(実験には)2つの結果がある。もし結果が仮説を確認したなら、君は何かを計測したことになる。もし結果が仮説に反していたら、君は何かを発見したことになる。──エンリコ・フェルミ
絵コンテとは何か
イシューが見え、それを検証するためのストーリーラインもできれば、次は分析イメージ(個々のグラフや図表のイメージ)をデザインしていく。
ここでも「分析結果が出ないと考えようがない」とは言わない。基本はいつでも、「最終的に伝えるべきメッセージ(=イシューの仮説が証明されたもの)」を考えたとき、自分ならどういう分析結果があれば納得するか、そして相手を納得させられるかと考えることだ。
そこから想定されるものをストーリーラインに沿って前倒しでつくる。僕はこの分析イメージづくりの作業を「絵コンテ」づくりと呼んでいる。イシューを分解し、組み立てたストーリーラインはまだ言葉だけのものだ。
ここに、具体的なデータのイメージをビジュアルとして組み合せることで急速に最終的なアウトプットの青写真が見えてくる。
本章ではイシュー分析の後半にあたるこの作業の勘所を紹介していく。
絵コンテづくりは、プラモデルや建築における設計図づくりにも似ている。設計図であれば、そこから作業をはじめればよさそうにも思えるが、それは危険だ。そうすると「論理」という太い柱が欠けた建築物が建ってしまうかもしれないからだ。
実際に、市場を深く理解することなしに自分たちの都合だけに基づいて立てられた事業計画は至るところに存在し、実行されているが、これこそ「柱の欠けた建築物」だ。
そうしたものは建った瞬間に倒壊ということになりかねない。
そうした恐怖の事態に陥らないためには、やはり第2章までに見てきたイシューの見極めと分解、それに基づくストーリーラインづくりが必要になる(図1)。
絵コンテづくりのイメージ
もう少し、絵コンテづくりとは何かを説明していこう。
基本的には、イシューを分解して並べたストーリーラインに沿って、必要な分析のイメージを並べていったものが絵コンテだ。これを何枚でも必要なだけつくる。この作業は決まったフォーマットを使って進めると便利だ。
紙をタテに割ってサブイシュー(ストーリーライン上の仮説)、分析イメージ、分析手法や情報源をまとめていく。チームで作業しているときには、さらにその脇に担当と締め切りも書いておくとよい。これが埋まるとそのまま絵コンテができ上がる(図2)。
経験値が上がり、なじみ深いテーマで取るべきデータの情報源や調査手法も自明な状況であれば、単に紙をマス目に切って分析イメージだけをつくればよい(図3)。
そのときも、どのサブイシューにどの分析イメージが対応するのかを明確にしておく。
絵コンテづくりで大切な心構えは「大胆に思い切って描く」ということだ。
「どんなデータが取れそうか」ではなく、「どんな分析結果がほしいのか」を起点に分析イメージをつくる。
ここでも「イシューからはじめる」思想で分析の設計を行うことが大切だ。
「これなら取れそうだ」と思われるデータから分析を設計するのは本末転倒であり、これをやってしまうと、ここまでやってきたイシューの見極めもストーリーラインづくりもムダになってしまう。
「どんなデータがあれば、ストーリーラインの個々の仮説=サブイシューを検証できるのか」という視点で大胆にデザインする。
もちろん、あとから触れるとおり、現実にそのデータが取れなければ意味はないが、そのデータを取ろうと思ったらどのような仕込みがいるのか、そこまでを考えることが絵コンテづくりの意味でもある。
場合によっては既存の手法ではやりようがないこともあるだろうし、大胆な工夫をする必要も出るだろう。
このようにイシューの視点からデータの取り方や分析手法にストレッチ(背伸び)が生まれるのはよいサインだ。
正しくイシューをベースに絵コンテづくりをしている証拠でもある。
では、絵コンテづくりの3つのステップ、「軸の整理」「イメージの具体化」「方法の明示」のそれぞれにおける押さえどころをみていこう。
軸を整理する分析の本質
絵コンテづくりの第一歩は、分析の枠組みづくり、つまり軸を整理することだ。ここで言う「軸」とは、分析のタテとヨコの広がりを指す。
単に「○○について調べる」ではなく「どのような軸でどのような値をどのように比較するか」ということを具体的に設計する。
僕はこれまで多くの人に分析に関するトレーニングを行ってきたが、ここで、僕はいつも同じ質問をする。
それは「分析って、何だろう?」というものだ。
「分析とは何か?」、ここで返ってくる答えは、
●分けること
●数字で表現すること
といういずれかが多い。
最近は、事業戦略の本が溢れているせいか、
●戦略的な課題について検討すること
という答えもある。
それぞれ何らかの意味はあるのだが、こと「分析の本質」という視点で考えるとこれらはいずれも的を射ているとは言えない。
「分析とは分けること」というのはよく聞く答えだが、「分けない分析」も実はたくさんある。
たとえば「東京の平均所得は地方よりも高い」という事象を検証しようとする場合、東京都と、一例として僕の出身地である富山県を対象にすると、それぞれの1人あたり、または世帯あたりの平均所得をそのまま比較するだけで事足りる。
「東京と地方では年齢層が違う」という議論があるならば、同じ年齢層同士の平均を比較する。
「分ける」必要はどこにもない。
「分析とは数字で表現すること」というのはどうだろう?一見正しそうに思えるが、実は「数字で表現しない分析」というものもある。
たとえば、ネアンデルタール人の頭骨と現代人の祖先であるクロマニヨン人の頭骨を重ね合わせてみる。
そうすると、眉の上の部分の骨の隆起の仕方や額の傾斜など、さまざまな違いが見えてくる。
これも教科書や論文でよく見る立派な分析だ。
あるいは、ある薬品が神経形態に与える影響を調べる場合、薬剤の有無や濃度別に写真を撮ってそれを比べることもある。
数字はまったく使っていないがこれらも立派な分析だ。
「分析とは戦略的な課題について検討すること」というのも、これまでの例、つまり科学研究など戦略的な課題をテーマにしない世界でも分析が日々行われているのを見れば、本質を突いた答えではないことがわかるだろう。
「分析とは何か?」僕の答えは「分析とは比較、すなわち比べること」というものだ。
分析と言われるものに共通するのは、フェアに対象同士を比べ、その違いを見ることだ。
たとえば、「ジャイアント馬場はデカい」という表現を聞いて、「これは分析だと思うか?」と周りの人に尋ねてみると、ほとんどの人が「分析だとは思わない」と答える。
しかし、図4のように、ジャイアント馬場の身長を日本人と他国の人の平均身長と比較して見せた場合には、今度はほとんどの人が「これは分析だ」と答える。
この差は単純に「比較」の有無だ「比較」が言葉に信頼を与え、「比較」が論理を成り立たせ、「比較」がイシューに答えを出す。優れた分析は、タテ軸、ヨコ軸の広がり、すなわち「比較」の軸が明確だ。
そして、そのそれぞれの軸がイシューに答えを出すことに直結している。つまり、分析では適切な「比較の軸」がカギとなる。どのような軸で何と何を比較するとそのイシューに答えが出るのかを考える。これが絵コンテづくりの第一歩だ。
定性的な分析であろうと定量的な分析であろうと、どのような軸で何と何を比べるのか、どのように条件の仕分けを行うのか、これを考えることが分析設計の本質だ。
定量分析の3つの型
定性分析の設計は、意味合い出しに向けて情報の整理とタイプ分けを行うことが中心となるが、分析の大半を占める定量分析においては、比較というものは3つの種類しかない。
表現方法はたくさんあるが、その背後にある分析的な考え方は3つなのだ。
このことを押さえておくだけで分析の設計がぐっとラクになる。では、この3つの型とは何だかわかるだろうか?答えは次のようなものだ。
1比較
2構成
3変化
どれほど目新しい分析表現といえども、実際にはこの3つの表現のバラエティ、および組み合わせに過ぎない(図5)。
それぞれについてもう少し詳しく述べてみよう。
▼比較
「分析の本質は比較」と述べたとおり、比較はもっとも一般的な分析手法だ。同じ量・長さ・重さ・強さなど、何らかの共通軸で2つ以上の値を比べる。シンプルだが、それだけに軸さえうまく選べば明瞭かつ力強い分析になる。洞察を盛り込んだ条件で比較できれば相手をうならせる結果になる。この条件を深く考えることが比較における軸の整理となる。
▼構成
構成は、全体と部分を比較することだ。市場シェア・コスト比率・体脂肪率など、全体に対する部分の比較によってはじめて意味をなす概念は多い。「この飲料の砂糖濃度は8%だ」というのも、「毎日炭酸飲料を飲む人は5人に1人いる」というのも、構成による分析的表現だ。
これらの例からわかるとおり、「何を全体として考えて、何を抽出した議論をするか」という意味合いを考えることが構成における軸の整理となる。
▼変化
変化は、同じものを時間軸上で比較することだ。売上の推移・体重の推移・ドル円レートの推移などはすべて変化による分析の例だ。何らかの現象の事前・事後の分析はすべて変化の応用だと言える。
「時間というあいまいなものでは軸の検討などしようがない」と思われるかもしれないが、「夜明け前」と「夜明け後」の比較であれば、夜明けのタイミングを「ゼロ」として記録したデータを重ねていく、といった手法もある。
結局、変化であっても「何と何を比較したいのか」という軸の整理が重要になる。
分析表現の多様さ
定量分析には「比較」「構成」「変化」という3つの型しかないと言ったが、その表現方法は多様だ。
3つの型それぞれにたくさんの表現方法があり、さらに3つの型を掛け合わせた表現方法もあるためだ。
図6は、3つの型の分析表現の一例だが、「比較」だけをとっても多くの表現方法があることがわかる。
チャートのかたちをもって分析手法と考えている人も多いが、それは正しい理解とは言えない。複雑に見える分析も基本的にはすべてこの3つの組み合わせでできている。
図7は、3つのパターンをそれぞれ軸にとって掛け合わせた例だが、3つの組み合わせでいかに多様な表現ができるかがわかる。
原因と結果から軸を考える
基本的に、分析は「原因側」と「結果側」の掛け算で表現される。比較する条件が原因側で、それを評価する値が結果側となる。軸を考えるというのは、原因側で何を比べるのか、結果側で何を比べるのか、ということを意味している。
たとえば、「ラーメンを食べる回数によって、肥満度に変化が出る」ということを検証したい場合、原因側の軸は「ラーメンを食べるかどうか」「食べるとすると頻度はどのくらいか」というものになり、結果側の軸は「体脂肪率」「BMI(体重を身長の二乗で割った値)」などになる(図8)。
次に、「腹の底からよく笑う人はそうでない人に比べて健康だ」というイシューについて検証したいとしよう。
原因側の軸は「笑いの質と頻度」になり、結果側の軸は「健康度」になる。
「笑いの質と頻度」といってもたくさんの軸の取り方がある。たとえばこんな軸が想定できるだろう。
●毎日どの程度笑うことがあるか……ある/なし、ある場合の頻度(比較)
●腹の底から笑うことが毎日どの程度あるか……ある/なし、ある場合の頻度(比較)
●笑う回数のうち、どの程度が腹の底からの笑いなのか(構成)
●笑う度合いは以前と比べて増えたか減ったか、増減があればいつ頃からか(比較の変化)
●腹の底から笑う割合はこのところ増えたか減ったか(構成の変化)結果側の「健康度」となると、さらに軸はいくらでも取りようがある。
●BMI(比較)
●特定の健康診断での総合評価(比較)
●「自分が健康で幸せだ」と思う度合い(比較)
●身体に苦痛や異常を感じない日の割合(構成)
●寝つき、寝起きのよい日の割合(構成)
●これらの健康指標の直近3カ月間の動向(比較の変化、構成の変化)などだ。
これらを掛け合わせてつくるのが実際の分析だ。
分析の設計と言うと難しく聞こえるが、その本質はシンプルだ。
「原因側」「結果側」双方でどのような比較が必要なのか、どれがいちばんきれいな結果が出るのかを絵コンテを描きつつ考える。これが軸の整理の本質だ。
その軸が当たって、本当に意味のある分析結果が生み出せたときの喜びは大きい。「この結果は、恐らく今、世界で自分しか知らないだろう」という喜びを噛みしめる瞬間だ。
分析の軸を出す方法
分析の「軸を出す」ことについてもう少し考えていこう。といってもそれほど深刻に考える必要はない。
比較に際しての条件をふせんなどに書き出していって、関係のあるものを束ねていく、というのがシンプルですぐにできる方法だ。
「スプレッドシート」やワープロソフトの「アウトライン機能」などを利用して整理してもよい。
たとえば、「スポーツ飲料を飲む場面」を分析する際の軸の整理を考えてみよう。
思い浮かぶたくさんの場面を片っ端から書き出していく(図9)。
似ているものを束ねながら、軸を整理していく。場合によっては、2つの条件が重なり合ったものも出てくる。
大きくはA・Bという2つの条件しかなくても、●Aでしかないケース●AでありBであるケース●Bでしかないケース●AでもBでもないケースという4つの場合があり得る。実際に「AでありBであるケース」があり得るのか考察し、なければ、その条件を消して3つの条件で比較する。この作業をやっていくと、考えの「ゆるさ」が消えていき、急速に分析がすっきりしてくる。
イメージを具体化する
数字が入ったイメージをつくる
軸の整理が終われば、次は具体的な数字を入れて分析・検討結果のイメージをつくっていく。定量分析の場合、結果の表現方法はおおむねチャートになるはずだが、数字が入ったチャートをイメージで描いていく。
描いていくうちに、「このあたりの軸の取り方が要になる」「このヨコ軸は細かく値を取らなければならない」といったことがわかってくる。これ自体が大きな効用だ。実際に分析をはじめたときに、この感覚が大きく作業を効率化してくれる。
忘れられがちだが、「数字は細かく取ればいい」というものではない。最終的にどの程度の精度のデータがほしいか、それをこの段階でイメージする。
「50%か60%か」を見極めようとしているときに0.1%刻みのデータは必要ない(図10)。
実際にチャートのイメージを描くと、どのぐらいの精度のデータが必要か、何と何の比較がカギになるのかがはっきりする。
仮説で「急に変化が大きく出るだろう」と思うところがあれば、そのあたりについては細かくデータを取っておく必要がある。
たとえば、ある清涼飲料の開発をしているとしよう。
「人が甘いと感じる砂糖濃度」について調べる必要があるとする。
私たちの知覚の基本性質を考えると、この結果の出方はおそらく直線ではなくS字カーブ的な曲線になる、と予測できる。
さらに、世の中一般の清涼飲料は砂糖濃度が5~10%程度に分布していることを考えると、5%までと5~10%の間で感度が大きく異なる可能性が高く、10%以上ではまた低くなるだろう、という仮説が立てられる(図11)。
このように仮説を立てると、5~10%の間は細かくデータを取る必要があることが見えてくる。
軸を整理するだけでなく、イメージを具体化することで、このように必要となる検討の細かさまでが事前にわかる。
意味合いを表現する
実際に数字が入った具体的なチャートのイメージを描く上では、比較による「意味合い」をはっきりさせることが必要になる。
分析における意味合いとは何だろうか?この答えは非常にシンプルだ。
分析の本質は比較だと述べた。
したがって分析、また分析的な思考における「意味合い」は、「比べた結果、違いがあるかどうか」に尽きる。
つまり「比較による結果の違い」が明確に表現できていることが「意味合い」を表現するポイントになる。
明確に理解し得る違いとして、典型的なのは次の3つだ(図12)。
1差がある2変化がある3パターンがある
これらのような最終的にほしい「意味合い」を分析イメージとして書き入れていく。
分析開始前に必要な結果に対する強い意識をもっていれば、結果がうまく出ないときにも落胆し過ぎずに済み、諦めてはならないラインも明確になる。
当然「何を生み出すためにこの分析をやっているのかわからない」ということも回避できる。
このプロセスは最終的な結果のイメージを想像で埋めていく過程だ。
「こういう結果がほしい」と思いつつ、楽しみながらやっていくことがコツだ。
方法を明示するどうやってデータを取るか
絵コンテづくりは「軸の整理」「イメージの具体化」でおおむね終わりだが、最後にひとつぜひやっておくべきことがある。それが、どうやってそのデータを取るのか、という方法を明示することだ。
イシューを設定し、それを基にストーリーラインをつくり、それに合わせて思い切った絵コンテをつくる。ここまではよくても、現実的に肝心のそのデータを取る方法がなければ、すべてが砂上の楼閣となってしまう。
絵コンテはイシュー起点で大胆に描くことに意味があるが、最後の段階では実際のアプローチについても考えていく必要がある。
具体的には、「どんな分析手法を使ってどんな比較を実現するか」「どんな情報源(データソース)から情報を得るのか」ということを分析イメージの右側に描いていく。
サイエンスであれば具体的な方法論はおおよそ明確だろう。
ビジネスの課題であっても、どういった調査を行ってデータを取るのかを明示する。
たとえば、マーケティングにおける消費者調査には多種多様な方法があるが、自分の描いたストーリーラインにおいて採用すべき手法の見当がまったくつかない、という状況は避けたい。
調査の回答者は訪問面接で集めるのかウェブで集めるのか、回答者の抽出は人口構成に比して集めるのか無作為か、あるいは特定の属性の人を多めにするのか、といったこともイシューの立て方によっては大切になる。
通常のやり方ではうまくいきそうにないので新しいアプローチが必要になることもある。これが活動の開始段階で見えることで、余裕をもって段取りを仕込むことができる。
科学の世界では大きな発見の前には大きな手法の開発があることが多いが、それはまさにこの「イシューからはじめる」のアプローチに由来している部分が大きい。
大きな壁を突破するためにこれまでにない無理をし、新しい方法を開発した結果が大きな進展につながる。
僕が好きな話に、利根川進がノーベル賞につながる免疫系の遺伝子組み換えの研究をしていたときのエピソードがある。
利根川は実験において、DNAの断片を分離する「ゲル(トコロテンの精製物を固めたもの)」が、通常の分子生物学で使われているものは長さ20センチメートル程度なのを、「これでは足りない」と言って、他分野からもち込んだ2、3倍もあるゲルで実験し、研究上の壁を乗り越えたという。
「ほしい結果から考える人」にとっては当たり前のことでも、それを理解していない人にとっては驚くようなアプローチになることは多い。
既存の手法の限界に踏み込む感じが出てきたら、「イシューからはじめる」という考えで分析の設計ができている可能性が高い。
とはいえ、常に新しい手法を発見しないと答えを出せない、というのも大変だ。
ここでも既存の手法を活用すること、使える手法の意味と限界について正しく理解しておくことが役に立つ。
自分の関連する分野でカギとなる手法は一通り知っておいたほうがよい。
たとえば、消費者マーケティングであれば、先ほど述べたとおり、調査と言っても、定性分析・定量分析のそれぞれに相当の数のやり方があり、定量分析の調査手法だけをとっても、郵送、電話、インターネット、訪問面接、1カ所での集中実施などがある(図13)。
いずれも一長一短あるが、それらのどれかしかできないとなると、取り扱えるイシューの幅がずいぶん狭くなってしまう。
ただ、既存の手法について一通りなじむには、どのような分野であっても相当な年数がかかる。
これらの知識や経験が足りない時期は、取り扱えるイシューが制限されないような工夫が必要だ。
ここでも自分が関連する分野におけるご意見番的な人、あるいは相談に乗ってもらえる人を何人かもっておくことが有効だろう。
落語家・立川談春に『赤めだか』(扶桑社)というすばらしいエッセイ集があるが、それによると、立川流では一人前として認められる「二ツ目」になるためには古典落語を50マスターしなければならないのだそうだ。
実際のところ、どのような分野であっても、多くのプロを目指す修行のかなりの部分はこれら既存の手法、技の習得に費やされる。
この際に「イシューからはじめる」意識をもっていれば、さまざまな場面を想定した技の習得意識は大きく高まる。「目線が高い人は成長が速い」という、プロフェッショナルの世界における不文律は、この意識に由来しているのだと思う。
知覚の特徴から見た分析の本質
なぜ、分析を比較の視点で設計し、イシューやサブイシューに答えを出すことが効果的なのか。これを僕のサイエンスの専門である脳神経系の働きから少し考察してみよう。結論から言えば、答えを出すべきイシューに、比較によって意味合いが生まれるのは、僕たちの脳の情報処理の特徴のためだ。
第1章でも少し触れたが、実は神経系にはコンピュータにおける記憶装置にあたるものがない。あるものは神経同士のつながりだ。
知覚の視点から見たとき、留意しておきたい神経系の特徴が4つある。
1閾値を超えない入力は意味を生まない
脳神経系の基本単位である単一のニューロンでは、ある一定レベルの入力がないと情報を長距離にわたって伝達する活動電位というものが発生しない。これを「全か無の法則」というが、神経系は群であろうと脳のレベルになろうと、基本的に同じ特性をもっている。
その結果、匂いであろうが音であろうが、ある強さを超えると急に感じられるようになり、あるレベルを割り込むと急に感じられなくなる。
コンピュータも最小の情報モジュールとしてゼロ(0)とイチ(1)で処理をしているが、入力の強さと出力はあくまで線的な関係で行われる。
一方、脳の場合、閾値が「入力の意味をもちうるライン」として存在しているのだ。
2不連続な差しか認知できない
脳は「なだらかな違い」を認識することができず、何らかの「異質、あるいは不連続な差分」だけを認識する。これもコンピュータにはない特徴だ。
たとえば、「食堂でうどんを食べているときに、どこか離れている人がラーメンを食べていることにすぐに気づいた」というような経験をしたことがある人は多いと思う。
しかし、目の前にあるうどんの匂いが食べているうちに数パーセント弱くなっても(これは実際に起こることだ)、それをすぐに察知できる人はいない。
音であれ視覚であれ、これと同じことが言える。脳は「異質な差分」を強調して情報処理するように進化してきており、これは脳における知覚を考える際の根源的な原理のひとつだ。
そしてこれが、分析の設計において明確な対比が必要な理由でもある。明確な対比で差分を明確にすればするほど脳の認知の度合いは高まる。そう、分析の本質が比較というよりは、実は私たちの脳にとって認知を高める方法が比較なのだ。そして、私たちはこれを「分析的な思考」と呼んでいる。
これに関連した留意点としては、分析イメージを設計する際(第4章で詳説)には、同じような分析の型が続かないようにすることが重要だ。
私たちの脳は異質な差分しか認識しないため、同じかたちのグラフやチャートが続くと、2枚目以降に関しては認知する能力が格段に落ちる。
同じかたちが3枚続けば大きなインパクトを与えることは相当難しくなる。
チャートの表現レパートリーは多くもち、極力同じかたちが続かないように工夫する。
3理解するとは情報をつなぐこと
大脳皮質の情報処理の中心となるピラミッドのようなかたちをしたニューロンはひとつあたり数千から五千程度のシナプス(神経間の接合)を形成し、ひとつのニューロンが多くのニューロンとつながっている。
ここで異なる情報をもった2つ以上のニューロンが同時に興奮し、それがシナプスでシンクロ(同期)したとき、2つ以上の情報がつながったということができる。
すなわち、脳神経系では「2つ以上の意味が重なりつながったとき」と「理解したとき」は本質的に区別できないのだ。これが第3の特徴、すなわち「理解するとは情報をつなぐこと」という意味だ。
これを噛みしめつつ考えると、どうしてある種の説明は心理的な壁がない場合でも理解されないのか、ということがわかる。つまり、既知の情報とつなぎようのない情報を提供しても、相手は理解のしようがないのだ。そしてこれが、私たちが分析の設計において、「軸」を重視しなければならない理由でもある。
分析における比較の軸は、複数の情報をつなぎ合わせるヨコ糸でありタテ糸となる。同じ基準から異なるものを見ることによって、情報と情報の「つなぎ」が発生しやすくなり、理解が進む。優れた軸は複数の異なる情報をつなぐ力が強いのだ。
4情報をつなぎ続けることが記憶に変わる
「理解することの本質は既知の2つ以上の情報がつながること」だと述べた。
この結果、マイクロレベルの神経間のつなぎ、すなわちシナプスに由来する特性として「つなぎを何度も使うとつながりが強くなる」ことが知られている。たとえてみれば、紙を何度も折ると、折れ線がどんどんはっきりしてくることに似ている。
これはヘッブという人が提唱したことから「ヘッブ則」と呼ばれているが、何度も情報のつながりを想起せざるを得ない「なるほど!」という場面を繰り返し経験していると、その情報を忘れなくなる。
当たり前のように思えるが、これは日常ではあまり意識されていない。
きちんと意味のあることを相手に覚えてもらおうと思うなら、オウムのように同じ言葉を繰り返してもダメだ。「××と○○は確かに関係している」という情報が実際につながる「理解の経験」を繰り返させなければ、相手の頭には残らない。
外国語を学ぶとき、単語帳だけ見ていても覚えられないが、さまざまな場面である単語が同じ意味で使われていることを認知するとその単語を覚えられる、というのも同じ話だ。
そういう視点で見ると、間違った広告・マーケティング活動は枚挙にいとまがない。受け手の既知の情報と新しい情報をつなげる工夫こそが大切だ。
そしてこれが、明確に理解できるイシュー、サブイシューを立て、その視点からの検討を続け、その視点から答えを出さなくてはならないことの理由でもある。
常に一貫した情報と情報のつながりの視点で議論をすることで受け手の理解が深まるだけでなく、記憶に残る度合いが大きく高まるのだ。
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