が詰まりそう」「私にはムリ」と言う人もいらっしゃるかもしれません。
でも、そんなことはないのです。逆説的ですが、時間密度が高まると同時に「忙しい」という口癖も消えるのです。
なぜならば、朝は誰にも邪魔されない唯一の時間で、その時間を自由に使えているという感覚が味わえるからです。
自分が、自分の人生を思いどおりに支配している感覚に浸ることができるからです。そもそも「忙しい」「時間に追われている」と思ってしまうのはなぜでしょうか。
それは、自分の意思とは関係ない、他の要因に振り回されている感覚があるからです。私の友人に、IT企業で責任のある仕事をしている2歳児の母親がいます。
彼女は自分の時間を作るため、子供を夜9時に寝かしつけた後に、仕事や翌日の夕食作り、洗濯などの家事をしていました。
でも、子供には「早く寝てほしい」という母親の気持ちがどうしても伝わってしまうようで、なかなか寝ついてくれません。
しかも、子供の寝る時間はまちまちなので、予定をきっちり決めることができず、仕事や家事が思うように進まない、と悩んでいました。そこで彼女は、私を真似て朝4時起きを実行することにしました。
夜は思いきって9時に子供と一緒に寝てしまい、朝4時に起きることにしたのです。
このことによって、子供が起き出す7時ごろまでの約3時間をまるまる自分の時間にできるようになりました。
子供が起きる時間は不規則ですが、夜寝つく時間に比べるとそれほどブレがなく、計画的に仕事ができるようになったそうです。
また彼女は仕事柄、アメリカとのメールのやりとりが多いのですが、早朝のメールチェックを習慣にした結果、タイムラグを感じずにスピーディに仕事ができるようになったとも言っていました。
家事や育児の面でもメリットがありました。彼女は保育園へ子供を送って行くのにいつも自転車を利用していますが、雨が降っている朝は徒歩で行かなくてはなりません。
そのため、いつもより早く出かける必要があり、ついバタバタしがちです。でも、朝4時に起きるようになってからは、時間的にも気分的にも余裕があるため、雨が降っていてもあわてなくなったそうです。
また、子供には発熱がつきもの。朝起きたら子供が熱を出していた!という場合、彼女の家では夫婦のどちらかが会社を一日休むのではなく、例えば彼女が午後半休、夫が午前半休といった「早番・遅番制」を取っています。
ですから、朝4時起きして子供の発熱に気づいたときは、午前中に仕事をすませて早退すれば、仕事に穴をあけるのを最小限に抑えることができるのです。
ただ、早起きの唯一の懸念が夫とのすれ違いだったのですが、朝4時起きが習慣になった彼女に感化され、夫も朝4時起きをするようになったことで、朝から夫婦の会話の時間を持てるようになりました。
しかも、思いもよらなかったうれしい副産物も。早起きするようになった夫が、なんと「弁当男子」に変身したのです。お弁当に加え、炊きたてご飯の朝食まで作るようになったそうです。
このように、周囲の環境に振り回されない自分を保つためにも、朝4時起きはきわめて有効なのです。
朝4時起きで身につける瞬発力と「仮説思考」力
「仮説思考」という考え方があります。問題を解決するにあたって、情報を徹底的に調べて結果を導き出すのではなく、情報が少ない時点から、問題の全体像や結論に「あたり」をつける思考方法です。
朝4時起きすると、この仮説思考が身につきます。なぜなら、毎日限られた時間内で結果を出さなければならないからです。
私は外資系コンサル会社の、時間に追われる部署で資料作成の仕事をしていました。
並行していくつものプロジェクトが進んでいるなかで、複数の人から持ち込まれる手書きの原稿や資料をきれいに、見やすく、伝わりやすいパワーポイント資料に作り変えるという仕事です。
例えば、プロジェクトを3つ担当しているとします。
Aプロジェクトは12時にクライアント先でプレゼン、Bプロジェクトは16時にプレゼン、Cプロジェクトは19時にプレゼンというように、プロジェクトが同日に重なる場合がほとんどです。
それぞれのプロジェクトのリーダーが最終的に資料をチェックできる時間帯、クライアント先までの移動時間、それぞれの資料の手間のかかり具合などを考慮して、段取りを考えながら並行して作業を進めていく必要があるのです。
クライアントのもとに出発する30分前に10枚のパワーポイント資料を超速で仕上げる、なんてことは日常茶飯事。しかもコンサルタントも忙しいので、打ち合わせはひと言のみという場合もザラ。
「あ・うん」の呼吸に近いものを要求されます。1の質問で10の情報を得なければならない。
そんなときの瞬発力は、朝4時起きで十分に準備しておくことで培いました。誰もが頭ではわかっているのに、実感として感じていないこと。それは、時間は有限だという事実です。
誰だって、時間をたっぷりかければいい資料ができることはわかっています。でも一つの資料に1週間も2週間もかけられるほど、暇ではありません。
なので、1分1秒でも早く、しかも確実なタマを打たなければいけないのです。その瞬発力は早起きで身につきます。
なぜならば、どんな質問をコンサルタントにすれば、自分の仕事がうまく進められるか、どこから始めれば一番効率的でかつ最適な結果を出せるか、といった「あたり」をつけることができるようになるからです。
朝4時起き生活になると、限られた時間の中で、どうすれば効率よく自分の求めている結果を出すことができるか。それを毎日訓練できるのです。
朝4時起きでネガティブな自分をリセット&リニューアル
「夜書いたラブレターは朝読み直したほうがいい。重すぎる内容になっているから」という話を聞いたことがあると思います。
夜は、内省的に物事を考えるには適していますが、ときおり、内省的すぎて、後ろ向きでどろどろした感情が出てきてしまうものです。
夜書いたブログも、反省点ばかりが目について、後で読み直すとすぐに消したくなるような暗い文章だったりします。
ところが朝は、陽が昇ってくるところを見るだけでさわやかな気分に包まれるため、後ろ向きの感情を追い出すことができるのです。
「千恵ちゃんはいつも前向きだよね」「いつもアクティブ&ポジティブだから、こっちまで元気になる」知人やブログの読者から、よくそう言われます。
でも、先ほどの大学時代の話を読んでいただくとわかるように、私はもともと超ネガティブ思考です。小さいころからあまり褒められて育っていないせいかもしれません。
いつも「自分の能力ではこれ以上は無理なんじゃないか」「あー、またやっちゃった」「ホントに私ってダメ人間だ」と、不安に駆られ、落ち込むことも多いのです。
でも不思議なことに、4時起きした朝はとっても気分が前向きになって、「よっしゃ、今日も一日突き進むぞー!」と、新しい自分になれるのです。また、朝4時起きで「ゴムボールのような打たれ強さ」も身につきます。
つまり、どんなに強く床にたたきつけられても、そのたたきつけられた反動で、さらに大きくジャンプできる力です。先ほども触れたように、私はワタミ時代の一時期、関連会社に出向になりました。
できたばかりの会社ですから、何でもやらなければならないのに、何もできない私が来たものだから、A社長もあきれ返ってしまいました。
自分の名刺ひとつ作るにも、どこに、どうやって発注したらいいか分からない。取引先に向けて営業活動をしなければいけないのに、どこからどう始めたらいいかも分からない。会社の情報を内外に発信しなければいけないのに、表現方法が分からない。
分からないことを素直に分からないと聞けずに勝手に動き回るから、A社長の邪魔をすることになってしまい、注意を受ける。
そんな自分がもどかしくて、悔し涙を流す毎日。へこんで、泣いて帰った夜もあります。
起業家精神を学ぶのに最適な環境のはずなのに、「何も教えてくれないこんな会社、もう辞めてやる!」とA社長を逆恨みすることもありました。
でも、翌朝早起きして始業前の30分を仕事の準備にあてると不思議と気持ちが落ち着き、「昨日A社長に注意されたことが今の私に足りないところなんだ。ここで精一杯学ぼう」
と、前向きに頭を切り替えることができました。この打たれ強さは、早起きで自分のネガティブ体質を毎朝リセットできたおかげだと思います。失敗してもめげずに学ぶ意志を持ち、気持ちを前向きに切り替えられたのも、朝型生活のおかげなのです。
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