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第4章Chapter4ビジョンで最高の未来を創るためのヒント

「本当の情報化社会」は始まっていない

ビジョンは、私たちの未来を指し示すものです。したがって、ビジョンは、これから訪れるであろう未来を想定してつくらなければなりません。

私たちの組織も、個人も、未来からの時間の流れの中で、生きているからです。個別の事象がいつ、どのように、どうなるのかはまったく分かりません。天変地異や事件等も同様です。しかし、時代がどのように流れるかという大きな流れそのものは意外なほど明快です。

第4章では、どのような未来を想定すべきか、そのときに何が問題になるのか、何に注意しなければならないのか。ビジョンづくりのヒントになる話題や視点を提供したいと思います。

目次

テクノロジーは勝手に進化している

2020年代、30年代あるいは、ここから先100年という時間の流れを見据えるのに必要な、もっとも重要な視点は「テクノロジーと人間の調和」でしょう。

ここではテクノロジーを「人間の能力の一部を外部化して機能やパワーを拡大したもの」と定義します。

石斧や矢じりは、人間の手や歯の能力、つまり狩りの能力を拡大するために生まれたテクノロジーです。

AIは、人間の認知・判断・思考の能力を外部化し、拡大するために生まれたテクノロジーです。テクノロジーは人間が生み出しています。

古代の石器に始まり、最近のAIに至るまで、当たり前のことですが、人間が関わらなかったテクノロジーはただの一つも存在しません。

しかし、面白いことに、こうして生み出されたテクノロジーを100%、人間自身がコントロールできているでしょうか。

旧石器時代から現代に至るまで、人間が自ら生み出しながら、完全にコントロールしえたテクノロジーは存在しません。

人間は、人を殺めない刃物を生み出すことはなかったし、落ちない飛行機も、事故を起こさない車も生み出していない。

私たちとテクノロジーの関係で、いま現在、私たちが知りえているのは「私たちは自分自身で生み出したテクノロジーを制御することはできない」という厳然たる事実です。

なかでも最大の問題は「テクノロジー進化のスピード」を、人間がコントロールできない、ということにあります。

人間が生み出しているものなのに、その進化を、人間の意志で制御することはできないのです。

ここ数十年のテクノロジーの進化に、私たちや私たちの社会は追いつけていません。

それはテクノロジーを生み出す私たち自身の進化が、せいぜい数万年、数十万年という単位でしか起こりえない、とてもゆっくりとしたものだからです。

いまでも私たちの神経系や感情や、肉体的な特性や能力は、狩猟採集民として生きていた、数万年前とほとんど変わることはありません。そして、人間の物理的・肉体的な限界はそれ以上に変わりません。

この落差をどうするのか。今後、ビジネスから政治までのビジョンづくりにも大きく関係してきます。

脅威的なテクノロジー進化のスピード

では、どれほどのスピードでテクノロジーが進化してきたのか、まずは事例で確認してもらいます。

ライト兄弟のことはご存知だと思います。有人で動力飛行に成功した最初の人間です。

彼らが動力飛行に成功する数週間ほど前、ニューヨーク・タイムズが「実際に空を飛ぶ機械が数学者と機械工の協力と不断の努力によって発明されるまでには百万年から一千万年かかるだろう。」と書いたのをご存知でしょうか。

しかし、1903年12月17日、彼らはノースカロライナ州で初飛行に成功しました。そこからわずか6年後の09年には世界初の航空輸送会社が設立されます。

そして27年には、リンドバーグがニューヨークとパリ間の単独・無着陸での大西洋横断飛行に成功。

そのちょうど20年後、47年にはチャック・イェーガーが音速の壁を突破します。初飛行から音速の壁を突破するまでに人類がかかった時間はわずか44年です。

さて。

ライト兄弟の初飛行とまったく同じ1903年に、ロシアのコンスタンチン・ツィオルコフスキーという研究者が宇宙に飛び立つためのロケット工学の理論を打ち立てました。

そして、リンドバーグ大西洋横断の前年、1926年にはアメリカでロバート・ゴタードにより液体燃料を用いた最初のロケットが打ち上げられます。

その35年後のことです。61年、ソ連のガガーリンが人類初の有人宇宙飛行に成功します。

そして、さらに、その8年後、69年7月20日には、ニール・アームストロングとバズ・オルドリンが、アポロ11号を使って人類で初めて月面に降り立つのです。

飛行機とロケットで使われている技術は違いますが、人類が飛んだ距離を考えるなら、ライト兄弟の1回目の飛行距離は約36・5メートル、アポロ11号の月までの飛行距離は38万4400キロメートルに達しています。

距離だけで比較するなら1053万倍です。

人類は、ライト兄弟からアポロ11号までを66年で達成しているのです。

ロケット技術だけで見るなら初めての打ち上げから、たった43年で、人類を月へ送り、そして地球へと帰還させています。

Intel社の創業者の一人でもあるゴードン・ムーアが1965年に発表した、半導体などの集積回路のトランジスタ数は18カ月ごとに2倍になっていくという有名な「ムーアの法則」をご存知だと思います。

最近では、この法則もそろそろ限界に達するのではないかと言われていますが、いずれにせよ1971年にIntelが出荷した世界初のマイクロプロセッサー「Intel4004」のトランジスタ数は2300個でしたが、およそ50年近くで10億個を超えるまでになっています。

43万倍以上の増大率です。ちなみに1969年に月面着陸に成功したアポロ11号に積まれたコンピューターは、CPUが2・0メガヘルツで、メモリが4キロバイト。

いま私の手元にあるiPhoneXは、CPU2・39ギガヘルツとメモリ3ギガバイトなので、それぞれ単純に見積もればCPUで1223倍、メモリで78・6万倍近い能力を有していることになります。

この増大ぶりは、テクノロジーそのものの自律的発達で生じたもので、テクノロジー進化の性質と言っていいでしょう。こうした自律的な発達の性質は、テクノロジー全般に及びます。

つまり、ほとんどのテクノロジーは、人間のコントロールの外で、勝手に幾何級数的に発達するのです。

これは、テクノロジーは人間の習熟度に応じて発達するのではなく、テクノロジーそのものが自律的に、つまり生命のように勝手に進化し、発達する性質を持っている、と考えることもできます。

雑誌「WIRED」の創刊編集長でありサイバーカルチャーの論客、著述家のケヴィン・ケリーは、このテクノロジーの生態系を「テクニウム」と名づけています。

このテクニウムの中で、今後、人口知能、ブロックチェーンなどの分野はもちろん、エネルギー、材料、医療などから遺伝子やナノ、宇宙工学などさまざまな分野で飛躍的な進化が起こります。

テクノロジーのカンブリア紀がやってくる

中国では急速に現金は使われなくなっています。QRコードで路上の屋台や物売りでもキャッシュレスで売り買いができます。ちなみにキャッシュレス最先進国のスウェーデンの現金流通量はいまや1%台。

2020年には0・5%以下になると想定されています。現金を受け付けない店舗も増えており都市部も農村部もATMが急速になくなってきています。

Amazonが始めた無人コンビニのAmazongoは、スマートフォンを使って入店すれば、お昼のサンドウィッチを持って出るだけで決済は終了。10秒とかかりません。

たとえば自動運転の車そのものが店舗になっていて、工場で商品を補充された車が指定の屋根付き駐車場に着いたら、無人のままオープンということもありそうです。

個人認証技術が高度化し、音声認識やAIが洗練されていくと、スマートフォンやカード類がなくても、個人特定が可能です。すると完全な手ぶらの買い物も可能になります。

そのうち時計やメガネ、コンタクトレンズ、イヤホン、指輪などのウエアラブルな機器で、ほとんどのことができるようになるでしょう。

その先には体内に個人情報を管理するデータチップを埋め込んでいる未来があります。それが良いか悪いかは別にして、人が機械を融合させていく未来は実際に始まっています。

最近、バイオハッカーと呼ばれる人たちが増えてきています。

彼らは、スティーブ・ジョブズがガレージでAppleを創業したように、自宅やガレージで遺伝子改変の研究に取り組んでいます。

たとえばロンドンに住む二人の若者が開発した「ベントーラボ」と呼ばれる機械は、A4サイズの大きさに、DNAの分析に必要な機能が詰まっていて価格は2000ドル。

FordMortorCompany(フォード・モーター)が車を、ジョブズがコンピューターを民主化したように、バイオテクノロジーの民主化、つまり急激な発展の波が押し寄せているのです。

もう少しすれば無人のタクシーがあなたを出迎えたり、家自身が判断して掃除をしたり、お風呂を入れたり、エアコンの温度を調整し始めるでしょう。

さらに、あなたの一生に付き添う執事のような、個人用にカスタマイズされたAIが出現するかもしれません。

「本当の情報化社会」は始まってもいないテクノロジーの大きな流れを見ていくと、1770年代にワットにより実用的な蒸気機関が発明され、産業革命が加速を始めたあと、数十年周期でテクノロジーの進化が起きていることがわかります。

1830年代から50年代にかけては鉄道建設による交通革命。1890年代からは電気、化学、自動車などの発達がありました。

そこから1910年代にかけては電話、蓄音器、無線電信機、ラジオ、X線、映画、交流発電、自動車、飛行機などの現代を形づくる発明が相次いでいます。

1940年代も第二次世界大戦の影響か、そのあとの世界を左右する二つのものが生み出されています。

1945年7月には人類初の核実験が行われています。この数週間後には広島と長崎に原子爆弾が投下されます。核の時代の始まりです。

また、弾道計算などのためにコンピューターの発達が始まり、真空管を使ったENIAC(エニアック)と呼ばれるコンピューターが生まれたのが1946年です。

翌47年にはトランジスタが発明されます。いまの人工知能に続くテクノロジーは、この時期に芽を出しています。

そのほぼ50年後の1995年、Windows95が発売されてインターネットが普及する時代の幕が切って落とされます。

現在、巨大な存在となっているIT系企業は95年からおおよそ10年以内に創業されています。

アメリカの未来学者レイ・カーツワイルは2045年に、AIが人間の能力を完全に上回る技術的特異点と言われるシンギュラリティがやってくると言っています。

これは1995年から数えてジャスト50年後です。

こうしたテクノロジーの発達による景気循環の波がほぼ50年ごとに起きており、ロシアの経済学者コンドラチェフの名前を冠して「コンドラチェフの波」と呼ばれています。

歴史を見ていくと50年ごと、おおよそ前後10年ずつに大きなテクノロジーのブレイクスルーが起きていることが分かります。

18世紀後半から起こった産業革命を起点とすると、2045年は6回目の波の時期に当たります。この循環の法則にならうなら、いまはその前の中間地点にあたります。

とすると、私たちが想像もしないような次の新しいテクノロジーの出現は、2045年をはさみ、2030年代後半から始まり、2050年代半ばまで続くことになります。

この時期に300年近く前の産業革命に匹敵する変化が起こる可能性が高い。いわば多様な生物がいっせいに出現・進化したカンブリア爆発を思い起こすような、テクノロジーの爆発的な進化が起きる可能性があります。

それは確実に社会構造や人間観にまで大きな影響を及ぼすことになります。未来予測は不可能です。しかし、未来への大きな流れの予測に関しては、実はそれほど大きくは外れません。

たとえば、デジタル化や情報化の時代が来ることも、バイオテクノロジーが発達することも、持続可能性が大切になることも、ずいぶん前から予測されてきました。

ただ、それが具体的にいつごろ、どのような形でやってくるかは予測できなかっただけなのです。

それでも多くの未来予測の本が出ていますが、私が注目しているのが、日本の情報社会学の泰斗である多摩大学情報社会学研究所所長の公文俊平氏が発表している「S字波」を使用した理論です。

公文氏のS字波の説明を引用してみましょう。〝S字波モデル〟は、生物学では以前から広く使われてきました。

このモデルは、成長はゆるやかに始まったあと加速するが、最後は再びゆるやかになるという見方にたっています。

〝S字波〟の図式は、横軸に時間をとり、縦軸には規模に関する適当な指標をとって描かれ、ゆるやかな〝出現〟、急速な〝突破〟、ゆるやかな〝成熟〟の三つの局面をもち、〝S〟の字を横に引き延ばしたような形をしています。(『情報社会のいま――あたらしい智民たちへ』NTT出版より)

さまざまな社会的事物は、ほとんどの場合かなり古い起源をもち、長い時間をかけて――場合によっては生まれたり消えたりしながら――徐々に「形成」され、そのうちに、小さくはあっても無視することはできない確実性をもって「出現」してくると考えられる。

ひとたび出現した事物は、しばらくすると、その存在を疑うことはもはや誰にもできないほどの規模や速度で「突破」を開始するが、その極まるところは過剰な期待や信頼が生み出すバブルとなり、やがてその訂正が行われる。

これがその事物の「成熟」過程にあたり、その結果として、新しい社会的事物は既存のさまざまな社会的事物との間に安定的な関係を結びつつ「定着」していく。(『情報社会学序説――ラストモダンの時代を生きる』NTT出版より)

この曲線は、商品の普及や企業の成長をとらえたS字曲線と近いものです。

さまざまな景気循環の波もこうしたS字で表されることが多いのですが、私たちの社会進化をこの視点で見るというのは、社会進化にも規則性があるという意味で、大変新鮮なアプローチです。

図8のS字波は、図9のように、さらに小さなS字波として分解することもできます。

こうしたS字波の性質を前提として、公文氏は、現在を図10のような、近代化の成熟局面「情報化」の一時点としてとらえています。

16世紀半ばくらいからの近代化(図10の大きなS字)は、ほぼ200年ごとに「軍事化」「産業化」「情報化」(それぞれ図10の小さなS字)という局面に分かれています。

三つの局面では、それぞれ軍事力、経済力、知力が大きな意味を持ってきます。

局面に分かれているからと言って、200年たてばその局面が終わるわけではなく、次の局面を下支えするように、定着に入っていきます。つまり、その局面は400年近いスパンで見る必要があるのです。

この視点で見ると、私たちがいま迎えているテクノロジーと共存する時代は、現在、情報化のやっと「突破」局面に入ったばかりです。

2150年、22世紀半ばに迎える情報化の成熟・定着局面がどのような状態なのかは想像もつきませんが、レイ・カーツワイルの唱える、人工知能が人間の知性を超える「シンギュラリティ」が想定されている2045年も、図10でいうと情報化のやっと半分程度の時期。

S字波の本格的な上昇は、その後にやっと始まります。1990年代にインターネットの普及が始まり、そろそろインターネットも成熟してきた印象もあるのですが、情報化の視点では、私たちはまだドアを開けて入り口を少し入ったところに佇んでいるだけなのです。

情報化の本当の姿は、まだ誰も目にしていない。

公文氏のS字波モデルを引用してきて、お伝えしたかったのは、AIやバイオ、宇宙などテクノロジーの大きな胎動を感じながらも、ひょっとしたら「本当の情報化社会」は、まだ始まってもいないのかもしれないということです。

この時代にビジョンをつくる意味はあるのか?

これらのことを前提にすると、ビジョンをつくる意味はどうなるのでしょうか。

一つは、ビジョンをつくることに意味がないのではないかという懐疑的な考え方があります。

これほど早い変化、想像もつかない変化への対応は、人間は得意ではありません。テクノロジーの進歩による変化、つまり未来の不確定性を高く見積もってしまいそうです。

とするなら私たちは対応するだけで精一杯であり、つくったビジョンが無駄になる確率が高くなるからつくらない。不要であるという判断もあり得ます。

しかし、私はその考え方には与しません。

たとえば日本の人口が減っていくことは確実です。

このままで出生率が推移するなら100年ほどあとの2115年は5055万人(国立社会保障・人口問題研究所平成29年出生中位・死亡中位での推計)になります。

日本のピーク人口が1億2800万人でしたので、おおよそ最盛期の40%にまで減ることになります。

このまま減り続けて、江戸時代のような3000万人まで減っていくのか、それとも明治末期と同程度の5000万人で下げ止まるのかはわかりません。

都市部に住んでいると感じることが少ないかもしれませんが、私たちは明らかな縮小社会に住んでいます。

私が幼少期に育った長崎県五島列島の奈良尾町は、平成の大合併で、町から出張所のある一地域になってしまいましたが、戦後最盛期は1万人が暮らし、船団が10統以上もある、西日本最大の巻き網漁の基地でした。

1960年代、通った小学校は全学年で600人の児童が在籍していました。1カ月に一度東シナ海からおおよそ200隻もの船団が戻ると、町は沸き立つような活気に包まれたのを思い出します。1980年代には年間300億円を超える水揚げを記録しています。

しかし、いま墓参りで訪れると、何の音もしない静かな町が広がります。子どもの遊ぶ声がしない。車が通らない。商店街はほとんどが店を閉じている。町を歩いて出会うのはほとんどが老人です。

東シナ海での漁が中国や韓国、台湾との競合で厳しくなり、原油高、船員不足などが重なり、町はみるみる衰退していきました。

生徒数が合計900人を超えた小中学校は、数年前に生徒数が10人を切り、別の学校と統合されました。

10年後は本当に限界集落になる可能性が大きい。何とかしたい。でも何から、どう手を付ければいいのでしょう。

この日本の西の果てにある自分の故郷を訪ねると、日本の未来を暗示しているような気がして落ち込んでしまうことがあります。

ビジョンを持たないということは、こうした流れを傍観することを意味します。問題が起きてから対処する。

つまり、事後対処、リアクションで生きていくということです。これは意志の放棄に他なりません。私たちは生きるうえで必ず何かを選択しています。

たとえば現状維持でいい、何も選択しないと考えたとしても現実は容赦なく変化していくため、現状に留まることは実際には不可能です。

現状維持は、一見、選択回避に見えますが、実際は「停滞」「後退」あるいは「先延ばしした失敗」を選択しているのに過ぎないのです。

厳しい言い方を許していただけるなら、問題にうっすらと気づきながらも、ぼんやり毎日を過ごしているのが、私自身も含めた、いま現在の日本人ではないでしょうか。

私たち日本人は、第二次世界大戦後の経済的な成功という、世界史の中でも極めてまれな成功体験を持っています。

しかし長い間、この成功体験が私たちを縛ってもきました。

そのときに形作られた企業活動の方法や社会の仕組みが、あきらかにミスマッチを起こし、問題解決を阻害する方向で働いている。

近年相次いでいる、モノづくり企業の製品の製造ミスやごまかしの事件は、その現れではないかと思います。

人間は考えてイメージし、言語化し、そして思い描いたものを実現するように行動して初めて、何かを現実化していきます。

富士山に登るには頂上に立つことをイメージし、そこまでのルートを調べ、登山道具を整え、スケジュールを組み、交通機関や徒歩でふもとまで移動しなければ登ることはできません。

都合よくいきなり富士山の頂上に居ることは絶対にありえないのです。具体的に描き、具体的に行動する。ビジョンと現実はそのような関係にあります。ビジョンをつくる意味は大いにあります。

情報化の局面はどこに向かうのか

国力は国民の人口にある程度は比例するので、ヨーロッパ、日本、韓国などは今後、時期は前後しつつも国力そのものは長い下り坂を下っていきます。

逆に東南アジア、西アジア、アフリカは人口が増大していく時期になります。

乱暴な推論ですが、イスラムと西欧のぶつかり合いは、この過程の一環として起こっている可能性があります。

超長期的に見れば、地球の経済などの経済や文化の重心は、徐々に西に西へと移っていく運命にあります。

国の勃興を見ていると、開発途上国がその前時代性ゆえに逆にインフラなどを一気に最先端のものにつくり変え、経済的にも文化的にも興隆していくというパターンを見ることができます。

戦後の日本あるいは中国や韓国、インドなどの発展は明らかにそうでしょう。西欧や日本が停滞し、下降する原因は人口減以外には、まさにその興隆であり成功体験にあると考えられえます。

成功した方法論を人間はなかなか捨てられないし、その過程でつくられた既存のテクノロジーや仕組みを新しいものに変えることに抵抗します。

過去あるいは現在の成功者は未来への抵抗者になり、そして結果的に退歩していくのです。

社会の思い切った変化を動機づける仕組みをデザインできるかどうか。そしてその仕組みが機能するように動かしていけるかどうかが、未来を決めます。

社会全体の同意も必要ですが、新たなセーフティネットや細かい利害調整も必要になってきます。さて、公文氏にならえば、いまは近代文明の「情報化」の時代、局面です。

1950年前後から始まり、2150年前後まで続く、近代文明の成熟局面に当たります。

では、近代文明あるいは近代化とは何か。何が成熟していくのか。情報化の意味を考えてみましょう。

私のみるところでは、未来志向型の近代文明のもっとも顕著な特徴は、人びとが自分の目標を実現するために環境(自分自身をも含む)を支配・制御する手段ないし能力(以下ではそれらを「パワー」と総称することもある)の不断の増進(エンパワーメント)にある。近代化過程とは、この意味でエンパワーメント過程に他ならないのである。(『情報社会学序説ラストモダンの時代を生きる』より)

確かにパーソナル・コンピューター、インターネットの普及、また低価格な3DプリンターやDNA分析器キットの登場、SNSの一般化、シェアリングエコ

ノミーやテクノロジーによるさまざまな物やサービスのコストの劇的低下など、私たち一人ひとりができることが驚異的に拡大していることは実感としてあります。

数十年前は、国家予算を注ぎ込んでもつくれなかった高度で高性能なスーパーコンピューターを、私たちはスマートフォンと呼んで、ほぼ一人1台ずつ保有しています。

片手で持てる、この1台で、私たちは、世界中に配信する番組をつくることもできれば、小説も書けるし、簡単な仕事もできます。

旅の予約やレストランの予約も自在です。ほとんどの調べ物は、クリックとタップで可能です。あなたの手の中のスマートフォンは個人のエンパワーメントの象徴だと言えるでしょう。

近代化の始まりのころ、戦争をする能力(軍事力)と情報(知識)は権力の独占物・占有物でした。

つまり、近代化の過程とは、個人が集団に差し出した「パワー」を、もう一度、個人に戻していく過程と見ることもできます。

わずか50年前でも、獲得された知識・知恵(情報)はごく一部の人に共有されるだけで、本やテレビなどを通じて一般化されるには膨大な手間がかかっていました。インターネットの登場で、その状態は一変しました。

しかし、グーグルが理想とする、人類のすべての知識に誰もがアクセスできる世界はまだまだ遠くにあります。ただ、私たちは、そのとば口には確実に立っていると言えるでしょう。

しかし、注意しなければならないのは、情報化は個人をエンパワーメントする側面だけなく、その逆の側面でも起こっているということです。つまり、個人のエンパワーメントを制限・制御する方向です。

コンピューターの膨大な処理能力は、当然私たちだけでなく、国家や巨大な組織にも、パワーを与えているのです。

GAFAの世界で起こること

IT業界では、シェアを奪った企業が事実上世界標準になります。

たとえばGoogleの検索での世界シェアはPCとスマートフォンなどすべての合計で90・31%にも及びます。

また、ウェブブラウザーもGoogleChromeが58・94%と2位のAppleのSafari13・77%を大きく引き離しています。

スマートフォンのシェアは、Androidが韓国サムスンで30・66%、iOSのアップルが18・91%と2社で世界シェアのほぼ半分を握っています(数字はいずれも2018年statcounterGlobalStats”MobileVendorMarketShareWorldwide”)。

しかし、スマートフォンのOSで考えるならGoogleのAndroidとAppleのiOSがそのほとんどを握っています。

また、アメリカのeコマースでのAmazonのシェアは2021年には50%を超えるという推計があります。

中国を除けばGAFAと呼ばれるGoogle、Apple、Facebook、Amazonに、世界中のインターネット利用者が依存しているのです。中国でも少数の企業が寡占状態です。

それが検索の百度(バイドゥ)、人気SNSアプリWeChat(ウィーチャット)の騰訊(テンセント)、eコマースの阿里巴巴(アリババ)、京東(ジンドン)などです。

こうした企業は事実上、生活インフラのような存在です。

正の側面でいえば、こうした高性能で無料のサービスがあることで、私たちの生活は明らかに便利になっているし、生産性も高まっていることは明らかです。

自分に即して言えば、検索はパソコンを初めて買ったときからGoogleで、iPhoneXとAppleWatchを毎日身に着け、Facebookを日に3回はのぞき、Amazonでは年間100冊以上の本と消耗品、家電を購入します。

私は、相当これらの企業にからめとられていると言ってよいでしょう。

たとえば、この本の執筆自体、Googleの検索とAmazonの本の検索・販売がなければまったく成り立ちません。

Googleは長い間、自らの行動規範の冒頭に「Don’tbeevil.(邪悪になるな)」を掲げていました。

2018年、GoogleがAI技術をアメリカ国防総省のドローン用軍事技術に使用していることが発覚し、社内で4000人が反対の署名を行い、十数人が退職する大きな騒動になりました。

自分たちの社是である、邪悪になるな、に反するとして。

この騒動自体は、国防総省の契約更新を行わないという発表で下火になりましたが、そのさなか「邪悪になるな」ということばがGoogleの行動規範から削除されます。

このことばは、いまは行動規範の長い文章の最後に出てくるのみとなっています。

これが話題になっているのは、Googleが強大な力をどのように使うかに人々の関心が集まっているからです。

世界の検索市場のほとんどを寡占しているGoogleには、通常の企業レベルではないオープンで、誠実な姿勢と、高い倫理観が必要です。

FacebookがSNSで世界シェアを急速に落としているのも、イギリスの調査会社に意図的に情報漏洩したことによります。

特にSNSは個人の嗜好から日常の行動まで細く把握することが可能です。20億人が利用するFacebookは、明らかに地球規模のインフラです。

やってはいけないことをFacebookはやってしまった。これはGoogleやFacebookの倫理観の明らかな後退です。もとから、そんなものはなかった、と断ずることもできます。

しかし残念なことに、機能と、そのサービスの中でいままで積み上げてきたもののために、私は、これらの適切な代替物をいまだ見つけられていません。

私の中では、GoogleもFacebookも信用格付けは、AAAからBBBに降格しながらも使わざるを得ない状況なのです。

そして、こうした事態はGoogleやFacebookだけでなく、データを扱う、すべてのIT系企業に起こり得る可能性があります。

インターネットが誰が管理しているのかもあまり知られず、非常に民主的に、公共的に運営されているように、こうしたインフラ的な企業は私企業から公共的なものへと変えていく努力が必要なのかもしれません。

もしくは、EUが一般データ保護規則(GDPR)を域内で発効させたように、GAFAなどによる個人データの持ち出しに国別に厳しい制限をかけるようなことも、今後頻繁に起きる可能性があります。

ゲームでは人類はAIに完全に勝てなくなった

さて。こうした技術革新のほとんどにかかわってくると考えられているのが人口知能、AIです。

AIは2010年代に入ってディープラーニング(深層学習)の技術が発達するにつれ、急速に性能を伸ばし、世間が注目するようになってきました。

あまり意識しないかもしれませんが、AIを使用した製品やテクノロジーが自然に増えています。

もっとも身近なもので言えばiPhoneやアップル製品のsiri(シリ)や、検索のGoogleアシスタント、あるいはWindowsを使っているならMicrosoftのCortana(コルタナ)がそうです。

あるいはLINEの女子高校生AI「りんな」などから、Facebook投稿時の顔認識、ロボット掃除機やソフトバンクのPepper(ペッパー)、ソニーの新型aiboなどにも当然のようにAIが搭載されています。

我が家には、AmazonのスマートスピーカーEchoDotがあります。Amazonのサーバーにネットでつながり、サービスを提供してくれます。

私個人は、翌日の天気を聞く程度ですが、家人は調理中に好きな音楽をかけてもらったりしています。たぶん我が家でもっとも使われているAIです。

面白いのは、プログラムに従って音声が答えているだけだと分かっていても「アレクサ!」と呼びかけ、小さな直径10センチ、高さ5センチ程度の小型スピー

カーが答えてくれるたびに、この小さなスピーカーに自分も含め、家族が親しみを感じることです。ペットのような感情が沸いてくるのです。

旧型AIBOをいまだに大切にしているファンが多いように、機械的なものでも、インターフェイスにヒューマンなものを感じる場合、私たち人間(と一般化できないかもしれませんが)は、自然にそこに〝愛情〟を感じるようにプログラムされているのでしょう。

これは今後、AIを設計するときにもっとも重要になってくる点かもしれません。

人工知能が人間の知性を超えるという「シンギュラリティ」が話題になったのも、コンピューター囲碁プログラムのAlphaGoLee(アルファ碁リー:AlphaGoの2代目バージョン)が、世界最強と言われた韓国人の棋士である李世氏に圧勝してからでしょうか。

チェスや将棋に比べて、打ち手が2×10の172乗とも言われる膨大さで、この数になると超高性能なコンピューターでも計算に時間がかかります。

しかし、AlphaGoは、ニューラルネットワークという人間の脳の特性を、数学的に再現したモデルを使い、自分自身と何千万局の対局を繰り返すことで強くなっていったのです。

これには後日談があります。

その後、創られた3代目バージョンのAlphaGoMaster(アルファ碁マスター)は、史上最年少で世界戦三冠王になった、李世以上と言われる中国人棋士の柯潔氏に3戦全勝しているのですが、その次の4代目バージョンAlphaGoZero(アルファ碁ゼロ)は、さらに進んで、いままで必要だった学習用の棋譜やビッグデータなどを使わずに、純粋に自分自身との対局を繰り返すことで数十日で強くなり、その結果、李世氏に勝ったAlphaGoLeeには100戦全勝、柯潔氏に圧勝したAlphaGoMasterにも100戦で89勝11敗と、圧倒的な数値を残すようになっているのです。

もはや人類で勝てる者はいないレベルに達しています。

それでもシンギュラリティはやってこない

こうしたことを見聞きすると、どうしてもシンギュラリティ、人工知能の知性がすべての面で人間の知性を上回る状態、つまり、人工知能自身が自分より知能の高い人工知能を生み出せる現実がやってくるのではないか、との思いがわきます。

しかし、勘違いしてはならないのは、驚異のレベルに達したAlphaGoZeroも、いま話題になっているさまざまな人工知能も「特化型人工知能」であり、ある特定の分野にしか使えない存在だということです。

AlphaGoZeroにチェスや将棋を教え込めば、素晴らしい戦績を残すかもしれませんが、いまのところ〝彼〟は囲碁にしか能がありません。

子どものお守りもできないし、私たちが「天気を教えて」と言っても何の声も返ってこないし、ましてや自動運転もできない。

AIの囲碁での驚異のレベルも、たとえば医療分野でガンの読影、画像解析を手掛けたり、法律の判例の調査などを手掛けるのと同じように、特定の分野では、人間より、高速に、大量にデータ処理して、24時間休まずに働ける、ということにすぎません。

人間のような知性・判断力そして自律性を備えた「汎用型人工知能」の実現に関しては、ほぼ、そのとっかかりさえも見えてはいないのです。

ベストセラー『AIvs.教科書が読めない子どもたち』(東洋経済新報社)の中で、AIによる東京大学合格を目指したプロジェクト「ロボットは東大に入れるか」のプロジェクトリーダーである著者の新井紀子氏は、「コンピューターが数学の言葉だけを使って動いている限り、予見できる未来にシンギュラリティが来ることはありません」と断言しています。

少し長くなりますが、同書にある新井氏のことばを引用します。

「真の意味でのAI」が人間と同等の知能を得るには、私たちの脳が、意識無意識を問わず認識していることをすべて計算可能な数式に置き換えることができる、ということを意味します。

しかし、今のところ、数学で数式に置きかえることができるのは、論理的に言えること、統計的に言えること、確率的に言えることの3つだけです。

そして、私たちの認識を、すべて論理、統計、確率に還元することはできません。

脳科学が随分前に明らかにしたように、脳のシステムはある種の電気回路であることは間違いなさそうです。

電気回路であるということは、onかoffか、つまり0と1だけの世界に還元できることを意味します。

基本的な原理は計算機と同じかもしれません。

それが、「真の意味でのAI」や「シンギュラリティの到来」を期待させている一面はあると思います。

けれども、原理は同じでも、脳がどのような方法で、私たちが認識していることを「0、1」の世界に還元しているのか。

それを解明して数式に翻訳することができないかぎり、「真の意味でのAI」が登場したりシンギュラリティが到来したりすることはないのです。(『AIvs.教科書が読めない子どもたち』より)

物理学者は、宇宙の仕組みを数式で記述することに数百年かけて取り組んでいますが、一歩進むとまた認識の枠組みを崩してしまうような事象が現れ、それを取り込めるような考え方、数式を探ることを繰り返しています。

人間の意識無意識を、数式で記述することは、宇宙の記述より、はるかに遅れています。脳科学も含め、まだ、緒についたばかりと言っても過言ではありません。

苦悩するアトムや失敗もするドラえもんのような高度なAIロボットを描いてきた日本人には、少し寂しい話かもしれませんが、冷徹な事実としては、ここしばらくは(あと数十年かもしれないし、あるいは百年かかってもできないかもしれませんが)、人間の知性に匹敵する汎用的AIは誕生しない、つまりシンギュラリティはない、と私も考えます。

欧米でシンギュラリティが盛んに論じられる遠因の一つには、個人的には、キリスト教的な救済への志向があるのではないかと思います。

つまり乱暴に言えば、全能の神としてのシンギュラリティAIの出現を待望しているのではないか。

私たちは、もう少し冷静にAIというものを捉えた方が良さそうです。

大量のデータですくすく育つAI

AIは新井氏が言うように「論理、統計、確率」の三点セットで動いています。

このところ、AIが急速に発達してきたのも、この三点セットを支えることができる膨大なデータ量を、コンピューターの高性能化と低価格化、通信技術の発達で、気軽に扱えることができるようになったことによります。

AIを育てる最高のごはんは「大量の、良質な、データ」です。

AlphaGoが囲碁で、あれほど強くなれたのも、盤面の中で白い石と黒い石の陣地取りという、コンピューターにかぎりなく親和性の高い「0、1」的世界で、数千万回の自己対局により「大量の、良質な、データ」が手に入ったからです。

こうしたデータを豊富に供給することによって、AIは「論理、統計、確率」の三つの精度を飛躍的に高めることができます。

GAFAのGoogle、Apple、Facebook、AmazonがAIで世界の先頭を走るのも、中国が国家プロジェクトでAIに取り組み、実績を残せるのも、彼らに大量のデータを手に入れる手段があるからです。

単純に比べても、人口1億2700万人の日本と、13億8000万人近い人口を抱える中国では、データの供給量が人口比で見積もっても、10・8倍の開きがあります。

つまり、かなり乱暴な言い方を許していただければ、中国のAIの成長速度は日本の10倍以上なのです。

21世紀は情報化時代だ。情報が大きな価値を持つ。1980年代に、そう言われても私個人はピンと来ませんでした。

2010年代に入っても私の頭の中で、どうなのだろう、と思っていました。

しかし、実用的なAIの出現と発達で、まさに「情報そのものが石油のように価値を持ち、力になる時代」を実感できるようになりました。ビッグデータを含む、すべての情報は「21世紀の石油」です。

多種多様な、大量の情報を手に入れ、それをできるだけスピーディに「論理、統計、確率」的に処理し、その問題解決のパターンを現実の中から汲み取り、処理できるAIをつくったところが、21世紀をリードします。

データが石油や金のように価値を持つ時代が到来したのです。世の中の効率化は行きついたように見えます。

AIは、囲碁で行ったように、人間が予測もしない場所に、解法の規則を見出し、新たな視点を提供してくれるはずです。

人間が気づきえない、人間の思考や行動のクセやパターンを見つけ、人間とは違う視点で問題を解決していく。私たちが行わなくていい仕事は、彼らがスピーディに処理するようになるでしょう。

本当の意味での「劇的な効率化」とそれに伴う「世の中の仕組みの大改編」は、これから始まります。

ビジョンのヒントとなる四つのキーワード

AIの出現で何が起こりそうなのか。

インターネットやVR(バーチャル・リアリティ=仮想現実)、AR(オーギュメンテッド・リアリティ=拡張現実)、あるいは仮想通貨も含めた金融の仕組みが何を引き起こしそうなのか。

ロボットや遺伝子工学などの分野の発達は社会にどんなインパクトを与えるのか。これらのテクノロジーは世の中をどのように導いていくのか。ビジョンを考えるうえで一度立ち止まって見る必要があります。

なぜなら、ビジョンは公共の夢という性質を持つ以上、私たちにどのような未来が訪れる可能性が高いのか、ということを考えることなしに創ることはできないからです。

いわば、これは企業にとってのビジョンづくりの大きな前提なのです。テクノロジーが向かっている先の未来は、四つのキーワードで表すことができます。

まず、一つめは「知性の外部化」です。

記憶、認識、判断は人間の知的活動が負ってきたものですが、これらのかなりの部分をAIが代替するか、サポートすることが日常になります。

たとえば、すでに私たちは分からないことがあるとスマートフォンで検索することが日常になっています。

携帯電話やスマートフォンの普及で、自宅や自分の電話番号を覚えていない人も珍しくなくなりました。メモは写真で残すことも日常的です。記憶の外部化はごくごく意識しないような当たり前のものになります。

医療診断や金融取引、法律事務では急速にAI導入が進んでいますし、お隣の韓国では政治に活用するためのAI、つまり社会問題解決のためのAI研究も進められています。

このほか話題の自動運転から創造性が必要な分野までAIは進出していきます。

判断の外部化がかなりの勢いで進みます。人間の知的活動で、代替できる部分は外部化されていくでしょう。

2番目は「感覚と能力の拡張」です。

人間の発明物のほとんどは、200万年以上前の打製石器から最新のロボットまで、人間の能力を拡張させるものとして誕生しています。

今後想定されるのは、五感も含めた身体の感覚や機能が大幅に拡張される未来です。VRやARは明らかに人間の見る、聞くなどの体験を大きく拡張するテクノロジーです。

脳は、目の錯覚が引き起こす錯視の実験などで分かるように、目の前で展開するものを現実と混同してしまう性質があります。

ということは非常に高度なVRやARを体験した場合、認識の部分では現実ではないと判断しても、私たちの脳の感覚はそれを現実に体験したものとしてインプットしてしまいます。

シリコンバレーのテック博物館に鳥人間になれるアトラクションがあるのですが、目の前の映像がCGだと分かっていても、個人的に体験したニューヨークのビル街を飛行する感覚はなかなかのものでした。落ちて高度が下がっていくと恐怖を感じるのです。

今後、視覚、聴覚だけでなく触覚や嗅覚、味覚も含めて再現できるようになれば、作り出されたものであっても、私たちは現実の体験として受け入れるようになる可能性が高いのです。また、実際の現実的な身体能力も拡張される可能性があります。

たとえば、筑波市にあるサイバーダイン社が開発するロボットは人間が装着し、体の機能を改善・補助・拡張・再生するためのもので、実際に介護企業などへの貸し出しを行っています。

これは装着した人の脳の信号を読み取り、その行動を運動面から支援する機能を持っています。

SF映画で見るように、華奢な女性が100キログラムの荷物を軽々と持ち上げるような、そんなイメージで私たちの運動能力をパワーアップします。

こうした能力拡張はAI、各種のセンサーや工学的なテクノロジーの進化と結びつくことで、新たな段階に入っていくはずです。

3番目は「分散化」です。

インターネットは、結局、人から人、端末から端末に直接つながる分散したP2P(ピア・トゥ・ピア)のネットワークであり、中央に管理者のいないことが大きな特徴です。

この「分散化」という特徴は、人類史的にじわじわと巨大な変化をもたらすのではないか、と思います。

農業が約1万年前に生まれたあとは、私たちは集権的な権力をつくり、その庇護(圧制という形式も含め)のもとで暮らしてきました。

ネットワーク・テクノロジーの存在は、こうした中央集権的なものから人間を解き放つ可能性を示しています。もちろん、逆の可能性も内包しています。

ビットコインのブロックチェーン技術が画期的なのは、この通貨に価値を保証する発行主体つまり中央の管理者である中央銀行が存在しないことです。

仮想通貨は、個々の取引が流通する通貨そのものに記録されることで、通貨としての信用を担保しています。

この性質は現在の通貨制度だけでなく、現在のさまざまな制度を根底からひっくり返す可能性を秘めていることが分かります。

国家という制度の権威あるいは権力の源泉には、通貨の発行権と国民からの徴税権があります。

しかし、このブロックチェーン技術は、それらを無効化する可能性を秘めています。各国政府が恐れるのは極めて正しい反応なのです。

時代は、中央に管理者が居て全体を統御していくという、国家も含めた近代の制度が、分散化によって揺さぶられる段階に入ってきています。

これは現時点では想像できませんが、ひょっとしたらインターネット時代の公共サービス部門といえるGoogle、Amazon、Facebookなども、より開かれた、つまり公共化した運営や組織にならないと淘汰されていく可能性があります。

なぜなら、いま最先端を行く彼らも、それらのサービスを中央で統御している管理者、つまり権力者には違いないからです。

グレートウォールという強力なネット規制を行う中国も例外ではないでしょう。数十年あるいは百年単位でみれば、必ず分散化テクノロジーが、その壁に亀裂を入れていくはずです。

4番目は「所有から共有へ」です。

いま民泊であればAirbnb(エアビーアンドビー)、HomeAway(ホームアウェイ)、途家(トゥージア)。ライドシェアであればUber(ウーバー)、Lyft(リフト)滴滴出行(ディディチューシン)。

ヨーロッパでは、近隣の人から日用品を借りるサービスや、持続可能なエネルギーを共有するサービスなども出現しています。

たとえば、車は大きく変わるものの一つになります。実は2000年代以降、若い世代が車を欲しがらないことが統計的にもはっきりと出ています。これは日本だけでなく先進国では世界的な傾向です。

今後、自動運転車が普及してくると、車は、いま多くの人がレンタルビデオの会員であるように、必要なときにスマートフォンのアプリで自宅前まで自動運転車を呼んで、目的地まで乗ってそこで乗り捨てるようなパーソナル化した交通機関のような存在になるのではないかと思います。

安全で、非常にコンパクトにつくられた車が街中を走り回るようになるのではないでしょうか。結果的に車は公共財のような存在になっていきます。

車メーカーは最終商品を売る会社ではなく、水道局やガス会社のように移動サービスをインフラとして提供する会社になる可能性が高いでしょう。

10年後にはUberさえ古臭く感じるような、移動サービスの会社が誕生している可能性があります。

いずれにしても、さまざまなものが共有財や公共的なものに変わっていく流れが加速します。

四つのキーワードを一つに括ってみる

これらの四つのキーワードは、ひょっとしたら一つのキーワードで括れるのではないかと私は思っています。それは「集合知」です。

人間のテクノロジーは2百万年以上、身体的能力の拡張に費やされてきたわけですが、第二次世界大戦前、アラン・チューリングが計算機の構想を発表したあたりから、知的能力の拡張への舵を切っています。

その歩みがインターネットの発明と、コンピューターそのものの能力の進化と、データ処理の技術の進歩とあいまって、AIを含めた集合知テクノロジーの爆発的進化を準備しています。

「知性の外部化」「感覚と能力の拡張」「分散化」「所有から共有へ」とは、単語を抜き出せば、「外部」「拡張」「分散」「共有」です。

一人ひとりの能力を高めながら、みんなでつながって問題を解決していこう、世の中を良くしていこう、という風に見えます。

多様性が集団内に確保できている場合、専門家が下す判断よりも「みんなの意見は案外正しい」ことは実証実験などでも確かめられています。

しかし、インターネット以前に集合知を使うシステムは、世論調査やアンケート、選挙など大規模な準備が必要で、かつ特定の目的にしか使えないものがほとんどでした。

しかし、ここ10年ほどは、そうした集合知あるいは膨大なビッグデータを活用する下地が整い、AIも含むテクノロジーによって、さまざまなシェアリングサービスの台頭が始まりました。

また、LGBTなどのさまざまな多様性を受け入れていこうという「ダイバーシティ」は、大きな向かうべき方向、潮流として定着してきています。

私たちが直面している問題は、地球温暖化、エネルギー、地域紛争、貧困、富の偏在にしても、個々人の努力あるいは制度的な規制ではどうしようもないレベルに達しています。

つまり、テクノロジー進化は、人類的な集合的無意識が「集合知」を活用し、これらの問題を解決しようと準備しているために起きていると解釈することもできます。「集合知」は、ポピュリズムなどに流れる危険性をはらんでいます。

しかし、それでも母集団が人類にまで大きくなれば多様性は必ず確保できます。この知性を使わない手はありません。

現生人類であるホモ・サピエンスは、遺伝子の解析や遺跡の調査により、アフリカ南端などに住む1万人前後までに激減した時期があったという研究があります。

つまり遺伝子の特性から、肌の色や身体的特徴も含め、いまの人類が千差万別だとしても、実際は遠い親戚程度の違いしかないのです。

われわれは小さな集団からスタートし、そして地表面のほとんどを覆うような70億人の部落を築きました。

その小さな集団が70億へ大規模化する過程で獲得した「集合知」を、一人ひとりの人間が実装する段階が、これからの時代に用意されていると考えたら、どうでしょう。

次の10年、20年あるいは50年、100年を想定したビジョンを作るなら、こうしたイメージといくつかのキーワードを頭の隅に入れて考えてみることをお勧めします。では、いよいよビジョンづくりに取り掛かりましょう。

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