MENU

第1章 礼節-人生の質を高める技術

はじめに

二十一世紀となった今、礼儀正しさとは、どういう意味を持つのでしょうか。礼節とは、どのように身につければいいのでしょうか。礼節によって、人生のクオリティはどのように上がるのでしょうか。

そもそも、友人や同僚、周囲の人に対して、どう振る舞うべきなのでしょうか。いつどんなときでも礼儀正しくしなければならないのでしょうか。無礼な態度をとられたときには、どう対応すればいいのでしょうか。そもそも礼節とは何でしょうか。

本書は、こうした疑問に答えるものです。

礼節について語るのは誇らしいことですが、同時に責任の重さを感じますし、勇気のいることでもあります。遠回しに「私は非の打ちどころのない礼儀正しい人間だ」などと言っているとも思われたくはありません。

哲学者のセネカは、彼が説く高尚な哲学と、彼自身の決して完璧とは言えない行動について、読者が矛盾を感じるのではないか、という懸念を持っていました。

それに対する答えとして彼は「自分は美徳について書いているのであって、自分自身について書いているわけではない」と述べています。

そして「不道徳を糾弾する際は、最初に自分自身の不徳を糾弾する」とも述べています。

私も、本書で書き、授業で教えているような礼節ある行動を実践しようと心がけていますが、セネカと同じく完璧な人間ではありません。至らぬところも多々あります。

それでも本書を書いたのは「礼節は人生のクオリティを高めるすばらしく効果的なツールだ」という胸躍る気づきをお伝えし、共有したいと思ったからです。

多くの読者にとって、本書が提示するのは、わかりきった内容ばかりかもしれません。

しかし、すでによく知っていること、もともと大事にしている考え方であっても、あらためて確認すれば、その規範を守ろうという意識が強くなります。わかっていることを再確認するのは、新しい視点を持つのと同じくらい重要なことなのです。

ページをめくっていくうちに、私が感じたのと同じ、胸躍る気づきの感覚を抱いていただけると思います。

私も執筆しながら多くを学びました。

執筆当初と今とでは、自分がちがう人間になったように感じています。読書には「考えるための読書」もあれば「頭をからっぽにするための読書」もあります。

後者の読書は楽しいですが、たいていの場合、遊園地の乗り物に乗ったときのように、読み終えたあとも最初と同じ場所に戻っています。

課題が見つかることもなければ、自分が変わることもありません。「考えるための読書」は努力が必要ですが、成長を促してくれます。

本書も、ぜひ考えながら読んでいただき、よい変化をもたらすためにお役立ていただきたいと思っています。

新しい家を買う前には、あらゆる細部を確認し、その家で暮らしたらどうなるか、じっくり雰囲気を味わうものです。壁の装飾に指をすべらせたり、手すりにさわってみたり、気に入った部屋を歩き回ってみることでしょう。

幸せな人生をもたらす新しい家を歩き回るような気持ちで、この本の中をめぐってみていただきたいのです。

どうぞ、ゆっくり読んでください。

ページを繰りながら、ただ想像するだけでなく、自分の体験として取り込み、実際に実践してみてください。

ルネッサンス期の絵画で本を読む人物の絵がありますが、あんなふうにしおりがわりに指をはさんだまま読書を中断して思いを馳せ、人生を新しい視点で見つめ直す─そんな読み方をしていただくのが理想です。

本書がそうした読み方をされるに値するものであることを祈りつつ。

第1章礼節─人生の質を高める技術

目次

他者とともによく生きるために

「人生には大切なものが三つある。ひとつは、人に親切にすること。もうひとつは、人に親切にすること。そしてもうひとつは、人に親切にすること」ヘンリー・ジェイムズ(作家)

「私たちはヒーロー不在の時代をさまよっている。信頼できるリーダーは見当たらず、追いかけるヴィジョンも貫く信念もない。道徳は絶えず揺れ動き、誰もが自分のルールを作って、都合よく書きかえたりする。それが、現代の私たちの姿だ。正しいことをなす勇気など、いったいどこで見つかるというのか」ジェイスン・ダーク(ピーター・ガドルの小説『長い雨』の主人公)

ピーター・ガドルの小説『長い雨』を読んで、この文章に出会ったのは、人々が新しい世紀の到来を祝おうとしていた頃のことでした。

この文章は、当時の私たちの多くが抱いていた言い知れぬ不安感をみごとに表していました。

ガドルのメッセージは二十世紀の終わりについて書かれたものですが、新しい世紀が始まった今でも、変わらず的を射ています。

伝統的価値観が崩れたあと、新たな価値観を見つけるのは容易ではありません。自分はこの世界でよい市民といえるのかどうか、その判断基準をどこで探したらいいのか、私たちはわからずにいます。

それでも私たちは、何らかの原則に沿って、じゅうぶんな自信とともに、ときにものごとにYESと言い、ときにNOと言わなければなりません。現代の複雑さに立ち向かうために、私たちは原則を持たなければならないのです。

自分が正しい原則に沿っているかどうか、自分自身が価値ある人生を送れているのかどうかを計る〝ものさし〟とはなんでしょうか。

それは〝日々、周囲の人々とどのように接しているのか〟つまり、他人に対する行動や態度が基準となるのではないか、と私は考えています。

周囲の人の人生から負担を減らせているなら、それはよい行いをしているということです。反対に、苦しみを増やしているとしたら、それはよい行いをしていないということです。単純ですが、筋の通った正しい原則と言えるのではないでしょうか。

人生は他者とのふれあいによって決まるもの─私はそう信じています。よい人間関係に恵まれれば、人生は輝きます。人間関係が損なわれると、人生も損なわれます。幸せになりたいなら、他者とともによく生きる方法を学ばなければなりません。

そのカギを握るのが「礼節」なのです。礼儀正しくしていれば、他者とうまくふれあうことができます。

私たちは礼節ある生き方をすることによって、思慮深い心を育て、自己表現とコミュニケーションの力を伸ばし、さまざまな状況におだやかに対応できるようになります。

人はばらばらに孤立して存在しているのではなく、他者とのふれあいの中で生きるものです。ふれあいの中で自分のアイデンティティを認識します。生きるというのは、人とかかわっていくことなのです。

他人から「おまえは利用してもいい存在、ひどい仕打ちをしてもいい存在だ」という目で扱われると、自分自身を見る目に、そういう意識が入ってきてしまいます。反対に、やさしさを持って扱われると、存在を認められていると感じます。

やさしさに満ちた行いからは、とてもシンプルでパワフルなメッセージを感じることができるのです─私はひとりじゃない、私には価値がある、私の人生には意味がある、と。

人は人の中で生きることで磨かれる

私はここ数年、礼節をテーマにした講義やワークショップを行ってきました。ワークショップでは「礼節とは何を意味するか」について、参加者の考えを書いてもらうことがあります。

これまでの主なものを挙げてみましょう。

他人への敬意気がきくこと気くばり誠実であること人にていねいに接すること倫理観を持つこと人の気持ちを思いやること正直であること他人の意見を尊重することきちんとしたテーブルマナー大人のふるまい節度を持つことやさしさ傾聴すること行儀同情すること寛容になること人あたりがいいこと公平であること人に尽くすこと慎みフレンドリーな態度自制心人に手を貸すこと正義作法を守ること忍耐強いこと決まりを守ること無私よき市民でいることエチケット

このリストから浮かび上がってくるのは、こんな結論です。

  • ・礼節とは、複雑なものである。
  • ・礼節とは、よいものである。
  • ・礼節とは、ていねいに、礼儀正しく、行儀やマナーを守ることである。
  • ・礼節は哲学や倫理学の領域にあるものである。

私はこの四点に沿って、本書を書きました。

礼節ある人間でいるということは、つねに他人の存在を意識して、その意識のすみずみに寛容さと敬意と配慮を行き渡らせることです。礼節とは善意の表れです。

誰か個人に親切で配慮ある態度をとるだけでなく、地域や地球全体のすこやかさに関心を持つことでもあるのです。

礼節あるふるまいとは具体的には以下のようなものです。

「」「」。

礼節(=Civility)という言葉の由来は、都市(=City)と社会(=Society)という言葉にあります。ラテン語で「市民が集まるコミュニティ」を意味する言葉「Civitas」から来ています。Civitasは文明(Civilization)の語源でもあります。

礼節という言葉の背景には、都市生活が人を啓蒙する、という認識があるのです。都市は人が知を拓き、社会を築く力を伸ばしていく場所なのです。人は都市に育てられながら、都市のために貢献することを学んでいきます。

つまり、礼節とは「よい市民になること」「よき隣人であること」を指しているのです。

礼節とは永遠に色あせない不変の原則

「共感は、人間の最も深い欲求に光をあてるものだ。人間が生き残れるかどうか、それは他人のことを正しく理解し、こまやかに対応していく能力の有無にかかっている」アーサー・C・シアラミコーリ(臨床心理学者)

礼節ある行動をとるということは、他人の気持ちに共感する練習でもあります。

〝自分の行動がどんな影響をおよぼすかを予想する〟という習慣が身につき、責任感と心くばりをもって行動できるようになります。

礼節ある生き方を選ぶということは、他者や社会のために正しい行動を選ぶということです。他者のために正しく行動すると、その副産物として人生が豊かにふくらむのです。

「他人に親切にするのはよいことである」──この真理は永久に色あせません。現代の私たちは、極端な個人主義と相対主義の時代に生きています。

人生に意味のある一貫性が感じられず、落胆することも少なくありません。電子メディアが年中無休で発信する情報の多さと多様さにめまいを起こし、茫然としてしまうときもあります。しかし、絶望と無関心に飲み込まれる道しかないわけではありません。

前章で紹介した小説家ピーター・ガドルの表現を借りれば「自分の都合で決めたり書きかえたりするルール」だけが、生きていくための唯一の教科書ではないからです。

〝人と結びつく力〟が人生のクオリティを決めることを思い出し、その理解にもとづいた行動をすることもできるのです。友好的で思いやりに満ちた人間関係は、幸せな人生を育ててくれます。

そうした人間関係を築くためにも、互いに礼節をもって、ごく自然に尊敬と配慮とやさしさを示し合うことが必要なのです。

愛とは礼節の先にあるもの

「人間は何を求めているのか」─この問いに対して精神分析学者ジークムント・フロイトは、「人は幸せを求めている、幸せであり続けたいと思っている」と言っています。

フロイトは幸せをおびやかすものを列挙しました。人は病気のせいで不幸になることもありますし、自然の脅威のせいで苦しみを強いられることもありますが、フロイトによると、何よりつらい不幸の原因は、他者との関係性で生じるものです。

ふたりの人間がいて、りんごがひとつしかなかったとすると、半分をもうひとりに分け与えなければなりません。あるいは、相手がりんごを全部食べてしまう可能性もあります。こうした文脈では、他者の幸せとは自分の幸せの終わりを意味することになります。

しかし同時に、他者は幸せの源にもなり得ます。傷つくのを避けて他人を寄せつけないのは無意味です。人間関係が引き起こす痛みを最低限にする努力をしながら、人間関係を築いていく方法を学ぶべきなのです。

人間関係によって生じる痛みを最低限に抑える方法とは〝他人と上手に接していけるようになること〟です。

この大切な素養を身につけるのに、魔法を学ぶ必要はありません。礼節を学べばいいのです。礼節は人間関係の痛みの予防薬でもあるのです。

レベッカ・ウェルズの小説『ヤァヤァ・シスターズの聖なる秘密』の主人公シッダは、母ヴィヴィから辛辣な手紙を受けとります。

そこには、こんな言葉が書かれていました。

「愛なんかどうでもいいから、マナーくらい守りなさい」捨てばちな言い方には賛成できないのですが、それでも、この台詞は心に刺さります。

ヴィヴィの台詞が私の胸に響く理由は「愛とは、最初からもっているものではなく、たどりつくもの」と語っているからです。

ものごとには順番があります。まずは、自分中心の意識を抑えること。そのうえで、本当の愛の意味を理解するチャンスがやってきます。まずは行儀作法、その次に愛なのです。

行儀作法の練習を通じて、赤の他人を含め、他者を自分自身と同じに愛せるようになる人もいるでしょうし、愛情の範囲が家族と友人に限られる人もいるでしょう。

しかし行儀作法こそ、愛を知るための最初の一歩です。その方法は、誰もが多少なりとも身につけられるはずです。

自制する心がよりよい未来を作る

「無作法とは、弱い人間が強さをよそおうことだ」エリック・ホッファー(社会哲学者)自己表現したい気持ちがあるのは、人として自然なことです。人は自己表現すべき、と言えるかもしれません。

考えや気持ちを前に出して行動するというのは、好ましく健全な行為です。しかし、表現したいことすべてがそれに値するとは限りません。

自己表現が身勝手なものとなることも少なくありません。衝動的行動が自己表現と称される場合もありますが、それは無責任な自分勝手です。まずみじめな結果を招きます。

人生のどんな場面においても、行動を起こす前に立ち止まり、考えるという選択肢があります。それは、みんなでお酒を飲むときにも決してアルコールを口にしない運転手を心の中に住まわせておくようなものです。

そして、必要なときにその運転手を呼び出す力を、人は学んで身につけることができます。行動する際には、一瞬の間をおいて、自分にこんな問いを投げかける習慣を身につけましょう。

こうした自問自答は、健全な判断をする助けになります。

  • 自分は本当にこれをしたいと思っているだろうか?
  • これをしたら誰かを傷つけることにならないだろうか?
  • これをしたことで未来の自分はよろこぶだろうか?

自制心とは、どんな行動をするときにも思考と配慮の余地を持つことです。自制心を持つと、今この瞬間の満足は得られなくても、五分後、明日、あるいは来年に気分がよくなる行動を選ぶことができるようになります。

つまり、自制心とは〝あとでうれしくなるための技術〟なのです。

以前、イタリアで妻と一緒に列車に乗っていたとき、高校生の騒々しい一団に遭遇したことがありました。私はいずれ彼らが静かにするのを期待して、十分ほど、居心地の悪い思いで黙って待ちました。

周囲を無視した騒ぎはほほえましいと呼べる限度を超えていたのですが、私が怒りを爆発させそうになった理由は、引率の教師たちが黙認していたことでした。

ほんの一瞬ながら、生徒と教師の両方をどなりつけたい気持ちになりました。でもそうしませんでした。あとで悔やむのがわかっていたからです。

私は努めて冷静さを保ち、静かに、けれど断固とした口調で、通路をはさんで座っていたふたりの学生に「妻と話をしたいので、少し声を抑えてもらえないだろうか」と頼みました。

叱りつけずに要望を伝えて、対応するのは彼ら自身の責任に任せたのです。ほかの生徒と教師にも私の声は聞こえていました。気まずい笑い声がして、わざと立てたらしい大きな物音もしました。それでも、高校生の態度は変化しました。

しばらくして彼らは静かになり、列車がローマに着いたときには、よい旅を祈って別れの挨拶を交わすことができました。

この一件をうまく解決できたのは、自制心があったからです。それは私の自制心であり、高校生たちの自制心でもありました。

礼儀正しくするのは、自分らしさを捨てることではないか、と言う人もいますが私はそうは思いません。礼儀正しくすることとは、ある面の自分らしさを抑えながら、別の面の自分を出すことではないでしょうか。自己表現を控えたと感じたとしても、同じくらいに自分を表す行動をしているのです。

本当の礼儀は人生を損なうものではありません。むしろ、正しい行動を選ぶことで満足を積み重ねることになるのです。礼節は人生のクオリティを高める手助けとなるものなのです。現代社会では自尊心の大切さが強調されがちです。

しかし、自尊心ばかり重視して育てると、自分のことしか考えられない人間になってしまいます。自尊心が大きく肥大した若者は、目先の欲望を抑えるのが下手なものです。

そのせいで他人に親切に礼儀正しくしたり、やさしくしたりすることができずにいます。大人が作り上げたナルシスティックな檻に閉じ込められているようなものではないでしょうか。

礼節は成功のために不可欠な人生の部品

完璧とは言えないこの世界で、礼儀正しさの出る幕などない─そんなふうに思っている人は少なくありません。攻撃的な競争社会で、礼儀正しくしていては、立場が弱くなり押しのけられてしまう。

だから、思いやりの気持ちなどわきへ置き、決して手加減せず、自分の得になることを追求せよ、と。そうした態度を否定するつもりはありません。それで成果が出るかと問うならば、答えはYESでしょう。たしかに短期的には結果が出やすくなります。

質問したいのは別の問題です。

あなたはそういうやり方で勝ちたいと思っているのでしょうか。そういうやり方で勝ち続ける自分を想像できるでしょうか。「正直者はばかを見る」という表現がありますが、そんなことはありません。

正直さと誠実さは、人生の成功に不可欠な部品のようなものです。

人が自らの価値観を形成していくにあたって、まちがいなく取り入れるべき要素のひとつは「誠実であることが大切」という価値観なのです。礼儀正しさには、自由と拘束の両方が伴います。

なぜなら、人は他人に親切にすることで、自分も親切にしてもらえることを願うからです。自分中心の意識を少し放棄して、相手も同程度には譲ってくれると期待するのです。

つまり、礼節を守ることは「社会というデリケートなゲームで、全員が気持ちよくいられるようにしよう、とおだやかに圧力を加える行為」と言うことができるでしょう。

残念なことに多くの人は、礼節を学び実践することのメリットを想像できずにいます。そして、人生のクオリティを高める貴重な力を利用しようとしません。行動としての礼節には、学んで身につけることのできるルールがあります。

実践の中でフレキシブルにルールを改善していくことも許されています。礼節を守ることのメリットと、それを日常生活に取り入れていくベストな方法を、この本で知っていただきたいと思っています。

人とのつながりが健康を守る

「自分は誰かと親しいと感じている人は健康になりやすい。病気になる危険性は著しく低く、病気になったとしても、生存の確率はきわめて高い」ディーン・オーミッシュ(医学博士)

一九五〇年代初期、ハーバード大学で行われたある研究で、健康な若い男子学生二クラスを対象にアンケートで両親との仲を調べました。

三十五年後、彼らの医療記録を調べたところ、両親と仲がよくないと答えた学生の一〇〇%が心臓病や十二指腸潰瘍など、重い病気と診断されていました。

一方、両親と良好で温かい関係を維持していた学生では、そうした疾病にかかったのは四七%でした。

一九六五年、心身医療分野のパイオニアであるリサ・バークマン博士の研究では、カリフォルニア州アラメダ郡の男女数千人の社会的絆(配偶者の有無、交流関係、教会への参加など)を記録し、九年後に、この回答者の健康状況を調べました。

その結果、孤独な生活をしていた回答者の死亡率は一・九から三・一倍も高かったのです。その後も数年間にわたってさまざまな調査が行われ、社会的結びつきの欠如は健康に著しいリスクとなることが判明しています。

一九九〇年代、カーネギー・メロン大学のシェルダン・コーエン博士の研究では、十八歳から五十五歳の健康な志願者二百七十六人から、社会的交流の範囲を聞きとりました。

次に、同じ被験者にライノウイルス二種類のうちどちらかが含まれる点鼻薬を与え、ウイルスが引き起こす風邪の症状の発生を監視しました。

いずれのウイルスを接種した場合でも、交流範囲の広い被験者は風邪に対する抵抗力が強いことがわかりました。六種類以上の社会的結びつきがあると、一から三種類の社会的結びつきしかない場合とくらべて、風邪に四倍強いという結果が出ました。

オハイオ州立大学のジャニス・キーコルト‐グレイザー博士は「別居または離婚した男性は、結婚している男性とくらべて健康ではない」という研究結果を発表しました。

また、結婚生活が安泰でない男性は、免疫系が弱いことも発見しました。夫と妻の対立は、明らかに健康に悪影響をおよぼします。

さらに別の研究では、結婚して数十年になる夫婦を調査したところ、ひんぱんに口論する夫婦は、口論の少ない夫婦とくらべて、免疫系が弱いことがわかりました。

こうした研究からわかるように、健康でいるためには、他者とつながる必要があります。他人と交流する能力は、まちがいなく健康を左右します。

つまり、礼節を守るのは気分がよくなるからだけでなく、健康のためでもあるのです。言ってしまえば、人を大事にすることは自分を大事にすることなのです。

また、健康でいるためには、人生に目的や意味を感じられなくてはなりません。そして、人生の目的や意味は、かならず他者の存在と結びついています。

やはり、身のまわりにいる人を敬意と配慮をこめて大切に扱うことが重要になるというわけです。特に人生の後半戦には、人間関係の力が大きな支えとなります。

仕事をしているあいだは、好むと好まざるとにかかわらず、多くの人とつき合わざるを得ません。けれど仕事が生活の中心でなくなると、仕事の縁だけでつき合っていた人は去っていきます。

しかし、あなたがやさしさと心くばりのできる人間なら、仕事をやめても一緒にいたいと思ってもらえるでしょう。気づかいや思いやりの輪が続けば、それはお互いにとってよいことなのです。

だからこそ、やはり礼節を学ぶ必要があります。学べば学ぶほど、礼節は利他主義と利己主義の自然な共存状態を生み出すということが、はっきりとわかってくるでしょう。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次