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第1章Chapter1ビジョンを失うとすべての衰退が始まる

日本の、希望を燃やす、すべてのスタートアップと若きリーダーたちに本書をささげます。

はじめに Introduction

私は30年以上、自分の仕事として多くの企業のブランドづくり、広告づくりに関わる中で、ビジョンづくりにも関わってきました。

そういう意味では素人ではありませんが、さまざまなビジョンを対象に研究をしている専門家ではありません。

なぜ、ビジョンづくりの本を自分が書くのか。私は企画が通り、執筆をスタートしても、この問いが頭を離れることがありませんでした。

しかし不思議なことに自分の胸の奥には圧倒的に書きたいという思いがあります。なぜ、私はそれほどまでに書きたいのか。

私は、長年にわたって広告代理店のクリエイターとして、また独立後はクリエイティブの会社経営者として、さまざまな規模のブランドや広告キャンペーンの構築を行ってきました。

もっとも長く携わっている仕事はコピーライター、そしてクリエイティブ全体を統括するクリエイティブ・ディレクターです。

クリエイティブ・ディレクターとは、クリエイティブ全体を率いるプロデューサー役の仕事です。

本当にさまざまな業種の企業に関わらせてもらいました。

ざっと思い出すだけでも……自動車、製薬、精密機器、制御機器、AV機器、化粧品、食品、IT、流通、飲食、文具、証券、保険、金融、飲料、住宅、建設、旅行、宿泊業、玩具、教育、官公庁、通信機器、エンターテインメント……。

外資系もあればBtoB(企業間取引)企業もあります。

売上規模も数億円から、誰でも知っているような1兆円を超す企業までさまざまな所とお付き合いさせてもらいました。

私の仕事は、企業や自治体などの組織が抱える課題をコミュニケーションやデザイン、発想の力を使って解決に導くというものです。

つまり、問題解決が私の仕事の本質なのです。

問題解決を行う場は、実社会なので、いまの時代や社会の在り様をしっかりと把握することが、まず大前提になります。

すると自然に世界の政治、経済の動向からAI、自動運転などのテクノロジー、女子高生の生態、小中学生の流行り、シニアの困りごと、ブレイクしそうな俳優・タレントに至るまで、世の中のさまざまな動きを頭に入れることになります。

全体の潮流と個別の現象との間に何があるかを考えたり、探ったりすることも求められます。

少なくとも私はそういうふうに、無数の情報に接し、またそうした情報の根底にあるものは何だろうと考えてきました。私が、クリエイティブの仕事を生業としたのは1980年代半ばです。

日本経済が、世界史の中で、たぶん初めてで、そして最後であろうピークを迎えた時代です。バブル経済の興隆は、私たちに踊り狂うような熱狂をもたらしました。

もう誰も口にすることもありませんが「ネアカ」「ネクラ」という流行語がありました。

要はパッと明るいポジティブな態度「根が明るい:ネアカ」を世の中は歓迎し、考え込む、動きの鈍い「根が暗い:ネクラ」は忌避された時代です。

忘れられない光景があります。

当時、私が勤めていた広告代理店は東京・銀座にあり、残業で終電が近くなるとタクシーがまったくつかまらなくなるのが常でした。

午前2時頃になっても飲んで引き上げる人々がタクシー乗り場に長い列をつくっていました。1990年の年末近くだったと思います。

疲れていて早く帰りたかったのですが、終電から朝5時までタクシーがまったくつかまらないのです。

タクシー乗り場はもちろんですが、その銀座のタクシー乗り場規制が及ばない新橋駅そばの第一京浜道路沿いにも、ほぼ20メートル置きに人が立ち、手を上げているのです。

諦めて始発で帰宅した記憶があります。飲んで騒いだ数万人が銀座に莫大なお金を落とした夜だったのでしょう。

飲食代もタクシー代も自由に使える人が無数にいた時代、たぶん私が体験したバブルの最後の象徴のような光景でした。翌1991年3月、バブルは終わります。

熱狂の渦は跡かたもなく消え去り、気づけば私たちは知らないうちに坂道をゆっくりと下っていたのです。

当時GDP(国内総生産)で世界第2位。最高で世界シェアの17%を超えていた日本のGDPはいまでは6%程度であり、2010年に2位に上がった中国は、もうGDPで日本の3倍近くに達しようとしています。

失われたといわれる時代は、体感的にはいまだ延長されています。

そして、この間「もっとも何が失われているのか」と百人に問えば、百様の答えが返ってくるでしょう。こうした時代の流れを見ながら、ここ1、2年で私の中に浮かび上がってきたのが、日本からもっとも失われているのは「ビジョン」ではないかという思いでした。

ブランドづくりに関わることの多い私は、お付き合いする企業や商品、ビジネスのビジョンやミッション、あるいは存在意義など、理念的なことをともに考えることが仕事の大切な部分です。

その目線で世の中を見渡すと、無数にある企業も、さまざまな組織も、そして日本そのものにも次の時代を感じさせるビジョンを見ることはほとんどありません。

いったい私たちは、これから何を目指し、どのような理想を実現したいのか。この先100年は続くであろう人口減少をどのようにやり過ごしていくのか。1000兆円を上回る借金をどのように減らしていくのか。爆発的に進歩するAIとどのように共生していくのか。

地球上を見えない貨幣が瞬時に移動し、新しいテクノロジーが既存市場をまたたく間に駆逐し、そして温暖化などの環境問題が待ったなしの状況下で、私たちはどのように進めばよいのか。

だれも、この状況を乗り越えるビジョンを示し得ずにいます。

もちろん私も含めてです。

さらに不思議なのは、私たちの手元に航海図となる「ビジョン」がないことに、不安の声がわきおこることもありません。

「ビジョン」がないということは、地図を持たない登山であり、GPS(全地球測位システム)のない航海です。

どの頂を目指しているのか、登っているのか下っているのかも分からない登山、目指す港も決めず、あてもなく海を漂う航海と言ってもいいでしょう。

そう、それはもはや登山でもなく、航海でもないのです。表面上は呑気な、でも無謀さを秘めた、ロシアンルーレットのような危険な賭けなのです。

私たちは漂えばいいのでしょうか。私たち日本人は流されるだけの人生を選んでいるのでしょうか。目標も目的もない人生。そういう会社、地域、未来、生活を望んでいるのでしょうか。

もし、多くの人々が「だれかが、なんとかしてくれる」と思っているとしたら一種の病です。

ひとり一人に引きつけて考えてみれば風まかせの、行き先知らずの、他人まかせの人生。私は少なくともそうでありたくはない。そして、この国でもがいている多くの人もそうではないと信じています。

こうした思いが、ときに止められない衝動として私の中にわき起こります。

日本、アジア、世界も含めた、この世の中がもっと生き生きとし、活発で、そして平和で穏やかな世界であってほしい。

課題先進国でもある日本には、その解決を通じて、新しい社会や人の在り方を示してほしい。そして、できるだけ多くの人たちが幸せを感じながら暮らしていってほしい。そう心から思います。

その手助けをできないかと、私がたどり着いたのが、こうした抽象的な思考である、ビジョンやコンセプトなどの考え方、つくり方、使い方をひも解いて、多くの人に手渡していくことでした。

この本は、リーダーのための本でもあります。

世界を率いていく覚悟を持つ若者でも、夢を抱きつつ困難な選択に挑む若きスタートアップでも、現場で悩みつつ組織を率いるシニアでもいい。

自らの未来、多くの人の未来を良きものにしたいという意志を抱いているのなら、その人はリーダーです。まだ会ったこともない多くのリーダーに向けて、この本を書きました。

ビジョンとは、何かを選びとるという選択の問題であり、それは得たビジョン以外のものを捨てる、という怖い行為でもあります。

企業がビジョンを創るということは、どのような業種であれ、この世界を少しでも良きものにするための一歩を踏み出すということです。

なぜならビジョンは、企業が、すべての組織が、この世に存在する理由に他ならないからです。

定めたビジョンに向かって進むということは、自らの手で世界の何かの問題を解決し、価値を反転させ、たくさんの人に喜びを与えようとすることです。

それを勇気と称える人もいれば、ほら吹き、蛮勇と嘲笑する人もいるでしょう。それでもビジョンに向かって進む。

「進む」と確信をもって答えられるビジョンが、自らの手元にあることが、どれほど幸福なことなのか。それは見事なビジョンを掲げて拡大する組織を見ていると分かります。

哲学の用語に「投企」ということばがあります。「投企」とは「自己の存在の可能性を未来に向かって投げ企てること」(『広辞苑第七版』岩波書店)です。

私たちが生きて行く世界はままならぬ世界です。しかし、その世界で可能性を試し、何を追求するかはすべて私たちに任され、委ねられているのです。

自らの未来に対するビジョンを描き、そこに自らを投げ企てること。怖さもありながら、でもワクワクする気持ちもわいてこないでしょうか。未来は、無数のビジョンが創ります。

ビジョンを生きるということは、夢を描き、希望とともに生きるということです。それは主体的に選びとる生き方であり、経営です。何かを情熱を持って創造する生き方です。

ソニーの設立趣意書にある「理想工場」ということばが、敗戦直後の約20名の若者を奮い立たせたように。

そうしたビジョンにたどり着く方法を、この本で考えていきます。

江上隆夫

Part1ビジョンとは何か

第1章Chapter1ビジョンを失うとすべての衰退が始まる

私たちの足元から、巨大な変化が始まっています。

この面白くもあり、刺激的で、そして容赦のない津波のような変化は、古きものも、良きものも、悪しきものもすべて呑み込みながら、私たちを想像もしえない場所に連れていきます。

このような時代にビジョンがないということは、流されるがまま、為すがまま、翻弄されながら漂うことに他なりません。

第1章では、ビジョンから見た日本の現状、私たちの在り様を考えます。

目次

予測不可能な未来を生きるために

未来は予測不可能であると同時に予測可能でもあります。私たち人間の暮らしがAIやテクノロジーでどのように変わっていくのか、世界で頻発する紛争は収束するのか。

またテロが起きない日はいつ来るのか。人種差別やLGBTのような性差による差別は無くなるのか。誰にも予測はつきません。

しかし、AIや遺伝子工学、量子コンピューター、拡張現実などのテクノロジーの進化は続くし、その大きな流れがとうとうと未来に向かっていることは確信できます。

さらに、地球温暖化や人口の激増、資源の枯渇などの現実は、このままいけば大きな影響を地球の生態系にもたらすことも確実(というよりもう与え始めていますが)だと予測できます。

未来は個別の事象においては予測不可能ですが、大きな潮流に関しては大体のところは予測可能なものでもあるのです。

人間の頭脳は、未来の不確定要素を予測し、それに対処する知恵を出すようにできています。それは進化の過程で私たちの祖先が身につけた能力でもあります。

そうでなければ私たち人間は、自分たちよりはるかに強く敏捷な捕食者たちに食べられていたし、不安定な天候のもとで、農業を続けて行くこともできなかったでしょう。予測し、対処する。私たちの中には、そうした能力が確実にあります。

現代の複雑なビジネス環境を、企業あるいは個人が生き抜いていくときも、たぶん、この本能が働いています。

「熾烈な競争環境」「サバイバルレース」「食うか食われるか」「呑み込まれる」などビジネスを表現することばには、過酷な生存環境を比喩的に用いることばが数多く登場します。

まさに、これは私たちの本能的なものを表していると言ってよいでしょう。そして、厳しい実業の世界を生き抜くため、という前提でつくられるビジョンがあります。

よくあるのがシェアや数値をビジョンとして掲げる例です。これは残念ながらビジョンではありません。ただの目標です。ただの数字なのです。

私たちは、ただの数字に世界をより良くしていこうという意志は感じないし、共感も持ちえません。私がイメージするビジョンとは、主体的に世界を創造したいという情熱にあふれたビジョンです。

生きていく、生き抜いていく大変さは承知しながらも、それを上回る情熱で、こうありたい、これを実現したいという気持ちがにじみ出たビジョンです。

それは世界を変える意志とでも言うべき、強い気持ちを奥底に秘めています。

数字で示されたビジョン(実際は目標)とは天と地ほども違うと言ってよいでしょう。

自分たちが住む、この世界を、より良きものにしたい。私は、戦いや差別がなく人々が笑顔でいきいきと暮らす世界を、その遠い射程の中に、ほんの微かにでも感じさせないビジョンは、ビジョンと呼びたくはありません。

この本でテーマにしていくビジョンとは、世界をより良きものにしたいという意志を秘めた能動的ビジョンです。このタイプのビジョンを私たち〝日本人〟は生み出しうるのか。私は、生み出せると言いたい。

しかし、日本人とあらためて挿入したのは、この本の読者であろう日本語を母語とする人々、つまり、私たちが、それがとても苦手だという認識が、強く、強く、私の中にあるからです。

私たちは、未来を構想すること。

さらに、それをみんなで共有し、そこに向かって試行錯誤しながら歩んでいくことがとても苦手です。つまり、ビジョンをつくり、それを実現することが、あまり出来ていない。

特に1990年代にバブルがはじけて以降、顕著です。残念ながら、この国がどのような未来を描いているのか。この国の有力な企業や産業が世界をどのような状態へと導いていきたいのか。

この国のトップ層、政治家、官僚、経済人あるいは知識人が私たちのあるべき姿をどう構想しているのか。ほとんど聞いたことがありません。

耳に入ってくるのは、来るべき未来にどうしたらよいのだろうという戸惑いと、とりあえずこうしようという一時的な対処のことばだけです。

それで、よいのでしょうか。よいわけがないのです。ビジョンのない日常は、ただの風まかせの行き先も分からない航海です。

誰が舵を取っているのか、どこに行くのかも分からない船に乗る者はよほどの物好きでなければいないでしょう。

私たちは意志を持って、どういう未来を望んでいるのか、どんな世界で生きたいのかを明らかにし、みんなで共有できることばにしたビジョンを持つ必要があります。

国から自治体、企業の大小を問わず、行ってしかるべきです。ビジョンなくして進めば科学とテクノロジー、世界の変化の激流に呑み込まれるだけの運命が待ちかまえています。

時は待ってくれません。私たちは、ビジョンを構想し、実行する意志を持たなければならないのです。

私たちにビジョンがあった時代とは

私たち日本人の多くは、私たち自身で共有できるビジョンを描き、それに向かって進んでいくという習慣がほとんどありませんでした。

それはさまざまな所で述べられている通り、ユーラシア大陸の東端に、海で切り離された列島群という地理的な条件の中で、何万年も暮らしてきたことが必然的に生み出した特性です。

鎖国という、外界との接触を極端に制限する制度を持てること自体が、実は奇跡的なのです。

イギリスも同じように島国ですが、海峡をはさんでフランス、ベルギー、オランダに面していますし、もっとも大陸に近いドーバー海峡は対岸まで34キロメートルしかありません。

東京ディズニーランドから東京湾の出口に近い三浦半島の観音崎灯台までが42キロメートル強なので、いかに近いかがわかります。

さらにパリ、ブリュッセル、アムステルダムなどの隣国の首都がロンドンから直線で360キロメートル以内に収まります。

東京‐京都間が直線で370キロメートルほどなのを考えると、イギリスは島国といえども、常に世界を意識することを義務付けられてきたと言えるし、日本はそれをせずに暮らしていくことが可能だったと言えます。

しかし、日本も、この200年ほどで見れば、黒船来航から明治期にかけての数十年、そして第二次世界大戦が終わってからの高度成長期までは、大きなビジョンで動いていました。

黒船来航で日本は鎖国から目を覚ましますが、そうして世界情勢を理解し、実感したあとの日本の近代化は世界史上の奇跡ではないかと思えるほど急激であり、急速です。

武士が支配階級として帯刀し、町を闊歩していた江戸時代から明治に変わったのは1868年。その3年後には欧米12カ国に使節団を派遣し、郵便事業を開始。

翌1872年には新橋から横浜の間に鉄道の開業、電信の開始、学制での学校設立、新聞の発刊、キリスト教解禁などが行われています。

身分制を廃止した四民平等や廃藩置県も含め、近代国家に必要な物事をほぼ5年以内に始めているのです。新政府が描いたビジョンは「富国強兵」ということばで表された「西欧型中央集権の近代国家」でした。

いまの時代感覚と比較しても、物凄いスピード感で、日本を近代国家にするという明確なビジョンに挑んでいったことが分かります。

戦後の日本も、この明治期の日本と同じようなスピード感で動いていきます。

1945年8月に終戦。

その翌年の46年には本田宗一郎の本田技術研究所(ホンダ)、井深大と盛田昭夫の東京通信工業株式会社(ソニー)が設立されています。

翌年には6・3・3制の学制を実施し、50年にはNHKのテレビ実験放送が始まり、そこから数年で民放ラジオ局の開局、スーパーマーケットのオープン、航空機の日米間の国際線開設、初の自動車ショーの開催と続きます。

この時の日本のビジョンは「とにかく経済復興」です。そして、裏側のテーマとして「主権国家への復帰」でした。

「もはや『戦後』ではない」と経済白書に記されたのは56年。戦後11年しか経っていません。高度成長が始まっていました。そして、池田勇人が国民所得倍増計画を掲げたのが60年。

最初の東京オリンピック、新幹線の開通が1964年ですから20年以内に奇跡に近い復興をとげたことになります。わずか20年です。

バブル崩壊以降の「失われた20年」の時間感覚を考えると、そのエネルギーに圧倒されてしまいます。

ちなみに1960年の労働者の平均月収は1万8000円台。それが1970年には5万2000円を上回ります。所得は倍増どころか3倍近い数字を叩き出します。所得倍増は当然のように達成されました。

ビジョンではなくリアクションで対応する日本人

ただ、あえて、本当にあえて、この二つの世界史の奇跡に文句をつけさせてもらえば、いずれも「外圧」を起点としているということです。

明治維新は文字通り、外国からの開国圧力であり、終戦後は「敗戦国」と「米軍による占領」という圧倒的な外圧がありました。

奇跡的ではありつつも、自らの要請や願望、意志などの「内圧」に応じて主体的にビジョンを描き、それを形にしていったわけではありません。

これはたとえて言えば、テレビのリアクション芸人に近い方法論です。

つまり、その時々の与えられた状況に見事なスピードと柔軟性で対応し、さらにそのことを可能なかぎり活用して、自らを有利なポジションに置き、成長させる。

日本人は、伝統的に、そういうやり方でビジョンを描き、使ってきました。

これは良い悪いは別にして、自らにこだわり続けながら、内在する論理を探り、それをもとに何ものかを創っていくのではなく、状況にリアクションしながら、自らの在り様を決めていくやり方です。

ユニークな視点を提供する思想家・内田樹氏がおっしゃるように、なぜか私たち日本人は、そういうときに、ずば抜けた能力を発揮してきたのです。

本物が外にあり、そことの差が圧倒的であり、でも、追いつかないと私たち自身がダメになると思ったときに、私たち日本人の能力は最大化するようなのです。

ただ、現時点では、私は、日本の社会が次の時代に対して動き出している実感が持てずにいます。ぬるま湯的な井戸の中で過ごしている状態にしか思えません。

カエルのように、浸かっている水がお湯になることに気づかずにいる。気づいた時にはもはや井戸の外に出る体力はありません。

それとも危機が切迫してきている状況の中で、伝統的なリアクションというやり方でもいいから、新しいビジョンを生み出し、実行していけるのか。

それはひとえに、私たちがシビアに現状認識できるかどうかにかかっています。私たちがビジョンを打ち立てるべき時代はとっくにやって来ています。

日本礼賛番組と『進撃の巨人』ブームの関係

「日本はスゴイ!」というテレビ番組や著作がヒットするようになったのは、いつからでしょうか。外国の方から見た日本、日本人の良さや魅力を取りあげる番組。

日本人そのものの良さを取りあげる番組。あからさまに日本をほめるようになった番組に、ときに違和感を覚える人は多いはずです。日本の多くの経済指標は1995年を境に落ちています。

この年はWindows95(ウインドウズ95)が発売され、インターネットの普及が爆発的に始まった象徴的な年でもあります。

それから10数年、2007年にはiPhone(アイフォーン)が世界を席巻し、2008年には日本でも発売となりました。

私の肌感覚ではこのあたりから、つまり2010年前後、中国のGDPが世界第二位になり、経済産業省が「クール・ジャパン室」を設置し、少しずつ日本経済の凋落が明らかになり始めたころから、こうした日本礼賛番組が増えてきたように思います。

多くの人の実感だと思いますが、「わたしはスゴイ!」と言って同意を求めたがる人にあまりスゴイ人はいません。少なくとも私は会ったことがありません。

そう言ってくれないから自分で言うのであって、他人から称賛を集める人間は逆に「なぜ自分を称えるんだろう。それほどでもないのに」といぶかります。

謙虚であろうとします。では、なぜ「わたしはスゴイ」と言われたがるのか。それはスゴイと言ってもらわないと心理的なバランスが取れないからです。

要は、これらの番組は日本人である私たちの「いまのわたしを認めてほしい」「大丈夫だと言ってほしい」という承認欲求を満たすために存在しているのです。

つまり、1945年から経済的な隆盛を追い求めてきて、それをいったんは達成し、しかし、そのポジションから転がり落ちた時に、私たちは頼るすべのない海に放り出されたような気持ちを抱いたのです。

不安と恐怖を基調とする、人間を捕食する巨人との戦いを描いた漫画『進撃の巨人』(諌山創作、講談社)の連載が始まったのが2009年でした。

この漫画のブームと日本礼賛番組の隆盛は明らかにカードの裏表の関係にあります。

アメリカ系のIT企業が新しい技術・サービス・商品で世界を席巻し、中国や韓国、台湾の企業が世界基準の商品を展開しています。

しかし、日本企業は、もうずいぶん長い間こうした商品やサービスを生み出せていません。

明治期以降およそ150年以上もの間、アジアのトップの国として存在していた日本が国力的には2番手、3番手へと滑り落ちてゆく怖さ。

私たちは、いまその感情と向きあっています。

日本人の若年層の死因は自殺が事故を上回り、全体の自殺率はアメリカの約1・5倍、イタリアの2・5倍以上です。徐々に減ってきてはいるものの、依然として他の先進諸国と比べても高い数値を記録しています。私たちは、漠然とした不安、未来の見えにくい息苦しさの中に生きているのです。

坂の上に雲を見ず、坂の下に幸せを見る

劇作家・平田オリザ氏に『下り坂をそろそろと下る』(講談社)という本があります。

日本という国は、このタイトルに象徴されるように、下り坂を下っていかなければならない時期に差しかかっています。

というより、もはや下っていること、つまり国力としては衰退に向かっていることを私たちがどう認識また共有し、どう「その坂をゆったりと、かつ明るく元気に下ってゆけるのか」という方策を考えなければならない、その真っ只中に居ます。

2011年に公表された米シティグループの2050年予測値だと、日本のGDPは2030年に世界4位(3位はインド)で、2050年には世界8位。

2010年に日本を少し上回る程度だった中国のGDPは、2050年には日本の12・5倍にまで膨れ上がります(GlobalEconomicsViewGlobalGrowthGenerators:Movingbeyond’EmergingMarkets’and’BRIC’)。

一人当たりの購買力平価は調査によって違いはありますが、現時点でも世界で20位以下であり、お隣の韓国とそれほど違いはありません。

日本経済は1980年代初頭から91年3月のバブル崩壊まで有史以来のピークに達しました。

冷静に考えれば、日本という国が世界の中であの当時と同等の経済力を有する国になることは、おそらく、ここからの100年、ないでしょう。

それは人口データや各種の統計を見れば、専門家でなくとも判断できます。

この本に書かれた平田氏の認識、感慨、覚悟は、そのまま世代的に近い私自身の思いとほとんど重なります。

私が見受ける限り、多くの人はまだ日本は大丈夫だろうと高を括っているようです。

しかし、こうしたデータや人口減少が引き起こすさまざまな課題を冷静に受けとめるなら、経済成長、ゼロ成長でも一人ひとりが幸せであるような次世代のためのビジョンをつくることが急務であることが理解できます。

もちろん、どんなに国力が下がろうとも生きては行けます。日本が滅び、日本人が世界から居なくなるわけでもありません。

しかし、誇りを持ち、隣人を愛しながら、笑顔で日々を送る人が多い国であることが、このままでいて可能なのか。そう自分自身に問いかけるたびに、また日本の現状を見るにつけ、不安な気持ちがよぎります。

そして、つくづく思うのは(私の見聞きする範囲内という断り書きつきですが)、たくさんの企業がビジョンあるいはそれに類するものを掲げてはいても、本当の意味で、このような未来を見据えてビジョンをつくっている企業は、ごく少数しか存在しないということです。

もちろん、ビジョンがなくても立派に経営されている組織はたくさんあるでしょう。優れたビジョンがあることが優れた経営の絶対条件ではありません。

しかし、人類史でもまれに見る変化の激しい時代(100年以上は続くのではないかと想像します)に、未来像を描かずに突き進むことは、外界の状況の対応に追われるだけの「リアクション経営」「リアクション人生」「リアクション国家」です。

主体的に創造するという自らの意志を感じることはありません。これは、あらゆるところに蔓延る日本と日本人の病理ではないかと思うのです。この病理は克服されねばならない。また克服できると私は考えます。

高度成長期の日本のすぐれたビジョン企業

ビジョンを描くのがヘタなことを日本と日本人の病理とまで表現しましたが、素晴らしい達成を見せた企業がいくつもあります。

「日本人がつくったビジョン」といえば、私はいつも井深大氏が起草したソニー(設立当時は東京通信工業)の設立趣意書(図1)を思い出します。

立ちあげ当時、井深氏は30代、盛田昭夫氏はまだ20代半ばです。格調高い文章には設立の思いの中で「この国家的大転換期における社会情勢の見透しができず」とあります。

しかし、国の再建の見通しがまだ立っていない中で、趣意書の前文は、たぶん当時最先端であったであろう自分たちの技術を使って最高のものをつくる希望と喜びと、そのことによって戦後日本の復興を助けようという気概にあふれています。

以下に「会社設立の目的」を転載します。

  • 一、真面目なる技術者の技能を、最高度に発揮せしむべき自由闊達にして愉快なる理想工場の建設
  • 一、日本再建、文化向上に対する技術面、生産面よりの活発なる活動
  • 一、戦時中、各方面に非常に進歩したる技術の国民生活内への即事応用
  • 一、諸大学、研究所等の研究成果のうち、最も国民生活に応用価値を有する優秀なるものの迅速なる製品、商品化
  • 一、無線通信機類の日常生活への浸透化、並びに家庭電化の促進
  • 一、戦災通信網の復旧作業に対する積極的参加、並びに必要なる技術の提供
  • 一、新時代にふさわしき優秀ラヂオセットの製作・普及、並びにラヂオサービスの徹底化
  • 一、国民科学知識の実際的啓蒙活動その後の1980年代までの東京通信工業~ソニーの躍進は御存じの通りです。

私は、ここに優れたスタートアップの理想形を見ます。優れたスタートアップには、三つの特長があります。

第一には、世の中を革新する「ベスト・オブ・ベスト」を提供しようとする意志とエネルギーがあることです。

これはことばを変えれば自らのアイデア、技術、情熱に最高の可能性を見ているということでもあります。

ソニー、Apple(アップル)、Google(グーグル)の草創期に、時代や国は違っても同じような、向日性の圧倒的にポジティブなエネルギーを感じるのは、そのせいだと思います。

二番目は、「オープン」であるということです。開かれていて隠すことなく、すべてを忌憚なく議論する。

そうした健全な風土があります。規模の小さい時期ですからフラットな組織であり、風通しの良い風土であるのは当たり前かもしれませんが、人は同じ集団内で数が多くなるほど同質の人とつるむ性質があります。

この性質はときとして排他的な性質を帯びて、組織をオープンとはほど遠いところに追い込むのです。

近ごろの、不祥事で記者会見を開く企業は組織に柔軟性がなく、オープンな風土から遠ざかっているはずです。組織としてのオープンな風土を保ちつつ、前に進むことだけは見失わない。

最近、私自身が仕事でかかわる若いスタートアップでも優れた業績を上げているところは、例外なくオープンです。

そして、三番目は個性を認め、面白がる風土です。

いまよく使われることばなら多様性を意味する「ダイバーシティ」でしょうか。多様性とは「意外性を尊び、偶然を歓迎し、例外に注目する」態度です。つまり、方向さえ間違えなければ、すべてを一旦はウェルカムとして受け入れる構えです。

ソニーは創業当時から、こうした三つのDNAを持った企業であることは、トランジスタラジオやテレビのトリニトロン方式の開発、家庭用ビデオのベータマックス方式の失敗、あるいはAIBO(アイボ)などの発売を見ると確信できます。

高い目標を掲げながらも、失敗が許される、あるいは失敗を許容する風土は、ユニークな発想や一芸に秀でた人材を、強烈に引き付けるはずです。

全盛期のソニーに勤めていた友人に聞くと、多士済々の技術者、サムライのような人間が多かったと懐かしがります。厭わずに積極的に働くことを楽しむ風土。企業にとっては理想的な風土が出来上がっていたのでしょう。

もちろん、これはソニーには特徴的に現れたのでしょうが、当時の日本企業の多くがこうした風土であったことは、さまざまな創業者の著書を読むと実感されます。

松下電器(現パナソニック)、本田技研工業など自らの理想を追求する創業者を抱き、世界的な企業になっていった会社のほか、シャープやオムロンなど、同様に妥協することなく、ビジョンを胸に秘めた経営者が牽引した企業は少なくありません。

家電や自動車、繊維以外の重電企業も、あるいは日清食品やサントリーなどの飲料食品企業も各分野のリーディングカンパニーのほとんどは、この時代、こうしたスタートアップの特長を持ちながら活動しています。

そういう意味では、いまのシリコンバレーを牽引する企業が、まさにこの三つの要素を兼ね備えています。Googleなどは、この典型かもしれません。

キャンパスと呼ばれるシリコンバレーのマウンテンビューにある本社には、まさに部活動をやっている大学のような雰囲気と、世界最先端、世界最高のものを自分たちが生み出しているんだという自負の両方が漂っています。

オープンで楽しいイメージでありながら、猛烈なスピードで成果を追い求めてもいます。

ビジョンを失うとすべての衰退がはじまる

では、なぜ、全盛を極めたソニーが長らく不振にあえいだのか。

日本企業すべてに言えることかもしれませんが、インターネット時代への対応が遅れたということが一つです。つまり、ハード時代からソフト時代への転換です。

それはソフトがすべてを制していく時代に、ハードの役割や位置づけは何か、という問いを突き詰めるということでもあります。

また、それはインターネット以前と以後で、自己認識を改め、自己変革を意識的に行わなければならないということでもあります。

よく言われていることですが、AppleのiPod(アイポッド)は、ハードとしてはソニーが簡単につくれる製品でした。そこに使われるすべての技術は社内にあったのです。

しかし、ソニーは傘下に音楽会社を持ち、iTunes(アイチューンズ)も含めた〝音楽の生態系〟を設計する発想はありませんでした。

あくまでソニーは、AV機器や先端の家電をつくる会社でした。自己認識を変えることに失敗したのです。

もう一つは生産方式の潮流が、すべての工程を自社内や自グループ内で行う垂直統合から、不要な生産を外部委託する水平分業に変わったこともあります。

身軽さとスピードとイノベイティブなアイデアが企業の死命を決する時代になったのに、それに対して多くの日本企業は対応できませんでした。

中国・深圳などは、もはや水平分業から、すべての工程が分離して自由にチョイス可能な「垂直分離」といわれる産業形態に進化しています。

いずれ電気自動車が普及し始めると、垂直統合的な自動車産業も、その影響を大きく受けることになるでしょう。

極端に言えば、いまパソコンは自作が可能ですが、車もそうなる可能性があるということです。1990年代初期まで、日本企業はあまりにもすごい成功体験を積み上げ過ぎました。ほとんどの物事は、成功の光のうちに凋落の種がまかれています。

95年。この年、新語・流行語大賞のトップテンにインターネットということばが登場し、Windows95を求めて電器店の店頭に徹夜で並ぶ人がニュースになりました。

この年はまた、ジェフ・ベゾスが前年に創業したインターネット書店Cadabra.com(カダブラドットコム)の名前をAmazon(アマゾン)と変えた年です。

いわば地下水脈を流れていたインターネットが地上に姿を現した、インターネット紀元0年です。ここからわずか数年で世界は激変します。

2000年までのわずか5年の間に、ラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンのGoogleやネットオークション最大手のeBay(イーベイ)が創業され、スティーブ・ジョブズがAppleに復帰します。

日本でも、ヤフーを始め、楽天やサイバーエージェントなど現在大手のIT企業のほとんどが、この5年の間に創業しています。

わずか5年の間にゲームのやり方は、完全に切り替わったのです。iPodはその切り替わりが終わった2001年に発売されています。ソニーの長い低迷はこのあたりから始まります。

出井伸之社長時代に掲げられた「デジタル・ドリーム・キッズ」というソニーのキャッチフレーズは、ソニーの持つ挑戦的で、革新的なものを生み出すという体質をよく表している、良いフレーズです。

しかし、この時期、このことばどおりにデジタルの夢を見させてくれるような製品はソニーから生まれてくることはなく、2006年には唯一可能性を垣間見せていたロボット犬の先代AIBOも生産終了となってしまいました。

「理想工場」という技術者にとってのビジョンを掲げて革新的な製品を世界中に送りだしていた企業からは、ソフトの時代にどのようなハードが在りうるべきなのかを議論した上で、新しいソニーの在り方を規定したビジョンと動きは生まれてこなかったのです。

それは日本の長く続く低迷と軌を一にします。これはソニーに象徴されている私たち自身の問題です。

いまどのような産業を興し、またビジネスを通じてどのような社会を築こうとしているのか。この国の人々をどのような未来へ導いていくのか。

私たち自身が、自らの頭で考えなければなりません。誰も、この長く低迷した時期のソニーを笑えないのです。なぜなら、それでも彼らは大きな改革に踏み切ったからです。

そして苦闘の中に光が見え始めているからです。

この復活が本物かどうか見守る必要はあるでしょうが、たとえば2017年度は1998年にあげた営業利益5275億円を超え、過去最高の数字7349億円を達成しました。

その数字も2018年度は8700億円と2年連続で上回ることが予想されています(ソニー株式会社2018年度連結業績見通し2018年10月30日発表)。

いまソニーのミッションとビジョンは同社のホームページにあります(https://www.sony.co.jp/SonyInfo/CorporateInfo/vision/)。

残念ながら掲げたミッション、ビジョンのフォーカスはまだ甘いと言わざるを得ません。

復活の道を歩みながら、「理想工場」ほどの力強いことばで未来を描けた時、ソニーの復活は本物になるのではないでしょうか。

そして、それにはグローバルの中でチャレンジャーとして意識、立ち位置を取り戻せるかが鍵を握ります。

デザインや仕組みを一新した新型aibo(アイボ)は、日本での発売を経てアメリカでの発売に踏み切りました。このような製品を創り出せる企業は世界中に、そう多くはありません。

新しい時代の息吹を感じる斬新なプロダクトや仕組みをいくつ生み出せるのか。これからの新しいソニーに期待したいと思います。

次のビジョンを生み出せなかったシャープ、東芝

シャープが台湾最大手の企業グループである鴻海精密工業の傘下に入ったのは2016年夏でした。鴻海は、従業員100万人を擁する電子機器の受託生産では世界最大手の企業です。売り上げは15兆円を超えます。

これは、ほぼソニーとパナソニックの売り上げを足した額で、買収当時のシャープの売り上げが2兆4000億円ですから、ほぼ6倍の規模です。

鴻海は郭台銘氏が1974年に創業した会社で、そこからわずか40年ほどで15兆円を超える世界的企業になっています。

鴻海の戴正呉氏が来日し、シャープの社長に着任したときの会見で、的確な時代認識を示していました。少し長いのですが、その会見の一部を引用します。戴社長は、これからシャープをどういう会社にしていくのか、記者から問われ次のように答えます。

IoT(InternetofThings)の会社に変える。先週、総務省に呼ばれ「第41回家電メーカー懇親会」という会議に出席した。

ソニーやパナソニックの社長も呼ばれていた。

そこで私はパナソニックの津賀(一弘社長)さんに「この名前は正しいのですか」と尋ねた。自分たちのことを「家電メーカー」と呼んでいるのはおかしいと思う。

家電は家に帰ってスイッチを入れないと動かないが、IoTは利用者がオフィスから動かせる。

「もうすぐ故障するからパーツを替えましょう」という提案もできる。今、IoTの最先端は中国にある。だからシャープは深圳に研究・開発センターを設立した。

富士康(フォックスコン=ホンハイの中国製造部門)の工場も目と鼻の先にある。ITの使い方において、日本はすでに先進国とは言えない。

2020年にはIoTで一番遅れた国になっているかもしれない。だから総務省も頭を痛めている。シャープはホンハイと力を合わせ、グローバルなIoT企業になる。

(『現代ビジネス』講談社「鴻海から来た新社長が吠える!『シャープにはガバナンスがなかった』」より)日本企業の経営者とまったく違う時代認識であることが分かります。

また、発言から、最近の日本企業の内情がうかがい知れます。

一つは、まだ日本の多くの家電メーカーは「家庭用電気製品をつくること」を自分たちの仕事だと思っているということ。

少なくとも鴻海の大番頭格である戴氏は、IoTという視点から、自分たちの製品を見ようとしていることがわかります。

製品ではなく「ネットでつながれた製品がもたらす体験」に自分たちの未来があると考えています。

二つ目は、少なくとも近隣の東アジアの国々と比較しても、日本の家電メーカーは製品開発、ビジネス意識の面で遅れており、その遅れは広がってきていること。

内向きの意識と、そこそこ食べられてしまう日本市場の大きさは、それこそ本当の、そこでしか生きられないガラパゴス化を生み出しているのです。

現在のシャープのホームページには「8KとAIoTで世界を変える」との標語が掲げられています。「AIoT」は人工知能のAIとモノのインターネットのIoTを組み合わせた造語。

「人に寄り添うIoT」としてシャープが提唱しており、AIoTを搭載した家電やさまざまな機器が人や環境の変化を捉えて、最適なサービスや提案をするパートナーとなることを目指しています。

いずれにしても、ずっとウォッチしていたわけではないので、いつごろ、この標語に切り替わったかは知りませんが、少なくとも買収される直前は、こうした標語らしきものは、筆文字で書かれた次のようなことばだけでした(次参照、シャープのホームページを参考に作成)。

これらは、ホームページにある筆文字の雰囲気からも、たぶんシャープの創業者である早川徳次氏の肝いりで創られたことばだと思います。

これそのものは何の問題もないと私は考えます。

ただ、こうしたことばはあくまで企業の「道徳律」であり、行動を律するものとして使われるものです。つまり、これを社内外に高く掲げても、残念ながら、ここからは企業の未来が生まれることはありません。

もし、ホームぺージに、こうした道徳律としての「理念」が高々と掲げられ、共通の目標としての具体的な未来が語られていないのであれば、その企業には「ビジョンがない」とみなすことができます。

残念ながら、苦境にあえいでいる東芝にも同じようなビジョンの欠如を見ることができます。

次に示すのは、2018年9月までの東芝グループの理念と、10月以降の東芝のホームページに掲げられている、東芝グループの経営ビジョン(いずれも東芝のホームページをもとに作成)です。

このふたつの東芝のビジョン、ブランド・ステートメントも、ことばそのものにも文句をつける筋合いはありません。しかし、この文章は少なくとも、私が考える「ビジョン」ではありません。

なぜなら、東芝が目指す未来の具体的な姿が、どんなに読み込んでも私たちにも、たぶん社員のみなさんにも描けないからです。

これらは、わかりやすく言うなら全社員に「心がまえ」を説いているのです。こんな気持ちで仕事や事業に取り組んでいこうという「心がまえ」です。「心がまえ」としてなら、これでよいでしょう。しかし、ビジョンが、こうであってはならない。これはビジョンとして見るなら明らかに空疎です。

官僚の見事な答弁のように全部入りで、反論しようのない立派な考えが列挙されています。

東芝に個人的な悪感情は一切ありませんが、そう言わざるを得ません。ただ、もし、これが創業して事業をつくっていこうという段階の企業であったとしたら、この企業に投資しようと考える投資家は、おそらく世界中にいないのではないでしょうか。

衰退のスイッチを押す駄目なビジョン

こうしたビジョンを掲げることが、どのような影響を与えるのか、考えたことのある経営者は日本にどれくらいいるのでしょうか。

私たちが発するメッセージには、ほとんどの場合、次元の違うメタメッセージが隠れています。

メタメッセージとは「あるメッセージがもっている本来の意味をこえて、別の見方・立場からの意味を与えるメッセージ」(デジタル大辞泉)です。簡単に言えば、発したことばに生じてしまった「言外の意味」のことです。

デートに誘っても「その日、別の用事があって」と言われれば、ひょっとしたら「別の用事」というのは「あなたとはお付き合いはしたくありません」という、やんわりとした断りの文句かもしれないと思うことがあります。

これがメタメッセージです。

この捉え方で、東芝の二つのビジョン、理念を見てみると「私たちにはいま語るべき、取り組むべき未来像がありません」そして「とりあえず、いまある技術的資産、人的資産を使ってがんばるしかない」というメタメッセージを周囲に発している可能性が高いと考えます。

熱を入れたメッセージに見えても、あまり具体性のないことばを発せられた側が受け取るのは、こうした身もふたもない意味なのです。

これをビジョンとして掲げた経営者は、私たち自身が持つ知性、能力、感情のエネルギーを低く見積もりすぎているのではないでしょうか。

現に、経営問題が起きる前に、私が、これらのことばを読んで受け取ったのは、こうしたメタメッセージでした。明確なビジョン、目標を失って漂流する企業の影を見たのです。

こうした〝なんとなく経営ビジョン〟が発する害悪は、想像以上に大きいのではないかと思います。組織は本来、目的があって生まれます。

しかし、語るべき未来、目指すべき未来がない組織は何かを創造することから離れていきます。

そこに自身の存在意義を反映したビジョンがないからです。すると、組織のエネルギーは自己維持のためだけに費やされていきます。多くのエネルギーが無駄になります。

これが、どれほど不健康な状態であるかは、少しでも経営をかじったことのある方ならお分かりでしょう。それは、いま、この国のあちらこちらの組織に見て取れる、当たり前の光景になっています。

この光景から、どうやって脱するのか。どうやってビジョンを取り戻すのか。それこそが本書のテーマです。

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