イシューを見極める
序章で紹介した「犬の道」に入らないためには、正しくイシューを見極めることが大切だ。いろいろな検討をはじめるのではなく、いきなり「イシュー(の見極め)からはじめる」ことが極意だ。
つまり、「何に答えを出す必要があるのか」という議論からはじめ、「そのためには何を明らかにする必要があるのか」という流れで分析を設計していく。
分析結果が想定と異なっていたとしても、それも意味のあるアウトプットになる確率が高い。
「そこから先の検討に大きく影響を与えること」に答えが出れば、ビジネスでも研究でも明らかな進歩となるからだ。
問題はまず「解く」ものと考えがちだが、まずすべきは本当に解くべき問題、すなわちイシューを「見極める」ことだ。
ただ、これは人間の本能に反したアプローチでもある。
詳細がまったくわからない段階で「最終的に何を伝えようとするのかを明確に表現せよ」と言われたら、きちんとものを考える人であればあるほど生理的に不愉快になるだろう。
よって、「やっているうちに見えてくるさ」と成り行きまかせが横行するが、(多くの人が経験しているとおり)これこそがムダが多く生産性の低いアプローチだ。
あるいは「やらなくてもわかっている」とイシューを見極めるステップを飛ばすことも同じように失敗のもとだ。
「これは何に答えを出すためのものなのか」というイシューを明確にしてから問題に取り組まなければあとから必ず混乱が発生し、目的意識がブレて多くのムダが発生する。
ビジネスであれ研究であれ、1人で取り組むことはほとんどないだろう。
チーム内で「これは何のためにやるのか」という意思統一をし、立ち返れる場所をつくっておく。
一度で十分でない場合は何度でも議論する。これはプロジェクトの途中でも同様だ。
生産性が下がってきたときには、チーム全体でイシューの意識合わせを行う。基本に立ち返って、「そもそもこれは何に答えを出すプロジェクトだったのか」ということを整理する。
そして、それがその時点でもメンバーを奮い立たせるものであるか、全員の理解がブレていないかを再確認する。
相談する相手をもつ
仕事や研究の経験が浅い段階では、このイシューの見極めを1人でやることはお薦めできない。
「これが検証できればすごいだろう」というアイデアはいくらでも出るだろうが、「それは本当に受け手にとってインパクトがあるのか」というのは、その領域につい
てよほど詳しくない限りわからないからだ。
また、自分の言いたいことを証明するために、どのような分析や検証が必要になるかもわからないだろう。
また、仮にそこまでわかったとしても、実際に説得力あるかたちで検証できる手段をもっていなければ意味がない。
イシューを見極めるためには「実際にインパクトがあるか」「説得力あるかたちで検証できるか」「想定する受け手にそれを伝えられるか」という判断が必要となり、ここにはある程度の経験と「見立てる力」が必要になる。
こうした場合には、何人かの頼りになる相談相手に確認するのが手っ取り早い。
老練で知恵のある人、あるいはその課題領域に対して直接的な経験をもつ人の知見が生きる場面だ。
コンサルティング会社ではチームに必ずベテランコンサルタントが入るし、米国の大学院では指導教官を含む学位審査委員会がその機能を果たしている。
特定の組織に属さない人でも検討テーマごとに信頼して相談できる相手をもっておきたい。
一般のビジネスパーソン、あるいは学生の場合でも、「この人は」という人を論文・記事・書籍、あるいはブログなどで見つけたら思い切って面会や相談を申し込むといい。
また、研究所やシンクタンクのような機関にも話を聞ける専門家は多い。
実際、こういう「知恵袋的な人」をもてるかどうかが、突出した人とそうでない人の顕著な差を生むのだ。
仮説を立てる「スタンスをとる」ことが肝要
イシューの見極めについては、「こんな感じのことを決めないとね」といった「テーマの整理」程度で止めてしまう人が多いが、これではまったく不足している。
実際の検討をはじめてから再度「イシューは何だろう」と考えているようではいくら時間があっても足りない。
こうしたことを避けるためには、強引にでも前倒しで具体的な仮説を立てることが肝心だ。
「やってみないとわからないよね」といったことは決して言わない。
ここで踏ん張り切れるかどうかが、あとから大きく影響してくる。
なぜか?理由は3つある。
▼1イシューに答えを出す
そもそも、具体的にスタンスをとって仮説に落とし込まないと、答えを出し得るレベルのイシューにすることができない。たとえば、「◯◯の市場規模はどうなっているか?」というのは単なる「設問」に過ぎない。ここで「◯◯の市場規模は縮小に入りつつあるのではないか?」と仮説を立てることで、答えを出し得るイシューとなる。仮説が単なる設問をイシューにするわけだ。
▼2必要な情報・分析すべきことがわかる
仮説を立てない限り、自分がどのレベルのことを議論し、答えを出そうとしているのかが明確にならず、それが明確になっていないことにすら気づかない。仮説を立てて、はじめて本当に必要な情報や必要な分析がわかる。
▼3分析結果の解釈が明確になる
仮説がないまま分析をはじめると、出てきた結果が十分なのかそうでないのかの解釈ができない。その結果、労力ばかりかかることになる。
日本の会社では、「◯◯さん、新しい会計基準についてちょっと調べておいて」といった仕事の振り方をしているのを目にする。
だが、これではいったい何をどこまで、どのようなレベルで調べればよいのかがさっぱりわからない。
ここで仮説が登場する。
「新しい会計基準下では、わが社の利益が大きく下がる可能性があるのではないか」「新しい会計基準下では、わが社の利益に対する影響が年間100億円規模あるのではないか」「新しい会計基準下では、競合の利益も変動し、わが社の相対的地位が悪化するのではないか」「新しい会計基準下では、各事業の会計管理・事務処理において何らかの留意点をもつことで、ネガティブな影響を最低限にできるのではないか」このくらいのレベルまで仮説を立てて仕事を与えられれば、仕事を振られた人も自分が何をどこまで調べるべきなのかが明確になる。
答えを出すべきイシューを仮説を含めて明確にすることで、ムダな作業が大きく減る。つまり生産性が上がるのだ。
何はともあれ「言葉」にする
イシューが見え、それに対する仮説を立てたら、次にそれを言葉に落とす。
「これがイシューかな?」「ここが見極めどころかな?」と思ったら、すぐにそれを言葉にして表現することが大切だ。
なぜか?それはイシューを言葉で表現することではじめて「自分がそのイシューをどのようにとらえているのか」「何と何についての分岐点をはっきりさせようとしているのか」ということが明確になるからだ。
言葉で表現しないと、自分だけでなくチームのなかでも誤解が生まれ、それが結果として大きなズレやムダを生む。イシューと仮説は紙や電子ファイルに言葉として表現することを徹底する。
当たり前に聞こえるかもしれないが、多くの場合、これをやれと言われてもうまくできない。なぜ言葉にできないのかといえば、結局のところ、イシューの見極めと仮説の立て方が甘いからだ。
言葉にすることで「最終的に何を言わんとしているのか」をどれだけ落とし込めているかがわかる。
言葉にするときに詰まる部分こそイシューとしても詰まっていない部分であり、仮説をもたずに作業を進めようとしている部分なのだ。
僕が「言葉にすることを徹底しよう」「言葉に落とすことに病的なまでにこだわろう」と言うと驚く人が多い。
僕は「理系的・分析的な人間」だと思われているようで、そうした僕から「言葉を大切にしよう」というセリフが出ることが意外なようだ。
これもイシューに基づく思考の本質が誤解されている部分だと思う。
人間は言葉にしない限り概念をまとめることができない。
「絵」や「図」はイメージをつかむためには有用だが、概念をきっちりと定義するのは言葉にしかできない技だ。
言葉(数式・化学式を含む)は、少なくとも数千年にわたって人間がつくりあげ磨き込んできた、現在のところもっともバグの少ない思考の表現ツールだ。
言葉を使わずして人間が明晰な思考を行うことは難しいということを、今一度強調しておきたい。
この「イシューの言語化」が特に大切になるのは「ビジュアル思考型」の人だ。
世の中の人を見ていると、「視覚的なイメージから考えるタイプ=ビジュアル思考型」と「言語から考えるタイプ=言語思考型」に二分されるように思う。
僕は典型的なビジュアル思考型人間で、漢字を使う日本人にはこちらのタイプが比較的多く見られるようだ。
ビジュアル思考型は言語思考型が言っていることをおおよそ理解できるが、逆に言語思考型はビジュアル思考型の言うことをほとんど理解できない。
世の中には言語思考型のほうが多いので、ビジュアル思考型が自分が取り組もうとしているイシューを言語化していないと、チームの生産性は大きく下がる。
僕も仕事をはじめたころは、いろいろアイデアは浮かんでくるものの、それを言葉に落とし込めず、言わんとすることを周りの人たちにうまく伝えられずに苦労したが、「イシューを言葉に落とす」ことを意識的に繰り返すうちに途中から急に仕事がラクになった。
単純なことのようだが、いざやってみると、これは僕ら日本人にはそれほど簡単ではないことがわかる。
言葉で明確に表現しないのは、日本人の言語・文化のもつ思考上の特性でもあるので、ここは意図的に訓練することを薦めたい。
言葉で表現するときのポイント
イシューと仮説を言葉で表現するときの注意点を挙げておきたい。
▼「主語」と「動詞」を入れる
言葉はシンプルであるほどよい。そのための単純かつ有効な方法が、「主語と動詞を含む文章で表現する」ことだ。
日本語は主語がなくても文章が成立するため、「進めていくうちに皆が違うことを考えていることがわかった」という状況がよく生じる。
主語と動詞を入れた文章にするとあいまいさが消え、仮説の精度がぐっと高まる。
▼「WHY」より「WHERE」「WHAT」「HOW」
イシューの言語化におけるもうひとつのコツは、表現の形式に注意することだ。
よいイシューの表現は、「~はなぜか?」という、いわゆる「WHY」ではなく、「WHERE」「WHAT」「HOW」のいずれかのかたちをとることが多い。
●「WHERE」…「どちらか?」「どこを目指すべきか?」●「WHAT」……「何を行うべきか?」「何を避けるべきか?」●「HOW」………「どう行うべきか?」「どう進めるべきか?」「WHY=~はなぜか?」という表現には仮説がなく、何について白黒をはっきりさせようとしているのかが明確になっていない。
「答えを出す」という視点で課題を整理すると、「WHERE」「WHAT」「HOW」のかたちになることが多いことは理解してもらえるだろう。
▼比較表現を入れる
文章のなかに比較表現を入れる、というのもよいアイデアだ。「AかBか」という見極めが必要なイシューであれば、「~はB」というより「Aではなくて、むしろB」という表現にする。
たとえば、ある新製品開発の方向性のイシューの場合であれば、「てこ入れすべきは操作性」というよりも、「てこ入れすべきは、処理能力のようなハードスペックではなく、むしろ操作性」としたほうが何と何を対比し、何に答えを出そうとしているのかが明確になる。
可能であればぜひ使いたい技だ。
よいイシューの3条件
「よいイシュー」について、もう少し考えてみよう。
よいイシューは、自分やチームを奮い立たせることができるものであり、検証されたあかつきには受け手をうならせるものだ。
このようなイシューには3つの共通項がある。
▼1本質的な選択肢である。よいイシューはすべからく、それに答えが出るとそこから先の検討方向性に大きく影響を与えるものだ。
▼2深い仮説がある。よいイシューは深い仮説がある。ふつうであれば「ここまでスタンスをとるのか」というところまで一気に踏み込んでいる。「常識を覆すような洞察」があったり、「新しい構造」で世の中を説明したりしている。こうすると、検証できれば価値を生むことを誰もが納得できる。
▼3答えを出せる「えっ?」と思われるかもしれないが、よいイシューとは、「きっちりと答えを出せる」ものでなければならない。「重要であっても答えを出せない問題」というのは世の中にいくらでもあるのだ。
この「よいイシューの3条件」(図1)について、もう少し詳しく紹介しよう。
条件①本質的な選択肢である
インパクトがあるイシューは、何らかの本質的な選択肢に関わっている。「右なのか左なのか」というその結論によって大きく意味合いが変わるものでなければイシューとは言えない。すなわち、「本質的な選択肢=カギとなる質問」なのだ。
科学分野の場合、大きなイシューはある程度明確になっていることが多い。
僕の専門である脳神経科学の場合、19世紀末における大きなイシューのひとつは「脳神経とはネットワークのようにつながった巨大な構造なのか、それともある長さをもつ単位の集合体なのか」というものだった。
その後、神経科学の父の1人であるラモン・カハール(1906年にノーベル生理学・医学賞受賞)によって解明された結果は「ある長さをもつ単位の集合体」であり、現在、その基本単位は「神経細胞(ニューロン)」と呼ばれている。
科学におけるほかの大きなイシューとしては、古くは「天動説・地動説」が有名であるし、最近ではインドネシアの洞窟で見つかった「ホモフロレシエンシス」という小型人類は現在の人類とつながる系統か否か、というものもある。
選択肢があり、どちらになるのかによってそこから先の研究に大きな影響が出るものがよいイシューなのだ。
ビジネスの場合ではどうだろうか。
ある食品メーカーにおいて、「ある商品Aが売れない」という理由を検討している場合で考えてみよう。多くの場合、最初に出てくる大きなイシューのひとつは「〈Aに商品力がない〉のか〈Aに商品力はあるが、販売方法がよくない〉のか」というものだろう。どちらであるかによってその後の戦略見直しのポイントが大きく変わってくるからだ。
あるコンビニエンスストアチェーンにおいて、「全体の売上が下がっている」という場合、最初のイシューのひとつは「〈店舗数が減っている〉のか〈1店舗あたりの売上が下がっている〉のか」というものになるだろう。
前者であれば店舗開拓スピードや店舗の退店・フランチャイズ離脱率が課題になり、後者であれば店舗のつくりや運営方法が問題になる。
どれも「それはそうだ」と思われるだろうが、現実にはこうしたレベルでのイシューの見極めができていないケースは多い。
「商品はいいのに売り方が悪い」「店舗開拓に問題があるに決まっている」など、思い込みで突き進んでしまうのだ。まずは大きな分岐点を見極めることが大切だ。
「本質的な選択肢」を見極めるためには、陥ることの多い「イシューの落とし穴」を意識しておくことも有効だ。
▼なんちゃってイシュー序章でも触れたとおり、
実は、世の中で問題だと言われているもの、調べてみようと思うことの大多数は、今、本当のところは答えを出す必要がないものだ。そうした「なんちゃってイシュー」に惑わされないことが大切だ。
ある飲料ブランドが長期的に低迷しており、全社で立て直しを検討しているとする。ここでよくあるイシューの候補は「〈今のブランドで戦い続けるべきか〉もしくは〈新ブランドにリニューアルすべきか〉」というものだ。
だが、この場合、まずはっきりさせるべきはブランドの低迷要因だろう。「〈市場・セグメントそのものが縮小している〉のか〈競合との争いに負けている〉のか」がわからないと、そもそもの「〈ブランドの方向性の修正〉がイシューなのか」という判断ができない。
仮に市場・セグメントそのものが縮小しているのであれば、通常、ブランドの修正以前に狙うべき市場そのものを見直さなくてはならない。こうなると、「ブランドの方向性の修正」は、イシューでも何でもなくなってしまう。
こういう一見もっともらしい「なんちゃってイシュー」を最初の段階できちんとはじくことが大切だ。
一見イシューのように見えても、その局面で答えを出す必要のないもの、答えを出すべきでないものは多い。
「イシューらしいもの」が見えるたびに、「本当に今それに答えを出さなくてはならないのか」「本当にそこから答えを出すべきなのか」と立ち返って考える。
これで、あとあと「あれは無理してやる必要がなかった」と後悔するようなムダな作業を減らすことができる。
▼イシューは動く標的
もうひとつ頭に置いておきたいのは、「イシューは動く標的」だということだ。これは特にビジネスの問題に取り組む場合には非常に重要なポイントだ。
イシュー、つまり答えを出すべき問題は、同じ事業・テーマを扱っていても、会社ごとに、部署ごとに、日ごとに、ミーティングごとに、あるいは話している相手ごとに異なるのがふつうだ。
イシューとは、「今、答えを出さなければならないこと」なので、実際には担当している部門や立場によっても変わってくる。
ある人にとってイシューであってもほかの人にとってはイシューではない、ということもいくらでもある。典型的なのが、イシューの主語となることの多い「企業」による違いだ。
同じ商品分野で事業戦略を検討していたとしても、企業によってイシューの見極めどころは異なる。
業界そのものについての見立てはそれほど変わらなくても、それをどのように受け止めるか、それがどのような意味をもつのかは、企業ごとの歴史や風土や戦略などでまったく異なってくる。
たとえば、アップル社の「iPad」を中心とするパッド(スレート型)コンピュータ市場の戦略立案をする場合を考えてみよう。
まず、この市場を立ち上げたアップル社とそれ以外の企業では大きく見極めどころが異なるであろうことは簡単に想像できる。
さらに、自社製のOSをもっているかどうか、そのOSが他社とどのような提携をしているか、などによっても意味合いは変わってくるはずだ。
「これがイシューだ」と思ったら、そのイシューの主語を確認してみよう。「誰にとって」という主語を変えても成り立つものは、まだイシューとしての見極めが甘い可能性が高い。
さらに、大きな意思決定がされると、その周りにあるイシューが根こそぎイシューでなくなることもある。
たとえば、ある自動車メーカーで「次世代ハイブリッド車のあり方」について検討しているとする。
「どんなエンジン・モーター技術をベースにするか」「どのようなバッテリー管理をするか」「どんな車種を想定すべきか」など多数の検討項目、すなわち答えを出すべきイシューが出てくるだろう。
しかし、ここで「トップレベルの交渉で、競合会社から技術供与を受けることになった」という状況になれば、これらのイシューの大半は見直しが必要になる。
科学の場合なら「前提となる事実に見直しをせまる発見があった場合」などがこれに当てはまる。
条件②深い仮説がある
よいイシューの2つめの条件は「深い仮説がある」ことだ。
仮説を深いものにするためには次のような定石が役に立つ。
▼常識を否定する
仮説を深める簡単な方法は「一般的に信じられていることを並べて、そのなかで否定できる、あるいは異なる視点で説明できるものがないかを考える」ことだ。
「常識の否定」を英語で「直観に反している」という意味で「カウンター・イントゥイーティブ」というが、この「直観に反したもの」を探す。
ここではその分野に詳しい人へのインタビューが役立つだろう。
プロジェクトがはじまった時点でエキスパートや現場の人に話を聞くことで、その分野で共通に信じられているもの、いわゆる「常識」を知ることができる。
本などで学ぶことより、こうした「肌感覚の常識」が反証されたときのほうがインパクトは大きい。
古典的な例では、日常的に生活している限り「太陽が地球の周りを動いている」ようにしか見えないが、「実は地球が太陽の周りを動いている」ことを証明した地動説がまさに
これにあたる。
ふつうの生活では体感しようもない「時間と空間の関係」に対して「時間と空間が一体のものである」としたアインシュタインの相対性理論が衝撃的だったこともこの典型だ。
「光は波でありながら粒子でもある」という量子力学の基本的な考え方も、目で見える大きさの世界では「波でありながら粒子である存在」などないからこそ衝撃的だ。
「私たちの生きる世界でもっとも大きな存在であるはずの宇宙が最初は一点から発生した」というビッグバン理論も「最小から最大がはじまった」という直観とは相容れない異様なコントラストがインパクトを生み出している。
もうひとつ有名なサイエンスの例を挙げてみよう。
1940~70年代にかけて、生物学における大きなイシューのひとつに「生命体におけるエネルギーの取り込みはどう行われているか」というものがあった。
食物として取り入れられた炭水化物は細胞内で分解され、最終的に水と二酸化炭素になるが、その際いわゆる「燃えて」放出されるエネルギーのかなりがATP(アデノシン三リン酸)のリン酸結合として取り込まれる。
これが呼吸の本質であり、あらゆる生命活動の直接のエネルギー源となる。
このエネルギー取り込みについて、ほとんどの人がほかの生化学反応と同様に「細胞のなかでの連鎖的な化学反応による」と考えていたが、英国の生化学者、ピーター・ミッチェルは「ミトコンドリアの膜においてイオンが通り抜ける際に取り込みが起こる」と主張し、それを証明した。
世紀の大問題を解いたミッチェルは、1978年にノーベル化学賞を単独受賞した。
これもそれまでの常識を否定した典型だ。
科学の場合、こうした大きな枠組みの変更をせまるような発見は、新しい研究分野そのものを生み出すことが多いが、ビジネスの場合は戦略・計画の根本的な見直しにつながることが多い。
競合が気づかない発見は大きな戦略的アドバンテージとなる。
ビジネスで深い仮説をもったイシューとしては次のようなものがあるだろう。「拡大していると思われている市場が、先行指標では大きく縮小している」「より大きいと思われているセグメントAに対し、収益の視点ではセグメントBのほうが大きい」「販売数中心で競争している市場だが、実は販売数のシェアが伸びるほど利益が減る」「コア市場のシェアは拡大しているが、成長市場のシェアは縮小している」
「そんな重要なことを見落とすなどあり得ない」と思われるかもしれないが、僕自身、業界トップを争うような企業のプロジェクトでこうした発見をしてきた。
一般的に信じられている信念や前提を突き崩せないかを常に考えるようにしたい。
▼「新しい構造」で説明する
深い仮説をもつための2つめの定石は「新しい構造」で世の中を説明できないかと考えることだ。
どういうことか?人は見慣れたものに対して、これまでにない理解を得ると真に大きな衝撃を感じるものだ。そのひとつのやり方が先ほどの「常識の否定」だが、もうひとつのやり方が検討の対象を「新しい構造」で説明することだ。
これは、僕たちの脳神経系のしくみのためだ。脳はコンピュータでいうところの「メモリ」も「ハードディスク」にあたる記憶装置もなく、神経がつながりあうだけのつくりをしている。つまり、神経間の「つながり」が基本的な「理解」の源になる。
よって、これまであまり関係していないと思っていた情報の間につながりがあるとなると、僕たちの脳は大きなインパクトを感じる。
「人が何かを理解する」というのは、「2つ以上の異なる既知の情報に新しいつながりを発見する」ことだと言い換えられる。
この構造的な理解には4つのパターンが存在する。
簡単に説明しておこう。
●共通性の発見
いちばん簡単な新しい構造は共通性だ。2つ以上のものに、何らかの共通なことが見えると、人は急に何かを理解したと感じる。
たとえば、「あの人はメキシコの建国の際に2つの対立陣営を束ねる大きな役割を果たした人です」と言われるより、「あの人はメキシコにおける坂本龍馬です」と言われたほうが(日本人であれば)圧倒的に理解したと感じるだろう。
「オフィス用プリンタとビル内エアコンは収益構造のしくみが同じ」と言われれば、どちらかを知っている人であれば「なるほど」と思うだろう。
腕と鳥の翼が実は同じ器官が異なるかたちに進化したものだと知れば、比較して意味合いを引き出すことができる、というのも同じだ。
●関係性の発見
新しい構造の2つめは関係性の発見だ。完全な全体像がわからなくとも、複数の現象間に関係があることがわかれば人は何か理解したと感じる。
「ポールとジョンは親友でおおむね同じ行動をしている」「ジョンとリッチは対抗しており、まったく反対の行動をしている」ということを知っていれば、ポールの最近の行動を見れば、おおむねリッチが何をしているのかがわかる。
科学分野では「まったく異なるホルモンに関わる脳内の2つのレセプターの働きに関係性がある」というのが典型例だ。
これが10個の異なるホルモン・レセプター間の体系的な関係となれば、かなり理解につながったように感じる。
実際、このパターンの研究でいくつものノーベル賞が授与されている。
●グルーピングの発見
新しい構造の3つめはグルーピングの発見だ。検討対象を何らかのグループに分ける方法を発見することで、これまでひとつに見えていたもの、あるいは無数に見えていたものが判断できる数の固まりとして見ることができるようになり、洞察が深まる。
グルーピングの典型例はビジネスにおける「市場セグメンテーション」だ。
市場を何らかの視点に基づいた軸で切り分け、それぞれのグループごとに違う動きが見えれば、それまでとは違う洞察を得て、自社商品・競合商品の現状分析や今後の予測がしやすくなる。
●ルールの発見
新しい構造の4つめはルールの発見だ。2つ以上のものに何らかの普遍的なしくみ・数量的な関係があることがわかると、人は理解したと感じる。物理法則の発見はほとんどがこれに当てはまる。
「机の上から落ちる鉛筆」と「地球から見る月が安定して浮かんでいる」というのが同じロジック(=万有引力)で説明できる、というのもそのひとつだ。
ビジネスではここまで数式化できることは少ないが、遠く離れたように見える2つの出来事に強いルール性がある、という例は珍しくない。
たとえば「ガソリンの工業的な取引価格が上下すると10カ月遅れでサトウキビの農産品価格が同様に動く」といった決まったパターンが見えると、何らかのより深い構造的な気づきにつながる。
いきなり「常識を否定」するような強力なイシューを発見できなくても、がっかりする必要はない。
見てきたとおり、「新しい構造」で現象を説明できないかを考えることがもうひとつの正攻法だ。
そして、これらにつながる視点で新たなことが検証されれば深い洞察とインパクトを生み出す。
朝永振一郎とともにノーベル物理学賞を受賞したリチャード・ファインマンは、かつて「科学が役に立つのは先を見て推理を働かせる道具になるからだ」と言ったが、これはまさに深い構造的な理解を得ることの本質を示している。
条件③答えを出せる
「本質的な選択肢」であり、十分に「深い仮説がある」
問題でありながら、よいイシューではない、というものが存在する。それは、明確な答えを出せない問題だ。そんなものがあるのか、と言われるかもしれないが、どのようにアプローチをしようとも既存のやり方・技術では答えを出すことはほぼ不可能という問題は多い。
たとえば、僕のサイエンスの師匠の1人である山根徹男(元ベル研究所・現サンパウロ大学教授)が教えてくれた話がある。
1960年代、山根先生がカリフォルニア工科大学に在学していたとき、当時天才の名をほしいままにしていたファインマンから聞いたというものだ。
「確かに〈重力も電磁気的な力も三次元の空間にありながら、距離の二乗に反比例する〉というのは非常に興味深い現象だ。ただ、このような問題には関わらないほうがよい。現在のところ、答えが出せる見込みがほとんどないからだ」
私は物理学徒ではないが、この問題は50年ほどたった今も、数多くの天才たちの手を通り抜けて解明されないままのはずだ。
ファインマンは正しかった。
科学の世界では、ファインマンの例のとおり、「実際に答えを出し得る手法が見えないために、昔から謎であることがわかっているのに手つかずの問題」というものが多い。
手法が出てきたことでようやく研究がはじまった、という問題が目白押しなのだ。
問題が提示されてから300年以上もかかってようやく解かれた「フェルマーの最終定理」も、プリンストン大学のアンドリュー・ワイルズが近代数学の粋を尽くして解いたということだが、まさにこの「手法が見つかってはじめてよいイシューとなった」という例のひとつだろう。
生物学者・利根川進(1987年にノーベル生理学・医学賞受賞)の言葉も示唆に富む。
「(略)ダルベッコが後に僕のことをほめていうには、トネガワはそのときアベイラブル(利用可能)なテクノロジーのぎりぎり最先端のところで生物学的に残っている重要問題のうち、なにが解けそうかを見つけ出すのがうまい、というんだね。(略)いくらいいアイデアがあっても、それを可能にするテクノロジーがなければ絶対にできない。だけど、みんなこれはテクノロジーがなくてできないと思っていることの中にも、そのときアベイラブルなテクノロジーをぎりぎりまでうまく利用すれば、なんとかできちゃうという微妙な境界領域があるんですね(略)」(『精神と物質』/文藝春秋)利根川の師匠の1人であるリナート・ダルベッコ(1975年にノーベル生理学・医学賞受賞)とそれを受けた利根川の言葉はよいイシューの本質をよくとらえている。
どれほどカギとなる問いであっても、「答えを出せないもの」はよいイシューとは言えないのだ。
「答えを出せる範囲でもっともインパクトのある問い」こそが意味のあるイシューとなる。
そのままでは答えの出しようがなくても、分解することで答えを出せる部分が出てくればそこをイシューとして切り出す。
ビジネス上でも、こうした問題は山積みだ。
たとえば、値づけ(プライシング)の問題がある。
「3~8社くらいまでの企業数で市場の大半を占めている場合(実際にはほとんどの市場がそうだ)、商品の値づけはどうすべきか」というのは実際には非常に難しい問いで、現在でも明確な「決まり手」、つまり分析的にきっちり答えを出す方法は存在しない。
プレーヤーが2社であれば、ゲーム理論を活用してあるべき方向性はかなりのところまで答えを出せるが、これが3社以上のプレーヤーとなると、とたんに難しくなる。
ありふれた問題に見えても、それを解く方法がいまだにはっきりしない、手をつけないほうがよい問題が大量にある、というのは重大な事実だ。
また、他人には解けても自分には手に負えない問題、というのもある。
気軽に取り組んだはいいが、検証方法が崩壊した場合には、時間の面でも手間の点でも取り返しのつかないダメージになりかねない。
「インパクトのある問い」がそのまま「よいイシュー」になるわけではない。
そしてファインマンが言ったとおり、「答えが出せる見込みがほとんどない問題」があることを事実として認識し、そこに時間を割かないことが重要だ。
ということで、「よいイシューの条件」の3つめは、イシューだと考えるテーマが「本当に既存の手法、あるいは現在着手し得るアプローチで答えを出せるかどうか」を見極めることだ。
「現在ある手法・やり方の工夫で、その問いに求めるレベルの答えを出せるのか」。イシューの候補が見えてきた段階では、そうした視点で再度見直してみることが肝要だ。
序章で述べたとおり、気になる問題が100あったとしても、「今、本当に答えを出すべき問題」は2、3しかない。
さらに、そのなかで「今の段階で答えを出す手段がある問題」はさらにその半数程度だ。
つまり、「今、本当に答えを出すべき問題であり、かつ答えを出せる問題=イシュー」は、僕らが問題だと思う対象全体の1%ほどに過ぎない(図3)。
イシュー見極めにおける理想は、若き日の利根川のように、誰もが「答えを出すべきだ」と感じていても「手がつけようがない」と思っている問題に対し、「自分の手法ならば答えを出せる」と感じる「死角的なイシュー」を発見することだ。
世の中の人が何と言おうと、自分だけがもつ視点で答えを出せる可能性がないか、そういう気持ちを常にもっておくべきだ。
学術的アプローチや事業分野を超えた経験がものをいうのは、多くがこの「自分だけの視点」をもてるためなのだ。
イシュー特定のための情報収集考えるための材料を入手する「よいイシューとは何か」と「(強引にでも)仮説を立てることの重要性」がわかったところで、次にそれを発見するための「材料」をどのように仕入れるかを考えてみたい。
ふつうの会社では「仮説のような不確かなものをベースに話をするなんてけしからん」とお叱りを受けることが多いかもしれない。
だが、論理だけで問題の着眼点や話の切り込みのポイント、つまりイシューや仮説につながるものを見つけることは難しい。
これはどんな人にとってもそうだ。
問題解決のプロであるベテランコンサルタントでも辣腕社長でも気鋭の研究者でも、知見や見立てのないテーマにぶちあたれば、仮説を立てるための手がかりを集めるしかない。
では、手がかりを得るためにはどうしたらよいのか。
それは、取り組んでいるテーマ・対象について「考えるための材料をざっくりと得る」ことだ。つまり、時間をかけ過ぎずに大枠の情報を集め、対象の実態についての肌感覚をもつ。ここでは細かい数字よりも全体としての流れ・構造に着目する。
大学の研究などではこの作業に数カ月をかけるケースもあるだろうが、ビジネスにおいてこれは非効率であり、生産性の高いやり方とは言えない。
イシューを明確化し、肝となる検証をスピーディに進め、仮説を刷新してこそ、真に生産性の高い毎日が実現する。
多くの場合、検証までの1サイクルは1週間から長くても10日程度で回すので、この最初の仮説を出すために考える材料を集める作業は可能であれば2、3日程度で終えたいところだ。ヒアリングなど用意に時間がかかるものはあらかじめ仕込んでおく。
とはいえ、これだけでは具体的に何をすべきかわからないので、自分らしいイシューの見立てをもつための情報収集のコツについてまとめておこう。
コツ①一次情報に触れる
第1のコツは「一次情報」に触れることだ。一次情報というのは、誰のフィルターも通っていない情報のことだ。
具体的には次のようなことが役立つ。
- ●モノづくりの場合……生産ライン、調達の現場に立つ。現場の人の話を聞く。可能であれば何かの作業を一緒にする
- ●販売の場合……販売の現場に出向く。店頭に立って顧客の声を聞く。可能であれば一緒に活動する
- ●商品開発の場合……商品が使われている現場に出向く。商品を使っている顧客と話をする。なぜそれを使うのか、どう使い分けているのか、どんな場面でどう使っているのかなどを聞く
- ●研究の場合……そのテーマを研究している人、その手法を開発した人の研究室に行く。話を聞き、現場を見る
- ●地方の場合……対象とする地方とそこと対極的な動きをしている地方に出向き、違いや事象を見て理解する
- ●データの場合……加工されていない生のデータにあたり、変化のパターンや特徴を見て理解する
あまりにも基本的なことに聞こえるかもしれないが、これらを呼吸するようにできている人は少ない。
「優秀」とか「頭がよい」と言われている人ほど頭だけで考え、一見すれば効率のよい読み物などの二次情報から情報を得たがる傾向が強い。そして、それが命取りになる。
肝心の仮説を立てる際に「色眼鏡をつけて見た情報」をベースにものを考えることになるからだ。
現場で何が起こっているのかを見て、肌で感じない限り理解できないことは多い。
一見関係のないものが現場では隣り合わせで連動している、あるいは連動しているはずのものが離れている、といったことはよくあるが、これらは現場に出向かない限り理解することができない。
間接的な報告や論文などの二次的情報では決して出てこないところだ。
いかに優れた表現、情報といえども、二次的な情報は何らかの多面的かつ複合的な対象のひとつの面を巧妙に引き出したものに過ぎない(図4)。
そこからこぼれおちた「現実」は、それを直接見ない人には認知できない。よって、数日間は集中的に一次情報に触れることをお薦めしたい。
これが実際に僕らに起こっていること、本当のことに対する肌感覚を与え、明確な仮説を立てるための強い指針を与えてくれる。
なお、これらの現場に出て、一次情報に触れた際には、現場の人の経験から生まれた知恵を聞き出してくる。
読み物をどれだけ読んでもわからない勘どころを聞き、さらにその人がどのような問題意識をもっているかを聞いておく。
現在の取り組みにおけるボトルネック、一般に言われていることへの違和感、実行の際の本当の押さえどころなどだ。
お金では買えない知恵を一気に吸収したい。
日本の会社の多くでは、社内はともかく外部の専門家に直接話を聞く、といったことをあまりしないようだが、これは本当にもったいないことだ。
「社外秘の事柄が多いから、あまり外部と交流できない」という理由であれば、それは多くの場合、考え過ぎや思い過ごしだ。
知らない人に電話でインタビューを申し込むことを英語で「コールドコール」と言うが、これができるようになると生産性は劇的に向上する。
あなたがしかるべき会社なり大学・研究所で働いており、相手に「守秘義務に触れることは一切話す必要はなく、そこで聞いた話は内部的検討にしか使われない」といったことをきちんと伝えれば、大半は門戸が開くものだ。
実際、僕自身もこれまで数百件の「コールドコール」をしてきたが、断られた記憶は数えるほどしかない。
生産性を上げようと思ったらフットワークは軽いほうがいい。
コツ②基本情報をスキャンする
情報収集の第2のコツは、一次情報から得た感覚をもちつつ、世の中の常識・基本的なことをある程度の固まりとしてダブりもモレもなく(第2章で詳説)、そして素早くスキャンする(調べる)ことだ。
ここは、自分の思いだけで「決め打ち」をしないことが大切だ。取り組む課題領域における基本的な知識をざっと押さえておく。
通常のビジネスで事業環境を検討する場合であれば、
1業界内部における競争関係
2新規参入者
3代替品
4事業の下流(顧客・買い手)
5事業の上流(サプライヤー・供給企業)
というマイケル・ポーターの提唱した「ファイブ・フォース」に加え、
6技術・イノベーション
7法制・規制の2つを加えた7つの広がりについて見ていけば、立ち上がりの段階としては十分だろう(図5)。
要素の広がりが見えたら、実際のスキャンにおいて押さえどころとなるのは「数字」「問題意識」「フレームワーク」の3つだ。
▼数字
基本となる数字は、サイエンスであれば当然のこと、ビジネスでも常にある。
たとえば、事業全体を議論するのであれば、「規模感」「シェア」「営業利益率」「(それらの)変化率」のようなものであり、小売りであれば、対競合視点での「1日あたりの売上高」「在庫回転率」「客単価」などが挙げられるだろう。
「この数字を知らずして議論しても仕方ない」ということを大局的に押さえる。
▼問題意識
問題意識とは、歴史的背景を踏まえた分野・業界・事業の常識、そして課題領域にまつわる一般的な通念、これまでの検討の有無、内容とその結果などだ。
「これらを知らないとその分野の人との会話が成り立たない」ということを一通りカバーする。重要な視点のモレがないかを確認する。フレームワークどんな領域でも、これまで課題がどのように整理されてきたか、課題をとりまくものがどのように位置づけられるか、という情報は必要だ。
検討している問題が既存の枠組み、つまりはフレームワークのなかでどう位置づけられ、説明されているのかを理解する。
具体的には、以下のような全体観がつかみやすいものを活用するとよいだろう。
- ●総説・レビュー
- ●雑誌・専門誌の特集記事
- ●アナリストレポート/アニュアルレポート
- ●テーマに関連する書籍
- ●教科書的な書籍の該当ページ
書籍系に関してはノウハウ的なものは避け、基本的・原則的なものを見る。歴史的な視点を得るためにやや古めのものと新しいものを同時に見る、というのもよいアイデアだ。
コツ③集め過ぎない・知り過ぎない
第3のコツは意図的にざっくりとやる、つまり「やり過ぎない」ということだ。速読術やライフハック的な信念とは大きく異なるが、情報収集の効率は必ずどこかで頭打ちになり、情報があり過ぎると知恵が出なくなるものだ。
これを「集め過ぎ」「知り過ぎ」と言う。
▼集め過ぎ
情報収集にかけた努力・手間とその結果得られる情報量にはあるところまでは正の相関があるが、そこを過ぎると途端に新しい取り込みのスピードが鈍ってくる。これが「集め過ぎ」だ。大量に時間を投下しても、実効的な情報が比例して増えることはない(図6)
▼知り過ぎ
「知り過ぎ」はもっと深刻な問題だ。「集め過ぎ」のグラフにもあるとおり、確かにある情報量までは急速に知恵が湧く。
だが、ある量を超すと急速に生み出される知恵が減り、もっとも大切な「自分ならではの視点」がゼロに近づいていくのだ。そう、「知識」の増大は、必ずしも「知恵」の増大にはつながらない。
むしろあるレベルを超すと負に働くことを常に念頭に置く必要がある(図7)。その分野について何もかも知っている人は、新しい知恵を生み出すことが極めて難しくなる。手もちの知識でほとんどのことを乗り越えてしまえるからだ。
一流の科学者がその分野の権威となるようなレベルに到達すると、若かったときのようには強烈なアイデアを生み出せなくなる、というのも同じ話だ。
また、これはビジネスの世界においてコンサルティング会社が存在している理由のひとつでもある。
業界に精通した専門家をたくさん抱えているはずの一流の会社が高いフィーを払ってコンサルタントを雇うのは、自分たちは知り過ぎているが故に、その世界のタブーや「べき論」に束縛されてしまい、新しい知恵が出にくくなっていることが大きな理由のひとつだ。
優秀であればあるほど、このような「知り過ぎ」の状態に到達しやすく、そこに到達すればするほど知識の呪縛から逃れられなくなる。
人がある領域について関心をもち、新しい情報を最初に得ていくとき、はじめはいろいろな引っかかりがあり、疑念をもつものだ。
それを人に尋ねたり解明したりしていくたびに、自分なりの理解が深まり、新しい視点や知恵が湧いてくる。
これが消えないレベルで、つまり「知り過ぎたバカ」にならない範囲で情報収集を止めることが、イシュー出しに向けた情報集めの極意のひとつだ。
イシュー特定の5つのアプローチ
通常のやり方ではイシューが見つからない場合
よいイシューの条件に従い、本質的な分岐点を探し、構造的な理解ができないか試み、また現在信じられている常識の否定ができないかを検討した。
またそのネタ出しとして現場に立ち、一次情報に(集め過ぎない程度に)触れた。
それでも、「何がイシューなのかわからない」ということもあるだろう。そのようなときにはどうしたらよいか?いちばん簡単なのは一度頭を休めて、もう一度、ここまで述べてきた基本作業を繰り返すことだ。
再度一次情報に触れ、見識のある人と議論する。だが、情報は十分、もしくは集め過ぎで、イシューを引き出すための知恵が足りていない、という場合もある。
そうした場合に使えるアプローチを5つ紹介しておきたい(図8)。
アプローチ①変数を削る
関連する要素が多過ぎて、結局のところ何が肝心の要素なのか、何が決め手なのか、そもそもそうしたものがあるのかすら見えないことがある。
「世の中の消費」や「自然における各生物の役割の関係性」などのテーマがその典型だ。
たとえば、「ツイッター」「フェースブック」などのSNSサービスが商品購買行動にどのように影響しているか、それはどんな数字を見るとわかるのか、普及にあたっての閾値のような数字が存在するのか、それらはどのようにかかわり合っているのか、そうしたことを理解したい、と仮定しよう。
すると、あまりにも要素が多く、すべての相関を取るようなアプローチは難しいことがわかる。
仮に運よく数字を取ることができて何らかの情報の経路が見えたとしても、多くの要素が関連し合っていて、誰をも納得させるような検証はできないだろうことも想像できる。
このような場合は、「変数を削ることができないか」と考える。要素を削る、もしくは固定するのだ。たとえば、「商品購買行動」ではあまりに広過ぎるので、商品分野を「デジタル家電」のみに絞る。それでも広ければ「デジカメ」「プリンタ」など、さらに検討の対象を絞り込む。こうすると変数がひとつ減る。
次にSNSについても、「ミニブログ・ブログ・交流サイト」などにグルーピングする。
ここでは、イシュー出しのために集めた一次情報、特にユーザーのヒアリングの声などが参考になるだろう。
これによってこちらの変数も数十から数個のレベルにまで減らすことができる。
このようにして問題の関連要素を固定したりグルーピングしたりして削ることで、本当のイシューがはっきりしてくることが多い。
アプローチ②視覚化する
人間は目で考える動物だ。よって、かたちが見えると急速にその対象について何かがわかったと感じることが多い(論理的に理解していないとしてもそのように知覚する)。
実際、我々の脳の後頭葉のほぼすべては「ものを見る」ということに使われているとされ、目でかたちを見ることで急に本質的なポイントが顕在化することがある。
この脳の性質を活用するのが2つめのアプローチ、視覚化だ。
視覚化にはいくつか典型的なやり方がある。
検討するテーマそのものに空間的な広がりがある場合、たとえば「店舗における装置の置き方」を検討するような場合には、相互の関係を並べて絵にする。
重なるものであれば上や下に重ねて絵にする。
すると、どことどこのつながりがはっきりしないのか、どことどこの並びが問題なのかなど、見極めが必要なところ(イシュー)が見えやすくなる。
取り組みに順番があるような場合、パズルのブロックのように前から後ろに並べていく。単に紙に絵を描いてもよいし、ふせんやカードを活用してもいい。
こうするなかで、このステップを統合することが本当のイシュー、このステップを削ることは実はイシューではない、といった課題の本質が見えてくる。
主要な属性(軸)の数値がいくつか取れるときには、グラフ化が有用だ。
2つの属性を選んでプロットする、あるいは2つの属性を掛け合わせたものや割ったものをひとつの軸にして別の要素をもうひとつの軸におく。
グラフ化すると、多くのサンプルがいくつかのグループに分かれることが見える場合も多い。こうした場合は一定以上(もしくは以下)の値に色づけすることで、さらにパターンがはっきりする。
たとえば、ビールの新製品の方向性を検討しているのであれば、とりあえず宣伝でよく使われているキレとコクなどを軸にしてプロットしてみる。
すると、既存の手持ちの商品がどこにあるのか、市場のトレンドはどこに向かっているのか、それを踏まえるとどのような味の方向性があり得るのか、という広がりを前提とした見極めどころ(イシュー)が見えることもある。
アプローチ③最終形からたどる
手っ取り早くイシューの広がりを整理するときには、「最後に何がほしいのか」ということから考えることも有用だ。
たとえば、自分の事業の3~5年間の中期計画を考えようとするのであれば、「目指す姿とそこにたどり着く道のあり方」を設計することが「最後にほしいもの」となる。
では「目指すべき姿」は何がわかれば決められるのか、とさらに考えていく。すると、1現在の事業の状況(市場視点・競合視点)2事業はどのような姿を目指すべきか33~5年後の目的関数をどう置くか(相対的地位を守るか、市場を活性化するかなど)4そのときの強み、自社らしい勝ちパターンをどう考えるか5それは数値的にどう表現できるかというあたりが必要なことがわかる。この場合、1~5のそれぞれが答えを出すべき見極めどころ、すなわちイシューとなる。
科学の世界でも考えてみよう。
脳神経科学の分野において「ある特定の遺伝子の変異が50代以降でアルツハイマー病を引き起こす確率を大幅に高める」ことを検証しようとして研究を行っているとする。
すると、
●50代以降である特定の遺伝子の変異をもつ人は、もたない人に比べて大幅にアルツハイマーにかかりやすい
●その差は50代以前では顕著ではない少なくとも、この2点は検証しなければならないイシューとなる。
よって、
●この変異の発生確率は年代に関係ないが、50代以上のアルツハイマー患者では、変異をもつ人の割合がほかの年代の患者に比べて特異的に高い
といった検証があれば、イシューを検証する力強いサポートになる、という推定ができる。このように見極めなければならないイシューを最終形から逆算的に考えることがこのアプローチだ。また、この方法によってイシューを構造化することができる(この部分は第2章で詳説)。
アプローチ④「Sowhat?」を繰り返す
一見すると当たり前のことしかイシューの候補として挙がらないときには、「Sowhat?(だから何?)」という仮説的な質問を繰り返すことが効果的だ。
何度も自分に対し、あるいはチーム内で質問を繰り返すことで仮説がどんどん具体的になり、検証すべきイシューが磨かれていく。
これはトヨタ自動車のカイゼン活動における「なぜなぜ5回」(問題の原因究明のために何度も「なぜ?」と問いかけて問題の核心を探る手法)に通じるアプローチだが、これを原因究明ではなく、答えを出すべきイシュー見極めのために使う。
たとえば、1「地球温暖化は間違い」という文章をイシューとして設定しても、何を「間違い」としているのかがあいまいで、答えを出すことができない。
これを「Sowhat?」と問い、2「地球温暖化は世界一律に起こっているとは言えない」とすると、少なくとも答えを出すべきポイント(温暖化の状況が地域で一律か否か)がひとつは見える。
ただ、地域の気候に多少のムラがあるのは当然なので、イシューとしてはまだ弱い。
さらに「Sowhat?」と踏み込み、3「地球温暖化は北半球の一部だけで起こっている現象である」と地点を絞り込む。
さらに、4「地球温暖化の根拠とされるデータは、北米やヨーロッパのものが中心であり、地点に恣意的な偏りがある」となれば、検証のポイントが明確なイシューとなる。
さらにあいまいな「恣意的」について「Sowhat?」を続ける。
5「地球温暖化を主張する人たちのデータは、北米やヨーロッパの地点の偏りに加え、データの取得方法もしくは処理の仕方に公正さを欠いている」とすれば、答えを出すべきポイントがより明確なイシューとなる(図10)。
1939年1月16日、世界初の核分裂と思われる実験成功の話がエンリコ・フェルミに届いた。
その卓越した洞察力で知られた彼は、ただちに「もし核分裂が行われるなら、その際、余分になった非常に大きいエネルギーが放出されること」「その際、やはり余分になった何個かの中性子が放出されるだろうこと」、その結果「出された中性子が次のウランに衝突することにより、ネズミ算式に増していく、いわゆる連鎖反応の可能性を示すものであること」を指摘したという。
これはまさに「Sowhat?」の繰り返しによるイシュー出しの素晴らしい実例であり、後に現在の電力消費の何割かを担う原子力の開発、そして原爆の開発へとつながる歴史的な洞察であった。
ただ、この「Sowhat?」を繰り返して仮説を磨く作業はなかなかしんどいものだ。仮説を立てるだけであっという間に時間が経ってしまい、脳が動かないぐらいまで疲れることも多い。
最初はなかなか進まなくて当たり前なので、1人でやるよりもチームメンバーと一緒に、集中しながらも突っ込み合いつつ進めるとよいだろう。
アプローチ⑤極端な事例を考える
要素や変数が入り組んでいる場合には、いくつか重要な変数を極端な値に振ってみると、どの要素の動きがカギになるのかが見えてくることも多い。
たとえば、会員を対象としているビジネスにおいて、収益向上が問題になっているとしよう。ひとつのビジネスにも収益の源はいくつもある。
「商品売上=収益A」「会員費=収益B」「広告利用=収益C」などがある場合、本当に収益向上に効く変数がどこにあるのか、という仮説は簡単には見えてこない。
このような場合に「市場規模」「市場のシェア」など、基本的な要素を極端な数値にしたときに何が起こるのかを考えてみる。
「市場が10倍になったら、あるいは5分の1になったら」「シェアが3倍になったら、あるいは3分の1になったら」と考えていくのだ。
このようにしてカギとなる要素の候補を3つ程度に絞り込むことができれば、「そのうちのどれが本当のところ大きな要素なのか」をはっきりさせることがイシューとして見えてくる。
***いかがだったろうか。
これがすべてではないが、おおむねこのようなアプローチを活用することで本質的なイシューを見つけ、深い仮説を立てられることが多い。
これでもうまくいかないときはイシューを解けるかたちで設定し直せないかを考え、それでも難しい場合は「そのイシューは答えが出ない」として、ほかに本質的なイシューが
ないかを探す、というのが現実的なアプローチだ。
同じテーマでも、仮説の立て方が周到かつ大胆で、実験のアプローチが巧妙である場合と、仮説の立て方がずさんでアプローチも月並みな場合とでは、雲泥の違いが生ずる。
(略)天才的といわれる人々の仕事の進め方は、仮説の立て方とアプローチの仕方の二点が優れて個性的で、鋭いひらめき、直観に大いに依存している。
──箱守仙一郎箱守仙一郎:分子生物学者・元ワシントン大学教授・米国科学アカデミー会員『ロマンチックな科学者──世界に輝く日本の生物科学者たち』井川洋二編、羊土社
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